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過去のトラウマ日記
なぎさ



 汚い競馬場

虐待について書くのを少し避けてました。
HPを立ち上げてからフラッシュバックがひどくなったので、
書ける時に書けばいいや・・と思うようにしていました。
今日は少し症状が軽いので、1つは書こうと思います。

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6才の時でした。
日曜日、朝ご飯を食べ終わってから
父が急に、大阪に行こうと言い出しました。
父の妹のところです。
友達と遊ぶ約束をしていたので、嫌だと言いましたが
何故か無理矢理連れていこうとするのです。
母に助け舟を求めましたが、母も『行け』と言うのです。

確かに、どこにも遊びに連れていってくれない両親に
「遊園地に行きたい」「海に行きたい」などとねだっていました。
だけど、前日に「友達と遊ぶ約束をしている」ことを伝えてたし
大阪に行くなんて、全然聞いていなかったのです。

父に逆らう事は、たちまち暴力のターゲットになる事を意味します。
ターゲットの順位は何故かいつも、私、母の順番で、
弟は頬をはたかれた事もありません。
暴力を振った翌々日くらいには、気持ち悪いくらいすり寄ってきますが
それも私にとっては、一種の虐待でした。
とにかく父の機嫌が良い悪いにかかわらず、私は父を嫌っていました。
6才にして、父を最低の人間と見切っていたのです。
しかし、子どもらしいフリ、暴力を振われた事をすぐに忘れたフリ、
を身に付けていた私は、当然素直に従いました。
大阪に向かったのです。

母は留守番で、父と弟と私の3人で行きました。
歓迎してくれるはずの大阪のおばさんは
いかにも私達の訪問で目が覚めたようなボンバ−ヘッドで迎えてくれました。
(子どもなりにも、「おかしい・・・」と気付いていました。
 おばさんは、私達が今日来る事を知らなかったのではないだろうか・・?)
案の定、2時間もかけて大阪まで行ったのに、
1時間そこそこで父は『もう帰る』と言い出しました。
(目的はここではない・・・今からどこに行くの?)

いつもは買ってもらえない、コーヒー味のガムを買ってもらい
さっき乗った電車で逆の方向へ帰らなければいけないはずでした。
私は切符を父に渡さず自分で持ち、懸命に帰り道を頭の中で復習していました。
2度程、置き去りにされた経験があるからです。
途中までは合っていました。
ところが、父が途中で乗り換えようとするのです。
勘がするどい私は、「絶対に乗り換えたくない」と言い張りました。
嫌な予感がしたのです。

強引に引っ張っていこうとする父。
入り口近くの手すりを掴み、とどまろうとする私。
10秒程そうしていたでしょうか。
『言う事聞かんかー』と言って、公衆の面前で突然殴られました。
電車は広いですから、私の体は吹っ飛びました。
家の中ではすぐにタンスやTVにぶつかってしまうのですが。
それでも私は電車の手すりにしがみつき抵抗しました。
乗り換えたあとで、置き去りにされると、
絶対に家に帰れないと思ってたからです。
更に怒鳴り声をあげ、殴り、髪をひっぱり引きずり出そうとする父。
必死で抵抗する私・・・・。

たくさんの大人がいました。
私より少し大きい子を連れた家族もいました。
内心、そのおじさんが「あんな小さな子をかわいそうに」と
助けてくれる事を祈っていました。
目で訴えてもいました。
でも誰も助けてくれませんでした。
声もかけてくれませんでした。
みんな冷たいと思いました。
大人は信用出来ないとも思いました。
結局髪を引きずられたまま、電車を乗り換えてしまいました。

着いたのは、園田の競馬場でした。
今の阪神競馬場のような綺麗なところではありません。
汚れた服で寝転び、酒をあおっている人を避けながら
ゴミダメの中を歩き回りました。
ある場所で弟と2人待つように言われ、
『その代わりにアイスを買ってやる』と父は言いました。
当時150円もした「BOP」というアイスだったと思います。
弟は幼かったからか、すごく喜んで食べていましたが、私は断りました。
そんなもので機嫌を直せると思っている父が無性に腹立たしかったからです。
こんな所に立っているのも嫌でした。
父のような人間がうじゃうじゃといる、汚い競馬場にいるのは苦痛でした。

