1日雑記

2007年04月26日(木)


いや、未来日記って言葉を頭の中でこねくり回していて
ふと思ったわけです。
それもありじゃないのかな、と。

ノートに死に方書いたら実行されるとか、そういうんじゃなくて
日記にあわせた行動を取るようにする、と。
そうすると自分が書いた行動を実行するわけですから
結果的には楽しい……と。

まぁ、もしも私がつけるなら
さしあたっては明日の献立でもつけるかな?
野菜のバランスをとって、と。
日記だから結果的な金銭は気にしない。
……まぁ、普段の行動パターンからある程度は読めるけど。
「野菜を食べていないのが気になったので
 野菜炒めを作りました。
 フライパンから溢れました。
 薄味でした。
 作りすぎで全部食べられませんでした……」
とか。

しかし、漠然と考えても
日常の中に楽しい事を作り出す方が大変なんですよね。
想像ですら浮かんでこない。

やらなきゃならない事を記しておくんでも役立つとはおもうけど。
つまらなそうな事はやらない。



2007年04月25日(水)

書くことがあまり無い日常こそ、危惧すべきかもしれない。

……無くは無いんだが、
書いてもつまらない事書いても仕方ないでしょ?
今日の夕飯が納豆と塩辛だったなんて
誰も興味のある話題でもないだろう。

仕事の愚痴をこぼしても面白みが無いし。

と、考えると一日が面白みの無いものであることが分かる。
一日だけならともかく
これが続くのかと思うと非常に嫌だ。

楽しくないのか、と聞かれるとNOなのだが。
地味に仕事を楽しんでいる側面もあるし。
つまらない部分も多いけど。
が、普遍的な楽しみじゃない。
それはちょっと困るのだ。

いつだったか、充実したと感じたころがあったはずだ。
就職活動中だったかなぁ。
忙しさと充実を履き違えると
気付いたときに気が重くなりそうだから……。

さて、何をして楽しもう?



2007年04月24日(火)

財布の中に500円しか入っていない社会人ってどうなんだろ。
……まぁ私なんですがね。

第一に改善すべきは食生活なんだろうな、と思う。
冗談でやばいやばい言っていたが、
そろそろ本気で危ないんじゃないかと思う。

最近の発見が、牛乳飲んでりゃ
殆ど飯くわなくてもおなか一杯になるんじゃない?
って辺りが、微妙さに拍車をかけているというか。

牛乳っておなか一杯になるから
良くかんで飲むように言うのだろうか?



2007年04月20日(金)

マテ茶。
買って来た。


と、マテ茶といっても知っている人のほうが
少ないんじゃなかろうか?
ひょうたんの器と、金属のストローで飲むお茶。
ひょうたんでないやつも沢山あるけど。

味は――緑茶に浮いている葉をめちゃくちゃ味濃くして
そのまま食べてるみたいな……。
まぁ、なれないから素直に美味しいとはいえないかも。
嫌いじゃないけど。
コーヒー素で飲むならこっちとるかもなぁ、私なら。

その辺のお茶よりは健康的らしいので
しばらくはたしなんでみようかと思ってます。

それより牛乳がきついんですけどね。
やっぱり1リットルは無理だ……。



2007年04月18日(水)


牛乳を、買った。
なんか色々足りてなさそうだから。栄養分が。

一日1リットル飲む人が結構いるっぽいので
まねをしてみようと試みる。
ちなみに引っ越してから、一度として牛乳なんて口にしてない。
下手すりゃ一年近く飲んでなかったんじゃなかろうか。

で、夜と朝。
がぶ飲み牛乳。
……リットル?無理!
900ml程度でいっぱいいっぱいでした。

毎日飲んでれば少しは骨が丈夫になるのかなぁ?
最近歩いていて、膝がカックンと折れる事が良くあるのだが
やっぱり色々足りていないのだろうか?



2007年04月17日(火)

つまり、お化けでも神様でも
言葉の定義という意味での存在は認めているという事だ。

と、気付いた。

共通の概念である以上、やっぱり言葉の上で存在はしているわけ。
後は記憶とか。

が、物理的というか、具体的に存在するかといえばNO。
少なくとも私は信じていない。

逆に言えば、具体的なお化けは枯れ尾花。
いや、実際にいるのだ、という人であっても
その存在はあやふやなものでしょう。
具体的な絵はあっても夜にしかでないとか
特定の場所にしかでないとか。
透けても無くて、足もあったらそりゃ人間。
足が無くて、透けているなら存在そのものがあやふや。
つまり、物理的、具体的な存在ではない。

そして、精神的な意味において、
私はそれらの存在を信じる。
居る、居ないではなく、言葉の定義として信じている。
ちなみに、この先幽霊を見ることがあるか?と聞かれれば
自信を持ってNoと言う。

しかしさ。
貴方は神を信じますか?って随分投げやりな言葉だと思いませんか?



2007年04月16日(月)


自転車で30分のところを
地図を見なかったら3倍時間が掛かってしまった。

最近、道に迷う事が多い。
まぁ、迷子になるのは嫌いじゃないが。

地図を見るのはつまらないって、やっぱり思いますよね?
見知らぬところでうろうろしてしまう
それって結構楽しいでしょ?

