NORI-☆
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条件反射
地元の駅のコンコース(というほどのスペースでもないが)に、 ときどきワゴンセールというか、 出張販売の簡易店舗が出ていることがある。 定期的に来ているのは、 よくターミナル駅の地下道などにも出ている安売りのCDの店と、 なぜか沖縄物産を売る店。 年末になると注連飾りやお正月花を売る店が出ることもある。 今週は安売りCDの店が出ていて、 高いラックを4本並べてジャンル別にCDを陳列し、 CDラジカセで中の1枚を流している。 この手の安いCDの品揃えは決まっていて、 版権が切れたオールディーズのオムニバスアルバムとか 演奏家が定かでないクラシック、 ムードミュージックやJAZZなどである。 時に掘り出し物があるらしいが、 私はあまり真剣にラックを探してみたことはない。 ただ、流している曲はけっこうポピュラーなものが多いので、 改札を出て駅を通り抜ける間に、 すっかりその懐かしのメロディが刷り込まれていて、 家に帰る途中、口ずさんだりしてしまうことはあるけれど…… 昨日の帰りの「只今演奏中」ナンバーは、 名前も知らないモダンジャズだった。 ボンボンボンボン ボンボボン。。。 というお腹に響くベース音がマイナーコードを運び、 そこへピアノが独特のシンコペーションのリズムで 不協和音を含んだメロディーを乗せていく。 何の曲、とはいえないけど、ああ、ジャズだな、 というあの(ってどの?)感じである。 私の場合、この手の「夜」っぽいジャズが流れると、 決まって、頭の中で再生されてしまう歌がある。 ♪闇に隠れて 生きる 俺たちゃ妖怪人間なのさ お洒落なジャズファンには決して言えない邪道な条件反射だが、 私と同じくらいからちょっと上の世代の大部分にとっては、 幼い日に
あの
番組のエンディングでこの曲を聴いたことが、 紛れもない“JAZZとの出会い"であったに違いない。 (いつだかトーク番組でデーモン小暮も言ってました) ♪人に姿を見せられぬ 獣のようなこの身体…
……はやく人間になりたぁ〜い………
子供心にも彼らの悲哀が伝わってきた名曲である。 さて、この曲の場合 ベース音とコード進行が引き金になっているが、 特定の曲を呼び起こすキーは、 私の脳の中にけっこういろいろ刷り込まれている。 それは、ひとつの曲を特定するにはあまりにも ありがちで断片的な要素でありながら、 ふと思い出されたが最後、その曲のイメージから 離れられなくなってしまう。 記憶のメカニズムの不思議さ、面白さである。 例えば、タン・タタタ タン・タタタという3連符のリズムが、 ふと「水戸黄門のオープニング」に聞こえてしまうと、 その先にどんなメロディが続いていようと、 どうしても続けて タン・タタタ タン・タタタ タン・タタタ タタタ タタタ と歌わずにはすまなくなってしまうような。。。。 それって、やっぱりヘン? なのかなぁ……
2001年08月28日(火)
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五段活用?
