I create you to control me
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息子につきあって『おかあさんといっしょ』をよく見ている。その『おかあさんといっしょ』では、子どもたちをスタジオに招いておにいさんおねえさんが一緒に歌って踊る通常の放送と違い、子どもたちをスタジオに招待しない特別コーナーが放映されることがある。以前におこなわれた特別コーナーでは、おにいさんおねえさんが探偵に扮していろいろな疑問を解決するというシリーズがあった。
その日のお題は「ゾウの鼻はなぜ長いのですか?」というもの。ゾウの鼻はなぜ長いのかというような問いに対しては、いかようにも解釈することができるように思う。生物学的にそのような組成になっているということを示してもよいかもしれないし、鼻がみじかい象も昔はいたけれど、今は死んでしまったといった説明をしてもよいかもしれない。解剖した図をみせて、ほら確かに僕らと同じような鼻なんだねとやってもよいような気もする。あるいは「神様がそのようにつくられたのだ」でもいいかもしれない。つまり、どう答えたとしても、どうやっても「なぜ」そうなのかという問いに答えるには不十分である。どう答えても、いちおうの答えになるような気がするが、どう答えても答えにならない。こういうのをアポリアというのである。
しかも、このコーナーは幼稚園にあがる前の幼児がみている番組である。高尚な言葉での説明をされてもわからない。目でみてはっきりわかるものでなければならない。どうやってそんなことをするのだろうと思ってみていたら、スタジオのお姉さんがすかさず、こうつぶやいた。「うーん、象の鼻はただ長くてブラブラするだけなのかなあ」と。つまり、言い換えたのである。この発言をうけて、お兄さんは「ブラブラ長いんじゃなくて何か働きがあるはずだよね」といい、そこから調査の方向性は「象の鼻はブラブラするだけじゃなくて、どんなことができるのだろう」というものになった。
お兄さん、お姉さんはかくして動物園でゾウは鼻をつかってどんなことをするのかを調べにいった。そして、実際に動物園にみにいってみたところ、象の鼻は実にいろいろなことに使われることがわかった。食べ物をつかむためにも使えるし、水あびをするためにも使える。大変鼻の力はつよくて、おにいさんおねえさんがつかまっても持ち上げることができるということがわかった。なるほど。そのような映像がながれた後、最後におにいさんおねえさんは「ブラブラしてるだけじゃなくていろんな役にたつんだね」といってこのコーナーをしめた。ここではお兄さん、お姉さんによって巧妙に問いの変形がおこなわれている。つまり、「なぜ象の鼻は長い」というアポリアから、「象の鼻は、長くなければならないような機能をもっているのか」という検証可能な問いへの変形である。論文で問いをたてるとは、このように、最初の大きな問いを、扱えるような小さな課題におきかえていくということだ。大きな問いがないような論文は面白くないが、かといって大きなままでは先に進まない。そして、大きな問いをしぼりこんでいく過程では、お姉さんのつぶやきのような、いくつもの声に応答していくとやりやすい。先行研究とか、ゼミでの討論というのはそういう声を提供しているわけである。
2012年06月13日(水) |
バンバーグ先生講演会 |
10日は東大でMichael Bambergの「ナラティヴ分析の挑戦―アイデンティティ研究への一視点」に出た。バンバーグ先生は、ナラティブ・アプローチをとる人のなかでは珍しくというのか、ビデオデータ、それもインタビュー以外の会話場面についてのマイクロ分析をする人である。ポジショニング分析というのか、会話のなかで自分を何者として、どのようなレトリックを用いて語るのかといったことが分析の焦点になる。以前みせてもらった分析では、思春期をむかえる少年たちが、男同士で語りあう際に、どのように自らのジェンダーアイデンティティを表出するかといったことが会話分析的におさえられていた。能智先生の紹介によるとエスノメソドロジー・会話分析にもふれたことがあるとのことで、なるほどねと合点がいく。 バンバーグ先生は過去に何度も来日して講演されているから、正直、話の内容は特に目新しいものではなかったが、わかりやすくまとめられて納得いくものであった。バンバーグ先生はインタビュー場面にこだわらない姿勢を強調しておられたと記憶しているが、たぶん、個人の内界に、確固たるアイデンティティがある(ない)といったイメージも、これまでの研究が質問紙ないしは、1対1のインタビュー場面から得られたデータをもとにしていることに支えられているのではないだろうか。おそらく人はどのような場面で、どのような聴衆を相手に、どのようなことを志向して、どのような言葉を使って自らのアイデンティティを語るのかということには一貫した答えは設定しづらい。そういう多種多様なアイデンティティ表現の、ごく一部であるインタビューという場面だけが特権化してとらえられるべきではない。
