sasakiの日記
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2011年03月31日(木) 3月も終わり

歴史に残る震災と原発。
新聞の一面の見出しの推移を書いておこうと思って始めたんだけど、水面みたいなところしかつたわってこない。今にも日本が終わるかのようだった見出しも温度が下がってしまっていて数字だけが徐々に膨らんで行くのが怖い。

福島第一原発 30キロ圏住民 定期健診
政府検討 スリーマイル参考に

「40キロの飯舘村で高放射能」
IAEA、避難検討促す
30キロから40キロに数字が上がってきた。飯舘村だけが突出しているんだけどなんだか良くからない。IAEAは飯舘村の数値は「初期の評価で、限られたサンプルに基づいている」と言ってるその上で、慎重に分析を続ける必要性も指摘している。と書いてあるんだけどなんだか中途半端な忠告でまぎらわしい。

海水から4385倍ヨウ素
何だかしまいには、だからどうした?といいたくなるような不確定な数字が並ぶ。

樹脂散布、雨天で延期
4・5・6号機付近を計画
放射性物質の拡散、飛散防止剤のサンプルにのこと。

北海惜敗 4強逃がす センバツ
北海高校、よく勝ち上がった。それにしても、このアンバランス。高野連偉いなあ。高校野球みないけどこの状況で良く開催しようと思ったもので、つくずくすごいね。

牛丼屋で高校の時の後輩に遭う。名前を言われて直ぐに思い出す。40年以上も前で良くわかるもんだと感心するんだけど、思いのほか僕らの仕事はこういうことなんだ。1年下なので今年還暦で定年だそうだ。人は順繰りに60になっていく。みんな思いの外若くていい感じだよ。携帯のアドレス交換をして別れる。欲を言えばもう少し見栄が張れる場所で遭いたかったなあ。
あの頃、テニスをやっていたんだけど、勝負ということを考えたことがなかった。当時、モチベーションという言葉のない時代で、何だかなあ?の頃。


2011年03月30日(水) 一進一退

福島第一原発
放射能固着へ樹脂散布
あすにも敷地内8万平方メートル

なかなか上手くいかない状態が続いたまま新聞も若干だれたいる。
どうなるかはまだ見当もつかない。
想像力が豊かになると自律神経がやられる。

海水から濃度3355倍ヨウ素 放水口

こういう時にこそ、ある程度の確率が出ると考えようもあるんだけど、余震の確率はでるんだけど、こういう確率は出さない。どの位の危険度なのか。情報が曖昧の感はある。

原発沈静化 世界が総力
米・仏・中で機材や専門家

ジャパン クライシスなんだ。
今日の夕刊の見出し。

3月30日、あと一日で3月も終わる。
さっさとすぎて行けばいい。
月が変われば、きっと好転している。

女川町じゃない女川は電気が通った。
女川の親類から5日経ってハガキが来たと姉からメールがあった。
田んぼの中に家や車が置き去りにされ、電気のない無音の中に町が突然出来たようだ、と書かれたいた。

そろそろ ニュースが少しずつ距離と平行して遠くなり始めて来た。

4月2日にチエリアで18時から義援金を募るコンサートやります。復興はまだま
だ先で、今はまだそれ以前の段階にいます。

昨日は一日中頭痛に悩まされてひどい目にあった。目か?


2011年03月25日(金) 夕刊の見出し

放射性物質 高濃度の水
第一原発三号機 通常炉内の一万倍

20~30キロ圏 自主避難促す

これだけを通りすがりの人がこの新聞を覗き込んだら、かなりびっくりする。
もう、ダメだと思うかもしれないけど、別にそんなに恐慌に至っていないのがすごい。高校野球までやっている。
水を買う人が増えていて、米の次が水入りのペットボトルで、もう何がなんだかわからない状態。

苫小牧から仙台のフェリーが運行を再開した。
二日に一便のペースで運航する。
これで何とか北海道と宮城の線がつながった。

みんなが聞きたいけど怖くて聞けないこと。
「本当はどうなのよ?」

今度の安心指標。
高校野球をやってる間は大丈夫。

頑張れ、がんばれ。


2011年03月24日(木) 3月24日

朝から街中雪まみれ。

道庁の前では知事選の街頭演説が始まった。

あの辺りなんだかさみしくなったなあ?と思ったら、中国人の観光客が全くいなくなり、まばら感一層増していた。
札幌は4丁目から駅に向かって地下通路が出来、特に冬はこれから人の密度が薄くなる。
4月2日に震災のチャリティーを稲村さんのイマジン音楽祭が実行委員となってやることになった。クラシックの人達なども参加。
スタートは18時、エンディングが21時。
場所は宮の沢チエリア。
準備期間がほとんどないけれど、全てがチャリティーなので、人の力技で開催するということ。とりあえず走り出してから。やるからには大勢の参加を。







