WELLA
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2002年03月31日(日) ねむねむな週末

こんなに寝てしまうのは、きっと現実逃避に違いない。考えることから逃れるように眠って眠って、結局夢の中でも考えることは同じだったりする。
最近、人を家に呼んでいないので散らかりほうだい。夫婦揃って最近多忙を言い訳に怠惰に暮らしているのでそろそろ家の中を整理したい、と思いつつもあふれかえる書類の束と衣替えをしそびれている衣服の山。あたたかくなるなら早くあたたかくなってください>春。
昨日突然思いついた計画を実行に移す。我が家は完全に独立した部屋というのは、夫の一畳書斎である納戸の他には1部屋しかない。そこは一応予備室というか、ゲストルームとなっているのだが、当然最近のこの怠惰振りを反映して、ただの荷物置き場と進化を遂げつつある。あとは廊下からベランダへ抜けるときの通路ぐらいにしか使っていないのだが、あまりに雑然としているので最近はドアを閉めておいたりする。そうするとベランダからの光がさえぎられて、廊下が暗くなるというデメリットがあって、常々どうしたものかと考えていたのだ。
昨日、延々川沿いの道を散歩していてふと思いついた。廊下から居間に入るドアと予備室のドアを取り替えてしまおう。居間のドアは硝子が嵌まっていて、夜中にどちらかが起きていたりするとちらちらと灯りが漏れて不都合であったのだ。灯りが漏れて困るドアと明かりが採れずに困るドアを取り替えるとは、一挙両得ではないか。
作業時間およそ30分で両方のドアがめでたく入れ替わった。入れ替えたドアがちゃんと閉まるのはちょっと感動。採光の具合も遮光の具合もなかなかよろしい。
午前中一仕事した快感で、お昼を食べずにスポーツクラブへ。1時間ほど水の中を歩いて、買い物して帰宅。ごはんが炊ける間に買ってきたバジルを鉢に植えた。今年は虫がつきませんように。炊き立てのご飯とおみおつけ、納豆、塩鮭、きんぴらごぼう。食後にお茶を飲んでまったりしていたらそのまま夕寝に突入。一体何がおきているのだ、私の身体は。


2002年03月28日(木) 春@ベランダ

春を迎えて、我が家のベランダの植物の変化。
まず虫がつきやすくなった。黄色いパンジーとなんか黄色いよく見かける菊っぽい花(名前失念)は、咲くそばからダメになっていくので、じっと観察してみたらアブラ虫がいた。駆除剤をスプレイして回復。この駆除剤が臭い。人間がやられてしまいそう。
この間、春一番に備えて植木鉢の土が飛び散らないように敷き詰めた水苔は、土もろとも春一番であらかた飛んでいってしまった。最近近所で気に入っているホームセンターもどきの安売り店で、外国産の水苔を割安で売っていたのでこんどは厚めに敷き詰めていまのところ無事。
日比○花壇の花の頒布会は一年のコースが終わったので、これ以上花が増えることはないが、季節はずれの花たちがまだ老いさらばえながら残っているので、相変わらずジャングル状態。そこへさらに多年草が芽吹きだしてきたのでさらに混沌とした状態に。うれしいのは、ミントがまたにょきにょきと生えてきたこと。引っ越してくる前に買ったミントを一旦挿し芽で増やして実家に分け、それをまた今の家に植え替えたものなので、なんだかとてもうれしい。
この間の大風以来、サンダルが片方行方不明。


2002年03月21日(木)

「で、れいこなさんのインスブルックの日記はもうあれでおしまいですか?」と聞かれて、あいまいに笑ったものの、まあ書かなきゃいけないだろうなぁとは思っております。で、桜。
例年より早い、どころかここ50年の観測史上もっとも早く咲いたそう。もっとも早いことに驚くよりも、桜前線の観測の歴史が50年であったことにやや意外な気持ちになる。戦後かあ。ま、そんなもんですかね。
先週末は北陸に行っていて、山間の里で満開の梅だの蕗のとうだの根雪だのどこからか聞こえてくる鶯の声だの、たっぷり早春を楽しんでいたので、特に今週の桜はどこかキツネにつままれた感じ。昨日は職場の近くの公園でお弁当を食べ、ぷち花見気分で、今日は近所にお花見に出ようとしたらとんでもない突風の一日。ベランダの土がどんどん奪われていく。どこへ行ってしまったのだ。お金を出して買った土、土を守るために敷き詰めたはずのミズゴケ。
午後は近所の日蓮宗のお寺へ。墨色鮮やかな卒塔婆を片手に強風に、あおられながらお彼岸の墓参りの人々。足元にはラッパ水仙。歪んだ季節。


