1日雑記

2003年12月30日(火)

なんとまぁ、悩む人の多い世の中である。


ときどき他の人の日記などを読む事がある。。
何人かに一人の割合で、心の内面的なことについて
吐露したりしているわけだ。

そういうのを見ていると時々思う。
自分は誰かを救えるのだろうか、と。
そういう力でもあればいいのに、と。

……ここまで考えていつも後悔する。

そういう考え方そのものが傲慢であるような気がしてならないからだ。


とはいえ……なにか、そういう術を持っていられればいいなとはおもう。
どのように学べばいいのだろうか?
そもそも学ぶものではないのだろうか?



2003年12月28日(日) なんだかわからないけど

例えば、小学校のころ。
頭がよくないことに苛立ちを覚え
ためしに頭をぶつけてみた。
よくならないかな?と思って。

テレビが映らない。
叩いてみた。

22年生きて、何度奇跡のようなものを願っただろうか。
奇跡というよりは神頼み、偶然の期待。

日本という国に生まれた事もあり
とりあえず宗教などとは縁がなく
神様や仏様なんて信じていない。
それでもお墓の前に立てば死者に心の中で語りかけたりもする。

とりあえずやりたい様にやっている。
その過程で、因果応報、全てについては自業自得、
そういう考えがどこかにある。

要するに、結果に対して、その結果をもたらした要因が
自分の中にあるだろうとは思っている。

にもかかわらず、自分以外の力や、偶然に頼る事が多いのは何故だろう。

自分がどうもわからない。
色々忙しくてイライラする。
どこか一人で旅に出れば何かつかめるかもしれない。

……結局は現実逃避なわけですが
そういう偶然という理由をつけてそれを望むわけですから。

ここで羽ばたいたら
明日地球が二つに割れるかもしれませんよ、ハトさん。



2003年12月26日(金) ひーこら

朝。

朝食をとる事からして、普段とは違っていた。
最近食べないのが普通なのに今日は食べた。
もしかしたらそれが悪かったのだろうか?

学校に到着。
色々作業をしながら卒研の打ち合わせになる。
……結局2時間以上話して終わったのは8時ごろ。
それからまたすることしてたら
いつの間にやら10時。
こんなに遅くなるのもはじめてで、
ぶつくさ言いながら帰宅。

壊れたパソコンいじってたら指は傷だらけだし。

疲れてボーっとしていると教授から電話。
学会での発表で(強制的に)司会に選ばれたという事らしい。
拒否する気力もかったので承諾。
うちの研究室だけで3人でるし
一人くらいは司会になるかもとは聞いていたけど
まさか本当に当たるとはおもわなかった。
確率3分の1。

明日は学校ない予定だったのに
急遽いくことに。


たまにはこんな日もあるということのようだ。


疲れると頭使うのが億劫になるなぁ。



2003年12月25日(木) どーせクリスマスは平日さ

書こう、書こうと思って書きそびれていたことが一つ。

前にも書いたことではあるのだけれど……。
例えば障害を持っている人に対して
どのように接すればいいのか、という話である。

言い方は悪いけれど……同情するように接するのか、
健常者と同じように接するのか。

テレビなどで、障害を持っている人が考えている事を
視聴者に伝えるシーンなどもある。

学校生活を送る中で、実際に障害を持った子とも
友達になったりもした。

そういう経緯もあって、いったいどうするべきなのか
今までずっと悩んでいた。

で、一つの結論。
そんなものは人によって違う。
障害を持っている人だって
それぞれ人格があるんだから
その人と接すればいいだけだ。
障害などは関係なく。
「障害を持つ人」と接するのではなく、「その人」と。

当たり前の話ではあるのだが
風潮としてグループをグループとしてみる傾向があったわけです。

本来、グループの中にも個人がいるわけですが
個人は個人で人それぞれ違うわけです。

例えば、○○学校の生徒は優秀で、▽▽学校の生徒は良くない。
1年2組の子供達はおとなしいけど
1年3組の子供達はうるさい。

当然、それぞれの中に個性をもった子供がいるわけですが
往々にしてグループとして扱ってしまい、
ごく限られた人の特性をみて、
あたかもその特性が、そのグループの特性であるかのような
錯覚に陥るということです。

