ぽあろの音楽旅日記
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2001年03月30日(金) 第59回 ピアソラ 「ブエノスアイレスの冬」

 ブエノスアイレス、アルゼンチンの首都にして「タンゴの聖地」です。日本に住む我々からすれば「地球の裏側」にもあたり、何か特別な雰囲気を思い起こさせる土地です。「タンゴの魔術師」ピアソラはこのブエノスアイレスを舞台に春夏秋冬の四曲を作曲しています。
 その中でおそらく、一番ポピュラーなのは「夏」だと思います。タンゴ独特の「暗い情熱」を活かしきった名曲です。一方、今回ご紹介する「ブエノスアイレスの冬」は静まりかえったブエノスアイレスの町を舞台に、静かに静かに悲しみに耽っていくような、「染み入る」曲です。その点で、僕のお気に入りなんです。

☆アストル・ピアソラ五重奏団
 以前「アディオス・ノニーノ」でご紹介した、小松亮太盤にも収録されていますが、ここはやはりピアソラ自身の演奏を挙げておきます。タンゴに共通して見え隠れする「炎」のようなものが、ここでは暗闇の中のひとすじのローソクの灯りのように、悲しくもあたたかく揺らめいています。


2001年03月29日(木) 第58回 ホルスト 組曲「惑星」 その2

 以前にご紹介した、「惑星」の「その後」です。あれからそんなにたっていないのに、CDを2枚も入手してしまいました(笑)。そんな余裕があるのなら、「新規開拓」しろという話もありますが、どうしても気になるんですよね。

☆スラットキン指揮 フィルハーモニア管弦楽団
 一枚でいいから、「イギリスのオケ」の「惑星」を持っておきたかったんです。どうもイギリスのオケは、イギリスの作曲家の曲になると本気を出すようなので(笑)。スラットキンの棒の冴えもあいまって、見事な「惑星」になっています。特に「火星」のとんがりっぷり、「水星」の軽さは絶妙です。
☆メータ指揮 ロサンゼルス・フィルハーモニー管弦楽団
 前回も紹介しました。借りて聴いたことがあるだけのこの盤を、とうとう手に入れてしまいました。聴く前に恐れていたのは「記憶の美化」だったのですが、僕の中の美化された記憶すら消し飛んでしまうほどの激烈な演奏です。「火星」の低音部の充実というか、踏ん張りはすさまじいまでの迫力を出しています。メータの握り拳が垣間見えるような、大・大熱演です。


2001年03月28日(水) 第57回 アース・ウインド&ファイアの音楽

 カタカナで書くと何だかみょうちくりんですね(笑)。「Earth,Wind&Fire」です。モーリス・ホワイトを中心に結成され、1970年代から現在まで走りつづけているスーパーグループ。いわゆるダンス・ミュージックの創始者といっても言い過ぎではないと思います。数々のヒット曲は現在でもいろいろな場面で耳にしますし、今のミュージシャンへの影響も小さくありません。
 僕がこのグループに引かれたのは、その特徴的な歌声や、独特のグルーヴ感ももちろんですが、なんといっても「演奏のかっこよさ」。バシッと決まってます。

☆「宇宙のファンタジー」
 日本でのEW&Fの人気を決定付けた曲。アメリカでは並みのヒットだったようですが、神秘性とロマンチックさ、そして今まででは想像もつかないような独特の歌唱と演奏で、一気に日本人のハートをつかみました。何度も何度も繰り返し繰り返し聞き込みたくなる曲です。
☆「ブギー・ワンダーランド」
 ノリが一番いい曲はこれでしょうか。「レッツ・グルーヴ」を挙げる人も多いかな。これも、EW&Fの管楽器陣が頑張ってくれています。トランペット、かっこいいですよ。


2001年03月27日(火) 第56回 李煥之「春節組曲」より大映歌

 この曲を知ってる人はとっても少ないと思います。ちなみに、YAHOO!(GOO)で「春節組曲」を検索しても、一件しかかかりません(笑)。中国の作曲家、李煥之の手による曲で、いい意味で「中国的」な曲です。中国の楽器が効果的に使われ、かといって「超中国的」でもない、耳に軽くて心地よいのです。特にこの「大映歌」は演奏時間も3分程度、華やかで明るい曲調は、もっともっとコンサートで(アンコール曲として)とりあげられてもいいんじゃないかなあ。