サトシは歌が好きで、 かなりいい耳をしている。 聴きかじった歌を口ずさむということはよくあるが、 サビの部分しか覚えていなかったり 歌詞が聴き取れなくて鼻歌だったりするものである。 しかし、サトシは数回聴いて気に入れば、 かなり正確にフルコーラス歌詞つきで再現してみせる。 半音多用の複雑なメロディラインや前奏・間奏まで しっかり把握して歌うので、びっくりさせられることが多い。 ひらがなと英数字はかなり自由に読めるようになったとはいえ、 歌については耳から入る情報がすべてで、 歌詞の字幕などは一切見ていないらしい。 もちろん子供のことで、知らない言葉や英語などは 意味不明(だが確かに音は似ている)な言葉に 置き換わっているのがご愛嬌だけれど、 サトシが歌うのをきいて、 「ああ、あの歌はそういう歌詞だったのね」 と思うことも少なくない。 ところで私は、歌を聴くと歌詞を精読してしまう、 つまり、言葉の意味を考え解釈しよう性質があり、 意味が通じない、掛り受けがおかしい、 助詞が違う、目的語がない……と 日本語がおかしい歌と感じる歌には、 どんなにメロディがよくても違和感を感じてしまう。 倒置・省略・比喩・語呂合わせといった 詩ならではのひねりのある表現ではなくて、 単純に日本語の構成としておかしい、と感じる歌詞が 最近とても多いように思うのは、私だけだろうか。 それはまあいいとして。 そんな母の血を受け継いでか、 サトシもけっこう歌詞には敏感で、 一通り歌えるようになると、 「ママ、○○○○って何?」と歌詞の 意味や解釈を尋ね、着々と語彙を増やしている。 そんなサトシの最近のお気に入りは 歌詞を全部反対の意味にする替え歌である。 例えば、とっとこハム太郎のエンディングなら ♪言いたいこと Uuu… 何でも言える テストで100点取れちゃう か・も・ね ライバルチーム Uuu… 絶対勝てる 逆転ゴールも決めちゃう 。。。 を ♪言いた
くない
こと Uuu… 何でも言え
ない
テストで100点取れ
ない
か・も・ね ライバルチーム Uuu… 絶対勝て
ない
逆転ゴールも決め
ない
。。。 ということになる。 まあ、それも言葉を操る能力のひとつということで、 母はけっこう面白がって聞いているのだが、 ある晩、サトシがこう歌ったのには笑ってしまった。 ♪ 眠ら
ない
〜 眠ら
ない
〜 子リスたち〜 おもてにゃ みみずか
ない
…… 「みみずかない???」 この歌は知っている。サトシの音楽教室でやっている 『リスの子守唄』だ。否定形でない元歌は、 ♪ 眠れ〜眠れ〜 子リスたち〜 おもてにゃ みみずく 鳴くばかり ♪ 「サト、“みみずく”は動詞じゃないから “ない”はつかないよ〜(笑)」 母の指摘の意味がわかったのかどうかは知らないが、 何か間違いを指摘されたということが恥ずかしかったのか、 サトシは即座に 「あっそうか〜(^^;)」 と言って、 「ヒャ〜〜!」 と奇声を上げながら布団の上を転げ回っていた。 みみず-か-ない/みみず-き-ます/みみず-く/ みみず-く-とき/みみず-け-ば/みみず-け/ なるほど、「みみずく」が鳥の名前だと知らなければ、 五段活用の動詞ととらえることもできる。 (前後の脈絡と切り離せば、だけど(笑)) 活用語を逐一否定形に直していくという替え歌の法則 からすれば、まったく正しい操作なのである。 未然形の活用語尾も正しい。 本人はそれと知らず、正しい文法を身につけている! 母は密かな満足を覚えてにんまりした。 (サト、さすがはママの子……) 馬鹿親な思いをかみしめつつニヤリとすると、 再びさっきののどかな歌声と、 転げまわって照れる様子が思い出されて、 思わず口元が緩み、 「…みみずかない……ぶわはははは…」 と大声をたてて笑ってしまった。 身の置き所がないという感じで 照れて小さくなっていたサトシは、 母に笑いの追い討ちをかけられて、 「もう!そんなに笑わないでよ〜!!(--#) 」 とふくれていた。
2001年08月21日(火)
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SPF50、恐るべし!
