はじめてのヨーロッパ その11 〜ミュンヘン3 - 2003年04月30日(水) 昨日のG・W初日は暑い暑い! 大快晴だった。 この季節って最高ですね。 若葉の緑はまぶしいし。 (あ、でも地域によって違うか。) 数日さぼってしまいましたが、旅行記の続きです。 ミュンヘンの朝は快適。 そんなに高いホテルではないけど、パンもソーセージも美味しいし、ブルーベリー入りのヨーグルトやマイルドなコーヒー。 とても気分が良いです。 どこに旅行しても朝は爽やか気分なものですが、外国の朝ってのは格別ですね。 それまでフランクフルトとかプラハではまだ何となく落ち着かなかったんだけれど、ようやくここへきてゆったりしてきた、という感じ。 散歩にでました。 ここには大きな美術館が2つある、と「地球の歩き方」で読んでいたのでそれを目指す。 「アルテ・ピナテコーク」と「ノイエ・ピナテコーク」 ピナテコークっていうのが美術館のことだか未だにちゃんと調べてないのだけど、「アルテ」は「昔」、「ノイエ」は「新しい」なので、そういう区分けだということはわかります。 ホテルから20分くらい、そこまでの道のりには住宅地や大学なんかがあるのですが、緑と街の調和がすっきりしててさわやかな雰囲気。 住みやすそう〜。 「外国で住むならココだな。」 とか思ってしまいました。 まずはアルテ・ピナテコークから入りました。 レンブラントとかルーベンスのような重厚なものや色彩豊かなものが、ポツンポツンと展示してある。 その合間にドイツの、私の知らない画家の絵があったりするのですが、例えば女の子の絵だとみんな申し合わせたように頬がピンクで塗った陶器の人形のような可愛らしい絵で、(昔の?)ドイツ人ってやっぱりロマンティックなんだなー、と思わず微笑ましかったりして。 ちなみに私が仕事で会うドイツ人のアーティスト達、みんな仕事には厳しいけど日常は朗らか。 でも「ロマンティック」という言葉は彼らにとってはあまり良い言葉ではないらしいですね。 ここはとてもすいていたし、絵もゆっくり見れる。 時間がゆっくり流れてる。 ひとつの絵をゆ〜っくり見て、疲れたらベンチに座る。 また次の絵を見る。 また思いついたら、さっきの絵に戻る。 東京の何かの有名どころの美術展なんて、人がいっぱいで押し流されるように見ていかなきゃならないことを考えたら、こんなゆとりは夢のようでした。 てか、これが美術館での時間の過ごし方なんだな〜と初めて知りました。 「ノイエ・ピナテコーク」の方は建物からして近代的でカンディンスキーとかクレーの絵なんかもあったけど、ポップアートみたいなのが多くて、それもあまり面白くなくて私にはピンと来なかったのですぐ出てきてしまいました。 さて、今晩はいよいよ待ちに待ったオペラ。 今日はリヒャルト・シュトラウスの喜劇「ばらの騎士」。 R.シュトラウスはウィーンと並んでドレスデン、ミュンヘンで20世紀前半に自分のオペラを次々と上演してきた人なので、ミュンヘンのこのオペラハウスで「ばらの騎士」を見るのは格別な経験になるはず。 いわゆる本場もの、というやつ。 楽しみで楽しみで。 江戸の歌舞伎座で歌舞伎を見るような感じ? いったんホテルに帰ってシャワーを浴びて(そんなことは日本ではしたことがないのですが)、身も心も清める(?) ちょっと昼寝してから、スーツに着替えて出かけました。 劇場は目の前。 18時開演で、私は1時間前に入る。 劇場は人、人、人。 いやー!さすがに超一級のオペラハウスとなるとみなさん素晴らしい着飾り方。 ワイワイガヤガヤ劇場の外、中では既にワイン片手に紳士淑女が語らっている。 男は蝶ネクにタキシード、女性はドレス。(すみません、こういうボキャブラリーがなくて何々ドレスとか言葉を知らない。) 私なんぞ、濃紺のダークスーツを着ているものの、それでもカッコ悪い。 外人はやっぱりこういうの着てるとカッコいいよなー。 これだからオペラはハイソで敷居が高くて…なんて言ってる方。 やっぱりこういう所でオペラ見ようと思ったら、自然にそういうカッコしなきゃ、とか思いますよ。 カッコつけ、じゃなくてそういうのが楽しい、と思うようになりますよ。行き慣れたら。 本当に楽しいですから。 中に入ると、日本と違って席の場所がわかりにくいんだよな。 ドアのところに立っているお姉さんに案内してもらう。 あ、ふと視線を横にむけると女性ヴァイオリニストでは世界トップのアンネ・ゾフィー・ムターが!(カラヤンが可愛がっていた15歳でベルリン・フィルにデビューした天才。ちなみに私と同い年。) そういえば彼女はミュンヘンに住んでいると聞いていました。 やっぱりすごい人たち来てるなぁ〜。 席につこうとして面白かったのは、席の前後間隔がせまいのですが、列に入ろうとするとそこに座ってる皆さんが一斉に立ってくれるんですね。 いつ、どこにいってもそう。 もうこういうのは暗黙のお約束。 伝統の一部なんでしょうね。 こういう場所でのお約束はもはや文化の一部かも。 楽しいお約束です。 それにしても開演まではお客さんたち超ウルサイ。 これで始まって大丈夫なのかな、というくらいウルサイ。 おしゃべりは続く。 でも指揮者がでてきて拍手がひとしきり終わったら、サッと静かになりました。 さあ、開演! いやー素晴らしかったですね。 初めてナマで聴いた「ばらの騎士」。 外国、それも本場中の本場で聴いた!という高揚感もあっただろうけど、実際歌手陣も元帥夫人マルシャリンにアンナ=トモワ・シントゥ、貴族オクタヴィアンにアンネ・ソフィー・フォン・オッター(男装の役です)、オックス男爵にヤン=ヘンドリック・ローターリング。当たり役として日本でも評判の高い人たちだし、演技ももう何回もやってすべて手の内にはいってますよ、という余裕しゃくしゃくの歌。 (ただマルシャリンがあまりにも演技が板につきすぎていて、例えば「驚く」ところで驚いていないのに驚いてる「演技」をしてる、みたいのがちょっと気になったけど。長くやりすぎたマンネリってやつ?) 超感激、感動!! 陶酔の極でした。 ホテルに戻ってもまだ夢の中、って感じでした。 《続く》 ... ちょっと休憩 〜現代音楽のガラ・コンサート - 2003年04月25日(金) すいません。 今日はミュンヘンの続きを書くはずだったのですが、旅行記は1回休みにさせていただいて、急遽別のことを書かせて下さい。 いや、今日(昨日か)行ったコンサートがあまりに素晴らしいコンサートで、色んな意味で強烈に感動したんです。 これを書かずに何の音楽馬鹿の日記か!っていうんでどうか許して下さい。 え? 旅行記なんか飽き飽きしてたから丁度いいって? そんなぁー。明日から再開しますんで、そちらもよろしくお願いします。 それで昨晩行ったコンサートは(またクラシックですけど)、ピエール・ブーレーズ指揮グスタフ・マーラー・ユーゲント・オーケストラの公演。 東京オペラシティで行われました。 この日はオーケストラの公演といっても、歌手やピアニスト、チェリストなんかの大スターが終結したガラ・コンサートの様相を呈したコンサート。 それも演奏されたのは20世紀の曲ばっかりですから、つまりは近・現代音楽のガラ・コンサート。 色々な意味で感動…と書きましたが、 まずは一音楽好きとして。 まずブーレーズという人は現存する作曲家で現代最高の人で、そして現代最高の指揮者の一人。 そしてグスタフ・マーラー・ユーゲント・オーケストラは18〜26歳のメンバーで、ヨーロッパ各国からオーディションを受けて集められた若いオーケストラ。 ここの出身者はベルリン・フィルやウィーン・フィルのような超名門オーケストラに在籍している人が多く、一流オケの予備校みたいなオケです。 だから若い、といってもメチャクチャ上手い。 まず、そのコンビで演奏されたハンガリーの大作曲家、バルトークの「ディヴェルティメント」。 ブーレーズという指揮者の最も目立つ凄さは、彼が指揮すると魔法のようにそのオケの音が澄み切って全く濁りがなくなる。この曲なんかはヴァイオリンの高い音からコントラバスの重低音まで複雑に絡み合っているのですが、ブーレーズの指揮で絡んでる音が全部クリアーに聞えてくる。 オタマジャクシが汚い水の中に泳いでいたら何にも見えないでしょう? それが、綺麗な水に取り替えたらあ〜らこんなに泳いでいた。って感じになるのです。 それにブーレーズはもとより、オケが上手いからリズムのキレも抜群だし素晴らしく迫力のあるバルトークでした。 次の曲はわが国最高の作曲家、武満徹の「ユーカリプス」 これはウィーン・フィルの首席フルート奏者、ウォルフガング・シュルツと若手最高のオーボエ、フランソワ・ルルー、そして日本の誇る世界最高のハーピスト、吉野直子の演奏。 武満さんの音楽特有のゆったりとした、そして芳醇な時を越えた響きが、こういう名手たちに演奏されるとこうも純粋に響くものか、と。 続いて、指揮しているブーレーズの自作「メサジェスキス」を今、若手チェリストの中でも最高といわれるジャン=ギアン・ケラスとオケの6人のチェリストとの変わった編成で。 ケラスの快刀乱麻というような「これがチェロ!?」というような圧倒的な演奏でした。 ここで休憩。もう胸が一杯でここまでで頭がクラクラしていました。 そして後半。 今度は現代最高のメゾソプラノ、アンネ・ソフィー・フォン・オッターを迎えてラヴェルの歌曲「シェエラザード」。 彼女は声こそいわゆる「酔わせる」声ではないのですが、「目覚めさせる」声、というかブーレーズの指揮するオーケストラの精妙さとあいまって、夜のしじまのような深い静けさから嵐のような激烈さまで夢のような15分。 観客だけではなくオーケストラの団員も足を踏み鳴らし、大歓声のカーテンコールがいつまでも続きました。 最後はフランスのメシアンが日本を訪れた際、インスピレーションを受けて作曲した「7つの俳諧」 今度は現代曲を引いたら右に出る者はない、それどころか今は(実はみんなが単に知らないだけだけど)ベートーヴェンやリストを引いても超一流の、要するに現代最高のピアニストの一人、ピエール=ロラン・エマールが加わります。 エマールはこのメシアンを弾く前にちょっとスピーチしたのですが、私はどうも未だに英語がきちっと聞き取れない。 なんか長々と話していたのですが、要は「メシアンの前に細川俊夫さん(武満さん亡き後、今一番注目されている作曲家)の“俳句”という曲を弾きます。」というものでした。 それも見事だったのですが、やはり圧巻だったのはメシアンの曲。 これも音色の氾濫、複雑なリズムの交錯でかなり聴くのも、演奏するのも難解な「はず」だったのですが、このコンビにかかったら何のその。 エマールはブーレーズの特質をそのままピアノに当てはめたようなピアニストで、どんな早いパッセージ、どんなたくさん同時に音が響いていても決して濁らない。 超美しい音色で完全なバランスを持って響く。そして人間ワザとは思えない超絶技巧。 これってつまることろ、ブーレーズもそうなのですが驚異的な「耳」を持っているということに他ならない。瞬時に響きすべてを分離して捉え、適切なバランスで再構成する耳。 音楽家にとっては最高に羨ましい能力です。 いささか理屈めいた話になりましたが、このメシアンも、それこそ最高の耳のご馳走でした。 エマールは今週末にリサイタルがある、ということなので絶対行くつもりです。 以上これだけ豪華な演奏です。 どれだけお客さんが感激し、興奮の坩堝となったかどうか想像してみて下さい。 音楽にたずさわる仕事をしている者としての感動。 …これが普通のコンサートならよく、でもないけど、まああることです。 しかしこのコンサートは20世紀の曲ばっかり。いわゆる現代音楽のコンサートです。 それがこんなたくさんのお客がこんなに感激して盛りあがっている! 感無量でした。 クラシック好きの人は意識されているか、いないかわからないけど、ほとんど…ほとんどと言っていいでしょうね、コンサートのレパートリーは17世紀から19世紀の作品に限定されています。 これは普通に考えて何かヘン。 まあ、だからクラシックと呼ぶのだ、と言われりゃそれまでなんですが。 でも私達は「今」に生きている。「今」の音楽があんまり聞かれない、って不健康な気がする。 ポピュラーはその点、健康だなって思うのですが。 でもそれは理由が無い訳ではない、ということも分かる。 なぜなら20世紀以降に書かれたクラシックの曲はなにしろ暗く重いものが多い…という以前に調性(キー)がなくなってメロディも消滅して、キコキコ、ガチャガチャ何やってんだか分からない。 