於徒楽的日記(OFF生活編)
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2000年10月28日(土) 「第九」 練習3回目

 この日雨天も手伝って練習参加者は少なかった。パート練習は別室へ移動。
パート内の声をそろえるのに、合唱初心者が多いので、
その出す際のイメージを伝えるところに苦労しておられる様子。
於徒楽は実力がないにもかかわらず耳が人より鋭かったので
教える側に立つことがこれまで多かった。
ソプラノの先生、流石やってきかせて善い見本と悪い見本とを
示してくださるのが素晴らしい。学生に教えるのより大変だろうな、
いつも教えてる年代より大人も子供も居るから。

 それで、この合唱団は2班に分かれているのだが、
もうひとつの班の方が自主練習をもっと積んでるぞ! とお叱りを受けてしもうた。
エライコトデス。


2000年10月21日(土) 「第九」 練習2回目

 2時間の間に何が出来るか。
制約の中で、市立高校音楽科の先生が教えてくださっている。
今回は30分ほど発声、20分ほど前回のおさらいを兼ねて発音を中心に口慣らし。
その後30分ほどパート別の練習。残る約30分は全パートで合わせて練習。

 パート別ではソプラノの発声法に関する説明を交えながら合わせる前の注意が飛ぶ。
歌うときは200年前のドイツ人にならんくちゃ。


2000年10月14日(土) 「第九」 *初練習

 某小学校講堂にてこれから毎週土曜日集合。於徒楽初の「第九」挑戦。
この日は初見で楽譜を手にし、ゆっくり進めていただいて、発音から教えていただく。
於徒楽の声は本来メゾのつくソプラノだが、上のA音は出せるので、
思いきってソプラノに挑戦する。

 高音部の出ない人がアルトに回るというにわか合唱団である。
女声が圧倒的に多く、男声は1割とのこと。
2班に分けて、この日250名強が一斉に声を出す。
これは発声・発音・音程を身体に馴染ませなくてはならない。
次回からはやった人とそうでない人の格差が出るかも。どないしょー。


2000年10月05日(木) 仙台名物といえば?→仙台・名古屋・京都→研修のこと

#太助の牛タン定食
 研修を終えて、Y女史と別れてから2人はバスに乗り、仙台の繁華街一番町で下車。お土産を買うためではなく、早めの夕食にありつくためであった。
 観光雑誌を片手にきょろきょろ。太助と名のつくお店は近くにいくつかあったけれど、於徒楽の勘は当たった。本店でござった。
 運良く席が空いててすぐ座れ、店員に促されるまま注文。出てきた牛タン定食の美味なことといったら!
 それで、これから行こうと言う方、顎を鍛えておいた方が良いなり。薄切りにしてしっかり焼いてあり、噛むほどに旨さが染み出てくる。

#空港でお土産を選ぶ
 満腹、身体も温まっていたお蔭で、徒歩で仙台駅まで行き、JR館腰駅へ。ココから連絡バスがあって、仙台空港へ到着。
 お土産を買う頃、ちょうどオリンピック閉会式の映像が目に入った。
 全日空の飛行機で名古屋空港へ。ちょっと揺れたが大丈夫だった。
 ノートパソコン持参だったので、荷物は念のため「取扱注意」にしていただいた。無事だったのはいまこれがUP出来てることで証明済みなり。
 空港からJR名古屋駅へは直通バス。遠くに名古屋城の金のしゃちほこを捕らえる。みみちいわ。またいつか近くへ行きませう。
 JRの駅にて2泊を共に過ごしたS女史とも別れる。
 ひとり、新幹線の切符を買い、指定席ひかりをGetする。S女史と別れて1時間後には京都の自宅へ到着していた。

#構造改革・専門性
 リンク先にこれから社会福祉士を目指す方がいらっしゃるので、ここらでちょいと於徒楽のメッセージをば。
 社会福祉法が(改正)施行され、社会福祉士を取り巻く環境はまた変わった。2000年4月からすでに介護保険、成年後見制度が開始。社会福祉士有資格者のはしくれとして、社会に資するべき役割を自覚し、日々の実践と連携につなげていきたい。


