ある音楽馬鹿の徒然カキコ♪...みゅう太

 

 

デコポン? - 2004年03月29日(月)




昨日までマイ・ハニーが上京していて
3日間だけだけど、
楽しい時間をすごした。



で、私のところでの会話。

私はベートーヴェンの「第8交響曲」のCDをかけていた



「ねえ、この曲なんて曲?」

「ん?ベートーヴェンの交響曲第8番だよ。」

「へぇ〜。いい曲だね。  でもさ、なんでみんな交響曲何番とかさ
そういう堅い感じなの? もっとかっこいい味のある名前がついてたら覚えやすいのに。」

「そりゃそうだな。だから『運命』とか『田園』とか『新世界から』とかそういうのはコンサートのチケットの売れ行きもいいよな。」

「じゃ、この曲の名は『デコポン』だ!!」

「なにぃ〜!!?? な、なんで??」



次いでマーラーの「第1交響曲」をかけたところ



「よーしこれは『いよかん』だ!」


「なんでやねん?」




かくてベートーヴェンの「第8交響曲」は『デコポン』に。
マーラーの「第1交響曲」は『いよかん』になったのであった。



おそるべし、マイハニー。


…で、なんで2つともミカン系なの??





...

祈り - 2004年03月26日(金)




昨日の「白い○塔スペシャル」見ました?


よかったですねー。


こないだの最終回も胸がいっぱいで。
本当はここに書きたかったのですが言葉にならなかった。

何を書いても自分の気持ちには届かない気がして。。。



昨日もスペシャルを見ていて、
そしてやっぱり素晴らしかった先日の「彼と彼女と彼女の生●る道」でも
すごく思ってしまったことがある。



それは、ドラマのことだけでなく
私が音楽を聴くときでも、芝居を観るときでも、映画を観るときでも
何のときでも

私が心を動かされ、
それがあるから、再び観たり聴いたりしたくなるもの

またそれがなかったらもう観たくも聴きたくもないもの



そういうものが確かにあって
それはなんだろう?と思っていたのだけど
それがわかった。


強いて言葉にするなら
「祈り」だ。



この言葉は私がひねり出した、気がついた、
という以前に

前にこの日記で書いた、野沢尚さんの舞台「ふたたびの恋」で
役所広司演じる主人公の脚本家が言っていたセリフだ。


「ぼくはどんな脚本にも“祈り”を込めたいんだよね〜。それがなかったらなんか虚しいじゃない。」




私にはすごくわかる気がするのだ。



...

バリウム - 2004年03月23日(火)





昨日、個人的に健康診断に行き、
久々にバリウムを飲んだ。


3年ぶりのことだ。


私は結構、検査って好きで(どういうことだ?)
エコーで気持ちよかったり(え?)
CTとかMRIなんかは心地ゆったりしてしまったりする。


でもバリウムと胃カメラはさすがにイヤだ。


バリウム自体は最近結構おいしくなって(?)
良いのだが
その前に飲む、撮影しやすくするために胃をふくらます発泡剤。
あれがどうも。


パンパンに胃がふくらんで
「絶対ゲップしないでくださいね〜。したら飲みなおしで〜す。」
と看護婦に言われるのがあまりに酷。



ところが今年は順序が逆。
そのおかげでバリウムはゴクゴク一気飲み。



で、バリウム飲みの問題はその後。



バリウムをいかに出すか( ̄□ ̄;)



下剤をもらってすぐ飲むのだが
速攻で効く時と、なかなか効かない時がある。



でなかったらどうしよう…
とトイレで汗水たらすこともしばしば。



以前いちばんヤバかったのは
その日にコンサートの譜めくりをしなければいけなかった時。
しかもサントリーホールで!!!( ̄∩ ̄#



もし本番中にもよおしたらどうしよう…
いやー、あせりましたね〜。
とにかく昼間中に出しとかなければー!!
とトイレにこもりまくりでした。


…無事でしたけど。





キタナイ話でスミマセンです。。。



...

天国から地獄へ - 2004年03月17日(水)




・・・こんなタイトル書くと
「プライベートで何かあったのでは!?」
なんて下世話な想像をされたあなた!!