2011年03月23日(水) 大事な食糧を捨ててしまった

福島、茨城で出来た野菜や牛の乳を地面にぶちまけている。きっと、これはまだ、日本が全然危険な状態じゃないということなんだろうなあ?人体に害がないと謂われるレベルのものを、一年食べても大丈夫だという物を捨ててるんだから、報道されるよりはずっと、まだまだ安泰なのかもしれない。
じゃなければやぶれかぶれか?
この国が平常時ならある程度理解出来るんだけど、この非常時に一番大事な食物を捨てている。今ならまだ、本当に非常時に非常食糧として加工しておけばいいと思うのは素人の考えなのか、よくわからんなあ。それに、国で買い上げておけば農家も苦しまないし、その間に日本が立ち上がれば処分すればいいだけで。何とかならないのか?
本当に食べ物がなくなったら、とにかく食べる物があったほうがいい、と、思うんだけど、そうでもないのかなあ?
放射能についてのニュースが量として異常に多い。
僕は多分、人よりは圧倒的に今テレビを見ているからそう思うのかもしれないけど。反原発のキャンペーンじゃないかと疑いたくなるくらいしつこくやってる。何か作為みたいな物すら感じる。
マスコミは、みんなが何に対して不安に思っているかよくわかっていないじゃないかというくらい手を緩めない。
風評被害をっていうけど、よくいうよ。
マッチポンプていうんだな、こういうの。

なんだか、知覚過敏になってしまってる。カタカナでいうと

パニック。

やっぱり歌だ。3月23日。


2011年03月21日(月) 北見 夕焼けまつり

3月6日、朝9時浅井くんが迎えにきてくれて旅が始まる。
冬道で札幌から北見まで何時間かかるかわからない、北国の人だから冬道には無頓着かというとそういうこともなく、それ相応に雪の山越えは嫌なのだ。兎に角用心しながら、ユックリ休憩しながら行きましょう作戦でガ丘下を後にする。
浅井くんは楽天舎というライブハウスと喫茶店を長い事経営していて、自分でも唄うというシンガーソングライターでもあり、今年30周年を迎えるひとなのだ。今回一緒にやる事になった経緯から話すと、とても、この旅の話が長い長い話になるので割愛するけど、機会があったら一度ライブハウス巡りを春先になったらやろうというのが大まかな所である。普段男二人で旅をするという事は目黒さんとは有るんだけどなかなかないので、楽しみだった。
札幌インターから高速に乗り北を目指す。道路は雪もなくパンパンの乾いた道。何を話したか覚えていないけれど、間断なく話していた。岩見沢あたりは相変わらず強い風が吹いていて春というのも強引な気がする。朝飯を食っていないので砂川のサービスエリアで一回目の休憩をしようという事に決まった。僕はこういう時、場所が決まると着く前には大体メニューが決まっている。
記憶を頼りに今回の旅を書いているんだけどさっぱり前に話が進んでいかないものだけど、果たして一体どれくらいの事をフリーハンドで書き進める事が出来るものなんだろうか?なかなか興味があるのでこのまま続ける事にする。
砂川に着いた。
11時半くらいか?
もう、12時なるので今日はやめる。

原発は黒い煙が上がっている。ニュース。
岩手から宮城までの空撮がテレビで映っていた。
これが本当に元に戻れるのかと改めて思える状況で、それでも、間違いなく元には戻らなくても復興する。
まだ、数字は止まらない。
生きている人達の健康がこれからの問題にもなってくる。


2011年03月20日(日) 家族全員無事です

メールが届いた。
1週間かかって無事を伝える宮城からのめーる。
それから二日して、
ーーーー俺のいとこや親戚がぎせいになった連絡が届き始めています。動きたいが職場に缶詰状態。地震から自宅に帰れない日が続いています。これから先1ヶ月に及ぶことも予測、遺体回収終焉まで覚悟。心配かけました。ーーー
消防士をやっている親類からの今を知らせるメール。
誰かがそこにいて、その事をやらなければいけないとしても、遠くでただ想像することがおこがましく思えて、返信もなかなか打ち返せなかった。


まだまだ、部分部分でしか見えてこない地震の実態。
なんだか肝心な所がすっぽりと抜け落ちているような報道事情で、死者行方不明者の数字だけが正確に毎日増えていくだけ。この数字のカウンターが止まるのはいつなんだろう?

