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最近一人暮らしをはじめた女友達の家に遊びに行く。東南角部屋で目の前は線路と公園、裏手は畑。収納もある程度あって通常2DKにする広さを1LDKにしてあるので、間取りもゆったりしている。家電製品もソファもテーブルもチェストもカーテンも何もかも新しい。いいなーうらやましいなー。駅前でご飯を食べてケーキを買って帰ってひとしきりおしゃべりしてから、話の流れで百均の店に行くことに。電車に乗って船橋駅前のダ○ソーへ。ここは、丸ごと一つがダイ○ーの店舗になっていて、でも百円均一ではなく、ものによっては数百円するものもある。地下が食料品で、1階に帽子やマフラーがあり、最上階はプリクラやペット商品を扱っているなど、デパートの陳列展開を模しているような感じ。まずエレベータで最上階まで上がり、そこからなめるように1階ずつ降りて商品を吟味。日暮れ前に入店したはずなのに、店を出たのは7時半近く。今日の成果はキッチン用品、防災用品(方位磁石とホイッスル)、収納用品、お風呂の髪の毛キャッチの器具など19点で1995円。はー、楽しかった(紅潮)。あんな楽しいとこ、近所になくてよかった。あったらメジャー片手に毎日行っちゃいそう。百均に入れあげて破産なんてしたくない。 参考サイト: http://www.daiso-sangyo.co.jp/shop/pickup/g_funa.html
授業が終わって金曜日が休みになったので、近所のスポーツクラブのアクアビクスのクラスに出ようと思って、準備をする。確かお昼からだったよなぁと思って、念のため電話で時間を確認するともう始まっていた。がっくり。水泳よりアクアビクスの方が腹筋などを鍛えられるらしいので、ちょっと続けてみたい。 夜、「華岡青洲の妻」の2回目を見る。語尾に「よし」や「のし」がつく和歌山言葉が美しい。小さいとき、なぜだかうちでは、うずらの卵というと、「うずらの卵はないのよし」と言っては、うふふふふと笑っていたのだが、あれはだれか和歌山出身の知り合いがいて、そういっていたのだろうか。 「いただかして」というのは下さいという意味なんだなぁ、などと言葉を楽しみながら見るのだが、ドラマは怖い。高校生の頃原作を読んだときは、姑と嫁がそれぞれ争って麻酔薬の実験台になったり、麻酔で意識を失っている間に、見苦しいところを見せないように嫁が足をきつく縛ったり、妹が乳がんを発病するあたりが印象深かったが、今回のドラマは嫁姑の確執にスポットを当てているらしく、見ていて息ぐるしい。和久井映見の嫁役はぴったりと思うが、姑役がスーちゃんでしかも凄みがあるというのは、往年のキャンディーズファンにとっては、結構アレ(<なに?)だろうな。
非常勤先Iに成績表を出しに行く。ついでにシラバスを提出。シラバスは返信用封筒が同封されていたのだが使わなかったので、返却すると「わざわざすみません」といわれた。ほんとだよな。この80円を横領して他の用途に使うことも出来たのに。まあ、何かいいことがあるでしょう。 キャンパス内にある教職員食堂で昼ごはんを食べようとよろよろと近づいていくと、ちょうど閉店したところだった。2時まで大丈夫と思っていたら、1時半ラストオーダーなので、最後の客が出たところで自動的に閉店になるらしい。がっくり。仕方ないのでしばらくPCルームで作業をして、ついでに近所の食事どころなど探すがたいてい2時閉店。うろうろしているうちに3時近くになってしまったので半分あきらめて駅のほうに向かうと比較的新しく出来た中華料理店がまだ営業していて、そこに滑り込んで本日の昼定食を頼む。メインがハチノスと牛肉の炒め物で、サラダ、ご飯、スープ、デザートがつく。間口から想像するより店内は広くて、中華料理店らしからぬすっきりした内装(たとえて言うなら狭い幸楽のような…)で、壁にシャガールのリトグラフが何枚かかかっている。料理がはこばれてくると、サラダのマヨネーズは自家製だし、メインは熱々ながら牛肉もハチノスもやわらかく、野菜はしゃきしゃきしている。どれも香りがよくておいしかった。メインが載っていたお皿が新しいお店にしては使いこんだ感じで、店の名前も入っている。以前たまたま夫とこの前を通ったときに、別のところに同じ名前の店があるといっていたので、移転してきたのか聞いてみると、実はその店の息子で、お金をためてのれん分けしてもらったのだという。おいしいし値段は手ごろだし、また来ますといって店を出た。 思わぬめぐり合わせにホクホクしながらいったん家に帰り、夜は以前勤めていた会社の同期会。バブル期の金融機関のシステム部門らしく同期は多く、新卒で同じ部署に配属された女性に合併で増えた人を足して全部で31人いるのだが、今でも会社に残っているのは12人。今度、子会社に全員転籍することになったので、その前に久々に集まろうということになったらしい。急に声をかけた割りには集まりがよくて、私をいれて10人が顔をそろえた。独身の人も結構いて、歩留まりいいよねーとかいいながら、大いに飲みかつ食う。新人研修のときに戻ったようにゲラゲラ笑ったり、周りに負けじと大きな声でてんでに話す。人数が多いとあまり結束は固くなくて、個々のグループに分かれる感じになり、今まで同期会をやったのは数えるほどだったのだが、今までやった同期会の中で一番楽しかった。それぞれ会社の冷たい仕打ちに合ったりして、常に先行き不安、不満を言い出せばきりがないような生活を送ったりしているのだが、それすらもうまく御している感じ。いい意味でみんなずぶとくなったなぁと思う。 同期会をすると聞いた管理部門の人が、新卒当時の証明写真を何人か分もたせてくれて、私ももらった。1年目〜3年目までの写真で、どれも眉毛が太くて髪はソバージュで広がっている。時代を感じるわね〜などと笑い飛ばしつつもしみじみした。
