The Green Hills of Earth
Nikon D7とSANYO DSC-J4、そしてPanasonic FZ10の3台で写真を撮り比べてみました。 Nikon D7+ AF-S DX Zoom Nikkor ED 12〜24mm F4Gで撮影しました。 SANYO DSC-J4の400万画素モードで撮影しました。 SANYO DSC-J4の800万画素モードで撮影しました。 Panasonic FZ-10で撮影しました。 Nikon D7が一番素直な表現になりました。私の目に見える明るさそのものが表現されています。この写真の中で一番ノイズが少なくて、さすが大きいCCDだけの事はあると一瞬思ったのですが、良く見ると400万画素のカメラより解像度が低くないか?と思えるボケ振りです。まぁ、これは私の腕が悪いって事でしょう。 SANYOのJ4は400万画素のCCDを搭載しているのですが、SANYOお得意のソフトで補完して完成した画像の見た目解像度を上げるという機能があるんです。昔私が使っていたSANYOのデジカメも70万画素を見た目150万画素にするなんて機能があって変わっていないなぁと感心しました。この写真で分からないかもしれないですが、暗い中でストロボをたいて、それでもノイズが目立つ写真になってしまったんですけれど、800万画素モードにすると、そのノイズは軽減されていますね。 FZ-10はF2.8という明るいレンズで明るすぎる画像になったようです。でも、やはりノイズは出ています。 画像の出来順はやはりNikon→Panasonic→SANYOの順番かと思います。が、このコンパクトさでこの性能という、キャパシティパフォーマンス(容積:性能比)なら間違いなくSANYO→Nikon→Panasonicという順になります。 これだけ小さなレンズ(集める光が足りない)と小さなCCDですから、暗いところでノイズが目立つのはもう宿命といって良いでしょう。 DSC-J4で、スミア(暗い場面で光に向けて撮影すると光が帯状に漏れ出す現象)がどの位でるのかも心配だったのですが、今日仕事のために早朝(午前4時頃)に出向いた東京(首都高の鈴が森出口付近)での写真を見る限り、スミアについては十分許容範囲に収まってくれているようです。
日常人を呼ぶとき、まぁ、家族なら「ねぇ」で終わってしまうかもしれませんが、お隣さんなどは「高橋さん」「山本さん」等と「さん」をつけて呼ぶことが多いかと思います。会社では、上司には「さん」または役職名をつけるでしょうし、部下には「くん」付けが多いかもしれません。そして女性の部下には「さん」付けが多いでしょうか。 イメージ的には「年下への敬称」と思われがちですが、本来は「同輩以上への敬称」らしいです。ですから国会などで「小泉君」と議長が指名するのは、きちんと相手を尊重しているってことなんですね。 なんとなく 3へぇ位かな。 国会での「くん」付けも違和感がありますけれど、それ以上に違和感ありありなのが、その辺の人が、芸能人やレーサーの人に付ける「クン」なんです。 「琢磨クン」だの「クルサードクン」だの(そう、この手の人って絶対カタカナで「クン」と発音していますよね)、なんであんたに「クン」付けで呼ばれなあかんの?知り合いでもないくせに。と思っちゃいます。 大抵この手の人って、他の人の知らない情報を持っている気になっていたり、自分は誰より○▽クンを知っているんだぜ的な気持ちを持っているんですよね。だから、他の人とは違うという誇示で「クン」をわざわざカタカナでつけて呼ぶのかなと思うんです。知りもしない人のことを「クン」で呼ぶなんて失礼極まりないと思いませんかね。 ....かと言って、「○▽選手」って言うのもいまいちと思うんです。そういえば、以前SMAPの誰かが何かの事故を起こしたとき「メンバー」って付けられていましたね。昔、殺人の容疑者はニュース番組などでは呼び捨てにされていたのですが、あるときから人権というものがうるさくなり、容疑者は犯人ではない、犯人にも人権はあると、「○×容疑者」等と呼ばれるようになりました。なんかね、「選手」も「メンバー」も私には「容疑者」と同列の違和感のある言葉に思えるんです。 私は、レーサーや芸能人は「呼び捨て」でいいと思うのです。呼び捨て=人権無視だとは思いませんが、いかがなものでしょうね。 名前の後ろには形容詞(?)ではなく、「敬称」を付けるべきですし、自分が使うのに不釣合いな敬称は失礼であると知り、ふさわしい敬称を使うか、潔く敬称を略すべきではないでしょうか。 あぁ、こうるさいおっさんになっちゃったよ。
昨日も野暮用で殆ど外には出られませんでした。 正解、写真左が「SANYOのDSC-J4」で、右が私の使っている携帯電話「vodafone V601SH」です。すぐに分かりました? 私は、しっかり間違えてデジタルカメラを持って「もしもし」ってやってしまいました。 大きさも色も似すぎています。ストラップまで似た色なんだもの。間違えて当然ですよね。ね、ね、ね。似ていますよね。間違えちゃいそうですよね。
巷で話題になっているみたいな、掲題のドラマですが、今放送しているって今日初めて知りました。もともとがドラマは殆ど見ないというか、そのうそっぽさとわざとらしさに呆れて見ることができないという性格ですので、このドラマにしても、ほんの数分見ただけでチャンネルを変えてしまいました。全く予備知識もない私が見た感想として、まず、声優さんのあてている声が変です。このドラマの中で、こんなしゃべり方やこんな声で良いのか私には分かりませんが、その数分を見ただけで、あまりにも違和感がありすぎです。個性と変なのは違いますよ。 では、本編のほうはどうなの?というと、同じ蒙古民族だからでしょうけれど、口元を見なければ日本のドラマといっても違和感ないですよね。口を見れば口パクが台詞とあっていないのですぐにちがうと分かっちゃいますけれどね。違和感がないのでつまらないです。従って見る価値なし。それが私の感想でした。 ま、「話題のあれ、ユンソナ様だっけ?」と言って、人に笑われるような知識しかない、ドラマにも流行にもついて行けないおっさんの戯言と流してやってくださいね。
片山恭一「世界の中心で、愛をさけぶ」や養老孟司「バカの壁」などが300万部を超えるベストセラーとなり、それ以外にもミリオンセラーとなる小説が何作品かでてきて、しばらく続いていた出版物の売り上げ減少に歯止めをかける期待がもたれているとの事です。 出版科学研究所(失礼ですが胡散臭い名前ですよね)では「メガヒットのお陰でプラス成長になった。話題性でこれまで本に興味のなかった若い層を呼び込んで活性化している」とコメントしているそうですが、これまた胡散臭いコメントだと思います。 歌の世界では(失礼かもしれませんが)演歌が没落して、アイドル路線も立消え、今はジャニーズと歌を売り物にできる一部の歌手(グループ)が生き残っているように見受けられます。 実際には星の数ほど歌手もいるのでしょうけれど、浜崎あゆみや宇多田ヒカルのようにCDを発売すれば数百万枚が売れてしまう一部の歌手に人気が集中してがいる事はないでしょうか。たまたま、歌は一人の歌しか聴けない訳ではないので、浜崎あゆみと他の何名と言う事ではあると思いますが、万人に好まれるって言うのは、理想ではあるでしょうけれど、実際にあったらすごく怖いことじゃないですかね。100人集まったら100の個性があって然るべきなのに、歌に関しては多くの人が一部の歌手を支持するって、私はその人の歌がすごいというより、何か思想統制のようなものを感じてしまいます。 はるか昔から、ファッション雑誌では「この夏はこれを着ろ」「この色を組み合わせろ」等と命令口調で書き連ね、その雑誌の言う通りにしなければ流行から取り残されるみたいなふざけた風潮はありました。最近はそれにカリスマなんたらという人の着こなしを真似するのも増えてきて、とにかく「自分にあった」「自分の個性を生かした」ではなく「人と同じに」という形が蔓延してきています。 それの延長として、そういう雑誌を見て育った世代を対象に結婚雑誌までもが「○□(雑誌の名前)がなければ結婚できない」なんてCMを打って読者取り込みを狙います。 ドラマではいっせいに韓国に注目し「ユンソナ様(上の記事参照)」と叫んでみたり、どこを向いても一極集中ですよね。 これは危険だと思いつつ、では、どうするべきかなんて全然分かりません。困ったものです。
巷では「暑い日が続く」とか「梅雨入り間近」とか言われているのですが、自宅で仕事をしている私には殆ど縁のない話です(鉄筋なので、屋内は季節による温度変化があまりないのです)。あ、ジムへの往復で車に入るとき中に熱い空気がたまっているとかでなんとなく「今は暑いのかな」と思うこともあるのですけれど、殆ど感じなかったんですよ。 今日は朝からじりじりと暑さが増してきたようで、ついに昼過ぎから家ではエアコンの冷房運転が始まりました。去年までは冷房と言えば18度設定が当たり前でした。がんがん冷やしてナンボって感じでしたから。でも、今年はあまり冷やしすぎると脂肪の燃焼を妨げるという分かったような分からないような、本当のような嘘のような理由でエアコンの温度設定はさっきまで25度、今はそれでもだめかと26.5度設定にしてみました。それ以外に天井のシーリングファンと扇風機もしっかり稼動させて風を起こしています。 4月から言っている事ですが、暑がりの私としては「早く冬が来て欲しい」。でも、暑い方が脂肪燃焼を促進するならもう少し暑くなってくれても良いかなと、そんな複雑な気持ちで一杯になった日でした。
昨日買った体重体組成計....分かってはいるのですけれど、量るたびに毎回多少の誤差が出ます。体脂肪率が数%単位で違っていたら、その1%を削る努力をしている側としては、「なんでよ〜」と叫びたくなります。
昨日、体重体組成計と共にさりげなく買ったものです。(link) 4月の末頃にRICOHのCaplioRXを候補に探していました。28mmからというワイド側の設定は気に入ったのですが、撮影するときのホールド感が悪く、いまいち決め手に欠け買うにいたらりませんでした。昨日折角電気屋さんに来たのだからとカメラコーナーを覗いて、見つけたのがこれだったのです。この半年間で何台かのデジカメを買っているのですが、それを覚えていてくれて、今回はちょっと特別に値引きをしてくれたのも購入を決めた要因になりました。 コンパクトで持ちやすく、レンズカバーさえ開けてしまえばそれ以降は基本操作は片手で行えます。レンズも沈胴式ではないので起動時間も短く、コンパクトなままです。マクロに切り替えることなく20cmまで寄れるのも、マクロにすれば2cmまで寄れるのも良いですね。 レンズの上にある左右に並んだ小さな丸は、向かって左がファインダーの覗き窓ですが、右は、なんと携帯電話で一時期よく見た「自分写し用の鏡でした。自分にカメラを向けて自分を写すとき、この鏡に自分を入れればきれいに撮れますというものです。試してみましたが、結構使えそうです。もっとも、私はこれ以上魂を吸い取られたくはないので、最初で最後の実験ですけれどね。 裏面はこんな配置になっています。親指はズームボタンに自然に触れますし、本当に良く考えられているつくりです。ただ、実際に使ってみて不便に思ったのは、まず第一に撮影後自動的にプレビューを表示する機能がない事。いちいちプレビューをしなければならないのはまことに不便です。そしてこれはSANYOのデジカメの伝統のようですが(実は'99/02からDCS-X100というSANYOのデジカメを使っていたことかあるのです)、電源に関係なく再生にボタンをあわせると電源が入ってしまうのはちょっといただけません。慣れの問題かもしれませんが、電源ボタンの入り切りで電源を一元管理してほしいと思います。まぁ、これはそんな簡単に切り替わるようにはなっていないので、重大な問題ではなく「そうだったらいいな」程度のことなんですけれどね。 まだ外に持ち出した訳ではないので、撮影した画像については多くはいえません。が、マクロはすごいですね。 下はSHARP SL-B500(ZAURUS)をマクロ機能を使って撮影したものです。 本当はもっと構図的に良いものもあるのですが、油断して適当に撮ったら、埃が目立つ写真になったので却下いたしました。 そう、もうひとつ欠点がありました。パソコンに取り込んだらそんなに目立たないのに、カメラの液晶モニタで見るとノイズが多いということが結構あります。こんなノイズ多くて大丈夫か?と心臓に負担が掛かりすぎますので、小心者にはちょっときついかもしれません。 でも、外に持ち出したら変わるかもしれませんが、今のところ、このカメラは十分満足できるものとして90点くらいの点をつけてあげたいと思います。
話題になって久しいオレオレ詐欺ですが、4月は過去最多の11億円の被害があったと警察庁のまとめで分かったそうです。 オレオレ詐欺が過去最大になったと思ったら、巷には「ファイル交換ソフトを使って著作権を侵害した」と42万8千円を請求するはがきが東日本の各地で出回り始めているそうです。 敵もよく社会を勉強していますよね。まぁ楽して儲けようとしている訳ですから、それくらいの勉強は欠かせないのかもしれません。 それにしても、すでに払ってしまった人もいるって言うのは驚きです。 更に更に、「あなたの国民年金が未納です。連絡ください」というはがきが各地に郵送されていることが明らかになったとの事です。 電話をかけると、生年月日など個人情報を聞き出されるようです。 連絡先が実在しない 東京都千代田区の「国民年金組合」 となっているのでご注意ください。 現在北海道、秋田、山形、宮城および神奈川と愛知で確認されているそうです。 千葉県の学校で複数の不祥事報告です。 ひとつは、女性教諭が生徒から預かった修学旅行費用260万円を自宅の回収費用に充てた事を知りながら、教育委員会に報告せず、希望退職を受け入れたとの事。 この女性教諭は全額返済した後、退職金922万円を受け取っているとの事です。 こりゃひどいですよね。 要は「横領したけど、このままだと自分の管理能力も問われるから、早く穏便にやめてくれ。どうせ退職金は俺の金じゃないからくれてやる」という事ですか。それとも、「今まで一緒にやってきた同僚だから、懲戒免職はしのびない」という事でしょうか。 どちらにしても、背信行為で厳重に罰せられるべきです。が、それしか罰則規定がないからなのか、単に受理した校長は減給処分ですんでしまったそうです。退職金の返還と、校長の懲戒免職くらいはして当然なんじゃないでしょうかね。身内に甘いというのはとてもまずいんですよね。三菱自動車がいい例です。 もうひとつは、養護学校の事務員が、架空の備品購入取引などで1000万円以上の公金を引き出し横領したというものです。犯人は一部は自分のために使ったが、大半は正規ではない量販店での備品購入に充てたと弁明しているようです。誰がそれを信じるのでしょうかねぇ。 その昔、警備の仕事をしている友人の仕事先が某養護学校だったんです。その友人から聞いた(のと、自分もその目で見た)のは、例えばそのビデオ機材。ビデオカメラも編集機器も物凄い贅沢なものを備品として持っているんです。まぁ学校ですから、その手の備品くらい持っているでしょうと思うかもしれませんが、これ、休日などになると、先生は全部私用で持って行っちゃうんですよ。自分の子供の運動会だの、そんな行事のときには、そのカメラを持っていって撮るのが普通のことで、当然ながら撮ったビデオの編集も学校です。更にその学校はどこかに出かけるときの駐車場としても利用されていたようです。それはちょっとした都会にある学校で、田舎のように駅には無料(または安価な)駐車場があるなどという事はないところだったんです。他の人は高い金を払って駐車場を利用するか、はじめから車には乗ってこないことを選択せざるを得ないのに、ここの先生たちは学校に車を置いて遊びに行っちゃうんですよ。 たまたま聞こえる言葉は「どうせ、自分の金じゃないし」「一番いいの買おうよ」そんな台詞だったんですよ。これは役所も同じですね。一円のお金を稼ぐのがどんなに大変か分からない人は簡単にこんな発言をしますね。 そんなところを見てきたものですから、今回のこのニュースを見ても、やはりね。としか思えませんでした。実際には、どれだけ着服したのか分かりませんが、何度も言うようにこういうのは氷山の一角です。悪いことだと自覚を持っていない人もいるでしょう。 学校や役所には第三者である外部機関を監査役に常駐させるべきじゃないですかね。信用が一番じゃないですか?