☆芥川也寸志指揮 新交響楽団
 すでに廃盤になっているはずです。新交響楽団のHPでも紹介されていません(笑)。このオケはなんと「アマチュア」なんですね。故芥川也寸志が創設、鍛え上げて、ヘタなプロより感動的な好演奏で知られています。この盤の目玉は「日本初演」のショスタコの4番なのですが、この春節組曲の見事さに惚れ込んでしまいました。快活なアジア・パワー、アマチュア・パワーを存分に発揮しています。


2001年03月26日(月) 第55回 グレン・ミラー 「イン・ザ・ムード」

 スウィング・ジャズの代表的作品の一つです。もともと、我が家は父も母もジャズ好きで、子供の頃からよく耳にしていました。ジャズ好きといっても、愛好家というレベルではなく、持っているレコードも限られたので、そればかり聴いていた覚えがあります。この曲はそんな中の一曲です。
 なんといってもノリのよさに尽きます。じっとして聴いていられないですね、身体が自然にスウィングします。サクソフォンの胸躍る旋律、トランペットの軽快なパンチ。ジャズで「浸りたい」なら他にも名曲がありますが、ジャズで「ノリたい」ならばこの曲、あとは「シング・シング・シング」「A列車で行こう」あたりですね。

☆グレン・ミラー・オーケストラ
 まあ当然彼らの出番ですね。グレン・ミラー亡き後も楽団は続き、今でもたまに来日して「古きよき時代」のジャズを堪能させてくれているようです。何と言っても生演奏を聴きたいですね。
☆TDLのサックス五重奏団
 多分ちゃんと名前あるんでしょうけど、東京ディズニーランドでお目にかかれるサックス五重奏団です。場所がサイコーですよね、TDL。ノル雰囲気が出来上がっていますから、彼らの繰り出すジャズ・ナンバーは説得力十分です。


2001年03月23日(金) 第54回 ラヴェル 「ラ・ヴァルス」

 ラヴェルの手によるバレエ音楽です。もっとも、バレエとして演じられることはないようで、コンサートピースとして高い評価を得ました。モチーフはウインナ・ワルツ。ヨハン・シュトラウスの豪華なワルツと、ラヴェルの絢爛たる音の魔法が出会った一曲です。
 10分程度の曲で気楽に聴けますし、細部にわたって緻密に音を積み重ねているので聴いてて飽きません。どちらかと言うとフランスでも南欧・地中海寄りの雰囲気の曲が多いラヴェルですが、この曲はむしろパリを感じさせますね。

☆デュトワ指揮 モントリオール交響楽団
 まあさすが、ですね。舞踏会の空気をそのままCDデッキの中に持ち込んでくれます。ワルツの真骨頂は「ハイ・テンポをゆったり聴かせる」ことだと僕は思っています。物理的には速いんだけど、それを感じさせない。それが具現できている演奏です。これはウインナ・ワルツの演奏でもそうそうお耳にかかれないですよ、おすすめです。
☆ビシュコフ指揮 パリ管弦楽団
 新鋭・ビシュコフらしい、活きのいい演奏です。舞踏会の空気というよりは、コンサート・ホールの熱気ですね。ともすれば雑になりがちなのですが、そこは名人揃いのパリ管ですから、熱気の中におしゃれが漂う好演になっています。


2001年03月22日(木) 第53回 チャイコフスキー 大序曲「1812年」

 盤によって、この言い方は違うのですが、僕はこの「大序曲」という表記にまず魅せられました。序曲が大きくてどうするんだろう、と少年心に思ったものです(笑)。しかし実際に聴いてみて、また曲の背景を知ることで、なるほどこれは「大序曲」なのだ、と納得しました。1812年、というのはチャイコフスキーの祖国、ロシアにとっては、あのナポレオン軍を散々に打ち破った記念すべき年なのです。この敗戦をきっかけにナポレオンは没落の道をたどります。
 曲の中に、二つの国歌が象徴的に現れます。そう、フランス国歌とロシア(帝政時代)国歌です。ロシア国歌で厳粛に曲は始まり、そこへフランス国歌が割り込んできます。しかし戦いの末、大砲の轟音とともにフランス国歌はちりぢりに砕けさり、ロシア国歌が鐘の音とともに高らかに歌われ、エンディングを迎えます。フランス人が聞いたら怒りそうな話ですね(笑)。実際、この曲は長い間フランスでは演奏されなかったそうです。チャイコフスキーの曲としてはかなり通俗的なもので、作曲者自身もあまり好んでなかったようですが、この作曲家の器用な面を見る思いです。

