赤い街 - 2001年03月31日(土) 試合が終わっても、今季初勝利に沸く駒場スタジアムの歓声が、ずいぶん遅い時間まで風に乗って聞こえていた。 チームの成績に関係なく、日本一を自称するレッズサポーターは、25年ぶりの春の雪にもめげず、あいかわらず元気だ。 京都の街で、あまりにも影が薄かったパープル・サンガとはえらい違いである。 浦和は、街路灯がサッカーボールの形をしている道路もあるし、試合のある日には、街中が赤い。 ここを故郷と感じたことはないけれど、ビリだろうが、J2に落ちようが、変わることなくレッズを支え続けるサポーターのいる街は、悪くないな、と思うのだった。 ... 8階のグリズリー - 2001年03月28日(水) 桜の開花とともに悪化する体調。予想された事態ではあるのだが・・・。 春休みダラダラヴァージョンの娘は、再びアキハバラへ。 予約していたスチューデント版のFLASH5を購入しにお出かけだ。 彼女が出かける間際に、東京12チャンネルで映画『グリズリー』が始まった。 私はタイトルにだけは覚えがあったが、見たことはない。(たぶん) 「おかーさん、どうなったか見といてね」 と、娘が言い残して出たので、頭痛と戦いつつ何とか最後まで見たのだが、とにかく巨大で凶暴なクマが次々に人間を襲っては食うだけの映画だった。 その後、少し眠ったらしい。 そのときの夢である。 ・・・・・・・ 凶暴なグリズリーがこの街に出没しているらしい。(あまりにもそのまんまだ) それを聞いて、出かける前に戸締りをしているのだが、そこは高層マンションの8階の部屋だ。(どうやらそこは実家らしい) どう考えてもクマだから、8階は大丈夫だろう、と、1箇所だけ窓を開けて外出する。 場面は変わって学校の校庭、娘と二人、ふと見ると、遠くに見えている実家のマンション、その8階の庇にグリズリーがいる。(その階にだけなぜか庇がある) うわ、窓開けっぱなしじゃ、クマが入るじゃないか。大変だ! と、慌ててマンションに戻ると、やはりグリズリーが窓の外をうろついている。 気づかれないうちに窓を閉めて、鍵を掛けようとするのだが、鍵が壊れていてなかなか閉らない。 あと少しで閉る、と思った瞬間、グリズリーのツメが窓と窓枠の隙間にガチっと挟み込まれた。 しまった、開けられてしまう。もうダメ、絶体絶命!! 全身に冷たい汗が流れた。 あれ? あれあれ?? でも、よく見たら、このグリズリー、良くできた着ぐるみじゃないの? 窓越しに、着ぐるみの頭をひょいとはずして出てきた顔は、知り合いのお笑いをやっているコンビ(現実にそんな知人はいない)のかたわれだった。 「よっ、ひさしぶり〜」 「あれ〜、こんなとこでなにしてんのぉ?」 「そっちこそ、なんでこんなとこにいるんだぁ?」 てなぐあいで、8階の窓の中と外で、世間話がはじまった。 「最近、地道な芸はウケなくてさぁ、ムリな営業が多いんだよ」 「ふーん、ずいぶん苦労してるんだねぃ」 「そっちこそ、ずいぶん大変そうじゃん」 「まあねぇ、お互い何かとツライってことかぁ」 8階の窓からは、遥か遠くに稜線が見え、家が密集した町並が見える。 ちょうど日も暮れかかり、着ぐるみの黒い耳の向こうに見える空は、薄いサーモンピンクになっていた。 ・・・・・・・ うら寂しい気分で目覚めたところに、娘が帰ってきた。 買い物の支払いをするために預けたキャッシュカードと明細書も帰ってきた。 明細書に記された残高は30円だった。 グリズリーをかぶって営業できる身の上の方が、まだマシかもしれない。 ... レンズ交換 - 2001年03月26日(月) 一昨日、図書館で借りてきた写真集『星野道夫の仕事 第1巻 カリブーの旅』(朝日新聞社)と、昨日、近所の本屋さんで見つけた『イニュニック[生命]アラスカの原野を旅する』と『ノーザンライツ』(新潮文庫)を見たり読んだりしていた。 どうしてこんなに惹かれるのかわからないけれど、とにかくアラスカの大地と、そこに生きるもの(人間を含む)に感動している。 