The Green Hills of Earth

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2004年04月30日(金) (人質事件のこと) / 掲示板 / 三菱の決断

イラクの人質事件、その後はどうなったのでしょうか。ハイエナみたいにただ話題になること、視聴率の足しになることにしか興味のないマスコミは、もう話題性のなくなった人質だった人たちには目もくれず、だれが年金の支払いをしていなかったかに向けられています。

昨日、あちこちを拝見していて、片桐久仁彦さんの「Welcome! Welcome to my world!というページに辿り着きました。そのページの「お父ちゃんな日々」の4月26日に氏が愛読しているというメルマガの内容が転載されていたのを拝見した次第。その文章を私が勝手に抜き取ると、書かれた方の意見をも曲げてしまうかもしれませんので、是非、皆様もこのリンク先をお読みになって著者(井筒周さんと言われるらしいです)の書かれた事を自分なりに理解してみてください。ここでは皆様が自分でその文章を読まれたという事を前提にお話を書きます。リンク先を読まない場合、誤解を生じる危険性があることを重々承知してください。それは私の意図することではありません。

結論から申し上げて、マスコミや親の事については同意しますが、それ以外のところでは私とは正反対の主張をされています。私には、その文章は、個人レベルの話と国レベルの話というレベルの違う話を個人レベルの話の中で論じようとしているように思え、同意しかねるというか、米国に住んでいらっしゃるということでしたので、日本での状況が伝わっていないのではないかと思えました。

この文章の趣旨は「たとえそれがどんな人でも、その人の生命や財産を守るのが国の努めだ」と言うことなのだろうと思うのですが、まず、そこから私とは意見が違います。
勧告に従わず、自分の判断で行動をする自由や権利は間違いなく個人のものです。個人の生命や財産を守るのは国の勤めでしょう。しかし、それは無制限のものでしょうか。こう書くと話がややこしくなる感じがしますので、「日本国はどんな不可能な状態でも、それが成功するかどうかは別として、生命や財産を守る努力はしている。ただ、状況によってはその努力が実らないことがある。その確率は勧告に従わなければ飛躍的に跳ね上がるだろう」と書けば理解していただけるでしょうか。個人を助ける努力は変わらずしている。しかし、それが実る可能性の方が勧告に従わないと小さくなっていくだけなのです。
国の努めは「その努力をすること」であれば、充分満たしているではありませんか。また、これを「守らなければならない(絶対に生かし、財産を没収させない)こと」だと思っていらっしゃるなら、それは間違いだと私は思います。
勧告とは国が責任を持てる限界を示しているものだと思います。それを超えて退去しない人の為に大使館職員など、他の人の命が危険にさらされるとしたら、どちらの命が「守られるべき生命」なのでしょう。
勧告を無視してその国に滞在する価値を見出す人も居るでしょう。ジャーナリスト、写真屋など、そこに価値を見出す人であれば活動すればいいと思います。ただ、そこは戦地ですから突然命を落とす事になる可能性も高いです。助けが必要なときには努力はしますけど、保障は出来ません。でも、努力はしますよ....これだけのことなんですよね。

私達が普段、お隣の藤田さん、向かいの鈴木さんと言う感じで名前と顔を一致させて認識している個人のレベルを国が認識しているかというとそうではないでしょう。それはミクロ的な視野で見た一人一人の認識であって、国という立場では、もっと大きなマクロな視野で国民を塊として見る必要がある訳です。「国民の生命と財産を守る」というときの「国民」とは一億数千万の全日本人を指すかというと、私はそうではないと思います。
例えば高速道路の工事や空港の建設などでも(大多数の)国民が恩恵をこうむるために少数の土地を手放さなければならなくなる人が出たりすることは止む無しということと一緒で、マクロレベルでの「国民の生命と財産を守る」という言葉の「国民」という言葉には(より多くの)という言葉が隠と私は思うのです。今回の人質事件の場合は、「この人たちのために自衛隊を撤兵することはできない。多くの日本人を守るため、この人たちが殺されたとしても、それは仕方がない」という選択が容易にされたはずです。全ての人が一律に幸せになるなんてありえません。どちらか一方が不幸を被らなければならないとき、どちらに「財産を守る権利」があるのでしょうか。どちらにもあるし、どちらにもありません。さまざまな理由でより多くの国民の利益になるとの判断で不幸になる人が決まるのです。余談ですが、この判断が例えば「大臣の地元に有利になるよう」とか「大臣の懐が暖まるよう」という基準で成されてしまうことが多いので政治(家)に対しての不信が収まらないということですよね。そのような基準で「助けない」というのであれば、それは理不尽極まりないことだと思いますが、今回の場合は全く理論的に(より多くの)国民の利益を守った賢明な判断をしていたと思います。きちんと救出をする努力はしていましたしね。

著者は、企業で派遣された人が事故にあえば「業務中の不幸」だけど、フリーランスや非営利団体だったら「無謀で勝手な行動」となる。とおっしゃっていますが、これは意識的になのか、比較する方法を間違えていますね。
企業から派遣された人が、突然事故にあえば「業務中の不幸」でしょう。そしてフリーランスや非営利団体の人だって、突然事故にあったなら「活動中の不幸」とでも言われるでしょう。また、退去勧告が出たのにその場に居座って、勧告に従わずに事故にあったのなら、それが企業から派遣された人かフリーランスか、はたまた非営利団体かなどには関係なく「無謀で勝手な行動」となるでしょう。そのときは、フリーランスや非営利団体なら、自分個人だけの問題でしょうけれど、企業なら企業の責任まで問われることになるでしょう。

上は、この著者の書き方にあわせて書きましたが、私はそこで事故にあった事を「無謀で勝手な行動」だとは思いません。それを自己責任として、きちんと理解しているなら、自分の命ですから勝手に使えば宜しかろうと思います。そうするからには、親兄弟も含めて、きちんと説得して納得させることも「自己責任」の中に含まれていると思うのです。自分の命がもてあそばれるかもしれないと思って、それでも残ったのですから、そうなったとしても本望でしょう。それを私達他人がとやかく言うことじゃありません。しかし、それが「そんなに危ないところだとは思わなかった」とか「自分だけは大丈夫だと思った」「準備が足りなかった」などと無責任で甘えた子供みたいな事を言うから「無謀で身勝手で浅はかな猿知恵のくせに英雄気取りの阿呆」といわれるのではないですかね。その人がどんな職業かなんて関係ないですよ。

成人した大人なら、自分で責任を持って行動をすればいいです。その尻拭いの為に他人をあてにするなということですね。自分でより危険な状況にわけ行ったのですから、その危険はきちんと認識して下さればそれでいいでしょう。ただ、日本という国は幸か不幸か、個人主義の国ではないので、個人に死ぬ自由がありません。今回のような状況で、たとえ「自分は危険を承知でいますが、それでもわたしはそこに行きたいのです。たとえそこで死んだとしても本望です。皆さんに迷惑はかけません」と言って現地に行ったとしても、本当にその人が死んでしまったら、マスコミは喜んで面白おかしく書きたてるでしょうし、どこかの役所などが何らかの形で責任を取らされることになるでしょう。そして、政治家の一部はそれを国会で取り上げて空転させることで、税金と時間を無駄遣いするんです。ですから、権利を行使した結果を個人が責任を取るとはし難い現実がある訳です。だからこそ、日本は欧米とは違うことを認識して、欧米と同じ行動をすることは出来ないか、するにしても多大な労力が必要であることを理解し、それを解決するように実行するべきだと思うのです。それを怠って、都合のいいところだけ「自由」を叫ぶからバッシングされるのでしょう。

確か野田知佑氏が書いていたことだと思いますが、世界中をカヤックで旅をする冒険家が、日本の沿岸を漕行していたら、海上保安庁の人が来て「この辺りは危険だから漕行をやめてくれ」と強制的に中止されられたのだそうです。これがアメリカならコーストガード(沿岸警備隊:軍隊予備軍)が来て「そうか、ここを行くのか。それならこのポイントではこれに注意して、あそこではこうしたらいいと思う。幸運を祈る」と言って止めはしないだろう。と言ったそうです。どうして海上保安庁が止めるかというと、ここで人に死なれては自分(海上保安庁及び、担当者)の責任になるからだし、コーストガードが止めないのは、それがその人の命だから、その人がやりたいと思うことを止めはしない。多分死ぬだろうけれどね。ということだそうです。これが何かの例えになる事を祈っております。

親は世界中の人を敵に回しても子供を助けたいと思う。それは同感です。そしてマスコミに対しての意見もほぼ同じでしょう。マスコミは「真実の報道」という役割を果たしていないように思います。くだらない目先のことにだけ目を向けて、ゴシップと報道を混同しているようにしか思えません。

議員が「掛かった費用を払ってほしい」と言ったのは、あまりにも無責任な自己満足の結果としてこれだけ時間と労力と税金をかけて救出をしたのに、あまりにも反省の色がない、一部では自作自演の茶番だったのではといわれるような今回の事件にたいしての腹立ちがあったんですよね。国民だから助けるのは当然という態度もおかしい。「血税」を使っていると認識してほしいということではないかと思います。
もし、政府は何もしていないと思うのであったら、もう議論の余地はありませんが、それは愚かな間違いでしょう。その結果が出たかどうかではなく、その経過として職員が電話やインターネットなどを通じて情報を取得、解析し、現地に人を派遣して、さまざまな国へ働きかけをしているんですよね。結果が全てではありません。結果を伴わなくともその行動には費用が掛かっています。そして、結果がないように見えても、もし政府が全く「自己責任ですから政府には関係ありません」としていた場合も同じように解決していたでしょうか。ここで「政府は何もしていなかった」などと言う人がいるのであれば、その人は考えを改めるべきだと思います。

著者の方は米国在住13年だそうです。米国のやり方にはもうかなり慣れていることでしょう。その考え方からすると日本はアホちゃうかと思う部分が多いのは間違いないです。これに限らず、東洋思想は西洋人からは理解できないものなのですから。日本は土台が変わっていないのに、一生懸命西洋の真似をしようとしている状態である訳ですが、結局は日本人は日本人なんですよね。目の前で個人主義的なことをする人がいたら疎ましく思う人が大半のようですし、多くの人は失礼ながら「都合のいいところだけ」西洋かぶれ名のではないかなと思うのです。
海外生活が長くて、日本人の考え方がおかしいと思うなら国籍を捨てた方がいいんじゃないでしょうかね。その方がしっくり来ると思います。ええ、最後の部分は捨て台詞ですよ。


掲示板

新しいリンクに張り替えました。
完了報告です。


三菱の決断

三菱自動車はダイムラークライスラーが予定通り増資をしてくれていたら廃止候補の筆頭となる予定だった「パジェロ」の存続を決めたそうです。

パジェロ以外にギャランやディアマンテというセダンも不人気で、昨年度はパジェロが年間で6,000台、ギャランとディアマンテはそれぞれ年間2,000台以下と無残な成績を残していたそうです。年間2,000台って、乱暴に言ったら月平均160台程度しか売れていないって事ですよね。一ヶ月で、ひとつの都道府県辺り40台くらいしか売れないんですよ。物凄くレアって感じがしますね。

(車の名前がずっと思い出せず、先程、ネットを検索して漸く見つけたのですが)1982年から発売されたコルディアとトレディアという車がありました。トレディアはランサーに変わる主力大衆車としてデビューしたのですが、初年度でも15千台しか売れず、1988年に生産中止となるまででも42千台しか売れなかったとの事。コルディアは1年早く1987年に生産を終了し総生産台数は33千台という惨敗だったようです。
トレディアを例に取れば、6年間で42千台の内初年度に15千台を売っている訳ですから、残り5年間で27千台を売った勘定ですね。年間5千台平均となりますが、実際には最後の数年間は「年間」で「全国」で百台売れたかどうかの超ウルトラ不人気車だったと記憶しています。そんな感じで、兎に角、三菱は不人気車種が多すぎるように思います。

なぜなんでしょう。私の考えは外観デザインが悪すぎる。これに尽きます。
バイクでも車でも、極論すれば、所有者は外観を見ているより座って運転していることの方が多い筈です。ですから、バイクならメーター周りとタンクの上面が、車ならシートのすわり心地とコンソール周りのデザインとハンドルのさわり心地がよければそれで満足が出来る筈です。あくまでも「極論」ですよ。
しかし、私にとって三菱の車は、その確認をするために車に近付くことを拒否しているんです。その生々しいというか、神経を逆なでするようなデザインの外観がです。

そのデザインが好める人には、とても気に入るデザインなのでしょう。他のどのメーカーにも成しえない、個性あるデザインのメーカーと映るでしょう。しかし、私の偏見で言えば、三菱の車のデザインはあまりにも両極端に意見を分けてしまうように思います。実際に車の性能を「走る、曲がる、止まる」だとしてしまえば、どのメーカーのどの車だって大差はないでしょう。それなのに売れる車と売れない車が出来るというのは、そのような「人の好みに訴えかける」訴求力があるかどうかということに掛かってくるんじゃないですかね。

先にも書きましたように、私には殆どの三菱の車はその外観デザインだけで、これ以上近づきたくない。見なくても良い。と思ってしまいます。何も我慢してその車に近付かなくても、他のメーカーに幾らでも車はあるさ。ということです。日産の車もあるところでは三菱と似たり寄ったりなんですけれど、でも、日産は下手なデザイナーとうまいデザイナーがいて、うまいデザイナーの車はとても魅力があるんですよ。
三菱も日産を見習ってホンダのデザイナーを引き抜いてみたらどうですか。そうしたら巷にはホンダの車みたいな日産車とホンダの車みたいな三菱車とホンダの車が走ることになりますが、今時ですから誰もそんなに気にしないと思いますよ。ここでいすゞにもう一度乗用車部門へ復活してもらって従来の様にホンダから乗用車を供給してもらい、ホンダ四兄弟ってことにしたらどうですかね。そうでなければ、こんどこそ星型12気筒エンジン「栄」を車に搭載しませんか。形式名称はS(akae)-52辺りから始めましょう。出来ればなつかしの空冷バージョンと今時の水冷バージョン、又はスズキの協力を得て油水冷バージョンのエンジンなんかも面白いかもしれません。スペースギアみたいな車に星型エンジン積んだら受けると思うんですけどねぇ。その時は速度検出はピトー菅で、そして声帯マイクと骨伝導スピーカーによる携帯電話接続システムなんかお願いしますよ。当然ながら新しい車の名前は「零zero」ですね。次には(いい加減ですが)「疾風」「鐘馗」「飛燕」「雷電」辺りがいいですね。ふそうには「屠龍」や「一式陸攻」「弐式大艇」なんてモロの名前を付けたらいかがですかね。そしてモーターショーには「キ-86」などの試作ナンバーを出しましょう。でも「桜花」「回天」はやめておきましょうね。大問題になっちゃうかもしれないから。

閑話休題

兎に角、日本人の為を考えて再生を目指すというのであれば、もっと万人受けするデザインの車と、奇をてらわず、電気仕掛けにおぼれず、基本をおさえた良いものを作ってほしいものですね。

2004年04月29日(木) 今日のサッカー / 未納 / BBS移動のお知らせ / 微妙な違い

対チェコ戦を見ています。

私は一応日本の応援はしますけれど、きれいな流れるようなプレイをする選手やチームを応援します。それが例え日本であろうとも、きれいじゃなければ冷たい反応しか出来ません。

久保は美しい仕事をしました。サントスは仕事自体は結構きれいなんですけれど、毎試合自分勝手に判断をして良い試合の流れを切るのが難点です。よって美しくない。そして加地 亮(あきらと読むらしい)、君は全然美しくない。ホールディングをやめろ。汚いDFなど見たくはない。サッカーと相撲を間違えてはいないか。これが代表か?といいたくなります。柳沢は美しいのかそうじゃないのか本当に分かりません。美しいシュートをしたと思うと決まってオフサイド。チャンスやプレッシャーに弱いんでしょうかねぇ。オフサイドにならない飛び出しを身につけて、きれいな仕事をしてくださいね。稲本はとても美しかった。

それにしても、何よりも試合後のインタビューをするアナウンサーの未熟さが一番美しくないっていうか醜いですね。「あの瞬間はどう思いましたか?」「互角に戦えたことは自信になりますか?」とか、くだらないことしか聞けないんですよね。一生懸命プレイする選手はそんな事を考えてプレイしていると思うのでしょうか。例えばシュートを決めたときはうれしいに決まっているし、ファインセーブをした時は実力でのセーブもあるでしょうけれど、たまたま出した手足に玉が当たっただけの事もあるでしょう。そんなのを「どんな気持ちでセーブしたんですか」とか平気で聞けるその無神経さには呆れるばかりです。更に「今後の課題は何ですか?」とか、そんなこと選手に聞いてどうする。監督に聞けよって言いたいです。まだ古舘一郎とか言ううるさいだけのアナウンサーが出てこないだけマシですけれど、もう少しインタビューの内容は考えてほしいものだと思います。


未納

一昨日「大ニュースなの?」で書いたことですが、国会議員にも86年から年金の支払いが義務付けられているのに未納とは「国民をバカにしているのか」という論調でテレビなどが騒いでいます。
私は自民党支持派ではありませんが、この話はばかばかしいと思えてなりません。マスコミはくだらないことに騒ぎすぎというイメージの方が強く感じます。

ニュースサイトを見ていると、'86から議員の年金支払いが義務付けられた。そして、今回発覚した人たちの中には議員になってから複数回年金支払いが成されなかった期間のある人も居る。という感じです。先日書いたことですが、それまで社会人だった人が会社を辞めて個人で活動を始める場合、自分で年金や保険の手続きをしなければならないのですが、それに気付かなければ未納は簡単に起こってしまいます。未納を未納のまま放置する制度に問題があるのではないでしょうか。NHKの視聴料も同じですよね。「テレビを持っているなら支払う義務はある。法律で決まっている」と幾らすごまれても、「じゃあ、支払えないから罰してください」と切り替えしたら終わってしまう。罰則規定がないから、ただ吠えるだけで終わっちゃう。そんな感じですよね。年金も似たようなものじゃないですかね。支払わなければ罰金又は実刑という位にして初めて未納を問題に出来るんじゃないですかね。

今回の件では、議員になった時からの未納があった人ではなく、議員に「なってから」未納を始めた人で、更にその中で悪質と思われるものは厳しく取り沙汰されても仕方ないと思いますが、「過去に未納の期間があった」程度では騒ぐ必要はないと思います。「(一度でも)未納をしていたことがあるなら議員を辞めるべきだ」と騒ぐ人は浅はかではないかと思います。本当に意図しない事務上の手続きで未納を起こした人でも、その記録は永久に残ってしまいます。その過去を穿り返して「未納だった」と騒ぐのは、「前科者はまっとうな仕事につけない」という差別を生み出す風潮と一緒でしょう。確かに年金の問題では実刑を受けて禊を済ませたという事はないでしょうけれど、それでも、過去の過ちを穿り返すのは如何なものかと思いますよ。

年金法案が可決される時期だから、こんな話に飛びついたというマスコミの浅はかさはとてもよく感じられた一件だったと思います。ま、感情的にはこちらの負担が跳ね上がるのに、お前らは何だよ!といいたい気持ちはよく分かりますけど、それとこれとは別でしょう。自分で年金なんかに頼らないって思うなら、支払わなければいいんじゃないですかね。国民としての義務を捨てる覚悟があるならね。国民としての義務を果たさず、国民の権利だけ主張することがおかしいと思うなら、理不尽でもやらなければならないことだと分かる筈です。まともな「大人」なら。


BBS移動のお知らせ

BBSをお借りしているwhocaresでのサーバー移転に伴い、4月30日06:30からBBSのアドレスが変わります。(既に新しいURLでも見えるようですが、公式には先の日時からです)

http://bbs1.whocares.jp/bb/u/Loony/

一応自分に宛てての覚書です。この時間以降書き換えをするつもりですが、もし、対応前にBBSをご覧になる方がいらっしゃいましたら、こちらからお願いいたします。


微妙な違い


下の写真をご覧ください。
蛍光管

白熱電球の代わりに使う蛍光管というんでしょうか。東芝は「ネオボールZ」松下は「パルックボール」という名前をつけているようです。

この二つ、多分電気屋さんに聞けば「あぁ、どちらでも付きますよ。問題ありません」といわれるでしょうね。同じ仕様で作られている筈ですから。
ところが家の天井には松下の方は付かないんですよ。

取り付け口

この取り付け口の覆い部分の穴の奥にソケットがあるのですけれど、比べて幾分細身の東芝製は問題なく取り付けられるのですが、松下製はこの穴に発光部の下の社名や製品名が書いてあるところが引っかかってソケットにささってくれないのです。こんなのありですかね。

先日、この松下製のものを買いました。取り付け用としたのに付かないので、今日交換してくださいと依頼しに行ったのです。お店の人に、「これでは入らないので、規格が違うんじゃないでしょうか?」と聞いたところ、企画ではこれか、これよりふたまわり小さな企画の商品しかないのだそうで、暗い中で作業したからどこかで間違えたのかと、交換せずに帰ってきたのがですけれど、明るいところで試してみて、こうやって並べてみて良く分かった次第です。家から車で30分掛かる電気屋さんに、また明日もいかなければならないのかと思うと悔しい気持ちで一杯です。えぇ、自分に対して腹を立てているんですよ。

2004年04月28日(水) 大ニュースなの?

