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先週の木曜日来、人が来たり人んち行ったりの数日間。それぞれ1週間以上前から決まっていたイベントで、でも風邪を引くことは予定に入れていなかったので意外とハード。寝込むほど重症なら仕切りなおしもするが、それほどでもなく、それ以上にこのチャンスを逃したくないというイベントばかり。せめて人様にうつすまいと気を使うが、風邪っぴきだと能率ががたんと落ちるので、この秋は健康に気をつけよう。 あっというまに10月。8月一杯休養してぇ9月は充電してぇ、なんて結局9月も遊んでいた気がするが、10月はいよいよ始まり。気合をいれてがんばるぞー。おーっ!。
午後、この夏ケンブリッジで知合ったオーストリア女性が拙宅にお茶にいらした。彼女のご夫君は日本人で、独立したお子さんが2人。ずいぶん長いこと日本に住んでいるらしい。彼女は去年の秋からケンブリッジにいて、つい先月の終わりに帰国したのだった。東京に戻ったらまた会いましょうね、と約束してちゃんと約束をまもって再会。こういうのって案外珍しい。ケンブリッジでの訪問研究員の茶話会の世話役をしてくれている女性が彼女のところに遊びにくるというので、その打ち合わせも兼ねている。 ほぼ定刻どおりに現れた彼女と四方山話をし、今度遊びにくる彼らの旅行プランを練り、彼女は郊外に住んでいるので、うち2日間は我々のマンションの共有ゲストルームに泊ってもらう手はずにする。何にせよ2ヶ月も先の話なので、あまり固めず、共有施設の下見などをして2時間ほどで彼女は帰っていった。 その後、総合フランス語クラスの初回へ。先生は日本人で、とても分かりやすい。 かなり忘れていることも多く、愕然とする。先生曰く、語学の勉強なんてザルですから何回もやってください、とのこと。かなり目の大きなザルになってしまったようだ。 終わってから新宿へ。今度は夫の友人のイタリア人が日本出張中なので、3人で食事。大した店でもないと思っていたのに予約がなかなか取れず、いくつかある支店のうちの一つになる。その店も8時過ぎからやっと取れた始末(しかも2時間限定)で、それまで彼らは新宿の電化製品量販店を嬉々として回っていたらしい。私は30分ぐらい遅れて合流。お店は超満員で、入口で待っている人もたくさんいた。謎。 イタリア人はこの夏にケンブリッジでも会っているのだが、そのときにラテン語系の言葉を勉強したい、と話していたので、席について彼と会うなり"ぼんそわーる"などと発してみる。彼も同時に"Bon soir"と言ったところを見ると、思考回路が同じ(ぐらいバカ)?ここでも四方山話。今朝とどいたばかりのマッサージ椅子の話など。実はこの夏ケンブリッジの彼の家で見て以来考慮し始めていたのだ。10時過ぎにお開き。多言語な日が終わる。 オーストリア人は英語と日本語少し、日本人の先生はフランス語、イタリア人は英語とフランス語少し。誰も母国語を話していないところがミソか。
東京に帰ってきていきなり始動開始。午後から職安の説明会でお昼前に庁舎へ。説明会に先立って、検索コーナーのパソコンで1件以上プリントアウトして会場に持参するように言われていたのだ。 上りのエレベータに乗ろうとしていると、いきなり向こうから来たおばさんが隣の下りエレベータの人に向かって「上?」と聞いている。中の人が「下ですよ」と答えると、「あ、そう。」といってちょうど到着したこちら側に乗り込んできた。乗るなり「〇階!」と入口そばの私に命令するオバサン。ま、私が行く階と同じだからいいんだけどね…ってアンタも職安行きかい!?と思ってマジマジ見てしまった。まさに歩く傍若無人である。 職安の受付に行くと、係員に「検索のかた何番をご利用ください」とフダを渡される。この職安の応対はマニュアル化されていて、利用者に「お客様」といって敬語を遣ったり、すごく応対が丁寧なのだ。最近はどこもそうなのか? 歩く傍若無人はとどまるところを知らず、「検索ですか?」と聞かれると「ええ!?」と噛み付くように聞き返し、「初めての手続きですか?」と誘導「そう!」と答えていた。すごい。なんか彼女が職を失うのがわかるような気がする。 検索はタッチパネル形式で、私がこの辺、と思った職種はフルタイムだと全滅。もともと週一の非常勤との掛け持ちが前提なので、パートタイムにするとちらほら。職安での職探しは期待しないで行ったが、みつからないとなるとむしろ熱心に探してしまう。 