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2004年09月30日(木) 原稿原稿原稿

朝から学校。

明日からいよいよ授業。準備も大詰めである。まあ、そうかといって、実習にそんなに準備することも実はないのであるが、まあ、なんとなく準備したくなってしまう小心者の僕。

で、朝から昨日夜なべして作った論文やら、その取り扱い説明書やらをうちだし、隣のコピー室でぐいんぐいんコピーし、もう原稿でパンパンになった封筒を事務所でだしてもらって1件落着。そして、送りましたよの一報をメールでお送りし、もう帰ってきませんようにと手をあわす。

しかし、1ヶ月でなおすのってつらいよね。ちょっとだけしか注文つけられてなければいいけどもさ・・・。みんな出来てるのかしらん。

ついでに先週からもっていればもっているだけ治したくなる原稿を、〆きりという外的枠組の力をかりて、これまた出版社にお送りし、原稿ファイルをメールでお送りして、さらにもう1件落着。

しかし世の中便利になったものだ。僕がはじめて買ったノートPCはibookだったが、iBookは史上始めてフロッピーティスクドライブがついていないマシンであった。ネットでやりとりすればいいんだから、外部記憶装置なんて必要ないじゃんという論理を、当時は、なんと乱暴なと思ったが、世の中、確実にその方向に向かっている感じがする。

そして、もう一件、10月1日〆きりのやつも〜と思ったが、出来ていないものは送れない。ああ、どうしょう。1字も書いてない。

11月でもいいよと言われたものの、11月でもいいよといわれたら、おそらく11月にはまにあわない気がする。というわけで意識的にその言葉はきかなかったことにする。なにせ僕が原稿遅らせても誰も困らない。編者は足りない原稿はさっさと切って3月には是が非でも出版するといっているからである。まあ、切られるのもなんだから書かねば。ねば。

明日、授業をしたら土日はまた泊まりがけで研究会。そして次の週末は教育心理学会。なんか、今年は外にでかけてばっかりな気がするぞ。自分の本がかけないじゃないか。ま、時間があったら腰がすわるかというと、またそんなこともないんだけども。





2004年09月29日(水) アイデンティティは変化するのかしないのか

昨日も書いたが、バンバーグ先生の講義では、スモール・ストーリー研究というのが提唱されていた。

スモール・ストーリーの特徴は、非常に短期間のあいだに生起する会話にうめこまれており、会話のなかでたくみにポジショニングをかえながら、目の前の聞き手、あるいはドミナントなディスコースとのあいだで交渉され続けるというようなものであるらしい。

このように問うことで、アイデンティティを実体としてではなく、日常の実践のなかでつねにおこなわれており、人の経験というのはつねに編集され続けているということとして理解することができるというようなことが、
講義でははなされていたように思う。

おそらくはアイデンティティというのが、社会的に一方的に決まってしまうものでも、なにか自己のなかに中核としてある感覚というのでもなく、語りの領域において公共化される(ゆえに観察によって研究することが可能)ということも、スモールストーリー研究の意義としてあげることができるだろう。

しかし、こういう特定の場に埋め込まれたものとしてアイデンティティをとらえようとするやり方は、臨床心理学などで扱われるアイデンティティと大変ことなっているので、「その場では、そのように聞き手によってあれこれ変わるものであることはわかるが、しかし、長期的にみれば一貫したアイデンティティの感覚というのもあるのではないか」というような批判もうまれてしまう。

たぶん、スモールストーリー研究においても、臨床心理学的なアイデンティティの見方はあってもOKということだろうと僕は思う。ただし、それは理論的にそうだということではなくて、その会話に参加しているメンバーの視点として、それもありだということだ。

語り手自身、ときとしてこのような臨床心理学的な視点にたって自らのアイデンティティを感得しはじめる。ほかにもたくさんのレパートリーがあるなかで、自らを病理化する言説が唯一のものと感じてしまうような会話がそこではなされるということになる。このようなわけで、ナラティブセラピーにおいては研究者や、臨床家自身が、自らの権力性、政治性に対する反省的実践を行うことが要請されるのだと思う。

重要なことは、理論的な話と、経験的な話をわけて考えるということだと思う。そして例えばセラピストであれば、理論的にはいろいろなその他の可能性があることを考慮しつつ、自らのあり方を反省し、しかし、実践家としてひとたびやり直しのきかないケースとのやりとりの世界にはいったなら、腹をきめて一つのポジションをとることをためらってはならないということだろう。


2004年09月28日(火) バンバーグ先生

京都大学でバンバーグ先生の講演会にいく。講演会は5時半からであるが、僕らは1時半に集合して、バンバーグ先生をかこんでナラティブディスコース分析のレクチャーをうけた。

当たり前といえばあたりまえだが、最初に一連の語りを聞いたときの、holisticなgut feeling(直感)を大事にしなさいというのが最も心にのこったこと。line by lineの分析は、こうした直感がどのような言葉の使い方によってもたらされているのかを明らかにすることだという。

後半でみせてくれたビデオは、男性性の発達に関するもので、中1の男の子が女の子のお尻をさわるいたずらをしたんだという話をしているビデオ。バンバーグ先生は「それで、相手の人はどう思うと思う?」とか、かなり普通の大人な返答を返している。たぶん、大人からこのように否定的な反応をひきだすことが少年たちにとっては面白いことだろう。だから、わざとそうしているのかも。