今日もジムに行っていました。毎日有酸素運動はしたほうがいいのですが、筋力トレーニングは毎日すると筋肉がいぢけてしまうのだそうです。ですから、毎日ジムに通うなら、筋トレは一日おきにするかそれとも上半身の日と下半身の日に分けるのが良いとの事。 本来は、自分の限界近くまでの負荷をかけトレーニングを行い、その負荷を楽に感じるようになったら、負荷を増やしていく訳ですが、今の私はかなり低い負荷から始めて、自分の限界点を探っている状態です。ですから、まだ体が疲れるというほどでもないので毎日トレーニングをしているのですが、そろそろ限界も分かってきたので、一日おきにする形にでもしようかと思います。ただ、家で有酸素運動をする環境がない....というか、家だとのんびりしてしまって運動をする気分にならないので、できる限り毎日ジムに通いたいと思うのです。でも、有酸素運動のためだけにジムに行くのもなんだかなーという気持ちもあって悩むところですね。 ジムで運動を始めて、運動の前には体重と血圧を測るようになりました。昔は超がつくほどの低血圧で、医者に「これは人間の血圧じゃない。猿のだ」と冗談めかして言われたことがあるくらいだったのですが、それが幸いしてか、今は普通の血圧になったようです。それでもまだちょっと低めですが。もしスタートが通常の血圧だったら、今頃はかなり危ない状態だったかもしれません。 まぁ、そんなことはどうでも良くて、これからが本題なのですが、ジムで本格的に運動をするのは痩せるつもりでやっている訳です。これからグラフは右下がりになるはずです。なってほしいのです。それを実感するにはどうしたらいいか。そんなことを考えて、実は前から少し悩んでいたのですが、結局OMRONの「HBF-354」という体重体組成計を買ってしまいました。ま、「内臓脂肪」「基礎代謝」「筋肉率」「BMI」「体年齢」も一緒に量れる体重計ですね。 買ってきて、早速電池を入れてやってみました。結果は秘密です。自分でもショック!でも、気持ちを入れ替えて、ここからがんばれば、この数値はどんどん更新されるはず。そう、そう思うからこそ買ったんですから、これからは数値を見ながらがんばっていくつもりです。 これを買って帰宅してから、OMRONのHPを見てHBF-354ITという機種があるのに気付きました。こちらは、OMRONが別に販売している歩数計にデータを転送でき、歩数計からパソコンにデータを吸い上げてグラフ表示したりする機能が追加されたものでした。「しまったー!こっちのほうが良かったぁ」と思っても後の祭りです。ちょっと後悔しましたが、実売価格で6千円程余分に掛かってしまうみたいです。体重計に毛の生えた奴に二万円も払えるかー!と思うことで諦めることができました。そ、私はソフト屋です。いや、わざわざ自分でプログラムを組む必要もないですね。表計算ソフトで記録したらいいだけですものね。
昨日500件と書いた「北朝鮮による拉致被害者家族連絡会」などへの批判メールや電話が1200件を超えたそうです。 三菱ふそうトラック・バスから国土交通省へ1992年以降の欠陥問題について報告が成されました。それによると、67件のクラッチ系統の破損があり、その中で死傷・火災事故が6件、自車または後続車の物損事故が15件あったとの事です。 もし、三菱が正しく対応をしていれば、この大半の事故は未然に防げていたでしょう。また、多分この数値は氷山の一角だと思います。実際には欠陥と疑いもせず、単純に部品を交換しておしまいになったものがこの数値の何倍もあるのではないかと思うのです。 自動車教習所などでは「アクティブセーフティ」と「パッシブセーフティ」という言葉を習うと思います。「自身が気をつけて交通事故を起こさないようにすること」と「事故をもらわないよう予測して運転をすること」をさしている訳ですが、自分がいくら気をつけていても、周囲の状況が突然変化をして事故につながってしまうことがある訳です。理屈の上からいえば、どんな突発的なことが起こっても、それを予測しておけば事故は防げるはずだし、防げるように車間などをとって運転することが義務付けられています。しかし、本当に「どんな突発事故も未然に防げるだけの安全マージン」を考えるなら、できれば三菱の自動車すべてに対して「走行禁止」を決めてほしいですね。 そこを走っている車からいつタイヤが外れて転がってくるか、プロペラシャフトが外れて転がってくるか、そんなことまで心配していたら道路なんか走れなくなっちゃいますよね。 実際に「三菱の車は走行禁止」なんてできるはずもないですが、それくらい重大なことなんだと分かっているはずなのに、どうして疎かにできたのかふしぎですねぇ。 明日は車で客先に出かけるんですけれど、三菱の車には要注意です。 受精卵診断をしたとして日本産婦人科学会を除名された神戸市の病院院長が、同学会などを相手取り、診断規制の無効を求める訴訟を起こしたそうです。 院長の話として、自分が診断を行った患者は遺伝性疾患や習慣性流産で悩んでおり、憲法の「幸福追求権」を楯に医療行為を選択する権利、子供を生む権利を侵害しているという主張をしているらしいです。 皆様におかれましてはどうお考えでしょうか。私が裁判員なら訴えを却下します。 院長としては、子供がほしいのにできない人に対して行っているのだという主張なのでしょう。何歩か譲って、この院長にはそれを判断するだけの高いモラルがあるとしましょう。しかし、その訴えに従ってそれを合法にするということは、そこまで高いモラルを持たない人まで合法的にそれを適用できることになります。みながそれを勝手気ままに運用し始めたらどうなるのですか。産み分けは認められるのでしょうか。 子供を生む権利とはなんでしょう? 大人になれば(時には大人じゃなくても)子供を作ることは可能です。ただ体質やさまざまな条件で子供ができにくい人もいらっしゃるでしょう。その人たちも子供がほしいと熱望する気持ちは分かります。どうにかしてあげたいという気持ちも分かる部分があります。では、例えば、子宮ガンで至急を摘出した女性の「子供を生む権利」はどこへ行くのですか。女性だからといって「子供を生む権利」がすべての女性に備わっている訳ではありません。体が弱くて泣く泣く出産を諦める方もいらっしゃるでしょう。子供を生むことは権利ではありません。絶対に。(そして義務でもありませんね。) いつかそれがナンセンスとなるときがくるのかもしれませんが、少なくとも私はまだそのときではないと思います。子供ができるかどうかを人の手に委ねるのではなく、コウノトリでもキャベツ畑でも良いですから、神様が運んでくるのを待つことに賛成します。 因みに、私ももともとは保父になりたかったくらい子供が好きです。しかし私には子供を持つ機会に恵まれませんでした。 時々産婦人科病院から子供を連れ去る事件があります。その犯人の気持ちが分かる気もします。町を歩くと子供をつれた夫婦と出会います。切なくなるくらいうらやましく思います。おなかの大きな女性、大事に付き添う男性。ともてうらやましい光景です。そう思いますが、決して自分に叶わなかったからという理由ではなく、たとえ自分がそうであっても、人為的にという事、産み分けるということに対しては断固反対だし、医師という人の命を預かる職業に関してモラルは高すぎて悪いことはないです。 この院長の、患者を助けたいという気持ちは分かります。が、それはミクロ的な狭い視野での意見でしかなく、広い視野をもって考えた場合、許されざる意見であると私は信じます。 広島県尾道市でパラグライダーが高圧送電線に引っかかるという事故がありました。 パラグライダーは今回初めて単独で飛んだという女性が操縦していたようです。ヘリコプターを使って消防署のレスキューが救助をしたようです。テレビで映像を見ましたが、意やすごいですね。鮮やかに救出しておりましたよ。消防のレスキューがこれだけやれちゃうと自衛隊の存在価値薄くなっちゃわないか心配です。 とにかく、無事でよかったとは思いますが、この女性引っかかっちゃった直後は何を考えていたでしょうね。送電線にパラシュートが引っかかり、自分は宙吊り状態。誰にどうやって助けを呼べばいいの?もしかしてずっとこのまま?もしかして落ちちゃう?とかさまざまなことを考えたでしょうね。救出されるまでの3時間半、とても長く感じたのではないでしょうか。うん、無事でよかった。
正直に言って7割方信じていませんが、テレビ通販で買い物をしてみました。 買ったのは「SBS クーヘンマジック フライパン」というものです。 今までこの手の番組を注意深く見ていると、大抵の場合は他社製品と比較実験をしているように見せかけて実は条件が違っていたり、それが製品の性能を示すことにはならないことをしながら言葉でごまかしているということが見えていました。 例えば洗剤。洗剤の能書きを説明した後「従来の洗剤はこんな程度しか落ちないけれど、この洗剤はこんなにきれいに落ちるよ」と説明しながら、他のところの汚れをふき取ってみる。「おいおい、同じところで実証しなさいよ。従来の洗剤が落としきれなかったところにその洗剤を使用して、ふき取れなかった部分がこんなにきれいになります」ってやってくれよ。そう心の中では思ってしまうんですよ。 洗剤についてはほぼ間違いなく眉唾ものでしょう。多少の効能は認められるかもしれませんが、そんなに明確な性能があるならもっと話題になるというか、市場を荒らしているはずです。 そして今回買ったこのパンもゾリンゲンの名前を関しているんですが、ゾリンゲンは刃物で有名なんですよね。私もゾリンゲンのぺティナイフを宝物のように持っています。個人的にゾリンゲンには車で言うところのフェラーリやベンツなどのようなステータスを感じています。その名前を汚さない?有名な名前を冠せばいいの?と思えてしまいますし、能書きを見ても、そんなコーティング聞いたこともないし、アルミ3mm厚の鍋なんて全然珍しくない訳ですよ。胡散臭い。これが正直な第一印象です。 でもね、ダイエットするぞと思った矢先に、テレビの番組中では油を使わずにこびりつかないという実験をされちゃうと、冷静な判断ができなくなるんですよ。これはかなり卑怯ですぅ。 値段も安いので、「だめだと知っているもん」と開き直りつつ注文をしてみました。 我が家には手軽に使う鍋・パンとしてT-FALのセットがあります。本格的な料理をするときのために、ル・クルーゼの鍋と業務用寸胴鍋、鉄製中華鍋、鉄製卵専用パン、銅製パスタパンなどがあるのですが、パンに関しては卵専用パン、パスタパン以外はあり合わせの適当なものを使っているというのが実情です。ここまで「信用ならない」と散々こき下ろしてきた通販商品ですが、できれば「いや、それは間違っていました。とってもすごいものでした」と謝ることができるのが理想です。是非そうあってほしい。でも、多分だめでしょう。複雑な気持ちです。
服飾デザイナーさんを見ていると、「天は二物を与えず」という言葉に思わず納得しちゃうことが多いです。
毎日ジムに通って少しずつ体を動かしているのですが、機器を使い始めるときに、その効能やセットの仕方の説明を受けたはずなのですが、しばらく惰性で使っている内に正しいやり方を忘れてしまっているものがあったようです。 機器に設定してる負荷(錘や空気圧)が軽いのではないかとインストラクタに相談をしたら、そのフォームをチェックされ、使い方が正しくないことを指摘されて判明したんです。 それは本当に些細な違いです。椅子の背もたれの位置が前過ぎて、膝に無駄な力が入る形になっていたり、負荷をかけて足を曲げる運動で、そこから先に曲げて初めて効果がでるのに、その手前で運動を止めていたり....とにかく数cm。そんな些細な設定の差で体に掛かる負担は何倍にも違ってきますし、本来負荷が掛かるべき場所に正しく掛からなくなったりもします。 改めて使い方を確認して、正しいやり方で運動をしたら、昨日までは「そろそろこの負荷にも慣れてきたよ」と思っていたのに、また筋肉がプルプル震えて、「もうこんな辛いのやりたくない」と泣きが入りそうな運動に逆戻りしてしまいました。 使い方を謝ると、本来の働きができない。 深いですね。ふとそう思いました。
あんまり書きたくないと言いつつ、書いてしまうんですけれど....
まずは、私も心配はしていましたが、「北朝鮮による拉致被害者家族連絡会」が小泉首相に発した批判的な言葉に対して、500件あまりの批判メールや電話が届いているそうです。 小泉首相が訪朝し、5人の子供を連れ帰った後の会見で、聞くに堪えない言葉ばかりがマスコミに繰り返し流れ、それを見れば確かに逆にこの会に対して批判をしたくなるだろうなと思えました。一昨日asahi.comの報道に対しても、本当に言ったことなのか、それともasahi.comが捻じ曲げたことなのかという疑念を明記したのですが、この会も「その苦言を言う前に感謝の言葉はきちんと言っている」と釈明しています。 報道とは公平な立場に立った上で、自分のスパイスを効かせるものじゃないかと思うのです。今現時点でのマスコミは唯の野次馬で、都合の良い様に事実を捻じ曲げ、面白おかしく垂れ流すだけといわれても仕方ないんじゃないですかね。マスコミに対して規制をする法案だのがかなり批判を浴びています。それは政治家が自分のみを守るためだけを考えた法案だからでしょう。でも、実際に先に書いたように、報道とゴシップを分け、ゴシップは規制する必要があるのではないかと私は思ってしまうのです。 「規制をかけるのは自由に対する侵害だ」と叫ぶ人もいるでしょう。しかし、自由とは、自分の責任で自主的に規制をかけることのできる人だけが享受できるものなんじゃないですかね。誰にでも自由があると思うから、責任ももてないのに好き勝手をする人が出てしまうのでしょう。 新破産法が衆院で可決され来年1月からの施行を目指すことになりました。 既存法では自己破産をした人が、手元に残すことを許される金額は21万円のみでしたが、これでは、新生活をするのは大変と、新法では99万円まで拡大されました。しかし、今まで免責されていた、刑事事件や交通事故での損害賠償や子供の養育費は免責されないことになり、単純にカードを使って遊びすぎた結果としての自己破産者には優しくなりましたが、家族が事故を起こして被害者も家族も亡くなってしまった残された家族や、家族が多額の借金と子供を残して失踪したような場合にはとてもつらい現実が待ち構えることになりそうで、これは本当に弱者救済を考えた新法なのか私には甚だ疑問です。 東京都千代田区の宝くじ売り場から宝くじ4400枚を盗んだ男が逮捕されました。 4400枚を盗んだのに、当たったのは8万円ばかりだったようです。 当たった金は換金して遊びに使ったらしいですが、「たった」8万円遊ぶために前科一般ですか。おバカですねぇ。ちょっと不謹慎ですけれど、まぁ、こういうほのぼのした事件もあって良いでしょう。
F1、面白かったですねぇ。それに比べ、一昨日からあちこちのテレビで放送している、拉致疑惑の家族の訴え。あれは申し訳ないけど耳障りです。その人たちは必死なんでしょうけれど、イラク人質事件の時と一緒。身内の人はどんな犠牲を払っても戻ってきてほしい。どんなことをしてでも取り戻したい。それしか見ていません。たとえ、それが国策と合致していなくてもです。 味に関しては、私的には10点満点中の4点位でした。ま、こんなものでしょう。 ただね、パーコーの入った袋なんですけど.... 「めんの具」.....「めんの具」.....何度書いても変ですよね。「ラーメンの具」ならわかります。「めんの具」があるなら「スープの具」もあるのでしょうか。どういう意味なんでしょう。 あぁ、気になって今夜は眠れない....Zzzz.....
先にも書きましたが、拉致被害者およびその家族の「暴言」には耳を覆うものがあります。asahi.comなどを見ると、北朝鮮から5人が帰ってきたのは自分たちが団結して努力したからであって、政府のおかげではないとでも言うかのような論調の言葉が並んでいます。私は本当に耳を覆いたくなるような話が多いので、画面に特に安否不明の方の家族が出てきた場合すぐにチャンネルを変えてしまいますので、本当にこの人たちがそのようなことを言っているのか、それともasahi.comが捻じ曲げているのかは分かりませんので、これに関しては、かかわりたくないし、あまり書きたくないと思うのです。 ただね、帰国した首相に向かって「プライドがない」だの「失望した」だの、よく言えるよなぁと思ったし、自分の事だけに目がくらんで、周りを見渡す余裕すらなくなっているだろうと哀れには思いましたけれどね。 蓮池さんにしても「うれしさはありません」と言われたのに、いやいやながら子供と再会して、いやいやながら一緒に生活をする羽目になってしまったようですね。本当、そんないやな事を強要する日本政府はひどいですね。そういうことなんですよね? 以前にも書いたことがありますが、若かりし頃の私は身長176cmで体重が48kg、ウェストは一番細い部分で56cmという感じでした。東京に出てきた年には腰から下を後ろから写すからと「パンストのモデル」にスカウトされたこともありますし、新宿辺りに行けばゲイの方から良く誘いの言葉をいただいたものです。 しかし年は流れて幾星霜、そのころの面影はまったくありません。その当時のプロポーションを取り戻すのはいささか無理がありすぎますので、「ちょーでぶ」から「でぶ」あわよくば「太目のおっさん」に変身できないかと思い、今までいい加減に通っていたジムで、ほんの少しまじめにトレーニングをし始めました。 ダイエット日記を書くというのも考えたのですが、ま、私は気分屋ですのでいつやめちゃうかもしれないし、あまり実際の数値を公表もしたくないしという訳で、大変アバウトながら、一応数日前からがんばっていますからねという事だけお伝えしておきます。今すでに、腕の辺りでは落ちていた筋肉が戻ってき始めています。筋肉がつくことで、脂肪が燃焼できると良いんですけれどねぇ。もし、経過が良い方向へ進めば、途中経過をお話しするかもしれません。悪い方向へ進んだ場合は「は?そんなことあった?」と惚けるでしょう。 ただただ、「トレーニングをしているのね」と思っていてください。決して「どうなった?」とはお聞きくださいませぬよう。
FIFA100周年記念イベント「ブラジルVSフランス」見ました?
