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2001年06月29日(金) 創造された雄の運命

男は男に産まれるのではなく、男に「成る」のだ。
今月の『ニュートン』誌には男と女が如何にして創造されるかを特集していた。
ヒト、いや哺乳類は、胎児の初期段階ではすべて雌。
ところがある時点でアンドロゲンという男性ホルモンの作用により雄が意図的に造られるという。
いわば雄は必要に応じて意図的に造られたモノなのだ。
何のために?
何故?
この社会が人類創世の頃より如何に築かれてきたかを振り返ればあえて語るまでもあるまい。
自らの種の自己増殖と維持発展のためには雄という存在が必要だったからだ。
好むと好まざるに関らず雄という存在がそのために造られたのは疑う余地があるまい。
だが、この西暦2001年、少なくともこの國の若年層の雄にとってその雄たる存在理由はもう何処にもない。

この國の若いプライドある雄はこう思う。
「一体俺は何のために産まれてきたのだ?」と。
確かに物的には満たされているかもしれぬ。飢餓も生命の危機もない。
だがヒトはパンだけでは生きられぬ。
なにかをするためにこの世に産まれたはずなのに成すべきものが何もない。
生命を賭けても成し遂げるべき使命感もない。その対象もない。
誰かのために身を削るモノもない。
家庭?仕事?国家?
そんなものはもはや幻ではないか?
結婚すら覚束ないのに一体どうやって家庭のために将来のために生きよというのか?
婦女子も学校も企業も国家ももはや雄としての自分の存在を必要としていないではないか?
結婚を望まない婦女子。子供を欲しない婦女子。新たな意欲的革新的人材を望まない企業。
国家のために献身的戦闘的活動を欲する人材を望まない行政府。
これでは何のために産まれてきたか意味がないではないか?

フリーターと呼ばれる男子が増殖している。
その日暮しの展望なき雄たち。
何のために生きているのか解らず、何一つ必要とされない存在。
本来の雄としての役割を与えられないまま無駄に時を刻むしかない哀れな男たち。
発展が止まり、衰退に任せるままのこの國にあって彼等の成すべき事と言えば死に場所を捜す事。
それも無益な死。
かつて男は必然的に死地、死の拠り所が与えられていた。
国家のための誇りある戦場での死、巨大プロジェクト完遂のための企業に身を捧げた職場での死、家庭を守るために身を削った末の死。
全て男として、真っ当な男として誇りある死が用意されていたのだ。
彼等の死は未来への礎だった。
それが雄として生まれし使命であり存在理由だった。

ところが今やそんなものは何処にもない。
男としての死に場所は何処にもないのだ。
あるのはただ反射的な無意味で虚無で何の役にも立たぬ野垂死、犬死の類。
ただだらだらと生き恥を曝し、その日その日を自堕落に過ごし老いていく。
しかしそんな日々に耐えられる雄はいない。
たとえ雄として生きる事を否定したとしてもそれは欺瞞に過ぎない。哺乳類として雄としてこの世に生を受けた以上、その生物学的掟から逃れることは出来ぬ。この魂がこの肉体に宿る限りはね。
結局は40前後でバタバタと自殺するしかない。
そしてその死はすべてが無駄なのだ。
若きフリーターの雄たちはその無駄な死のために無益にただ生き恥を曝しているに過ぎない。

衰退する社会では雄は必要とされない。
極端な話、雌だけで十分成り立っていけるのだ。
つまり、彼等は生まれてきただけ無駄だったのだ。

子供の頃、TVで高校野球を一生懸命応援していた頃があった。
しかしいつしかそれがただ高校生のクラブ活動であると気付いた時、もはやそれに対する熱意は失せていった。
同じように結婚や夫婦生活、子育てもいつか自分達が大人になる時の必須な通過儀礼と信じていた。
しかし、本人が大人になってみるとそれはお伽話に過ぎないことを知るのだ。
家庭ために職場で働く自分。その帰りを待つ妻や子供。休日は妻子のために遊園地へ・・。
そんなものは全てが幻。
メディアが流す典型的な家庭、夫婦生活の有り様など現実に手にする男はもう存在しないのだ。
もはや家庭や子育てすらこの衰退する社会には不要なのだ。
やがてはこの世に生きている事さえ幻と悟る時が来るだろう。

雄として生まれし不幸は犬死をもって成就される。
この國に生まれし若き男達に希望はない。
運命だったと諦めよ。


2001年06月28日(木) 火星に想う

夜半過ぎ。南の低い虚空に赤い星。
火星だ。
2年2ヶ月に一回、火星は地球に接近し、人々に吉凶を占う機会を与える。
かつて、民衆は火星接近の度に夜空を仰ぎ、自らの未来を想い、遥か第4惑星の神秘に空想を巡らした。
しかし、西暦2001年、人々はもう赤い星を見上げる事すらしない。