5時半からは講演。バンバーグ先生は、「アイデンティティ」をある状況のなかで会話をとおして作られ、調整されていくものとしてとらえようという分析を提唱されていた。エスノメソドロジーや、言説心理学の人たちがやっているような、ディスコースとして心をみようというアプローチにやや近いのかと思ったが、さてどんなものか。

会場からは、やはりというべきか、より大きな単位でみた自己形成やアイデンティティ形成に、このような短い時間の場面でのやりとりがどう影響するのかといった質問がでた。

たぶん、バンバーグ先生はそういうことがやりたいことではないのだろうが、やはり気になるところではある。


しかし、昼から6時間ほとんど休み無しで続けられた講義はつかれた。最近、耳がなれてきたのか聞くのはなんとかなってきた感があるが、やはりしゃべるのは苦手だ。

まあ、もっとも僕は日本語でもあんまりしゃべらない(笑)。それに日本人からの質問でも、何をいってるかわからないけど、とりあえず同意を求められて「ええ、そうですね」と笑顔でいたら満足してさっていく人もいる。懇親会で隣の席でも、あんまり話題がもりあがらない人がいるのは日本でも同じだ。

そう考えると外国人としゃべった時、やりとりのうまくいかなさを、全て語学力へと帰属して考えがちなのは、語学が苦手な証拠なのかもしれない。


2004年09月27日(月) Ya-MeerとCristbal

MCA最新号のWolff-Michael Roth らによる

"Re/Making Identities in the Praxis of Urban Schooling: A Cultural Historical Perspective."

を読んだ。某MLで読書会をやっているのだが、そこで今回の題材としてとりあげられている論文である。テーマ自体はアイデンティティが関係性のなかで作られ、作り直されしていくということを例証したものといった感じのもの。とにかく事例の記述が豊富でおもしろかった。

低所得者層からかよう生徒がほとんどであり、その高校にいる生徒のほとんどが全米の共通テストで下位4分の1にいるという高校での、新任教師と成績トップクラスだが実は問題児であるという生徒Ya-Meerが主な登場人物になっている。

新任教師のクリストバルは、ある程度の教育経験はあるのだが、この高校で教師として認められるまでには長い時間を要した。彼はしだいに教師としてみとめられはじめ、そして、生徒と対話することを通して、この学校で"respect"することが大事という、生徒が暗黙のうちにつくりあげている文化がどれほど大事なのかということを理解しはじめる。

著者は最後のほうで、Ya-Meerのような底辺校の生徒が、実は、教師をもっとも成長させてくれる生徒なのだといっていた。誰も、こんな底辺校の生徒がモデルになるなんて思っていない、しかし、というのである。日本でもアメリカでも同じようなこと言う人はいるもんだなーと妙な感覚になった。

ところで、さっきからなんか小説の紹介文みたいになっているが、これにはわけがある。

論文はほとんど、このクリストバルとYa-Meerという生徒のインタビューあるいは2人の対話のトランスクリプトだけで展開されている。このこと自体、かなり大胆な文体である。そして、びっくりしたのは、その生徒がいまはペンシルバニア大学にいて、自分のインタビューが書かれた論文の共同執筆者になっているということだ。

文化差というものもあるのだろうが、記述対象となっている生徒が、著者として名をつらねるというようなことはなかなかおこりにくい。ましてやYa-Meerという人にとっては、高校時代のちょっと問題発言やら秘密やらが書いてあるわけで、こういうのをちゃんと出版してもよいということになるのはけっこう大変だと思う。

だから、論文の質はともかく、こういう論文が書けたこと自体で、ロスらのプロジェクトはかなり魅力的なものだと感じられたのだった。




2004年09月26日(日) メリとハリ

相変わらずメリハリのない生活。

論文の推敲をし、修正表を書いたりする。新しい原稿の構想を考え、来月初旬にせまった学会発表のポスターのデザインを考えつつ、授業準備もちょこちょこやる(落ち着きないなー)。

去年の夏、生徒指導の先生にインタビューとるのと同時に、同じ中学校につとめる養護教諭にもインタビューとったのだが、見返すとなかなかに面白い。が、どこに落とし所をもってくるかが問題。

生徒指導の先生の語りは、なんとか成就しそうだから、この養護教諭のインタビューもなんとかものにならないかと思っているのであるが、いかんせん数が少ない。

もちろん事例数は目的に応じて相対的であるといえばそれまでだが、それは最終的に論文になったときのことであって、論文にするにはたくさんの人の語りを聞く必要がある(人数ということでは必ずしもない)。前者は理論的な言明であり、後者は経験則である。

だいたい事例数が少ないだの、記述が主観的だのとなんくせつけられるようなことを言われる時は、自分のだした結論が面白くないか、よくわからない時であって、本当に事例数が少ないわけではないんじゃないかなーと思う。

すくなくとも、経験則として事例数が少ないといわれたら、聞く耳をもったほうがいいと思う(そういう時に理論的に反撃すると、話がとってもややこしくなる)。

もちろんムカッ腹がたつ(というのも、理論的な言明は、学問の名のもとに水平なディスコースであるが、経験則的言明は、経験の多少によって区別される垂直的ディスコースだからだ)。けれども、少なくともその結論はどこか論理の筋道がおかしかったり、どこか片寄っているように感じられるということをその人は言おうとしていることがけっこうあると思って聴いた方が生産的ではあると思う。