違いますよ。

幸せです♪ (←バカ)




昨日サー・コリン・デイヴィスの指揮するロンドン交響楽団(LSO)の
コンサートを聴きに行った。


素晴らしかった。



こうしてしょっちゅうコンサートに行っている私だけど
考えてみれば去年の秋、ケント・ナガノ指揮のベルリン・ドイツ交響楽団を
聴きに行って以来、
外来の超一流オーケストラのコンサートを聴きに行くのは久しぶりだ。



今まで何回となく聴いているLSOだけど
やっぱりプロフェッショナル中のプロフェッショナル集団だなあ、
と感じ入りました。


そしてサー・コリンもまた名匠中の名匠だな、と。


さらにピアノは掛け値なし、現代最高のピアニストの一人、
内田光子さん。

これで悪かろうハズがない。



果たして最高のご馳走を食べたような気分です。


サー・コリンはもう75歳にもなるのだろうか?
情熱的な指揮は全然変わらず、
でも音楽作品の「かたち」を大事に、決して崩れることがないので
安心してその音楽を楽しめた。
なにより品格があった。


あ、ところで曲目は
シベリウスの交響詩「タピオラ」、
モーツァルトのピアノ協奏曲第22番、
そしてベートーヴェンの第8交響曲。




特に内田さんが弾いたモーツァルトの協奏曲が
ピアニストも指揮者もオーケストラも天国で遊んでいるような
自由闊達な演奏で、なんだか夢のようだった。(世紀の名演だと思う!!)



で、満場のお客さんの盛大な、幸せな拍手の後、(もちろん私もね。)
内田さんはアンコールを弾いた。



シューベルトの「楽興の時」第2番。

私はそれまでの天国的幸せ気分から、
一気に荒涼とした絶望に叩き落された気がした。



いや、こう書くと演奏が悪かった、とかそう受け取られそうですが
それはそういう意味では全くなくて
シューベルトの音楽が「こういう」音楽なのだ、
ということを目の前に突きつけられて、私は驚愕した。

心の底から冷え切った。



なんという悲しい音楽。
底知れない悲しみを超えて、救いのない絶望だけが静かに鳴っている
ひたすら美しい音楽。

美しいことがどうしてこんなに絶望へと結びついていくのか。


シューベルトは「僕は楽しい音楽などというものは聴いたことがない。」
と言ったそうだが
この時ほど、こんなにまでこの言葉をリアルに伝える演奏もあるまい、と思った。


モーツァルトとシューベルトは
汲めども汲めども湧き上がってくるメロディーとか
色々共通するところの多い天才作曲家だと思うが、
内田さんは、その2人の大きな違いを見せつけてくれた。



正直、あんな愛の溢れる幸せなモーツァルトの後に
(つくづくサー・コリンという巨匠は健康的で寛大な人格の持ち主なのだろうな、と思う。)
ああいうシューベルトを聴いて
(あんなシューベルトは他にルプーやシフ、ブレンデルくらいしか弾けないのではあるまいか。)
良かったのかどうか、私にはわからない。
というか、ちょっと寂しさと怒りと喜びがないまぜになって
自分でもワケのわからない気分になった。







...

機内プログラム - 2004年03月16日(火)




札幌の行き返りの飛行機で
色々な機内プログラムを聴いた。


私はフライト中でもやっぱり音楽を聴くのが好きで
(とはいえ、最近は機内ショッピングカタログを見るのがそれ以上に好きだったりする。)

特にポップスを聴く。



最近のヒット曲で聴いてなかった曲を聴いて
「いいなー!」と思ったり
「なーんだ。」とガッカリしたり。



かつて機内でなにげなく『One more time One more chance』を聴いて
山崎まさよしの大ファンになった前歴もある。




で今回良かったのは一青拗(字がでなーい!)の『ハナミズキ』。


それからクラシックにチャンネルを回してみれば
今月はスペイン特集で
アルヘンタ指揮ロンドン交響楽団のリムスキー=コルサコフ『スペイン奇想曲』なんかすごく良かった。