我々人類は老い始めた。
1960年代末の人類月到達を頂点としてただひたすらに衰退の坂を転げ落ちている。
少子化による人口ピラミッドの逆転は凡ての事象においてネガティブベクトルを示し、未来を絶望に置き換えた。
先日、公益法人見直しの報道がなされたが、あんなもの若年層の人口比が右肩上がりに延びていたらなんの問題もなかったはずだ。誰もがそれを信じ経済は順調に成長し、高度で快適な未来社会が約束されるはずだったのに・・。
あってはならないことが起きているのだ。
一方で高年齢層が増えたことにより安定した穏やかで平和な時代が続くと寝ぼけたことをいう者がいる。
愚かな。
成長と発展と革新がなくなった社会に未来があると思うのか?。
この文明社会を支えるあらいるインフラは高度な技術と莫大な費用と熟練した専門家と労働者によって維持されている。
あらいるエネルギー、電気、ガス、水道、下水、そして鉄道、道路、空港、港、更には網の目のように張り巡らされた通信ライン・・。あらいる物資の流通は一瞬の澱みさえ許されぬ。スーパーやコンビニになぜいつも豊富な商品が溢れているか説明するまでもなかろう。
これすべて豊富な人材と技術、資金あってこそ。これなくして1日たりとも維持出来ないのだ。
これが高年齢化と少子化に伴う労働人口低下と後継者不足によってやがては維持管理が困難になるのは火を見るより明らかだ。
何か大きな災害が起きた時、現在であればインフラ復旧にさほど時間はかかるまい。
しかし、これから20年後、30年後、大きな災害が起こればもはや復旧することは不可能になるかもしれぬ。その技術を持つ者がもはや存在しないからだ。人員も確保出来まい。
一旦、若年層が激減した社会はもはや現状維持さえ不可能となると覚悟すべきだ。

生物界は常に飽食か飢餓かのどちらかだ。
人類もまた例外ではない。
成長が止まった途端、やってくるのは戦争、災害、そして餓えだ。老いた社会にそれを克服するエネルギーは存在しない。
カタストロフは始まっている。
もし、今東京に大震災クラスの禍が起きれば2度とこの國は経済大国を名乗れまい。
もはや自力で現状を回復する力すら残っていないのだから。
今の行政府にこの難局を乗り切る具体的な戦略がないのは誰の目からも明らか。
あっという間にこの國は飢えと混乱と搾取と病と犯罪が蠢く廃虚国家と化す。

では日本國をはじめとする文明人類がこの危機的人口衰退を補うためにはどうするか?
人に代わる人に似たモノで補完するしかない。
それは時にロボットと呼ばれ、ヒューマノイドとよばれ、またレプリカントとも呼ばれる存在だ。
いやがおうにも遺伝子工学と人工知能による『造られしモノ』に頼るほかないのだ。他に手立てはないのだからね。
そしてやがてはその『造られしモノ』が人類を凌駕し、この地上に増殖し始めるのは時間の問題だろう。
ではそれで人類の文明社会は安泰か?
否。
やがては真人類と『造られしモノ』との間に軋轢、不信、嫉妬が生まれ新たな争いごとがはじまるのは必至。主人である人間がその下僕であるはずの『造られしモノ』に支配されるということに人間は我慢ならなくなる。そして『造られしモノ』自身も主人たる人間に敵意を抱くかもしれぬ。
人間が人間である以上この感情の掟から解放されることはないのだ。
これが哺乳類としての人類の限界なのだ。

結局のところ、この肉体に魂が宿る限り、滅びからは免れぬ。
唯一の策は、この肉体を捨て、魂を新たなステージへ昇華させること。
そう「人類補完計画」!
それのみが我々を絶望から救う手立てであることに疑いはない。
神をサルベージし、「ガフの部屋」の扉をひらくための業。
行政府はその神の業にもてる力を全て注ぎ込むのが真の責務であろう。
そしてそれを獲得した国家、民族、宗教のみが人類のあらたなステージに昇華出来る資格を神から与えられるのだ。

夜半過ぎ、火星は南中し、赤い怪し気な光を瞬かせる。
何回もの失敗にもめげず、探査機を火星に送り込む国家がまだある。
もしかすると火星に「ガフの部屋」が隠されているのかもしれぬ。かつて地球に訪れたはずの「超越した存在」。
彼等が火星に何か重要なものを隠していった可能性がない訳ではない。
「人類補完計画」完遂の鍵は火星にあるのかもしれないのだ。

唯一の希望、魂の新たな器が火星にあるとしたら?

