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2011年04月17日(日) |
実践をふりかえるための教育心理学 |
もう一冊、新刊がでました。香川大学の大久保先生と、大阪教育大学の牧先生が編まれた『実践をふりかえるための教育心理学--教育心理にまつわる言説を疑う』で、私はスクールカウンセラーの立場からの章を書いています。下記のリストをみてもらえばわかりますが、執筆メンバーはかなり豪華だと思います。ご一緒させてもらえて嬉しく思います。教育場面には、真偽が検証されたことはないのにも関わらず、さも正しいことであるかのように流通し、実践をしばる言説というものがありますね。現代青年は規範意識が低下しているとか、社会性がなくなっているとかいったように・・・。本書は、教育界にあるこうした言説を集め、データに基づいて改めて検証してみようという趣向です。
私の章は事例呈示ですから「検証」っていうとイメージが少し違いますね。不登校のなかに、将来もひきこもり状態につながる人がいることは確かですし、そのなかに医療につながれば精神障害や発達障害と診断される人がいることは確かなことだと思います。精神医学や疫学の立場から述べるならもっと違う書き方があったと思います。しかし、学校現場ではそれ以上にすることがあると思うし、障害や病気であるということを強調することで見えなくなることってたくさんあると思うのですね。
各章とも、教育現場で出会う言説にどう向き合うのかについて、考え直すための材料が呈示されていると思います。これを読んだからといって、すぐに明日の実践に役立つということは、もしかしたらないかもしれませんが、考えておいて損はない問題が多く書かれていると思います。学校の先生をはじめとして、多くの方にお読みいただければと思います。
===================================================== 大久保 智生・牧 郁子 編『実践をふりかえるための教育心理学--教育心理にまつわる言説を疑う』 税込定価 2310円
大人目線の「子供のため」にならないように。それが大人の論理のおしつけだってことは子どもには簡単に見抜ける。だから子どもは生きづらい。なのに大人は気づかない。「正しいとされていること」に惑わされず現実に向き合って実践をするためのヒント。
<目次> 1 「心の教育」は有効か―「心の時代」を超えて「命の教育」へ―(伊藤哲司) 2 モンスターのような親は増えたのか―親の怒りと訴えの背後にあるもの―(小野田正利) 3 日本の子どもの学ぶ意欲は低いのか―学習意欲を巡る3つの「思い込み」を吟味する―(村山 航) 4 「全国学力・学習状況調査」は学力の現状を客観的に知るための科学的な調査か―「初期状況」にみるポリティクス―(森田英嗣) 5 授業は誰のために行われているのか―「子どものため」といえる授業実践を考える―(岸 俊行) 6 今の子どもを指導することは難しいのか―子どもの力を引き出す学級経営―(龍野聡平) 7 問題児と向き合うことが生徒指導なのか―荒れる学校とどう向き合うか―(加藤弘通) 8 いじめられる側にも問題があるのか―いじめ現象の理解といじめ対策実践の再考―(戸田有一) 9 現代の子どもや若者は社会性が欠如しているのか―コミュニケーション能力と規範意識の低下言説からみる社会―(大久保智生) 10 社会的スキル訓練をすれば,すべての人づきあいの問題は解消するのか―社会的スキル訓練の実際と実施時の留意点―(宮前義和) 11 子どもは教師に相談するのか―子どもの被援助志向性にそった教育相談のあり方―(水野治久) 12 「学校不適応」の生徒は「障害(病気)」なのか―スクールカウンセラーからみた学校現場―(松嶋秀明) 13 職員室は「仲よく」できているのか―学校現場における協働性の実際―(牧 郁子) 14 学校は,校長のリーダーシップ次第であろうか―学校組織づくりにおける校長のリーダーシップについて―(淵上克義) 15 「地域の教育力」は衰退したのか―学校と地域の協働による「地域の教育力」の顕在化を考える―(時岡晴美)
2011年04月16日(土) |
ふんばろう東日本支援プロジェクトのお知らせ |
早稲田大学のMBAコース講師の西條くんが、先の震災の支援のために以下のような支援システムを考えました。多くの人に知ってもらいたいとのことだったので、この日記にも転載します。
西條君とは、彼がたちあげた次世代研という研究会を通じて知りあいました。あの頃はみんな燃えてましたね。次世代研が終了してから目立った交流はなかったんですが、ひさしぶりに燃えている彼をみました。次世代研のときも思ってましたが、一度エンジンのかかった彼の行動力ははんぱないです。
想いはあってもなかなか行動にはうつせないなと思っていたり、具体的にどうしたら本当に役立つ支援ができるんだろうと思っている人もいると思います。是非以下のシステムのことを知ってください。
以下、西條くんからのメッセージです。 ===================================================== 現地の惨状はテレビで報道されているものより遥かに悲惨です。物は大きな避難所には山積みにされていますが、小さな避難所や個人避難宅には届いていません。また生活の質をあげる物資に至ってはまったく足りていない状況です。避難所のストレスはピークに達しており精神的なケアも不可欠です。
以下をみていただければ、現地がいかに厳しい状況にあるかご理解いただけると思います。
1)南三陸町レポート 2)今こそボランティアを 3) 被災地支援のコツ