先日のイラク人質問題で一気に人気を下げた民主党が、今度は年金問題で自民党に噛み付いたみたいです。「次の内閣」なんておままごと集団が「俺らも身の潔白を証明するから、お前らも証明しろ」と内閣閣僚に迫ったところ、福田官房長官を始め新たに四名の閣僚に未納期間があったことが判明したとの事。

これが「正しいことかどうか?」と言われたら「間違ったこと」なのでしょうね。でも、そんなに騒ぎ立てるほどのことでしょうか。いや、年金を納めろと国民に指導する立場(言葉が適切じゃなかったらごめんなさい)の人が払っていなかったなんて言語道断じゃないか!という意見は分かります。でもね、まぁ多くの人は学校を卒業したら就職しますよね。そうすると会社で年金だの国保だの、勝手に手続きを代行してくれてるじゃないですか。転職したときに今までの会社から書類を受け取ったり、又は次の会社に郵送してもらったりすることはあっても、それを自分で手続きする事はあまりなんじゃないですかね。いま会社に勤めている人で、会社を辞めたときにどんな手続きをしたら良いかきちんと理解している人はどれだけいらっしゃるでしょうか。そんな事は「漠然と」しか分からない人が多いのではないでしょうか。
最初から会社勤めをしない人でも、個人で仕事を請け負うような人であれば、申告を自分でする必要からそのような手続きはどこからか教えてもらえるかもしれませんけれど、最近の「フリーター」という種族は誰からも教えてもらえず、未納の人が多いかもしれません。言い方に偏見が入っていたらごめんなさい。
兎に角です、福田官房長官にしても、そのほかの閣僚にしても、学校を卒業してからすぐに政治家になったわけではなく、ある程度の年になるまでは会社勤めをしていたりした訳です。そして選挙を経て政治家になった時点で自己申告で手続きをしなければならない訳ですけれど、今回の「不祥事」を全て確認した訳じゃないですけれど、大体、政治家になった所から数年間未払いだったんじゃないですかね。江角マキコにしても元はその才能を買われて会社勤めをしてからモデルになったりした訳で、その時自分で手続きをしなければ、そんな支払いをしなければならないことも、フリーになった時点で誰も教えてくれなければ、その支払いをしなければならない事すら気付かなかったというのは、どちらかといえば請求する役所の怠慢であって、支払い側の怠慢とはいえないのではないかと思えてしまいます。まぁ江角マキコと福田官房長官を同列に語っていいのかと言われたら、そりゃちょっと違うし、役所の怠慢だとしても、それを指導する立場にある官僚が不祥事というのは、本末転倒とも言えるでしょうし、官僚になって暫くしてから未納が始まったというなら問題でしょうけれど、少なくともテレビでニュース速報を流すほどのことでもなかろうもんと思えます。

それより、この民主党の「次の内閣(ネクスト・キャビネット)」って言うのはどうにかならないんでしょうかねぇ。この程度の政治家としてのレベルの低い人たちが集まって「次の内閣」ですか。オウム真理教と同程度のレベルにしか思えないんですけど....

2004年04月27日(火) デジカメ -途中経過- / -その2-

午前中からカメラ屋さんに行って、カメラを眺めてきました。

ひとつは昨日の宣言通りRICOHのCaplio RXを触ってみました。少し大きいけど胸ポケットにはきちんと収まりますし、動作もきびきびして好感が持てます。それ以外は操作性も良いし、メニューの構成も分かりやすいのは気に入りましたが、時間を置いて起動したとき、最初の一回目だけ液晶の表示に結構時間が掛かること、全体に四角くまとめた弊害か手に引っ掛かりがなく、右手だけでホールドしつつ撮影をするのが少し大変であったこと、そしてカメラの液晶で撮影した画像を見ると結構赤っぽく見えるのが気になりました。
全体的には結構気に入ったのですが、その後電気屋さんに行って昨日切れた電球の代えを買わなければならなかったので、そこでも他のカメラと比較してみようと思い、ここで衝動買いをすることはせず、電気屋に行って見ました。

その電気屋さんでは、なんとRICOHを扱っていませんでした。が、面白いものがありました。それはPanasonicの「LUMIX LC70」というカメラです。E3700などと比べると、横幅が狭くなって厚みがあります。右手で持つ部分が指でホールドできるように出っ張っているので、とても持ちやすく、右手ひとつで安定して操作が出来ますし、気道も結構早いし、FZ10を使っていたので操作は殆ど分かります。
その厚みで最初はちょっと引いていたのですが、いじっている内に手に馴染む感じがして来ました。Caplioのワイド側28mmに比べて標準的な35mmであるとか、Caplioは1cmまで寄れるマクロ機能がついているけど、こちらは10cmだとか、USB出力は、カメラ側が特殊なコネクタで、付属のケーブルしか使えないとか、さまざまな劣っている(?)部分がありますけれど、それらを補ってもつりあうんじゃないかと思う程、その持ちやすさ、操作しやすさは特筆物の出来でした。さすがマネシタデンキは後発でいい物を作ってきますねぇ。

Caplioを置いてあるお店にはLumixがありません。逆も真なりで、比較するのもちょっと大変なのですけれど、うーん、どちらが良いでしょうねぇ。どちらも3万円台の前半で機能的にもお互いが良い特徴を持っています。
今日の夜買いに行くかもしれませんが、今はまだ悩んでいる最中です。果たしてどうなることでしょう....


-その2-

結局、未だ結論がついていません。
今のところCaplioが優勢なのですが、まずは、FZ10とE3700がどれくらいの値段で売れるのか、それを見極めてからというのもありかもしれません。
お店には、それぞれのカメラで撮ったサンプル画像というものが置いてあるのですが、それはメーカーが提供したもので、プロが如何にカメラの得意な分野をアピールして、不得手な部分を隠すかを吟味した写真ですから、きれいに見えるに決まっています。そんな写真も腕さえ良ければ撮れるのねと横目で眺めつつ、自分の眼力に頼るしかないんですよねぇ。そんな眼力があればの話ですが.....

2004年04月26日(月) デジカメ

昨年秋口からKonica MINOLTA Dimage G400Panasonic FZ10Nikon E3700
Nikon D70と立て続けにデジカメを買ってあれこれ試行錯誤しましたが、いまの所D70をゴールにしたいと思えました。多分数年もしたらこのカメラの性能もかなり下の部類に入るようになるでしょう。日々進歩しているものですから仕方ないことです。ただ、他のコンパクトカメラならその進歩の為に新しいものに買い換えたい衝動に駆られますけれど、このD70の画像ならA4の用紙に印刷しても充分満足できるものですから、たとえ性能が悪いと言われようとまぁまぁ長く使っていられるんじゃないかなと思えた訳です。

そんな訳で、デジカメについてもう一度考えてみようと思いました。ハイエンドの方はD70で決まりです。ではローエンドというか手軽に持ち出して使う方はというと、今手元にあるのがPanasonicのFZ10とNikonのE3700である訳ですが、まず、FZ10はその大きさから「手軽に」という条件から外れてしまいます。その描写力の素晴らしさ、手ぶれ補正機能の優秀さなどは手放しがたいのですが、D70があるためにその存在意義が薄れてしまった訳です。そしてE3700ですが、これは「Nikon党」である私がNikonのカメラを持たないのは嫌だと言う理由で買ったものですから、D70を買った今、その存在意義がなくなりました。Nikonの製品ですから基本は抑えてあるし、画像はきっちりとしているのですけれど、正直に言ってちょっと特徴のないカメラという感じはします。
なんといえばいいのかわからないのですけれど、たとえ手軽に使うカメラでも、自分なりの何かのこだわりがあるカメラを持っていたいというのが私の性格なのですが、このカメラにはそのこだわりがなくて、誰にでも門戸を開くつまんない奴と言う感じです。

兎に角、FZ10とE3700を処分して、新しく手軽に使えるデジカメを一台選ぶとしたらどれにするか。そういう観点でデジカメを選んでみました。もし、その候補が値段と性能などを考慮してE3700を処分してでも持つ価値があるなら、それはそれで考えましょうと言う感じです。
CASIO EXILIM(EX-P600)OLYMPUS μ-30などさまざまな検討をしてみたのですけれど、どれも物足りないんですよね。
一番残念なのはOLYMPUS μ-30ですかね。性能は全て私の条件を満たしています。ただ、記録媒体がxD Pictureカードであるということだけで候補の外に行ってしまいました。お店の人に聞けば「コダックと富士フィルムだけで結構なシェアを持っているので、そこが採用したので容易にはなくなりません」と言うのですけれど、もうSONYのメモリースティックでも食傷しているのに、もうこれ以上フォーマットを増やして混乱させてほしくない。そう思う次第。家にはコンパクトフラッシュとSDカードを読む環境があります。もうそれ以上のフォーマットは要りません。ですから、そんなカードを採用しているカメラは検討の余地がないのです。

そんな時ある雑誌を開いて目に入ってきたのがRicoh Caplio RXです。起動時間が0.9秒で28-100mmズーム、1cmまで寄る事が可能なマクロ機能、単三電池二本でも駆動可能....これは面白いと思いました。デジカメでは広角側を確保するのが大変で多くのデジカメは35mm程度なんですよね。28mmの広角を確保しているのはうれしいです。そしてマクロも1cmまで寄る事ができるってのはメモ帳代わりに使えますと言うことではないかと思います。まだ実物を見ていませんのでなんともいえませんが、製品紹介のページを見る限りにおいては結構操作系もすっきりしていて使いやすそうに思えます。ただ、問題は定価が\54,000もするって事です。ヨドバシカメラのオンラインショップでは今現在で\41,700で18%還元ですから実質\32,000前後の値段になっているように思います。この値段ならE3700を売って買いなおしてもいいかなと言う値段です。

本当はある程度マニュアル撮影もできる方がうれしいのですが、ま、それはD70がありますから、こちらはカメラ任せでもいいかなと思います。兎に角、明日にでも実物を見に行ってみて決めようかなと思います。
そして新しいカメラにするにしろ、E3700が勝ち残るにしろ、これでとりあえずカメラについては一段落させたいと思います。今後はレンズを買い足すことはあっても、二年くらいは手を加えないで済むようにしたいものです。

2004年04月25日(日) 三菱自動車 / アウトレット / サッカー

三菱自動車へのダイムラークライスラーの支援計画が白紙化したことで、三菱グループは、三菱重工、三菱銀行、三菱商事を中心に2,500億円の追加融資を行う検討を始めたそうです。

ダイムラークライスラーが計画通り支援をしていたらダイムラークライスラーが4,000億円で、この3社は1,000億円の予定だったのですから、かなり大幅な融資額アップといえるでしょうね。でも、果たして三菱自動車がどこまで再建できるかはかなり疑問を感じます。
既存の三菱ユーザは、今回の一連の不祥事にも影響はなかったかもしれません。リコール隠しなどは、別に自分の乗っている車が燃えたりしなければ他人事ですし、脱輪事故もトラックの事故と思えばやはり他人事で済まされます。わざわざ古くからお付き合いしているディーラー、家の近くのディーラーを変える理由にはならないかもしれないですね。でも、一度落ちたイメージや信用を取り戻すのはかなり大変なんじゃないでしょうか。いわれのない風評被害なら裁判を起こすなど、信用を回復させる手段はありますが、これに関しては事実の寄せ集めですから、各社が狙う、どのメーカーかにこだわらない浮動票の客を取り込むことはかなり難しくなっていると思います。
ランサーエボリューションという車以外は、どこをどう見ても他の車と似たり寄ったりで、「この車でなければ」というものはありません。デザインは個性的ですので、それを指名する人も居るかもしれませんが、逆にそれを毛嫌いする人も居るでしょう。

商社などであれば、支援の融資さえあればそれで危機を乗り越えて、いつかは経営を軌道に乗せるという計算も立ちます。しかし、メーカーの場合は、確かに資金は開発などに有効に使えますけれど、その開発の情報交換や、エンジン、フレームを共通化していたシェアの低下など、さまざまな弊害が起きてくるでしょう。物は大量に生産すればそれだけコストが抑えられます。ですから多くのメーカーは車の車台は共通で上に乗せる箱の形だけあれこれ変えて、インテリアやエクステリアも出来るだけ共通の部品を使ってデザインをするんです。今はそれを一社だけではなく、欧米の会社とも共通化して効率化を図っている訳です。ダイムラークライスラーの出方次第で、今後はそのシャーシやエンジンの提供先がなくなれば更に経営を圧迫します。日産にゴーン社長が乗り込んで、さまざまな手腕を投じて日産の経営を再建したという例がありますが、日産の場合は、ラシーンなどを世に出せる厚顔無恥、無能な古いデザイナーやそれに許可を出す無能な上層部がいたおかげで人気が翳っていただけで、優秀なトップがいれば立ち直る土台はあったのだと思います。しかし三菱の場合はまず、信用を回復させるにはどうしたらいいか。そこから考えなければなりません。言葉を悪く言えば、「日本人なんて浪花節だから、客の前で土下座でもすればすぐに騙されるよ」という考え方もあるかもしれませんけれど、やはり茨の道なんじゃないですかねぇ。

金さえ出せば解決すると言う問題とは思えないだけに、果たして今後はどうなるのか、本当に興味が尽きません。


アウトレット

家の近くにあるアウトレットショップへ行って来ました。
私がこの町へ引っ越してくる前からというか、この新興住宅地が出来た当初からあるこの町の中では古い歴史があるお店なんですけれど、うちから微妙に離れているのと、駅の向こう側という事で殆ど利用したことはありませんでした。自分の中では象さんと亀さんが支えている世界のはてを落ちたところにあると言う認識ですから、普段は全く意識していなかったのですけれど、たまたま、先日カタログが送られてきて、服を買ったメーカーのお店がそれだったので、そこにも行ってみようと思った次第。おりしも今日は日曜日ですし、遥か昔に行った記憶では、そのあたりにあるお店のために日曜はいつも渋滞している筈です。ですから久しぶりに自転車をだして行って来ました。現地に行って見れば案の定駐車場に入ろうとする自動車が長蛇の列を作っていました。私の意識から外れたこの辺りに毎週こんなに行列が出来ているのかと思うと、ちょっと認識が変わった感じがします。
兎に角、そんな長蛇の自動車の列を尻目に自転車でお店の前に行き、自転車を止めてお店に入りました。私は知らなかったのですが、ゴールデンウィークに向けバーゲンを始めたとの事で、どうも長蛇の列の原因はこれだったんですね。お店ではある金額以上のものを何点か買うと割引があると言う感じでした。今日は7点買って15千円ちょっとと言う金額でしたが、そのルールに従って割り引いた結果、支払った金額は8千円ちょっとと言う感じでした。只でさえこのお店はアウトレットですからシーズンが終わったものやB級品などで安いものしかない店なのに、そこから更に半額ですか?ちょっとびっくりでした。その隣にある別のお店でトレーニングウェアも買ってきたんです。スポーツジムで使う服、実は今まで使っていたのは20年くらい前に買ったものだったんです。半分位の体重だった頃のもので、良く入ったなと思っていたんですけれど、さすがに経年変化に耐えられず布がボロボロになってしまったんです。そんな訳で新調したんですけれど、帰宅して試着してみたらみんな小さいんですよ。良く見たら私にぴったりのサイズより湾サイズ下のものばかり買ってしまったみたいどこで間違えたんでしょう。前向きに考えて、返品をするより、このサイズが着られるまでがんばってみようと思うのですけれど、もしかして「甘い!」ですかね。ちょっと心配です。
とりあえず、これで味をしめたので、また明日にでも買出しに行ってみようかなと思っています。でも、そんなに吹くばかり買っても殆ど着ないような気もしますけど....


サッカー

A代表の強化試合(対ハンガリー)をやっていますね。
芝がボロボロの状態でかなり環境が悪そうです。それを割り引いて考えても、欧州組がいないA代表って「玉蹴り集団」なんですね。どうして、パスもクリアもあれだけ味方のいないところに出来るんでしょう。悲しくなるくらいへたくそですね。
ジーコ監督を更迭するとかそんな話があるみたいですけれど、冷静に選手の質が悪すぎるって事を認識した方がいいと思うんですけれどねぇ。あれじゃあどんな名監督が来ても、サッカーになるとは思えませんよ。
特に日本のディフェンスって本当に質が悪いですよね。ディフェンスとは「相手の服を引っ張って行く手を阻むこと」又は「相手を蹴るか肘打ちすること」であるかのようです。アメリカンフットボールの様にホールディングの反則(オフェンスチームのディフェンス要員は指を使ってはいけない)を適用すべきではないかと思います。前回のワールドカップなどを見ていると、英国などいつもフェアプレー賞を獲得するようなチームは本当にディフェンスがきれいですし、欧州のリーグ戦を見ていても、フェアな攻防が繰り広げられています。質の悪いケンカをしているようでは技術の向上はないのではないでしょうか。世界のルールとは別にJリーグでは相手をつかんだらイエローカードと言うような厳しいルールを作って質の向上に努めなければ、いつまでたってもくだらない玉蹴りしかできないように思えて仕方ありません。

また、オフェンスに関しても、テレビ番組でゴールを9個のエリアに分けて全部抜いたら百万円とか、さまざまな状況でトラップをし続けることが出来たらいくらとかそんなのがありますが、殆ど成功しませんよね。それはなぜかと言えば、玉が足についていない、ボールコントロールが出来ていないからということでしょう。私は野球は好きではありませんが、少なくともプロ野球の選手なら玉を捕球してエラーをする確率、それを投げて暴投する確率、投げられた球をバットに当てられない確率はかなり低いと思います。彼らは、そんな事をしないのがプロだと胸を張っていえるでしょう。しかし、サッカーはと言えば、まともにトラップは出来ないし、シュートと言えば枠に行かないし、基本技術が未熟なんじゃないですか?と疑問に思えてしまいます。プロを名乗って金を取るのですから、トラップが足元に落ちて当たり前、ボールはコントロールできて当たり前、シュートは枠に行って当たり前。そうでなければならないんじゃないですかねぇ。サッカーのプロ選手は胸を張って「私はプロだ」と言えるのでしょうか。

ファンだからこその欲目と言うのもあるでしょうけれど、ここはファンだからこそ厳しい目で批判をして、技術の向上を促していかなければならないと思います。

2004年04月24日(土) テレビから

昨日の「牡丹と薔薇」見ました?

