カフェの住人...

 

 

第二十五話 〜大きな傷を持つ彼女〜 - 2004年07月16日(金)





プレゼントを持ってきた、私の一つ二つ歳下の彼女は

大病を患っていたとも思えない笑顔で、この住家へ帰ってきた。



「色々心配させちゃったから、これプレゼント」

私は

「あら?なら心配したフリして良かったわ」

お腹に何十センチもの傷を抱えいるらしく

「あんまり笑わせないないで、傷開いちゃうから!」

と、口をへの字にしながら、くっくっと笑いを堪えている。





彼女が持っている大きな傷。

彼女は癌だった。



この2〜3年闘病生活をやむ無くされ、一体身体の何箇所を切ったのだろう。

常にある痛みと付き合いながらも

彼女はその元気な笑顔を見せに来てくれた。



コーヒーを啜りながら、この出会いの数ヶ月を二人で思い出す。







入院費を稼ぐ為に、この近くの仕事場に来ていた彼女は

とある夜、一人で訪れた。

他には誰もいない夜だった。

たわいも無い世間話のつもりが、いつの間にか長い話にまでなり

彼女は笑いながら、さらっと私に病気の事を告白した。

帽子を深ぶかとかぶっているのはそんな理由だったのかと

改めて見た彼女は痩せこけていて、確かにそんな風貌だった。



「無理も無いよね。あなた頑固そうだもん」

こんな失礼な言葉を言ったにも関わらず、今こうして

思い出話に花を咲かせられるのは、正直そちらの方が驚く話である。



それから彼女はここへ幾度と無く足を運んだ。

常に病気の話でもあるが、屈託の無い明るさに

勇気を貰ったものだった。

しかし事実、存在するのは、その心と身体の影。

元気な顔を見れば見るほど、いつかそこから笑顔が消えてしまうのではないかと

切ない気持ちになった時もあった。



そんな心配に私がようやくホッとしたのは

彼女がここへ来て半年が経った頃だったと思う。

転移が明白になり、大きな手術を余儀なくされた時だった。

いつもようにカウンターへ座り、他の住人達とひとしきりお喋りをして

ふっ、と間が空いた瞬間、うつむきながら



「もう無理。痛いの。耐えられないよ。がんばれないよ。」



そう言って大粒の涙を膝に落し始めた。





変なもので、私は泣いた彼女を見て安堵したのだ。



私達のそれまでの笑顔は消え失せ、真剣に話をした。

身代わりにもなれない、けれど何か私にも出来る事はある筈だと

ただ、泣いている姿に身を寄せ、心を寄せてみた。

そして彼女の中の小さくなってしまった希望の光を一緒に探した。

あるなんて信じられない、そう言われながらも

彼女に寄り添い続けた。

すると、ほんの微かな光は、なんとか足元を照らしたようだった。



それから数日後、彼女は入院をした。







これで上手くいけばドラマみたいだな、そう思ったけれど

現実はそう甘くは無かった。

辛い物語はまだ続いた。



入院しているだろう筈の彼女が、またひょっこり訪れた。

何事かと聞けば、実は一度の手術では終われず

更に大手術をしなければならなくなったそうなのだ。



あの時の光は、もう途絶えていた。



本人も以前より増して落ちている事に気が付いている。

でも、なんとかここまでやってきた。

病院から貰った外出許可は3時間。

電車乗る度、どこかに着く度連絡しなさいとの条件付きで。

そこまでしてここを選んでくれたことを私は忘れない。



「昨日、主治医に安楽死させてくれって言ったんだ」



私は再び光を探し、灯す決意をした。

一人の力では、もう難しい事は見当がついていたところに

奇跡とも言える仲間達が、示し合わせたように次から次へと集まった。

住家の仲間達も勇気をいったに違いない。

だって、そんな人を目の前にどうしろと言うのだ?

