昨日・今日・明日
壱カ月|昨日|明日
目覚めたらまだ薄暗く、夜が明けていないのかと思ったらもう午前9時前で、ただ曇っているだけだった。お昼前には冷たい雨も降り出して、陰鬱極まりない大晦日。
母の陣頭指揮のもと、お正月のお料理(つまりおせち)をいろいろと作る。毎年同じような肴ばかりであるが、私はおせち料理が好きなので変わりばえしなくても全然かまわない。 今年の白眉は「きょうの料理」で城戸崎愛がやっていた「五目なます」を、母親がテキストにきっちり従って作ったもので、これは目ん玉が飛び出るくらいおいしかった。城戸崎愛が紹介する料理はおいしいものが多い、と思う。 夕方、お正月の食材を大きい紙袋2つ分もらって、大阪へ帰る。
年末の約一週間で読んだ本。 広津桃子「父広津和郎」、ゴーチェ「死者の恋・ポンペイ夜話」、濱田研吾「徳川夢声と出会った」、ナタリア・ギンズブルグ「モンテフェルモの丘の家」、井伏鱒二「集金旅行」。 すべて当たり。中でも「父広津和郎」は2回立て続けに読んだ。当たり中の当たり。
今年初めて読んだ作家の中で、この人と出会えて良かった、としみじみ思うのは広津和郎だ。きっかけは山田稔だった。 山田稔は、『つねに文学を美の側からでなく人生の側から、生活の側からとらえようとする』広津和郎の文学観に深い共感を抱く、と書きそれは『チェーホフから受けていた感動と重なる』、とも言っていて、娘である広津桃子によって書かれた「父広津和郎」の読後感も、まさしくその通りなのだ。 広津和郎によって、自分の読書世界がまた少し、広がった一年であった。
ところで、今年読んだものの中で「目の玉が飛び出る」ほど良かったものは、加藤一雄「無名の南画家」。これに尽きる。読んだ後3時間ほど、茫然自失の状態になった。図書館で借りた本だったのだが、返却したくなくてしばらくずっと持っていて、図書館員に怒られたりもした。 古本屋さんで「無名の南画家」を手に入れること。これも来年の目標のひとつ。
・購入物:なし
・朝食:実家にて(卵焼き、漬物、ほうれん草のおひたし、ご飯) 昼食:実家にて(焼き餅) 夕食:年越しそば(にしんそば)、鯛のお刺身、野菜サラダ、麦酒
午後から髪を切りに行く。 途中、年末の買い出しで賑わう商店街を通り抜けて行かねばならず、右を見ても左を見ても、おばちゃん、おばちゃん、またおばちゃん、まあとにかくおばちゃんだらけ。世界はおばちゃんで埋め尽くされているのではないだろうか。大抵のおばちゃんは、大根かゴボウ、またはネギをビニール袋に突っ込んで、一心不乱に歩いている。ご苦労なことである。
美容室の後は、京都へ。地元の友人達合計6人での呑み会に出席する。 久しぶりに会う人が多く、中には4年ぶりくらいの友人もいる。それぞれみんなちゃんと老けていっている。特に既婚男の凋落ぶりには開いた口がふさがらぬ。脂肪ためすぎ。 その中でも、最も茫然としたことは、Kの携帯電話に1時間ごとにヨメから電話が入ること。どこに誰といるのか、本当に友達と呑んでいるのか気にしてかけてくるらしい。時折T君に電話を渡し、ボクも一緒にいるからねえ、と言ってもらったりしている。アホくさ。 「いやあ、いろいろ心配するらしくてさあ」とKは言う。そんなに気になるならそのヨメとやらも一緒に来ればよかったのだ。何の「心配」か知らないが、私達が呑んでいるこの姿を一目見てみれば、そのような「心配」などは即座に吹っ飛び、安らかな眠りにつけるのに。 Kのヨメは、オグラユウコというタレントか何かよくわからない奴に似ていて、可愛いらしい。可愛いけりゃいいのか。第一、オグラユウコって一体誰やねん。6人中、私だけが知らなかった。ちょっとショック。 しかし、1時間ごとにダンナの携帯電話を鳴らし続けるとは、他にすることがないのかね? 『孤独が怖ければ、結婚しないことだ』と言ったのはチェーホフ。さすがチェーホフ!
午前0時頃、散会。実家に泊まる。
・購入物:なし
・朝、昼食:チンゲンサイと豚肉の炒め物、レタスサラダ、ゆでたまご、ご飯 夕食:外食、呑み会にて(ちゃんこ鍋、お刺身、サラダ、麦酒、日本酒)
午前9時起床。もっと早く起きたかったのに…、って休みの間ずっと書くのかこんなこと。 返却期限がはるか昔に過ぎ去った本を返しに図書館へ。閉まってる。返却ポストにも閉館を告げる張り紙がベチャッとはり付けてあり、使用できなくなっていた。考えてみりゃこの年末に開いているはずがないよなあ。すごすごと引き下がり、スーパー3軒まわって食料その他の買い出しをする。
午後から、ひとりでぶらりと出かける。雲が多い空模様ながら、年の末とは思えぬ暖かさ。 まず梅田で前売り券を買ってから九条のシネ・ヌーヴォへ。楽しみにしていたカール・ドライヤー特集のうち、今日は『吸血鬼』を観た。 吸血鬼、というタイトルなのに肝心の吸血鬼がほとんど出てこない。結局、その正体が一体何だったのか観た後でもようわからん。 前半は、大丈夫かいなこの映画、と不安になるほどトロい展開だったが、後半は、幽体離脱あり、生き埋めあり、墓暴きあり、骸骨あり、エンドマークの後、当時カットされたシーンをおまけで見せてくれるしで、なかなか面白く、楽しめる。話そのものはたわいのないものだけど、当時はさぞ革新的な作品であったろう。
これが今年観る最後の映画になる、と思う。(多分) 今年映画館で観た映画は合計49本。リバイバルを除いて最も良かったものは『エルミタージュ幻想』、ついで『10話』かな。あと『トーク・トゥ・ハー』のカエターノ・ヴェローゾ出演シーン。 『エルミタージュ幻想』は、時間とは流れるもので誰もその中に止まることはできないのだということと、私達は過去にも未来にも逃げられずただ現在を生き続けなければならないのだということが、観ている間中ひしひしと感じられる、美しく、厳しい映画で、私はたいへん好きだ。
映画の後、梅田へ戻ってジュンク堂ヘ。「考える人」と「ユリイカ」を購入。これが今年買う最後の本になる、と思う。(多分)
・購入物:「ユリイカ」特集:クマのプーさん(青土社) 「考える人」特集:大人のための読書案内(新潮社)
・朝、昼食:キャベツとウィンナーの炒め物、大根菜のおひたし、水菜のゴマ和え、ご飯 夕食:大根と白菜のみそ煮込みうどん、水菜のゴマ和え
午前8時起床。昨夜夜更かししたわりには、まあまあ早く起きられた。晴れ。空気がカラカラにかわいているような感じがする。 ゴミと古紙を出す。それから布団干しと洗濯。一段落して、コタツで新聞を読んでいたらまた寝てしまい、気がついたら12時まわっていた。とほほ。
お昼ご飯を食べてから掃除をする。毎日毎日掃除ばっかりしているのでもう飽きた。のろのろと床拭きや窓拭き、お風呂掃除などして、台所の換気扇を洗う。きれいになっていくのが目に見えてわかるから、換気扇を洗うのは好きだ。
夕方になってからバスでおでかけ。日用品の買い物をごちゃごちゃとすませ、晩ご飯を食べてから阪急電車で十三に移動、レイトショウで『フェリーニ〜大いなる嘘つき』を観た。フェリーニ自身と、その作品に出演した俳優や撮影、美術監督などへのインタビューで構成されたドキュメンタリー。