2004年09月25日(土) 環境と出会うために

パラリンピックに関して、障害が道具に媒介されることで見えたり、見えなかったりするという話をした。環境とのマッチングが失われたとき、ふいに障害はみえてくることがある。

それは我々のように一般的には「健常」といわれる人でも追体験可能だと思う。すなわち、引っ越し、災害で慣れ親しんだ道具の一切合切をいきなりなくした時などだ。

今日はある体験をした。

そのことで、心理学実験に鏡映描写とか、逆さ眼鏡の実験などがあるが、あそこで我々が感じる出来なさは、障害をかかえた人たちが、道具を使いかえる時とにた状況ではないかと思えてきた。

これはもはや道具に媒介されているなどという言葉が生半可なものに聞こえてしまうような体験だ。道具を失うというよりもむしろ、引き剥がされるとか、めちゃめちゃに溶けてしまったような感じかもしれない。


2004年09月24日(金) 質的心理学会評

質的心理学会の感想をいろんな人が挙げているというメールが、学会関連のMLでまわってきた。僕の(つまり、これ)もさりげなくリストアップされていた。

リストアップされていたものを読んでみると、まったく理解されていないなと感じるものから、痛い指摘だと思われるものまでさまざまあった。批評を目にしたことが最近ないせいか新鮮で面白かった。

まあ、質的心理学(をやっている若手)をみて何をいまさらという人もたくさんいらっしゃることだろう。

僕自身、中京大学の三宅ゼミにだしていただき、そこでヴィゴツキーも、状況論も、エスノグラフィーもならった。そして三宅先生はそういうのを全部勉強された上で、良いところだけちゃんととりいれて、「やっぱりエスノじゃダメね」と学習科学の方向にいかれたわけで、僕がいまいろんなところでしゃべっていることも、何を今さらなこといってるようで恥ずかしいことがある(でもしゃべりますけど)。

そういう意味で、心理臨床学会で質的研究のシンポに呼んでいただけたのは自分では方向性を考えるうえでよかったと思っている。臨床的現実を記述していくうえでは、もっと言葉にならないものも書かなければいけないし、研究者自身のことも書いていなければいけないだろうから、そのためにはまだまだやることがたくさんある。


2004年09月23日(木) パラリンピック

ある人がMLで、パラリンピックには抵抗があるといっておられた。その根拠のひとつは、「ほとんど工学的・経済的競争に化していないか。・・・補助器具や訓練機材が高度化すると、貧しい国からなど出場できない」というものだという。

なるほどそのとおりだと思う一方で、それは何もパラリンピックでなくてもそうなのだと思う。ジェームスワーチがわれわれの生活がそもそも道具に媒介されているということを説明する際によく用いるのは、「棒高跳び」である。

棒高跳びの記録が伸びることは、なにも身体的能力が向上したことにとどまらない。スパイク、トラックの鋪装技術、そして棒高跳びの棒の材質の変化といった、様々な道具の進化によって記録は向上し続けている。

補助機具や訓練機材が高度化したことで、貧しい国からでられないというのは、オリンピックでも同じことだ。もちろん、パラリンピックよりは出やすいかもしれないが、どの国からでも参加できるわけではない。例えば陸上競技など、標準記録を上回らなければ出場できないのだから、実質的にはむりなのである。

このように我々が日々おこなっていることで道具に媒介されていないものなどない。ないのだけど、それが目立つものと目立たないものがあるというだけだと思う。

眼鏡をかけている人は、いまやありふれているから、眼鏡をかけているからといって特別な目でみられたりしない。しかし、あのもはや何かSF映画のマシーンのような車椅子にのり、僕らが走るのなんかとは比べ物にならないような、とんでもないタイムで優勝する人たちをみると、素朴に「それも、やっぱり、走ってるっていうのかしら」と思ってしまう。

でも、そういう素朴な思いは、おそらく我々の身体というのが皮膚界面上で区切られているというような信念と、何も使わないでクリアーできることが「ひとりでできる課題」なのだという信念によって支えられている。そして、それは単なるおもいこみにすぎないと思う。

そういう意味で、パラリンピックは我々の個体能力主義的な能力観に変更を迫るだろうし、我々の身体の境界といったものについても再考をせまっているようにおもえる。

















2004年09月22日(水) 忙しいのがいいのか悪いのか

昼から非常勤。こちらは夏休みがおわろうかというところだが、非常勤さきはもう本番真っ最中である。すでに仕事がたくさん舞い込んでくる。

はふ。まったく時間がいくらあっても足りない。

しっかし、忙しいと、なんか仕事をした気になるのだが、おそらくもっと省エネで働けるようなシステムを構築すべきなのだろうね。

サービス残業する人はえらくなくて、時間内に手際よく終われる人が本当に仕事ができる人だというものね。


2004年09月21日(火) 卒業生あらわる

外で仕事していると、卒業生からメール。
僕にあいに大学にいったが留守だったという。
ちかくの喫茶店にいるよと教えたら、ゼミ生2人で遊びにきた。

彼らの近況やらきき、自分のことも話ながら、
晩ご飯も一緒に食べて楽しいひとときをすごした。

彼らは僕がここに赴任して最初のゼミ生(まあ、まだ2年目だから当たり前)。訪ねてきてくれるのはうれしいものだ。

毎日が大変そうだが、ルーキーだからしょうがない。
やがて慣れてがんばれるようになるよ。
それまで頑張ってね。


2004年09月20日(月) 臨床心理士試験

臨床心理士の試験が近づいている。僕のまわりでも、試験どんなんがでるんですか、うんぬんかんぬんで戦々恐々としている人多し。

過去問をといて、その出来の悪さに愕然とし「何回くらい過去問を復習しましたか?」と聞いてくる人までいる。いいかげんうんざりしたので、「過去問は二度とでませんから、復習しても無駄です」と返したら絶望していた。

