内向的恐妻家の日記

   
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2003年12月30日(火) 今更ながら電気屋巡り

こんばんは、こうです。

大晦日も目前に、皆様は御宅で如何お過ごしでしょうか。

我が家はこの年末になってついに、ビデオデッキが壊れました。。。

まあ、我が家は特にテレビ家族でもなく、そうビデオがなくても困る訳では
ないと思うのですが、あるお方の、

「今日の、ナトゥの映画を録画せずして、年は越せない!!」

等と仰せになられた事から、家の周りの電気屋を巡る事となりました。
(多分、こんな映画の放送は関東ローカルでしょう。。。)

しかも、

「せっかくだから、DVDに録画できるやつのにしよう。」

等と、お金がないのにおっしゃられるものですから、最安値を求めてお店を行脚
しなければなりません。

巡ったお店をあげると、

・コジマ
・ヤマダ
・でんきち
・K's
・ベスト

となり、まるで小学生の時のオリエンテーリングのようです。

そして、値切りは当然の如く、つれの担当

本当は、私が値切りを担当し、

「パパ、かっこいい!!」

なんて、言われるべきなんでしょうが、いつの間にか我が家の役割がこうなって
しまったからには仕方ありません。

結局、つれは店員さんに、

「これ以上は、原価割れなんで勘弁して下さいよ〜。。。」

と泣きを入れさせ、ようやく満足し、購入いたしました。
(怖いです。)

しかしほんと、こういった状況は、一年前と全く変わりませんね。

ほんと、亭主関白への道は、まだまだ遠いです。

でも、今年の4月から日記をつけ初めて私自身は、ちょっとは変われたかな、と
思います。

日記をつけ初めて、生活的にはちょっと苦しくなったのですが、その代わり、
日記を読んで頂いたり、投票ボタンを押して頂いたりして、何か本当に
そんな事でパワーをもらっているような気がします。

また来年も亭主関白、外交的性格を目指して精進していきますので、
よろしくお願い致します。




2003年12月28日(日) あずき

こんばんは、こうです。

ようやく年末休みに入ってごろごろしようと思ったら、毎度の如く
大掃除でこき使われ、筋肉痛になりかけています。

だいいち、年末間際になると、

「大掃除でどうせ掃除するから、適当でいいよね。」

などといって、だんだんと掃除が疎かになっていっているものですから、
色々な所がほこりだらけになっております。

どこの家庭もそんなもんなんでしょうか。

まあ2日かけて掃除をしても家の半分も掃除が終わっておらず、
いつになったら大掃除は終了するのかわかりません。

・・・あいかわらず家族全員、午後に起き出してから掃除を始めているというのも
あるのですが。。。。

また、夕方からは近くのホームセンターへ年始準備を買い出しにでかけました。

お餅とか、雑煮の具とかを買ったのですが、その中でつれが忘れずに買うのが
『あずき』です。

実をいうと、私はあずきとか餡子とかが唯一苦手なもので、どうしても食べられません。

あの豆の感触が嫌なんですよね。

まあ、こし餡ならば、なんとか特訓して(というより無理やり食べさせられて)、
どうにか食べられるようになったのですが、つぶ餡のように豆が残っていると
どうも駄目です。

しかし、あずきはつれの大好物。

私にもどうにかあずきが食べられるようになるように、毎年正月になると、
あずきのお汁粉(所によってはぜんざいって言うんですか)の特訓が行われます。

今日も、その為のあずきをどっさりと買い込みました。


「。。。今年ももしかして、特訓するの?」

「うん。もちろん。今年こそ少しぐらいは食べられるようにならないとね。」

「・・・」


皆様、上の会話は夫婦の会話に思えるでしょうか。

私には、小学生とその母親の会話にしか思えません。。。


でも、赤飯のあずきが嫌で、箸で一個一個どかしながら食べていたら、つれに
気持ち悪いから止めて、って言われたんですよね。


やっぱ、私は小学生レベルかも。。。はぁ。。。


# まあ、頑張ります。。。


2003年12月26日(金) 恐妻家なりの思い

こんばんは、こうです。

ようやく年内の仕事も終わり、仕事納めを迎える事ができました。

今年は、忘年会は全部不参加だったのですが、今日の納会だけは参加し、
上司に媚を売ってまいりました。

よく最近は、

『若い世代はあまり飲み会に参加したがらない』

とか、

『上司が誘っても、自分の都合を優先する』

とか言われますが、

私が飲み会を断る理由って、そういう理由じゃないんですよね。

まず、理由の1つ目としては、つれが飲み会を嫌がる事です。

お金は余分に使うし、帰宅するのは遅くなるし、表立って飲み会に行くな、
とは言わないのですが、飲み会の度に機嫌が悪くなったりして、ゆったりと
飲み会を楽しむ事ができません。