足寄町の無職の男が、本別町にある建設会社から11トントラックを盗み、八雲町で発見され警察車両70台とヘリコプターに追跡を受け、約8時間をかけて650キロを逃走し留辺蕊町内でガス欠寸前の車から飛び降り畑に逃げ込んだところを逮捕したそうです。 逮捕の直前、同乗していた男の友人の女子高生が助手席から飛び降り、頭を強く打って重態との事ですが、そのスケールともども、まるでハリウッド映画みたいですね。それにしても都会を通らず(通っていたとしたら、そこで封鎖されるなり、渋滞にあってつかまっていたことでしょうから)に650キロも逃走できるそのスケールにもびっくりしますけれど、「本別?うんうん、八雲?うんうん、足寄?ほぉ、留辺蕊?そっかそりゃすごいね」とそれぞれの町の位置も景色も全部浮かんでくるし、逃走ルートが何種類も浮かんでくる自分ってすごいなと思いましたよ。 あ、留辺蕊って読めます? 「るべしべ」ですよ。念のため。
私はF1を生で見たいがためにスカパーと契約をしています。ところが何ヶ月か前にアンテナが倒れたまま、直っていないのです。以前このまま契約を解除しようかなんて話も書いたと思うんですけれど、いまだ踏み切れず、見ることもできないものに数千円を支払い続けています。もったいない話です。 前回のF1は、何気なく日記才人かテキスト庵のリストから日記を拾い読みしていたら、そぶりも見せないタイトルだったのに、放送を見る前にスカパーで生中継を見たらしい書き込みがあって、結果を知ってしまいました。深夜にされる放送を見ていては、翌日の仕事に差し支えるけれど、録画して翌日見ようと思えば、本当にあちこちでその結果をリークしていやがります。特に今年は日本人ドライバー佐藤がいるので、F1なんか取り上げそうもない番組までがうるさかったりするので閉口しちゃうんですよね。以前には、CX自体がF1放送直前のスポーツニュースでF1の結果を流すなどの暴挙を何度かやっていましたし、すごい名レースだったと興奮した友人が電話をかけてきて、興奮のあまり結果を言ってしまったこともありました。 このように、結果を知ってしまうと楽しめない派の私にはなんとも腹立たしかったんですよ。私は自分が見るまで、誰からも結果を教えてほしくありません。ですから、ほかの人よりも早くはありませんが、世界中の誰にも負けない速度(生中継)で中継してくれるスカパーは必須なんです。それがない今、私はどこからどんな情報がリークされるかわからないので、F1が終わるまで極力パソコンに触らないようにしています。テレビも消しています。ついこれを書いちゃっていますけれど、このおかげで結果を知ってしまったら本当悲しいです。ということで、次にパソコンを触るのは日付が変わったころになるかと思います。 ゆめゆめ結果を知らせてあげよう等とは思いませんように....
多分、今日は「小泉首相、北朝鮮へ行く」の話題で持ちきりなんでしょうね。
この雑記を書き始めた頃に書いた事。 「(いわゆる)ウェブで文章を書いているなら、攻撃されることも覚悟の内に入っていなければならない」今でもその気持ちは変わっていません。これは物事の本質であって、そうあって欲しいという希望的な事項ではないからです。 どんな人が読むか分からない場所で、全ての人に門戸を開いているなら、思っても居ない意見をもつ人とぶつかることもありうる訳です。中には「個人のページだから不愉快な書き込みはやめて」とか「楽しく会話をしましょう」という「希望」を規則の様に書かれているページを拝見することもありますが、どこまでが「愉快」で、どこまでが「不愉快」になのか明確な基準がある訳ではないのが困ってしまいます。 例えば作者が「私はこう思った」と書いたことに対し、掲示板で「それについてこう思う」と別の意見を言っただけで非難されることもありますし、「私はこれを買った」と書かれ、更に「どんな事でもいいから情報を求む」とあるので「それはこんなところには良いけれど、こんな欠点がありますよ」と書いてみたら「あなたはこれが嫌いなんですね。私はこれが好きなんだから放っておいて!」ときれていた人も居ましたし、「私はこんなことをしました」という日記に対して、その人は「そんなことをしたんですか。(ご苦労様でした)」と書いたはずなのに、作者の方には(ご苦労様でした)が見えず、「なんか、私悪い事した!?」って怒ったり....あちこちを覗いていると、かなり多くの揉め事が主観の相違、常識の違い、読解力不足に起因しているように思います。 明確な基準を引けない(その日その時の気分や誰の発言かで許容量が変わる)作者自身が判断基準である訳ですから、掲示板やメールの書き手はその範囲を超えないようにすることは、まぁある程度は出来るでしょうけれど、確実ではない訳ですね。 本来常識とは万人が共通で持っている認識である筈ですが、例えば「味噌汁の味噌はなに?」と聞いたら「赤味噌」「白味噌」と分かれるし、「では、出汁は?」と問われたら、「あご出汁」「かつお出汁」「昆布出汁」などとやはり分かれるでしょう。「味噌汁」という概念では常識として通じても、材料については、常識は自分(及び限られた地域)にしか通用しないものに成り下がってしまいます。それはあるところでは相手が、あるところでは自分が「常識知らず」になってしまうことを指しているのです。ご理解いただけますか。 同じ事を見ても、人それぞれの環境などによって、受け取り方が違います。常識が狭い範囲でしか通用しないから、不特定多数の人が文章を読んで受け取るものも様々でしょう。 そんな例に拠らずとも、物事には表裏があり、人のとり方によってどちらにも取られる事がある。そして、10人寄れば10人の意見がある。(1000人寄ったら1000通りの意見がある)という事を理解しないと駄目という事なのでしょう。自分は表のつもりで言った。けれど、それを裏ととる人が居る。更に書いた文章が言いたかったことを、ある人は、その文章のある部分から全く別の意味に解釈し、全く違う主張を読み取ってしまった。こんなことは良くあることです。そういう事を理解したら、「不愉快な発言はご遠慮下さい」って言うのが、実は自分が不愉快な(に見える)発言をしているということに気付いて欲しい.... 偉そうに書いてごめんなさい。私自身、他人の揉め事(?)を見てそう思いますけれど、多分に自分に降掛ってきたら、正しく対応できるか甚だ疑問です。ま、ひとつの客観的な意見という事で..... 最後ではありますが、これは、最低限度の常識の通じる人(話し合いの価値がある人)同士の意見のすれ違いという事に対して書いたものである事を明記しておきます。
市民が、法定刑に死刑や無期懲役を含む重大な事件の審理に参加する裁判員制度が参院本会議で可決されたようです。 これの趣旨が良く分からないんですよ。「開かれた司法」という事なら、裁判の公開などを推し進めれば言い訳で、なにも市民を巻き込む必要はないんじゃないかと思います。 例えば、オウム真理教のアサハラショーコーが審議の対象なら「審議の必要なし。死刑」で全員一致するかもしれません。が、多分、そんなことは許されませんので、これはかなり長い時間がかかる審議になるでしょう。それを「重大な事件に関わることが出来た」ととるか「面倒に巻き込まれた」ととるかは本人次第ですが、健康上の理由で辞退が出来るのは納得が出来ますけれど、仕事が忙しいも辞退の理由になるなら、多くの人がお断りするんだろうなと思ってしまいます。 大体、開かれた司法を目指すなら、もっと弁護側をどうにかするべきではないかと思います。前にも書いたことですが、人を殺した事件では、鸚鵡(おうむ)の様に「心神喪失状態で」と繰り返すバカさ加減はいい加減にして欲しい。興奮状態にあったか、追い詰められていたか、とにかく極限の状況であったから殺人を犯した。それは分かっています。御幣はあるけれど、その殺人の「正当性」が認められるかどうかを審議するわけで、心神喪失だから無罪とか、そういう長引かせる工作をする弁護士を解雇できる手段を作る方が余程開かれた司法、迅速な裁判に貢献することになると思います。いかがなものでしょうね。
テレビでは様々な料理番組が放送されています。
北朝鮮に小泉首相が行き、拉致被害者の家族を引渡すよう交渉する。その中には米軍から脱走したとされる人も含まれている....
三菱ふそうは、小型トラック(オートマチック・ガソリン車)でエンジン始動直後に回転数が上がりすぎ、ブレーキを踏んでも動き出したり、止まらなかったりする恐れがあると17日、国土交通省へリコールを届け出ました。
16日午後4時頃、浜松市常光町の天竜川の川原にあるモトクロス場でモトクロス大会が開催されていたのですが、この参加者や見学者67人が増水した川に行く手を阻まれ、中洲に取り残されてしまいました。人はヘリコプターやボートを使って救助されましたが、車は取り残されたままだそうです。
実際にどちらが先なのか分かりませんが、私にとっては最初に「明治おいしい牛乳」ありきで、後に「森永のおいしい牛乳」が出てきました。 この二つの似通った名前の牛乳について、どちらがおいしいかを比較したら私は「明治」に軍配を上げます。森永の1000人試飲キャンペーンに参加していたら、5人のおいしいとは言わなかった方に入るかと思います。このキャンペーン、「他の牛乳と比べてどちらがおいしいか」ではなく、単に「明治おいしい牛乳」を渡して「おいしいかまずいか」をきいたという訳ですが、余程ひどい牛乳を渡されなければ「まずい」という人はそんなに居ないんじゃないですかね。といいつつ、私はおいしいとは言わなかったと思いますけれどね。「水っぽい。味が平坦で牛乳としては弱すぎる。水を飲んでいるみたいでおいしくありません。どうか、北海道の興部牛乳、別海牛乳、富良野牛乳、そして新潟の塚田牛乳と比べてみてください」とね。 私が牛乳を選ぶ条件は、第一に「低温殺菌であること」です。 高温殺菌をされた牛乳がどんなにおいしくても、それは作られた調整された味であって、本来のおいしさではないと思っているからです。 牛乳を130度以上の蒸気の中を通過させてしまうだけで、牛乳は別の味になります。この高温殺菌は単に「手軽に手短に殺菌が出来る」という業者の都合と、元をただせば、戦場の兵士に供給するため、味はどうでもよくて、完全に滅菌して長期間保存できることを目的に開発された殺菌方法でしかないのです。確かに悪影響のある菌は全滅しますが、それ以外の全ての菌が死滅してしまいます。これが味の変わる原因であると思いますが、そんなものを飲んでも体のためになるとは私は思えません。低温殺菌は、65度前後で30分以上の殺菌が必要です。手間も掛かるし、容器などに牛乳がこびりつくため清掃も大変です。それでも、この方法では悪影響のある菌だけを死滅させるので、味はより本物の牛乳に近くなります。 確かに今回の「明治おいしい牛乳」はおいしいです。しかし、一生懸命努力をして低温殺菌牛乳に近付いただけなんですよ。まぁそれでも、出先などで低温殺菌の牛乳が手に入らない場合にもおいしいと思える牛乳が出来たことはうれしい限りです。 それにしても「おいしい牛乳」とはベタな名前だなと思いましたけれど、追随するメーカーもあるんですね。ま、「おいしい」も「牛乳」も商標登録は出来そうにない言葉なので、こんなこともありだとは思いますけれどねぇ。どうせなら全社が「おいしい牛乳」を出して競ってくれたらいいのにと思います。
経営再建中の三菱自動車に対して、三菱グループが2500億円の追加融資を行う計画であると、以前ここにも書きましたが、それについて特定非営利活動法人「株主オンブズマン」が「株主代表訴訟を提訴することも辞さない旨」通知したそうです。 〔(スウェーデン) ombudsman+(英) person,「代理人」の意〕 市民が行政を監視、告発することは大切なことと思います。けれど、三菱は行政機関ではなく株式会社です。株式会社ですから、株主の意見で会社は動きます。けれど、第三者には全く関係ない話ですよね。 この「株式オンブズマン」は会員を随時募集しており、その会員を支援する形で訴訟を辞さないと突きつけているのですが、これってどうなんでしょうね。私には騒動屋、クレーマー、たちの悪い強請り屋。総会屋。そんな言葉が次々と出てくるのですが....