けれど、それぞれに自分達の持っているだけの‘想い’を彼女に注いだ。



それはまるで、嵐の中の一艘の小さな船であり

なんとか灯台の明かりを探しているようだった。



私たちはここで光を灯す。

だからがんばって。

海には行けないけど、光を灯し続けるから。



そんな願いを信頼してくれた彼女は、もう一度最後の力を振り絞って

病院へと戻っていったのだった。







それから・・・



手術は大成功し、転移の心配も100%ではないにしても

ほぼ、大丈夫そうという結果に終わった。

その身体の中にあった癌という塊はとてつもなく大きかったらしい。

心にあったしこりも一緒に取れてしまったのか

驚くような早さで復活と遂げ、こうしてまた顔を見れる事となった。




彼女が持ってきたプレゼントというのが

例のイメージの話は一切していないというのに

船の形をしたキャンドル・スタンドだというのは偶然だろうか。







笑う彼女の顔に、心配になる事はもうないだろう。



目が覚めたばかりの幼子のように、心からの笑顔だと分かるから。

これからも大変な事があるだろうけど

本当に強くなれたのだと心から思えるのだから。







大きな傷と引き換えに得たものは、きっと何よりも強いもの。





きっと私たちの中にもある、強くて暖かな光を教えてくれた

そんな住人の物語は始まったばかりなのかもしれない。









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第二十四話 〜女優から女優になった人〜 - 2004年07月09日(金)



まだ、あの彼女はここに来て間もない。

でも、何故だかここにするりと馴染んだ。





彼女がいつもここに来る時は、他の住人も必ずいる事がほとんどで

なかなか私たちは話をできないでいた。

でも、何故だかお喋りをしなくても

分かり合っている様な感覚を持てるのはこの人だからだろうと思う。







彼女は女優だった。

しかし、ここに来た当初は 『以前の話』 のように聞こえてしまった。

もちろん、その時は舞台へ立っていなかったのだから

そう思えたのも仕方ないのだけれど。



彼女は母でもあった。

一人で出産し一人で子供を育てているという。









『以前の話』 のような、と書いたのは

ここに来た当初、迷いと不安のうずに巻かれていて

まるで凍てついた氷のように見えた気がしたから。

具体的な悩みの発端は知らないけれど

いつの間にか昔の自分を忘れてしまい

どうこれからを進んでいいのかが分からなかったようだった。







この数年、子育てで舞台から離れていて

知らぬ間に、熱かった鉄のような芯がここまでそうなってしまったのには

きっとそれだけの理由があったのだろうと想像できる。





来る度にナーヴァスな表情を浮かべ、決して明るい感じとは言えなかったが

ウラハラに、きゃしゃな身体と眼の奥にある、しっかりとした強さを見た。



昔を知る訳でもないので、何故そう思ったかは言い様がない。

けれど、「きっとこの人は本当は強い人なのだろう」

そう思っていた。











彼女はたまたま、あるセラピストの元へ行ったことがキッカケとなり

うちにも来る様になったのだが、そのセラピストが住人だったのだ。

こうして様々な住人達との出会いが重なり、暖かい眼差しに見守られることによって

そんな凍てついた心がようやく溶け始めた。



徐々に何かを取り戻した彼女は、見て明らかなほど変化していった。







そのうち、女優の顔を取り戻した彼女。



だからもう 『以前の』 ではなく、『本物の女優』 になったのだと

私は勝手に嬉しくなったものだった。





不思議と、そんな彼女を出迎えるかのように

ちょうど合った舞台の話が舞い込んだらしい。







今年の冬。

女優としての第一歩を歩みだした学校・劇団のある北の土地に呼ばれて行った折

その入学した時に提出した作文を返されたという。

すると、自分自身で書いた文字に眼を見張ったそうだ。



「人に感じさせられる様な、感じられる自分でありたい」 と。




原点回帰。



まさに、最後の氷が溶けていったのだろう。

「大事なことを思い出したよ」 そう、言った言葉には

確実な思いがこもっていた。









そんな彼女の舞台が始まると、私は

他の住人らと大きな花束を持って、毎日満席だという劇場へ向かった。

小さいけれど、歴史もレベルも高いその劇団のベテランさんらと並んで

スポットライトを浴びた彼女が立っている。



もうそこにいるのは、彼女ではなかった。



私は、その輝いた姿に涙が止まらなかったのだった。







大海で船出した彼女には、まだこれからも

様々なことが起きるのかもしれない。

それでも、彼女は漕ぎ続けるだろう。









ただ見ていただけではあるが



何故だか話をしなくても、安心して見ていられる人もいる。



話をしなくても、それでも大丈夫と思える人がいる。



そんな新しい住人の笑顔が、今日も嬉しい。







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