また、もちろん理由の2つ目は、私の内向的性格が挙がります。

本当に気の合う友人と飲むのなら楽しいのですが、上司や初対面の人と飲むのは
なんか辛いんですよね。

まあ、そんなでも独身の頃はいろいろな飲み会に参加していたんですけどね。

しかし、ビールを飲むのが、夏に黒エビスが話題になって以来っていうのは
サラリーマンとしてまずいような気がします。。。

でもほんと、晩酌はしないし、タバコも吸わないし、付き合いもせず早く帰ってくるし、
ギャンブルはしないし(これはちょっと嘘かも)、家事育児には協力的だし、
自分で言うのも何ですが、なんて私は良い旦那さんなんでしょう。

なんでそんな私が、こんな自由のない生活を送らなくてはいけないのでしょうか。。。


「そんなの決まってるじゃん。
 私が、こうと結婚してあげたんだから、その分尽くしてもらわないと。」



。。。決まって出るつれの言葉です。

ほんと、この日記を書き始めた当時は、亭主関白を目指していたのですが、
全然その時と変わっていないですね。

まあ、私が反発しないって言うのもあるんですけどね。

本当は、私も自分の思っている事や意見を喧嘩になろうともつれにぶつけていって、
そんなかでお互いの妥協点を見つけ、そういう体験を通して、深い心の絆で
むすばれる夫婦になっていかなくてはいけないと思ってます。

でも、今の自分のように、自分を殺し、一人の人に尽くし続ける人生も悪くないですよ。
(つれは私に尽くされているとは、思っていないかもしれませんが。。。)

つれが死ぬ間際に、私と一緒で良い人生だった、と思ってくれる事が、本当に
今一番私が望む事です。


あれっ。なんか変な事ばかり書いてますね。。。

まあ、久しぶりに酔っているという事で、聞き(読み)流して下さい。
(すでに早朝の4時過ぎっていう事もあり、頭がボーっとしている事もあります)

多分、後で読み返すとものすごく恥ずかしいんだろうな。。。


まあでも、自分で自分を良い旦那だ、なんて言う人に限って、そんなに大した事の
ない人が多い訳で、これからも良き夫・良きパパを目指し、かつ亭主関白となれるよう、
自分を磨いていこうと思っています。


そんな年の瀬に、色々と考えてしまった一日でした。

さすがに寝ます。それではおやすみなさい。


2003年12月24日(水) クリスマス伊武雅刀

こんばんは、こうです。(題名に意味はありません。。。)


なんか最近、日記にも書けない嫌な事が続いて、落ち込みがちです。

昨日も日記を書き始めようとした時間が、すでに夜中の3時を過ぎていて、
さすがに日記を断念してしまいました。。。


しかし、今日は楽しいクリスマスイブ


イベント好きのつれにとって、この日は上機嫌の日。
楽しく一日を過ごす事ができました。

まず我が家のクリスマスイブの準備としては、私は、スパークリングワインと
モスチキンを用意し、つれは、簡単な料理とケーキと飾り付けを用意しました。


それと、忘れてはいけないのが、一年に一度お目見えするガラスの林檎。


誰も覚えていないでしょうが、ドラマ『ラブ・ジェネレーション』
合間合間に出てきたガラスの林檎を付き合い始めに買ったのですが、
あまりに高価だったため、クリスマスにしか鑑賞できないという
曰くつきのものです。
(ちなみに指紋がつくので、手袋をはめて扱います)


後は、定番の音楽をかけ、クリスマスムードは万全です。


しかし話しは変わりまして、こんな日にさみしい時を過ごしている皆様。


私も、こうして結婚するまでは、毎年毎年辛いクリスマスを送ってきました。

バイトでレジに立っていたり、高校時代の友人(もちろん男)同士で集まって
やけくそパーティをしていたり、と、思い出すだけで涙が溢れ出してくる日々。


今でも私はあなた方の同士だと思っています。

何も言わず、今日の私とつれの会話をお聞きください。


「こうやってクリスマスを祝える人がいるって言うのも、
 うれしい事だね。」


「そうだね。
 付き合う事が決まった時、まず、
 これでクリスマスにさみしい思いをしなくてすむ、って
 思ったもん。」


「うんうん。」

「でも何でだろ。
 付き合い始めた時って、クリスマスまでまだまだだったのに、
 なんで焦って選んじゃったんだろ。。。」


「。。。」

「もうちょっといい人が現れるまで待つべきだったなぁ。。。」

「。。。」



やっぱりクリスマスは嫌いです。



う〜ん。。。そろそろ『苦悩/心』にジャンル変えしようかな。。。


2003年12月21日(日) 留学

こんばんは、こうです。

土曜日につれが忘年会に行ったり、さらに次の日、つれがずっと寝ていたりと、まるで
週末だけ役割が逆になる生活を送って長いですが、まあいつもの事なので、違う事を
日記に書いてみます。