私も実は10年ほどくらいまではそう思ってた一人でした。 でも今は声を大にして言います。「それは違う!!!」 そういうのもあるけど「絶対違う!!!」 そう思われるのは実は、良い演奏が少ないから。 それからあまりにもそれまで書かれてきたものと「言葉使い」ならぬ「音言葉使い」が多様化して耳慣れぬものが多くなったから。 そして演奏される機会が少なくて聴く機会が少ないから。 現代の音楽は確かに複雑に書かれている分、演奏が技術的に難しい。 だからよっぽどキチッとした良い演奏でないと曲の良さが耳に届かない。 そして聴く機会が少なければなじまないのは当たり前。 それと音楽は人間の作曲するものである限りは、20世紀という激動の辛い時代を生き抜いた作曲家が書く作品はそれ相応に重い。 それを聴くには、そういう重い現実に直面する勇気がいると思います。 だから現代音楽は「普通のコンサート」で聴くには敬遠されてきた、と思うのです。 「普通のコンサート」?? なぜか現代の音楽は「現代音楽のエキスパート」と自称する演奏家、そして「現代音楽マニア(オタク?)」によって聞かれてきた、という特殊な背景もあります。 確かにそういうところに陥るのもわからなくはない。 しかし、そんな狭いものでは決してない。 それを教えてくれたのはまさに近年のブーレーズの活動であり、それで私は本当に感じ方も考え方も変わってきました。 別に私だけでなく、音楽ファンも一緒のはずです。 それが今日のようなコンサートに結実してきた、と感じられるのです。 最高の演奏が曲の再評価につながり、こんなにお客さんが感動している姿を見るのは音楽馬鹿として、音楽の仕事をする者としては最高の喜びでした!! \(^o^)/\(^o^)/\(^o^)/\(^o^)/\(^o^)/\(^o^)/\(^o^)/\(^o^)/\(^o^)/ これだけのプランをたて、実行した主催の事務所は素晴らしいな、と思います。 私のトコじゃ、夢はあっても実行力ないし、まずお金ないし。 でもこのスタッフに話を聞いたらちょっと??でした。 だって「こんなコンサートでよく客がはいりましたよね。」とか「いや〜やっててもワケわからんですよ、こんな音楽。」とか言ってたんですよ。 なんなんでしょうね? お客の方がずっと健全に育って先行ってるような気がするのは気のせいでしょうかね。 ... はじめてのヨーロッパ その10 〜ミュンヘン2 - 2003年04月24日(木) ミュンヘンは本当に開放的で住みやすそうなところ。 まず私はオペラのチケットがとれたかどうか?という大命題があったので (そうじゃなきゃ、ここで3泊もする必要がなくなっちゃう、と思ってたから。その時はね。) ミュンヘンのJALに行きました。 駅の近くにあって、結構目立つ看板が出てたのですぐわかりました。 JALなんでね〜、日本人スタッフがほとんどなんで助かりましたよ。 久々に会う日本人の群れ。 「キャンセル待ちしてたみゅう太なんですけど、キャ、キャンセル待ちはと、とれましたか???」 「え〜と、あー、とれてますね。」 「おーー! やったァ!」 でもチケット代は高かった。 この毎夏のミュンヘン・オペラ祭はかなり気合の入ったフェスティバルだし、値がはるそう。 それに「ばらの騎士」の方はともかく「椿姫」はプレミア公演だということで、特に値段が高かった。 私はひとつ気になったのでスタッフに質問してみました。 「スーツは持ってきてるんですけど、プレミア公演ともなるとかなり盛装しなきゃいけないんじゃ…?」 「う〜ん、まあこの日は皆さんかなり着飾ってきますけどね、まあダークスーツならなんとかごまかせるでしょう。」 「…ごまかしかよ…。」 やっぱりオペラ・ハウスっていうのは向こうの人にとっては一種の社交場みたいなもので、盛装が基本なんですよね。 でもさらに聞いてみると、プレミアだとかそういう特別な日以外は、最近は若者もカジュアルな格好で来るそうです。 でももちろん、カジュアルったって周りから浮かないようなセンスをもって着こなすような格好で。 やっぱりTPOってのは(こういう言葉は今使わないのかな?)どんなところでも気をつけないとね。恥ずかしい思いをするのは自分なんだから。 さて一安心。 ほくほくとまたホテルに戻ろうと、「カイザー通り」というミュンヘンの中心を通る道を歩いて行きました。 色んな店やスーパーなんかもあります。 そうだ! 3泊もするんだから少し食べ物や飲み物を買っておいた方が良いなぁ、と考えスーパーに入りました。 ドイツでは「マルクト」という。(マーケットのドイツ読みですね。) でも中は日本のものとあまり変わらない。 な〜に買おうかな〜、と色々見てたんですが食べ物に関しては「これナンダ?」というものが多くて思い切って手をだす気がしない。(←小心者) お菓子をいくつか手に持ち、あと水とジュースを買おうと思いました。 ところがミネラル・ウォーターのスペースに行くと、みんなラベルに泡がシュワシュワした絵が描いてあります。 要するにみんなペリエみたいなやつ。 「ガス抜きはないのか?胃薬飲んだりするのにガス入りじゃ飲みにくいしなあ。」 店員さんに(パートのおばさんらしき人が多いので、やっぱり英語が通じない。)聞いてみてもなさそう。 しかたなくこのシュワシュワ水とお菓子色々、あとシュエップスのオレンジを買いました。 (このシュエップスが美味しいんだなー。微妙なビター感がなんともいえない。その後行く先々で買いました。) この日はミュンヘンに入ったのが昼頃だったので、もう夕方。 (っていってもまだまだ明るい。9時過ぎないと日が落ちてきませんからね。) さて晩御飯。 またマックはイヤだ。(このカイザー通りにも2軒あった。) でも状況はここでも変わらない。 ただ中華料理屋がいっぱいあった。さすが華僑パワー。 んで中華に行こうかと思ったのですが、どうもそれも勿体無いような気もしてくる。 「う〜ん、う〜ん。どうしよっかなー。」とうろついていました。 そこでちょっと目に留まったのが一見デニーズのような店。 老若男女、それに色んな人種がたくさん出入りしてる。 「なんだろう?」と思いささっと入って見ました。 しばらく入ったところで観察していると、肉とか魚とかサラダバーみたいなのとかデザートとかコーナーがあって、客はスタンプカードみたいなものをもってそれぞれの場所でスタンプを押してもらってる。 どうもセルフサービスレストランのようです。 「これだ!」( ̄+ー ̄)キラーン いやまじ助かりました。なんでもあるからね。 これで会計も楽だし。 たくさんとって、今までのうっぷんを晴らすように食べました。 まあ、これで満足ってのも悲しいけど。 でも相対的に言えば私はこれで幸せ。 それで会計はカードのスタンプを見て合計する、というシンプルなもの。 …なのですがそのレジの女の子がおつり計算に手間取ってる。 私は出すお金間違えたのかな?と逆にあわてて(外国のお金だからなかなかピンとこない。)お互いに「ごめんなさい、ごめんなさい。」と謝りあってしまいました。 それで彼女の顔を見てたらすごい可愛い子。 ドイツの陶器の人形みたい。 10代だと思うけど、ちょっとふっくらして,愛らしい目だし。 胸のプレートを見ると「Benda」と書かれていました。 その後、私は毎晩ベンダちゃんに会いたくてその店に通ったのは言うまでもありません。 (え?) …いや、明日はいよいよオペラです。 《つづく》 ... はじめてのヨーロッパ その9 〜ミュンヘンへ - 2003年04月22日(火) 翌日は少し行動半径を広げてみようかと、カレル橋を渡ってしばらく歩いてみた。 しかし観光地区を離れていくと、ここはかなり暗いし、人通りはないし(言い方は悪いが)貧しそうな場所。 やはり旧東側、特に民主化されてまだ数年では経済的に混乱がまだ収まっていないし、逆にこういう国は経済的に豊かになっていくのかしらん?と色々考えてしまった。 …で、どうも一人で歩いているのもどうも怖い感じもしたのですぐ引き返してしまいました。 ヴィシェフラドというモルダウ河畔の高い場所に行きました。 ここは古い城跡で、スメタナの連作交響詩「わが祖国」の1曲目のタイトルになっている場所。(ちなみに2曲目がモルダウ。) 日本語では「高い城」と訳されていることが多いのかな? 日本で言う古城公演みたいな所でゆったりとぼーっと時を過ごしましたよ。 そこから見える赤い屋根、屋根。 そこの屋台で売ってたアイスクリームがめちゃくちゃ美味しくて、今でも忘れません。 あ! トイレでチップを払わなきゃいけない、とか日本を出る前聞かされてなんなんだろうな〜と思ってたら、私はヨーロッパに来てからそういうところはなかったんですね。 でもここで初めて遭遇しました。 おじいさんがドカッとトイレの前に座ってて。 「郷にいっては郷に従え」だけどさー、なんで生理現象にまで金払わなきゃなんねーんだ?というのが本音です。 来た時は「もう日本に帰りたい。」と思ったプラハだけど、今は名残惜しい。 本当に綺麗で素敵な街でした。 さて、ここまで我ながら良く10年も前のことを詳細に覚えているな〜と感心しながら書いてきたのですが、 (細かすぎて読むの疲れる、と言う方、ゴメンナサイ。) ここへきて、プラハからミュンヘンへの移動の最中のことがどうしても頭にでてきてくれません。 朝早い電車にのったことだけは覚えてるんだけど…。 すみません!そこだけ省きますね。 はい、カット、カット!! (← 無責任) で、ミュンヘンに到着。 (← オイ!) ここは駅に着いた時から、今までの都市とは違い開放感にあふれています。 いやー、ここは良さそうだ。 また恒例の“ i ”マークをさがす。 デカいインフォメーションセンターがあり、並ぼうとしたらなんと「ホテル案内」とか日本語で書いた表示があります。 机の上には日本語マップが。(微妙に言葉がおかしかったりするのがカワイイ。) 今回は予算のことはともかく「オペラを観る」という大目標があるので、オペラハウスの近くに宿がとりたかった。 前に私の上司が「Hotel an der Oper」という劇場の真裏にある、というホテルに泊まったことがあって、それを私が手配したことがあったので、そこをとりたい、と短刀直入に頼みました。 それがあっさりとれて、しかも安かったから一安心。 んで、またここでタクシーで行けばいいものを私はどうも歩いていきたがる。 ガラガラ重いスーツケースを引いて街を見ながら行ったところ、案の定迷ってしまいました。 でもこの街は本当に良いです。 とても活気があって、開放的。 ミュンヘンは南ドイツで、北のいかにもいかつい勤勉なドイツ人というのとは違っておおらかなバイエルン人たちの都市。 バイエルン州の人たちは「私たちはドイツ人じゃなくて、バイエルン人」と自分たちでも言うそうです。 でまあ、迷っても退屈しない、というかあまり困った気分にもならなかったのですが、いい加減疲れたのでちょっと歩いている人にホテルの場所を聞いてみます。 でもやっぱり英語がわからない人多いんですね。 仕方がないので丁度近くにあった広場にタクシーが止まっていたので(ドイツのタクシーはBMWが多い!)「ホテルまで」と言うと、「おいおい、それならそこにあるよ」と指さされました。 お〜、なるほど。あれが天下のバイエルン州立歌劇場。ドイツ・オペラの総本山。 立派な威厳のある建造物です。 ホント、いいですよね。こんな素敵な劇場が色んなところにあって。 「う〜〜ん、いーな、いーな。」としばし見とれていました。 ホテルはそのウラにあるちっぽけなところ。 さてチェックイン。 ところが驚くべきことが!! フロントが「あなたにFAXが届いてる」というので、 「そんなはずはないでしょう。今日私がミュンヘンに来てるのは誰もしらないし、だいたいここのホテルはさっき駅で決めたんだから…」 と思いながら、渡された紙を見ると表紙に私の会社の見慣れた上司の文字が!! 「Uくんから電話があって、君がミュンヘンに7月○日にいくはずだと言ってた。君のことだから僕が泊まったところに行くんじゃないかな?と思ってFAXしました。生きてるかい? ミュンヘンではホフボロイハウスに行って●●を食べるといいよ。それから△△という店が絶対オススメだ。じゃ、素敵なヨーロッパ初体験を楽しんできてね!」と。 それからもう一枚をめくると他のスタッフの「変な店にはいらないように」とか「ヨーロッパのホ●は気をつけろ」とかワケわかんないけど寄せ書きが。 「俺、そんなとんでもないところに来てるのかよ!」