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男子マラソンの妨害をした男性にスピード判決が下されたそうで、ニュースで何回もその妨害シーンを見るのだが、観客の中から何人もが男を取り押さえ、ランナーを先に行かせようとしている姿が感動的である。中でも青いシャツに半ズボン姿の白ひげのおじいさんが、どうしたどうしたという感じで出てくるのだが、その彼の見かけに似合わず機敏な行動が印象的だ。他の映像でも、彼がランナーの手を取って先に行かせるような場面が写っていた。自分があの場にいたら、ただびっくりして固まっているだろうと思うのだが、ああいうときにとっさに行動できる人って言うのはいるものなのだと思う。
今日こそは晴天。 朝からお弁当作りにも力が入る。朝食時に赤ちゃん連れの日本人家族を見る。赤ちゃんは離乳食が始まった頃らしく、お母さんはその場でお湯をもらって粉ミルクを調合し、だんなさんに指示してもってこさせたバナナなどをつぶして赤ちゃんの食事を用意する。その顔つきは真剣そのもので、その様子はなんだか神聖なる儀式のようだった。 駅まで歩いて、モデルコースに指定された電車に乗る。今日の目玉は、フロム鉄道。http://www.flaamsbana.no/jap/Index.html。オスロからベルゲンへ来る途中にあるミルダールという駅から急勾配をふもとの入り江まで降りていく。駅で乗り換えると、めぼしい車両はほとんど旅行会社の貸切になっていて、なかなか席が取れない。右往左往しているやっとの思いで席を二つ確保する。日本人の団体客も多い。途中車内アナウンスで左右に見えるview pointを案内してくれるので、座っている暇はない。あるときは車両の右側に、あるときは左側に人々が殺到する。途中で十数分停車した駅はホームから滝が見え、その滝の脇に赤いドレスを纏った美女が歌うというへんてこりんなサービスがついているところだが、たまたまわれわれが座った席は滝の真正面。降りることなく写真が取れてよかった。隣のボックス席には90歳を優に超えているだろうイギリス人らしいおじいさんがいて、息子の世代と一族で旅行に来ているらしい。おじいさんもカメラを持っているがなかなかシャッターを切るところまでは行かない模様。チケットも胸ポケットに入ってるし、年寄り扱いしないところがいいなあと思う。 歓声を上げながらシャッターを切りつづけて電車は谷底の入り江につく。ここでしばらく時間を費やして今度は船に乗るのだという。これといってぴんとくるレストランもないので、駅の脇にあったコープでパンや果物を買う。ここで発見したのがチューブ入りのクリームチーズ。歯磨きチューブのような体裁で甘エビが印刷してある。すり身が入っているらしい。他にもサーモン味などもあるようだ。おひょひょーと面白がって甘エビ味一つ購入。夫は支払いのときにもたついていて、太った観光客の女性に"Excuse me!!Grazie!"とか言われていた。ふん、感じの悪い。ベンチに腰掛けて、朝ホテルから持ってきた果物と一緒に早速さっきのチーズペーストをパンに塗ってみる。んー。んー。んー。これはどこかで食べたことのあるような…と思ってはたと思い出した。「チーかま」だ。懐かしい。また見つけたらどこかで買おう。 食事も済んだので1便早い観光船に乗る。この後はまたフィヨルド、フィヨルド、フィヨルドである。初日の興奮はうせ、ただただ圧倒されながら入り江を進む。この頃になって急に「フィヨルドのU字型に削られた状態っていうのは垂直方向のことを言っていたのか!」ということに思い至った。小学校の社会科で、三陸のリアス式海岸と北欧のフィヨルドをセットにして習った記憶があるのだが、地図で見るとどちらも海岸線がぎざぎざになっていて、てっきり水平方向に削られていたのかと思っていた。これでも社会科は得意科目でテストの成績も良かったのだ。うーむ。二次元の教科書学習の限界だな。 天気はよいがやや肌寒い。ほとんどの人はデッキに出ているが、カフェにしけこむ人も。すでにカフェは満員なので中央の屋内部分でしばし日向ぼっこ。再びデッキに出るとほどなく船内アナウンスがありどっとみんなが船の片側に集まってくる。アザラシがいるのだという。確かに水面にアザラシらしき頭がいくつか浮かんでいる。アザラシ。実感はないがここはやはり海なのだ。やがて船は大きな滝へ近づいていく。この滝の水は不老長寿の水だとかで、これを皆さんに振舞うのでご興味のある方はどうぞというアナウンス。船は先頭を滝のほうへ向け止まる。ものものしくロープが張られ、乗客と船員の境が作られたと思ったら、船員がしゅるしゅると伸縮自在のホースを伸ばして先を滝につっっこむ。こちら側には輝くアルミのバケツ。あれよあれよという間にバケツ2杯分の取水完了。これからはみんな殺到。ひしゃくから水を汲んで一人ずつプラコップに入れて渡してくれる。気まぐれに脇の人に渡したりするのでなかなか順番が回ってこない。こういうときにラテン系の人とかは存在感があってすぐにもらえるのだが、日本人は目立たないのか?持参の水筒に入れてくれという人もいてここまでわたるかひやひやする。やっと夫と私の分を手に入れて飲む。甘い。船内には一挙に笑顔を和やかさが広がる。たとえただの水でも、なにかしら食べ物が配られるとこんなにも人の心は浮き立つものなのか。 さらに船は進み、今度はカヌーをこぐ一行に手を振ったり、陸路からのアクセスができない集落などを見ながら終点着。ここでバスに乗り換える。下船を待つ列に加わっていると、朝ホテルで見かけた赤ちゃん連れの日本人の姿も。赤ちゃんは7ヶ月らしい。ヨーロッパ駐在の人なのだろう。他にも何人か日本人を見かける。バスに向かう道で別方向から船で来て別の船に乗り換える団体とすれ違う。こっちも日本人だらけ。バスは言語別に分かれているが日本語はないので英語・ドイツ語バスに乗る。つづら折の道をのぼっていくと、眼下にムーミン谷のような集落が見える。本当にこういう立地はあるんだなぁとしみじみ思う。揺れながら写真を取りまくる。次の停留所は高台にあるホテル。展望テラスから景色を眺めるとちょうどさっきのムーミン谷が一望できる。あまりに美しいので2時間後の次のバスで帰ることにする。時折遠くで車の音がする以外は本当に静か。