☆カラヤン指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
 冒頭のロシア国歌に合唱を起用、大砲の音も鐘の音も演奏にぴったりマッチしています。こういう見せ場のある曲は、この人の独壇場かもしれませんね。軽々しくなることなく、堂々たる演奏です。
☆デュトワ指揮 モントリオール交響楽団
 フランス語圏のオケなんですが(笑)、すねることなくちゃんと演奏しています(笑)。大砲の音に期待していたんですが。。。ほとんどのこの曲の演奏では大砲の音はシンセなどでの合成が使われているようです(当たり前ですが)。デュトワはシンセを使うついでに、曲の後半にシンセ音を多用してくれています。僕からすればブチコワシなんですが。


2001年03月21日(水) 第52回 ロドリーゴ アランフェス協奏曲

 スペインの作曲家、ロドリーゴの代表作で、中学校の音楽の教科書にも載っています。ギター協奏曲、というのは数としてもそれほど多くないと思いますが、その中でダントツの知名度を誇っていますね。有名なのは第二楽章の主題、イングリッシュホルンの切ない響きが哀愁を感じさせます。
 先日、久々にCDを引っ張り出して聴いたのですが、なんといっても第一楽章がいいんです。旋律の美しさや印象は、例の第二楽章の主題が上なんでしょうが、楽章全体を通しての「心地よさ」がいい。クラシック入門者の妻もこの楽章を絶賛していました。南欧の明るくのどかな情景が目に浮かびます。

☆アロンソ指揮 スペイン国立管弦楽団 イエペス(ギター)
 ギターの神様、といっていいんでしょうね。イエペスの演奏です。ギターの持ち味とは何か、を知り尽くしている奏者です。最近、超絶技巧を誇るギタリストがたくさん現れていますが、どうなんでしょう。この演奏でのイエペスの情感こもった「音力」を出せる人はいるんでしょうか。オーケストラもこの曲には慣れているのでしょう、メリハリがあってしかも温かい好演で、イエペスのギターをいっそう際立たせています。


2001年03月16日(金) 第51回 モーツアルト 交響曲第40番

 もともと、クラシックの好みが「大音量でドカンドカン」なものですから、モーツアルトの曲にはあまり興味がありませんでした。中学のとき、吹奏楽で「魔笛」の序曲を演奏して大失敗したことも、その傾向に拍車をかけています(笑)。そんななか、一曲だけ興味をひかれたのがこの曲、交響曲第40番です。
 有名な第一楽章の冒頭の、憂いたっぷりのフレーズは、一度聴くと病みつきになりますね。はじめ、曲のイメージは「秋」だと思っていたのですが、最近考えが変わりました。ひょっとしてこの曲は「春」なのではないか、それも「春なのに」の曲なのではないか、と。自分一人が季節に取り残された哀愁を全編通して感じる曲です。

☆ベーム指揮 ウイーン・フィルハーモニー管弦楽団
 今は亡き名指揮者、ベームの印象は「あたたかい音を引き出す人」でした。なので、この曲のCDを入手しようというとき、迷うことなくこの盤に決めたのです。期待どおり、全編を通してあたたかい、優しい音で、この曲の哀愁を包み込んでくれています。
☆岩城宏之指揮 オーケストラ・アンサンブル金沢
 室内楽編成だから、というわけでもないでしょうが、こちらはいい意味でこじんまりとした感があります。(岩城さんの顔のパーツもこじんまりしてますけど関係ないですね)自然体で、ふと気がつくとそこで音がなっている、とでも言いましょうか。気楽に聴ける一枚です。弦が時折見せる「鋭さ」にはっとさせられてみたり、その点でも面白いです。


