WELLA DiaryINDEX|will
私が勤めていた頃の話です。 その頃私がいたビルは、他の部署や子会社が入っていたので、 ♪ど〜この誰かは知〜らないけれど、なんだか顔だけ知っている〜♪(月光仮面?)状態でした。エレベータや食堂でよく見かけるけど、どういう人かは分からない。まあ、当然いろんな人がいますわな。 一人すご〜く無愛想なおじさんがいました。よく見かけるけど、他の同僚と話している気配はない。エレベータで人の背後からものもいわずにボタンを押すわ、ずいっと割り込んでくるわ、私は内心「な〜に?この人…」と思っていたわけです。 そのおじさんはお昼休みも一匹狼です。 昼食後は、食堂のソファで缶コーヒーを飲みながら、そこのテレビを見るのがおじさんの日課でした。見る番組は、ニュースだったり, 「3分間クッキング」だったり、「笑っていいとも」だったり、ついてればなんでも見るという感じ。強いていえばニュースが好きだったかな? とにかくテレビが消えてると必ず自分でつけるテレビ好きです。 ある昼休みのこと、音量を絞ってあったのか、テレビの音が出ていませんでした。私はテレビを見ないので、ほっといたのですが、そこへいつものようにおじさんが缶コーヒーを持って現れました。ソファにどっかと座ると、コーヒーを飲みながら、音のないテレビを見ています。 そうなんだー! あーそうかー。あーすべて合点がいく! ものも言わずにボタンを押すことも、同僚と談笑しないことも、テレビが楽しみなことも…。 なんだ、そうだったのか…! やられたぁー。それを先に言ってよ〜! …言ってよ〜ったって、そのおじさんには私にそんなことを報告する義務はないわけですが…。 心の中で顔にタテ線です。 心の中で私は頭を抱えてのたうち回ったのでした。 しばらくして、そのおじさんが手で話しているのを見ました。私は、早速手話サークルに入会して、手話を始め、おじさんとも仲良くなり… などということはなく、 実際私が手話を始めるまで、それからさらに2年位の月日が流れたのでした。 その後、職場は隣のビルに移動したのですが、おじさんをたまに見かけても手で話しかけることはしませんでした。知らなかったとはいえ、そんな風に思っていた自分が、勝手に気まずい思いをしてしまったんでしょうかね。 手話をしていると時々そのことを思い出します。
我が家では新聞をとっていないし、通勤電車にも乗らないのでとんと世事に疎いのですが、この前公民館でちらっと見た新聞の写真版によると、アメリカで車椅子に乗ったお人形が新発売されたそうです。 彼の地にはバービー人形という、それはそれはナイスバディの、とても子供とは思えない少女のお人形があるのですが、この度そのバービーの新しいお友達が、車椅子に乗って登場となりました。 その名はベッキー、同じくナイスバディ。 発売元によると、「ハンディキャップを持つ子供も同じ子供」ということを遊びを通して伝えたいということで、まあ画期的な試みではあります。 何より、まずアメリカらしいではありませんか。日本ではまず実現しないでしょう。 それにしても、なぜ車椅子なんでしょうね。やっぱり分かりやすいから? 発売元でもここは賛否両論、意見が分かれただろうと推察します。 ハンディキャップを持つ人が全て車椅子に乗っているわけではありませんからね。 なんとなく納得し難いのですが、 「ハンディキャップを持つ人も、持たない人も同じ様に当たり前に暮らす」 というノーマリゼーションの考えを、玩具の世界にとりいれたことは、第一歩として評価すべきでしょう。 