ここは典型的な滞在型ホテルらしく、夕暮れ時(といってもまだ日は高いが)を散歩しながら過ごす家族連れや老夫婦が多い。ラウンジでビールを買って庭でぼんやりしながら飲む。至福。 バスは時々観光客をどっさり連れてきて、10分ほどでまた去っていく。韓国人らしい団体客は男性ばかり。ポーズをとりながら次々と絶景をバックに写真に収まっている。韓国女性のグループを見かけないことはないのだが、ジャケットを着こんだ韓国男性の旅行団というのは本当によく見かける。そろそろ次のバスが来る頃のなのでトイレを済まそうと思ったら今度はドイツ系のグループと日本人のグループで込みこみ。やっと済ませて外に出たらもうバスが来ているというので、早速乗り込む。バスは一路終点ヴォス駅まで。ここからベルゲンまで電車で戻る。出発までまだ時間があるのでほとりを散歩する。美しい教会がある。水辺からモータつきのパラグライダが一機飛び立っていった。 駅に戻り席はあらかた埋まっているが、先頭車両まで移動すると何とか窓際の席に陣取る。6人がけのボックス席。行きと同じ側になってしまった。 反対側には日本人の母娘。欧州留学中の娘のところに母が遊びに来たという雰囲気。4人がけのボックス席の窓際に座って脇には荷物を置いている。まだ席を探している乗客がいるので、荷物ぐらい棚に上げればいいのにと思って様子を見ているうちに、やがて文庫本を読み始めた。窓際をとってそれぞれ文庫本を読んでいるぐらいなら、窓のないところに座ればいいのに、と思うまもなく二人とも眠り込んでしまった。猫に小判。われわれの席には、フロム鉄道で一緒になった90歳過ぎのおじいさんとその息子が移ってきた。英語は聞き取れないけれど、息子の子供の頃の話とか時事の話とか、動作や話し方はゆっくりだけど全然老いた様子がない。一族から尊敬されているおじいさんなんだろう。帰りのほうが天気がよくなってまた違った情景を見ながらベルゲン駅へ。 ホテルに帰る前に、昨日船の中に手袋を忘れてきたのでそれを取りに行くが、見つからない。係員はざっと見て、即座にないと答えるのだが、"I'm sorry"と本当にこちらを気の毒がる表情を見せてくれる。やってることはぞんざいなのだが、申し訳なさそうな顔をしてくれるのでこちらも癒されるというか、こういうのは大切だと思った。帰りに地元のスーパーに行くと、お昼見つけたクリームチーズのペーストがあった。しかもハム味とかベーコン味もある。夕食にするお惣菜をいくつかと、これを数種類と間違いじゃないかと思うほど格安(通常価格の1/4ほど)のハーブティーをお土産に買った。 明日はスウェーデンへ移動。
いよいよフィヨルド観光である。観光案内所でくれるパンフレットには、"ノルウェー・イン・ア・ナットシェルNorway in a Nutshell”http://www.norwaynutshell.com/default.aspと呼ばれる公共交通機関を乗り継ぐいくつかの観光モデルルートが紹介されていて、窓口で「このコースをください」というと、窓口などで切符をセットで買うことができ、船の乗り継ぎなどもスムーズにできる。旅行の立山のアルペンルートのような、といえばわかるだろうか、団体ツアーの段取りのよさと個人ツアーのきままさがセットになっている。夫はその中の2コース(つまり2日分)の切符を買っていて、ひとつはもっとも貴重なツアー、もうひとつはもっとも人気のあるツアーと書いてある。 今日はもっとも貴重なツアーのほうで、朝8時半にベルゲンから高速艇に乗り、ソグネフィヨルドというノルウェー最大のフィヨルドを進み、さらにフェリーを乗り継いで、フィヨルドの奥に進み、上陸して氷河博物館を見学して、氷河を見てくるという段取りである。例によって朝食の時に昼用のサンドイッチと果物を持って、部屋にあるお茶セットで紅茶をいれてペットボトルにつめて出かける。あるものはすべて着込んだがそれでも寒い。船に乗り込むと、日本人の家族連れが2組。1組は朝食の時ホテルで見かけた熟年夫婦と私と同年代の娘さんらしい3人組、もう1組はやはり親子3人連れだが息子は大学生ぐらい。そのほかにも生活の足として使っている人たちや、旅行の移動手段として大きな荷物とともに乗り込んでくる人もいる。あっちこっち移動したりカメラを構えて興奮しているのは観光客、座席にどっかりと腰をすえたまま居眠りしたり新聞を読みふけっているのは地元の生活者なのだろう。ここにも子どもの遊び道具は充実していて、真ん中にしつらえられたテレビでは「カリブの海賊」ビデオを流していて、少年が釘付けになっている。さらにテレビの裏側には、ガラス張りの一畳ほどの子供用ブースがあって、おもちゃなどがおいてある。ブース内でもビデオが見られるらしい。 あいにくの雨もよいの中船はゆっくりと外洋へ向かって進む。この船には3時間乗る。外は相当寒いらしい。両岸に白や黄色のおもちゃのような白い家などが点在していて、鉄道模型などのジオラマにそっくりだ。しきりに写真を撮る。窓の様子やドアなどを考えると、小さい家ではないことに気づいた。周りに対比する建物などが少なく、風景があまりに大きいので小さく見えるのだ。船はいくつかの船着場に寄りながら奥へ奥へと進む。船着場がある場所は小さな村だったり、観光拠点だったり、そのつど大きな荷物を持った人が降りていったり、自転車を担いだ人が乗りこんできたりする。目の前にフィヨルドの切り立った斜面が次々と現れてくる。途中で小さなフェリーに乗り換え。ここにもホテルがあるので何人か降りる人がいる。日本人グループもここで降りたようだ。それぞれバイクに乗った男女がフェリーに乗り込んでいる。こうやってバイクで旅しているのだな。安くてラッキーだよなどと係員が言っているが、いったいなに?。 あたりの景色を撮って乗客の最後のほうにフェリーに乗り込むと、甲板の上は各自好きなところにプラスティックの椅子を置いて座るようになっていて、めぼしいところはすでに人が一杯。かろうじてトイレ近くの人のあまりいないところに陣取る。椅子が固定されていないということは、それだけ水面が穏やかだということなのだ。持ってきたお昼を食べ、景色を眺める。水面は鏡のように穏やかで、前を向いても後ろを振り返っても斜面。後方は自らの船がつけたさざなみが立っているぐらいの違いである。しばらくすると小雨が降りだして乗客の大部分は下のカフェにしけこんでしまう。