説明会。いろんな人がくる。説明は立て板に水であまり頭に入ってこない。前回職安に行ったのは北陸に居たときで、冬のゴルフ場クローズに伴うキャディーのおばちゃんなども多く、方言はきつかったもののそりゃあ分かり易かったものなのだが。私は自己都合退職にあたるので、3ヶ月の待期(たいき)がいつ明けるかとか、副業の申告とか(これをきちんとしないと不正受給とみなされる)、そちらの方にばかり気を取られる。でもこういう場所にいると不思議と勤労意欲が湧いてくるものなのだなぁ。 説明会修了後、デパートなどで時間を潰す。物欲炸裂。幸か不幸か、値段の嵩も大きいものばかりだったので何も買わずに出る。今夜からお茶の水で発音のクラスが始まる。手鏡とテープ持参で、母音の発音を延々2時間。楽しい。自分の身体を器械的に扱うというのは面白いものである。お経のような珍妙な音を発しつつ夜が過ぎていく。こういう場所にいると不思議と勉強意欲が湧いてくるものなのだなぁ。
退屈するかも…と思っていた北陸5日間はあっという間に終わり。 みんみんさんやゆみさんには、観光プランも立てていただき、さらにアッシーとして使ってしまい申し訳ない。お世話になりましたぺこぺこ。 北陸でワシも考えた。周囲の人との距離の測り方。家族のあり方について。仲のよい家族が与える好影響。 今回の旅行はいわばホームステイである。夏休みに田舎の親戚の家に行く感じ。私は地方に住む親戚がいないので、ずっとそういうのは憧れだったのだが、自分があそこに住んでいたときは、コンクリートの社宅住まいだったし、学業や日々の生活に追われていたし、集落をぶらぶら散歩することもなかったので、朝窓をあけて深呼吸したり、空を見上げたり、用水路を流れる水をぼんやり見つめたり、じんわり五感が満ちて幸せ。 多分当時は、結婚したばかりで初めての土地でさらに立場もあるし、肩に力が入って余計な気を回していたのだろうと、今になって思う。その場を離れて数年たって客観的に見られるのは、よそ者という気楽さもあるが少しは成長したのかな、と思う。 結局、よその土地にすっかり馴染むことはできないのだから、ムリにあわせなくてもいいんだよなぁ、と思う。それと同時に「自分は違う」と強烈に主張する必要もない。どうせ浮いちゃうんだから。「生かさず殺さず」ではないが、溶け込もうとして自分を押し殺さず、自分ばかりを生かそうとして他人に自分を押し付けず暮らしていければずいぶんいいな、と思う。 泊めていただいたお宅は、やはりよその家庭と同じようにそれなりに問題を抱えていて、でも常に親が子を、子が親を、そして子供同士がお互い思いやって、譲り合って守りあっているご家庭である。そういうご家族の間に身をおいて、みんなで納屋の掃除をするとか、祭りのお寿司を作るとか、そういうことが本当に楽しい。お互い言いたい放題でいながら、日常の何気ない家族の皆さんの仲のよい様子などを目の当たりにして、いろいろと感じることが多い数日間だった。 朝早起きして栗拾いに連れて行ってもらった栗はだんだん色づいてきた。出かける間際につんでもらった茗荷はおみおつけの実にしたり薬味にしたりで楽しんでいる。夫は週末から*また*海外出張なので、いただいた数々は実家にもっていって、そこでまた楽しむつもりである。
わたしは、20にちのひにいしかわにきました。 しりあいのおばさんのいえにとまっています。 20にちに、おばさんのいえについて、ごはんをたべて、おちゃをのんでいたら、 みんみんさんがむかえにきたから、いっしょにかなざわえあそびにいきました。 かえってきて、ゆみさんのいえにいきました。 きのうはおばさんちのおかたづけのてつだいをしてから、おてらにいって よるは、がっこうのときのおともだちとのみにいきました。 よなかにゆみさんのいえにいって、とまりました。 だからいまはゆみさんのいえにいます。 これから、じえいたいの、こうくうショーにつれていってもらいます。
告別式。簡素で清しい祭壇から微笑む見知った顔。喪主の席に似つかわしくない若々しい彼女と幼い子供達。非現実感。思い出。悲痛。愛。再会。希望。
