続・130万個の餃子 - 2002年04月26日(金) 昨夜の夢は私の定番、「旅の途上シリーズ」だった。 子どもの頃から一貫して変らないスタイル。 目的地に向かう途上、さまざまなアクシデントに見舞われつつ、ひたすら移動するというシリーズで、いつも途中から始まって出発地点が不明なことと、「何のために」そこに向かっているのかが曖昧な点が共通している。 そして、ついぞ目的地に到達したことはないのである。 昨夜の長い夢の終盤部分はこんな感じだった。 ・・・・・・・ 所持金がわずか1320円で、岐阜だか愛知だか、とにかく中途半端なところにいて、行くに行けず、帰るに帰れず、どうにも仕方なく線路脇の高台を歩いていると、それはそれは見事な松林に出る。 デジカメを取り出して撮影しようとした瞬間、満員を通り越して人がこぼれ落ちんばかりに乗っているトロッコ風の列車が、目の前を通り過ぎて行く。 そしてあろうことか、人々がこっちに向かって笑って手を振ってたりするのだ。 日本国内という設定にもかかわらず、『世界の車窓から』のロケで、屋根まですずなりに人間の乗ったインドの汽車が通り過ぎていくところを撮影しているような感じだ。 妙な後味を味わいながら見送ると、今度は逆方向から電車が走ってきた。 こちらはさっきの異常な雰囲気のトロッコとはまるっきり逆で、ごく普通の通勤電車、蛍光灯に照らされた車内にはサラリーマンの姿が多く、新聞を読んだり、居眠りをしたりしている。 なんだかな〜、と思いながらも歩いて行くと、目的地へ向かう列車の発着する駅にたどり着いた。 切符売り場の前をうろうろしていると、駅員がひそひそ話をしているのが聞える。 「ダメですよ、彼女、1320円しか持ってないんですよ」 「そうか」 「○○行きに乗られると、△△駅に死角があって、逃げられちゃうケースが多いじゃないですか」 「ふむ、そうなると××卸売り市場直通に乗ってもらうしかないな」 「やむを得ませんね」 え? 何で私の所持金がバレてるんだ? それに、××卸売り市場ってどこだよ。 マズイ、これはマズイぞ・・・でも、何がマズイんだ?? ・・・・・・・ というところで目が覚めた。 このシリーズの夢は、非常に消耗する。 眠る前より確実に疲れているという実に悲しい目覚めなのだ。 そして今日は、歯医者とバイト、2つも用事がある私にしてはハードな1日なのだった。 すべり出し絶不調である。 が、しか〜〜〜し!! 夢の疲れを払拭してあまりある嬉しい出来事があったのだ。 大当た〜り〜♪ ちょっと前に書いた130万個の餃子、あてずっぽうで計算した数が、何とぴったり正解だったのである。 歯医者を出て、バイトに向かうべく駅前へ出た私は、時間に余裕があったので、例のデパートで暖を取ることにした。(今日は寒かった) そして、先日「人生走馬灯状態」に陥った餃子屋の前を通り過ぎようとしたのだが・・・お兄さんと目が合ってしまったのだ。 いけない、いけない、こんなことを・・・と思いつつ、気がついた時にはすでに話しかけていた。 「あのぉ・・・つかぬことを伺いますが・・・」 「はいはい、何ですか?」 「1日に餃子は何個ぐらい包むんですか?」 「え? 餃子ですか?」 「そうです、餃子です」 「そうだなぁ、だいたい500個・・・それ以上かな?」 「(ぴんぽぉ〜〜ん♪ 当たったじゃん!)500ですか! そうですか〜!」 「え、ええ、まあ、そのぐらいだけど・・・???」 「い、いえ、ただ、あの、その、前々から気になってたもので・・・スミマセン、ありがとうございました〜!」 と、いうわけである。 実は、「130万個の餃子」を書こうと思った時に、餃子の数を想像し、初期値を500に決めるまで、実に丸1日近く悩んだのだ。 どうにも無駄としか思えない努力が、こんな形で報われるなんて・・・。 実利は何もない。 知ったからといって、何一つ変るわけでもない。 でも、嬉しい。 ただ、嬉しい。 