2002年03月05日(火) インスブルックにいってました(3)

午後の空き時間にケーブルカーに乗りたいというので、部屋を出てケーブルカー乗り場に行く。街の中心部から15分ほど歩いたところで、前方に赤いケーブルカーが山を上っていくのが見えた。身振りでとにかく山頂までの切符を買う。途中からはロープウエイに乗り換えだという。乗り場にはスノボを抱え青年と、観光客グループが待っている。それから買い物の途中みたいな軽装の女性二人連れが来た。一人は中年、一人は高齢。高齢のご婦人が手提げ袋とストックを持ち、中年の女性がスキーとスキー靴を持っている。どうもこれから一滑りしにいくらしい。時間はとっくに午後1時を回っている。
ケーブルカーは空いていて、林の斜面を抜けて終点までいく。そのあたりはまだ雪はなく、ロープウエイに乗り換えてやっと雪が見えてきた。ロープウエイがついた先はゲレンデとレストハウスになっている。さっきの二人連れとスノボの青年はそこで降りていった。さらに上にいくロープウエイの乗換え口にいくと発車感覚は30分に一本。スキーやスノボを持った人はあまりいない。「ここから先は危険な区域がありますから自分の責任において滑ってください。」というような注意書きがデカデカと掲げられている。危険だからといって立ち入り禁止にはしないのだな。いよいよ山頂にあがる。修学旅行の中学生らしい集団と乗り合わせて姦しい。イギリスからなのか、英語で説明をしているのでついでにいっしょに聞く。外に出たところで人々がざわめいているので覗いて見ると、丁度斜面を滑り降りようとする人がいた。スキー板が2枚やっと並ぶような幅の場所にポン、と板を置き、その上に乗って軽く板をはいたかと思うと、殆ど垂直に見える斜面をあっという間に下っていってしまった。あの人ならどんな斜面でも雪さえあれば降りていってしまうだろう。こちらはちょっとした斜面をあがるのもおっかなびっくりにさらに上がっていき、ふかふかの雪に足元をとらわれながら次のくだりのロープウエイまでの時間をすごす。ここから尾根伝いに周回するスキールートもあるらしい。
山の中腹まで下り、レストハウスで遅めの昼食にする。天気がよく風もないので外のテラスで食べることにした。ときおり雲がかかるが、日が差すとすかさず顔を太陽に向ける人たちが多い。いまどき日光に肌をさらすなんて、と思うが日焼けが身体によい、と信じているのだろう。U字谷の反対側にはジャンプ台や大きなコースが見える。あのあたりがオリンピック会場だろうか。不自然な開発の傷跡のように感じる。
レストハウスの裏手には子供用ゲレンデがあり、親に連れられた子供達が何度も何度も斜面を降りてくる。それにしても街中からこんな近くで、老若男女、初心者者からとんでもない上級者まで気軽にスキーが楽しめるなんて、この土地の人は恵まれていると思う。ずいぶん豊かな人生を送っているものだ。


2002年03月03日(日) インスブルックにいってました(2)