この曲、かれこれ10年くらいは聴いてなかったんじゃないか?
魅力的な曲です。



それからかの、20世紀最大のチェリスト、パブロ・カザルスが
マールボロ音楽祭でオーケストラを指揮した
バッハの『ブランデンブルク協奏曲第4番』。


これに驚いた。



何に驚いたのかといえば、その演奏スタイル。

多分、多くの人がそう思うと思うのだが
カザルスくらい昔の人がバッハを演奏する、といえば
イメージとして、
重々しく、ロマンティックに歌い上げるような演奏を想像するのではあるまいか。
(彼の有名な『無伴奏チェロ組曲』がそういう演奏ですしね。)


ところが、全然違う。
テンポは速め、ひとつひとつのフレージングはハッキリと区切られ
細かいアーティキュレーション(音楽上の活舌みたいなもの)
で徹底されている。
そしてとっても生き生きと、エネルギーにあふれている。


要するに、今、バッハをはじめとするバロック音楽の演奏スタイルの主流となった
「時代的演奏スタイル」に近いのだ。
(↑ これを説明するのはまた難しいのだが、古楽器のオーケストラだとか、そうだ、こないだ書いたベルリン・バロック・ゾリステンなんかもこういうシャキシャキとしたスタイル。)


古楽器を演奏するように、ビブラートを抑制したり、
そういうことはしていないまでも、かなり近い。



やはり超一流の演奏家というものは
時代の風潮にまったく染まらない、ということはないまでも
徹底して作品を研究して、極限まで考え抜き演奏を練磨することで
その結果到達するところは、どんな時代でもある程度共通するものになる、
ものらしい。



このカザルスのバッハは改めてそう思わせてくれた。



そんなこんなで機内チャンネルって
私には結構楽しみなワケなのです。





...

和装撮影 - 2004年03月15日(月)




札幌から帰ってきて
今日は早速仕事。。。



あ〜あ、つまんない。



しっかし楽しかったなあ…



マイハニーと和装写真を撮りに行き、
バッチリ着物を着てきました。

白い羽織です。



すっかりはまってます。



着物いいですね。

結構似合うんじゃないかと前々から思っていたのですが
予想以上でした(笑)



着た事のない方、オススメです。
すごくピシッとしめてくれるのでキツイですが
その分気持ちも引き締まる。

動きも堂々となり、
心なしか喋り方も重々しくなる。



マイハニーも引き締まってました。(ん?)

白無垢とか黒の振袖とか
赤くて鶴の柄が入ったのとか。(こういう女性の着るものになると途端にボキャブラリーが減る。ゴメン。)

彼女もご満悦の様子。


そしてとっても品があった。


惚れ直したぞ、マイハニー (*^ー°v



そしてこの撮影会には
マイハニーのお母さん、お姉ちゃん、おばあちゃんや叔母さんまで
見にきてくれたのだが、
皆さん大変に個性的で楽しい人ばかり。


ちょっとあたってしまったくらいの女性パワー。



家族が増えるっていうのは
こんなに楽しいことだったのですね。




...

寒暖の差 - 2004年03月12日(金)




昨日の東京、昼の気温 … 20℃
今日の東京、朝の気温 … 4℃



カンベンしてよ〜。



前に三寒四温と書いたけど
これじゃ、体がついてかない。 (← 歳って話も)



でも今日の夜から
もーっと寒い札幌に行くのです。


もちろん、マイハニーに会いに♪





寒い北国だけど心はポッカポカさ。(へへ)



...

クライバーの続き - 2004年03月10日(水)




昨日はクライバーの86年来日時のことを書いたが、


次に聴いたのは94年、ウィーン国立歌劇場来日公演を指揮した
R.シュトラウスのオペラ「ばらの騎士」の伝説的公演。



これはキャスティングだけでも
元帥夫人=フェリシティ・ロット
オクタヴィアン=アンネ・ソフィー・フォン・オッター
ゾフィー=バーバラ・ボニー
オックス男爵=クルト・モル
というもの凄い顔ぶれ!