朝から首相渡朝の報道に落ち着かない。進展しないかに思われた拉致疑惑問題は、夕方になって、11人中4人生存、6(+2)人死亡、一人安否不明という非常に落胆する結果が伝えられた。ついこの間までの拉致事実はないとの立場から一転して、拉致疑惑を認め、謝罪をした。以前に比べればこのこと自体は大きな進展であるが、しかし、到底納得できるものではない。そして、この「死亡」と伝えられている人々もあまりに不自然である。あるいは口封じのために「隠蔽」、または「殺害」されているのではないか。 自国の利益のために、姿形の似た隣国の一般市民を道具を見繕うように拉致し、都合のよいように使い捨てるという蛮行。それらは20世紀の「不幸な日朝関係」によるものなのだという発言を聞いて、それを作り出したのは誰だ!という怒りが込み上げる。しかし戦前日本が行っていた植民地支配、日本軍の蛮行、従軍慰安婦問題について、日本側もきちんとした解明や謝罪を行っているわけではない。両国とも、犠牲になった当事者にとってはお互い水に流すことはできるようもない。真の意味で歩み寄り、しかし国益を守る道はどのように可能なのだろうか。
これといってはかどらない一日。訃報のメールを回したり、電話したり。久しぶりの友人とは近況報告など。こういうのも引き合わせなのかも。
土曜日で集中講義通いは終わり。最終日は夫が家にいたのでついに告白。「ずるい、じゃあ僕もどっか通っちゃう」といわれる。…いや、別に勉強にいかなくても…。発音の練習しつつ土曜の夜はふける。 日曜日、父の誕生日と敬老の日を兼ねて、両親、兄一家が拙宅へ。彼らが気付いているかどうかはともかく、一応年3回ペースで食事会をこちらで企画している。毎回食事のもちよりなどが大変なので、今回は近所の蕎麦屋の個室をリザーブ。テーブル席の個室があるというのは、ポイント高いと思う。肝心の蕎麦はいま一つだが、周囲に気兼ねすることなく食事が出来て満足。近所の神社の秋祭りなので、少し浮かれて、近所のお寺まで散歩。コドモもよく歩く。帰り道にちょっとバッタ屋的なスーパーがあり、産直の野菜などを熱心に購入する人々。 今まではバスで来てもらっていたのだが、子供達も大きくなって、帰りに寝てしまわれると運搬が困難なので、今回は来客用駐車場も用意。これで心置きなく飲んで酔いを覚ませると思っていたのだが、お腹が一杯で飲む気もしない上に、みなさんお忙しいらしく、買い物を済ませて家に戻るとお茶を飲んで早々に引き上げたい雰囲気。夫も緊張感なく寝入ってしまったので、購入した野菜や園芸用品などを持って解散。いつもなにかにせかされている家族である。寝入った夫をよそにパソコンでDVD鑑賞。 夜、訃報。 予期していたことではあるが、言葉がでない。合掌。
御茶ノ水通いも明日で終わり。今週は毎朝9時前後に家を出てお昼過ぎまで授業を受けて、帰宅して復習しなくちゃと思いつつテレビみたり家事をだらだらやって、やっと復習を始めた頃にはなんとなく疲れていて、いいかげんにやって終わり、という生活。ふとした出来心で集中講座に通うことを夫に言わなかったので、朝夫を送り出してから時間差で家を出たりして、ちょっとしたスリルを味わっていたりする。 夫が家に帰る頃ノートを広げていたりするので、一日中勉強しているものと思われてるかもしれない。まあ、場所がどこかという問題なので勉強していること自体は否定はしませんが。 今更言うと、内緒でいろんなことが出来ちゃうのねぇ、という事実が猜疑心を読んで痛くもない腹を探られてしまうかもしれないので、このまま黙っているかも。その割に、家にいつの間にか額縁が増えていたり、なじみのない食感のパンが朝食に並んだりしているのはご愛嬌。 それにしても東京って便利なところだよな、と改めて思う。生まれも育ちも都内で、この手の恩恵に気付いたのは自分が一度東京を離れてからだが、何か勉強はじめた〜い、と思い立つと大抵のことが可能なのではないか?アウトドア系の実地訓練、なんていうのは難しいかもしれないけど、その手のものも東京に事務所ぐらいおいてあるだろうし、とりあえず何でも東京に集まってくるんだなぁ。それで私は水と空気と安全と同じぐらい、それに馴れきっている。
思い立って、御茶ノ水にあるとある機関の夏期講習に通っている。 御茶ノ水といえば、大学受験の時に予備校の冬期講習を受けに行ったのが最後か。 あの時は当然実家からだから、新御茶ノ水駅から歩いていたのだろう。ちょっと角を入ったところにあの当時通った界隈が現れたりして、ああやっぱり同じ街なんだと思うけれど、アプローチの仕方によってずいぶん景色が変わる。 こうして見ると大学やら専門学校やら予備校やら、やたらと学校が多い街である。医大と病院も多い。画材屋や楽器店も多くて案外芸術的だし、〇善もあるぞ。若者も多いのにあんまりオシャレじゃない。さすが文京区、手堅いねえ〜などとて妙なところで感心してみる。 感心しつつ、本来の勉強の方はめざましい上達とはいかない。やっぱり若い子には回路の反応が遅れをとる。認めたくはないが、これがやはり年のせいかしら、と思う。でも実をいうと自分が若い子の時にだってちゃんと勉強したことがないから、本当の所はわからない(ことにしておこう)。
