I.W.O.活動日誌

2004年10月31日(日) 市民音楽祭

どんなステージであれ、ステージに立つ時というのは、
朝から落ち着いて演奏する曲に集中していたいものだが、
なかなかそんなわけにはいかないものだ。
きょうも、朝、櫛田氏を迎えに行って宿泊費を支払って会場に送り、
積んでいた楽器を下ろし、それから昨日の会場に走って、
昨日雨がひどくて運びきれなかったマリンバを引き取りに行き、
またきょうの会場に戻って中学生の混成バンドのセッティングの世話を焼き、
櫛田氏が練習を始めて、おお、予想以上にいい音でバランス良く鳴らしてる
じゃないかとちょっと感心して、数分聞いて安心して岩倉に向かった。
昼食はまともにとれず、朝の残りのパンをかじって済ませたほどで。。。

さて、慌ただしい午前を過ごして会場入りしたので、
しばし静かな更衣室にこもって、頭の整理をすることにした。
それから団員が練習している部屋の廊下に行って、しばらく眺めながら、
リハとして何をやるかをあれこれ考える。
あれも確認したい、これも確認したいと考えていると、
全部になってしまうので、大方は団員を信頼して任せることにする。
結局、マイ・メモリーの繰り返し記号までと、
リトル・マーメイドのドラムセットのない部分を点検することにした。

本番では、リハでぜんぜんやらなかった「最初から今まで」と、
「リトル・マーメイド」の速い部分とが、練習よりも速かったように思う。
けれども、ほとんどアンサンブルが乱れて聞こえると言うことがなかった。
私の指揮は、しばしば指摘されるように、実にいいかげんなものだが、
本当にありがたい奏者たちに恵まれたものである。



2004年10月30日(土) '04 練習日(31)

いつもと配置の向きを変えて、ピアノが(つまりステージが)
私から見て左手になるようにしてもらった。
パーカッションを運ぶのに最も遠い位置になるから、厄介なのだが、
明日の舞台に似た配置で練習するのがいいと思って、あえてそうお願いした。
いつも遅刻すると後ろのドアからこっそり入るトロンボーン奏者が、
きょうは皆の視線をまともに受けてしまってびっくりしていた。

この向きで合奏すると、合奏の音がいつもほどもやもやしていない。
そういえば、かつてステージの方に向いて合奏していたのを、
ある時期から、きょうとは180度反対の向きに変えて、
それを前々回の定演の前に、離れて聞きたいからと、
今度はステージを背にした縦長の方向に変更したのだった。
それは一時的な措置のつもりだったのに、そのまま戻さずにいたのだった。
やはり日ごろの練習は、きょうのような向きでやる方がいいだろう。
来週から、以前のように、きょうの逆向きに変えた方がよさそうだ。

さて、練習の方だが、ちょっと参加者が明日の予定に比べて少なかったが、
明日への仕上げにふさわしい練習ができたように思う。
最初に「アイーダ」を1回だけやって、明日の3曲に入ったが、
休憩後に3曲通しをやったら、それで練習時間が終わってしまった。



2004年10月24日(日) バーベキュー大会

きょうは恒例のバーベキュー大会の日である。
恒例とちょっと違っているのは、体育大会の日でなかったことである。
それについて、余興委員長が掲示板に書いていたのを引用しておこう。


・・・・・・・・・
みなさん、大変申し訳ありませんm(__)m
10月3日のバーベキュー大会は希望の家がとれませんでした。
毎年この日は体育大会と重なって予約はガラガラで、
この時期でも十分間に合っていたので油断してました。
(福祉団体が四月頃から抑えていたようです)
この日に合わせて予定を空けて頂いた方、本当に申し訳ありません。
よって今年のバーベキューは10月24日[日]に変更したいと思います。
時間と場所は変わりません。
・・・・・・・・・


