リュカの日記

2004年12月31日(金)

午前4時前に目が覚めた。
寝起きから色々な事が意識された。
自分のどの部分が苦しいのか、少し把握できた気がして、そこをグジュグジュ広げてみる感じで色々考えた。
最近の自分は、どこがどう苦しいのか自分で把握できないというか、本質にばかり意識が行っていて見失っていたような気がする。
例えだけど、上張りの部分は上張りの部分で、ちゃんと自分の血や神経の通った肉の壁なんだ、と考えた。だから、擬似だろうが何だろうがショックを受ければ苦しいし、と・・
そう考えれば、凄くしっくりいくような感じだ。
その傷の部分は消そうと思えば消せるらしいのだが、自分で納得できるまで消す意思はない。
苦しいのはそのどうしようもない現実のせいだから、その現実を恨んで憎んで納得できるようになるまで苦しんでやる、という意識だ。
このまま何も感じなくなるのは、その最低さに対して泣き寝入りするのと同じ事に思える。
何かキツイ・・
憂鬱というか、強いストレスを感じる。
でも、納得できないから辞められない。というか、辞める意思がない。

この前知り合いから薦められた「ガンツ」という漫画の1〜9巻詰め合わせが落ちた。結構ハマる。
絵も綺麗だ。
気分が悪くなるのは、理不尽なヤクザや暴走族、マッチョでホモの強姦男など、俺からしてゲス野郎にしか見えない人間も沢山出てくるところだ。
こういう奴にどうしようもない怒りを感じるのも、俺だけではないはずだ。
嫌悪するような人間達が何だかリアルで、そういう部分で気分が悪くなったりする。
面白い部分は、何考えてるのか分からない無反応な貞子っぽい女とか、変な宇宙人が沢山出てきて、馬鹿馬鹿しい世界観なのにリアルな感じでと、夢の中の世界を漫画にしたような変な世界観が凄く良い。
「鋼の錬金術師」ものめり込めた。

何の考えも意思も持たず、不謹慎にただボーっと生きてるだけに抵抗がある。
でも、自分が持つ考えや価値観にとって、もっとも拒絶したいような出来事や人間は、現実社会がある限り絶対に淘汰できなかったりするんだろうな。
極端に言えば、「目の届かないところも含め、世界中のどこであろうと、1つでもそういう事があるのが認めたくない」みたいな考えだ。
ありえないような事やありえないような人間が居て、それら全部が存在してほしくないと思っても、どうにもできない。
それらをどうにか出来る事こそ非現実だ。
漠然とどうにもならなさが意識されて、「解決方法は考えないようにするしかないんだろうか・・」という結論に行き着いてしまう。実際、それしか方法がない。そういうのを気にする事自体おかしいのか。
目の届かないところだろうが、実際にタイプの子がそういう目に合わされる事に変わりないから、という意識が強かった。
俺にとっては、現実で実際に自分が目にするそういう少年が〜、となるのと同じ意味を持っていた。
考えすぎて気持ち悪い・・
自分でも色々な事が訳分からなくなっていって、グルグル回っている感じで吐きそうになる。
混乱する。
土台というか、価値観の基盤にちゃんとした芯が立っていないので収集がつかなくなる。
前は、納得できるできないに関わらず、何をどう感じていて何を許せないのか、とか色々な事がしっかりしていた気がする。
だから考える方向性も一貫していて、少なくともどういう意識で物事を見つめているのかに対する混乱はなかった。
全然収集がつかなくて、グダグダと駄文ばかり書き連ねてしまう。
気持ち悪い。

うちの家族は、大晦日に外食するという習慣がある。
昼食に、ハーバーランドの何とかホテルで、バイキングを食べた。
車でその場所まで行ったのだが、うちの車が新しいものに買いかえられている事に気づいた。新しい車だ。
親が言うには、俺も以前1度か2度乗った事があるそうだが、ハッキリしない。家族で出かける時、普段は一人で家に残る事が多いのでその辺があやふやだ。
車酔いして気分が悪くなった。今日は車に乗る前から気持ち悪かった。
さらに、眠さのせいもあって吐き気がキツくなっていた。
ホテルに着き、色々食べた。
美味しかった。
デザートも食べ放題だった。
食べ過ぎてまた気持ち悪くなった。せっかくの外食なのに勿体無い。
気分が悪かったので、帰りは俺1人電車で帰ってきた。
とても眠い。しばらく寝よう。
現在午後15時52分。親に10時には起こしてくれと頼んでおいた。
大晦日が終わるまでに起きれたらいいな。

ガンツのアナザーストーリーみたいな原稿が1ページずつあり、それが目の前に全画面表示されている夢を見た。
途中、夢の中で自分の布団の中に居て金縛りみたいになった。
霊の意思がくみとれて、自分に何か言おうとしてるらしき事が感じられた。
頭の中で「なに?」と聞いた瞬間目の前がかすんで、ザーっと魂が引っ張られる感じになって目が覚めた。
凄く恐ろしい夢だった。
最近そういうのに凄く敏感というか、ヘタレになっている。
怖い話ばかり読みすぎると怖いものを呼ぶとか、そういう迷信が脅威だ・・
午後8時ちょうどくらいに目が覚めた。

恐怖感を紛らわせるために、観るつもりはなかったのだが部屋で紅白を付けっぱなしにしている。
ガクトを見ていると、本当にあのマリスミゼルのメンバーだったのかな、と感じる。話し方とかは同じだけど、曲や雰囲気が全然違う。
現在午後9時58分。
年明けまでに、また眠ってしまいそうだな。
こういうので恐怖感が沸いてくると、自分はこの先一人暮らしなんて出来そうにないな、とか自信がなくなってくる。

今日は、恐怖や吐き気以外でも、少年に関する今までの事で、色々とキツかったり辛かったり悲しかったり苦しかったり切なかったりしたような、またはするような事がたくさん意識されていた。
少し気分が重い気がする・・・
憂鬱だ。



2004年12月30日(木)

午前3時41分に目が覚めた。

牛の首衆という話がどうしても気になる。
読んでみたいのだが、読むとヤバそうで、そうするとさらに読んでみたくて、、と。
気になって、オカルト板で「牛」を検索したところ、こんな書き込みがあった。
------------------------------------------------------------
1 :本当にあった怖い名無し :04/10/27 14:12:32 ID:9uR5prcm
『地獄の牛鬼』または『牛の首』という話を探してるんだけど誰か知ってる人いる?
何かかなり古い怪談話で日本で一番怖い話なんだって
自分が知ってる情報はこの話を書いた本人も恐怖で死んだらしいよ
それに読んだ人も話を聴いた人も死んじゃうんだってさ
あまりにもマズイ話だからってこの話自体を封印したって聞いたことがあるの
だから今はこの話を知ってる人はいないんだって

誰かこの話の情報を持ってる人がいたら教えて!
いくら探してもみつからないのよ^^;
------------------------------------------------------------
俺が昨日日記に書いた「『牛〜』という恐ろしい話が存在しているらしい事を小・中学生の頃に知った」は、まさにこれを指しているんだ、と思う。
多分、俺が昔知ったのは、妖怪のイメージもあったところ「地獄の牛鬼」の方だと思うけど、同列に並べられているからやっぱり関係ありそうだ。
自分の中で「子供の頃に知ったそういう牛関連の断片的な情報があった」という伏線があったので、少し興奮する。
気になりすぎて、今日か明日には多分、「今日泊君の『牛ノ首衆』」読んでしまう。
断片的に読んだ情報によると、その話を知ってしまったら常に多人数の視線を感じ続けるようになる、という呪いがかかるらしい。
日記の更新が止まったらその影響。

現在午前6時23分。まだ外は真っ暗だ。
別の怪談話を読みすすめていくうち、何故か不意にタイプの子の魅力みたいなものが浮かんできた。
何の脈絡もなく、高揚した気分になって「そんなタイプの少年が世の中に存在している事自体奇跡だ・・」とか、「可愛い、、可愛い、可愛すぎる・・・」とか、
「片想い以外ありえなくて、タイプの子からしたら自分なんて眼中にないはずなのに、好きになられた事があるのか・・」と、信じられない気分になったり。
「年下の少年で眼中にも入らないはずなのに、少年から好きな対象として意識された事があったなんて信じられない、これって現実なんだろうか?マジで?」とか、そんな感覚が溢れてきた。
それは、昔タイプの子に対して感じていたような夢心地の感覚だ。
なんか凄い・・
少年を意識して、布団や枕を思いっきり抱きしめてみると凄く満たされた感覚になる。「おおぉ・・・(T T)」という感じだ。
『二人で山の中とか散歩したいです』とか言われて、その光景を思い浮かべて信じられない気分になった。
これが、現実には成り立たないようになってしまったんだ、という事を意識してしまうと、この感覚もまたあやふやに押さえ込まれてしまうんだろうな。
今は、信じられないような嬉しかった面だけを意識して、それに浸ってみる事にする。

話を全部読んだ。
少年に関する事でも、自分にとってあってほしくなかったような事は全部あったし、今更呪いにかかったところで、、という事で読む決意をした。
けど、何て事なかった。
内容自体も、それほど怖いものではなかった。
前置きや、読んだ人間の感想から、必要以上にビビりすぎていただけだろうな。

また、オカルト板で別の人に霊視してもらった。
自分に当てはまってる部分もあると思うし、俺が普段目をそむけている自分の内面を言い表されたかのような深い深い言葉に感じられたので、ここに貼っておく。また、グサッとくるような痛い言葉でもある。
------------------------------------------------------------
74 :アショカ ◆2LEFd5iAoc :04/12/30 17:54:05 ID:CFNvuzWK
>>58
ちょっぴり気取りやさんで、やや繊細。
こだわりがあるし。
でも、しっかりしてるんだね。

88 :アショカ ◆2LEFd5iAoc :04/12/30 18:14:40 ID:CFNvuzWK
>>78
でも、そんな自分を冷笑して楽しんでいるよね?
自分を客観視出来るのだから、まだ余裕があるね。

でも、ちょっと、あなたに結構大きな×印の傷がついているのが見える。
自嘲する行為はやめた方がいい。。
------------------------------------------------------------
確かに、言われてみれば俺は自分で自分を皮肉ってる部分も多いと思う。

もう一個
------------------------------------------------------------
98 :アショカ ◆2LEFd5iAoc :04/12/30 18:33:50 ID:CFNvuzWK
>>91
あなたに透明なプラスチックみたいなシールド掛かっていて、それに×印が見えた。
わりと深めの×印。でも、シールドがあるから、あなたの体には傷ついていないの。

その×印は結構大変だけど、消そうと思えば消せる。
------------------------------------------------------------
俺が傷ついたりしていたのは、後から「少年に対してこう思うべきなんだ」と、擬似的に作り上げられた感情の部分で、本来の俺自身は本当に不謹慎で無頓着で軽はずみな奴なんだろうな、という事が証明されてしまった気がした。
その擬似的な部分を、自分の本質と入れ替えてしまいたい、と思う。
「それが正しいし、そうならなければ」とも思う。
今まで少年に対して欝になっていたのがニセモノの擬似的な感情なんだ、とは考えたくない。
でも、俺は自分が本当はどういう人間なのか、を自分でよく分かっていたと思う。でも、少年に対して道徳的で正しい人間でありたかった。
それでも、今の俺には誤認されたあやふやな言葉より、的を得たような痛い言葉の方がありがたかったりする。ためになった。
よくよく考えてみて、このスレの霊能者の言う事は、少なくとも俺に関して殆ど全部当たっているように思えてくる。
痛すぎてショックでもある。
自他共に見え辛い内面感覚を正確に理解された感動と、自分自身にガッカリして恥じ入る気持ちと両方ある。
「本質が不謹慎な奴なら」みたいな開き直り方はしたくない。
また、以前ちゃんと少年に対して想えていたように(そう思い込んでいただけで、擬似かもしれないけど)、それを本質にできるように自分を近づけていきたいと思う。なんか、少しふっきれた感じがする。
ある意味最悪の結論とも言える。
この1年と数ヶ月、中途半端になってしまった感覚について、ちゃんと感じれるように躍起になっていたのに、それら全て否定されてしまったんだ、という意味合いを持つ。
俺は少年に対してちゃんと想えるようになりたかったし、自分はちゃんと想えているんだと信じたかったし、なんか混乱する・・

最近オカルト板にハマりすぎだ。
夏場なら絶対いかないような板だな。
今日も怖い話を読みすぎて、何だか体が重い、背筋が寒い、少しガクガクした感覚がする・・
恐怖や不安で心身ともに硬くなってしまった気がする。
緊張してる時の感覚だ。
自分の動きがぎこちないのがよく分かる。

「自分の本質はちゃんと少年を想えている」という答えを期待していた。
それは凄く信じたい部分だった。
でも、やっぱりそうじゃないんだな・・
もっと深い意味もあるのかもしれない。
実際に、深くて大きい傷はついているらしいのでニセモノという事はないだろう。
精神が2重構造になっていて、とかそういうイメージが浮かぶ。
実際そうなっているんだろう。
シールドの部分はシールドの部分で本物なのかもしれないな。
欝自体、当時から自分の中で納得できる条件さえそろえば簡単に消してみせる事ができる気はしていた。
少年を絶対視していたので、その存在だけでチャラにできる、とか。
結局その条件も揃わないまま、納得してないのにあやふやになりかけて、、と。

ちょっと時間を置いて考えてみると、盲目的に「霊能者の言葉だから」と信じ込んで自己暗示みたいになってた可能性も見えてくる。
実際、全然当てはまらないと言っている人間も居たわけで。
そのために「擬似的なものだったんだ」と思いこんでしまうのは馬鹿らしい。
混乱してるのかハッキリしない。
信じ込もうとしていた概念にヒビを入れられて、それがガラガラ崩れていくような感じだ。



2004年12月29日(水)

午前4時前に目が覚めた。
寝起きから少年に対し、認めたくないような事が色々と意識された。
気分は悪いけど、今のこの状態も欝に比べたらマシなんだろうな、とか考えた。

寝る前に少年のいやらしい事ばかり思い浮かべていたせいか、寝起きから2時間経つ今になっても、沈んでいるのか高揚してるのか分からないような気分になる。
性欲に伴う感情は、こんな感じが当たり前なのだろうか。
嬉しい感覚ではない。

読んでいるうちに眩暈がしてきた・・
自己責任

なんか、今日は起きてからずっと2chのオカルト板のスレッドや、そこに貼られていた「洒落にならない〜」といったサイトに転載されている話を読みふけっていた。
8時間は読み続けている。
あまり少年について考える事ができなかった。
眠気もあり、それでも他の話が気になって読み続けてしまいで、フラフラ状態。怖い話にハマってしまった。
呪い系の話もいくつか読んだ。
文章内容を頭に浮かべる事に神経を使うせいか、思考力も鈍ってきて殆ど感じられなくなってきた。
頭がホケーっとなっている。
怖い話の中に「母親のおせっかいがウザイ」とかいった文章があった。
話し手は、おせっかいを焼く母親を憎んでおり夢の中で刺してしまう。
母親が「ごめんね・・」と言って微笑みながら死んでいく。
手元には、話し手のために作られた誕生日ケーキが。
その時初めて、その日が話し手の誕生日であった事に気づく。
そこまでが夢の話。
それから2年後の誕生日、話し手の母親が急な発作で死んでしまう。
死ぬ直前まで母親が作っていた誕生日ケーキは、夢に出てきた物と全く同じケーキだったそうだ。
悲しい話だった。
よく親をウザがる理由として「心配性なのが嫌だ、おせっかいが嫌だ」とかいう話をよく聞く。
俺自身、親に対してウザイと感じる事はよくあるし、反抗的でもあるんだけど、親の好意に対してウザイと感じた事は一度もない。
でも、よくそういうのをウザがっている息子or娘の話を耳にする。
主に親のヒステリーや八つ当たり、物音に対してウザく感じる事は多いけど、何で好意に対して怒ったりするのか、とかが理解できない。
うちの親は、俺が悩んでても「あっそ」って感じだし、小学校を卒業した後に卒業アルバムが届いたので眺めていると「何浸っとんねん」と馬鹿にされ、欝で心底苦しかった頃に「欝でキツイ」みたいな事を言っても「関係ないわ、さっさと学校行ってこいや」みたいな感じだし。
親による「気に食わない」感情だけで、理不尽な怒りをぶつけられる事が日常化していた。気づかいが無さ過ぎる。
俺からしたら、優しい親というのはむしろ望むべくものに感じられる。
何でそんなに優しい親を憎んだりするんだろうと、相手は少年でもないのに、珍しく強い同情心みたいなものが沸いてきた。

サイトを読み進めていくうち、「牛ノ首衆」という話に行き着いた。
読み始めて、少ししてマウスを止めた。
「これって、もしかして読むとヤバイ呪い系じゃ・・」と思った。
少し前にも呪い系の話を読んだけど、これに限っては話の進め方などからただならぬモノが感じられた。
マウスを一気にスクロールしていくと「信長」という名前が見えた。
一応、話の一番下の部分までスクロールさせたのだが、もちろんちゃんとは読んでいない。何だか凄く怖かった。
読むのを辞めて、この話に対する観覧者の感想の方を先に読んでみる事にした。
「怨念が消え去りますように・・」
「こんなところに書き込まないでよ(涙)」
これはマジで読むとヤバイいかもな・・と思った。
でも、凄く気になる。
そういえば、俺が小学生か中学生の頃に読んでいた怪談集の中に「牛〜」という話があったのを思い出した。
詳細は書かれておらず、「怖すぎて、その話を知って生きている人はいません(だっけ?」みたいな説明があるだけで、当時の俺は「何だそれ」と拍子抜けしてしまった事があったのを思い出した。牛の妖怪みたいなものがイメージされ、あまり怖そうじゃないなと感じていたような気がする。
「もしかして、その話ってこれなんじゃ・・」と思ってゾクゾクゥっときた。
日記を書いている今でも、凄く背筋が寒い。
読みたくない・・・
もちろん、まだ俺は全部ちゃんとは読んでいない。大丈夫かな。
血の気が引いてる・・
でも、すっげえ気になる。
どんな話なのか、他の人間の感想だけでも聞いてみたくなったので、適当な板にその話のリンクを貼って投下した。
酷いだろうか。
俺は、自分にとってキツそうな事とか怖い事とか極度に不安になるような事があると、平気で見ず知らずの他人を巻き添えにしてしまう人間だと思う。
少年の事で欝になる話を聞いてキツくなった時、当時メッセをしていた知り合いにも聞かせて巻き添えを図ったりした事もあった。
今の俺はかなり動揺している。全部読んでいないとはいえ、途中までは読んでしまった。メチャクチャ不安だ・・・
色々吐き出して楽になりたい。
でも、メッセの子もそういう部分を持っている。普通の事なのかな。
こういう話するのも言い訳がましいけど。
「凄いキツイ映像見てしまいました・・俺一人だけ見たんじゃキツいんでリュカさんにも見てほしいです」とか言って、MXで落としたらしき猟奇動画を俺に送ってくる事が結構ある。



