WELLA
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2001年07月31日(火) 家にいた日

というわけで今日は家にいるデーの火曜日。
自宅から程近いアウトレットショップに母が連れて行って欲しいというので、いったん我が家に集合してから出かけることになった。午前中病院に行ってから来るということだったので、のんびり構えてさて昼食でも、と思ったとたんにこれから行くと電話がある。3倍速でそこらじゅうを片付け。むーん、こんなにさっさと片付くのなら普段からやっとけよな>自分、という感じ。ざっと片付けて余裕をかましているところに母登場。

お昼を食べ、家の前のコンビニで調達したというお土産のアイスクリームを食べ、どっこらしょとでかける。とある既製服メーカーのアウトレットなので老若男女向けに一通りそろっているものの、実際チョイスはあまり多くない。母はその年代の女性にしては大柄かつ幅もあるので選択肢はますます絞られてくる。全体的にシンプルなデザインなので、サイズが合って色が気に入れば即買いという感じ。夏のバーゲン中だったので上下パーツ合計6点買っても3万円でおつりが来た。私もタンクトップとロングスカートをセットで買う。こちらは1万円でおつり。
お洋服買ってお茶してスーパーにおかず買って、結構優雅に買い物した気分である(安上がり)。

晩御飯は夫の朝のリクエストでポトフ。この暑いのに…と思ったが、作るのはシャトルシェフに放り込んでおくだけなので実際は楽チン。うちにある野菜と買ってきたカブとにんじんで一丁あがり。モッツァレラチーズも買ってきたので、冷蔵庫の完熟トマトとベランダのバジルとでサラダ。時間に余裕をみて食事を作ると美味しくできるし、ゆっくり準備できるし、キッチンも全然散らからない。最近ずっとばたばたしていたので妙に時間が余った気がして落ち着かない。何か忘れてる?

ポトフとビールで汗が吹き出てくる、汗をかいたまま食後ベランダへ。遠くの方に打ち上げ花火が見える。時折風に乗ってドン、ドンとくぐもった音が聞こえてくる。あの方角は多摩川だろうか。


2001年07月30日(月) 夏だ!もんじゃだ!

暑いときには熱い物を食べてだくだく汗をかくべし、ということで月島へ。月島の駅に降り立つと、地下鉄のくせにすでにもんじゃのにおいが立ち込めている。昼時を少し外した2時待ちあわせにしたのだが、とおり沿いのもんじゃ屋は結構人が入っている。いくつかやりすごして路地を入ったところにあるいつものもんじゃ焼きやに入る。ちょうど最後の1テーブルが空いていてさっくり座る。

今日は女性4人。いかにももんじゃ食べるべし!といった軽装である。とりあえずチーズともち入りとその店の名前が冠になった特製ミックスを一つずつ頼んではふはふ。特製のミックスは焼きあがったら最後に生卵を割って載せ、崩しながら食べる。モダン焼きのいいとこ取り。それにしても暑い。汗がじんわりと噴出してきてつつーっと身体を伝うのがわかる。店内の扇風機はフル回転で窓も戸も開け放ってあるが、エアコンもついている。なんという熱量か。

もう一つベビースターラーメンが入ったもんじゃを食べて食事の部は終わり。デザートにあんず巻きとチョコレート巻き。ここのあんずまきは純粋にあんずのシロップ漬けしか入っていないのでチョコレートと一緒にする。ちなみにチョコレート巻きの具は、明治の板チョコ6マス分とホイップクリーム。怒涛の2時間が過ぎておなかはfar too much。店外に出ると、風がきもちいい。

もんじゃのあとはカキ氷、という案と、もんじゃのあとはトリトンスクエアという案があったので、トリトンスクエアでカキ氷という折衷案に落ち着く。歩いてもいける距離だが無駄に疲れるのもなんだし、4人ならタクシーでいってもいいけどれいこなさん「都営一日乗車券」買っちゃってあるし、というわけで都営大江戸線へ。
これがまた歩く歩く。結局全行程歩いたのに比べて1/3ぐらいしか軽減されていないのではないか?ちょっとー、どうゆうことよーこれー。ちょーむかつくー、と騒ぐ私。なだめる周囲。トリトンスクエアで首尾よく氷ものにありついて、戸外のテラスで食べる。
少し建物の中を散策してみるが、大げさな外観の割に中身が薄いところである。ショッピングモールなのか?レストラン街なのか?文化施設なのか?オフィスビルなのか?ターゲットにしている客層はいったい…?