私、「ちょっと楽しみかもしれません」なんて書いておきながら、一応テレビはつけていたけれど、「流し見」というか「ながら見」というか、兎に角真剣に見るんじゃなくて、パソコンで日記を読みながら眺めていた感じでした。冒頭から「やっぱり自分は、ドラマを見ることが苦痛なんだよ」と思い知るような展開で、最初の数分で「ごちそうさま」状態だったんですよ。

先日も書いたと思いますけれど、最初結婚するとかしないとか言っていた二人が破局して、その女性が子供をさらってきて、そこまでは理解しているのですけれど、その後、どうして二人が再開したのか、その後香世のだんなはどうして牡丹に付きまとうのか、その辺りが全然分からなかったのが、今回流し見したことで漸く理解した感じではあります。でも、やっぱり2時間見るのはとても辛いことだと実感しました。果たして視聴率はどうだったんでしょう。興味あるといえばあるんですけれど、調べる気力は既にありません。



女子サッカーのオリンピック代表決定戦が始まりましたね。
どうでもいいんですけれど、この一連の「絶対に負けられない試合がそこにはある」ってコピー、そろそろいい加減に取り下げませんかね。男子サッカーで負けた時、このコピー物凄くむなしかったでしょ。どの試合だって「負けたくない」し、どの試合だって「負けられない」試合なんです。
恥も外聞もなく金で他球団の四番打者を買いあさり、ピッチャー以外は皆四番バッターみたいな打順を組んで優勝できない巨人みたいに見ていて見苦しいと思います。こういう偉そうなコピーは世界ランキングが上位にあるときに言って初めて「格好良い」台詞となるのであって、オリンピックに出られるかどうか分からないボーダー(境界)にあるようなチームに対して言うと物凄く見苦しいですよ。「常勝チームだから負けるわけには行かない」なら、そかプライドにかけても負けられないよねと思うけど、「オリンピックに行きたいから絶対に負けられないんだい」なんて子供が駄々こねているみたいですよね。只でさえ見苦しいのに、負けちゃったときには「あのコピーはなんだったんだよ」と言われて更に恥ずかしさ倍増です。
こんなコピーを考えたコピーライターも、こんな大きなイベントのコピーですからかなりのお金をせしめたんでしょうねぇ。だからこそ言いますけれど、恥を知ってほしいものです。聞いて恥ずかしい、言って恥ずかしい、勝っても負けても恥ずかしいこのコピー最低です。

2004年04月23日(金) ニュースから(激安パソコンと三菱自動車) / テレビ

Yahooに出店しているお店で、最新のeMacが2800円足らずの価格で販売されると言う事故があったとの事ですね。

表示されていた19時間の間に2万人が1億台を注文したそうです。一人5,000台注文した勘定ですね。すごいものです。
確かに安売り店でも11万円以上の値段がついているeMacですから大体98%引きという破格値だった訳ですよね。2800円で買って、中古って事で半額の6万円で売り抜けたとしても、一台あたり57000円が儲かる計算になりますし、実際にはもっと儲けが出るでしょうね。そりゃもうあるだけの金を持って、胃や借金してでも買えるだけ買った方がいい訳です。
販売元は、DVD5枚組みと値段が入れ違ったという説明をして販売には応じないと説明しているそうですが、注文に対して、確かに注文を承りましたと確認のメールまで送付されてきている訳ですし、先の様にこれは儲けになると借金までした人が居たとしたら、それは理不尽と憤慨するのも尤もでしょうね。ま、そんなばかげた値段を信じる方も行きすぎかと思いますけれど。



最大株主であるダイムラークライスラーが三菱自動車の増資計画に参加せず、今後の財務支援も中止する旨を発表しました。更に保有する株を全て売却する可能性もあるとの事です。

三菱といえば、最近はランエボなんでしょうかね。20年位前(ドイツでsappro(多分日本ではシグマ)が発売されていた頃)には、その母体の確かさから「たとえ日本中のメーカーが潰れても三菱は生き残るだろう」とドイツの評論家辺りが言っていましたが、どうも車を開発する方向性が違っていたみたいです。
まず、RVブームの頃に大人気だった「パジェロ」も10年位前に、某CCV誌ではブレーキ(ABS)に欠陥があると取り沙汰されていましたし、スポーツタイプのGTOでは電子制御装置を満載しすぎた結果、車のコーナリングの限界が分からず、車のプレス発表試乗会でサーキットからコースアウトする人が続出するとか、直噴ガソリンエンジンを世界に先駆けて開発したと胸を張ったは良いけれど、高燃費で走ることの出来る回転域を外すと通常エンジンより燃費が悪かったりと、あんまり人に優しくない車が多かったように思いますし、リコールを隠すなんて、企業としては最低の責任の取り方をしていた訳ですから、乗用車でのリコール隠し発覚後の不人気は頷けるものがありました。ランサーエボリューションというシリーズがWRCで活躍しており、その名前を冠した車が結構人気だったようですが、まぁごく一部の走ることが好きな人に受けているだけで、一般行動を走るには完全なオーバースペックの車でしたから、それが再建に寄与することもなかったようです。そこに今度はトラック部門で同じようなリコール隠しですから、どんな企業でも「切捨て」を決定するのが賢明だと思うでしょうね。私個人としては、三菱の車に乗る気にはなりませんでした(あ、ライセンス生産されていたジープは除きます)し「良く乗る人がいるね」程度に思っていました。でも、正直、ここまでひどいとは思っていなかったんですけれどねぇ...財閥系企業は江戸時代気質を引きずっていたということでしょうか....


テレビ

うちのリビングに鎮座するテレビは9年前に買ったアナログハイビジョンテレビです。4年前にこの集合住宅へ引っ越してきたときから、地上波が不定期に映らなくなる現象が発生し続けたので、サービスを呼んで修理を依頼したのですけれど、サービスは「故障じゃない」と豪語したので、ビデオをチューナー代わりに我慢して使い続けてきました。今年になって電源が入らなくなったので改めて修理に出したら、あのときの豪語はなんだったのか、あっさり「チューナーが壊れていたので交換しておきましたよ」ですって。とにかく、今は快調に動いているのですが、テレビというか電化製品は7年間が修理保障期間です。まぁ普通に考えたら10年前後が買い替えの時期と言うことになるのでしょう。つまり、うちのテレビはそろそろ買い換える時期にさしかかっているということです。

先日、某大手電気屋に行った時、たまたま隣で老夫婦のお客に店員が「今の地上波は2007年で見られなくなります。だからデジタル放送対応のテレビを買った方がいいですよ」と丁寧に説明していました。
この店員の説明は嘘なんです。つまり、「現在の地上波は『あと7年』で見られなくなる」というのが正解なのですが、その説明の「あと7年」を「2007年」と取り違えて説明した結果、本来なら今年買った既存のテレビは、その法律で定めるところの修理保障期限一杯(7年間)は使えるのに、「あと3年で使えなくなる」と結果的には客を騙してより高い商品を勧めていたのです。これが本当に勘違いしてなのか、それとも与しやすしとわざとそんな風に説明してたのかは定かじゃありませんが、そのお店は信頼できないなと感じた次第。
ま、そんな事はどうでもいいのですけれど、今のテレビといえば液晶テレビかプラズマテレビの様に薄型のテレビが主流になっているのでしょうか。既存のテレビは徐々に姿を消して、地上波デジタルに対応したテレビがどんどん出てくるんですよね。ただ薄型のテレビはまだ高価なようです。でも、今の時流に乗れば薄型テレビを買うのがいいのかなと一瞬思ったのですが、そこでふと思ったんです。うちのテレビの両脇にはTANNOYのARDENという38cm径のスピーカーシステムが鎮座しています。それを再生する装置も今流行のコンパクトサイズじゃありません。フルサイズの装置にLPレコード再生装置まであるんですからね。その奥行きは配線の余裕も含めれば優に70cmほどになります。どういうことかといえば、いくらテレビだけ薄型にしても全く無駄と言うことです。他がブラウン管テレビと同じくらいの奥行きなんですから。

今日、食料の買出しに出かけたとき、ついでにちょっとだけテレビの値段を調査してみました。32〜36インチサイズのテレビでは、プラズマや液晶だと40万円台が主流でしょうか。もう少し安いのもあるでしょうけれど、ま、手が出ないですね。でも、相手をブラウン管方式のテレビにすれば、地上波デジタル対応で安い奴は「現品処分」の札がついていましたけど\85,000なんてものがありました。「在庫限り」の36インチでも\170,000とかそんな感じの値段でした。もしかして、私にとっては今がテレビを買い換えるチャンスかもしれません。これから先、今処分しているテレビがなくなったら、こんなチャンスはないのかも....買っちゃえ!....そんな悪魔の声が聞こえたりするんですけれど、今は買わないつもり。ええ、意地でも買いませんとも。そんな金があったら、Nikonのレンズ買いますもん。

2004年04月22日(木) なつかしい所へ.... / 失効

今日は私用であちこちに行って来ました。

まず、私の所有する自転車Brompton(ブロンプトン)とDahonのHELIOS XXの整備をする為、自転車屋さんに自転車を運び込みました。
私のBromptonは台湾製のもので、オークションで入手したものなのです。それをHELIOS XXを購入した店で「ついでに」整備してもらう段取りをつけて持っていったのですが、お店の人曰く「Bromptonは台湾製と英国製では全く別物で互換性がない。んで、台湾製はライセンス生産が終わったので部品が全くない。よって整備ができまへん」ということでした。これはちょっと困ってしまいました。この自転車は内装3段変速なのですが、これの調子が悪くて殆ど変速が出来ない感じなんです。それと、この自転車はフォールディングバイク(折りたたみ自転車)で、構造としてクランク(ペダル)を支点にして後輪が下に回りこむように折りたたまれるのですが、このピボット部分のねじが緩んできていて、これを締めこむにはクランクを外さなければならないのですが、そのためには専用の工具が要ります。私はオートバイや車を分解整備する工具はそれなりに持っているのですけれど、自転車の工具は殆ど持っていません。クランクを外さないと、私の持っている工具ではその隙間にねじ込むことは出来ないので、せめてその締め込み位してほしかったのですが、あれこれやっているうちに忘れ去られてしまったみたいです。

HELIOS XXは昨年の4月に衝動買いしたDAHONというメーカーの記念モデルで300台限定生産されたうちの1台です。
さまざまな高そうな部品が使われていて、重量は8.5kg(ペダルを除く)と軽量に仕上がっています。ただ、軽量を追及するあまり、例えば歩道などの段差に乗り上げるようなことをするとすぐにホイールが駄目になります。このホイールはスポークをしめたり出来ないので、駄目になったら交換ですが、前後セットで確か5.8万円とか....買えねーよ。ってなもので、そんな事を知らずに買ってから慌てふためいている次第。
その自転車の変速機はアメリカ製のなんちゃらというものがついています。一応その昔、自転車を趣味とさせられていたことがあったので、簡単な分解や整備の理屈は知っているし、手持ちの工具で出来る程度のことはするのですけれど、この自転車、私がどうあがいても変速機の調整が出来ません。何をどうやっても、9段のギヤのうちどこかでガリガリこする音がするのです。私の場合はcampagnoloかShimano製しかいじったことがありませんので、たぶん勉強不足なんだろうと思っていたのです。お店の人が調整をすること数十分。第一声は「これはこれ以上無理ですね」だそうです。つまりフォールディングバイクであるため、ホイールベースが短いのでどこかに無理がある。と言うことでした。一応プロがそういうなら納得です。ま、自分の調整は間違っていなかったんだよねと自信持ってしまいました。
兎に角、もう補修パーツさえ見つからない台湾製bromptonを捨てるのかどうするのか頭が痛いところでしたが、帰宅後、ネットであちこち探していたら、どうもいろいろ頼れるところはあるみたいです。実はBromptonは2台ありまして、もうすぐ3台目が届く予定なんです。3台目は初めての新車。UK Bromptonです。こんなに自転車を買ってしまってどうしたらいいんでしょう。

閑話休題

そこで整備が終わった後、車で40分くらい掛かる場所にあるバイク屋さんに行きました。バイクは数年前に盗まれてしまったのですけれど、バイクに掛けた任意保険だけは継続しているのです。だって、最大等級まで割り引かれているのですから、これを失効させるのは惜しいですよね。年間で一万円程度ですしね。でも、本当にいつかバイクを買いなおすときは来るのでしょうか。バイクの楽しさは若い頃に充分堪能させてもらいましたけれど、最近は車で満足しているんですよねぇ。
そのバイク屋さんとは20年以上の付き合いでしたが、最近は私が遠くへ引っ越したこともあり、年に一回会うかどうかのお付き合いになっていました。保険もいつもは電話かはがきで案内が来て、指定された口座にお金を振り込むというだけになっていたので、今回はお店に久しぶりに行ってみたのです。そしたら、なんと、いつもお世話になっていたおばちゃんが数年前に癌で他界していたとの事「が〜ん!!」って洒落じゃないですよ。本当びっくりしました。そんなに立ち寄っていなかったんだぁ....

そこから家に帰るはずだったのですが、また先ほど行った自転車屋の近くに用事が出来てそちらへ行って、用事を済ませて帰ったのは夕方頃でしたかね。
今回、まぁ東京へ行ってきた訳ですけれど、10年近く住んでいた町や、友達が長い間住んでいた町、バイクで通勤していた頃に走っていた道路など、さまざまなところを走ることが出来ました。変わっていないところはなつかしいと思いましたけど、いくつかのところは面影がないくらい変わっていてびっくりしたり、その昔は雨の日も暑い日も毎日バイクで通った道なのに、既に裏道を忘れかけていたりと、本当なつかしかったのと同時に歳月の長さを感じたんですよ。年をとったんですね。
それにしても、普段は「道案内が下手なカーナビ」と文句ばかり言わせてもらっているCarrozzeriaのカーナビですけれど、今回某所から某所へ行く道を案内させたら、ちょっと面白い道を指し示してくれました。効率もいいし、何十年も知っている町なのに、そんな道があったかと頷いてしまう盲点だった道でした。すごく得した気分になりました。今日のカーナビお役立ち度は100点と言うことにしておきます。


失効

今頃気付いたのですが、母の死の前後から更新が滞っていた「Lunaticの絵心」ですが、ページが削除されてしまっていますね。ま、2ヶ月以上放置していたことになりますから仕方ないですね。その内何とか復活します。

2004年04月21日(水) カメラマンの人 / 新しいレンズ(D70)

某所で芝桜が見ごろだとテレビで放送されていたので、行ってみることにしました。

その場所をインターネットで検索してみると、朝7時から駐車場が運営されている事、土日祭日は交通規制が行われていることがわかりました。なにか大仰なとってもすごいところというイメージですけれど、本当にそんなにすごいところなんですかねぇと半信半疑で、それでも、デジカメで撮影するには面白いかもと、早朝に起きて7時に着くように行って見ました。

現地には7時10分頃到着したのですが、行ってみたら駐車場には結構な台数の車が止まっていましたし、芝桜のあるところへ行ってみたら、既にかなりの人が多分一番景色の良いであろう場所に固まって三脚を立てていました。

カメラマンの人だかり

朝7時に駐車場がオープンしたとしたら、たった10分の間にこれだけの人が押し寄せたって事ですか。すごいですねぇ。当然ながらこれはその一角で、もっと大人数がいるんですよ。そして、彼らはこうやってカメラを設置したら、後はのんびり待っているんです。何をって、太陽が昇って当たり一面を照らすときをです。今はまだ太陽の位置が低くて、ここは山の斜面なので影があちこちに出来る訳ですよ。正直写真を撮るのではない、単に芝桜を見に来た人には良い迷惑な話ですよね。一番良い場所をこうやって独占されるんですから。ついでにいえば、この芝桜の間に「管理用通路。一般の方の通行はご遠慮ください」と書いてある通路があるんですが、三脚を構えたおっちゃんの一部は、当然の様にこの警告を無視して、景色の良さそうなところに足を踏み入れていました。たったこれだけのお願いも守れず、自分さえ良ければと言う根性になるのが悲しいですね。
自分の趣味だし、早くから起きて場所をとる努力は認めますけれど、タバコと一緒で、好きだからこそ好きじゃない人への配慮を忘れると、手ひどいしっぺ返しがあるように思えてなりません。気遣いは人としての基本ですからね。忘れないでくださいよ。

芝桜

芝桜は大体こんな感じです。ちょっと不満ですかねぇ。狭いし人が多いし。でもきれいではありました。5月になったら北海道に芝桜を見に行ってみようかなぁ....

カメラマンの人

ハーレイディビットソンのポリスタイプにのるお年寄りは、お決まりの様に乗馬用長靴を履いています。その格好をしなければ乗ってはいけないかのように。同じように、こういうところで三脚を広げる人を見ると、かなりの高確率でベストを着込んでいます。なんというのか分かりませんが、カメラマン用のベストで、胸など正面側に小さなポケットがたくさんついているのが特徴かもしれません。いや、実際に一眼レフカメラなどを使えば、レンズのキャップやフィルムやレンズクリーナー、ブロアや露出計などこまごましたものは多いですから、これは必要に応じて出来たベストだとは思います。でもねぇ、みんなであつらえた様に着込むのはどんなものでしょうねぇ。まぁ、野球場へ行って、みんながユニフォームを着ているから変と言うのと同じかもしれませんが、ものすごく違和感を感じます。個性がなさ過ぎです。


新しいレンズ(D70)

昨日どちらのレンズを買うか悩むと書いたんですけれど、私の場合、そう書いたときにはどちらにするか決めていることの方が多いみたいですね。書いていて自分で気付きました。
F:2.8はとても魅力的なのですけれど、やはり、重複するレンズを買う優先度は下という事にして、今回は広角レンズを入手すると言うことで落ち着きました。そんな訳で、今日芝桜を見た帰りに「AF-S Nikkor 12-24mm 1:4G」を購入してきました。どうせならレンズを買ってから芝桜を見に行けばいいのにねぇ。順序が逆ですよね。
D70に装着してみたら「超音波モーター」駆動ということで、物凄い静かなんですね。動作音が殆どしません。びっくりしましたとも。でも、CONTAXのDistagon 18mm f:4と比べるとなんとなく画角が狭いように感じるのは気のせいなんでしょうねぇ....
AF-S Nikkor 12-24mm 1:4G


AF-S Nikkor 12-24mm 1:4G


この写真はD70にMicro Nikkor 55mm f:2.8をつけて撮影しました。
下の写真が斜めになっているのはD70の不具合のせいで私の腕じゃありませんからね。
一眼レフデジタルカメラにAi Nikkorの絞り連動爪のついているレンズが装着されているのはなんとも愉快な光景に見えます。

D70+Micro Nikkor 55mm f:2.8

これはPanasonicのFZ10で撮影しました。手持ちなのでぶれています。ま、ご愛嬌って事で。

2004年04月20日(火) シャッターチャンスが一杯あったのに.... / レンズに悩む(D70)

今日はとても暑かったですね。
今日の客先はちょっと特殊な環境のお客様で、警備も厳重ですし、密閉された仕事場にこもることになりますので、今日みたいに季節外れの暑い日は、私のような暑がりには拷問です。エアコンも聞かない状態で蒸し風呂にこもらされる訳ですから。まぁ、それが発奮材料になってか、昨日時点で口では「大丈夫。明日には終わります」と言いながら(実は全然出来ていないし、どうやったら終わるかも分からない状態だったので)、どうやって言い訳しようか、どうやってもう少し猶予をもらう話に持っていこうか考えていた(それは今日の午前中も一緒でした)のですけれど、昼休みを終えて、悲痛な面持ちでパソコンの前に座って、どうやって解決したらいいんだろうと悲嘆にくれていたら、ふとアイデアが思い浮かんできました。それは本当に簡単で単純で、本当にこんなのでいいの?と疑ってしまうものでした。が、そこここで検証をしてみると全く問題ない性能を指し示します。そして、構造が簡単なのでバグ(プログラムの間違い)も存在しにくいように感じます。というか、今まで7つのブロック、数十、数百行に渡ってあれこれ操作をしてきた処理が、1ブロック、たった4行に押し込まれたのですから、間違いをする方が難しいかもしれない。そんな感じになったのです。信じられないような気持ちであれこれ検証をして、客が午前中の悲壮な私の顔を察して様子を見に来たときに、半信半疑に説明をして、そこで初めて自分の説明に自分が納得しました。これで正しいと。客もそれに納得したようで、定時より二時間ほど早く帰宅の途につきました。

