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やれやれ、もう1週間経っちゃったじゃ〜ん@神戸行き。
そうそう。少し前に「あまちゃん」の音楽をやる大友良英さんの
5月19日付けの日記に「どなたか取材しませんか」と書いてあった、9月にイギリスで公演が決まってる、障碍のある子供たちの楽団の様子を見に行ったんだ。大友さんは子どもらの楽団の指揮者だ。
しかしっ!
新幹線。片道14700円っ!!
中野でそのチケットを3日ぐらい前に取ったら、もう、それだけで卒倒しそうになった。が、でも、とにかく行かなきゃ分からない。行って、一度はどんなものか見ないと、体験しないと、それがイギリスまで追っかけるべきものなか、本当に私が好きなのか分からない。だから確かめに行かなきゃ!と、ウツウツの本当に酷い酷いどん底の中で急に決意したんだ。
それは友達からメールで、死んだ友人と同じ年になったという話で、「私も今月で51歳になった。○○○の人生は51年で、本人はまさかこんなに短い人生だとは思わなかっただろうなあ…と感じながらニューヨークにいたわけ。人生なんてあっという間だよ。 だから考えるより、行動だよ。時間がもったいないと思わない? 自分の人生が来月の10日までです、ときまってたら、ああ、うじうじしてられない、あれやってこれ食わなきゃみたいな」というようなのをもらって、ハッとした。(無断転載。。。すまぬ)
私は5月中、毎日毎日死にたいとばかり考えて、ひたすらにウジウジしきって、駅で足をホーム下にわざと出してみたりもしたんだけど、でも、飛び込むなんてことできなくて、それでもうどうしようもなくウジウジってたけど、そうだ、死にたいなんて考えてなくたって、意外とパッと死んでしまうかもしれないんだ。だったら、どうせ死ぬなら、思い切りハジけて、興味を少しでも引かれたことには全部クビつっこんでみよお!と思ってメールしてみた。
で。しばらく何ら音沙汰もなかったのだが、急に、その神戸の「音遊びの会の」事務局の女性からメールがきて、よかったらいらっしゃいませんか?と今後のワークショップやコンサートのスケジュールを幾つか頂いたので、行くことにした。
しかし6月の月末以降はバイトが始まるかもしれないから、行くならこの週末しかない! 慌ててそう思った(その後本当にバイトが決まったから、この選択はすごく正しかったのだが)。
えいやっ! なるようになれっ!
そう思った。
が。しかし。そこは和田である。行く直前に風邪ひくわ、前日に関西で地震が頻発するわ。。。。そして悩む。
い、今、行くべきなのか? 行って何かあるのかな?
また次の機会でもいいんじゃね??
悶悶。。。。悶悶。悶悶悶悶。
正直、当日朝、家を出て、丸の内線に乗ってもまだ悶悶していた。四ッ谷駅から、その新幹線の切符でJRに乗り換えようとしていたから、丸の内線の新宿3丁目ぐらいまで悩んでた。
で。やっと四谷3丁目で「行くか。。。」とポソッ思い、行くことにしたんだ。。。今、行かなかったら、もう一生行かないことになるだろうな?と思って。
またやってる、無駄な逡巡。
それが私の人生そのものなんだけど。
でも、とにかく、無駄な逡巡と、JR新大阪駅からのたくさんの乗り換えと、バスとで、付いたのは六甲山ろくにある神戸大学の発達科学部の音楽棟。。。ボロッ。。。。よくぞここ、阪神大震災のときに壊れなかったね?と言いたくなるボロい校舎だったんだが。。。しかも誰もおらん。誰も。
1:30から準備します、とメールにはあって、もう1:30だったが、誰もいないから、荷物を床において、ひとりボオオと座っていた。
