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■ 私信、K・S嬢様へ : 御質問と回答
某S嬢様の御質問
ピンチな時は、なにをすべきでしょうか。 何を掴んで踏みとどまるのが良いでしょうか。
回答
この二行だけで適切な回答、アドバイス、声掛けをするには、ある意味、危険なことと判ってはいる。状況の詳細が分からないから、回答の内容が斜め上をいってしまったりする危険性や、貴女の求めている答え、いわゆる、私の日記で何度も書いている「女性が求めている答え」になっていない、満たしていないかもしれないが、敢えて書くことにする。
そうでなければ貴女に無礼をすることと等しいことになる。
「ピンチ」「掴み」「踏みとどまる」
質問の「目的」は「踏みとどまる」ことにある。
貴女の目的は「踏みとどまりたい」
以前に状況と環境はお聞きしているので、この場では詳細は書けないが、 そもそも、踏みとどまる必要があるのか?と逆に聞きたい。
「掴む」のは容易である。 良ければ私が手を伸ばそう。困っている人を助けるのは難しいことではなく、とてもシンプルな手段で救済できる。それを知っているか、知らないかの違いであるし、知っていても、やるか、やらないかの、「人として」というレベルの話である。
どんな「ピンチ」かは現時点の私には判らないが、「危機」とは「好機」でもある。考え方の視点の角度の問題である。
ただ、少なくとも俺が人生で会ってきた数多の女性は、
「そうじゃない。それは求めた答えではない」
と、アドヴァイスを聞かない。
そうなると、
「語りえないことについては人は沈黙せねばならない」 (ルードヴィッヒ・ウィトゲンシュタイン 「論考」第七章は、この一文のみである。ガチで。6章の6.53より
6.53 Die richtige Methode der Philosophie wäre eigentlich die: Nichts zu sagen, als was sich sagen lässt, also Sätze der Naturwissenschaft—also etwas, was mit Philosophie nichts zu tun hat—, und dann immer, wenn ein anderer etwas Metaphysisches sagen wollte, ihm nachzuweisen, dass er gewissen Zeichen in seinen Sätzen keine Bedeutung gegeben hat. Diese Methode wäre für den anderen unbefriedigend—erhätte nicht das Gefühl, dass wir ihn Philosophie lehrten—aber s i e wäre die einzig streng richtige.
6.54 Meine Sätze erläutern dadurch, dass sie der, welcher mich versteht, am Ende als unsinnig erkennt, wenn er durch sie—auf ihnen—über sie hinausgestiegen ist. (Er muss sozusagen die Leiter wegwerfen, nachdem er auf ihr hinaufgestiegen ist.) Er muss diese Sätze überwinden, dann sieht er die Welt richtig.
7 Wovon man nicht sprechen kann, darüber muss man schweigen.)
もう少し、情報をくれないかな? 落ち着かせる時間もない状態の荒れた文章でも構わない。
ただ、これだけ。
ピンチな時の最適解の行動を教えてあげよう。 私は毎回、これを実践していて、ビジネスでも、プライベートでも、 悪い方向に向かったことはない。 信じがたいでしょうが。
引き続き、業務連絡。
皆様、ご連絡ありがとうございます。
また、銀座で呑みましょう(笑)
まだ、連絡のついてない方に下記、
iphone割りました。 連絡先消失、LINEが全部リセットされたので、 能動的連絡をお願いします(笑)
2016年01月06日(水)
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