ま、健闘をいのるよ。

臨床心理士の試験で、本当に臨床心理士に必要な技能がはかれるのかどうか大いに疑問であるが、出されるものはしょうがない。

ちまたでは、やっても意味がないと思うような課題(すなわちテスト問題)に対して、必要以上に過酷な条件を強いられ(高い受験料、一日展示場に缶詰めなど)、それをやりとおす忍耐力をみているのではないかという説まである。

また、過去問をよくみればわかるが、正解は必ずしもベストな選択でないことがある。そもそも正解が選択肢のなかに存在しないことがあるのだ。知識を問う問題としては「これってどうなの?」という感じだが、考えてみれば臨床心理士が普段の実践でやることに正解はない。常に理想的な環境で仕事ができるわけでもない。そのようなとき、よりましなやり方で臨機応変に対処していく力が求められているのだとしたら、件の問題もアリか?ということになる。

なるほど、そう考えてみると臨床心理士には、(即時的に役立てないことからくる)無力感に耐える能力と、(面接場面での刺激に安易に反応し)衝動的に行動化するのを抑える力が必要だろうから、そういう意味では妥当な試験のような気もする。


・・・・・・・・んなわけないやんか。

受験生のみなさま、頑張ってくださいね。






2004年09月19日(日) 世の中は連休

気づかなかったが、世の中は連休であるらしい。

昨晩、どうしてもださなければならないメールがあることに気づいて大学に戻ったが、その後いろいろやっていたら帰る時期をのがし、ソファーで寝る。これが意外と気持ちよかった。涼しくなってきたからだな(でも、あんまり積極的にやろうとは思わない)。研究室に差し込む朝日で目をさまし、家にもどる。

「当事者」シンポの企画者であったI先輩とメールしたりする。やっぱり研究者の自己語りって嫌だよねという話になる。単なる裏話とか、カタルシスとか、セルフヘルプグループではなく、生産的な方向にむけられないものかということになる。また、出番をもらえそうなので、それまでに今考えていることをまとめておこう。


2004年09月18日(土) 子ども

東京で再会したうさぎさんを思い出しつつ、土曜出勤。
うさぎさんは元気にしてるだろうかと思いつつ、抜き刷りの発送準備などする。

ふと気がむいて実家にかえり、なんとはなく親と会話して、夕御飯を食べ、おみやげをもたされて帰ってきた。いつまでたっても子どもは子どもだな。

僕がいく直前まで、我が家には、インド出身の批評家が、誰それは語ることができるかというようなことを論じた、たいへん難しい本を訳された大先生がいらっしゃっていたらしい。なんだ、もうちょっと早くいけば会えたのに、残念なことをした。

僕が先生、先生というのを聞いて親は苦笑いしていた。本でしか見たことがない大先生が、うちの親と知りあいというのはどうも不思議な感覚である。


2004年09月17日(金) えっちらおっちら

学校にいき、インタビューの先生がたに論文にしたことのご報告のお電話。
わずか1年前のこととはいえ、もう移動されている先生もおられ、データ分析にモタモタしている場合ではないとあらためて思う。

まだまだ、いかしきれていないデータはたくさんある。先生方に返した時に、すでに「ああ、こんな若いころもあったわねえ」では間が抜けている(ま、それはそれでおもしろがってくれるとは思うけれども)。

僕が尊敬するレイ・マクダーモットは、30年前にとったフィルムを今も解析し続けている。そのフィルムに映った小学校1年生の女の子は、いまやもう立派な御夫人になられており、マクダーモットは30年前のフィルムをお土産に、その御夫人のお宅のディナーに招かれていったそうである。

ここまで時間をかけてひとつのデータと向き合うというのは、とても勇気のいることであるね。

そうそう。帰り際、レターケースを覗くと、某出版者の方からお手紙。日本心理臨床学会で御一緒した方だが、いきなり渡した抜き刷り(発達心理学研究の意見論文)をよんでくださり、わざわざ感想のお手紙をくださったようである。

ありがたや、ありがたや。










2004年09月16日(木) 語りの力

ひさびさに学校。あれやこれやする(実習の収支報告とか)。

忙しい学会が終わったとおもったらもうすぐ後期である。
準備をいそがねば、ねば。しかし、月末が〆切の論文×2やら原稿やらあることを思い出す。原稿はもうあらかたできている。論文もひとつは修正して、対照表をかくだけ。しかし、あとひとつの論文のほうは。。。
ああ、ゆるせ、〆切番長。

後期が近いといえば、宮内先生なんか、学会中にすでに後期がはじまっているということで、大変そうだった。「授業がはじまってるから、おもわず板書しちゃった」とおっしゃっておられたが、見事な板書だった。

別に見習うべきは板書だけではない。板書するということは、そもそも資料やパワーポイントなど用意しないで声だけで勝負するということだ。

パワーポイントはたしかに見栄えはいいし、わかりやすいのだが、発表の形式が画一化されるという弱点がある。エンゲストロームの話がわかりやすいのは、なにも彼の英語がクリアーなだけではない。パワーポイントがわかりやすく作られているので、英語が聞き取れず、おいていかれそうになった時でも、何が話題になっているのかわかるから追いつくことができるのだ。