すると、やたら元気のいいオバちゃんが1人やって来て「あら、空いてない? 空いてないの?」というから、「はい、私、あの、見学にきたんですけどぉ」というと「あら、そう、待っててね」と、別に大したことなさそうに鍵を取りに行って。。。そのうち、ちりちりバラバラ、三々五々あるまる人たち。
ボランティア?のミュージシャンさんやダンサーさん・・・というのは後から知った。そのオバちゃんもボランティアのダンサーさん。ミュージシャンの方もいっぱいいらしてた。
そしておかあさんやおとうさんらと子どもら。
アアアアウウウウとずっと声を発してる子や。
ただお父さんの隣にジッと座ってる子も。
でも代表の、この「音遊びの会」を8年も続けてる沼田さんという女性が前に出てきて「じゃ、30分自由にやって、その後、みんなでやりましょう」というと、子どもたちはもうよく知ってる風に前に出てきて、楽器のある場所に行く。
ドラムからギターからバイオリンから木琴やら鉄琴、タンバリンに手作りのラッパやらウォッシュボードやら、色んなものが本当にたくさん。ホースがあって、振り回すとビュンビュン言う。最初は見てようかなぁと思ったけど、見ててもしゃ〜〜ないや、と、子どもらんとこに近寄って行った。
そうそう、事前に「今日は見学の人が3人います」と紹介してくれてたんで、一応、「東京から来たオバさん」として多少は認知されていたかもしれん。いや、東京からは認知されておらんが、とにかく「太った、新しい、オバさん」として許可されていたのだろう。
子どもらは何ら私に警戒はしない。
太ったオバさんといっしょに太鼓叩いてくれたり。
変な手作りラッパ吹いてくれたり。
太ったオバさんも調子乗って、次々、新しい子どもににじりより、仲良くしてな〜〜とニタニタ笑う。こびる。オバさんは意外とイヤらしい。下心ありありだ。
子どもら、手なづけたる!!。。。そんな思いはしかし、子どもらにすぐに見透かされるっ。
最初は付き合ってくれるが、そのうちすぐに飽きられ、ポイッとされる。
子どもらは自由で、ありのまま。いや、自由とは違うのか? 大友さんいわく、ただ、自由なだけじゃない。ちゃんと「音楽をやる」という中で彼らはその瞬間そこにいるんだ。
そのためだけにそこにいる。
逡巡、悶悶はゼロっ!
どんなときも、何してても、逡巡と悶悶だらけのオレからすると、それは奇跡だ。。。
そのうち見ていると、すんごい張り切ってみんなを指揮してる子とか、はずかしがり屋で、何もできないけど、何か渡すとおそるおそるやる子や。
色んな子ぉがおるのがわかる。
障碍があろうがなかろうが。子どもらはとにかく自由に愉しくありのままに、音を鳴らして楽しんでる。。。ように見える。そうじゃないかもしれないけど、そう見える。まだ最初だからね。オレにはそれがそのとおりなのか、そうじゃないのかなんて分からないよ。
しかし、純粋に、ただ、音を鳴らすのは愉しい。
私も思いのほか愉しくなった。
だって楽譜も何もない。ただ、思いのままに、自分の思いのままに音を発すればいいんだもん。それは私が思いのままにド下手な絵を描くのに似てる。ありのまま。ありのまま。発散する。
私はプロじゃないから、ヘタでもなんでもいいから、愉しくやる。
ちょうど、新幹線の中で三波春夫の本を読んでいたんだけど、あの、完ぺきを目指す、どんなときも完ぺきであろうとする歌芸との真逆にある。
完ぺきな未完成。
子どもらが出すのはそれ。それにちょっと便乗する。
そのうち「セッション・タイム」となり、2人一組となって前に出て演奏をする。
組み合わせは名前を書いたカードを見て、障碍のある男の子が「なんとかさんと、なんとかさん!」と選ぶ。その選択がまた実は絶妙らしい。子どもは、なんか見抜いてんだな。すべて。
で。私は2番目に選ばれてしまった。えっ? もう?