ところで日本の「リカちゃん」人形は、おとうさんはフランス人だし、とても同じ日本とは思えないピラピラしたおうちで暮らしていますが、私が熱狂していた子供の頃を考えると、それなりに「自分の暮らす世界」と「リカちゃんの世界」とははっきり区別して遊んでいたように思います。 つまり「それはそれ、これはこれ」ですね。だから全然矛盾がない。 そういう意味でベッキーが車椅子に乗って登場したからといって、それが現実世界のノーマリゼーションと結び付くのかと考えると、う〜む…。はっきりいって疑問です。 ベッキーの登場がこの先、第二歩、第三歩へと繋がるのか、単にニュース性のものとして終ってしまうのかは、発売元及びベッキーを買い与える大人たちのフォローがカギを握るといったところでしょうか。 ハンディキャップというのは、外からすぐ見てとれるもの、とれないものもたくさんあるのだということ、でも皆一緒なんだよということを子供の頃から分かっていて欲しいと思います。 そういうわけで…やっぱり賛成、かな。
蛍の季節になりました。 といっても実際見たわけではないので、正確にはなったらしいということですが。そう、私の住んでいる辺りは蛍がいます。えっへん。人工的な自然が増えたといっても、*自然的な*自然はまだまだ残っているので、まだまだ蛍を楽しむことができます。 去年私は野性の蛍を生まれて初めて見ました。生まれて初めて見たといえば、海に沈む夕日もそうです。いやー、あれは驚きでした。大体子供の頃から日の出は海から、日の入りは富士山方面と相場が決まっていましたから。そういえば小学校6年生の国語の宿題で、私は 「夕焼けや 影絵のような 富士の山」 という俳句を作って先生に「面白みがない」といわれた実績もあります。季語もないので俳句とはいえませんが、ま、たしかに面白くもなんともないですね。 「夕焼けや 日の出のような 日本海」 だったら驚くよな。とりあえず…。 ところで蛍ですが、聞いた話によると蛍には営業時間があって大体夜8時〜10時がピークだそうです。もっとも蛍の種類によって、出張る期間と営業時間は若干ずれるらしいのですが。まあ、どんなに頑張って一人すばらしい輝きを放っていても、まわりに仲間がいなければナンパも不首尾に終ろうというものです。 というわけで人間も蛍の営業時間に合わせて出かけることになります。目指すは暗がりで、きれいな水がちょろちょろと流れているようなところです。噂ではクリスマスツリーのイルミネーションのように蛍がたくさん木に止まってるっていうじゃありませんか。わくわく。 去年は蛍スポットとして名高いところに車で行きました。 ところが、すぐ近くで治水工事が始まったせいか、期待したほどではありません。一応「うわぁ〜」なんて感嘆の声をだしてみたりしたんですが、とても蛍ツリーなどといえる代物ではなく、早々に帰ってきてしまいました。世の中甘くないのね…、あ〜あ、がっかり。がっかりしつつもはたと思いたって家の裏手の方へいってみると…、 「う、うわーっ!!」 いました、蛍。田んぼの上にも、用水にも、木の上にも…。 人の気配がすると一瞬光りが弱まるのですが、息を潜めてじっと待っていると、ふわ〜ん、ふわ〜んと光りが増えていきます。聴こえるのはせせらぎだけ。音のない世界。まさに幻想的。ああ、うっとり。 私たちはずいぶん長い時間そこに立ちつくしていたのでした。 さー今年もそろそろ出掛けるとしよう。いくつの蛍スポットが生き残ったかな?