クライバーの「ばらの騎士」というと
年配のファンの方には1974年にバイエルン国立歌劇場の来日公演の方が
印象深いようだけど。


このプロジェクトはDVDにもなっていて
確かに前奏曲からして、もう爆発的なテンションで、
左手なんかブンブン振り回しちゃって
音楽が画面からはみ出しそうなくらい凄い。



それからすると、
このウィーンのプロダクションでのクライバーは
「随分大人しくなって物足りない。」らしい。


ま、あのバイエルンでの記録を見ているとわからないでもない。




しかしながら私が観たのは、それとは全く別物の「ばらの騎士」。

86年に聴いたベートーヴェンを振った時のクライバーとは全く違うクライバーを
体験した一夜だった。



「大人しい」というのはわからないではないけど
それよりももっと音楽が内面化して、
ひたすら心の中へ中へと向かう演奏だった。


若き日のバイエルンとの演奏は、シュトラウス一流の官能と
青春のきらめきがはちきれんばかりに充溢する音楽だったけれど
このウィーンとの演奏は、ホフマンスタールの書いた台本にあるはかなげな黄昏が、これ以上考えられないくらいの透明感をもった音楽になった、
と言ってもいいかもしれない。


ことにオーケストラがウィーン・フィルなのだから!!
このしっとり感は無上のものだった。




今、こうして書いていると色々な場面を思い出すが
なかでも第一幕の終わり、
元帥夫人が「時ってものはなんて残酷なものなの?」
と結婚してからいつのまにか失いつつある若さを思って歌う
長大で静かなモノローグ。

これをはっきりと思い出す。



ここでのロットの歌も気品ある諦念に満ちた素晴らしい歌だったけど
クライバーの指揮するウィーン・フィルはそれ以上。



どんどんどんどん、静かに静かに
音楽が内面へ内面へと降りていく。
元帥夫人の悲しみ、
泣いたり嘆くのではなく、静かに瞑想していく気持ちをやさしくそおっと包んでいって
どこまでも沈潜していく。

ついには心の“裏側!”にまで達して、
ひたすら胸に染みて行く静かな悲しみ。



…いや、こうして書くと
とっても言葉になんかできるものじゃないですね。





その時の信じ難い体験に、私の思いは果てしがなかった。
またしても、
音楽にはここまでのことが可能なのか?
と。




みんな思っていることだろうけど
それにしても、この「超・天才」のカルロス・クライバーは
今どこで何をしているのだろう?









...

真の天才 - 2004年03月09日(火)




グレン・グールドのCDを聴くといつも
ここでピアノを弾いている人はこの星の人間ではなく
何か別の生き物のような気になってくる。




私は「天才」「天才」とよく自分の聴いた音楽家のことを
軽々しく書いてしまうが


グールドのような破格の「天才」にはそうそうお目にかかれない。



ましてや実演でそんな人に何人めぐりあったか?



アルゲリッチ?ポリーニ?
現代それ以上を望めないくらいの、最高級のピアニストには違いない。


でも彼らは「人間」の範疇にいる気がする。



リヒテル?
…彼は確かに凄い「天才」だったかもしれない。




ではグールドのような真の「天才」というのは
現代に存在するのか?




答えはYes。
指揮者のカルロス・クライバーだ。



クライバーこそは他の演奏家とは次元の違う
超天才指揮者だ。


私は幸運にもクライバーの指揮するコンサートを2度も聴けたが
いすれもなんだか現実のものとは思えず
ある「奇跡」の場だった。




最初に聞いたのは1986年、
バイエルン国立管弦楽団との来日公演で
会場は昭和女子大学人見記念講堂。
曲はベートーヴェンの交響曲第4、第7交響曲。



クライバーがいかに凄い指揮者かは
それまでCDで聴いてかなりのものを感じていたので
会場に行くのもすごく緊張したのを覚えている。



会場も異様な緊張感の中、
彼は唐突に袖から走るように出てきたかと思うと
サッサカサッサカ指揮台に上がり
お辞儀もそこそこに指揮棒を振り下ろした。
(なんだか人前でどんな顔をしていいかわからなくて、一刻も早く音楽の中に入りたくてたまらない、といった風だった。)


しかしその瞬間!



会場の世界が一変した。
突然空気が変わった。
空間移動して別の場所に連れてこられたようだった。



あの第4交響曲の闇の中を探り歩くような深い深い音。
そして前方に光がさしてきたかと思うと、
あっという間にアレグロに突入し、今度はまばゆい光の奔流!!