冒頭にも書きましたように、今日はとても暑かったようです。そして、その暑さからか風も強かったみたいですね。高速道路から降りて一般道を家に向かうとき川を渡るのですが、この川を渡る橋の上から、遥かに広がる田畑の先に、新興住宅地らしい集合住宅の小山が生えているのが見えるのです。結構見慣れた風景なのですけれど、今日、この時の風景は結構幻想的でした。
空は青いのに、遠くには砂が舞っているのか白い靄がかかり、靄の中にビルが黒い影となって浮かび上がる。そんな感じの風景だったんです。太陽も直接見ても眩しくない、光が拡散したような感じでとても面白かったです。家に帰る頃には、太陽が傾いて夕日の色が靄に写り込んで、これまたきれいな感じでした。そういえば、今朝(朝の4時頃)も、高速道路脇の町にあるパチンコ屋か何かが空に向かって放っている強力なスポットライトが、低く垂れ込めた雲に当たって、そのくのの部分だけ明るく光っているのがとても面白かった。今日は撮影する風景がたくさんあったのに、カメラを持っていないなんて.....うーん、D70を常に持っているのは難しいかもしれないけれど、FZ10かE3700は常に持っているようにしたいなぁ。反省です。


レンズに悩む(D70)

D70を買ったとき、レンズを買いませんでした。それは、セットで売っているレンズより6月発売予定の「AF-S DX Zoom Nikkor ED 17-55mm F2.8G」を買うつもりでいたからだと以前にも書きました。

銀塩の一眼レフカメラも持っておりますので、明るいレンズが有利な点は嫌と言うほど知っています。F2.8はとても魅力的です。しかし、今使っているAF-Nikkor 28-85mm F3.5-4.5でも使えないことはありません。APSサイズのCCDであるD70では42-127.5mm相当になってしまって広角側がなくなってしまうので、「AF-S DX Zoom Nikkor ED 17-55mm F2.8G」の代わりに「AF-S DX Zoom Nikkor ED 12-24mm F4G」を買えば、明るさは望めませんが、35mm換算で18-36mmの広角となりますし、既にあるAF-Nikkor 28-85mm f:3.5-4.5も無駄なく使える事になります。さらにこの「AF-S DX Zoom Nikkor ED 12-24mm F4G」の方が定価で5万円も安いんですよ。
このDXレンズシリーズは、D70には使えますけれど、間違いなくF801では使えません。F801を捨てる予定は今のところございませんので、F801で使えないレンズがあると言うのは、それだけ持っていかなければならないレンズが増えることを意味します。F801用では広角側がなくなるので、D70専用の広角レンズが増えるのは仕方ないとしても、F801用レンズも有効利用したいものですね。
高い方のレンズでも一応(自分なりの)稟議は通って予算的には買っても良いと判断しました。しかし、そんな理由でどうしようか考えています。CONTAXのDistagon 18mm f:4を使うと、やはり28mmなどのレンズとは一味違う感じがしますからねぇ。できれば18mm付近もほしいんですよ。でも、明るいレンズもほしい。悩みます。

2004年04月19日(月) 疲れた

仕事で片道150km程のドライブをして来ました。
それだけならそんなに疲れはしないのですけれど、そのドライブの前に客先に立ち寄って資料を届けるのが疲れた原因でしょうか。
客先はうちから60km位の所にあって、今日のドライブの目的地、うちとで三角形の頂点を構成します。渋滞を避けるためには深夜に家をでて客先に立ち寄って、行けるところまで行って車中泊をしなければならない。まだぎっくり腰は痛むんですけれど仕方ないですよね。
25時頃家をでて、26時半頃客先のポストに資料を投函し、28時半頃力尽きて高速道路のサービスエリアで三時間半の睡眠。そして客先で仕事。そんな感じでした。

同じペースでずっと忙しければ、忙しいなりに体を慣らしてペースを作っていくことが出来ます。私の経験から、本当に仕事が忙しい状態なら、一ヶ月くらいなら睡眠時間は一時間でも体は持ちます。そんなに忙しい状態じゃなくても、それがスポットでとなると、体がペースを作れず物凄く疲れてしまうんですよ。だから、私は何年か前から祭日を月曜にして三連休にするみたいなせこせこちまちました中途半端な連休は、体を休ませることにはならないなぁと思う訳で、どうせやるなら、全ての祭日を8月に集めて、8月は一ヶ月休みの月にするとか、そんな風にしてくれた方が実は仕事の効率は上がるんじゃないかなと思う訳です。と言いつつ、逆にどうせ祭日があるなら、三連休になるより水曜に持ってきて中日で一日休める方が楽だよという気持ちもあって、これは普段がどれだけ忙しいかによっていつ休みがほしいか違ってくるんだろうなぁと思った次第。

理想は週休3日か4日で、バカンス休暇があることなんでしょうけどねぇ。
というか、昔どこかで、「日本人は定年を迎えても仕事を見つけてどこかに所属したがるけど、イギリス人は就職した直後から引退して余生をのんびり過ごすことを夢見ている」という話を聞いたことがあります。確かにやっと定年したのに、さまざまな形で仕事を続ける人が多いように思います。仕事をしなければ生活が出来ないからという現実的な理由なら仕方ないのでしょうけれど、そうではなく、家に居ると何をして良いか分からないとか、そんな話が多いみたいですね。仕事をする必要がなくなったならのんびりすごせばいいのにと私は思いますよ。もし、先の話で日本人を定義するとしたら、私は間違いなくイギリス人です。今でさえ出来るだけ仕事なんかしたくありません。仕事をせずに生活が出来るなら仕事なんかしません。別に他の人があくせく働いているのを横目にのんびりしていても焦ったりすることはありません。湾岸戦争の頃、丁度転職をしたのですけれど、その時も次の仕事が決まるまでの間、新大久保の公園で通勤ラッシュの山手線のギューギュー詰めの列車を眺めながらラジコンなどを楽しんでいましたし。のんびりしたらいいじゃないですか。仕事がなければのんびり旅行に行くとか温泉に浸かりに行くとかしたらいいじゃないですか。心にゆとりがなければ人間ろくなものになれませんな。そんな風に言い訳めいて考えておりますが如何なものでしょうね。

2004年04月18日(日) 言いえて妙 / sigh

テレビを見ていたら、あるクイズ番組でこんな出題がありました。

「○△は一見に如かず」

家族がボケて「百均は一見に如かず」と答えたのですが、大うけしちゃいました。

「買い物をするときは、まず百均ショップを覗いて、そこで手に入らないか確認してから他のお店に行くべきこと」....的を射ているでしょ?


sigh

はぁ....休みなんて本当にあっという間に終わっちゃうものですね。特に明日は、納めたソフトウェアに不具合があったとのことで、それを手直しに客先に行かねばならないので、今日が過ぎ去る時間をより早く感じてしまうのでしょう。

また、ちょっと外してしまってブルー(死語)なんです。
なんていうんですかね「WEBカメラ」とか言うんですか?USB接続してパソコンに画像を取り込めるカメラを買ってみたんですよ。先日大阪から兵庫を旅行したときに、ビデオカメラで走っているところを撮ったのが結構自分なりに面白いと感じたので、私の車にはDC-ACコンバータも積んでいますから、今度はパソコンにつなげたカメラを使って、自分のページで「こんなところを移動しているんですよ」と常時流してみようかななんて思った訳です。そんな事を考えていたので、ひとつはそれなりに値段は張るけれど、コンパクトで持ち運びしやすそうなものを、そしてもうひとつはいつ捨てても惜しくないよう安いものを購入したのです。で、家に帰ってパソコン二台に取り付けて実験してみましたとも。接続は簡単に終わってあっけなく画像を取り込むことが出来ました。ただ、先の様に車の中から通信をしようとしたら、私の場合はAirH"からの128kbpsでの通信となります。その環境で試してみたら、見事画像なんか全然送れやしない。音声でさえ途切れてしまいますね。
なにやら無駄なものを買ってしまったかもしれません....いや、買ったカメラには、動きがあったら録画をするという機能がありますので、留守中の監視カメラにもなります....って、今私は自宅で仕事をしているから、そんなのいらないんですよね。じゃあ、玄関の監視カメラに....集合住宅ですから共同玄関にインターホンと扉があります。そちらには残念ながらカメラはありませんが、それでも、誰かを識別するのは充分出来ていますので、わざわざ、わたしの住家の出入り口にカメラをつけるメリットないですよねぇ....はぁ *sigh* ....どうしよ

2004年04月17日(土) 人質だった人は....(人質事件) / ローソン / 誤字

ずっと3人の人質について書いてきて、もうやめようと思うのですけれど、もう一回だけ書かせてもらいます。今まで人質を十把一絡げに語ってきたのでどうしても自分の言いたいことがかけていない感じがしたのです。

カメラマンの人。カメラマンなど報道に関わる人としては、英雄気取りだとかではなく、純粋に使命に燃えていることも多いと思います。もう良い大人なんだし、自分の命ですから、またイラクに行くかどうかは勝手にしたらいいと思います。ただ、その時は、今度こそ「自己責任で、私に万一のことがあっても何もしないでください」とはっきり明言して、親兄弟もしっかり説得をしてほしいと思います。いくら自分自身が「自己責任でやるから」と言っても、今回の様に親兄弟が騒いだら迷惑でしょ。自己責任って言うのは、まず、自分の周りの人を説得することから始まっているのではないでしょうか。

ボランティアしていたって言う女の人。どこかで「日本ではやりたいことを見つけられなかった。イラクに行って生きがいを見つけた」という記事か何かを見ました。でも、はっきり言ってテレビで見たこの女性は、日本では相手にされなかった。自分より立場の弱いところに行って、漸く自分を必要としてくれる人を見つけて有頂天になっていた。という感じがします。先のカメラマンは、戦争を報道するという使命があります。それを実現するために周囲をしっかり説得していなかったという落ち度はありますが、それさえしておけばどこでどんな形で自分の命を使おうとそれは自由でしょう。この女性のボランティアが本当に今そこで必要とされているのか私には判断が出来ませんが、ボランティアされていたのは彼女の方だったのではないでしょうか。この女性の弟はきちんと状況を理解していて、迷惑をかけているんだけど、家族としてわがまま言うぞ!と暴れられていた方で、私はとても好感を持っています。そして、これが姉弟なの?と疑問に思っています。本当とんびが鷹を産んだのか、サラブレッドがラバを生んだのか分かりませんけれど、本当に雲泥の差がある姉弟ですね。もし、彼女にイラクにしか自分を表現できる場所がないとしても、お願いですから彼女を日本の外に出したりしないでほしいです。出すなら亡命させてあげてください。

高校を卒業したばかりの子供。数分か数秒の映像でしか判断が出来ませんが、ものすごく視野の狭そうなガキですね。自分のくだらない正義感がどれだけ迷惑をかけたか理解してほしい。そして、その両親は、まだ自分達に責任があるってことを理解して、自分達の甘さと、まるで新興宗教のような市民団体とは関係を断ち切らせ、まともな大人になれるよう努力をさせるべきだと思います。

30を過ぎたカメラマンは、自分の命をどう使おうと勝手です。30過ぎているけれど自分のことしか見られない無責任女性と、自分で責任を取る能力の無い子供は、その責任を親にゆだねて、その監督下においてほしいということです。
そして、今回掛かった費用はしっかりその三人に請求するべきだと思います。特にまたイラクに行くなんていうなら、全額請求したらいいんじゃないですかね。
もう、この人質に関してはよほどの事が無ければ最後にしたいと思います。
結局、彼らは「自分の責任で」なんて思っていない「子供」だったようですから、書いている意味が無いように思えますから。

ところで....逢沢外務副大臣って? 副社長とかそんな肩書きなら分かりますけれど、大臣の「副」って何でしょ。なんか、兎に角なにか肩書きをつけないと!という決意が伝わってくるような、意味のなさそうな役職ですねぇ....


ローソン

先日、出かけた際にコンビニエンスストアのローソンに立ち寄りました。
そのお店の一番目立つところに「具-具-具」と表示された棚があり、さまざまな即席麺などが置いてあって、ちょっと興味があったので数種類を購入してみました。
最初は単一のメーカーが展開しているシリーズなのかと思いましたが、それぞれの容器を見るとメーカーが違っています。ローソンの企画に各社が合わせて商品を展開しているようです。
食べてみた結果として、「麻婆茄子ラーメン」が気に入りました。乾燥タイプの具材なのに、戻った後は本当に普通に作った麻婆茄子です。これは少し感動です。私は「無類のラーメン好き」でも「カップ麺命!」でもありません。どちらかといえば、時々しか食べませんし、食べたあとは大抵「この濃すぎる味、舌のしびれるような味、食べなきゃ良かった」と思うほうなのですが、この「麻婆豆腐」は別。いや、正直に言って少しはしつこいと思いましたけれど、それでも90点くらいあげちゃいます。難点は、うちの近くにローソンが無いこと。と言いつつ、車で5分も走ればあると思うんですけれどね。
麻婆豆腐以外の即席麺は、「ま、即席麺ならこんなものでしょ」というのと「あ、これはもう食べなくていいや」というものでした。やはり、このシリーズなら全部おいしいという訳には行きませんでしたが、ひとつでもおいしいものがあれ成功でしょう。

ローソンって、今はどうか分かりませんが、数年前までは北海道は京極町の、京極の水を使ったコーヒーなどを売っていたり、新潟と北海道限定だった亀田製菓の「サラダホープ」をそれ以外のところでも売っていたり、私としては結構うれしい企画をしてくれるコンビニなんですよ。あ、京極の水は、私にとって、二番目においしいと思うお水なんです。一番目は二年前に見つけた福井県の瓜り割りの水なんですけれど、その差はごくわずかなんです。サッポロビールの恵庭工場は、この羊蹄山推計を求めて、恵庭のその場所に工場を作ったくらいですから、本当においしい水なんですよ。でも、内地ではそんなに有名じゃないと思いますけれどね。このような企画でがんばってセブンイレブンを追随してくださいね。とささやかながら応援させていただきます。


誤字

テレビでも雑誌でも、時々誤字脱字を見かけることがあります。
それ位仕方ないだろうと分かっていても、「そりゃ違うだろ!」と突っ込みたくなる時ってありますよね。いや、私のところも誤字脱字が多いので、下手なことを言ったら自分の首を絞めるだろうとか重々承知しているんですけれどね。

重々しい雰囲気で重々しい話題をまじめな面持ちで取り上げているとき、「○○の性行が....」というときに「○○の性交が....」とかかれていたりすると、野次りたくなりませんか。今日も「○○が心情です」というテロップが流れていたんですけれど、「そりゃ「信条」でしょ」と突っ込みたくなりました。
漢字ってその字だけでさまざまな情報を伝えてくれますよね。たとえその字を何と読むか分からなくても、字面から想像できるものもありますし。逆に地が間違えていると、それだけで雰囲気が台無しになってしまったり、あらぬ誤解を与えてしまうこともある訳で、テレビや雑誌、新聞などは誤字が無いように幾重かのチェックをするものだと思っていたのですが、それでも抜けてしまう誤字があるというのは、ある意味その後字を尊敬してしまいます。
でも、本気にその後字に対して怒っているのではなくて、その誤字を見つけた自分をほめているだけかもしれませんね....なんか寂しい人生。

2004年04月16日(金) VDSL修理完了 / 責任(人質事件)

昨日、あちこち手を尽くしたおかげで、今日朝一番に修理担当者から連絡がありました。

こちらが考えていた通り、MDF(集中制御装置)から私の住処までの電話線を引きなおす事になりました。MDF側を確認したところ、VDSLの集線側装置も異常を示していたそうで、そちらも新しいものに交換となりました。
それにしても、集線側装置が故障していたということは、この集合住宅では昨夜どの世帯でも通信ができなかった筈なのに、私以外のどこからも連絡が無かったんだそうで、皆さんネット依存症ではないと証明されたって事ですかね。いや、何世帯もあるのに、問い合わせが全く無いっていうのは、それはそれで心配なんですけれど....

とりあえず、これで、集線側から端末側まで全ての装置、ラインが一新されましたので、これでもう大丈夫じゃないかなと期待します。(これで駄目だったら、後はどこを治したらいいんだろう....)


責任

昨夜、3人の人質が無事解放されました。
今朝、「ズームイン!!SUPER」で、司会の辛坊治郎が「助かったから言いますけれど、身勝手な正義は時には人の迷惑になることを理解してほしい」と言うようなことを言っていました。全くその通りだと思います。

報道番組で評論家などが「日本が安易に自衛隊を撤退させるなどといわなかったことはとても評価できる」と小泉政権の対応に対して合格点を出していました。私もそう思います。

人質になった人の身内が助けたいと思うのは、身内として当然です。でも、身内の身内を思う気持ちと、国が大多数の国民のために下す決定は必ずしも一致しません。そんな事は当然です。
ある身内は「これはとてもデリケートな問題なのに、政府は意図も簡単に自衛隊は撤退させないと言い切った。こんなでいいのか」と言っていましたが、これがデリケートな問題と思うのは身内の欲目、身内でなければ机上の平和論者の身勝手な平和理論でしかなく、政府はたとえ3人が犠牲になっても自衛隊を撤退させることは無いとはっきり決めていた訳です。そして、それは全く100%正しい判断で疑問の余地はありません。

「民間人なんだから戦争に巻き込まれるのは不当だ」「イラクのために働いているのに」....なんと身勝手でわがままで吐き気のする戯言でしょう。機関銃から発射される弾や飛行機から落とされる爆弾、テロリストの仕掛ける爆弾は、その当たる相手が民間人かどうか判断してはくれないって分からないでしょうか。イラクのために働いているなんてただの自己満足でしかありませんね。
救出された女性は泣きながら「それでもイラクの人は嫌いになれない。また来たいと思う」なんて言っていましたね。家族の方は、もうお願いだから、彼女の首に紐をつけて、家から出さないでほしい。どれだけ迷惑をかけたか全く分かっていないのではないでしょうか。自分のことしか考えられない子供は年齢に関わらず外に出さないで、親兄弟が面倒を見てほしいと切に願います。

「人質のために自衛隊を撤退させろ」と言っておられた方は、戦争にも反対でしょう。人は猿じゃなく、言葉を持っているのだから、話せば分かるというでしょうか。人は言葉を持って文明を持って4,000年の歴史が流れました。集落を作るようになるのが文化だとしたらもっと遥か前ですよね。それでも、戦争はなくなりませんでした。宗教もキリストが生まれて2000年が経過しているのに、キリスト教は今でもアイルランドなどで血生臭いテロを繰り返しています。どこから「話せば分かる」「戦争は野蛮だ」なんて言葉が出てくるのか私には理解できない。野蛮なんじゃなくてこれが不通の状態で、戦争の無い状態の方が、頭の中にしか存在しない「ありえない」世界なんじゃないですか。
もし、「戦争反対」「戦いは野蛮」なんて考えを持つ家族が、どこかの誰かに殺されたとしたら、その人はどんなことを考えるでしょう。当然ながら「私は争うことは嫌いだから、その犯人を許してやってください」なんて言わないでしょう。「犯人にも同じ苦しみを」とか「犯人を極刑に」と言うんじゃないですかね。要は自分は何も動かなくていいから、野次馬として戦争反対を唱えて、「戦争なんて野蛮よ」と言っているだけですよね。あまりにも無責任だと思います。戦争に反対するというのは、そのような「どこかの誰か」があなたの家族を無差別に殺すことをも肯定することにつながるのです。それでも自分はしっかり反対と主張できるというのでなければ、そんな戯言を言わない方がいいと私は考えます。
戦わずに、話し合って解決できるならそれはそれで良い。しかし、それが出来ないとき、黙って殺される方を選ぶか、少しでも抵抗を試みるか。それだけのことなんですけれどねぇ。私は黙って殺されるなんて嫌ですね。武器を持っていてもそれを使う必要はありません。最後の最後の抑止力としてあればいいだけです(使える状態で)。違うんですかねぇ。
机の上で何もせずに「平和」だの「戦争反対」なんて叫ぶのはしゃべれさえすれば蚤にでも言えます。頭なんか何にも要りません。サルのマスターベーションみたいに、一度覚えたら死ぬまで何も考えずにやり続けるなんて愚の骨頂ですよね。一度覚えたことも、時々は周囲を見回して、自分の位置をきちんと確認することはとても大切だと考えます。
ほかの事では、テレビ「ごとき」で偉そうにコメントする奴のいうことなど、話半分に聞いていればいいと思うし、「他の考え方もあるだろうが」と思ったりもするのですけれど、ことこの件に関しては、テレビでのコメント「自衛隊を撤退させるなんて考えは全く持って間違いだ」に対立する意見を持つ人は、自分の視野の狭さを認識してほしいと思いました。

私も世界が平和になればいいと漠然と思います。しかし、戦争の背景には宗教があり、日本では考えられないほど、世界では宗教が生活に密接しています。仏教徒なのにキリストのお祭りをするなんておかしい。そう思う国が多いんですよ。その唯一絶対無二の神様が自分のところにいるのに、他の国では間違った神様を信じている。それはおかしい。そういうことで戦争になるんです。実名を出しますけれど(多分前にも書きましたが)、私も20年ほど前、創価学会の信者である友人が連れてきた、老狂信者に同じことを言われました。「創価学会は、哲学的に証明された唯一正しい宗教なんだから、信じることは幸せなんだよ。キリスト教は間違えている。あんなものを信じている人は不幸せだ」とね。私が「キリスト教を信じている人は、それで安息を得て幸せなんじゃないですか?」と聞くと「いや、哲学的に間違っているんだから幸せにはなれっこない」と言うのです。「では、あなたはそれがどのように証明されたのか分かりますか?」と聞いたって「分かりません。でも証明されているんです」というだけなんですよね。多分、今でも創価学会を信じる人の中にはこんな人が多くいると思います。これがオウム真理教だとかそんな宗教ならまだ話は分かりますけれど、日本で一番信者がいるらしい宗教でさえこれです。日本ですからそれが他宗教の弾圧につながらないのですが、海外ならこんな考えの人が多ければすぐに戦争になってしまうでしょう。
戦争をなくするにはどうしたらいいか。それは人々から宗教を取り上げることでしょう。それは不可能なことです。ですから戦争もなくならない。私はそう思っています。

2004年04月15日(木) カウンタの誤差は.... / 革の.... / 変わる新潟 / またVDSLが... / 牡丹と薔薇(人質解放)

エンピツのカウンタですが....
GTcounterと比べてみたら、エンピツのカウンタのカウント数が比較開始から93をカウントしたところでGTcounterとのカウント誤差が30となりました。
アクセス解析とGTcounterのカウント数は大体あっていますから、やはりエンピツのカウンタは誤差が激しいと結論せざるを得ませんね。

今日はぎっくり腰が痛いので、もう眠るつもりです。明日起きて調子が良かったら、その辺りの整理をしたいと思います。
兎に角、動けたらいいな。起き上がることができればそれに勝る幸せはありません。これはぎっくり腰した事のない人にはわからないだろうなぁ....