映画というのは監督のものなのだなあ、とあらためて認識。俳優が練り上げた演技プランなどさらっと無視し、自分の思い通りの演出できっちり創りあげていく。ラブシーンの撮影中でも、「はい抱きしめて、ここでキスして、次に頭を撫でて、そしてまた抱きしめて…」といちいち事細かにフェリーニの指示が入るのがすごい。 マストロヤンニへのインタビューがないのが残念だった。度々挿入される『8 1/2』のシーンでの、若かりし日のマストロヤンニは本当にかっこいい。 フェリーニも興味深いことを話していたし、全体としては良かったんだけど、時々上のまぶたと下のまぶたがくっつきそうになることがあり、それを無理矢理引き離すという作業が何だか苦行のように感じた。これは映画のせいというよりは、掃除のしすぎで心身ともに疲れたんじゃないかと思う。映画鑑賞にまで影響するようではモンダイなので、今年の掃除は本日をもって終了ということにする。以上。
・購入物:なし
・朝、昼食:キャベツ焼きそば、目玉焼き、里芋の煮っころがし、麦酒 夕食:外食、店名忘れた、三番街にある餃子屋(エビ餃子、レンコンはさみ揚げ、キムチ、サラダ、麦酒)
午前10時目覚める。 ああ、もっと早起きするはずだったのに、冬休み初日からこんなことではいかんなあ、と反省しながらも、ここまで寝ちゃったんだからいいや、と布団にくるまったままフィツシュマンズを聴く。冬空を眺めながら聴くフィッシュマンズは、実に実によろしい。
酒屋さんがお酒を配達しに来てくれたのを機に、のそのそと起き出す。ビールと焼酎と日本酒が届いた。その後、今年最後の宅配となる野菜も届く。酒やキャベツや白菜がゴロゴロ転がっている台所の掃除と本棚の整理をして、明日の古紙回収のために古新聞やいらないチラシなど紙類をせっせとまとめる。昨日味わった「捨てる快感」がよみがえったのか、サクサクと作業がすすむ。 ふと外を見たら、曇天の下、雪がちらちら降っていた。
夕方、買い物に行ったついでに本屋さんに寄って「波」や「図書」をもらってくる。こうしてまた、部屋に新たな紙類がたまっていく。
夜、「ETVスペシャル」を観る。小津映画について吉田喜重と吉増剛造が語る番組。ふたりが海岸を歩いているバックに「WALKING IN THE RHYTHM」が流れたのにはびっくりした。今朝も聴いていたフイッシュマンズ。こんなところでまた聴けるとは思わなかった。好きな曲が不意に流れてくるのは、街で偶然好きな人に会った時のようで、ちょっと切ない。 まあ、こうして何ということもない一日がまた終わるわけだけど、何ということもなく一日を過ごせたということが、これまた奇跡みたいなものなのかもしれないと、番組を見終わった後、思った。
・購入物:なし
・朝、昼食:カレーうどん(冷凍のインスタント)、大根とひろうすの煮物(の残り) 夕食:ブリの白菜煮、長芋のサラダ、里芋の煮っころがし、ご飯
仕事納め。 机の上にヤマと積まれている書類の整理とお片づけにいそしむ。他にやることがないわけではないが、先日の会議終了後、年内はまともな仕事はしないと決めたので、もう働きたくない。やりたくないことはしない。 書類をバッサバッサと整理し、まとめてシュレッダーにかけ、引き出しの中にたまっていた、アンタ誰やねん、という名刺を片っ端から破って捨てる。こうして処分している書類や名刺の中にも、今後必要なものがあるかもしれないと思うが、捨てることがだんだん快感になってきてやめられない。あれも要らない、これも要らない、なくて困るものなど何にもないんだ。
定時に会社を出たあと、かっぱ横町にある古本屋さんをのぞいて、「チェーホフ全集」の第15巻を500円で購入し、旭屋で「en-taxi」を買って、「ちくま」の1月号をもらう。 「ちくま」では大川渉の『九十歳、青山光二が語る想い出のの作家たち』という新連載がはじまっていて、第1回目は『織田作之助の死』というタイトルがついていた。あれー、これまたたいへんな連載がはじまったもんだ。これから毎月、なんとしても「ちくま」だけは手に入れねばならぬ。 早速、喫茶店でふむふむと読む。「青春の賭け」で既に読んでいる場面とはいえ、織田作のことが書いてあるというだけで何か胸がつまってくる。自分でもバカだとは思うけれど、もうこの気持ちはどうしようもないんだなあ。
夜は「チェーホフ全集」をパラパラと読む。この巻は「書簡1」として、別居婚をしていた妻への手紙が収録されている。なんだかやたらとチェーホフのテンションが高くてびっくり。 『可愛い僕の小鳥さん、僕は君を非常に愛しているし、これからも愛するだろう。百ぺんも固く君にキスし、固く抱きしめて、僕と君いがい誰ひとり何ひとつ居合わさないさまざまな絵を、頭の中で思い描いています。』 なあんて、だいたい全部こんな調子。アツイなあ。
・購入物:「en-taxi」4号(扶桑社) 「チェーホフ全集」第15巻・書簡1(中央公論社)古書
・朝食:トースト、ウィンナー、珈琲、りんごジャム 昼食:お弁当(ピーマンとコンニャクのきんぴら、茄子の煮付け) 夕食:大根とひろうすの煮物、豚と白菜の重ね蒸し、とろろごはん
怖い夢を見て目が覚める。時計を見たら午前4時。 内容はもうほとんど忘れてしまったけど、ドライブをしている途中でトンネルの中に閉じ込められて出られなくなる、というような夢で、なんだかものすごく怖かった。まあ、夢だからいいけど。 寝られなくなったので、本を読んでいたら6時頃からまた眠気が襲ってきて、次に目覚めた時には8時をとっくにすぎていた。そんなこんなで、また化粧もせずに出かける。
外出先から会社に帰ってきたら、食べきれなかったんですう、とIちゃんが持ってきたケーキをみんなで食べていた。私の分は無い。なんで無いの?と聞いたら、「だってケーキ嫌いでしょお、だからはいこれ」と言って「柿ピー」をくれた。ケーキと柿ピーではちと差があるのでないかしら。なんだか合点がいかぬが、柿ピーはおいしかった。
今日は寄り道せずおとなしく帰って、少し部屋の掃除などしてから夕食の支度。 ほうれん草から青虫が出てきた。有機野菜を食べ始めた頃は、野菜からでてきた虫を見るとギャアと声など出していたが、最近は、ああ虫だ、くらいにしか思わなくなった。そりゃ虫だってお腹が空くよなあ。青虫はしばらくゴニョゴニョ動いていたが、目を離したすきにどこかへ消えた。
夜は、「映像の世紀」の再放送を見てから、ゴーチェを読んで、寝た。
・購入物:なし
・朝食:食べる時間なし 昼食:カレーパン、くるみパン、珈琲 夕食:鶏肉と里芋と人参の煮物、ほうれん草のおひたし、粕汁、ご飯
先月(だったかな)送られてきたジャガイモから、ぼちぼち芽がではじめたので早く使い切ってしまおうと、早起きしてポテトサラダとじゃがバターを作る。ポテトサラダにセロリを入れてみたら、これがまたとてもおいしかった。将来居酒屋を開店したあかつきには、これをメニューにしようと思う。そんなこんなで、今日は朝昼晩とジャガイモを食べた。
