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2006年03月31日(金) 今年度終わり。

非常勤先の打ち合わせ。
桜がつく地名が大学近くにあるのだが、見事な桜。すでに盛りを過ぎているものもある。打ち合わせ自体はシャンシャン総会のような感じで終わる。お昼の会合だったのでお弁当が出たのだが、例年になく豪華。年度末の予算が余ったのだろうか。お刺身、う巻き、やつ頭、などなど。なぜかラムチョップ、ミニ桃饅頭まで付いていた。
明日からもう来年度。早い。


2006年03月30日(木) 小石川後楽園

花は見たいけれどお酒臭いのはいや、ということで小石川後楽園へ。園内に入るとまず枝垂れ桜がお出迎え。枝垂れ桜の後ろに池があってさらにその向こうには巨大な東京ドームの白い幕。一瞬ぎょっとしたが案外邪魔にならない。空の低いところに白い雲が出ているようにも見える。ソメイヨシノは八分咲き。
ここは20年ぶりぐらい前に1度来たことがある。そのときは冬だったのか、ずいぶん寒々しいところだった印象がある。あらためて案内を見ると中国の
後楽園という名前からして、儒教の影響があるというをはじめて知った。公式サイトによると『明の儒者である朱舜水の意見をとり入れ、中国の教え「(士はまさに)天下の憂いに先だって憂い、天下の楽しみに後れて楽しむ」から「後楽園」と名づけられ』たとある。ちなみに偕楽園は『領内の民と偕(とも)に楽しむ場にしたいと願い、「偕楽園」』らしい。後楽園は名前ばかりではなく園内も中国の名所にちなんだものが多い。
1時間弱散歩して身体が冷えたのでそうそうに引き上げる。
夜は急に冷え込んできた。自宅の近くの桜もほぼ満開。駅の近くでうちの近くに職場があるという知人とばったり会って、月曜日にお昼を一緒に食べることにした。その後彼女の職場近くでお花見の予定(雨天順延)
高校野球。テレビをつけたらちょうど早実の再試合9回裏。手に汗握る接戦で、いたたまれずに思わずチャンネルを回したらその間に決まっていた。24年ぶりに8強進出。24年ぶりというのに驚く。

参考サイト:
小石川後楽園 http://www.tokyo-park.or.jp/kouen/park.cgi?id=21
偕楽園 http://www.koen.pref.ibaraki.jp/park/kairakuen03.html


2006年03月27日(月) 遠足

同業者4人で企画を立てて、池袋から私鉄に乗って1時間ほどのところにある、埼玉にある大学を訪問。都内よりは寒いらしく桜よりも梅が盛り。2つ大学を訪問することにしてあり、ならばお昼を、ならば近くの地酒やに、などとあれこれ相談していたらすっかり遠足気分になってしまった。
駅まで同業者に車で迎えに来てもらい、まず一つ目の大学。ここは都心にメインキャンパスがある。郊外なので土地は広いのだが規模に比べて図書館が小さいのが意外。
お昼になったので退去して、次はお昼。川沿いにある会席料理の店に行く。ここは川に面して大きな窓になっていて桜の時期は大変なことになるらしい。桜はまだ芽吹いてもいなかったが、桜風味のてんぷらとか桜風味のデザートとか、大変リーズナブルで結構なお弁当をいただく。
ついで2つ目の大学へ。ここは車で迎えに来てくれた同業者の勤務先でもある比較的新しい大学。校舎のそこここに創立者の好みが色濃く現れた不思議な空間だった。同業者の研究室でお茶を飲みながらあれこれと雑用をしながらおしゃべり。一度外に出て地元の造り酒屋で地酒を買ってまた部屋に戻って、作業をしながらまたおしゃべり。
だらだらとしていたらあっという間に夕方になり、家に帰り着く頃には真っ暗になっていた。
のんびりと楽しい一日だった。