色んな人や所でお金を集める動きが上がってきている。
誰のために、どうして、何のためにの、ど真ん中に自分がなかなか落ちていかないのが性分として面倒くさい奴だ。こういうことってもともと芯をくわないものなのか?
4月2日に宮の沢のチエリアで震災募金コンサートをやります。
思いは目に見えないけれど、思いやりは目にみえる、とテレビでやっている。
押し付けがましいと言えば押し付けがましいんだけど、メリハリが必要なのんだろう今は。

スーパームーンが今朝の4時に見られたらしい。
地球に一番近くに月が寄ってきて立派なものらしい。
いくらなんでも4時までは起きていないし、4時前に起きることこともないし。
昨日家に戻る時に見た。その月の話は知らなかったんだけど、確かに見事な月で、端っこに雲が流れていた。


2011年03月18日(金) 今日も一日

ギターを弾いてみた。
歌もうたってみた。
その間に人が出入りして、今のことを話し、これからどうなるんだろう?ということを話し、忘れないように記憶にはいるまでギター弾いて、唄って。
なかなか上手くならないもんだなあ?といつものじぶんの頭の中の呟きを聞いていると、世の中はなんだかんだと個人的な感想でできているものなんだと当たり前にと辿り着く。
ギターのーチューニングを半音下げて使う。
Fシャープのキーなんだけど、どうせならオープンでやったほうが楽だし、音もいいし。
人の歌を練習していると自分の歌まで難しくなってくる。
なんでもそうか?
難しく考えるとますます厄介にこじれてくるもので、行き着く果てはいつも、
ケセラセラ。
ふるい!
でね、やっぱりそうなんだよ。


2011年03月17日(木) 今日も一日

民放はもう、あらかた、夜の番組は普通に戻った。
それにしても、相変わらず救援物資の輸送はすすんでいないみたいだ。
札幌は昼からずっと雪が降っていて、東北も昨日から寒気に襲われて、被災地域は休まる時がない。
街では人々が色んなものを買いだめに走っている。石原さんが天罰という言葉を使って顰蹙買ったけど、でも、もし天罰が当たるとしたらこれからだろう。
これからは、多分、この国の全員が被災者になるのは間違いがなく、東北の人達が不意に引き受けた相応の覚悟を、みんなでわけ合わなければならない時はきっとやって来る。石原さんは使う時期を間違っただけで、論旨は間違っていない。
それでも、この国はみんなが日本チームで、舞台は個人戦から団体戦に変わっていく。テレビに写って粛々と耐えている人たちをみると、本当に人の品位を見ることができる。自分が生まれた地域を誇りにおもう。
この国は人を励ます言葉を多くは持っていない。

頑張れ。がんばれ。


2011年03月16日(水) 川湯のおじさん

屈斜路湖の湖畔に白鳥がたかっていて、あれをたかっているというのが当てっるかどうかはさておき、側に足湯の場所があったり、売店があったり、要するに観光客が集まる場所を見に行った時の話。網走に入るにはまだ時間が中途半端で、だったらすこし観光しようという今回の旅の話なのだ。
地震でみんな疲れてきていて、少し地震から遠ざかる話でもと思い、そう言えば、湖畔でおじさんを見たな〜といったたわいのない話で、もう少し先の話で出来ればそのおじさんと仕事を変わってもらいたいな〜といった感想を持ったという話なのだ。めちゃくちゃなセンテンスの文章だけど、あんまり深い話じゃないから気にしないで読んでください。
白鳥は湖畔で何もすることがなく、もうじき春だし、そろそろ旅支度しようかと思っているくらいのことしか考えてる節もなく、ただ岸辺をバカっぽく大群で浮かんでいる。あっちこちから「暇だーー、ひまだーー」のコーラスが聞こえるくらい、だれた風景で観光客もわしらともう一組。こっちもまるでやる気のない観光客で、白鳥が側に来ない程度に相手をするといった双方無気力関係
そこにバケツを持ったおじさんが小屋から登場。
突然白鳥たちが色めき立つ。白鳥は明らかにそのおじさんを物体として認識しているのではなく、明らかに好意を持って認識しているみたいで、両方の羽を打ち鳴らして拍手している状態?ウソだけど。
おじさんはおじさんで明らかにギャラリーを意識している。
バケツの中には白鳥たちのゴハンが入っている。
一斉に白鳥たちはおじさんにハエのようにたかる。
ここでこのたかるという言葉が力を持つのだけれど、一種調教されている白鳥たち。
おじさんはそう簡単にバケツを湖にぶちまけない。
ギャラリーの注意を十分に引きつけないといかんという目的の元、おじさんは状況を引っ張る。
そして観客(観客と言ったってふた組しかいないんだけど)が完全に注視した
頃合いを見て、湖畔を走り出す。
白鳥たちも一斉に水面を走り出す、飛んでるやつもいる。
おじさんは往復してきて、白鳥もUターンしてきたのを見計らって餌をばらまく。最初はあんまり乗り気じゃなかった観客(ワシらのことだけど)もヤンヤ。おじさんにはまた走り出す、こっちも嬉しくなって、おじさんのあとを一緒に走る。滅多にそういうことはしないだけど、楽しかったのかもしれない。
観客が少なくてもおじさんは手を抜かない日々を送っているんだろうな〜?
僕のように一緒に走り出す人はたくさんいるんだろう。
観光地でこんなにのったことはないなあ。
おじさんの後を追いかけながら飛行機見たいに手を広げている60 才のおじさんの姿を写真にとってもらった。
その後、網走に向かったんだけど、浅井くんと話したことは、あの仕事僕がもう少し年取ったら譲ってくれないかということで、なかなかのロマンだった。