2000年10月04日(水) 新幹線→仙台市営バス→研修後懇親会→仙台の夜

#いざ仙台の地へ
 朝7:00に岐阜駅からJRにて名古屋へ。そして、新幹線のぞみ号に乗る。のぞみ号は2回目。不眠のお蔭でココで眠気に襲われ朝寝。
 東京駅で昼食用の駅弁を購入し、乗り換えたのはスーパーMAXやまびこ号。2階建ての1階で、景色はほとんど壁だった。でも2階に乗ってても乗り物酔いした可能性あり。むむむ。
 車内で駅弁を食する。深川めし美味なり。

#広瀬川を渡り候
 研修会場へ運んでくれるバスを捜し、間違いなく乗ることが出来た。行き先の仙台国際センターは、文化ゾーンという感じのところで、京都市内で例えれば岡崎公園のような雰囲気。足を伸ばすと伊達政宗の居た城址もあるとのこと。
 於徒楽とS女史は大学以来(?)机を並べて研修に臨んだ。

#徒歩にてホテルへ
 バスがないからではなく、懇親会の集合時刻が迫っていたため、待ってる暇とタクシーに乗る余裕がなかったのであった。
 だが、たまたま近くに居合わせて、この日初めて出会った方と妙に気が合い、同じホテル、この後の懇親会にも参加ということで思いきって仙台での行動を共にすることとなった。福島県から一人で参加のママさん社会福祉士だそうな。以下Y女史と称することとする。
 地図を見ながらまずホテルを探し当て、チェックインし、この後のプログラムである懇親会へと向かう。
 日本社会福祉士会の会長、事務局長ともお話できてしまった。そして、京都から来たと自己紹介していたので、参加者の皆さんから「いいトコですねぇ」などと言っていただいた。
 初めて、牛タン焼きをココで食べる。真中が少し赤くて軟らかかった。すると、「もっとおいしい店があるよ」と教えていただいた。名前だけをとりあえず脳に刻んだ。

#ラーメンをすする女3人
 食べて呑んだ筈が、何故か満腹感なし。一度はホテルへ戻ったものの、意気投合して近くのラーメン屋さんへお邪魔。
 3人三様のメニューを注文し、汗をかきながら食す。さっぱり透明感のあるお汁、細麺、そしてピリリと辛いコチジャン(?)がこれまた呑んだ後の食欲をそそるなり。
 ホテルに戻る。S女史の機転により、ツインの部屋に泊まる。普段行かないからどぎまぎ。翌日も研修なので、おしゃべりもそこそこに就寝。


2000年10月03日(火) 新快速を乗り継ぐ→岐阜市営バスに乗り込む

#京都から岐阜へ
 旅の始めは岐阜行き。京都〜滋賀〜岐阜までは、本来急ぐわけでもなかったが、荷造りの関係で新快速利用。ダイヤの都合上、途中草津駅で乗り換えた。
 新快速は米原で下車。幸い東へ向かう列車が同じホーム向かい側に停車していた。ココで、民営分割の影響。何といっても吊り広告の中身が違う、乗る列車の雰囲気が違う、旅モード全開。
 友人のS女史とは岐阜駅内で待ち合わせ。去年の黄金週間以来のご対面である。於徒楽が健康そうに見えて最初目を疑った、とのこと。振り返ればあの頃から比べて約10kg増。妙に複雑な再会である。

#友人宅にてお泊り
 駅の近くで夕食。月数回は電話で話をする2人だが、顔を合わせればまた仕事の話から昔の話まで話が弾む。
 「祝 尚子 金」の文字を見ながら、市営バスに乗る。当然京都とは言い回しが違う。1年半振りで岐阜に着いたことを思い出させてくれた。
 友人宅でわがままを言って、持参したノーパソを取り出し、MY掲示板に書き込む。
 翌日早起きして長旅をするんや、といいながらなかなか眠れない。於徒楽はこの日昼寝をしていたからなぁ。仕事帰りに会ってくれた友人の方は疲れていたようで寝息を聞かせてくれていた。


2000年10月02日(月) 岐阜前泊・仙台1泊研修 レポ

 社会福祉士会の全国統一研修へ行きました。大学時代からの友人で同じく社会福祉士のS女史と都合2泊3日共に過ごしました。
 参考までに、手元に日本地図があればきっと読む楽しさが増します。
 とにかく移動が激しいこと、所持金がどんどん逃げていったこと、研修の中身はもちろんながら、これからも忘れがたい旅行になると思います。
 なお、以下は「である」調で記していきます。


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