WELLA
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1998年11月11日(水) Remember me

秋の色が濃くなるにつれて、街を行く人々の胸に赤いポピーの造花がつけられているのを目にするようになった。ポピーをつけた人々は日ごとに増えていく。テレビに映し出されるニュースキャスターや政治家達も皆、このポピーを胸につけている。
町角には「POPPY APPEAL」と書かれたポスターが貼られ、ショッピングモールなど人が集まるところに募金所が設けられている。
初めは赤い羽の共同募金のようなものかと思っていたが、これが戦死者を悼むためのものであると気づいたのは、たまたま立ち寄った教会で、戦死者の記念碑にポピーの造花で作った花輪が置かれているのを見たときである。
その記念碑には「祖国のために命を捧げた人々」の名前が刻まれ、さらにこう書かれてあった。

あなたたちの今日は私たちの明日を捧げたものです
あなたが今日このことを知ったのなら
家に帰ってあなたの家族に私たちのことを伝えてください
私たちを忘れないで

そして11月11日が「Rememberance Day」である。
11月11日11時をもって第一次世界大戦が終結したことから、第二次大戦を含めてこの日を終戦の記念日としている。そしてポピーの花は荒れ果てた戦地の跡にポピーの花が咲いていたことからシンボルとして用いられているのだという。これはアメリカでも同じらしい。
イギリスは過去に何度も戦争しているが、現在特に言及しているのは二つの大戦と、そしてフォークランド紛争である。以前は11月11日に式典があって、11時になるとすべてを止めて黙祷を捧げるそうだが、現在では11月11日の前後にある日曜日のうち、11日に近いほうに式典が行われる。
この頃になると街を行く人の半分以上がポピーをつけている。年配の人だけでなく若い人もである。Conversation Exchangeのパートナーのポーラさんも先週会ったときにポピーを胸につけて現れた。

当日式典の模様が「Rememberance Sunday」としてBBCで中継されたのを見た。
式典が行われるのはロンドンにある記念塔の前で、軍楽隊の演奏のもと、女王陛下をはじめとして王室、内閣のメンバー、英連邦(the Commonwealth of Nations)各国の代表、陸、海、空軍、退役軍人などの団体などの代表がポピーの造花でできた花輪を捧げる。11時をもって黙祷が行われ、司教による教示がある。
王室の男性メンバーは軍服を着ている。花輪を捧げたあと敬礼している。ダークスーツに黒っぽいコートを着用した大臣などの文官は目礼である。王室と英国国教と軍隊、そして英連邦(the Commonwealth of Nations)の組み合わせはかつての大英帝国の威信を彷彿とさせる。
式典は行進に移り、そぼ降る雨の中延々と行進を行う。車椅子の人も多い。退役軍人の団体はそれぞれ勲章を胸につけ、軍の帽子を被り、号令のもと隊伍を組んでいる。婦人団体の参加もある。記念碑の前には参列者が持参したポピーの花輪が次々と並べられていく様子が映し出され、時折関係者の証言が画面に織り込まれる。

番組の冒頭に戦死者の言葉としてナレーションが流れ、「Remember me, Remember me」と締めくくられた。この日は終戦を記念するというよりは、戦死者を思い、彼らを忘れない日なのだ。
中継では王室の関係者が誰が戦死したかも説明されるが、ここでは戦争の是非や戦争責任などは問われていないようだ。彼らのおかげで祖国が守られた、彼らのおかげで平和がある、という位置づけである。やはり今もって軍隊を持ち、時に戦争をし、女王陛下自ら軍服に身を包んで閲兵をするお国柄である。ことさら戦死者を英雄視するわけではないが、軍隊がある以上は戦争をする可能性はあり、戦争がある以上戦死者が出ることは免れない、ということのようだ。

ここで暮らしていて、ふと日本が敵国と呼んだ国に身を置いている自分を考えることがある。
「病院のピアノ弾き」のときに会うお年寄りの人たち。彼らはいずれも働き盛りの頃大戦を迎えているはずだ。従軍していた人もいるかもしれないし、夫が出征していた人もいるかもしれない。過去を忘れきれない人もいるはずだ。彼らの笑顔を前に時々そんなことを考える。


1998年11月05日(木) 路線バスで行こう

外国に限らず見知らぬ街に住んで、ああ慣れてきたな、と思う段階はいくつかあって、路線バスにためらいなく乗れるようになるのもその一つである。電車に比べると、バスの乗り方はその土地によって微妙に違うので何かと戸惑うものだ。

たとえばこちらではバス停でバスを止めるときに腕を水平にあげて合図する。これは「地球の歩き方」でロンドンのバスの乗り方の項に載っていたのだが、ケンブリッジでもみなそうしている。
こちらでは車内の案内表示もアナウンスもないし、降車ボタンもまばらにしかない。バス停の看板は目立たない上に文字が小さいので、日本に比べると不便である。逆にいえばその分運転手の助けを要求して当然ということなのだが、それができるなら大したものである。停留所でないところでバスを止めたり、運転手と軽口を叩けるようになったら、それはもう地元民でも相当年季の入った部類だろう。