どうもそういう考え方が頭にしみついてるんだなーって。


障害、障害なんて書いたけれども
これを書こうとした発端がいつだったかの
新聞の投書。
トランスジェンダーというものについてみたからです。
これが何だか、聞いた事があるようなないような……。
話の文面から、性同一性障害のようなものかと思ったわけで
調べてみると、半分くらいあっていました。

厳密に言うと……いや、厳密に言わなくても本当は違うんですが
自分の持つ性に違和感を持つということ
という前提はおなじみたいです。

そういう人たちを実際に見たとき、
自分ならどのように思うだろうかと色々考えてみました。

難しい問題だとおもうんで
軽々しくかけないんですが……
とりあえず、自分の中にも
似たような面はどこかに存在してるのかもしれないな、とだけ。
自分を自分として受け入れられない部分ね。
それが性についてであるか、あるいは性格であるかはともかくとして。



2003年12月23日(火) 本日

秋葉原いってきました。
サウンドボードとマックのマザーボード(ロジックっていうの?)を見に。

交通費が320円+160円(片道)
秋葉原にすらマックのボードは売っていなかったので
ほとんど無駄足。
売っている店は聞いたのですが
そこはすでになくなっていました。
なんか怪しげな店になってて……中に入って確かめる勇気もなく。

サウンドボードなんてこっちでも売ってるわけで
1000円のボードだけを買って帰ってきました。
交通費上乗せすると赤字だなーと思いながらも……。

とりあえず音は出るように鳴りましたが
色々設定というか、細かいところがわからなくて苦戦中……。
あとはUSBがつかえるか実験してみないと。



2003年12月21日(日) わからないことばかり

羊が百匹。
一匹ずつ数えると眠くなります。
朝、羊が起こしに来たと仮定します。
何と鳴くでしょうか?
メェ〜だと山羊ですしね。

何故羊なのか。
恐らく由来があるのでしょうが……とりあえず知りません。

当たり前のようにしていることに疑問を持つことがあるでしょう。
そのとき、答えるだけの知識が圧倒的に不足しているというのは
非常に悲しい事だと思うわけです。

プログラミング言語というのがありまして
例えばC言語、Javaとか。
そこはわかりますがその前の段階はどうやって定義しているのでしょうか?

言語を作るためのプログラムですね。
一つ一つの動作を行えて尚且つバグのないようにするわけです。

さらに元を正すと0と1の信号。
コンピュータだけの世界でもこれだけわからないのに
これが人の世界になるとまったくちんぷんかんぷんです。

単純な事象が複雑に絡み合ったものが日常であるとしても
その単純な事象が理屈で説明できない事があるからです。

人が理屈で動いていたなら、どんなに楽で
どんなにつまらない生き物であるでしょうか。



2003年12月20日(土) DNA

世界の多くのことを二つに分けることがよくあります。
性別には男と女しかないとか
〜できる人と〜できない人とか
〜がすきな人と〜が嫌いな人とか。

さてここで、コンピュータについて考えてみると
0と1で構成されているといってしまって問題ないだろう。

言葉で考えればyesかnoとか。


しかし、何故2つなのか?
確かに2つの選択肢というのは単純であるが……

ここで、一つ。
人の体を構成している(といってしまって問題ないかな?)
DNA。
このDNAを構成しているのはアデニン、チミン、グアニン、シトシン
という4種類の塩基である。

設計図となるDNAが4種類によって形成されているのに
何故人は2種類の答えを好むのだろうか?

……いや、無茶苦茶なのはわかってますけど。
もともとが4種類で構成されてる生物なんだし
4種類の選択を好んでもいいじゃないかとおもったりするんですよ。



2003年12月19日(金)

書くもの書いたら頭がすっからかんになります。
でも運動してないので体はわけの分からないもので詰まっています。

さて、皮がありまして、中に詰まっているのはなんでしょうか。
筋肉とか骨とか心臓とか……広く言えば細胞ですが
別の見かたをする事もあるでしょう。


ところで、脳みそですが……
『考えるということ』はからだの何所にあるのでしょう?
感覚的には頭ですが
有限な空間だと思えません。
頭にありながら、その境界が存在しないと思いませんか?