それは、金曜日の昼休み、会社での出来事です。

私の席には、割と気が合う独身の後輩(男)がいるのですが、いつものように
2人で並んでコンビニ弁当を食べていました。

その後ろに、珍しく部長がやってきたのです。


「ちょっと聞いてもらいたい話があるんだけど、いいかな。」

「はい。なんでしょう。」


私と後輩は、弁当を食べ休め、後ろを振り返りました。


「他の部署でサンフランシスコで勉強している部隊がいるんだけど、
 うちからも人を出したいと思っているんだよ。」


「えっ。」


その他、部長の話を列挙すると、

 ・サンフランシスコで最新の技術の勉強をしている人がいて、
  それを一緒に勉強してこい。
 ・期間は最低でも、1年間。
 ・うちの会社に現地法人とかはないので、提携会社のオフィスで
  アメリカ人と一緒に働きながら勉強してもらう。

等との事でした。

私はこの話を聞いた瞬間、、、


行きたい!!


と思ったのですが、次の瞬間、頭の中に浮かんだのは、つれと子供の顔でした。


「まあ、期間が長いから、できれば独身の人がいいんだけどな。」


部長もそう言って、私ではなく、後輩の顔色を伺っています。

ですが、後輩ははっきり表情にでるぐらい拒否の反応を示しています。
(実は彼女持ちなんで、それででしょう。。。)

部長はその表情を見て、次に私に振りました。


「もちろん、家族が許すなら、単身赴任でこう君でもいいんだけどね。」


ううっ。。。


「いや〜、ほんと。独身だったら是非行かせてもらいたいんですけどね。。。」

「まあ、きみんところは、奥さんが強いから。」


余計なお世話です。。。 当たってますけど。。。


そんな感じで、結局最後まで後輩は首を縦に振る事無く、部長は自席に
戻って行きました。

でも、私は内向的性格ですけど、ほんとこの話はうらやましいです。

会社のお金で勉強させてもらい、また1年もアメリカに入れば、英語も
しゃべれるようになって帰ってこれるでしょう。

また、アメリカンなガールフレンド(オヤジ言葉)も沢山できるかもしれません。

最初は大変かも知れませんが、チャレンジする価値のある話だと思います。



まあ、男はある意味、家庭を持った瞬間に夢を諦めなくてはいけないのです。

それに気付くのも家庭を持ってからなんですよね。

ほんと独身のうちは、多少無茶してでも、冒険した方がよいですよ。

(特に、隣席の後輩君!!)



2003年12月19日(金) 4月になれば

こんばんは、こうです。

どうも風邪をひいたみたいです。

私が風邪をひくと、たちの悪いことに、
 ・全身の倦怠感、
 ・のどの痛み
 ・微熱
等、自分にしかわからない症状にかかる事が多く、傍からみるとさぼっている
ようにしか見えない事が辛いです。

しかも、この症状が続く期間が長く、一回ひいてしまうと、一ヶ月ぐらいは、
こんな症状に悩まされてしまいます。
(こんな私の体は大丈夫なのでしょうか。。。)


原因は、大体わかっているんですよ。

ずばり、睡眠不足です。


最近は、平均して4時間ぐらいしかとっておらず、最悪の場合、3時間寝ただけで、
次の激務に出かけなくてはなりません。

というのも、つれと子供の生活リズムが乱れすぎているのです。


つれと子供の生活リズム
 正午12:00 起床、朝飯
 午後4:00〜5:00 昼飯
 だいたい9:00頃 帰宅したパパと夕飯
 深夜12:00頃 デザート
 深夜1:00 ようやく子供が寝る
      夫婦の語らいタイム(というよりつれの話を聞かされる)
 深夜2:00 つれがようやく寝る



というゴールデンパターンを繰り返しており、毎朝6:00に起きる
私にとって、ものすごく辛い日々が続いております。

しかし、それも来年の4月になるまでです。


そう。子供が幼稚園に入るのです!!