佐賀県が市民オンブズマンに開示した93年度食糧費文書から怪しい記録が次々と見つかっているそうです。 曰く、11月31日日付の懇談会報告。1月24日の懇談会資料が17日に提出されている。年間189回の懇談会報告書などなど.... これは、佐賀県だけではないでしょう。全国の役所に蔓延していると思います。 多くの公務員の方は「われわれは監視されているから無茶は出来ない」といいます。けれど、実際にはかなり無茶しているんですよね。「残業も出来ないし、給料も安いから」「どこでもやっていることだから」と出張費や接待費の水増しや捏造はごく普通に行われているようですし、民間企業では考えられない「手当て」があれこれあるようです。本当、呼吸するのにも手当てがついているんじゃないのかと思えるほどです。私には優遇されているように思えますよ。これは、感情論ではなく、私が仕事で国、都道府県、市町村の役所の人たちとお付き合いをして、多くの人に感じたことです。 今回、93年度の報告でこれだけの無茶が発覚しました。 この責任をどのように取るのでしょうか。10年前にさかのぼって、みんな返還ろというのですか。それでは対応が遅すぎると思いませんか。10年経てばもう時効だろうということなのか、時効ではないにしろもう追求は出来ないだろうと考えているのでしょうか。でも、それでは市民(国民)は納得しないでしょう。翌年には(又はリアルタイムで)「間違いなく公平に正しく行政を行いました」と胸を張って開示できる体質作りが必須なのではないでしょうかね。 前出の「株主オンブズマン」は、株式会社じゃなく、このような役所に向かって吼えてこそ効果があるんじゃないですかねぇ。ま、それにはそれのオンブズマンが居るのでしょうけれどね。
最近、富に体脂肪や体重が気になってきたので、体脂肪計付きの体重計なんか買ってみようかなと思い立ちました。そういえば香取慎吾が宣伝していたのが面白そうだったなぁと思いながら、yodobashi.comを覗いたんです。目的のオムロンの体脂肪計付き体重計のページを表示させた途端目に飛び込んできたのは...... 「機能で選ぶ体脂肪体重計」えぇ、僻みだと分かっていますけれどね、私の目には、「で」「ぶ」のひらがな2文字だけが鮮明に飛び込んできましたとも。「でぶ?」「でぶ体重計?」「なんじゃこりゃー!!!!」って感じでした。腹立つなぁ。ぜってー痩せてやる。 で、結局、購入はやめました。緊急動議を発動して稟議を通過させるまでもないでしょうということで、のんびり小遣いをためて買うことにした次第です。
JR大阪駅中央改札口付近で、男性二人が口論となり、ひとりが持っていた催涙スプレーを数回相手に吹き付けました。吹き付けられた人とその周辺に居た11名が目やのどに痛みを訴え病院に運ばれ、スプレーを吹き付けた男性は、駅員に取り押さえられ、曽根崎署が現行犯逮捕したそうです。 うーん、これ、私はYOMIURI ON-LINEで見たのですけれど、この記事を見ても良く分からないんですよ。(切れていたらごめんなさいのリンク) 護身用に販売されている、護身用スプレーを使ったら「現行犯逮捕」ですか? それは、他の人に迷惑の掛かる場所で使ったから良くなかったということですか? その相手と二人きりになるところまで行ってから使えば良かったということ? それとも、使ったら逮捕するから、たとえ殴られても使うべきではなかったと? 「?」ばかりが並んでしまいます。 使ったら現行犯逮捕されるなら、そんなものを何で売っているんでしょうか? 使用したのが女性でも現行犯逮捕されていたんですか? ほら、また「?」が。 催涙スプレーを使うって言うのは、身の危険を感じたからじゃないですかね。それとも、単にこの男がヒステリーを起こしてさっさと使ってしまったんでしょうか。 「護身用」として販売されているスプレーを、身の危険を感じて使用したら逮捕されたとは洒落になりません。その辺りの関連が分からないと、これから護身というのも安易に出来ないですね。はっきりと報道して欲しいと思います。残念ながら、状況が全く分からないこの記事は10点。赤点です。 それとね、記事とは全く関係ないですけれど、テレビで「昔、瓦版のことを読売と言っていました」って宣伝していますけれど、そこから読売新聞って名づけたんじゃないですか? それを今更新しく発見したように言われても「へぇ」はひとつもあげられないんですけれど....0点です。出直していらっしゃい。
次々と政治家の年金未納が明らかになっていますが、年金の徴収、個人情報の管理を担当しているのは社会保険庁であり、建前としては「個人情報はきちんと管理されており、第三者に漏れることは『ありえない』」としているのですが、実際には週刊誌などがすっぱ抜いており、どうも省庁内部から漏洩している可能性もあるとの事で、その対応に頭を悩ませているようです。飯島首相秘書官も「個人情報が本人の承諾なく週刊誌などに漏洩しているのは問題だ」と怒りの発言をしたとか。
映画「CASSHERN」の興行収入が20億円を超える勢いだそうです。 紀里谷和明初の監督作品でこの興行収入は「すばらしい才能」と誉める文章もちらほら拝見いたしますが、果たしてこの映画のクレジットに「宇多田ヒカル」の名前がなかったら、どれだけの興行収入を得られたでしょう。さらに「宇多田ヒカルの旦那」というタイトルがなくても、この映画の製作話はあったのでしょうか。 2000年のベストドレッサー賞に普段ジャージしか着ていない(マラソン選手の)高橋尚子が選出され、とても奇抜な格好ででてきて「何でジャージしか着ていない私が?」と言ったのをまだ覚えていますが、兎に角話題のある人を起用して、その話題に便乗して売り上げを伸ばそう、注目してもらおうという姑息な手段が蔓延していますが、それって本当に情けないですよね。そんなことをしているから、いつまで経っても権威、威厳、伝統が出来ないんです。 日本の映画は本当につまらない。熱烈な映画ファンからは反論があるかもしれませんが、いつ潰れてもおかしくない斜陽産業の最先端みたいな日本映画界は、ごく一部のマニアを満足させても意味がないでしょう。今まで映画に見向きもしなかった人を振り向かせて、映画館に足を運ばせなければならない。だからと言って、他力本願で話題がある人を使って安易に映画を作るから、いつまでも「映画の面白さ」じゃなく「人様の人気」に左右されるものしか作ることが出来ないんですね。 何が一番悪いかって、安易な脚本、無理なストーリー。兎に角、脚本家をどうにかしてくださいよ。なんで日本でそんな簡単に拳銃発砲シーンが出てくるんですか。でてくるとしたら、もっと銃の存在感をリアルにしてくださいよ。俳優を海外に連れ出して、本物の銃を撃たせるなり、見学させるなりして、銃を撃った反動がどうなるのか位理解させてください。マグナムを片手で撃つなんて不自然すぎ。リボルバーなのに何十発も撃てるって言うのもね。そんなことだけじゃなくて、ストーリーに必然性がない脚本って多すぎませんか。どうしてそこでそんな展開にならなければならないの?って思われたら負けでしょ。ありえないドラマを作るにしても、そのありえない状況の展開の中での必然性って言うのは絶対に必要です。でも、実際には突拍子もない事をするけど、その必然性が全くない。そんなことなんでしなくちゃいけないの?と疑問に思ってしまう。そして、余計なことをした結果、無駄な騒ぎが起こって、「なぜ」が解明されないままただ派手に騒ぐだけ。そんな脚本がまかり通っているから映画はつまらないんです。そろそろ、脚本にもっと金をかけて欲しい。いや、金の問題じゃなくて、まともな人が書くまともなすんなりと納得のできるストーリー。必然性のつながるストーリーの映画を見たいものです。 俳優が誰だから、○○が話題だから、という他力本願的な人気ではなく、映画が楽しいから。という理由で映画を見ることができる日を絶望的な気持ちで心待ちにしています。
奈良県大和郡山市の業者が3年前から売り出している「大仏さまの鼻くそ」というお菓子が、東大寺の「耐え難い」という異議申し立てを受けて取り消されたそうです。 大仏さんはそんな些細なことで腹を立てますかね。寺社の対応としてはいかにも俗物的で、鼻の穴いや、尻の穴の小さい対応ですね。そんなことで異議を申し立てるのは修業が出来ていない証拠と思いますし、そんな異議申し立てで、商標を取り消す方も何を考えているのかと思います。 しかし、逆に考えて見れば、今までは「大仏さまの鼻くそ」はこの業者しか使えなかった訳ですが、これからは「元祖大仏さまの鼻くそ」「本家大仏さまの鼻くそ」「これぞ大仏さんの鼻くそ」「本物そっくり大仏さまの鼻くそ」などの名前をどの業者でも自由につけられるということですから、どうか業者の皆様に於かれましてはがんばって欲しいと思う次第。
分かりきったことを書きますが、年金未払いに対しては二種類あります。「意識して支払わなかった」か「意識していなくて支払えなかった」かです。
夕張メロンの初せりで、「秀」の2玉についた落札値段が42万円だそうです。 今回の初せりでは「特秀」の玉はありませんでしたが、糖度は15度前後と甘いメロンになっているらしいですが....1玉「にじゅういちまんいぇん」ですよ。6等分に切って、その一切れを更に6切れに分けたとして36切れ。一口で食べちゃう1切れが5,833円。ま、庶民には縁のない世界ですね。 因みに、北海道(少なくとも夕張付近)では、シーズンオフの直前は5玉300円くらいで投売りされていますね。私はそれでいいです。はい。
一昨日の「常識とは」と似たような話になりますが、最近「CPU」とパソコン本体を称している表示を見かけます。 CPUというのは"Central Processing Unit"(中央演算装置)の略であって、IntelのPentium4などをさす言葉です。所謂パソコンの本体にはMother Board(マザーボード:それぞれの部品を取り付ける基板)にCPUやHDD、CD(又はDVD)などを取り付けて筐体に納め、それにOS(Operating System)を入れることでパソコンとして動くものになっている訳です。その筐体の中にあるさまざまな部品の中から「CPU」のみを名指しして表示するのはなぜなんだろうとすごく疑問です。 私は、これは単に「パソコン本体」と称すればいいんじゃないかと思うんですよ。 同じようなものに、ちょっと趣味の世界ですけれど「レコードプレイヤー」があります。 LP(EPでも)レコードを再生するためのアナログレコードプレイヤーですが、例えばYahooのオークションなどでは「ターンテーブル」というカテゴリになっています。 実際には、ターンテーブルとは、レコードを載せて回転する部分のことを言う訳で、筐体にこのターンテーブルとトーンアームを取り付け、トーンアームの先にカートリッジをつけてひとつのレコードプレイヤーが出来ます。厳密に言えば、これに電源や針からの信号を拾うリード線なども必要ですけれどね。 兎に角、これらを総合して、「レコードプレイヤー:レコードを再生するもの」という名前だと思っていたのですが、いつの間にか「TurnTable:回転台」が代名詞になってしまったのはなぜなのでしょう。いや、確かにレコードプレイヤー全盛の頃には、「砲金ドライブ」とか言う、何十kgもあるターンテーブルにインシュレータとトーンアーム取り付け台座だけをつけたようなレコードプレイヤーが発売されていましたけれど、そんなのは稀な例なんですよね。 私が利用している、ACR WEBのアクセス解析ですが、改めてじっくり見たら変です。 アクセス解析の中で「OS別」という項目があるのです。別にどんなOSで実に来ていただいても構わないのですが、折角ある項目ですので、少し前から表示させているんです。で、先にも書きましたが「OS」とはOperating Systemの略で、これは機械(ハードウェア)じゃなくてプログラム(ソフトウェア)です。WindowsXPとかWindows2000とかSystem7.1とかそんな奴です。で、上図を見ていただくと.....項目の下から二番目に「Mac_PowerPC」ってあるじゃないですか。これはなんでしょうね? 私は最近のMacは知らないんです。私が使っていたのはQuadra700/LC475/ClassicII/PowerBook550cでした。家族用に初代のiMacがありましたが私は全然触っていないので、新しいのは知らないんですけれど、兎に角私がMacを使っていた時代のMac用OSはSystem7でした。そしてCPUが680x0からPowerPCに変わった後は「OS8」「OS9」「OSX」となったんじゃないですか。それが正しいとしたら、この「Mac_PowerPC」ってなんでしょ。それはOSじゃなくてCPUの種類でしょ? はにはに?状態です。いや、本当に私はPowerPC以降はMacは殆ど知らないので、どなたか教えていただければ本当にうれしいです。どうかよろしくお願いいたします。
昨日行ったD.I.Yショップは改装に伴う「閉店売り尽くしセール」を開催している訳ですが....
母の葬式などの間に、更新が滞って削除されてしまった「Lunaticの絵心」ですが、とりあえず再開しました。宜しければご笑覧ください。 http://www.kissnet.ne.jp/fs/diary2/diarys.cgi?cat=1586lunatic
「軍は関与していない」という上層部と、「上から命令されてやった」という当事者。そして、「アメリカがこんなことをするはずがない」と言う大統領。 滑稽な状況ですね。個人主義の一環として、まず「自分に非はない」事を証明するというのが責任の擦り付け合いに見えて本当に滑稽です。そしてかわいそうなのは虐待の当事者であるイラク国民でしょう。イラクにとっては、誰がしたかではなくて「アメリカ(と英国)がした」という事でしょ。その辺りを無視して、責任転嫁をしている。そして報復として米民間人の首がはねられたら「あれがイラクの本性だ」というそのアメリカの国民性に疑問を持ってしまいます。被害者の親が「悪いのはイラクではなく、アメリカだ」と言ったのはちょっと痛快でした。 このままベトナム戦争の時の様に、米国内の戦争反対運動で撤退を余儀なくされるということはあり得るのでしょうか。ブッシュは、とりあえず反米勢力を虐殺してでも根絶やしにして、そしてフランスなどが握っていた石油利権をアメリカのものにしてしまえば、あとはイラクがどうなろうと興味はないでしょう。イラクに傀儡政権を作る時とは、もうイラクで甘い汁は吸い尽くした。そういう状況になった時という事なんでしょうね。 人質問題が解決した今こそ、日本は自衛隊を撤退させる最後のチャンスだと思うのです。 アメリカの後ろ盾が必要であるということは理解できますが、今までだって派兵をせず、その他の部分で協力をしてきた訳ですね。言葉でどんなになじられようと、派兵は絶対にしないという方向に戻って欲しいものです。ま、今は無理なんでしょうね。一度自衛隊の駐屯する基地が攻撃され、何人、何十人が死なないと、撤収という答えは出てこないのかなと思います。しかし、それでは遅すぎると思いますよ。テロには屈しなかった。そして海外からの批判にも屈せず、勇気ある撤退をして欲しいと思う次第。
朝食はきゅうりとゆで卵をトーストに挟んで食べました。お供は牛乳と珈琲とオレンジジュースにお水。これはもう長い間私の定番です。オレンジジュースはTropicanaのオレンジジュース ホームメイドタイプ。がぶ飲みしたいのですが、パックにも書いてある通り、呑みすぎは体によくないので一日2杯以内に抑えています。 昼食は、昨日買ってきた食パンとアスパラ、そしてチキンナゲットそしてウーロン茶とビーフコンソメそして水。 朝と似たメニューなので飲み物は適当に変えてみました。そしてそれが失敗でした。ウーロン茶をおかわりしようとピッチャーを取って注ぎ足したんですけれど、飲んだものは....ウーロン茶の香りとビーフコンソメの塩味のする気持ち悪い飲み物でした。はい、間違えてビーフコンソメにウーロン茶を注いでしまったみたいです。ま、今日のビーフコンソメはインスタントだから諦めも付くけれど、自分で作ったコンソメだったらもう落ち込んでいたでしょうねぇ。こんなことをして捨てるために作ったんじゃねぇ!って。インスタント万歳ですね。 毎回違うメニューじゃないと食べたくないという人もいらっしゃいますが、私はどちらかというと朝食に限っては、できるだけスタイルを変えたくない。毎日同じメニューで良いと思う方です。そりゃ時には飽きるときもありますけれど、できるだけ同じようなメニューの中で些細な変更があって、飽きずに食べるというのが理想です。昼食や夕食はそれなりに毎日違うものを食べているのですから、おなかも頭も動いていない朝は、緊張しなくても食べられる「いつものやつ」が良いって、やっぱり私は単純にできているってことなんでしょうかね。ま、甘んじてその言葉を享受いたしますけれどね。
あるところに「ヒホン」というくにがあり、国民の象徴「天ちゃん」一家は、三人の子供が居たんです。天ちゃんの世継ぎである長男「皇ちゃん」は、みんなの愛に支えられて、すくすく育ちました。 皇ちゃんも良い年になり、そろそろ結婚を考える年になったのですが、国民の象徴である天ちゃん一家ですから、嫁になればそれこそシンデレラストーリーそのものです。さぞや引く手あまただろうと思ったのに、いざ蓋を開けてみたらちょっと話が違っていました。なぜって、皇ちゃんは雅ちゃんにぞっこんだったのですから。 「ねぇママ、パパ。ぼくちんは雅ちゃんと一緒になりたい。」 「そうだねぇ。じゃあプロポーズしておいで」 「うん。明日にはプロポーズして、明後日には結納さ。だって僕は天ちゃん一家の皇ちゃんだもの。断る人なんて居る筈ないさ。」 そして翌日、皇ちゃんは雅ちゃんの前に立ちはだかって言いました。 「雅ちゃん。僕が君をお嫁に迎えてあげる。これで君はお姫様だよ」 「きゃー。うれしい」という言葉を期待していた皇ちゃんを待っていたものは 「いやよ。そんなの興味ないもん。」という信じられない言葉でした。 「どうしてさ。雅ちゃん。一世代に一人しかなれないお姫様になれるんだよ。ぼくちんのお嫁になれるんだよ」と詰め寄ります。 雅ちゃんは言いました。 「私は今海外の人たちとお話したりするのがとても楽しいの。皇ちゃんと結婚すると、いろいろ窮屈でしょ。私、お姫さまなんんか興味ないわ。そして皇ちゃんにもね。」 これには皇ちゃんもびっくりしました。帰宅してママとお話をしました。 「ねぇママ、信じられないよ。お姫様にしてあげるって言っているのに、どうして断るの、皇ちゃんと結婚できる人って幸せだってみんな言っていたのに、本当はそうじゃないの?」 「そんなことないわよ。皇ちゃんの奥さんになれるなんて幸せよ。そんなわからずやは懲らしめないと駄目ね。」 「ねぇ、ママ。どうしたらいいかな。ぼくちん、雅ちゃんと結婚したいんだぁ。」 「そうねぇ、だったら、勝手に婚約発表しちゃいましょ」 「さっすがママだね。すごいや。それはいいアイデアだ。これで雅ちゃんはぼくちんの奥さんだね。」 そんな会話があって、天ちゃん一家は勝手に「雅ちゃんと皇ちゃんが婚約」と発表してしまったのです。 次の日、皇ちゃんが新聞記者やテレビの報道陣を引き連れてやってきました。 「やぁ。ぼくちんのハニー。婚約発表をした感想は?」 雅ちゃんは近寄って小声で言います。 「何勝手なことしているのよ。このヴォケ。」 「今、雅ちゃんは気が動転しているので、うまく話せないようです。幸せですと言っているのです」 相手は仮にも国の象徴天ちゃん一家です。そこが正式に発表したものを「違います。勝手にされました」といって通る筈がありません。雅ちゃんは頭がいいので、瞬時にそれを理解して、表立っては言わなかったのです。それが雅ちゃんの苦悩の始まりだったのです。 天ちゃん一家の一方的な婚約発表から、もうとめる術もなく結婚の準備に入っていきます。家柄だけは古いですから、様々な儀式や習い事、風習などがあります。侍従や家族はみんな、実は雅ちゃんが皇ちゃんを好きではないこと。庶民の出の癖に嫁に来るのを嫌がった事を知っています。みんなみんなこの世界で生きてきて俗世を知らない世間知らずの人たちですから、天ちゃん一家にたてついた生意気なやつ。と雅ちゃんをいじめます。 雅ちゃんは、どうせ天ちゃん一家に入るのなら、自分の経験を生かして、海外の王様一家と交友を深めたりしたかったのですが、天ちゃん一家は「生意気な女は、子供を作っていればいいんだよー」と時代錯誤の風習を楯に外に出そうとしません。そしてやることなすこと意地悪をしていじめます。雅ちゃんは国の象徴である私がそれを公表する事はできないと一人で耐えるのでした。 時が流れ漸く子供に恵まれたのは、お世継ぎの男の子ではなく、女の子でした。周囲は落胆して、更に雅ちゃんいじめが激化します。 今、雅ちゃんは考えています。皇ちゃんは味方になってくれるけど、周りのいじめは陰湿だし、いっそのこと離婚しちゃおうか....でも、天ちゃん一家で離婚騒動があるとわかったらさぁ大変です。はるか西の国でアテナ姫ちゃんが離婚した後にも追い掛け回され、事故で死んじゃったんですからね。多分この国でも、離婚してもう天ちゃんとは関係ありませんと言っても、周りの人が放っておいてくれないでしょう。いや、それ以前に天ちゃん一家が「離婚されるなんて許せません」と言って、暗殺計画が進行するかもしれません。だって、天ちゃん一家は専用のシェフも抱えているし、専用の病院もあります。シェフが毒を少しずつ盛るもよし、健康診断だと病院に連れ込んで、注射器で血管に空気でも送り込んで殺してから、「突然の心臓発作で」とでも言えば分かりはしないでしょう。雅ちゃんはその状況を良く分かっているのです。だから本当は逃げ出したい。けれど逃げられない。だれか気付いてよ。この異常な一家の異常な振る舞いに早く気付いてよ。と願っているのです。 ....良く分からない話なっちゃいました。こんな話があったら怖いですね。
昨日の「車をお探しの方へ(ちょっと宣伝)」で ....是非一度HPを覗いてやっていただければ幸いです。と書いたのですが.... HPとは、多分ここではHomePage(ホームページ)をさしている言葉であって、HomePageとはTopPage、所謂先頭のページであり、多くの場合"index.html(index.htm)"というファイルがそれにあたります。問題のサイトは、トップページの下に8個のページを抱えており、HomePage(だけ)覗いていただいても、言いたいことは何にも伝わらないぞと思う訳です。 いや、まぁ、屁理屈の世界なんですけどね。「インターネットに接続する」とか「HPを見る」とか用法が間違えているような言葉が一般化している事に対して肩肘張っちゃっている訳ですよ。専門用語が間違えて使われている例っていうのはあれこれありますが、その専門の人が聞くとこっぱずかしいと思えるような使い方もあって、「そりゃちゃいますねん」と突っ込みたくなるってものです。ま、気にしないで聞き流してください。 そういえば、テレビの番組でV6のメンバー2人が、出題された言葉の意味を答えていました。「キャラメルマキアートのマキアートはどんな意味?」....それらは新しいカタカナ言葉という感じですから、知らなくても恥ずかしくないかなとおもいますが....それでもイタリア語などを知っている人なら「何で分からないの?」と思うかもしれませんね。 そして、その次の問題が「モノレールのモノとはどういう意味?」って奴だった訳ですけれど、これって問題になるの? モノがつく言葉にどんなのがある?の問いに「つけもの」って答えは「びゅーてほー」でしたが....でも、マジな話、高校くらいでMONO/DI/TRI/TETRA/PENTA/HEXA位は習いませんでしたっけ? 私は高校を卒業した人ならみんな知っていると思いました。 ....結局は自分の知識、常識がが「世界の常識」と思ってしまうという事なのでしょうねぇ。気をつけねばなりません。 常識とは「皆が身につけていなければならない知識や習慣」というものですが、人それぞれが育った環境など違う訳ですから、自分の「常識」が相手にも「常識」であるとは限らないんですよね。外国人相手なら最初から「違う」という認識を持ちますけれど、日本語が通じる日本人でも常識が違うって言うのは困った現象です。が、年齢や地域によってもかなり「常識」にばらつきがありますので、安易に「そんなの常識だろー!」と言う奴の方が「常識しらず」難じゃないかと思う次第なんですよ。だってね、最近は「死ぬほど殴ったら死んでしまうのは常識だろ!」って言うのさえ「知らなかった」という事件があるくらいですからね。事件にはリンクしませんけれど、最近はマジで、殴ったら痛いって言うことを理解しない人が居るんですよ。もう何を常識と言って良いのやら....