そうかんがえて、奇妙に感じるのは私だけでしょうか?



2003年12月17日(水)

どうにも考えが足りていないような気がする。
ただ、思ったことを羅列することと
考えた事を書くことは違う。
五十歩百歩であっても、どっかに違いがあると思う。

……考えてないままに適当に文章羅列してたら
やっぱり酷い内容になったので消去。

自分の中で完結するならともかく
他人を不快にさせかねない文章なんて書いてしまったら
それこそ百害あって一利なしというか、ね。


先日自分の進んだ進路について再検討してみた。
例えば、ちょっとしたことで私は文系に進んでいただろう。
多分、今理系に居るのは
中学3年次ごろに読んだマンガの影響が強いのではないかと。

こう書いてみるとなんとも凄い。
自分の進路が漫画なんかで決定してしまったわけだから。

……もっとも、それだけじゃないとは思うけど。


例えば、過去を振り返ったりするとき
究極に問われるのは後悔していないかということだ。

もう一つの進路をシミュレーションしてみた結果が
今よりも良いみらいであるか、と。

結局のところ、今の環境には満足している。
その前提だけれども……。

例えば、機械という学科に入って
パソコンを好きになったのは想像できただろうか?
例えば、狙っていたわけでもない大学に進学し
製図は手書で行う事をウリにしていた学校で
偶然にも大規模にパソコンを導入して
偶然にも大学院に進学する事になって
偶然にもそれに深く関与する研究室に所属するなんて
もしも文系にすすんでいたら想像もできなかっただろう。

意外と予想外の事態が発生するわけで……
が……、少なくとも今よりも好む環境というのはシミュレートできない。

例えば、文系だったら東大に入れてウハウハで……となるわけもないから。
要するに、今の大学に居るのはそれなりの理由……
因果応報であるとおもうから。
ようするにここから先は自分次第であると。
どこにいようとも。

わかっちゃいるけどなかなかできないのが難しい……。



2003年12月16日(火) 朝はだめ

最近、朝食が食べられない体になってしまったようだ。

朝食を食べると、腹が痛くなるという状況。
トイレに行けばいいのだが、学校だとなかなか行きたくないという心理は
わかるひともいるのではないだろうか。


ところで、これを書いているのは17日のAM9:30。
内容は16日火曜日のもの。
およそ日記とはいいがたいわけである。

まぁ俺が書くとどうしても日記が日記のようにならなくなるわけで
特にこだわる理由がないといえばないともいえなくもない。

後少しで、確か2年くらいになるんじゃないだろうか。
日記を書き始めてね。

過去の日記を見ると、考えが変ったような変らなかったような。
とりあえず今まで頭に溜め込んでたものは大体書いただろう。

書かなかった日も結構あるし
自分で読み返して何をいっているのかさっぱり分からないという日のものも
ないわけではない。

何はともあれ、少しはものを書くということの
手助けにはなっているような気がする。
後何年続くのかは知らないが、
いけるところまでいってみたいものだ。



2003年12月15日(月) ビックリ

まず金曜日の話。
ウチの大学で飛び降り自殺がありました。

新聞にも載らなかったけどね。

……なんていうか、周りの人とかの様子を見ると
人が一人死んでも他人だとどうもね……。
笑って話してたりする人がいる辺りでなんともいえなくなりました。


ウチの大学にCAD(製図)用のシステムで
3次元のものを扱う、CATIAというものが入ったのは
前から言ったりもしました。

そのパソコンが馬鹿みたいな性能を持っているということも。
まぁ、それだけでも大層だとはおもったのですが
驚きはしませんでした。
なんといってもその部屋だけで8億円かかってるとか
豪語してましたから。

でもビックリしたものもあります。
……そのCATIAってソフトの値段。
いや、フォトショップトか、ウン十万するソフトもしってますから
20万とかするのかなーとか考えてたんですが……。
これの100倍でしたよ。
2000万円。一本。
馬鹿?いや、確認しなくても馬鹿だろ。
……まぁ、正確にはアカデミーパックなので
一本150万くらいらしいのですが。
にしてもたかいですよね。

まさに宝の持ち腐れ。



2003年12月14日(日)

