於徒楽的日記(OFF生活編)
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2004年11月19日(金) FromNowOn @祇園candy

記載 20050117
 祇園でのLIVE、ジャズの生演奏ができるスペースでゆっくり聴いた。初めての会場ということもあるのだろう、お二人の定番がずらり。ビリー・ジョエルとキャロル・キングのベスト盤が欲しくなった。終演後もゆっくりおしゃべり。
 チャリティLIVE第二弾は12月7日シルバームーンにて。前回14万円あつめたそうな。


2004年11月17日(水) 「ショートステイ」千秋楽

 いやはや、大掃除に明け暮れた。実は家系図が出てきて・・・なんと数百年の歴史がこの家にあった訳? というびっくりもの。今の建物も古いんやけどねぇ。お年寄りのみが長年暮らしていた関係上、未整理の状況がそのまま。ぼちぼちやるしかおへんなぁ。
 あちこちの部屋の窓や戸を閉めて、「また逢う日まで」宜しく片付けていく。今度は来月納骨のときまで多分行けないのだろう、と感慨深げに京都へ戻る。この4泊5日の間、いろいろ考えることもあった。近い将来には建物を改修してこの田舎の土地に根付くことをイメージしてはいたものの、時期的に早めることを意識しなければならないのかしらん。
 縁組してから一緒に朝を向かえる機会を楽しみにしていたのに叶わず、亡くなって初めてあの家に泊まった。家系図を見て、自分もそこに繋がっていくんだという自覚を迫られた。そして次の世代を創っていくことが自分自身に課せられていることも当然至極。来年は初盆を心して迎えなければ。


2004年11月16日(火) 養母の初七日

 最初初七日は来週に改めて集まるように、との話だった。喪主の都合で交渉し、結局葬儀の翌日で落ち着いた。親戚達は数名にぐんと減ったがそれなりにお経と焼香をあげて、こぢんまりとした集まりとなった。この日は普段着で過ごさせていただいたわけで。その後はぼつぼつ空家対策と掃除を始める。とにかく色々と身体・頭を動かさなければいけないけれど、流石に疲れが出始めているから能率はいまいちな感じ。
 夜、地域に住む親戚から「ココの地区はこーゆーシステムになっている」と、公共料金の支払い方などについて説明を受けた。「住めば都」になるのだろうが、都会と田舎の違いをまざまざと感じた。


2004年11月15日(月) 養母の葬儀

 朝から葬儀の打ち合わせや準備に追われて、昼食を摂る時間を失ったまま葬儀本番に突入する。養母の家は代々曹洞宗を信仰しており、当然その地域ナイズされた方法で進行される。火葬場に待合スペースがないため、いったん霊柩車とともに着いて行き、いったん戻った後お骨を拾うために再度火葬場へ向かう。因みに於徒楽がお骨を拾ったのはこれで3回目。
 お骨をしっかり抱いて再び戻る。そしてようやく食事。田舎に着てから弁当続きだが、これまた仕方がない。献杯で少しばかりアルコールを飲んで安眠を引き入れてみる。親戚方も平均年齢推測60歳代なので少なからずお疲れが見える。21時頃には静かになった。この夜はこれまでで一番ほっこり過ごせたかな。
 


2004年11月14日(日) 養母の通夜

 朝、臥龍氏とともに役場へ向かい、養子夫婦としての務めを果たす。まだ土葬OKの地域とのことだが、火葬とする。近所のお寺の「方丈さん」を通して、通夜や葬儀の進行を確認するも、何しろ田舎のしきたりが色々とあって、地域の親戚が少ないこともありなかなか最善の方策が見えない。半ば夢うつつに近い、「ウワノソラ」的な時間が流れていった。苛立ちも募ってくる。逆に職場の環境(利用者の気持ちってこんなん?)が追体験できているのかも、なんて余裕を少しばかり。
 死亡記事の掲載確認の電話が新聞社から夕方いくつか掛かってくる。そんなアタフタした状況の中でとりあえず喪服に着替えて通夜に臨む。お経は数10分程度で終わり、その後の「念仏講」が2時間ばかりあり、ご詠歌などが奉じられた。
 親戚のみには夕食を持って帰っていただき、この夜も不安を拭えないままウトウトして夜明けをむかえた。


2004年11月13日(土) 緊急事態が!

 たった5ヶ月で、しかも於徒楽はたぶん両手の指の数に収まるほどしか逢っていない養母と永遠の別れとなった。報せが届いたのは夜勤へ出発の支度をしていたとき。やむなく出勤できなくなったことを職場に伝えてばたばたと買いたてのスーツケースに自分の「ショートステイ」のための荷造りをした。
 車に乗って養母宅に到着したのが19時過ぎごろ。親戚が集まり、とにかく重要書類を整理する。独居生活を約3年、それまでは亡くなった養父と2人暮らしだったとのこと。福祉サービスの利用を断り続けていたが、生涯現役で、自分の畑で天に召されたのは幸いと思うほかない。しかしながら田舎の葬式は都会のそれとは全く段取りが違う。
 とにかく生前の養母の言葉を尊重しながら必要な作業を淡々とこなしていくしかない。彼女の居室が片付けられて霊安室に様変わりしていたのを目の当たりにしてただ言葉を失っていたが、翌朝早くから地域の人たちがお別れに来られるとのこと、まずは遅い夕食を食べて落ち着かせることから始めた。もともと夜勤のつもりで睡眠はこの日たっぷり摂れていたものの、不安で目の前が見えないままウトウトする程度。


2004年11月10日(水) 夜のはしご

 9日
 早めの夕食を食べてから2軒回った。最初はスポチャンの練習で、初めての場所だったから緊張していたらしい。次はチャリティライウ゛。到着時点で既に始まっていたけれど、それから次々出てくるのねん。椅子が足りなくて、最初床に腰かけて参加。
 第二部からはテーブル席をゲット。とにかくよく笑い、よく歌った。夜中2時過ぎまで呑んでいた。翌日休みやしぃ。


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