それだけなんだけどね。 #都合により(単に気分の問題だけど)当初アップしたタイトルを変更しました。 内容は変わってません。4/27/0:50a.m. ... 首筋 - 2002年04月18日(木) 昨夜のキリンカップ・サッカー。 何が一番気になったかといえば、西澤の首筋だろう。 サッカーファンならご存知だろうと思うが、西澤選手、ユニフォームの衿を立てて着るのがトレードマークだったのだ。 しかし、今回の日本代表のユニフォームは衿がない。 代表選考を間近に控えて、かなり気合いの入ったプレーも見せていたと思うが、衿のない西澤選手は、隙間風でも吹いているかのような風情で、どこか物足りない感じがしてしまうのだった。 個人的に、男の人の年齢が一番ハッキリ顕れるのは首筋だと思っている。 何故なら、私に「男の歳は首」ということを教えてくれた人物がいるからである。 そして、そいつがさっきやってきた。 私と同じように、寝る前にコーヒーを飲みながらサッカーの話で盛りあがれるヤツである。 今夜も、メキシコの田舎のサッカー事情やら、今回カメルーンがキャンプをする中津江村の話で盛りあがっていた。 メキシコの出張先でプレゼントされたという「メキシコ代表」の緑色のユニフォームをパジャマがわりに着て、ちょっと自慢・・という顔をしているヤツは、中学生の時とあまり変っていないように見えるけれど、コーヒーを飲むために傾けた首筋は、まぎれもなくオヤヂの貌を呈している。 メキシコ代表のユニフォームも「衿なし」だったのだ。 弟よ、お互いもう首筋は曝せない歳になったってことだね。 ... 音 - 2002年04月15日(月) ありとあらゆる機能が断線した状態から、ゆるゆると時間をかけて(たぶん別の新たなルートで)何かが繋がっていく手応えを感じる今日この頃。 しかし、壊れちゃったものは壊れちゃってるわけで、修復は容易ではない。 中でも、サウンド系は最も復旧の遅れているパートである。 ・・・これは何かの機械ではなくて、私の脳ミソの中身の話なのだが・・・ 以前はよく音楽を聴いた。 でも、今はまだ「無音」の状態が一番楽なのだ。 そういう状態だから、パソコンの音がある日突然消えてなくなっても、まったく不便は感じなかった。 そして、沈黙のパソになってから、忘れてしまうほど時間が過ぎていった。 積極的にトラブルを解消しようという気がなかったのである。 しかし、ついさっき、パソコンデスクの下で、私は見つけてしまった。 メドゥーサの髪の毛のようにねろねろと絡まっているコード類の中に、一人淋しく、ぷら〜ん、と下がっているジャックと目が合ってしまったのだ。 そのジャックは、当然、スピーカーのもので、パソの裏にある3つの穴のうち、どれかに差し込めばOK、即座に問題解決だ。 とりあえず、手近な穴に入れてみる。 ガガガガガ ふーむ、音がしてるな。 試しに、娘のところに送られてきたMP3のファイルを開いてみる。 ・・・・・だんまり。 を? ハズレだったか。 やっぱり、電源を落としてやった方がいいかな? 違う穴にジャックインして起動。 じゃぁぁぁ〜〜〜〜〜ん♪(起動音) 今度はアタリだ。 ・・・というわけで、本日、私の脳より一足早く、パソの音が復旧した。 私のアタマもこういうふうに簡単に繋がらないものかなぁ。 三つ編みの先っちょを鼻の穴に入れてみると、あら不思議〜♪ ってなわけにはいかないか。 ... 130万個の餃子 - 2002年04月14日(日) 10年前に住んでいた隣町の歯医者さんに行ってきた。 駅にして1駅しか離れていないので、この1年の間にも何回か車で通りかかったりはしているものの、駅前を歩いたりするのは久しぶりだった。 歯医者さんには、当たり前のことだが、同じ先生と同じ助手の人がいた。 最初に撮影したレントゲン写真には、今は亡き凶悪なオヤシラズも写っていた。 何となく不思議な気分になる。 この10年、何をしていたんだろう、私は。 