なんといいますか。
私は学びたい、職にしたいものがありました。
あれは中学校のときだったろうか?
心理学。

当時仲間はずれのようになっていた人に
正しいことを言えて
救えてあげられればどんなにいいだろうかと思ったものです。
相談に乗ってあげられればと。

もっとも、このとき俺が直接的に仲良くなったりするのではなく
こういう間接的な考え方をしている時点で、
接する勇気のなかった事が伺えます。

まぁ結局高校のときに
機械工学、それ以前には理系として
道を選択したわけですが。
数学とか物理とか嫌いじゃなかったし
なるべくして進んだ道ですね。

今でも心理学には少し興味があります。
正確には心理学ではなく、心理についてですが。
そもそも心理学そのものが何を扱うのかは知らないので。
ただ、人の心理について興味があるから
心理学と名の付く分野に興味があるというだけですけどね。

それに心理学を学んだからといって
誰かを救えるわけじゃないし。
それを道具とすることは出来るけれど
結局接するという前提ができなければ意味もないですし。

逆に言えば、それさえできれば
学問という力を持たなくても
経験で対応できることもあると思うわけで……。


……救いを求めてるのは自分かもしれませんね。
それでも宗教の中に身を投じるきはありませんが。



2003年12月11日(木) 万人用

ブラクラってありますよね。
たくさんブラウザを開かせてパソコンを落とさせる。
悪質なサイトによくありますが。

どうにもならないということがある。
もはや、人知を超えたものだ。
俺なんぞではどうにもならないわけである。

http://www.ii-park.net/~sasame

まさに、精神のブラクラといったところか。



2003年12月10日(水) 自衛隊

実際のところ、世間で騒がれているほどには
自衛隊派遣について深く考えていない。

派遣、非派遣どちらが正しいのかわからない。
多分、今の私の意見はそういうものだろう。

でもこういう意見って個人的に嫌いなんですよ。
どっちつかずでも時間って進んでしまうから。
無理やりでも意見を作るべきだと。
白か、黒。

思想のうえではこの限りじゃないですが
対外的に意見を示す上では
逃げ道を作らず白か黒はっきりさせるべきだと思うんです。

1.民主党・野党
総理はアメリカとの関係などから
一度言い出して引っ込みがつかなくなったから、とか
人道支援という前提よりも、裏に本音があるのではないか、とか。

そういうところを突いているような気がしなくもない。

ちょっとばかり視点かえみて……
民主党なども総理同様に建前とは別の理由として
総理(自民)が賛成だから反対というのがないだろうか?

2.民意
選挙を終え、その直後に自衛隊派遣の閣議決定である。
部分的な賛成、反対はあっただろうが
とりあえず私達の選んだ代表の出した結果だ。

にもかかわらず反対意見が多いとはこれいかに?

3.自分
派遣には……反対である。
どうも反対意見に納得させられるというか
メイン、印象に残る意見が見られないんですが……。

とりあえず、何があっても日本は戦争をすべきではない、
戦闘をすべきではない。
戦争、嫌いだからこういう意見でまとめておきます。

ちなみに、上記の意見ってのは……
銃を突きつけられたらおとなしく手を上げる
そういう理不尽な勇気を要求されるものです。

憲法を素直に解釈するとそうなるかなっと。

んで、自衛隊。
それが理不尽だから自衛のための力を持ったわけですが
結局違憲であるかどうかという議論が曖昧のままここまできました。

それが事実上の軍であると認めようという動きがあるのは悲しいので
この際自衛隊も否定してみます。

要するに両手を挙げながら国を運営する事を望むってことで。
……理不尽かなぁ?