とか「そんな頼りなさげに心配そうに見えるのかなぁ?」とか複雑な気もしましたが、 こんなに嬉しいことはなかったです。 (*⌒▽⌒*)b 夢多き優しい上司なんですよ。今でも。 ... はじめてのヨーロッパ その8 〜プラハ2 - 2003年04月21日(月) なんだか凹みがちな気分も一晩寝れば変わるもの。 プラハでの朝は爽やかで、屋根裏部屋からポカポカした日差しの中、質朴な家並みがゆったりと並んで見えます。 ヨーロッパに来てから気温は20度ちょっと、空気がなにしろ乾いているので汗もあまりかかないし、快適そのもの。 7時くらいに掃除のおばさんがいきなりカギあけて部屋に入ってきて大いに驚いたけど! ホテルの朝ご飯はこれまた質素でしたね。 すごく固くて味のないパン。でも紅茶が美味しかった。 私がプラハに行きたかったのは、 ヨーロッパで一番美しい都市だと聞いていたから。 私の最も尊敬する音楽家の生まれ育ったところだから。 ドヴォルザークやスメタナのいたところだから。 そして中学校の時に歌ったスメタナの「モルダウ」をこの目で見たかったから。 …です。 ホテルから今度はトラム(市電ね)に乗り、またプラハ中心部にでました。 駅に行き、すぐそばの小高い丘に壮大で立派な青銅色の博物館、様々な彫刻で装飾された、歴史の重みをずしりと感じさせる建物があるのですが、そこから街を見渡してみる。 うわ〜〜ニュルンベルクどころじゃない! 中世の雰囲気がぷんぷん。 札幌の大通り公園の倍くらいの幅がある通りがまっすぐに広がり、その脇には古いけれど石の清潔な建物が並んでいます。 その先に歩いていくとヴァーツラフ広場という大きな広場があり、その真ん中にはヤン・フスというキリスト教の中でも、特に意志の強い、真実のためにあくまで悪と戦ったという「フス教」とまでよばれた中世チェコの教祖(?こういう言い方が正確かどうかわからないのですが。)の像があります。 よくプラハの観光写真でも見られますが、このヤン・フス像のまわりには若い観光客がみんな座り込んだり、寝そべったりしていました。 ところでプラハを歩いていると、チェコ人というのはドイツ人とはかなり違うのに私は興味津々でした。 非常に大人しい。 暗い、覇気がない、というわけではないのですが、黙々と歩いている人が多い。 そしてみんな目が澄んでいて、その聡明そうな目でなんだかじっと観察されているような感じがします。 それでいて、ちょっと私が例えばトラムの乗り方でマゴマゴしてたりすると、すっと横に人がきてニコッとしながら静かにアドバイスしてくれたりして優しい人が多い。 私は最初そんな感じが不思議だったのですが、あの「ビロード革命」とよばれた1989年の無血で勝ち取ったチェコ民主化のことを考えると、ああ、こういう人たちだからこそ冷静にじっとそれまで長年の、それこそ68年の「プラハの春」やさらにそれ以前からの共産圏からの圧迫を耐え抜いた末に、静かにそして強い意志を持って民主化にこぎつけたんだ、と頭の中がすっと霧が晴れるような気がしました。 もちろん、そんなわかった気になっちゃいけない。 でもプラハの人たちの顔、フス像、それに私の知っているチェコの音楽家 ― 例えば指揮者だったらオーケストラを無理やりあおったりせず、ある抑制をもって音楽を客観的に創っていく、その演奏する人間の個性よりもその曲の良さを尊重する姿勢を持った人が多い − を思い浮かべるとなんだか納得がいくのです。 …などと考えながら歩いているうちに目の前にモルダウが広がってきました。 有名なカレル橋の上に立ちます。 モルダウだ!! これがあのモルダウ!!! 「モルダウ」というのはドイツ語で、本当はブルタヴァ河と言います。 しかし、ああ、中学の頃歌った河はこれなんだ。 ここに来れるなんて当時は夢にも思ってなかった。 私はこればっかりはやったら絶対恥ずかしいぞ!と思っていたのですが、やっぱり抑えられなくて、橋の上でモルダウを歌ってしまいました。(>y<) でもこの気持ちわかってもらえるでしょう?? 川沿いに見える古都の情緒…。 それだけに去年ヨーロッパの洪水でこの河があれだけ氾濫したのをテレビで見た時は、本当にビックリしましたし、悲しかったです。 橋の上で絵を書いているオジサンがいて、話かけてきました。 「日本人?」 「はい。いやここに来れて感激してます。」(英語の通じる人だった。と言っても私は単語並べてるだけだけど。) 「日本人ってここ好きだよね〜。いつもはここ日本人だらけになるんだけど、今日はあんまりいないな。」 「…そうっすか。」 「橋の脇に立ってるあの端の像みてごらん。日本人の像があるから。」 橋には等間隔で色んな人間の銅像が立っています。 「え?これちょんまげしてるし、刀さしてるから侍っぽいけど、でもヒゲが変だし刀は中国刀っぽいんだけどこの人は一体…」 どうも日本人というのはどこに行っても把握しそこなわれているような気がする。 この日私はスメタナ博物館とかプラハ城とかドヴォルザーク博物館を回って、夜は教会でやっていたミニ・オーケストラのコンサートを聴きました。 まあ、いかにも観光客用、という感じではありましたが、何でしょうね?やっぱり本場で聞くとなんだか楽しめる。 仕事を離れてるからですかね? その後はマクドナルドでハンバーガーを食べて(またかよ!)ホテルに戻りました。 …だってドイツ以上にちゃんとしたレストランは一人じゃ入りにくいし、居酒屋は市民の労働者ばっかりで仕方なかったんっすよー。 《つづく》 ... はじめてのヨーロッパ その7 〜プラハ1 - 2003年04月18日(金) 昨日書き損ねたのですが、外国を一人旅していると一番困るのは夕食をどうするか。 今でこそ「まあ、こんなとこならいっかー。」というような軽いレストランに入ったりはするけど、やっぱりヨーロッパでは少し良さげのレストランには一人では入りにくい。 ホテルのでもやはり夫婦やカップルでないとどうも敷居が高い感じがする。 ホイリゲや飲み屋にもこれまたドイツ人のデカイおっさんたちがワイワイやってる中に一人、というのはう〜ん。 朝はホテルでビュッフェだし、昼は街のどこにでも屋台があるからそこでホットドッグとコーラとかで全然OKなんだけど。 …というワケでニュルンベルクではマクドナルドでした。 ホテルの前にマックとバーガーキングが隣あわせで(良いのか?って感じ)並んでるんですよ。 ヨーロッパのマックってどこに行っても綺麗でしなのが印象的でした。 翌朝は5時起き。 6時のプラハ行きの電車に乗らなければならない。 ところで、よく外国旅行をする人は夜行で寝ながら移動する人が多いですよね。 まあそれは、できるだけ目的地で長い時間遊びたい、ってことだからよく理解できるのですが、私にとっては車窓からの景色をぼんやり見てるのがすごく好き。 私の旅行の醍醐味、ここにありなのです。 それにしてもドイツの電車は時間通りに来てくれて嬉しい。 よく友人からやれイタリアでは2時間遅れて来てなんの説明もない、とかフランスでは早く出ちゃって乗り損ねた、とか聞いてたので、ドイツっていうのはつくづく真面目な民族なのだな、と感心です。 私の乗る列車には「フランツ・カフカ」という名前がついていました。 おー、いかにもチェコに行くという感じ。 国境を越える国際列車なので、フランクフルトから乗った列車より中は広くて重厚な雰囲気です。 朝早くて何も食べてないし、プラハまで8時間もかかるし、途中車内販売とかあるのか全然わからないので、とりあえずホームでパンとコーラを買いました。 結構席はいっぱいで(早く行って良かった…)隣には貴婦人風の大きなおばあさんが座りました。 そのおばあさん、時々話しかけてこられるのですがドイツ語オンリー(ドイツでも若い人はかなり英語教育が徹底しているようで、英語もほぼOKなのですがある年代以上の人はそうはいかない。)なのでたまに「ゼア・グート(very goodね)」くらいはわかるのですが、なんだかさっぱり。 でもドイツ人ってみんな良い人たちです。わかんなくても楽しかった。 8時間は私には全然苦にならないのですが、ひとつ緊張してたのが初めての国境越え。 どういう感じなのだろう? どんなチェックを受けるのだろう? とりあえずパスポートはいつものごとくシャツの中に首からぶら下がってます。 この日は雨。田舎のぼわっとした風景を眺めて過ごすこと3時間くらい、何もないところでゆっくりと列車が止まりました。 「なにかな?」と思っていると外がガヤガヤしてきて、突然ガラッとドイツ兵士が車内に入ってきました。 「パスポート、プリーズ!」 やっぱり怖いものがあります。銃や剣を持ってますしね。 そんなはずはないけど、それで撃たれたりしたらそれで終わりだし。 まあ私はビクビクしながらも無事終わりました。 バックパッカーの若者たちなんて慣れたものです。ああなりたいなぁ、などと思っていると、ちょっと前に座ってるアメリカ人の2人組の女の子、 「Hey!」とかはしゃぎながらTシャツをガバッとまくりあげ、ブラジャーまるだし。 「おおっ!」ブラの少し下にパスポートが巻いてある。 スゲーな、アメリカ娘、と驚いてる前でドイツ兵はニコリともせずに「OK。」 この対比がなんとも言えなかった。 でも日本人でいるとまあ、ここまでが日本とかよくわかるけど、陸の中に線が引いてあるっていうのはやっぱり不思議。 これなら毎日ちょっとずつずらして領土増やしたってわかんないじゃねーか? でもそこに兵士がいて、う〜〜ん、なんだかどう考えていいのかよくわからないっていうのが正直なところです。 国境を越えると、一段と木が多くなって深く暗い森に入っていきます。 だから、というわけではないですがいかにも西側から(旧)東に入ったという感じ。 なんか雰囲気が暗く、さびれているという感覚なんですよね。 そのうち今度はうす緑の草原が多くなってきて、田園風景に変わってきました。 プラハが近いんだな、と何となく思っていたら、ほどなく都会的な建物が増えプラハに着きました。 チェコ共和国の首都にしてはあまりきれいでない駅だな、と思いましたがやはり構内は広い。 ただ雰囲気のあやしい、そして危険そうな臭いのする輩がたくさん歩いている。 「怖いな〜。(ホント臆病です)」と思いながらまた“i”のマークを探す。 「あった、あった。」 まずマルクをチェコ・クローネに両替。(当時1クローネが4円くらいだったかな?) それからホテルについての情報を聞こうとしたのですが、どうもチェコ語のようなドイツ語のような英語でさっぱりわからない。 「うわー、どうしようー」と困っていたら、後ろに日本人の青年が立っていました。 「ホテルはチェドックに行かないとまずとれませんよ」 「あー!チェドックですか! (そういえばそんな話を「地球の歩き方」で読んだ。)」 「一緒に行きませんか?」「助かります。」 チェドック…それはチェコ航空の機関の名前でホテル関係はここがほとんど仕切ってる。 プラハは慢性的なホテル不足(今はどうなのか?)なのでチェドックはマージンとりまくりだし、ホテルに飛び込みで行ってもまず泊まれないと本に書いてありました。 この青年と一緒にプラハ駅をでて10分くらい街を歩くと、小さなオフィスがありそれがチェドックでした。 たくさんの旅行者が並んでいます。 またそこの係が随分威張ってる。 私と一緒の青年は英語ペラペラ、とまではいかなかったけど随分アクティブに喋る男。 なんだか激しく交渉した後、「ちょっと遠いけどわりといいとこがとれました。」 私の番。 話を聞いてるとやけに高い。中心地だと1泊15000円以上ばっかし。 「無理!無理!」と言ってると「じゃあ、ないよ」と冷たく言われるし、 ほんとにいっぱいなのか? 気持ちは疑いだらけだったけど粘っていると 「少し遠いが、その予算でシャワー付のところがある。」との答え。 もうこれ以上話てるのが面倒くさいのでOKしました。 しかし場所を聞いてると本当に遠そう。 「トラムに乗って行ってくれ。」というので「What is トラム?」 するとさっきの青年が「市電のことですよ。」 しかし市電っていってもどうやって乗るのかよくわからない。 ターミナルでじっと観察していると、客は単に勝手に乗ってるとしか思えないし、これに乗ってホントに着けるのか?それに降りるところもなんだかチェコ語のよくわからない地名だったからとっても不安だし。 そんでもってタクシーで行くことにしました。 しかし外国でタクシーに乗るのも初めて。 いったん駅に戻ると、ちょっと危険な輩が近づいてきます。 「うわー、来ないで、来ないでくれ!」