十数年前、はじめて海外に行き、ロスからアリゾナのフェニックスまでドライブしたことがある。 延々とまっすぐに続く砂漠の中の道を何時間も走った時、自分の中の「広さ」の概念が更新されるのを感じた。 自分の目のレンズを、真新しい広角レンズに替えて物を見ているような気持ちだった。 映画やTVで見たことのある風景ではあるけれど、ライブで感じた空間の広がりは、想像を絶するものだったのだ。 その経験を反芻しながら、アラスカの広がりを思うとき、自分の目のレンズの限界を遥かに越える広がりなんだろう、と想像するより他ない。 いつの日か、アラスカの大地に立つことを夢見ていると、想像のうちにも、レンズはどんどん広角になっていく。 というところで、ふと、TVをつけて見ると大相撲をやっていた。 アラスカサイズ(想像値)のレンズのままで相撲を見ると、とっても奇異なものに感じる。 小さな円の中の変な髪型の裸の大男も、真中に立っている人形のような小さな人物も、正気の沙汰ではない映像に見えてくるのだった。 普通なら、本を閉じ、TVをつけた段階で、頭の中でレンズが切り替わるのだろうが、ほんの少しそのタイミングがズレた。 ほんの少し見る目がズレただけで、狐につままれたような感覚になってしまう。 あたりまえと思って見ていたことが、とんでもなく有難いことに見えることもあれば、奇怪なものにも見えることもある。 昨秋、オリンピックを見ていて、時々その感覚に襲われた。 シンクロナイズドスイミングを見ていて、解説者が「綺麗です、すばらしいです」と言うのだけれど、水面で大股開きをしている脚の列は、どうにも美しいものには見えないし、作り込んだ笑顔で水中に没して行くラストは不気味だ。 やはり、正気の沙汰とは思えなかったのだった。 なんてことを考えているうちに、立行司の木村庄之助さんが50年の勤めを終える旨のアナウンスが聞こえてきた。 あの丸の中で、半世紀もの間ジャッジメントしてきたのか、と思うと、こんどはズームレンズのように、時間軸をぎゅーーーんと動かされた。 極北の自然の大きな営みから、土俵の上の細かい約束事を司る人の人生まで。 今日はホントにレンズ交換の忙しい日だった。 ... 避桜地 - 2001年03月22日(木) 開花まであと5日、と、昨夜のニュースが伝えていた。 桜の気配が、すぐ背後に迫っている。 逃げ出したい。 避暑地や避寒地があるのだから、避桜地というものがあってもいいだろう。 できれば、桜の季節を、桜のない土地でやり過ごしたい。 桜が嫌いなわけじゃない。 むしろその逆で、西行ほどではないにしろ、桜を思う気持ちは強い。 人がその一命を預けるのに足る存在かもしれないと思っている。 だからこそ、なのである。 目が弱っている人に、強い光が苦痛であるように、 また、消化器官が弱っている人に、お酒やごちそうが禁物であるように、 心が弱っている人間に、桜花の刺激は強すぎる。 春になれば、と人は言う。 いのちの息吹が満ちる春になれば、病む人もまた元気を取り戻すだろう、と。 しかし、ときには花の気配に脅え、季節に遅れて降る雪の、その仄白さに安堵することもあるのだ。 枕元に贈られる花が、必ずしも励ましになるとは限らないということ。 この先、誰かを見舞うことがあるかもしれないが、このことは肝に命じておこうと思うのだった。 ・・・・・・・ 奥様、避桜は、やはりラップランドになさいますか? マダガスカルのコテージも用意させておりますが そうね、セバスチャン 今はまだ、雪と氷のほうが望ましいんじゃないかしら かしこまりました さっそくラップランドのスミラにメイルいたしましょう お嬢様のカンジキの修理など、済んでいるかとは存じますが 確認いたしますので、あと半日ほどお時間を頂戴させてください 結構よ、セバスチャン 花が靖国に来るまでに発てれば問題ないわ ・・・・・・・ なんちゃって、セバスチャン、現実は、どうしよう? もう時間がないぞ。 ... 開かずの窓 - 2001年03月20日(火) なんとなく空気がざらざらしている。 花粉ばかりでなく、砂ボコリも強い風に運ばれていたようだ。 