sasakiの日記
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明日は小樽、1匹長屋であるので、準備したら寝るのだ。 5月最後のライブ。 函館は楽しい日だった、ンだけど移動が一寸大変で、まだ疲労が幾分残っている。 明日はものすごくがんばるので
眠い。
寝られるかどうかははっきりしないけど、寝ることにする。 ライブの前の日は大体寝られないんだけど。
長いことさがしていたアルバムが見つかった。あるところにはあるものなのだ。
稲村さんから百章最後のアルバムをもらった。もらったでいいのかなあ?配布と言うのが近いニュアンスで、ジャケットが非常に不思議な配色になっている。面が百章を組んだころのモイワ山にある寺、墓場を撮影場所に選んで撮ったもので、多分何か使用目的があった。冗談でジャケット撮影でもしようか?と言うのりだったような気がするけどもうはっきりしない。 コーヤが編んだ長いマフラーをみんなで巻きつけ夫々があらぬ方向を見ている。ある意味、この写真はこのバンドの志向性を表していて、図らずもいい写真になっている。このモノクロな写真に青々としたカラーの空が流れている。みんな遅かれ早かれ空に昇っていくのだということを暗示してる興味深いレイアウトになっている。で、裏面に当時NHKのテレビに出たときの写真が綺麗に写っている。相変わらずみんな着ているものがバラバラでぼくはマージビート野郎みたいにキノコ頭だ。稲村さんはカナダの山奥のきこりみたいだし、伴は街を歩いていたらたまたま招集かかってとりあえず家にあるものを着てきましたで、コーヤは長い髪でまるでロッカー。 まあ、そういったバンドそのまま。 ラインナップは全10曲。1〜7曲目までがNHKのスタジオで録音を撮ってもらったもので一発録り。8〜9曲目が最新の曲、そして最後の曲が最初の「VOL1 CHAP100」に入りきらなかった(古い街)となっている。どう転がっても非売品。泣き叫ぼうが非売品なのだ。 1971年のバンドの音。 下手は下手なんだけど、ひたすら稲村さんの足を寄ってたかって引っ張り倒しているんだけど、奇妙なことに百章というバンドのサウンドに満ち満ち溢れている。下手なんだけどアマチュアぽくないのだ。つくづく、東京に住んでいたらなあ、などと妄想が広がる。 初めてコーヤのベースを聞いてみて(バンドやってるころはコーヤがどんなベースを弾いているのか、どんなことをやっているのか良く聞こえなかった。みんな自分のことで忙しくて。)思ったことは、とってもアナーキーなべしストだったんだと言うことだった。不思議なベースライン。稲村さん以外はみんな不思議なラインを吹いたり弾いたりしていた。音楽の知識の圧倒的欠如といってしまえばまあ、大よそそれで話を終えることが出来るんだけど、4人になって音楽になると総簡単に結論付けることが出来ないほど面白い。百章というバンドは4人で完結していたことがよくわかる。 もう古い話になったのでこれはこれでバンドの中だけで振り返ることでいいのかもしれない。どう転がっても非売品、鳴こうが叫ぼうが非売品。 これでいいのだ。 それにしても面白いバンドだ。いなむら一志はえらい。
2回連続で聴いたら人がいなくなるということがしみじみ実家された。
明日、三角山なんだけど、どうしようか考えている。
さて、カレー食いに行こうっと。 クロックにするかミルチにするか。
本屋に行ったら小林多喜二の蟹工船が平積みされていた。どうも今人気らしい。世のなかよくわからんので買った。どうなって居るんだろう?蟹工船だよ、蟹工船あのプロレタリア文学だよ!この世の中、気に入らない人がたくさん集まりだしたか。なんかごつごつとした文章で、どうも今の時代の対極にいるみたい。
相も変わらず世のなかけたたましく、ぼくは台風の中歌の練習に余念がない。百姓だった大昔の先祖の記憶に寄るものなのかどうかはわからないが、雨がざばざば降ると妙に諦めに似た穏やかな気持ちが押し寄せ、一気に集中力が高まり同じことを延々繰り返しても飽きると言うことがない。面白いものだ。町も山も家も道路も信号機もおまわりさんも、風に揺れる電線も、郵便配達の人も水浸し、なんだか落ち着く。明日は東京方面から台風のおつりみたいなのが北海道にやってくるらしい。いやはや、季節がぐちゃぐちゃで、ニチャニチャでどうしょうか? 西友でハヤシさんを見かけた。声をかけようかと思ったんだけど、こっちがろくなものを買っていなかったのでやめた。ろくなものと言うのは何かと言うと、肉の塊、西洋野菜、魚のかたまり、洗剤、牛乳、グレープフルーツ、みかんやバナナは駄目で、比較的大きなもの、西瓜はオーケー、その他のものは概ねアウトでろくでもないものに分類される。久しぶりに会ったのに残念なことをした。男の買い物はこれはこれで結構厄介なのだ。若いときと違って微妙にブルースのフレーズが違ってきていて、哀愁のもっと向こう側にまで突き抜けてしまうことがあるのできっちりと用心に越したことはない。