と祈る気持ちも空しく、奴らは私を囲みニタニタしながら英語らしき言葉で話しかけてきます。 でも何言ってるかわからないし、怖いし、そのうち「Acommodation」という言葉を繰り返しているのに気がつきました。 恐る恐る「What is accommodation?」と言うと、彼らは急に唖然とした表情をしてクルッと向きを変えるとそのまま去って行ったのです。 とてもこれは謎だったのですが、あとでUに会ってその話をしたら大笑いされて 「絶対、それはみゅう太に恐れをなしたんだよ。」 「なんでだよ?」 「acommodationnという言葉を知らずに外国を一人で旅行してる奴なんて考えられねーよ。」 「てめーが置き去りにしたんじゃねーか。」 こういうことだったようです。 今度はタクシー乗り場で、これに乗って誘拐されて変なところに拉致されないだろうな?とかそれも不安(← マンガの読みすぎだ。) 一人、タクシーの運転手でいかにも人が良さそうな人がいたので、そのタクシーに乗ることにしました。 その通り人は良かったのですが、やはり英語はダメ。 でもこのへんの人はドイツ語は少しわかるらしいんですよね。 それはまさしくドイツに占領されてた歴史からくるもの。(だから当然ロシア語もわかると思う。) 着いたホテルも同じ状況でした。 英語喋れる人がいないんですよ。 どうなるんだ。これから。 しかも屋根裏部屋で、シャワーは廊下で共同で。 なんだか惨めな気分になってきました。 《つづく》 ... はじめてのヨーロッパ その6 〜ニュルンベルク - 2003年04月17日(木) フランクフルトの朝。 「ありゃ?」起きると友人Uがいない。 でも荷物は散乱しているので、私を置き去りに逃げたのではなさそうです。 仕方なく私は一人で朝食を食べに行き(ここは硬いパンだった・・・)、部屋に戻りテレビをつけると「スーパーマン」のアニメがやってました。 ドイツ語吹き替え! 「ズッペルマン」とか言ってるんですよ。 飛ぶ時は「ズパッ」とか言ってるし。(^○^) かなり笑いました。 Uが帰ってきました。 マインツ河沿いに走ってきたとのこと。 この男は何処に行っても走るらしい。方向音痴なのに無謀な奴。 先日もニューヨークに出張の際、早朝セントラルパークを走ってきたとのコト。 週三回は朝ジムに行ってるらしいし、健康オタクだ。(・・・にしてはナゼやせない?) 「さあ、行くか。」 駅に行き、Uはチューリヒへ、私はニュルンベルクまでのキップを買います。 ところでヨーロッパの大都市の駅の規模には驚かされます。 巨大なドーム状の駅。 今でこそ日本もだいぶそうなってきたけど、向こうのハウプト・バーンホフ(中央駅)には食べるところ、カフェ、床屋、スーパー、etc何でもあるし、プラットホームは50以上ある。 国境を越えて旅行するんだもんな。デカくて当たり前か。 それに改札もない。 バリアフリー(?)というか、ホームまでは段差がないので駅にスーツケースでガラガラ入ってきても、そのまま電車に乗れる。 確かに元気なおじいちゃん、おばあちゃん多いし。 「アイン カルテン ビッテ」 旅行に役立つドイツ語本、で覚えたセンテンス。 でも駅員は「ワンウェイ?」とか聞くので「は?」と思ってたら、向こうは往復で買うのが普通らしいんですね。 その後も色んな所でこの質問はありました。 常識っていうのは、土地によって変わんですね〜。 「郷にいっては郷に従え」 面白いものです。 Uはあっさり「まあ頑張れや。」と一言、チューリヒ行きのICE(ドイツの新幹線。カッコいいっす。)に乗っていってしまいました。 さあ、私は一人旅。 まあ大丈夫、と思いながらもさすがに不安が襲ってくるのは否めない。 「ホント、大丈夫なんだろうな〜?」 でも電車の旅は楽しい。 ヨーロッパの電車はみんなコンパートメントに仕切られている、と聞いていましたが段々そういうのは減ってきてるらしい。 私は初対面の人と弾んだ話をするのはニガテなので、しかも外人と一緒に何時間も狭いスペースにいるのは結構辛いかも、と思っていましたが、私が乗ったのは片方の窓際に一人用の席が1列に並んでいる車両。 いやー、車窓から見るドイツの田園風景。 素晴らしいですねー。ヽ(^。^)ノ 高い山がないせいでどこまでもなだらかに、ゆるやかに波打つ緑の丘が続いてる。 そんな中に時々ポコッと、なんだろう?あれが菩提樹?が涼しげに立ってたりして。 ヴュルツブルクなんかの途中駅が近づいて街に入ると、山のロッジみたいなかわいい家がたくさん見えてくる。 みんな窓のヘリに赤やピンクの可愛い花がいっぱい置いてあって、おーこれぞヨーロッパ!となんだか感激でした。 あっという間に3時間半。 ニュルンベルクに着きました。 電車を降りるとまずは“i”の大きなマークを探す。 インフォメーションセンターです。 (日本にも最近、これだいぶ増えましたね。) ヨーロッパの駅は何といってもこの“i”が充実している。それだけ旅行者が多い、ということ。 あった、あった。 ドキドキしながら中に入る。( ¨)( ‥)( ..)( __)ヽ 今から考えると超恥ずかしいんですけどね、私「I want to stay Hotel」とか言いましたよ。 そしたらそこの係のおばさんが、この男はかなり慣れてない、英語もダメとすぐ察してくれたみたいで「budget? Shawer?」とか聞くので「Max 80マルク。Shawer プリーズ」 あー、恥ずかしい。でも精一杯。 でもそれでOKでした。ちょうどそのくらいのホテルが駅のすぐ近くにある、と地図をくれ、フロントであなたの名前を言えばそれですぐチェックインできるから、と親切に説明してくれました。(細かいことは全然わからなかったけど。) この駅は地下がショッピング街になっていて、その中をスーツケースをガラガラ引っ張って歩いていくとすぐホテルが見つかりました。 おー、安い割には小奇麗なホテルではないか。ちょうどホリデイ・インみたいな「Hotel ibis」というホテル。 私はチェックインすると、すぐ散歩に飛び出しました。 このニュルンベルクは中世の雰囲気がそのまま残っていることで有名な街。 ほんとです。どこまで行っても石作りの建物、教会、道。 駅ひとつとったってもう雰囲気万点です。 たくさんの観光客さえいなければ、もう完全にタイム・スリップ気分。 リヒャルト・ワーグナー・プラッツなんて広場もありました。 ここに写真でも添付できればなあ・・・ ニュルンベルク城にのぼり町を一望。 う〜〜ん、私はドイツにいるんだなあ〜(°▽°=)ノ彡 なんだかここへ来てようやく実感できました。 歩いていると、こんな小さな街にもオペラハウスがある。 ドイツってみんなそうです。 もう夕方だったんですが、たくさんの正装した紳士・淑女がワインでも飲みながら外で語らっています。 なんとも華やか、優雅でこれがヨーロッパの社交のひとコマなんですね。 せっかくだから私も「カルメン」見たいなーと思いました。一応ダークスーツは持ってきてたし。 でも今日は初日、プレミエ公演ということでソールドアウトでした。残〜念。 だからこんなに華やかに着飾った人たちが楽しそうにしてたんだな、と納得。 また少し街をうろついたら、もう夜10時。 あ、そうそう、私がビックリしたのはヨーロッパの夏って9時くらいまでは完全に昼間の明るさなんですよ。 全然知らなくて、時間の感覚が全く狂ってしまいましたよ。 明日は6時くらいの電車に乗ってプラハ行きです。 疲れたし早く寝よっと。 ... はじめてのヨーロッパ その5 〜フランクフルトにて - 2003年04月16日(水) 続きを書く前に… 昨日は素晴らしいコンサート、最高のピアノ・リサイタルを聴きました。 ブラジル出身の大ピアニスト、ネルソン・フレーレ。 これは自慢するわけでもなんでもないのですが、私は今生きている「大家」といわれるピアニストはもうほとんど聴いていて、聴いていないのはあとほんとに数人。 その筆頭がフレーレだったのですが、あまりにもそれはそれは素晴らしいものでした。 温和で控えめな雰囲気なクマさんみたいな人なのですが、そのピアノたるや、赤ちゃんの産毛のような柔らかい最弱音から雷鳴の如き轟音まで、その間のどんなニュアンスもすべて微妙な音色にしてみせる。それにどんなに嵐のように疾走するパッセージも唖然とするような技術で、それも楽々と弾ききってしまう。 それに音楽が誠実で優しい風情で、そして気持ちが深いんです。 現代のピアノの大家といえば、ポリーニやアルゲリッチという人たちなのですが、間違いなくフレーレはそれに並ぶ最高級のピアニストだ、と否応なしに心が捕われてしまいました。\(^o^)/ さて、10年前の旅行記に戻ります。 大雨に見舞われたフランクフルト。 あまりにもすごいのでマインツ河のほとりの、なんだろう? 小さな小屋に駆け込みました。中には誰もいません。 「日本とは気候の変化が違うんだな〜」と呆れている内に、背の低いおばさんが警戒したような目で入ってきました。 2人でとっさに「I’m very sorry!」と謝りますが全然通じないよう。 Uがとっさにドイツ語で謝ります(コイツはホントに語学センスが凄い。ドイツ語なんてやってなかった筈なのに)が「???」って顔をしてます。 お互いになんだかわからないので、思わず双方とも苦笑。 そのうち身振り手振りで、時々英語、時々ドイツ語なんかでわからないながらも3人で話すと、そのおばさんはクロアチアあたりから戦火を逃れてここへ来て、とりあえず掃除婦をやっているらしい。 家族もあちこちの国に分かれたらしい。(その辺は絵を書いて説明してくれた。) 「いやー、日本ではなかなかこんなことはないし、何て言ってよいかわかりません。」 と伝えたら、 「いいえ、生きてるだけでも十分なんですよ。それよりあなたたちもせっかくの旅行存分に楽しんでね。」(← と言っていたと思われる。) いや、旅行っていろんな意味で「人」に触れられるんだよな〜、と実感してしまいました。 ところでUは方向音痴。 対する私はかなり方向感覚は確か。(最近それが少し崩れつつあるけど。) なのでUが私をドイツで置き去りにする宣言をしても、まあ何とかなるかな?と考えられるようになった。 時刻表を見るのも大好きだし。ヨーロッパの鉄道の旅なんて、実のところ憧れてましたからね。 「まあ、頑張って2週間旅するよ。」 「よーし、偉い!(偉いじゃねーよ) で、どこ行きたいんだ?」 「うーん、色々あるけどな。まずはプラハ行きたいんだよな。それからミュンヘン。あとブダペストとかねぇ。やっぱりこうなったら音楽会をできるだけ聞きたいな。」 …と言ったところで閃きが! 「そうだ。今この時期(7月の下旬です。)ミュンヘンではオペラ祭をやってるはずだったな!まずミュンヘンには行こう。」 「よし、そうしたら餞別に(ナニ?)それ調べてチケットの手配、俺が手伝ってやる。」 このミュンヘンのオペラ祭というのは、毎夏、ドイツ・オペラの総本山であるバイエルン州立歌劇場で2週間くらいに渡って行われるオペラの祭典。 必ず7月31日の楽日にワーグナーのオペラ「ニュルンベルクのマイスタージンガー」で幕を閉じます。 バイロイトの代わりに行くにはうってつけです。 ホテルに戻りUは何やらフロントでホテルの人と話しています。 「おい、みゅう太。結構、チケットいっぱいらしいんだけどさ、R.シュトラウスの「薔薇の騎士」とヴェルディの「椿姫」の日はキャンセル待ちで可能性があるって。ちなみに「マイスタージンガー」は無理だ。」 「薔薇の騎士」! これは私が一度ナマでみたかったオペラ。(今はもう何度か見てるけど) これは音楽も話も極上に美しくて、豪華絢爛(っていってもすごく趣味の良い豪華さ)な、私の好きなベスト5に入るオペラ。 「見たい、見たい。絶対見たい!」 「じゃあ、一番チケットの可能性があるのがミュンヘンのJALらしい。担当者の名前は聞いといたからこの人を追っかけろ。」 「おー、サンキュー!」 目的が一つ決まりました。 あとはミュンヘンを中心に行けるところをシュミレートする。 私はこういうプランニングは何故か早い男。優柔不断なくせにこういうことは早い。 …というわけで フランクフルトをでたらまずニュルンベルク。そして国境を越えプラハへ。そこから南下してミュンヘン、そしてウィーンへ。 うん良いではないですか。 その晩、マインツ河のほとりにあるホイリゲで夕食を。 ビール、とっても美味しいんだけど、まあきついのなんの。ボディブローくらったような感じ。すぐフラフラになってしまいました。