2006年03月26日(日) 水もの

昨日ぽかぽか陽気で桜が咲き始めていたので、昨日のうちにお弁当を持ってお花見に行こうと決め、昨夜太巻き、今朝お稲荷さんを作る。作るといっても太巻きは節分に生協で買った太巻きの芯セット(ねぎとろ、卵、うなぎ)にきゅうりを足して市販のすし酢で作ったご飯をまいただけ、お稲荷さんは同じく生協の味付きあげにつめただけ。お稲荷さんは、ひじき入りとしょうが&ごま入りの2種類。ひじき入りはフリーズドライを混ぜ込んだだけ、しょうがは千切りになった紅しょうが。包丁を使ったのは、きゅうりを縦4つに切ったのと、付け合せのゆで卵を花形に切っただけだ。VIVA!生協。
ピクニック気分を盛り上げるために、イギリス土産のバスケットに飲み物や食器などをつめ、バスで数分のところにある緑地帯に行く。もちろん歩いてもいけるのだがここから先が長いので体力温存のためにバス利用。桜は三分咲きといったところか。早め進行だったので桜の下にすえつけられたのテーブルといすが空いていて、そこで食べる。もっと広々としたところは数家族でバーベキューをして煙がたちこめていたり、ブルーシートを広げたりして美しくないので、このあたりでちんまりやるのがいい。他にも中年夫婦がちんまりとお弁当を広げている。桜と天候に左右されるので、あらかじめ日時を決めておけない行事はこういうさびしいことになりがちである。小さい子がいれば家族ぐるみの付き合いがあって、ぱぱっと誘い合ってお花見ということにでもなるだろうにと、同類相憐れむ感じ。ブルーシートのイメージが悪いのは、都心部の公園などに住んでいる人のイメージか、それとも災害や犯罪現場の目隠しとして使われているからだろうか。迷彩柄のブルーシートを開発して欲しいなと思いつつ、園内を散歩。この公園はちょっとしたバードサンクチュアリになっていて、望遠レンズ付きの公休カメラがずらりと三脚にセットされている界隈がある。笑ってしまうのはそのカメラにそれぞれ迷彩柄の目隠し布がつけられていることだ。絶対不自然ですってば。自然の中ですごすために景観を壊す人々である。
公園を抜けて、別のルートのバスに乗って帰ることになっているので後は黙々と歩く。途中で昭和の半ばにタイムスリップしたかのような住宅地に入り込んだりして、かなり興奮する。分譲型公団住宅で現在は老朽化のため建て替えが計画されているらしい。ゆったりしたテラスハウスが並んでいたりして、日本とは思えない景観。結局かなりの距離を歩いてJR駅までいき、シュークリームと和菓子を買ってバスに乗って帰る。
帰宅してすぐお昼寝。起きてシュークリーム食べてスポーツクラブ。ジャクージで一緒になった老婦人は、青梅まで観梅に行ったとのこと。そうか梅は見損ねたな。
朝昼たっぷりとおやつだったので、お腹が空かず、夕食はさらにおやつ。帰って和菓子食べながらフィギュアを見て、これを書いている。優勝が当たり前といわれていたコーエンが3位で、ジュニアから移ってきたマイズナーがぶっちぎり1位。日本勢も優勢でしばらくフィギュア熱は続きそう。
大相撲。ほとんど見ていなかったがカド番大関の魁皇の結果が気になって幕内 星取表をチェックしてみると、千秋楽で勝ち越し。しかも勝った相手が白鵬。今回圧倒的な強さを見せていた白鵬に勝つなんて八百長?と一瞬思ったが、白鵬はこの一番を制していれば優勝だったのでそんなことはないよな。白鵬と同じく千秋楽に土が付いた朝青龍の星取表も見てみたら、白鵬も朝青龍も栃東に負けている。しかしそんなに強い栃東に魁皇は勝っている。カド番でもさすが大関、きっとうまい相撲をとるんだろう。
勝負は水ものというが、本当に最後までわからないものだ。


2006年03月24日(金) 水は方円に従い

夫の友人の須田矢野さん(仮名)が来日中。去年の冬にも一度食事をしているのだが、今回は過去最短日本滞在期間で遊ぶ暇がないというので、夫のテリトリーで催された彼の講演を聴きにいく。わかりやすくて面白かった。
そのほかに何件かわからないながらも発表を聴いて、懇親会に出て、夫の研究室に行って、学生さんとおしゃべりしたり、夫の日常生活を垣間見たりしていたら、帰宅は深夜になってしまった。
夫の研究室に行ったのは5年ぶり。彼は学生さんと同じ大部屋の奥にいて(もといた小部屋はサーバー室になっていた)、学生さんの増加に伴って自分の居場所が侵食されていると嘆いていたのだが、実際はその逆であることが判明。性分と多忙との相乗作用で机の上が混沌をきわめていて、自分の居場所がなくなっているだけだった。とりあえずいらないものを捨て、同じカテゴリーのものをまとめ、縦と横をそろえたら画期的に使えるスペースが増えた。
まだまだ手を下す余地はあったのだが、混沌に秩序をつけると死んでしまうので、夫の長生きを願って今日のところはこのぐらいにしといてやる
場所があればあるだけひらたく使ってしまう男、それが私の夫だ。