そろそろ葉書の季節だ。 気に入った景色を葉書に書き、人に送っている。 そんなに気に入った場所があるわけでもなく、そんなに枚数は多くない。 それに、絵がとてもうまいと言うわけではないのでよほど容赦してくれそうな人じゃない限りだせないと言う弱みがある。 自転車に乗って通り過ぎる景色をスケッチして、色を塗り、それをポストに入れる。 と書くとなんだかとてもいい感じなんだけど、絵が上手くかけない。 特に人が駄目だ。どうしてジットしていないんだろう?もう少し哲学や人生の先などをじっくりと考えてじっととしててくれないだろうか?ま、むりだろうけどね。 自転車のタイヤ変えないといけない。随分と走った。
テレビを見ていたら、あるオペラ歌手が毎日舌を45分間引っ張るらしい。喉仏の位置を同じ場所にとどめて置く訓練らしいんだけど、あまりにけったいな話なのでおぼえてしまった。そうすることで発生に影響があるらしいんだけど、いろんな人がいすぎて、驚くのにも幾分疲れてきた。 それではものの験しにと引っ張ってみたのだけど、痛いだけだった。 くだらん。
先週のドーム、験担いで家で見てたんだけど負けてしまった。 当たり前なんだけどさあ、コンサドーレが鳴けるのは俺のせいじゃないのだ。当たり前なんだけど、一人の人間がそこに居るいないで試合の結果が変わるのなら、面白いんだけど切ないじゃないか! 今のところブービーなんだけど、もう少し、本当にもう少しがんばらないとボトム。 前回まででせめて勝ち点15くらい欲しかったなあ。 これから1ヶ月休みらしいから、巻き返しを願って、お百度を踏むことにする。最近時代劇でもお百度踏み見なくなったなあ。 小樽のメニュウだいたい決定した。いける。
5月ものこすところ10日。2曲できるか?危ないもんだ。
松はグニャグニャしていて筋が1本通っていない。 持ち上げると皮膚の中に砂でも入っているんじゃ何かと思えるくらいグニャとしてなんだか心もとない。 というかなんだか体全体に力をいれようとする意思をもたないかのようにグニャグニャしている。いつか腰を痛めるんじゃないかと心配しているんだけど、多分こういう種類のグニャ猫蛸科なんだろう。 相変わらず鼻の天辺が唐突に赤くなる。そうなるともう無敵モードに入り今まで学習した行儀のいい、気品豊かな、そしてたおやかな猫から乱暴狼藉、人の言うことに耳を貸さないやりたい放題、水をかけられたグレムリン状態になる。どうしてそんなに急激に豹変するのか意味わかんない、チョー受ける。 もしかしたら、脳みそが幾分壊れているのかもしれない。まあ、いいか。 最近いくらギターを弾いても腕が攣らなくなった。快方に向かっていると言うことじゃないと思う。どこかしら邪悪なものが感じられ、一気に噴出しそうなぐらいいい感じなのだ。
大きなあくびすると膝に乗ってる猫もつられて大欠伸。 平和に夜は更ける。 今日はこれでお終い。
久しぶりにボーリングしてみたい。 穴掘りじゃないほうだよ。 右手の爪を伸ばしているのでもう何年もやっていない。 穴掘りはもうしばらくいい。
2008年05月13日(火) |
マイナス8度のところ |
もしかしたら違うのかもしれないけど、遠くで鳴っているテレビが北海道のどこかでマイナス8度だったとアナウンスしていたような気がする。 時々、まったく違うことを情報としてうっかり受け入れていることがあるので、とりあえず、もしかしたらといっておくんだけど、5月の13日にマイナス8度だってさ。チョーウケル。 5月13日って言ったらもう少しで6月だよ?間違っているかもしれないけど真冬のところが突然出てきた。気のせいでも何でもいいのだ。 明日の朝刊見るとわかる。 遠くの国ではサイクロン、昨日は昨日で四川方面で大地震、北海道のどこかでマイナス8度。 ただの偶然なんだけどここのところ気持ちが悪い状態が続いている。 雨が降ろうが槍が降ろうがぼくはのんきにラテンフレィバー。 サビのおおよその見当がついた。 徹は木屋とあと数人とでリコーダーだけのバンドをこしらえるらしい。 ぼくはぼくで有志が集まったらメローカントリーバンドを作る。 テンガロンハット系の奴じゃなく、どっちかと言うとやや薄まった系、と言っても大よそ検討つかないだろうけど、ぼくも良くわかってはいない。 ラテンバンドかカントリーバンドはながーいながーい計画。基本的には長い目で見て生きているうちに実現するのだろうかと言うような計画がまだまだどっさりある。 どっちにしても街に竜巻の親玉が5つも6っつも荒れ狂わないうちにやっておかなくちゃいけない。人類はこの先50パーセントが餓死するらしい。 本当に最近こういったガセネタガ充満していて鬱陶しいことこの上ない。それならば何もあえてこんなところに書かなくてもいいと思うんだけど、終末というのはどことなくどんよりとしたロマンスがある。 久しぶりに旭川の「フォークジャンボりー」で6月にやる。
