■867号室のぐだぐだコラム■
867



 百花乱々

『メイプルソープ&アラーキー・百花乱々』に行って来た。

それは百合の花だった。

展示室に入って一番最初に見たのは白黒の、枯れた百合の写真だった。
驚いた。
枯れた花を写真に撮るだなんて考えたことがない。
私が花を写すとしたら花の美しさ、
鮮やかな色や短くも慎ましやかな生命力を写真に残すだろう。
花は美しいものだと思っていた。
しかし荒木の写真の花は時に気味悪く、あるいは酷く淫猥に、
まるで花とは思えない姿を見せていた。
あまりに衝撃的だった。
しかしそれは確かに花なのだ。
私は今までにあのような花を見たことがない。
ただ気が付かなかっただけなのだろうか。
生きているようだった。
写真の中の花は、ヒトのような存在感をたたえていた。
写真の中の花は花ではなく、ひとりのモデルのような錯覚さえ覚えた。

対照的にメイプルソープの花はオブジェクトのようだった。
花瓶や影との組み合わせで花は全く新しいオブジェクトとして生まれ変わる。
不思議な感じがした。
有機物の花と無機物の花瓶、それに光が加わると、
なんとも言えない独特な オブジェクトになる。
それはおそらく当たり前の風景なのだろう。
肉眼で見たなら見逃してしまうような。

個人的な好みとしては、荒木の写真に強い興味を惹かれた。
カルチャーショックと言うやつだ。
写真を目の前に私はただ息を飲み、見つめるしか出来なかった。
あの感覚は初めてラッセンの絵を見た時以来だ。
帰りがけにポストカードを3枚ほど買った。

私は写真というものは、そこに在る風景やモノを在るがままの姿で
切り取ることだと考えていた。
それは間違いではないと思っている。
間違いではないだろう。
今回『百花乱々』を見に行き、
写真とはそこに在る風景、またはモノをいつもとは違う視点、違う解釈で
新たに演出し、新たな生命を吹き込む事なのだという
ひとつの答えを知ることができた。



………なんて授業で提出するレポートをコラムに流用してみたりして(笑)

2001年06月29日(金)



 醜貌

ただ好きなだけなんです。

好きで好きで仕方ないんです。

貴方が好きだと言ってくれたから、

とてもとても幸な気持ちになれました。

貴方が好きで好きで、

貴方に嫌われるのが何より怖くて、

一生懸命自分を説得しました。

それでも時々、

貴方の世界から私がいなくなっているような気がして、

そんな時、私は酷く哀しい気持ちになります。

頭は素直に理解してくれるのに、

何故か涙が出てきます。

私の感情が私からはみ出して暴走してしまいます。

それはとてもとても醜くて、

きっと私はそれと同じくらい醜い顔をしているのでしょう。

そんな顔は貴方には絶対に見せたくありません。

でも醜さを隠して上手に笑うことも出来ないでしょう。

こんな事を言えば、また貴方は貴方を責めるに違いありません。

そうではないのです。

貴方が悪いのではないのです。

ただ私が我が儘なだけで、

ただ私が貴方を好きなだけで、

ただそれだけなのです。

わかってください。

貴方が好きなだけなのです。

どうか私を消さないでください。

2001年06月21日(木)



 

作品を創りたいと思うことは欲だ。

違うのだろうか?


私は友人の作品に惚れ込み、それを撮影したいと望んだのに、
何故彼女自信が私のその気持ちを潰そうとするのだろう?

どうして自分の作品を否定する事ができるのだろう?
自分の作品を他人の言葉に流してしまえるのだろう?
彼女には欲がないのだろうか?
私は欲のままに作りたいモノを提案した。
でもそれ以上の作品に出会ってしまった。
その作品を創りたいと望んだのに。


ある講師の方が私を「貪欲だ」と表現した。
自分の作品を創ることに、自分の内側を外に出したがることに、
私は非常に貪欲なのだそうだ。

私自身そう思う。
作品を創りたいと想うことは欲だ。
創りたい。見せたい。驚いて欲しい、興味を持って欲しい。
作品は「私」の断片だ。「私」を表現したい。


作品を創りたいと想うことは、欲である。

2001年06月16日(土)



 大阪小学生殺傷事件

ありきたりの言葉だけど… 酷いことするな……って。 なんかね、ニュース見てたら涙出てきた。 よくわかんないんだけど。 きっといつもと同じように、お母さんは子供を送り出したんだろうね。 いつもと同じように一日が過ぎていくと思ったんだろうね。 死にたいと思った、死にきれなかった だからって、誰かを殺していいはずないじゃん。 死にたいなら勝手に死ねよ。 死刑にしてくれ ふざけんなよ。テメェが死にたいならテメェで死ねよ。 結局他人に甘えてるだけじゃん。 オマエのせいで精神を病んで苦しんでいる人間まで 不愉快な偏見の目で見られてしまう。 私の大切な人達が、あんな理不尽な殺され方したら、 どんな手を使ってでもいい。 絶対に犯人をこの手で殺してやる。 警察も法律も要らない。 私のこの手で殺してやる。

2001年06月09日(土)



 JSA

「JSA」を観に行きました。

う〜ん…想像が付かない世界ですな。
だって、すぐ隣りで生活している人間と友人付き合いする事が
許されないなんて、現代日本で生活している我々には
わからないじゃないですか。

別に映画がつまらないとかそう言うことじゃないんです。
信じられない。
たかだが境界線一本がどれほどの力を持つのか、私には理解しがたいのです。
勿論その境界線の意味は知っています。
でもそれが人間にどれほどの影響力を及ぼすのかは
実際その場で生活している人間にしかわからないコトだと思うのですよ。

ものすごく難しいですよ。

友人になってはいけない人間と友人になってしまい、
それ故に事件に巻き込まれてしまう。
お互いがお互いを守るために真実をひた隠す……。

それだけの内容なのだけれど、その背景はあまりに重くて、
「感動した」などとは日本人には軽々しく言えないと思うのです。

前評判では良く『シュリ』と比較されていましたが……。
比べたら『シュリ』の方が、私は好きですね。
映画を芸術とだけ捉えるならば、の話。
『シュリ』は画的に華もあるし、エピソードもわかり易く並べてある。
派手なアクションも非現実的ではあるけれど、魅力があるので。
『JSA』は、ちょっとエピソードの並べ方がわかりづらいんですよね…。
それに…名前忘れたけど、お姉さんの出生に関するエピソードも
必要ないと思う……。
だって彼女は自分の仕事に必死になっているけれど、
そこに自分の出生の因縁はあまりないのだもん。


良い映画だと思いますよ。
でも『JSA』を見て感動しただけじゃいけないと思いますよ。
ただの「映画」では終わらせてはいけないんじゃないですかね。


2001年06月02日(土)
初日 最新 目次 MAIL


My追加