2004年12月28日(火)

午前0時半頃に目が覚めた。
人生全部が虚しく感じる・・

そういえば、夏休みからずっとビデオデッキが壊れたままだ。
今は冬休みだけど、まだビデオの中にはフルハウスのテープが入りっぱなしになっている。

虚しい、嫌だ、考えたくない・・
無になりたい。

ガンツという漫画の1〜9巻詰め合わせを落とそうとした。
半分ほどDLが終わったところで接続が切れてしまい、今朝は漫画を読むことができなくなった。
何もする事がなく、どんどん虚しさが募っていく。
考えたくないとか、考えなければという意識に苛まれて、板ばさみ状態が少しキツくなってきた。
気晴らしに絵を描いた。
少しのめり込めた気がする。
知ってる顔

オカルト板を見ていたところ、「江戸川乱歩の地獄の道化師が面白かった」というレスがあった。小学生の頃に小説で読んだし、ドラマ化されたものを何度も観た事がある話だ。
何だか、そういう系のものがむしょうに観たくなってきた。
普段テレビは殆ど観ないのだが、せっかくの年末なので、少し番組を探してみる事にした。
毎年、年末だけ親がテレビガイドを買っている。そこで色々探してみた。
江戸川乱歩はなかったけれど、1月からH2という野球漫画をドラマ化したものが始まるという。
リビングに行ってみると、母親がコナンを観ていた。
冬休みだから、こんな午前中の時間にアニメがやっているのだ。
せっかくだから、俺も久しぶりに観てみる事にした。
コナンは内容よりも、オープニングやエンディングが好きだ。
倉木麻衣やガーネットクロウの曲が流れている中、キャラクターが動いているのがかっこよく思える。

2003年4月22日

現在午前6時前。
18時間近く起きている。
泥のように眠りたいのだが、このスレを読んでいたら、眠るのが恐ろしく感じられる。
とりあえず、殆ど全部読んだし、俺自身も書き込んだ。とても疲れた。
霊以外の話でも、死後の世界や普通に生活していたら感じる事のないような非現実的な痛み、が連想されて、状況が状況になった時タイプの子の身代わりになれと言われたら、それに従える自信がなくなってきた。
一生後悔するんだろうな。
痛みや恐怖を連想する時、殆どいつもタイプの少年が関連付けられるようになって来る事が多い。
それでプレッシャーがかかる事も多い気がする。



2004年12月27日(月)

そういえば、「自分は昔から人間に対して潔癖症なところが強かったな」的な事を思い出した。
それは今でも続いている。
自分よりは清潔だから、どうこうじゃない。生理的に嫌なのだ。
人間を汚い動物(人間の内面どうこうだけじゃなく)に感じているのは幼い頃から続いている。
幼い頃は、周りから自分を綺麗な生き物みたいに思わされる事が多かったので、その反面か「じゃあ、あんたらは汚いんだな」という意識が根付いてしまったのかもしれない。殆どギャグだな。
あとは、「○○(誰かの名前)菌が移るからタッチ」とかいう遊びもはやっていたので、その影響もあるのだろうか。
家族に対してもそうだし、見ず知らずの他人に対してもそうだ。
あまりに日常化しすぎているので、普段から特にそれを意識しているわけではないのだが。
人が触った物には触りたくない、とか。
ドアの開け閉めをするだけで、すぐに手を洗いに行ったり。
でも、自分自身には感じない。当たり前だ。
自分には常に内部も含め接触している状態なので、自分に対してそれを感じるなら生きていけない。
日に20回は手を洗っていると思う。
多分、俺より何倍も清潔にしているイケメンや美少女等と握手しても、無意識に手をこすったり洗いに行ったりしてしまうだろう。
自分の欲求にしろ、ショタコンになる前の頃を思い浮かべてみると、常に第三者的な感覚で捉えていた部分が強かったと思う。それが「当たり前」になっていた。
人体は汚いから自分で触ろうとは思わないけど、他人に傷つけられているのを観ると興奮する、とか。
女は綺麗だ、という風潮がある。
「綺麗なんだと感じなさい」的な社会的意識のせいか、余計に粗を探したくなっていく。
「女だって便所に行くし、別に綺麗な生き物じゃないだろ」的に、風潮があるせいか余計に汚い生き物に見えたり。
中学時代とかを思い出してみても、周りがいやらしい話をしているところに巻き込まれたりすると「何でそんな女の汚いところを触ったり舐めたりして、さらに汚い事をして、さらにそれを喜んでみせなければならないんだろう」といったストレスを感じていたと思う。
サディスティックなものに興奮を覚えても、いざ自分が触ってそれをしてみなさい、というと話は別になったり。
俺が潔癖を感じるのは、主に人間と蟲だ。
俺が物質として嫌悪を感じないようになった人間は、タイプの少年が初めてだろう。
質から何から、人間とは全く違うものに感じられる事ができた。(それも単なる思い込みのせいだろうが)
だから、タイプの子がタイプの少年意外に汚される、とかいったものに人一倍敏感になったりしていたのには、そういった面も含まれていたのだと思う。少年だと「綺麗だと思いなさい」的な風潮もなく、さらに健気なので、余計に綺麗に思えたり。
男の中年が一番汚い物質に感じる。
俺はタイプの少年が汚される事が何より嫌だ。
特に、自分にとっての一番綺麗な存在が、自分にとっての一番汚い物質に汚されるのが耐えられなかった。
少し自己分析をしてみた。
最近は、少年を物質的に綺麗なものに感じる事が出来ているのかどうか、少しあやふやになってきている部分もあるが。

どうにもならない事が前提になっているのに、それをどうにかしたいと考え出して行くと、底が見えなくてどんどんキツくなっていく。
どこまで考えていっても、その事実は変えられず、その変えられないものを変えたくてまた色々と考え始める。
絶対に「そんな目に合ってなかった」じゃないと気が済まないのに、それでも実際にはそういう事になっていて、、と、嫌になってくる。
今日は、普段意識しないような自分の内面を突き詰めて、それに対するストレスも強い。
今まで、無理に自分を単純化しようとし過ぎていた部分もあったかもしれない。
1つの要素や理由からじゃなく、いくつもの要素で共通して追求する物事を、自分の1つの意思の方向性としていた、が正確だ。
少年が汚されるのが嫌な理由も腐るほどあって、全部言葉で表しきれないし、自己矛盾も多い。
どの部分に意識を当てるか、でその時その時の優先事項が変わって行ったりするのだろう。それに反する意識があっても、優先意思より弱いから引きずって見ないようにする、とか。
手相占いとかはよく分からないが、俺の感情線はかなり複雑にゴチャゴチャしていると言われた事もあった。やっぱり手相に出るのだろうか。
以前と比べると、だいぶ感情線も単純化されてきたように見えるけど、それも自己矛盾が出ないように意識あれこれを統一化しようと務めた影響なのだろうか。
今日も色々と考えた事を吐き出してみた。

2時間ほど仮眠して、午前7時頃に目が覚めた。
今日は午前中に明石という場所まで免許の更新に行かなければならないので、そのまま8時頃までは眠るつもりであった。
ショタコンスレ』が、また少し動き出した。
少年に悪戯する事肯定してて、さらに少年に悪戯した奴に賛同してるショタコン野郎が、俺に対して「クリスマスに良いことがあって、優しい気持ちになれました〜、だからあなたの言葉にも不快感を覚えません^^」みたいな、いかにも善人ぶった言葉を吐いているのに胸糞が悪くなってきた。
少年を犠牲にする上での奴が、こういったイベントにかこつけて善人ぶっているんだと思うとキレそうになる。『ここから
こういう言葉を吐いて、周りから良い奴みたいに思われる人間の裏には、実は少年を犠牲にしてきたような奴らも含まれるんだろうな、と思うと、どんな言葉を吐く人間だろうが一概に「良い人」なんて思ってはいけないんだ、と思える。こいつらは、自分が腐った人間であるにもかかわらず、こういう言葉を吐く自分自身に酔って、本当は腐ったショタコンでしかないはずなのに、優しい気持ちになった自分を「良い人」みたいに感じているのが凄く伝わってくる。許せない。
言ってる本人は、その自分自身の優しい気持ちとやらを「善いもの」に思い込んでいる事が、俺から見ても分かる。
同時に、俺はこいつが少年を悪戯する事を肯定している奴なんだ、という事も知っている。だから、こいつの言う「優しい気持ちになった」とかが許せない。
自分の思った事を言葉に表すのが難しい・・
こいつの何がどう許せないのか、とか自分で分かっているのに、それを上手く表現できなくてもどかしい。
少年が犠牲になる事肯定した上での「優しい気持ち」なんて絶対にありえない。でも、世間はこいつの言う「優しい気持ち」とかそういったものを「善きもの」みたいにして敬ったり尊重したりするんだろうな。
あああああああああああああああああああ、もどかしい。
漫画とかを引用して例えるなら、「莫逆家族」という漫画で、散々悪行をし尽くした五十嵐という男がいる。
悪行に悪行を重ね、その結果入院する事になった五十嵐。
その五十嵐に医者が言う。
「こーして見ると、そんなヒドイ悪党には見えないんですがねぇ・・
もしかすると、ひと山越えて邪気が晴れたのかもしれないけど・・
そんな全ての迷いや欲望が浄化されたような
清清しい顔を、私は今まで見た事がないよ」と言った。
それに近いものが、こいつの言う「優しい気持ち」とやらから感じられた。
もう一つ例えるなら、ふんぞり返った権力者が、未成年の少年に対して性的搾取をやり尽くす。
臨終間際に「自分は、今までにこの権力を使い、欲という欲を見たし尽くした。もう思い遺す事はないよ」と、とても清清しい顔で息を引き取る。
それと同じものが、こいつに感じられた。
そんなの絶対認めない。最低な事を肯定したりする奴が持つ清清しさなんてのは糞だ。最低のものだ。
「糞の癖にいい気になって、悟った気になってんじゃねーよ」という気分だろうか。
最低な事をしてきた上での救いや祝福を、俺は認めたくない。
一般的に、そういう最低な上での〜でさえ、世間はそれを善いモノとして捉えようとする風潮がある。許せない。
何か、自分でも説明し辛い。

更新に行く前に、1週間ぶりくらいにヒゲを剃った。
伸びきっていたせいか剃り終わるまでに時間がかかり、こんな風にヒゲを剃っている自分はもうオッサンなんだろうな、とか思った。
少年に悪戯しているようなショタコン親父も、こうやって朝になるとヒゲ剃りしたりしてるんだろうな、と関連付けて浮かんできて、かなり自分で嫌になってきた。
明石じゃなく、伊丹という場所の方が近いらしいので、そっちに行く事にした。
3年ぶりだ。「確かに俺はここに来た事がある」と、ちゃんと風景も覚えていた。凄い人ゴミだった。
関係ない話、今「ひとごみ」を変換してみて気づいたのだが、「人が込む」と書いて「ひとごみ」が正解のようだ。
今までずっと、「人がゴミ」で人ゴミだと思っていた。
自分的に人ゴミの方がしっくり来るので、こっちを使う事にする。
3年といえば、俺はもうまるっきり3年間バイトというものをした事がない。
更新のため列に並んでいると、右アゴがキリキリしだした。
次に胃に来た。キリキリ痛む。息苦しくて、内臓を内側からこすっているような感覚だ。
対人恐怖症かな、と思ったけど、対人恐怖症はわずかな面識のある人間にしか発生しない症例らしい。俺自身も、別に震えが着たりしたわけじゃないので、たんに人ゴミに囲まれた状況が無意識レベルで嫌だったんだろうな、と解釈した。
俺が最初に免許を取ったのは明石だ。3年後の更新は伊丹だ。
で、さらに3年後である今回も伊丹だ。並びながら「じゃあ、次にもし明石で更新するとしても、明石の講習所に訪れるのは免許を取ってから9年ぶりという事になるのかな」とか考えていた。
俺の前に並んでいる男が、長身でかなりいかつい感じだった。
そこから少し連想した。
もし、こいつが俺の目の前でタイプの子を襲おうとしたら、俺はこいつを抑える事ができるかな、とか。
なりふりかまわず死ぬ気でいけば勝てるかなとか、肉でもなんでも噛み千切ってやったら、こいつも俺の耳を削ぎ落とすくらいの事はしてくるのかなとか、こいつを殺す事とタイプの少年が触られる事を比べるなら考えるまでもないだろうとか、痛みで意思が揺らいだりしないかなとか。
仮に防げたとしても、そんなタイプの少年を狙った奴を目の当たりにして、それだけで済ましてしまうのも許せないとか、済ませていいわけがないんだ、とか
威圧感をモロに受けながらそんな事を考えていた。実際そういう状況になった時、少年優先で考えられなければ、今まで考えたり感じたりしてきた事が全部偽になってしまような気がする。文字通り、指一本触れさせないようにしないと、俺の中でその少年が「善いもの」に感じられなくなってしまうんだろうな、というのは分かる。
キリキリは続いた。
オッサンを見ると、全部ショタコン親父に見えてくる。
こいつは卑しい奴だろうな、とか。
例えば、30前後のオッサンを見かけたとする。
俺はそいつの皮膚の汚さを直に目の当たりにするわけだ。
同時に、それは俺にとってのタイプの少年を汚した奴らと同じ皮膚だ。
俺が見かけるオッサンがショタコンじゃないにしろ、その肉の汚さの質は、タイプの子を悪戯したオッサンと同じものだ。
「この汚い皮膚を持った生き物が、あんなに綺麗な少年を汚したんだ・・」と、直に連想されてしまう。
証明写真を撮る時の、係のオッサンの横柄な態度にムカついた。
その後講習を受けなければならないのだが、ただ30分間の間にビデオを観せられて、さらにちょっとした説明を受けるだけの簡単なものだった。
しかも、ビデオが上映される部屋に俺は途中から入れられた。
国が管理している仕事がこんなにアバウトでいいのだろうか、と少し思った。
それから、免許証を発行された。
俺は殆どペーパードライバーみたいな感じで、免許証の色が金だった。
初めて免許を取った時が黄緑、次が水色、で、今回が金色だ。更新するたびに色が変わる。でも、次回の変色はないだろう。
個人的には黄緑の時が一番気に入っていた。
さっきまで持っていた水色の免許の証明写真は、頬がコケているのが分かるくらいゲッソリした感じだったのに、今回出来た金の免許の証明写真は、ずいぶんふっくらした顔になっていた。
次の免許の更新は5年後だそうだ。
もし、次の更新に明石を訪れるとしたら、免許を取ってから11年ぶり、という事になるのだろう。何か凄いな。
親から金をもらっていたので、帰りにマクドで昼食を済ませた。
バリューセットの割引券があったので、チキンフィッシュ〜バーガーセットと、ビッグマックを食べて帰った。
現在午後13時半前。とても眠い。



2004年12月26日(日)

クリスマスが終わった。
イヴの残りのケーキを食べた。
親戚から送られてきたケーキも食べた。
夕飯はチキンナゲットだった。
今は26日で、今日は弟の誕生日だ。
弟が二十歳になり、この家に未成年は一人も居なくなった。
誕生祝いとして、この前落とした「ジョジョの奇妙な冒険第5部」をあげようとしたら、「うわ〜、ジョジョって筋肉つき方気持ち悪くて嫌いやねん」とか言われた。
「まだ読んでないけど、鋼の錬金術師って漫画の1〜5巻もあんねんけど読んでみる?」と言ってみた。
「それも何かな〜、今いきなり嫌いな漫画2つあげられたわ」とか言われた。
次に「じゃあ、モンスター全巻貸して」と言われたので貸してあげる事にした。
今日も弟の誕生日で、夜にはケーキだ。
3日連続ケーキだな。
「お父さんは心配性」を全部読み終わった。
今、なんかスタミナ不足でちゃんと色んなものを意識できない。
最近はずっとそんな状態だけど。

今のように、「タイプの少年に対する性的搾取」について、いい加減な感覚しかもっていない状態で、タイプの子が無事でいてくれたとしてもそこまで喜びを感じる事はできないだろう。
本当のありがたみが分からない。だから納得しないし、心にしこりが残り続ける。
前みたいに、思いっきりそれについて欝になるような感覚で、その上で希望が見えたら完璧だ。ありがたみも桁違い。
あの子が初めて現れた頃の状況が、そのまま自分の中での条件みたいになっている。
あの時感じた希望は、本当に人生が全て叶ったような、全部「善し」と思えるような物凄いものだった。
でも、あの子は悪戯されていた。
どんなに自分の中で、感覚や思い入れが中途半端になって、その事実が言葉だけの薄っぺらい認識にしか感じられなくなったとしても、あの子がそれをされたのは現実だ。
その現実からは絶対に逃げられないし、何をしていても常に頭のどこかにそれがこびりついている。
あの子が悪戯されたのは現実、現実、現実、全部本当の事で現実なんだ、とか。当時の俺にとっての絶望が、実際に起こった事なんだ。それについて何一つ納得できていないけど、あの子がそうなったのは全部現実で、俺の考えや価値観や思い入れや感覚がどう変わっていっても、あの子がそれをされた現実は変わる事がなく、

現在午前5時半前。
コンビニに行ってきた。
買ったものは、マルボロミディアム2カートン、ポテチ型カラムーチョ10%増量250円パック、たけのこの里。
タバコと週刊誌以外の物を買うのも久しぶりだ。
昨日小遣いをもらったので、少しだけ金に余裕があった。
お菓子を選びながら、あの子が「たくさんお菓子買って、山の中とか歩いたら楽しそうですね」みたいな事を言っていたのが少し思い出された。
普通にいけば、和む思い出になってたりしたんだろうな。

午前6時20分。
母親が俺の茶碗を落としたらしい。
ヘッドホンをしていたので、茶碗が壊れる時の音は聞こえなかったけど、台所にコーヒーを取りに行った時に聞かされて、見ると粉々になっていた。
最近やっと、どれが自分の茶碗なのか見分けが付くようになってきたのに、残念だ。
「また新しいのを買っておく」と言っていた。

頭の中でのあの子との対話で、ショタコンを求めないよう説得したり、価値観説明して拒絶したり、自分の不謹慎さや価値の無さを次々と挙げていったり、今朝はそんな状態が脳内で延々と続いている。
ネットを始める以前なら自分同士で話したりしているような感覚だったが、なんか染み付いてるような感じがする。
100パーセント叶わない片思いみたいな感じで考えようか。
実際に拒絶するのは俺の方だけど、それを考えるとまたややこしくなっていく。拠り所を求める気持ちも沸き様が無くなる。