夕方、仕事で神戸方面へ行ったので、その帰りにふと思い立って十三で途中下車し、ふらふらと「フェリーニ映画祭」へ行ってみる。ちょうど『道』が上映されるところだったので、テケツを買って観た。『道』を観るのは初めて。 私にとって、これは「別れ」の映画だった。故郷の海、愛する親や姉妹、助け励まし優しくしてくれた仲間や行きずりの人達との、別れの場面が幾度となく描かれる。どれも、これが今生の別れだと、ほとんどわかっているものばかりだ。もうこの人とは二度と会うことができないのだと思いながら、だんだん離れて小さくなっていく姿を見送るのは、ちょっとクラクラするくらい辛いね。でも生きている限り何度も何度も、別れの手を振らなければならないのだ、それもまた「道」だということか。
良かったのだけど、この「フェリーニ映画祭」の上映ラインナップがどうも中途半端なような気がしてならない。なんで「81/2」とか「サテリコン」とか「アマルコルド」をみせてくれないんだろうか。多分、いろんな障害があるんだろうけど。世の中はいろんな障害だらけだなあ。
自転車でとろとろと帰宅。帰ってすぐ、こないだ「たこ梅」でもらった酒粕で粕汁をつくる。おいしい。これも居酒屋メニューに決定だ。って、粕汁を出す居酒屋なんて変かな。
・購入物:なし
・朝食:ポテトサラダ、じゃがバター、サニーレタスのサラダ、トースト、珈琲、りんごジャム 昼食:お弁当(かつおおにぎり、ポテトサラダ、みかん) 夕食:鰺の刺身、粕汁、ポテトサラダ、大根とじゃこの炒め煮、ご飯
9時頃起床。ふとんにくるまったまま、こだま和文のCDを聴く。聴きながら晴れわたった空をながめる。雲ひとつない、良い天気。
今日は京都へ遊びに行った。何必館で開催中の「藤原新也写真展」に行くつもりで、四条までの乗車券を買おうとしたら、今日から恵文社で古本市があるのだよ、とTが言う。どこで調べてきたのか知らないが、古本市の情報だけは逃さず嗅ぎつけてくるなあ、この人。そう言われるとちょっとのぞいてみたくなってきたので行き先を変更し、叡電で一乗寺まで行った。
恵文社のプロデュースらしい本のセレクトで、私にはあんまり買うものがなかったが、「あまカラ」がかなりまとめて並べてあったので、吉田健一の随筆が掲載されている号の中から迷いに迷って一冊だけ買った。 「あまカラ」は大阪の甘辛社が1951年から1968年まで発行していた、伝説の「食べ物随筆」雑誌。執筆陣もさることながら、装丁も斬新でかっこいい。私の買ったのは1956年63号。吉田健一のほか、小林秀雄、幸田文、獅子文六、井上靖、などの文章が読める。 本当は全部買い占めたいほどであったが、私にも一応理性というものがあったらしく、今日のところはあきらめた。
その後、四条を目指してテクテク街を歩きながら、ごちゃごちゃ古本探索しているうちに、とっぷり日が暮れてしまった。法然院で谷崎潤一郎のお墓参りをしたかったがかなわず、何必館も閉館してしまうしで、何をしに行ったのかよくわからぬ京都行きになってしまった。でもまあいいか。京都の古本屋さんめぐりはいつも楽しい。
・購入物:「あまカラ」1956年63号(甘辛社) ソルジェニーツィン「マトリョーナの家」(新潮文庫) フェンテス「アウラ・純な魂」(岩波文庫) 和田芳恵「樋口一葉」(講談社現代新書) 滝田ゆう・野坂昭如「怨歌劇場」(講談社文庫) カテリーナ・ダミーゴ・デ・カルヴァロ「ヴィスコンティフィルムアルバム」(新書館) 中村光夫・選「私小説名作選」(集英社文庫) すべて古書
・朝食:大根菜とじゃこの炒め煮(の残り)、サニーレタスのサラダ(の残り)、ワカメの味噌汁、ご飯 昼食:ドーナツ、珈琲 夕食:外食、アローンにて(ハンバーグ、サラダ、スープ、ご飯、珈琲)
朝ご飯をこしらえる時、寝ぼけ眼でベーコンを切っていたら、左手親指まで切った。いっぺんに目が覚めた。朝から血まみれ。週明けそうそう、ろくなことがない。
昼ご飯を食べながらIちゃんと話していたら、彼女も土曜日に「ブラウン・バニー」を観ていたことが判明。「良かったですよねえ、切なくて。ジンジンきましたよねえ」Iちゃんは胸に手をあてて言う。「泣きそうになりました、もうかっこよすぎるう」 そうなのか。ジンジンきたのか。私はただあきれかえっただけのあの映画から、Iちゃんはきっちり何かを感じ取り、すくいあげることができたのだ。それはちょっぴりうらやましい。それとも、私の感受性が枯渇しはじめたんだろうか、もしかして。
午後から延々、会議と打ち合わせ。Nさんに「あんた、ペラペラペラペラようしゃべるなあ」と小さい声でつっこまれながら、口からでまかせをしゃべりまくり、強引に企画を通す。内容空疎な企画ではあったが、また考え直すのは面倒くさくてイヤだもん。言うたもん勝ちだ。これにて、年内の主な仕事は終わった、ことにする。来年のことは、また来年になってから考えよう。
宅急便と野菜の宅配が届くので早めに帰宅。左手の親指が使えないので不自由だが、ゆっくり晩ご飯を作る。 料理酒をきらしているのに買ってくるのを忘れたので、仕方ないから「剣菱」で代用する。ああ、もったいない、もったいない。
・購入物:なし
・朝食:フランスパン、ベーコンエッグ、珈琲、りんごジャム 昼食:野菜サンド、バナナミルク 夕食:チンゲンサイとカリフラワーのソテー、大根菜とジャコの炒め煮、サニーレタスのサラダ、ご飯
午前10時、起床。起きてすぐ、ストーブをつける。でも、今日はそんなに寒くない。
朝ご飯は、フライパン一つですぐできる「かんたんカレー」(私が命名した)を作って、食べる。あとカリフラワーのサラダ。カリフラワーはちょいと茹ですぎた。失敗。
それからバスにゆられておでかけ。ガーデンシネマで「ブラウン・バニー」を観た。 ふうん。つまらない。 『ラスト20分の愛の衝撃!!』って、これで終わりかいな。別に衝撃でも何でもないぞ、誇大広告だ。 オレのあふれる才能をみんなに見せてやるぜ、という、ヴィンセント・ギャロのあるのかないのかよくわからん「才能」の押し売り映画。こういうものは、自分の個人美術館か博物館をつくって、そこの個室で細々と見せときゃいいと思うけど。 「勝新映画祭」に行けばよかった。これまた失敗。
トロトロとロフトまで歩いて、日用雑貨の買い物をいろいろとすませ、地下街で牛肉のタタキを食べて、帰宅。 夜、少しだけ「グリーン・ディスティニー」を観る。ワイヤーアクションって、なんかバカみたいに思えるけれど、これはこれでいいのか?それが気になって物語にうまくノレない。テレビを消して、「織田作之助全集」を読む。
・購入物:なし
・朝食:カレーライス、カリフラワーのサラダ 昼食:ドトールのチーズドッグ、珈琲 夕食:外食(牛肉のタタキ、サラダ、味噌汁、ご飯)
骨折して入院中の、伯母のお見舞いに行く。 母親を車に乗せて行かねばならないので、まず実家へ帰る。 京都に着いたら、そこは雪景色。大阪から電車で40分くらいのところなのに、体感温度が全然違う。こんな寒いところでよく20数年間も暮らしていたものだ。 でもまたいつか、京都に戻って来られたらいいな、とも思う。大阪はとても好きだし、東京だって好きだけど、やっぱりこの古い町が一番気持ちが落ち着くなあ。雪の中を歩きながら、何となくそう思った。
ギブス姿は痛々しかったが、伯母はとても元気そうだった。これで今年の正月は、おせち料理も作らなくていいし、掃除もしなくていいし、家族にいたわってもらえるし、楽チンでラッキーだ、と言った。それから、わざわざ来てくれたからこれあげる、と、「2004年阪神タイガースカレンダー」をくれた。私は心の底から阪神タイガースを愛しているけれど、そのカレンダーを部屋に吊す、というような愛し方はしていないので、残念だが父親にあげた。