雪が舞う寒い午後。 今日は私の実家に単身非常用食料を届けに行く。一体なにやってるんだか。一つバスを逃してしまい、次のバスまで40分ほど待つことに。なんか都市の過疎化を象徴するような話だ。案の定、母は大変喜んでいた。卵とネギをもらって帰る。 夜は、卵かけご飯と潮汁の味噌仕立てというかこの間作った鯛の潮汁の残りに、大根の切れ端、残り物の豆腐、もらい物のネギなどを加えてあら汁もどきにしたもの。残り物オンパレードである。一方、卵かけご飯は手間がかかっている。卵も取り寄せ、お米も取り寄せ、おしょうゆも香川から取り寄せである。えっへん。 情が移っていると思っていた採点は、冷静に一晩考えて下記の人々も高い評価にすることに。 落とし所がいつもずれているが目の付け所は飛びぬけていい学生 飲み込みが悪くて手間どるが課題は誰よりもきちんと仕上げてくる学生 完成度は低いが出席も課題も一つも欠けることなく手間がかからない学生 出席も課題もちょっと足りなめだが授業への貢献度が高い学生 自分が学生のときは、見てくれよりも本質が勝負だとか思っていたが、確かに高い点数を与えやすい学生さんというのは存在して、文句なく高評価になる人というのは、1割ぐらい必ずいる。上記の人たちが一見あまり高い評価が得られないのは、要するにプレゼンテーションの問題なわけだ。自分自身は成績がよくなかったので、複雑な気分。
久しぶりに土曜日に休んだ夫と、雑誌で見つけたフランス料理店でランチ。アルザス地方で研鑽を積んだというシェフが作る料理は、当然フランス料理といってもドイツっぽい。肉と付け合せのポテトとか、白身魚と茶色いソースとか、全体的に茶色と白色という感じ。おまけにデザートまでチョコレート中心で茶色。見た目は地味だが、よく言えば軽快、悪く言えばちゃらちゃら軽くて体が冷えそうな料理よりも性に合う。アルザス地方の白ワインをあわせて、なにやらどっしりとした食事になった。 その後は、この間ネットで見つけた非常食料品セット(ARKIII)が届いたので、手回し式充電ラジオとともに夫の両親の分を届けに行く。1箱に大人1人3日分の水パックとカロリ−メ−トのようなブロック状の食料、特殊素材のブランケットが入っている。保存期間は5年(実際10年大丈夫らしい)。これこそが私の欲しがっていたものだ!という思い。無理にサンマの蒲焼とか五目御飯とか食べずに済むぞ。とりあえず即死しないで、3日間どこかに閉じ込められたり避難所生活をする前提。しかし、この非常食セットに毒が入ってたりしたら笑うな。助かりたいと思って準備した人ほど、服毒死してしまう罠。義母も災害についてはいろいろと考えていたらしく、思いのほか喜んでいた。非常持ち出し用のリュックを出してきたり、避難経路や避難場所について話し合ったりする。義母にも携帯電話を持つように勧める。 夜は、今期一番私が楽しんでやっていた演習の採点。できのいい子が課題を未提出だったり思いがけない番狂わせ等があって、絶対評価にしたら、全体的な成績が低くてあせる。人数が少なかったので完全に情が移っている。うーむ。どうしよう。悶々。 ARKIII通販例 http://shop.rescuenow.net/goods/foods/ark.html ARKIII製造元 http://www.survivorind.com/ 手回し式充電ラジオ http://www.7dream.com/find/d07a/035/
この間の日Kの土曜版に「おばさんになったと感じるとき」第1位〜10位まで発表されていて、ちなみにほとんど当てはまっちゃったのだが(てへ)、第10位は「連続ドラマの主役の年齢と自分の年齢の差が開いてきた」だった。最近のドラマは局のサイトにBBSをつけているものも多く、「何たる駄作!」と思ってサイトを見てみると「だぃ好き〜☆彡」とか「きょうゎガッコーでみれなくて」とか「すごぃとぉもぃマス」とか「みんなゎどぉですか??」とか、不思議な日本語を書く人たちが思いっきり主人公に感情移入していて、あーもうこりゃだめだと思う。主人公と年が違いすぎ。付け加えるなら、「連続ドラマの主役の親の年齢と自分の年齢の差が縮まってきた」ともいえる。 この春からのいぬあっちいけーの連ドラは、なんとついに酒井のりピーが主人公の高校生の母親役である。うーむ。ついにそのときが来たか。昔、同じく連ドラ「ま−姉ちゃん」で家族の話をドラマ化で藤○弓子が母親役なのを見て、私たちはあんまり違和感なかったのだが、父が「藤田○子は若すぎて全然お母さんという感じがしない」としきりにいっていたのは、こういうことだったのかもしれない。同じ連ドラで言うと、前シリーズの香川某、前々シリーズの岸谷某なんていずれも主人公の父親だったが、実年齢で私とぴったり同年代である。しかし、岸谷某の相手役は浅野某、香川某の相手役は片平某で、いずれも実年齢では5〜6歳上。スチュワ−デス物語で大人の妖しい魅力あふれる片平某が口できりきり手袋をはずしているとき、香川君てば高校生である。女優おそるべし。ドラマではないが、北の0年の渡辺某と吉永某は15才近く離れている。うーむ、こりゃおばさんになったなんてしみじみしてる場合じゃないぞ。