このように便利な側面がある一方で、視覚が優位になるのとひきかえに、語りの迫力がなくなっていくようにも思える。実際、日本心理臨床学会のように、事例を長くかけて検討するような学会では、パワーポイントにまとめられた発表は、なんとなくその場の雰囲気を捨象しているようにも見えた。

僕自身、ナラティブセラピーを教えるときにパワーポイントを使っているが、昨年こられた小森先生は逐語を朗読された。その語りの口調がなんともよかったのがとても印象にのこっている。

語りに迫力がなくても、誰でもある程度の発表ができるようになったということかもしれない。今回の学会では、語りの迫力をもった先生方に何人もお目にかかった。

僕も見習いたいものである。


2004年09月15日(水) ひさびさの非常勤

さすがに1週間も学会にいくと疲れた。
朝、起き上がるもののなかなか動けず、昼前になってようやくヨレヨレと立ちあがり、たまった洗濯をして非常勤へ。

この1週間の喧噪とは無関係に、非常勤先は非常勤先で忙しい。
今日は、その場をもちこたえるだけで精一杯であった。
むう。まあ、こんな日もある。

帰り道、非常勤先の人に教えてもらったスーパーによってみる。
業務用の食品を扱っているスーパー。外国から輸入した食料品も多い。
フェジョアーダのパックもあった。他にもエスニックな食材がたくさん。
カレーのパックを買ってかえる。

もう、今日はこれ食ってさっさとねるべし。



2004年09月14日(火) 対象の深い記述を支えるもの

『当事者とは何か』というセッションにでた。研究者の自己語りというテーマにひきつけて聴いた。

思ったのは、皆さん現場との適切な距離感をもっておられるということか。

なんちうか、
過度に現場に入り込みすぎると、現場の人になりかわって研究者が問題を語りはじめるということがおこるような気がする。

「当事者の視点」を深く知るというのは、ひとつには当初の思い込みを脱して、いかにその人の力を認識しなおすかという、一種の研究者の学習のようなものだと思う。それは必然的に、現場の問題を、現場の人がなんとかすることを信じて待つという姿勢につながると思うのだが、過度に現場に入りこみ、まきこまれている人にはそれができなくなってしまう。

現場へ入る自らの姿勢を反省することや、高度な倫理観をそなえていることを当然なものととらえることは、そういう人たちがますます現場にまきこまれていくことを助長するような気もする。もちろん倫理的であろうとすることは大事だけれども。

自分達が自らに課している基準は、いったいどこまでが対象のためなのか、どこまでが自分のためなのかを考える必要がある。


■午後からのシンポ「ボトムアップ人間関係論」にきてくださったみなさまありがとうございます。ひとつの学会で3つも発表するのははじめてにしてこれが最後かも。


2004年09月13日(月) 信頼感と廊下の傷

松島さんも共同発表者になっているシンポにでる。
今日はなにも発表がないので気楽。

高次脳障害という、数時間前の記憶も忘れていってしまうという病におかされた人たちの作業所の話。

松島さんは「わたしたちは、いたくない人とでもずっと一緒にいるということで、この人は信頼できるという感覚をもつことがある。これが仕事をするうえではとても大事だと思います」と話され、しかし、高次脳障害の場合、記憶がぬけおちる彼らにとってこのようなかたちでの「信頼感」をつけることを援助していくことははたして可能なのかという問題提起をされた。

松島さんいわく、彼らは信頼感がないために、未来にむかって一歩をふみだすことが難しいのだという。

これはしかし、おそらく記憶の問題では必ずしもない。臨床の場に相談に訪れる人(例えば、不登校のおや、障害児の親)もまた未来に一歩ふみだすことができないでいることがおおい。

それは不登校の息子(娘)、障害児の息子(娘)のことをよくみて、彼らを理解することをしないでいるからであることがおおい。不登校や障害を持っているということから、しだいに親はわが子の力を信頼しなくなる。そして自分達が未来にむかってどうするのかという決定をするとき、子どもの力を勘定にいれるのをわすれ、グルグル親の論理だけでまわりつづけてしまうのだ。だから、セラピーの目的は、もう一度、じっくりとわが子をみてもらうということになる。わが子をみて、わが子を理解することができたら、親たちはもはや自分達でグルグル回るのを回避して、子どもの力にかけることができる。これと同じことが作業所でもできないか?。

セッションのあと、松島さんと廊下でこんなことを話し合っていた。
松島さんは、みんなが信頼できるんだ、みんな一緒のメンバーなんだってことがわかるような環境の整備ってできないものかとおっしゃる。

例えば、廊下の柱についた傷。それは昔、父親と自分が2人でせいくらべをして、あと、どれくらい大きくなったらお父さんみたいになれるのかと会話しあった記憶をおりたたんでそこにつめこんだものといえる。これと同じように環境の痕をのこす作業だ。TSエリオットが「過去が現在する瞬間」というように、環境をデザインするというのは難しくもおもしろいテーマだと思う。


2004年09月12日(日) 日心1日目

関西大学で第68回の日本心理学会

朝から「犯罪心理学の最前線(3)」というワークショップに話題提供としてでる。昨年のシンポ(2)のあと、企画者である桐生先生と出会って、今回よんでいただけることになった(ついでに本の一章もかかせていただくことになった)。

