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2017年09月01日(金) 再び「負ける戦争」に突入した日本

「Jアラード」という洒落た名前のお知らせ。
要するに空襲警報な訳だ。
80年近く前、同じような警報が日本中に流れた。
気が付くと、日本中の都市という都市は焦土になった。

警報が流れた時点で「終わり」であることは、その当時の戦争が証明している。
制空権を奪われた時点で、その国は「負ける戦争」をしている。

『パトレイバー2』だったか、戒厳令下の警視庁に召集された後藤隊長がこんな台詞を吐いていた。

「戦線から遠退くと楽観主義が現実に取って代る。そして最高意思決定の場では、現実なるものはしばしば存在しない。戦争に負けている時は特にそうだ」

この国は1950年代から「思考停止」している。
未だに「右」とか「左」という東西冷戦下のカテゴライズから抜け出られない愚者が、この国の政と思考言論を支配している。
すなわち、対米追従しか選択肢をもたない守旧世襲の政治家と、世迷言に浸り紅衛兵みたいな振る舞いが理想郷と信じて疑わないマスコミ言論が、2017年の今日になっても尚、この国の頭上に胡坐をかいている。
選挙制度もこのふたつのどちらかを選択するしかない「造り」になっているから、手の施しようもない。

気が付けば「負ける戦争」に引きずりこまれ、右往左往。
「馬鹿につける薬なし」とはこのことを言うのだろう。

「空襲警報」が鳴った時点で、もう「敗戦」なのだ。
全て手遅れだ。

半島北の国は「生き残るための闘争」を死に物狂いでやっている。
生き物として、実に真っ当な事だ。
生き残るために持てるだけの武器を執る。このどこがおかしい?

一方、この国は、その「生き残るための闘争」を何一つやっていない。
世襲政治家は北米軍事大国との「同盟」を信じて疑わず、妾のごとく「哀願」する以外の策を持たない。
かたや、紅衛兵気取りの言論マスコミは「憲法9条」という「魔法の条文」を翳せば、全ての禍から解放されると信じて疑わない。
もはやどうかしている。
半島北の国民がミサイル発射や、核実験に狂喜乱舞するのと同じくらい、この日本の政治家やマスコミの振る舞いもまた噴飯モノである。

今更、北米軍事大国が、命懸けでこの日本を守ると思うか?
核ミサイルが落ちれば在留米国人を救出することを最優先し、零落れて資源もない日本など、さっさと漢人軍事大国にでもくれてやるだろう。
内向きの北米軍事大国は、己の国にミサイルが届かない限り、極東のいざこざに直接介入するはずもない。もはやこの周辺は漢人軍事大国がイニシアティブを取りつつあることは周知の事実。
いくら世襲宰相が哀願しようとも、遅かれ早かれ棄てられる。
精々、役に立ちそうもない武器を買わされるのがオチだ。
その一方でマスコミ言論劣化紅衛兵も、「平和憲法」を原理主義的新興宗教のごとく担ぎ上げ、空虚な妄言で国民を誑かす。
世襲守旧宰相さえ倒せば「恒久的平和が天から降りてくる」と信じて疑わない。
もはやキチガイ沙汰だ。
そもそも紅衛兵なるものは、毛沢東が政敵を倒すために作った私兵のようなもの。
対外的なものではなくて、あくまで国内の権力闘争のために存在した。
「平和」とか「子供、女性の権利」「言論の自由」という旗印は単に「権力闘争」の出汁に使っているだけ。
ノーベル平和賞受賞者を幽閉し獄死させた国が支配したら「言論の自由」どころの話ではないが、そんなことは眼中にはない。
世襲宰相を倒せば目的が達成される訳で、それで国が滅ぼうと知ったことではないのである。