結局、きり番げったーは申告なしなんだろうか。うーむ。 今日はSeptember11から1年経ったので、いろいろと特番などをやっているが見る気なし。犠牲になった方々は本当にお気の毒だと思うのだが、アメリカが正義ゆえの被害者きどりなのも、叩かれる前にぶっ潰せという論調にもついていけない。報復攻撃にしろ、報復テロにしろ、結局犠牲になるのは市井の人々なんだよな。うーむ。 話は変わって、この前テレビで歌舞伎町のホストの生活が描かれていた。うーむ。そろいも揃って日焼けサロンでこげた顔に、茶パツ。こういうおにーちゃんたちにちやほやされてうれしいかなぁ。一晩で数百万遣っちゃう地方の会社経営の人とか、ひいきのホストの営業成績のためにタクシー代を削ってまで有り金全部をつぎ込む看護婦とか。何が大事かはその人の価値観によって違うのは百も承知しているけれど、そもそもホストに入れ込む女性の気持ちがわからんなー、ホストに貢ぐお金でずいぶん実のあることができそうだなー、とか思いつつ何日も「?」を引きずっている。やばいかも。確かめに行っちゃうかも(笑)。
やっと職安へ行ってきた。こんなにこの地域の求職者って多いのかしら。すごい雑踏。熱気むんむん。しかも求職票はスキャナで取り込んだものをパソコンでみるようになってるし。みんな番号札もって順番待ちしてるし。「あたしってナニしにきてるの?」状態。まあでもほんとにいい職が見つかるかもしれないし、人生勉強と思って手続きをしてきた。自己都合なので3ヶ月据え置き期間がある。 職安というのは、初めに申請した日から4週間ごとに認定を受けにいかなければならないので、どの曜日を選択するか、というのは案外大きな問題になるのだが、今回は月曜日に行こうと思っていたのが、昨日は書類不備で断念したのだった。じゃ、あした行けばいいや、と軽い気持ちで行ったのだが、新しく始めた習い事の次のクラス選択を勘案すると、火曜日ってつかえない。だめじゃん、アタシ。せっかく気分が盛り上がっているというのに、そのクラス来期まで待つのか。来期までやる気が持つのか。どんどん年はとっていくのに、こんなにのんびりしていていいのか!? あ、そうそう。切り番ゲッターにはとんと興味のない私ですが、もうすぐカウンターが私のIDと同じになりそうなので、12479を当てた方、ご連絡ください。薄っぺらなお礼を差し上げます。
9月になったら活動開始、なんていいながら、いまいちエンジンがかかっていなかったのが、やっと一つ着手。まったくの基礎から新しいことを始めるって、なんかわくわくするわー♪。でも周りは若い子ばっかりだわー。お肌がすべすべだわー。 エンジンかかりついでに職安にも行かなきゃ。国民健康保険に入らなきゃいけないんだけど、それもどうするか考え中。今後半年間病気になるか?(とりあえず歯医者さんの検診のお知らせは来てるんだけど)
前の職場の同僚であるところの仏蘭西人が、実は神奈川方面の鰻屋のムコ殿だというので、土曜日に数人でどやどやと横浜の先まで行って来た。 鰻屋のご主人(つまり舅殿)は、京都で日本料理の修行をした人だけど、本はちゃきちゃきの江戸っ子。出てくる鰻もさばきは関西流(腹開き)で、仕上げは関東流(蒸し焼き)。脂がほどよく落ちたホクホクの鰻と肝吸い。お土産に持って行った舶来のビールを品定めしつつ、まったりとした午後。 夕方からは渋谷で大学サークルの同期会。出席者は12人で全体の2割。すでに出てくるのは固定メンバーになりつつある。まあまとまりやすい数ではある。噂話や思い出話に花を咲かせる。学生時代から知っている店みの店なのだが、お酒もお料理もおいしい。味わいがあってちょっと感動。結局5時間ほど同じ店で飲む。深酒。酔っ払って帰宅。日曜日は朝からあたまが痛くて「情けない週末」。