革の....

私の見た目として、トヨタのカローラと日産のサニーを比べた場合、同じ大衆車の代表で、同じような排気量、同じような価格、同じような客層で作られたの車なのでどちらも性能的に大差は無い筈なのですが、比較するとトヨタの方が幾分豪華に見えるかなと感じます。日産ファンの人には日産ファンのこだわりがあるでしょうけれど、はっきりと「アンチトヨタ」と公言している私の目で見ても、その豪華そうに見える内装の作り方は、日産とは明確な差があると思います。ただ、それは見た目の問題で、同じ車でもない装飾が変わると途端に安っぽく見えたりもするのですけれど、実際に「車なんか走れば良い」程度に考える人にとって、実際の(普通に走る以上の)性能がどうであるかより、運転するときに目に付く部分がいかに豪華そうに見えるかの方がセールスポイントになることがある訳です。作る側がどんなに思いを込めても、それがオーバースペックな部分であったなら、その思いは伝わらないかもしれません。逆に性能に関係ないか、性能に差が出ることを知らないことなら、余程宣伝をしなければ見逃されることがあるのではないかなともいえるのでしょうね。

先日、テレビの通販番組で爪切りを宣伝していました。そのメーカーが如何にすごいか、その爪切りの歯がどれだけきっちりできているか一通り説明したところで、テレビ通販番組の定番である「更に」とおまけの話が始まりました。それは「この爪切りを入れる「皮製のケース」をお付けします」だそうです。
また、あるインターネット通販では、自動巻き腕時計を保管するケースで、「多くのケースはガラスや木製で、大きく嵩張るから、今回革製のケースを用意しました」なんて宣伝しています。
革は保存のために塩漬けにされたりしているのを塩抜きしてなめすのですけれど、幾ら塩抜きをしたと言っても金属などを入れっぱなしにすると錆びの原因になってしまうんですよね。そういう事に対して全く言及せず、ただ、ケースが付いたから便利だよとセールスだけをするのは果たして許される行為なんでしょうか。それとも、いい加減なものだからそんな心配は無いんだよということなんでしょうか。
そのインターネットページには別途激安の羽毛布団も載っていました。羽毛とは言え、こんな値段なら品質も知れているよねと思ったら、しっかり仕様の中に「羽の中下部を使っていて、上部(ダウン)とは明らかに違っています」という件が説明されていましたが、「羽毛」という言葉に騙される人はたくさん居るんでしょうねぇ。

私が以前インターネットの通販ページを見て買った腕時計も「そのギミック(アナログ時計だけど、万年カレンダを装備しており、ボタンを操作することにより三針で現在の日付を表現する)がとても素晴らしくて、お見せできないのが残念です」という事を物凄い美辞麗句を並べ立てて表現されていたのですが、実際に買ってみたらそのギミックは一度見たらもうたくさんというか、そんなに楽しいものでも、人に自慢したくなるものでもなかったし、それ以前に商品紹介のページの写真では一切見えなかった細かい線が文字盤にあり、私はシンプルな見やすい文字盤だから購入を決めたのに、実は線がうるさくて見難い時計だったなんてこともありました。その時計を手に持って、改めて通販ページの説明を読んでみると、如何に嘘ではないけれど、ぎりぎりすれすれの表現で客を騙そうとしているかという悪意を感じてしまった次第。
全ての通販業者がそうだとは思っていませんし、通販というものはそういうリスクを購入者が負うことで成り立っているものだと認識はしていますから、私としては、その業者を訴えるとか、糾弾するとかそういう事ではなく、単にカタログは信用ならない。けれど、自己責任だからもっと気をつけなければならないと思った訳なんですよ。


変わる新潟

ここ何年かの間にさいたま市や千葉市などが政令指定都市となりました。

政令指定都市とは何ぞや?と聞かれたら「人口100万人程度の市が、特例として本来県が持つ機能を市が持てるようになる」という程度に思っていました。その程度です。
ところが、先日知り合いから「新潟市が周辺の市町村と合併して、政令指定都市になるらしい」という話を聞きました。「ま、新潟市なら新潟県の県庁所在地だし良いんじゃない」と思かもしれませんが、新潟市って人口が40〜50万人程度しかないんですよ。米どころ新潟ですから、その近隣の市町村なんて集めたって人口はたかだか知れています。新潟市のすぐ隣の白根市だって新潟平野のど真ん中で田んぼが広がっている地域ですから、どれだけ集めたら100万人になるの?と思ってしまう訳です。とりあえず調べてみようと「新潟」「政令指定都市」をキーにGoogleで検索をかけて見つけたのが「政令指定都市の概要」というページです。
こちらを拝見すると、本来政令指定都市には50万人の人口があれば要件を満たすことと規定されているけれど、実質的要件として、今現在80万人以上で将来的に100万人の人口が見込めること、一次産業従事者が全人口の10%以下であること、人口密度が1km辺り2,000人程度であることなどがあげられているようです。

新潟市が今合併をしようとしているのは、新津市、白根市、豊栄市、小須戸町、横越町、亀田町、岩室村、西川町、味方村、潟東村、月潟村、中之口村と新潟市の13市町村で、人口は約78万人で人口密度は約1,200人、第1次産業就業人口は4.7%となる見込みだそうです。
びっくりですね。でも、新津市と豊栄市が入るのが結構大きいんですね。それにしても、農業従事者比率4.7%ですか? 皆片手間に農業をせざるをえないということなんでしょうかねぇ。
兎に角です、平成17年までに大規模合併をして政令指定都市になりたいなと要望した場合、多少規制を緩和しますという条件があるそうで、これならこの条件でもなるんじゃないかということらしいですけれど、私は、仕事柄、札幌、仙台、埼玉、千葉、川崎、横浜、名古屋、京都、大阪、広島、北九州、福岡と神戸を除く他の政令指定都市をあちこち見ていますけれど(神戸は行ったことはありますが、殆ど見ていないのと一緒程度でしかないです)、仕事で何度も見ている新潟及びその周辺が政令指定都市となったとしたら、本当に今までの政令指定都市とは「異質」の不思議な政令指定都市になるんじゃないかなと思えます。だって、他の政令指定都市は、どこを見ても大都市という感じですけれど、新潟は今現在新潟市である地域を一歩出ると田んぼが広がっているんですよ。日本の米どころですからね(しつこい)。関越自動車道(北陸自動車道か)を新潟まで行くか、国道8号線を新潟に向かうと、本当に田んぼの真ん中ですよ。周りには何も無い、見渡す限りの田園風景が広がっているんです。それが政令指定都市になるんですよ。本当に政令指定都市として機能するんですかね。

そんな話をしていたら、この4月1日から水原町と安田町、京ヶ瀬村、京ヶ瀬村、笹神村が合併して阿賀野市になったのだそうです。水原というのは城下町で、江戸時代から明治に切り替わったとき、たった数日ではありますが、新潟は「水原県」となった事があるという、まぁ歴史のある街です。安田町というのは、ここの安田牛乳とか安田ヨーグルトというのは、よく生協などでも販売されていますが、高いけどおいしい乳製品の産地です。そして笹神村も米どころ(ま、新潟なら大抵米どころなんですけれどね)で、私が利用している生協でもここや新潟市となる予定の白根市の米を時々買っていますので、ちょっとだけ知っている場所という感じがするのです。何度か言ったことがありますけれど、この4町村は本当(失礼ながら)田舎の農村という感じです。「あれが市になったの?」というのが正直な感想です。

で、更に「実は新発田市も豊浦町と合併したんだよ」という話を聞いて更にびっくりです。
というのは、新発田市というのは、新潟からの白新線と新津からの羽越線が交わる場所にあるのですが、この新発田市から新津市までの羽越線の駅は中浦(豊浦)→月岡→神山(笹神)→水原→京ヶ瀬→新津とあるのですけれど、今までは新発田市、豊浦町、笹神村、水原町、京ヶ瀬村、新津市と6市町村を結んで居たのですけれど、これが今では新発田市と阿賀野市と新津市を結ぶ単純な線になってしまったということなんですね。これで政令指定都市「新潟市」が誕生したら、白新線の方も新潟市と新発田市と(多分)聖篭(せいろう)町だけになってしまうんですねぇ。
聖篭町というのは、まことに失礼な話ですが、25年ほど前までは「ちょーうるとらすーぱー田舎でらっくすスペシャル」と言われていたところで、関東地方では「ハマ」といえば横浜でおしゃれな場所をイメージしますけれど、新発田市近郊では「ハマ」と言えばこの聖篭町をさし、イナカモノの代名詞だったんですよ。それが、あまりにも田舎で何も無いことから大規模店舗が進出し、今では新潟にも新発田にも依存しない都会になっているとの事です。
まぁ、たまたま昔から縁のある地域なので、そんな風に書かせてもらいましたが、新発田市も水原町も城下町ですし、確かにそのままでは開発も見込めない部分があるのかもしれませんが、変わって欲しくない部分もあるし、斬新に変わって発展して欲しい気持ちもあります。

知っている人は知っていると思いますが、月岡というところには温泉があります。田んぼの真ん中に温泉がわいている。そんな感じのところです。昔はこの月岡に行く国道290号線は冬になると道路が割れて、よく車が飲み込まれていたんです。はまって動けなくなるって事です。でも、最近は東京からはとバスが行くようになったみたいでかなり整備されたらしいんです。実はね、私この月岡温泉のすぐ近くに土地を持っているんです。本当は別のところに買う予定だったのに、知人の策謀にはまってそんなところを買わせられた(怒っては居ませんけどね)んです。今住んでいる集合住宅の頭金にしたかったので、売却したいと不動産に持ちかけたら、買い手が居ませんと買取を拒否された土地です。80坪近くあるんですけどね。バブルではじけた株と一緒で、すぐに売ってしまったら損をしますけれど、気長に持っていればいつか価値が出るかもしれません。この場所は新発田市ですので、新発田市がうまく発展してくれたら、一躍長者になれるかもしれません。淡い期待ですが....

兎に角、これからどうなっていくのか見守りたいと思います。


またVDSLが...

はぁ、またVDSL回線が不通です。昨年末にも不通になり修理にきて、結局原因不明になって「来年原因を調査しましょう」と言う言葉だけ残して約100日。その間一切の連絡も無く、故障したら「夜間は修理していません」だって。こんな無責任な会社あるのかな。ベストエフォートの回線ですから速度が遅くなることには文句は言いませんけれどね。つながらないって言うのはどういうものでしょうねぇ。そして、今度調査に伺いますと言って音沙汰無しって言うのは企業として如何なものでしょう。
困ったものです。そして何よりも困ったのは、もう頭来た!って事で、東京電力の「TEPCOひかり」に乗り換えてやる!と息巻いていたのですが、調べてみたら、私の住む町は対象圏外でした。冷静に考えればこんな田舎町、まだ利用できなくて当たり前なんですけれどねぇ....去年の2月にVDSL回線に変えて約1年。その間にVDSL装置を交換すること3回。その装置が悪いんじゃないでしょう。どこかに欠陥があるんです。もういい加減にしてほしい。そんな気持ちです。どなたか他に同じようなトラブル経験者いらっしゃいませんかねぇ。


牡丹と薔薇

最近は家で仕事をする機会が多いのですが、会社に詰めているときも、私の会社では昼休みはCXの「笑っていいとも」をずっと見ているんです。その影響でか、家でも昼はそれを見て、そのままCXを続けて流していた関係で、たまたま「牡丹と薔薇」も見る機会があったのです。
でもね、私の感想は「変」の一言ですよ。最初の頃は結婚したいがために子供ができたと嘘を言って、腹に詰め物をする人が居て、暫く後には姉妹なのに片方があれだけ憎悪を見せる。そして、普通に考えたら、そんなことまでしたら警察沙汰でしょみたいな事を平気でする。局は違うけど「渡る世間は鬼ばかり」みたいに「ありえない」話ですよね。
でも、それを無視して見続けていると、小沢真珠の目の表現が豊かだと感動し、結構楽しめるようになりました。
結局、ばかばかしいけれど、暇つぶしにはなる程度ではありますが、ま、面白かったんじゃないですかね。でも、私には未だ分からないのが、人間関係です。最初に北原佐和子が男をつかまえるために妊娠したと演技をします。そこは分かりました。でも、その後男は別の女と結婚をして、その二人の間にできた子供を北原佐和子が盗んでいませんでしたか? そこからどうやってあの姉妹とつながるんでしょう。なんかその辺りが全然分からないので、先日のテレビ番組「クイズ!ヘキサゴン」がいまいち楽しめませんでした。
しかし、これを書くにあたって、牡丹と薔薇のページを探してみたら、しっかりあらすじも書いてあって謎は解明いたしました。そういう事だったんですか。早くに見ておけばよかったかもしれません。

あ、これをかいている間に、人質3人が解放されたというニュースが飛び込んできました。開放されたのなら、改めて言いますが、すぐに強制送還させて、騒乱罪で逮捕でもしたほうが良いと思います。はい、無事に開放されて本当に良かった。でも、国を大騒ぎさせた罪って言うのは忘れちゃいけません。雪山で遭難した人は、無事生還したら、捜索に掛かった費用を支払います。鉄道事故を起こした人もそうでしょ。無事でよかったということと、騒動を引き起こしたことは別ですからね。本当無事でよかったですよ。はい。

閑話休題

4月23日に2時間枠で完結版をやるそうですね。ちょっと楽しみかもしれません。多分、ドラマを見たいのではなくて、小沢真珠目当てかもしれない....

2004年04月14日(水) 飽きっぽいのかしつこいのか

ぎっくり腰が本格化してきました。
昨日、のんびりお風呂で腰を温めたら結構調子がよくなったので、調子に乗って食料の買出しに車に乗って出かけてしまったものですからさあ大変です。お店についた頃には歩くのも辛くなり、カートを杖代わりにして歩いていました。帰りの車の中ではもう本当に辛くて、特に車を右に曲げる行為が本当に辛くて、殆ど止まるように減速して、その後ものろのろのろのろ曲がっていたんですよ。直線でもできるだけ路面の凹凸を拾わないようゆっくり走っていましたので、後続の車を運転している人をかなりイライラさせてしまったことでしょう。
とりあえず、最悪の「腰が伸ばせない」状態ではありません。まだ、痛みはかなり伴いますが、腰を伸ばして自力で立って歩ける状態なので大丈夫と思っています。

今日行ったお店にはテナントとしてUNIQLOが入って居るのは知っていました。今日、初めてそこで買い物をしてきました。っていうか、UNIQLOで買い物をしたのって、多分これで二度目かな。一度目は着物じゃなくて、今通勤に使っているカバンがバーゲンで\980だったのでそれを買ったんだと記憶しています。もともと、私はそんなにファッションに気を使うほうではない(というより全く気を使わない)ので、着物は何でもいいのですが、過去の経験から綿100%のワークシャツ(長袖)を四六時中着ているので、あまりファッションということに悩まないというのが正解でしょうかね。綿のワークシャツは、大事に着れば10年くらいは持ちます。私が来ていたシャツで一番長生きだったのは、中学二年生のときに従兄弟からもらったワークシャツで、これは糸が弱くなって触っただけで裂けるようになって泣く泣く捨てたのが25歳のときだったんです。大体干支が一回りするくらい私が着ましたし、その前に従兄弟が何年か着ているんですから結構長生きしたでしょう。それ以来、劇的な体重の変化に伴う体型の変動などもあり、そこまで長く着ているものはないのですが、それでも平均8年くらいは着ていると思います。ですから、そんなに着るものは買わなくて済んでいるんですよ。

靴もその昔渋カジだとか木村拓哉がはいていたとかで有名になったREDWINGのアイリッシュセッターブーツを木村拓哉がまだ小学生になったかどうか位の頃から愛用していました。これは底が磨り減ったら張替えに出して15年くらい履きましたね。靴の形が自分の足の形にあって、本当に履き心地が良かったですよ。

私は、この半年の間にデジタルカメラを何台買ったでしょう。
Panasonic FZ-10、コニカ・ミノルタのDimage G400、Nikon CoolPix3700、そしてNikon D70ですかね。それ以外に1〜2年に一回は買い換えていました。多くのものを右から左にどんどん取り替えるので、友人からも「良く買い換えるよね」とか嫌味を言われることがあるんですけれど、それは、気に入ったものを探しているからなんですよ。先に書きましたように、気に入った靴は15年履いていますし、腕時計だって今は新しいものも買い足しましたけれど、25年使っているものがあります。銀塩一眼レフだって15年位使っていますし、自分が納得したものはとことん使いますよ。それが流行しているかどうかなんて気にしません。その証拠に未だβビデオデッキやLDプレイヤがありますからね。更に言えばオープンリールテープデッキ(AKAI GX635D)も持って居たりしますし。気に入ったらしつこいんですよ。逆に、あれこれ試してみて放り投げるのは、皆中途半端なんです。どうしてあんないい加減な中途半端なものを製品にできるんだ!と声を大にして文句を言いたいものです。それを見抜けない私がバカだって言われそうですね。言われないように、この辺りで逃げた方が良さそうですね。

盛大に話がそれました。閑話休題です。

そんな訳であんまり服を買わないのですけれど、たまにはいつもと違った格好をするのも良かろうと長めに行ったのです。そしたら、結構好きなアンディ・ウォーホルやバスキアのデザインのTシャツがあったりしたので、三枚ほど買ってみました。シャツのデザインはいいんですけれど、私の醜い体型では、デザインに申し訳ないです。うーん痩せねば。
そして、買った袋の中にTシャツのチラシのほかに「体を科学したインナー」という女性用下着の小冊子まで入って居たのはなぜなんでしょう....