夕方になったので帰ることにする。月島まで戻ってそこから戻る。うーん。確かに歩くにはちょっと遠いかなぁ。でも涼しいので歩くのも苦にならない。下町の町並みや隅田川の景色が、夏休み気分をもりあげる。


2001年07月26日(木) 傷口

2週間ほど前に切った指は、ようやく治ってきた。
お医者さんの話のとおり、1週間ぐらいで傷口がふさがり、さらに1週間で傷がくっつくということなんだろう。傷あとはうっすらと白く残っているが、周りの皮膚の死んだ組織が中途半端にささむけになっているのを除けばきれいなものである。さすがに傷口の上を触ると、表面近くにある神経が刺激されて痛いが、これは時間の問題である。
消毒をするほかはバンドエイドで固定していただけなので、自然治癒といっていい。よく出来ているものだ。すっぱりと切れた皮膚、神経、血管、肉、などがそれぞれ自然に結びついて失われたところは再生してそれらがまた機能しているんだなぁ。うーん、がんばった。感動した。


2001年07月19日(木) こらえられなくなったら負け

NEOさんのお宅では、その悪い状態に我慢しきれなくなったほうが掃除をしたり片付けものをしたりする、という夫婦間のルールがあるらしい。私は自分が不快に思わない程度にしか掃除をしないし、次の洗濯まで乾燥機の中身を放りっぱなしで、お風呂上りに乾燥機から下着を取り出してそのまま身に付けてしまうようなずぼらなオンナである。しかし我が家の場合、そのずぼらな私を補って余りあるほど夫の方が圧倒的に閾値が高いので、もしそんなルールにしたらほとんどの場合私がやることになってしまう、と思った。そもそもNEOさんは通勤途中におきたガス欠との恐怖に戦った話を書いていたのだが、これに関しては基本的に夫の方が臆病なのでガソリンは夫が入れるかもしれない。

ここだけの話だが、私は一度完璧にガソリンを使い切ってしまったことがある。北陸に住んでいたころの話である。当時は毎晩銭湯がわりに近くの町営温泉に行っていたのだが、近くといっても数キロはなれているので車で行く。長年のペーパードライバーから足を洗った私が運転していたのだが、ガソリンの補充などすっかり忘れていたのであった。ある晩いつものように温泉に行ってほかほかと家に帰る途中、山の上の家まで帰ろうと坂道をあがりかけると、あれよあれよというまに車のパワーがなくなってしまった。いくらアクセルを踏んでもすかすかすかと頼りなく坂を登らなくなった。「あれぇ?」と首をかしげる私の横で「ガソリンないよ」と助手席の夫。「ガソリン?何それ?」という状態でメータを見ると、確かにメーターの針は「E」のはるか下、目盛りのないところを指している。へぇ、Eってemptyってことなのね。坂の途中で一つおりこうさんになってしまった私。

とりあえずふもとにあるガソリンスタンドを目指すことにするが、温泉では回数券を使っているので、二人ともガソリンをいれようにもお財布を持っていない。お金がない、と困惑顔の夫に向かって「大丈夫!金ならある!」と豪語する妻。万一のときに備えてキーケースのポケットに千円札を忍ばせておいたのだ。おーほっほほ、大得意。しかしそれ以前にガソリンぐらい補充しとけよな、奥さん。という感じ。

幸い下り坂なのでニュートラルにしているだけで、どんどん車は前に進む。あまり快調に走るので、浪費を懸念した夫が「もう少しゆっくり走ったほうがいいんじゃない?」というが、これは単に惰性で走っているのだ。わはは。ガソリンスタンドは坂を折りきって信号を曲がったところにある。信号が赤でないことをひたすら祈りながらするーーーっと車を転がしていくと、幸運なことに信号は青。信号が赤でもどうせ人通りも車通りもほとんどないので大勢に影響はないのだが、気をよくしてそのままガソリンスタンドに滑り込み、元気よく「せんえんぶんいれてくださいっ!」と照れ隠しの大声を出す。
「あいよっ!せんえんぶん!」ガソリン千円分で窓も拭いてもらう。ガソリン千円分で「車内にごみ大丈夫ですか?」と言ってもらう。ガソリン千円分で「灰皿よかったですか〜」と気をつかってもらう。それにしてもこの「○○よかったですか〜」という言い方は奇異である。