2006年03月23日(木) ランチ

フランス語教室の学友の皆様と今期打ち上げランチ。もちろんフランス料理。
小さいビストロ風のところで安かったしおいしかった。1時半ごろ行ったので貸しきり状態だった。
来期はどうするかという話になる。今やっている勉強会はなんとか続けたい。やっぱり単語、活用、文法、例文を地道にやっていくのが結局は早道だと実感したので、会話のクラスは来期は休んで自習の精度を上げよう。

昨日は、何気なくテレビをつけたら、ジャニーズの二宮君が出ているドラマがラストを少しだけ見ただけなのに滂沱の涙。原作を読んでみよう。

「少しは、恩返しができたかな」
http://www.tbs.co.jp/sukosi-ongaesi/
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4062127407


2006年03月22日(水) サクラサク

入学手続期間で、キャンパス内で入学案内の書類を持った親子連れを多く見かける。大学受験に親が付き添ってくるぐらいだから、入学手続きも親子で来るのかな。春休みで閑散としたキャンパスの中で、創立者の銅像の前で記念写真を取ったり、そこだけポッと華やいだ雰囲気。


2006年03月21日(火) ピクニックもどき

今日は私も語学教室があるし、夫が仕事するといっていたので、お弁当をつくってしまったのだが、夫は*家で*仕事するのだという。
というわけで、お天気もよかったのでお弁当を持って二人で出かけることにした。私は出かける準備をして、駅に向かう途中の池や噴水などがあるちょっとした公園に寄ってお弁当を食べて、からのお弁当箱を夫に持ち帰ってもらうという算段。
マンションの周辺はヒザクラだのカイドウだのが咲いていたが、公園に着いたらほとんど花がない(!)。つぼみが膨らんだソメイヨシノの下のベンチに腰掛けてもくもくと食べる。休日なので小さい子たちが池のほとりでキャーキャーいって遊んでいたり、丘の上で家族連れがレジャーシートでお弁当を広げていたりする。十数人の団体がいて、老人ホームの野外活動かと思っていたのだが、よくみたら90を超えたと思われる老婦人を筆頭に小学生までの4世代ぐらいの一族だった。このあたりはお寺が多いので、一族でお墓参りをしてピクニックなのかもしれない。その団体の主流派は60歳前後で、「子供」と呼べるのはただ一人。一族にこの子だけなのか、それとも他の子供は塾か部活で不在なのか、見た目では日本の人口分布そのままの構成だ。一族でこんなに和気藹々と気取らずピクニックをしたりバーベキューをしたりという経験は夫にも私にもないので、うらやましいねと言い合う。最長老のご婦人は今まで苦労が多かったと思うが、一族から大事にされて今幸せなのではないだろうか。