幼稚園に入るとなれば、無理やりでも早く起きなくてはいけません。

二人は、疲れきって、私が帰宅する頃には、とっくに夕飯もお風呂も
すませ、もしかしたらもう寝ている事でしょう。

私はその後、ゆったりとした時間を過ごし、日付が変わる前に寝ることができます。

ああ、なんて憧れの日々。早く4月がこないかなぁ。。。


トントン。トントン。


あれっ、つれ様じゃないですか。


「そう甘くはないよ。」


つれ予想、4月からの生活リズム
 朝8:00 起床、朝飯、幼稚園、その後つれ二度寝
 昼12:00 子供帰ってくる。その後、みんなで昼ね。
 午後4:00〜5:00 だいたいこの時間に目覚める
         その後、昼飯。
 だいたい9:00頃 帰宅したパパと夕飯
 深夜12:00頃 デザート
 深夜1:00 ようやく子供が寝る
      夫婦の語らいタイム(というよりつれの話を聞かされる)
 深夜2:00 つれがようやく寝る


。。。

。。。私が帰宅した以降が全く今と変わっていないんですけど。

。。。二度寝しておきながら、また昼寝するんですか。。。



どうも私の風邪は、しばらく治りそうにありません。。。



2003年12月17日(水) 【無謀チャレンジ日記】シーズンオフの富士登山−後編

それでは、後編をどうぞ。


--


富士山登山道の土砂よけの下で、今まさに凍死寸前となっている二人。


「これって、ウォークインより寒いかな。」

「絶対、寒いっすよ。だって、こっちはバナナで釘が打てますよ。」

「モービルのオイルも凍ってしまうかもな。」

「でももし、ここで帰れなかったら、次のシフトどうなるんでしょうね。」

「店長困るだろうな。。。」


絶望の状況でも次のバイトの事を考えてしまう二人。

そんな健気な二人に神様が味方したのでしょうか。ようやく、東から日光が差し込んできました。


『もしかして、これで助かったかも。』


未だ突き刺すような寒さは続いているのですが、日の光は二人に希望を与えました。

その後その希望にすがり、何とか二人は持ちこたえ、しばらくすると優しい暖かさが
戻ってきました。

この時の7合目で見た日の光で輝く駿河湾の美しさは、一生忘れない事でしょう。


「早く帰ろう。。。」


どちらからともなく誰かがつぶやき、二人は下山を始めました。

しかし、こんどは、、、


「暑い。。。。」


天気も回復し、太陽と私達の間に遮る物は何もありません。

極寒地獄の後には、こんどは灼熱地獄が待っておりました。


私達は、何とか亀のように7時間程かけて誰もいない駐車場に戻りました。


私は富士宮口から登っていたつもりだったのですが、そこで初めて
私達が登っていた登山道は、御殿場口だった事に気付きました。。。

どうりで中々頂上につかなかったはずです。


その後、車で自宅に戻ったのですが、中央高速を飛ばす車の中で、ヘビメタ先輩は
確実に、運転しながら寝てました。よく事故らなかったものです。


そして最後に、帰宅してふと見たニュース番組にて、愕然とした事実が発覚しました。


『今朝、富士山に初観雪。頂上にうっすら雪化粧。』


。。。寒かった筈です。

でももし、登山道を間違えてなかったりして、夜明けまでに頂上に
辿り着いていたとしたら、真面目に雪の中で凍えていたかもしれません。

まだ、7合目で助かったように思います。本気で神に感謝したい思いでした。


教訓:思い立っての登山はやめようね。


いまとなっては笑い話ですけどね。







# 最後は駆け足になってしまいましたね。。。
# 労力をかけた割には、全然報われていないような。。。
# また元に戻します。



2003年12月16日(火) 【無謀チャレンジ日記】シーズンオフの富士登山−中編

それでは、昨日の続きで『無謀、シーズンオフの富士登山』の続きをどうぞ。


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無言のまま、真っ暗な登山道を登っていく二人。

時折、遠くからキキキという何かをこする音が聞こえてくる以外は、
全くの静寂と闇が二人を包んでいます。
(これも後で知った事ですが、この音は車のドリフト族の物だったそうです)

本来、山梨側の登山道は、岩道なり山小屋なりがあって、そうそう登山に飽きると
いう事はないのですが、その登山道は延々の砂道にロープが張ってあるだけの単調な
登山道で、登山の醍醐味すら味わう事ができません。