かつて民が自らの未来を占うために恐れつつ見上げた火星。
因みに火星の衛星の名はフォボスとダイモス。
その意は「恐怖」と「不安」である。


2001年06月17日(日) 卑劣な者共

凶悪事件が発生するたびにメディアに登場する卑しき者達。
護送されてきた容疑者を警察前で口汚く罵る正義漢ぶった野次馬。
容疑者の過去を断罪する容疑者の親族、元知人、友人、学校会社の同僚等等。
容疑者のある事ない事いいたい放題。守秘義務なんてお構い無し。
曰く「あいつならやりかねませんでした」とか「ひどい奴だった」とか。
だったらなんでそんな人物と交友があったんだ?
容疑者がどれほど酷い人物であったにせよ、一時は親しく付き合ってたんだから偉そうなこと言える立場か?せめて弁護ぐらいしてやれよ。
こういう連中は今も昔も「裏切り者」と呼称される。
人として最も卑劣な範疇に入ろう。
こういう連中はその時々で都合のいい立場に寝返る調子のよい奴等だ。
戦争で兵士になったならば真っ先に非武装の住民を虐殺するような輩。
それでいて責任逃ればかりに終始する小心者。
メディアにとってはこんな人間の屑が最も利用しやすい恰好の「餌」なのである。
マスコミにまんまと乗せられてテレビカメラの前で偉そうに容疑者の過去をぺらぺらと喋る輩を見ていると虫酸が走る。汚物に集まる蛆虫そのもの。
しかと連中の顔と声を覚えておくがよい。
卑劣な裏切り者というのはこんな奴等だということを。


2001年06月16日(土) 警戒すべきことはどちらか?

例の大阪児童殺傷事件容疑者。
いつのまにか彼は健常者にされているそうだ。
メディアはいう。「いろいろ調べると容疑者は異常を装っていたらしい」と。
違うだろう?
「異常を装っていたらしい」ではなくメディア自身が彼の行動を「異常を装っていた事」にしておきたいのであろう。
真実は常にその時の都合によってねじ曲げられる。
彼が異常者であっては都合が悪い事が沢山あるから何としても健常者にしておかねばなるまいと。
「自暴自棄になって児童を殺傷した。因果関係がはっきりしてるから、彼は異常者ではない」だと?
自暴自棄になって見知らぬ児童を殺傷するのはどうみても異常だろう?
これが異常でなかったらこの世に異常なんてどこにある?
彼を健常者として裁く事は即ち同世代の同じ境遇にある日本男子を裁くことと同意語だ。
その目的があるからこそメディアと警察は彼を何としても健常者にしておきたいのだろう。
メディアは更に騒ぎ立てる。
「このような危険な男から学校を守れ」と。
行政も公立小中学校の校舎内立ち入り警備強化を通達したという。
いったい何のためだ?
20〜40代男性をすべて不審者としてチェックせよとでもいうのか?刑務所並に鉄条網でも張り巡らせと?
それで児童の安全が保たれるだと?
笑止千万。
むしろ、教師や児童自身がキレて校内で殺傷事件を起こす確率のほうがどれだけ高いかよく考えてみよ。通学路で交通事故に合う確率と刃物男と出会う確率どっちが高いんだ?
こんな破綻した無益な報道キャンペーンはいい加減にしたらどうだ?
まあ、メディア自身がある目的をもって市民を扇動していると考えれば合点がいくがね。
国民同志を疑心暗鬼に陥れ、お互いを疑いの眼で警戒し合わせ、民意をばらばらにするという目的・・。
我々はそちらの方こそ警戒せねばならぬのだ。危険なのはメディアが伝える偽りの「真実」の方だ。


2001年06月14日(木) 愚衆政治

政党党首がCM内で駄洒落を言う。陳腐なロボットを壊す。ベルトを締め付ける。小泉今日子の歌を披露する・・。
これを見た有権者がきゃっきゃとはしゃぐ。
・・で投票所でその「おもしろいことをする」党首の党へ一票投ずるという訳か。
それが21世紀の国政という訳だね。
国政がお遊戯と同列に語られるおめでたい國。
いっそ党首がおしめをしてこう泣叫んだらどうだ。
「ばぶ〜。お漏らししちゃった。ミルクちゅーちゅーちたいの〜」
一票といわず100票くれてやる。