午後8時頃に目が覚めた。
大河の総集編を途中から観た。
納得しようのないものが意識の中心にあって、心にしこりが感じられるというかモヤモヤしていて気持ちが悪い。

弟の誕生日用に、チョコレートケーキが買ってあった。
親が作ると思っていたが、続けて作るのはしんどいから、との事だった。
いつもは4分の1を半分に分け、2日かけて1個づつ食べるのだが、今日は4分の1を丸ごと食べた。ケーキだけで腹が一杯になった。



2004年12月25日(土)

親が作っていたチョコレートケーキを食べるのをすっかりと忘れていた。
午前0時をまわってからケーキを食べた。
夕飯はチキンだった。
話は変わって、日本は「恥の文化」で、西洋は「罪の文化」なのだという事を、何かの授業で聞いた事があるのを思い出した。
よく「世間様に顔向けできるように」といった言葉を耳にするのも、その恥の文化からくるものだという。
西洋は、映画などでよく「ああ、私の罪をお許しください」とお祈りをする場面を見かける事が多いかな。
日本的な考え方は「じゃあ、その恥さえバレなければ何をやっても大丈夫だ」と、そんな感じなんだろうな。
自分にも当てはまる。
以前の俺が少年を襲わない理由として「性癖がバレるくらいなら死んだ方がマシだ」と。
抑止力になっていたものが「恥」なわけだ。
今の俺にとっての理由は、実際に襲われた少年が苦しんでいるのを直に話しを聞いたから、というのが大きい。もちろん恥も含まれるだろう。
あとは、「少年さえそんな目に合わないでくれたら、自分の内面を全て解決できるのだ」といった漠然とした意識。
罪というより、それによって作り上げられた自分の中での決まりのため、という感じかもしれない。第一、欝のない今、精神的にそこまで切迫した状況ですらないわけだ。

とりあえず、いかにもRavenって感じのHPにしたから『ここ』にリンクしとく。
雰囲気だけで、内容自体はまだ薄い。

岡田あーみんという漫画家の「お父さんは心配性」という漫画を昨日から読んでいる。全6巻詰め合わせをMXで落とした。
その前に読んでいた「ジョジョの奇妙な冒険」第5部は昨日読み終わった。面白い漫画だった。
その後すぐ、この「お父さんは心配性」を読み始めた。
昔母親が買い集めていた「ちびまる子ちゃん」に、さくらももこと岡田あーみんの合併漫画が載っていて、それが面白くて興味を持った。
実際落として読んでみると、そこまで楽しい漫画でもない。
この漫画に出てくる変な「お父さん」の行動に対し、ちびまる子のナレーションがツッコミを入れるから面白さが広がっていただけで、単体で読むと大した事ない。
笑えそうなところで、無理に声を出して大げさに笑ってみた。
無理やりにでも、「楽しんでいるんだ」という気分にさせる。

元々、欝を失くす事自体は簡単な事だったのかもしれない。
自分の中で納得できる条件を見つけ、少年に対する特別だという意識を切り離せばいいだけだ。
本来、どんな物事に対してでも不謹慎な目で見てきていたような人間だ。
性癖が不謹慎なものに変わっていく事にも抵抗がなかった。
不謹慎すぎて、身近な他人事に対してもあまりに何も感じな過ぎたり。
その反動というか、物事に対して価値を見つける事が困難で、何をしていても虚しく感じる事が多くて、とそんな感じだったかもしれない。
中身が薄い中途半端な人生を送ってきたように思う。
自分の人生について目標も信念も持ったことがなくて、将来やら何やらを真剣に考えて見る事さえなかった。
中途半端過ぎる人間だと思う。
そんな中で強い意識を持たせてくれる存在になったのが少年で、少年を絡めて考える限りは、どんな事にも価値や重さを感じる事ができて、とか。
色々な事に意味や価値を持たせられる。
あの子が認めているものだから善いものなんだ、その子が嫌がるものだから憎むべきものなんだ、とか。
欝を失くすためには、そういった少年に対する意識を切り離してしまわなくてはならない。ほぼ「捨てる」と言っていいだろう。
よく耳にする言葉で「失くしたものは戻ってくるけど、捨てたものは戻ってこない」と、それが意識のどこかに根付いていたので、俺は少年について強く意識する事を辞めなかったのだと思う。
それを切り離してしまえば、中途半端で不謹慎な奴に成り下がってしまうのが自分でも分かっていて、どれだけ欝で苦しくなってもそれだけは捨てまい、としていたのかもしれない。
少年に対して何か納得できる事きっかけさえあれば考えるのを辞められる、とそれがゴールみたいに感じていたり。
それでも、少年に対して絶対感を感じていた俺は、ありえないような話に対して納得なんてしようがないし、納得しようともしなかった。というか、納得できる条件さえなかった。
そこで意識(価値観?)を切り離してしまえば、せっかくそこまで意識を強めてくれる存在が自分の中に現れたのに、また全部消えてしまって全てに価値が見えなくなる。
「少年が価値を置いてるものだから、自分にとっても価値があるんだ」という風に、何かに対して強く「良いモノ」を感じる事もできなくなる。虚無だ。人生そのものに価値がなくなる。
結果から言うと、立て続けに受けたショックで、納得できもしないのにその意識(価値観)を切り離してしまった。心にしこりは残り続ける。
一度捨てたものは元には戻らなくて、後になって必死で前の価値観にしがみついて同じように考えよう、感じようとしてみせたところで、結局俺自身の本質は不謹慎で中途半端で意味のないものに戻ってしまった後だった、と。
思い入れがあるから苦しくて、思い入れがあるから欲望が過大で、思い入れがあるから保護したくて、思い入れがあるから大事にできて、とか。
少年さえ無事で居てくれれば、その思い入れは財産だ。
欲望への思い入れを優先すれば、その他の全ての思い入れを無価値にしてしまうのが分かっていたので、そんな目にさえ合わずに無事でいてくれたら、少年を汚さず、多分その思い入れ(欝)とも上手く付き合っていく事も出来たと思う。「欝と上手くつきあう」みたいな格言も聞いた事があった。
タイプの少年への異常に強い思い入れを捨ててしまった、もう戻らない・・・
少し自己分析みたいな感じで考えてみた。

というか、何でタイプの少年に対して「大事にできる」なんておこがましい考えを持つようになったのだろう。
そんな子は、ショタコン野郎なんかに大事に思われる事自体気色悪く感じるのが前提だったはずなのに、今の自分は「大事にできるだろうか」とか「大事にできたら」とかいう風に考えてしまう事が日常だ。
絶対に手が届かない尊い存在である少年なのに、一度向こうから好きになってくれたりしたのがカルチャーショックみたいな感じで、感覚ズレてきたかもしれない。
いくら大事に大事に思おうと、かえって迷惑がられるくらい手の届かない存在なんだ、じゃないと尊さを感じるのも薄れてきたりするのだろうか。
なんか、自分は人の好意を仇にしてしまう事が多いな。

午後9時半頃に目が覚めた。
なんとかクリスマス中に起きる事ができた。
今日は25日で、22歳になってからちょうど1ヶ月目だ。



2004年12月24日(金)

午前0時をまわった。
クリスマス・イヴだ。
17日に大学で、会費500円で参加できるクリスマスパーティーがあり、俺はこれに参加するつもりだった。
でも、当日になる頃にはすっかり忘れてしまい、17日は図書館に映画を観に行ってしまった。
帰りになって、学内のクリスマスの飾りつけが全て取り払われてしまっている事に気づき、「そういえば、今日はクリスマスパーティーだったんだ」と思い出した。
その頃、すでに午後6時前後。
パーティーは5時半からだ。
結局、今年はクリスマスらしいものを何一つ味わう事が出来なかった。
限定チョコも買えずじまいだ。
俺はテレビも観ないし街にも出ない。
だから、その雰囲気を味わう機会さえなかった。

午後8時ちょうどくらいに目が覚めた。
1つ眼のドラゴンに大阪駅みたいな場所で追いかけられたり、マガジンの椋鳥かおるが出てきたり、結構楽しい夢を見れた。

少し日記を読み返した。
なんか激しい性癖だな、と思う。
今の自分は、その性癖さえも漠然としすぎてハッキリしなくなっているわけだが。
一般に気持ち悪いとされる、脳漿や内臓、中身でさえタイプの子なら綺麗で尊いものに感じられていた、という事ではあるけど、その求め方もあまりに利己的。

『性癖で欝になっていた頃の文章』
-------------------------------------------------------------
少年拉致ってきて誘拐したい
そのまま苦しめて殺してお腹切り開いて中に顔突っ込んで血すすりたい・・
肉皮から丸ごと噛み千切って食べたり脳みそ舐めたりしたい
腕切断して断面しゃぶりたい・・
ああああああああああああああああああああああああ
マジ半泣き
なんだよこれ、どうにもなんねーよ!!糞!!!
-------------------------------------------------------------

読み返してみたのだが、性癖が度を越えすぎているせいか、ショタコンとしての生々しさから来る「恥」をあまり感じる事が無くて済んだ。
実際に関わった最低な奴や、少年本人から聞かされた話にこういったものがなかったせいか、今では現実離れした事を言っているように感じられる。
リアリティが感じられない。でも、当時はこれを強く感じていたんだろうな。

『保護欲で欝になっていた頃の文章』
-------------------------------------------------------------
普通にそこら辺の女とかが弱み握られているような話でも、そこまで酷いことをされているという話は聞いたことがない。
その子が少年だから余計にそう感じたのかもしれないけど。
よりにもよってこんな可愛い子が・・・と。
自分がショタだから、同じような願望もある。
文章を読んでいると涙が出てきて死にたくなった。
タイプの子がこれでもかというくらい信じられないほど支配されている。
可愛い子をそういう風にした奴は死ぬほど憎くて殺してやっても全然足りないという感情がわいてくる。
-------------------------------------------------------------

今の自分は、少年に対して強い欲求も強い感情も感じていない。
でも、いくら強いものを感じているといっても、年下の少年相手にこんな欲望を求めるのはゲス野郎だ、と今になっては考えられる。
最初は強い欲望から来る欝、次は正反対の強い保護欲から来る欝。で、今は漠然とした虚無感。
保護欲で欝になっていた頃が、今の感覚から見て一番「善し」と思えたりするんだけどな。なにより正しいわけではあるし。
こんな中途半端じゃ、タイプの子を大事に思えずおざなりにしている気分にしかならない。
振り返ってみて、昔の自分は感受性が強かったんだな、と感じた。
シュロという人と同じくらいの欝を、日常的に感じていたのだと思う。



2004年12月23日(木)

「ジョジョの奇妙な冒険」という漫画の46〜63巻詰め合わせが落ちたので、10冊分くらいぶっ通しで読み続けた。
面白いけど、結構疲れる。
頭がホケーっとした感じになってくる。
最近、そんな状態になる事が多くて、何かを強く感じる事ができにくくなっている。不謹慎だな。
それについても、少年がそういう目に合わされている現実にも納得できず、絶対に納得しようのない意識を抱えたままの状態なので、常に焦燥感のようなものに憑かれている。
解決法なんてありえないけど、それまでに思い込んできたものが大きすぎる。

このまま感覚が薄れ続けていくなら、やがて中身が空っぽの建前野郎になってしまうのも時間の問題。
後ろめたさも欝もなく、ただ欲望だけを感じるような奴になってしまうんだろうな。
今の時点ですでに強い感情が伴わなくて、悪いものから抜け出せるよう少年を説得したりできるだけの力がない。
説得したところで、その言葉も内容のない軽はずみなものになってしまいそうで、それが余計に不謹慎を生む結果になってしまいそうな気がする。
それでも、どういう判断をつけるのかだけは、自分の意思で下すことができるものだと考える。ショタコン否定だけは続けるつもりだ。
ショタコンには敬意を払う必要が皆無だから、たとえ今の俺の感情の度合いがどうあれ、何だって否定してやる。
何をしてはいけないのかとか、何をしないでいるのか、とかは、感覚や感情の度合いに限らずハッキリできる。

午後10時半前に目が覚めた。
最近、楽しそうな夢だけは毎日のように見るようになった。
寝る前に新しいタグを調べたので、少しだけHPを更新した。
デスノの52話目のバレが着ていたので読んだ。



2004年12月22日(水)

2chスレ』で、生年月日や出身地、血液型や性別を提示すれば、前世の一部を見る事ができるという能力者が集まるスレがある。
そこで自分の前世を見てもらったところ、こんな返答が帰ってきた。

----------------------------------------------------------

63 :朔夜 ◆R61No/hCwo :04/12/22 01:19:20 ID:u7zQrTM/
>>57様

日本ではないようです。
20代後半の男性のようです。髪は栗色です。
あなたは小さな町の警察官のようですね。
あなたはとても気さくで、街の人たちもあなたを信頼しています。
そんなに大きな事件が起きる街ではないみたいですね。
町全体ものんびりした感じがあります。
なにか…あなたには叶えたい夢があるようです。
とても、町のためになるようなこと…みたいですね。

短めの名前で「ノ」が発音に含まれるようです。
これを元に思い浮かべてください。
一番最初に思いついた名前、それがあなたの前世の名前だと思います。

----------------------------------------------------------

あまりしっくりこない。
因みに、浮かんだ名前は最初が「のび太」、次に「ノート」
名前としてはありえない。
その次に「ノース」という言葉が浮かんだ。
北という意味だが、最初に浮かんだ名前っぽいもの、とするならこれしかしっくりこない。

1年半以上前の自分のスレの過去ログを少しだけ読んだ。
不謹慎だ。軽はずみだ。最低だ。軽蔑する。
不謹慎な顔文字まで使っていて、読み始めてすぐにとても気分が悪くなった。もう読む気がしない。
今の俺から見て、過去の自分は否定して否定して否定しまくりたい奴。
軽い動悸がする。
今現在の俺は、1年半前の自分を認めない。
でも、悲惨な話を聞くことを避けようとしている面もあって、その部分だけは認められた。
その頃の自分は、まだショタコンに敬意を払い馴れ合おうとしている部分があって、それを見ると「ああああああああああああああああああああああああああああ」という気分になった。
でも、パッと見ただけなのであまりハッキリした事も言えないか。
その頃からすでに、少年がされる事について強い欝は感じていたはずだ。
ただ、もう読み返す気にはなれない。恥だ。

午後6時頃に目が覚めた。
昨日も今日も、大学にクリスマスの限定チョコを買いに行こうと思っていたのに、結局昼夜逆転で買えずじまいだ。
売店は4時20分頃には、もう閉まっているからだ。
23日からは、もう完全に冬休みに入るので、もう諦めるしかない。
冬休み明けに売ってたりするだろうか。それとも、補講授業の日にも売店が開いてたりするだろうか。多分無理だろうな、残念だ・・
毎年の習慣を崩された気がする。



2004年12月21日(火)

少年に手を出しながらも「自分の存在を綺麗に思ってくれ」「卑しいというのを改めてくれ」とか言う、斜陽とかいうショタコン野郎にブチギレた。
考えれば考えるほど、その卑怯さにじわじわ怒りが沸いてくる。最低のゴミが。

珍遊記を読んでいて、自分の怒りを表す時の言葉使いの語源に珍遊記からも影響を受けたのかな、とか思った。
漫画の中の罵声や怒声がとてもしっくりとくる。
小学生の頃から、20回は読み返している漫画だと思う。
意識の深いところに根付いていたのかもしれない。
震災のドサクサでその漫画もなくなってしまい、数年ぶりにパソコンのファイルで改めて読み始めている。

あの子がどこかの野球チームに入っていて、それをケーブルテレビか何かで観ている、という夢を見た。
相手チームはプロの3軍とかだった。
ドブを船で下る夢も見た。
今日は午後6時半頃に目が覚めた。
完全に昼夜逆転だ。
感情や意識や感覚が中途半端で、本当に無為という感じがする。
以前なら、「男の子は綺麗で可愛くて素晴らしい生き物なんだ」と、どこまで思いこんでいっても差し支えなかったのに、
実際に悪戯されたりしているんだと思うと、そういう子が綺麗だと思う事が苦痛になる。
「そんなに綺麗な存在なのに・・」といった感覚で。
ゴミ出しを頼まれたので出してきた。
今のマンションに越してきて、もう3.4年目になるのだが、どこに出すのか分からなかった。結構大きなマンションだけど、俺は今まではマンションの入り口から自分の部屋までの通り道しか見たことがなかった。
管理人に案内された。屋外に広いゴミ置き場があり、そこにゴミ袋が山積みにされていた。
空が暗くなっていて、他に誰も人が居なく、広くてゴミが沢山積んであって、風がビューっと吹いていて、と少しバイオハザードみたいな雰囲気が面白かった。

自分がどちらを望んでいるのか分からなくなる。
もう2度と男の子と恋愛感覚で関わる事が出来なくなる事か、それとも、あの子と関わっていても「善かったんだ」とする理屈作りか。
本当は嫌でも、「善し」とできる理由が1つもないからしょうがない、という感じだったのだろうか。そうする以外にない、と。
未練や悔しさだけはずっと残り続ける。
でも、正しくないから認めるわけにはいかない。
俺があの子に対して「嫌ってくれ」「憎んでくれ」「離れてくれ」と思うのも、自分がそれを望みたいからじゃなくて、望まなくてはならない事だと考えたからだ。
悲しい・・



2004年12月20日(月)

今日で学校の授業が終わり、冬休みに入る。
12時頃に親に起こされたりもしたのだが、結局そのまま眠り続けてしまった。
今日は、午後4時過ぎに目が覚めた。
いつも、クリスマスの時期になると、大学の売店で「チロルチョコ50個詰め」が500円で売られるようになっている。クリスマスっぽいケースに入っている限定品だ。
俺は、1年の時も2年の時もこれを買っていた。
特別にそのチョコが好きだというわけではないのだが、毎年買ってきた物だ。
これを買う機会は今日が最後で、親に金も借りたのに、眠り続けてサボってしまった。
今日は学校に行きたかった。
とりあえず、売店が開いているかもしれないので、授業はないけど明日学校に行ってみる。

あれだけ欝になったりしていた事に対して、最近頭が無感覚になってしまう事が多い。
生きている気がしない。あまりに不謹慎でもある。
以前は、大事に思いたいとか苦しまないように相談に乗る、とかだったけど、
酷い話、今の自分はどこか「自分から見て、すでにそういう目に合わされてしまった時点で終わりなんだ(少年の存在そのものが、なのか少年に対する可能性が、なのかは漠然としていて判断できない。多分両方)」と、その時点で少年に対する印象を結んでしまっている部分があって、それで大事に感じる事も苦しむ事も少なくなってしまったような気がする。

また書き込みに行ってしまった。『これ
ショタコン野郎に虫唾が走る。

ジャンプを買った。
少しだけ読んだ。
「珍遊記」という漫画が落ちたので、そちらも少しだけ読んだ。
昔好きだった漫画だ。



2004年12月19日(日)