2001年03月15日(木) 第50回 音楽旅日記をここまで続けてきて

 タイトルだけ見ると終わってしまいそうですが(笑)、そうではありません。ちょうど50回とキリがいいので振り返ってみようかな、と。

 ほぼ毎日のペースで音楽と向きあってみると、とっても面白いですね。ここに並んだ曲は全て「僕の好きな音楽」なのですが、こうして書いていくうちに、その「好きさ」がずいぶんと幅広いんだな、と思いました。それは別にクラシック・ジャズ・タンゴ・ポピュラーといったジャンルによる幅広さではなく、その音楽が僕に与えてくれるものの違いとでもいいましょうか。
 落ち着いた曲を聞けば心が落ち着く、とは限らないんですよね。僕の心の針の振動、そのときそのときによってずいぶん振れ方が違うのですが(笑)、その触れ方に応じた振動を持っている曲がある、それが僕の好きな曲になるのだと思います。そのことに気が付くことができたのは、この日記の収穫でしょう。
 また、この日記を書いていく中で再発見できた曲も多くあります。ホルストの「惑星」やチャイコフスキーの「弦楽セレナーデ」、シベリウスの「交響曲第2番」あたりは、日記に書いて以来メロディが頭の中を良く駆け巡ってくれています。中には追加でCDを購入したのもあります。これも今後紹介しますね。
 さらに、今まで踏み入れたことのない領域への意欲が湧いてきました。これから開拓していこうという作曲家、ブラームスであり、ブルックナーであり、メンデルスゾーンであり。これらについて、また報告できるように聞きかじっていきます。

 明日から再び、僕の旅日記が始まります。まだ紹介していない「とっておき」もたくさんありますので、今後ともよろしく。


2001年03月14日(水) 第49回 ワーグナー 歌劇「タンホイザー」序曲

 僕がはじめて「演奏」したクラシック曲です。中学1年のときに、吹奏楽コンクールで演奏しました。それまではワーグナーについては「肖像画が横向きのヘンな帽子の人」でしかなかったのですが(笑)、この曲をきっかけに一時期のめり込みました。とはいえ、ワーグナーの作品の中心はオペラで、当時(今も)声楽にまったくといっていいほど興味のない僕にとっては敷居の高いものでした。オケ単体でコンサート演奏される曲からワーグナーに入り、そしてそのままになってしまっています。
 「タンホイザー」の序曲は、いくつか版があるらしく、聴くCDによってずいぶん違った印象を受けます。主題をトロンボーンが高らか(?)に歌う、その部分を自分も経験しているだけに深く深くのめりこめるのです。

☆松原和彦指揮 岩国市立東中学校吹奏楽部
 悔しいことに、僕らが演奏したテープをもう持っていないんです。演奏レベルは県大会の金賞ですからまあまあまあ、ってところだと思います。中学ですし。でも指揮の松原先生は大のワグネリアンで、情熱たっぷりの堂々たる指揮振りでした。吹いていて「かっこいい」と思いましたもん。惜しむらくはコンクール用に一部カットされていること。完全版で演奏したかったなあ。
☆ショルティ指揮 シカゴ交響楽団
 なんとなくワーグナー演奏と言うと、ショルティのイメージが強いです。実際、多くの録音をこなしていますし、名盤といわれるものも多いです。改めて聴いてみると「気品」を感じます。高貴なワーグナー、ですね。この曲では、シカゴ響ならではの輝く金管の響きがかっこいいです。
☆マゼール指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
 以前お話した「天才」マゼールです。ベルリン・フィルに絶縁状を叩きつけたはずですが、月日がたてば、ということですかね(笑)。「野心家」ワーグナーの演奏をさせるとさすがにこのコンビは素晴らしいです。この曲では「パリ版」と呼ばれる版で、序曲からそのまま「バッカナール」へ繋がります。映像感があるんです。聴いていて目の前に舞台が現れるようです。この曲のイチオシ。


2001年03月13日(火) 第48回 R・シュトラウス 交響詩「英雄の生涯」

 音楽の中には「英雄」を扱った作品がけっこうあります。有名どころではベートーベンの「英雄交響曲」がそうですし、英雄伝説のオペラを加えると、それこそ星の数ほどの英雄が音によって彩られ輝いています。その中でも、この作品は二つの点で異色の出来なのです。
 一つには、この「英雄」が作曲者自身を指しているらしいということ。音楽に限らず、文学でも美術でも、作者は自らが描く「英雄」に惚れ込んで感情を掘り込んでいくのだと思うのですが、R・シュトラウスは自らをその「英雄」にし、自己に惚れ込んでいきます。そしてもう一つ、その「英雄」が非常に人間味があってしかも完璧なヒーローである、ということ。音楽的には聴いていてとってもわかりやすいんですね。テーマの提示が見事なんです。
 曲としての聴きどころは、全体を貫く「堂々さ」と、妻の愛を示すバイオリンの美しさです。これだけの曲を残しているのですから、確かに彼は「英雄」なのでしょう。

