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以前夫と偶然入ったフランス料理店。 赤坂の目抜き通りにありながら全然客が入ってなくて、接客もオーナーシェフ自らがこなしていた。おいおい、大丈夫かよと思っていたら、値段も安く、今日の一押しの料理を熱心に紹介してくれる。味は絶品だし、なによりフランス料理が好きっ!という作り手の気持ちが伝わってくるようで、大満足だった。ときおり「お料理はいかがでしょうか」と顔を出してきてくれるので、感想なり質問なりを述べると、即座に答えが返ってくるだけでなく、なぜその組み合わせにしたかとかなぜその調理法にしたのか、というようなことを話してくれて、薀蓄とはまた違ってなるほどと興味深かった。 今回2ヶ月ぶりに行ってみたら、若いウェイターとウェイトレスが各1名入っていた。店の雰囲気も少し華やいだようで感じが変わったなと思っていたのだが、この若い二人の接客が、もうどっぷりファミレス式なのである。初めにウェイターからメニューを渡される。プリフィックスのコースメニューで前菜と主菜の肉を料理を選べるのだが、今日のお薦めは何かと聞いても、これこれのコースがお薦めですとしか言わない。そうじゃなくて、個々の料理で今日は特に何がいいのかが知りたいのだというと、前菜はフォアグラの何とかで、主菜はフォアグラの何とかがですと言ってきた。両方ともフォアグラというのも解せない話なので、シェフを呼んできてもらうように頼む。その間に夫が「高いものばかり薦めてきたね」と苦笑している。ここのレストランは古式ゆかしく(笑)、女性用のメニューには値段が書いていないのだが、夫の方のメニューでは、彼が勧めてきた料理はいずれもプラス料金になっていたらしい。ほどなくしてやってきたシェフが言うには、最近オマール海老を使った料理に力を入れているのでオマール海老、それからイベリコ豚と、若軍鶏を使ったものがおいしいという話だったので、迷わずそれらを頼む。客が高いものを頼めばその分店の収益は上がるわけだから、若いウェイターとしてはそれなりに店に対する忠誠心が高かったのだろう。 途中でウェイターは帰り、主にウェイトレスが接客してくれた。素直そうでかわいい女の子だが、言葉使いは当然「でよろしかったでしょうか」「こちらのほう、何々になります」、と明らかに食べ終わっているのにバイト用語てんこ盛りである。「お皿のほう、お下げしてよろしいでしょうか」といちいち聞いてくる。この人きっと、ファミレスでは接客の基本をきっちりと身につけた優秀な店員さんだったんだろうなぁと勝手に彼女の前職まで想像してしまった。いちいち口うるさく注意するのもなんだし、一生懸命接客していることは確かだし、なんとなく違和感の残るまま彼女の接客ペースで食事を終えた。 お料理は期待通り全ておいしかった。また行きたい。
午後8時過ぎに帰宅して、むっとする室内を換気しようと窓を開ける。ふと外を見ると西の空が妙に明るい。ぴかぴかと下からの照らされて雲が色とりどりに光っている。方角からすると、家から数十キロ離れたところにある遊園地の花火大会だろうか。しばらく目を凝らしていると、ひときわ大きく大輪の花を咲かせる花火があって、やはりそちらの方向で花火大会をやっていることがわかる。遠いので音は聞こえず、ひたすら打ちあがる花火をよその世界の出来事のように眺める。下の方は家の近所の木立に隠れてしまうので、見えるのは上半分ばかりである。たまに高く上がるものや、中心点が高い特大サイズのものは全体の姿を見ることができて、得した気分になる。うちよりもっと上層階の住人達はくっきりと全てが見えるのだろう。それにしてもどれぐらいの人がこの無声の花火に気付いているだろうか、などと考えながら花火を見つめていると妙な感覚が頭を持ち上げてきた。目の前にある黒い木立が地面のように見えてきたのである。そして通常花火というのは空高く上がり降るように開くが、今見ている花火は下から火花が炸裂するように広がる。何かに似ている、何かに似ている、と思い始め、すぐに思い至った。空爆だ。上半分しか見えない花火は、時折テレビで放映される戦火によく似ている。半ば混乱としているうちに火花はどんどんと激しさを増し、やがてぱったりと光らなくなった。時間を見ると8時半。フィナーレだったらしい。次々と繰り出される火花の下で、数千の人々がその美しさに感嘆の声を上げただろう。本当に花火でよかった。いつの時代も火の使われ方は平和なものであってほしい。