千円分のガソリンを飲み込んで車は力強く走り出す。目盛りの「E」をちょこっとだけ上回った針がなんとも頼もしく感じられる夜であった。


2001年07月17日(火) 書を捨てよ、温泉へ行こう

というわけで、平日格安パックを利用して夫を連れ出し温泉へ。宿と電車がセットになって、午後半休と翌日午前半休をあわせると一泊温泉旅行が実現するというお手軽パックである。夕方近くの踊り子号に乗って日暮れ前に湯河原へ。そこからさらにバスを乗り継いで20分ほどで奥湯河原温泉に着く。宿は格安パックに利用されるだけあって質素。昭和初期に建てられたという宿の階段をぎしぎしと上る。壁にはシミ、床の間にはくたびれた花が無造作に活けられ、全体的に「行き届いてな〜い」感じ。もっとも日常を離れるための旅行だからこれでいい。このうらぶれた雰囲気が郷愁をそそるのだ。部屋は池のある中庭に面していて、ざあざあと小さな噴水から水音が聞こえてくる。窓を開けて車の音もサイレンも聞こえないのは久しぶりである。ぶんぶんとうるさいばかりでちっとも冷えないエアコンを消して、網戸にして外気を楽しむ。

温泉は男女それぞれに野天風呂と大浴場。このタイプの旅館にありがちな男尊女卑のつくりなので、男性向けのほうが野天風呂、大浴場ともに圧倒的に豪華で広い。しかし今どきそれでは女性客が呼べないので、6時から9時までのゴールデンタイムは野天風呂は男女用とも女性専用。どうせ、男性団体客は宴会場で大騒ぎなのでかまわないのだ(当然かまう人もいるが)。
日がまだ沈まないうちに早速野天風呂へ。カナカナカナとひぐらしが鳴いている。上を見上げるとまだ青空が残る。竹やぶからさやさやと葉を揺らすひんやりとした風がここちよい。野天風呂の脇には細い滝が流れ、マイナスイオン放出中という感じである。隣の女湯は狭いし、滝にも面していない。これじゃ女性客はこないよな。すっかりくつろいで部屋へ戻ると食事の用意がされている。食事は…まあ、格安パックの宿だからこんなものかという感じ。やたらと皿数ばかりが多いハッタリ温泉風料理という感じである。無駄に豪華風にしてあるが、味も今ひとつ。でも自分(達)で配膳も後片付けもせずにすむんだから、文句はない。冷蔵庫からビールを出して、二人で中ビンと小ビンを1一本ずつ空けたらすっかり眠くなってしまった。酔いが覚めたらまたお風呂に行こう、などといいながら私はそこで沈没。夫は夕方は入れなかった野天風呂を一人で楽しんできたそうだ。夜は滝がライトアップされてきれいだという話を朦朧としながら聞く。夫も風呂上り早々に眠ってしまったらしい。

早く寝付いたので夜中に目がさめる。隣の部屋は若者らしく宴会の続きをしている。明け方近くまで話し声はやまず。さすがにあんな元気はないなぁなどと思いながら一人でおきだして屋内の浴場へ。せっまー。とことん女湯は小さいのであった。
一眠りして朝食前に再び温泉へ。ミンミンゼミが鳴き始める。期待しないで正解な朝食。朝食時間を一番遅い時間帯に設定したので、食事の後は比較的忙しい。手早く身支度してチェックアウト。バス停ひとつ分はなれたところにある滝まで歩いていく。途中で沢蟹を見かけたりアゲハチョウを見かけたり。道路沿いに流れる川の水面がきらきらと美しい。滝自体は15mほどの小規模のものだが、さすがに涼しい。ここでもマイナスイオンをたっぷり浴びる。脇の茶店で氷いちご。んー。贅沢である。温泉街をぶらぶらとして、途中でペットボトルのお茶を買ったり、冷房の効いた建物の中で休んだり。駅前のみやげ物やで干物とちくわを買って帰宅。