もうここまで来てしまえば後は意地だけです。

ヘビメタ先輩も、砂で足が滑るだの何だの文句を言いながらも、足だけは黙々と
動かし続けています。

そんな中、幸いな事に、行くてに山の頂きのようなものが、月明かりでほんのりと
浮かんでおり、

『あそこまでいけば頂上だ。』

と思える事が唯一の救いでした。

しかし、登れば登る程、その頂きは富士の山頂にふさわしくないものに思えてきます。

何せ、富士山の頂上としては、頂きが小さすぎるのです。

そうです、その頂上こそ、かの有名な双子山の頂上だったのです。


「どうする?」

「どうします?」


その頂上が富士山本体の物でないという驚愕の事実を知った二人から、自然と言葉がもれます。

しかし、ここまですでに5時間以上登りつづけています。

ここで諦めるという事は、今までのこの工程を無にするという事です。

二人は、双子山の頂上を左手奥にして、重い足を引きずり再び歩きだし始めました。

そしてさらに数時間後、ようやく明るくなりかけてきた頃、
再び二人を襲った悪夢は、『寒さ』でした。

ただでさえ夜明けの一番冷え込む時間帯なのに、さらに激しい風と霧が二人を襲い、
その体温を奪っていきました。

何せ、富士山の頂上では真夏でも夜明け前は氷点下近くなります。

私もそれなりの知識は持ち、ましてや9月下旬の登山であったので、考えられるだけの
厚着をしていたのですが、そんな物は全く役に立たない程の寒さでした。


「これってものすごくやばくない?」

「。。。まずいと思います。」


何せ、考えられるだけの厚着で体を動かし続けているにも関わらず、
裸で氷風呂に飛び込んだ時のように、冷気が体中に突き刺さってきます。

全身の震えがひどく、前に進む足もしっかりと踏み込めなくなってきました。


『もうだめかも。。。』


二人がそう思った時、ヘビメタ先輩がついに決断しました。


「もう諦めよう。さっきあった土砂よけまで戻って、この風を凌ごう。」

「。。。はい。」


さすがにその提案に従うしかありません。

二人はきびすを返し、土砂よけを目指して下山し始めました。

しかし、ここまで7、8時間も登山しています。
本来ならとっくに頂上についていてもおかしくない時間です。

私は下山しながらも、頭の中は疑問でいっぱいでした。

そんな疑問に頭を占領されつつも、なんとか、凍死する前に土砂よけに辿り着く事ができました。

この土砂よけは、コンクリートでできていて、天井もあるため、いくらか風を防ぐ事ができます。

しかし、気温の低さだけはどうしようもなく、体の震えが止まる事はありませんでした。


『こういうときは、裸になって、お互いの肌と肌で暖めあって、、、』


という考えも浮かんだのですが、死んでもいやです。


ああ、もうだめかも。。。


自分自身、だんだんと意識が薄れてゆくのを感じました。。。。。。。



...感動の最終回に続く。





2003年12月14日(日) 【無謀チャレンジ日記】シーズンオフの富士登山−前編

こんばんは、こうです。

最近、なんか日記がマンネリ化しているような気がします。

何かしら出来事があって、つれがそれについて毒舌をはいて、
そして私が密かに悲しむというパターンとばかりなっていないでしょうか。
(まあ、それが事実なんでしょうがないのですが。。。)

そんな訳で、ちょっと気分転換にしばらく日記の中身を代え、チャレンジの
カテゴリーらしく、私の過去にあった、無謀チャレンジ日記をお送りしたいと思います。


一応、ラインナップとしては、

・無謀、シーズンオフの富士登山
・世界でトップ3の高さのバンジージャンプに挑戦
・内向的性格にもかかわらずユースホステルを使った紀伊半島一人旅旅行記

等のを考えています。(う〜ん、面白いのかどうかわかりませんが。。。)


また、このシリーズを書いていても、日常の出来事日記も挟んでいきますので、
つまらないからと言って、日記を見捨てないで下さいね。。。


それでは、無謀チャレンジシリーズの第1弾、『無謀、シーズンオフの富士登山』
どうぞ。


---


それは、私が大学時代、コンビニで深夜バイトをしていた時の事です。

私は毎年、必ず深夜の富士登山を行い、山頂でご来光を見る事をお約束としていたの
ですが、その年はたまたま忙しく、時期を逃してしまっておりました。

その事を、コンビニで一緒に働いていたヘビメタ先輩に暇つぶしで話した所、
異常に興味を示してきました。


「それなら、来週、一緒に登りに行こうよ。」

「えっ、もう9月も後半になってますよ。先輩、富士登山の経験あるんですか?」

「えっ。ないけど大丈夫。何とかなるよ。」

「。。。」


さすが、ヘビメタ先輩。あまりの自信ぶりに反論する事もできず、またその言葉は
冗談だと思っていたのですが、何故か1週間後にはヘビメタ先輩の車に乗って
富士山に向かう二人がいました。。。


「9月って、山小屋とか全部閉まってますよ。」

「大丈夫。大丈夫。一緒の登山者とか、結構いるでしょ。」


夜9時に中央高速を飛ばす車。社内にギンギンにかかるドリーム・シアターも
私の心の不安を飛ばすまでには、至りませんでした。


夜10時頃、富士山に到着。ここで、第1のトラブル発生。

私は、山梨側の5合目から登るつもりだったのですが、そこまで行くための道の
富士スバルラインが閉鎖されていたのです。
(後で知った事ですが、9月になると夕方ぐらいで閉められるそうです。。。)

