ゆりあの闘病日記〜PD発症から現在まで〜

 

 

発覚 - 2001年06月16日(土)

近所の個人クリニックは、本当に小さな病院だった。こじんまりとしたパステルピンクの待合室には観葉植物が2鉢。先生が1人、看護婦さん兼薬剤師さんが1人。それがすべてだ。
でも流石に帝京大学の内海先生が薦めるだけのことはある。患者は常にいっぱいだ。7人しか座れないソファが空いていた例がない。軽く30分は待つ。それでも総合病院に比べたら早いものだ。自分の順になると、先生が待合室まで自ら患者を迎えにいらっしゃる。最初はこれに驚いた。これも治療の一環ということなのだ、と気がついたのは随分後になってからのことだった。

市川先生は40代半ばの品のいい物静かな方だ。初診の際。どうぞ、とすすめられた椅子に腰を下ろすと同時に、内海先生からの紹介状を渡す。社封筒に封印がしてあって私に内容はわからない。市川先生は暫くの間しげしげと診断書と紹介状に見入っていた。
そして顔を上げると微笑みながら私の顔を覗き込むようにしておっしゃった。「一緒に頑張って治療していきましょうね」普通の会話なのに、その口調があまりにも優しくて、なんだか涙が出そうになった。先生の人柄が伝わってくるようだった。
それから初診に必須の質問やテストが1時間位続く。当然その間、先生は他の患者さんを診察しながら時折私の様子を見にいらっしゃる。「ゆっくりでいいですよ」ここまで気を遣われるのには慣れていない。ちょっと面映い。

内容はもう何度もやってきたことだ。当然同じ診断。しかし今回はそれだけでは終わらなかった。「では次にこの病院へ行ってコレを受けてきてください」渡されたのは近所の総合病院の人間ドッグ&脳ドッグ受診証だった。「では今日はこれで。薬は以前と同じものと、あと新しい薬を処方しておきますね」新しい薬?思わず訝しげな表情が表れてしまったのだろう。先生はゆっくりと説明してくださった。
「あなたがこれまでずっと飲んできたお薬は、主に症状を抑え込む薬ですね。抗精神薬。いわゆる精神安定剤です。これが少し強すぎる。逆に症状を改善する薬、こちらは向精神薬。俗に言う抗鬱剤です。この処方が少ない。これはおそらく副作用が強く出てしまったためでしょう。最近、症状を改善する薬で副作用の出ない新しい種類のお薬が出たんですよ。それを試してみましょう」
次回の受診はドックの結果が出る2週間後と言われた。

ドックを受け、2週間後に市川先生のところへ行った。凄い混みっぷりだ。基本的には予約制だけど、急に具合が悪くなって飛び込みでやってくる患者さんもいる。待ちさえすれば先生は診てくれる。そんな場面でも総合病院との違いを痛感する。
20分ほど待っていると、先生が名前を呼びながら迎えに来てくださる。他の患者さんと同じ。そして診察室に入る・・・はずが、その横のSTAFF ONLYの部屋へと導かれる。ドアが閉まった瞬間、にこにこ笑顔の先生の表情が急に引き締まる。「深呼吸してください」言われるままに息を大きく吸って吐く。「それでは先日の検査の結果からお話ししますね」黙って頷く。並べられた心臓や脳の断面図のレントゲン写真にライトが当たる。自分のものと分かっていてもなんだか不気味な感じ。ボーっと写真を見る。これがどうかしたんだろうか?
「まず脳に問題が発見されました」「はぁ?」「脳細胞の一部に壊死らしき影が見られます」壊死という漢字がすぐには脳裏に浮かばない。「それはつまりどういうことでしょうか?」先生は一瞬躊躇した後、ゆっくりと一言ずつ仰った。「まだ、はっきりとは断言できませんが、総合的に判断して、若年性アルツハイマーの可能性を否定できません」

病に疎い私でも、それがどういうことかくらいは解る。脳細胞は徐々に破壊され、再生できない。つまりは廃人になる。そして治療法は発見されていない。それくらいの知識は持っていた。自分もそうなるということなのか。これまで味わったどんな苦痛をも瞬間に超越し、私は本能的に無感情になっていた。
「・・・殆ど起こり得ないケースですが・・・治療が10年近く・・・長引きすぎたため・・・無理をしすぎて・・・細胞検査をしてみないと・・・」先生の説明は続いていたが、遠くの雑音にしか聴こえなかった。私は無表情のまま、先生に身体を揺さぶられるまで姿勢を正してただ呆然と座っていた。
大袈裟なのは大嫌いだ。でも、みっともないけど、らしくないけど、このときは本当に時間が凍った気がした。

処方薬:メイラックス・パキシル・リーゼ

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