ps:ものすごいビックリ。フクイチの作業員のストレスケアをしているのは、防衛医大の重村先生(精神科医)って。。。。オレをワシントンDCで救ってくれた重村先生やんかああああ!
マジかっ?
重村先生、たいへんな仕事してるんだ。。。。所沢でステーキをゴチしてくれたりもしたんだが。。。。もう、そげなことをしてる時間はないですね。。。
びっくり。。。
あれから1年。
去年の3月11日はリクルートのビル、23階にいた。東京駅の八重洲口にあるグラン東京サウスタワーだ。
音楽ライターの赤尾美香さんと、ソニーの伊藤さんといっしょに、ゼクシィにジェイクシマブクロの売り込みに行ったんだった。
午前中に家を出て、お昼を赤尾さんと隣のビルで食べて←バイキングでむしゃむしゃ食べた。。。そして午後2時から打ち合わせだった。
23階は会議室のフロア。ぜんぶが会議室になってる。そこの1室で、5人で色々話していた。
そして運命の時間。2時46分。最初は「ん? 揺れてる?」くらいだった。
それが段々、段々ものすごい揺れになってきて、そしてゼクシィの人が訓練してるのか? 「机の下に入って!」と叫んで、会議室の机の下に入った。
窓についてるブラインドがものすごい音をたてて窓に当っていた。
ミシミシミシミシとビルが折れそうな音がする。
赤尾さんが「早く終わって早く終わって」と叫びながらワアワア泣いてる。
赤尾さんの後ろにいた私は、人が泣き叫ぶと意外と冷静になるから、赤尾さんの背中をなでなでしながら「大丈夫大丈夫」と言っていた。
でもぜんぜん大丈夫じゃなくて、揺れは長周期地震になってしまい、まったく止まらない。
もう不安が増幅したら、一気にそこでお腹が痛くなってしまった。
まだ大きく揺れる中、お腹を押さえ、壁をつたい、側のおトイレに入った。
と、そこでまた大きな余震がっ!
ウワアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア。
叫び。泣き声を上げた。でもお腹は下りまくり。。。。。
ウワアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア。
和田、史上最大のピンチ。。。。
それでも巨大な揺れは収まり。でもまだユッサユサ永遠に揺れてて。
なんとかトイレから出て、手を洗っていたら、見知らぬ人が「大丈夫ですか?」と来てくれた。
オレの声、外まで響き渡っていたのかもしれない。
「大丈夫です」と答えて廊下に出ると、外国人のオジさんが頭を抱えて座り込んでる。
会議室に戻り、続きの話をしようとしたけど、誰も身が入らない。そのうちゼクシィの人が船酔いみたいになり。目をつぶって動けなくなつてしまった。机の下に!と叫んでくれた人だ。
ビルは永遠に揺れていて、でも館内放送で繰り返し、このビルは大丈夫だから外に無闇に出るな、エレベーターは止まってると放送されていた。
そのうち伊藤さんが「あ。」と叫んだ。窓から外を見ていたんだ。見ると、近所のビルが恐ろしいほどに揺れてる。折れそう。
延々と揺れ続けるビル。30分以上、揺れたままだ。
とにかくもう座ってられなくて、立ったり、歩いたり、落ち着かない。そのうち赤尾さんのワンセグをつけたら、すごい津波の映像が出てきて。
そうこうするうちにお台場の火事の煙が見えて。
そのうちにボ〜ンッて音が聞こえて、市原のコンビナートが爆発する瞬間も見てしまった。
この頃から私はもうずっと泣きっぱなしで。みんなでどうしようか?と話し続けていて、それでここに居ても仕方ないから動こうと決めたのはもう午後6時頃。
それから長い長い徒歩の旅が始まった。私は自分が帰宅難民になったことがなんだか信じられなくて、ビルの階段(天井が高くて普通のビルの2倍ある)を降りるときも、東京駅から有楽町を抜けて寒い風が吹く中を歩くときも、延々ずっと泣いていた。
その日に限って帽子を忘れて、頭が寒くて寒くて。途中六本木のミッドタウンでお茶を飲んで、売っていたパンを食べた。
中野まで帰るのは無理だから、赤尾さんの友達がいる渋谷を目指すことになった。伊藤さんは会社に向ってしまった。
途中、ビルからガラスなどが飛散していて、通れない道もあった。
それで青山一丁目まで行ったら、ちょうど地下鉄が動き始めた瞬間で、怖かったけど、とにかく乗ることにした。まだ動き始めたばかりで、そんなに満員でもなかった。
でもって。渋谷に着いたらものすごい人で。。。。ものすごいびっくりした。
そこから歩いて赤尾さんの友達の家に行き、その晩はまた泣きどうしでみんなでテレビを見ていた。
その家の人は有名なイラストレーターさんで、その人は、こういうときは絵をやると言って少し描いていたけど、やっぱりできないと、みんなでザコ寝していた部屋に戻ってきた。
何度も何度も襲う地震の中。
私がやったのは――コンビニに電話して、明日、遅れるかもしれないから、ごめんなさいと言うことだった!!!!!
コンビニはとんでもない混乱にあったはずなのに、電話に出た夜勤の女子はノンビリしてたなぁ。。。
そして翌日は家に帰って、一睡もしてないのにバイトに行ったのは本に書いたとおり。
それからその後、死ぬ思いで売り込みしたジェイクシマブクロは、残念ながら採用されなかった。。。。。。爆っ。
あれから1年。でも鮮明に覚えてて一生忘れない1日だ。
脱・原発ッ!!!!!!!!!!!!!!!!