ちなみに、体育大会の日は、開会式後、半端でない雨に襲われたから、
結果的にこの延期は、先見の明と讃えられることになった。
きょうは、屋外バーベキュー大会には最適の実に快適な天候だった。
残念ながら、私は混成バンドの練習で参加できなかった。
ある年、岩倉の講堂で混成バンドの練習をやらせてもらった時には、
練習の昼休みにちょっと飲み食いに駆けつけたこともあるが、
練習会場が離れているとそういうことはできない。

職長がBBSにきょうのことを書いているので、コピっておこう。
レスがあったらそれも加えようと思って待っていたけれど、
残念ながらそのまま停滞しているので、とりあえずこれだけにしておく。


・・・・・・・・・
今年も、盛大に終わりましたねえ〜☆
田楽に加え、タコ焼きまで出現するとは・・・! 
来年は、綿菓子・金魚すくいなども出るのでしょうか?
準備・進行役の方々、重ねてお疲れ様でした。 毎年の恒例なので、
年々、要領が良くなっているように感じましたよ☆
私も、5号炉の火を担当し、
例年の如く、新人さんをおもてなしさせて頂きました。
「 そろそろ、終了の時間かな?」 と思い、田楽の串などを返却し始めたら、
皆、指示も無いのに(あったのかな?)、一斉に片付けを始めたのには、
感動の念さえ覚えました。
この協調性・協力性・積極性・・ 我が団の誇りですね☆
楽しい一日でした!
・・・・・・・・・



2004年10月23日(土) '04 練習日(30)

(これもまた2週間近く遅れての記述)

久々にまた、中学校の混成バンドの練習を1日やってからの市吹である。
午前中に大急ぎで練習を進め、昼に作曲家の櫛田さんを迎えに走り、
午後は彼の練習の補助をして、夕方犬山の宿泊先に送り届けて、
犬山市内の祭の渋滞に悩まされながら岩倉に駆けつけたというわけである。
明日は高校混成バンドの練習があるし、来週は土・日とも吹奏楽祭である。
来週の日曜日などは、吹奏楽祭に行って、音楽祭で振って、
また吹奏楽祭の会場に戻ることになりそうだ。

きょうはとにかく音楽祭の3曲を完成させなきゃいかん、ということで、
それに多くの時間を費やした。
最後に第六の幸福を通した。



2004年10月16日(土) '04 練習日(29)

(書くのが11月に入ってしまいました。なかなか書けませんで、、、)

もう音楽祭まであと3回しか練習日がないので、
とにかくマイメモリーと最初から今までを確定しなきゃいけない。
どちらも、半分はドラムセットなしでスローテンポをキープしなきゃ
ならないのが、なかなか厳しく、緊張を強いられるところだ。
最初から今までに、まだ奇妙な音が聞こえたが、楽譜のせいとは思われない。
ピアノがちょっと離れたステージ上にしかないので、
シンセを持ち込んでやってみたけれど、ぜんぜんダメ。
ピアノの音に聞こえないし、プツプツなので、
急遽ステージ上のピアノを使うことにした。
確かに聞こえにくいけれど、それでもこの方が演奏が流れる。
ピアノ入りで感じがわかったけれど、きょうもオーボエはいなかった。
このまま練習に来られないとなると真剣にオプションを考えなきゃなぁ、、
と思っていたら、練習が終わった時間に姿を見ることができた。
練習不足だから、と、音楽祭不参加を言いに来たらしいが、
何とかあと2回の練習だけで音楽祭にも出てもらうことにした。

リトル・マーメイドはなかなか快調である。
真ん中あたりにヒヤヒヤする部分が長く続くが。。。



2004年10月09日(土) '04 練習日(28)

(10月末日記。もうほとんど忘れております。
 とにかく4回分まとめ書きしなきゃ、、、このタイトルはまずかった。
 名案だと思ったけど、ひとつ落とし穴があった。
 通し番号がついてしまうので、抜いてしまうわけにいかない。
 ズルがしにくい。やっぱりこれは怠けもんには不都合だ)

えーーっと、、この日はー、、、そうそう、
「最初から今まで」のちょっと書き直した楽譜を試したんだっけ?