第7交響曲はもっと凄かった。
とにかく最初から最後まで音が音を超えて、
というかここで聴いているのが「音」とか「音楽作品」だ、
というのを忘れるくらいで
ただただ目の前にあるのは生命の輝き、生命の奔流だった!!
すべてが躍動して、はじけて満ち満ちていた!!!




クライバーをナマで聴いたことある人や
映像で見たことある人ならわかると思うが、
彼の指揮ぶりは、いち、に、さんみたいに拍なんかとらない。


ほとんどバレエ。それも最高に優雅な。
耳をふさいでも彼の体の動きから
雄弁に音楽が伝わってくる。
オーケストラも彼から発する強烈なエネルギーに
どうしようもなく酔わされて、気分よく
しかも自分たちの力を超えた力まで引き出されているのが
見ているとよくわかる。




一体この人はホントに人間なのだろうか?
といつも思う。




話がそれたが、この日のアンコール
クライバーの十八番中の十八番、J.シュトラウスの「こうもり」序曲。



ここでは文字通り、音楽が
「笑ったり」「泣いたり」していた。
笑ってる「ように」泣いてる「ように」じゃなくって
そこに人間の喜怒哀楽全てがあった。



こういう指揮をする男を「天才」と呼ばずして
なんと呼ぶか。


そして音楽ってなんたる力をもったものなのか、
ということを思い知った一夜だった。



一緒に行った親友と
渋谷駅まで呆然と、
一言も言葉を交わさず歩いていったのを思い出す。





えらい長々書いてしまいましたが、
明日もまたクライバーの思い出を書かせて下さい。<(_ _)>



...

鉄人のレストランにて - 2004年03月08日(月)




昨日、鉄人坂○のおフレンチを食べに行った。


私の親父が3月で再(?)定年になる、ということと
私の結婚プレ祝い、ということで
母がコツコツ貯めたお金をはたいての粋な企画。




超美味しかった〜 |)゜0゜(|



いやーつくづく料理は想像力だと思った。


野菜の旨み、
ソースの複雑な味、
口の中でとろけるお肉なんて初めて食べたよ。



でもちょっと難を言えば
全体にちょっとこってり感がありすぎたかな?
スープなんかをもちっとあっさりしてくれると
緩急がついて良かったんだけど。
(←鉄人の料理に物を言うふとどき者。)




しかしこういったセレブな場所でもウチの家族は俄然目立っていた。



なんてったって

周りの客よりずっと後から食事をし始めたのに






















食べるのが早い早い。



ゆったり食べている周りの方々を次々とゴボウ抜き。




そして一面に広がる夜景を見ようと
席は立ち放題
お店のスタッフと話しこむ。



またウチの家族は弟の一人を別として
お酒が飲めない。

従って甘党ばかり。



デザートが運ばれてくるやいなや























全員中腰でスタンバイ






ワインを選ぶ時とは比較にならない速さで
「これとあれとそれっ!」

と選ぶ選ぶ。




恥ずかしい〜!!





でも楽しいひと時でした。



...

またまた白い○塔 - 2004年03月05日(金)




「白い○塔」もいよいよ大詰めですね〜。
あと2回!!


視聴率もトップを走ってるようだし
役者さんもいい芝居されてるし
ドラマもどんどん密度を増してきた。




でもな〜。


ドラマが良くなるにつれて
惜しいな〜、と思うのが
やっぱり21話じゃ短すぎるってこと。


考えてみたら田宮二郎が主演した
前のドラマの時だって
31話あったのにそう思った。



脚本家も相当苦労してるし
前作とは違った角度に光をあてつつ
簡略に話をまとめる、という離れ業までやってのけているのに(拍手!)
どうしてもダイジェスト版を見ている、
という感じが拭えない。



ああ、返す返すも惜しいな〜。



もちろん、これは原作を知っているからそう思うんだろうけど。




ま、それはともかくみなさんもその気があったら
ゼヒ山崎豊子さんの原作、読んでみてください。




私もなんだかんだ言わず、
あと2回、楽しもっと。






...