たぶん、引越しは7回。 アルバイトを含めると10本の指では足りない種類の仕事をしてきたと思う。 同じ場所に、同じ人がいて、少しだけ年を取って、同じ仕事をしている。 そんな当たり前のことが、私には夢を見ているように感じられるのだった。 帰りがけ、駅前にある小さなデパートに寄った。 10年前、小学校に入ったばかりの娘を連れて、よく買い物にきた場所だ。 このデパートには地下の売り場がないので、1階に食料品売り場がある。 少しレイアウトが変っていたが、見違えるような変化はない。 エスカレーターの横にある餃子屋さんのブースでは、見覚えのあるお兄さんが(お兄さんというより若干おじさんに近くなってはいたが)、相変わらず黙々と餃子を包んでいた。 ますます不思議な気分になる。 私が東奔西走してジタバタしたあげく、ぶっ倒れたり寝込んだりしている間に、餃子はいくつ包まれたんだろう? かなり少なめに見積もって、1日500個×週5日勤務としよう。 他に、肉まんやシュウマイも作っていたはずだからね。 1週間に2500、1年で13万、10年で130万・・・。 130万個の餃子が、時間の流れに沿って1列に並んだところを想像すると、かなりすごい。 列の後ろの方は豆粒のようになり、米粒のようになり、それでも続いていているように見えるのだろうか。 もちろん、そのお兄さんだって、10年の間にはいろいろあっただろう。 結婚してお父さんになったかもしれないし、宝くじを当ててマンションを買ったかもしれない。 もしかしたら、黙々と餃子を包んでいるのは仮の姿で、実は社交ダンス界のスーパースターだった、とか、長期休暇にはアマゾンに行っちゃう探検家だったりするかもしれない。 でも、今は10年前と同じように餃子を包んでいるお兄さんがそこにいて、私はその姿を見ている。 逆に、お兄さんが私のことを覚えていたりすると、どんなことを思うのだろうか。 しばらく見ないうちに、この人ずいぶん老けたな〜。 でも、10年たってフラリと現れるなんて、ちょっと怪しい人だよね。 主婦って感じでもないし・・・もしかしたら某国の工作員かもしれないよな。 それとも、夜逃げ屋とか?? くわばら、くわばら、何が起こるかわからないのが世の中だからね〜。 こっちに来たら注意しよう。 な〜んて、ね。 なんでもない日常の一コマにこそ、不思議がいっぱいなのである。 ... 痛み - 2002年04月11日(木) あああ・・・ ううう・・・ いいい・・・いった〜〜〜い! というわけで、びっちサボリのバチが当たったのか、現在、歯痛の真っ只中。 痛み止めのタブレットを嚥み下しながら、ダライ・ラマ猊下の言葉を思い出す。 「自分の頭と心と体、それぞれが別のことを言っていたら、体の言うことを信じなさい」 痛みは、一番はっきりと聞える体の声だ。 こんな大声になるまで、聞えないふりをしていた私がバカモノだった。 ・・・って、いつも思うのだが、同じ事を繰り返している。 たとえば、筋力に対して体重が多くなると、腰やら膝やらがそっと愚痴をこぼしはじめる。 これは、体のつぶやき。 でも、心はもっと美味しいものを求めるし、頭はそれに合わせて上手な言い訳を用意する。 つぶやきが悲鳴に変る頃に慌てても、大抵は後の祭だ。 自分の体というのは、一番身近な「自然」だから、一番手っ取り早い自然破壊をしているともいえる。 超肥満体の野性のゾウとか、拒食症に悩む野性のヌーなどは、たぶん存在しないだろう。 まったくもって、人間の頭と心、いわゆる意識ってヤツは厄介なものだ。 そして養老先生に言わせれば、その意識ってヤツも「脳のはたらき」という体の一部なのだから、ますますややこしい。 ま、とりあえず、ややこしいことは痛くなくなってから考えることにして、保険証を枕元に置いて、今日のところはさっさと寝ようっと。 ...
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