車で実家へ戻り、ご飯をごちそうになって、録画してもらった小津安二郎映画のビデオを3本持って帰る。 母に貸している夏目漱石を返してもらいたかったが、このところ編み物ばっかりしてて全然読めてないからお正月まで貸しといて、と言われた。母は手先が器用で、編み物が得意なのだ。こんな母親から、何でこんなド不器用な娘が生まれたんだろう。ふしぎ。
「フラゴナールの婚約者」読了。人生とはなんと憂鬱で残酷なものなのか。
・購入物:なし
・朝食:チョコチップパン、珈琲 昼食:実家にて(しめじの炊き込みご飯、大根の煮物) 夕食:実家にて(湯豆腐、茶碗蒸し、麦酒)
夜、会社を出たらピュルルと冷たい風が吹き付けてきた。とても寒い。厚めのコートを着ていてよかった。
JRの御堂筋口に「イカリスーパー」が開店したというので行ってみる。すごい人出で、入場制限までしている。なんとバカバカしい。並んでまで買いたいものなどないわい。隣に本屋もオープンしていたのでのぞく。見事にペランペランな中身のない本屋。見るべきものなし。 すぐさま立ち去り、陸橋へ。念仏のような歌を歌っているミュージシャンの横をすり抜けて阪神百貨店に行く。地下の「一番館」で、期間限定発売のブランデーチョコを一箱購入。チョコレートは普段あんまり食べないけれど、ここのは好きだ。珈琲にもウィスキーにも合うし。 阪神百貨店を出て、外を通って第3ビルへ。途中、「アンケートのほうにお答えいただけませんかー」などと言って女が寄ってくる。「アンケートのほう」ってなんだ?私は忙しいの、これから古本買いに行くんだから。 といっても、勇んで行ったわりには本日買った古本は、古井由吉が訳したムージル一冊のみだった。
寒風吹きすさぶ中、テクテク歩いて堂島へ。ジュンク堂で気になる本をチェックし、本3冊、雑誌1冊、購入。「暮しの手帖」の花森安治特集は、見送ろうかと思ったがやっぱり買ってしまった。本全体の雰囲気に負けた。新装したらしい「SWITCH」をペラペラと立ち読み。前からどうしようもない雑誌だったが、そのどうしようもなさにさらに拍車がかかったようだよ。
酔っぱらいの増えてきた新地を抜けて、会社近くの自転車置き場まで引き返し、途中、マヨネーズと麦酒を買って帰る。 今日はひとりで晩ご飯。ホットプレートを出してきて、ネギのたっぷり入ったお好み焼きを焼いて食べる。ひとりでご飯を食べるのは、また何とも言えずおいしい。ひとりで寄せ鍋、ひとりですき焼き、ひとりで焼き肉、とかね、楽しくて好きだ。
チョコレートを食べながら、「日本近代文学評論選」の広津和郎の章を読む。読んでから既読だったことに気づいた。なあんだ、ほとんど広津和郎目当てで買ったというのに。がっくし。
・購入物:濱田研吾「徳川夢声に出会った」(晶文社) 千葉俊二・坪内祐三編「日本近代文学評論選」(岩波文庫) ゴーチエ「死者の恋・ポンペイ夜話」(岩波文庫) 暮しの手帖「花森安治」(暮しの手帖社) ムージル「愛の完成・静かなヴェロニカの誘惑」(岩波文庫)古書 ・朝食:チキンサンド、珈琲 昼食:お弁当(菊菜のゴマ和え、ゆで卵、ちくわとコンニャクの炒め物、ご飯) 夕食:お好み焼き(ネギ焼き)、焼きそば、麦酒
昨夜の雨はすっかり止んでいい天気になった。自転車を置き去りにして帰ってきたので、今朝は地下鉄通勤。車内では「フラゴナールの婚約者」を読む。
体調不良。風邪が全然良くならない。これといったお薬も飲まず、お酒ばっかり飲んで夜更かししているのだから自業自得だが。喉が痛いのが特に辛い。風邪をひいたらすぐに喉が痛くなって咳がでる。 気管支が弱いんです、とNさんに言ったら、「気管支の弱い人は長生きしないよ」と断言された。Nさんに言わせると、性格からみても私は長生きしないらしい。長生きしない性格ってどんなんだ?昔、手相の生命線も短い、とインチキ占い師みたいな奴に言われたこともある。普段はごくごく健康体なんだけど、そのうちコロッといっちゃうのかしら。さみしいなあ。
おとなしく帰って晩ご飯を作り、夜は「織田作之助全集」をひもとく。 この日記のタイトルは、本当になあんにも考えず、永井龍男の随筆から思いつくまま拝借したのだが、織田作にも同じ題名の作品があることを知って驚いた。そんな些細なことでもなんだか嬉しい。つながっているんだわ、と思う。何か、どこかにきっと、相通ずるものがあるような気がしてならない。読めば読むほど、そんなふうに思う。
・購入物:なし
・朝食:クロワッサン、ツナサラダ、リンゴジャム、珈琲 昼食:おにぎり(梅干)、コロッケ 夕食:大根と豚肉と揚げとネギの煮物、菊菜のゴマ和え、ご飯
夕方から曇りはじめて、雨になった。ものすごい雷が鳴り響く中、待ち合わせ場所へ行く。今日は友人達との飲み会。予定では5人来るはずだったのに、一人は風邪で欠席、もうひとりは彼女と映画を観に行く約束をしてしまったから、という、ふざけた理由で欠席。友達より彼女が大事なのか。まあ、そりゃそうだよね。
おでんをつつきながら、結局3人で飲む。今日行ったお店は「夫婦善哉」にも店名が出てくる老舗の「たこ梅」。しみじみおいしかった。お土産に酒粕をもらった。
午前0時頃帰宅。帰ったら、「織田作之助全集」(全8巻)が、あった。 あった、って勝手にわいて出てきたわけではなくて、買ったのだ、もちろん。一週間くらい前に古本屋さんでお取り置きしてもらっていて、その後せっせと部屋を片付け、本棚に全集を並べることのできる場所をつくって、本日Tに引き取りに行ってもらった。 2巻にだけ月報がないのが残念だけど、昭和45年の発刊だとは思えないくらい美しい本。織田作の顔がうっすらと浮き出ている装丁も素晴らしい。こんなに好きなのだから絶対全集を手に入れたいと、ずっと願い続けてきた。一生大切にする。
織田作もおそらく食べたであろう、「たこ梅」のおでんを食べた日に全集を手にできたことも、何だかしみじみうれしい。 もし死んだら「あの世」へ行くのだとして、そこで織田作に会える、なんてことがあるのなら、死ぬのはこわいどころか、少し楽しみなような気がしてきた。
・購入物:「織田作之助全集・全8巻」(講談社)古書
・朝食:卵焼き、ジャガイモとにんじんの味噌汁、柚子大根、ご飯 昼食:くるみパン、ピロシキ、珈琲 夕食:外食(おでん、熱燗)
朝起きたら、やはり喉が痛い。治ったというのは嘘だった。しんどい。お酒を飲んでも、風邪は治らないのです。
あと2週間ほどで仕事納めだと言うのに、どういうわけか業務が煩雑だ。午後から、ジトッとした雰囲気の会議があったりして、少々疲れる。 Wさんと打ち合わせ。Wさんが部屋に入ってきた時、眼鏡の左側のレンズがないのでビックリした。フレームだけになってて、中ががらんどうなのだ。どうしたんですかそれ、と聞いたところ、落として踏んで割ったらしい。なんとマヌケな。でも、片方だけのレンズになった眼鏡を普通にかけて歩いているようなWさんが好きだ。今から眼鏡屋行くねん、と言ってボーッと帰って行った。