もうすぐ一周年 - 2004年03月04日(木)




先日はあんなことを書いてしまったが
(どんなことだ?)
実は今月末でこの日記を書き始めて1年になる。


すごいことだ。



子供の頃の日記なんてまさしく三日坊主で
続いたためしがなかったのに…



えらいぞ、私!(← 自画自賛)


中身はともかくとして!(←自虐?)




読んでくださる人が、たとえ見知らぬ人でも
たくさんいる、というのはこんなにも励みになるものか。




で、こないだからランダムに過去日記をいくつか見てみて
思ったのは、
(ちなみに私は滅多に過去日記を見ない。)


こんな短い間でも感じ方や考え方が少しずつ変わってきているな、
ということと


私ってつくづく健康的な精神の持ち主なんだな、
ってことだ。(← 異論ある?)



健康的ってのは音楽をやる人間には
良いような悪いような、なんだけど
病んでるより元気な方がもちろん良いだろう。



中にいくつか不健康なことを書こうとしている日があったが
それは、なんだか無理やり不健康に書こうとしているような
不健康になろうと酔っているような、芝居をしているように見えて
自分で苦笑してしまった。
(余談だけど、て言うか比較の対象にするなんてもってのほかかもしれないけど
田山花袋の『蒲団』を最近読んで、これは解説文にも書いてあったが、この人は自然主義文学の先鞭として赤裸々に自分の感情を書き付けた、という風に言われているが、
実はそういう小説に憧れ、書いてみたかっただけなのでは?太宰治なんかに比べたら全然普通の健康人なのでは?とやはり苦笑したことを思い出した。)




ただね、私は音楽を聴いている時、
また芝居や映画を見、
本を読む時、
その中に潜む陰の部分、
退廃的なものだとか、ダークサイド(?)だとか、
「死」の感覚とか
そういうものに敏感なのは確かだ。



それはよく感じる。

思い込みって言われるかもしれないけど、
そうではない、と思う。



高校生の頃、初めてクラシックを聴き始めて
すぐにワーグナーの『トリスタンとイゾルデ』の虜になったり
マーラーの『第9交響曲』を聴いて、即座に「この世との別れ」を感じてしまったり
ヴィスコンティの『ベニスに死す』を見て、強烈に「死」の臭いを嗅いでしまったり、


それはあんまり良いことなのかわからないけど
なぜかそういう部分には敏感らしい。


他のことは鈍感なクセに。(えっ?)



けど自分の日記を読んでいると
なんだか随分健康的で、楽観的な感じがする。




自分をこうやって観察するのも不思議だが
私はこういう「私」なのだ、
としか思いようがない。







...

すみませんが - 2004年03月01日(月)




先日ある方から
お叱り、というかご注意、というか
そんなメールをいただいた。



主旨は、
「みゅう太さんの日記は、毎日話があっちこっち色々なネタに飛ぶし、
またその話の方向が通の人に書きたいのか、あまりよく知らない人に書きたいのかを
はっきりしてほしい。」
ということだった。


ちなみにこの方は文章から察するに
かなりの音楽ファンらしい。



で、それは申し訳ありません
… と書きたいところなのだが


それは全くその通りで
はっきりさせる気は毛頭なく、
その時、その話題によって
あまり大勢の人にはわかってもらえないかもしれないが
私の気持ちとしては少しでも興味のある人に向いてたり、


こういうことは詳しくは知らないだろうな、
という人にちょっと知ってもらいたかったり


まったくただただ自分の鬱憤晴らしだったり



まさにバラバラ。

その時その時の気分のまま。



開き直るわけじゃないが
(いや開き直ってるんだが)
それで何がいけないのかと思ってしまいました。



これは私の勝手なスペース。


自分の思ってること、書きたいことを
心ゆくまで書けるスペース。


話が時として(え?いつも?)
面白くないかもしれないけど。


公の雑誌や本や新聞のコラムではない。



ただ、自分の中のきまりとして
他人に対しての誹謗中傷の場にだけはしたくない、
ということだけは考えているけど。
(性格的にできない、ってのもあるケド)




申し訳ありませんが
私は私に正直に
これからもこのままで行きます。


よろしくお願いします♪♪







...




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