まぁ、大概ちゃんと目的地につくんだけどね。
迷っても。



2007年04月13日(金)


どうも最近、仕事に対するモチベーションが保てない。
イライラしてしまう。

まぁ、働いていればそういうこともあるだろうし
もうしばらくすれば忘れているだろう。


ところで、メガネを新調。
洗剤で洗って、熱湯につけたら
レンズのコーティングが駄目になりました……。
しわしわというか、ひび割れというか。

どうにもならず困ったので
一晩洗剤につけてみる。
コーティング全部はがせば再利用できるかな、と。

……変わらなかった。
少しまともになったかもしれないけれど。
次はアルカリかそのへんの強い洗剤を使ってみる事にしよう。

と、まぁそこまでやってまで使い続けるつもりも無いので
新しく購入。
なんで最近のはどれもこれも四角いのか。
ジョンレノンみたいなまん丸メガネがちょっと欲しかったのだが
結局四角になりました。

紅茶のポットも、わざわざホッピングが
おこりにくいような形状になってたり
シンプルで機能的な道具がどうして手に入らないのか……。
中途半端なデザインなんて不要だー!



2007年04月12日(木)


暗に、というかストレートに
もっと勉強をしろと言われてしまいました。
主に会社の時間外で。

基本的なプログラムの勉強を、という事なのだが。

そうなると、誰のためにやるのかという事を
考える事になる。
まぁ、基本的には自分のためなんですけど。
それだけだと面倒くさくて、いまいち……。

なんだか色々中途半端なので
もう少し色々考えて見ます。
大抵、考えるだけで終わるけど。

しかし、仕事だけって言うのはいやだなぁ。



2007年04月11日(水)

昔は、人の絵ばっかり真似して
描いていたなぁ、と思う。

それもシャクなので
いつからか、描きたいものを描くようになる。

最近は殆ど描かないが
まぁ、理由は考えられなくも無い。


負けず嫌いだ。
努力をしない負けず嫌い。

負けると一気にモチベーションが下がるので
何事にも投げやりになっている。
熱しやすい反面、冷めやすい。

……と、書いていてイライラしそうな性格であると自己分析。

描かなくなってきた一つの理由が
多分、うまい人が沢山居るからなんだろう。

そして、思うように描けないのに
人のものを参考にするのはどうも嫌だ。
外に出すならなおさらに。

と、そんな事を考えていて、今朝ふと思う。
誰にも見せなきゃトレースしようが真似しようがいいのか。

紙とペンを買ってきた。



2007年04月10日(火)

家から会社まで徒歩10分。
今日の帰宅時間が22時半を回っていた。

まぁ、上司の人もまだ残ってたし
周りの人の話を聞いても
さほどこれが酷い残業だとは思わないのだが。

それはそれとして、それから夕飯食べて
風呂に入ってとしていると23時半を回る。
この状態から何かをしようと思うと
確かに気力が持たないかもしれない。
しかも、これに通勤時間が1,2時間上乗せされるとなると……。

遅くまで仕事をしていて
なかなか創作活動の進まない人達の気持ちが
なんとなく理解できた一日。

ついでに、子供の起きていない時間に起きて
寝た後に帰ってくるお父さん達の事も。

なんか色々間違ってそうだ。



2007年04月08日(日)

IKEAという家具販売の店に行ってみた。

……でかっ!?

早くないと入場規制かかる事もあるという噂を聞き
両親連れて9時ごろに家を出る。
10時ちょっと前に到着。
開店は10時かららしいのだが
既に人が溢れている。

エレベータも、家具も
なんだか巨人の国に迷い込んだみたいだ。

この店、とにかく安い(らしい)ので色々見てみる。
結局1万円の本棚3つほど購入して終了。
一つの重量が40キロあるのだが
流石にもって帰ってこれずに宅配に。

宅配にしちゃうとお金かかるから
安くても元も子もないんだけどね。

とりあえずもう少ししたら、また行こうかな。



2007年04月05日(木)

なんていうのか、もしも運命が実際にあるというのなら
それは世界の繰り返しなんじゃなかろうか?

時々書く気がするが
基本的にあらゆる選択は必然だと思っている。
私が今日、この日記を書く事を選択したのも
夕食がカレーだったのも
自転車で迷子になったのも必然だ。

それを選択したのは私で
適当に進んで迷子になったのであっても
その道を曲がろうとしたのは私だからだ。

理由は無くても、そう発想したのだから。
頭では考えた理由が無くても
他に理由があるかもしれない。

ペダルの位置が進みやすかったから。
ハンドルがたまたまそっちにきれていたから。

でも、ペダルもハンドルも連続した時間の結末なのだから
やっぱりそれは必然だ。

もしも、もう一度今日が起きたとしても
多分行動は変わらない。
あらゆる物に意味があるから。

例えば、カオス理論。
スタートが僅かにでも違えば
ゴールは全然違うものになる。
ほんの僅かな変化が、大きな変化に繋がる。

それはつまり、全く条件が同じなら(現実にはありえないが)
全く同じ結果を返すという事になるのではないだろうか。

で、その現実にはありえない、
つまり時間の繰り返しが起こったとすれば
全く同じ結果をもたらす。

全く同じ過程と結果が複数あるなら
それは定まったものである。
故に運命、と。


また繰り返すと考えながら生きれば
色々怖いものなくなるんじゃないだろうかなどと
バカな事を考えてみる今日。

まぁ、輪廻転生しようが何しょうが、
今の記憶を引き継げないなら意味は無いんだけどね。
で、今の記憶引き継いだら
その時点で違うものになっちゃうんだけどね……。



2007年04月04日(水)