2001年07月15日(日) 真夏日と交通事故

例によって夫をおいて実家へ。といっても主たる目的は大学以来の友人☆子ちゃんとランチのためである。彼女が最近私の実家から徒歩圏内に引っ越したので待ち合わせ場所を実家にしたのだ。車で迎えに来るという彼女を待つことしばし、遅れるという連絡もなし。痺れを切らしてこちらから電話すると、なんと自宅で私の電話を待っていたという。おいおいおい。お迎え目標時間を設定したのは君だろう?「遅れるようだったら電話してね♪」といったのも君だろう?いつからそういう約束になったのだ、ぜいぜいぜい。とりあえず洗濯物を干し始めてしまったという☆子ちゃんからの「これから出ますコール」が来たのはおよそ30分後。ちっ結局1時間も待っちまったぜ。

☆子ちゃん到着。両親も彼女に会うのを楽しみにしていたので上がってもらって少しお茶。最近母は年齢のせいか語るクセがついてきたらしく、☆子ちゃん相手にしばし昔話などを語る。怪しい兆候である。適当なところで切り上げて一つ隣の駅周辺の最近hanakoに載ったという和食の店へ。駐車スペースが見つからず、何度も何度もぐるぐるとそこらへんを回ってなんとか路駐。それにしてもあっついのぅ。店はもうちょっとこじゃれた店を想像していたが、今ひとつ居酒屋風から抜けきれず。まぁ所詮地元の店だからこんなものか。
その後同じ道に面した今度こそこじゃれた喫茶店へ。またも駐車スペースを探して放浪の旅へ。やっとこ少し離れた場所を見つけて停める。☆子ちゃんの乗ってきたのは新車で、彼女の運転技量に比べてかなり大きいので何をするにも大変である。それにしてもあついのう。喫茶店はさすがにひんやり。ケーキが美味しそうだが満腹なので食指が動かず。アイスティー一杯でうだうだと時を過ごす。ケーキを買って実家まで送ってもらい、両親とケーキを食べ、残りのケーキと貰ったおかずを手に帰路へ。

最寄のバス停まで行くと立体交差の上にパトカー、下に事故車両2台。自転車で駆けつけるおまわりさん達。下の車はワンボックスカーに後ろからRV車が接触した感じでワンボックスカーのリアガラスがこなごな。けが人はなさそう。じゃあ立体交差上のパトカーと下を見下ろしている若者は何?
一刻も早く目的地に着きたいのでと、おまわりさんにバスのルートを尋ねているご婦人がいるので、おまわりさんの代わりに答える。彼女が事故の当事者(正確にはワンボックスカーの助手席に座っていた人)で、彼女達はお盆のお墓参り帰りで、信号待ちしていたら、後ろの車のキャリアーの出っ張りがガラスにあたったのだという。後ろの運転手がちょっと缶ジュースを飲もうとして上を向いた瞬間にあたったらしい。お馬鹿な奴。で、上の事故はほぼ同じ時刻に起こった同じような事故なんだそうな。

せっかく下の方で呼んだパトカーが間違えて上に行っちゃったりして、ずいぶん待たされたらしい。お盆で特別なメニューが決まっていて、お姑さんの命により夕食の支度をするために奥さん一人バスにのって家に帰ることにしたという。うーん、すばらしい。なんだか知らないけど仲良くなって、バスに乗って一緒に帰った。


2001年07月13日(金) 宇宙人との遭遇ぱーと2

ぱぴちゃんと京うどんをつるつる。その後かなり離れたバス停まで歩いて、家の近くまでくるバスに乗る。バスは帰宅ラッシュの時間と重なっていて満載状態。当然座れるわけもなく、奥まで進むことも出来ずに運転手席の後ろあたりに立つ。目の前はマンガを読みふけっている、肉体労働者風@パンチパーマの若い男性が座っている。