花粉症の娘はもとより、私まで、鼻の奥と喉の境目あたりがいがらっぽくて、とても窓を開けられなかった。 晴天の春の祝日に、窓を閉めきり、ハナをかんだティッシュが、みるみるうちにこんもりと白い山になる娘とふたり、当面の敵、花粉とホコリ掃討作戦を展開したのだが、一向に士気は上がらず、ぐずぐずと家中の拭き掃除に半日を要したのだった。 それから、残りの半日は、パソコンの前にいた。 昨日アキハバラで、機能も使い勝手も申し分ないのだが、お値段が可愛くない Photoshop6を諦め、アカデミックより安いキャンペーン価格につられて購入した、Fireworks4を、娘のパソコンにインストールしたのだ。 まず、チュートリアルを試そうとしたら、2回フリーズした。 で、アプリケーションの強制終了の仕方を知らないことに気づいた。 自分のMacなら、数えきれないほど強制終了したり、強制再起動したりしているから、考えなくても押すべきキーは指が覚えているが、娘のFMVではやったことがなかったのだ。 考えてみれば、FMVの取説なんて、真剣に読んだことがない。 というか、Winマシンの知識がまったくないに等しい。 ワードやエクセルやアクセスというアプリケーションを使って作業したことはあっても、システムがどうなってるかなんて考えたことがない。 じゃあ、Macなら詳しいのかといえば、こちらもさっぱりだ。 いまどき、OSが漢字TALK7.5.5のPerformaユーザーなんて、三葉虫みたいな存在だろう。 結局、自分はパソコンっていうものの現状が、全然わかっていないのだ、ということに思い至ったのである。 そういえば、昔々、『今夜わかるMS−DOS』という本を買ったが、未だに最初のページに書いてあった「MS−DOSはエムエスドスと読みます。ムスドスと読む人がいらっしゃいますが、それは間違いです」という一文しか記憶にない。 いろいろなパソコンを使って、いろいろな仕事をやってきたよなぁ・・という自分の記憶は、もしかしたら間違いじゃなかろうか、とまで思えてきた。 やれやれ。 ・・・・・・・ それにしても、このWindowsって、いったいどうなってるんだ? 開かずの窓じゃ困るってば。 ゴマじゃ・・ダメっすか? ダメ。あ、そう。 ... 黄色いドア - 2001年03月18日(日) 土曜日は、久々のお出かけだった。 電車に乗るのは2月28日以来。 人に会うのは、たぶん去年の暮れ、前述のブラザーズに会って以来のことだと思う。 谷中にある猫町ギャラリーで、楽しい午後のひとときを過ごさせていただいた。 やっと「現実」の日記が書けると思って喜んでいたのだが、これが難しい。 半年も世間との交流がない廃人セイカツをしているせいか、はたまたやっかいな記憶障害のせいか、どうにもまとまらないのだ。 チップくんの背丈が、蕎麦屋の暖簾ギリギリだったこととか、マナちゃんのスニーカーの底がかわいかったこととか、雷娘さんのマスカラがきらきらして、とても綺麗だったこととかが、フラッシュバック状態。 どうやら、起こった出来事に対して、私の脳ミソは完全にメモリー不足、ファイルの断片化が進んだみたいだ。ノートン先生が必要かもしれない。 で、今朝方見た夢では、左ハンドルの黄色いVOLVOを運転していた。 そう言えば、ノートンユーティリティなどのソフトを作っているシマンテック社のパッケージはみんな黄色だ。 夜道での地味なカーチェイスだったのだが、窮地を脱したところで、なんか変な感じがして車を止めると、右のフロントドアがなかった。 助手席には、小学校低学年サイズの娘が、平然とした顔で座っている。 ドアがもげたことに気がつかなかったのだろうか? でも、娘はそういうヤツだ。 ちなみに、某サイトで鑑定した彼女のサバイバル度は100%である。 車を降りて確認すると、遥か後方に、水銀灯の光に照らされて、黄色いドアがぽつんと落ちている。 しーんと静まり返った路上、夜風がプラタナスの落ち葉をカサコソと転がしている(季節は秋なのか?)。 