我慢して甲板にいると氷河が見えてきた。おおー。興奮して写真を撮っていると、例によってデジカメのバッテリーが切れてしまう。雨が強くなってきたので私たちも下へおりるが、座る場所がないのでまた甲板へ逆戻り、などとやっているうちに目的地フィエールラン(Fjærland)へ。 船が着くとバスが迎えに来ていてそのままノルウェー氷河博物館 (Norsk Bremuseum) http://www.bre.museum.no/へ向かう。バイクの二人連れは軽々とバスを抜き去っていった。なるほど、バス代がない分安いのか。ソグネフィヨルドに隣接している北ヨーロッパ最大の国立公園「ヨステダール氷河(Jostedal Glacier National Park)」に関する展示や映画を見る。ここではいろいろな実験道具をつかって、氷河がどうやってできるのかや、なぜ氷河は青いのか、など学習することができる。日本語のパンフレットもある。一通り屋上に展望台があり氷河を眺める。展望台らしくコイン式の望遠鏡があったので大枚をはたいて覗いてみる。うわっごつごつ。氷河の表面は何度も部分的に解けたりまた凍ったりしているせいで、かなりでこぼこしている。遠目ではわからなかったことである。望遠鏡のレンズ越しに写真が取れるかと思ったがさすがに無理。ちょっと飽きてきたので、残り時間はさっき写真を撮りあったカップルに譲ってその場を離れる。振り返ってみると、望遠鏡は長蛇の列である。サクラの重要性を感じる。 さらにバスにのっていよいよ氷河へ。駐車場からぬかるんだ道を歩いて氷河を川越しに見る場所へ。去年大規模な崩落が起きて、死亡事故があったらしい。崩落したために氷河もパンフレットとは姿を変えている。地球温暖化の影響か、崩落部分を抜きにしても以前より小さくなっているように見える。最近も大雨が降って氷河が大量の水を含んで崩落が起こりやすくなっているので、気をつけるようにガイドさんが口をすっぱくして言う(ところで、なぜくどくどと注意することを「口をすっぱくする」というのだろうか。のどが渇いてしょっぱい感じはするけれど、すっぱいと思ったことはない)。氷河をバックにめいめい写真を撮ったり、空を見上げたりしてすごす。バスに戻ってまた博物館経由で波止場まで。バイクの二人連れはさらにどこかへ旅立ってしまったらしい。羽を持たないわれわれはまた船に乗り込む。さっき来た道をこのまま戻るので大部分の乗客はサロンに入ってしまった。同じといっても右側通行らしく、行きとは反対の岸の近くを通っている。たまに岸の上の親子連れに手を振ったりしてのどかに船は進む。フィヨルドをまたいで電線が渡っている。どうやって渡したのだろう。 しばらくするとまた雨が降ってきて寒くなってきたので、われわれもサロンへ行くが座る場所がない。しかたなく廊下に立っていたりするが、それも情けないのでまた外へ出る。後方に虹が出ていた。乗客も興奮気味である。一度虹の根元を見てみたいと思っていたが、180度以上の虹になっていてどれが根元とは言えないことがわかった。 また大きな高速艇に乗り換え、ベルゲンへ戻る。夕方なのでより生活者が多くなっているようだ。すこしうとうとする。 夕食はホテルのラウンジで軽く済ます。ロビーに面した席に座っていると、朝方見かけた日本人夫妻が戻ってきた。はじめの高速艇を降りてからどういうルートを観光したのだろう。娘さんの姿が見えなかったが、旅なれた雰囲気のお二人である。年金も心配なくもらって悠々自適なんだろうなぁなどと想像をたくましくする。明日もフィヨルド観光。
いやー、ほんとに雨ばっかり。 夫のコーディネーションによると、今日は午前博物館を見て、散歩をして、午後からスティーヴチャーチ(Fantoft Stavkirke スターヴ教会)と呼ばれる木造教会+作曲家グリークの家(Troldhaugen トロルハウゲン)を回るバスツアーに参加するという。泊まっているホテルは、世界遺産に指定されているブリッゲンという地区にあり、隣がブリッゲン博物館なのでまずそこから。このあたり三角屋根の古い木造家屋が続いている。木造だけに何度か大きな火災に遭っている。そのたびに同じ様に復元していて、遺構の一部や、当時の生活の様子なども展示されている。ブリッゲン博物館(Bryggen Museum)を出て今度は反対側の一角にあるハンザ博物館(Hanseatisk Museum)へ。ベルゲンはハンザ貿易都市で、鱈を輸出していたらしい。紋章の右半分に鱈、左半分に鷲が意匠になっている。これは名物ハンザビールのマークに残っている。博物館の中に入るとあちこちに当時の干し鱈が天井から下がっているというのだが、どれも古く見えてよくわからない。急勾配の階段、狭い部屋のあちこちにしつられられた押入れのようなベッドが当時の生活をしのばせる。同じチケットで別館を見られるというのだが、時間がないので、あきらめて街の行ったことのないエリアを散策。散策といいつつ途中で雨に降られて、興味深いながらもかなり惨めな気分になる。バスツアーの出発時間になるまで、冷え切った身体を目の前の観光案内所で雨宿り。 ツアーは英語か独逸語のガイドがつく。乗客は夫婦3組+若者一人で英語話者。そろそろ出発しようという時、大きな船が港まで入ってきた。汽笛の音が鳴り響く。まさかこんな大きな船が停泊できる港だと思っていなかったので驚いていると、入ってきたのは特別のクルーズ船だというようなことをガイドが教えてくれた。通常は港の端の停泊所にとまるのだが、今日は船が特別なのか日にちが特別なのか、とにかく特別らしい。いずれにしてもこの11日間のクルーズはずいぶん人気なのだという。3時から6時の間に一般公開されるということで、このバスツアーの終了予定時刻が5時なので帰ってからいけるかもしれない。 バスはベルゲンの市街地を抜けあっという間に郊外へ。ゆとりのある集合住宅がいくつもある。このあたりは引退した人たちが都心の一戸建てを処分して、手入れの楽な集合住宅へ移り住むのだという。まずはじめに訪れたスティーヴチャーチはオリジナルではなく復元されたものらしい。中に入ると新しい木のにおいがする。日本のしゃちほこを連想させるような屋根飾りがついている。中で説明を聞いて何枚か写真を撮ってバスへ戻る。