いくつめかの停留所で杖をついた老婦人がよたよたと乗ってきた。シルバーシートも満席なので、その脇に立つ。おばあさんの前に座っているのは、トロピカルなビニールバッグに大きなお花のついたミュール、まつげをくるんとさせてヘッドホンで耳をふさいで一点を見つめている若い女。…出たよ、また宇宙人。この前見た宇宙人よりかなり確信犯的とみた。自分が座っているすぐ横で明らかに小柄な人影がバスが動くたびによろよろとするのに気付かないのか、気が付きたくないのか、かたくなにうつむいて視線を下に落としている。
途中で運転手が「おばあちゃん、後ろの方席が空いたからすわんなよ」とマイク越しに声をかける。恐縮しながらよたよたと慌てて移動する彼女に「待ってるから急がないでいいよ」という。その間宇宙人はヘッドホンを手の平で覆うように押さえてまるで自分を外部から一切遮断しようとしているように見える。老婦人が席につくのを見届けて、バスを発進させながら「杖をついた人は立ってるだけで精一杯ですからね、席譲って上げてくださいね、お願いしますね、座ってる方」と怒りを押さえて運転手がアナウンスする。宇宙人は耳をふさいだまま窓の外を眺め身体を固くしている。
なんだかなぁ、そんな思いをしてまでバスで座りたいかな。私なんか小市民だから、バスで座れるときはできるだけ奥の方に座るけどなぁ。奥の方までは席を譲らなきゃならないような人こないからね。一番入り口に近い席に座って我関せずでいられるってすごい精神力だよね。それとも想像力が欠如しているんだろうか?親の顔が見たい、というかこういう人が親になると子供を炎天下の車内に放置したり、子供をコインロッカーに「預けて」ラーメン食べに言っちゃうんだろうか、と飛躍してみる。
その後またも杖をついた別の老婦人が乗って来たが、彼女は当然反応せず。しばらくしてとある駅の近くで雰囲気も暗く降りていった。どう考えても最初から電車に乗ったほうが全然早かったと思うんですけど…。あ、私もか。

それにしても、あの「宇宙人」たちの暗さはなんなんだろう?若くてオシャレしていて、それなりに今風にきれいで、それなのにまったく生気の感じられない内に篭った雰囲気はいったいなんだ?これなら町を傍若無人に歩き回るコギャルさんたちのほうがあっけらかんと馬鹿っぽくてまだ救われる。なんてことを思いながらバスを降り、マンションのエントランスに入ったら制服姿のコギャルさんがちが3人ほどロビーの地べたに座って「ぎゃははっはははは、マジマジ?」とかいいながらケータイで話してた。自分ちの部屋よりロビーの方が涼しくてたむろしているらしい。せっかくそこにソファーがあるのに、冷たいコンクリートの床の方が好きなのね。


2001年07月11日(水) 宇宙人

指の怪我はおかげさまで落ち着いております。
歩くとき腕を振っても痛くなくなってきたので、消防署に向かってひそかに手を振っています。

それはそうと、わたくしは昨日夫と山手線に乗っていたのでございます。某ターミナル駅につくと、人々がどやどやと降りていき、ひとつ席が空いたのでまず私が座ったのでございます。わたくしが座った席のその隣には、さきほどからせっせと携帯メールを打っている見目麗しい若いおなごさまがいらしたのでございますが、そのおなごさまの反対側の隣が空きましたので、夫はそこに座ろうとしたのでございます。すると丁度メール打ちのきりが良かったのか、そのおなごさまは「あ、どうぞどうぞ」と席をずれてくださったのでございます。
ほどなくしておじゃる丸に出てくるマリーさんのようなおばばさまが杖を片手に乗り込んでいらしたのでございます。例によって私が譲るにはちょと遠い場所だったのですが、おばばさまが中ほどに進んでくると、その携帯メールの若いおなごさまは席を譲ろうと席を立ったのでございます。おばばさまはそのおなごさまからもちょっと遠い位置におられましたので、おなごさまが声をかけようとちょっと席から晴れた隙に、なんとおなごさまの後ろをすりぬけて若いむすめっこがするりとその空いた席に座ってしまったのでございます。電車が駅を出発してから席が空いた不自然さに、なんの疑問もかんじなかったのでございましょう。
あまりの出来事に周囲のものはみなあっけにとられて、その若いむすめっこをまじまじとみつめたのでございますが、そのむすめっこは気付くそぶりもなくイヤホンをしたままややうつむいて一点を見つめているのでございます。そう、まるで魂が抜けてしまったような、人としての気配が伝わってこない様子でございました。おばばさまと席をゆずったおなごさまと二人とも困惑しきってその場に立っていたのでございます。おばばさまはせっかく譲ってもらったのにごめんなさいね、とおなごさまに謝っておいででした。すると、今しがた席にすわったふとったおっさんさまが「座られちゃったのか、まあしょうがねえよな、はっはっは」などと周囲の感情を逆なでするような調子でいいはなちました。「だったら、おっさんアンタが譲れよな」と、わたくしは自分は席に座ったまま心の中でツッコミをいれたのでございます。
幸いそのおっさんさまの横のやや年季の入ったおなごさまが、おばばさまに席をおゆずりになりましたので、この件は一件落着、若いおなごさまは次の駅でさっそうと降りてゆかれました。隣同士座ることになったおばばさまとおっさんさまは、なぜか言葉を交わす間柄に発展していて、かなり大きな声でその魂の抜けたような娘っこのことをあれやこれや言っていたのですが、娘っこはまったく気付くそぶりもなく、ただただイヤホンで隔離された自分の世界にこもり、まさに我関せずでございました。ときおり自分の手を固く握り締めたり爪をきゅーーーっと指に立てたりするようすがそれは恐ろしゅうございました。もしかしたら宇宙人かもしれないと怪しく思い始めたころ、その娘っこはするりと席を立って電車を降りていきました。席をのっとってからたった4駅目のことでございました。