レースが終わるとみんなわざと、馬券をちぎり空に向かって投げていました。
帰ってきた父もそうやっていました。
「こいつらクズだ」と思いました。
これは父の口癖なのですが、「お前がクズだ」と思いました。

帰り道、ずっと黙っている私に父はこう言いました。
『お母さんには黙っとけよ』
やはり、母は知らなかったのです。
たぶん、今思うに、
母が父に私達を遊びに連れて行かせようとした結果だったのだと思います。
来る前に、父が母から小遣いをもらってるのを私は見ていました。
その小遣いは何レース分かの馬券代に消えたのでしょう。
家に帰ると、神戸デパートに行った事になっていました。
行った事もないデパートの屋上の、メリーゴーランドの話をさせられました。
駅で食べたうどんが、ハンバーグにすり変わってもいました。
母は疑いもしませんでした。
きっと、私の嘘が上手だったのでしょう。
父も満足そうでした。

次は腹が痛いと言って、絶対に父と出かけるまいと誓った私でした。

2001年02月17日(土)



 本当の私

ここの所、鬱が軽いような気がします。
季節も関係あるのかもしれません。
外に出る機会も多くなってきました。
よい傾向です・・。

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私は、いつも人の顔色を見ていました。
幼い頃から、両親の顔。
保母さんの顔。
先生の顔、友達の顔、先輩の顔。
上司、恋人、近所の人。
見捨てられるのではないか・・・見捨てないで!
いつも心に不安を抱えて生きてきたのです。

愛されたいが故、演じてしまうのです。
相手の期待が、そうさせるのです。
いわゆる『良い子』や『バカでかわいい子』、『おもしろい人』
『理想の部下』とも言われ『面倒見のよいねえさん』とも呼ばれます。
しかし彼らの期待は、いつまでたっても止まりません。
応えても応えても、更に期待を寄せてくるのです。
気持ちを先読みし、大喜びさせることに成功しても、それは一瞬の事。
いつしか当たり前と感じるようになるらしく
更に大きな期待を寄せ、虚像の私を造り上げていく。
そして私はその深みから抜けだせなくなるのです。

そして、裏切る事になってしまう・・・。

誤解しないで欲しい。
私はただの寂しがりやです。
『特別な愛』を手に入れたいがために、
期待に応えようとしてるだけ。
過去のトラウマが原因だとは分かっているけど
この癖は治りそうにもありません。

知っててください。
私は、なんのとりえもない人間です。

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2001年02月16日(金)



 現在の私

この日記を書き始めて、いくらも経ってないのに
書く事が出来なくなっています。
白くボケた映像が、怒声やにぶい痛みと共に
私を襲うのです。
これまでフラッシュバックは私が壁にぶつかった時現れる事が多く、
数年に1度か2度程度でした。
最近は毎日です。
悪夢も時々見ます。
自殺の夢、殺す夢、逃げる夢、二者択一絶体絶命の夢・・・


この数日、立て続けに訪問者があり、家で楽しく過ごしました。
しかし、夢やフラッシュバックは消えません。
訪問者には、鬱やフラッシュバックの事などは
一切打ち明けていないし、フツーに接してくれます。
私もフツーのように接しています。
それがいけないのでしょうか。
演技やフリが自身を追い詰めているのかもしれません。
確かに「いつもの私」を演じて疲れています。
しかし、それは今までずっとやってきた事。
慣れているはずなのに・・・・。

打ち明けたら楽になる?
いや、たぶん無理でしょう。
きっと皆、優しく接してくれると思います。
だけどそれは、弱い人には優しくしてしまう日本人の傾向であって
だんだん負担を感じることになるでしょう。
私の事を見捨てられなくなり、
かといって、どう接していいのか悩んでしまうのが目に浮かびます。
大勢の人に、腫れ物をさわるかのごとく扱われるのは嫌なのです。
誰に打ち明けて、誰に隠し通すか。
ここを間違えないようにしなければ、
もっと苦しむ事になるような気がします。

2001年02月12日(月)