昨日、夕方6時から11時まで徹さんとプー横丁。 店が閉まったのが10時。川端さんが一所懸命働いているのを久しぶりに見た。それにしても5時間、我われは何を話していたんだろう?帰ってきて寝て、今思い出しているんだけど、何も思い出さないのは年のせいではなく、明らかに話すことが目的で話すとこういうことになり、これが結構快感なのだ。昔のガレージバンドのビデオくれらしいけど、昔のガレージバンドのビデオ昔、徹にダビングしてもらってあるのでいらない。いろんなことさえ忘れてる。もう、20年くらいになるか?ガレージバンドも。20年と言うのが割りと最近に感じるからこわい。
朝大リーグ中継を見てテレビはそれでお終い。 北海道のテレビ局はゴールデンでもこのところ番宣ばかりで大丈夫なんだろうかと心配になる。もしかしたら想像する以上に景気悪いか、北海道! どうも大リーグ中継だけでテレビを見ていないというのは嘘だった。 北海道のテレビ事情を心配しなければいけなくて夜は夜でだらだらとテレビをつけている。 ナンシー関でもないのに、テレビが消せない。ナンシー関が読みたい、と時々思う。死んじゃって何年になるんだろう?
先週30度を越えたとニュースが伝え、今日は雪が降っているとテレビで騒いでいる。女子高校生が立て続けに殺されたとニュースで騒いで、チューリップやカーネーションの花が誰かになぎ倒される。 ニュースはこのところ、と言うか何時からかろくでもないニュースばかりが流れ、世の中をトラジカルにリードしようとするのには何かわけでもあるのだろうか?と言う素朴な疑問が浮かぶ。 見もふたもない時代に生きようとしているのだからせめて歌だけでも明るい歌を書こうと思うんだけど、どうしても諸事情に引きずり回されて一向に飛翔する気配さえない。 いろんな山が突然緑色になっていた。 季節の陽気なつぶてが山に投げつけられ、グラディエーション起こすまもなく緑色。 世のなかと対照的に風景は爛漫だ。 家の前の八重桜は今が旬で花びらが夜空に身投げする。 旬と言えば、あまり開けっぴろげすぎてつまらん。 どうでもいいことなんだけど。
ところで徹、いつプー横丁に行く?
松はだんだん心が充実してきたのかじりじりとにじり寄ってくるようになってきた。普段は猫よりもクールでたんたんと生きているみたいなんだけど、一旦愛が溢れてくるとそれはもう、しどけないほど、狂おしいほど、お前大丈夫か?というほどタガが外れてグニャグニュヤになる。本当にグニャグニャになるから面白い。そして、ふと我にかえり、何事もなかったように冷淡猫に帰っていく。とても面白い。 まだ洗っていない。それでも微妙にきれいなんだけど、ホームレスな牛みたいだ。もう少しあったかくなったらガッツリ洗ってやるから。
去年もらった玉ねぎ二箱。ようやく完食しそうだ。 もしかするとかなりの玉ねぎ食いかもしれない。 完食記念の葉書書くから。
明日も寒いらしいけど、山に行こうと思っている。 稲村さんと伴さんに作ってもらった土台の木のはみ出し切りをしないと、それと天候しだいなんだけど、防腐液塗り。半分テラス、半分が小屋とボンヤリ決定してみたもののまだ、実感がない。初めての小屋作りなのでつい力みかえってしまい、先に進んでいかない。それにしても立っているところは非常に景観がいい。テラスの椅子に座り風を感じながらビールを飲んでる姿だけははっきりと想像がつく。
ぼんはわたしがドームや厚別に行くと負ける、疫病神だと思っているらしい。そうかもしれない、この間のベルディ戦、行ったらものの見事に負けた。一応、今回のこのベルディ戦で負けたらわたしは当分サッカー場には足を踏み入れないと誓うと言った。そしての負け試合。それでも少し言わせてもらえばなんだけど、世のなかにはそういった疫病神、貧乏神などというのものは存在するわけがなく、古くは、草原で獲物が取れない、山でウサギが取れない、海で不漁が続く、だから、あいつを生贄にして神様に勘弁してもらおうとうののとあまり変わりはなく、ゲン担ぎなのだ。考えてみると今年はまだ2勝しかしていなく、さらにもう3分の1のゲームが消化してしまったと言う状態で、ホームで勝つなどと言うことはこの間の磐田戦だけで、たいていの人は疫病神なのだ。もっともゲン担いで磐田戦身に行かないでおこうかとはじめて思った試合で勝った。もしかしたら?と確かに一瞬思った。約束したので次の試合は見送るけど。そして、見送った試合で勝つようなことがあればわたしはどうしたらいいのだろう? でもね?この間の試合はひどかった。ミスパス、あたり負け、ドリブルで持ち込めない、速い試合運びに対応できない、ディフェンスに自信がない、スペースがつかえない、シュート打たない、無駄なパス回しエトセトラえとせとら・・・。それでも、がんばろう!