2004年04月13日(火) 命とは....(人質事件) / カウンタ / 車

東京品川区で11日に殺害された69歳の女性ですが、下の階のパチンコ景品交換所へこの部屋から侵入するのに邪魔との理由で殺害されたのではないかということですね。確定ではありませんが、アジア系の外国人らしき人物が子の付近に居たことを目撃されているとか....

よく「人の命はなによりも重い」という言葉を耳にします。けれど、それは日本では常識の様に語られていますけれど、かなり多くの国では人の命の重さは大して重くないものと考えられているのが実情です。
厳しい生活環境の下で、警察などの力が及ばないところで、また、増えすぎた人口の下で、人の命はとても簡単に売買されたり捨てられたりします。日本でもその昔「姥捨山」があったり、口減らしのため子供を売ったりするのが農村部で頻繁に行われていた風習でしたし、それはそんなに大昔のことではありません。
このパチンコ景品交換所の上の住人を殺害した犯人も、自分が金を稼ぐことと、見も知らぬ他人の命を秤にかけたら、他人の命が軽いと考える文化に所属しているのだと思います。

アメリカでは一部ではありますが、ペットとしてゴキがかわいがられているとか、イヌイットの子供たちの一番のご馳走は、獲れ立てのアザラシの腸の中身(殆ど○ンコ)を搾り出してすする事だとか、南極の基地では、1cmの厚さのパンに1cmの厚さのバターを塗って食べるとか、日本の人が日本に居ながら見聞きしたら「信じられない!」って事が世界中で行われています。でも、それは日本人が日本人の文化、自分の育った環境を基準に見も知らぬ文化を評価しようとする事からくる事で、現地で育った人には何の疑いもなく適応できる事である訳です。それがいいか悪いかの判断を私たちがすれば、殺人はいけないこと。そんなの常識。という訳ですけれど、世界の別の場所に行けば、そうではないということです。

「人の命が何よりも尊いもの」という事が世界共通の普遍の大前提と思いこんでいる人は、その大前提が全く間違っていることに気付かないでしょうし、それを理解しようとしないでしょう。
机上の理想論でなら幾らでも「平和」「戦争反対」を簡単に叫べます。では、それをどうやって実現しますか。なぜ、永世中立国であるスイスやスウェーデンはあれほど強力な軍備を持っているのでしょう。個人が不戦を貫くのは簡単です。その人の意思だけの問題ですから。でも、国民を守らなければならない国が軍備を放棄することが果たして可能でしょうか。国家の視点と個人の視点が同じで国家が機能するでしょうか。

人の命は尊くあるべきです。しかし、国は国民の命をできる限り守る最後の砦であると同時に、より多くの国民を守るために少数の国民を切り捨てなければならないとなれば、非情な決断を下すのも国なのです。そして、国とはそうあるべきですし、そうあらねばなりません。その辺りを事実として受け止めなければならないのではないですかね。


カウンタ

MEMORIZEで書いていた時は、MEMORIZEが用意したカウンタを使ってカウントをしていました。少し大目のカウントをしますが、まぁ、許容誤差範囲という感じでした。今回エンピツに引っ越して、エンピツが用意するカウンタを使うことにしたのですが、標準のものはリロードでカウントアップという感じでしたので、エンピツが用意する二重カウントを防止するというカウンタにしてみたのです。ところが、それでもカウンタは景気良く回っていて、ちょっと信用できない感じです。
そんな訳で、最新日記のページに別途GTcounterをつけてみました。
このカウンタとアクセス解析、そしてエンピツのカウンタで暫く様子を見て、今後の方策を考えようかと思っております....っていうか、たかだかカウンタのことであれこれ苦労することも無いんじゃないかなとも思うのですけれど、この日記を書き始めた頃にも書いたのですが、カウンタを回すことが目的ではなく、まぁ道標みたいなものですから、できれば許容誤差と思える程度に正しい値を示してくれるのでなければつける価値は無いかなと思うのです。エンピツ利用者の多くはそのカウンタ機能を利用しているようですから、同じ条件でいいじゃないのと思うのですけれど、そんな訳でちょっとだけこだわっています。
画面の下の方がごちゃごちゃうるさくなっていますけれど、その内整理しますので、暫くの間は無視してやってください。



先日、法要で実家に帰ったとき、親戚のJAGUAR XJ(直6)を運転する機会がありました。
アメ車ほどではないにしろ、柔らかくしっとりした乗り心地のサスペンションとアクセル開度にしっかりついて来るエンジンはとても乗り心地が良かったです。エアサス仕様だともっと乗り心地がよくなるのかもしれませんが、運転手ですらゆれが予想できず酔ってしまうこともあるので、私はアンチ・エアサス派なんですが、幸い今回乗ったXJはエアサスじゃなかったので、運転を楽しめましたし、乗ってみて、やはり英国製の木と革のインテリアはいいなぁと実感しました。この親戚、飽きたらXJくれないかなぁ....

今日、朝から客先に機械を納品してきたのですけれど、途中で、見事に鮮やかな黄色のポルシェがわき道から出てきました。鮮やかな黄色のボディ側面に黒い帯、Carreraの抜き文字。ナローボディと少し派手目なリアウィング....もしかしてと思ったらウィングの右隅にCarrera RSのマークが....73Carreraですか? 本物ならもう30年も前の名車ですけれど.....大事に乗られているんですね。いい物を見せてもらいました。やはり良い物を大事に使って居る人って尊敬しちゃいます。

2004年04月12日(月) 帰宅しました(画像あり) / 200円を?/ 方向指示は格好悪い? / 今日から....

昨夜実家を出発して、のんびり一般道を走って、車中泊をして帰ってきました。

失敗だったなぁと思うこと....深夜の二時頃、さすがにねむくなったので眠る事にしたのですが、昨日そこで見えた月は半月なのにとても薄くて、今にも消え入りそうなコントラストだったのです。多分曇っていたのでしょうけれど、今にも明かりが消えてしまうんじゃないか。そんな感じでした。その写真を撮ってみようとカメラを持ち出して、三脚に乗せて何枚か写してみたのですが、うまく撮れない上に、ファインダを覗くために中腰になった途端、腰が「ぐきっ」とも「ぺきっ」ともつかない音を立てて痛みが走ったのです。あ〜ぁやっちゃったよ。そんな感じですね。腰を騙しつつ、なんとか家に帰着しました。

帰る途中はずっとテレビの音声を聞きながら帰っていました。
三人の人質はまだ事件が解決していないんですね。なにか、拘束をしたって言うグループも素人集団みたいですし、直接誰が交渉したわけじゃないのに決定事項の様に伝え人々を混乱に陥れているテレビマスコミのいい加減報道に腹が立つのは私だけなんでしょうか。
もうこの事件に対しては、その三人及びその親兄弟の無責任さと甘っちょろさに腹が立つだけで、もうどうでもいいから早くニュースから消えてほしい。私はそう思います。もし、彼らが無事解放されたとしても、彼らは決してヒーローではありません。単に政府の勧告も無視して、自己満足とくだらない英雄気取りで自分勝手なわがままを押し通した結果、世間に迷惑をかけ、多大な税金を無駄遣いさせた奴らで、解放され次第日本に強制送還し、帰国後即逮捕して投獄されてもおかしくは無いと私は思っています。本当に自分の責任で何かをなしたかったら、親くらいは説得して置けってもんです。もしこのようなことが起こったなら、親は「子供は覚悟をして現地に出かけました。覚悟はしていました。騒がないで結果を見守ってください」と言うくらいに説得ができないなら、そんな事はするべきじゃない。親離れ、子離れができないなら本当にそんなところに行くべきじゃないです。

その後、話題が変わって、良く分からなかったのですけれど、下請に対する法律が変わったという話をしていたように思いますが、「親事業者が下請に仕事を出すとき....」「親事業者が....」と連呼していたんです。でも、音しか聞いていなかった私には「オヤジ業者が」としか聞けなかったんです。オヤジ業者だから下請に仕事を出した後、方針が変わったからと賃金は据え置きだけど、新方針に沿ったものを納品してねと平気で言うのかなと、物凄く納得していたんですよ。真相が分かって一人で大爆笑してしまいました。オヤジギャグですよね。

田舎ではほとんど写真を撮れませんでしたが、今日一泊したところで何枚か写真を撮りました。そして、家から車で10分ほどのところで、何枚か写真を撮ることができました。なにも遠くに行かなくても、今の時期は新緑に溢れていますね。どこを見てもきれいな風景はあるものだと実感しました。

宿泊地付近の風景

宿泊地付近の風景です。雪を抱いた山と満開の桜のコントラストはきれいでした。写真にそれが残っているかは甚だ疑問ですが....

家の近くの新緑

家の近くでも新緑が芽吹いています。今の新緑は緑が若くて新しい。ほんと、字の如くですね。「メニール 君はまだ華奢で柔らかい.....」


200円を?

今日、帰宅途中で、温泉施設に立ち寄ってきました。少しでも腰にいいかななんて自分に言い訳をしながら....

初めてのところを選んだつもりだったのですけれど、行ってみたらしっかり前に来た事のある場所でした。温泉自体は屋内のは熱すぎるし、露天はぬるすぎる。ちょっと逆じゃないの!といいたい感じでしたけれど、ぬるい湯でのんびり浸かって楽しませてもらいました。

お風呂から出て売店の辺りで一休みをしていると、かき氷などを売っている売店スタンドの売り子さんとそのお友達らしいおばちゃんが世間話をしながら「じゃあ、かき氷いただくわ」なんて言っていたのを耳にしたんです。何気なく見ていると、かき氷を手渡した後、売り子さんが何事かお友達に囁いてすぐにその場を離れたんです。で、直後にお友達は「ここにお金を置いておくからね」なんて言って離れていきました。なにか不自然だったので、私は商品を見る振りをして、その場に行ってみたんです。案の定お金なんてどこにもありませんでした。
確かに自分の友達が来たから安くしてやって。とか、私がおごるわよ。みたいな事はあると思いますけれど、今回のもその範疇なんですかね。多分違いますよね。もしそうだとしたら、もっと堂々しますよね。
このかき氷、たった200円なんですけれどねぇ。そこまでする価値はないと思うのですけれど.....


方向指示は格好悪い?

そうそう、車を運転する人にお聞きしたいのです。
自動車なりバイクなりの免許を取得するとき、道路交通法というものを学習したと思います。もう忘れてしまったという方もいらっしゃるかもしれませんが、バイクや車を運転する限り、それは知っていることが義務ですので、「知らなかった」では済まされないものなのです。ということも当然知っていなければなりません。
で、その道交法の中で、「進路変更の合図のタイミング」について規定されている筈ですが、答えをすらすら言えますか? 進路変更をする3秒前又は、交差点の30m手前というのが正解です。申し訳ないですが、答えられなかった人は論外。答えられた人でも、それをきちんと実践していますか? 実践していなかったら全く危険行為をしているという自覚に欠けています。

免許を取ってしまえばこっちのもの。という考え方も理解はします。けれど、誰だって事故は起こしたくないのではないでしょうか。道交法というものは、あるところでは警察と癒着した標識や信号の製作、敷設業者を儲けさせるため悪用されているものもありますし、「もう古臭い!」と思うものも多々あります。しかし、人間の反射動作の所要時間から導き出された理論的な規則も多いのです。そして、この針路変更の合図というのもそのひとつです。詳しい話は省きますけれど、それまで順調に流れに乗って走っている状態から、前の車がそこで曲がるんだと認識して安全に対処するためには、それ位前から合図をしなければ危ないということです。ところがかなり多くのドライバーは、交差点で信号待ちをしているときですら合図を出さず、信号が青になって、自分が曲がり始めて初めて合図を出す人も居ますし、交差点でない道路脇のお店に入るようなときも、突然(急)ブレーキをかけて減速をして、自分がハンドルを切るときに漸く方向を指示します。

そういう人にお尋ねしたいのですが、なぜ、そんな合図の出し方をするのでしょう。それが格好良い合図の出し方なんですか?
確かに道交法では、追突をしたら追突した方に非がある事になっています。何があっても回避できるだけの車間距離をとる義務が後続車にはありますから。
しかし、ブレーキをかける前に「俺は曲がるからね。だからこれから減速するんだからね」と、まず方向を指示し、それからブレーキを踏んで減速すれば、後続の人は「あ、方向指示が出たからそっちに曲がるのね。減速するよね」とブレーキを踏む動作に入ることができるわけです。
なぜ、方向指示をすることが罪悪かの様に、最後の最後までひた隠しにしなければならないのだろうか、私には理解に苦しむのです。どうかお願いですから、そのような運転を得意気にしている人は、私にその心境を教えて下されば幸いです。


今日から....

思い立ったので、今日からMEMORIZEの更新をやめ、エンピツへ引っ越すことにしました。今後ともよろしくお願いいたします。

2004年04月11日(日) 無事終了

母の49日法要は、無事終了いたしました。

私はぎっくり腰で、少し寝込んでいました。
とりあえずお経を上げている間と、墓と宴会場へ坊さんをお連れする運転手役は無事こなしましたが、宴会場では座布団に座ることができず、足の悪いご老人と一緒に背の低いいすに座って、殆ど何も食べることなく時間をすごし、家に帰ってきてからは宴会に参加せずただ二階に上って横になっていました。

自分自身楽しみに思っていた、写真撮影も殆どできません。すごくもったいないけれど、こればかりは仕方ないですね。ま、昨日は横になっているしかなかった分、新しいエンピツページ用の掲示板を探す事ができましたし、今日も宴会場では「腰が壊れたから」と男芸者になることなく、久しぶりにじっくり親戚とお話をすることができましたし、楽をさせてもらった感じです。

一段落したあと、ふと昔のアルバムが目に留まりました。自分の生まれたときから幼稚園、小学校時代の写真や母親が学生だった頃の写真を眺めてとても懐かしくなりました。いや、正直子供の頃の自分ってなんと愛らしかったことでしょう。どうして、そんな愛らしい子供がこんなおっさんになっちゃったんでしょう。人間って不思議ですねぇ。そう実感しましたとも。

さて、ぎっくり腰の腰が不安なのでこれからゆっくり帰ります。途中でのんびり休みを取りながら、明日の朝までに着けば良いや位の気持ちで帰ることにします。どうか、無事帰着できることを祈っていてください。

2004年04月10日(土) 何人なら..... (人質事件)/ 田舎での出来事 / エンピツを借りました

イラクで人質となった三人に対してどう対応するかでマスコミが騒いでいます。

今回の一連のイラクの騒動は、アメリカの石油利権欲しさの一方的な侵略戦争であって、アメリカ及び、それに無条件に加担する日本に正義はないと思っていますので、とても乱暴な話で申し訳ないですが、サマワの自衛隊駐屯地への大規模攻撃があれば、世論がどうなるんだろうかととても興味を持っていたのです。アメリカを正義として、それに尻尾を振ってついていく決心をしたのですから、政府としては、正義のための自衛隊派遣で、テロに屈してはならないわけです。しかし、自衛隊駐屯地が襲われ、数百人規模で死人がでた。軍隊なら兵隊は消耗品ですから、政治目的のために死ぬのは仕事と言えるのですが、自衛隊は特別職とはいえ国家公務員であって、軍属ではないのですからそうは言えない。今まで戦って死ぬということが現実として分かっていなかった人が多いだけに、そんな事が起こったら世論は紛糾するだろうと思って、本当言葉は悪いですけれど、楽しみにしていたのです。
実際、アメリカの侵略戦争への加担で自衛隊を派遣する方が間違っていますから、それで撤退になるならなったらいいと言う考えでした。

そして実際に起こったのは、駐屯地への何発かの弾着と、民間人が自称テロリストに拉致されて「自衛隊の撤退を求める」声明が発表されたということでした。
ここで問題になるのは、「何人の命なら大事なのか」ということです。

私の言うことは、ここを読んでくださっている方なら想像のつく事です。30数歳のお二人は、危険を充分認識した上で現地に赴いたのです。特にジャーナリストの人はそこに危険を求めに行ったのではないですか?「あわよくばピューリッツァ賞を」と戦争写真を撮りに現地に赴いたのではないですか?そして、ボランティアをするというのも立派な精神の持ち主だと思いますが、そこが戦場であれば、日本に居るより何十倍も危険で戦闘に巻き込まれるということを認識できる筈です。いい大人なんですから。そのいい大人が判断して決断して現地に行ったのですから、家族として「身内を助けたい」という気持ちは理解しますが、本人の責任の上の行動ということも理解しなければならないでしょう。もう一人の18歳の少年っていうのも、使命感に燃えて危険を承知で現地に行ったのではないですか。法律上、彼はまだ親の庇護の元にいるので、親がその危険をきちんと認識して許可を出さなければ事件には巻き込まれませんでした。親の認識が甘いということですね。

例えば、一人が雪山で遭難した。それを捜索するために何人もの人が山に行き、最悪は何十人もの遭難者を出してしまう事があります。それは正しいですか。その一人の命を諦めることで何十人もの命が助かるとき、どちらの命が優先するのでしょうか。
今、3人の命を救うために自衛隊を撤退させたとします。すると翌日からさまざまなテロリストが世界中で日本人を誘拐し、「金を出せ」から「お茶を汲んで来い」まで要求し始めるのではないですかね。

自衛隊を動かすには金が掛かります。国民の血税という奴です自衛隊をサマワに駐屯させるために飛行機や船を動員して、ロシアの輸送機をチャーターして、いったい幾らの費用が掛かったのでしょうか。最近のテレビCMでも魚が「君バイトしたことないでしょ。そんな人に言われても重みがないんだよね」と言っていますけれど、どうして署名などという何の苦労も伴わないものを集めたりするのでしょうか。それより、その人たちからお金を集めて「これを自衛隊の撤退費用に使ってください」という方がどれだけ現実的でしょうか。

親としての気持ちは分かりました。しかし、国として立ち向かう場合、テロに屈しては駄目だということは鉄則だと思います。テレビのインタビューで共産党などが「人の命の方が大事」という声明を発表していました。そんな程度の認識だから政権が取れないんです。ま、その程度の野次馬集団でしかないって事です。

自衛隊なり、民間人なりがテロと関わる前だったら、自衛隊が行くことは間違えているから撤退するべきだということが正論だった訳ですけれど、テロと関わってしまった今、テロに屈して撤退したととられる行動をすることは、「たった3人を助けるために、これから何万、何百万人の命を危険に晒すこと」になります。
親の気持ちなら、世界中の全ての人と引き換えにしたって自分の子供を助けたいでしょう。では、国家としては誰を助けるべきなのでしょう。
政府は人一人ではなく、国民という塊で人を動かし、日本という船の舵を取ります。会社で言えば社長です。親子とは、その中の水兵さんであり、会社で言えばさまざまな部署の社員でしょう。
大会社の社長は社員全員と会ったことはありませんが、リストラが必要となれば部下に命じて見たこともない「誰か」の首を切る決断をします。その社員が路頭に迷うとか、そんな都合に左右はされません。それと一緒じゃないですかね。人の命とリストラなんかを一緒にするなって怒る人も居るでしょうけれど、要はそういう事でしょ。日本全体の安全なりを考えてテロと対峙する時、テロにどう立ち向かうかが大切であって、国民の数人、時には数十、数百人を切り捨てる必要はどうしてもでてくるでしょう。