今日も少年愛板で言い合いをしてきた。
俺を否定する奴の中にも、俺に同意して見せる奴の中にも、結局「少年に手を出さない奴」は、この3日間で1人としていなかった。ゴミクズばかり。
そいつらを否定している時、その場では「どこまで最低なんだこいつは・・・」と、信じられないくらいの汚さに怒りも高まってくれるのに、
意思や感情も消費物なのか、言い合い終わってしばらく経つと、どんどん自分の内面が空っぽになっていってしまうような感覚に憑かれる。
スタミナ切れか・・
いつもなら日記で書くような長文を、今回スレの方に書いたので、
その代用として、今日言い合った奴に対して俺が受けた印象をまとめたものを、この場に貼っておく。
俺がレスをつけ始めたのが『この部分』からで、
今日のまとめが『これ』だ。
疲れた。

ストレスを受けると、自然とタバコの本数が増えていく。
昨日から今日にかけて50本近く吸っている。
休日だと特にだが、昨日から現在にかけてコーヒーも6杯以上飲んでいる。
長文の打ちすぎ、タバコやコーヒーの摂取しすぎで吐き気がしてきた。

言い合いの合間に描いた、誰かが描いた模写の模写。

↓元絵。

Lの、鼻や口の形が整っているところや、眼全体が大きい上に中身の黒眼も大きいといった特徴が、結構あの子にかぶって見える。
俺が描いた絵(緑色)の方が、まだあの子に近い気がする。
さらに、自分の描いた絵だけ見るなら(あの子本人の顔じゃなく)、部活の後輩にも少し(というか、かなり)似ている。
実物も後輩に似てたりしたのだろうかと、少し関連付けて考えた。
そんな妄想に浸っているうち、抱きしめてみたいような衝動が出てきた。
同時に、「それは不謹慎な事なんだ」という事に気づいたというか、あの子に対して求めて善い訳がないし、喜びにして善い訳もない、という意識があるので、その衝動もまた阻まれる。
普段その子を否定してる分、そういう感覚になる事自体身勝手だ。
ショタコン親父に悪戯されてさえいなければ、少なくとも頭の中だけでは自由に浸っても善かったんだけどな、と思う。
それさえなければ、実際に会ったり手を出したりしなくても、恋愛感覚に酔ってみせる事は不謹慎でなくて済んだはずだ。
一方で、そう考える事自体、俺も持ってるショタコン特有の卑怯な言い訳のように思えたりもする。
道徳的に考えるなら、未成年のそういった少年と恋愛する事自体(いやらしい事なしで)、否定しなくてはいけない事かもしれない。
認められるなんてのはあってはならないし、現に俺が否定し続けている事でもある。あんな腐った奴らと、内面でまで同類にはなりたくない。
卑怯で汚いショタコン野郎と関わっているうち、自分自身に対しても、否定しなくてはならないモノが増えていく・・
それを息苦しく感じる事は、自分の価値観を否定する事に繋がるのだ、と考える。

言葉を話すワニとヘビを同じプールの中で飼ったりする夢を見た。
今日は午後3時過ぎに目が覚めた。
寝起きから、また同じ板で意見を出してきた。
少し憂鬱だ。
メッセ相手に話したところ「どうせそんな奴ら、反省なんてしないんだから労力の無駄」とか言われた。
自分の汚さ自覚したところで、どうせ開き直るだけの腐った奴らなんだろうな、というのも何となく分かる。
何が正しくて何が卑怯で何が悪いのかとか、その板の奴らは誰一人理解もしようともしないのに、メッセ相手はそれを理解してくれたので、少しホッとした気になった。それもただの自己満足か。
奴らに何を言ったところで、自己否定なんてするはずがないのも確か。
「自分の汚さ自覚して自殺でもしてくれればな」というのもあるが、あいつらに限ってそれは絶対ないだろう、というのも分かる。
所詮、あいつらがいくら反省して見せたところで、謙虚に振舞って見せたところで、全部自分を保護するための計算が含まれたニセモノの演技でしかないのだ。
今日は明石の方まで、原付免許の更新をしに行く予定だったけど、締め切り時間は午後3時だった。
27日までに更新しないと、もう一度講習を受けなおさなければならなくなる。

結局、俺の反論に対して何も答えが返ってきてない。
今日レスしたのは『こいつ』に対して、『これ』と『これ
都合の悪い言葉には放置で、答えられそうな言葉だけに言い訳してくる、とか、その他の奴らはくだらない野次ばかり。確かに労力の無駄かもしれない。
現在、午後23時30分。
今現在そのスレを見てみたところ(レス868で止まってる)、俺じゃなくても詭弁と分かるようなレスばかり。奴らの言い訳が苦しくなっているのは、まともな奴から見たら一目瞭然。
疲れたというのもあるのだが、もう無駄だしここらで辞める。



2004年12月18日(土)

初めてメッセの子と関わった時、について少し思い出して考えてみた。
少年は好きだったけど、何より欲が第一で、その子に対してもいやらしい気持ちを持っていた。
最初はその子に合わせて機嫌をとって、その子の考えに沿うように言葉を選び、だったと思う。
そうやってその子に合わせ合わせしているうちに、自然にそれが本心になっていったのだと思う。欲望よりも、その子の安全の方を優先して望む事ができるようになった。
最初から自分の欲望、内面を意思で制限する事は難しくても、手を出さないとかセクハラしない、といった行動自体は自分の意思で抑える事が出来ること、だ。
内面に欲望や不謹慎さが残っていても、行動に移さない限り、少なくとも少年が醜い欲望の影響を受ける事はなくて済む。
改めて、そういう風に考えて行こうか。
俺は汚い欲望を持っているけど、自身の行動を抑える自信は完璧だ。
そうやって自分の行動を制御しているうち、心や欲望もそれに合わさっていくものだろう、と考える。
実際、俺の持ってる欲望にしても、以前の自分の不謹慎さを考えるなら、今の俺は全然マシになれたと思う。

冷静に議論している自分を振り返り、俺はどこかショタコンを甘く見てしまっているようになってるのかな・・・と、息が詰まってモヤモヤした感じで嫌になる・・・
強いストレスを感じる。
それが意識されていて、なんか半泣き状態だ。
軽蔑されたい。
軽く見ていいはずがないし、軽く見られていいはずもない。
でも、何も感じなかった、にならなくて善かったな。
それでも、欲求肯定してるような奴にだけは何も言わせないけど。

今日は、午後4時半過ぎに目が覚めた。
目が覚めて窓の外を見てみると、すでに空が紺色っぽくなっていた。

ショタコンとの言い合いで、自分の考えや感情を吐き出すので、一人でじっくり色々な事を考える事が出来ず、いつも感じる自己嫌悪なり後ろめたさが麻痺しているみたいな状態だ。理屈や意思なんかはハッキリと出てくるのに、頭の中身はホケーっとしている。
こんな風に感覚が麻痺していると、何だか自分が堕落しきっているように感じられる。
アメリカの親戚から電話が来たので、久しぶりに色々話した。
「今どんな事習ってるん?」とか、「学校卒業したらどうするん?」とか言われた。
「別にしたい事も興味を持てる事も何もないから考えてないし、どうでもいい」みたいな事を答えた。
「それは寂しいなぁ」みたいな返事が返ってきた。



2004年12月17日(金)

昨日の夜から深夜にかけ、また同じところでショタコン達と言い合ってきた。
そうやって言い合っていると、少年に対して何が正しく、何が間違っているのか、自分の中でハッキリと再確認できた気がする。
「こんな奴らみたいにはなりたくない」と、反面教師的に考え方を高めていける。
だからといって、そんな犯罪者や不謹慎な性欲野郎に感謝なんてしないけど。許さない。
それでも、やっぱり以前ほど少年に対して強いものを感じたり、以前ほど激しい怒りを感じる事ができなかった。感情が伴わない。
その結果、ある程度冷静に話をする事ができた、とも言えるけど。
感情が伴わなくなっても意識だけは残っている。
何を許さないのか、も自分で分かる。せめて、どういう判断をしていくのかをキチンとしてればいいのかな。少年に迷惑をかけないように生きていく。

今日は午後1時半前に目が覚めた。
夢の中に少年が出てきて、それを楽しく感じる事ができ、寝起きから心地いい感じになった。
実写の少年とエアギアのアキトの2人が出てきた。
楽しい夢でもあり、久しぶりに少年が夢のような存在に感じられた。
自分の中で非現実化した存在であり続ける方が、イメージも広がりやすく夢を見れる気がする。
授業には4時限目だけ参加した。彫刻の後半だ。
授業が終わってから、図書館に行き「M」という題名の古い映画を観た。
面白い映画ではなかった。
学校からの帰り道「どういう判断をするかだけキチンとするかなんてのは、酷い話を目の当たりにした時だけ苦しんで、それ以外の時には平然と何事もなかったかのように過ごしたりするんだって事だろ。なんだそれ、そんな軽い事じゃなかったのに・・」とか考えて嫌になった。
少年を自分の中で一番にしている以上、聞き手側の自分からしても一生頭から離れないくらい深い事のように感じられたのに、「その時だけ苦しめばいい」みたいな感覚になって、自分の中で軽くなっているようでそれに抵抗が出た。
地元の駅に到着し、近くの古本屋に寄ることにした。
漫画を2.3冊立ち読みしてから店を出た。
さっきまで考えていた事があやふやになっていて、今度は人生のくだらなさが強く意識されてきた。
人生の糧に出来るというか、希望に見れる存在が存在しなくなってしまった。
タイプの子に限って汚い奴らに汚される現実があるんだ、という意識が根付く以前なら、タイプの子が存在している世の中なんだという事だけで、まだ人生に希望が残されているように思えたりしたのに、
今はそういったのは失くなったな。
家に帰りついたのは、午後8時を過ぎた頃だった。



2004年12月16日(木)

パソコンをリカバリした事で、ファイル保存していた後輩の画像も消えてしまっていた。
さっき改めてスキャナのドライバをインストールし、後輩の写真もスキャンしてパソコンに取り入れた。
これでいつでも好きな時に眺める事ができる。
集合写真ばかりで、あまり可愛い状態で写っているものがないので少し残念だ。
昨日、今日とあまり少年について頭で意識する事がなかった。
寝起きから頭痛に気をとられていたので、そのせいもあるのだろうか。
その後、サイトにデスノートの最新51話目のバレが着ていたので落として読んだ。
「すげぇ!」という感じで、次がメチャクチャ楽しみな展開だった。
漫画でここまでワクワクして高揚できるのも久しぶりだ。
今日はあまり色々な事が浮かばなかったおかげか、その世界にのめり込んで読む事ができた。

やっぱり、俺自身も不謹慎になっているのか軽はずみになっているのか、最近少年に関連したページを覘いてしまう事が多い。興味がある場所でもあるので、そういうサイトが気になってしまう。
そこで、卑しい考えを持った奴と遭遇した。俺もそんな場所を覘いた時点で卑しい事には変わりないが、それでも嫌悪の対象となる。
そんな場所なのだから当然と言えば当然だけど、俺が軽蔑する類の人種だ。
そいつが吐く最低な理念、ご都合主義的な言い訳に吐き気を感じた。
そんな汚い奴がいるんだ・・と、不安感のようなものも高まってきた。
さっき漫画で気分が高揚したので比べやすかったのだが、その不安感とワクワク感はとても似ていた。
そいつの話に「少年がどうされた」とかいった内容はなく、ただそいつ自身の考えを述べていただけなので、俺が欲求の影響を受けていない事は確かだ。
やっぱり、俺は感情の識別感覚が歪んでいるのだと思う。

そいつの考えを聞いてるうちに、自然とガクガク震えが止まらなくなってきた。前も同じような状況で震えが止まらなかった事があった。何だろう。

ショタコン達と言い合ってきた。
最初は俺に同意してたっぽい奴も、実は少年に手を出した事があり、俺がそれを否定した。
するといきなりと開き直り「相手が求めてくるなら」と言い訳を始め、さらに反論相手が俺(リュカ)だからという理由でそれまでの不都合をうやむやに軽いものに仕立て始めた。態度も横柄なものに変わり、おまけに捨て台詞まで吐いてきた。
胸糞悪い・・
どれだけ謙虚に振舞う奴も、反省して見せてる奴も、一皮剥いただけでこんなに卑怯だ・・
自分の行いを否定されると、それまでの意見も放り出しすぐに本性を表す奴らだ。それまでの事をわざと曲解して捉えたり、後付の言い訳まで。
ショタコン特有の卑怯さがにじみ出る。
やっぱり、ゴミみたいな奴しかいない。

結局、昨日から一睡もできなかった。
少年を上に見て考えていると、たまにショタコンの自分が少年に意見するなんてのはおこがましい事なのかもしれない、という意識が出てくる。
でも、自分と同じショタコンが少年に絡んでくるようなら話は別だ、と考える。少年だから意見しない、という風に傍観していって、その結果下であるはずのショタコンに尊い少年が侵害されまくっていく、なんてのはメチャクチャだ。
少年がそいつを尊重したとする。すると、そいつは同じショタコンでありながら俺より偉い少年、よりさらに偉い、となるのだろうか。ありえない。
何様だそいつは。そんな事になったとしても敬わないぞ。
少年がショタコンを上に見るなんて事があってはいけない。
そんなイメージが強く頭に浮かんだので何となく書き留めたけど、寝ぼけ気味で少し文章支離滅裂かもしれない。

学校へは2時限目から参加した。最初からずっと机に突っ伏して眠ろうとしていた。
昼休みになり、弁当だけ食べてまた眠った。
3.4時限目の彫刻が、今年最後の授業だったはずだから出席しようと思っていたけど、そのまま眠り続けてしまった。目が覚めたのは午後5時過ぎだった。
現実や人生、命といったものがどこか軽い。
以前はもっと自分自身の人生について割り切れた考え方、感じ方ができていたはずなのに、それが今では、全部思考だけのものに感じられる。思考に感覚が伴わない。
家に帰り着きしばらく休み、リビングに行ってみるとケーブルテレビなのか、神戸のハーバーランドの中のモザイクという場所が夜景と共に映し出されていた。
少し親に聞いてみたところ、ハーバーランドは埋立地だけど、陸地と直に繋がっていているのだという事を知った。それでも人工島だ。
何故か、以前より俺は人工島とか埋立地の雰囲気がとても好きだ。
惹かれるものがある。

コンビニにタバコを買いに行き、中学時代の部活の先輩と遭遇した。
声をかけたら、向こうもすぐに俺と分かったようで少し話した。
後輩と違い、先輩だと声をかけるのにもためらいがない。



2004年12月15日(水)

あの子は話し相手としては最高だったな、と思う。
相談していると落ち着ける事が多かったし、理解しようとしてくれてたし。
何より、俺からして、心底楽しい気分で話をしても「善し」とできる相手であったし、それが救いに感じられた。(俺は普段から、ネット上で人と話す分にも、楽しい気分になる事に抵抗を感じる)
ショタコン親父に悪戯されていると知った以上、俺の意識も変わってくるしそうもいかなくなっていくけど。最高じゃなくなってしまう。最高じゃないと認めたくない。
自分がショタコンである以上、あの子がショタコンに悪戯されていたんだ、となると全て成り立たなくなってしまう。
実際、それを知らずに関わっている分には、話しているだけで癒された。
そんな事さえなかったら、本当にいい付き合い方もできたんだろうな、と思うことが多い。
よく、授業中とかに「もしそれがなかったら、何も考えずに、今でも色々話したりできたんだろうな」と思い浮かべて妄想していたりする。
あの時のままの状態で(実際に何もなくて。俺が知らなかっただけ、じゃ意味が無い)、あの子に依存していきたかった。
一つ、自分の内面を表す適切な言葉が見つかった気がした。
俺があの子の事で書いたり考えたりする時に、『話す』という言葉を使う事が多かったのはこういう事だったのか、という感じだ。
あの子は"言葉でしか伝えられない事が歯がゆい"という表現をした事があるけど、俺にとって自分で心底認められる相手と好きな内容で楽しく話せる、というのは凄く大きな価値を持っている。
欝の時は特にそうだったけど、今現在でも漫画やゲームにかまけていると、後ろめたさが出て落ち着かないのが殆どだ。
自分で善しとできた相手なら、どんな話をしても善しとできるし、何も気にせず、ただ楽しんでもいいのだと思える。
とても和む。

朝方に何度も親に起こされたのだが、そのまま眠り続けてしまった。
目が覚めたのは午後3時過ぎで、結局今日は学校へは行かなかった。
さすがに、今回はかなり親に怒鳴られた。
弟からは「就職とかどうするん?」と心配された。何も考えていない。
バイトを始めてそのままそこに就職したら?とか言われた。
実際にバイトをしていた時はそれでもいいみたいな感じだったけど、辞めてみるともうそんな気はしなくなった。
弟が友達から「ろくでなしBLUSE」という漫画を10巻まで借りてきていたので、今日は一日それを読みながら過ごした。



2004年12月14日(火)

「彼岸島」という漫画の雅という吸血鬼を描いてみた。

2chスレに投下したところ、「すげぇ!」という感想をもらってテンプレサイトに展示してもらえる事になった。

今日は午後12時半頃に目が覚めた。
いつも通り中途半端で、特に書くような事が何も無い。
タイプの子がどんな目にも合わされなければな・・
しばらくボーっとしていた。

学校の授業には、最後の4時限目だけ参加した。
音楽美学の授業で、スクリーンにオーケストラ演奏を映し出していた。
ずっと机に突っ伏して色々考えたりしていたけど、いつもより気分が和んで落ち着いた。
元々不謹慎な奴だったんだろうな、
タイプの子がそうされないと思い込みたかったのも、自分が少年を求めずにこれから人生を送っていく事を納得したかった部分も強いのだろう。
元々は欲求第一に求めていたけど、少年の価値観に合わせて考えていくうちに保護する方向に走っていって、「自分が世の中で一番耐えられないのはタイプの子が悪戯される事だ」と、自分が最初からそう感じていたんだと思い込んでいただけかもしれない。元々思い込みだけは人一倍激しい部分もあるわけだし。自己洗脳だろうか。
道徳的に考えてもそれが正しいし、自分もそれを望めるようになるなら、こう考えていくのが一番正しいし一番いいのだ、みたいになっていったり。
どっちにしろ、少年が悪戯されないという思い込みが消えて、人生の希望が完全に消える。
希望にできる事がなくなった。
せっかく、「それさえ阻止できていれば、自分の人生もなんとか納得させられる」みたいな望みも持てたのに、もうそういう風に考えられるほどの物事なんか出てこないんだろうな。というか、ここまで色々想って来たり思い込んだりしてたのに、今更タイプの少年以外のもの相手に希望を見たいとか納得したいなんて風にはならないし、そういう風に考えたいとも思わない。