今日は白鳥とおじさんの話。


2011年03月15日(火) 五日目

こういう時の時間はなかなかたたないもので、テレビを見て、ネット検索やって、進展しないどころから、原発まで深刻になって、大きな余震もあり、北に上ると津波で修羅場のパノラマ。繰り返しみせられた安物もののパニック映画みたいになってきてる。
地震のあった宮城の海岸線はとにかく道の枝分かれがなく、仙台から石巻までの交通手段は仙石線、45号線、三陸自動車道がメインで、多分、45号線と仙石線が使えないとなると、テレビでもいってたけど輸送がママならないのが実情で援助物資が行き渡らないのがよくわかる。
よく知っている土地が被災地というのは距離が遠くても、隣街で起こっているのと同じなんだ。
要害出身の人が、ネットに近所まで悪戦苦闘の末、行った、という書き込みをしてくれていて、もし情報が欲しいのであればとメールドレスをのせてくれていたので、連絡をとって見たら丁寧でとても親切な返事をいただいた。村は奇跡的に倒壊や損壊を免れ形を保っているとのこと。昨日までは 水に埋れた家々の近いところの写真を見たばかりだったので、また、色んな所でのつき、不運を思う。
そのメールの方から数葉の写真が添付されていて、結界で守られているよう
に、見事にどこもいたんでいないその方の実家の写真、欠落した北上大橋あたりからみた水に浸かった多分大須方面、そこの家で暮らすおばあさんが二人家にいる姿で、これ以上の安否確認はないという見事な写真でした。
昨日より明日、届かなかった所が開かれていく。
雄勝、十三浜がまだ出て来ない。
スーパーに行ったら、もう、米が売ってなかった。
一昨日あたりからガソリンスタンドに車が並んでいて、一体どこに行くんだろう?
色んな人から励ましの電話やメールをもらうけど、僕は全然問題ないから、だ
いいち、それに、いい年だし。それと、被災者じゃないし。
何かあったら相談にいくからね。
本当にけっこう時間がかかると思う。これを回復させるには。
と、思いながら生きて行く方が未来があるとおもうのだ。
とにかく、何が起こってもまだまだ、これからだ。
しばらく歩いていないので、家から藻岩方向に向かって歩き、小高いろいず珈琲館から札幌のビルをみている。そのビルの向こうから波がやってくるように見えてくる。

今は大変なピンチといえばピンチなんだけど、きっとそのあとにはチャンスが
やってくるのだ!


2011年03月13日(日) マグニチュード9.0

仙石線沿線が空から映ったり、現地からの中継だったり、どれももみなテレビからの映像はひどいことになっている。
いつも田舎に帰る途中、必ず通る町が軒並みテレビや新聞、ネットにのっている。
石巻から更に向こうへの情報は今日までほとんどない。
相変わらず携帯も電話も不通。
辛うじてボヤッとした情報がネットで見つけることができるが、どこまで本当なのかわからないので、まだ書けない。色んな人がパソコンの上で人探しをしや、消息を藁をつかむ思いで探している。大勢の親切な人がそれに答えようと、自分が知っていることを報告している。
明日になったら細い道がもう少し太くなる。同じようにニュースの道も広がるはずだ。
そろそろ政府の対応を非難するコメントが出始めてるけど、まだまだ、どうあれ励まし会う状況だと思う。
マグニチュード7以上の余震がこの3日以内に来る確率が70%だとテレビでいってる。
今の段階でこの確率は必要なのか?
これも、一種の非難か?