元大関の貴ノ浪が引退を表明しました。貴ノ浪関の相撲、結構好きだったんですよ。 「脇を締めてえぐりこむように打つべし....」じゃないですけれど、相撲も脇を締めてまわしを取られないように、相手に懐に入られないようにというのが基本だと思うのですけれど、まるで基本を無視して、相手を懐に飛び込ませて、肩越しにまわしをとるような相撲。当時の若乃花のような玄人好みする渋い相撲とは逆に、「こんなむちゃくちゃで勝てるはずがない」と思わせながら勝つ相撲というか、「あそこまで深く入り込まれたらもなす術がないだろう」と思わせておいてから豪快に吊り出すとか、兎に角手に汗を握らせてくれた人でした。 年寄株も手に入れ、今後は部屋付きの親方として活躍されるそうですが、果たしてどんな指導をするのでしょうか。「こらぁ 脇を締めろ。脇を!」「親方には言われたくないね」「いやまぁなんだなぁ....そのなぁ....」こんな会話になってしまわないことを、貴ノ浪II世の登場を心より祈っております。
我が家の電子レンジは15年ほど前に買ったものなのですが、まぁ至れつくせりってかんじですかね。解凍も出来るし、お任せで温めもできるし、とんかつも作る事ができますし、オーブン機能もパン焼き機能もあるんです。今時のレンジは1kw超の高出力と、スチーム機能までついて更にすごく進化しているみたいですが、このレンジも当時としてはすごかったんですよ。ま、カタログスペックだけはね。 肉に衣をつけて、薄く油を引いたバットとともにレンジで調理すれば、油を極力使わないとんかつが出来ますとか言われて、買った当初に一度だけ作ってみましたけれどね、なんというのかなぁ100円寿司の、いかにも機械が型押しした酢飯の上にアルバイトがネタの載せただけというのが見え見えというのと同じ感じで、肉は火が通っている。でも、衣は触っただけでぱさぱさと崩れ落ち、食感が悪すぎる。兎に角作ることが出来ますってだけです。冷凍ものの解凍も、専用の網みたいな皿に変えて、その上に冷凍物を置いて「解凍」ボタンを押すだけで解凍される筈なんですけれど、置き方をどう工夫してみても、お肉は一部に火が通ってしまいます。つまり使えない。最近は食品の方で「自動機能は使わずに、時間をきちんと指定してくれ」と注意書きが書いてあるものが多いので、自動温め機能も殆ど使いません。でも、冷凍ご飯の解凍とオーブン機能とパン焼き機能は良く使っているんですよ。 焚いてあまったご飯は専用のパックに入れて冷凍して保存しています。以前は冷凍して温めなおしたご飯なんてまずくて食べる気にならなかったのですが、そう言って無理に食べつくしていた結果が今の体型なので、まずくても我慢するしかないんですよね。ま、冷凍ご飯を使う場合は、丼ものにするか炒飯や雑炊などにして味をごまかしてしまいますけれどね。私は、冷凍したものと新鮮なものでは明確に味が違っていると思うのですが、皆様におかれましてはどう思われますか? パン焼き機能は結構便利です。ただこれをセットすると数時間はレンジが使えないって言うのは困りますけれど、回転皿の変わりにパン容器をセットして、分量の材料を入れて、タイマーをセットしておけば、朝起きたら焼きたてのパンですから、パン好きには答えられませんね。数年前に他社ホームベーカリーの取扱説明書を見る機会がありました。結構売れているメーカーさんのものだったのですが、ベーキングパウダーと水を如何にこね始めるまで分離したままにしておくかという材料の入れ方が、うちのとはかなり違っていて、「あ、これならうちの方が優れているね」と優越感に浸ったものです。ま、機械の性能ではなく、取扱説明書のおまけのレシピ帳の性能の問題なんですけれどね。 オーブン機能は、電気代がかさむんだろうなぁと心配しつつ、Pizzaを作ったり、お菓子を作ったり、料理を作るときに重宝しています。電気オーブンは温度管理がしっかり出来るので、お菓子作りには最適だとは思います。 さて、今日はPizzaが昼飯でした。 生地を捏ねて醗酵させるのは全部レンジがやってくれます。材料を放り込んでスイッチを押すだけですからとっても便利です。 出来た生地を延ばして、トマトとタバスコとバジリコで作ったソースを塗り、今日の具はたまねぎの粗みじん切りとじゃこと水で戻しておいたホタテ貝柱でした。ホタテ貝柱は初めての挑戦です。結果、もう二度としないです。だってね、ホタテの貝柱って結構値段張るんですけれど、Pizzaに入れたら味はチーズや他の香辛料に負けちゃうし、食感も分かりにくくなるし、もったいない感じがしました。じゃこはとってもPizzaにあっています。その歯ごたえもチーズとのマッチングも素晴らしい。 玉ねぎのトッピングは、私にとっての原点です。私の実家がある片田舎に遥か古(いにしえ)からピザ専門店があったのですが、そこのメニューは「コーンピザ(小)\300」「オニオンピザ(小)\300」という感じだったのです。友達がそこでバイトをしていたので入り浸り、それらばかり食べていた記憶があります。おかげで私は今でもピザは具があれこれ入って居るものより単品の方がすきなんですよね。 使っている機能はとても便利なのですが、もう15年近く使っていることから、そろそろ寿命も近いのかなと覚悟をしています。果たして壊れてしまった後はどうしたらいいんでしょうね。もうあんまりレンジにお金かけたくないし。1万円のレンジと1万円のホームペーカーリーを買っておしまいというのが正解かなぁ。でもオーブンほしい....
昨日も一昨日も行ったD.I.Yショップに今日も行ってきてしまいました。 昨日買い忘れたものを買うためなのですが、実はそれより、同じ敷地内の食料品売り場に入っているベーカリーのパンを食べたくてわざわざ行くのかもしれません。片道30分かけて寄り道しても行く価値のあるお店。ミシュランガイドなら★二つというというところでしょうか。兎に角、どのパンもうまいんです。昨日もあまり期待しないで買った小倉アンパンがとても食感が良くてうれしくなっちゃいました。そそ、日本人のパンといえばやっぱり小倉アンパンですよ。餡は粒餡ですよね。と思っちゃう訳ですよ。 兎に角、昨日まで外れたと思うものがなかったパン屋ですので、今日も行くのが楽しみでした。そして、行ってみたら今までとは違うものがたくさん並んでいたんです。様々なものを買いましたが食パンが焼きたてというので、それも買ってきたんですよ。 出来立てを早く食べたい一心で車を飛ばして帰りましたとも。 帰宅してから撮った画像ですが、どうですかうまそうな食パンではありませんか。本当にふわふわして(出来立てなら当たり前なんですけれどね)、おいしそうなんです。 ところがです..... なんということでしょう。パン屋からうちに来る間のどこかで..... 見てください。この食いつき様を。見るも無残に引きちぎられている姿を。 これはJAWSの仕業にちがいありません。 ....だってー がまんできなかったんだもーん!!
昨日書いた「ペットと人は同じか」について、愛犬家の「aさん」からメッセージをいただきました。許可をいただいたので転載します。 例えばペットが事故に遭って死んだとか、暴力を奮われて不具になった場合、人間は罰せられませんよね。これは飼い主にとっては許せない「犬猫軽視」です。はっきり言って私は自分のわんこが危害を加えられたら、加害者には殺意を抱くと思います。なのに法律上ペットは保護されていない。それには憤りを覚えてます。 さて、本題。 「aさん」もこのニュースに関しては飼い主に落ち度があるだろうと感じていらっしゃるようです。愛犬家の方から見てもそう感じるのであれば、私も心強い限りです。しかし、「aさん」の文章を読むにつれ、自分の文章はこのニュースの女性に向けたものではありましたが、もしかして、心ある愛犬家などにもけんかを吹っかける毒を含んでしまったのではないかと心配になった次第。 「aさん」の文章の前半に書かれているように、どんなにかわいがっていたとしてもペットは家族とは認められず(多分動産扱いだったと思います)、ペットを殺したり不具にさせた事は軽犯罪になってしまうのです。ペット飼っている人たちにとって、確かにこれは理解し得ない差別と感じるであろうと思います。私が「ペットは人じゃないんだから人並みに扱うなんて反対」と書いたときにはこういう状況は考えていませんでした。 ペットを飼う側から言えば、それが故意であろうがなかろうが、かわいいペットを死傷させたのであれば誠意を見せろ!目には目をだ。と思う気持ちは正当だと思います。特にそれが、ふられた腹いせにペットを殺してやるとか、いじめの一環としてペットをいたずらしちゃえとか、モデルガンやボウガンの標的にするという残虐な考えが支配していた場合には、軽犯罪で済ませるべきではないという考え方は至極まともだと思います。 でも、例えばペットが轢かれたという状況はどうでしょうか。これだって飼い主から見たら許されざる行為であることだと思いますが、犬のペットなら鎖がついているはずで、轢かれる状況は考えられません。猫の場合は鎖をつけておくことが尋常な状況ではないですから、どうしても車に轢かれる可能性は避けられません。しかし、それを予防する方法がないのですから、もう運に任せるしかないと思います。従って、車などに轢かれた場合は、それが故意でなければ飼い主側に諦めてもらうしかないんじゃないかなと思うのですよ。じゃあ、深夜だからと30km/h制限の道を100km/hで暴走していくような奴に轢かれても諦めろというのか!それじゃあ何キロオーバーまでなら許すんだ?と言われると、これまた泥仕合というか、どうしていいか分からなくなってしまいますね。 また、「aさん」の文章後半に出てくる、今回のニュースの被告となった獣医または病院が犬の治療をきちんとして居なかったのなら訴えられても当然だという件も確かにその通りだと思います。ただ、私は、医者が云々と言う前に、この女性が自分のひん曲がった愛情を正義だということに腹を立てていたので、そこまでは言及していなかった訳で、実際にはその部分はきちんと調べなければならないところだとは思います。そして、本当に手を抜いたりしていたのであれば、それなりの処置をするべきでしょう。 ただ、ペットであれ人であれ、それぞれに個体差があって、同じだけ薬を投与しても効き目が全然違うなんてことはざらにありますし、同じ手術をしても個体によって出血量も違えば何から何まで違ってくるのですから、その中で多少のミスが出てきてしまうのはどうしても仕方のないことだと思います。これは結果論では「ミス」でも、その状況では最善の策に思えたことというのも間違いないと言う場合も多々あるんじゃないですかね。そんな状況を無視して、結果論だけで裁判を起こされたりしたら、医者は怖くて治療なんか出来なくなってしまうのではないでしょうか。 治療のためには様々な選択肢があり正解は1つじゃない。としたら、今回のこのニュースの裁判は正しかったのでしょうか。それはそれで明らかにしてほしいものですね。 兎に角、人間の社会は高齢化が進み、ペットの存在価値や需要が高まっている訳で、犬や猫をどのように扱うのか法律的にもう一度見直す必要があるのではないかと思います。
関東近郊で車の購入などをお考えの方に宣伝させてください。 私の知り合いのお店ですが「MCH」というところがありまして、国産、輸入車メーカーを問わず、ほぼ間違いなくディーラーで買うより安く購入することができます。また、修理なども腕の確かな工場を抱えておりますので、車を出来るだけ安く購入したい、修理を安くきれいに仕上げたいと思う方は是非一度HPを覗いてやっていただければ幸いです。 MCH http://mch555.fc2web.com/
体中が筋肉痛になってしまいました..... 今日から、近くのD.I.Yショップが閉店売り尽くしセールをすると広告が入っていたので行って来たのですけれど、店に入ってすぐに、20kgはありそうな18段のレターラックを見つけてしまい、「売り尽くし」で、そこにある最後の在庫だったので、それからずっとカートに載せて移動する羽目になってしまいました。実はそのお店は初めて行ったお店で、中が結構広く、家の中で使うメモ用のホワイトボードとマグネット類、いつの間にかどこかに行って出てこないマイクロドライバーセットや押し込んで開放となるピンセットなど、コンピュータを分解するときにあったら便利な工具類などを買い込んだりしている内にあっという間に2時間以上経過してしまったようです。 カーとの上に20kgもあるような大きな荷物を置いているからでしょうけれど、カーとのバランスが悪く曲がるときにはかなり力を入れないと思ってもいない方向へ流れてしまうのです。二時間を経過するときにはもうへとへとになってしまって、会計を終えてから広い駐車場を移動するときにはもう勘弁してほしいとへばるくらい疲れ果てていました。 家に着いたら、開梱もせず一眠りしてしまい、今さっき起きたところです。もうね、右肩が燃えています。熱を持って、物凄くだるいです。はしゃぎすぎたかも....