バスに乗るのは楽しい。2階付きのバスが来たときは迷わず二階に上がって前の方に陣取る。
町並みや町行く人々を眺めながら、乗客同士、時には乗客と運転手がおしゃべりするのを聞きながら、目的地まで揺られていく。自家用車では味わえない楽しみがある。
ケンブリッジのバスはロンドンと違って赤くない。というよりロンドンが特別なのだ。ロンドン以外の都市はケンブリッジも含めて、Stage Coachという会社の白地に青と赤とオレンジのラインの入ったバスが走っていることが多い。バスは2階付き(double-decker)もあるが普通の1層の方がやや多く、小型のバスもある。ちなみにすべてワンマンである。

バスに乗ったら運転手に行き先と往復(return)か片道(single)かを告げる。いわれた通りの料金を払って発券してもらい、席に座る。往復のときは復路でこれを見せて乗る。街の中心部を行く場合は、乗車時に「メガ(ライダー)チケット」という5£で1週間乗り放題チケットを買うことができる。これなら行き先を告げる必要も料金を聞きとる必要もないし、間違えたら何度でも乗り換えられるので便利である。
これだって、最初は全然知らなかった。バスに乗って出かける必要ができたときに、有能な秘書ペニーさんに教えてもらおうと思って、夫の職場までのこのこと出かけていったのを思い出す。あいにくその時はペニーさんは不在だったのだが、受付のナネットさんがわざわざ電話帳でバス会社の番号を調べて電話で聞いてくれたのだ。

ところが週に一度の「病院のピアノ弾き」のときは目的地がメガチケットの範囲を超えている。行き先は「Ida Darwin」といって街の中心部から20〜30分の郊外にある病院である。ボランティアコーディネーターのグレンダさんによると「有名なダーウィン」の孫娘にあたる女性に因んだのだという。
それはともかく、この場合往復(return)なのでバスに乗ったら「Ida Darwin, return please」と言うのだが、これが難しい。一遍で通じるように発音をちゃんとしなければならない、と思うと緊張して声が小さくなるのか、なかなか通じない。
ところで一度ぼーっとして何心なく「あいだだーいん、しんぐる、ぷりーず」とほとんど日本語で言ったところ、あっさり通じたことがある。発音が悪くても大きな声で言えば案外通じるものだと感心した。かと思えばすんなりと理解されたようなので喜んでいると料金が妙に高い。知らない間に値上がりしたのかと思いつつ支払ったが、あとでチケットをよくよく見ると行き先がWhite heartになっている。
「アイダダーウィン」と「ホワイトハート」。響きは似ていなくもない。こんな時は少しだけ落ち込む。
夏場は暑い上に(といってもこちらの感覚でいえば涼しいのだが)、各国からの留学生や観光客が口々に似たような質問をするので、運転手は皆イライラしている。聞く耳を持っていないので、勘違いを指摘しても「聞こえなかった」とか「もう遅い」と言われたり、平然と間違えられたりする。腹は立たないが、落ち込む。こんな簡単なことも私はできないんだという惨めな気持ちになる。

秋になって人が減ると、運転手にも余裕ができるようで、ここしばらくは気持ちよく利用していたのだが、面白い場面に遭遇した。
バスに乗ろうとすると料金の支払いに妙に時間がかかっている。自分の番が来て運転手に行き先を告げると、料金表を見ながら「6だね、ええと、往復だと2£10p」などと言う。どうやら6というのは料金の区分らしいが、私に確認されてもねぇ。不思議に思っていると、次の乗客の時に脇から「それは7」という声が飛んだ。見ると運転手の格好をした女性が最前列の座席に座っている。
バスの運転手の実地訓練らしい。見習い運転手は初老といってもいい年格好の男性である。緊張した面持ちで業務を懸命にこなしている。一方指導員である女性はすっかり退屈して、乗客に向かって昨晩のテレビ番組について尋ねたりしている。挙げ句の果てに後方の乗客の隣にどっかと腰を下ろしてしまった。すっかり話し込んでいる。たまに乗客が乗ってくると、見習い運転手に後ろの方から指図を飛ばしている。乗客の方も心得たもので、初めから指導員の方を向いて質問をしたりしている。

翌週、例の指導員の女性運転手が喜び勇んでバスから降りてきた。解放された!とでも言うように思い切り伸びをしている。どうやら訓練が無事終わったらしい。
帰りに乗ったバスはまた見習い運転手のバスだった。その路線は一時間に一本しかない上に距離が長い。利用者は少なく、しかものんびりとしたお年寄りばかりなので、実習には最適なのかもしれない。今度もまたも初老の男性。指導員は男性だがこれも退屈しきっている。
私が降りる停留所が近づいてくると減速したので出口に近づいていったが、ドアがあかない。単に交差点近くで停止しただけなのだ。思わず指導員の方を仰ぎ見ると、ここで降りるのかと確認して、見習い運転手に「Stop!」と指示。見習い運転手は「Stop?」といいながら慌てて車を留め、今度は「Open!」と指示されてドアを開ける。混乱させて申し訳ない。謝りながらバスを降りる。

後日バスの時間変更のお知らせを見ていたら、「運転手不足のためにバスの本数を減らします」と書いてあった。バスの運転手は不足しているらしい。道理で彼らが、と初老の見習い運転手たちのことを思い出した。


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