思い込んでいった発端とかをこうやって考えていると、まるで今の自分も少年がそういう目に合わない事をちゃんと望めていないような気分になる。
それ以前に、苦しい感覚が中途半端になる=そういう目に合わない事を心底望む事ができていない、になるのかもしれないけど。少し後ろめたい。

今、心の中心にあるのは「そんな目に合ってしまって・・」じゃなくて、「そんな目に合ってるのに、それに対してちゃんと想う事が出来なくなって後ろめたい」という気持ちと「これから先、何を拠り所にしていけばいいんだろう・・」という気持ちの2つだと思う。
「何を望めるのか、望めばいいのか、望んでもいいのか」とか、とりあえず、タイプの子に対する強い思い込み、感情、道徳観念を取り戻せないと話にならない。



2004年12月13日(月)

今は色々な事を感じにくくなっているんだ、と開き直ってみた方が、また色々考えやすいような気もしてくる。
どうしても以前の状態と比較して「薄っぺらくてしょうがない」みたいに思ってしまう事が多かったのだが、今は一度全部崩してみた感じだ。
少し、欝の兆候のような息苦しさが感じられるようになってきた。
なんか、それだけの事なんだから欝にならなくては、、といった義務感のような意識があって、ストレスや苦しみに対して「感じられる」という風な言葉を使う事が多くなった。
『好きな対象』というのを、人生における色々なものや自分の内面の全てを解決するためのゴールのように感じていた部分もあったように思う。
俺にとっては少年が一番だったから、少年に関する事も含め、納得できないものを納得させる要素にできる、とか。
絶対的だ、というのはそういう事か。

今日は午前11時過ぎに目が覚めた。
授業は1時限目からだけど、完全に遅刻だ。
昼休み後の3時限目は授業が空くので、2時過ぎくらいに家を出る事にした。
寝起きから時間に余裕が出来たので、少しボーっと考えていた。
タイプの子が特別だ、という意識もあまり感じられなくなってきた。
以前は少年との恋愛が叶ったりする事を妄想して、勝手に喜んだりする事が多かったのだが、今になって考えてみると、少年がそれらに応えたりする事自体とても酷い事のように思えてくる。
向こうの方から好きになってくれるのも悲惨な事だし、それを望んだりする事も酷いことだ。
例えば、年端もいかない少年に対して肉体関係を望み、または強要して、少年がそれに対して応えてしまうのと同列の事のように思えるようになってきた。度合いは違うが、感じている事はそれに近い気がする。
自分から声をかけて近づいていって、それで親しくなっていき相手の心情に変化が出たりする事も、少年はそれが酷い事であるにも関わらず酷い事だという自覚も持たず、殆ど洗脳されているのと同じ事のように思えたり。
少年に対して、好きになってもらおうとする事は最低な事だ。
少年に対して絶対感を持っていて、欲求を求めずその上で恋愛を叶えようと望んでいた時の考えも、今考えてみると不謹慎で浅はかに思える。
だからといって、信じられないくらいの酷い事に対して感じるものが不謹慎に薄れても、それはそれで後ろめたかったりと。「善し」と思える事がどんどん減っていく。どう転んでも納得できそうな一環した考えがなく、心の中に異物感みたいなものが感じられて気持ち悪い。
俺もかなり両極端を行ったり来たりしている部分があって、中間が落ち着かなかったりするからな。

学校へは4時限目から参加した。
その後、5時限目の授業を受けた。
精神状態、気持ちが凄く浮ついていて、後ろめたい。
ジャガーさんの7巻が落ちていたので、とりあえず晩飯を食べながら読んでみよう。

満たされた平安的な感覚なのか、嫌な事を目の当たりにした後ろめたい感覚なのか、ごっちゃになって訳が分からない感じだ。自分がショタコンな上に、少年に対してそういう目に合ってほしくなかったり不謹慎さに後ろめたく感じたりするので、こういう時本当に自分がどっちを感じているのか分からない。でも、普段から感じる日常的な感覚だ。
状況的に、今俺が満たされているというのは変だから、やっぱり後ろめたい感覚なのかもしれない。へこんでんのかな。
こんな状況で平安であれば、それこそ後ろめたい事だし。
少年が好きで好きでたまらなかった頃、俺は何が嫌で何が嬉しいのかがハッキリした気になっていたけど、それが薄れて自分の感情を識別するのが難しくなってきたような気がする。



2004年12月12日(日)

色々な条件だけを頭にグルグルさせていては好きになれない→ある程度不謹慎に大雑把になる事で、考える事なく好きになれる→内面を不謹慎にする代わりに言動を制限するため自分自身にペナルティーを作る。ある程度自分を納得させるために、戒める。欲求が浮かぶ分、実際の行動としては求めない。求めない、得られない、満たせない→距離感が出て、絶対的にまで思えるようになった。(そんな少年からしたら眼中にもないという意識があり、自分自身の内面は不謹慎であり続けたのかもしれない)
「どういう感じでタイプの子を好きになっていたのか」の、発端理由はこんな感じだったのかもしれない、と少し別の角度から考えてみた。
何面もありすぎて、まだ自分でも把握しきれていない、無意識に追いやった意識も沢山あるんだろうな。
ある程度、強く価値観として根付いていた考えがあるから、今更不謹慎な感じで求めるのは納得しないし、不謹慎な感じでタイプの子に接しようとする奴がいたら許さないだろうな、とは思うけど。(タイプの子を求める奴を許さなかったのは昔からか。自分の意識どうこうは関係なかった)
ペナルティーを増やして、自分で納得できない部分を増やしていったところもあると思う。それ以前の昔の自分なら喜ぶ事が出来た事も、今の自分は喜ばない。色々と条件が出来ていった→その条件内で叶う事だけが喜び。
条件内に入るものしか喜んではいけない代わり、その条件内に入るような事があれば、信じられないくらいの喜びが感じられる。とか。
今自己分析してみた事も、実際に内面のある部分に存在した、かなり的を得ている答えだと思う。
今日は午前11時前に目が覚めた。

やっぱり、どういう理由で少年を求めるにしても、そこには邪さがあるのだろう。一度価値観で固めた意識の中に「少なくとも自分にとって最大の存在である少年に対して、不謹慎な接し方をしてはいけない」みたいなものがある。
少年に対しての自分の中の考えを確立する以前なら、俺は自分の不謹慎さにはかなり無頓着な部分が強かった。今はそれを納得しない事に決めている。
以前の状態にさかのぼって考えて、もう一度同じ道筋をたどって同じ感覚に行き着こうと思っても、今度は以前決めたモノが障害になってそこまで行き着けなくなってしまう。
出発点が不謹慎な状態の自分→ゴールが不謹慎さを排除した上で求められる考え方。
テレビゲームみたいな感じで例えられそうだ。
出発点からスタートして、敵をかわしていくために、自分の来た道にいくつもの罠を仕掛けておく。
ある程度進んできた部分で不意打ちに合いゲームオーバー。
もう一度スタート地点からゴールを目指す。
今までのスキルが全てチャラになってしまった状態で同じ道をたどるのだが、以前に自分で仕掛けておいた罠に阻まれて先に進めなくなる、と。
最初から「求めて善い理由が見つからない」となる。どんな形であるにしても。
でも、ショタコンを拒絶しない少年は、それがどれだけ不謹慎で不道徳な事なのかを自分自身でちゃんと自覚できていない部分が強いと思う。
「求めるべきじゃない」が正しいのかもしれない。

日に何度も考えている事が変わり、安定しない。
求めたいとか関わりたいと思うほど、少年への感情が強くならない。
強い意識を持てる対象がなくなる事への抵抗や、それだけの目に合わされているのに不謹慎にもあまり何も感じなくなったり欝になれなくなった事や、実際にそういう目に合わせたような奴らを否定する気持ちを強めたい、とかそういう事で色々考え始めていたのに、いい加減になる方向を選んでいるようで気が引ける。
意識も低下しすぎているし、まとめてみるほどのものでもないか。
欲求とか条件とかで考えていくと、今まで少年に対して感じていたものがどんどん消えていきそうになってきた。
昔は「自分は少年好きだから誰とも付き合わなくてよくてラッキーだ」みたいに感じられていたくらい、人間とか恋愛とか殆どわずらわしいくらいにしか感じていなくて、「何で求めなきゃいけなんだ」とか、風潮とかそういったものに嫌悪してたくらいだし、今の対象を求めない状態が自分にとっての本来の普通なのかもしれないな。
少年に対してまでそんな風に考えるなんていい加減で酷すぎる。そんなに軽い存在じゃなかった。
なんか板ばさみって感じだ。自分が分からなくなってくる・・
少年を絡めた上で正しいと納得できるように、考え方、感じ方を構築していく。
一度は絶対的にまで思えて強い感情も持てるようになったのに、このまま不謹慎、無感覚に戻っていくのは嫌だな・・
自分の中で「大事だ」という風に出来ていたのに、納得できない。

新撰組が最終回だった。
大河ドラマは今まで1話だってぶっ通して観た事がなかったのだが、1話どころか1年間観続けたのはこれが初めてだ。
主人公の近藤勇が斬首される場面で幕を閉じた。
首を斬られるのを怖がっている様子はなかった。
実際には演技だからそうなんだけど、「〜だから死んでもいい」と思えるほどの強い意思や感情を持ってるんだな、とそれが少し羨ましく感じた。
今の自分には意思なんてものは欠片もない。空虚だ。
次回からの「義経」は、予告を観た限り主人公の子供時代がかなり可愛いので、前半だけ観るかもしれない。
少し息苦しい。



2004年12月11日(土)

気分が悪い・・
そういう事にはなってほしくない、そういう事はありえない、そういう目には合わせたくない。

今日は午後1時半頃に目が覚めた。
色々意識し始めてから、自分の内面がさらにあやふやになってきた。
寝起きからタイプの子に関するいやらしいような事が浮かんできたのに、それに対して嫌だと感じる気持ちが極端に薄くてあやふやだった。
それから、不謹慎な事に対する軽い後ろめたさを感じつつも、浮かんできた妄想で自慰をした。その後ろめたさも、ちょっとしたストレス程度にしか感じなかった。
どんどん不謹慎になっていく。

少年がそういう目に合う可能性があるんだ、と考えると、自分が求めていたようなものとか少年とか、可能性が出てくると全部が軽い、それほどでもないもののように見えてくる。
惰性が出てくる。
タイプの子っていうのは、可愛いし綺麗だし、見た目だけでも他の人間とは全然違う。かけ離れている。質からして違う。
あと、精神構造が少し違う。
現実的にハッキリしているのはそれくらいだ。それは理解できる。
感じるというよりは「そうなんだな」と見てて理解できる違いだ。
俺は思い込みが強かったから、それらの違いから、どんどん思い込んでいってタイプの子を夢みたいな存在にまで思う事ができていた。それは、夢の中にそういう子が出てきて余韻に浸ったり、夢の中でしか関われないような距離感があったためとも言えるけど。強い時には絶対的にまで思い込む事もできた。
でも、タイプの子のそういった違いは理解できていながらも、それまで持ってた思い込みが消えてしまうと、今までのように少年に対して強いものを感じられなくなってしまう。現実主義になるというか、惰性が見えるというか。
それが何か嫌に感じる。
「今週で新撰組が終わる」とかで、以前のゲーム仲間がメッセで声をかけてきた。
焼き鳥、とかいう奴だ。
かなり久しぶりだったので色々話した。
内容は主に新撰組の事とデスノートの事だった。

いやらしい興奮を求める意味でタイプの少年を浮かべたり、ネット検索でそういう類の話を耳にしようとする時に、少年とそれらの内容からの性的なものを「セックス」という風なイメージで固められやすくなりやすい。
そうなると、自分が少年に対して欲情するのはセックスなのか、と思えてしまう。だから、求めるほどのものじゃなく感じられたりするのかな。
同性愛者のページを見ても、性的なものとしてセックスが出てくる。
違和感を感じる。
タイプの少年がそれをされるのは絶対に嫌だけど、俺自身が欲望から求めるものとしてセックスを浮かべてみると、どこか「そんな程度?」という感覚になってしまう。
俺の求める欲求はセックスじゃなかった。
一部じゃなく、全体を奪うような類が本質だ。相手が苦しむからセックスでも興奮する、とかもその中の1部分だったり。
一般が欲求の最終段階としてそれを求めるから、俺が求めるのもそれなのかなと、違ったものを求めてるような気になり、どこか軽くて求めるほどのものじゃなく思えたりする。
自分にとって、それほど求める行動じゃなくても、タイプの少年がいやらしい意味で何かをされるというのが許せなかったりする。
行為よりも対象重視だから、その対象に関わる行為ならどんな事でも重く見えたり。それ自体に興奮する、とはやっぱり違うな。
あまりそういう事で自分と他人を比較したり話を聞いたりする事がなかったので、それが普通なのか違っているのかハッキリしない。
どちらにしろ、タイプの少年がされるなら、どんな行為でも許せない。
自分自身がどんな形の性癖なのか、とか、最近ではあまり自分にも関係のない事のように思えてくる。
セックスを求める欲求だろうが、他のものを求める欲求だろうが、実際に求めない事を決めている以上、あまり自分には関係ない。
以前の俺は、自分が欲望を満たせない事を「納得できなく」思っていた。
実際、生理的な感覚だけなら自分で処理して片付けられる。
俺が思うに、性欲というのは真っ二つに分けられる。「生理的感覚」と「それに伴う精神感情」だ。
生理的なものを絡めて感じられるストレス、みたいな感じで欝になったりしていたのだろうか。欲求不満も、生理的なものを絡めた精神的なものなのだろう。
その精神的なものを、生理的なものに絡めない方向で求めるように軌道修正。
「絶対にそんな目に合わないのだ」みたいな。タイプの少年自身がそういう事と一切関わらないなら、自分も欲求を満たしたりしなくても納得できる、みたいな考えもありそうだ。
欲求不満に対して向かっていた「満たせなくて納得できない」とかいった精神感情を、精神的な理想のようなものに向かわせる。そうして出来上がったのが、俺が今まで言ってた価値観かもしれない。求めるものが、少年自身が認めてくれそうな物事に変わった。
俺は少年がこういう事を嫌がるのだ、または嫌がるべきなのだというイメージを持っている。
合意で何かをしているというのを聞いたりしても、胸糞悪い。
合意だから、恋人だからと少年に手を出す事を当たり前の事のように正当化しているような奴はクズに思う。
俺の判断基準は、少年を求める自分側(またはショタコン側)からの勝手な意見でもなく、それを拒絶しない少年側の意見でもなく、自分の中の『少年はこういう事を嫌がるのだ、または嫌がるべきなのだ』というイメージを基準にしている。だから、それに沿わないものは納得しようがないものなのだ、という風にしている。
複雑すぎてイマイチ言葉でまとめ切れない。以前考えていた事と照らし合わせてみると、矛盾も出てきそうな感じだけど、とりあえず今日考えたことをまとめてみた。
自分の持ってる少年愛(欲求と精神)の、ある一部分を切り抜いて考えてみた感じだ。

そういう少年が悪戯されたと聞くと、「話に聞いた特徴だけ考えたらタイプの子に思えたりするけど、実際に見たら俺が思ってるタイプの子とは違うのかもしれない」みたいな意識がどこかにあったりする。
俺が思うタイプの子が悪戯されたりするというのを、まだ少し信じていない部分もありそうだ。



2004年12月10日(金)

気分が重い。
どんよりした感じだ。
心に引っかかる自分の内面を吐き出したのに、とてもスッキリとした気分にはなれない。
内容が内容だし、当然か。
今日は色々考えながら眠ろう。

少年に対して感じるものを1として、欝の比重と欲望の比重。
欝がキツくてたまらなかった時(価値観が正常だったと思えた時期)、欲望の比重は1〜1.5割程度。8.5〜9割が欝。
総合的に見て欝だと言える。自分的には、ハッキリ否定できていたのだと思う。でも、欲を感じていたのも事実。
中途半端になった今、欲望2〜2.7割。欝1.5割程度。自分の感覚が中途半端な状態なのだという事に対するあれやこれ7.3〜7.5割くらい。
欝と比べる分には欲望の方が強いみたいで、不謹慎に思う。
といっても、その中途半端な現在の1自体が欝がキツかった頃と比べて0.3程度くらいにまで収縮されてる。
ハッキリ欝の方が勝っていれば「まだマシなんだ」と思えるだろう。
少なくとも不謹慎とか軽はずみだと感じる事は少なくて済む。
割合や言葉で表そうとすると、どうも軽くなってしまう。
俺は欲望が欲望だし、少年を好きになるとしたら感情だけで、じゃなければならないだろう。
欝や欲望だけ除外している分には、夢のような非現実的な存在に感じる事もできただろう。今はそう感じる事も難しい。
価値観、感覚が戻らない。
結局不謹慎なままであり続ける。
何を考えても自分の欲や中途半端さに対する言い訳のように感じられて、うわついている感じがする。
自分が欲求に向かっている時、「これは本題とは離れた事なんだ」と、後ろめたさを誤魔化しているのが現状だ。
憎んでいる事は確かだが、
自分のためにも少年のためにも、タイプの子が悪戯されないにこした事はないだろう。
これからも、少年がそうされる事は望まないし否定し続ける。
何かグダグダ。自己嫌悪だ。
本当にいい加減だな。軽はずみで不謹慎だ。
自分で、また「少年を大事に思うことができているんだ」とハッキリ感じられるようになりたい。
価値観が強かった時期でも、欲はあったわけだから、本当の意味で大事には思えていないのかもしれないが。結局は誤魔化して単純化して、ひとつの方向に向かわせてるだけなのだろうか。でも、否定し続けていきたい。
タイプの子がそうされる事も、そういう奴らがいる事も、自分が欲を感じる事も、全部ひっくるめて消えてほしい。認めたくない。
昨日考えた事で、また自分の中で分岐点が生まれた感じだ。ゴミだな。