語学教室は休日のせいで3人ほど欠席していたのだが、人数が少ない分このクラスの問題点が浮き彫りになった感じ。来学期はこのクラスを継続しない決心がついたような。


2006年03月19日(日) どこ吹く風

高校生以下が春休みになると、そろそろ新年度の準備であわただしくなってくる。はー。
非常勤先Iは、今年度から集中講義も受け持つようになったのだが、事務の担当者であるポカ田君(仮名)がダメダメで、去年クレームをつけたら上司から謝罪の電話が来た。そのとき、来年度もよろしくお願いしますという社交辞令を受けていたのだが、3月に入っても何の音沙汰もない。こりゃーつぶれたかなと思っていたら昨日ポストに普通郵便で届いていた。それにしても非常勤先I、図太い。普通、事前に日程調整や内諾があって正式に依頼されるのが年明けだと思うのだが、書面には日程が提示されていて、期日までに講義概要を締め切り厳守で出せと書いてある。去年はその事務担当者君のポカで講義概要が受講生に配布されず、当然教科書も持たず何をするのかもわかっていない諸君を前に、孤軍奮闘したのだった。
その日程は空いていなくもないので、まあ仕事は受けるが「なめんなよ(-"-)」という気分。いや私なんかなめられて当然ではあるんですが。担当者は同じ、ポカ田君(仮名)なので、クレームをつけるのも時間の無駄な感じ。高圧的にクレームつけて追い詰めてしまってもかわいそうだし、彼のキャパ以上に仕事があるのはわかっているので、たぶんこのまま黙って受けると思う。昨日の会合で、何人かの知人の音信を心の風邪を引いているという風に聞いて、誰かに積極的に圧力をかける側にはなりたくない気分。新年度になると保険等の引き落としがあるし、モチベーションを上げていこう。


2006年03月18日(土) Korean Town

新大久保の韓国料理店に行った。新大久保は中高生の頃習い事をしていたので毎週通っていたのだが、駅周辺に行くのは十数年ぶり。駅に降り立つと目に飛び込んでくるハングル文字の多さに圧倒される。サッカーのワールドカップのときぐらいから新大久保のコリアンタウン化は有名だが、見ると聞くとは大違い。昔は新大久保なんてラブホテル街で、駅前から歌舞伎町にかけて線路沿いにびっしりラブホテルの看板がならんでいたのに、その数はずいぶんまばらで、線路沿いの道路は拡張工事が始まっているようだった。十数年前に来たときというのは久しぶりに習い事の先生を訪ねたときで、「最近はこの辺も日本語が通じなくなって…」と先生がおっしゃっていたのだが、そういえば昔からロッテの工場も朝鮮学校もあるし、私がいたころからそういう土壌はあったのだな。
今日の目的は、北陸時代の夫の研究室のOB・OG会で、懐かしい面々が集まるというので私も混ぜてもらった。MLがあるらしいのだが、なぜか夫はメンバーになってないらしい。その代わり同じフロアにあった近隣の研究室の学生さんがメンバーになっていたりしてなぞ。
お店は当然韓国料理。元来唐辛子辛いものが苦手でキムチの類は敬遠していたのだが、なぜか去年あたりからキムチのおいしさに目覚めた。お店は韓国の民家風(?)の内装になっていて、ウエイトレスさんは「宮廷女官チャングムの誓い−」のような格好をしている。どれも大変おいしく、安かった。「ヨンサマ」というカシスの入ったボトルのお酒があって大うけ。「冬のソナタ」と書かれた小さいグラスで飲む。
その後、駅の反対側に河岸を移して、参加メンバーの一人が知っているアジア屋台料理風(室内)の店に行く。壁際にずらりと各国料理の調理場があり、注文すると、それぞれのカウンターから持ってきてくれる。ファーストフード並みに安くてびっくり。インドネシア、タイ、マレーシア、中国、ベトナム、なぜかメキシカンもあった。

参考サイト:
チャングムの誓い http://www3.nhk.or.jp/kaigai/gtv/chikai/index.html
ヨンサマ http://www.rakuten.co.jp/kankokuya/672251/733889/