今日も防災用品めぐり。一昨日行ったデパートは防災用品が家庭用品売り場にあったので、たいていそうなのかも知れないと思って別のところへ行く。が、今日行ったデパートは家庭用品売り場に防災用品は見当たらず、その代わりにまた家庭用品を脈絡もなく買ってしまう。ブタの顔の形をした電子レンジ用の蓋(同じシリーズで落し蓋をもっているので)、特殊素材のタオルで出来たパック用のフェイスシート(電子レンジで蒸しタオルにして使う)など。支払いのときに防災用品のありかを聞いたら、特にそういう売り場はないとのこと。うーむ。じゃあ、DIYショップで簡易トイレを買って帰ろうと思ったら、もう品切れだった。相変わらずDIYショップのほうはすごい熱気で、乳母車に乗せた子供そっちのけで物色している若いお母さんや、カップルなど。みんな真剣なのになー。しっかりしてくれよ>デパート。 DIYショップで、買おうかと思っていたドロップも品切れ。その代わり新たな商品が入っていた。オレンジ色のキャップ型のヘルメットに軍手と笛が入っている。消防士のヘルメットのように首筋をガードする布がついている。こりゃ確かに役に立ちそう…と考えて、やめた。枕元におけと書いてある。多分このマンションの免震構造が確かならば、家にいるときに地震が来たら、いたずらに外にでようとせず、そこにとどまるのが一番安全だろう。多分。 ところで、登山用品を扱っている店ならもっと本格的な機材があるのでは?というメールをいただいた。なるほど。テントやバールの購入を考えている人もいて、使いこなせる範囲でそろえていかないとなぁ。 ところで、今朝の日K新聞にユニセフの募金広告が出ていた。3千円で5人分の緊急保健キット、5千円で経口補水塩750袋、1万円で10家族分の衛生キット、2万円で80人分の学用品が入ったSchool-in-a-box1箱になるという。この間寄付した金額がどのくらい役に立つのか、心もとなかったので、こういう具体的な形で示してくれるとどのくらいのインパクトがあるのかがわかりやすい(ユニセフのサイトでも確認できるが、もっと一般的な活動について書かれている)。ということで、この間の寄付は自分たちのインパクトとして弱かったので、もう少し追加で寄付することにした。こういう自らの心の動きを追うと、この手のものは広報活動が大事なのだとよくわかる。 一方JR駅前でやっている「新潟地震支援募金」は胡散臭い。ついこないだまでは、同じメンバーで「三宅島支援募金」をやっていたような…(だってのぼりのデザインから配置からそっくり)。寒空のもと声をからして街頭に立っている人には申し訳ないが、あそこで募金するぐらいならコンビ二のレジで寄付したほうが安心できる。 参考サイト: ユニセフ募金(みなさまの募金が支えるユニセフの活動) http://www.unicef.or.jp/bokin/bokin08.html
今日はデパートと家電量販店をはしごして、防災用品の下見と何点か購入。このデパートの防災用品売り場は、1階の案内係に訊いたところ、漆器などをおいてある家庭用品コーナーの一部にあるといわれた。行ってみると棚1段分しかなくて、びっくりするほど品数が少ない。防災頭巾と台所用のスプレータイプの消火器とか、給水バッグとかそんなもの。「百貨店」じゃないなぁ。ディスカウントショップに行けばいろいろと安く手に入るんだろうけど。でも、友の会のカードを持っているのでできるだけそこでそろえたいという事情も。 とりあえず、防災ブランケット(NASA製。身体を包み込んで体温調節できる銀色のシート)、たためる給水用バッグ、ホイッスル(人の耳に一番大きく響く音がでるという。試してみたら、うるさい、うるさい)をここでは購入。それと同時にグラスとかフランス製鍋つかみとか、明らかに趣味的なものも買ってしまうこの平和ボケ。はじめ防災ブランケットは1個しかなくて、同じものをもう一つ欲しいといったら、おとりよせになりますがよろしいですか?との答え。ええ、それまでに災害が来なければいつでもいいんです。結局在庫が1つ見つかったが、急ぐなら隣接しているDIYの店に行ったほうがいいといわれる。 こちらは防災用具売り場を新設していて、新聞などでも紹介されているので、DIYとは無縁のお年寄りなどで大賑わい。携帯トイレの包みを両手で持ってニコニコ顔のご婦人方や、母親に命じられて家具転倒防止器具をまとめ買いする青年などの姿が見られる。売り場の人も質問攻めになるわ、陳列物はすぐに売れるわで、プチ・パニック状態。ここでは市場調査だけで実際には購入せず。都市災害用のセットも売っていて、それはそれで効率よく収められているのだろうが、それらを参考にしつつも自分で一つ一つ検討しながらそろえて行きたいという気持ちがある。たとえば災害時に、あの有名なドロップなどはともかく、普段食べないみかんの缶詰が食べたいだろうか?五目御飯が食べたいだろうか?賞味期限切れになって平時にそれを食べることを考えると、防災用品に含まれているからといって鵜呑みにはできないと思う。といいつつ、防災用品は大人向けばかりなので、こういうときに一番気の毒な思いをする子供用の防災用品はちょっとヒントになるかもしれない。http://www.rakuten.co.jp/catherine/533520/611315/#613777 ついで、家電量販店に移動して、ここでは単四電池1本で使える小型懐中電灯をたまったポイントで購入。これは帰宅難民用。本当はLEDがいいけれどLEDのものはちょっと高い。携帯のストラップにつけられる可愛いのを探したのだが、可愛いのはキテ○ちゃんのしかないので却下(スヌ一ピーだったら即座に買いだ)。防犯ブザーも買って、先日買った充電型ラジオも親世帯用に追加で買った。 帰宅難民用と避難持出用と自宅待機用に分けて、最重要備品と余裕があったらより便利な備品とを、もらってきたカタログで検討してみよう。マンションに住んでいるので、自宅用には簡易トイレも欲しい。 ぱんつの替えもいるよね。 で、私はそれほど生き残りたいと思っているのだろうか。多分、自分自身の死への恐怖よりも、自分が死ぬことによって周囲の人を悲しませたくないというほうが、動機としては大きいような気がする。何か手を打っておけば防げたものを、それを怠ってみすみす最悪の事態を迎えるということがいやなのだ。
