於徒楽的日記(OFF生活編)
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1995年01月17日(火) あの日自分は

 学生で、学期末試験の初日だった。あの早朝5時46分、大きな揺れに目覚めて、余震もこれまでに於徒楽が体験した中の最大級だった。産気づいていた姉を気遣いつつも、隣近所を眺め特に被害のなかった様子を確かめ、まずはTVのスイッチを入れた。災害が大きすぎると、正しい情報は伝わらないものだ、ということがこのとき否応に知らされる。震源地は阪神地帯か淡路島か、また交通麻痺・大火災・安否の電話が繋がらないなど騒然となっていったのだが、兎にも角にも地元放送局からの情報が伝わりにくいために、日本の都心東京からは朝7時の全国放送が精一杯。
 京都は問題ないと信じて、試験会場の大学へ向かう。京都駅ビルはまだ旧ビルだったが、駅前のタワービルのガラスがほとんど全部揺れで割れてしまった姿を目の当たりにしてしまう。すごすぎ・・・。バスは一応流れていたので試験には間に合ったのだが、妙に学生数が少ない。でも試験は始まってしまう。どないなんやろ・・・。
 帰ってからさらにショックだったのは、阪急伊丹駅や国道2号線の高架倒壊の状況とか、一瞬にして怪獣に踏み潰されたような宝塚駅前・花の道などの映像。消えない神戸市長田区の大火や、有名無名の方々6000人超の命が奪われてしまった事実。北淡町の地層は脅威だし、交通麻痺・通信不通、停電とか断水とか、トイレが大変だとか、日を追うごとに被災地の情報が明らかになっていく訳で。
 後に震災ボランティアが続々とあの場所へ集まっていった訳で。
(2003.1.18記載)


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