於徒楽的日記(OFF生活編)
DiaryINDEXpastwill


1983年06月10日(金) 自転車ハイクの帰り道から見えた炎

(20030430記載)
 いつものように学校から帰ってすぐ、24インチのママチャリに乗って、勝手気ままな1人旅に出かけた。大抵1時間ほどで戻れるコースである。帰り道、とある高台からふと赤いものが立ち上っているのを見て、その方角が自宅(当時)に程近いのに気づくと、妙に胸騒ぎが走り、ともかく急いで戻っていった。
 表通りには消防車が3台ほど。消火用ホースが伸びていくのを見ながら、自宅の見える路地に差し掛かると、紛れもなく炎の出所は自宅だった。間もなくやけどを負った親子(母と弟)が出てきて、2人とも歩いて救急車に乗っていった。祖母は擦り傷程度のみで、消火作業を一緒に見守った。
 夕方少し暮れた頃、家族が帰ってきて鎮火するまで立ち尽くしていた。当時5人姉弟と両親と祖母の8人家族だったのだが、結局この日を境に以後、入院の2人は治療に専念して、3姉妹は協力してアパート暮らしを始めることになり、祖母と父の親子は近所の借間でしばらく生活。
 当時小学校5年生だった於徒楽。姉の繋がりもあり、近所に住む同級生の親御さんが、1学期の間なら、と快く預かってくださることとなる。親元を離れて生活を余儀なくされた時期がここにある。母と弟は8月初め頃には退院。それを機に居候の身分を卒業、転居先によりイコール転校である。だが、隣接する校区だったこともあって、2学期開始までは元の小学校に通うことを許されていた。ホッとして夏の野外活動宿泊に臨んだ。再会は高校進学時だった・・・。


於徒楽 |HomePage

My追加