9日「2倍の....」で衝動買いしたと報告した日清紡の「シャワートイレのためにつくった 吸水力が2倍のトイレットペーパー」ですが、私の中での結論が出ましたのでお知らせいたします。 結論から申し上げて、私の場合については「不合格」でした。 シャワートイレに最適化したというのは、お尻の汚れはシャワートイレが洗い流してくれるので、トイレットペーパーの役割は水に濡れたお尻の水分を如何に早く、如何に多く吸収するかという事が命題である訳です。 しかし、私は自宅にシャワートイレをつけて10年以上経過し、それに慣れております。ですから、洗った後のお尻はきれいなものという印象を持っていますので、水分を拭き取るトイレットペーパーの使用量はそんなに多くありません。ですから、このペーパーにしたからといって更に使用量が少なくなるということはありませんでした。その為、残念ながらこのトイレットペーパーでの優位性は証明することが出来なかったという事です。 私の感想として、最近シャワートイレに付け替えた人には効果があるかもしれません。今までトイレットペーパーで汚れを拭き取ることが常だった人は、シャワートイレに慣れた人より(多分)トイレットペーパーの使用量が多いでしょう。その人たちがこのトイレットペーパーを使えば、その厚み(エンボスによる錯覚か)に安心感を覚え、使用量は減るのではないかと思います。 ですから私は「シャワートイレ初心者のためにつくった 吸水力が2倍のトイレットペーパー」という名前にすれば良いんじゃないかなと思った次第です。 という事でこのトイレットペーパーのレポートを完了いたします。
昨日は母の日だったんですね。
今日テレビを見ていたら「犬への医療過誤と認め、損害賠償支払い判決」というニュースが流れていました。 率直に言って、私は獣医に上告をしてほしい。負けずにがんばってほしいと思いました。 実際にその獣医がどれくらいいい加減な診療をしたのかは、私には知りようがありませんが、今回の件は、医療ミスがあったかどうかではなく、この女性が犬を擬人化して虐待していたに等しいのに、その責任を医者に擦り付けていることが正義と判断されたことに憤りを感じているのです。 ニュースの情報やインターネットでの情報をつなぎ合わせて分かることは次の通りです。
いかがでしょうか。 「子供の様に育ててきた」と説明されていますが、人と犬は違います。人と同じように生活させるのは犬にとって虐待です。犬を犬らしく育てず、自分の都合に押し込め、自分勝手な思いで動物を育てているのは動物への虐待と考えてもいいのでしょうか。 9歳といういつ死んでもおかしくない老齢の犬に糖尿病になるような餌を与え、人と同じ様に育てるという思い込みに陶酔して、結果的に虐待をしたのは医者ではなく飼い主ではないでしょうか。 「犬の命も人の命も同じように重い」と主張するなら、その重い命を弄んだのは飼い主だと考えます。もし、医者の診断に不服があるなら、なぜ他の医者に連れて行かなかったのでしょう。犬は口が利けない。その犬がどんなに苦しがっているか一番分かるのは飼い主でしょう。自己満足のかわいがり方しかしないから、こんなこともわからなくなっていたのではないかと思うのです。 そして、最後の弁護士の考え方はとても危険です。 私は「ペットはペットであって人と同じにはなり得ない」という意見に一票です。 ペットを家族同様と思って暮らしている家族は多かろうと思いますが、そのペットが家族同様だと思うのはその家族だけでしょう。同じように考える人も居るでしょうけれど、それは自分もそうしているからという共感だけで、実際にそう思っている訳でもないし、その家族の隣近所の人は全くそんな風には思っていないだろうと思います。 犬をかわいがるあまり、家族と一緒だというなら、どうかお願いですから、自分又は自分の子供をペットと結婚させてやってください。ええ、内縁の関係でようございますよ。どうか、うちはこれ位ペットのことを家族と思っていますよと自慢してやってください。できないでしょ。だったら阿呆なことは言わないことです。 今回の人の様に犬を糖尿病に追いやったり、肥満や歯槽膿漏を患わせたり、ペット禁止の店内にペットを連れ込んで「これはペットではなく、家族です」と堂々と言い張る人、犬を放し飼いにする人など、ペットと人様を区別できない人はかなり増えていると実感しています。どうか冷静に考えてください。 一応言っておきますが、私は犬も猫も大好きですよ。特に犬に好かれるのには自信があります。今までにも「うちの犬は誰にもなつかない」なんて言っていた犬が初見で腹を見せるなんてことはざらにありましたからね。だからこそ、間違った自分都合のかわいがり方に嫌悪感を覚えるのです。お間違えなきように。 因みに、テレビに映った犬の写真に見覚えがあったので、捜して見つかったのが「これ」です。
ドーン・オブ・ザ・デッド.....テレビをつけておいたら、そんなコピーが流れてきました。これはジョージ・A・ロメロの「Dawn of the Dead(邦題:ゾンビ)」のタイトルじゃないの?と思って調べてみたら、5月にその映画のリメイクが上映されるんですね。
9日午前4時頃、愛知県武豊町の衣浦港岸壁から3人の軽乗用車が海中に転落したそうで、この車には高校二年生の男が3人乗っており、前部座席に居た二人は脱出しましたが、後部座席に居た一人が逃げられず水死したとのことです。 テレビのニュースでは、運転していた高校二年生の男は(当然ながら)無免許で「運転の練習をしていた」と答えていると報道しておりましたが、なんと言ったらいいのでしょう、そろそろ報道で取り繕うのは辞めたらどうだろうと思うのです。 自動車の免許が取れるのは、満18歳になってからで、教習所には、その半年前から通えるんですよね。高校2年生で車の練習をしていたってどんな言い訳でしょう。無免許で車を乗り回していたって事ですよね。住所から地図を見てみると製鉄所など工場の集まる工業地帯のようですから、単にそこにたむろして車を乗り回していただけなんじゃないですか。 ニュースで「乗用車と原付スクーターが接触。スクーターに乗った少年死亡」なんて見出しがあって、「またいたましい事故だな」と思ってニュースを良く見ると、原付バイクに「15歳の子供」が「三人乗り」をして起こした事故だったとか、「乗用車がカーブを曲がりきれず激突」というニュースを良く見ると、「無免許」の少年少女「6人」が一般道で「100km/hを超える」猛スピードで壁に激突した事故だったとか、そりゃどう見ても「暴走」またはそれに順ずる行為じゃないのかと思える事故が多いのです。 この類の人たちの命を特別に軽んずるつもりはないのですが、少なくともまともに運転をして、それなりに安全運転を心がけていた人と、未熟な腕も省みず、自信過剰に迷惑を撒き散らした挙句の事故を起こした人を同列で語るのはいかがなものかと思ってしまいます。「若いクソ野郎が暴走した結果、人様に迷惑をかけて死んじまったよ」とまで言うこともないでしょうけれど、ごく普通に運転していた人と、無免許や暴走の結果事故を起こした人を同列で扱ってしまっては、事故に巻き込まれた人がかわいそうです。どこまでが一般の範囲で、どこまでを暴走と判断するのかは難しいですが、暴走の部分は一般と区別して報道してほしいと感じませんか....確かに「法定速度を超過して走る人も暴走じゃないか」という意見を言えば、目くそ鼻くその世界になって殆どの人は「暴走」をしているって事になってしまいますけれどねぇ....
先日、トイレットペーパーについて書いたのですけれど、今日買い物に行ったら日清紡の「シャワートイレのためにつくった 吸水力が2倍のトイレットペーパー」というものを見つけて、つい衝動買いをしてしまいました。 買ったときは、そのタイトルを見ただけでの衝動買いだったのですが、帰宅後、その能書きを見てみました。エンボス加工した紙を二枚重ねにしていることで吸水力を上げているらしいです。まぁ、能書きより早速実験.... 使ってみた官職は、エンボス加工されている紙の凸凹の凸部がくっついているらしいのですが、見た目も、触った感じも、厚い一枚の紙のようです。私は男なので実際には良く分かりませんが、もしかしたら生理用ナプキンの薄型がこんな感触なんじゃないの?と思ってしまうくらい私には違和感がありました。それ位今までにない感触だったということです。その感触の違和感の為に、本当に通常のトイレットペーパーより給水するのか確かめるのを忘れてしまいました。レポートはまた後で....(恥)
これから梅雨の時期が来ますね。雨の中の通勤、たまにならいいですけれど、毎日だと鬱陶しいものです。本当は、その時期に書いたほうがいいのかもしれないですけれど、最近は日傘を持つ女性も多いようなので、ちょっとした「へぇ〜」を披露させてください。 「傘は、柄を外側に向けて腕にかけると、人に迷惑をかける度合いが減る」 列車の中など混雑するところで、腕に傘をかけて雑誌を読んだりしている人が居ます。腕にかけるとき、柄を内側にまわすか外側にまわすかで、傘の石突の位置が微妙に変わり、人にかける迷惑の度合いが違ってくるんです。 まぁ小難しい理屈は理系の人に教えてもらえばいいでしょうけれど、傘を腕にかけると、柄の上端が梃子の重心となって、重い方(傘のある方)が下を向く訳です。ですから、柄を外側に向けておけば石突は自分の方へ寄ってきます。石突を自分の足元にでも接地させておけば人に迷惑をかけることはないのですが、これが柄を内側に向けておくと、傘全体が外側に傾き、近くの人の服をぬらしたりするんですよ。 日傘は雨に濡れている訳じゃないし、そんなに汚くないと思う人が居たら、どうぞ自分の部屋にもって行って、日傘を抱いて寝てみてください。それが出来る人は、友人にも試してみてください。日傘をさしている間、排気ガスの煤煙や埃などを堆積させています。洋服は毎日の様に洗濯をしますが、日傘は殆ど掃除をしないのではないですか。柄の長い日傘なら石突を地面についていませんか。そんなに汚くは見えないけれど、実はうっすらと汚れているものですから、雨傘と同じく、人に触れさせないなどの配慮が必要ではないでしょうか。 日傘(雨傘でも)を持って通路を歩くときなども、柄を外側に向けることを心がけておくと、かなり人にかける迷惑度合いが違ってきます。たったこれだけの事なので、自慢できるアイデアって程でもないのですが、列車の中で観察する限り、結構多くの人は柄のムキなど意識していない様に見受けられます。たったこれだけの事ですから、実行するのも簡単でしょ。意識していなかった人は、今度試してみてくださいね。そして、知っている人は「なんだそんなこと!」と読み流してくださいね。 当然ながら、隣の人と密着するような混雑状態では、どちらに向けても大差はないですからね。
先日の「トリビアの泉」で「日本刀とピストルどちらが強い?」という阿呆らしいけど楽しい実験をしていました。
6日21:45頃、東名高速上り車線で違反車を路肩に停止させて、パトカーから降りて違反車両の窓越しに話をしていたときに、後から走ってきたトラックにはねられて意識不明の重態となっているそうです。 車走っていると、あちこちで取締りをするところを目にします。 一般道路でも高速道路でも、警察のやり方は卑劣で、隠れていていきなり脅して止めるというやり方が一般的です。 確かに警察が目立っていたら、その手の違反者もおとなしくしているから、捕まえられないというのはジレンマです。あまりにも無謀な運転者を見ると「捕まってしまえ!」と思うのも事実ですし、先日大阪方面へ行ったときも、そう願っていた車が覆面パトカーに捕まっていたのを見て心が洗われる様にすっきりしたのも事実です。しかしね、パトカーなどが一般車両を押しのけたり、特別な権利を行使できるのは回転灯をつけている時だけです。そして、公務につくときは、回転灯をつけなければならないのではなかったでしょうか。最近は回転灯をつけないだけでなく、夜間の街中を無灯火ではいかいするパトカーもあり危ないことこの上ないんですよ。 無灯火で隠れて違反車を捕まえるより、ビカビカに光らせて目立つパトカーが切れ目なくどこにでも居る方が違反車は少ないって思いませんか。そんなのは不可能だって言うのは分かりますが、本音は違反車を捕まえて財源を確保しろ。でしょうけれど、建前は違反車を作らない。犯罪を未然に防止するって事なんでしょうから、卑怯な無灯火や回転灯消灯での徘徊はやめてほしいと思います。 高速道路では、多くの場合、サービスエリアや高速バス停留所の手前で速度の計測をして、サービスエリアや停留所に誘導して切符を切ることが多いですし、サービスやICの合流口に隠れていて、スピード違反車を見つけると出てくることが多いようです。ですから私はその辺りだけは常に注意をして、合流してくる道はその奥も見るようにしていますけれど、怖いと思うのは、一般道でも高速道路でも、ネズミ捕りをした後、違反車を止めるのは人が飛び出してきてやるんですよ。 140km/hで走っている車は1秒で38.39m進みます。80km/hで走っている車でも22.22m/secです。その車の前に「止まれ」って書いた旗だけを印籠代わりに「ひかえおろう」と飛び出してくるんですよ。命がけですよね。それも大抵、そういう違反車は追い越し車線を走っています。三車線ある一番内(奥)側の車線まで路肩から旗を振りながら出てくるなんて、走行車線を走っている人はさぞびっくりするでしょうね。突然の事にパニックになって急ブレーキをかけて、後と追突しそうになっているのを見かけたこともあります。多分、実際に事故になってしまったこともあるんじゃないでしょうかね。 以前、東京の環八通りの砧公園近く(ローカルな話でごめんなさい)で渋滞にはまっていたのですが、対向車線(蒲田方面)でネズミ捕りをしていました。信号待ちの間に先頭にはバイクが溜まってきます。信号が青になると同時にバイクは加速していくのですが、その先に突然「とまれ」の旗を持った警察官が飛び出してきたんですよ。とてもきれいでしたよ。それに慌てたバイクが数台見事に火花を散らしながらこけて、道を塞いだんですから。すぐに(逃亡した人が居たら追う役目の)白バイが出てきて交通整理をしていましたが、あれはひどいと思いました。バイクの修理代も数万円掛かるだろうし、怪我をした人もかなりいたと思いますから。彼ら(警察官)はそれでも「これは公務だ」「違反をするほうが悪い」と屁理屈を並べると思いますが、どんな理由であれ車道に突然飛び出してくるって言うのは如何なものでしょう。道路交通法を盾に取れば、歩行者が飛び出してきても、きちんと止まれるだけの安全を見込むのは運転者の義務です。確かにそうですけれど、車道に飛び出してくることは正しいですか。もし、それがまかり通るなら、私は明日から当たり屋やっちゃいますよ。それも警察車両相手専門にね。 今回の事故は、そんな飛び出しではなく、単に違反車両を停止させて、その車の横に行って切符を切ろうとしたときの事故だったそうですが、ここは一般道ではなく、高速道路なんだという認識が薄いんじゃないですかね。違反車を止めて作業を路肩でするなら、もっと目立つようにしなければならないのではないでしょうか。本来なら発炎筒を焚いたり、三角表示板を置くなどの処置をする筈なのですが、もしかして、それを怠っていたのではないでしょうか。もしそうだとしたら、こんなところに突っ込んで犯罪者にされてしまう人の方がかわいそうです。 高速道路は先にも書いたように、一瞬の間に何mも移動する鉄の塊が走るところですから、念には念を入れても入れすぎることはないでしょう。「慣れた事だから」「俺は警察官だから」と言うような根拠のない無責任な行動は迷惑です。きちんと念を入れて注意を下にもかかわらず事故にあわれたのであれば、それを教訓に、更に安全に作業が出来る教材としていただきたいと思います。 どうか慣れたことでも更に慎重に対応していただけますよう呉々もお願いいたす次第です。
ニュースとしては旬を過ぎていますが、4月1日より、松下電器産業からアルカリ電池より1.5倍長持ちするという「オキシライド乾電池」が発売されています。 テレビのCMで(私には何をしているのか良く分からなかったのですけれど)、アルカリ電池との比較でビルのあかりが余計についたり、省エネレースの車みたいなのが登場していますね。先ほど調べてみたら、そのビルは「アルカリ電池なら144枚しか取れないけれど、オキシライド電池なら314枚取れますよ」というアピールで、車はなんとオキシライド電池2本で動いているらしいです。どちらも新しい電池が長持ちですよ。すごいパワーですよと宣伝をしている訳ですね。乾電池としては1964年のアルカリ乾電池以来の新型電池という事で、今後シェアがどうなるのか注目されるところです。 純粋な消費者としては、この乾電池の様に既存のものと互換性があって、尚且つより便利になっているものは歓迎されるものだと思います。が、個人的にはとても複雑です。というのは、私は結構乾電池を使うんですよ。今は多少落ち着いていますけれど、カメラやストロボなどの機器類をあれこれ使いますので、旅行に行くときはいつでも電池を10本以上はカバンに詰め込んでいます。私の持っている電池がアルカリ乾電池であるなら、たとえ在庫を山ほど抱えていたとしても、新しい電池の登場に諸手を上げて喜ぶでしょう。消費しているうちに、いつかは新しい電池の恩恵に預かる事が出来ますからね。しかし、残念ながら私が保有しているのはニカド(充電式)電池なんです。えぇ、充電式も年を追うごとにより強力なものが出ていましたから、時代が変わっていくのは理解していますけれど、ニカド電池は500回位充放電を繰り返すことが出来ます。その電池を私は20本ほど持っているのです。つまり単純計算して電池を1000本持っているのと同じですよね。恩恵に預かれるのはいつだろうと思うと、ものすごくへそを曲げたいというか、いぢいぢしたいというか、素直に喜べないんですよ。あと半年早く発表していてくれたら、20本のうち12本は買わなくて済んだんです。今年の正月に買い足したんですからね。まぁ、こうやって、運が悪くて時代の波に取り残されることもあるでしょう。こういうものは立ち去る者(新しいものに乗り換える人)だけが美しく、取り残されたものは恋して焦がれて泣き狂うんです(中島みゆき調)....真理ですねぇ。