なんてこった、VOLVOの修理は高くつくんだ、と、深いため息をついたところで目が覚めたのだった。 そんな日曜の昼、もげてしまった黄色いドアみたいに、遥か後方に意識を落っことしたまま、囲碁講座を見ても、身につくわけないよなぁ・・・。 ... Bros. - 2001年03月17日(土) 眠ること以外に出来ることがないので、本日も夢日記。 やはり、精神的にかなり参っていたらしい。 ついに「さっくり」レスキューで、Bros.(ブラザーズ)が、夢の中にご降臨である。 Bros. は、実在するスペシャルな友人たち、実のご兄弟だ。 どれぐらいスペシャルかというと、幻の野性保護動物クラス。 私の場合で言えば、もし彼らと知り合ってなかったら、すでに3回は死んでいるだろうと思う。 命の恩人の Bros. なのだ。 万が一、彼らが不幸せになるような事態が起きるぐらいなら、この地球は滅亡した方がいい。 で、夢の中身だが、ディティールはだいぶ薄れてしまったけれど、彼らと、彼らの友人たち数人と、食事をする場面だった。 当然、私が調理人なのだが、その料理が前代未聞のシロモノ。 天井の低い、小さ目の体育館みたいな部屋。 書初めに使う半紙ぐらいの大きさの鉄板が、床に直接嵌め込まれていて、5〜6枚並んで熱せられている。ビルトインホットプレート付きフローリング、ていう感じだ。 その鉄板を使って、薄いお好み焼きのようなものを焼くのだが、鉄板の大きさぴったりに、四角く焼くのが正しい焼き方。 片側に焦げ目がついたところで、短い方の辺同士をきちんと合わせて二つ折りにして仕上げるのだ。 どうやら、夢の中では、私の自慢のレシピらしい。 じゅうじゅうと焼ける謎のごちそうの間で、彼らは三々五々TVゲームをしていたり、バカ笑いをしたりして、焼きあがった順にばくばく食べながら、また遊ぶ。 そんなダラダラした宴会が、夜を徹して繰り広げられたのだった。 ちょっと不思議で、しあわせな気持ちだった。 夢の中でも助けてもらちゃったなぁ。 感謝してます、Bros. ... ハサミ - 2001年03月15日(木) 散髪してきた。 先週は出かける用意までしたのに、玄関までたどりつけずに挫折したけれど、今日はちょっと頑張ってみた。 土曜日にお出かけできたらいいな、という思いが背中を押してくれたような気がする。 そういえば、伸ばしていた髪を、去年の夏に切ったときの友人のコメントが凄かった。 「貞子からお菊人形になったみたいっスね」 う〜みゅ、どっちもバケモノじゃないか・・。 ま、それはさておき、今日の話。 まだ「さっくり」を引きずっているせいか、今日はハサミに異常な反応をしてしまった。 早い話がおかっぱ頭なので、襟足と前髪を揃えてもらうわけだけど、ハサミが動くたびに、全身に震えがきちゃったのだった。 しょり〜ん ぶるぶるっ しゃき〜ん ふるふるっ これじゃ、切る方も困るだろうな、と思って、震えないようにしようと思うんだけど、緊張するせいか、全然止まらない。 美容師さんの奮闘もむなしく、前髪はかなりギザギザです。 ... 林檎 - 2001年03月14日(水) 昨日の日記について、掲示板にいただいたひとことから、刺した時の「さっくり」はどんな感じだったんだろう、と思い出してみた。 最初に思い浮かんだのが、林檎の「さっくり」だった。 でも、もう少し乾いた感じだったような気もした。 昔、美術の仕事で、発泡スチロールを削っておおまかな形を作ったときのことを思い出して、あの感触にも似ていると思った。 それから、なんとなく、同じ刺すなら、発泡スチロールじゃなくて、林檎の方がいいな、と思ったのだった。 もし、覚悟を決めて刺したのが、発泡スチロールだったら、ちょっとやりきれないかもしれない。 林檎の「さっくり」の中には芯があって、種子がある。 芯まで貫く一撃を、って思うのが殺意なんじゃないのかな。よくわかんないけど。 でも、できれば、ナイフじゃないものが届いた方がいいよね。 写真とか、絵とか、歌とか、あったかいごはんとか、言葉とか、笑顔とか・・・ 芯まで届いて、種子に触れられる、暴力以外のものが、きっとあるはずなんだけどな。 