お盆を含む一週間(土日含めて9日間)は、会社の一斉夏休み。 子供たちも保育園を一週間休んで、 一家揃ってつかの間の休暇を楽しんだ。 民族大移動の時期なので、輸送機関も大混雑、 旅行代金は通常の倍額という不利な日程ではあるけれど、 貴重な連続休暇であることは確かなので、 15(水)〜17(金)と、二泊三日の家族旅行に出かけた。 行く先は伊豆・熱川。 憧れのリゾート特急"スーパービュー踊り子号"の旅、 子供たちにとってははじめての海水浴である。 旅の詳細は別途記録するとして、本日の話題は、 海に限らずアウトドアレジャーにつきものの「紫外線対策」。 二〇前後のころなどは、 まだ紫外線の害もあまり騒がれていなかったし、 昨今のように美白流行でもなかったので、 夏はブロンズ色に焼けている方がマル、したがって、 海行きのお供はコ○トーンの日焼けローションであった。 当時の海(といっても湘南しか行ったことないけど)は ココナツの香りに満ち満ちていたものである(懐かし〜)。 しかし、今や紫外線は美容の大敵、 断固阻止すべきものであるという概念が定着し、 日焼け止め(UVカットものというべきか)関連商品が 店頭でもメディア上でも幅を利かせている。 お肌の曲がり角をとうに過ぎた身としては、 当然安閑とはしていられない。 …で、海行きを前にドラッグストアで 日焼け止めローション類を比較検討することになる。 生活日焼け防止のために、夏の初めに購入した S社のローション(主として腕と首まわりに使用)は 使用感が重いわりにあまり効果を感じられず、 (要は塗ってるのにけっこう焼けている(^^;)) これではいかん!と別なメーカーのものを何種類か買った。 そして伊豆の海。 子供たちの体調への配慮から、 結局二泊三日の中日の午前中だけの海水浴となったが、 日焼け止めローションの効果は十分に実感できた。 完璧UVブロックに成功した? 半分YES、半分NO、である。 なぜ「半分」なのに効果実感なのかというと… ビーチまで徒歩5分のホテルの部屋で水着に着替え、 顔、首、胸、肩、腕、とローションを念入りに塗った。 手が届かない背中は、ビーチに出てから誰かに塗ってもらおう、 と気軽に考え、ワンピースを上に着て出かけた。 午前10時のビーチはすでに太陽さんさん。 パラソルを立て、ビーチマットを敷き、 とりあえず、と小さな海水パンツ姿のヨシキに、 焼けやすい肩にはママの"SPF50"、 胸や腕には"ベビー用 SPF20"のローションを塗る。 過度の急激な日焼けを防ぐという程度の気持ちである。 サトシはというと、ほぼ毎日保育園のプールで泳いで(遊んで) いる成果で、小学生ほど真っ黒ではないが、 裸でも白いパンツをはいているように見える程度には しっかり焼けているので、こちらは日焼け止め無用と判断して、 一応の用心に"ベビー用SPF20"を軽く塗る。 パパ?「俺はいい。大丈夫」…了解。 こうして家族の日焼けを心配しているうちに、 ママは自分の背中が未処置であったことを すっかり忘れてしまっていたのであった!!! 波打ち際でヨシキの手を引いて遊んだり、 サトシと浮き輪に乗って波間を漂ったり、 貝拾いをしたりしてのんびり午前中を過ごし、 午後2時過ぎに部屋に帰ってびっくり! 洗面所の鏡に映る背中は真っ赤になっていて、 水着のストラップをずらしてみると、 見事に「X」の字が白く残っているのである! ちなみに、日焼け止めを塗った顔、首、胸、肩、腕は 見事にプロテクトされ、全然赤くも黒くもなっていない。 さらに恐ろしいことに、肩に塗ったとき、 手の届く範囲で背面にもローションを伸ばしたので、 背中の色は肩甲骨の上までが白、その下から腰までが赤、 という見事な2色塗り分けになっているのだった(TT) サンスクリーン、恐るべし!! しかもさらに驚いたことに、 うっすら赤くなっている日焼け止めを塗らなかった脚に、 ビーチでヨシキに塗ったときに飛んだローションの跡 と思われる白い斑点が焼け残っているのだ。 うそ〜〜!! こんなに効き目あるんなら、 もっと真剣に背中全体に塗ればよかった! 泣いても後の祭りである。 新婚の夏から7年ぶりに背負ってしまった「X」が、 今後の重たい十字架となってお肌にのしかからないで いてくれることを、今真剣に、神様に祈っている。
2001年08月18日(土)
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大いなる賭け、そして…