2001年07月09日(月) 流血の朝

冷蔵庫の中で古くなってしまった茄子を救い出し、いたんだ部分を取り除いたりしておしゃべりしながらスパスパと茄子をきっていたら、ぐりぐりっと包丁に違和感のある感触が!どわ〜ぁっ!!これ、あたしの指!なんということでせう。包丁の刃が私の指の上でぐりぐり。慌てて口の中に指を入れると広がる血の味。ちょうどゆで卵の殻のてっぺんを取り除くみたいなかんじに、薬指の指先に切れ目が入っている。傷口自体は大きくないが、今まで経験した中で一番の深さである。

とりあえず心臓より上に指を掲げてしばらく考えてみる。ちょっとやそっとではふさがらない感じがする傷である。それよりも出血も多いし、バンドエイドぺっぺではすまない予感。とりあえず止血してみるかと止血用の紐を捜してきてくれるように頼むが私以上にうろたえている人物約一名。ただおろおろとしているばかりなので私が動くと、床にぽたぽたとあああああっ!血が。どわーーーーーーーーっ。果たしてこれは病院にいって手当てを受けるべきなのか、それともバンドエイドぺっぺレベルなのか?素人判断ではよくわからないので、とりあえず目と鼻の先にある消防署までいって助けを求めることにした。よし、と簡単に身支度をしていると救急車が出動する音が…。たのむ、私が行っても誰かいてくれ〜。

指を押さえたままてくてく歩いていき消防署の建物に入ると、さっそく受付の人が対応してくれる。「あの〜包丁で指切っちゃったんですけど、病院にいったほうがいいのか判断がつかなくて…」というと、手元のマイクをとりあげて「救急外来、救急外来」とアナウンスしてくれた。へぇ、『救急外来』って用語があるのね。どやどやと内部から隊員の人たちが5〜6人出てきて、てきぱきと応急処置をしてくれた。折りたたみいすを持ってきて座らせてくれるし、「手を心臓の上にあげて」といいながら手を持ってくれているし、「ちょっと大げさだけど」といいながら三角巾でくるんでくれたりした。かかりつけの病院があるか聞かれたが、まだないと答えると2〜3近場の病院を教えてくれて、さらに診療が受けられるかどうか調べてくれた。わーん、こんなにしてもらっていいんだろうか(しかも無料で…)。

これからいこうとする病院の場所まで教えてもらって、お礼を言って出ようとすると、隊員の一人が小走りに近づいてきて「これ、病院の代表電話です」といってメモを渡してくれた。なんというか大感激である。日ごろ消防署が近くにあるせいでサイレンの音に悩まされていた我が家であったが、認識は180度変わってしまった。

三角巾でぐるぐる巻きにした大げさな状態で病院に行くと、診察をしてくれた先生が「は?これが傷?」というほどの状態。それは応急処置がよかったからに違いない(えっへん)。「縫ってもいいけどテープで止めといてもくっつくと思いますよ」といわれたので、縫わないでくださいっ!といってテープでぐるぐる巻きにしてもらった。ばい菌が入って化膿したりすると大変なのでやはり病院に行ったのはよかった模様。こういう暑い時期だしね。はぁ、災難でした。