(もともとアルコールには弱い。) それと私はソーセージ頼んだら「なんだコレ!?」ってくらい巨大。(;゜△゜)ノ Uはステーキ(みたいな肉)頼んだら草履のようにやはりデカイ。(*_*; 「これはまさに昔マンガで読んでイメージしてたビフテキ!」 しかしどちらもあまりにも…って感じで、食いしん坊のUですら食いきれませんでした。 でもドイツの酒飲みたちって、本当に雰囲気良いです。 ワイワイワイワイ楽しそう。 こうしてドイツでの初日の夜は更けていきました。 《つづく》 ... はじめてのヨーロッパ その4 〜フランクフルトへ - 2003年04月15日(火) アエロ○ロートの機体で10時間の旅をした私にとって、ルフト○ンザでの旅はもう天国のようです。 乗務員のオジサン(なぜかあまりスチュワーデスがいなかった)がニコニコしながら飲み物やら軽食を出してくれます。 あ、アエロ○ロートの名誉のために言っておきますが、ここは機体とサービスこそ「値段通り」ですが、パイロットは戦闘機乗り上がりがやっているということで、操縦は上手いです。 それに何かあったらきっと完璧に逃げられるのじゃ?(それも怖いけど) さて友人Uはとなりでパクパク食べながらご満悦。 私はすっかり気分が落ち着いていたので 「さ〜て、フランクフルト着いてさ、それからウィーンに行くまでの2週間の予定を考えようよ。ドイツのどんなとこ回る?」 と今まで懸案になってた相談をもちかけました。 すると 「それなんだけどさー。俺、今まで行ってないロンドンとかパリとか行こうと思うんだ。 まずはチューリヒに行ってから。そんでウィーンにはどっちにしても友達に会いたいからさ、そこで合流しようぜ。」 「ちょ、ちょっと待ちなさい。なに、ってことは私にまるまる2週間ヨーロッパ一人旅しろってことかい?私が英語ほとんどダメなの知ってるだろ? 路頭に迷うよ〜。じゃ、私もロンドン、パリに行くよ。」 「いや、俺は一人で行きたいんだ。英語が出来なくてもなんとかなる。子供じゃねえんだからよー。ドイツ行きたいんだろ?? 赤ちゃんだって水に放りこみゃ泳げるようになるんだ。とにかく行け、行け!!」 「おめー、乱暴だなー。鬼!!」 一度決めるとテコでも動かない男です。奴は。 これ以上抵抗しても気持ちを変えられないことは明らか。 えーーー! でもいきなりこんな異国の地で一人でおっぽりだされてどうすんだよー。 正直怖いっすよ。ビクビクです。 そのうち飛行機はドイツ上空へ。 窓から下を見ると、 お〜、昔グリム童話の絵本で見たようなおもちのお家がいっぱい並んでいる! なんだか夢のような気分。 「ドイツだ、ドイツだ、ドイツに来たんだ〜!」 着陸しました。 こんなことは初めてなのですが、機体の中央が開きそこから階段を下りて外へ。 するとドイツ軍の兵士がズラーッと並んでいます。 私は横須賀とか沖縄で米軍兵士を遠目で見たことはありますが、こんなそばで銃やら剣をもってる軍人を見るのは初めて。 やっぱり怖いものですね。 「パスポート!」 威圧的に言われ、首に下がってるパスポートをシャツから出して提示します。 (ちなみに私はパスポートの所持のことだけは今も安心できず、未だに首からぶらさげてシャツの中に隠してます。変ですか?) 隣を見るとUが写真と見比べられながら何事か怒鳴られています。 どうやら写真が古いので、別人じゃないかと疑われていた模様。(だって顔が倍くらいになってるもんだから。) そして荷物を引き取って(ちゃんとあって良かったよ。)イミグレーションへ。 私の番になって今度はそこでなんだかまくしたてられるのですが、ドイツ語だか英語だかわかりゃしない。 メチャクチャ混乱して、「おーい、U。この人なんて言ってんだ。」 「…・って言ってんだよ!(さすがに忘れた)そのくらいわかるだろ!」 「わかんねーよ!」 ああ、この先どうなるんだろ? 空港でマルクに両替。(今だったらユーロに換えることになるんだなぁ〜) 「こういう時はmit coinて付け足して小銭を少しもらうのがコツだ。」 「おーおー、旅慣れてること。」 しかし確かにためになります。 それにしてもフランクフルト空港はデカい! 成田よりデカイ。 その後も何度かこの空港を経由しましたが、いつも迷う。 だからこの空港から日本に帰る時はいつも3~4時間前に来ることにしてます。 ただ市内までのアクセスは楽。 地下鉄で10分くらい。 そのまま他のドイツの主要都市にもそのまま乗り換えなくても行ける。 フランクフルトの駅へ着くとUが「おい、あれ見ろ。」 見ると浮浪者とおぼしき人たちがみんな注射器を持ってる。しかもそばには血のついたチリ紙が散乱している。 「あれ、ヤクってことですかい?」 「そうだろうな。」 怖えー。なんかヨーロッパって怖ぇー。 ところで我々今回の旅行ではひとつも宿をとってません。 私はとりあえずインフォメーションに行こうよ、と言ったのですがUは、 「手数料とられるのが惜しい。」 と言うので、テクテク(私は重いスーツケースを引いてガラガラと)市内を歩き始めました。 まあ、でも外国っていうのはすぐホテルがあるものですね。こういうところは日本と違う。 ほどなく入ったホテルでまあそれなりの広さ、シャワー付で一泊70マルクくらい(当時1マルク=70円くらいでした。)のところが近くにみつかりました。 いやー、モスクワの施設とは違うぜ。ホッとするひととき。 でも私は明日からが正念場(?)なんだけど。 それから2人で市内の散歩へ行きました。 でもフランクフルトはかなり都会です。東京を歩いてるのとあんまり変わらない感じ。 ただ生えている樹木の色合いや建物の色、それに空気がカラッとしているせいか光の感じも違ってやっぱり異国だな〜と、なんだかフワフワした気分で歩いていました。 と、突然、何の前触れもなく大雨が! ものすごい雨。 ベートーヴェンの「田園」交響曲の4楽章みたい。 やっぱりこういう天気の変わり方するもんだから、ああいう音楽になるんだな、と大慌てしながらも納得していた私でした。 《つづく》 ... はじめてのヨーロッパ その3 〜モスクワにて - 2003年04月13日(日) さて、ダークグレーのバスに護送される囚人のように詰め込まれた私達。 空港を出るとしばらく荒れ果てた荒野のようなところをひたすら走っていましたが、しばらくするとモスクワ市街へと入っていきました。 中心までは行かなかったので街の様子というものは分からなかったのですが、印象に残ったのは道路を走っている他の車がなんとも汚い。 みんな泥だらけ。ガラスも砂ぼこりで「あれで見えんのか?」という感じです。 まだその当時ペレストロイカからそうたってない時だったから、相当経済もまだ混乱してた頃。 もっともそういうことなのか、単にキレイ好きな民族でないのか判断つきかねましたが。 あと2台分のバスがチューブでつながったようなのが走ってたのが、なんとも危険そうで怖かった。 そんなこんなで宿泊施設に到着したのですが、そこは自分たちがやはり護送されてるんだな、とますます錯覚させられてしまうような監獄のようなところ。 ものすごーく気分が落ち込んだのを昨日のように思い出しますよ。 部屋に案内されると、オヤ!ここは綺麗な部屋じゃん。(でもトイレは汚かったけど。水洗じゃないし。) それから夕食ということで大広間に誘導されました。 ところが出てきたのは「ナンデスカ?これ」って感じの油ドロドロの中に何か得体のしれない物体が浮いているような食べ物(?) ちょっとタジっとなってる私にUが 「これヤベーよ。やめようぜ、確実に腹いっちまう気がする。」 コイツはいつでもどこでも何でも食べ、食べ物さえ与えとけばご機嫌、というゴリラのような男。そんな奴ですらこう言う食事。 私は一にも二にも賛成で二人で部屋へ戻りました。 え?それでどうしたかって。 実は私の母がロシアはそういう所だと見ぬいていたのか、(まさかな)朝出掛けに二人分のおにぎりを無理矢理私に渡してくれていたんです。 それを食べました。 おー、母の愛は胃袋を通る!感謝、感謝。 その後二人でしばらくくつろいでいるとロシア人のおばさんで日本語を話せる人が突然訪ねてきました。 しかも前置きもなしに「日本円2000円くれないか?そしたら夜中内緒で赤の広場に連れてってあげる。」と言うのです。 我々はトランジットしてるだけで、ビザ持ってないですから空港関係の施設以外には行けなかったんですね。 それとこの当時(今はどうなのだろう?)なにしろ彼らは外貨を欲しがってましたから。 それでUは怖気づく私に「バカヤロ、赤の広場だぜ。普通じゃ行けないぜ。話のタネだぜ。2000円だったら全然OKだろうが。」 まあ確かにそうです。 考える前にUに引きずられてロビーへと行きました。 すると7〜8人やはり我々と同じ旅行者が待っていて、私たちは彼らとマイクロバスに乗りこんだのです。 車から見える夜のモスクワの街はなかなか綺麗で、昼見た汚れた車たちがウソのよう。 途中、なんとも豪華な作りのマクドナルドがあり、そのおばさんが色々解説してくれたのですが、ビックマックを食べるには自分たちの給料二ヶ月分がいる、とのことでした。 こういう話は今でこそ私も色々聞きますが、現地の人から直接聞くこうした現状というのはやっぱりショックです。 考えさせられました。 「着いたわよ。」 降りた私の目に入った光景。 うわ〜〜、おとぎ話?? クレムリンとかのあの何と言いましたっけ?あの帽子みたいな建物。 あれがライトアップされてて、もうちょー幻想的!!! あれは今でも脳裏に焼き付いてますが、これはホントに目の前に現実に立ってんの?ていう感じでしたねー。 ストロボは持ってきてなかったんですが、とにかく写ってようが写ってなかろうがおかまいなしにシャッターを切り続けました。(それなりに写ってましたが。) しばらく二人で「こりゃまじすげーな。来てよかったな。」とたたずんでいたら、数人の若いロシア人男性が寄ってきます。 ロシア語なんで何言ってるかわからないのですが、絵葉書とか人形みたいなのを持ってるので、それをどうも売りつけようとしてるんじゃないか? 「No。No。」とか言って断ってるうちにどんどん人数が増えてくるので、さすがに逃げました。 車に戻ると案内のおばさんがしゃあしゃあと「今日の私の勤務時間はこれで終わりだから、あとはこの車でさっさと戻ってね。」 …本当にさっさと帰っていきました。 いやー、でもいい体験でした。実に素敵なものを見ました。 翌朝起きると、う〜ん、これは北国のさわやかな空気ですね。 窓を空けると白樺のような木がたくさんと、カラスのようでカラスじゃない品の良い鳥が庭を歩いています。 朝食はパンと紅茶。 これなら大丈夫、と安心して食べました。 さあまたモスクワ空港に戻り、いよいよフランクフルトへ! この乗り換え線はルフト○ンザの機体で、エアバス。乗務員もドイツ人ばかりだったのでなんだかホッとしました。 で〜も、このフライト中、友人Uの発言で私はそのつかの間の平安から一気に叩き落されたのでありました。 《つづく》 ... はじめてのヨーロッパ その2 〜モスクワへの旅路 - 2003年04月11日(金) 今朝から大ニュースが音楽界を激震しました。 私が先日ふれた、ワーグナーの創設したバイロイト音楽祭に日本人としては初めて、大植英次さんが指揮をすることになりました!! これはスゴイことです!! 小澤征爾さんが去年ウィーン・フィルのニューイヤーコンサートを日本人初の指揮をしたのと同じくらい、いや私にとってはそれ以上のコト。 指揮するオペラの演目は「トリスタンとイゾルデ」。 う〜〜、興奮してます!!! さて、昨日の続きです。 うおー、外国へ行くんだ、日本の外へ行くんだ、どうしよう〜〜!(个_个;) と行きたいんだか怯えてるんだかグチャグチャな気持ちで成田空港へ。 空港で友人Uと待ち合わせ。 私はデカいスーツケースをゴロゴロ。 Uはきたねーズタ袋みたいなのを一つ持っていた。 「お前、そんだけかよ。」 「おめーは引越しかよ!」 と対照的な2人。 チェックインしてからちょっと食事。 でも私は何だか緊張してあまり食えない。今から考えると信じられない話です。 「おい、ここで円をマルクにしといた方がいいんじゃ…」 「てめえはホントにトーシロだな。こういうのは向こうに行ってからの方が手数料が安いんだよ。」(←未だにホントなのか微妙によくわからない。) そしてパスポート・チェックなどを受けまた緊張しながら(これはまじ、初めてですからね。)ゲートへ。 これがシャトルへ乗ったりしてまた長い。 ホントに成田空港ってバカでかいっすね。 