仕事が終わった後ついふらふらと飲んだり寄り道してしまう人のことを「帰宅困難者」と揶揄したりするが、そんな悠長な話ではない。災害時に交通機関の麻痺などで職場からその日の内に帰宅できない人を「帰宅困難者」という。 新潮社のフォーサイト2月号p77に載っている、インタビュー記事「お父さんは、必ず歩いて帰ってくる」によると、20キロ超の人はすべて帰宅困難者にあたるらしい(歩いて4〜5時間というところか)。この記事でインタビューされている人は、八王子在住で自らを「帰宅難民」と位置づけ、周囲に呼びかけて年に1回の土曜日、新宿にある都庁から自宅まで歩いて帰る催しをしている。新宿から八王子までは40キロ強。JR中央線なら特別快速で36分、京王線特急で36分だが、歩くと8時間かかるという。普段の通勤スタイルと全く同じようにスーツを着て、革靴を履き、ずっしりと重いかばんを持って帰ってくるのだ。 帰宅訓練をするメリットはいくつもあるが、何より、予め帰宅ルートを決めておくことで、途中で行き倒れになっても家族が見つけやすい。自分がどのくらいなら歩けるか、途中でトイレはあるか休憩は出来るか、正しい情報はどうやって手に入れるか、予め検討をつけておくことが出来る。近道するつもりでも道に迷う危険性があるので、幹線道路を行くほうがいいという。都心部では最近幹線道路の不燃化を推進しているので、幹線道路は比較的安全と思われるが、都心部の人がどっと幹線道路にあふれ出すという姿はぞっとする。それと幹線道路を歩いたほうがいいが、ターミナル駅はパニックになるので、幹線道路を通り、かつ駅を通らないルートを探したほうがいい。 歩いて帰る場合、防災用具を携行することも必要である。自宅にそれなりの防災用具を備えている人は多いだろうが、自宅にいる時間帯に災害にあうとは限らない。このインタビューお勧めの「帰宅難民グッズ」は大体こんな感じ。 10円玉12枚(停電でも公衆電話が使えるかも<この半端な枚数はジュースも買えるから??)、軍手、携帯レインコート、ラジオ、懐中電灯(生き埋めになっても助けを呼べるように)、笛、タオル(マスク代わりになる<マスクでもいいのか??)、地図のコピー、ぺティナイフ。当然身分証明書と緊急連絡先もいるだろうな。 さて、道具はともかく、私のように職場が一定していない人間は、どのルートで帰ってくるかは曜日によって違う(ついでに言うと常勤と違って頭数に入っていないので、出勤していないからといって消息を探してくれるわけではない)。それでもいくつかのケースに分けてみよう、と地図とにらめっこして、自宅に直接帰るか、場合によっては親の家にいったん寄るか、などぶつぶつ考えてみる。一方夫は全然本腰を入れずに、「うんうん、そうだねー」とかのん気に相槌を打っている。それじゃ困る!を声を荒げると、「だって、ぼくきっと生き残りそうにない気がするんだよ。きっと『あれ〜』とかいってあっという間にすみっこの方で死んじゃうんだ」と言った。 うーむ。なんとなくそんな気もする。私もあんまり生への執着は強くないから、「まあいいや」とかいってあきらめてしまうようなおそれもある。 けれど、やっぱりそんな心構えじゃ困るのよ。 参考サイト: 八都県市防災対策委員会 帰宅支援情報 http://www.8tokenshi-bousai.jp/
非常勤先Bは今日で今年度終了。受講者が少なかったので午後居残って採点簿も出して終わり。今日で定年のため最終講義となる非常勤講師の人に、はなむけのチョコレートをあげたり。非常勤講師にも定年があるのかーと新鮮な驚き。私は定年まであと30年だ。想像つかない。 ケーキを買って、今日は百円ショップで防災用品物色。特にめぼしいものはなかったが、防塵マスク購入10枚いり。効き目はあるのか? 夜はとあるディープな対談を訊きに行く。心の底から楽しかった。終わってから懇親会。これも楽しかった。乾き物とサンドイッチ。見かけはしょぼいが、中身が凝っていて(ブロッコリーとか海老のコロッケとか)おいしかった。見かけと中身のアンバランスさがなぞだ。懇親会が終わって食事に呼ばれるが、サンドイッチとワインで結構おなか一杯になっていたので、ちょっと苦しくなる。ふぅ。こちらも気心の知れたメンバーですごく楽しかった。 脳においしい夜。
そろそろ、阪神淡路大震災から丸10年。 そういえば、最近新聞の折り込みチラシにも防災用品の扱いが増えてきたような。関東だと防災の日=9月1日(関東大震災)という思い込みがあったが、9月の残暑厳しき折だけでなく、1月の寒の内にも当然来るわけだから、その季節にあった防災用具の準備というのは必要だと思う。小さいときから近々大地震があるかも知れないと言われて育ったので、地震については刷り込みのように恐れを抱いていて、今住んでいるマンションも免震構造になっているし、マンション全体に食料の備蓄はあるし、そういうところを選んではいるが、自己防衛としてどれだけの備えをしているかというと、実は心もとない。せっかくそろえても、いざというとき季節はずれだったり使い方がわからないと困るし、本当は月に1度ぐらいは点検や訓練をしたほうがいいのだろう。 寝室の天井灯のシェードは和紙製、余計な家具は置いていない。就寝中に地震が起きても何かの下敷きになることは今のところないのだが、万一生き埋めになったり閉じ込められたりして発見されないのは困るので、音のでるものを買うことにした。原始的なところではホイッスル(呼子)。映画タイタニックで、救助船の存在に気づいた女主人公ローズが、手を握ったまま凍死した恋人の手を振りほどき、海上で凍死した航海士の胸元からホイッスルを取り上げてあらん限りの力を振り絞ってホイッスルを吹きならすシーンは、生への執着を感じさせる凄みがあった(遠い目)。 …で、ホイッスルだとただ音を鳴らすだけなので、近くに人が来てくれないとあまり意味がない。遠く離れた家族に無事(というか生きていること)を知らせるには、やはり電話やメールが便利。外からの情報を得るにはラジオも欲しいし、暗闇は怖いので懐中電灯も欲しい、でもバッテリーには限界があるから充電器も必要か、と考えて探してみたらやはり同じことを考える人はいるようで、欲しいものが商品化されていた。 防まつ型 充電ラジオ http://tlet.co.jp/av/ind_radio.htm FM/AMラジオに手回しハンドルがついていて、ぐるぐる回すと発電して、内部の蓄電池に充電したり、アタッチメントをつければ携帯電話に直接充電できる。他にサイレンとLEDライト(白色)がついていて掌に収まるタイプ。 これでバッテリーの心配はとりあえずなくなったので、生き埋めになっても落語を聴きながら(やってるのか?)救助を待てばいい。しばらく練習で使ってみて、使い勝手がよさそうなら、両親の分も買っておこうかな。核家族時代なので、本当は親兄弟とも万一のときの連絡の取り方などを話し合っておかないといけないと思う。災害が現実味を帯びないうちに、家族総出のレクリエーション感覚で訓練するとか、そういうキットはないかなー<他力本願 ホイッスルは引き続き探索中。やはり人力で作用するものは大事。はだしで歩くのは危険なので、持ち出し用品の中に携帯用スリッパを入れておくとか、口座番号や運転免許証の番号を控えておくとか、そろえるものはたくさんあるなぁ。あと携帯トイレとか、給水バッグとか。100円ショップにも防災用品はありそう。とりあえず職場からの帰宅困難者にはならずに済みそうだけど、天災が来るならできれば出先ではなく自宅にいるときにしていただきたい。
朝、植木鉢に水をやろうとして、もしかしたら霜柱が立つかもしれないと思った。マンションのベランダなのに。今朝は今年一番の冷え込みだとか。そして、明朝も今年一番の冷え込みだとか。 厚手のストッキングをはいて、ロングスカートの下にペチコートをはいて、ファーつきのダウンを着て、ポケットに手を突っ込んで何回目かの初仕事に出かける。仕事先のエレベータに乗り合わせた人が、すごく寒そうに指に息を吹きかけている。へぇ、そんなにするほど寒くもないけどなぁと思ってその様子を眺める。普段は冷房が入っている部屋のエアコンを切って、仕事をしていると「寒い、寒い」と同僚が入ってきた。みんな口々に寒い寒いといいながら来る。フードつきの長いダウンを着ている人もいて、ここはスキー場かと思うような、防寒対策も本格的。 私はなんでそんなに大変じゃなかったんだろうと思い始め、帽子をかぶっていたから寒くなかったことにやっと気づく。この帽子はもう6年ぐらい使っている。おそろいのマフラーがあって、これらを身に着けて出かけたとあるネット系の会合先で、かねてよりネット上で付き合いのあったぱぴちゃんとtenkoさんに初めて会ったのだった。ぱぴちゃんは初対面にもかかわらず、帽子をかぶった私を、というより私の頭に載った帽子を「めで、めで(^^)」となでてくれたのだった。ふう、あれからもうそんなにたつのかー(遠い目)。 帰りもまた一段と冷え込んでいたが、帽子があるのでなんとなく恐れるに足らずという感じで元気よく歩く。確かに改めて検証してみると、髪も地肌も耳元も冷たくならないから、相当保温効果があるわけだ。 帽子えらいなー。
お仲間のみんみんさんの掲示板で、最近の接客態度は若者よりむしろ中年以降の人々のほうがなっとらんのではないか、という話題になり、まったくだーまったくだーとうなずきあう。若い人たちはとかくマニュアル世代と悪く言われているが、マニュアル世代だけあって接客マニュアルは守る。身なりや年齢でお客さんを区別してはいけないといわれれば、きちんとそれを守る。が、しかし中年以降の人たち、ただ年取っているだけでその分えらくなったと思うのか、こちらが下手に出ればその分いばる傾向にあるような気がする。 で、掲示板には私がこの間遭遇したその手の話を書いたのだが(新春早々、はけ口にして申し訳ありませんした。>みんみんさま)ここで再録すると以下のようになる。 先日、私は東京メト□という地下鉄に乗って出かけたのだが、ついうっかり目的地より手前で降りてしまい、もう一度乗り直す為の紙片を発行してもらうという処理をしてもらった(プリペイドカードだと切符が回収されないので処理が楽)。降車駅の改札でちょっと話し込んでいる駅員が二人いたので、若い方の駅員にプリペイドカードと先ほど発行してもらった紙片を見せて、丁寧な口調で事情を説明すると、若い駅員は「はい、わかりました」といって私を通そうとした。ところが、そこでおっさんの駅員がなになに?と首を突っ込んできたのだ。そして、すでに了解済みの事項の説明を再度求めた挙句、言った言葉が、 「ああ、いい、いい、うん、それでいいから通してやって。」 掲示板で、こういうのは投書すべきかという話になり、不快なことよりもよい接客を受けたときにこそ投書したいですね、とキレイにまとまった。が、 せっかく掲示板に書いたのでその文章を再利用して(笑)、東京×トロWebページのメールフォームからクレームをつけた。すると数日後、お詫びと今後の改善を約束する、ご丁重なる通りいっぺんの回答が来た。 「この度は○○駅係員の不適切な応対によりれいこな(仮名)様に対し ご迷惑をおかけしたことを深くお詫び申し上げます。」 別に私は不快だっただけで、迷惑をこうむったわけではないのだ。お詫びして欲しいんじゃなくて、改善して欲しいのだ。こういうバカ丁寧な文面に、誠意のなさと本質を見抜けなさが現れているような気がする。 この調子だと、よい接客を受けてお礼のメールを出しても「ご迷惑をおかけしたことを深くお詫び申し上げます。」という返事がきそう。