ピーク時にマクドでハンバーガーを作っている夢を見た。
普通のバーガーの注文が一人の客から125個入った。
バーガーの具体的な作り方を思い出した。
今日は午前9時頃に目が覚めた。
寝起きから気分が重い。
少年が悪戯される事に対して興奮もしてしまい、その事で考え始めると、「絶対にそんな目には合ってほしくない」という気持ちまで軽くなってしまうように感じられる。
本来、求められる側の少年というのは、ショタコンなんかが手の届いていいような存在ではない。
それなのに、逆にショタコンに支配されてしまったり言いなりにさせられているような状況は考えられない。あってはいけない。
いくらショタコンが望もうが関わる事ができないような綺麗な存在なのに、何でそんな存在が汚い奴らに支配されたりするのか、とそれが信じられなく感じたりもする。
ショタコンが頭に浮かべる、少年に対する欲望や色々ないやらしい妄想なんか、少年側からしたら元々価値観にもない理解できない汚いものだ。
それなのに、タイプの子が実際にそのショタコンの頭の中だけにあったはずの妄想通りにされてしまったり、欲望のままにされてしまっているのが耐えられない。
俺の中で、「少年が酷い目に合わされても興奮するんだ」という意識が出てくれば、「否定すべきことなのに・・」という矛盾が出てくる。
否定し続けたい。意識の中にうやむやにして隠す。
実際に自分はそういう事に興奮したりするのに、少年が酷い目に合わされる事を「ありえない」とか「認めたくない」と考えている時、俺は自分が興奮したりもするんだ、という事は意識していない。
「そういう目に合って欲しくない」という意識を強めていくためにも、自分が興奮するんだという意識は邪魔でしかない。
軽蔑されるべき欲求、衝動でもある。
俺が求めるのは、そういう目に合わされた、みたいなありえない出来事とは全く関わりのないところにいるタイプの子、から得られる心の平安だ。
それは、あの子に「自分もそういう事をされたんだ」という事を聞かされる前に、あの子に対して感じ始めていたものでもある。
その上でも、やっぱり欲望は沸いたりすると思うけど、「ありえない事」のままにしておくようにつとめる。
タイプの子がそういう目に合わされる、というのを望みたくないし、自分が望んでるとも思いたくない。
だから、少年を大事に思っていこうと思うなら、俺の中での少年に対する最大の孝行は、「少年に対して欲望を求めない事」と、「自分の持つものも含め、少年をショタコンのそういった汚い欲望と関わらせないようにする事」だ。

学校へは午後から行った。
彫刻の授業を受け、とりあえず指示された部分だけは全て彫った。
考え事もしたりしたけど、何だかとてもいい加減な考え方だったように思う。
授業が終わり、図書館で「ふたりのロッテ」という映画を観た。
なかなか面白い映画だったと思う。11.2歳の双子の少女が主人公で、1982年生まれとなっていた。タメ年だ。
自分がその年齢の時はこういう画質だったのか、とか思ったりした。あまり綺麗な画質ではない。
観終わったので家に帰った。
帰り道、あの子に話を聞いてからの事や、その後俺がどんな風な態度であの子と接していたか、とかを色々思い出したりしていた。
自分から拒絶したのだが、やっぱり寂しいような気分になった。
あんな風に好きになられたら、普通ならそのまま親しくなれたりするものなんだよな、とか思うと悲しい感じになってくる。
絶対に受け入れられない、というのがハッキリしている上でこんな事を感じるのも、考えて善い類の事ではないような気がする。
未練に思うのもタブーだろうか。

少し前に、来週のデスノートだけ毎週UPしていくページを見つけた。
月曜の楽しみが減る気もするけど、学校でジャンプを読むよりも落ち着いて読む事ができるので、今週からここから落とす落とす事にした。
以前も同じようなページがあったが、そこは削除されてしまったらしい。
http://www.geocities.jp/sinia_the_superstar/desuno/index.html
次が早く読みたくなるような展開だった。
シュロさんとかも良かったらどうぞ。

気分がモヤモヤする。
自分の持っている面を改めて再認識して、どう考えていっていいのか分からなくなる。
欲求を持っている=否定しなくなる、なんてのは間違っている。
否定し続ける。
少し混乱する。度合いどうこうもあるけど、何だか不謹慎な気分にもなる。高揚してはいけない。



2004年12月09日(木)

昔見かけた可愛い男の子が印象に残っていたので、少し再現。
同級生っぽい奴との容姿の差がハッキリしていて、本当に可愛かった。輝いてる。


今日は午前8時20分頃に目が覚めた。
メッセの子が塔のてっぺんにいて、サイヤ人が梯子を持って飛んで行き、レスキューしようとしている夢を見た。火は見えなかったけど、火事だという設定なのだろうか。
あまり内容がハッキリしない。
梯子に伝わった熱のため、梯子を掴んでいた手をその子が離してしまって落下していき、何故か俺もその浮遊感を感じていた。
一方、このまま落ちていくその子にぶつかって落下速度を緩めるべきか、それとも直に数十メートル下のマットまで落とした方がダメージが少なくて済むのか、という思考が働いていた。
レスキューする方とされる方、両方の意識、感覚が同時に感じられていた。
学校へは1時限目の途中から参加した。
デザイン論。ずっと机に突っ伏してすごした。出席は取れた。
2時限目。日本語文法論。半分聞いてノートも取った。
昼休みになり、図書館で「カリガリ博士」という古い映画を観た。
以前、映像論の授業で紹介された映画だったけど、よく分からない内容だった。
3.4時限目。彫刻。まじめに作った。
授業が終わり、また図書館に行った。
「ネバーエンディングストーリー2」があったので観た。
主人公の男の子の顔が、スクリームのネーヴ・キャンベルそっくりだった。
子供の頃からよく知ってる映画だけど、内容はイマイチだった。
学校に居る間は色々考えたりしてたけど、どんな事を考えていたのかハッキリ思い出せない。ただ、凄く不愉快だった。

以前は、男の子と話す時は極端なまでに言葉を選んだりしていたと思う。
男の子に限らないが。
俺自身が欝に対して敏感だったので、関連付けられそうな言葉は全て除外して言葉を選んだ。
タイプの子に対して、その言葉で欝になられるのも、その言葉を認められるのも嫌だったからだ。
タイプの子以外に俺が使いたがらない言葉を使った場合、その言葉を軽く流されると許せなくなる事が多かった、というのも理由だ。
誰と話す時でも嫌いな言葉を避け、関連付けられる言葉自体を嫌悪していた。
最近、意識が中途半端になっていって、大して言葉を選ぶ事がなくなったように思う。無神経になった。
男の子にそういう目に合って欲しくない理由、自分の欲求について考えた。
俺は男の子が悪戯されたりする事に対して、興奮もする。
好きな子、または好きな子に似た少年が酷い目に合わされたのだ、という事に対して辛い感情も悲しい感情もある。その中には、萌えたり高揚したりする気持ちも含まれる。それを普段は必死に押し込めて、うやむやにして見ないようにする。
俺の欲求について。
俺にとって、性欲とは相手の苦しみ、屈辱、悲しみ、痛み、恥辱、汚す、それらが伴う事以外にありえなかった。
ずっとそれが普通だった。
単純に触りたいとかいう欲求もあるけど、俺の中で、触られる側というのはそれを嫌がるものなのだ、というのが常識になっていた。
欲求を満たすという事は、相手を苦しませる事なのだ、というのが俺の中での常識。
相手が苦しむ事に興奮する。
欲求を満たす事に対して愛とかそういう感情が伴う事なのだ、というのは考えられない。ただの欲求の美化、正当化だ。
欲求を満たす事は悪いことだ。後ろめたい事であり続ける。
傷つけたい、苦しめたい、辱めたい、汚したい、俺にとっての性欲とはそういう事だ。
男の子に酷い目に合って欲しくない理由。
まず、それだけの綺麗な存在が汚されるなんてのは考えられない。
それを妄想して自慰をするのは、俺がショタコンになって以来ずっとそうしてきた事だけど、現実にはありえない、自分の中の脳内妄想でありつづける。ありえない事だからこそ余計に求めたりしてたのだろうか。
少年に恋愛感情を持って以来、そのありえなさは苦痛だ。
同時に、そのありえなさは俺の欲求の本質でもある。
好きな子が酷い目に合って欲しくない、というのは誰でもが持つであろう当たり前の感情だろう。
好きな子に欲求を持つというのはどうだろう。
酷い目に合って欲しくない、というのとは逆方向だ。
傷つけたい、苦しめたい、辱めたい、汚したい、というのが欲求だ。
少年に対して欲情する事に対して後ろめたさがそこで出てくる。
好きなはずなのに汚したい、とか。矛盾が出てくる。
そういう目に合わせたくない。欲望が望むのは辱める事。
綺麗なままで居てほしい。汚すことに興奮する、とか。
悲しい、萌える、欝だ、興奮する、許せない、興味がある、同時に感じる。
感情だけを突き詰めて、少年に対して興奮したりする事を、普段は押し込めて考えないようにする。別に、日常生活に興奮が無くても問題ない。
感情の方に比重を置くのが正しいと思う。
ありえなさは興奮につながる。興奮は後ろめたさにつながる。
後ろめたくならないためには、そういう状況を起こさないようにつとめる事だ。萌えるような話を避ける。そういう目に合わないように注意する。
男の子がそういう目に合わなければ、俺も後ろめたさを感じなくて済む。
好きな子がそういう目に合うのは嫌だ。感情で悲しかったり苦しかったり許せなかったり。
嫌だと感じて、そのような目に合わないように注意したりする中に、興奮して後ろめたさを感じないようにするためだ、という意識を混ぜる。
自分が絶対あってほしくないと感じるような事=自分が欲求を感じる事、だ。
絶対に許せない事=俺が持ってる願望を実現する奴、だ。
嫉妬心もあるし、許せない感情もあるし、色々なものが混ざる。
それら全部をひっくるめて「男の子が悪戯されるのを阻止したい」と、ひとつの意識として単純化する。
男の子自身がそういう目に合うのは嫌がるし、俺がそういう目に合わないように望む事は間違ってない、と考える。
興奮という感覚は衝撃だ、信じたくないというショックも衝撃だ。
俺にはその衝撃がまぜこぜに感じられて、ハッキリ区別できな事が多いのだ。
俺は衝撃を嫌なもの、耐えられないもの、という風に捉える。
興奮しないため、後ろめたくならないため、悲しく辛くならないために俺は男の子が悪戯されない事を望むのだ、と思う。
ひとつの意識じゃない。全てまぜこぜにしたものが本当だ、と思う。
向かっている方向は同じだ。「そういう目に合わせたくないんだ」と単純化する。
好きな子を大事にしよう、と思うなら相手に対して欲求を持たない事。
相手から欲求に関するような事が意識されない事。
矛盾したものを同居させる事は不可能だろう。
後ろめたさを感じる状態での付き合いなんてのは論外だ。
タイプの子に対しての欲望は後ろめたいものであり続ける。
俺は自分が欲求を感じているんだという事を、意識の中に押し込めて、それを必死で見ないよう、考えないようにする。男の子が陵辱されたりする事に、俺は興奮してしまう。
その欲求を、俺は自分で認めたくない、見たくない、信じたくない。
自分で「大事に思うことができているんだ」と思い続けたい。
それで意識の奥に隠す。うやむやにして、欲求を感じる時でも何も考えないようにしたりする。自慰する時でも、「今の自分は自分じゃないんだ」とか、「普段考えてる事とは除外して興奮するんだ」とかいう風に思って誤魔化す。あってはならない。
心理学的に見て、一番最初に不謹慎な欲求を持つかどうかの別れ道に、『取引』があるという。
不謹慎で憎むべきものに対して苦しみだけを感じるか、欲望に溺れてそれに興奮する道を選ぶか。それが取引。俺は後者だ。後者を選べば、その後それは自分の欲求の形として固まる。
悪戯された子を求めない、受け入れられないというのは、ありえない事だと思えなくなるのが嫌だ、そんな目に合ったなんて信じたくない、自分をそういう目に合わせた奴と同じ人種だから憎んでほしい、という気持ちの他に、自分自身へのペナルティーみたいなものも含まれるのだと思う。
いつもどこかで自分自身を嫌悪している。何を考えても、それが意識に引っかかっているのに、それでも見ないよう考えないよううやむやにして、色々なものを誤魔化し続ける。
好きな子が悪戯されてなければ、そんな後ろめたさも気にせず関われる。

普段、周りにも自分にも誤魔化しているような事を突き詰めて書き出して、凄く惨めな気分になった。
暗い。



2004年12月08日(水)

ショタになったきっかけの後輩が夢に出てきた。
俺が関西か関東に住んでいて、正月か何かだという設定だ。
暮らしているのは、俺が18歳まで住んでいたマンション。
そこに、関東か関西に移り住んでいた(俺が関東なら後輩は関西。俺が関西なら後輩は関東。どっちなのかあやふや)中学時代の部活の後輩が帰ってくるという設定だ。
その子の家は俺の住んでたマンションではないけど、何故か後輩の母親と一緒に俺の家を訪ねてくる。正月か何かだからと言う。
俺の母親が迎えいれ、後輩を見て「可愛らしい子ね」みたいな事を言う。
俺は現実にはその後輩に避けられているところがあったので「何で?」と信じられないような意識から、後輩が来ている事を知りながらも自分の部屋から出ない。活き活きしている後輩に対し、俺は引きこもり生活の長さからか、見た目も内面も本当に死人みたいな感じになっていて、余計に後輩の前に出て行く事がためらわれた。
しばらくして、俺の中学時代の部活の同級生が2.3人やってくる。
「遊ぼう」みたいな感じで誘ってきたけど、俺はこいつらが嫌いだった。
後輩に会おうと思ったらこいつらも一緒に遊ぶ事になるのだ、と思うと会うわけにいかないような意識になった。
この後輩が、夢の中では実在している事になっているエアギアの亜紀人の従兄弟だという設定になっていた。
この、後輩やら同級生やら俺が出てくる夢自体がトゥルーマンショーのような全国放送のドラマになっているのだという設定が途中から出てきた。
俺の後輩キヨは人気NO.1のキュート俳優とかで、女からの支持が絶大なのだという事を知る。
キヨの追っかけをしている女を俺が追い詰める。
親しくなるフリをしながら、その女の部屋に入る。そこからがあやふや。
違う場面。
キヨが俺の住んでる地元に帰ってくるまでのシーン。
母親と一緒に電車に乗っている。外は雪が降っていて、何故か電車の外ではコナンに出てくるゲンタという子供が黒の組織に殺されそうになっていた。
そんな事とは関係なしに電車は走っていく。
また違う場面。
キヨが帰る事になり、それを見送る事になった。
自分で作った、と言ってパチンコの玉のような丸い鉄を俺にくれようとする。
「キヨが作ったものだから」と、俺はそれを嬉しく思って欲しくなるけど、色々考えて何故かそれを受け取るわけにいかないんだという結論をつける。結局受け取らない。
そんな夢だった。
午前5時前に目が覚めた。
「本当に夢みたいだ」と思える夢を2日続けて見る事が出来た。
何かのご利益だろうか。
夢の中だったけど、後輩に対して関われる事が夢みたいに感じたり、信じられなかったり、ありえない事のように感じた。嬉しい夢だった。
でも、やっぱりその信じられなさも夢心地も以前に比べれば3分の1程度。
こんなに嬉しい夢を見たのに、以前ほど強いところまで達してくれない・・
目が覚めてから少しだけ考えた。
俺はここしばらく、年下の男の子を好きな対象にする事が自分にとって自然な事だし何も変わった事がないような感覚になっていた部分があったと思う。
実際の後輩が夢に出てきて、男の子を好きになるというのは全然現実的な事じゃないし、関われるなんて夢みたいな事なんだなと思った。
そんな夢みたいな男の子なのに、大人が声をかけて手を出して、そして悪戯されるなんて信じられない・・
キヨも悪戯されたりしてるのかな、とか考えた。
もし後輩とか男の子と実際に関わる機会があって、それは俺が望んでいたような事だけど、それを素直に喜ぶ事ができるだろうか。
そんな男の子がショタコンの自分を受け入れるのだ、という事にも抵抗が出てきて嫌だと感じる。嬉しい気持ちもある反面、望んでいい事ではないような気がする。
自分が拒絶したところで他のショタコンを求めるのなら、求めない上でショタコンだけは求めないように改善していく手伝いをしたりするのが正しいのかな。
そういう事と関わった事がないような子に対してもそう感じるんだし、ショタコンによって悪戯されたような少年なら、なお更求めるわけにはいかない。
俺の意識どうこうじゃなく、元から求める気もないんだけど。
まだ朝まで時間があるし、もう少しだけ夢の余韻に浸ってみる事にする。
悪戯されてるかもしれない、とかそういう可能性を考えていたら誰も好きになれなくなる。
メッセの子と知り合った時や、あの子と知り合った時、俺はその子達が悪戯されてるとは思ってなかった。
もっとも、その時点であの子は悪戯されたんだという事を俺に言ってなかったし、メッセの子にいたってはまだされてもいなかった。
そのまま「されていないのが普通」で、本当に悪戯されてなかったら、
悪戯されてる可能性だけなら考えずに、されたと知って初めてショックを受ける事にした方が、まだ好きになりやすかったりするのだろうか。
悪戯されてないんだと思いながら関わっていって、本当にされてなかったらもうけもの、みたいな。本当はされてないのが当たり前だったのに、こんな考え方をするしかなくなる状況が憎い・・・
今さらその可能性だけ除外して考える事も、できそうもないけど。

二度寝していて、午前11時過ぎに目が覚めた。
大した夢は見れなかった。
昨日、学校帰りに定期を発行した時に「当日から」を選んでしまって、1日分無駄になった事を思い出した。
どちらにしろ、冬休み中とかで定期を使う事のない日付だとは思うけど。
学校に遅刻した。家を出る時、親からは「また欝か?しょーもない」とか言われた。
3時限目の人間と病気はずっと机に突っ伏して、中途半端に考え事をしながら過ごした。
今の中途半端な状態は、価値観を優先して突き詰めていった結果なのかな、とも思う。喜ぶべきではないのだ、とか。薄れさせるべきなのか、とか。
それも後付けの、自分を納得させるための言い訳のように感じられたので却下した。
価値観自体は意識として根付いているけど、そこに感情や感覚が伴わない、とかそういう事なのだろうか。
4時限目の企業経営論。野村証券という会社の社員が学校に来て講義をする、という授業だ。
会社経営とかそういうのが何だか嫌で、参加せずに帰ろうかな、とも思った。
でも、家に居たところで結局何を考えても中途半端な事は変えられないのだ、と思って授業に参加する事にした。
こういう授業だと、何でこんなにも拒絶感が出たり胸糞が悪くなってくるのだろうか。
少し考え、自分は世の中や社会を憎んでいるからなんだ、という事に気づいたというか答えが出た感じになった。
殆ど授業も聞かずに考え事をしてすごした。
俺の今の状態は、軽はずみなショタコンに「だったらこの材料だけで考えてみろよ」と、俺の感覚を強制的にそいつの感覚と取り替えられたようなイメージが沸く。少年に絶対感を覚えていた時と比べ、感覚が自分のそれではなくなったようで、今までと全然違う感覚でどうやってこれから先人生を過ごしていけばいいのだろう、と漠然とした不安を覚える。
授業が終わり、学校内の図書館に行き「トッツィー」の続きを観た。
隣でビデオを観ている集団がガヤガヤうるさかったので「ちょっと静かにしてください」と言った。聞き入れられたらしく静かになったので少し満足した。
一応恋愛映画という事になっているのだが、ラスト近くが衝撃的で、静かにしてくださいと言った手前声を出さずに少し笑った。
ビデオを観ながら、映画のテーマがそれだったので、恋愛感について少しあの子の事で考えた。
今まで生きてきた中で、実際にあんな風な感じで好きになってもらえたのは初めてなのに、何で叶えられなくて全部終わらせてしまわなければならないのだろう、とそれが信じられないような気になった。
映画とか漫画とかだけ見てる限りでは、条件が合わなくなってもその後友達になったり話相手として付き合いは続いていったりする場合が多い。
悪戯以外の条件で別れようとしている人間を見ると「何でそんな事で?俺だったらそれぐらいの事だったら全然平気で受け入れられるのに」と感じたりする事が多い。自分の持ってる条件以外の事だったら何だって拒絶せずに済むのに、そうやって受け入れない人間を見ると悔しく感じたりする事も多い。
あんな風に好きになってもらえたのに、知り合った事自体否定しなくてはいけないなんて・・と、それが寂しいというか悲しいような気分になった。
でも、悪戯されているというのは、俺にとってはそこまでしなくてはならないくらい大きくて深くて絶望しか生まない出来事なんだ、と考えた。
そんな出来事なのに、喜びに変えて善い訳がない、希望に変えて善い訳がない、結局その子の不幸に突け込んでそれを喜ぶ事になるんだ、とか。
何で悪戯されてるんだろう。虚しい。