不思議なこと。毎日歌うからと言ってその分だけうまくなると言うことがない。結局文化と言うのは一種の運動なのだ。運動と言うのはそのまま、スポーツということ。毎日練習するからと言って記録が伸びるかと言うとそんなことはなく、ミリでも、ミクロでも前進していればまだいいほうで、現状維持でもまだいいほうで、怖いのが後退。年をとってまともに物を考えられるようになったことが不思議。逢ってるかどうかはまた別の問題だけど。 今日はどんな日でしたか? 明日もまたいい日になることを。よし!
天気もよく、十二分に外を楽しんで自転車で帰って来て、久しぶりにまだ日が高いうちから日記を書こうと思い、順調に最後近辺まで行き、(cryfor the moon)打ち込もうと変換の最中あろうことか第15回銀河の彼方に日記は飛んで言ったでしょう大会開催の運びとなってしまった。 まあ、ふだんだったらここで消失を理由にもう書かないんだけど、今日は違うまだ余力がある。もう少し行く。 何故(cry for the moon)を打っていたかというと「月に恋」という月の写真中心の本をいただきぱらぱらめくっていたら(こういう本は基本的にはぱらぱらめくり、気になったところや好きな写真が出てきたら手を止めて読む、というのが概ね正しい読み方だと思う。)この句が出てきて、そういえばこの言葉って何時知ったんだろう?と考えていた矢先に、forのoの字を小文字に変換しようとした矢先に銀河を飛んでブラックホールに消えた。英数キー押して対処して入れば何の問題もなかったんだろうけど、えてして、飛ぶときは飛ぶだけの理由があるのだ。もう、あまり悔しくもなくなってきた。 once in a blue moonもやはり出ていて、極希なこと、めったにないことの例えです。と書いてあった。 cry for the moonは得られないものを欲しがること、出来ないことを望むこと。と書いてある。 多分、英語の辞書の月のところを見ていて引っかかったんだと思う。17年前のロンドンで録音したものだ。イントロがチャララララーーーンと田園的なものでタイトルと幾分乖離している感じは今でもまだ若干ある。
最初に書いたように今日は天気がよく無茶苦茶な気温になったので、越冬後初めて友達の見せあっちこっち寄る。アイスコーヒー、アイスコーヒー、氷抜きコーラ、アイスコーヒー。 家に帰ったら腹を壊す。まだそんな季節じゃなかった。 円山はもうサクラがなかった。家の前の遅咲きのサクラが連休の間に一揆をやるらしい。見に行こう。
WILLに本村さんの手記が載っている。長い文章なのにもかかわらず論旨、文脈が一切ぶれない。年齢と言うのは生きていく中で何の意味もないことがわかる。世のなかがユラユラしている中、ゆるぎない人がいるというのは今の日本に一番必要なことなのじゃないかとさえ思える。 他にも今月号は益々エキセントリックになっている。
5月になった。元気に活動できる季節です。 ますます頑丈に生きてください。 なんとなく思ったのでとりあえず書いておいた。
こいのぼり カポカポ鳴らす 豊登 一点 昭和は遠くなりにけり、この間までは明治だったんだけどそろそろ昭和がその順番。今、こいのぼりの重連が日本のあっちこちで流行っているけど、もともとは北海道だったような気がする。
行く春や 逃げ水追って 土左ヱ門 3点
俳句の最後に土左ヱ門をつけると何とはなしに落ち着きが出る。 わたしが発明した。それにしてもくだらない。
sasaki
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