☆カラヤン指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
 指揮者界の「英雄」、カラヤンです。晩年の君臨ぶりから「皇帝」呼ばわりされることが多いですが、やはり20世紀後半の音楽シーンを切り開いた「英雄」こそがふさわしいでしょう。で、この演奏。「英雄は英雄を知る」ということですね。堂々たる名演です。


2001年03月12日(月) 第47回 シベリウス 交響曲第2番

 フィンランドの「英雄」といっても良いとおもいます。彼の代表作のひとつ「フィンランディア」は音楽と「国民」がいい形でめぐり合えた稀有な例、といってもいいかもしれません。音楽は麻薬、とつくづく感じます。さて、今回は交響曲第2番を。本当は「フィンランディア」を語りたいのですが、今のところいい音源に出会えてないんですね。
 交響曲第2番は(他の交響曲もそうなのですが、特にこの曲は)、北欧色が非常に豊かな一曲です。森と湖。スケールが大きくて、優しくて、力強く、爽やかで、軽やか。第3楽章と第4楽章が連続して演奏されますが、この「つなぎ目」は必聴です。厳しい冬の向こうに、輝いている春の光。人生においてさえ勇気付けられそうな、素晴らしい部分です。

☆バーンスタイン指揮 ウイーン・フィルハーモニー管弦楽団
 実はこの盤でしか、この曲を聴いたことはありません。CDを入手する前からこの盤、と決めていました。たいていそういう時は「はずれ」を感じてしまうものです。いい演奏であっても、期待が大きすぎますから。でもこの盤は紛れもなく「大当たり」でした。バーンスタインが例のごとく(笑)、ダイナミックに、そして緻密に、北欧の澄み切った世界を提示してくれます。終楽章では朗々と歌い上げ、曲の世界にどっぷりと浸ることができます。


2001年03月10日(土) 第46回 J・シュトラウス1世 「ラデツキー行進曲」

 「行進曲」と名のつく曲の中でも特に有名な一曲でしょう。「ワルツ王」J・シュトラウス2世の作品と勘違いされがちですが、この曲は父の1世による作品です。豪華かつ華麗にして軽快な、誰でも楽しめるマーチです。
 どうしてもこの曲のイメージは「ニューイヤーコンサート」とダブりますね。名門中の名門、ウイーン・フィルのニューイヤーコンサートは、例年ワルツ中心の「ライト・クラシック」ですが、アンコールで演奏される曲の代表格がこの「ラデツキー」です。ウイーンのオーケストラホール、ソフィエンザールの聴衆みんなが曲に合わせて手拍子、なんて光景は映像でもお目にかかりますね。ワルツ花盛りの、古き良き時代の象徴とも言える音楽です。

☆ボスコフスキー指揮 ウイーン・フィルハーモニー管弦楽団
 毎年ウイーン・フィルのニューイヤーコンサートはCD化されますから、この曲の盤はとっても多いことになります(笑)。最近は「今ノリノリの指揮者」をこのコンサートに迎えるようになっていますが、ボスコフスキーはかつて、このコンサートを20年連続で指揮しました。もともとこのオーケストラの主席バイオリニストで、彼の指揮は「弾き振り」です。なんだかビック・バンド・ジャズを思い起こさせますね。ウイーン生まれのウイーン育ち、生粋のウイーンっ子。映像で見る指揮ぶりも洒落てるんですね。演奏は文句なし、他のワルツはともかく、この曲だけはこの人以外に任せられません。芸術性より「粋」が命の曲ですから。


2001年03月09日(金) 第45回 レスピーギ 交響詩「ローマの噴水」

 ローマ三部作の紹介もこれで完結です。「ローマの噴水」も、他の二つの交響詩同様、4つの楽章が切れ目なく演奏されます。ローマを代表する4つの噴水の情景がとっても印象的に、美しく紹介されていきます。
 ローマ三部作は「松」「祭」、そしてこの「噴水」の三作が、単にテーマを異にするだけでなく、曲の構成からイメージからまったく違ったものとして仕上がっています。その分、聴き手にとっては、それぞれに好みが発生するのですが、三曲まとめて聴いてみると、それはそれで見事にまとまっているんですね。
 芸術性の「松」、通俗的な「祭」、そして印象派的な「噴水」、とよく言われるようです。この三本の柱でローマという世界を構築しているんですね。