 親指のこと

太陽が生まれた時、私はすぐに娘の指を確認しました。
その様子を見て誰かが『ちゃんと5本揃ってるよ』と
言ったのですが、私が確認したかったのは
そのことではありませんでした。

親指です。ちゃんと普通の親指かどうか知りたかったのです。
小さく生まれた太陽は、指は細くすらっとしてました。
でも、親指は普通なのかどうなのか見分けがつきません。
何度も夫に聞きました。
「どう思う?私の指に似てない?」
夫は言いました。
「大丈夫、似てないよ。」
・・・そうです、私の親指に似て欲しくなかったのです。
それは妊娠中からずっと言い続けてました。
指だけは私に似ませんように・・・と。

私の親指は根元が細く、関節から上が太いのです。
誰かに「マムシの頭」と言われた事もあります。
しかも爪は横幅は非常に長く、縦幅が短いのです。
フツーの人と反対なのです。
とても醜い親指です。

みんな突然私の親指に気付き、大抵こういいます。
「おもしろい親指やね。」
(言葉を選んで言ってくれて、どうもありがとう!!
 なんで、可哀想ってな感じでわざわざ言ってくれるの?
 黙ってればいいものを・・・)
「変な指」「なんでそんな親指してるの?」とも言われます。
(率直な意見、どうもありがとう!!
 どういう返事を聞きたいのか、理解に苦しみます。)
相手が子供ならまだしも、大人からもよく言われました。
今現在もやっぱり言われます。

だから私は保育園の頃から、『前に習え』をするとき
いつも親指をかくしてました。
普通、親指を立てるけれど、
私のやり方は、親指を人指し指より下に押し下げたままです。
余計目立つと思いますが、子供の浅知恵だったのでしょう。
この癖は中学卒業するまで直りませんでした。

こんな醜い親指を見たことはありません。
たった1人を除いては・・・。
ある日、母に泣きそうになりながら聞いたのです。
「なんで私、こんな親指してるの?」
「お父さんからの遺伝よ」・・・・
ショックでした。『遺伝』という言葉にショックを受けたのです。
いつも酒を飲んで暴れ散らし、
自分の気がおさまるまで私を殴り続けるあの父からの遺伝とは・・・

親指を切り落としたいとさえ思いました。
何をしていても、視線に入ってくるこの醜い親指。
父に似ているということが、汚らしく思えてくるのです。
しかも、この世の中で父と私だけがこんな親指なのです。
少なくとも私が今まで出会った人の中では私達だけでした。

その日から私は、親指を見た目のいいものに変えようと努力をしました。
父に似ている、父からの遺伝、ということを否定するかのように・・・。

小学校の授業中は、関節から上の部分に輪ゴムを巻き付けて過ごしてました。
鬱血するまで締め付けるのです。
家では、爪の両サイドを爪切りでえぐるように切ります。
見えている部分を全部剥がし終わるまで、気がすみませんでした。
もちろん出血します。かなり痛いです。普通の人は耐えられないでしょう。
でも必死でした。
爪が剥がれたあと、又輪ゴムで締め付けると、更なる激痛が襲ってきます。
それでもやめませんでした。

親指の関節から上の部分をドアに挟み、
思いっきりドアに体重をかけて、閉め続けたこともありました。
又、美術の時間で電動の糸ノコギリ(?)の板を挟む所に親指を置いて
思いっきりネジで閉めたりもしました。
ただのコンプレックスだった親指が、
遺伝の象徴として、私にのしかかってきたその日から
来る日も来る日も、『締め付け』と『爪剥がし』に没頭していました。
22才くらいまで、無駄な努力ということに気付きませんでした。

遺伝というものは恐ろしいものです。
そんなに自分を痛めつけてまでやった努力は、全然実りませんでした。
そして1才8ヶ月になった太陽の指・・・
まだ結論は出ませんが、爪がほっそりしていないような気がします。

太陽ももう気付いています、あの男の本当の正体を。
3度も、修羅場を目の辺りにしてるのですから。
親指が似ていたら、きっと死ぬほど苦しむと思います。
だから神様お願いです。
私の大切な娘の親指を、あの男に似せないでください。
親指だけは、絶対に・・・・。

2001年02月10日(土)
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