新しい手帳に、非常勤先の予定を書き込んでいく。うー、いろいろとバッティングしている予感(-"-)。休講になりそうな先の専任に予め断りのメールを内々に出す。非常勤先によって、授業回数を確保するために曜日移動をしたり、休日に開講したりするので予定が微妙に狂う。日本は休日が多すぎるなあと思う。イギリスでは小中学校などでhalftermという名目で学期の半ばに1週間休みがあると聞いたが、そういう風にまとめて休んでくれないかなー。 前期は4月に講義が始まっても、浮き足立ってたり履修者が確定しなかったりで、初めの1〜2回は授業にならないし、やっと軌道に乗ったと思えばゴールデンウィーク。4月にやったことはきれいさっぱり忘れられているし、後期は後期で、学期半ばに文化祭が入って休めるのはいいけれど、後半佳境というところで年末休みが入って腰砕け。年が改まるとまた脳みその中身も改まってしまうようで、年が明けて盲腸みたいな最終回を1回やって終わりなんて、ほとんど意味がないような。 でも回数はこなさなきゃいけないのよね。こなさないと補講してくださいとか言われちゃうのよね、ふう。
天気がよくこれといった行事もないので散歩に出かける。 前から行ってみたかった隣の沿線のほうまで散歩してみる。東京の電車は山手線の内側は網の目のように地下鉄網が張り巡らされているが、外側は放射線状に伸びていて南北の移動はとても不便。バスが使えるところはまだいいが、今回は途中までバスで行って、そこからさらに別の線のところまで1kmほど歩くことにする。 このあたりは武蔵野の面影が残るところで、都市開発された中にも時々うっそうと竹やぶが茂っていたり、雑木林で鳥がちゅんちゅん鳴いていたりする。が、これはすべて個人宅の敷地内で、塀や竹やぶの外からうかがい知るのみ。昭和の初期にこのあたりが宅地として開発されて、そのまま今に残っているらしい。実際、札にも○○區と住所が入っていたり、表門を入ると松が植わっていて、ガラガラと玄関を入ると右手に応接間(洋間)があるような、向田邦子のドラマに出てきそうな当時のモダンな住宅もいくつか残っている。 目的地は昭和初期に当地に移転してきたという寺院で、行ってみると案外しょぼいところだったが、逆に当時このあたりがいかに何もなかったかを髣髴をさせるところだった。 帰りもまた歩き。途中で石釜で焼くピザの専門店に寄る。この店はピザかパスタに飲み物・サラダつきというランチメニューがあって、ほとんどの客がそれを頼んでいるのだが、ピザはナポリ風でもっちりとしているし、前回着たときは最後おなかが一杯でうんざりした記憶がある。今回はわれわれはランチメニューのピザを一人前にする代わりに、ワインとデザートを頼む。おいしく感じる間に食べ終えてよかった。
非常勤先T仕事始め(かつ仕事終わり)。 学生による授業評価と自己評価をしてもらってその結果を読んで失笑するやら憤慨するやら、で、凹む。万人に受け入れられることはないと思うので、ある程度は割り切るしかないが、凹む。 常々私の授業運営方法としては、「厳しくわかりやすい指導、時にお茶目」、というのを売りにしているのだが(ほんとか)、初年度であるここでは、厳しさばかりが学生の印象に残った様子。 「厳しい先生で驚いた」とか「最初から最後までずっと厳しかった」とか、「いつも緊張した」とか、自分のことは棚に上げて「この厳しい先生のもとで自分はよくがんばった」とかとかとか…。 ここの講義は、既存のカリキュラムを持っていたもう一人の非常勤講師との合同進行で(同じ内容を曜日を変えてやるという二本立て)、足並みをそろえる必要があったので、学生にあわせるよりもカリキュラムをこなすのが優先という面があった。その分学生に対しても、こちらにも混乱や理解不足で余裕がなかったのは認めるが、そうかー、そんなに厳しかったのかー。この大学の皆さん、よっぽど今までぬるま湯につかっていたらしいですわ。一応知名度のあるとこなのに、もー(-"-)。 こういうのは、よくできる学生ほど授業に対する満足度が高くて自分に対する評価は低い。こちらが常々「この人、手抜きだなー」とか「説明全然聞いてないなー」と思っている学生が、案外その逆。そして押しなべて自分に甘い。しかし、さぼっていたのではなく、本人は精一杯だったのだろうか。しかしあれが精一杯と思えるとはそもそも考えが相容れないのか。それとも本当にこちらが考えている以上に理解能力が低いのだろうか。 学生に評価をさせてそれで凹むのがいやなら、一方通行の講義にしてアンケートを取らないように、学生の口を封じてしまえば済む話で、これはぐちにしかならないが。 それにしてもなー(-"-)。
夕方の首都圏版情報番組で、天津小湊を特集していた。天津小湊というのは、千葉県南房総沿いの漁師町で、日本で一番早く初日の出が見られるらしい。つまり最東端なのか??名物は鯛。「鯛の浦」という入り江もある。金目鯛の水揚げを誇るが、鯛の浦の鯛は禁漁。たまに間違って捕れた鯛は供養するらしい。来月、鴨川シーワールドで有名な鴨川市と合併して、新・鴨川市になる予定。 小湊には小さいとき、まだ小学校に上がる前に、何回か海水浴に行ったことがある。明け方暗いうちにおきだして寝ぼけ眼で父が運転する車に乗って、カーフェリーで東京湾を渡った。今ならアクアラインで行くのだろうか。泊まったのは民宿。本来の民宿というのはああいうものなのだろう。多分漁師の家だったのだろうが、ごく普通の民家の座敷を二部屋、夏の海水浴のシーズンだけ宿泊施設として提供する。一度昼ごはん時についたら、店屋物を取ってくれたことがある。大人たちはカレーを食べたような。お風呂も特別なものではなく、そこの家族が使っているものを使う。