2006年03月12日(日) 喜多方

朝食前に男湯で一風呂浴びて、8時から朝食。ご飯ん、お味噌汁、生卵、のり、地元でつくっているという納豆、しゃけ、山菜、いぶり大根(たくあんの燻製のような感じ)きわめて日本的。おいしくいただく。
ぽかぽかとうららかな昨日と打って変わって寒い。今日は雪の予報。本当は今日もこの辺を観光するつもりだったのだが、昨日すべて終わってしまったので、今日は喜多方に行くことにする。朝食後、宿の近くを30分ほど散歩する。川原に下りると露天風呂があるといわれたが、いってみると冬なのでお湯は抜いてあった。このあたりは瓦葺にも象徴されるように「結い」という地元の結束が固く、昔はみんなで作業してその後みんなで露天風呂に入って汗を流したらしい。今は混浴がうるさく言われたので廃れたという。ということは当時は混浴だったのだな。おおらかな話だ。集落のあちこちに足湯があり、みんな自宅でも温泉を引いているそうだ。集落をぐるりと回ると、墓石名も表札もみんな苗字が同じ。住民の7割が同じ苗字なので、商売をやっていない家でも屋号で呼びあうという。
駅まで送ってもらい会津若松行きの電車に乗る頃には雪がちらついてきた。喜多方で観光するなら、電車ではなくバスで行ったほうがいいとアドバイスを受ける。駅が町の中心部から離れているのは古い城下町にありがちである。
バスターミナルで待っていると、喜多方のラーメンまっぷを持った母娘連れが同じバスに乗り込んできた。車中でも熱心に地図を眺めている。こちらは急に行くことになったので、ガイドはおろか町の様子も知らない。インターを抜けてだんだん町に近づいてきた。車窓から見える風景に「喜多方ラーメン」というのぼりや、よくテレビで見る蔵が見えてきたので適当に降りることにする。あてずっぽうで降りたら、母娘もつられたのか一緒に降り、降りたところで呆然としていた。
とりあえず今きた道を戻り、土産物屋さんに入って地図をもらい、お茶を飲ませてもらい、乾物を買う。レジのお姉さんに、お勧めというかお姉さんが好きなラーメン屋さんを教えてもらって、そこにいくことにする。改めて地図を見るとこの辺も小規模ながら蔵の密集地らしい。傘を差して裏道をぶらぶら歩く。それにしても帽子を取り返してきてよかった。寒い。
教えてもらったラーメン屋さんは、ちょうどお昼のピークがすんだあたりですぐに座ることができた。夫はチャーシュー麺、私は普通のラーメンを頼んだが普通でもチャーシューたっぷり。あっさりしていて大変おいしかった。身体も温まったので駅に向かって歩いていくことにする。蔵以外にも明治時代のレンガ建てや造り酒屋の古い作業場などがあり、写真を取りまくる。コーヒーでも飲もうかと思っていたのだが、途中で見つけた風情ある造り酒屋に入ると、見学ツアーをやっているというので参加することにする。試飲は見学してからというルールらしい。プロのナレーター張りの美声の女性が、江戸、明治、大正、昭和とそれぞれの蔵とその特徴、商品を紹介してくれる。2種類ほど試飲したが、お酒のビンは重いので、新酒の酒かす(板おみき)を買う。ほろ酔い気分でまたぶらぶらと建物を見ながら歩く。
駅に着くと思いのほか会津若松行きの電車の本数が少なく、1時間以上待ち時間ができてしまった。日曜の夕方なので新幹線も込むだろうから、窓口で接続する郡山からの指定席も買う。夫はもう一軒ラーメン屋さんに行きたいといっていたので、駅前で食べることにする。「老麺会」というのぼりが出ている店が目に付くのだが、それはなにかお墨付きがあるようらしいので、その店に入る。入った店は昔は中華料理屋さんだったらしく、餃子や春巻きなどの副菜も充実していた。私は白髪ねぎがたっぷりかかったねぎラーメンを食べる。拍子木に切ったチャーシューが入っているのだが、味わいが深くとろけそうにおいしかった。
まだ時間があるので駅前の風情のある喫茶店に入る。入ってすぐ「タバコとコーヒーは仲良し」という言葉を思い出す。最近はスタバとかタリーズとか禁煙もしくは喫煙コーナーが分離しているところしかいっていなかったのですっかり忘れていた。スポーツ新聞を読みながら大しておいしくないコーヒーを飲む。乗客はみんな会津若松行きの電車待ちの人たちらしく、出発時刻が近づくといっぺんに空席になった。
会津若松に着いたときには、すでに郡山行きの電車はホームに入っていたので、がんばって走ってなんとか2人分の席を確保する。その後も人はどんどん乗ってきて、発車してからも猪苗代あたりからスキー客が乗ってきてぎゅうぎゅう詰めだった。18時過ぎの新幹線に乗り、大宮に19時前に到着。そこから接続よく湘南新宿ラインに乗り換え、20時に帰宅した。乗り換え回数は多かったが意外と近い旅行だった。