さすがのUも「やっぱアエロ○ロートって空港内でも端に追いやられてるんじゃないか?」と不安そうでした。 「おう!あれか!」 って見た機体がまあ、超ボロい。そして小さい。これが国際線なのか? ホントにヨーロッパ行けるのか?って感じでした。 そして機体に入ると、天井から冷気のガスがシューッと。 冷蔵庫かよ!(◎_◎) そして機内を見渡すと3列の席が両側にあり、その真ん中の通路は人一人通れるのがやっとの幅。 そして席に座ると肩にポタッポタッと何か落ちてくるので、「何だ??」と見上げると天井から水滴が。(0o0) 歩いているスチュワーデスは女子プロレスラーかっ!?って感じ。 …もう信じられんねーよ。と陰鬱なる気分になりました。 さすがのUも「こりゃ、想像以上にすげぇ。安いワケだぜ。」と隣で黙り込む始末。 さあ、離陸。いよいよ日本を離れるんだ!不安だなあ、と思った瞬間、今度は 「何か熱くなってきた気がしないか?」 「いや、まじ熱ぃ。なんだこりゃ?」 ぐんぐん高度とおもに温度があがっている様子。 冷却機能がないのか? あー、それで飛び立つ前に冷蔵庫みたいになってたんだなー。 …って納得するような事か? でもそれはしばらくたつと落ち着き、ようやくホッとしました。 いや〜でもすごい旅が始まったな、と実感。 予想通り不味い(それでもこの時は食べられた。)機内食を食べながら窓の外を見ると、 あれはツンドラ地帯というのか、眼下にクールな緑とくねくねとグレーの大河が広がっている。 すると今度は突然ガクーンッと衝撃が! 乱気流に巻き込まれたらしい。 私はこういうのに最高に弱い。ジェットコースターも乗れないくらいですから。 「ひぇ〜〜、神様ぁ〜。こんなツンドラで落ちたら骨も拾ってもらえないよー。 まだまだやりたいことは一杯あるんだよ〜。」 と機内にも緊張が走る中、ロシア人パーサーのトボけたアナウンスが。(しかもカタコトの日本語で) 「ミナサマ〜、チョットユレテマスケド、タブンダイジョーブデス。」 …多分かよ!! そんなこんなで10時間。トランジット地点のモスクワにようやく到着しました。 長いような早かったような。 でもかなり疲れましたね。 降りる時にスチュワーデスたちは私たちにマトリョーシカの小さいのをくれました。 複雑な気分が織り込まれた思い出。 しかし、他にサービスがないのか飲み物攻めという感じでした。 モスクワ空港に降りるとそこはまさに北国ロシア。 ヒューーッと涼しげな針葉樹林が窓の外にしんしんと広がっている。 ところでゲートが4つくらいあったのですが、なぜか女性職員が一人だっているだけ。 こちらは満員で人がたくさんいるのにイミグレーションはそれひとつだけで、ちっとも進まない。これがロシア人気質?…。 でもその女性職員、ロシア人なんだけどスチュワーデスとは違い小柄で色白で超美人なんですよ。透き通る白い肌。 不思議なことに日本人的なその容姿。 Uとその時ボソボソ話したのですが、ロシアは広いから日本よりのモンゴル系(なのかなぁ?)には日本に近い血があるんじゃないか?新潟美人とか秋田美人ってのはそういうところから入ってきてるんじゃないか?・・とか。 あ、そうでした。大事なことを書き忘れましたが、このフライトは都合の良い時間がとれずこの日はモスクワで一泊トランジット宿泊です。 翌日フランクフルトへ出発予定。 さあ、我々乗客が地下に降りると収容所行きか、っていうようなゴツいバスが待っています。 どんなところに連れていかれるんだろう? 超不安。 《つづく》 *追記 書いてるうちに記憶がどんどん克明になってきてしまって、いったいこの旅行記何回かかるのか?心配になってきました。 まだフライト中という有様。 でももう始めちゃったので最後までいきます。何回かかっても(!?) ... はじめてのヨーロッパ その1 - 2003年04月10日(木) 昨日はつまんない愚痴日記をかいてしまって、本当にすみません。 こういうところにああいうことを書くことになろうとは、かつては考えもしませんでした。 でも書くことでスッキリする・・・ということもさることながら、自分の中にどんなものが渦巻いているのか、ということを知ることができるのですね。 どうか大目にみてやって下さいませ。 さて一昨日、亀山さんのことで初めての海外旅行のことを書き、私の中にはその時の記憶が猛烈に蘇ってきました。 それはもう抑えがきかないくらい、体の中を吹き上げてきましたよ。 しまってた写真まで引っ張り出したりして。 そうしたら当然のことながら、ますます、です。 10年も前になってしまうのが信じられないんですが、あれは最初単なる旅行目的じゃなかったんですよ。 私のかつての同僚で友人Uが当時あるドイツのソプラノ歌手のアテンドをしてまして、その歌手がUと意気投合してしまって、自分が出演するバイロイト音楽祭のチケットをくれるというんですね。 バイロイト音楽祭!・・・音楽家、音楽好き、それはありとあらゆる音楽に関わる者が一度は行きたいと夢見る、ドイツの小さな街バイロイトで行われる音楽祭。 8月にワーグナーのオペラだけを上演する、ワーグナーが自ら設計した劇場でワーグナー自らが始めた、150年以上も続いている世界最高のクラシック音楽祭のひとつ。 今もオーガナイズしているのはワーグナーの孫。 ここにはシーズンオフでありながら、ワーグナー命!と意気込む指揮者、歌手、そしてドイツ中のオーケストラプレーヤーが休み返上で終結します。 日本でもこの音楽祭の模様は年末の夜中、毎晩NHK−FMで放送されるのですが、私は学生時代からそれを聴くのが楽しみで、ホントに「いつかここに行けたら・・・」と夢見てました。 音楽関係の人間にとってはバイロイトは「聖地」というべき場所です。 友人Uは私がバイロイトに行くのが夢だと知ってたし、彼も無類のワーグナー好きだったので(あまりクラシック全般は聴かないクセに) 「おい、2枚くれるらしいんだけどみゅう太、まじ行くか?」 「ホントか、ホントに行けるのか?? 行くよー。行くに決まってんじゃん!!」 というワケで2人で行くことになったのです。 しかし私は外国に行くのは初めて。 それに英語も当時は全然おぼつかない状態。 かなり不安でしたね。 でもUは英語堪能。CNNニュースを副音声で聞いたり、高校時代からFENのラジオ放送を聞けた、という強者。 こやつはすべてにおいて面倒臭がりやで仕事もそこそこにしかしない、大学もやる気なくて中退、ていう奴のくせに好きなことに関してはスゴイ男。 (ある意味私と似ている。) 「まあ、こいつと一緒なら大丈夫か。」ととりあえず安心していました。 パスポートを取得し、飛行機も貧乏な2人はアエロ○ロートを無事予約、バイロイトの宿はそのソプラノ歌手がとっててくれる。 2週間のヨーロッパ滞在のスケジュールで(「ニーベルングの指環」だけで1週間かかりますからね。)フランクフルト到着、ウィーン出発。 私は何だかわからないけどとにかくスーツケースを買い、「引越しすんのか?」と思うほど色々な生活用品をそこに詰め、そうそうダークスーツもバイロイトには必要だよ、とそれも詰め、準備万端。 さあ、ワクワクドキドキで三日前だーーー! という時、事件は起きました。 Uが神妙な顔はしてるもののたんたんと、 「おい、みゅう太。彼女、出演キャンセルするんだってよ。」 「は? てことはどうなるの?」 「チケットくれないってことだろうな。」 「・・・・・・・・。なにーーーーっ!!!!」 どうすんだ!? 飛行機のチケット、キャンセルもうできないぞ。(そういうシステムの格安だったから)休みもバッチリとってるし。 U「行くしかあるまい。」 私「行ってなにするんだよ。チケットゆずって、とかプラカードだすのかよ?」 U「そんなの無理だ。もうバイロイトは行かないでヨーロッパ旅行にすればいいだろ。」 私「え〜!」 U「おまえ、ヨーロッパ行ったことないんだろ?音楽やってる人間がヨーロッパ行ったことない、でいいのか? じゃいいじゃねーか。」 私「まあ、そう言ってしまえばなぁ。」 U「そうしろ、そうしろ。俺も久しぶりに行きたいとこあんだよ。」 強引な奴です。ホントはデリケートな性格のクセに。 というワケで私の初のヨーロッパ旅行となったのです。 《つづく》 続くのか!!? それもまだ始まってもいないじゃねーか (_□_:)!! ... グチ!グチ! - 2003年04月09日(水) すみません。今日は日記をハケ口にさせて下さい。 こんなに1日に色々重なるともうたまらんですよ! おい、電車の運転手。 4月で新人研修だかなんだか知らないけど、いちいち「モニター、よし!!!」とかバカでかい声で叫ぶんじゃねーよ。 子供もビビッてたぞ。 私もそのたんびに心臓がビクッとなる。 朝っぱらの満員電車からやめてくれ!(;`O´)o おい、ウチのオフィスの不細工女N。 性格が良けりゃ別にそんなこと↑も言わないが、てめー入社何年たったら「おはようございます。」「お先に失礼します。」「おつかれさまでしたー。」が言えるんだ。 しかも今日は先輩が先に言ってるのにシカトこきやがって。 おめー入社してから挨拶の言葉交わしてるの見たことねーぞ! 社会人の常識、いい加減身につけろよ。 おめーを見てたら、新人に悪影響及ぼしそうだから、私がワザワザ大袈裟に「今日はみなさん、おつかれざまでしたー!ではお先に〜♪」なんて朗らか演技をしなきゃならないんじゃないか。 他の人間にバカか?って目で見られたぞ。(;`O´)o おい、先輩H。 いい加減人に妙なライバル意識持つのやめて下さいよ。 私はあなたより普通の業務能力だったら全然劣ってるんだから。 音楽馬鹿なだけで、そういうところくらい私が目立ったっていいじゃん。 出世しようとも全く思ってないし。 アンタの未来は安泰だよ。 上司だってそう思ってるよ。 だから人が立ち寄りでタイムカード押さないで出てっても、いちいち後でコソッと人のタイムカード押すのやめてくださいよ!(;`O´)o 人よ音楽をわかちあう仕事をしてる人間がそれじゃイカンでしょうが! おい、同級生I。 私がおめーと仲悪い友達の肩を持ったからって、他の友人に送ったコンサートの案内にケチつけてチケット買わないようにする、なんて姑息なマネするなよ。 コンサートを開くアーティストに罪はない。 そういう奴だとおもっていたが、やっぱりそういう奴だったか(?) ガッカリだ。(;`O´)o おい、駅の掃除のオバサン。 人が通ろうとしてるのに、邪魔そうな顔してそのまま掃除するなよ。 駅を使う人たちのために掃除してるんだろ? 本末転倒じゃねーか。 しかも水かかったぞ。 え〜い、世の中どうなってるんだ!!(;`O´)o ふ〜〜〜、疲れた〜〜〜。 この世を笑顔で生きてく難しさよ。 お見苦しいところをお見せいたしました。 申し訳ございませぬ。 でもたまになので、お許し下さいませ。 ... 昨日の朝日新聞夕刊を見ていると、文化欄に「没後50年−スターリン学」という記事が載っているのが目に入りました。 執筆しているのはロシア文学を研究している亀山郁夫さん。 昨年、「磔のロシア−スターリンと芸術家たち」という本で大沸次郎賞を受賞された方です。 私は随分前この亀山さんと偶然お会いする機会があり、知り合いになった。 とは言っても、もうこの数年は全くお会いしていませんが。 丁度10年前の夏、私は初めてヨーロッパ(というか外国)を旅行したのですが… いや〜、思い出すとあれはビクビク旅行でしたよ。 なにしろ英語もほとんど喋れないあの頃、いきなりドイツに置き去りにされて2週間、帰りの飛行機に乗るウィーンまで一人旅を強いられて…。 でも大変だったけど楽しかったな。 ま、それはともかくウィーンからアエロ●ロート航空に搭乗し(超貧乏でしたからね。ここだと夏のシーズン真っ盛りでも往復30万くらいですんだ。ただこの値段ですからね、乗り心地は推して知るべし。)、モスクワで乗り換えた時にそこから乗ってこられて偶然隣に座られたのが亀山さんだった。 私は当時亀山さんのことなど不覚にして全然知らず、もちろん顔も知らなかったので別に話しかけもしなかったのだが、彼の方から「どこを旅行されたんですか?」「どこが楽しかったですか?」と気さくに話しかけてくれました。 そんな感じで結構はずんだ会話をしていたところ、「自分はこれこれこういう者で、NHKテレビのロシア語講座で講師なんかをしていてロシアの音楽家なんかのことも研究してるんですよ。」と言われ「え〜!そんな偉い方だったんですか? 実は私は東京でコンサート・マネジメントの仕事をしてるんです。」などということになり、更に話が盛り上がりました。 