TBS系の「王様のブランチ」の中で東京のお勧め賃貸アパートみたいなのを紹介していました。全部が胡散臭いんですけれど、最後の一件には笑っちゃいました。 その賃貸アパートを契約した人だけが使える専用のテラスがあるということで、それはそれでいいのです。が、レポートするお姉さんが「昼は日向ぼっこして、夜は....星が見れるんだぁ」だって。まずね、「ら抜き」の言葉はやめましょうね「見られる」「見ることが出来る」と言ってください。それとね、三茶って立地条件で星を見るなんて殆ど無理ですからね。ま、オリオンとカシオペア、そして月と火星と木星くらいは見ることが出来るかもしれませんけど、他は殆ど見えないと思いますよ。東京の夜空に星があるなんて言ったら笑われちゃうんじゃないですか。ま、今年上京してきたばかりと初々しさをアピールしているのかもしれませんが。 テレビのドラマなどで主人公クラスの人が住む、いかにも生活感のない住処ってあるじゃないですか。カタログみたいにきれいなんだけど、こんなところに寝起きして、どうしてゴミひとつないんだよ。台所はいつもきれいに片付いているんだよ。いつ片付けているんだよ。というところです。うまい表現が見つからないのですが、雑誌やドラマなどを見て「都会の生活」にあこがれる人の中には、こんな生活感のない空間を好む人も多いらしいです。二件目に紹介されていたアパートは一見したら何もないワンルームなんだけど、壁を空けるとクローゼットで、別のところを開くとダブルベッドが出てきますってのが売りみたいでした。物を極力おかずに、布団は押入れに毎日片付けて、ベッドを上げ下げするのですかね。そしてドアになっている壁面が多いので、本当に物が置けない部屋に見受けられますけれど、本当にそれで便利なのかな。 確かに勢いって言うのがあると思います。「不便でもあこがれていたからいい」って言うのは、理解しない人には理解できないことですけれど、好きな人には我慢して当たり前みたいな部分ってありますからね。そういう部分があることが分かっているのであんまり「信じられないよ。何でこんなのが人気あるんだよ」ということは言わないのですけれど、なんと言うのかな、趣味の部分で「不便を楽しむ」のは趣味ですからいいんですけれど、「生活そのもので不便を楽しむ」というのは、それから逃れられない環境となる訳ですから、本当にそれでいいの?と思ってしまうのです。ま、好みの問題なんですけれどね。 本当、自分の趣味じゃないことに価値を見出すのは、面白いけど難しいことです。
こんなことを書きたくて、私は雑記を公開し始めた気がします。 最初は、北海道の旅行記などを誰に公開するのではなく、自分向けの記録として文章と写真と動画を取り混ぜて書き込めるのがたまたま「html(HyperTextMakeupLanguege)」だった訳で、それを使って人に公開しない形で作っていたんですけれどね。 この当時からずっと言っていることなんですけれど、野生動物とペットの違いをどうして区別しないのか、そしてそれを指導する役所がなぜないのか、私にはとても不思議です。端的に言って、農業や林業に従事する人の地位はとても低く見られています。農業や林業を疎かにする風潮が人を自然から乖離させることにもつながっていると思うのですが、兎に角、都会の人は「野生」「自然」にあこがれてはいるけれど、それへの接し方が分からず、家と同じ環境でペットに接するが如くになってしまいますし、田舎の人は「野生」「自然」とは「都会」の反対語として憎む対象であって、大事にする気持ちに欠けている。私にはそう思えます。 先の文章でも書いたことですし、事あるごとに書いていますけれど、「自然」「野性」とは人が手を加えないことです。 王様のブランチが始まる前のJNNニュースとやらで、千葉県のホテル風の抄でとんびに餌付けをしているとんでもないニュースをしていました。ホテルの言い分としては、下に漁港があってそこにとんびがやってくるから、そして、弱ったとんびに餌をあげたことから、餌付けを始めた。ということをらしいですが、とんでもない事だと思います。 もし、漁港に魚をとりに来るなら、とんびに魚を奪われない努力をするべきです。例え弱っているとんびが居たとしても見守るか、獣医に任せるべきです。そして餌付けをするというのは、もう野生動物への虐待でしかありません。 こんなレベルの集客しか考えないこんなホテルに営業許可を出す役所も、それを取材して注意をするでもなく客寄せに協力するテレビ会社もどういうものなのでしょうね。これが欧米なら、かなりの批判が上がると思うのですが、日本では批判もなく、逆に客が押し寄せることになるのでしょうかね。 私はこういうホテルや、そこにそれを目的に行く客などを物凄く軽蔑します。私にとってあなたは恥知らずです。どうか恥を知ってください。
国土交通省と農林水産省は今年度から、絶滅しかけているメダカやドジョウを守るため、河川や農業用水路での魚道整備を本格的に行うとの事です。 今までにも何度か私の雑記で書いてきましたが、基本的に国土交通省というのは頭でっかちの、あえて言えば、自然を知らない犬とライオンの区別もつかないような人が仕切っている訳で、河川が氾濫するならまっすぐにしてしまえ、水流が土手を削るなら側面も底面もコンクリートで覆ってしまえと目先の事しか考えられない「阿呆」な考えがまかり通っていたんです。河川は蛇行することで流れの強弱ができ、そこに適した生物が住み着く。川が氾濫することで汚れを押し流し、あたらに藻が繁殖し魚のえさとなる。さまざまな連鎖が自然の中で行われているということは小学校の理科の時間にならう筈なのですが、国土交通省へ入省する役人はそんなことを習ってもいなかった様です。 広い川に水門を作ります。そこで流れはせき止めるけれど、役人は得意になって言います。「きちんと魚道を作ったから、魚は堰の上下を行き来できるよ」と。でもね、広いにごった川の中で川の片隅に取り付けられた狭いコンクリートの魚道を魚はどうやって見つけるのでしょうか。人間が土手の上からみて「あれが魚道だ」と分かる程度のものを、魚がどうやって理解するのでしょう。魚が遡上してきたとして、その魚道を通って抜けられる魚は何%居るとお思いか。あまりにもアホらしくてまともに議論する気にもならない事を平気でいえるその厚顔無恥さ....いや厚顔ではなく、本当の無知なんだと思うのですが、それに呆れるばかりでした。 今回の件も水田などに生息する生き物には、河川への自由な出入出来る環境が必要なことを漸く認識するとともに、1970年代に急増したコンクリート製の水路や魚道などがまったく役に立たないこと、人間の都合だけで作られたことを漸く「暗に」認め、それを回復する作業を始めるということなのです。お役人以外なら、今から何十年も前に気付いていた事を、役人は漸く気付いたのです。本当に困りものです。そして、本当に困るのは、ここでは「漸く気付いた」と書いたのですけれど、本当は多分全然気付いていないだろうということなのです。それが大事なことと理解したのではなく、ドイツを中心とした欧米で、ダムや護岸工事に変わる自然工法が発達し、従来工法に取って代わっている。というニュースが漸くお役所にも届いたということなのだと思うのです。つまり、役所の連中は自分達で実験したり、自分達で実際に現地を見ることを潔しとせず、ただひたすら欧米の方を見てあちらでは何をしているか、それだけを見ているのです。そして新たに欧米で評価されることがあると、まるで自分がそれを見つけたかのように、それをするのが当然であると偉そうに言う訳です。本当にそれは日本の環境にあっているのか、それをすることでどんな影響が出るのかなんて多分考えていません。あっち認められたことなんだから間違いない。そんな感じだと思います。だから始末に終えない、質が悪いんです。 水路底面や側面の護岸コンクリートを撤去するか凸凹をつけてて魚がすめるようにする。魚道をもっと魚が通りやすく広くする。そうしなければならない事は役人以外には何十年も前から分かっていた事で、役人も分かっていなければならなかった事です。 ついでに言うなら、山の木を売るための伐採はやめて、林業従事者を保護育成し、間伐をしっかりしつつ、広葉樹の雑木林育成を進めましょう。今からでは遅いかもしれませんが、30年先、50年先を見据えたときの山の保水力整備はとても大切です。ゴルフ場やスキー場、住宅地などに乱開発された土地の回りでももっと土をつかんで保水する木々の植林をすることが大切です。日本はとても狭い国土しかないのですから、その中で全てを保護する訳には行かないでしょう。しかし、開発するべきところ守るべきところをしっかり決めて、計画的な開発、計画的な森林育成を国を挙げてしていく必要をもっと感じてほしいものです。 過疎の土地にダム工事をして労働場所を確保するというのが手っ取り早い票集めになるのは分かります。しかしそれは自然を破壊していくだけで、たった数年の労働場所を確保するだけのためにはあまりにも大きな代償を支払っているのです。目先のことしか考えない事業をするのは民間だけでたくさんです。どうして民間以上に目先のことしか見ない事業を国が行うのか、日本は本当に不思議な国だと思いますよ。これを機会に国土交通省と農林水産省はもっと連携して国土のことを考えてください。お願いします。本当、心のそこからの叫びです。
今から15年くらい前、私は東京の練馬区に住んでいました。前は区役所の近くに住んでいたのですが、仕事の都合で茨城に転勤となり、戻ってきたときには家賃の安い、当時は西武線が南北を分断して寂れた感のあった豊島園裏に引っ越したのです。この時の目的は、当時は豊島園始発で池袋まで直通の列車があったので、そこに引っ越せば通勤の往復とも座っていけると思ったからだったのですが、引っ越して何ヶ月もしないうちに、西武線の立体化工事に伴って、豊島園からの列車は隣の練馬駅までしか行かなくなってしまい、脆くももくろみは外れてしまったんですよね。
名倉さんの「プチ日記(Otearai Web コラム)」を拝見し、「Go smoking」というサイトを知りました。Netscapeでは正しく表示できないページもございますが、結構楽しく拝見いたしました。 私は過去に一度5年ほど禁煙をして、事情があって再開はしましたが、またタバコをやめて3年程経過しています。 タバコを吸わない人は「タバコの煙は有害だ」「臭い。匂いがつく」「飯食べてる横で吸うな」「嫌煙権がある」「迷惑だ」兎に角思いつく限りの言葉でタバコを吸う人を攻め立てます。 先のGo smokingの「Information」にも「嫌煙家の方からの貴重なご意見」というのが載っていますけれど、ここを見ても、残念ながら「傲慢」な意見が多いですよね。 今世の中では「嫌煙権」「禁煙」「No smoking」という言葉が大手を振って歩いています。でも、本当にそれは正しいでしょうか。 最盛期にはハイライトを1日4箱以上吸っていた私も、既にタバコをやめて3年が経過するところですから、目の前でタバコを吸われたら、とても臭いと思いますし、ご飯を食べているときにタバコの臭いがしたら食欲が減退しますし、人ごみの中で歩きタバコをしている奴、タバコの火を人にぶつけている奴、マナーを守らない奴、兎に角さまざまなタバコを吸う人に腹を立てることがあります。でも、彼らに「私の権利だからタバコを吸うな」といえるとは思いません。喫煙者には「喫煙をする権利」があると思います。 彼らが吸っているのは、日本が発売を認めた嗜好品である訳で、もし、それが不当に弾圧されるのであれば、例えば臭いという理由なら「くさや」を供する人や店、にんにくやラッキョウを出すお店、その他自分が嫌いな臭いを発するものも弾圧されるべきです。汗臭いとか脇の臭いが強烈な人も弾圧されたらいいでしょう。 個人がどんなに嫌いだ、健康に悪い、不愉快だと思ったとしても、それは嗜好品として合法的に売られているものですから、それを堂々と楽しむ事は認めなければならないでしょう。タバコは健康を害するから、吸わない人から隔離してほしいという意見は、それはそれで一理あるかもしれません。しかし、それならば、ただ「吸うな。迷惑だ」と投げ捨てるだけではなく、タバコを吸う人の権利を妨げることなく吸う場所をきちんと提供してから言うべきではないでしょうか。 嫌煙権とか、タバコを吸わない人というのはそんなに偉いですか。 タバコを吸っている人が先にいるなら、自分がそこに近寄らなければいいのに、自分の方が正しいと思い込んでいるのか、後から来て、さも迷惑そうな顔を喫煙者に向ける人を良く見ます。それは正しいですか。私は結構鼻が敏感なので、女性の(最近はたまに男性も)香水などの臭いがとてもきついのです。その人たちに嫌臭兼だと騒いだら理解して、臭いを抑えてくれるでしょうか。 タバコの煙が有害だと騒いでいる人は、当然ながら車に乗っていないでしょうね。列車にも飛行機にも乗っていないでしょうね。タバコなど全く比べ物にならないくらい公害を吐き出すあんな野蛮なものに乗らず、歩くか駕籠、人力車を利用していることでしょう。そして電気や水道、ガスも公害の元ですから文明を捨てて生きていることでしょうね。違いますか。 たとえば、山手線は(今はどうか知りませんが)新潟県の小千谷付近の山本山ダムというところで発電した電気をラッシュ時には引っ張ってきて電力を賄っています。山手線に乗っているだけで、自分のあずかり知らぬ数百キロ離れた新潟の人を発電に伴う公害で、そこから山手線までの送電線付近の人を送電に伴う電磁波で痛めつけているんですよ。どうしてそんな事が平気でできるんですか。今こそ嫌電権を合言葉に立てよ国民.... タバコは有害な物質を含んでいて、慣れていない人には臭くて、煙い。ということですけれど、そんなものは他に幾らでもあるでしょ。それを全く考えず、目の前にあるから嫌いだと叫ぶだけで、また周囲がそんな風潮だからと自分が正義であるかのように傲慢に振舞うのは正しいことでしょうか。私はそうは思いません。 タバコを吸う人には、吸う権利がある。 タバコを吸わない人は、タバコを吸う人を思いやる義務があります。 「気を使う」というのは一方通行ではありえません。お互いが融通しあって、気を使って楽しく過ごしたらいかがですか。私はそう思います。
ちょっと汚い話かも。お昼時にすみません。汚い系が苦手な人はパスしてください。 関東では二枚重ね、関西では一枚巻きのトイレットペーパーが主流だそうですね。 暫く前、テレビでそんな調査をしているのを見ていたのですが、関西のおばちゃんが「一枚のほうが二枚重ねより量が多いねん」みたいな事を言っていて、確かに二枚重なっているからと言って、それが破れないって保障ではないし、どうせならより長い物を買って、自分の好みの長さに折りたたんだ方が経済的かなとも思えました。 人様が最後に出すものって、粘度や柔らかさがさまざまなんですよね。トイレに入ったと思ったらすぐに用をたし終えて出てくる人も居ますし、なかなかでてこない人も居る。なかなかでてこない人の中には、出すことに時間をかける人と、拭くことに時間をかける人とその両方というタイプがあるようです。肉食系の人はころころとしたほとんど拭く必要のない物が出てくるみたいですし、草食系の人はその逆になるのかなと思います。 私はどちらかといえば草食系ですので拭き取るのに苦労をするタイプですが、家にはTOTOのウォシュレットがありますので、洗浄後の水分を拭き取るというのがトイレットペーパーの役目と言う感じですからトイレットペーパーはそんなに消費しないんですよ。だから一枚巻きの方がいいのでは?と余計に思った次第です。 全く別の昔のテレビ番組で、「トイレを楽しくする発明」というのがありました。それは簡単に言えば大きな糸巻きみたいなのを使ってトイレットペーパーを巻き取るというものでした。皆さんはトイレットペーパーを一度にどれくらい巻き取りますか?先の肉食系の人は30cmもとれば拭けちゃうのでしょうけれど(いや本当は拭く必要すらないというタイプの人も居るんですよね)、草食系の人は粘りますのでそれなりの厚さにしないとすぐに破れて困ったことになったりする訳です。私はウォシュレットがないと一枚巻きのペーパーで60cm位切り取るかもしれません。それを3〜5回折りたたんで拭き取るんです。で、ウォシュレットがあると、15cm位で済ませちゃうでしょうね。しかし、そのテレビで発明を発表したご家族は1回ごとにメートル単位を巻き取っていました。大人の手のひらくらいの幅に何十回もまきつけられたトイレットペーパーの束を使ってお尻を拭くのだと見受けられました。なんというか、確かに汚れたお尻に手がついちゃったら汚いですけれど、洗ったら済むんとちゃいますか。そんなに頑ななガード必要ですかって思っちゃいます。 うーん、皆さんはどれくらいの長さで拭いていらっしゃるんでしょ。教えてもいいよという人は、草食系か肉食系か、ウォシュレットのある時ない時(片方でも可)、そして1枚巻き換算でどれくらいかをBBSにアップしてくださいね....(匿名可。メールでも可) 兎に角、そんな訳で、先日からうちのトイレットペーパーは一枚仕様となりました。 結果から言えば、慣れの問題かもしれませんが、次回買うときはまた二枚重ねにしようかと思います。一枚と二枚で何メートルの差があって、どれだけ節約できるのか。使っているだけではあんまり実感がありません。先にも書きましたように、家のトイレはウォシュレットがついていますので、水分を拭き取るだけの最低の長さしか使わないのです。ですから一枚のペーパーを引き出して数回折って使うのも、二枚を(一枚の半分)引き出して折って使うのも、結局は同じ長さしか使わないのです。一枚は任意のところできることができますが、二枚重ねはミシン目で切るでしょうから、そこでも多少の長さの差はと思われます。その少しの差の繰り返しと、ロール自身の巻きの長さの違いの合計で後何回お尻を拭けるのか私には分かりませんが、私の感じるところでは、それは「数回」程度の誤差ではないかと思えるのです。つまり、どちらのペーパーを使っていても、トイレットペーパーがなくなって新しいペーパーに入れ替える間隔はそんなに変わっていないと感じているのです。ならば、より柔らかく感じる二枚重ねの方が私のお尻には優しく感じます。という結論でした。 皆様のトイレ考をお聞かせください。お待ちしております。