2011年03月12日(土) 一晩明けて

どうにも何も情報が入って来ない。
twitterが一番、田舎の情報に近いものが得られる。どうも北上川が溢れて飯川方面が水浸しと呟いている人をみつける。
兎に角、通信手段が全滅で、札幌の友人に電話をかけるのも一苦労だった。
電話もメールも繋がらないので、HBCまで出かけて始めて携帯が機能し始めた。
1時すこし前に番組はやすみと決定。

まだ何がなんだかわからない状態は続いている。

ライブの報告や御礼はもう少し先にさせてもらいます。


2011年03月11日(金) 町が流れていく

福島原子力発電所から避難指示。3キロ範囲は避難、10キロの中の人は待機。
大船渡の町が津波で流れていく。
これから朝までまだまだ、情勢が変わっていく。
練習が終わってプー横丁でお茶を飲んでた時にゆっくりと揺れ始めた。
感じたことのない長い揺れで、まるで波の上に乗っかっているみたいな揺れだった。瞬間的に何処か遠くで大きな地震が起きていることがわかるものだった。
携帯やパソコン、その他いろいろ情報が得られると言われている機器は結局有効な、こっちが知りたいことはそんなに教えてくれない。
粉々になった家の残がいや車、コンテナ、船、タンカー、まるまんまの家が津波に持って行かれる。
マグニチュード8.8、最大震度7。
いろんなところが燃えている。
今のところ人の力ではそう簡単に消せそうにない。
それでも大勢の人が今も色んな所で必死になって頑張っている。
2時40分までは普通に一日が進んでいたのに。
いつか大きな地震に会うだろうなあと、思っていたけれどこれだったのかなあ?

今晩一晩越さないと地震の全体の姿が見えてこないけど、人の力が必要なのはこれからだ。
この国の、人のほんとうのクールさ(かっこよさ)を見せるのは明日からだ。


2011年03月04日(金) つぶやき

尖閣はどうなった?この後、あの島に誰か、何かを送るなり作るなりしないんだろうか?最も今やった日には助けることになると思うんだけど。

もうはや、これから先がある身だから事をあまり荒立てず許してやった方がいいと言ってる人がいるけど、間違ってる。何でも許せばいいというものでもない。携帯の入試の話だけど。

久しぶりに人はある日死ぬんだと、まだ死にそうにない人と語る。基本的には子供の頃にぼんやり考えていた事とそんなに違いがないと至るのは、まだ死にそうにないからだとわかった。

弦と唄だけのアルバムもいいなあ。死んじゃったケニー・ランキンみたいな、鳥肌が立つやつ。

21才の女の子と人生に関係ない話を長い事話す。ツッコミどころ満載なんだけど、年の話と同期しそうだから突っ込まない。どこに向かうのかは僕だってわからない。人生は相談される筋合いのものじゃない。

サッカーはあしたから。もう、北海道は圧倒的に野球。野球一色。斉藤いて、ダルビッシュがもう早156キロを出して。しょうがないか?コンサドーレは本当に古い映画の「スラップショット」みたいになってきた。あの通りだといいんだけど。

そろそろ新しいipadが出る。カメラがついてテレビ電話だと新聞に書いてあった。別に感想はない。新聞には続きがあって、ipad3がもうじき出るとも書いてあった。もう、ついていいかない事にした。

友人の年取ってからの役者人生はなかなかハプニングの詰め合わせらしく、今がよければいいじゃないの。相良直美の歌見たいで是非応援しなければいかん。
メールで送ってもらった台本、道東から帰ってきたら読むから。

道東といえば明後日から旅の始まり。向こうは雪もなく走る分には何も心配ないらしい。ただすこし寒いということなんだけど、それが問題なのだ。

日本の政治家はもはや、選挙の事しか考えていない。本当に僕らは気の毒な人達なのだ。

川を背にしてキャッチボールをしている場面が映画にあった。普通に考えるとキャッチボールをする時には絶対川なんか背にしない。暴投したらボールは水に流れて行ってしまい、それでおしまい。監督は多分キャッチボールをしたことが子供の頃からなかったんだと思う。

Twitterおわり。
けっこう疲れるので、これでおしまい。


sasaki