2006年03月11日(土) 大内宿

昨日のいでたちは襟と袖口にファーがついたデニムのジャケット、手袋、帽子。
今朝のいでたちは襟と袖口にファーがついたデニムのジャケット、手袋。
朝、チェックアウトしてちょうど来たバスに乗って駅まで向かう途中、帽子がないことに気づいた。とりあえず郡山駅まで行き、そこで旅行かばんの中を見るがみつからない。バスで戻るにもバスターミナルに来るバスの何がどこ行きかもわからないし、運転手さんに聞いても返事が微妙にわからない。無駄に夫と言い争いなどして、結局タクシーで戻ることにする。なにしろ9時42分の会津若松行きの電車に乗ることになっていたのであせる。鍵をもらってホテルの部屋に戻って探してもなく、どうも昨日行った回転寿司だろうということになる。ダメでもともとと回転寿司やに行ってみると、開店前の清掃ですでに人がいて、無事に手元に戻ってきた。何しろ、この帽子はうちでは「強い帽子」といわれていて、過去に置き忘れてきたのに無事に戻ってきた。そのあとも実は一度地下鉄の中に置き忘れて今回が3回目。あきらめるわけにはいかない。
駅で朝食を買って、電車に乗り込む。3両編成で1時間に1本。土曜日ということもあってほぼ満席。天気はよく、途中、雪をかぶった磐梯山を車窓の左や右に眺めながら猪苗代を通って会津若松まで行く。雪が深いところやほとんど雪のないところもあるが、会津若松では特に用事がないが、接続電車の待ち時間が30分ほどあるので駅前に出てみる。白虎隊の銅像を発見。うーむ.駅のおみやげ物やさんでは白虎隊や野口英世のモチーフの製品などが売れ筋のようだ。乗り換えて今度は1両編成だ。ラッピング車両で、一面お経が書き連ねてあるのかと思ったら野口英世の母がアメリカに住む息子に宛てて書いた「はやくかえてきてくたされ」という有名な手紙だった.絶景を何度か見てそのたびに小さく歓声を上げる。
会津若松から途中までJR、その後は第三セクター会津鉄道になって45分。湯野上温泉駅で降りる。湯野上温泉は日本で唯一の茅葺屋根の囲炉裏がある駅舎で、ぽっぽやの世界。
今日の目的は、大内宿。山間にある江戸時代の宿場町だったが、明治以降幹線道路と鉄道が離れた場所にできたせいで時代から取り残され、茅葺の集落が残った。昭和の後半になって脚光を浴びて今は観光地としてにぎわっている。ちょうどロマンチック街道のようなものだ。今日の宿は湯野上温泉にある茅葺の民宿で、駅で聞くと、宿までは徒歩15分ぐらい、大内宿は車じゃないといけないところだというので、いったん宿に行ってそこからタクシーを呼んでもらうことにする。
大内宿はそこから駅前を通り過ぎて6〜7kmほどのところにある。山を登るにつれてだんだん雪が深く道がせまくなっていき集落の入り口についた。入り口に大きな駐車場があり、観光バスが何台も来ていた。集落の中は乗り入れ禁止なのでここから歩く。すべての家がお土産やさんか食堂になっている。集落の保存に関しては外部資本を拒み「売らない 貸さない 変えない」という憲章がある。山間の村で周囲には大きな田畑も産業もなさそうなので、つまりこの集落に生まれるかここに嫁いだら、観光業に携わらなければ生活できないようだ。表通りに面したところだけが茅葺の家(=店舗)になっていて、裏を見るとその後方には普通の新しい家があってそこで生活しているようである。古いものを守り、そこで生活していくのはやはり大変なのだ。
お昼になったが、どのお店もそばと書いてあるのでおそばを食べることにする。高遠そばとかわかりやすくねぎそばと書いてあるが、要はねぎを一本お箸の代わりに供したかけそばである。げ、たべられるかな。夫は冷たいそば、私は温かいそばを頼んだが、冷たいほうはかなり刺激が強くてつらかったらしい。
再度タクシーを呼んで、宿の前を通り過ぎて奇岩「塔のへつり」を見る。へつりというのは切り立った崖や絶壁をさすこの地方の言葉らしい。国指定天然記念物だというが、北陸に住んでいたころはこのレベルのものは割りとよく見た気がするので感慨は薄い。春は藤の花、秋は紅葉がきれいらしい。
明るいうちに宿にもどる。今日は私たちしか泊り客がいないので、男湯女湯好きに使っていいといわれる。とりあえず女湯に入る。温泉はかけながしで無色無味無臭。風呂上りは部屋でごろごろ。夕食は6時。男山をお燗してもらう。地元の料理が山ほどでるがすべてがんばって平らげる。はちきれんばかりになって食後は少し囲炉裏端で休憩。燃える炎を見ながらしばらくおかみさんと話をする。館内に南米の置物などが多く飾ってあるのを不思議に思っていたのだが、その理由などを聞いて納得。部屋にもどって一寝入りしてまた温泉へ。今度は男湯。いかにも民宿的醍醐味の夜。