☆オーマンディ指揮 フィラデルフィア管弦楽団
 以前「祭」の聴き比べではあまり目立てなかった(笑)、オーマンディ盤ですが、「噴水」になるとぐんと輝きます。三部作の中でも一番「色気」のある作品ですから、豊麗なフィラデルフィア・サウンドがぴったりはまるんですね。その点で、このオケを引き継いだムーティの盤も素晴らしいです。ただ、あの指揮者好きじゃないのでCD持ってません(笑)。
☆マゼール指揮 ピッツバーグ交響楽団
 マゼール、彼は「指揮者界の立川談志」です(笑)。天才で、融通が利かない。ベルリン・フィルの常任指揮者に選ばれず、怒って「絶縁宣言」し(笑)、当時無名に近いピッツバーグ響に飛び込みました。そしてこのオケを自分の思うように鍛え上げ、素晴らしいサウンドを作り上げたのです。うーん、談志チック。「松」「祭」以上に、この曲では「絢爛豪華」を描き出しています。人智を超えたレベルでの美しさを出すには、狂気(=凶器)に近い天才が求められるんですね(笑)。


2001年03月08日(木) 第44回 リムスキー=コルサコフ 「スペイン奇想曲」

 スペイン=情熱の国、というイメージがあります。音楽でもビゼーの「カルメン」やラヴェルの「スペイン狂詩曲」、デュカスの「寄港地(3.バレンシア)」のように、華やかな激しさが出されている曲が目立ちます。この「スペイン奇想曲」も同じ路線かもしれませんが、「作曲者がロシア人」という決定的な相違があります。短絡的な発想ですが、コルサコフにとっては、スペインは別世界、夢の国だったのではないでしょうか。そう感じさせる音楽です。
 これはチャイコフスキーの「イタリア奇想曲」でもそうなのですが、「旅人の視点」なんですね。生活とか生き様とかとは無縁、いい意味で表層的。カスタネットなどスペインを感じさせる楽器を織り交ぜながら、ガイドブックのようなスペインを描き出しています。

☆デュトワ指揮 モントリオール交響楽団
 ロシア作品も得意としているデュトワですから、安心して聴ける演奏に仕上がっています。それにしてもこのオケはソリストが皆巧いんですよね。巧いというか、綺麗というか。この曲ではバイオリンが頑張っています。全体的に「気楽に構えた」自然体の演奏で、聴いていて気分がいいですね。
☆小澤征爾指揮 サイトウ・キネン・オーケストラ
 うーん、このオケ、素晴らしいんですよね。他の日本のオケは何してきたんだ、って悔しくもなるんですが。この盤では以前紹介した「チャイコフスキー交響曲第4番」とのカップリングです。この組合せはいかがなものか、とも思いますが。「スペイン奇想曲」の演奏は文句なし。全体にラテンの色気を感じさせます。


2001年03月07日(水) 第43回 ドヴォルザーク 交響曲第8番

 ドヴォルザークと言うと、交響曲第9番「新世界」がひたすら有名ですね。この第8番は隠れた名曲、でしょうか。もともと聴くようになったきっかけは、まず「新世界」に涙を流したことでした(笑)。新世界=アメリカでこれだけ感動したんだから、次も、となるのが人情です。第8番には「イギリス」という副題がついています。「アメリカ<イギリス
」という不等式が頭の中に浮かんだんです(笑)。
 実際のところ、「イギリス」というのは、イギリスの楽譜出版社から出された、ということで曲調とはまったく関係がありません(笑)。スラヴの素朴な音楽で構成されている、軽妙かつ穏和な曲です。

☆ケルテス指揮 ロンドン交響楽団
 全般を通して「秋」のイメージの演奏です。ケルテス盤としては、僕が涙を流した「新世界」への信頼が強かったので、安心して聴けました。最近のオケの演奏にありがちな「怜悧さ」や「鋭さ」とは無縁の、牧歌的な演奏です。
☆ドホナーニ指揮 クリーヴランド管弦楽団
 上のようなことを言いつつも、流行に弱い僕です(笑)。この盤を購入した当時、この理論派指揮者ドホナーニと職人集団クリーヴランド管のコンビが乗りに乗ってました。特に「新世界」が評判が高く、僕も買おうと思ったんです。でもひねてますから(笑)、最初に「第6番」、次に「第7番&第8番」と下から攻めていったんですね。で、結局「新世界」はまだ買っていません。音の澄んだ、きりりとしたいい演奏なんですが、第8番でちょっと足止め食っちゃいました。やはりドヴォルザークの良さは「土俗的」「牧歌的」にある、と確信したもので。。。