暑い土曜日の夕方、靖国神社周辺へ。このあたりは緑が濃く、歩いていても気持ちがいいのだが、今日は大型バスが所狭しと停車中で、排気ガスと地面からの熱気でむんむんである。各地から戦歿者が集まっているようだ。「みたままつり」をやっているという。http://www.yasukuni.or.jp/event/mitama.html そのまま普段は立ち入らない神社の参道に足を踏み入れてみると、なるほど両側にやぐらが組まれ、そこに黄色い提灯がびっしりとかけられていて、提灯にはそれぞれ奉納者の名前が入れられてある。それをひとつずつなんとなく読んでいるうちにあることに気付いた。普通神社などに奉納されている提灯には男性名が多いのだが、ここは「○○キク」「○○たけ」「○○ウメ」という具合に、ほとんどが高齢者らしい女性名なのである。戦争未亡人か息子を失った人か、永代奉納もあるらしいので、すでに彼女自身がこの世の人でない可能性もある。おびただしい数の女性名を見ながら奥へ進むと、本殿に近いほうは、企業や団体の奉納した提灯が並ぶ。この辺は、一つの提灯に一文字ずついれて、まとまったスペースで何文字かをあらわしたものも多い。近隣の商店やホテルの名前などもある。さらに「○○遺族会」「海軍兵学校○期」「戦艦○○」といった文字が並ぶ。戦歿者の遺族、残された戦友たちが奉納したものなのだ。ぐっと圧迫されるような息苦しさに、いたたまれずに参道から脇の道に逃れた。 政治家の靖国参拝の是非をめぐって今年もまた多くの報道がなされ、近隣アジア諸国からも非難の声明が出されるだろう。しかし、過去の戦争において、愛するものや家族と離れて戦地に赴いて命を落とした多くの人々がいること、彼らを愛し彼らが愛した人々が残された事実は消えない。戦争で人生を失った全ての人々への魂が安らかならんと願うとともに、戦争は悲しみと絶望以外何も生み出さないことを痛感した、蒸し暑い夕暮れだった。
曽我ひとみさんの再会問題に関して釈然としないことを3つあげる。 1.口さがない人々 仕事帰りのバスの中で、初老のご婦人二人の会話。 「今日はテレビ、きっと、あの話ばっかりだよね、曽我…」 「みんな言ってるよ、とんでもない金使って、みんな税金で、ふざけるなって。たった一人のためにあんな大げさな」 「北朝鮮だって、どうせ金で動いてんでしょ、冗談じゃないよ」 「日本の政府が情けないよ」 「村山がちゃんとやっとけばよかったんだよ」 「でも、かわいそうだよね、曽我さんて人、お母さんも拉致されて、行方がわからないんでしょ」 「きっと…(以下自粛)」 人は、他人が幸せになったり優遇されることが許せないのだろうか。かわいそうな人はいつまでもかわいそうな境遇にいることを望んでいるのだろうか。 2.北朝鮮側 家に帰ってから、テレビで報道特集を見た。平壌の空港での日朝高官同士の会見の様子が放映されていた。北朝鮮側が「ジェンキンス氏は北京での再会を望んだが、日本側の希望を入れてジャカルタに行くことにした」といい、日本側が「日本の要求を容れてくださってありがとうございます」と答え、さらに北朝鮮側の協力に対して最大限の感謝の辞を述べている。日本側はなぜあそこまでへこへこしなければいけないのか。他国民を拉致した上に、謝罪も補償もせず、恩着せがましく飛行機までチャーターさせる国。盗人猛々しいと怒りさえ覚える。 3.ジェンキンス氏 テレビで映し出されたジェンキンス氏は、当初報道で伝えられたよりずっと元気そうだ。隆としたダブルのスーツ姿でくつろいだ様子で米国製タバコを口にくわえる。米国製のタバコは特権階級の人々にしか手に入らないのだという。氏は朝鮮語をほとんど話せず英語で日常生活を送っているらしい。この国で生きていくために必死で朝鮮語を覚えたという日本人の拉致被害者の様子とはあまりに違う。特権階級として米国製タバコを日常的に吸い、嗜好も服装も米国式の生活が保障されていると推察される氏は、本人の意図せざることだったとしても、結局のところ兵士としては祖国を裏切りながら、超大国米国の出身であるという特性を最大限に有効活用しているように思える。
一日家にいたので、だらだらテレビをつけていたら、夕方の情報番組のゲストでトシちゃんが出ていて、あらあらと思っていたらゴールデンタイムのバラエティにもトシちゃんが出ていた。なんかのイベントをやるので話題づくりのために出してもらっているらしい。いつも思うのだが、「アノ人は今」的なタレントが久しぶりにテレビに出てくると、「そういえば本を出されたんですよね」とか「そういえばコンサートをなさるんですよね」とかコーナーの終わりでミエミエの宣伝をするのだが、こういうのってやっぱりタレント事務所の方でお金積んだりして出番作ってもらうんでしょうかね。 で、トシちゃんである。もともと私はファンでもなんでもないのだが、久しぶりに見るトシちゃんは、その年齢にしてはすっきりした体型を保っていて、ゴールデン番組の方では相変わらず足を上げたりくにゃくにゃ踊ったりしながら昔の歌をメドレーで歌った。興味がないといいつつやはり全部一緒に歌えてしまうのである。さすがザ・ベス○テン世代。全部歌えてしまう。それなりに楽しんでさらに、ザ・ベス○テンやアイドル水泳大会、金○先生の懐かしい画像が流れると食い入るように見てしまう。昔の映像を見ながら一瞬、トシちゃんかっこいいじゃないと思ったのだが、冷静になってみると、今日の私は別にトシちゃんに胸ときめかしていたのではなく、自分が青臭かったときの感覚を思い出して一人甘酸っぱくなっていたようである。 現代に生きるトシちゃんは、悲しいかなもうすでに今のテレビの人ではない。ボケもツッコミも新曲を歌っても、すべてが古臭い感じで、アイタタタな感じなのである。「アノ人は今」的にゲストとして迎えられる昔懐かしいトップアイドルよりも、グループでセット売りでありながらしぶとく今のテレビ界に生き残ったヤ○クンの方が余裕しゃくしゃくに見えたのは皮肉なことである。
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