しんどいので、寄り道せずまっすぐ帰る。「フラゴナールの婚約者」と平行して、「父広津和郎」も読む。宇野浩二のエピソードがおもしろい。
『青年時代からの長いお付き合いを通じて、父は宇野氏の持っていられた文学に寄せる執念の強さには、終生、変わりない敬意を抱き続けていた。 宇野先生が亡くなられる前、お見舞いにあがった父の顔をみて、なにか呟かれるので耳を寄せると、 「今年の芥川賞候補作品には、ろくなのはなかったね」 と、言っていられたということを、父は帰宅後語りながら、 「宇野は、文学が好きなんだねえ」 と、しみじみ、感慨をこめて口にしていた。』
死ぬ間際になってもまだ言うか。さすが文学の鬼、宇野浩二。この人も「文士の魂」の塊みたいな人だと思うなあ。
・購入物:なし
・朝食:バターロール、じゃがバター、白菜と人参のスープ、珈琲 昼食:お弁当(小松菜のゴマ和え、ピーマンとコンニャクのキンピラ、ご飯) 夕食:鶏肉とチンゲンサイの旨煮、セリの辛子ゴマ和え、ジャガイモと人参の味噌汁、ご飯
朝、喉の痛みで目が覚める。ああ、また風邪をひいたなあ。ガラガラうがいをするが、あんまりすっきりしない。熱が高くならなければいいが。
午後遅くからNさんとふたりで、お得意先に出かけた。頭の禿げあがった部長から、苦情というか文句というか不満というか、そのようなことをねちねちと嫌味混じりに言われて、ふたりで落ち込む。 さんざん落ち込んだのち、部長の粘っこい説教にだんだん腹が立ってきて、酒でも飲まねばやってられん、という心境となり、駅前にある年の頃なら70歳くらいのおばちゃんが一人でやっている居酒屋で、甘鯛とイカと酢牡蛎と小松菜の煮物と白和えなどを肴に、生ビール中ジョッキ4杯と日本酒3合を飲んでいい気分、自分が何に落ち込み何に怒っていたのかさっぱり忘れてしまった。便利な性格。
それから、隣の席で一人で呑んでいたおじいさんと仲良くなる。国際政治について熱く語られるのを、ほうほうああなるほどねと愛想よく聞いていたら最後にビール一杯ごちそうしてくれた。そして、「アンタ、どれだけ飲んだら酔っぱらうの?」と聞かれた。それは私にもわからない。
自分だけお酒を飲んで申し訳ないので、Tのためにお刺身を買って帰り、白菜と人参のスープと小松菜のゴマ和えを作る。 人間講座を見て、「フラゴナールの婚約者」を読み始める。毎度毎度のことながら、ロジェ・グルニエは人間に対して厳しいなあ。ガーンと突き放される。
喉の痛みはお酒を飲んでいるうちにおさまった。風邪薬など飲まずとも、アルコールで十分なのだ。よかったよかった。
・購入物:なし
・朝食:粕汁(まだある。)、ご飯、海苔、卵焼き 昼食:カレーパン、珈琲 夕食:外食、居酒屋にて(甘鯛塩焼き、酢牡蛎、イカと小芋の煮物、お惣菜各種、麦酒、日本酒)
一日中、部屋の掃除と整理整頓。やっと美しくなった。
もう読まない本を古本屋に売り(40冊くらいで2000円と少し戻ってきた)、大量の紙ゴミを古紙回収に出し、きっとおそらくもう着ないだろうと思われるが捨てるにはもったいない洋服を『バザーにでも出してください』と手紙を入れて、実家へ送る。母の怒り狂う顔が目に浮かぶようだが、後は野となれ山となれ。
押入れを書庫に改造する。外側にカーテンをつるして、中に本棚をひとつ入れて古本をならべ、本を売ったお金で買ったライトをつるしたら、小さな「遅日草舎」(京都の古本屋)みたいになった。これで今日から、押入れに寝転んで本を読む、という『貸間あり』という映画で淡島千影がやっていたようなことができる。めでたい。押入れで本を読むと集中できるよ、ホントに。ドラエもんみたいだが。
そんなこんなで、とっぷり日が暮れた。ご飯をつくる気力が残っていないので、近所の洋食屋さんにご飯を食べに行く。 夜は、本棚の奥から出てきた「東京人」とか「太陽」とか古ーい「映画芸術」とか、主に雑誌を毛布にくるまって読んだ。
・購入物:ライト
・朝、昼食:いなり寿司(スーパーで買った)、粕汁 夕食:外食(エビフライとミンチカツ、サラダ、麦酒)
午前10時起床。まあまあ晴れている。 本と洋服が山のように積まれた部屋を見渡し、本日は現実に目を背けることなく整理整頓にいそしもうと誓う。誓ったはいいが、この模様替えをやり始めた張本人が仕事へ行ってしまったので、私ひとりでやらねばならぬはめとなり、どうも話がおかしな方向へ傾いたもんだ。 いそいそと片づけ始めたが、昼前に飽きる。飽き性なもんで。
そうこうしていると、近くまで来たから、と友人が訪ねてきた。お父さんがこの近くの病院に入院していて、そのお見舞いへ行くところだという。リビングでコタツに足をつっこみ、珈琲を飲みながらしばし話す。 お父さんの病気はたいしたことはないらしいのだが、友人は少し疲れているように見えた。職場でもいろいろあってつい最近退職した、もうしばらく働くのはイヤだね、と笑った。それから、妹さんに子どもが生まれた時のご両親の喜びようについて話し、「普通に結婚して子ども生んでくれてホッとした、私はこれからも普通にはできそうにないからな、アンタもそうでしょ」と言われた。親に孫を抱かせてあげたいと思わないではないけれど、子どもは祖父母や親のために生まれてくるのではないからな、とも思う。 来週の忘年会の打ち合わせをしてから、入院中の彼女のお父さんのために手塚治虫の「シュマリ」をあげた。
あっという間に夜。粕汁を作りながら、阿部昭の「人生の一日」を読む。短編集。 暗い。救いがたい内容の小説はもちろん、ほのぼのとした話であっても根底に暗さがよろよろと漂っている。小説に登場する大人達は、世の中に疲れ、諦めていて、いつも何かに怒っている。子どもを主人公にした話が多いのは、その怒りで傷つけられる一番の被害者だからだろうか。暗い小説は明るい小説よりもずっと好きだけど、今日はなんだか気が滅入った。
・購入物:なし
・朝、昼食:クロワッサン、カリフラワーとソーセージのソテー、珈琲 夕食:豚肉と白菜の蒸し煮、粕汁、柚大根、ご飯
寒い。マフラーをぐるぐる巻きにして出かける。本日のマフラーは、お金持ちだった頃(そんな頃があったのだ、人に歴史あり)プランテーションで2万円くらいで買ったもの。マフラーに2万円出すなんて、アホだなあ。
昼休みにNさんが、「この人の書いた小説、読んだことある?」と、立原正秋の文庫本を見せる。読んだことありません、と言うが早いか、「おもしろないねん、もう全然おもしろないねん、腹立つぐらいおもしろないねん。アンタちょっと読んでみてどのように読めばおもしろく思えるのか教えて」と懇願され本を押しつけられたが、読みたくないので会社に置いて帰ってきた。「腹立つくらいおもしろくない」本を貸してもらってもなあ。ただでさえ腹立たしいことだらけの世の中なのに、読書くらいはストレスをためずに楽しみたいわい。
散らかり放題の部屋に帰りたくないので寄り道をする。ジュンク堂で、昨日中途半端に終わった買い物を少々。トルストイの「文読む月日」は立ち読みしただけで購入は見送り、永井龍男が序文を書いている「明治商売往来」と、声の暗い北中正和の本を買う。この人がやっているラジオ番組はわりと好きでたまに聞くけれど、ホントに声が小さくて暗いのだ。あれはなんでだ?