2001年03月06日(火) 第42回 チャイコフスキー 幻想曲「フランチェスカ・ダ・リミニ」

 チャイコフスキーの「2大ロマンチック曲」、その2です。「フランチェスカ・ダ・リミニ」はダンテの「神曲」の一節で、ダンテが地獄で出会った「不倫カップル」の話です。したがって、どろどろしてます(笑)。
 地獄の描写と、愛を語る場面の対比にひきつけられます。クラリネット・ソロで描かれていく愛の追想は、史上まれに見る名旋律。狂おしいほど美しく、切な過ぎるほど温かい。不倫の二人が墜ちていった地獄の中にあっても、愛は永遠なのでしょうか。
 しかし追想は追想。二人が「夫」により殺されるシーンから地獄の描写へ戻ります。金管が荒々しく叫び、弦がきしむ。地獄の炎の中へ二人は消えてしまう。エンディング、怖い怖い同一和音をこれでもかと繰り返し、「そこに救済はない!」という終わり方をします。その点が「ロミジュリ」と対照的ですね。

☆バーンスタイン指揮 ニューヨーク・フィルハーモニック
 この手の曲はやはりこの人ですね(笑)。歌います、叫びます、わめきます(笑)。世界で最も美しい地獄絵巻、です。エンディングはゆっくりと、じわじわじわじわ、って感じ。
☆マズア指揮 ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団
 おすすめCDとしては、実はこの盤よりデュトワ盤のほうなんです。デュトワ盤はそれはもう、キレイキレイなロマンティシズムで歌い上げています。一方、マズア盤はいわば「バーンスタイン風」。管のパワーでニューヨーク・フィルに負けちゃってるかな。でもマズア盤には聴き所が。ラスト、どんどん加速していく感じで同一和音を繰り返します。いわゆる「終わらへんで〜」です(笑)。これがしびれる!


2001年03月05日(月) 第41回 チャイコフスキー 幻想序曲「ロミオとジュリエット」

 チャイコフスキーの「二大ロマンチック曲」をご紹介します。ちなみに「二大ロマンチック曲」は僕の勝手な命名で(笑)、しかも若干語呂が悪いです(笑)。
 今日は「ロミオとジュリエット」。幻想序曲、というタイトルからもロマンティックぶりがにじみ出ています。20分ほどの作品で、ストーリーが有名すぎるこの題材を、情緒過剰気味に歌い上げています。ご存知のように、この題材は「悲劇」なのですが、曲の終末はその悲劇性を超えて、神の救済を思わせる旋律が現れ、最後はまさに「幕引き」を思わせる壮大なエンディングになっています。
 ほかにも「ロミジュリ」を扱った作品はバレエをはじめとして多いですが、独立した音楽として完成させている分、この曲が上のようにも思えます。

☆バーンスタイン指揮 ニューヨーク・フィルハーモニック
 「交響曲第5番」とカップリングになってました。以降、「ロミジュリ」しか聴いていません(笑)。ロマンティックな曲、激情を伴う曲、ドラマティックな曲にどっぷり浸るならやはりバーンスタイン様ですね。他の演奏より4分くらい長めに、たっぷりと歌っています。
☆マズア指揮 ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団
 この曲の「悲劇性」を感じたいならこの演奏かもしれません。淡々と進んでいく悲劇、鉄槌のごとく振り下ろされる運命。この指揮者、このオケですから、歌いっぷりは文句なし、その上に「怖さ」すら感じさせるところが素晴らしいです。
 


2001年03月03日(土) 第40回 サン=サーンス 交響曲第3番「オルガン付」

 パイプオルガンの響き、というのはなんとも荘厳なものです。響き以前に、たたずまいからご立派。サントリー・ホールへ一度だけいったことがあるのですが(ウイーン少年合唱団)、休憩時間に間近まで行っちゃいましたもんね(笑)。
 そのオルガンを第4楽章で起用した、この曲。当然、その第4楽章が人気も高いのだと思いますが、それまでの楽章も聴きごたえありますよ。個人的には第3楽章。人生に押し寄せる嵐のイメージです。それがあるからこそ、終楽章のオルガンの音色に導かれ、天に上っていけるのだと思います。
 それにしてもなぜ「サン・サーンス」でなく「サン=サーンス」なんでしょうね?「リムスキー=コルサコフ」もそうですけど。等号??(笑)