2001年06月10日(日) 異常者の定義

メディアは今回の大阪児童虐殺事件容疑者をなぜか実名で報道している。
慣例だと匿名扱いが通例というのに。いつから異常者の定義が変わったんだ?
そもそも異常者って何だ?
どこがマトモでどこがイカレてるなんて誰が判断するのだ?
精神科医か?
聞くところによると他人を傷付ける恐れのある精神障害者は普通の精神障害者とどこかしら異なっていて扱いづらく厄介払いされるという。
真偽のほどは定かでないがそんなランク付けみたいなことが本当に可能なのか?
否。
そもそも異常者と健常者なんて相対的なものでその境などあってないようなもの。
中世の悪魔狩りの時代など今から考えればイカレた連中のほうが幅を利かせていたのだから。
要するに時の権力者の都合によって異常者の定義もいくらだって変わってくるのだ。
異常者を人権擁護の対象として利用した権力者もいれば異常者を犯罪に駆り立て身の保全や策謀の道具に利用する権力者もいる。
今回の事件の容疑者が実名報道されたのも、権力者の都合に過ぎぬ。実名にしてこの容疑者を生け贄の対象にする方がこの國をコントロールしやすくなるだけのこと。
いつしか異常者は健常者とみなされ、裁きを受けさせられる。
その一方で健常者が気狂い扱いされ、社会から阻害される。
この欺瞞に満ちた情報操作によって民は扇動され闇の権力者の都合のよい道具にされるのだ。
警戒せよ。
次はあなたが実名報道される番だ。それも無実の罪で・・。
これはやがて始まる悪魔狩りのプロローグかもしれぬ。


2001年06月09日(土) 真の虐殺者は誰だ?

みんな絶望に死ぬしかない。
絶望の30代男性・・。メディアはすべての独身30代〜40代男性を不審者扱いし自殺に追い込もうとしている。プライドある男達は社会から阻害され精神に異常をきたし、ばたばた死んでいく。
メディアは今日もその自らが追い詰めた絶望男性を下手人にしてその行いを断罪する。
メディアは喚き散らす。
「この社会は危険になった。そんな危ない気狂いを放置するな。30〜40代日本男性はすべて殺人鬼だ。社会のすべてから追放してしまえ」と。
だがそんな気狂いを生産しているのは何処の誰だ?
幼気な児童を殺したのはそれを断罪しているメディア自身だ。メディアを背後操縦する邪教徒によって追い詰められた絶望男性に殺しを肩代わりさせているに過ぎない。
真の虐殺者は邪教徒だ。
きょう大阪の小学校で起きた惨劇もまた邪教徒による「日本民族絶滅計画」の一環。
30〜40代男性といえば、最もアクティブな世代。それをすべて狂気の世代にすり替えれば日本社会は崩壊する。それを連中は狙っているのだ。
邪教徒は全世界に渡り、誇りある正しき男性を抹殺しようと策謀を展開している。
先日のネパール王室における惨劇も誇りある30代皇太子を下手人に仕立て上げた茶番劇。国王一家を謀殺し邪教徒の操り人形に過ぎない摂政を立てネパール王国を自らの奴隷にしようと画策した大陰謀であることは疑う余地はない。
絶望に追い込まれた者が死を選ぶために人を殺め、殺められた社会はますます懐疑的に絶望男性を追い詰め、更なる絶望と憎悪を増幅させ、更なる者を殺める。この救われぬ絶望循環こそこの國を滅ぼそうとする邪教徒の思う壷なのだ。
もはやどこにも救いはない。
死が死を呼び、絶望が絶望に絶望を呼ぶ。
みんな絶望に死ぬしかない。


2001年06月08日(金) 夢の欠片も無き時代

NHKTV『プロジェクトX』で純日本国産ロケットH-2開発を取り上げているのを見る。
昭和30年代、秋田の海岸でおもちゃみたいなロケットを飛ばしていた男達が夢を現実化させる国家プロジェクトに参加出来たあの時代とは何だったのか?
夢を現実化出来た時代。
月へ行こうと思い立ったら本当に月へ行けてしまう時代。
男が男でいられた時代。その影には婦女子たちの献身的な支えが不可欠だったという。プロジェクト実践者のほとんどは世帯持ち。何も特殊な環境にいた特殊な男ではない。
男が夢に夢中になっても生活出来たのだ。
だがそんなロマンに満ちた時代は過去のもの。
今、男が夢を抱いてもそれを支える婦女子など何処にもいない。夢は妄想と消え何一つこの世界で現実化されることはなく朽ち果てるのみ。
誰かが言う。
「ロマンは女性の犠牲のもとに成り立っているからそんな犠牲はもう御免」と。
そして婦女子たちは自由を獲得し、気の毒な男達は絶望に死ぬのである。
献身なき時代に未来はない。
もはや希望の欠片さえみつけることはないのだ。


絶望皇太子