その後、通りがかりの古本屋さんで、なんとなんと広津桃子の「父広津和郎」を見つけた。広津和郎ファンの私としては、何としても手に入れたかった本、うれしい。 帰って早速ひもとく。広津和郎が宇野浩二に言ったと、広津桃子に語った言葉。 『なにかというと、宇野は腕を組んで俯くんだ。(中略)そんな時、僕は言うんだ。下を向くなよ。困る時は上を向くべきだよ。腕を組んで俯くと、自分の肩の幅しかものが見えなくなってしまう、ってね。』
・購入物:広津桃子「父広津和郎」(中公文庫)古書 北中正和「増補・にほんのうた」(平凡社ライブラリー) 仲田定之助「明治商売往来」(ちくま学芸文庫)
・朝食:キムチうどん(昨日のキムチ鍋にうどんをいれた) 昼食:メロンパン、珈琲 夕食:外食、めん家にて(野菜かきあげうどん)なんか、うどんばっかり食べた一日。
模様替えがまだ完全に終わらず、部屋がひっくり返っている。特に本棚周辺が混沌としていて、何が何だかわからない。こんな状態で新年を迎えるのは嫌だよう。この週末には、何としても片付けなければならぬ。
ロフトで来年の手帖を買う。それから久しぶりに(久しぶりか?)書店へ行って、本を3冊買う。本当はもっと欲しい本があったが(トルストイとか)、お金の持ち合わせがなく、たまたまクレジットカードも持っていなかったので、買えなかった。どうも消化不良。また明日、顔を洗って出直しだ。
新潮の「波」で車谷長吉が連載中の、「意地っ張り文学史」で取り上げられていたので、富岡多恵子の「斑猫」を読んだ。先日図書館で借りた阿部昭の「人生の一日」も車谷長吉が絶賛していた本で、はっきり言って今私は、車谷長吉に思いっきり影響されている。 富岡多恵子は近松の浄瑠璃に関する本を読んだことがあるだけで、小説は初めてだったがすこぶる面白かった。文体も内容も、厳しくクールでかっこいい。富岡多恵子の本は、古本屋さんで見かけたらちょこちょこ買って「積ん読」してあるのでこれからどんどん読んでいこうと思う。
それから、Tの買ってきた齋藤美奈子の「男性誌探訪」を横取りして読む。
・購入物:志ん朝の落語4「粗忽奇天烈」(ちくま文庫) 井上ひさし「樋口一葉に聞く」(文春文庫) フランツ・シュミット「ある首斬り役人の日記」(白水Uブックス) 2004年の手帖
・朝食:春雨スープ、蒸かしサツマイモ、珈琲 昼食:チーズカレーパン、ヨーグルト 夕食:野菜キムチ鍋、麦酒
友人より緊急呼びだしあり。聞いてほしい話があるんだと。 いつも言うように、私が話を聞いてもクソの役にも立たぬだろうと思うのだが、どうしても話したいと言うので、帰りにしばし寄り道をする。今日はお酒を飲まずに、おとなしく喫茶店で会うことにした。
友人の話は、彼氏の浮気疑惑のことだった。本人にとっては深刻な問題だということはわかるが、お気楽な悩みのような気がしないでもない。 まだ彼に気持ちが残っているなら、締めるとことはきっちり締めて、あとは片目をつぶって泳がしとけばいいんじゃないの、と、またまた無責任なことを言っておく。浮気のひとつやふたつでいちいち別れてたら、男が何人いても足らないよ。 家に帰ったら、仕事が休みだったTが部屋の模様替えをしていた。この人は模様替えが好きなのだ。大いにやってくれたらいいんだけど、どこに何をしまったのかわからなくなるのが難点だ。やった本人さえ心もとないのだからどうしようもない。お風呂に入る前、バスタオルを探しまくって早速疲れた。
「モダンガール論」読了。 いつの時代も、ガンバル女性というのが大多数なんだなあ。ガンバル女はどうも苦手だが。私はやりたいように、生きたいように、ぼちぼちと生きるわ。 これと小倉千加子の「結婚の条件」を読めば、ガンバル女性の今昔がリアルにわかるのではないかと思う。
・購入物:なし
・朝食:ロールパン、ミネストローネ(のようなもの)、ツナサラダ、珈琲 昼食:きつねうどん、みかん 夕食:(お寿司屋さんで買ってきた)カニチラシ、麦酒
仕事の資料集めのため、夕方から中央図書館へ行く。急に寒くなってきたので、自転車をこぐのが少々辛くなってきた。 あみだ池筋と土佐堀通りの交差点で、宮武外骨の記念碑を見つけた。説明書きに、ちょうどこの辺りが「滑稽新聞」を発行していた場所にあたるのです、というようなことが書いてあった。へえ、そうなのか。こんなことも地下鉄で行ったり来たりしてたんでは発見できないのだから、時間はかかっても街を歩いたり自転車で走ったりするのは楽しい、と思う。
中央図書館に着いたら、1階のエントランスギャラリーで木村兼葭堂の展覧会を開催していたのでしばし見物した。木村兼葭堂は、江戸時代に大阪で生まれた博覧強記の町人学者。絵を描いたり、かわいい急須を作ったりしているから、アーティストでもあるらしい。兼葭堂が残した日記を眺めていたら、白髪のおじいさんが「すごいやろ」と近づいてきてなんだかんだと詳しく説明してくれるので、ボランティアのガイドさんですか、と聞いたら、「いいや、ただの老人や。今は食後の散歩中」と言って笑った。
それから館内に入り、まずは新刊2冊の貸し出し予約をし、書庫から和田芳恵「一葉の日記」の新潮文庫版と筑摩書房版を出してもらう。読み始めたら思わず引き込まれ、いやあ素晴らしいものを書きましたねえ、と和田芳恵の肩をたたきたくなる。これもいつか必ず、古本屋さんで手に入れてみせるわ、と激しく決意するに至る。 ところで、私、何しに図書館へ来たんだったっけ、と気づいた時には閉館間近。満足な資料は揃えられないままに終わる。とほ。
本日借りた本。和田芳恵「樋口一葉伝」「一葉誕生」阿部昭「人生の一日」大村彦次郎「文壇栄華物語」。
・購入物:なし
・朝食:ウィンナーロール、目玉焼き、珈琲 昼食:お弁当(鶏肉とかぶとレンコンの煮物、ゆで卵、ご飯) 夕食:豚バラと白ネギの塩炒め、ジャガイモとセロリと玉ねぎのトマト煮(っていうかミネストローネ?)、ご飯
朝から一日外回り。今日はとても寒くて、一気に冬、という感じ。ポテポテと歩いているだけで鼻が冷たくなる。 3時すぎくらいに仕事が終わったので会社に電話をかけ、ものは試しにと、今日はこれで家に帰りますんで、と言ってみたら、「はーい、どうぞどうぞ」なんてあっさり了承されたので、帰る。はーい、なんて「いいご返事」されるのも、何だかちょっとさみしかったりして。