そぼふる雨の中、林を抜けていくと、前を歩くガイドがわきに生えている木の実をぱっとつまんで口の中に入れた。木苺だ。まねをして1つつまむ。甘い。 雨は霧雨のように身体にまとわりついて、かなり寒い。がたがた震えながら次はグリークの家へ。グリークの作品はペールギュント組曲とピアノ協奏曲ぐらいしかなじみがないが、ノルウェーでは絶大な人気を誇る音楽家らしい。冬を嫌って、冬中外国を演奏旅行したグリークは、夏の間最愛の妻とここで友人を招いたりコンサートをしたりしてすごしたのだという。写真などで見ると小さなコテージといった趣だが、入ってみると天井が高くて広い。グリーク本人は160cm足らずの小男だったようで、邸内に飾られた写真には、その分人一倍ふんぞり返っている姿が何枚も収められている。グリークが演奏旅行の時に常に携帯していたかえるの置物などを見る。案内の若い女性が他の観光客にその理由を尋ねられて「たぶん日本のことわざでかえるは幸運のシンボルだった…」と説明していた。日本ではかえるが「無事帰る」のシンボルだということをのどまで出掛かっていたが、言い出せずに飲み込んだ。こういうときにさっと発言できる語学力と度胸を養いたい。敷地にはその他にコンサートホール、博物館、グリークの横顔をモチーフにしたモニュメントなどがある。コンサートホールは自然の景観を上手く取り入れた建物で本当にすばらしい。博物館を見たあと地下でグリークのビデオを見せられる。なんだか授業のようだ。1階のレストランから鳥のから揚げの香りが漂ってきてそちらのほうが気になった。 時間になってバスに乗り込む。このまま戻るのかと思ったら、バスは山道を上っていき、ベルゲンの町を見下ろせる展望台へついた。ここからだとフィヨルドになっている様子などがよくわかる。これを見れば別に大きなケーブルカーに乗る必要はないし、物価が高いので当然バスツアー代も予想以上に高かったのだが、この寄り道でかなり満足度があがった。ベルゲンの町まで降りてくる。教会と木造の病院の跡地の脇を通った。ハンセン病記念博物館ということである。癩の病原菌を突き止めた医師ハンセンはベルゲン出身で、ここの教会付属病院で治療に当たったということである。こんな街中に、と日本でハンセン病の人たちへの不当な扱いを思い起こし、軽い衝撃を覚える。 予定バスツアー終了。先ほどの船の見学に行く。この船は、物資運搬船兼観光船で、ノルウェーの海岸線を物資を下ろしながら北の端まで航海する。今夜20時に出発するまで、プロモーションをかねて船内を一般公開している。空室の船室があり、はいりこんでちゃっかりくつろぐ人もいれば、なれた様子でラウンジでビールを注文している人もいる。われわれも怒られたらごめんなさいをすればいいと割り切ってあっちこっち貪欲に見て回る。貨物を入れる空間にはいくつか業者が出店していて、物産や観光地をアピールしながら飲食物を振舞っている。うわっ!タダ!ジュースを飲み、あつあつのソーセージをほおばり、魚介のムースを食べ、デニッシュを食べる。どこかの高級ホテルのコーナーでは、プラムを配っていた。ホテルの敷地でとれたプラムかどうかはしらないが、粋な配り物である。キャンディを見つけたので「あ♪キャンディもらっちゃおう」とはしゃいでいたら、横に立っていたおじさんに微笑まれた。すごく子どもに思われているらしい。赤面。いつかこんな優雅なたびが出来るといいなと思いながら、パンフレットなどをもらって下船。 一度ホテルに戻って少し休憩する。どこからかブラスバンドの音がする。ホテルを出てみると、ブラスバンドを乗せた小船が、演奏しながら観光船の周りを走っていた。夫が目をつけていたレストランへ。地元の人にも人気らしく、大変な混雑。運よく二人分の席があいていてすぐに食事にありつくことが出来た。レストランは偶然さっきの船が停泊している目の前。例によってフィッシュスープ、私はカニのパテにサラダとパンがついたものを頼む。ハンザビールを飲む。食事が終わって21時。まだ船は出港していない。 今日も早寝をする。食べて、寝て、遊んでは続く。
ベルゲンは直接外海に面してはいないのだが港街で、メキシコ湾流の影響で緯度が高いわりに暖かく、かつ雨が多いのだと言う。メキシコ湾流って、どこをどう流れてここまで影響するのだろうか。地図を見るとちょうど間にイギリスがある。イギリスで雨が多いのもメキシコ湾流の影響なのだろうか。というわけで、朝から雨。 相変わらず早く目が覚めてしまうので、6時台に朝食のレストランへ。今回の旅行のホテルはすべて同じ系列のところなので、メニューもかなり似たり寄ったり。ワッフルを見つけたのでお皿に載せて他を物色していると、傍らの老婦人が「あら、そのワッフルどこで見つけなすったの?」ととてもBritishなアクセントで聞いてきた。あたりを見回すとたしかにアングロサクソン系といった感じの老夫婦が多い。グレートブリテン島は、スコットランドなどを除くと氷河が削った跡とかでとにかく高い山がないので、こういう起伏に富んだ地形は好まれるのだろうか。朝食を済ませて街に出ても、雨の多いイギリスでの普段着をそのまま着てきましたーといった雰囲気の観光客がわさわさと歩いている。みやげ物やで名産のセーターを物色するが2〜3万するのでかなりびびる。昨日食事をしたあたりで朝市をやっている。魚介類、缶詰などの加工品、サンドイッチなどを売っている一画と、セーターなどの手工芸品を売っている屋台の一画がある。日本語の案内を出している屋台があって「こんにちわー」と口々に声をかけられるのでびっくりして思わず無視してしまう。 雨降りの中、街の中心部まで行ってみるが、雨がひどくて途中でショッピングセンターなどで雨宿り。かなりミゼラブルな気分になる。美術館に行ってみると午後からしか開館しないというし、とりあえず駅まで行ってフィヨルド観光の切符を買い、ホテル周辺まで戻ってみる。少し雨が小降りになってきたので、朝市でサンドイッチを買い、ロープウェイで見晴台に上がってみることに。 上まで行くと、雲に覆われている部分があるが、フィヨルドの雰囲気はなんとなく味わえる。かなり複雑に入り組んだ地形だと言うことがわかる。持ってきたサンドイッチをほおばり、だんだん天気がよくなってきたので写真をたくさんとる。ひとしきり撮ったので降りることにして、くだりのロープウェイを待っていると、電車オタクらしいおじさんがホームの端に立って、上がってくる車両の写真を盛んに撮っている。