ガラガラとあける玄関、右手に台所、左手に家族の居間があり、薄暗い廊下の突き当たりに階段、階段を上がると日本間が二つ。トイレ、お風呂場のタイルの模様、水着、パラソル、必ず持っていっていた日焼け止めのボトルの柄まで覚えている。 家の裏手から出て、防波堤のある川沿いの道を歩くと海へ出る。砂浜と岩場があって、午後になると岩場にたまった海水が日光で温まる。ちょうど体が入るようなくぼみを見つけて「お風呂だ」といって母と休んだり。お昼は一度宿に帰って食べていたのだろうか、沖合いにタンカーがいて、一日泳いでいると足の指に黒いものがつくようになった。父は重油だといっていたが、高度成長時代で、環境よりも公害が優先されていた時期である。環境に厳しくなった今の方が海はきれいかもしれない。海から上がると表でホースの水をかけてもらって身体を洗い、お風呂に入って食事をして、あとはテレビを見たりごろごろしたり、トランプをしたり、兄弟げんかをしたり。二泊三日ほどだったろうか、あまりありがたいとも思わずに過ごしていたが、今考えると質素ながら楽しい時間だった。 電車だとうちから2時間半ほど。鯛せんべいという、鯛の形をした瓦せんべいをよくお土産に買っていた記憶がある。まだあるだろうか。久しぶりに行ってみたい。 天津小湊町ホームページ: http://www.town.amatsukominato.chiba.jp/chosei/index.html
やっと始動。 ものを粗末にするともったいないお化けがでるというけれど、人生をサボるとどんなお化けが出るんだろう。ああ、怖い。 やんなきゃいけないことを始める。手をつけてしまえばたいしたことはないのに、なーんかぐずぐず。まとまった時間があるうちに着手すればいいことはたくさんあるのに、インプットしなきゃいけないこともたくさんあるのに。うーむ。他の人ががんばっている様子を見聞きして、発奮するどころかこれじゃダメだと考え込む。ああ、どんどんどつぼスパイラルにはまっていくじょ。 ある授業のオンライン評価の集計などにも手をつける(ちっ(-"-)まだ1/3しか集まってないよ)。当然記述評価などにも目を通す。他人と自分を比較するなとは言うけれど、同じネタで授業してる人の評価は気になる。公開されているそっちのほうも読む。で、落ち込む。評価が悪くて落ち込む。良くても落ち込む。大体そんな器じゃないんだよなぁ〜。いじいじいじ。 来年また落ち込まないためには、すっきり立て直さないと。 あーとても楽しい冬休みだっただけに、とても娑婆へ出る気がしない。 ところで、津波の義捐金。全然足りないという話なのに、一部ではたくさん集まりすぎてストップをかけているところもあるとか。被災地でも津波の被害が大きくなかったところでは、もう観光客相手の商売が成り立っているとか。何が本当なのか、日本の報道だけでは良くわからない。そしてこんなときにでも悪事を働く奴らはいる。
たまっている日記を片付けたり、床を掃除したり。 今日口を利いたのは、生協の宅配のお兄さんと、ペりカン便のおじさんだけ。うちに来る御用聞き(別に聞きにはこないか)関係の人ではこのペりカンのおじさんが一番顔を合わせているが、声をかけてもニコリともしない。愛想のなさが印象的なおじさんである。誰とも話さないって別に困らないんだけど、最長どのくらい誰とも話さないでいられるだろう。話さないでいると口臭が強くなったりするのかな。 今日も何通か年賀状が届いたので、宛名データを入力。郵便番号を入力すると住所が出るとか、便利にできてるねぇ(←いまさら)。 夕方、仏蘭西人と仏蘭西語を使って新年の挨拶がてらメッセンジャーで話す。まだまだだなー。向うは日本人妻と常に日本語で会話しているので、私の下手な仏蘭西語に付き合うのはほとんどボランティアなのだ。
昨夜、耳の下のリンパ腺が痛かったので早寝したが、今朝もなんとなくだるい。考えてみたら年末からずっとゆっくり家で休むということがなかったので、案外疲れているのかも知れない。夫もいないのでのんびりを決め込む。 まだ松の内なのでテレビはまだお正月特番モード。テレビを見つつちょっとそこらへん片付けたり。お重をしまったり、ちょぼちょぼはするが、世間様が通常営業になっているというのに、こんな体たらくでいいのか、という気もする。多分ダメだろう。でもまあ、いいか、という感じ。 日記の更新とか、旅行のときのお礼状とか、やろうと思っていることは山積している。先月のある時期の掲示板への書き込みへのレスをまともにしていないのも実は気にかかっている。まーちょっとずつ前に進めばいいですかね、やらないよりは<弱気、っていうか自分に甘すぎ。 ところで夜、最近人気の若手芸人をボケと突っ込みに分けてシャッフルして、別のコンビで芸をするという番組をちらりと見た(今調べたら「ザ・ドリ○ムマッチ」というらしい)。紙芝居屋に扮した山口○充の芸達者ぶりに改めて感心する。ガタイはいい、歌は上手い、物まねも上手、ダンスもできるし常々、すごいなぁと思っていたが、紙芝居の絵も描いたそうだ。これがなかなか可愛い絵で、会場の人たちも「はー、なんでも達者な…」と感心していた。 あれ、でも確かこの人、もともとコンビじゃなかったか。相方はどうしたんだ。