パソコンをリカバリしたので、メールのセットアップをやり直したのだが不具合が出る。
プロバイダに問い合わせたところ、サーバー名が変わったのだと言う。
サーバー名を書き換えてみると、ちゃんと使えるようになった。
メールが使えるようになったので、リヴリーを飼い直す事が出来た。
前のリヴリーはハロウィンの限定種だったのだが、パソコンを修理に出している間にエサ不足で死んでしまった。
でも、イベント期間には間に合ったようで、今回クリスマスの限定種を飼う事が出来た。
綺麗な種族だ。
ウェブ検索をしていて、トクトクの広告を非表示にしているサイトを見つけた。自分のサイト以外でこのサーバーで非表示にしているサイトを初めて見た。
広告のデカサさえ何とかできれば、容量無限のトクトクはいいな。
憂鬱だ。

息苦しい気分が重い締め付けられる・・
少しだけ叫びだしたいような泣き出したいような衝動が出てきた。
美少年に対するレイプ、という言葉を目にしたからだ。



2004年12月07日(火)

書き込み規制されたけど、串を刺してまた書き込みに行く事にした。
内容自体は少年や少年に関連付けられそうな事では全然ないので、臆せず行ける。
また証拠隠滅されたら、その隠滅されたレスのコピーと共に隠滅した事実も露呈してやろう。こうなったらとことんやってやる。
何か、日記内容一昨日くらいから煽り合いの事ばっかだな。
もっと他に考える事があるだろうにと思いながらも、どうしても気をとられてしまう。

今日は午前9時頃に目が覚めた。
少年の存在が以前ほどじゃなくなって虚しい。
感覚はともかく、前ほど根詰めて考えられなくなったのは不謹慎だという意識は残り続ける。
というか、それだけの存在だったのにこうも感情が沸かなくなったり考えられなくなった事に自分で納得させる事ができない。
あの子から、「実際にそういう子を見てないから」とか言われた事があった。
それまでは、ずっと近くで見る事ができた最初の後輩の印象が頭に残り続けて高まっていった感じだったのに、ショックでそれらがジワジワと断ち切られてしまった感じになって。
一度断ち切れてしまうまでは、5年でも6年でもずっと強い状態のまま自分の中に残り続けていた。
凄い存在だ。
またリアルでそういう子を見かける機会が増えれば変わってくるのだろうか。
タイプの少年は可愛すぎて綺麗すぎて、俺からは人間離れした存在に見えて、「こういう子は絶対にそういう事と関わらない」という思い込みいが作られるほど強烈な印象があった。
まさか「男からも女からも狙われる種類の少年だった」とは思ってもみなかった。
飛びぬけた存在で誰も釣り合う事ができないし、そういう意思を持った奴だろうが恐れ多くて声なんかもかけられないべきなのに、汚い奴らが支配して我が物にしようと狙う。卑しい・・・
それが分かっている今、タイプの子に対して以前と同じような感覚が戻ってくると、死ぬほど強烈な欝に襲われるだろうなというのは、いくら中途半端な今の状態からでも予測できる。
やっぱり、自分で押し込めてしまっている部分が強いのだろうか・・
そんな、恐れ多いとまで感じられるような存在が、身勝手で卑しい汚い奴らに汚されていく事に耐えられそうにない、

2度寝していて、午後1時過ぎに目が覚めた。
異常なくらい気持ちよく眠れた気がする。
眠っていた時から起きた後にかけて、ずっと夢心地のような気分だ。
見た夢は、俺が好きそうな地形が寄せ集まったような土地にいた、だけの内容だったけど。
少し人口島っぽい海のふもとにテーマパークやアスレチックなどがあり、海の中に直接網が引いてあってその上を歩いたりしがみつきながら移動したり、が出来る。しかも、特殊な海水が使われていて、泳ごうとしない限りどこまででも沈んでいける。呼吸の心配はいらないらしく、リアルに溺れていく感覚も体感できる。見ているだけで楽しかった。
マンションの下には異様に広い公園があり、その公園の中に珍しい店が色々とある。外人の店で、現地の値段で売ってある外国産のアイスやらケーキやら。
大体70円から130円くらいで売られている。
修学旅行で行ったことのある「ハウステンボス」という場所の雰囲気も少し混じっていた。
山の方に行ってみれば、とことん田舎を追求したような細い山道。
道の脇には山やら林やらが茂っている。
その道を抜ければさっきの人工島にたどり着くのだ。
夢の中だったせいか、雑音も少なくかなり理想的だった。
目が覚めた後でも夢みたいな心地よさが感じられて、ずっと余韻に浸っていたいような気分になった。欲求だけ排除すれば、俺が少年に対して夢を持っていた時に感じていたものは、こんな感覚に近かった。
こんなに寝心地が良かったのも、本当に久しぶりだ。
一時期、眠って夢を見る事が他の何より楽しみだった時期もあったのに、最近は、夢を見てても楽しむ事ができなかった。

学校へは4時限目から行った。
授業は音楽美学。
「ゴジラVSビオランテ」を少しだけ放映していた。好きな映画だ。
その後、図書館に行き、フルハウスで一度ネタとして使われた「トッツィー」という映画を観た。
俺が生まれた年の映画で、映像も悪い。
あと20分というところで、閉館時間とかで図書館を出された。
家に帰りついたのは午後7時過ぎだ。
帰り道、俺の人生って、俺の意思どうこうに関係なく、結局中途半端な結果しか残せないんだろうな、とか考えた。
あの時あの子が悪戯されてさえいなければ、とか。
俺は自分の感情の極限状態を知っている。それも、自分の中の倫理観を備えた上での極限状態だ。
だから、価値観や感覚が戻った状態でなければ本当の意味で誰かを好きになる事もできない。
もし誰かを好きになっても、俺は自分の極限状態を知っているので「これは本当の意味で好きになれたんだ」とは絶対に思わない。中途半端だ。
あの時あの子がそういう目にさえ合っていなければ、本当の意味で好きになれる自信もあったのに、本当に中途半端な結果しか残らない。

今日の夕飯はミートソースとペペロンチーノだった。
去年の俺の誕生日も、夕食がペペロンチーノだったのを思い出した。約1年ぶり。
食事を取る前から少年に対する少し締め付けられる感覚になっていて、食べているうちもずっとその感覚が強まっていって、最終的に気分が悪くなって吐いてしまった。
去年の誕生日以来のメニューだったのに、勿体無い事をしてしまったと、そういう意味でも少し嫌な感じになった。



2004年12月06日(月)

終わったと思ったらまたレスをつけられていた。
相手の幕引き文句まで削除されてて。
理不尽な理由で因縁つけてきた癖に正当ぶって。
卑しい理由を必死で隠して。
自分の方から滅茶苦茶ないちゃもんレスつけておきながら、それに反応するこっちを変扱い。
普段良い人ぶっている奴らの底が見える。
人間のくだらなさ、汚さ。
どんなに立派風に御高説してるような奴らでも、状況が状況になれば結局自分に非があると自覚しながらも、くだらない負け惜しみ根性から正論ぶってこっちを否定してくるのだ、という事を、こういう事があるたびに痛いほど思い知る。
さらにその汚さを、同じような理不尽な奴らの集団心理でうやむやに流す。
そういった人間としての「底」みたいなものは、結局どこに行っても、人間と対するたびに感じられるもので、本当にうんざりだ。
やっぱり、人間というものが好きになれない。というか嫌いだ。
その中にあっても、タイプの子だけは常に特別な存在であり続けた。
それなのに、以前のような強い思い込みが消えてしまって、本当に残念だ。
そういう少年を思い浮かべると、まだ世の中や社会にも救いが残されているように思えたりもしたのに、今は少年に対してそういう風に感じる事ができなくなっている。
初めてその掲示板に書き込んだ時から「どこの奴でも、どうせ底が知れるんだろうな」みたいに見切りをつけてた部分はあったので、初対面だからと最初から媚びるような態度で接したりはしなかったので、それは良い判断だったかな。
そういった理不尽的なものはとことん追求してやらないと気が済まない性質のようだ。
子供の頃から、そういった大人でも分かりにくいような矛盾や卑しさや理不尽さに人一番敏感なところがあったのだが、それらを表現するだけの言葉は持たなかった。そのために逆に「何言ってるか分からない」とか「頭大丈夫か?」みたいな感じで、相手も俺が何に対して腹を立てているのか本当は気づいているだろうに、こちら側を変人扱いして言い訳をする機会を与えてしまう事が多かった。そのために悔しい思いをする事が多かったし、そういった時に感じた怒りというのは今でもリアルに思い出す事ができる。
それについての悔しさみたいなものが、未だに残り続けているのだと思う。今現在にしても、そういったものに対しては凄く敏感なままだ。
今では大概の事は言葉で表現できるようになったけど。
「それだけ正論ぶるんなら、お前らはどれだけまともな大人なんだよ」みたいな想いも強かった。本当はお前らが正しいのか?みたいな期待もあったように思う。
実際に自分が大人になってみて、自分の感じた事をちゃんと表現するだけの言葉も持ち、その上で実際に正当ぶってる大人と接してみて「やっぱり、思ってたとおり、こいつ等ただのくだらない奴らじゃないか」というのが嫌でも痛感させられる事が多くて幻滅してる。
人間にはうんざりだ。
ショタコン親父にしてみても、いい歳をこいて俺より道徳観の劣る奴らばかりだしな。

メッセのオフラインメッセージが全て消去されている事に気づいた。
この前、パソコンを修理に出した時にリカバリされて、それで全部消えてしまったようだ。
今まで、たまに読み返す事が多かった。
もう、2度ともらえないような言葉もある。
あの子から入ったオフラインメッセージも含まれていた。
それらが全部消えてしまっていて、かなりショックだった。

午前11時頃に目が覚めた。
学校へ行ってきた。
2時限目の英語。
今回は俺が指定された範囲の問題を答えなくてはならなくて、事前に出されていた課題も半分くらいは済ませていたのに、この授業に間に合わなくて出席する事ができなかった。
4時限目の映像論。
数年前に母親から薦められて、いつか観てみたいと思いながらも忘れさってしまっていた映画、「ブリキの太鼓」が少しだけ上映された。
断片的にいくつもの映画を上映していく。
70年代の映画が多かったけど、どれも続きが観てみたいものばかりだった。
5時限目の人間関係論。
いじめと非行の特徴についての授業だった。
自分の過去を振り返ってみて、当てはまるものがあれば分析して書きなさいとの事だったので、色々書いた。
学校に居る間、色々考えていた気はするけど、家に帰ってみると思い出せない。
今日はあまり少年について考える事は少なかったと思う。
デスノートはイマイチだった気がするけど、ジャンプが全体的に面白かった。

昨日から言い合いをしていた掲示板をアク禁された。
言い合いのきっかけは、俺に対する名無しによる理不尽な叩きレス。
それに同調する奴らへの反論。
俺は間違った事は1つも言ってないし、相手側に非がある事もハッキリしていた。
それなのに、そいつらに言い返す俺だけが槍玉に揚げられて規制をかけられた。
管理人も、俺の事を気に食わないと思ってる奴らの数の多さからそいつらに加担する。
俺を叩いて規制をしく事で、周囲の奴らを納得させる事ができると考えたのだろう。理不尽だ。
結局、言い合いの内容だけで言えば俺にまともに反論できた奴は1人たりとも居なかった。
反論できずに負け惜しみを言うか、すぐに話題転換して別の内容で煽ってくるかのどちかだ。
何について叩こうとするのか、なんてそいつらにとってはどうでもいい事なのだろう。
くだらないメンツのために、たとえ最初に自分の方から掲げた趣旨にそぐわない内容であろうとも、煽り倒す事さえできればそれでいい、という考え方だ。
俺を煽りながらも「もう反論するのは止めろ」とか言ってくる。
結局は、ただ言い逃げがしたいだけ。その言い逃げに対して俺がまた言い返すものだから、そいつらの「自分から軽はずみに煽ってきた癖に、言いたいことだけ言ったまま、反論させずにスッキリしたい」というワガママな理屈が通らないものだから腹を立ててるだけだろう。
で、結局反論できもせず、野次を飛ばすだけ飛ばして書き込み規制。
俺の反論も全削除。筋の通った返答なんて返ってこなかった。
フルビをアク禁された時と同じパターン。糞だな。
どこに行っても同じだな。本当に集団とか良識ぶった人間、というものの底が知れる。



2004年12月05日(日)

どんな理由があろうと、タイプの子は絶対に受け入れられる、という自信が持てないのが嫌だ。
以前の概念に「悪戯される」というのがなかったけど、今の俺は悪戯されてない少年でさえ受け入れられる気がしない。
そんな少年と関われるなんて事は願っても無い事だったはずなのに、少年と関われる事になった時、俺がそれを心底嬉しく思ったり、一生でも二生でもかけられる、みたいに思い込めるほど強い感情を持てていない事が嫌だ。
本当ならありえないくらい嬉しい事だったはずなのに、よりにもよって、そんな機会がやってきた時になっていきなり少年への感情が薄れ始めてしまった事に対する悔しさ、みたいなものが残り続けている。
本当は、その子自身が悪戯されていたわけだから、俺が強い感情を持ち続けていたところで受け入れたりはなかったんだけど。
それでも、好きになってもらえた時になって、俺の方が感情を持てなくなっていったのが凄く悔しい。
本来、俺の方が少年をメチャクチャ好きで、少年の方は俺なんか眼中になくて、が当たり前だったのに、そうじゃなくなった時に想えなくなっていって・・・・・
午前5時半頃に目が覚めた。

少年が陵辱されたりする事を「しょうがない事」みたいにしたくない。
全部ゴミ野郎のせいだし、自己中で汚いゴミ野郎さえいなければ済んだ話なのに。
絶対にそうされない存在だったのに、それに対して信じられないとか信じたくないとかいう感覚や未練が残り続ける。

痛みについて考えていて、何となくこんな絵を描いてみた。

『キラめ・・・・・』

学校にいる時とかは「早く帰って考えたい、整理したい」と感じる事が多いのに、こうやって休日になってみると、考える事を避けて息が詰まる感覚だけでモヤモヤしてしまう事が多い。
意識せずに逃げれそうな時には逃げておきたい、とかそういう甘え意識が強いのかもしれない。
学校に居る間>考える事によって意識されたプレッシャーから開放されたくて、落ち着いた場所で考えたくてたまらない。何時までは学校に拘束されてる、と時間に制限ができているので、考え出す事を始めやすい。どうせ家に帰ればちゃんと考える事ができるんだという意識があるからか。
家に居る間>落ち着く場所は確保できているので、そのまま横にでもなってそのうち考える、そのうち考える、と逃げてしまう。時間が無限にあるので、考え出す事のキリの無さが意識されてプレッシャーとなる。
こうやってまとめてみると、やっぱり落ち着いた場所で余裕がある時こそ考えて考えて、苛まれないといけないんだけどな。
でも、何故か性癖の事で悩んでいた頃は逆だった。
家に居る時間が無限にあって、それで欝に陥る事が多かった。
逆に、学校に居る間は気分が楽で、とか。
何なんだろうな、一体。

掲示板で理不尽な因縁をつけてくる奴らがいたので煽り合いになった。
当然のようにそいつらを言い負かした。
相手がつけてくるイチャモンに俺が反論する。その反論に対して言い返せない相手が別の話題で煽ってくる。それについても反論する。言い返せない相手がまた別の・・・といつものパターンだったけど。
最終的に文句をつけてきてた奴らが、勝手に幕を引いて逃げ出した。
その先、他にどんな文句が返ってきても返せる自信はあったけど。
勝手に相手が逃げたので、少しスッキリした気もしたけど、どうせならもっと恥をかかせてやりたかったなとも思う。



2004年12月04日(土)

