ゆりあの闘病日記〜PD発症から現在まで〜

 

 

有機物 - 2001年12月27日(木)

再検査の結果はどうにもはっきりしなかった。しばらく様子をみなければ何ともいえない、と。しばらくは心定まらず呆然としたまま日々を機械的に過ごしていた。黙々と仕事をこなし家に帰れば横になって過ごした。もはや家事など気にも留まらなくなり、夫との間には言い争いが絶えなかった。何もしない私の代わりにすべてをこなしてくれる夫に感謝する気持ちすら湧いてこなかったのだ。
始まりがあれば必ず終わりがくる。当たり前のこと。その事象自体は何も恐れることではない。未だに魘される夢。子供たちがあどけない顔で私をじっと見ている。無表情にただ私の顔を覗き込んでいる。それだけの夢。汗びっしょりになって飛び起きる。私が生涯背負うべき罪。私が消えたら心の子供たちは何処にもいなくなる。それが、悲しかった。

治療の一環として、市川先生が定期的に開いているセミナーのお手伝いをすることになった。素人に手伝わせるとは医師にしてはなかなか奇抜な先生だ。おっしゃることには「他人を観察することで貴女の問題であるセルフコントロールの極端さを」云々。よく解らないが先生の指示に従う。
基本的には森田式の習得セミナーなので、参加者は比較的軽い症状やほぼ「思い込み」に近い人々が殆どである。最初はムカつくことが多かった(勿論表には出さなかったけれど)。「私って繊細だから」と自分で言う人に繊細な輩はいない。自らの欠陥を認めずすべてを周囲のせいにしようとする中年サラリーマンよりは虚ろな眼の主婦の方が症状は酷い。
上手くいかないことがあるとすぐにリストカットに走る女子高生。ためらい傷の嵐。これは所謂リストカット症候群とは明らかに違う。家庭の歪みや成長過程での虐待などは存在しない。単なる逃避と甘えと自己顕示欲だ。自分に気づいて欲しければ他にいくらでも方法があるのに。対外的に傷つきたくないから自分を傷つける。社会の壁を破ろうとしないのだ。
二言目には自殺をほのめかす若い女性。彼女は死を崇高で甘美なものと捉えている節があった。自分の葬儀の場面を空想する類だ。所詮人間なんて死んでしまえばただの肉の塊。臭くて汚い肉塊に過ぎない。そして心は消滅する。否、もとより心とは存在ではないから、魂が残るなど有り得ない。それは残された者の未練と願望に過ぎない。私は叔父が死んだ時のことを自然に思い出していた。

叔父といっても叔母の夫であるから血縁関係はない。彼は考え抜いた上で自殺した。会社の経営にいよいよ行き詰まり、自分の生命保険金から返済金を捻出しようとしたのだ。もちろん子供たちの進路や結婚をきちんと見届け、身の回りを整理整頓してから遺書を残し自らの会社で首を吊った。週明けに社員が発見して、緊急連絡先になっていた我が家に電話がかかってきた。叔母の家は全員が社会人の働き者家族だから、隣家の我が家が連絡先だった。よく考えれば先に救急車か警察をよんでおいて欲しかったが、社員さんも動転していたので責められない。
叔母の姉かつ叔父の同級生だった母と当時大学生だった私は慌てて叔父の会社へ駆けつけた。叔父は天井に近い梁からぶら下がっていた。排泄物が床を汚し、顔は二目と見られない状態で、悪臭が立ちこめていた。それはかつて叔父であった物体だった。明らかに死後数十時間が経っていた。母と私は救急車を待たずに、ロープを包丁で切って、重い筋肉質の身体を二人がかりで引き摺り下ろした。それは単に重くて硬い肉塊に過ぎなかった。悪臭に吐き気を堪えて警察が到着するのを待った。
叔父は昔から明るく優しい人だった。料理が上手で日曜日には煮物を作ってくれた。しかしその物体は既に叔父ではない。現実の死を目前にして感傷は皆無である。葬儀の際、号泣する叔母一家の横で棺を覗き込み、飛び出した各パーツが何とか収められ、穏やかそうな顔に整えてあるのを見て、泣くどころかホッとした。葬儀屋さんの技術は本当に凄い。

かの自殺願望の女性は何度も線路に飛び込もうとしたという。線路に飛び込んだ後に肉片を片付ける人々の苦労を考えた上でそうしようというのか?遺族が鉄道会社に支払う莫大な賠償金は工面してあるのか?そんなに繊細なら、単なる身勝手で大勢の人に迷惑をかけ悲しませても平気なのか?
もちろん彼らを馬鹿にしているのではない。死にたがり屋の方々に、生きたくても生きられない人間の気持ちを思え、などと説教じみたことを言うつもりもない。彼らも私も今道ですれ違った見知らぬ人も紙一重なのだから。検査結果を聞いて以来、多少見失っていた自分を振り返る機会を得たのは彼らのおかげでもある。
自らの意志にしろ不可抗力にしろ必ず訪れる死。ただそれは決して美しく特別なものではない。ただの一事象に過ぎない。綺麗事に逃げずに現実を直視し、周囲に極力迷惑をかけずに最期まで思いのままに全うするしかない、と決意を新たにした。限りある命としてこの世に生を受けたからには。
それが自分にも心の子供達にも最良の方法であると信じて。

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