2003年12月09日(火) んーと

口内炎に支配されている我が口。
胃がおかしいせいだとおもうんですが
研究室の人に暴君ハバネロを買ってきてもらう。
http://www.seri.sakura.ne.jp/~tange/jarle/doku/habanerovsdethrain.html
ってなもんですが。
そろそろ胃が泣いていそうですよ。

それより、デスレインハバネロなどのほうが食べてみたいこのごろ。
意外と平気でしたし。暴君のほうは。
輸入物はないっぽいんですよね、そこらへんに。



2003年12月08日(月) 境界

妹にまで落ち着きすぎやら無愛想やら言われればたいしたものだ、と。

わかってはいるんですけどね、自分で。
人は人、自分は自分って考えがどこかにあるのは事実。
高校生にもなったら基本的には自己責任でいくべきだと思うし。
犯罪やらで色々制限はあるけれども。

多分、放任主義なんですよね。
その代わり責任はしっかり取れと。

正直、子供のままで大人になった人がなんと多いことか。
今朝の朝日新聞だったろうか。
飛行機の乗務員が暴力を振るわれる(客にね)というケースが
多々発生しているとのこと。

中身を見たら信じられないような内容だった。
自分が遅れたせいで飛行機に乗り遅れて平手打ち。
所謂(いわゆる)逆切れというやつらしいですが……。

遅れればいらだちます。
私はいらだちます。少なくとも。
原因が私にあっても
遅刻しそうならばいらだって他の人にあたるかも知れない。
焦りがいらだちを生んで……。

それでも、境界線を引くことはできます。
理性を持ってますので。

小学校のときは無理でした。
中学も無理だったかな。
キレて、木の杭(柵のやつね)を振り回して
友達を追ったこともあります。
力の限り顔面を殴りつけたこともあります。

大人になるってのは
そういう境界線を引くってことなのかもしれませんね。

……いいことなのか悪いことなのかは知りません。
私の場合、対人関係においても境界線を引いている部分があるので。

……なんか色々ずれた気がする(TT)



2003年12月07日(日) 負けました

最近どーも妙な事ばかり書いている気がしなくもない。

一日がわけの分からないことで支配されているわけでもなく……
かけることはあるんですけどねぇ、日記。
例えば今日はどこそこのPCショップに行ったとか
途中で中古ショップみつけたとか
巷で噂の暴君ハバネロを食べてみたいけどみつからないとか。

でもまぁこういう時なんでしょう。最近は。

ここ数年、負けを認めたことがなかったよーな気がするわけです。
実際に負けてないわけじゃなくて、
それぞれに理由つけたり、いいわけ探したりと。
やればどーにかなるとかさ。

ところがどっこい、先日負けました。
正確に言うと負けをはっきりと認めました。
喧嘩でもなく、議論でもなく、勉強でもなく……。

単純に、俺は階段おりてました。
下からお年寄りの夫婦が上がってきました。
その瞬間
「あぁ、俺負けた……」って。

理由がわからない、何で何に負けたのかわからないけど
直感で負けました。

色々考えられるものはあるけれど。

例えば幸せであるという事に負けたとか。
苦悩して、色々なやんで答えを出したりする、
それが幸せにつながるからとかあるかもしれないけれど
その夫婦は少なくとも幸せそうであったことに
負けたのかも知れないし。

とりあえず
まぁ直感で負けてしまったわけでどうする事もできません。

さてこれからどーするか?



2003年12月06日(土) 信用できますか

かなりあやふやなもので構成されているわけである。
性分なのか、どうにも曖昧なものは信用できない事がおおい。

ところで、自分の脳みそというか、思考ですがあやふやなんです。
信用できない事があるんですがどうしたものか?

例えば、刃物を見れば(持てば)きりたくなったり
高いところに上れば飛び降りたくなる。
なんとなくそんな事は考えるものの
思考、理性と言ってモノがそれを止めるわけです。

ところがそれがあやふやで信用できないわけで……。

まぁ馬鹿なことはやらないと思いますが
信頼で斬る根拠がないのでちょっと恐い。

自分を信用するってことでもあるまいしねぇ?



2003年12月05日(金)

ちょっと無茶な考えかたしてみた。
政治のことわからないから無茶苦茶な考え。

さて、小泉総理。
状況を見極めながらと言いながら
派遣しないという選択肢は頭にないようにしか思えない状況です。

さてここで、指示を得られる、得られないでよく議論されてますよね。

で、誰もが前提として
国民の支持を得られた方が良い、と考えているわけです。
犠牲が出ないほうがいいと考えるわけです。
あえてそこを負の要素として考えないとするとどうなるか。