真剣に悩んでいる事がある。

……ゲームのために有給2日連続でとるのは
流石にまずいだろうか。

1日はとるのをほぼ確定してるんだが
問題は+1つけるかつけないか。
休みを加えると2日間の休暇で4連休になるんだよねー。
で、ゲーム漬けを考えているんだけど。

……やっぱり無茶かなぁ。



2007年04月03日(火)


男の子は即物的で、女の子は夢見がち。
女は即物的で、男は夢見がち。

……と、ふと思いついたフレーズとはまったく関係ないのだが
一年があっという間だったと言う表現はやっぱり嫌いだ。
嫌いだけど、つい使ってしまうのはこの際置いておく。

毎度毎度の事なのに、
毎度毎度短いと言っているのは
学習しないのか進歩が無いのか。
時間と言う定量尺度を定量として認識できない
この不条理がどうしても嫌だ。

学習できない自分にも腹が立つし
決まり文句のように使われ
殆どの人がそれを否定できない現状にも納得がいかない。

どうせ短いなら、時間は短くなっていくと定義してしまえばいい。
相対的に長い一年なんて物が殆ど存在しないのに
相対的に短い一年ばかりなんて間違ってる。
相対的に物を考えるなら、標準偏差にしてくれ!
絶対的なら、時間は定量尺度だ!

……と、叫んでみてもやっぱり一年は短いと思う。
入社して1年が過ぎました。


基本的に、自分の創作物に対して否定的な意見というのは
あまり表に出すべきではないと思っている。
愚痴と一緒で、聞かなけりゃいいものを
わざわざ聞かせて評価を下げる必要はないからだ。

自分に対する評価を下げるのがバカらしい、ということではない。
作者そのものが否定すれば、
受けてもどこか否定的な目で物を見る事になるからだ。

表に出した時点で、それはもはや客観的な一つの作品である。
それを評価するのは誰かであり
好む、好まないは個人の嗜好に過ぎない。
仮にそれが作者本人であったとしても。

が、しかし、作者本人の感想と言うのは
往々にして作品の評価に対して大きな影響を持つ。
自分は楽しいと思っているのに、作者が否定していたら
楽しんでいた自分がバカみたいに思える。

それは、誰にとっても不誠実な行為なのではないだろうか。

そういうわけで、あまり否定して欲しくない。
自分もなるべく否定したくない。
じゃ、作ったものに対する愚痴ってどこに吐き出せばいいのだろう?



2007年04月01日(日)

心を読まれているような気がする……
などと書くとたいそうなものだが
実際のところたいした話ではない。

単純に、自分と似たような思考を持つ人が居るというだけで。

自分の考えているような事は他の人も考えていて
しかも、上手に表現してくれるとしよう。
そうすると、私のすることがなくなってしまう。

誰かと同じだと安心するというのは、日本人の心理かしらないが
少なくともそういう考え方は存在する。
一方で、誰彼とも同じだというのは否定したがるもの。
アイデンティティの確保なのか知らないが
少数であろうとするわけだ。

変わり者と言われたときに、表面的には否定しながらも
内心喜んでいる部分があるのは
多分、私だけじゃないのだろう。

マジョリティの中のマイノリティ。

逸脱し過ぎない程度の変わり者。

……で。
例えば自分と似たような思考を持ちながら
自分より優れた人が居たらどうするだろうかと、昔考えた。
しかし、残念か幸いか、
やっぱり類似してるにしても、数に限りがあるわけで。

妥協というか、そもそもの出会いが無いというのか
結局収まるところに収まっているわけである。
一生の中で物理的にも精神的にも
暗中模索しながら作れる地図なんて
比較対象が全宇宙とすると、存在しないも同義である。

自分が些細なものである、というのは
自分を中心に世界が回っている以上、受け入れがたいのが人間。

この世界が積み木のようなものだったら、
どこを押したら崩れるのだろうか、と漠然と考えた事もある。
どっかファンタジーな脳みそで
そんな事を発想する精神自体が
少し問題なんじゃなかろうかとも思ったが、
まぁ考えてしまった以上は仕方が無い。

実際問題、物理法則をぶち壊して
世界を壊す事が出来たとしても
もったいないから壊さないのだろう。

手元のカレーにも手間取るのだから。
山芋&ピーマン&パセリ&ほうれん草入りカレー。
なんかもう、色がね?
……食欲の沸かないカレーなんて初めてだ。


 < 過去  INDEX  未来 >


PITZ [MAIL]

My追加