さすがに睡眠時間が足りてきたので、あっさり起きる。 夫はお昼ごはんを済ませたら出張するので、今日でお餅もお節も粛々と片付く予定。昨日から餅網を使い始めたので(遅)、今朝はお雑煮の写真も撮ることに。この写真ではよくわからないが、こげがついておいしそう。最中好きにはたまらない。お重はすでに1段分空になっているが3段積み重ねた雄姿を見よ。 食事を済ませてマンションの屋上に景色を見に行く。あいにく筑波山の方向は見えないが、丹沢から秩父まで良く見渡せる。いつの間にか高層マンションがあっちこっちににょきにょき立っている。もっと増えるのだろうか。夫は例によって滞在先の詳細を残さずに旅立っていった。出掛けにホテルの名前だけ聞き出す。これで行き先が全然違うところで、思わぬ災害に見舞われていたら絶対出てこないだろうな。 津波の被害で被害者の身元がわかりにくいという報道に触発されて、パスポートの最終ページに貼る緊急連絡先一覧を作る。第一連絡先はそれぞれの配偶者、そこが不在の場合(あるいは二人そろって遭難した場合)は、各自の男兄弟のところに連絡してもらうようにして、さらにかかりつけの歯科医の連絡先もいれた。それにしても寄付というのは、みんなどのくらいしているものなのだろうか。今回の津波災害については、子供の被害が大きかったという話なので、ユニセフに寄付することにしたが、わずかな金額でも広く寄付すべきなのか、ある災害と決めて重点的にするのがいいのか、いつも迷う。 ついに年賀状の宛名を入力し始める。今年は急激に宛名印字のものが増えた気がする。手書きはもはや少数派である。多分以下の図式で増えたのだろう。 デジカメ出回る⇒プリンター買う⇒宛名ソフトついてくる⇒印字が増える つまりデジカメ増えれば手書きが減るのである。手書き宛名こそ心がこもっているという人もいるが、そこで省力する分手書きコメントを充実させればいいわけだ。今年からは少し早めに出せるだろうか。
淡々と日は過ぎて、正月二日目。 今日は私の実家に行く。「お正月は伝統的にせねばならぬ」という強迫観念に取り付かれた母と、それほど日本的なものに興味がない兄夫婦。二世帯住宅である実家でお正月といっても、結局準備にかり出されるのは私なので、ここ数年は私の家でお正月をしていたのだが、持ち寄りは思惑通りのものが集まらないのでまためんどくさいし、父は自分のペースで過ごせないので、いまひとつ乗り気ではないし、なんだかんだで近所の和風ファミレスで外食することに。気楽だし、安いし、その割りに見た目も美しくおいしいし、お子様ランチもあるし、なんだ気楽でいいじゃないか。にこにこと皆で生ビールを飲み、そろって実家に戻り、兄のところで姪のお遊戯会のビデオを見たり、ゲームをしたりして過ごす。両親はお茶だけ飲んでころあいを見計らって自分たちのスペースに戻り適当にくつろいでいた。兄と夫は同年代で二人きりで弾む話もあったようで、なんとなく楽しそう。私のリカちゃん人形の家具などを姪に譲る。埃だらけ。よく洗ってね。義姉から母と私は今流行の(?)タオルマフラーをお年賀にもらう。うちからはお米(笑)。 そういえば母が「ねえ、あのカビの生えたひびの入ったお餅は、あれ、石川から送ったものなの?」とあきれたように半分笑いながらいう。は?この人絶対プレゼンテーションがおかしい。なじかしらねどむっとする。母の言いたかったことは、つまり、もってきたばかりのお餅がかびているのはおかしいが、あれは本当につきたてのお餅だったのか?という疑念らしいのだが、どうもそうは感じられない。実は、お餅は31日に切ってポリ袋に入れておいたのが昨夜見たらもう表面にぽつぽつとカビが生えていたのだ。それでカビを包丁でこそげ落として、乾燥気味のほうがいいのかと思って紙袋に移しておいて朝それをもってきたのだが、カビ菌はとどまるところを知らずに成長を続け、乾燥させようと思ったばかりにひびがいってしまったらしい。搗き立てをラップに包んで大事に持って帰るのと、のし餅にしたものをポリ袋に密封せずに入れて宅配便で送るのでは菌のつき方が大違いということだ。ああ、痛恨のきわみ。 平和に両家への年始が済んで、今日もお酒を飲んで早寝。
朝ゆっくりめに起きて、夫に「あけましておめでとうございます」というと、「昨日も言ったよ」といわれる。こういうのは何度言ってもいいのだと諭す。しかも昨日じゃないし。私の実家では三が日中は毎朝言いあってたけど、これって私の実家だけの風習なんだろうか。 なんとなくテレビをつけると正月特集のおじゃる丸をやっていて、見たことのないストーリーばかりなので、思わずお節もそっちのけで見てしまう。元旦早々着替えもせずに子供特番を見てる中年夫婦ってどうよ。 お昼から夫の実家に年始に行くことになっており、そこでどっさり食べることになるので、朝食があまり遅くなると苦しい。10時ぐらいにやっと食卓に着く。 やっぱりお重はいいなぁ(^^)六角のお重って、かまぼこや伊達巻などが入りにくいので、意外と入らないと思いきややっぱりスカスカ。一面紅白膾とか、ほとんどゆで卵、みたいな感じになってしまったが、それなりに映える。記念に1枚。 お椀の口当たりもいいし、お餅もおいしいし、うっかり食が進んでしまう。いかんいかん。そそくさと片付ける。お重は広げるのも簡単だし、しまうのも簡単。日本の知恵だねぇ。お重を使わなくてもお皿を組み合わせたりして、それなりに雰囲気は出せるが、お重を使ったほうがいい場面というのはあるのだな。 でかけるまで1時間ぐらいあって、ちょっと眠くなったので、夫も巻き込んで昼寝しようと画策する。夫は今寝ると後で大変だからと渋るが、今眠らずにあとで訳わからんちんになるのは困るからちょっとだけ寝てすっきりしよう、と半ば強引に昼寝。思いのほか深い眠りに入ってしまい、タイマーで目覚めるもしばらく動けず。何度も起きる夢を見てデッドラインに飛び起きて身支度をして出かける。もうふらふら。こんなにつらくなるなら早めに出てどこかでお茶でも飲んでいればよかったと思い、夫にも謝る。 約束した時間を少し過ぎて夫の実家に到着。形ばかりにお節とお雑煮。お菓子を食べて初詣。帰りにコーヒーを飲んで姑の実家(私は未経験)の写真などを見せてもらって、いろいろものをもらって夕方帰宅。夜は日本酒を飲みつつお節。お雑煮。これで三食お雑煮だ。
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