2001年07月06日(金) 駆け込み乗車はやめましょう。

都営地下鉄の車内広告で、「駆け込み乗車はおやめください」というポスターをみた。図柄は、電車とそれに全速力で突進していく人のシンボル化された絵で、それを見たあなたはその後どういう場面を想像するか、という問いかけがある。
答えとしては、A.自分ひとり大怪我をする B.滑って転んで恥をかく C.電車を止めて大迷惑をかける D.駆け込み乗車に成功する などがあり、それぞれに「A.を選んだあなたは○○な人のようです。」というような解説がつくのだが、最後は必ず「そんな○○なあなた、駆け込み乗車はやめましょう」で締めてある。ポスターの下部にもでかでかと「駆け込み乗車はやめましょう」とある。なんだか「それにつけても金の欲しさよ」みたいである。


2001年07月05日(木) 飲んでる飲んでる

最近すっかり日記にご無沙汰なのである。その原因はずばり酒である(きゃー)。
普段はあまり飲まないのだが、なぜか誕生日を過ぎた辺りから飲む用事が多くなっって、今週は毎日飲んでいる。家で飲むとビールコップ一杯ぐらいですやすやと眠ってしまうので日記かけず。外で飲むとついつい過ごしてしまうので日記かけず。

今日は午前中に、とある方と上野の都美術館でアールヌーヴォー展を見に行った。平日だというのに超満員である。ガレやラリックのぐにゃりとしたガラス作品を楽しむ。我が家は直線的なデザインの調度品ばかりなのだが、ああいうぐにゃっとした感じも良いものである。ガラス製の花器や大鉢の美しいこと。あれは中に何もいれないことで美しいのだろう。

館内のレストランでサンドイッチ。ビールのお相伴。その後通っているカルチャースクールの最終講義だったので、打ち上げというか暑気払いで日もまだ高いうちから生中ジョッキで2杯。ぷはー。楽しく1時間お話をして岐路へ。途中デパートの食品売り場で食材調達。今日は生春巻き。ついでにとうもろこしと真鯛のあらを買って帰る。

マンションの入り口で鍵を持たずに出てきたことを発見。昨日酔っ払って帰ってきて鍵をそこらへんにおいてしまったらしい。今朝は夫と一緒に家を出たので、バッグに戻さなかったことに気が付かなかったのだ。仕方なくマンションの管理人に頼んでロビーにはいれてもらうが、個人の部屋の鍵はあけられないというので、ロビーのソファに座って夫の帰りを待つ。携帯に電話してできるだけ早く帰ってきてもらった。ロビーでは1時間ほど本を読んで時間を潰す。

静かだしエアコンはめちゃくちゃ効いてるし、夜はここで眠りたいぐらいである。


2001年07月02日(月) SHOUTING!

ぷはー。ようこさんとともにモトハルコンサートへ。
いつもながらお行儀のよいファンの人々。年齢層も高いので静かな曲や動きの少ない曲になると立って踊っている人も着席したり。もちろんずっと座ったままの人もいた。

モトハルは去年の20周年の時よりさらに声が低くなっていて、昔のナンバーをうたってもあんまり雄たけびをあげなくなったし、シャウトしまくっていたMOTOらいおんに比べると少し物足りないかも…。と思いつつもファンは、モトハルが立って動いて唄っているだけでもう嬉しい。モトハルが何かしゃべるとなお嬉しい。モトハルがちょっと冗談ぽいことを言うと、大受け。でも実際大したことしゃべってるわけじゃないんだけどねぇ。なんかオーラがあるというか、もうモトハルがそこにいてくれているというだけでシアワセなんだろうなぁ。実際私もすごくシアワセな気分になったし、ありがとうという気持ちがモトハルからも観客からも伝わりあっているいいコンサートだった。

座席はちょうど1階席なかほどの列で、すぐ隣のブロックで照明さんのコンソールをあやつっているのを間近でみてちょっと感動した。リズムにあわせて指先で照明を小刻みにコントロールしている。この照明でステージがまたいっそう盛り上がるんだよね。うん。いい仕事してました。照明さん。

コンサート後は人ごみをさけて小さな洋風の居酒屋ふうの店へ。1時間半ほど食べておしゃべりしてお開き。涼しくて気持ちのいい夜。


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