いつか、本当に人を刺したくなったら、林檎の「さっくり」を思い出そうっと。 ... Nightmare before spring - 2001年03月13日(火) ついにやってしまった。 ナイフでぐさり。 二人も刺しちゃった。 ・・・という夢だった。 マイアミに修学旅行中に(外の景色はマイアミなのに、超高層ホテルの部屋は畳敷きで、100円入れるTVがある)ハリケーンが来て、大津波が押し寄せる。 とか、 ブレードランナー風の近未来都市を彷徨中に、高性能なんとか爆弾が背後で炸裂、爆風に飛ばされている。 とか、とか、 荒唐無稽な夢はよく見るけれど、殺人(未遂かも?)は初めてだ。 実際に人を刺したことがないせいか(あたりまえだが)、こう、なんというか、手応えがない感じがもどかしい。 夢の中では明確な殺意があって、かなり覚悟して刺しているのに、妙にさっくりした感触で、これじゃ致命傷にならない、と焦っている。 実はナイフを買った店も特定できる。 京都で講座を聞きに行っていた六角会館の隣りにある老舗の刃物屋さんだ。 もちろん、実際に買ったわけじゃなくて、夢の中の出来事。 なんだかなぁ。 こないだは、空を飛ぶ夢で、今までの高度記録(電信柱のちょっと上だった)を一気に塗り替え、成層圏に浮かんで、雲海を見下ろしていたし、病人たるもの、おとなしく眠るのが仕事とはいえ、なかなかツライ日々である。 上田三四二の歌集の中にこんな歌があった。 睡りとはからだを神にかへすことこころは夢ににごりてあれど 界こゆるおもひいくたび彼岸此岸のけじめ淡つけきところ梅咲く 式子内親王はこんな短歌を詠んでいる。 見しことも見ぬ行末もかりそめの枕に浮ぶまぼろしの中 ・・・・・・ いかん。この状態は、月のない夜の山道より暗いぞ。 楽しくお風呂に入れるように、と、娘が買ってきてくれた、ぜんまい仕掛けのピンクのクマのおもちゃ“お風呂で食った食った”と一緒に、お風呂にでも入ってこようっと。 だいたい、バナナの皮が自分でむけなかったり、缶コーヒーのプルトップを開けられなかったり、割り箸が割れないような体力じゃ、虫一匹殺せない。 鍛えなきゃ。(なんか違う) ... 右肩 - 2001年03月09日(金) まっすぐに立ったつもりで自分の姿を見ると、かなり右肩が下がっている。 以前から気付いてはいたけれど、相当歪んでいるなぁ。 なぜ急に右肩か、というと・・・ 本日、突然、痛かったからだ。 それも、息がつまるぐらいの鋭い痛み。 それはほんの一瞬で、後には少し重い感覚が残る。 たぶん、普通に暮していて何でもなければ、身体の部分なんて意識することはないだろう。 目にしろ、歯にしろ、痛んでいる時だけ、「ああ、歯が」「うう、目が」と思うのだ。 ちなみに、私は肩が凝らない。 徹夜で針仕事をしようが、ディスプレイを凝視して入力作業をしようが、肩コリにはなったことがない。 だから、突然、肩が痛んだりすると、びっくりしてしまうのだった。 以前に1度だけ、こういう風に痛くなったことがある。 そのときは、ちょっと特殊な状況下だったのだが、今日は特に変わったこともない。 いったい何? 何かあったの? 今、写真を撮られるのだけは避けたい気分。 いや、いっそアンビリーバボーに出演する方向で、前向きに検討するべきか? っていうか、あんた、誰? ・・・・・・・ なーんて、もし、見えちゃったら怖いだろうな。 あー、霊感なくてよかった。 ... セバスチャン - 2001年03月06日(火) 我が家でセバスチャンといへば、執事のセバスチャンである。 『日の名残り』のアンソニー・ホプキンスも素敵だが、ウチのセバスチャンは、どちらかといえば、白子のりのお茶漬けが好きな伊東四朗に似ているので、温かみのある容貌をしている。 「トチになさいますか? アカシアもお持ちしておりますが」 「そうね、今日は、くせのない方がいいわね」 ヨーグルトに添える蜂蜜を選ぶのはセバスチャンの仕事だ。 