仕方なく、静岡側に向かう私達。


「確か、静岡側の新5合目という所から登れるはずですよ。」

「じゃあ、そうしよう。」


車を飛ばし、そうして何とか、新5合目らしき所に到着しました。

車から降りる二人。

しかし当然ながら、真っ暗な中、周りを見渡しても、人っ子一人いません。

周りを取り囲むのは、漆黒の闇と、深い深い静寂のみです。


「大丈夫かな。。。」


思わず、ヘビメタ先輩がつぶやきます。

しかたなく駐車場を軽く歩いていると、駐車場の端に大型な車が止めてあるのが
目に入りました。どうやらその近くには人がいるようです。

思わず近寄る二人。

でも近寄ってみると、その人は何故か、迷彩服のような物を着ています。
そして、なんだかトランシーバーらしきもので、必死に通信を行っているようです。

。。。


自衛隊の人でした。。。


大型の車に見えたものは、自衛隊のバスでした。。。


「。。。」

「。。。」

思わず無言になる二人。

そのまま二人はきびすを返し、無言のまま頂上への登山道らしき所へと、
足を運んでいったのでありました。


次回、『凍死寸前の二人』へ続く。


2003年12月12日(金) いくら危険性があると言っても。。。

こんばんは、こうです。

世間では、イラクへの自衛隊派遣が正式に決まったようで、
物騒な世の中になってきましたね。

この件に関しては、私も言いたい事が山のようにあるのですが、
日記であるこの場に書くのはやめておきます。

また、つれなんですが、今回はめずらしく私と同意見で、この派遣に
反対なんです。

しかし同意見なのは良い事なのですが、この派遣が決まってからというもの、
毎晩私にその文句を浴びせてきます。

その文句(本人は議論だと思っているらしい。。。)は、延々と真夜中まで
続く事もあり、政治的問題よりも、私の睡眠時間問題の為に、
今すぐ派遣中止してもらいたいものです。

そんな中、今日帰宅するなり、つれにこんな事を聞かれました。


「ねえ、こう。今こうが働いてる場所って、官庁街に近かったよね?」


私は、その質問に軽く答えました。


「うん。一応まだ、官僚さん達と一緒の駅使ってるよ。」

「そうなの。じゃあ、あんた死ぬわ。」



ΣΣ(゚д゚lll)



「だって、東京にテロがおきたら、真っ先に狙われそうじゃん。。」

「。。。まず起こらないと思うけど。。。」

「分からないよ〜。ビンラディンが、うんたらかんたら。。。

 (以下、あまりに長いので省略)

 でもまあ、死ぬっていうのは冗談だけどね。」

「うんうん。そうそうテロはおきないよ。」

「まあね。」


つれの話も冗談で終わりほっとしましたが、あまり気持ちのよい話ではないですよね。

私はただただ、平和的解決を待ち望むだけです。

その後、何気ない日常生活が戻り、私はいつものようにまったりと時を過ごしましたが、
子供が寝静まった後、再び悪夢が待っていたのです。。。


「。。。あれっ。何見てるの。。。」

「えっ。こうの生命保険の約款。」



ΣΣ(゚д゚lll)



冗談だと思ってないじゃん。。。


「まあ、一応よ。一応。念の為に保険がおりるかどうか、見ておかないとね。」

「え〜ん。。。」


そう言って、私は泣きながら自室へと駆け込み、延々と枕を濡らし続けたのでありました。








たれぱんだになぐさめられる私。。。(せっかくなので画像UPしてみました)



2003年12月10日(水) 年賀状と閻魔帳

こんばんは、こうです。

そろそろ年賀状を書かなくてはいけない時期となってきましたね。

私は内向的性格ゆえ、出す相手が少なくて楽なのですが、交友範囲の広いつれは、
毎年大変そうです。

でも、何で私はこう年々出す枚数が減っていってしまっているのでしょうか。。。

そもそも、会社自体が虚礼廃止という事で、同僚や上司に年賀状を出す事を
禁止しているんですよね。

だいいち、プライバシー保護の為、住所録が存在せず、上司にポイント稼ぎの
為に年賀状を出したくても、住所がわからなくて出せません。

じゃあ、かといって高校や大学時代の友人達はというと、私と同じくずぼらな人が多く、
年賀状を出しても返ってきたためしがなく、出す意欲をなくしました。。。。

従って年賀状が少ないのは、私が内向的だからではなく、外的要因のせいですよね。(うんうん)

そんな訳で、だいたい私はつれが書いた年賀状のデザインを流用させてもらっている
のですが、今日、そのデザイン作りを手伝わされました。


「今年はねえ。アイアイを踊るゆうたの周りを、さるのイラストで囲うの。」


なんで、こう世の中の人は自分の子供の写真を年賀状に入れたがるのでしょうね。

私もあまり好きではないのですが、我が家の年賀状は毎年恒例で、

 去年は、羊のぬいぐるみを抱えた子供。
 おととしは、ポニーに乗っているつれと子供。
 さらにその前は、生まれたばかりの子供を祝福する蛇。

という、ありきたりなパターンになってしまっています。

私はほんと、シンプルな年賀状が好きなんですが、こういった年賀状を
もらう人ってどんな気がするんでしょうかねぇ。。。
(私も使わせてもらっているので、大きな声は言えませんが。。)