おじさんは当然最前列に座りたかったのだろうが、いざ車両に乗りこむとき、夫が乗り込んでしまい、なりゆきでおじさんが次を私に譲ってくれてしまった。うわ、やっちゃったと思ったが、幸いなことに最前列に余裕があったので、おじさんを手招きをして3人で座る。おじさん上機嫌である。何人なのか何語を話すのかさっぱりわからないまま、身振り手振りでおどけてみせる。車窓から何枚も写真を撮り、ロープウェイが到着するとホームから撮影しようとしているカメラに向けて、ハンドルを持って運転する手振りをしたりする。いやぁ、本当にお好きなんですねぇという感じ。 せっかくホテルの近くまできたので、一度部屋に戻って休んでから、美術館へ。途中で書店によると店前で教科書を売っている学生のグループがいた。オスロの大学前でも大々的に店を広げているグループがいたが、基本形は地べたに教科書を何冊か並べて新学期用に使わなくなった教科書を売っているらしい。ごく当たり前に再利用の概念が浸透しているのだろうか。日本でもそうすればいいのに。美術館はいくつかあるのだが、工業デザインや商業デザインを中心に展示しているところに行く。意匠美術館とでもいうのだろうか。椅子や食器、日本のグッドデザイン賞をとったものなどが展示してある。よくデザイン紙などに掲載されているソファなどが置いてある。座ってもかまわないらしいので、どんどんすわり心地を試す。 すっかり雨は上がったようだ。さっきとは違うショッピングセンターでアイスクリームをダブルで食べる。私たちが客寄せパンダになったのかあっという間に店内は客で一杯になった。食べ終わってから雑貨などを見て、地下のスーパーでミネラルウォーターの大瓶を買う。 夜は中華。中華料理店が多い。世界中、中華料理店がない国を探すほうが難しいのではないだろうか。もちろん日本食の店もあるのだが、こちらは日本以外のアジア人が自国料理の片手間にやっているケースが多いようだ。ロブスターのあんかけのようなものを食べる。フォークとナイフしか並んでいないところ、お箸を出してもらってがつがつ食べる。ロブスター、普通のシーフードレストランのメニューではあんなに高いのに、中華料理だと比較的安いのはなぜ?
今日こそ、朝食時にお弁当を作ろうと意欲満々でレストランへ。はじめからお弁当に適した食材を虎視眈々と探してしまうので、挙動不審。昨日おいてあった薄切りのサーモンは今朝は出ていなくて残念。やはり毎日同時品揃えというわけではないのだ。韓国の団体客らしい中年夫妻がいて、微妙に男尊女卑というか妻が夫を立てている雰囲気。同胞が現れると、妻のほうはすっと席を立ってお辞儀をしていた。儒教の影響なのだろうか、中年以上の韓国女性は礼儀正しい気がする。 駅はホテルのすぐ近くで昨日下見もしたので、スムーズに電車に乗り込む。そういえば、街中にマクドナルドの店があふれている。ついでバーガーキングがよく見かけられて。セブンイレブンも多い。スターバックスやサブウェイは見つからなかった。10時半の西行きの電車に乗る。最終目的地はベルゲン(Begen)、フィヨルド観光の拠点となるところである。予約してある列車に乗り込もうとすると私たちの席がある車両には、くまちゃんの顔のマーク入りだった。他の車両はほぼ満員なのに、この車両はガラガラ。しかも車両の中ほどには分別用の大きなゴミ箱、さらにその向こうには檻のようなカラフルな箱と二段ベッドのような棚がある。一瞬動物用か?と思ったが、よくよく見ると子供用の備え付けの遊具だった。下の段を覗いてみると木製の小さなキッチンセットがある。びっくり。だが、こりゃぁいいや。子どもは座席だろうが遊び場だろうが、お構いなくキャーキャー遊ぶものである。だったらはじめから遊び場を設置しておけばいいではないか。遊具で幸せそうに遊ぶ子どもたちを見るのは幸せなものである。コロンブスの卵というか、これぞ先進国である。この手の遊び場はこのあとも、ノルウェー、スウェーデンの空港の待合ゲートや駅などで見かけた。 さて、列車はそぼ降る雨の中、西へ向かってひた走る。途中で持ってきたハムチーズ入りのパンを食べる。お弁当箱はもちろんこの間機内で出たサンドイッチが入っていた容器である。早くもこんなところで役に立つとは。トイレにたつと、ほんとうにこの車両以外は超満員で、ひとつとなりの車両はイギリス人の団体客だろうか、アングロサクソン系の人々が大きな身体を窮屈そうに折り曲げて狭いシートにぎゅうづめに座って談笑している。談笑というよりは議論だろうか。にこやかに白熱している。席に戻ってうとうとと眠る。ふと気づくと山の中である。とある駅につくと冬装備をした観光客がわさわさと降りている様子がわかった。外を見てみると夏とは思えない寒々しい風景が広がっている。うわーすごいとこきちゃった。http://www.bt.no/kamera/english/article87010;jsessionid=2OT0YKOKCFOO5COZXZDSFFAFinseという駅だった。沿線上最高地(海抜1222M)だという。http://www.bt.no/kamera/kart.jhtml?articleID=24451&sted=Finse ここからかなり本格的な山行をするんだろうなぁ。上り詰めたらあとは下るだけということで、どんどんスピードを上げて列車は走る。遠くの山の頂に万年雪が見える。おおー万年雪だーと喜んでいたら、さらに分厚くせりだしてくる白い雪のような塊が見えてきた。曇天の下青く光る部分もある。氷河だ。列車の中から氷河が見えるなんて夫は大興奮である。デジカメを片手に右側の窓に陣取ってみたり、左側の窓に駆け寄ってみたりしている。他の車両から私は私で旧式のデジカメを持っているが旧式ゆえバッテリー切れでなくなくあきらめる。 列車は夕方6時前に終点へ。駅からホテルまでは1Km強あるらしい。他の乗客たちはさっさと三々五々散っていった。夫が重い荷物を持って歩きたくないというので、路線バスを探すが上手く見つからず、タクシーに乗ってホテルへ。行く途中何台もバスとすれ違う。波止場近くのホテルの前には大きなバスの停留所があった。部屋に荷物を入れて食事がてらぶらりと散歩に出てみる。時間は7時前。客で混雑しているシーフードの店に入る。