家全体の執務を司るセバスチャンが、直接細かい家事に関わることは稀なのだが、これだけは、料理人にも小間使いにも任せることなく、温室の隅の小さなテーブルまで運んできてくれるのだ。 その日の天気、私の体調に合わせて、蜂蜜の種類も量も、決して間違ったことはない。 あらかじめ完璧な解答を持っているのに、必ず私が選んだように事を運ぶのがセバスチャンのセバスチャンたる美しいルールなのである。 飾りのない銀の匙で、淡い金色のトチ蜜を螺旋に落としながら、セバスチャンは私が作業をしていた小さな植木鉢に目をとめた。 「ネコヤナギの“ぽん太”でございますね」 「そうなの、枕元の一輪挿しの中で、いつのまにか根が伸びていたから、挿し木にしてみたのよ」 「それはようございました」 こんなふうにセバスチャンが話しかけるのは、硝子の屋根を通して、青い空の中ほどに半月が見えるからだろう。 その白く浮かぶ月を見ると、私が悲しむことを知っているから、空を見上げないように、私の目を地上にとどめておくように、さりげなく教えてくれているのだ。 ・・・・・・・・・・ もちろん、ビンボーな母子家庭に執事なんぞ存在するワケはない。 執事のいるセイカツを夢想しようにも、考えつく贅沢の限界がヨーグルトと蜂蜜だったりするのが悲しい。 毎年この時期なのだ。 確定申告の用紙の前に座ると遠い目になってしまう。 もしセバスチャンがいたら、確定申告なんか朝飯前なのになぁ。 ... ブラックとノワール - 2001年03月02日(金) 一念発起、意を決して、決死の覚悟で(大げさのようだが体力的には大真面目)娘と映画を観に銀座に出た。 公立高校の受験とその採点のために彼女は4連休、なおかつ、水曜日はレディースデーとかで1000円でロードショウが観られるのである。 休み明けに学年末テストがあるらしいが、2人合わせて1300円もお得になる映画鑑賞のチャンスを逃す手はないだろう(たぶん逃がすのが人の道だが)。 『レオン』以来、ジャン・レノの大ファンである彼女のリクエストで、本日の映画は『クリムゾン・リバー』だ。 春休みの『ドラえもん』、夏休みの宮崎アニメから、いつの間にここまでたどりついたのだろうか。 しかし、本日の敵はフランスだ。 ハリウッドとはちょっと違うぞ、大丈夫か? 黒いっちゅうてもブラックやないねんで、ノワールや、ノワール。 仏映画を観ていて、昔から思うことがある。 じゅぶじゅぶぬ〜る、くわ、え、とわ、え、さ、ほい、さ、ういうい、こまんたれぶ・・・ と、延々と語る台詞の長さに較べて、字幕の文字が短かすぎる気がしてならないのだ。 たぶん、語っていることを全部字幕にしたら、スクリーンいっぱいになってしまうので、ものすごく苦労して、ムリヤリ短くしているんじゃないだろうか。 そうでなくてもひねくれてるものを、はしょってあるんだから難解になるんじゃないの? と、自分の語学力のなさとおつむの弱さは棚に上げつつ、かれこれ40年も仏映画とつきあっているのだが・・・。 さて、本日の『クリムゾン・リバー』。 展開が早くて、映像も凄くて、そんなに語らないし、ジャン・レノもヴァンサン・カッセルもかっこいいんだけど、ディティールで暗示されるヒントの多さ、複雑さに較べて、その解があっさりしていて少なすぎる。 ぐちゃぐちゃするなら、いつものようにぐちゃぐちゃしてくれた方がいいし、スパッといくなら、複雑なモザイクをちらつかせないでほしい。 う〜みゅ、これは、どうしたものか・・・。 隣りには、おでこにクエスチョンマークを点滅させつつ「ジャン・レノ、老けたねぇ」とつぶやく娘・・・。 結局、原作本を買った。(おいおい) 小説を読んでみると、何とか帳尻が合った。 テストが終わったら娘にも読ませることにしよう。 同じ黒といえども、ノワールには、ブラックにはない「ややこしさ」があるんだよ、おい、聞いてるかい? そこのアイス食べてるお嬢サン。 うむ、そーなのだ。世界は広いぞ、がんばれワカモノ! おかーさんも、一人でお出かけできるようにがんばるからさっ! ...
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