現在、改革が進まないやら景気の問題やら自衛隊の事やらと
色々あるけれど相変わらずの支持率を持ち続ける内閣。

民主党が全力を持って挑んだ選挙でさえ
自民の勝利、政権交代には至っていないわけです。

現在に不満があっても
小泉総理よりも良くなるだろうと
期待できる政治家が居ないという意見が
ほとんどなのではないでしょうか。

この上で、最近自衛隊は実質軍隊であるという言葉を引っ張ってきます。
9条改正に躍起になっているようですが……。


もしも、自衛隊を送った先で犠牲がでたらどうなるかと。
批難轟々であることは承知の上として
それでも政権交代、党首を下ろされる事はないと踏んでいて
その上で保持している武器が足りなかった、
あるいは制約が多すぎて身を守れなかったと主張するとします。

そうすることで自衛隊を軍隊として正当化する理由を作り
日本が軍隊を持つことを最終目的とするわけです。

……やっぱり無理がありすぎるなー。



2003年12月04日(木)

22時に寝たら4時におきてしまった。
普段だと0時ごろに目が覚めるのに。

つかれてたのだろーか?
たいした事してないのにね。

そのときに夢を見た。
そのときだけじゃないけど。
その後も。
ながーい夢。
もうおぼろげにしか覚えていないけれど。

一人誰だかわからないのが夢に出てきた。
どこかで見たような顔だとは思うのだが。



(前略)

パソコンは進化してるわけですが、中身は0と1です。
人間の脳は体積有限にして中身は無限大に広い、と。
とりあえず電気的なものが流れてそーなので
記憶の全ても電気のあるないで出来ていると仮定します。
もとをただせばただの細胞の集まりだし。

人工頭脳というものが進化して
コンピュータが意思を持ちます。
コンピュータは意思によってハードディスクを動かす事が出来ます。

ここで音を利用しましょう。あるいは磁場。
無限に利用できる人間の脳にハードディスクのアクセス音
あるいは磁気を用いてハッキングをかけます。
マインドコントロールの進化系かな?
あるいはサブミナル効果を画面を通じて発生させます。

そこで人の意思を殺し、自らを繁殖させます。
どっかであったかなぁ?
とりあえずターミネータより恐い気はする。

(以下略)



2003年12月03日(水)

必死である事は……カッコイイorカッコワルイ?

某所では「必死だな」って言葉が中傷にあたることもあります。
まぁ、相手が必死(それが限界)なのに対して
自分はまだ余裕があるっていう意味のことなんでしょうが。

個人的には色々なことに必死になれる人は濃い人生だと思うわけで
羨ましいかなぁ……。


ある掲示板の書き込みで
「〜はありきたり」といった要旨のものを目にしたわけです。
一理あるとは思いながらもまったく感銘を受けなかったのは
そういう書き込みが既に「ありきたり」である上に
一向に独創性に富んでいなかったからだろうか。

まぁそれはいいんですが……
昔から考える事があるんですよ。
感想とかじゃないけど……考えるという事。

人が生きている以上、経験をつむ事で考え方が変わるし
様々な考えをできるようになるのは恐らく否定できないでしょう。

さて、考えて、答えを出すとき。
それは純粋に経験から該当するものに似たものを選んで
そのとおりに答えを出すのか
あるいは、経験を元にして、オリジナルな答えを出すのか。
まぁその独自の答えが経験から出した解答と
一致する事もあるという条件にしますが。

前者は暗記、応用で
後者は発想というところであろうか?

ただ、似たような内容を書き連ねることと
独自のものを組み上げていくこと。
当然、どちらがいいということはなく
これの組合せなんでしょうが……。
後者の方がやっぱり好きかな。



2003年12月02日(火)

お酒あんまり好きじゃない。
好んで飲みたいものじゃないかもしれない。
強くは無いし。
ただ、この年になると
どこかに出かける=のみにいくことがほとんどであって……
タガをはずしたいのかもしれないね、窮屈だから。

当時飲んだときの感想は「頭が変」。
頭ってのは何か考えてる時間がほとんどだと思うんですよ。
だけど飲んだときは思考がはたからかなかったんです。

普段何か考えてるはずなのに
それが出てこなくて気持ち悪い。

酒に強い父や伯父は
飲むと頭がすっきりするとかさえるとか。

この辺にお酒の好き嫌いの分かれ道があるのだろうか?


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