店内は満席だというので、テラス席にする。大きな暖房器具が入っている。長袖を着ていても寒い。二人とも前菜にフィッシュスープ、夫はメインにサーモン、私は鯨肉のステーキにする。鯨肉は小学校1年の給食で出た時に食べたのが最後か。別に好きではないが、郷愁とやや反発とで食べてみる。鯨だ。他のテーブルにアジア人のカップルが座っていてロブスターを食べている。メニューを見ると1尾5000円ぐらいするらしい。ひゅぅ。大雨が降ってきた。 入り口を見ると大行列。しかもやっと席にありついた客に、店側が「これから1時間お料理でませんけど、いいですか」とか言っている。9時からパーティーが入っているので、その間厨房が使えないのだという。魚料理が食べたいなら、他の店を紹介するなどと言っている。のんきというか、ひとがいいというか。私たちは運がいい時に店に入ったらしい。テラス席のひさしから雨が降りこんでくる。席をずれて雨をしのいで、小ぶりになるのを待って走って帰った。
早寝したので5時半ぐらいに目が覚める。夫はもっと早くから起きていて、トイレで隠れ読書していた様子。外を見ると薄暗い。なんだ、普通の夜明けなのね。相変わらず旅行前に下調べしなさすぎである。 朝食はシリアルあり果物ありチーズありのビュッフェ形式だが、これに北欧の名物スモーガスボード(smorgasbord)という、肉や魚のビュッフェが合体していて、さらに焼きトマトや豆などの英国式もあるので、朝から大変なことである。何しろふんだんに食べものがある。饗宴(feast)という言葉が頭をよぎる。珍しいハムをとり、珍しいチーズをとり、ヨーグルトをとり、ゆで卵をとり、サーモンをとり、果物をとり、とかやっているうちにすっかりおなかが一杯になってしまった。あたりを見回すとアジア系が何人か見かけるが、圧倒的に西洋人が多い。しかも英語しか聞こえてこない。大都市のホテルだからそうなのだろうか。西洋人は自分が普段食べなれているものを選んでいるのか、少ない種類のものを大量に取って、バクバク食べている。隣の人は、食事が終わるといつの間に作ったのかパンにハムとチーズをはさんだもの(英国風のサンドイッチとは言いがたい)とバナナを手にして去っていった。なるほど、それをお昼にするのか。今日は機内食を冷蔵庫にしまってあるので、明日からそうしよう。バナナを持って帰ることにする。 午前中、テクテクと地図を片手に歩いて見る。お店や美術館は10時にならないと開かないし、あいにくの曇天で薄ら寒い。町はあまりきれいではないし、オスロは今日一日だけなので、なんとなく悲しい気持ちになる。国立博物館に入る。入場料無料。守衛さんが、大きな荷物は無料コインロッカーに入れるようにと、トークンを渡してくれる。写真撮影はOK。なんと寛大だろう。ムンクの作品を展示してある部屋もあり、ほほー、これが有名な「ムンクの叫び」か、としみじみ見る。今までムンクのモチーフやパロディはたくさん目にしてきたが、じっくり見ると言い知れぬ絶望感がひたひたと迫ってくる。見終わってからミュージアムショップへ行く。ムンクの叫び人形を売っているかと思って期待していたのだが、そんなものはなかった。絵葉書と複製画とポスターぐらい。ここは金策に走らなくていいらしい。併設のカフェでお茶を飲む。なんてことはないのだが、内装が垢抜けている。入場無料なのでここに食事だけ来る人もいるらしい。隣のご婦人方はサーモンの乗った巨大なオープンサンドを、一人でぶらりと入ってきた老人は新聞を読みながら赤のグラスワインを飲んでいた。 街の中央通をまっすぐ歩いていくと王宮に突き当たる。公園のまんなかにでんと構えているのだが、周りには申し訳程度の柵がめぐらされているだけで、窓も開け放ってあるし、警護があまりに手薄でびっくり。ノルウェーの王室は開かれていて有名だが、ここまでとは。衛兵交代を1時間ごとにやっていて、その周りを観光客がぞろぞろ歩いていく。天気がよくなってきたので公園を散策する。そういえばさっきの王宮は柵の中に庭がなかったが、庭を散歩したいときはどうするのだろう?やっぱり観光客に混じって歩き回るのだろうか。大きな衛兵交代が1時半から始まったのでそれを見物して、港のほうまで行く。途中でおもちゃやさんや雑貨の店を冷やかすが、あまりデザイン的に優れたものは見当たらない。これ!と思って手に取るとフィンランド製だったり、デンマーク製だったり。ノルウェーは工業デザインはいまいちなのか。港の市庁舎に入ってトイレを借りる。市庁舎なのにクロークがある。しかも大きい。ここでノーベル平和賞の授賞式が行われるそうだ。 それからしばらく歩いて近代美術館へ。周囲にはノルウェー銀行の建物が林立している。この美術館も元はそうだったらしく、いかにも古い銀行らしい重厚な建物である。現代美術でくらくらしたあと、目の前にある雰囲気のいいレストランに入ってテラスでビールを飲む。次々とおいしそうな料理が運ばれていくのを見ているうちにおなかがすいてきたので、少し早めの晩御飯にする。私は魚のスープ、夫はステーキ。どちらもおいしい。日が落ちてきたので、引き上げることにする。途中でデパートに行って食器やキッチン雑貨を見るが、これといってほしいものもなく、遠回りしてホテルへ帰る。 今日も早く寝る。
今日から旅行。今年は初めて北欧へ行く。ヨーロッパ便の出発は午前中なので、朝5時半におきて身支度をして、朝食を済ませて新聞を取り込んでから家を出る。出かけてから新聞は今日から休みにしていたことに気づいた。先日、新聞配達休止を早めに届けておいたら、いきなり翌日から配達されなくなったし、旅行中大丈夫だろうか。ドアの新聞受けに2メートルぐらいの高さに次々と新聞がささっていく様子を想像して心配になる。まあ、途中でさすがに新聞配達の人も気づくだろう。 駅までのタクシーの中で日本男子体操金メダルのニュースを聞く。28年ぶりということは、森末以来なのか。それにしても、現役引退後見事に芸能界に定着した森末ってすごい人だ。成田空港駅の人出は多い。混雑の中、オリンピックの日本選手団のユニフォームを着た若い女性二人連れを見かけた。新体操の選手らしい。そういえば女子は新体操、体操ともすっかり情報がないが、日本では下火なのだろうか。 人出は多いものの、空港の受け入れ態勢も拡充していてこれといったストレスも混乱もなく無事飛行機に乗り込む。