黒澤明監督の映画で『乱』という作品がある。
その中で「楓の方」という側室が登場する。
彼女は己の国が東西南北から攻められている時ですら、内々の権力闘争に固執し、ライバルの正室の首を取ることだけが生きる目的のような愚者。
挙句、国を滅ぼし、己も味方の武将に処刑されてしまう。
その「楓の方」と、現代の言論マスコミ「平和憲法」妄信者とが、妙にオーバーラップする。
彼らは「平和」など、望んでいない。
単に世襲宰相の首さえ執れば満足なのだ。国民の生命、財産などどうでもいいのだ。
そんな連中はいずれ、「楓の方」と同じ運命を辿ろう。

『エヴァ』の惣流・アスカ・ラングレーはこう叫んだ。
「訳のわからない敵が攻めて来てるのよ。降りかかる火の粉は振り払うのが当たり前じゃない!」

半島北の国のみならず、隣国漢人軍事大国もまた、日本に恨みを抱き、その恨みを晴らすことが根底の国家的感情であり、事実、今回の弾頭弾実験でもそれを理由に挙げている。
ならば、その恨みを晴らしてあげるために、日本人は喜んで核の業火を甘んじて受ける覚悟があるのか?
「平和憲法」の実践とはそういうことである。
その覚悟がない人間が「崇高」な「平和憲法」を語ってはならない。
日本人だけが特別に選ばれた「聖人」だと思っているのなら、世界にそれを証明しなければならない。
しかし、誰もそんなことはしない。
なぜなら俗人だからだ。
所詮、日本など俗人の集まりである。
俗人であれば、生き残るために、持ちうる知恵と道具を駆使して戦うのが当たり前だ。
無抵抗で殺される覚悟もなく、だからといって自分たちで闘うこともせず、いったいこの国はどこまで愚かになったのか?

人間は生き残るために闘争してきた。
もし、真の「平和」を実践したいならば、その人間という器を棄てなければならない。
肉体を「断捨離」し、無味乾燥な時間も空間もない「喜怒哀楽」も何もない世界に魂を昇華する以外に「恒久平和」の道はない。
人間の器に篭ったまま「恒久平和」を謳うのは欺瞞だ。

この国は滅びに向かって驀進している。
超少子高齢化、人口減、限界集落など枚挙に暇がない。
放っておいても衰退の一途なのにも拘わらず、「産めよ増やせよ」というスローガンすら許されない。
周辺国から攻められているのも拘わらず、他人事のように振舞う「現実逃避」が蔓延している。
生き物としての最低条件すら喪失している。

「自分の身は自分で守る」位の事はそろそろ気が付くべきだ。
敵対国の弾道弾弾頭が目視出来る位の場所に着弾したというのに、見てみぬ振りは、もはや独立国としての体を為していない。
「Jアラート」とかいう欺瞞放送は、国民に「自分の国を自分では守れません。右往左往して逃げてください」と宣言しているようなもの。
愚かな偽政者に甘んじてきたツケが廻ってきた。
身から出た錆だ。
甘んじてミサイルの破片にでも当たるのがよかろう。
そのうち、本物の核弾頭が飛来して頭上で爆発したとしても知ったことではない。
自分で自分を守らなかった愚かな者の順当な結果である。
その時に後悔したところで知ったことではない。

もし、そんな凄惨な現実を招きたくなければ、生き残る闘争を始めよ。
俗人らしく闘え。
相互破壊確証の原則に従い、報復核弾頭搭載戦略原潜を整備配置し、敵対国に隙を見せぬ政策こそが生き残る唯一の俗人の知恵だ。
その技を持っているのなら、生き残るために存分に使え。

間違っても日本人は「神」にも「聖人」になど成れない。
「聖人面」する者程、人を破滅に導く。

もう、「戦争」は始まっている。そしてこの「戦争」もまた、日本の負けだ。
本戦争の「戦犯」は守旧世襲政治屋愚者と劣化紅衛兵マスコミ言論の狂人たち。
そしてそれを甘んじて受け入れてきた日本人全員であろう。


絶望皇太子