8月4日土曜日、 三郎が我が家に来て2度目の脱皮をした。 ザリガニにとって脱皮というのは 己の生存の可能性に対する大きな賭けらしい。 脱皮してより大きくより強い個体となることで、 生存競争における有利な条件を獲得しようという挑戦であり、 それだけに身体にかかる負担も大きい。 脱皮直後は消耗が激しくほぼ一日身動きもままならないし、 甲殻も柔らかく脆い状態にある。 それ故、新たに獲得した強い身体や力を行使する間もなく、 脱皮後の雌伏状態で外敵にやられてしまうことも多いらしい。 外敵というのは、同族も含むという過酷な世界である。 さらに言えば、脱皮という行為自体、 それまで身体の大部分を占めて機能していた外殻を 異物として脱ぎ捨てるということであり、 構成要素の体内移動などの精緻なメカニズムによるものとはいえ、 人間などからはまったく想像もつかない荒業である。 人間でいえば、たった一人で分娩を済ませるくらいの 困難で危険の大きい作業なのではないだろうか。 当然、脱皮の過程で足や触角など 身体の一部が欠けてしまうものも出るし、 さらに分離がうまくいかず、 生命を落とすものも少なくないらしい。 生後2年くらいの間に、 ザリガニはこの危険な賭けを年間10回も繰り返して、 あるものはより大きくより強く成長し、 あるものは淘汰されていくのだという。 そして……三郎は、賭けに敗れた。 前回の脱皮のときはまるで2匹のザリガニがいるかのように きれいにすっぽり外殻を脱ぎ去っていたのが、 今回は頭胸部の大きな殻が捻じ曲がったような形で離れていた。 そして、その横に横倒しのまま身動きしない三郎の姿があった。 何かがおかしい、と見た瞬間思った。 鉢を揺らすと、かすかにまだ透き通っている足が動いた、 ような気がした。 しかし、前回の雌伏状態とは何かが違う。 この異様な生気のなさは何だ? 胸騒ぎを静めて、サトシに告げた。 「三郎、脱皮に失敗して死んじゃったかもしれない」 「気を失ってるだけかもよ。それか、疲れて休んでるか…」 口では気休めを言いながらも、 母の沈んだ声に覚悟するものがあったのかもしれない。 サトシは一度も鉢を覗いて三郎の様子を確認しようとはしなかった。 「…そうかもしれないから、 明日の朝までそうっとしておいてあげよう」 父の宣言で、鉢をリビングに残して寝室に引き上げた。 しかし、一家の祈りもむなしく、翌日の昼になっても 三郎は横倒しのままの姿勢から起き上がることはなかった。 足が動いたと見えたのは、水の動きで揺れただけだったのか。 午後になり、ついに父が埋葬を決意した。 マンションの裏手の植え込みの根元に お墓を作ってあげようということになり、 一家は紙にくるんだ遺骸とシャベルを手に家を出た。 サトシは妙なはしゃぎようで、 不謹慎な言葉をいろいろ口にし、父にたしなめられた。 思えば、辛さを紛らわすためだったのかもしれない。 新しいお墓に向かって父と母が手を合わせたときも、 「なんでお祈りなんてするの?」ととぼけて、 立ち上がるとすぐ「新しいザリガニ早く飼おうね」と言った。 しかし、初めての「ペットの死」に、 心優しいサトシが無感動であるはずはなかった。 夕方、そっと母の傍らに寄ってきて 「もっと三郎と一緒にいたかったよ…」と 静かに涙を流していた。 「かわいそうだったね。脱皮がうまくできなかったんだね。 三郎も一生懸命がんばったけど、仕方なかったんだよ。 三郎がいてくれて、楽しかったね」 サトシを抱きしめて母も一緒に泣いた。 悔恨の思いは父にも母にもサトシにも、それぞれあった。 自分たちがしてやれることは何かなかったのか、 自分たちがしたことで何かいけないことがあったのか… …それを考えると、そもそも自然にあった彼を 家に連れ帰って飼おうとしたこと自体がいけなかったのか、 というところへ行き着いてしまう。 しかし、それは敢えて考えるまいと思う。 そもそも自然に逆らって生きている人間が 上っ面反省してみたところで偽善でしかない。 自然の中で育っていたら、もっと早くに 淘汰されてしまっていたかもしれない。 それを救ったとまで言うつもりはないけれど、 少なくとも、不遜な人間のはしくれとしては、 彼にとってのわれわれがどんな存在であったか ということは考えない方がいい。 われわれにとっての彼の存在の意義を 大切にしていきたいと、 今はただそう思う。 初めてのペットの死が、サトシの心にもたらしたもの。 大切に見守って、ともに多くのことを学んでいきたいと思う。 「三郎のこと考えると涙が出て眠れないの」 と夜中、真っ赤な目をして起き出してきたときの気持ちを 忘れないでいてくれたら、と思う。 三郎、2ヶ月間、ありがとう。
2001年08月07日(火)
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