この楽譜書きを始めたのは先月の23日だから、2週間かかったことになる。
書き始めたときの勢いでは、3日間ぐらいで終わりそうだったのに、
意外と延びたのは、仕事のためにコンスタントに専念させてもらえなかった
だけでなく、なかなか踏ん切りがつかなかったせいである。
原曲に実に不可解なほどの情緒が漂っているだけに、
PCから流れる無味乾燥なミディ音源で何度点検しても、
これでいいのかどうか、迷いが深まるばかりできりがない。

この楽譜を書き換えようとした動機は、
・以前から、市販の楽譜が出ないなら編曲しようと考えていて、
 編曲するなら冒頭はどの楽器に演奏させようかな? とあれこれ考えて、
 真っ先に浮かんだユーフォニウム案をさっさと却下したのに、
 M8譜でも案の定ユーフォニウムに担当させていたこと。
・間奏の途中から、パーンパーンパーンパーーンパーーンパーーーンとなる
 のが耐えられなかったこと。
・2番の後の挿入節にあたる部分をしっとりしみじみとやりたかったこと。

というわけで、ピアノソロで開始する形に書き換えたのである。
間奏部分はピアノでもいいけれど、できればオーボエにしたかった。

残念ながらきょうは、ピアノ担当者は体調不良で欠席、
オーボエ担当者も欠席で、全体像を確認することはできなかった。
とりあえず、合奏部分の点検だけしてみた。

(他に何をやったか、よく覚えていない)



2004年10月03日(日) 岩倉市民体育大会開会式

せっかく練習したのに中止になっては困る、という思いと、
中止になってくれた方がラクなのになぁ、、という思いが錯綜するが、
今回は、後者の気持ちの方が圧倒的に強かった。
けれども、いつこぼれ落ちてくるかわからないような空模様を眺めても、
中止の連絡はまったく入ってこなかった。
会場に向かう途中にも、ぱらぱら降ってきてはやんだりしていた。

結局、団員全員を狭いテントの中に押し込んで、開会式は滞りなく終わった。
開会式前に小雨が降っていた時間もあったけれど、
傘をさして棒を振る必要はまったくなかった。

私は終わるとすぐに、高校生の混成バンドの練習会のために会場を出た。
出て、1分も経たないうちに雨が降り始め、
体育文化センターの駐車場まで着かないうちに本降りになった。
体育大会はあの後どうなったのだろう?
混成バンド練習会をしていた一宮興道高校あたりでは3時頃まで降っていた。
開会式だけは無事に終わらせてくれたお天道様を、
いじわると言うべきなのか、思いやりがあると言うべきなのか、、、?

会場が取れなくて3週間後に延期になったバーベキュー大会の方は、
きょうだけ見てみれば、延期になって幸いだった、
余興委員長に先見の明があった、と言っていいだろう。
残念ながら、私はその日も混成バンド練習会で参加できないけれども。。。

体育大会の開会式だけやって帰宅する場合は、たいてい昼寝をするもので、
きょうも、混成バンドの練習の休憩時間は睡魔に襲われて気力を失った。
けれどもやはり指揮台で振り始めてしまうと、
ついつい、もっと音を寄こせ〜、みたいな感じで踊ってしまうから不思議だ。
練習が終わると、昨日と同じくまるっきりよぼよぼ爺さんである。
明日、ちゃんと仕事に行けるのかなぁ。。。



2004年10月02日(土) '04 練習日(27)

私個人にとってはたいへんハードな2日間の1日目である。
きょうはまず朝から夕方まで中学生の混成バンドの練習を見て、
それから夜のこちらの練習である。
1日中ほとんど立ちっぱなしで、とにかく立っているのがつらくなる。
声もがらがらで(唸るからかね?)、話すのもつらい感じだ。
それでも、目の前で音楽が鳴り始めるとそんなことは忘れてしまうから不思議だ。

体育大会のすべての曲を8時半までやった。
その後、「マイメモリー」を2回と「ギリシャ民謡組曲」を1回通した。

明日の朝は早いし、また1日練習があるので、さっと帰った。


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