参考サイト:
湯野上温泉駅 http://www.yomiuri.co.jp/tabi/world/station/20050526tb02.htm
大内宿   http://www.mixpink.com/spot_folder/oouchijuku.html
高遠そば  http://naramaro.hp.infoseek.co.jp/takatosoba.html
民宿扇屋   http://www5.ocn.ne.jp/%7Eoogiya/top.html
塔のへつり  http://www.town.shimogo.fukushima.jp/kankou/place01.html


2006年03月10日(金) 郡山

夫が郡山で仕事だというので、夕方から合流して2泊3日の旅行にする。同じ時間に家を出て、大宮から新幹線に乗ってあっという間に到着。こんなに近いんだ。新幹線は自由席にしたが、広く浅く埋まっている状態。席は3列、2列となっていて私たちは運よく3列席のうち2人分に並んで座ることができた。後から乗ってきた乳飲み子を背負って幼児を連れた若いお母さんがいて、2列席の通路側に幼児を座らせて、自分は通路に座り込んでしまった。隣の3列席は真ん中があいていたので、通路側の男性が幼児と席を替わって3列席の2人分の席を空けた。彼らが席を移ると残っていた(移られた)窓際の人も席を譲ったので3列席を占有することができた。2人の男性が席を譲った結果オーライだが、今回のように空いているとはいえない時間帯に(この部分060322追記)、幼児と乳飲み子を抱えて自由席に乗ってくるというのは、なんだか無防備だなーと思う。
駅前から夫は仕事先に行くので、一足先にビジネスホテルにチェックイン。ベッドに転がって持ってきた本を読んだり、仕事を少ししたりで極楽。ホテルには大浴場が1つあって男女時間差で使えるらしい。夕方夫が戻ってきて近くの回転寿司で簡単に食事を済ませる。案内のおにいちゃんの言葉が微妙に訛っていて戸惑う。北陸から戻ってきて以来、おすし屋さんは回るところも回らないところもほとんど行かないので楽しかった。二人で3000円足らず。
帰りに翌日の駅行きのバス時刻をチェックして、コンビニでアイスを買ってホテルに戻る。コンビニはファミマだったが、調味料やお豆腐、お漬物、生卵、と惣菜類が充実していた。大浴場の女性用の時間が始まるのを待って早速入る。私一人で気持ちいい。

テレビをつけると福島智氏を主人公とした2時間ドラマをやっていた。原作は妻の光成沢美さんである。福島氏は指点字で知られる盲ろう者の研究者である。今は東京大学にいるが、私が北陸にいた頃は金沢大学の助教授をしていて、テレビで何回かインタビューを見たことがあるし、空港でご夫妻を見かけたこともある。中村梅雀が福島氏の役を話し方などそっくりで怪演。しばらく見ていたが、見ているのが苦しくなってやめてしまった。大家族モノを見てしまう。こちらも別の意味で苦しい。

光成 沢美 「指先で紡ぐ愛―グチもケンカもトキメキも」
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2006年03月03日(金) ひな祭り・かしまし娘×2

午後は青山で行われたとあるシンポジウムに参加。発表の内容はともかく、普段接することのないタイプの研究者が集まっていて面白かった。
夕方から同業者の女性ばかり6人で神田の魚中心の和食の店で飲み会。ひな祭りというわけではないが、ハマグリのおすし、鰆など春らしいメニューが出て大変結構。かしましく飲み食いした。
どういうわけかこのお店に来ると食べ過ぎてしまうのか、いつもお腹の調子が怪しくなってくる。今回も同様。お酒は控えたはずなのに途中駅まで一緒の人と電車に乗って話しているうちに、ひそかに脂汗たらたら。下車駅につくまでのたった数分の長かったこと。さよならを言うのもそこそこに階段を急いで下りてトイレへ。最近のトイレはきれいでいいですな。ふぅ。


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