今日は午前9時前に目が覚めた。
起きてみると、何だか少年愛感覚が抜けきってしまっているような感覚になった。
アイドルの誰々が可愛いとかいうのを聞いても、普段の俺なら可愛いと感じていただろうに「男が可愛いって」とか、理解できない感覚のように感じられた。他の何に惹かれるものができた、というわけでもないけど。
一時的なものなのだろうか。
少年が好きだとハッキリしていた時、俺は人並み以上に少年に対して考えたり感じたりする事ができた。
それがハッキリしなくなってしまうと、少年が、その他の人間と同列とまではいかないけど、同列近くにまで下がってしまう。
そうなると、人並み以上に感じなさすぎるようになってしまう。
昨日金八を観ていて、主人公の少年が酷い暴力を受けているのを観てショックも受けたし、衝撃的だった。
「子供なのにここまで・・」という意識もあったし、以前メッセの子が酷い暴力を受けた事に重なった。
でも、そのショックが本当に短くて後を引かない。一瞬だけだ。少なくとも以前の感覚の状態と比べれば全然薄っぺらい。
以前なら、作り話とはいえそのまま数日欝になってもいいくらいのシーンなのにな。
でも、殴られたりとかそういうのは、少年がショタコンとかに悪戯される事に比べれば全然マシだ。
悪戯されたりする事の大きさは、暴力とは比べ物にならない。
実際、メッセの子だって酷い暴力を受けた事よりも悪戯された事の方がキツかった、と言っていた。
その、少年が悪戯される事が薄れてしまっているから、暴力じゃそこまでキツくはなれないのかもしれない。
メッセの子は、金八の暴力シーンを自分に重ねたのか、欝になってしまったようで、横になると言って早めに落ちてしまった。
今日目が覚めて、少年に対する感情自体も薄れてしまっている気がして考えた。少年の存在が普通の人間と同列近くにまで薄れている。
何で自分はこんなにも感じなさすぎるんだろう、と思う。
少年が好きになるまで、誰かが酷い目に合わされるという事に対して、自分がそういう目に合わされる可能性への恐怖、たまに変な欲求、以外に何かを感じる事がなかった。
少年が好きになってからも、少年以外にそういう風に色々な感情を感じたりする事が極端に薄い。
それまでも、知り合いとか親しい人間が酷い目に合わされても、怒りを感じる事も悲しく感じる事も同情もなくて、そのために後ろめたさというか、沢山ばつの悪い思いもしてきた。
俺の中で、人が傷つけられる事に対して悲しんだり怒りを感じたり同情したりできないのは「悪いこと」とか「酷いこと」という意識は強かった。
それを感じにくい事に対して後ろめたさを感じる事が多かったから、同情する演技、悲しむフリ、とかそういう風に振舞う事は多かった。「自分はどこかおかしいんじゃないか」と思わされて不安になる事も多かった。
少年に対して初めて演技なしの素でそういった色々な事を感じられるようになったのは衝撃的だった。と言っても、少年に対する同情や悲しみや怒りが、少年に対する共感から、というのとは全然違うけど。自分にとって大事に思える対象への感情といった感じだ。
唯一そういう感情を人並みに沸かせられる対象という事もあり、その感情は俺にとっては凄く貴重なものだった。
どんどん思い入れも強くなっていくし、その感情も人並みのそれを何倍も超えるくらい高める事ができたと思う。
その感情のために、欝で立ち直れないくらい苦しんだりもしたけど。
薄っぺらい事は不謹慎な事だ、とか許せない事だという意識もあり、少年に対してちゃんと思う事ができなくなって、それで後ろめたく感じる事がよくある。
少年以外に対しては「それ以外の人間がどうなろうが知ったこっちゃない」と割り切る事はできるようになったし、今はそれで善しと思える。
「それ以外の人間」というのは、少年を酷い目に合わせる可能性のある人種でもある。むしろ「何で同情なんかしなきゃなんねーの?」という感じだ。
少年に対して割り切ってしまいたくない。それを割り切ってしまうと、ただの不謹慎な最低野郎にしかなれない気がする。
「絶対的にまで思えていたのに・・」という意識もあるし。
なんか、文章まとまらない。
少年以外にあまり何も感じない事は、少年にだけ強い感情を持てている状態でなら強みになったりするけれど。
少年以外が酷い目に合わされる事に悲しみ、怒り、同情する人間が少年に接する際の言動が余計に軽はずみに思えたりする。
その人間は少年とその他を同列並に見る。俺は、少年を他人の何百倍にも感じる。その人間が少年を気遣う感覚は、俺が少年以外の人間を見る感覚程度しかないのだ、と感じる。

ブリーチという漫画が沢山出回っているので、集めてみることにした。
一応連載開始からずっと読んではいたのだが、殆ど流し読みという感じで頭に入っていない部分が多かった。
この前落とした「ソウ SAW」という映画を観た。
主人公が自分の足をノコギリで斬り落とし、床をはいずりながら銃を手にしているシーンが衝撃的だった。
足を切断したせいか、全身の血の気が引いて真っ白になり、声が曇っているのが怖かった。
その衝撃から、色々な事を意識した。
俺は、少年を助けるためにノコギリで自分の足を斬りおとせるか?と聞かれても、ハッキリと「はい」と言えるだけの自信がない。それは価値観が強まっていた以前もそうだったと思う。
自分が拷問を受ける事と少年を助ける事を天秤にかけなければいけない状況、というのをリアルに妄想する事が多かった。
どれだけの痛みになら耐えられるだろう、どれだけの拷問までなら受けられるだろう、と。そんな日がこないとも限らない。
そういう状況になれば、アドレナリンで痛みや恐怖が飛ぶのかな。
「絶対に無理」だと感じるような痛みもあるだろう。
少年を目の当たりにしても、俺が拷問を受ける事を拒否する場合もあるだろう。
でも、もし自分がそれらを拒否したら、少年に対する想いも全てニセモノに変わってしまう。
そんな状況にはなってほしくない。
恐怖を感じる想像できうる肉体的な痛み、とすると、実際に自分が今までに何度も受けた事があるような、殴られる痛みや蹴られるといった、日常化していたリアルな痛みよりも、生きたまま切断とかエグル、ひきチギル、裂く、目を突き刺すといった拷問的なものが一番イメージされやすい。
俺は人一倍痛がりで、子供の頃からそうやって、いつか自分が受けるかもしれない、そういった類の恐ろしい痛みが浮かんで、恐怖を感じて眠れなくなったり、リアルな痛みを与えられるような時は、それがエスカレートして、そういった恐怖を感じる類の痛みに繋がっていく可能性を恐れ、大して痛がってもいない癖に痛がるフリをして、それに繋がる前に何とか終わらせようとつとめる事も多かった。被害妄想が強すぎるおかげか、実際に殴られてみると「あれ?この程度?」と感じる事も多くて、何とかその恐怖にまで繋がらないように、と考える。大して痛がっていない事がバレると、さらにエスカレートしていくのだという事は目に見える。
その後の自分の性癖に繋がっていったのも、元はそういった恐怖感から繋がっていった部分もあるのかな、と自己分析してみる。
そういったえげつない事、というのがイメージされやすい部分も強かったし。ヤンキーみたいな生活をしていた時は、そういった毎日のプレッシャーが凄かったな。俺はかなりのヘタレだった。
少年以外の人間がそうされる時、自分がそうなる可能性を浮かべない分にはあまり何も感じない。少年がそういう事になる可能性に関連付けられる事はあるけど。
少年と絡めて考えてみても、自分が受けるかもしれないそういったえげつない拷問への恐怖、というのはいまだに頭の中で克服しきれていないと思う。
少年が被虐させられる事を思い浮かべた時、自分が受ける可能性よりも憎しみを感じる事が多い。欲求に繋がるからか。自分が欲求を感じる事=自分が許せないと感じる事。
それとは別に、少年を浮かべて恐怖を麻痺させられる時もある。
少年が痛みを受けたのに、または受けるかもしれないのに自分なんかが痛みを恐れて善いわけがない、と恐怖を感じる事自体が凄く自己中心的な事に思えたり。
でも、俺だったらそれを拒否するかもしれないと思った場合でも、同じ状況で拷問を受けずに少年を犠牲にした奴がいたとしたら、俺はそいつを責めると思う。
今日は痛みについて考える事が多かった。
映画を観て、今回は少年に絡めてもヘタレな自分になってしまった。
色々考えながら書いているうちに、切断などの痛みに対する恐怖心が蘇ってきて、手に力が入らない。震えが止まらない。



2004年12月03日(金)

今日は午前9時半頃に目が覚めた。
楽しい夢を見た気がする。内容が楽しいというよりは、夢特有の雰囲気が良かった気がする。
起きてしばらくは夢の余韻に浸っていた。でも、少年は出てこなかった。
昨日は結局、24時間以上起き続けていた。左腕がダルイ。

学校に行ってきた。行きしに「エアギア」の8巻を買った。
いくら考えたところで、あの子について考えたところで、あの子は悪戯されているのでどうにもなりようがない。前のような価値観にすがって感情とか意識を戻そうとしても戻らない。何とか戻そうと思っても、戻ったところでどうにもならない。
それでも、一度はタイプの子から好きになってもらえたのに、それなのにそれまで持ち続けていた強い意識が消えてしまってとても悔しい。
でも、その少年自身が悪戯されてた事で「もう駄目だ・・」みたいな感じで、維持できなくなって。
タイプの子に好きになってもらった事があるから戻したいと思いながらも、その子自身が悪戯されているので戻したところでどうにもなりようがない、という矛盾の中でいつもグルグルしている。出口がない。
ただ、割り切りたくない。
あの子と関わって感情が沸かなくなったのも、悪戯されてる事に比べて、ただの受け入れられない小さな一要因みたいな感じだったのに、今では以前のように少年に対して感情を持つ事ができるようになるのはタイムスリップでもしてあの子が悪戯されるのを食い止めるよりも難しい事のように感じられる。1年ほど前なら昨日の事のように意識できた後輩の事も、今ではもう一番最初に後輩を好きになった時の気持ちがどういう感じだったのか、ちゃんと思い出す事も実感する事も出来なくなってしまっている。
学校に居る間も、早く帰って頭の中を整理したかった。
学評会があるから早めに作業を切り上げて、俺だけその会に参加せずに帰ってきた。

日記で吐き出そうと思ったら、いいタイミングで母親に邪魔された。
それまで書いていた考えとかも削除した。一度途中まで書いた文章でも、その続きを頭から消えてしまった状態で書いてしまうと、いくら同じ言葉や同じ文章を使って吐き出したとしても、「書いてる時に実際にそれを自分が感じていたこと」ではなくなってニセモノになってしまうからだ。
俺が吐き出すものも、俺がそう感じながら書いたものじゃないと中途半端な虚しさが残り、ただの形式になってしまったそれに嫌悪を感じる。スッキリできない。
今回は少し爆発した感じになって親に言った。
「もう殺してくれ!うざいわ。前も言ったけど俺、欝持ちやねん。
学校に居る間もずっと頭グルグルしてて、落ち着いた場所で考えられないのも苦しいし。それでやっと家に帰って落ち着いて考えられる、とか思って考え出すと、いっつもいいタイミングで邪魔されんねん。いい加減にしてくれ!
いっそ殺してくれ。いつも思うわ。そんなにジワジワ苦しめたいんやったら殺してくれや!!!!」みたいな事を怒鳴った。
悩んでる原因までは言わなかったけど、普段言わないような内容で怒鳴ったので、母親が半泣きみたいな感じで「じゃあどうしたらいいん?」みたいな事を言ってきた。
どうせ親に相談したところでどうにもならないし、親に望めるのは邪魔しないで静かにしててくれ、ぐらいだけど。

少年について考え方がいい加減になってきた。
どうしたらいいだろう。
あれだけ色々と感じるものがある対象というのは他になかったし、それが凄く特別な事に思えた。
だからこのままいい加減になっていく事が嫌だ。



2004年12月02日(木)

今日は午前0時半頃に目が覚めた。
考え疲れか、頭の中で言葉や文章だけがばんばん流れたりしているのに、それをちゃんと自分で実感できていなかったりする。
頭の中で勝手に喋ったりしているのに、それらに対して自分で重みが感じられない。うわべみたいな感じになっている。
それで余計に軽はずみな気分になったりする。
そうなる以前はちゃんと考える事も実感する事もできたのに、そればかり考えているとその考える事がおろそかになってくる感じだ。
「考えてるんだ」という建前だけが最優先になって、実際にそれを実感できずにうわべの自己満足になってしまう。
「以前は素で実感していたのに」と考えながらも、その考える事さえうわべっぽくなって、
メッセの子に言わせれば、こういうものは「感情的なスタミナ切れ」だという。
そのスタミナが切れても「考えなくては」という義務感だけで考え続けるから、強く実感できなくなっているのに空回りしてくる。
内容がないものに変わる。
それに対して後ろめたくなりながらも、スタミナが足りなくてそれもまた空っぽな感じになったり。
嫌な感覚や後ろめたさを自分でちゃんと沸かせられなかった分、それを自分の外部から補いたいと感じる。例えば、その軽くなってしまっている事を酷い目に合わされた少年自身から否定されるとか、憎まれるとか。
それを否定されもせず憎まれもせず、その状態に甘んじてしまうと、ただ堕落しているだけのような感じでスッキリしなかったりする。そのままダラダラした感覚のまま居続けるのも、またスッキリしないというか。
何か文章でちゃんとまとめられた気がしない。
今朝メッセの子から言葉をもらった時は「これだ・・」という感じだったのに、改めて言葉に直してみると少し不正確な気がする。

また「ありえない事」に思えるようになって、1回でもそういう事になったら終わりだ、絶望的だ、という意識を強くしないと、以前のように本当の意味で切羽詰って助けたいとか守りたいとかいう気持ちを強くできない気がする。
でないと、惰性だけで考えていく事になりそうだ。
年下の、しかもタイプの未成年の子がそれだけの事になったのに、全然絶望感が足りてない気がする。
タイプの子がそういう目に合わされるといったら、普通に片思いで好きでたまらない子がそういう目に合わされるのと同じ意味、感覚を持っていたのに、何で今こんな中途半端なんだ。

今日初めて知ったお絵描き機能で色々と遊んでいた。
締め付けられる感覚と軽い息切れがしながらも、少しワクワクした気分になった。
話は変わって、マガジンの神to戦国生徒会に出てくる椋鳥かおるという少年が可愛くてしょうがない。
2chスレを見てみたが、この漫画はかなり不評だ。
好きなものが注目を集めていない事が嬉しかったりする。
タイプの子に対する少年愛感情や汚される事への抵抗も、こういう意識が強かったからどんどん強大になっていったんだろうな、と思う。独占欲。

学校へ行ってきた。
行きしに「莫逆家族」の10巻を買っていった。
学校に居る間は色々なプレッシャーがつきまとって、結構キツかった。
気分も沈んでいた。
この前読んだ話などが浮かんできて「タイプの子だとは限らない」と思い込もうとしたけど、少年の様子じゃタイプの子っぽい感じもして、思い知らされたような軽い絶望感のような、そんな感じになった。
学校に居る間とか、すぐに吐き出せない状況で考え続けなくてはいけない時、よくプレッシャーを感じてストレスになる。
こんな状態で欝に襲われたらひとたまりもない。
バイトしてる時とか、毎日が地獄のように感じられたな。
あの子の事も考えていた。
ハッキリ言って、小さい写真を一枚もらっただけだから顔はよく分からない。
可愛い印象は強かったし、話を聞いてる限りじゃタイプの少年に当てはまる子でもあった。
あんなに理解してくれそうな子なんて他に居ないだろうな、と考えると悔しくてたまらなくなってくる。
はたから見たら訳が分からないような俺の悩みも偏見なしに理解しようとしてくれてたのに、何で付き合えないんだろう、と思った。
性格とかもかなり理想的だったのに、そういう目に合わされてるからどうにもならないんだ・・と、またどうしようもないような気分になった。
しかも、向こうの方から告白してきて可能性を示してくれたのに、何で俺は失恋してるんだろう、と思うと嫌になってくる。
どんなに理想的でもそういう事になった上でだから受け入れられない。
いくら悔やもうが考えようが、絶対にどうにもならないんだ、というのが前提になってるからヌカに釘みたいに意味がなくて悔しさだけが募ってくる・・・



2004年12月01日(水)

最近、よく何度も身の回りで「誕生日おめでとう」とか言ってる人間を見かける。
俺の誕生日の翌日にも、学校へ向かう途中携帯で「今日誕生日やんなぁ〜。おめでとう」とか言ってるのを聞いた。
昨日か一昨日、学校でも誰かが誰かに言ってるのを聞いたし。
11月が誕生日の人間は多いのだろうか。
現在午前1時26分。
何か、今日も徹夜しそうだな。
昨日のように眠い時でも、この時間に眠るのは勿体無い気がして起き続けてしまう。
別に何かしたい事がある訳でもないのに、ズルズルとパソコンに向かってしまう。
今の時間が一番静かだし、俺にとっても貴重な時間帯だという事なのだろうか。
音楽を聴いてコーヒーを飲み、乾燥したチキンラーメンを食べながら次は何を描こうかと考える。
めっちゃ和むわぁ。
最近、お絵描きツールで今まで知らなかった機能や使わなかった機能を使うようになった。今まで知らなかった描き方を知り、あまり水彩を使わなくなった。だいぶ幅が広がった。

何か不安定だ。
少年に対して、関わりもないのに引き止めたり、そういう奴を求める少年を嫌がったり、ずっと傍に付いてるわけでも、その子の人生に対して責任を持つわけでもないのに勝手に心配したりするのも、結局ただの独りよがりでしかないのだろうか、とか考えた。
俺も無条件じゃないし、そういう事と関わった時点でちゃんと感情沸いたりしなくなるのに、それで少年の生き方に口を出すのも無責任な事なのだろうか・・
俺が心配するような事=少年自身が傷つくこと、とは限らない。
注意する事で逆に息苦しくさせてる時も多い気がする。
でも、せめてショタコン野郎に対しての妨害だけは続けよう。
いくら少年がそういう奴をかばおうと、俺がそんな奴らに敬意を払う必要なんて全く無い。
目の届く範囲にそういう奴が現れたらとことん邪魔してやろう。
告白してくれた子も含めて知ってる子が何人も悪戯されたのに、それだけは確実に俺が持ってるちゃんとした権利だと思う。
その中の一人にならないように、ならないようにと心がける。
ショタコン野郎の文章を読んでて、その中に自分と重なる部分があると、それだけで凄いストレスを感じる。
例えその中に、それまで自分が正しいと感じていた考えが含まれていたとしても、ショタコン野郎が同じ事を言うと、絶対的に正しいのだと思えなくなってくる。

最近、自分が考える事や感じてる事が軽はずみになってきた気がする。
「少年自身が喜んでることだから」といって否定しなくなりそうなのも、心情的にどこか軽はずみに見てる神経からくるのかもしれない。
本当に重く受け止めてる時だったら、少年自身が喜んでるとか求めてるからというのは関係なかった。
こういう軽はずみを「うわついた神経」と言うのだろうか。

価値観が崩れて、軽はずみで不謹慎な奴になってしまいそうだ・・
ずっと「合意だろうが何だろうが、どんなささいな事でも認めたくない」としていた事なのに、軽く流すようになってしまいそうで、本当に薄っぺらで軽はずみな奴になってしまうのが嫌だ。
というか、それを流すこと自体が最低だ。
未成年で、しかもタイプの少年が、例えどんな理由があったところで、そういう事と関わる事は「善し」じゃない。
これはもう決まりごとだ。
それを侵害するような物事や人間は、一生許さないくらいに憎み続けたい。
それでも全然足りないという意識も強かったのに、何だかそれらがあやふやになってきて嫌になる。
「今までの自分は何だったんだろう・・」という風になりたくないから、必死で価値観にすがり付こうとしている部分もあるかもしれない。
大事に思いたいと感じながらも、大事に思えていないのが現状だ。
一方で、楽になりたさからか考え疲れからか、何とか大事に思わなくてもいいのだ、という理由付けができないか探している部分もありそうだ。
そんな状態で以前のように大事に感じる事ができるわけがない。
自分死ねよ、と思う。

学校へ行ってきた。
1時限目から出席した。
4時限目が終わるまで、眠ろうと思ってずっと机に突っ伏していたけど、数分意識が消えただけで眠る事はできなかった。
全部の授業が終わり、これから家に帰るのだという時になると、眠気と眠気からくる吐き気でフラフラになりながらも、こんな眠い状態で歩いていくのもしんどいなという感じで少し眩暈がした。
少し眠ろう。


 < 過去  INDEX  未来 >


リュカ

My追加