そういうわけで、まだ日も沈まぬうちにお家に帰ることができた。でも真っ直ぐ帰ったわけではなくて、ちょっと古本屋さんをのぞいて、一冊写真集を買った。1997年に東京都写真美術館で行われた濱谷浩の個展の図録。戦前の浅草や銀座を写した「東京」や、厳しい自然と豪雪にかこまれて暮らす人々を撮った「雪国」や「裏日本」などの一部の作品が載っている。 『私という人間は、写真を撮ることが生きていることで、 生きているということは写真を撮ることで、 ともに私の生の証しであった。』(「濱谷浩写真集成」・あとがき抜粋)
夜は、人間講座を観て、Tの買ってきた斉藤美奈子「モダンガール論」を横取りして読み始めた。
・購入物:濱谷浩 写真体験六六年「写真の世紀」
・朝食:クロワッサン、クラムチャウダー、ゆで卵、珈琲 昼食:サツマイモのサラダ、みかん 夕食:鶏肉とレンコンとかぶの煮物、小松菜のゴマ和え、柚大根、ご飯
9時半起床。寒いけど晴れているので、洗濯物、布団、こたつ布団を干す。それから、掃除。 このところ洗濯機の様子がおかしい。すすぎや脱水の途中ですぐ止まってしまうし、少し水漏れまでしている。いろいろいじってみたが何だかよくわからない。もうだめなのかもしれない。新しい洗濯機を買う?それも楽しそう。
洗濯機のことはしばし忘れて料理をする。玉ねぎとセロリとにんにくを刻んで、挽肉と炒めて、トマトを入れてグツグツ煮たミートソースを作り、パスタにかけて食べる。それとガーリックトースト。いかにも、日曜日のブランチって感じ。「すてきなあなたに」みたいだ。
「文士の魂」読了。車谷長吉による近代文学案内。最終章での上林暁の文士魂と、永井龍男「青梅雨」を読んだ後の『一生に一遍でええさかい、こんな永井龍男のような名文を書いてみたい、と思うた。無論、そんなことは未だに私には不可能な情熱ではあるが、併し私はその後の半生をこの不可能な情熱に支配されて生きて来たのである。』という文章にクラクラきた。 それから島尾敏雄「夢の中の日常」を評してのこのくだり。 『悪夢は私たちに内側から絡み付いて来るのである。そこが恐ろしいところであるが、その生の内側の怯えを外側に曝露して見せたのが、島尾だった。これは相当冷酷な人間だから出来た業であろう。一流の文士はみな一面では冷酷無慙な人間である。そこのところを忘れないで欲しいものだ。』忘れない。 車谷長吉が「凄い」という小説は、本当に「凄い」のだろうと思わせる本だった。また読みたい小説がわんさかと出てきた、罪作りな車谷長吉。
・購入物:なし
・朝、昼食:ミートソーススパゲティ、ガーリックトースト、珈琲 夕食:きつねうどん(お餅入り)、柚子大根、赤かぶの甘酢漬け(やっとなくなった)、麦酒
休日だけど、普段と同じ時間に起きる。外はどんよりと曇っていて、今にも雨が降りだしそうな感じ。 今日の午前中は、図書館で来年の打ち合わせをすることになっていて、そのために私が預かっている絵本を40冊ほど持っていかねばならなくて、本を抱えた上に傘をさすというのは想像するだけで不格好なので、雨が降らないうちに出かけようと支度を急いだのにもかかわらず、出かける間際に手がすべってテーブルの上で湯飲みを倒しお茶がこぼれて、それを拭いたりなどしているうちにいたずらに時が過ぎ、その上玄関のドアを開けた途端に雨がポツポツ降ってきて、遅刻はするし雨にはぬれるしで、もうどうしようもない。
会合が無事終了した後、図書館で車谷長吉「文士の魂」とロジェ・グルニエ「フラゴナールの婚約者」を借りて、ちょいと用事があったので実家へ帰る。 母親と年末年始の打ち合わせをして、柚大根と酒粕をもらう。それから頼んである小津映画の録画が滞りなく行われていることをチェックし、録画済みのテープを1本持って帰る。 母は「『東京暮色』、良かったわあ。昔映画館で観たことを思い出したりしたわあ」と遠い目をしながら言うので、誰と観に行ったのか聞こうかと思ったが話が長くなってもアレなので、やめた。
夜、早速ビデオで「東京の女」を観た。 岡田嘉子の美しさや姉弟が住む部屋の調度品、オフィスの様子、挿入されるルビッチの映画のワンシーンなど、観ていて楽しいが、話の展開にはびっくり仰天した。これではあんまりにも救いがないように思うんだがなあ。
・購入物:なし
・朝食:塩鮭、漬物、ごはん 昼食:バナナ 夕食:マーボー豆腐、鶏の照り焼き、粕汁、麦酒、ご飯
仕事で出かけた天満橋で、「ビッグイシュー」第3号を買う。販売員さんに今日は寒いですねえ、と声をかけたら、寒いねえでも12月だからねえ、と言われた。そうだな、12月だもんなあ、寒いのは当たり前だよね。 「ビッグイシュー」にコーエン兄弟の新作映画のことが載っていてびっくり。わお、楽しみだ。コーエン兄弟の映画を観るのも、人生の楽しみのひとつだ。
タワーでスタジオ・ボイスを買ったら、ポイントカードが満杯になったので、ミカ・カウリスマキが撮った、ブラジル音楽のルーツを探る映画のサントラを買う。「日本の放浪芸」のブラジル版のような感じ。ブラジルで生まれた音楽の奥行きの広さと懐の深さには、もうまったく恐れ入る。伝統芸能の素晴らしさ。この映画も、一刻も早く観たい。 ミカ・カウリスマキの次回作は、ショーロのドキュメンタリーを予定しているとか。キャー、ワクワクするなあ。
移動中の電車内では、引き続き「エセー」を読む。 『運命はわれわれに幸福も不幸も与えない。ただその素材と種子を提供するだけだ。それを、それよりも強いわれわれの心が好きなように変えたり、用いたりする。われわれの心がそれを幸福にも不幸にもする唯一の原因であり、支配者なのである。』(第1巻第14章)
晩ご飯を作っていたら、向かいの家のおばちゃんが「たくさんもらったからおすそ分け〜」と言って、ジャガイモを持ってきてくれた。げっ、ジャガイモ。ジャガイモはまだまだ文字通り、「腐るほど」あるんだわ。でもまあせっかくの好意を無駄にもできず、ありがたくいただく。しかし、今んとこまだジャガイモ屋をやる予定もないしなあ、とほ。
・購入物:「THE BIG ISSUE JAPAN」第3号 スタジオボイス「写真を変えた宿命のフォト・マスター69」 CD サントラ「MORO NO BRASIL」
・朝食:焼きそばパン、ポトフ、珈琲 昼食:サツマイモ、珈琲 夕食:豚肉と白菜の重ね蒸し、蛸とネギのガーリック炒め、サニーレタスの和風サラダ、赤かぶの甘酢漬け、麦酒、ご飯