その三人は、自分の責任で危険を承知で現地に行ったのです。その人たちの為に、本当にみんな自分たちが危険に晒される覚悟はできているのでしょうか。


田舎での出来事

私の田舎は北の日本海側の片田舎なのです。

午前中に父親の用事で出かけた帰り道、山のふもとの温泉街に有名なおいしい豆腐屋があるので、そこに立ち寄って豆腐を買うという事になりました。何種類かの豆腐があって、試食してみたらどれもこれもおいしいんです。でも、値段もすごい。高いのは一丁735円(税込み)とかするし。
買い物を済ませて車に乗り込んで走り始めたのですがどうも様子が変です。
私は家に向かって北に走っているはずなのに、カーナビの表示は東へ向かっています。そして画面に表示される地名も太平洋側の県を表示しています。「へ?」「はにはに?」という感じですよね。もしやと思って、衛星受信状態を確認してみたら「未測位」と表示されていて、少し開けたところへ行ったら、無事「3D測位中」に変わり正しい位置を指し示してくれましたので一安心だったのですが、果たしてあれは何だったのでしょう。私自身一度もいったことのない場所へカーナビだけが旅をしてしまったようで、なんかずるいですね。

一度帰宅して、近くの飯屋へ食事に行きました。少し前にテレビで「この地域のかつ丼は卵で閉じていなくて、ソースにくぐらせただけ」といっていました。冗談じゃない。私はそんなカツ丼見たことないよ。ソースカツ丼って言えば岡山とかが有名でしょ。私の田舎がそんな筈は無い。そんなの「海軍のカレー」とかそんなものの様に、町おこしの為に後から無理やり作った名物でしょ。そう思っていたのです。ところが、その飯屋のカツ丼はテレビで放送していた通りのものでした。「て、てめぇ、テレビを見ておもねりやがったな」と思ったのですが、聞いてみたら、このお店では遥か昔からこれ一本だったそうです。ということは、わたしが「カツ丼にかかった卵の半熟加減を堪能している頃、私の実家からたった数百m離れたこの場所。それも私の通った小学校のすぐ近くではソースにくぐらせただけのカツ丼がまかり通っていたということでしょうか。信じられません。アンビリーバボー!です。なにか、テレビに負けた気分。物凄い敗北感です。

家に帰ってから、ぎっくり腰のため、めがねをはずして寝転がっていたのですけれど、遠めでテレビを見たら、何が放送されているのか全く分かりませんでした。「これはなんという番組?」と聞いたところ「新撰組」と答えが返ってきました。「え!」と私が答えたのには訳があります。めがねを外した私には7:3に分けた上方で背広を着た人がたくさん映っていたんです。それで「新撰組」って信じる方がおかしいですよね。
めがねをつけて良く見てみたら、確かに頭はちょんまげを結っていました。....視力の悪い人限定ですが、新撰組など時代物をめがねを外してご覧になってみてください。
役者が正面を向いていると、さすがに分かりますけれど、斜めから映っていると、月代(さかやき:頭の全部から頭頂部にかけての剃りあげた部分)が細く映って、まるでシチサンに分けた頭に見えますから。そして、暗い色の着物は背広に見えるんですよ。
これで水戸黄門を見たら結構笑えるかもしれません。ただ、黄門様のあの着物は目が悪くても分かってしまうでしょうけれどね。

そうそう、実は今日未明に家に着いて、寝る前になんとなく目の前の本棚の下の戸をあけてみたところ、アルバムが数札ありましたので、本当に何気なくそのアルバムを開いてみたのです。
そこには、ン十年前、大学生だった頃の兄弟Kの写真がありました。
Kは大学に通うため、同じ県内ではありましたが一人暮らしをしておりましたので、私はKの大学生時代というのは殆ど知らないのです。そのアルバムに映っていたKは、家に居たときとも、就職した後とも全然違う、いかにもその当時の大学生という感じの風貌でした。その友人であろう一緒に映っている人たちも同様。この写真を見ただけで、大体こんな時代の大学生だねと分かるようなそんな写真でした。

へぇ、Kにもこんな時代があったんだねえ。と感心しながらページをめくっていったところ、ついつい、腹を抱えて大笑いしてしまったんです。なんとそこには水沢あきのグラビアページが大切に切り抜かれて保管されていたんです。「うわー!(驚きの叫び)」「(声にならない)....っはははははははははははははは(大笑い)」ってな感じです。
そか当時はアイドルだったのね>水沢あき いや失礼しました。


エンピツを借りました

無駄になってもいいと覚悟を決め、昨日出かける前にエンピツの有料版を借りるための支払いを済ませました。先ほどエンピツのサポートから有料版への変更完了の旨メールがありましたので、これでエンピツのページは確保できました。
もう少し、使い方などを熟知したところでMEMORIZEへの更新をやめ、エンピツ一本に絞るように変更していきたいと思います。今しばらくお待ちください。

2004年04月09日(金) D70 その7(セットのレンズは駄目か?) / エンピツ暫定公開 / 49日

4月3日(土)にNikonのD70を買ったとき、セットで販売されているレンズ「AF-S DX Zoom MNikkor ED 18-70mm F3.5-4.5G」に対して「裏から入ってきた情報ではかなり華奢ですぐにガタが来る」「設計がかなり安易になっているみたいです」という事を書きました。

それらの言葉の前に「腐ってもNikonのレンズですから、そんなに極端に悪いものではないとは思うのですが」と前置きしたので大丈夫かと安易に考えたのですけれど、読んでいただいた数名の方から「そんなに悪いものなのか」と聞かれ、ちょっと無責任な発言だったかもしれないと反省をしているところです。

「20年以上も前のレンズが最新のデジタルカメラにも使用できる」こんなに頑固に仕様を守るカメラが国産他社にありますか?
その頑固さが企業の信頼となりユーザから支持を得ている訳で、そんな超一流メーカーが作るレンズですから、ある水準以上で信頼性に欠けるとか極端に性能が落ちるなんてことはないと思います。ただ、私自身の経験として、ズームレンズを屋外で使用した結果、砂を噛んで修理をする羽目になったこともありますし、私の行動範囲として零下20度以下の地方へ持ち込むなど、結構過酷な条件の屋外で使うことが頻繁にあります。私にとってカメラもレンズも「道具」ですから、手入れはしますし大事には使いますけれど、宝物の様に扱うつもりは全くなく、それなりに粗い使い方もしますので、頑丈であることは第一の条件である訳です。軽薄短小へ進む道もあります。しかし、それならコンパクトカメラで良い訳で、このカメラは、このサイズで操作のしやすさを追求するところに意味があります。そして、そのレンズも軽薄短小を追求するのではなく、Nikonというブランドであるなら、頑丈さと信頼が前面に出ていてほしい。そのような観点から見ると、私の手持ちのレンズ(Nikon、CONTAX、ZENZABRONICA)に比べ軽すぎて、ZOOMしたときの動きが大きく、粗く使えばすぐに壊れそうな華奢なレンズに見え、不安を覚えました。その時点で、古くはありますがAF-Nikkorがあり、広角側はなくなりますが、代用できるレンズがある事と、今は、仕事がうまく行って、少しだけ小遣いがあるので、うまくやりくりすれば、6月に発売予定の「AF-S DX Zoom Nikkor ED 17-55mm F2.8G」を買えるかもしれないという淡い期待を正当化するために、余計に「あんなのいらないやい」という表現をさせてしまったかもしれないですね。そういう気持ちをきちんと説明しなかったので、かなり不適切に見える評価をしてしまいました。そして、私の意見であるところに「裏からの情報」なんて不要でした。私の経験で、あのレンズは華奢に見えて不安だ(でも、天下のNikonの製品だから、きちんと動作するんだろう)。6月にでる高いレンズを買いたいんだい。だから、お前なんか要らないやい。お前を買っちゃったら、高いレンズ換えないじゃないか。それだけの話です。読んで疑問に思われた方には、疑問を抱かせる表現をお詫びいたします。


エンピツ暫定公開

エンピツの有料版の試用をしておりますが、ふと、MEMORIZEの有料版はどうなんだろうと疑問に思い調べてみました。もし、MEMORIZEの有料版の使い勝手がよければ、使い慣れているから一番いいのではないかと思ったのです。

結果として、確かに無料版より優先して使いやすくなりそうでしたが、半年又は一年ごとにお金が掛かること(エンピツは約四年分払ってしまえば、後は料金かからず。MEMORIZEなら二年分未満の料金)、使える容量が少ないこと(エンピツは一年毎に10MB で最大50MB。それ以上も申請すれば拡張できるらしい。MEMORIZEは6MB)というところが引っかかります。先日も書きましたように、一日に複数回更新することの多い私としては、それに対応しているMEMORIZEもレスポンスさえ向上すれば使いやすいのですけれど、全体的な使い勝手としては、エンピツの方に軍配が上がりそうです。

そんな訳で、多分エンピツへ近々引越しを行うと思います。
まだ、有料版への支払いをしておりませんので「決定です」とは言いませんが、多分決定です。
まだ確定じゃないということを明記はしますが、こんな感じのページです。ということでURLを公開しておきます。
http://www.enpitu.ne.jp/usr1/15815/

こちら(MEMORIZE)と似たデザインにしました。一日に1ファイルなので、ひとつしか書かないときはそのままですが、複数更新した場合、タイトルを"/"で区切って表示し、それぞれの項目ごとに罫線とタイトルを入れて区切るようにしました。新しいものが下に配置されます。
エンピツの方ではまだ掲示板を用意しておりません。するべきかどうか悩んでおります。書いている人に文句があるとか、そんな大それたことではなく、「「私ごとき」が掲示板など設置しても、書いてくれる人が居ないんじゃないの?」といつも葛藤しているんです。小心者ですから。MEMORIZEに掲示板をつけていたのは、MEMORIZEの機能としてあったのと、その掲示板へ何日書き込みが無いかという表示がユーザー画面に、掲示板の利用に関わらず表示されるのが心臓に悪かったからつけていたのです。小心者の私としては、掲示板は無い方が平和なんです。

とりあえず、何か不具合を見つけたり、ご意見などありましたらお知らせいただければ幸いです。あ、文章がつまらないって言うのは却下です。


49日

早いもので、母親が亡くなってからもうすぐ49日です。
そんな訳でこの週末は田舎に帰ります。
まぁ、日曜にあれこれ儀式があるだけで、そのほかの日はそんなに忙しい筈もありませんから、更新が滞ることは無いでしょう。とりあえず、カメラは忘れずに持って行きます。どんな写真が撮れるか、はたまた持っていかなかった振りをするか....自分でも楽しみです。

2004年04月08日(木) 引越し / やはり.... / D70 その6(昨日の写真でお茶濁し)


引越し

昨日 「駄目です!」といった、Netscapeでのエンピツ編集画面のプレビュー表示ですが、今日もう一度試してみたら、問題なく表示がされました。
そんな訳で、改めてテストをしております。暫くは、両方で同じものを登録する格好で平行していくかもしれません。

エンピツでは、一日に複数の文章を登録するという機能がないため、ひとつのファイルに継ぎ足して書くか、それとも一個にしてしまうかをえらばなければなりません。本当はタグ挿入ツールにテーブルタグをセットして、タイトルや時刻を簡易に入力してやろうと思っていたのですが、なぜか変数の文字列がタグの中に反映されません。ま、その辺りも含めてもう一度使えるのかどうかを評価して、改めて決定をしたいと思います。

このページはエンピツで書いたものをMEMORIZEにコピーする形で作っております。エンピツのアドレスはまだそんな状況ですので明記しません。隠しては居ませんから見つける気になれば簡単に見つかると思いますが。
兎に角エンピツのページはまだテスト中ってことでよろしくお願いいたします。


やはり....

エンピツのタグ挿入ツールは、IEでなら問題なく動作するのね。
タグをコピーしてくれるだけでも便利は便利だから、それで使ってもいいけど、Microsoftにおもねる会社って言うのはどうも好きになれない。これは本音。もう少し様子を見るしかないかなぁ。


D70 その6(昨日の写真でお茶濁し)

今日は外に出かけなかったので、昨日の写真でお茶を濁しておきます。悪しからず。

土手の桜

昨日桜を見に行った場所を少し離れたところから眺めるとこんな感じです。
これはAF-Nikkor 180mm f:2.8で撮影したものですね。

菜の花畑

桜の土手を下りると、そこには菜の花畑が広がっていました。菜の花だけでなく、かわいい女性でも居れば、わざとらしいけれど、もっと絵になるんですけどねぇ....そんなモデルさんがほしいものです。
これは、Micro Nikkor 55mm f:2.8での撮影です。

これは何?

昨日、掲載した写真と同じもののはずなんですが、何をどうしたかこんな感じに写っていました。光の加減とかで、CCDが誤変換でもしたんでしょうかねぇ。誓って、これは後で手を加えたりはしていないんですよ。写したそのままです。

お好み焼き....

「広島風お好み焼き」の屋台です。この人が悪いわけじゃないんですけれど、広島でこんなお好み焼きがあったら見てみたいものです。
小麦粉で作った生地に野菜を入れて焼いて、最後に卵を割って重ねたら広島風って言う定義なんでしょうねぇ。広い鉄板の上に杓子で生地を流しいれ、大きな生地の上に手づかみで野菜を広げていく。ある程度下が固まってきたらへらで一個ずつの大きさにきっていくのですが、その時、生卵をその上にぽんぽんと乗せていくんですね。洗ってあるから平気というかもしれませんが、養鶏場や親戚の家で嫌というほど糞まみれの卵を見てきた私としては、ちょっとこれは抵抗があります。良く麺をゆでる鍋で一緒に卵をゆでるなんて人が居ますけれど、私は生理的に受け付けないんです。床に落ちたもの、地面に落ちたものを食べることには比較的抵抗がない私でもそれはパス。ま、環境の問題ですね。
閑話休題
広島のお好み焼きとは全然違うものではありますが、「風(ふう)」というのが曲者で、本物じゃないけど、本物らしく名前だけは名乗っちゃうからねという宣言なんですよね。この理論で言えば、私も「木村拓哉風」の風貌ですと公言しても詐欺にはならないようです。とても便利な言葉ですねぇ。
....全然閑話が及第していないじゃん!ま、いっか。

2004年04月07日(水) 幻の引越し / 自然がいいんとちゃう? / D70 その5(桜)


幻の引越し

前から愚痴を言っていたのですが....

MEMORIZEの遅さにイライラが募り、エンピツにでも引越しを検討しようと、人づてに状況を確認したところ、無料でお試しができるというので今日借りてみました。

結果、駄目です。

理由、書いた文章のプレビューがIEでは正常動作しますけれど、わたしが使っているNetscapeでは動作しないんです。私はIEを標準で使うブラウザにするつもりはないのです。というより、できればIEは使いたくない。使わずに済ませたいと思っている次第。ですから、IEでしか確認できないプレビューしかないのであれば、その日記が如何に優れているとしても、私には選択肢の外となってしまうんですよ。借りる前に説明などを読んでそれなりに使えそうだと思っていましたし、これであのMEMORIZEのフン詰まりとはおさらばだなと思っていただけに大ショック!

また暫くMEMORIZEとお付き合いをしなければならないんですね。なんて、こんなことを書いていると、「利用しなくて結構です。お断り!」なんてメールが来て、MEMORIZEから放り出されちゃうかもしれませんね。


自然がいいんとちゃう?

Jリーグの開幕当初、鹿島アントラーズの試合を見たとき、目を疑った人がかなり居たんじゃないでしょうか....

テレビに時々遠めに映る選手の頭の辺りに。そう、アルシンドの長髪なんだけれど頭のてっぺんがきれいに禿げ上がっているその姿に「うそ!」と思った人は多分多いと思います。

頭のてっぺんが禿げてきたら、周囲の髪を伸ばして「いちきゅーわけ」にして、頭にバーコードを表示させるとか、安易に増毛、かつらをつけるとか、その時も既にそんな時代だったかどうかは覚えていないけれど、少なくとも、「はげ」という言葉がさげすみの言葉になっていたとは思います。そしてアルシンドが某かつらメーカー(?)のCMに起用されるのに時間は掛からなかった記憶があります。

大人を「オヤジくさい」と称する子供が増えて、いかにもオヤジは汚い生き物で、はげは罪悪の様に語られている感じですが、果たして本当にそうでしょうか。

年をとっていつの間にか顔には皺が増えて、髪の毛は白くなり、薄くなっていく。そういう過程は人間としてそんなに不自然でしょうか。「皺がその人の歴史をあらわす」なんて格好のいい事を言うつもりはありません。でも、私はご老人の深く刻まれた皺が美しいと思います。ごつごつした手がきれいだと思います。ごま塩見たいに白くなった髪の毛も、つるつるに禿げ上がってしまった頭も、とても美しいものだと感じます。由美かおるの様に、年に不相応な外観の人も居ますけれど、それはほんの少数の例外で、基本的に人間誰しも年をとって、皺くちゃになっていくんです。誰でもがなることをどうして恥ずかしがらなければならないのか不思議です。


D70 その5(桜)

今日は、客先に行ったついでに土手の桜を見学して、近くの温泉に寄ってきました。

それで、またまたD70で撮った画像です。今回はZoomNikkor28-35mm f:3.5-4.5とMicroNikkor 55mm f:2.8を使っています。

今回も画像をクリックすれば少し大きめに表示される筈です。
Breathe in the air

この画像をプレビューで見たとき「Breathe in the air」というタイトルを思い浮かべました。これはPinkFloydの「The darkside of the Moon」というアルバムの中の一曲。邦題「生命の息吹」です。なんとなくそんな感じを受けたのでした。

葉脈


マクロレンズ(Ai-Nikkor)を使うと、ものの見事にマニュアル撮影となります。カメラの露出計は使えないので、マルチメータを使って測光をする事になるのですが、デジカメの良いところは、撮影してすぐモニタ画面に今撮った写真が表示されることです。ですから、それを見て明らかに失敗のものは誰にも見られないうちに捨て去って、後は手動ブラケットという訳ではないですが、何枚かちょっとずつ条件を変えて撮影してみたりする事ができるんです。これはとても便利ですね。

この写真はかなりオーバーさせたというか、後先考えず、葉が光にすける様子を撮りたかったんです。
桜


桜-2-

何もコメントはありません。桜です。花びらを撮りたかった。

2004年04月06日(火) D70 その4(夕景)

今日は、客先へ行って来ました。客先には何の関係もないD70ももちろん持っていきましたとも。

仕事は30分か1時間で終わる予定だったのですが、今まで使っていなかった部分で不具合が見つかり、みっちり仕事をする羽目になってしまいました。まぁ、新しいシステムですから、こんなこともあります。←あっちゃいけないっつーの。

仕事が早くに終わったら、適当にドライブでもして風景でも写して帰ろうと思っていたのですが、客先をでたときには既に夕暮れ時って感じでしたので、どこに寄るでもなく、信号待ちで見える風景を写してみました。今日の写真はZoom Nikkor 28-85mm f:3.5-4.5を使って、絞り優先モードで撮影したものです。

夕暮れの風景-1-

薄暮の中という感じです。手持ちだったので少しぶれてしまいました。

夕暮れの風景-2-


一枚目の写真から20分後です。更に空は暗くなってきました。街灯による光にもスミアは見られません。まぁ、スミアなんぞ見えるようなカメラだったら、こんな金を払う価値なんてありませんね。スローシャッターで撮影している最中に前の車が動き始めたので、車だけがきれいに流れてくれました。

持ちなれた一眼レフタイプのボディではありますし、使い慣れたレンズではあるのですが、買った日にも書きましたけれど、その機能だけは、私の持っているF-801より15年分は新しい技術が詰まっていますので、その新しい技術を知るのにはたった数日では全然足りないですね。こういう機械は使い慣れたら、意識しなくても自然に手が動くようになる筈です。そこまで早く辿り着きたいものです。

2004年04月05日(月) D70 その3(初めての撮影) / おててつないで? / みじゅくもの!