それともう一つ、つれは年賀状に関して、閻魔帳と呼ばれる、誰にいつ年賀状を
もらったかが記録してあるいやらしいエクセルシートを持っています。

それだけでも、かなりいやらしいのですが、つれ曰く、


「明らかにこちらの年賀状に対して返事を出してきた奴は、
 もう来年は年賀状を出さん。」



とかなり厳しい規則を作り、それを毎年実行しております。


それでも、年賀状を出す相手が減っていかないのは何故なんでしょう。。。

我が家の七不思議の内の1つです。



。。。私にも出す人、分けて欲しいな。。。



2003年12月08日(月) 棒と茄子2

こんばんは、こうです。

ようやく待ち焦がれていた冬のボーナスを頂く事ができました。

とはいえ、冬のボーナスも夏のボーナスと同様、もらった瞬間、

「なんだ、こりゃ〜。。。」

と、叫びたくなる程の金額でした。

これでは相変わらず、この明細を胸を張ってつれに突きつける事もできません。


ボーナス支給日というのは、本来、恐妻家がえばる事のできる唯一の日であって、
世の恐妻家はこの日の為に日々虐げられながらも働いているのです。

それを、、、その楽しみを、、、えぐっ、えぐっ。。。

。。。

失礼しました。つい、取り乱してしまいました。

とは言ってもこの明細を、つれに見せない訳にはいきません。

まあ、ボーナスがカットされた訳ではないですし、こんな世間の状況ですから、
その辺りの事はつれもわかってくれるでしょう。


「ただいま。。。」


いつもの通り、静かに帰宅した私。

普段は、帰宅した私を迎えに来る事などないつれが、今日に限って、
靴を脱いでいる私に近寄ってきます。


「おかえり。ねぇ、ボーナスどうだった?」

「まあまあかな。」


そう言って、明細をつれに手渡しました。

さっそく中を空け、難しい顔をして明細に目を通すつれ。


「。。。まあ、仕方ない、かな。。。」


なんか、夏のボーナスの明細を渡した時と同じパターンですが、こんなちょっと
さみしげにしているつれを見ると、何か申し訳ない気分になってきます。

しかし、そんなさみしげな私に、つれはこう言いました。


「まあ、私の隠し口座にお金が溜まってきてるからいいか。」



え〜!!、いつのまに。。。



どうも、その後のつれの話によると、つれが働いた分の給料は自分の口座に貯めておいて、
仕事に必要な必要経費は、すべて家族口座の方から引き出しているそうです。


そりゃ、たまりますわな。。。


ふと、私の周りをたくさんの鵜飼い鵜が取り囲み、

「そんなもんさ。おいらたちは。。。」

と、次々に慰められているような気がしてきました。。。


・・・神様、いつか魚を自分で食べる事のできる日は、来るのでしょうか?
 


2003年12月06日(土) えっ、、、○○ちん。。。

こんばんは、こうです。(プチ更新ですみません。。。)

今日は、子供と二人でちょっとしたレッスンに行ってきました。

このレッスンは子供同士で行うレッスンで、大人はその間、外で
待っていないといけません。

この間はなかなか辛い時間なんですよね。

土日とは言えども、お父さんと来ている人は少なく、ほとんど
お母さんが連れてきているんですよね。

さらにお母さん方でお話しを始めるので、私は1人でTOEICの本を
読んで勉強せざるを得ませんでした。
(まあ、話しに参加していないお母さんも半分ぐらいいるので、
そう私だけが仲間外れな訳ではないのでいいんですけどね)

そんな私の静かな読書タイムに、隣のお母さん方の井戸端会議から
こんな声が聞こえてきたのです。。。


「ねえ。最近、子供がさあ、ポコチンとか言い出してさぁ。
 何の影響だか知らないけど、困っているんだよねぇ。。。」



思わず、本を読む手が止まってしまいましたよ。。。


「うんうん。うちの子もポコチンって言うよ。」

「うちも〜」


そんなに、流行っているの。。。


そう品のなさそうなお母さん方じゃなかったのに、女性同士で集まると
こう言った言葉もでるんですね。。。

なんか、1つ賢くなったような気がする日でした。。。



2003年12月04日(木) プレゼントは何かな。。。

こんばんは、こうです。

12月に入り、年末の一大イベント、クリスマスが近づいてきましたね。

我が家も、玄関にツリーやリースを飾り、室内にポインセチアを置いたりして、
だいぶクリスマスムードとなってきました。


そういえば最近、庭や家自体に電飾を飾る家って多くなってきましたね。

我が家から見えるマンションの一室でもかなり豪華な電飾を行っていて、
毎晩見るのを楽しみにしていたのですが、つい最近、大規模修繕工事の為に、
マンション自体に覆いが被されてしまいました。