翌朝はまずまずの快晴。朝食付きなので、レストランが開くのを待って下へ。山と盛られたハムハムハム、チーズチーズチーズ、パンパンパン。それとシリアルとジュース類、湯気を上げているのはスクランブルエッグとベーコンのみ。ひとまず一通り食べる。テーブルの上には「魔法瓶」に入ったコーヒー。今回は移動がないのでこの先数日間はこのメニューである。食べ飽きない程度にドイツ風のすっぱいパンを食べ、穴のあいたチーズを食べ、幾種類ものハムを食べる。ティーバッグの品揃えも豊富でとりあえずアールグレイ。ほっとする。
8時の開始に備えて部屋を出る夫を、学会場まで送りがてらホテルを出る。厳重な防寒具は必要なさそうである。今回は思い立って一眼レフのカメラをひょいとかばんの中に入れてきた。デジカメの簡便性と高性能に押されてずっと戸棚にしまいっぱなしだったのだが、ふと手にとってみるとしっくりと手に馴染む。見るとフィルムが入ったままになっている。ありゃ、いつのだろう。ベランダに出て花の写真をとってみる。シャッターを押した瞬間に手から伝わってくるこの気持ちのいいシャッター音。持っていくことに決定。
地図をもたずカメラだけもって勘で歩き出すと、広場にでた。古ぼけた大きな教会があるので中に入ってみると、息を呑むほど美しい装飾が内部に施されている。素ガラスの窓から入り込んでくる朝日に、祭壇が浮かび上がる。会場は川沿いだというので旧市街を抜けて川に出る。それにしてもあたたかい。街中には雪の気配すらないが、ふと目を上げるとぐるりとそそりたつ壁のように白い山が見える。川沿いに歩きながら何度かシャッターを切る。デジカメと違ってとった写真をすぐ見られないのが、ちょっともどかしい。を学会場まで見送ってもときた道を歩いて戻る。
適当に街をぶらぶら歩く。まだ開店前の店も多く、店頭の品を覗いているといぶかしがられる。お邪魔してはいけませんね。この辺はまたあとで来ることにして、石畳の道をさらに進むと、きらきら輝くクリスタルが目についた。白鳥をモティーフにした看板がかかっている。スワ口フスキーの店だ。
最近はビーズアクセサリーブームの到来とともに「そろばん玉」を呼ばれる高級クリスタルビーズでも有名だが、元はシャンデリアを作っていて、飾りに使うねずみに目玉をつけて置物にしたのが始まりだとか。オーストリアの会社ということは知っていたが、本社も工場もインスブルックにあるということは、今回ガイドブックで初めて知った。
8時から開店しているというので、中に入ることにする。一つ一つ丹念に覗き込んでいると日本語で店員に声を掛けられた。「ローマからきましたイタリア人のリチャードです。」と名乗るその店員に世話をしてもらって友人に頼まれた商品を買う。日本で買うより3割ぐらい安い。ていうか、日本が高いのか。免税にするにはもう少し値段がほしいので、自分用に安い指輪を一つ買う。一応クリスタル、きらきらと光る。日本だったら玩具の指輪しか買えないような値段である。
そろそろ午前のセッションが終わって夫が戻ってくる時間になったのでホテルに戻ることにする。すでに清掃が済んだ部屋で窓を開け、靴も靴下も脱いで、鳥のさえずりを聞きながら免税書類に書き込んでいると、夫が帰ってきた。部屋に入るなり「ああ〜ぼくが居ない間にもう買い物してきたの?」「どこいったの?スワ口フスキー?」「ひどい〜」とひとしきりわめいた。一緒に行くつもりだったらしい。


2002年03月01日(金) レストランみたい

クレジットカードのポイントでティフ○ールのフライパンをもらった。普段使っている直径26cmのフライパンが古くなったのでちょうどいいと思ったのだがこれは19cm。26cmのはまた別に買わなくては。ふたが余ってるし。
で、19cmのフライパンで今朝早速プレーンオムレツを焼いた。今までは卵3個で二人分でそれぞれお皿に取り分けていたのだが、今回は2個。さすがティ○ァール焼き頃はぴったり。フッ素加工のフライパンはよく滑ってよく返せること。レストランで出るみたいな、中にふわふわの半熟部分が閉じ込められた形のよいオムレツができた。感激。
フッ素加工のフライパンはどうせコーティング部分がはがれるんだから、10年もつという高級品を買うなら、安いフライパンを10年毎年買い換えた方がいい。という昔友達にだったコックさんの意見。かたくなにそれを守っていたのだが、ちょっとここまで使い勝手がいいと心が揺らぐ。26cmもティファー○にするか思案中。


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