D70 その3(初めての撮影)
快晴になりました。
居ても立ってもいられなくて、車を走らせD70を使った撮影をして来ました。

持って行ったのはD70本体とMicro Nikkor 55mm f:2.8/Zoom Nikkor 28-85mm f:3.5-4.5/AF Nikkor 180mm f:2.8の三本です。
ちょっと時期としては遅くなってしまいましたが桜でもとってみようと桜の木のあるお寺に行ってきた次第。

今日の写真は少し大きめで、更に画像をクリックするともう少し大きめの画像が表示されます。

D70+28-85mm f:3.5-4.5

説明のしようがないですね。桜です。レンズが35mフィルム用のレンズなので、うちには今、D70用で広角になるレンズがありません。そんな訳で、中望遠の距離を狙ってみました。

D70+28-85mm f:3.5-4.5

おばあちゃんと子供が数人、はとに餌をやっていました。餌がなくなったとき、子供が「もう餌はないよ」とはとに向かって言っていたのですが、これはその一場面です。手がかわいいですね。

D70+180mm f:2.8

これも桜です。180mmのレンズを使ってボケ味を出してみました。

D70+180mm f:2.8

なんというか、桜の木としか言いようがないですね。空の色が少しわざとらしい感じですね。

D70+MicroNikkor 55mm f:2.8

マクロレンズにして、近接撮影をしていたのですが、たまたまフタホシテントウ(でいいのかな?)が居たので被写体になってもらいました。

D70+MicroNikkor 55mm f:2.8

てんとう虫が恥ずかしがって奥に逃げてしまったので、当初の予定通り花も撮ってみました。

ま、こんな感じの写真をずっと銀塩カメラでは撮り続けていたのに、デジカメではどうもうまく表現ができなかったのを嘆いていたわけですけれど(それは自分の腕がない事への嘆きということです)、漸く私のような素人でも、使い慣れた環境が手に入ったという感じがします。

それにしても、このD70すごいなぁ....金さえ出せば上には幾らでも上があるんですけれど、この値段でこの描写力。そして連写モードにしたら1秒間に3枚で、40枚くらい連続して撮れるとか書いてありました。桜の花びらが散る風景を連写してみましたけれど、えぇ、もう「カシャカシャカシャカシャカシャ」とどんどこ撮っていくんですね。びっくりです。こんなに気持ちよく連写できるのはSANYOのDSC-X100以来の快感です。

プログラム任せで撮るなら、レンズはどんなものでもいいんですけれど、私の場合は大抵絞り優先か、マニュアルで撮影するので、どうしても今使っているズームレンズが気に入らないんですよ。f:3.5-4.5....これがとっても暗く感じてしまうんです。やはりなんとか6月には「AF-S DX Zoom Nikkor ED 17-55mm F2.8G」を買いたいと実感しました。そして、今日、撮影の帰りにお店によって、D70レンズセットって言う奴を触ってみました。確かにあのレンズは華奢ですね。使っている方には文句を言うつもりはありませんが、私はあのレンズにお金を出したくないと素直に思いました。ボディだけで正解。まぁ、セットで買わなければレンズがないという人も多いでしょうし、17-55mm f:2.8のレンズ(22万円)なんて買える人は限られていますよね。そういう意味ではこれは仕方ない選択だとは思いますけれど、なにかNikonのレンズらしくないですね。まるで「おもしろレンズ工房」のレンズみたいです。


おててつないで?

大阪高槻市の団地ない公園の回転式遊具で小学生2人が相次いで負傷した事件について....

午前中に一人が指先を切断しているのに、午後二人目が怪我をするまで何もしなかったのは職務怠慢だとか、すぐに適切な措置をとれば、二件目は防げた筈だとか、そんな話をまことしやかにしているマスコミですが、そんな事が役所にできるなら、「たらいまわし」だの「税金ドロボー」だのそんな悪名はつかないと思いますよ。
っていうか、別に「あくみょーたかきおやくしょ」じゃなくても、午前中に事故があったから、午後には適切な処置をってできたでしょうかねぇ。だって、子供が怪我をしたって事で、救急車は呼んだでしょうけれど、警察に連絡をした?そしてこの公園を管理するお役所には連絡をしたんですか? 役所に連絡が行ったとしても、役所がそんな末端の作業をしているわけではないので、連絡が伝わっていくのにはまた時間が掛かりますよね。そんなもどかしさは、はるか昔、ティラノサウルスレックスがその辺りを徘徊していた頃から分かっていることです。役所の人がのんびりしているって言うのは、役所の人以外誰でもが分かっていたことですよ。今更騒ぎ立てることじゃないでしょう。

まあ、折角今回こういう事故が起こって、初めてそのレスポンスに脚光を浴びた分けですから、ぜひともレスポンスの向上を目指してほしいものです。

先日の回転扉の事故があって、「回転扉は必要か?」という意見が持ち上がっています。そして、今回の回転遊具の事故で、管理がしきれないと分かれば回転遊具の全面撤去も考えているといいます。確かにね、子供の遊ぶものが凶器になってしまってはいけません。でも、何でもかんでも人任せで、何かあったら人に責任を求めればいいって言うのは如何なものでしょうね。なんというか、こういう程度の意識と対応がまかり通る社会って、まるで幼稚園の中の様にイライラしてしまいます。自分の責任とか、そういう事はないんでしょうかねぇ。子供には不幸なことでしたが、それはそれで、今後気をつけていけば良いだけのことで、その遊具なり扉なりを撤去しなければならないような物ではないんじゃないかな。

「優劣をつけるのは子供の心に傷をつけるから、みんなで手をつないで徒競走をします」とか、わけの分からないバカの極みの愚かな人間の成長を阻止するくだらない試みをしているところがあります。人はどうしても優劣がつきます。それこそ「No.1じゃなくてもOnly One」って事で、皆がそれぞれ個性のある人なんだから、その中のたかだか数種類の競技では数人の勝者が出るのが当たり前な訳です。そんなことすら分からないバカがしたり顔で「これが子供のため」なんていう社会に反吐が出そうなんですけれど、それと一緒ですよね。回転扉を通ることが下手な人も居るけれど、別に危ないと思うなら違う道を探せばいいのです。その日は強風が吹いていたり、気圧差があって、回転扉の横のドアは開かないかもしれません。回転扉に入れない人はビルを半周回って入らなければならないかもしれないし、その日は入れないかもしれません。それは不公平じゃなくて、自分の能力に見合った結果です。自分ができないから人にもさせないなんて変でしょ。そんなのは「公平」でもなんでもない。

回転遊具だって、たまたま事故にあった子供が居た。連絡が遅れて二人目の犠牲者が出た。なら、連絡を早くする方法と、きちんと安全管理をする基準を更新すれば言いだけの話で、それを管理体制はどうだったかとか、駄目なら撤去するとか、「バカじゃないの?」と言いたいですね。

どう思います?


みじゅくもの!

今日の夕食は、にら玉と中華丼でした。

最近、その二つに凝っているというか、私の場合、納得できるものを作ることができるまでしつこく同じメニューを繰り返すんです。「毎日食べて飽きたくないなら、早く成功しろ」と自分にプレッシャーをかける事で成功に導く訳です。

中華丼なんて簡単なメニューなんですけれどね、いかに簡単に、いかにありあわせの材料で、いかに短時間で作るかって言うことに躍起になっている訳です。
で、中華包丁で気持ちよく野菜を切っていたときのこと、左手親指の関節辺りにじんわりと痛みを感じました。「え?」と思って指を見ると、血が吹き出ています。あらら、包丁で皮を削いじゃったみたい。野菜などに左手を添えてトントントンと軽快に野菜を切ることができるようになってかなりの年月が経ちますけれど、その頃から見ても、こんなところを削いでしまったのは初めてかもしれません。包丁にも血がかなりついていて結構気持ち悪い光景でした。その時はあんまり痛みを感じなかったんですけれど、数時間経った今になって結構痛さを感じます。あぁ未熟だ。調子に乗りすぎた。

闇の左手


バンドエイドを貼ったところが今回の怪我をした所。

その下(指の付け根)の丸いのは、小学四年生のときに、かんなで削った傷跡だったりします。
これを見た人は「それなに?ペンダコ?」とか聞くんですよ。こんなところにできるペンダコがあったら見てみたいものですよね。

2004年04月04日(日) 和解と期待 / D70 その2(MicroNikkorと露出計)


和解と期待

サン・マイクロシステムズがマイクロソフトに対し、同社が同社のOS(Windows)向けに、勝手に同社製品でのみ動作するJava製品を作って出荷していたとして提訴をしたことを皮切りに、お互いが提訴しあう泥仕合をしていたのですけれど、漸く、マイクロソフトがサン・マイクロシステムズに19億5000万ドルを支払うことで和解し、新たに提携をするという事になったようです。

やっかみもあるのでしょうけれど、マイクロソフトの製品の脆弱さは事あるごとに槍玉に挙げられていますね。自社のユーザー管理に自社製品のDBを使っていないとか、使ったらすぐに壊れてユーザー情報が消失してしまったとか、本当のような嘘のような話もありますしね。

兎に角、マイクロソフトがIEを引っさげてインターネット業界へ進出した時は、本当にひどいものだったと思います。自社に影響力があることが分かっている傲慢な企業が、自社にユーザーを取り込むために、なりふり構わずそこら辺中を土足で踏み荒らしていました。「私のパパは代議士だからね」とわがまま放題好き勝手しているおバカさんみたいなことをしていた訳です。

そこに、サン・マイクロシステムズがJavaというプラットフォームに依存しないJavaというものを発表してマイクロソフトに対抗したのですが、マイクロソフトは勝手にそれを書き換え、Windowsでしか動かないものを作って、Windowsに載せて売り始めたのです。
どんな機械でも、OSでも変わらない動作を保障しますって謳い文句のJavaを勝手にWindows専用にしてしまったものですから、当然ながらサン・マイクロシステムズは訴えます。でも、マイクロソフトは「うちは大企業だもーん」と言って、難癖をつけて逆提訴などをしていたんですよ。
実際には、これ以外にも、HTML(HyperTextMakeupLanguege)でも同じようなことをしていて、NetscapeとIEで見え方が違うのは、単にサポートするHTMLのヴァージョンが違うからだけではなく、勝手にIEだけで動くような仕様を作ってそれをWindowsにだけ搭載しているようで、本当に鼻つまみの嫌われ者を地で行っているんですよね。
ま、私の言っていることは、大筋だけ「ふーん」と言いながら読んで、詳しいことは自分で調べてくださいね。かなりいい加減に端折っていますから。

兎に角、そんな感じで好き勝手放題していたマイクロソフトですが、上に書いた様なことを含む全ての係争で和解をしたのだそうです。その金額が19億5000万ドル。つまり約2000億円です。一目見ると「すっげー」大金ですが、これ位、すぐに取り返せるはした金じゃないかな。本当、これからまたWindowsの横暴が始まるのか注目ですね。




私、あまり使ってはいませんけれど、一応Yahoo!メールもHotmailもIDは持っています。どちらもどうして使わないのかといえば、(HotMailに関しては、一番にマイクロソフトを信じていないからというのが理由なんですけれど)やはり容量は少ないし、ファイル添付に限りがあるし、兎に角使いにくいって言うのが一番の理由でしょう。

インターネット検索大手のGoogleが無料のウェブメールサービス「Gメール」の試験運用を開始し、今年中の運用開始を目指しているそうです。
こちらは、保存容量が1GBだそうで、更に過去のメールから検索で特定のメールを探し出すことも簡単にできる工夫がされているそうです。
Gメールが一般公開されるのがちょっと楽しみです。


D70 その2(MicroNikkorと露出計)

ちょっと買い物に行ったときに、新しいおもちゃNikon D70も持って行って見ました。

生憎と雨空でしたので、車の中からいたずらで撮る程度しかできませんでしたが、それでも、今までのカメラとは全然違う描写力に驚いています。
先日、北海道を旅行したときに、一眼レフとデジカメを持ち込んで、撮り比べたときも思ったのですけれど、やはり、コンパクトデジカメの小さなCCDでは写真全体にピントが合っている記念写真的な画像しか得られませんが、このカメラでは、銀塩写真並みのボケが表現できます。これは昨日も書いたことですけれど、理屈で言うのと、目で見るのでは全然違うんですね。感動ものです。

乱暴な話をすれば35mmフィルムを使ったコンパクトカメラでも、撮り方次第では、一眼レフタイプ以外の高級デジタルカメラより良い画像が撮れるかもしれないって事を示唆しているんですよね。

家に帰ってからMicro Nikkor 55mm f:2.8を取り付けてみました。これはAFなんてついていない古いマクロレンズです。
Nikon Micro Nikkor 55mm f:2.8 by Nikon D70+Zoom Nikkor 28-85 f:3.5-4.5


カタログにも書いてありましたけれど、このレンズを取り付けると、露出計などは全く機能しなくなりますので、露出とシャッター速度は勘で設定するか、こんなものを使うかしかなくなってしまいます。

SEKONIC SEKONIC MULTIMASTER Model L-408


なんだか分かります?
ま、分かる人にはすぐ分かりますね。そ、露出計(SEKONIC SEKONIC MULTIMASTER Model L-408)です。白い玉に当たる光の量を検知して、適正な露出とシャッター速度を表示してくれる便利な機械です。
今時の普通のカメラには露出計は普通に装備されていますので、素人が普通に使う程度なら、こんなものは必要ないのですが、一応私はZENZABRONICAの6×7カメラも持っておりますので、こんなものも持っていたって次第なんですよ。いや、持っていてよかった。

今日の写真はD70で撮ったものです。スッげーくだらないものでデビューしちゃいました。ごめんなさい。

2004年04月03日(土) 買ってしまった....(Nikon D70)

二年ほど前から、「いつかは....」と思っていたものがあります。

その頃は50万円位していたでしょうか。去年は30万円台から20万円台に下がってきましたが、まだまだ手の届くものではありませんでした。
そして先日、ついに10万円台前半の値段がついたものが出たので、悩んだ末に買おうと思い立ったのです....が、どうも、同じ思いの人が多かったようで、多くのお店で「入荷待ち」という状態になっているようです。私が良く利用する某量販店のオンラインショップでも「入荷待ち」表示になっていましたね。

そんな訳で、「ま、縁がないものかな」と思っていたのですが、今日、友人に頼まれて修理品を持ち込んだお店にその在庫があったのです。行ったのはお昼頃。それから夕方まで散々悩んだ結果ついに買ってしまいました。

それは....Nikonの一眼レフタイプデジタルカメラD70(ボディのみ)です。

Nikon D70


レンズとセットのものもあるようですが、このセットとなっているAF-S DX Zoom MNikkor ED 18-70mm F3.5-4.5Gレンズの素性はかなり悪い感じがします。腐ってもNikonのレンズですから、そんなに極端に悪いものではないとは思うのですが、裏から入ってきた情報ではかなり華奢ですぐにガタが来るとか。設計がかなり安易になっているみたいです。私自身、フィルムを使う一眼レフカメラは古いとは言え、Nikonを使っておりますので、一眼レフ用のAF-NikkorやAi-Nikkorレンズは持っております。デジタルカメラに使用するとCCDサイズの関係から焦点距離が多少伸びてしまうのですけれど、それでも、広角側が厳しくなるだけで、全く使えないということではありません。そこで、今回はボディのみを購入し、暫くは手持ちのレンズで遊んでみる。必要を感じたら6月に発売予定のAF-S DX Zoom Nikkor ED 17-55mm F2.8Gレンズを買うことにするつもりです。問題はこのレンズの定価がD70ボディの値段より高い\220,000もする事(D70は\157,500)。果たして買えるでしょうかねぇ。でも、35mm判換算で25.5〜82.5mmと、私にはとても使いやすい範囲をカバーしてくれるレンズなんですよ。できれば手に入れたいものです。

Nikonの一眼レフを持っているとはいえ、私の持っているボディは15年近く昔のものです(F801) 。D70と比べるとついていないボタンなどが結構あります。しかし、つい最近までNikonのデジカメ、CoolPix5000も所有していたおかげで違和感はそんなにありませんでした。何とか取扱説明書を見なくても使えるんじゃないかなと思ったりもしたのですけれど、やはり無理なようです。機能ありすぎです。
ま、基本的な使い方はすぐに分かりました。ボタンを押しながらダイアルを回すことで、設定を変更できるインターフェースはとても秀逸です。軽薄短小を目指さなければならないコンパクトデジカメと違い、一眼レフタイプの標準的な大きさを堂々と確保できるこのカメラの重さは大したものですが、その重さ以上に使い勝手のよさに感動してしまいました。

Nikon D70の裏側


コンパクトカメラの使っているCCDより大きいAPSフィルムサイズのCCDを使っていることで、ボケ味がきれいに表現されることになるんです。早く試してみたくして仕方ありませんねぇ。そういう意味では35mmフィルムサイズのCMOSを使ったEOSの方が良さそうに思えるのですけれど、実際にEOSで撮った写真を見て、あまりのノイズの多さにパス。やはりCMOSはどんなにがんばってもCMOSであって、CCDの代わりにはなりませんね。

明日はちょっと用事があって忙しいので、思う存分カメラを使って遊ぶって時間は取れそうにありません。ま、来週の日曜日が母の四十九日ですので、その時に写真撮影を楽しんでみようと思います。
下の写真は、私の手持ちのAF Zoom Nikkorを取り付けてみたところです。

Nikon D70に手持ちのAF-Zoom Nikkorを取り付けたところ

2004年04月02日(金) 常識じゃない?

競技団体が分裂した結果、オリンピックへの選手派遣が危ぶまれているテコンドーですけれど....

いや、折角活躍の場なのですから、行けたら良いですね。とは思いますけれど、テレビを見ていて思った事を言わせてもらえば、この岡本依子って人を派遣するのは本当に良いの?と思うこともあります。
日本古来の○道というものには、体も、技も、心も磨かれて初めて一人前という考え方がありました。これは欧米でも多少の考え方の違いはありますが、同じことが言えると思うのです。でも、今の日本ってそのバランスが崩れていますよね。子供の頃から勉強だけして、それ以外の常識に欠けている人、自分のことしか見なくて人と協調できない人....

この岡本さんって30才を超えていると思うんですけれどね、テレビで「署名をしてくれたお父さんやお母さん....」とか平気で言うんですね。普通は「父、母」っていいませんか?「ちち、はは」ですよ。
なんかね、こういう常識的な対応もできないくらい精神が未熟な人を、幾ら技に長けていても選手として派遣するのは日本の恥を輸出するって事になるんじゃないのかとも思えてしまいます。まぁ、今の日本、そんなことを言い始めたら、選手として残る人なんて殆どいなくなってしまうかもしれないのですけれどね。

それにしてもこんな年になっても話し方を習う機会に恵まれなかったって言うのは、やはりどこか社会に問題があるように思えてなりません。

2004年04月01日(木)

人がなんと言おうと、私は小心者なんです。

「こんな図太い人見たことない」「度胸あるよね」なんていわれたって、私は小心者なんです。ただ、開き直った勢いで責めまくるときがあるだけ。
「こんなぶっとい奴見たことない」....ほっといてください。太っているのは関係ないでしょ!

毎年、エイプリルフールの今日になると、一生懸命ページに工夫を凝らす人がたくさんいらっしゃいますね。「今日を限りで閉鎖します」なんてありきたりのものから、「ほぉ〜」と感心するものまで様々です。

私は小心者ですから、本当はアイデアを持っているんですけれど、あまりの巧妙な嘘に、火星人が攻めてきたとみんながパニックを起こしてしまったら申し訳ないし、私に騙されたと知って、後でリンチにあうなんて事も嫌ですし、兎に角、小心者の私は、私がエイプリルフールを取り仕切れば、みんなが騙されること間違いないのに。と思いながら、心の中だけで皆を騙したつもりになって満足するしかないんです。すごくもったいないことなんですけれどね。

仕事の方も、まるでこの日を狙っているように、打ち合わせなどの作業予定が詰まっていきます。「分かりました。では、15時に伺います」と約束はしたのですが、行ってみたら「今日打ち合わせなんてするはずないでしょ。どうしてそんな初歩的な嘘に引っかかるんですか?」なんて言われるのも癪なので、明日は全ての仕事をさぼってやろうかなと思っているのですが、果たして行くのが正解か、それとも行かないのが正解か、すごく悩むところです。

嘘ついているの?ついていないの?しっかり本当のことを言ってくださいよ〜。小心者には辛い一日です。


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