時節柄、国際結婚で配偶者の故郷に里帰りといった風情の幼児連れの人も多い。飛行機の中ではすぐ寝てしまう私だが、今年は映画を見るぞと決めていて、シュレック2、ビッグ、マイボディガードと3本も見る。シュレック2は雰囲気を味わうために英語で見てすっかり気に入ってしまったので、ためしに仏語、確認のため日本語で見た。CGもストーリー展開も、なんかよくできてるなーと思う。結局飛行機では一睡もせず。 フランクフルトに夕方ついてそのままオスロ行きの小さな飛行機に乗り換え。私たち以外に2組ぐらい日本人がいる。出発時刻を待たずに離陸する。人数と荷物がそろったからもういいのだろうか。一応国際線なので飛行機の中で小さなプラスティックのお弁当箱に入った機内食が配られる。フタをあけると、ミネラルウォーターのパックが仕込んである小さなコーヒーカップとサンドイッチが入っている。手をつけずにそのままかばんにしまう。おなかがすかないのもあるが、なによりパッケージのデザインがシンプルかつ機能的ですばらしい。日本でも大切に使おうと思う(この後、帰国を待たずに大活躍してしまう)。機内販売カタログを見ても、かっこいいデザインの食器やおもちゃがずらりと並んでいる。ひょーかっこええー。でも高いー。街中でもう少し安く買えるだろうか。 オスロ着は20時ぐらいの予定だったが、機内英語アナウンスによると、「えーと、すっごく早くて19時ぐらいについちゃいます」とのこと。出発も早ければ、飛行時間も短かったようだ。少しうとうとしていたら着陸態勢に入って本当に19時についてしまった。オスロ空港はすごく広い。しかも空港の建物もかっこいい。すごいーかっこいいーを連発しながら、荷物受け取りゲートへ。が、荷物が出てこない。出てこねー(-"-)と思いながら、じっと待つ。次々と別の便が到着する。ぞろぞろと目の前を通り過ぎていく人たちは、コペンハーゲンとロゴの入ったコペンハーゲンってもしかして北欧では買い物天国なんだろうか。荷物をやっと受け取って、空港前から市内行きのバスに乗る。バス代、高い(-"-)。一人2500円ぐらいする。 ホテルにチェックインしたのは結局21時。もう夕暮れ時という感じ。なんだ白夜じゃないんだ。考えてみたら、ずいぶん緯度が下だし8月の下旬といえばもう秋なので、当たり前か。ついたら上階のラウンジで景色でも見ようかといっていたのだが、めんどくさくなってそのまま寝支度をして寝た。
先週の土曜日夫の実家に行った。実家といっても都内にあるので夕方行ってお茶飲んで、外食して、戻ってきてお茶飲んで終わり。私はその前に、夫の実家から徒歩10分ほどのところにある伯母の家による。親戚の中で一番私と似ているという伯母は、先だって乳がんの除去手術をして自宅静養中。リクエストに応えて、お菓子とは別にお稲荷さんと鮭のお結びを買っていく。普段一人暮らしの老女を気取っているのだが、つい前日まで息子(わたしにとっては従兄)が帰省していたし、親戚の者たちが何かとサポートしているので、いつもより身辺がにぎやからしい。術後の経過もよく元気そうで安心する。 中一日はさんで、今日は私の実家へ一人で行く。明日から月末まで旅行に行くので少し荷物を取りに行く。ついでに美容院で手入れが楽な髪型にした。同居している姪は、この春年中さんになり、すっかり大人にはつれないクールな人になっていた。甥はしばらく会わないうちに赤ん坊を脱して、幼児になっていた。
アテネ五輪の入場行進を録画放送で見てます。 日本選手団のコスチュームは今回もがっかり(^^; スイスの赤と白のコスチュームはカッコいい! 同じ赤白でもカナダの選手団は、ピザの配達の人に見えます。
夏休みといっても仕事は残っている。ここ数日、ぜんぜん仕事がはかどらず、ボーっと過ごしていたのだが、やっと一区切りついたので、朝から洗濯機をまわしながら読書。仕事場でいらなくなったというのでもらってきて、そのまま本棚で眠っていた塩野七生著「銀のフィレンツェ」を読む。お昼過ぎに友人に頼まれて日K新聞の特集記事の電話インタビューを受けた。趣味の外貨預金についてである。無報酬で記事は仮名で載るというのだが、聞かれるがままに一生懸命答え、時に自説をぶったりして面白かった。電話の向こうで一生懸命相槌を打ってくれるので、かなり語ってしまった感じ。これがあの日K新聞節で、 「やっぱり○○は××にかぎる」と、興奮しがちに語るのは、○○県在住の三十代の主婦○山△子さん(仮名)である。 とかいう感じで掲載されるんだろうか。わは。 私は年々電話が嫌いになり、今は夏の暑さで出かけるのも億劫のなので、ここ数日夫以外の人とまともに話すのは久しぶり。30分ぐらい話をしていただろうか。電話を切って軽い興奮状態であることに気づく。今日は都心でディナーの約束があるので、夕方シャワーを浴びて久しぶりにお化粧して着替えて出かける。ブラックな話題も交えながら3時間ほどかけて食事。うーん。脳みそが活性化して少し元気になった感じ。ここのところだるいだるいと思っていたのは、実はだらけすぎていただけなんだろうか。
同い年のNEOさんが1972年に戦後が終わったような気がするという話を書いていて、大いに共感した。確かに自分が子供のころ「戦争」は身近にあった。私が生まれたのが6月で厳密に言うと終戦から20年経っていない。今から20年前というのは、NEOさんと私が大学のサークルで出会った頃で、それを考えるとつい最近のような感じもする。それを考えると20年というのは年代によっては、本当につい最近のような生々しい記憶を伴っていたのだと思う。 フランキー堺や渥美清が出演する「戦争ものの喜劇映画」をテレビでよく放映していたし、地元のお祭りでは「傷痍軍人」を名乗る人たちが、白衣をまとって不自由な身体でアコーディオンを演奏したり歌を歌ったりしていた。一方で休憩時間にその「傷痍軍人」たちが裏手でタバコをふかしながらぴんぴんした身体で談笑しているのも見た。今考えると、20年以上経っても戦時中に病院で支給された衣料をまだ身にまとっていたのかとも思う。 近所にどこの国か知らないが西洋人の子供が住んでいて、ひとしきり子供同士で遊んだことがある。その後年長の男の子やってきて「あいつら、アメリカ人だ。日本はアメリカに戦争で負けたんだ、仕返ししてやる」などと石を投げたりした記憶がある。子供心にばかげていると思ったが、そういう時代だった。戦後は途切れることなくずっとつながっていたのだと思う。それが30年ちょっと前の話である。ベトナムでは戦争が行われていた。