シンポでは、僕は「ないものから話をはじめるんじゃなく、あるものから話をはじめようよ」と発言した。ここでの「ない」というのは目に見えないし、手にもつかめないということだ。しばしば非行少年は、その内面(すなわち知能、人格)に帰属されて「だから問題なんだ」とされる。そうかもしれないが、それは少年がする行動をみて、僕らが勝手に想定したものにすぎない。知能も、人格も人間がつくりだした概念なんだから、本当には「ない」ものなのだ。みたり、さわったりできないものを土台にして少年にかかわろうと思っても、そんなものはうまくいくわけがない。

そう僕は思うのだが、日本の心理学会の大部分はそうなっていない。少年の問題を「ない」ものからはじめようとする研究ばかりである。そのなかで企画者の先生は、僕のこの言葉がきにいってくださったそうだ。実務家にこんな人がいるとは。もっとこういう人に会いたかった。

午後からポスターセッション。これで一日目の発表はおわり。しかし、2時間たちっぱなしで説明したからもうヨレヨレ。

しかし、4時からのエンゲストロムと、ダニエルズの活動理論のシンポには是非ともでたいということで頑張ってでた。ダニエルズの英語は、本場イギリスの発音だけあって、めちゃくちゃはやくききとるのも容易ではなかったが、エンゲストロムの英語はクリアーで内容もよくわかった。ある高校でのアクションリサーチ。その高校では、生徒は放課後になるとみんな廊下に地べたに腰をおろしてたまることが常態化していた。この状態を「ここは座るところじゃないんじゃないか」と改革したという話。エンゲストロムは日本ではこんなことはないと思うけどといっていたが、立派に日本でもジベタリアンという言葉がある。地べたにすわって汚いなーと大人が思い、子どもは平気だというのはフィンランドも同じかとおもしろかった。

シンポがおわったあと、企画者の保坂さんの好意でエンゲストロムとダニエルズとの会食につれていってもらった。エンゲストロムは食べるのが大好きでおしゃべりも大好きな陽気な性格なので、こちらの緊張もほぐれてよかった。ほとんどあほな話しかしなかったが、充実した時間であった。来年9月のセビリアでの再会を約して2人とわかれて帰宅。つかれたけどとってもエキサイティングな一日だった。








2004年09月11日(土) 質的心理学会

朝、7時半に京都大学へ。
いったい何人の方がくるのかどうかと危惧していたが、次から次へと受付には人がくる。
結局、530人ほどの人がいらっしゃったそうだ。
ありがたいことではあるが、現場で交通整理をしている私たちはかなりストレスフルであった。

M2の時、名古屋大学で心理臨床学会が主催されたのだが、その時のことを少し思い出した。

午後からのシンポは、およそ200人くらいの人に入っていただき盛会であった。企画者としては、もうすこし企画内容について登壇者のみなさんと共有をはかればよかったかという反省が残ったが、ともかくみなさんとても分厚い研究発表でとても感謝しています。

しかし、疲れた。疲労困憊してよれよれ。


2004年09月10日(金) 準備

朝、東京からのぞみにのって、昼頃、京都へ。
質的心理学会の準備に参加。
たくさんの人に来ていただければいいな。


2004年09月09日(木) 長い一日

現在、朝の3時50分。

「明日は朝一番の新幹線にのらなければいけないから、早くねよーっと」といったのは遠い昔。

いっこうに眠れない。ここのところ、いつも学会前には眠れなくなってしまう。

考えてみよう。新幹線にのるには6時20分くらいの電車にのらねばならぬ。うちから駅まで歩いて15分くらいなので家を6時にはでねばならぬ。ということは、朝の身支度など考えると5時には起きねば、ねばねば

・・・・・・って、もう1時間とちょっとしかないやんけっっっ!!!(ひとりギレ)。

ということで最後の抵抗にと寝ておくことにする。32時間起きて16時間寝るサイクルが一番あっているとおっしゃる研究者もいらっしゃるが、残念なことに(いや、幸いなことに?)僕の身体はそんなふうにできていない。



(2時間後)


朝、一番の新幹線で東京へ。池袋で東武東上線にのりかえ、東京国際大学へ。
今日は日本心理臨床学会。これまで臨床心理学専攻を自称しながら、あまり足がむかなかったのだが、今回は奈良女子大学の森岡先生がシンポジウムに呼んでくださったので、ひさびさに顔をだした。

午後一番のセッションでは、セラピストの「ガチンコ」について考えるというセッション。受容と、共感ばかりが強調される臨床心理士であるが、やっているのはそんなにソフトなことばかりではない。ぶざけてばかりでいつまでも知能テストに応じようとしない子どもを叱りつけるテスター、非行傾向があらたまらない生徒を一括するセラピスト。いずれも周囲からみれば、セラピストらしくない行動のようにもとられるのであるが、これもまた援助のうちである。

私にはなかなかできないことだが、わずかばかりの経験をほりおこすと、中学校でタバコを吸っている生徒を目撃したとき、だまってとおりすぎるわけにはいかず、「そんなことしたらアカン」と言わねばならなかったことがある。学校の教師でもたまにいらっしゃるが、こういう時にあいまいにしたり、見過ごしたりするのは、その場はよくても、結果的に生徒の信頼を著しく失うことである。それも見過ごした当該の生徒からである。