何だかまた仕事が増えてきた。こんなはずじゃなかったんだが、おかしいなあ。 夕方になって働くのに飽きたので、パソコンに向かって日記を書いていたら「お、珍しく熱心に仕事してるやん」と、Uさんがやって来て珈琲をいれてくれた。してませんよ仕事なんか、と思ったが、話がややこしくなるので誤解させたままにしておく。 2日ほど前からUさんは、右の眉の上にかすり傷とタンコブをこさえている。飲みにいって酔っぱらって、明くる日起きたらできていたそうで、本人は全く覚えていないようだ。かすり傷とタンコブは、寝ていて自然にできはしないので、おおかた酔ってどこかにぶつけたんだろう。まあ、マヌケというしかない。 Uさんの息子は、今年超有名進学校に合格して、今も成績はトップクラスらしい。「オレ最近さあ、アイツと血つながってないんちゃうかと思うねんなあ」と半分本気で心配していたので、突然変異ということもあるから大丈夫ですよ、となぐさめておいた。
Uさんと喋っていたら労働意欲が著しく低下したので、本屋さんに寄って帰ることにする。本屋さんでは、12月になったら買おうと楽しみにしていた本を2冊買って帰った。
夜は「エセー」を読む。私が「エセー」をちゃんと読みたいと思ったのは、タルコフスキーが日記の中でさかんに引用していたからだ。タルコフスキーが引用しているところを探し出して、その章をひろい読みする。 『われわれはたんに前進するのではない。われわれはむしろさまよい歩く。われわれはあっちへ行ったり、こっちへ行ったりする。』(第3巻第6章)
・購入物:シモーヌ・ヴェイユ「ヴェイユの言葉」(みすず書房) マルタン・デュ・ガール「チボー家のジャック(新装版)」(白水社)
・朝食:チキンサンド、ミルク珈琲 昼食:ピロシキ、クルミパン、珈琲 夕食:いわしと大根の煮付け、ポトフ(ジャガイモ、人参、セロリ)、ご飯
会議中、突然何の脈略もなく、「しまった、まだ文楽1月公演のチケット取ってないわ」、という言葉が頭に浮かぶ。それまですっかり忘れていたというのに、今この瞬間にも席がどんどんうまっていってるんじゃないだろうか、と不安に襲われ、会議の内容にも気がそぞろ。終了後すぐ、劇場に予約の電話をいれる。何ということもなく、簡単に取れた。うれしいような、かなしいような。
資料を届けるため京阪電車沿線の会社に行ったので、帰りに途中下車して、千林あたりの古本屋さんをぶらついてみる。 ちょうど商店街が途切れたところにある古本屋さんで、モンテーニュの「エセー」全6巻を見つけた。確か2巻か3巻が家にあったはずだからなあ、と少し迷ったが、1冊くらいのダブりがなんだケチケチしてはならない、と思いなおし、6冊買って帰る。1600円也。 帰って夕刊を読んでいたら、長田弘が「エセー」について書いているではないか。新聞で取り上げられているのはみすず書房の「エセー抄」のほうだけど。なんていいタイミングなんだろう、もしあのまま迷って買っていなかったら髪をかきむしって後悔したはずだ。よかったよかった。 「エセー」1巻の最後のページにあった書き込み。 『九月三日梅田紀伊国屋書店にて購入。快晴、きびしい残暑。初めて孫を抱いた日』
・購入物:モンテーニュ「エセー(全6巻)」(岩波文庫) 古書 「東京人」
・朝食:クロワッサン、ツナと卵のサラダ、珈琲、ミカン 昼食:お弁当(菊菜のゴマ和え、赤かぶの甘酢漬け、ゆで卵、海苔、ご飯) 夕食:すき焼き(うどん入り)、麦酒
いつもより早く起きて、冷蔵庫に入りきらない野菜を使ってなんだかんだと作る。おかげで朝から豪華絢爛な食卓。ついついお腹いっぱい食べてしまい、幸せな気分になって何をする気も起こらない。朝食は食べた方がいいとは思うけれど、食べ過ぎるのは問題だ。
この前信楽焼の飯碗を買ってから、もっと器を見たい、そして所有したい、という欲求がふつふつと高まり、帰りに老松町へ行ってみる。店のおじさんおすすめの、伊万里の蕎麦猪口を買った。蕎麦猪口はたくさん持っているんだけれども、赤のラインがかわいくて思わず手がのびてしまった。 帰って早速、熱いほうじ茶を淹れる。うーん、おいちい。
ほうじ茶飲みながら、和田芳恵の短編を何篇か読む。老人と若い女がどうしたこうした、暗い性格の作家とその愛人がどうしたこうした、というような話がほとんどだ。つまらなそうでしょ。でもいいんだなあ。ほのぼのしてるかと思えばいやに生々しいところもあるし、枯れてるのかと思えば案外熱くて、人間ってヘンな生き物だなあ、と思う。
Tにビールを買ってきて、と頼んだのに、発泡酒を買って帰ってきた。何だあ。 Tは、だって発泡酒のほうが安いやん、などと言う。安いけどまずいじゃないか。まずいものは飲みたくない。何でも安いからいいってもんじゃないのだ。発泡酒を飲んで節約するくらいなら、ビールを飲んで破産したほうがいい。
・購入物:伊万里の蕎麦猪口
・朝食:豚肉とニラと九条ネギの炒め物、ほうれん草入りスクランブルエッグ、ほうれん草とカツオのおひたし、赤かぶの甘酢漬け、サニーレタスのサラダ、セロリのスープ、ご飯 昼食:お弁当(朝食の余ったおかずとご飯) 夕食:きずし(鯖)、大根と人参とゴボウとコンニャクの味噌汁、菊菜のゴマ和え、ご飯
11月はとうとう一本も映画館で映画を観なかった。さみしい。でも今月はいろいろと観たいものが目白押しなので、見逃さないようにしなければ。 土佐堀通りを自転車で西へと向かい、まず今日は九条で「歌追い人」を観た。窓口で千円払うまで、「映画の日」だということをすっかり忘れていて、得した気分。
嬉しい時も、悲しい時も、辛い時も、幸せな時も、いつも「歌」がある。楽器を奏で歌うことで、喜びが増し、心の痛みを回復させる。毎日の生活を「歌」と共に生きる山の人々を描いた映画。山々の自然とたくましい人々、それからもちろん音楽がとても良い。 ただ、多くのエピソードを盛り込みすぎ、かえって散漫になっているのが少々残念。唐突にタジ・マハールが出てきたり、構成がちと雑だ。映画終了後、後ろに座っていたおじさんが、「ええ映画やったなあ」と言っていて、確かに「ええ映画」なんだけど、そこを突き抜け、はみ出してせまってくるような何かがないようにも思う。
土佐堀通りを東へ自転車をコキコキこいで帰る。家に着いたら大量の宅配野菜が待っていた。茹でたり、切ったり、酢につけたりして、夜の台所で立ち働く。 サニーレタスのサラダを食べながら、「人間講座」を観る。樋口一葉もいいが、プクプクの森まゆみがかわいくてよい。
・購入物:なし
・朝食:バターロール、リンゴジャム、珈琲 昼食:蒸しサツマイモのサラダ、みかん 夕食:外食(鰻丼)、家で(サニーレタスのサラダ、クリームチーズ、麦酒)
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