お相手は、ずっとお父さんの隣にべったり座っていた翼くん。
後から聞いたんだけど、翼くんはそれまでずっとお父さん以外の誰ともセッションしたことはないらしい。
でも、なぜか、そのときは太鼓の前に座るとボンボンたたき出した。「デブのオバちゃん、目、泳いでんぜ! ったくよ。手、かかるぜ」とでも思ってくれたのだろうか。。。。それに合わせて、私は恐る恐る木琴を叩いてみた。
へ〜〜、木琴て、いい音なんだなぁ〜と、びっくり。
翼くんはボコボコと太鼓を叩くから、なんとかそれにあわせようと、また、こびる私。ダメだよなぁ。そういうのって見透かされる気がする。
でも、ふと、翼くんが叩きながら小さな声でモソモソ何か歌ってるのが聞えたから、私も同じくらいモソモソと歌い始めた。
叩き@太鼓、叩き@木琴、及びモソモソ合唱。
1分ぐらいそれが続き、バッと翼くんが太鼓を叩いていた棒を投げ捨てて、いきなり終了〜〜〜〜〜。
ありゃ?
と思ったが、沼田さんに「よかったですよおお」と言われる。私の前に座っていた、ずっとギターを抱きしめていた、ギター命の少年がニコッと私に笑いかけるから、グーを出して、グーとグーでガキッとした。
なんか、ちょっと、子どもらと心通じるの巻。。。てへっ。。。なんだか嬉しい。
その後も延々2時間もセッションが続く。
でも飽きないんだ、子どもら。いや、飽きたら自由に色んなところで体動かしたり、いろんなことしてる。
ずっと叫びとおしの子もいるし。
私もできたら、彼らといっしょに前のほうをぐるぐる歩いて、叫んだり、歌ったり、ウララララ〜〜とかしたかったのだが、できない。
恥ずかしくて。
ああ、オレ、ぜんぜん自由じゃないよなぁとか思う。
子どもらは本当に自由でさ。障碍って何だよ?と思う。オレのが障碍あるんじゃ?って。
子どもらは、しかしただ自由にやったりしない。私が「子どもにこびて合わせよう」としたのとは違って、音そのものに合わせようとして、どんどんおもちゃ箱みたいな楽器箱を探って音を見つけ出す。で、あ、これは合う音だ、と私も感じた音に出会うと、その音をずっと鳴らしていた。ちゃんと合う音を探し出せるんだ。ありのまま。本能のままで。ミュージシャンじゃ。
とはいえ、後から話したお父さんお母さん。
ずっと叫び続けていた女の子、すごくかわいい女の子なんだけど、彼女のおかあさんが「この子を連れて出かけられるところはここしかない」と言っていたのにハッとした。
そうか。そうだよね。たいへんなんだ。知的障害の子どもたち。
体調もいつも万全とは限らず、「今日もここに来るまではぐったりしてたんですけど、ここが好きだから、ここに行くよといったら元気になって、今はもうすごい元気です」と言ってた。ここが好きなんだなぁ。。。みんなと会って、自由にやって、たとえ話すことなんてできなくても、愉しいんだ。。。
しかし。帰り道。困ってしまった。
それで、私が、イギリスくんだりまで行って、何ができるの?って。イギリスなんて行く必要あるのか?って。
障碍のある子供たちが演奏しました、チャンチャン♪じゃ、もう、これで十分。800字ぐらいのありきたりの記事を書いて、チャンチャンだ。いいですね。障碍ある子も音楽で楽しめるんです、キラキラみたいな、ウソくさい記事書いてさ。
ほんとはそんなこと、思っちゃないくせにいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい!
なんか、そこから、オレを救ってもらえる、何かを見つけたい〜〜〜〜〜。子どもらにオレを救ってもらいたいいいいいいいいいいいいいいいいいっていう、いつもの、オレ至上主義、オレさまが中心なのに。
どうしたらいいの?