そのうち「いやー、モスクワの女の子はね、世界で一番カワイイんですよ。」なんて話にもなったけど。 昨日のその亀山さんの記事ですが、スターリン時代のロシア(ソ連ですね。)。 一応大雑把な知識だけはあるつもりだが、やっぱり恐怖だ。 個人の自由などまったくなく、恐怖と妄想に縛られた時代。 自分の一挙一動が見張られ、何か国家に逆らう言動が見つかればあっという間に粛清。 死ななくても流刑地送り。 考えてみれば戦前、戦中の日本もそうだった。 およそ今からは信じられない時代。 そんな時代、芸術家は自分の良心と、生き延びることの狭間で必死に戦っていた。 今の私たちには想像もつかない。 ほんの想像くらいはつくかもしれないが、やはりそれはあくまで想像。 私の日記には何故か今までよく作曲家ショスタコーヴィチの名がでてくるが、彼もそのソ連の中で恐怖におののきながら、しかし自分を貫き音楽を書くことで戦った一人。 亀山さんの文章にもでてくるが、ショスタコーヴィチやプロコフィエフ、映画監督でいえばエイゼンシュタインなんかの「創作」は、まさに全体主義の旗頭スターリンとの「対話」だったのではあるまいか? そしてそのために、いやそうだったから?彼らの表現には本音を隠した「ふざけた笑い?」「アイロニー?」などの一筋縄ではいかない音楽上の「言葉使い」を生み出していったのだと思う。 亀山さんはなおも続ける。 今の時代、インターネットやケータイによるコミュニケーションの発達というのは、逆に人を縛ってやしないか? いつも隣人に見張られてるようなものではないか? スターリン時代のロシア、かつての特高がいた日本のように。 まあ、こういうツールをどう使うかは個人がどう使うか、だからそこまで…とは思うけど。 でも考えてみると、私なんかもケータイを持つ前は首輪を付けられた犬みたいでイヤだ、とか思ってたよな。 こんな私が今ネットの間を走り回って、このような日記を書くに至ったんだから不思議なものだ。 とにかく、今は楽しく生きていけることができるんだ。 嬉しい。(^○^) ・・・呑気かな? ... アトムとドラえもん - 2003年04月07日(月) 今日は2003年4月7日。 鉄腕アトムの誕生日だそうです。 ファンはちゃんと知ってただろうけど、何だか今年に入ってからテレビのニュースや新聞の社会面なんかで騒ぎ始め、昨日なんかは朝○新聞の「天声人語」のテーマにまでなってた。 この国っていつもこうだ。 取って付けたように騒ぎ始める。 まあ、でも私なんかは感慨深いけど。 でも2003年になっても結局あそこまで未来化はしなかった。 2001年になった時も「2001年宇宙の旅」の世界ほどにはならなかったなー、と思ったっけ。 で、昨日「鉄腕アトム」の新作がテレビで始まった。 見ました? 朝やってるんですけど、私はそりゃー驚いた。 すごい高い絵のクォリティ。こりゃテレビアニメのレベルじゃないっすよ。劇場アニメでもナカナカないレベルの作画。 日頃アニメを見ない人がいきなり見ても驚かないかもしれないですが、きれいで丁寧に作ってるな〜、くらいは思ったと思います。 キレイってだけじゃなく、密度の高い背景画、1カットごとの何気に凝ったレイアウト、そしてごまかしなく画面上を動く、動く!! タイトルバックを見て、ソニー・ピクチャーズ・エンターテイメントとか博報堂の名が連なっていたので「これは、相当お金が使えていいスタッフと時間がとれているな。」と想像できてちょっと納得しましたが。 もちろん何でもそうなんでしょうけど、アニメーションにも予算があって時間があって技量の高いスタッフが集められればかなりの映像作品が作れます。 …すみません。急にアニメ業界の人間みたいな事言ってますが、私、中学・高校の頃はアニメーションに実写以上の可能性を感じて、様々な作品を見あさったり本や資料を見てかじったことがあるので、結構色々覚えてしまったんです。 それに実は弟が本職のアニメーターだもんで、現場の話も最近聞けたりして。 でも最近のアニメ制作も私が知ってる頃より、変わったところと変わらないところがあります。 技術的には何と言ってもデジタル技術の導入。 原画さえ書いてしまえば、線もトレースや彩色、簡単な動きですらCGでつけられてしまう。 でも今やってる多くのアニメ(趣味に走っていて、オ○クの方以外誰が見るんだろう?というようなヤツ)はそれを安易に使うもんだから、「動く塗り絵紙芝居」みたいになってしまってるものばかり。 その点今回の「アトム」はそういう最新技術をうまく人的作業の中に溶けこましているとのこと(←弟談) いやホントに凄かったですよ。 変わらないところは予算ですね。 最近東京都が「アニメ振興」みたいなこと言い出してますが、知事は彼らがどんな予算とスケジュールでやってるか知ってるんですかね? あんな安い(ハンパでなく安い。)給料しかでない仕事をみんなよくやってると思いますよ。しかも徹夜続きで。 だから今のアニメのタイトルバック見てると、動画(ポイントポイントを書いた原画の間をつなぐ絵。パラパラマンガの間の無数の絵と考えてください。)は中国や韓国に下請けにだしてるものばかりですね。 驚きましたよ。これもネットで送れるようになったからできるようになったシステム。 テレビアニメの実態はこんなものです。 宮崎駿さん(私はもう昔から大好き!!)のスタジオジブリの在り方というのは全く特別な環境と待遇(もちろんそれだけの精鋭揃いですから。)だと思って下さい。 もちろんそれが理想として。 でもとにかく今回の「アトム」は、日曜の朝からこんな力作見れんのか!!って感じです。 た〜だ、あの有名なアトムの主題歌がどこにも使われていないのが残念でしたけど。 しかし国産初のテレビアニメとして、とにかくコストを減らす(そのため作画枚数を秒間8コマに減らす。止めた絵の多用。口パクetc)という今日の功罪の先駆けとなった「アトム」が、今回こういうかたちで新作となったのは皮肉というか…。 それから話は前後しますが、土曜日の夜「ドラえもん放送25周年特別番組」がやってました。 私は実家にいて、弟が「あっ!ドラえもんの第1回放送だって!」と言うので「おっ!」と駆け寄って一緒に見ました。 これはぶっ飛びましたよ。 だって…・ のび太の顔、ひろし(ど根性ガエルの)入ってるんだもん。 ドラえもん、奇妙なアングルが多くてデフォルメされてるんだもん。 のび太の声(小原乃梨子さん)とドラえもんの声(大山のぶ代さん)やけにキレが良くて早口なんだもん。 全員で一列で指ならしながら、「ウェストサイドストーリー」みたいに歩くんだもん。 みんなのリアクション変で、クネクネしてルパン三世はいってるんだもん。 そして極めつけ… 「あのさ、ジャイアンの横にいる、あの背が高くて帽子ななめにかぶってヒョロヒョロでいつも頭の後ろに手組んで塀によかかってるか猫背で歩いてる口聞かないヤツ、あれ誰だ????」 「う〜〜ん、誰だ??? できすぎ君でないことは確かだ。あの当時連載にも彼はまだ登場してない筈。」 などと2人で大笑いしながら悩むようなナゾの人物がいました。 「あんなドラえもん、見たくねーーー!!」 「でもさ、なんか面白いもの創ってやろう!って気概かんじねーか?」 「でもドラえもんでやることないじゃん。ドラえもんだぜ。」 「…確かに…。」 あ、ひとつ補足しときますと、弟とそれから話したんですが、 動きにルパン入ってた訳。 ドラえもんって当時から今に到るまでシンエイ動画ってとこが制作してるんですが、このスタジオは旧Aプロってとこから分かれてできたんですね。 で、Aプロっていうのは昔、東映動画から有志が独立して作ったスタジオでその初期に「ルパン」なんかを作ってたんです。 (宮崎さんなんかもその中にいました。) だから「ルパン」のスタッフが「ドラえもん」に流れた、ってのも容易に想像できるんじゃ? (この話間違ってないだろうな?) 今日は何の話だったんだろう。 すみません! 暴走しました。 でもわかって下され。(誰に何を言ってるんだ??) ... 30代半ば・精神と肉体のバランス - 2003年04月05日(土) 6時にパチッと目が覚めてしまいました。 2時に寝たというのに。まだ4時間しか寝てないじゃん。 でも目がさえてしまっているので、とりあえず洗濯でもしながらPCの前に座ってます。 最近こういうことがよくあります。 やだな〜。ジーサンみたいだな。 ドーパミン(だっけ?)がでなくなったってことかな? 前はちょっと疲れれば12時間爆睡なんてザラだったのに。(てかそれはマズイんじゃ?) 30代も中ごろをむかえるとやっぱり肉体的に衰え(衰え?なのか)がでてくるよう。 最近気がついた、肉体的にヤバイな〜ということが他にもいくつか。 ★マラソンしたり、長時間歩いた夜などにヒザが痛くなる。 ★バッティングセンターなんかによく行くのですが、その晩に腕と腰周りの筋肉痛(これは正常だと思うけど)、1日おいて2日後に肩とモモが痛くなってくる。 ★時々偏頭痛がおきるようになった。 ★ピアノに関して、指がだんだん動かなくなってきた。 (昔からって話もあるけど・・・) ★トイレの回数が多くなった。(お〜い) あ、でもこんなもんか。(それで良いのか?) 私、自慢じゃないけど髪はフサフサだし、腹もそんな出てないし、うん、まだ結構いけるかも。 ホント、最近友達がめっきり髪が薄くなって体型も変わって「誰?」って奴が多い中、これは感謝かも。 でも最近の生活の中で、この年頃ってとっても良いなーと思うことしばしば。 精神的にもまだ覇気あるし、やりたいことあるし、夢あるし、そんでやろうと思えばやれるし。 それなりに、例え乏しくったって経験も積んできたから、物事色々考えて落ち着いて対処できるようになったし。(ホントか?) まあ未だに慌てたり、気分がフラフラすることもあってもとてもバランスがとれてる年代じゃないかと思うんですよね。 そう実感できるようになった。 たとえ日々お悩みが多いとしてもね。 ちょっと嬉しい。 歌なんか歌ってると、声は昔より今の方が全然良くなったし安定してるし。 きれいな女の子見るとすぐ「おおっ!」となるし。 (← でも一流の音楽家見てるとみんなそうっすよ。) 音楽聴いてても本読んでても、昔はこんなこと感じ取れなかったな〜と思うこと感じられるようになった気がするし。 おー!人生これからこれから!! ・・・脳天気ですかね? さて書いたところでもう一回寝るか。 でもやっぱもうちっと熟睡できんもんかな〜。 ... ジークフリート - 2003年04月04日(金) 昨日、新聞の夕刊を見ていたら お〜、一昨日「池袋ウエストゲートパーク」のことを日記で書いた時にふれた 「木更津キャッツアイ」が映画化!という記事が。 いやー、ファンとしてはすごい嬉しいっす。 ところで新国立劇場って行ったことありますか? 日本初の国立のオペラハウス。 開館からもう5年くらいになるのかなあ? 税金を使ってる「国立」ってことで、やれもっと水準をあげないととか、こんな保守的な演目ばっかりじゃダメだ、とか新聞や雑誌でたたかれたりすることも多いのですが、 私は、まず劇場がいいし(オペラがこんな素敵なところで見れるようになるとは思わなかった。それまで)、民間のオペラ・カンパニーがとても使えないような豪勢な舞台と歌手、それに今じゃ一ヶ月平均7〜8回はオペラが見れる!という状況には感謝したいな〜と思ってる。 東京に来る機会のある方は一度話のネタに行ってみてはいかがでしょうかね。 さて私は昨日その新国にワーグナーの超大作オペラ「ニーベルングの指環」4部作の第3作め、「ジークフリート」を観て来ました。 もうちょーちょー良かった! もうただただ圧倒されて体中を血が逆流するようでしたよ!! こういう時、いかに自分が感じたものを言葉にする才能がないか、というのを実感します。 そういう才がほしい!! そうしたらこの気持ちがどれだけ人に伝えられるか。 自分の感情や思いをド、レ、ミ、ファで伝えられる音楽家っていうのは本当に凄いと思う。 魔法使いですよ、ほんとに。 ワーグナーはそんな魔法使いの中の最高の一人。 いつも、彼の音楽は私にとって一種の麻薬のよう。 あの結婚式に流れる入場の音楽(これはオペラ「ローエングリン」の音楽) しかり、映画「地獄の黙示録」で有名な音楽(あれはオペラ「ワルキューレ」の音楽)しかり。 もう最初の数秒でひとつの「異世界」ができてしまって、数時間すっぽりとそれに包まれてその中で生きることとなってしまう。 この力はまさに圧倒的なものがあります。 