受容ー共感と、ガチンコが対立概念だというような認識をするフロアの反応もあったが、そのような二項対立自体が筆者には理解できない。そもそも、なんで共感や受容が大事なのかと考えてみれば、それはセラピストのことを大切に思っているということを伝えるためである。行動はどのようであっても、相手が自分のことをわかってもらえた、自分にとってプラスになったとうけとってもらえるならば、それでいいのだ。「これは」と思う場面にでくわしたら、しっかり毅然と怒らなければならないと思う。それはセラピストも同じだ。

ただし、こういうのは怒るのは疲れる。共感や受容は(あくまでも運動量としては)楽だ。ガチンコはこれまで「直面化」「対決」といったような呼び方でこれまで議論されてきた。対決といわず、「ガチンコ」といい、あの番組の「これからどうなってしまうのか!!」というセリフを引用することでフロアの笑いを誘うといったように、セラピストにとってしんどい仕事を「プレイフル」に行おうという工夫はけっこうすごいと思う。

さて、午後、最後のセッションが私の出番であった。予想に反して、4−50名もの人がフロアに集まった。森岡先生の集客力はすごい。発表内容がもりだくさんだったし、時間的にも、発表時間がのびて十分に議論できなかったのが残念だった。まあ、臨床心理学をまじめに学問する土壌をつくるための第一歩は記せたのではないだろうかと思うが、まだまだ質的研究、や隣接科学の諸研究をあわせても、記述しきれないことが臨床場面にはたくさんあるということも痛感された。





2004年09月08日(水) 情報のエコロジー

ひさびさに非常勤。今後のことについて相談。

どうやら自分が感じている、この会社のつかみどころのなさは、この会社にいる人みなが思っていることでもあるようだ。みんながお互いの働きを実感できるようなシステムを構築していきましょうと話しあう。

状況論的フィールドワークの知識は、臨床心理学なんかよりもよっぽどこの手の仕事をするために役にたつ。もちろん、状況論的にいえば「役に立つ」ということがすでに、ある種の状況に埋め込まれているのではあるが。


2004年09月07日(火) なつかしい未来と、性役割

日本心理学会のポスターを印刷してしまってちょっとうかれた気分になったので、トランスワールドジャパン社からでている『POPULAR SCIENCE日本版』を購入。「今、そこにある、藤子F不二雄の世界」という特集テーマで、なかなか面白い。

なかでも、茂木健一郎さんが『パーマン』の最終回にことよせたコラムを書いておられて驚いた。茂木さんはクオリア概念で一世を風靡した世界的な天才科学者である。その茂木さんがパーマンを知っているとは・・・。

パーマンの最終回は、パーマン1号が、宇宙人の住む星へ、本当の正義の味方になるための留学をするところでおわる。宇宙船にのり、ダイナミックに空にUFOがとびだしていくシーンが最後のコマだ。

茂木さんは、途方もないひろい宇宙にでて、これからパーマン1号が体験することの大きさを考えたら軽いめまいを覚えたのだという。

パーマンの最終回が掲載されたのが1969年。当時、科学技術が進むことに誰も疑問をもっていなかった。パーマン1号が宇宙船にのってとびだしていく未来は、おそらくそんな夢にあふれた世界だ。

科学が単純に発達していくということをもはや信じられなくなった現在では、もう想像することのできない未来、すなわち「なつかしい未来」だと茂木さんは書いている。

おそらく、「なつかしい未来」はみんなの心のなかにある。精神分析的にいえばエスとはそういうものだ。みんな母の子宮(そこではなんでもできるという万能感に満ちあふれていることができた)にかえることを夢見ながら、ついぞ叶えられずに、現実原則の世界でなんとか生きぬかなければならないのだ。

そう考えると、パーマンという漫画には伝統的な性役割観がサブリミナル効果のように描かれているというふうにも読める。ドジでにくめないパーマン1号はみこまれて宇宙に留学したが、才能に溢れているけれどパーマン3号こと星野スミレは地球にとどまる。

そして、大人になり名声をほしいままにしているけれど、恋人の噂のない星野スミレは、『ドラえもん』のなかで、のび太とドラえもんに「今でも宇宙にいったボーイフレンドの帰りをまっている」と告白するのだ。






2004年09月06日(月) ウサギさん

持ち主によると、ウサギさんは調子が悪いらしい。ここのところ天候が不順だったり、運動が多かったりしたからか。心配なり。

来年の春には今のマンションを引っ越すので、ウサギさんを迎えにいく予定。それまで元気でいてね。

非常勤先のテストの採点とか。

90人もいるのに論述式にしたせいで、かなりしんどいぞ。もう、時間があまりないという時に、用事はかさなるものであることよ。


2004年09月05日(日) プチ・バージョンアップを繰り返し

エンゲストロムの講演を思い出したりしながら、新幹線のなかで学会発表の手直しなどすこし。

どうも手持ちのネタは少ないので、何度も同じようなことをやきなおして発表するのは気がひける。もちろん、自分の話をわかってくれた上で依頼してもらっているのであり、それに応えていくことは大事だとは思うのだけど、なんとかちょっとは新しいことも言いたいと思う訳で・・・。

エンゲストロムの拡張による学習も、5−6年前から少しずつバージョンアップを繰り返している。僕と比べられたら迷惑だろうが、もっと自分のデータをみなおしてバージョンアップさせていきたいと思う。