どうも工事が終わるのは正月明けになるそうで、さぞかしそのおうちの方々も
無念でしょう。


と、話がそれましたが、やっぱりクリスマスといえば、クリスマスプレゼントですよね。


我が家も子供の為のプレゼントを何にしようか、毎晩家族会議を行っております。

一応私も、何度か子供に、

「ねえ。サンタさんにどんなプレゼントを持ってきてほしい?」

と、聞いたりもしているのですが、いつも返事が、

「ぐるぐるおもちゃがいい。」

なんですよね。

それゆえ、今や家族会議の議題は、『ぐるぐるおもちゃとは何ぞや』
となってしまっております。

まあ、子供のプレゼントは適当にごまかせるのでよいのですが、
問題は大きな子供の方なんですよね。


「ねぇ、こう。クリスマスプレゼントには腕時計が欲しいんだけど。。。」

「えっ。腕時計?。先月誕生日でプレゼントしたばかりじゃん。」

「ん?。でもTPOに合わせて、腕時計も複数持っていないと駄目でしょ。」

「。。。そういう事を言っているんじゃないんだけどな。。。」


どうも、その後のリサーチによると、つれが誕生日に自分で買ったプレゼントの腕時計は、
今持っている洋服に似合わないそうで、その理由として、その時計がドンキホーテで
80%引きで買った安物だからだと考えているようです。

それゆえ、今度は安物ではなく、本物のポールスミスの腕時計が欲しいそうです。


「それって、いくら?」

「えっ?、聞かない方がいいよ。」

「。。。」


呆然としている私に、つれはこう続けました。


「まあ、こうの出世払いという事で。。。」


全然、意味わかんないんすけど。。。




2003年12月02日(火) チキンマックナゲット100円

こんばんは、こうです。

いきなり、華子さんの日記のようなタイトルですが、このタイトル通り、
今マクドナルド(以下マック)では、チキンマックナゲットが100円なんですよね。

私は今日、またまた有給で家にいたのですが、午後からつっぱり棒を買う為にでかけ、
買い物先のホームセンター内のマックで、このキャンペーンを知りました。

ちょうどおやつタイムだった事もあり、私はそのナゲット1つを目的にマックの敷地内に
立ち入りました。(安さにつられました)

しかし、レジにいた女子高生ぐらいの店員さんが暇そうにしているのを見た途端、
こんな心境になってきてしまったのです。。


『ナゲット1つ買って、105円だけ払うっていうのは恥ずかしい。。。』


・・・あまりに内向的性格すぎますか。。。

なんか、105円ごときで、その店員さんに、ナゲットを揚げさせたり、レジをさせたりするのは
悪いとも思ったんです。

だって、缶ジュースよりも安いんですよ。
(私もコンビニの店員の経験がありますが、ジュース1本だけ買われると、
 『自動販売機で買えばいいのに』って思ってしまいますから。。。)


そんな訳で、ナゲットは諦め、家に帰りました。(。。。弱っ。)


まあ、それでその場は収まったのですが、帰宅後、つい私がつれにそのキャンペーンの事を
話してしまったのが、その後の悪夢の原因でした。


「じゃあ、今から本買うついでに、ナゲットみんなで食べようか。」


との一声に、わが家族は再び出かける事となり、今度は本屋の隣にあるマックへと向かったのです。


「じゃあ、私は本屋で本を買ってくるから、こうはナゲット1つ買っておいてね。」

「!!」


私は思わぬつれの言葉に驚きながらも、ちょこっと妥協案をつれに提示しました。


「3人だから、ナゲット2個ぐらい買ってもいいんじゃない。」

「いんや。もう夕飯前だから、1個にしときなさい。」

「。。。うん、わかった。」


神様、どうやら私は、マックでナゲットを1つだけ買い、105円を支払うという運命から逃れられないようです。

意を決して(そんな大げさでもないけど)、マックに向かう私。

でも強制されていれば、なんとか買えるんですよね。

やはり少々恥ずかしかったですが、なんとか無事買い終えて、3人で1つのナゲットを
分け合う事ができました。

いや〜、本当に内向的な性格って損ですよね。自分自身、もっとずうずうしくなりたいです。

一応、めでたしめでたし。


# まあ、こんどのマックでは店員さんが、中年のおじさんだったという事も、無事買えた理由だったりするんですけど。。。



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