西條剛央・岩上安身対談インタビューUst録画
西條x川崎xGACKT鼎談Ust録画
そうした状況を打開するために、現在「ふんばろう東日本支援プロジェクト」というのを立ち上げたところ、各地方ラジオ、各種雑誌、毎日新聞、河北新聞、TBC東北放送等にとりあげられて、大きな流れになりつつあります。
「ふんばろう東日本プロジェクト」fumbaro.orgとは行政を介さずに、必要な物を必要な分必要な所へ無料で届ける支援システムです→
http://fumbaro.org/
2011年04月15日(金) |
私たちは日々すれちがって生きている |
3月末に東京大学出版から本がでました。『ディスコミュニケーションの心理学:ズレを生きる私たち』という題です。この本は東京学芸大学国際教育センターの共同研究プロジェクト「異文化接触におけるディスコミュニケーション発生メカニズムの心理学的解明」の助成をうけて、編者の山本先生、高木先生を中心としておこなった研究会の成果です。長い時間をかけて、議論をかさねて出来た本です。私自身にとっては、執筆者の皆さんと議論できたことが大きな財産です。
コミュニケーション研究には、言っていることが通じることを出発点とするものと、通じないことを出発点とするものがあると思います。言っていることが通じることから出発するコミュニケーション理論にとって、ディスコミュニケーション(和製英語ですが)とはその失敗や逸脱でしかありません。しかし、通じないことを出発点として議論したらどうなるか。消極的な意味しかないのだろうか。通じないのだけれど、それでも私たちは対話を続けていく。その先には当初は予測もできなかったような結果があらわれてくるのではないか?。そういう対話の可能性に挑戦した本だと思います。
少々お高いのですが、手にとってみてくだされば嬉しいです。「つながりあって生きる」とは耳にやさしい言葉ですが、良いことばかりではない。現在、私たちの社会は、これまで以上に、いやがおうでも「分かりあえない」人とつながり、「分かりあえない」人と前に進んでいかなければならない事態に、様々なところで直面しているように思います。ディスコミュニケーションの存在に蓋をして通り過ぎることができる社会というのは、ある意味、幸せな社会かもしれないなと、元来、ことなかれ主義の私は思います。しかし、ぶつかりあっていかなければ、何も生まれない。私たち自身も変わることができない。
本書を読んで、この社会のなかでつながりあって生きるということの困難さと、明るい未来の可能性について考えるきっかけになればと思います。
======================================================== 東京大学出版会 山本 登志哉 ・高木 光太郎(編)『ディスコミュニケーションの心理学ーズレを生きる私たち』
内容紹介 すべてのコミュニケーションは「ズレている」? 意思の疎通や普及に光をあててきた従来の心理学から少し視点をずらすと,生きられた問いにあふれる私たちの生の現場が見えてくる.日中韓の文化の間で,世代の間で,研究者と対象の間で,また,学校や法廷などの場で,気鋭の心理学者たちが挑戦する.
主要目次 序 章 ズレとしてのコミュニケーション(山本登志哉・高木光太郎) 第I部 対立から共同性へ 第1章 ズレの展開としての文化間対話(山本登志哉・姜英敏) 第2章 異文化理解における対の構造と多声性(呉宣児) 第3章 ズレを通じてお互いを知り合う実践(松嶋秀明) 第II部 日常性の中のディスコミュニケーション 第4章 ケア場面における高齢者のコミュニケーションとマテリアル(川野健治) 第5章 未来という不在をめぐるディスコミュニケーション(奥田雄一郎) 第6章 回想とディスコミュニケーション(高木光太郎) 第III部 ディスコミュニケーションを語り合う 第7章 見える文化と見えない文化(河野泰弘) 第8章 座談会 ズレながら共にあること 第IV部 ディスコミュニケーションを語る視座 第9章 ディスコミュニケーション分析の意味(山本登志哉) 第10章 ディスコミュニケーション事態の形式論(高木光太郎) ========================================================
2011年04月06日(水) |
新学期がはじまりました |
被災地の皆様にお見舞い申し上げます。このたびの震災では多くの方々がお亡くなりになり、また、いまだ多くの方が不安定で辛い生活を送っておられることと思います。みなさんに平穏な日常が一日も早く戻ることを願っております。
遠くにすむ私はいまだに被災地のリアルな姿を十分想像できていないかもしれません。16年前、私は身近で阪神淡路大震災を経験しました。しかし、そのとき大阪に住んでいた私は、さしたる被害もなく過ごすことができました。ボランティアで西宮まで出かけた際、梅田駅から電車で数十分しかいかない場所に、こんなにも違う日常があるということにショックをうけたものです。心のなかでは、大変なことがおこったと、同じように不安や恐怖を感じていたつもりでしたが。。。
今回もまた、そういうズレた立場にいます。連日、テレビやインターネットを通して流されてくるおびただしい量の情報の前に、共有したつもりになってしまっているように思います。まだうまく言葉になりませんが、はなれた場所にいるものとして、出来る事は何か。市民としてはもちろんですが、研究者として考え、少しずつ発信していければと思います。
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