いつもの日記

2008年11月06日(木)

「すみません。途中で話が逸れてしまっていたのですが、講演はこの島の人達にとって非常に重要なインプットであったことが理解でき、やはりそれは無くすにはいかないと思えたのでした。だから、こうやって講演を再開することになったのです」

講演の回が経る毎に、観衆は増えた。

藤田は、父親がしてきたような1対多のような従来の講演だけでなく、色々な試みを行った。例えば、質疑応答の時間を充分にとり、各自の意見を吸い上げ、その意見に対して、他人がどう思うのかをみんなに聞いてみたりもした。またゲストを迎えて対談形式にしたり、複数のパネラーと座談会形式にした時もあった。要は、多対多の矢印を作ることは、各自の認識レベルを合わせたり、より良いアイデアを創造することに有効だと彼は考えていた。

また、季節のイベントに合わせて演出を変えて、場合によってはプレゼントなども配った。クリスマスには、サンタの格好をしたスタッフが白袋からおもちゃを出して、子供たちは喜んだ。

藤田が35歳になった時には、彼の力は既に父親を超えていた。誰も文句を言う必要はなかったし、誰も自分の権利を主張しなくても何も問題のない時代が、その後押しをしていた。


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