2012年06月11日(月) |
どうやったらいいかわからないことをやってみる |
土曜日はホルツマンの”Vygotsky at work and play”の読書会にいった。ホルツマンはかつて(いまも)発達心理学者であり、マクダーモットやコールらのやった有名な学習障害の研究などにも共著者として名前をつらねている(Lois Hood)、ということをそのときはじめて知った(だから、ホルツマンというよりはルイスといったほうがいいのだよね)。この本はホルツマンがこれまで盟友のフレッド・ニューマン(昨年逝去)と一緒に展開してきたプロジェクトを総まとめしたような内容で、ソーシャルセラピー、学校教育における教員研修、放課後クラブ(コールらのフィフス・ディメンションが有名)、企業研修などが紹介された2-5章を、彼女らのマルクス、ヴィゴツキーに下支えされた理論編が1,6章がサンドイッチしているという構成。読書会をした限りでは、ホルツマンの実践は、集団で即興劇を行うということが最大の特徴である以外には、あまり実情がよくわからないという感想をもった(もっとも、即興劇での会話をばっと出されたとしても、我々がそれを解せるかどうかは怪しいのだが)。 VygotskyやMarxに詳しい伊藤さん(北海道大学)も書いているので、そちらも参照してもらったほうが正確だとは思うが、彼女の理論のなかで、私にとって印象に残ったのは、「結果であって道具でもある/道具であって結果でもある」という、道具と結果が同時的に、弁証法的に発生するような活動というとらえ方と、そこで、人は模倣を通して「どうやったらいいかわからないもの」を、とにかくやってみることによって学ぶ(学習者として発達する)ということが中心になっているということである。普通、道具というのは結果のためにあると考えられるけれども、結果が出たときにはじめてそれが道具になるというようなあり方もあることにホルツマンは注意を喚起している。 例えば、私の息子は2歳のころからお金を払うということにことさら興味をひかれ、レジにいくと大人に先んじるどころか、前のお客さんがいるときでも「スイマセーン」「コレデス、コレデスー」と自分がもっているものを置きはじめたり、大人が会計をしようと思うと自分が払うのだとお金をひったくろうとし、大人に阻まれて泣き叫ぶということを繰り返しているのだが、これは模倣をしているのである。こういうことに手を焼いた私たちは、前もって小銭を用意しておいて、彼がぐずりだす前にそれを持たせ「ほら、会計して」と言ったり、レジの人の方でも寛容に、彼がそれを差し出すと、全然合計はたりてなくても「ありがとうございます」といってくれたりする。それで彼は満足する。 まだまだ、彼は買い物はできないが、こういうことを繰り返すことで買い物とはどうすることかを学んでいくのだろうと思う。つまり、どうやるかわからないけれども、とにかく大人がやっていることを模倣しつつやってみるうちに、何かができるようになるし、その時に「お金」であったり、「すいません」「これです」といったデタラメな言葉であったりは、はじめて道具になるということである。ホルツマンは「発達とは自分でない存在として振る舞うことによって何ものかを創造する活動である。…ヴイゴツキーの言うZPDはなんらかの範囲や社会的なはしごかけではなく,ふるまう(perform)ための舞台であると同時に振る舞い(performance)そのものでもある活動である」といっている。つまり、上記の買い物のエピソードそのものがZPDなのである。 ナラティブプラクティスの実践のなかで、アズイフというものがある。もともと臨床実践のグループスーパーヴィジョンの技法としてできたもので、クライエントやその家族に参加者がなりきって話をしてみることで、普段、決してきくことができないようなことを質問したりすることで、そのクライエントについての理解を深めるというワークである。私はこれを質的研究のカンファレンスの道具としても使えると考えて実践してきた。アズイフで何が起こっているのかを考えるとき、このホルツマンの考えは参考になるように思う。演劇的手法ということではピッタリだし、アズイフでは役になりきって考えてみることで、知的に理解しているのではおさまらないような気付きが参加者全体にうまれたりする(セッションが終わっても、家族のなかで批難の対象となった母親が「みんなから責められるのは納得いかない」とブツブツいうなど)。これなど道具でありつつ結果であるということだよね。気づくためにアズイフをやっているわけだが、アズイフ自体が気づきにもなっているということだ。ちょっと大事に考えていきたい。
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