2004年09月04日(土) エンゲストロムあらわる

朝から新幹線にのって東京へ。
東京大学でYrjo Engestrom教授の講演会。
はじめての生エンゲストロム。髪を短くかりこみ、口ひげを蓄え、バリッとスーツなんかきて、かっこえ〜〜(ただのミーハー)。

エンゲストロムは独自の観点からアクションリサーチを行っている。自らのアプローチを、デベロップメンタルワークリサーチと呼んでいる。今日の講演では、そのエンゲストロムの理論の最新版を、彼がヘルシンキ市内の総合病院でおこなっているフィールドワークのデータを交えながら話してくれた。

これまでエンゲストロムの介入的アプローチ(というよりも、日本での受容のあり方というべきか)は、どちらかというと暴力的に現場に介入していくといった印象があって違和感をもっていた。例えばスクールカウンセリングのような実践を考えると、学校をかえていくことが求められることは間違いないが、日本の臨床心理士の入り方は非常に慎重なように感じるし、変えてやろうというような意識が強くですぎるアプローチはどうも好きになれなかった。

しかし、今日きいてみるとエンゲストロム自身は、現場の抵抗を変化に不可欠な要素とみなしており、むしろ研究者に諸手をあげて賛成するようなコミュニティよりも、なんらかの"resistanceがあるようなコミュニティの方が望ましいといっている。

また、変化はこちらが与えるものではなく、成員間での相互作用によってうみだされる。そして、そのなかでは研究者が当初思い描いていた仮説が崩れるという痛みをのりこえることが必須だというし、その変化に際しての権力関係といったものにも敏感になる必要があるという。

やっぱり実際に聞いてみないと、本当のところはなかなかわからないのだが、エンゲストロムのアプローチもそう悪くないという気がしてきた。

スクールカウンセリングなどで現在、問題になっていることも、学校だけで問題が完結するようなものはなかなかなく、例えば虐待のように、あらゆる種類の専門職が協同しなければならないような場面が増えている。

こういった仕事のあり方は、今日、エンゲストロムが21世紀の労働のあり方としてしゃべっていた状況ととても似ている。スクールカウンセリングなどにとってもよいモデルになるのかもしれない。


2004年09月03日(金) ほんとみんな締め切り守ろうぜ

いろいろたまった仕事しつつ、田畑先生から赤ペン入りで帰ってきた共著論文なおしたりする。

『事例研究法と質的研究法』について。

心理臨床にたずさわるものにとって、事例研究というのはひとつのあこがれのようなところもあるのだが、自分にはなかなか難しいと敬遠しているところもあった。

だから、質的研究法などというものに手をだして、なんとなく逃げているような気にもなる。臨床家が読むかもしれない文章を、僕なんかが書いてよいものかと懸念しつつ、まあ、しょうがないと割り切って書いた。

ところでこの論文は、これまでに何回も最終〆切をもうけ、そのたびに原稿の集まりが悪いために先送りになったいわくつきの本である。今回は、その最後の最後の〆切であるらしい。もし、今度集まりが悪かったら、出版は白紙撤回されるそうである。

なんたること。そんなに時間をかけたわけではないが、それでも論文が世にでないなんてことがあるのは納得いかないぞ。

普段から締め切りをまもらなければならないという気持ちが強すぎると反省しているとはいえ、しかし、こうなると話は違う。

本当に頼みますよ、みなさま。


2004年09月02日(木) 打ち合わせ×2

朝からちょっと学会発表の準備とかしつつ、10時ごろに家をでて京都へ。

まず、来春のイベントの会場となるホテルで打ち合わせ。
せっかく担当の人にもなれたと思ったら、今回で担当がかわるのだという。
いい人だったのに残念。

打ち合わせがおわって京大へ。

質的心理学会の打ち合わせ。僕は遠隔地ということもあって、あまり要職をわりふられていないからよいのだが、4時間半ぶっとおしで会議をするとさうがに頭がジンジンしてくる。10月に移動で忙しいだろうに、京都大学のTさんの頑張りぶりには頭がさがる。

当日の朝、はやくでかけなければならないことが判明し、10日も京都にとまることに。ますます、大学でゆっくりポスター作成の夢は遠のいていくのであった。


2004年09月01日(水) 時間か、見栄えか

学校にいき、明和せんせいにA0プリンターでのポスターの作り方を教えてもらう。うちの大学はデザイン専攻があるため、A0プリンターがたくさんある。これを利用しない手はない。なんだ、そうやって作ればいいのか、簡単簡単。後は、内容だけだな。

というわけで、インタビューのビデオなど見直したりする。
どうもヘッドホンで聞くと眠くなることが多いが、どうしてかねえ。

しかし、A0プリンターで作っていくとなると、かなり前にしあげていなければならぬ。8日は非常勤、9日は東京で日心臨、10日は京都で質心の会合、11日は質心本番となっている。時間的余裕をみて、7日の夜までには作らねばならない。12日が本番なので、5日も前だ。

ここ1−2年、学会会場につくまでパソコンで手直しし、夜、キンコーズに駆け込むという生活を続けている身としては、5日も前に現物があるというのはかなり早いといわざるを得ない。きれいな見栄えを優先させるか、時間をとるか・・・・。悩みどころである。

明日は、京都で質心の事前打ち合わせ。その前に来春にひらかれる大事な会合のホテルと契約しなければならぬ。

がんばっていきましょう。


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