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2009年08月11日(火) |
「子どもの心と学校臨床」vol.1 遠見書房を読んだ。 |
「学校臨床」は難しい、といわれる。最近、ますます、そういう声をきくことが多くなった。たしかに、そうだ、と思う。
私を含め、多くの臨床心理士は大学院で1対1の面接の訓練をうけ、それを自らのアイデンティティとする。そういう人からすると、学校というところにはその心理的援助をすすめられる枠組みが存在しないように見えることがある。立派な面接室がしつらえてあるところは近年では増えてきたけれど、大事なのは面接室ではなく、それをとりまく相談のシステムであるが、そんなものがあらかじめ備わっている学校はあまりない。自分でつくるしかない。
そこで教師コンサルテーションが大事な仕事だからと、ケース会議をやろうとする。学年暦にそれを位置づけねばならないとすると、年度の途中でちょっとやってみるというわけにいかない。何年も先をみすえた活動が必要になる。そして、そういう会議をひらくというのは、本当に必要性を感じている先生にはよいけれど、そんな先生ばかりがいらっしゃるわけではない。ただでさえ忙しい先生の仕事をさらに増やすようなことがないように、すすめていかねばならない。
ほかにも不登校の生徒がいたら、先生は率先して家庭訪問や種々のかかわりをしてくださる。本当に頭がさがることだが、担任の先生自身が抱えられているという実感がもてなければ、生徒への対応にも影響があるかもしれない。生徒が少し元気になり、外に意識がむいていきた時に、学校に呼んでの関わりが大事になってくると、担任の先生だけではとても無理だ。多くの先生方に協力をお願いせねばならない。そういうシステムを作っていかなければならない。
なによりSCは1人である。(これは私がいったのではなくて、病院臨床の草創期をつくられた先生がおっしゃっていたことなので悪しからず)病院の心理士は判断を誤まっても医師がいるが、学校には誰もいない。特別支援教育にSCも関わることが大事だとなっていても、多数の生徒のなかから気になる生徒をピックアップするだけでも骨のおれる仕事である。
それで、いざ「発達障害」だ「愛着障害」だとなったとして、医師の診断がなによりも優先されるということはない。その意味で、先生に「あの子はちょっと気になる」と思ってもらえる生徒はよい。「あいつは何だ!」と怒られる生徒も、(対応には気を遣うが、気にしてもらえてるという意味では)まあ、よい。問題は、先生にあまり心配されない生徒が、困っていないわけではないことであり、それをちゃんと指摘できなければならない。
そのような関心をもって読んだ時、本書は豪華執筆陣が、自分たちの関わりのエッセンスを伝えてくれているという意味で、とても贅沢な本である。もちろん、SCのみが読者ではないわけだから、概論的になってしまう部分があるのはしょうがない。個人的には辻井先生の「発達障害のある子どもたちの家庭と学校(1)」は、とても勉強になったし、文献採録にのせられていた東先生の論文も、一般的にはいわれていることではあっても、具体的に実践するとなるとなかなか難しく重要なテーマに触れていると思う。また、学校に入る際には家族療法の視点が大事だといわれるなかで、吉川先生の連載は、いつもの文体で大事な視点をたくさん提供してくださっていると思う。
ところで、学校臨床は難しいといわれて久しいのにも関わらず、このことについて専門的に論じる雑誌がなかったのは不思議なことである。この雑誌は読者が参加することを求めているそうなので、こんなことも知りたい、あんなことも必要だという声がでて、(いまが不十分ということはないが)よりぶあつい内容にしていける可能性がある。そうすることで学校臨床についての知見がさらに分厚いものになっていくとすばらしい。
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