なんとなく始めてしまいました。まだ箱だけって感じですが、とりあえずこちらからどうぞ。http://air.ap.teacup.com/reikona/ kona_log(コナログ)という名前をつけました。実は持っていたという掲示板へのリンクもあります。そこからたどると、実はあったというホームページにもいけます。
夫が「使わないマシンを貸してあげる」というので、ひょんなことから新しいPCが手に入った。うちは、というか夫はPCのことを「マシン」と呼ぶ。「マシン」。なんと文脈自由な言い方であろうか。車好きのご家庭ならきっとマシンといえば自動車だろう。ミシンだって元はマシンだし、ホームベーカリーだっていいようによってはマシンだ。 で、新しいマシンはThinkPadの15型である。わーいThinkPadだいすき。ThinkPadはキーボードが打ちやすい。ぶれないし、気持ちいい。加えてディスプレイが大きいので、今までおっくうがってやらなかった作業もさくさく進みそう。ただ、ノートパソコンといえ、もって歩いたらたぶん一発で肩か腰を痛める。私は普段USBメモリに入れたデータだけ持ち歩いて、人様(共有)のPCを使いまくるという、ヤドカリのような生活をしているので持ち歩けなくてもぜんぜんかまわないのさ。それにしても大きいなぁ、と思うのはフタ(というかディスプレイ部分)を開けるときと閉めるとき。思わず「でかっ」とつぶやいてしまう。最近のPCは本体が薄いので、フタをあけるときに弾みで下(というか本体)が一緒に持ち上がってしまうのだな。うむ。 というわけで、新しいマシンになってご機嫌なのはいいけど、設定をまたいろいろとしなくちゃいけないですわ。とりあえずgoogleツールバーとメーラーはダウンロード済み。走りながらああ、そうそうあれも足りなかったこれも足りなかったという感じですが、まあそれもいいか。圧縮解凍ソフトとFTPソフトもダウンロードして、画像ソフトも入れなくちゃですわ。そうだ、プリンタの設定もしなくては。ブックマークもインポートしてないし、OfficeにPowerPointがついてなかったので、そのうちどこかで買ってこなくちゃ。なんだいろいろあるなぁ。
M山バレエ団の発表会に行った。 発表会とはいえ、さすがM山バレエ団、2000人規模のホールを数日間借り切って、お昼から夜まで10分から15分ぐらいの出し物が延々延々続くのである。学生時代の友人がずっとバレエを続けていて、前から見たいといっていたのだが、照れくささから一向に案内くれず、20年目にしてやっと観劇のお許しが出たのである。一クラス2つぐらい出し物があるというので夕方出かけて行き、8時の終演までオペラグラス片手にたっぷり楽しんだ。それにしても、日本のバレエ人口というのはこんなに多いのかと思う。文字通り、老若男女が入れ替わり立ち代り晴れ姿を見せる。 舞台上の友人はすぐに見つかって、贔屓目でなくとっても素敵だった。笑顔もとびきりだったし、踊りも安定感があって上手だし、華やかで見ていてとても誇らしい気持ちだった。彼女のクラスには一人男性がいて、会場のみんなが注目を集めていた。夜の遅いクラスなのでみんな仕事の傍らバレエを続けている。忙しくて振りが覚えられないこともあるらしく、特に彼はどうも振りがうろ覚えのようすで、最初の演目のときは、会場に「?」が飛び交っていた。二つ目の演目のときは、彼一人輪の中でくるくる回ったりする見せ場もあり、会場一堂息をつめて見つめ、無事終わると「ほーっ」と安堵の小さなためいきがあちこちでもれていた。 どのクラスも、振り付けや組み合わせに工夫が凝らされていて、生徒さんたちはともかく、指導する先生方の苦労もしのばれる。特に一般の大人のクラスはレベルの差が激しく、上手い人ばかり目立ったりしないようにするのも大変そうである。最後は幼稚園から高校生までの合同クラス。二階席から見ていると、一番年少がピンクの衣装、次がトウシューズをはいた黄色の衣装、次がぐっと体型が長くなって白の衣装、最後が濃い赤紫に黒レースをあしらった最年長という配分で、二階席から観ていると、舞台上に色とりどりのカーネーションが咲いたようで、華やかで大変よかった。こんな小さな子たちが10年ぐらいであんな風になるのねーと女の子の成長過程の見本を目の当たりにして興味深かった。いいなーバレエ。
仕事場から昼食に出ようとして、横断歩道で信号待ちをしていたら、前方から違和感のある風体の若い男女がやってきた。男性はTシャツ短パン姿なのだが、半そでから覗く両腕は、手首からサポーターで覆われている。そして短パンから覗く両足もびったりと包帯でぐるぐる巻きになっているのである。ふと見ると仲むつまじく隣を歩く女性も、同じように包帯やサポーターで手足を覆っている。あらら二人揃って怪我をしたのか。バイクで二人乗りしてこけたのだろうかと思ったが、別に歩行に支障をきたすほどでもないらしく、二人ともニコニコと幸福そうに横断歩道をすたすた渡って、反対車線のタクシーを止めて去っていった。振り返ってまで二人の姿を見送るれいこな。 今日はランチ仲間のタミちゃんと待ち合わせである。双方の職場の中間地点であるホテルのレストランでちょっと豪華に食べる。とりとめもなく話をしながら、タミちゃんに先ほど見たミイラカップルの話をする。するとタミちゃんは即座に「あ、それは日焼けによるやけどですよ」といった。タミちゃんは、都内の地理はいつまでたっても覚えないが、休みごとに北海道とかハワイとか沖縄とかシンガポールとか香港とかに何度も行っていてとてもその手の事情に詳しい。そのタミちゃんがいうには、沖縄に旅行すると帰りの飛行機に必ずサポーターや包帯で手足をぐるぐる巻きにした人が乗り合わせているというのだ。なるほど。どうりで幸せそうだったわけだ。つまりつい先日二人で南の島にバカンスに行って、心身ともにアツアツになってしまってついでに同じやけどの症状を示して、辛いながらも同じ痛みを分け合う二人なわけですよ。はい。
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