「ニーベルングの指環」はワーグナーが足掛け20年かけて完成させた畢生の大作。 序夜「ラインの黄金」(約2時間30分) 第1夜「ワルキューレ」(約5時間) 第2夜「ジークフリート」(約5時間40分) 第3夜「神々のたそがれ」(約6時間) の4つのオペラからできていて、トータルすると18時間(!)くらいかかる。 ひえ〜。 (書いてて改めて驚いてる。) 神話的世界の話で,ライン河の黄金から作られた指輪にかけられた呪いによって神々が終末へとむかっていく、というストーリー。 (ものすご〜〜く平たく言ってます。) あれ?これって「ロード・オブ・リング」と同じじゃん、と思う人もいると思いますが、こういう指環伝説って大昔からヨーロッパに伝わる伝承話で、ルーツは一緒なんです。 映画の方がもちろん後。ワーグナーは19世紀半ばにこの大作オペラを作りましたから。 疑問だったのは映画が公開された時、雑誌なんかいくら見てもそれに触れている人がいなかったこと。 どういうことだ??? でオペラの方ですが、その中にはおよそ人間である限り直面することが満載。 親子、男女、夫婦の愛、確執。権力抗争。環境破壊。そして世界の滅亡。 もう人間である限り考えられるすべてがある、と言っても過言ではないかもしれない。 見る度にちょっとした見方で様々な新しいものが見えてくるし、年月を経て見るとまた違って見える。(自分もちょっとは成長できたのか?と思ったりする。) それが全部音楽として響き渡り、全身にのしかかってくる。 ささやくような響きから大スペクタクルな轟音、官能的だったり深刻だったり劇的だったり、オーケストラと歌のおよそ考えられる限りの表現手段が総動員されて音楽が創られる。 すごいですよ!これは。 もう感動しすぎてワケわかんないくらいでした。 そして今回の目玉はオケピにNHK交響楽団がはいったこと。 新国立劇場にはN響初登場です。 いつもこのオペラハウスには東京フィルか東京交響楽団なんですが、失礼ながらN響はかれらとは桁違いのレベル。 準(じゅん)メルクルという日独のハーフで今、世界でも最高に輝いている才能をもつ若手の指揮で(私は彼の大ファン♪)こんなものは滅多に聴けないぞ!っていう豊穣なワーグナーの音楽が響きわたりました。 歌手も主役ジークフリートには、この役を歌わせたら現在世界最高のテノール、クリスティアン・フランツ。 素晴らしかったー!! その一声を聴いただけで背筋がゾクッ。 ワーグナー・オペラの主役テノールは特にヘルデン・テノールと言われて、強力で美しい声、長丁場を歌いきるスタミナが要求されるのですが、こういう人は20年に一人出てくるか出てこないか。 90年代前半まではルネ・コロという不世出のヘルデン・テノールがほとんどの有名オペラハウスで上演されるワーグナー・オペラを歌っていたのですが、彼も70近くで引退してからというもの、ホントに誰もいなくなってたんですよ。 それからちょっとしかでてこない役なんだけど、すごく重要な役どころで智の女神エルダを歌ったメゾソプラノのハンナ・シュヴァルツ。 この人は70年代から(!)こういう役を歌い続けていて、今度もチラシでその名を見たときは「歌えるのか?」と思ったけど、 こりゃあ、こういう当たり役を一線で歌い続けた人の存在感たるや!という感じでした。 10年前にも聴いたことがあるのですが、その時より声に艶があるってどういうこったい? すっかり長々と感動話をかいてしまいました。 これで良いのか?この日記。 なんだかすみません。 でも私のワーグナーへの愛、またいつか書きますね。 (実はまだまだ書きたくて・・・全然反省してない… (-。-) ... 雨の日のベッドにて - 2003年04月03日(木) 昨日のドラマ話の続きじゃないですが、 今朝の連ドラ「こころ」を見てたら「おおっ!」という場面が。 NHKの朝ドラで小池栄子の入浴シーンが見られるなんて、 …有難い、有難い、合掌。(←誰じゃい!) 東京は今日(昨日か)、一日雨。 昨日までの暖かさはどこへやら、せっかく満開近い桜も随分散ってしまっただろうな。 花冷えってやつか。 私は昨日は少々体調が悪くて会社を休んでいました。 数年前に一度体を壊してからというもの、具合が悪い時は無理しないでさっさと休むことにしています。 その気ままなマイペースぶりに良い顔をしない同僚も多くて(まあ当然だよな)、 気も引けるのだけど、無理してまた元に戻ってしまうのはもっと怖いから 「ま、いっか。」という感じですかね。 で、こうして家で寝ている時に、雨が降っているって好きなんですよね。 実家の一軒家にいる時は特にそうでした。 雨音がポタッポタッ、時にはざぁぁぁぁっと屋根に響く音がなんとも快い。 「雨音はショパンのしらべ」なんて歌があったけど、ショパンじゃねーよなぁ。 けど心休まる音。 今は7F立ての建物の3Fで、天井から雨音が聞えないのはとても残念。 窓の外を見て初めて降っているのがわかる。 …それで昨日はおとなしく寝ていたのですが、そういう日は必ず 会社から電話が何本もかかってきたりメールがくる。 昨日の場合は、 A子「このXXXの曲の分数、わかりますか?」 私「(何でこんなことをワザワザ。でも可愛いから許そう)…10分だよ。」 また B子「CDのダビングのやり方がよくわかんないんでぇ〜教えて下さい。」 私「(おめーは許さん)…自分でよ〜くやり方を考えてみようね。」 そんなことを何で病欠してる人間に電話するかなあ?って思うでしょう。 周りが「忙しい、忙しい」って自分に関係ないことは誰も教えないんですよね。 まあ確かに戦場のようなオフィスだけど。 そして中でも最高にムカついたこと。 後輩Cからのメール、そしてそれは社内メールにもCCで 「こないだ自分がC先輩に頼まれて、それをみゅう太さんにやってもらおうと頼んだ件、まだできないんすか? できないなら引きうけないで下さいよ。誰かに引き継いだらいいじゃないですか。困るんですよ。」 なにーーっ! てめー、おとといの帰りがけに俺に頼んだんじゃねーか。 俺が休んだもんで自分が困って、腹いせにこんなメールを社内にも見えるようにワザと書きやがったな! コヤツは何の恨みがあるのか、色々私に反感があるらしいのだが面と向かっては何も言わない。 時々メールとかメモでイヤミなことを書いてくる。 こないだなんか私が休んだら、私のタイムカードにわざわざ「休み」と書き入れたようなヤツ。(どういう意味かと考えカード見つめて考えちゃったよ。) え〜〜いホント!頭にくる!!! 電話したかったけど、話すとさらに具合が悪くなりそうだったので冷静にメールで返信しときました。 しっかしこれがたくさんの人に音楽を提供する仕事をする人間たちのやる事か!?? (;`O´)o 悲しいよ。 ... 病んでいる現代に - 2003年04月02日(水) いや〜、ちょー面白くってちょーすごいテレビドラマ見つけましたよ! ビデオに録っててやっと見ました。 それは・・・ 『池袋ウエストゲートパーク』 すみません・・・(T_T) 知ってる人はみんな知ってますよね。 今、ひっぱりだこの人気脚本家(っていうか何が本業なんだろう?この人) クドカンこと宮藤官九郎が脚本書いて、TOKIOの長瀬智也が主演、きたろうとか阿部サダヲとかひとクセある役者が脇を固めてるドラマ。 窪塚がヤンキーで、妻夫木くんとか坂口憲二がヤクザやってたりする。 3年ほど前に本放送やったのかな? 今回はそれのスペシャル版。 私はナゼかその時見てなかったんですよね〜。 クドカンの作品は去年かな?『木更津キャッツアイ』で初めて見て、ショックっていうか「こういうシュールな作風でドラマ作る人がいるんだ!」と半ば感動してたところ。 これ、今DVDがものすごく売れてるらしい。 それ以前にもクドカンは同じようなものを作ってたんだ!! なんで知らなかったかなぁ〜〜、私。 ・ ・・で『池袋ウエストゲートパーク』。 『木更津・・・』の方もそうなんだけど、とにかく脚本・演出ともにとことんふざけててシュール。 これでもかっ、てくらい細かいところまで凝りに凝って笑わせてくれる。 何かのパロディーだったりしたり。 色々気がつけば気が付くほど笑える。ある意味マニアック。 そしてその笑いは「乾いて」る。とてもドライ。 ほとんどワケわかんねー、ていう域。 でもその底に流れてるのはとてもキチッとした筋の通った話だし、見ていてかなり心に食い入ってくることが多い。 ある種の悲しみすら感じるくらいです。 今回も(見てない人のために話は言えないけど)ちょっとゾーッとするような話だし、色々なことを考えさせられる。 笑いを被っているけど、中身は真剣。 それこそ魂からの叫び、なにかから逃れたい、そんな痛切なものを感じる。 クドカンさんにこれ読まれたら「そんな大仰なモンじゃないっすよ〜」と軽く笑われちゃうかもしれないけど。 でも大見得きって「テーマは愛ですっ!」なんて言ってやってるドラマ(そんなのあんのか?)よりはるかに心に染みるよ。 こういうパロディー調とかふざけた外見で悲痛なものをアイロニカルに表現する、っていう傾向は、芸術の歴史を振り返ると実は20世紀初頭からあるんです。 音楽でいうと、まずマーラーの音楽。 そしてこないだちょっとふれたショスタコーヴィチの音楽。 彼らは「もう素面じゃ何にも言えないよ、」とばかりアイロニーの仮面を被ってチンドン屋みたいな響きを作ってみせたりする。 こういう今までになかった「言葉使い」で表現の新しい局面を開いた人だちだ。 それをもってきっと辛く苦しい20世紀を生きてきたんですねぇ・・・ 映画でもそういう監督いますよね。 う〜ん、でも今なんだか思いつかないな。 ところでドラマの中でまさしくマーラーの「交響曲第5番」の一部が使われてて、ちょっとびっくりした。 けど、これは偶然。っていうか多分伊丹十三さんの「タンポポ」(これにもマーラーの音楽がたくさん使われてた。)のパロディなんでしょうけど。 見た人はわかる、と思う。 (o ̄∀ ̄)ノ ... ああ晩飯 - 2003年04月01日(火) 最近「有難や〜〜。」と思うこと。 定食のチェーン店が増えてきたことなんですね 今まで夜、外食ですませようと思ってもコンサートの現場などで遅くなると居酒屋とかラーメン屋しかない。 それでも良い人はよいのだろうけど私はまずあまり酒が飲めない。 それに私はごはんがちゃんと食べたいと思ってしまう人間。 一人暮しを始めた最初の1年くらいはあんまり外食がしたくなくて、 それに居酒屋に一人で寄って帰るのも嫌でほとんど自炊をしてました。(おー!感心) 米は朝といで炊飯器にタイマーかけて。 日替わりで肉か魚を焼くだけ。 ヒジキとかサラダとかキンピラをコンビニで買って。 (な〜〜んだ。) でも結構これでもお金かかるんですよね。 いつ頃からでしょうね?大○屋とかそういう定食屋チェーンが増え始めたのは。 ファミレスは高いし、そういう安くて家で食べられるような食事がしたい、という需要がふえたんでしょうね。 私のように。 そんなわけで私は最近すっかり帰りは定食屋通いです。 駅の近くの「おはち」という店。 安くて量もあるし、結構美味しい。 「美味」という漢字を使うほどじゃないのかもしれないけど、かなりイケる。 女子高生のバイトたちは可愛いし。(← こりゃ!) ごはんが大変ホクホク炊けてるところが泣かせる。 自分の家で一人分炊くのとは全然違うし。 肉じゃが定食から焼き魚、生姜焼きと色々あるんですが、例えば肉豆腐ステーキなんていうのにチーズが若干溶かしこんであったり芸が細かい。 ……なんで今日はゴハンの話になったのだろう?(o・ω・o)? ああ、そうだ! 昨日コンサート行って、「チケット代高ぇ〜。給料あげてくれー!」 と切実な思いに満たされてしまったんですよ。 自分たちの業界でチケット代高くしてしまってるんだろ? …って話なんですけど、なにしろ儲からない業界なんですよ。 ほとんど慈善事業か?というくらい。 海外オーケストラなんか呼んで巨大な金は動いても、それは頭上を通過していくだけで私達に落ちてくるお金はほんのちょっと…。 出演料や海外渡航費(遠いしね。)、宿泊費に消える。 それに日本の税制のせいでうひゃーというくらいの税金はとられるし。 う〜〜む。 結局行きたいコンサートに行くには私の場合、できるだけ食費を安くあげなければいけないんだ。という話でした。 (そういう話なのか??) でも美味しいもの食べたいっす!!! ...
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