私は4年前に手話を始めました。 そういうと、「どうして手話をやろうと思ったのか?」と聞く人が多いのですが、そんな大層な理由などなくて、単純に「手で話す」ことに興味があったからです。そんなわけで、始めた時は聴覚障害者についても、聴覚障害者をとりまく社会の現状も、そもそも「聴こえない」ということも、よくわかっていませんでした。 週一回2時間の講習会に行って先生の真似をして帰る。それが私と手話の唯一の接点でした。クラスメートは老若男女さまざまでしたが、手話を始めたきっかけをそれぞれ「役に立ちたい」「聴覚障害者の友達を作りたい」としっかりと述べていて、「はぁー。たいしたもんだぁ」とただ感心するばかりの私でした。 そのうちに講習会で友達が増え、聴覚障害をもつ人たちにも知合いができ、知らなかったこともだんだんわかるようになってきました。聴覚障害をもった人たちの体験談を伺うと、まさに目からうろこが落ちるというか、漫然と過ごしてきた我身を振り返って恥ずかしいばかりでした。手話の技術の方はというと使いものにならないまま1年目の修了式を迎えました。 2年目になっても、自分の言いたいことの半分も表現できず、相手の手の動きも読みとれません。さすがに「このままでいいのだろうか?」という気もしましたが、なんとかなるだろうと気楽に講習会に通っていました。会社帰りに通っていたので、講習会のあとは、目がショボショボとしました。メガネを作ったのもこの頃です。 3年目になって、突然手話を生かす場面が出てきました。聴覚障害を持つ同僚と一緒に仕事をすることになったのです。 「おおお!ついにその時が来たか…」 自分では正確な表現を心がけていたつもりでしたが、「表現が固い」と指摘されていたころでもありました。隣の席同士で一日中手話を使っているうちに、表現が軟らかくなったような気がしました。なにより手話を使う度胸がついたのが大きな収穫でした。職場の有志を集めて、その同僚を先生役にして毎朝手話の勉強会も始めました。いいだしっぺの私は途中から遅刻するようになってしまいましたが、私が退職した後もほそぼそと勉強会は続き、この6月でまる2年を迎えるようです。 その仲間たちに心からの敬意を表すとともに、彼らの姿をみて手話に興味を持つ人がもっと増えてくれないかなと欲を出したりもします。 手を動かしてコミュニケーションがとれるというのは、とても楽しいことです。
左右に田んぼを見ながら車で山道をくねくねと進むと、突然視界が開け、そこに場ちがいな鉄筋コンクリートの建物群がばば〜ん!と姿を表します。それが、私の通っている学校です。 で、一応自然と調和した近代的な建造物を目指しているらしく、学校の中に芝生の植え込みがあったり歩道にレンガっぽい石が敷き詰めてあったりします。学校の裏手には滝があって、遊歩道になっています。滝に至るまでの小さな川は何故か護岸工事がなされていて、そこに生活廃水が流れ込んで、夏はしゃぼん玉がぷかぷかしてたりします。 あくまで目指すは人工的な自然なんですな。 ところで人工的な自然を保つには、こまめなメンテナンスが必要なわけですが、これがまた大らかなお心を反映しているのか、資金繰りがつかないのか、単に雪で隠れるからさぼっていただけなのか、メンテナンスは入らず、つまり、春から夏にかけてあっという間に草ぼーぼー状態になるわけです。 当然ながら今年も雪解けとともに草ぼーぼー状態になりました。 石畳の間から、はたまたちょっとしたすき間から、ゲリラ的に花を咲かせる名もない野花たちを、私は影ながら応援していたのでした。自然の花の美しさや、あるいは芝生の上に大胆にもヒョウタン型に群生してしまうクローバのたくましさに、常々、ほほぅ、感心、感心、と感じいっていたのです。 そんなある日、いつものようにテクテクと学校へ歩いていると、草がつまったセメント袋大の袋をかついだ、愛想のいいお兄ちゃんとすれ違いました。こちらも気分良く挨拶を返して、ふと気づくと 「は、花がない…!」 どうやら、突然メンテナンスだーっ!ということになったらしく、毎日無言で「感心、感心」と熱い眼差しを送っていた入口脇のマーガレットのような花も、(ほんとにマーガレットかも…)その脇に咲いていたちょっと小さな赤紫の花も、皆苅りとられてしまったんざんす。 というわけで、 黄色い花だの、白い花だのが一面に咲いていた小高い植え込みは、全体がトラ苅りのムラムラのダンダラの見るも無惨な姿になってしまったのでした。 …そんなことなら両手一杯の花束を作るとか、花の輪飾りを作るとかすればよかった…。 摘むと枯れちゃうからと思ってずっと我慢してたのにさ。
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