☆レヴァイン指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
 荘厳=ベルリン・フィル(笑)。あまりにも安易な発想から、この曲に関して最初に入手した一枚となりました。期待にそむかぬ荘厳さ。オルガンの荘厳さを、弦が上回っちゃってます(笑)。音の「太さ」もさすがです。
☆チョン・ミュンフン指揮 パリ・バスティーユ管弦楽団
 バスティーユ管は、正直言ってしりませんでした。最近なんとなく、フランスのオケが頑張ってますよね。そう思って買った一枚。いや、これ、いいです。全体を通して音が澄んでいる印象で、その澄んだ音で荘厳さを出すという、なんだか自分で書いていて変な感じです(笑)。オルガンの響きを活かしきる終楽章に聴きごたえが。


2001年03月02日(金) 第39回 ガーシュウィン 「ラプソディー・イン・ブルー」

 アメリカの作曲家、ガーシュウィンの曲です。ピアノが主役、オケとの掛け合いの中から「都会の憂鬱」を美しく展開していきます。冒頭のクラリネットが僕は大好きで、何度も巻き戻して聴いてしまいます。全体を通して、弦楽器の優しさ、管楽器の軽やかさが織り成していく「都会」のなかをピアノが憂鬱を感じながらも生きていく、という印象で、アメリカならではの曲です。
 多くのオケ・指揮者・ピアニストが取り上げています。なかには「弾き振り」をする指揮者兼ピアニストも多く見られるのがこの曲のもうひとつの特徴です。

☆バーンスタイン指揮&ピアノ コロンビア交響楽団
 この曲のCDは3枚持っています。ほかに少なくとも4種類は聴いたことがあります。でも、この曲に関しては僕の中では「100パーセント」この一枚につきます。演奏の技術面うんぬんではなく、「歌い方」でこの演奏に勝るものはもちろん、近づくものすらいないと信じています。バーンスタイン自身が作曲した「交響曲第1番」あたりを併せて聴いてみると、この「ラプソディー・イン・ブルー」がバーンスタインによって演奏されるべき曲だということが見えてきます。「都会の憂鬱」を体現できる、そんな存在なのです。


2001年03月01日(木) 第38回 山口百恵に捧げられた歌

 1970年代を代表する歌手、というくくりでは申し訳ないくらいのスター、山口百恵の歌について。僕はいわゆる「百恵世代」より少し後の世代です。幼稚園や小学校の頃に、歌詞の意味もわからず好きでした。今振り返ってみて、彼女の凄さってなんだろう、と考えたんです。
 僕の結論は「粋」です。スターと呼ばれる歌手はたくさんいますが、この「粋」を持っている人は、僕から見る限り、美空ひばり、石原裕次郎、そしてこの山口百恵の三人だけです。時代の求める歌い手はたくさんいます。でもこの三人は時代の要請の一歩先を、さりげなく(これが大切)歩いていたように思えます。そういうのを江戸っ子は「粋だねえ」と誉めるのです。
 「平成の山口百恵」といわれた安室奈美恵に、この「粋」が加わるかどうか。それは彼女がどれだけの幅の歌を歌えるかにもかかっているのではないでしょうか。晩年の美空ひばりに小椋佳や秋元康が風を送り、絶頂期の山口百恵にさだまさしや谷村新司が新たな可能性を提示したように。

☆「秋桜(コスモス)」 詞・曲 さだまさし
 名曲の多いさだまさしですが、歴史に残るとするならばこの曲が第一になるでしょう。どんなに素晴らしい詞も曲も、そこに命を吹き込む歌い手の存在が求められます。無論、さだまさし自身も素晴らしい歌い手であるのは確かですが、真の名曲は他者によって命を吹き込まれるべきだと思います。その点で、山口百恵とこの曲の関係は理想的。歌手も歌も、まばゆく輝いたのですから。
☆「いい日旅立ち」 詞・曲 谷村新司
 正直言って、谷村新司が歌うほうが個人的には好きです。山口百恵がまだ若すぎたのかもしれません。でも、彼女の歌唱によってこそ、この曲は歴史に残ります。「ああ日本のどこかに私を待ってる人がいる」と百恵が歌うからこそ「僕がここで待っている!」と幼年時代の僕も叫べたのです(笑)。


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