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■ 同類
高校時代に大変世話になった人がいる。 私の人生における恩人の中の1人。
食い物エピソードについては 保育園の鬼保母、小学校給食等 ここで書きたいことはたくさんあるが まず、「にーちゃん先輩」について書きたい。
高校に入学して間もなく、 「もうアンタの弁当は作らない」と母に見捨てられた。 弁当の内容に文句をつける私を見限ったのだ。
私は中学時代何度も自分で作ると言い張った。 でも母はそれを許さなかった。 冷蔵庫の物を勝手に使うなという理由からである。 冷蔵庫のウィンナーやうずら卵は弟の弁当用で 私のに使う余裕はない・・ということなのだ。
で、私の弁当と言えば、昨日の残り物。 いや、残り物が嫌な訳ではない。 問題はその内容。 納豆、芋の煮物、生ちくわ2本ときゅうり、カレー、焼そば・・ おかずは大量で1品のみ。 とても見られたものではなく よく男子にからかわれていた。 女子にはとても奇異な目で見られ、 昼休み前に弁当の内容を確認し、 誰もいない校庭で過ごしたこともある。
何故、弟と弁当が違うか・・ 母は弟の言うことは全て聞いていた。 弟に文句を言っても、弟が一言返すだけで 何も言わなくなってしまい、私がとばっちりを受けることが多かった。 私はといえば、文句を言うと、100倍くらい文句を返され 結局は母の言う通りにしてきた、いい子ちゃんであった。
夕食のおかずは、父、弟は好きなものしか手をつけない。 大量に残された煮物や納豆、米飯は 私が2時間もかけていつも食べさせられていた。 お腹がいっぱいで食べれない、と言っても 「じゃ、誰が食べるの、腐らして捨てるのもったいないでしょ。」 と強制されていた。 又、母の料理はまずかった。半端じゃないくらいのまずさ。 だから父は刺身しか食べないし、弟は肉しか食べない。 毎日の事だから分かっているのに 4人分の料理を作り、結局は私が食べさせられる。 かきまぜた納豆だけは弁当に2度ともっていきたくなかったので ひたすら納豆を食っていた。 そうして残ったものが弁当に。 小学校低学年時代の飢えもきつかったが、 これはこれで、かなり辛かった。
さて、弁当免除となった私は 母に見捨てられ、その後は口さえ聞いてもらえなくなったが 小遣いを昼食込みで月に3000円をもらう事になった。
3000円!!!!
私にとっては、夢のようなお金だった。
学食で一番安いうどんは120円、 毎日食べたら足りないので たまにうどん、普段は80円のパンにすれば楽勝だ・・ と思っていたが、これだけではやはり腹は空く。 たまに朝食の時の食パンを1枚盗み取り、 かばんに隠して持っていき、昼にクリームパンと一緒に食べたりしてた。
女子生徒と1年生はほとんど弁当を持ってくる学校だった。 大勢の男子先輩の中に、見なれない1年女子ひとり。 かなり目立ってて、よくナンパされた。(笑) この経験のおかげで、学内で守ってくれる男子先輩が大勢出来、 後々の事件で自分の身を守ることになる。(その話しは又いつか)
で、学食での私。 いつもうどん、またはパンを手に持ち、うろうろと空いてる席を探す。 普通は、数人で食堂に来るので、誰か1人が席をとってる間に 他の人が食券を買いに並ぶので、うろうろと席を探す人はいない。
毎日毎日席の間をうろうろとしているので いつしか色んなところから声がかかるようになった。 「そこの1年!ここ空いてるぞっ」とか 「うどん、ここ置いて探してこいやっ」とか・・ なんかみんなに可愛がられてたような気がする。 そんな中でよく声をかけてくれた先輩、 それが「にーちゃん先輩」。 学校一の不良集団の1人。
いつも学食に来ると、誰かに 「俺の妹、見んかったか?」と言って私を探してくれた。 しょっちゅう1人余分に席を取ってくれていて、よく一緒に食べた。 ラーメン&定食を食べる先輩の 定食のおかずを食わせてもらったり、パン1個もらったり・・。 校内のどこで会っても 「お前、腹減ってないか?」といつも気遣ってくれた。 高1の時、飢えてた私を救ってくれた、恩人。
又、「賭け」を仲間うちでしていて 負けた人が全員に好きなものをおごる、ということをよくしていたが 私も仲間にいれてくれて、にーちゃん先輩が勝てば 「お前もなんか好きなもの言えっ」 「なんや、それだけか、んじゃ『スウィートキッス』もつけたれや」 と、このグループで流行ってたジュースをつけてもらったりした。 代わりにパシリを自分から進んでやっていた。 休み時間にバッタリ会うと 「今からばっくれるぞっ」と言って、早退につき合わされてもいた。 贅沢で育ちの良いクラスメイトに辟易していた私にとって にーちゃん先輩は学校へ行く活力だったかもしれない。
彼女が出来てもそれは変わらなかったから よく彼女の友達に呼び出されたりしたけど にーちゃん先輩の親友から 「あいつはオレの妹だから文句言うな」 と彼女に言ったことを聞かされた。 恋愛感情抜きで、ほんとに兄のような私の大切な人の1人。
そのうち私は校則違反のアルバイトを始め にーちゃん先輩におごると言ったが、いつもそれは断わられた。 「おごらんでええからチューしてくれや」 いつもそう言われた。もちろん冗談で。 「妹よ」 「にーちゃん先輩」 2人はこの関係を崩すことはなかった。 廊下で見つけるとしょっちゅう、走って背中に飛びついていたけど。 羽交い締めされて、本気(?)でプロレスの技かけられたりしたけど。 誰もいない靴箱のところで、2人して座り込んでいたりしたけど。 2回程、にーちゃん先輩の友達の家で2人だけになったこともあったけど。 私の家の事は言ってない。 でも他の人から 「あいつはオレと同類だから」と言ってた事を聞いていた。 にーちゃん先輩のところの家の事情は知らない。 でも「同類」の意味はすぐに分かった。 口に出さなくても分かる、不思議な感覚。 なぐさめあったりしてないけど、私達は助け合っていたんだね。
一度先輩の友達が、殴られて曲がってた私の鼻を見て 「お前さぁ、鼻曲がってないか?」と聞いた時 友達の腕つかんで、どこかに消えたね・・・ にーちゃん先輩は、明るい不良だったけど、その時の顔はすごく恐かった。 その後、私の腕の傷や顔のあざについても 誰も何も言わなくなった。
「お前、学校面白くないんだろ」 「でも中卒だけにはなるなよ」とよく言われた。 大学に行けることはない私達にとって、 「高卒」が勲章になることを教えてくれた。
約束は守ったぜっ、にーちゃん先輩っ! 3年の時の2月は毎日登校して、作文、テストの連続だったけどね。 でも登校日数ギリギリで踏ん張れたのは 先輩自身の体験による「卒業の裏技」伝授と「演技指導」のおかげだね。 先輩こそ、危なかったんちゃうの? 私が教えた単語で英語最終テストで5点取れたのは誰??(笑)
私のじゃなく、にーちゃん先輩の卒業アルバム。 「いらねーから、お前にやるよ」とぶっきらぼうにくれた。 うちの押し入れにまだあるよ、 にーちゃん先輩がくれた修学旅行の土産 『だっさいうさぎのキーホルダー』と一緒に。
p.s
・・・・ばばぁになったのに、いまだに捨てられへんやんっ。 芸能人みたいなサイン入りのアルバムっ、どうせーっちゅうねん。(笑)
2002年06月30日(日)
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