その日は、ちょっと前に私にお皿を作ってくれた、大阪南部の陶芸家ちゃんの家に泊めてもらうことになっていたので、延々乗り変える見知らぬ電車、見知らぬ風景の中で悩み続けた。
そして、結局、相手がスターであれ、コンビニの客であれ、障碍のある子たちであれ、おいらが書けるのは、おいらとその人たちとの関係性。
その人たちとの1週間の旅での触れ合い、拒絶、笑い、ヘマ、文句、うんざり、楽しみ、解放であり。もちろん悶悶。
音楽療法なんとかとか。
障碍者のなんとかとか。
そういうのは分からない。もちろん、そりゃ行くなら音楽療法の本ぐらいは読みますよ。ええ。ええ。とうぜんですわ。あたりまえじゃないですか。ええ。
えっ? なぜ、そうもエラソーに言うかって?
ええ。ええ。なんと、うちの師匠が「音楽療法協会」の理事なんです。
ええ。ええ。意外と。つながってる。ええ。
だから。そんな形で、レポートを、記事でも、本でも、できたら、本に作れたらいいのだけど。。。
もちろん、鳴らされる音楽についても感じたことを書くさ。
オレ、厳しいっすよ。いざとなるとね。ええ。
しかし、旅には飛行機だけで22〜3万円。ホテルが5〜6万もする。
なんだかんだで30万円だ。
うぎゃああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ。
うぎゃああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ。
ありえん。。。。新幹線往復の10倍だ。
だから。これから出版社やら、お金の捻出方法やら探さなきゃならないのだが、旅は目前の9月だ。
間に合うのだろうか?
どうなるなるんだろうか?
どうしたらいいんだろうか?
出版社を口説くイヤらしい殺し文句は決まってる。
「あまちゃんの音楽を作る大友さんが指揮する、いっしょに行く旅ですよ」だ。
会ったこともないけど。。。利用するっ! 主役は子どもらなんだけど。
すみません。誰か、そんな殺し文句にひっかかってくれそうな方、ご存知ではないでしょうか?
誰か、誰か、誰か、そんな文句にひっかかって、えっと、印税先渡しで旅費を出してくれて、本にさしてくれたりするようなところ、ありませんか? か? か?
子どもらもそうですが、それを引率するオカンやオトン、それにボランティアの人たち。いろんな人の人生がからみあって、人ってのが見えてくる旅になると思います。
そこにイギリス人、どうノッカってくるか?
あのチャラチャラ化はなはだしいイギリスが、なんか、誠意見せてくるのか?
そんなことも相成って。どんな物語が出来るのかはまったく見えませんが。
誰か。。。。誰か。。。。サムバディ・ヘルプ・ミイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイ!と叫ぶ私です。
おねげええします。
無理は承知です。。。。
無理は。。。。ああ、だって。私が編集者だったら、
「えっと。。。和田さんがお書きになるんじゃなくて、やはり、ここはずっと関われてこられた大友さんが書かれたらいいんじゃないんですか? そうですね、和田さん、あなたは大友さんの口述筆記をお手伝いしていただけたら。ええ。そのために旅は同行していただいて。ええ。えっ? 旅費? それは、まあ、ギャラと相殺ってことで。。。それだってかなりものですよぉ。いいじゃないですか。ワッハハハハハ」
だろうな。フツーそうだよな。フツー。
オレなんてどっから沸いて来たか分からないハエみたいなオバさんがいきなり旅に1週間だけ同行しました。
障碍者の鳴らす音楽について書きます、なんて言ったって、そりゃ、あんた、底が薄っぺらすぎやしませんか?と言いたくなるよなぁ。
うううううううううううううむ。
イギリス旅行が5年後ぐらいだったらなぁ。
でも。オレと大友さんの大きな違いは、大友さんは音楽やる人だから、ミュージシャンとして苦悩しきりだったが、オレはただの見学者で、んで、子ども好きで、子どもと仲良くなりたいな〜〜だけの人で。
その浅はかさが逆に、軽やかな物語を生んだりすることだって、なきにしもあらず、なきにしもあらず? じゃないかあああああああああああああああ?!!
と思ったり。思わなかったり。
どうでしょう?
どうでしょう?
ねえ?