旅行の時の写真を人物が写っているものを先にM〇Nフォトにアップして、関係者にメールでお知らせをしたのが一昨日。MS〇だとどこの国でも同じIDで入れるから日本人向けには日本サイトで、それ以外は米サイトでアップ。10人近くに送って、返事がきたのは2通のみ。いいもん。泣かないもん。ネットにつないでいない人のためにプリントも依頼。今なら送料が無料でL板1枚40円。フィルムのお金がかかってない分案外安上がりかも。郵便で今日送られてきた。出来上がりの写真も悪くない。クレジットカードでオドロキの小額決済だし、世の中どんどん変わってきてるのねぇと実感。夕方金〇先生の再放送最終回を見ながら、テレビ局のサイトで全回のあらすじと登場人物をチェック。私達の世代は〇八先生といえば、なんといっても15歳の母だけど、イマドキの金八〇生の問題はもっと暗く重く、世の中ほんとに変わったのねぇと実感。
ちょっと夏風邪気味です。夏風邪はバカがひくといいますからな、まあ順当なところでしょう。ところで、昨日今日と狂言師の和泉元〇氏の会見の模様を何度も流してるんですけど、この会見を見るかぎり、もしかしてこの人たちってほんとにバカなの?という疑念がふつふつと湧いてきます。いまやあっちでもこっちでも評判が悪いあの一家ですが、女性初の狂言師をデビューさせたり、海外公演を積極的に行ったり、以前はなかなか革新的なことをやると思われていたはずなのに、いつの間にかあんなアイタタな人々になってしまったんでしょう。 実をいうと数年前、彼らがヨーロッパ公演の一環としてケンブリッジ大学のとあるカレッジで興行した時に、我々も見に行ったんですが、母上のへんてこりんさの片鱗こそ見えていたものの、時間どおりにちゃんと始まったし、次女が英語でスピーチをしたし、外国人にもわかりやすかったし、ところどころ「?」なところはあったものの、出張公演としてはなかなかだったと思いました。あの時はまだ20世をそんなに売り物にしてはいなかったと思うんですが、あーでもパンフには「株式会社和〇流宗家」だったかな。なんだかねぇ、あのままおとなしく地方の学校でも回って狂言教室をやってればおとなしく宗家でいられたのかもしれませんなぁ。
日記を書くのはいつがいいんでしょう。普通一日の終わりに振り返ってというパタンがよいのかと思われますが、私ってば、子供の様に寝るのが早いので、一日を振り返らずに寝ることが殆どなんですの。で、この時間に更新しちゃうと一日が始まる前に書いちゃうことになるし、じゃあ、一日前のを朝書くことにすればいいじゃん、ってそれもそうなんですけど、そうすると前の日のことなんてすっかり忘れちゃってるし、困ったもんでございます。 さて。 えーと、専業主婦生活を楽しんでおります。すっきりした部屋で暮らせるってステキ!昼ご飯で残りものを粛々と片付けられるってステキ!洗濯物をためないってステキ!ビバ!専業主婦(c)小町ちゃん。って感じ!でございます。まーこれも期限付きだから楽しめるってことなんですけどね。結婚して以来2〜3年おきに1年ぐらいずつ専業主婦をしてますが、こうしてみると案外変化の多い生活をしているのね。私って。 昼間家にいるとガーデニングも楽しいわっ。バジルはよく育っておいしいし、他のベランダの鉢物もずいぶん元気だし。元気といえば、去年のニチニチ草が今年もまた咲いてるんですわ。一応多年草で地植えをしておくとずいぶん長持ちという認識はあったんですが、去年の秋頃通販の頒布品として我が家にやってきて、ずるずると冬を越し、つい先日の酷暑でいったん死にかけたものが、ここ数日よく花をつけていますの。煎じて飲むと喘息にいいらしんですが、本当に丈夫なのね。感心。
家にいる時間が増えるとテレビを見る時間も増える。主婦向け情報番組では、収納・簡単なおかず・倹約術は外せない。 昼間の時間に収納のカリスマ・近藤〇子師の技を見た後、夕方倹約上手な主婦の技を視聴。まあいろいろと思いつくものである。余熱利用、どうみても調理器メーカーの保証範囲外の使用法、できるだけ野菜クズをださないおかずなどなど。怖いほど生き生きと倹約している。さまざまな品が並ぶテーブルの上。でも私は気付いてしまった。テーブル脇のガラス窓の食器棚に乱雑につっこんである食器以外の物品。ノートみたいなのが斜めに倒れてたり、うちわがはいってたり。 倹約上手が整理上手とは限らないのだな。近〇典子さんだって、意外と料理ベタかもしれない。などと思う夕暮れだった。 (※ぴよたさんからご連絡あり。近〇〇子さんはお料理上手だそう(^^;
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