今日は書きたい事があって、もうひとつ書いていたのですが、登録の時点になってエンピツから「日記は原稿用紙20枚以内でお願いします」とエラーにされてしまいました。長いとは思っていましたが、今日はそんなに長かったですか。そんな訳で、今日かきたかったもうひとつの事は明日書くことに致します。 しかし、「原稿用紙20枚以内」って言われても、そんなのどうやって調べたらいいのでしょう。確か原稿用紙は一枚400文字ですから8000文字以内って事ですか。うーんこの辺りはMEMORIZEの方が許容範囲は広かったし、文字数を確認するツールもあったし便利でしたね。ま、書き過ぎですね。反省します。
先日、初めてユニクロで買ったポロシャツですが、今日「廃棄」を決定しました。 最初に着た時から袖の縫い目が当たって痛痒い感じだったのですが、洗濯を何度かすれば収束するかと思っていたんです。けれど、3度洗ってみても全然変わらないので、もう駄目と判断した次第。この手のポロシャツは素肌の上に直接着るものでしょうから、肌触りが悪くてはどうしようもありません。 残念ながら私と同じような体型の友人は居ませんし、雑巾にするにはすごく悔しい(\3,000の雑巾って腹が立つでしょ)ですから、もう見なくて済むように廃棄するのです。2度(合計3時間程度)しか袖を通していない黒のポロシャツ。ほしい人が居ればあげますよ....ただし、サイズはXLですけれどね。
私の悪い癖だと自覚しているのですが、例えば今「無性にカップ麺が食いたい」と思うと、普通の感覚なら、食べたいと思うカップ麺をひとつ買ってきて食べて満足すると思うのですが(又は食べないで我慢するという選択肢もありですね)、私の場合は「絶対に食べるんだから」と1ケース買ってきてしまったりするんですよ。
日記才人の「今日の投票数」ってのがあるじゃないですか。別にそれをわざわざ意識して調整するようなことはしていないのですが、「このレベルならこれ位見ろ」と言っているのか、それとも「これ位見てほしい」なのか分からない言い回しだなぁと思う程度に見ていました。まぁ、さまざまな日記を拝見するのは楽しいですし、楽しかったところには投票をさせていただいていますので、たまたま、今までは多くの日では、その穿った言い方をすれば「レベルに応じた強制的な義務」とも取れる投票数分くらいは投票をさせていただいておりました。が、この前レベルが上がったときから、それもおぼつかなくなっていたのですけれど、昨日またレベルが上がったというメッセージがでてきて、もう私の手の届かないところに行ってしまったという感じになってきました。つまり、わたしが「マイ日記才人」に登録している日記の数を「かなり」超過してしまっているのです。 さまざまな人の書かれる日記を拝見するのは好きです。さまざまな人の意見を見せていただくのはとても参考になります。自分と同じ意見であろうと、全く違う意見であろうと、良いと思うものには投票をさせていただきますし、お気に入りに登録した以外のところも見せていただいていますが、そろそろ、日記才人の指定している投票数は満たせなくなりそうです。ただそれだけなんですよ。 日記才人を利用されている方は多いと思いますが、皆様におかれましては意識されているのでしょうか。すごく気になるところです。
とりあえずGW終了で、今日から仕事に行かれている人も多いのでしょうか。何連休もした後に会社に出社すると、なんとなく集中力ってなくなりませんか。只でさえ、今日はGW中に出かけた人たちのお土産が大量に持ち込まれている状態なんでしょうねぇ。いながらにしてさまざまなお菓子を食べられるなんて羨ましい限りです。 私が若かった頃は、帰宅が毎日午前様なんて事も普通でした。なんというか、毎日残業の山を抱えて、家に帰ったらもう寝るだけって生活をしているのですけれど、仕事が終わると、ご苦労様と二、三日休みをもらえるんですね。で、体を休めてまた出社すると、次の仕事の仕様書が配られて、暫くは設計業務ということで本読みと設計作業が続きます。その間は殆ど残業がないんです。で、設計が終わるとまた地獄の日々が続くんですけれどね。兎に角前の仕事が終わって一段落して休んでいるときは、むさぼるように寝ますので何も感じませんけれど、次の仕事が始まると、まず仕事時間中が平和なんですね。ボーっと本を眺めていると終わる。そして定時になって家に帰るとまだ18時前。いつも寝るのは25時頃ですから、まだ7時間、まるまる一日の仕事時間分の時間が余っているんですよ。テレビを見ようにも、連続物のドラマは前を見ていないので全然話が分かりませんし、どんな事が今流行っているのかも分からない。あ、以前書いたのですけれど、「今何時?」とか「今日何曜日?」とか「今日何日だっけ?」じゃなくて、「今、何月なんだ?」とマジに聞いたのはこの頃なんですよ。 そんな生活に切り替わって、体の不調を訴えるときもありますし、それを乗り越えて、漸く体がのんびりになれてきた頃、また残業の毎日が始まって、その忙しさに体が悲鳴を上げるときもあります。 兎に角ね、私としては、その頃の経験で忙しいならずっと忙しく、暇ならずっと暇なのが疲れないで健康を維持できる環境だと思った訳です。そういう意味で、GWでちょっと中途半端に休暇をとって、GW終了後に急に通常業務に戻ると本当体壊しちゃいますよ。気をつけてくださいね。 え?そんなヤワじゃない? こりゃまた失礼致しましたっ。
大変失礼なことだと重々承知した上で書くのですけれど....
花王のASIENCE(アジエンス)というシャンプーとリンスを買ってみました。
オーストラリアのカンガルー島で、増えすぎたコアラをどうするか問題になっているようです。 もともとこの島にはコアラはいなかったのですが、昔持ち込まれた18匹のコアラが、天敵がいないこともあって大繁殖し22,000匹あまりに増えてしまったのだそうです。 このカンガルー島はとても狭く、これだけのコアラがいると餌であるユーカリの木がもたないため、20,000匹を捕獲してしまおうという計画が持ち上がっているということで、例の如く動物保護団体は言語道断とキイキイ言っているみたいです。 もし、これが日本だったら、カンガルー島に住宅地を作り、田畑を作ってそこに農薬を撒き散らし、更に観光ホテルを作って、コアラに餌を与えて餌付けをして「野生のコアラが来るホテル」なんて言って観光客を呼ぶでしょう。そしてユーカリの木をどんどん伐採して乱開発し、最後にはコアラを絶滅させてしまうのがおちですね。 オーストラリアでは、というより日本以外の先進国では、野生の動物とは何か、自然保護とは何かをきちんと理解しており、それを破ることはいけないことだと分かっている人が多いと思います。私の思うに、動物のことを分かっていない人、日本で言えば猫や犬をかわいがり、服を着せて擬人化して溺愛するタイプの人が「動物保護団体」に入るのではないかと思ったりします。ま、それは半分は冗談ですけれどね。 でも、動物保護団体の主張で、私が納得できるものは殆どありません。曰く「鯨の目がかわいいから捕鯨はするべきじゃない」「鯨は哺乳類だから捕鯨するべきじゃない」「犬は賢いから動物実験するべきじゃない」....ま、誇張したり、いい加減なものもあるでしょうけれど、捕鯨を禁止するなら、なぜ牛や鶏、豚を食べるのでしょう。また、生き物を食べるのは悪いというなら、なぜその人は植物を食べるのでしょう。生命の定義は何ですか。自分勝手な解釈をして自己陶酔するだけの社会の落ちこぼれが「動物保護団体」というのではないですか。いや、これも極論です。立派な動物保護団体もかなりあります。でも、多くの主張は視野が狭すぎるか、あまりにも犬畜生と人間を同列に扱おうとする意見であり、それなら人間やめたら?と言いたくなる意見で賛同しがたいということなのです。 今回の「コアラ虐殺」についても、このまま放って置けばユーカリの木が育たず餌がなくなる。日本のようにすぐに餌付けをするなどという愚かな「似非」動物保護はしないでしょうから、そうなったら絶滅するのが目に見えているし、そうなれば世界中から非難が浴びせられるでしょう。別にその非難が怖いからというのではなく、そうなることが目に見えているなら、間引いて、生きるのに最適な頭数で生きてもらおうということである訳で、確かに残酷ではありますが、至極まっとうな意見ではないかと思います。 要は今虐殺をするか、将来緩やかな飢え死にをさせるかという二択ですよね。今虐殺をしてしまえばある程度管理が出来る。しかし、放って置けば、すぐに取り返しの付かないことになる。そういう事です。間引きをしないのであれば、コアラの天敵をそこに持ってくるのがいいでしょうか。どちらも残酷です。しかし、無制限にくって太る人が惨めなように(ドキッ)、健康に生きるためには、どこかで自制をしなければならないし、自制が出来なければ第三者による制限が必要だということだと思います。
どこまでが本当で、どこまでが嘘で、どこまでが情報操作なのか分からない部分がありますが、イラクで米英兵によるイラク人への虐待があったのは事実のようで、それが組織ぐるみだったのか、それとも一部の心無い兵隊の暴挙だったのかという事で言い訳をしようとしているようです。
先日、イラクで人質となっていた郡山さんがテレビに生出演していました。番組の意図として、その前に行ったインタビューで擁護派と非擁護派に日本が真っ二つに割れているので、ここで改めて意見を聞きたいなどと立派な事を冒頭に言っていた割には、企画倒れで終わってしまったように思いますけれど、この番組を見て、改めて、郡山さんとその他二人は区別して考えた方がいいのではないかなという気持ちと、今世間で言われている「自己責任」とは何なんだろうという疑問が持ち上がってきました。 私は最初から書いていることですが、戦争などの危険地域で報道活動を続けることを使命と感じたり、名を上げたいと思ったり、その動機はどうでもいいのですが、自分が納得して危険地域にいくのであれば、その手の人は好きに行ったらいいと思っています。ただ、退去勧告を無視していくのだから、当然自分の身の回りに何が起こるかわからない。そういう事を親兄弟にきちんと納得してもらう事。そして、自分の見に何が起こっても受け入れること。私はそれが自己責任だと思っています。 現地で弾に当たって死んでも自分が望んでいったことの結果です。人質になって、政府が要求にこたえず殺されたとしても、それも望んで行った結果です。親兄弟はどんなに説得されていたとしても、やはりその場になれば泣き叫ぶし、無理とは分かっていてもどんな理不尽をしてでも助けてほしいと願うでしょう。でも、それをきちんと説得していたか、自分達がその危険を理解していたかということです。 彼は、自分が死ぬ覚悟はしていたから自己責任は果たしていたと言っていたように思います。しかし、自分が死ぬ覚悟をするだけではなく、きちんと親も説得してほしいし、状況を理解した中で、自分の自己責任の認識が甘かったことを謝罪してほしいとは思いました。もし、彼がまた危険地帯へ報道のために出かけるのであれば、今度こそ、何か会っても自分の責任ですと宣言して出発してほしいものです。 先日も書きましたが、本人が助けは要りませんと言っても政府は救出の努力はするのです。実際に助かるかどうかは分かりませんけれどね。でも、そういう覚悟を宣言するなり遺書でも書いて出かけることで、余計な人たちが騒がなくて済みますからね。本当、変な人たちが反戦だのに論旨を摩り替えて該当で騒ぐのはとても迷惑なことなんですよ。 残りの二人は論外だと私は思っています。 未成年は、自己責任という言葉の意味を理解していないみたいでしたし、自分の考えを理解できない人は愚かな人という感じでしたね。自分が一番で、理解できない奴はどうしようもない人たちだと見下している感じ。見ていて不愉快でした。でもね、マスコミも何の責任も取れない子供に自己責任とはなにかを聞くより、退去勧告の出ている国へ行かせる親の監督責任を問うた方が良いんじゃないかと私は思いましたけど如何なものでしょ。 もう一人の女性も成人だけど無責任ですよね。 あっちに残っていたのだって、自分はこんな状況でもボランティアしているという自己満足ですよね。わが身の危険を顧みずボランティアをしているということに陶酔していただけでしょ。大体が国内で誰にも相手にされないから国外に逃げて、そして国外で自分の相手をしてくれる人を見つけてボランティアごっこをしていただけで、実際には、彼女の方がボランティアされていたんですよね。なんかね、「危険な戦地で」「子供の為に」「ボランティア」なんてキーワードが並ぶとすごい献身的な人だと思うのですけれど、よくよくその活動内容などを見ると、どうも私にはそんな感じに見えるんですよ。 この二人にも自由はあるかもしれませんが、自己責任という言葉の意味をきちんと理解して、その上で自由を得るための義務を果たしてから自由を満喫してほしいものです。 テレビを見ていると、人質になっていた人たちに「こんな騒ぎになっているのにどう責任を取るのか」とか「危険な国へ行く事はなかったんじゃないか」とかそんな話を自己責任で語ろうとしているかのように見えます。 騒いだのは、彼らが人質になったという事実が発端ではありますが、マスコミが煽ったからであり、心無い視野の狭い平和狂信者が自衛隊撤退と便乗して騒いだからであり、人質の親が親の気持ちとして理不尽でも助けてと要求することを垂れ流したマスコミの無責任さに問題があったからではないでしょうか。 もうこのニュースは話題の端に追いやられて忘れ去られそうですが、「自己責任って何?」と、もう一度考えてみては如何でしょうか。
昨夜は、初体験という友人を連れてあるお店に行って来ました。
GWなんですねぇ。私は家から殆ど出ておりませんので、あまり実感はないのですが、集合住宅の駐車場を見ればいつもより車が少ないですし、テレビのニュースなどでも渋滞が始まったというような事が言われておりますから、今の時期は出歩いたら混雑を楽しみに行くようなものという感じですね。
どうせ同じ買い物をするなら、少しでも還元をと思い、最近は数千円のものでもクレジットカードで支払いをして、そのポイントを貯めているのですが、今回はそれが裏目に出たみたいです。 私は、家ではフレッツマンションタイプのVDSL、外ではDDIのAirH"で接続をしています。私の利用しているプロバイダはつなぎ放題で(今時当然か)、料金は安くて回線も安定しているのでとても重宝しています。ただ、私は勘違いしていて、私が申し込んでいるコースでも、家からの接続は無制限であるとともに、外からAirH"を使った接続も接続時間は無制限であると信じていたのです。しかし、現実は違ったようです。今月のクレジットカードの請求書を見ていると、なぜかプロバイダからの請求がありました。数百円の筈なのに数万円の請求なので「なんじゃこりゃー」とマツダユウサクになってしまった訳です。 改めて調べてみたら、AirH"などは5時間までは無料ですが、それ以降は5円/分の料金が課金されるとの事でした。さかのぼって調べると、どうも半年前から課金されていますね。私の方はすっかり「どちらでも無制限」と信じきっていたので、そんな事を全く疑っていなかった次第です。ですから、例えば家から客先まで車で移動するときも、車のシガーソケットにDC-ACコンバータをセットして、パソコンの電源を確保して、パソコンを立ち上げてAirH"で接続してから車を走らせたりしていました。メールが来たら信号待ちの間に見るとか、渋滞している間の暇つぶしという感じでした。だってつなぎ放題なんですから、そうやったって贅沢じゃないですよね....ところがこんなのが全部課金対象になっていたんですね。 兎に角、毎月届くクレジットの明細もあれこれ細かいものまで買っているので、明細行が多くチェックが甘くなっていたのもこれに気付かなかったのが悪いのですが、この半年で余分に請求された金額の合計が約9万円!! もし、これが有料だと分かって意識していれば、この金額は多分\0か多くても数千円で済ませられた金額だと思われます。知ってしまったらとても悔しい事ですが、知らずにいたらもっと悔しいことなので、ここで分かって良かったと思うことにします。そうです、これで労せずして月数千〜数万円も節約できるんですよ。なんと節約上手なんでしょう....ばか!
イラクに派兵している英国軍のイラク人への虐待を新聞がすっぱ抜きました。その報道に対して英国軍の(多分)お偉いさんがインタビューに答えていましたが、その人の名は「マイケル・ジャクソン」だそうです。ニュースを流し見ただけなので、そのマイケル・ジャクソンが実際にどんな立場の人なのか分かりませんでしたけど、すごい名前の人が出てきたものですね。ま、マイケル(みはえる・みけーれ・みかえる・みげーる....天使の名前でしたっけ?)もジャクソンもありふれた名前ですから、そんなに驚くこともないのでしょうけれど、丁度アメリカのマイケル・ジャクソンが少年への性的虐待について無罪を主張したときですから、まぁ注目もされますわね。 ええ、それだけですよ。それだけ。 リンク、引用はご自由に。画像は勝手に持ち出さないことを祈ります。 COPYRIGHT(C) Lunatic 2002-2010 |