2007年07月28日(土) |
日本語でやると・・・ |
大須オペラを見てきました。 スーパー一座という名前からもうスーパーな団体のオペラ。 演目は「カルメン」 日本語訳版。
なんていうか、ええ・・・ 日本語にすると、ドン・ホセはとっても情けない奴にしか見えない・・・ ええ、なんていうか・・・ 悲劇っていうか、昼ドラ・・・
白塗りのエスカミーリョにやられました。 おいしいところをすべてかっさらっていった・・・
最初は、ホセのあまりな大根っぷりにさすがにやばいよ!主役じゃん?とか思いましたが、どんどん役にのめり込んでいかれまして・・・ 最後はすごかったですよ。 でもおいしいところはエスカミーリョがさらっていく(笑)
個人的にはノリノリの演技をしていた、隊長さんと兵隊さん役の人が気になった(笑) そして何故か男性陣イケメン多し(笑) 女性陣も綺麗だったんですが、何分白塗りだったもんで・・・
ダンスはすごかったですよ。 フラメンコショーを見た気分。トウシューズはいてたので、ジャンプしても音がしない。 でもスカートまくりすぎて中が・・・(笑) 客席は低いからさぁ・・・
客と舞台が近いのが良いですよね。 熱気がいいですよ。 疲労困憊を絵に描いたような指揮者とホセが印象的でした(笑)
次回作も期待してます♪
2007年07月20日(金) |
それは貸すって言わない |
ご飯を食べてふと気付いた。 おかんがわたしのカバンを使っている・・・ どうしたのて聞いたら、前のカバンが壊れたからとりあえず借りたという。 「しばらく貸して」と言うので、別に使うあてがあるわけでもないからいいよと答えた。 「ありがと〜」と嬉しそうなおかん。 そしてこの後とさらっと問題発言。 「壊れるまでずっと貸してねvvv」
・・・
・・・・・・
はい?
いや、壊れてから返されても困るから。 っていうかそれ貸すって言わないから。
というわけで、結局あげることになりました。
すべての行事(行事であってるのか?)が終わりました。 急変に次ぐ急変の後は、諸々の行事が遅れまくりだったんですが(なんせ初七日より後に通夜してますからね)、ゆっくりお別れすることができました。
夕食後、家族三人でおばあちゃんのお参りに行った。 一日雨だったんだけど、夜にはあがっていた。 お母さんは「傘を持っていった方がいいかな」といったけど、しばらく降りそうにもなかったので、「いらないんじゃない。たぶんもう降らないよ」と言った。兄も「お参りなら1時間も2時間もいないんだから大丈夫でしょ」と言い、傘を持たずに行った。 が。 結局、お母さんとお嫁さんがおばあちゃんの思い出話を語り始め、1時間以上いました(笑) まあ、思い出話をすることで、ほんとに思い出にしていけると思うから、止めないけど。 長居してしまった。
兄といっぱいしゃべりました。 単純に顔を合わせる機会が少ないだけなんですが、たまに家に帰ってきてもタイミング悪くてわたしはいつもでかけてるんですよ。 なので一緒にご飯を食べるのも何年ぶりかという世界でして(^^; ゲームとかパソコンとかそんな話しかしてませんけど。
でもね。 人のパソコン使って 「いらいらする」っていうなよ。 しょうがないだろ。 98なんだから。 メモリー192MBなんだから。 贅沢言うな。
本日20時7分。 祖母が永眠いたしました。 5月2日に救急車にて入院、一旦は退院が決まっていましたが、昨日急変。家族が後1〜2週間だと覚悟を決めてわずか1日。再度の急変でした。 遠方から来る兄のため、もう少しがんばって、急がないでという願いも届かず、子どもと孫に見守られながら旅立っていきました。 肺がんだったため、最後の2日間ほどは酸素マスク着用となり、かなり苦しかったと思いますが、最期はとても穏やかな顔をしていました。
おばあちゃん、おつかれさま。 おじいちゃんによろしくね。
ばあちゃんの容態が悪くなり、病院へ行ってきました。 1時半から5時間ほど。 さすがに疲れた。
夕方、わたし一人でいるときに看護師さんがやって来た。 「お孫さん?」と聞かれたので、そうですと答えると、ちょっと迷ったあと「おいくつですか?」と聞かれた。 突然だなぁと思いつつ答えると、「じゃあいいですね。中学生くらいかと思ったんで」と言われました。 ちくしょう。 なんでも痰の中から感染症の菌が見つかったそうで、ちょっといろいろ感染予防対策をする必要があったため、さすがに未成年はまずかろうということみたいです。 やっほう。
しかし・・・ わたしにもいろいろ問題があるのはわかってるけどさ。 三十路が近いのに・・・
だから、というわけではありませんが、恵那まで行って来ました。 博石館という石屋さんがやってる石の博物館+岩盤浴。 どうかんがえてもメインは岩盤浴でしたが・・・ いい汗かきました。
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