St.Ives本

中学の同級生Aちゃんに会いに行くのも、ささきもと子さんの作品展に行くのも諦め
現代イギリス陶芸本の原稿。
翌朝6:30まで。
2003年08月31日(日)

良い会社考

 9時間眠ってすっきり。1日中日記、メール、3:00まで。

 日記を書きながら1年2ヶ月働いた会社のこと、会社の人たちについて考える。
2000年末まで11年間働いた会社は本当にいい会社だと思っていたけど、
いい会社って他にもあるんだ、と驚いたぐらい。私はラッキーだったと思う。

前の会社で新人事制度が導入される1996年に書いた文章の一部。

「職場の大多数を占める普通の社員は激化する能力主義、厳しい人事考課、高度な専門性を競い合うことに強いストレスを感じないだろうか。ごく普通の社員にとって仕事のやりがい、職場の働きやすさとは、仕事上の決定権、共に働く中間たちとの関係、生活・健康状況に合わせて仕事ができるゆとり、によって生まれるのではないか。」

この3条件は元々朝日新聞の記事にあったのだが、「そうそう」と思った。
あれから7年経って、ますます状況は厳しくなっているように感じるが、
仕事のやりがい、働きやすさの条件は変わらないのではないか。

昨日まで働いていた会社で私はアルバイトとして末端の業務をしていた。
決定権こそなかったが、無理なノルマや意見・質問も出来ない、ということもなかったし
職場の人間関係はとてもいい雰囲気で活気があったし、体を壊すような事も無かった。

業績は厳しいようだからゆとりもなくなっていくのかもしれないが、
従業員をギリギリ締め上げるようにはなってほしくない。
トップのOさんがどう舵取りしていくのか、期待をこめて注目したい。

って、人の会社はいいけど私の今後はどうなる?
ゼミ仲間Fちゃんから聞いた「東京ライターズバンク」に登録してみようかしら。
「東京ライターズバンク」について何か情報をお持ちの方、教えて下さい。

合資会社マリバールは今は「全くダメな会社」だけど「これからの会社」ってことで皆様よろしくお願いします。
2003年08月30日(土)

遅刻三昧,最終日

 8月は遅刻が異常に多い。ちょっとの遅刻も15分遅刻とみなされた。
「エー、そうだったの。言ってよ。」と思うが、本来そうするべきだし
甘く運用してきた私は何も言えない。

私の遅刻は我ながら酷い。最終日くらいはまともに出勤したかった。
勤怠管理のMさんもさぞ腹立たしいことだろうと思うのだが淡々と処理をしてくれる。
ますます申し訳ない。

 7月末に会社を辞めて、最近何回メールしても音沙汰の無かったYさんから
「今日で最後?」とメールが来る。「はい」と返信。
「今頃北海道ですかね」と皆で話していたら昼休みにYさん登場。
なんとW君にコロコロ焼きというカステラと、私とKさんに花束を自ら届けて下さる。
感激。しかもKさんには赤いバラ、私にはオレンジ。
私の好きな色がオレンジだって知っていたのか?

なんか、みんなにご馳走してもらってプレゼントやメッセージもらって、すごいなあ。
会社を辞めるのもいいもんだ。毎年辞めようかしら。

Mさんは遅刻のことには一切触れず、暖かい送る言葉をくれる。
それだけでも涙ものなのに、「俺からだって、あるんだぜー」と言って
3人の好みをそれぞれに考えてくれたプレゼントを手渡される。
私にはシビラのハンカチタオルセット。素敵。
W君は「ヤバイ」と言って走り回る。彼は涙腺が緩いらしい。

 怒涛のお別れメール返信、挨拶周り、PC整理、机の片付け、を終えると8時近く。
とても読みきれなかった『民主と愛国』を豊洲図書館に返して帰る。

 久し振りの自炊。胃腸はかなり疲れているが頑張って食べる。
睡眠不足もあって1時過ぎには寝る。
2003年08月29日(金)

母娘記憶力比べ,『仏蘭堂』,『チャイハネZAMZAM』

 母から電話。「吉衛門の舞台の最高の席があるんだけど、行かない?」
吉衛門には興味無し。だけどどういう芝居で他に誰が出るの?と詳しく聞いていくと
吉衛門ではなく松本幸四郎の舞台だった。なんだよ!幸四郎も興味無い。

「もうね、足が痛くて。やっぱり車椅子だわ」と話を変える母。
「そうなんだ。じゃあかっこいい車椅子を買わなきゃね」と私。

しかし私は母を責められない。記憶力はどっこいどっこいだ。
先日飲んだFちゃんから「お話した件です」とメールが来るが覚えていない。
慌ててFちゃんに電話。「結構飲んだもんね」と笑われる。

ノートには『太古八』の羽賀さんが書いてくれた「認定状」が挟まれていた。
「太鼓判 マリちゃん 貴方は一皮むけて素敵な大人の女に又、一歩近づきました。
世界美女鑑定団 団長 羽賀英夫」
これももらったことを覚えていない。
しかも母とあんな会話をしていた私のどこが認定に価するやらわからない。
だけど大変嬉しい。光栄。

 「明日俺会社来ないから今日が最後」と言って次長のNさんが私とW君とKさんに『仏蘭堂』のケーキを下さる。感激。
食文化乏しき豊洲で唯一美味しい店、仏蘭堂のケーキを最後に頂けるとは。
ブルーベリーがこれでもか、とのっているフルーツタルトは、目が痙攣するほど疲れている私にまさにピッタリ。嬉しかった。

 17日から続く私のお出掛け&宴席の最終イベントは日暮里のトルコ料理『ZAKURO』。
ここは檸檬屋谷中本店があったビルの地下にある店で、何年も前から気になっていた店だ。

会社のMさんが幹事でいろんな部署の人たち9人のお食事会。
『ZAKURO』は2,000円でお腹一杯と聞いていた。
檸檬屋谷中本店が閉店して、いまや2階も『ZAKURO』になったと聞いていた。
以前からその進出振りには目を見張るものがあったが、すっかりZAKUROビルという感じ。

『ZAKURO』は地下で、2階は『ZAMZAM』というウズベキスタン&イラン料理の店、らしい。
でもメニューはほぼ同じとか。私たちの席は2階。

タバコのヤニだらけのきたなーい檸檬屋の壁や天井が、布やシートやタペストリーでうまく装飾されて、靴を脱いで絨毯に座って食事をするようになっている。
手作り感覚だけどきれいに出来ていて感心する。
しかし檸檬屋の汚さを思い出すと、虫に刺されそうで落ち着かない。

確かに2,000円「食べきれないコース」は食べきれなかった。
私はラムやマトンが苦手で、みんなが「臭くないですよ」とか、間違って「牛です」と言うものを食べてしまい閉口。ナッツ類も湿気ていた。

美味しいトルコ料理店はいろいろあるが、ここの売りは味ではない。
水タバコあり、民族衣装の強制着用あり、店主のハイテンションギャグ攻撃あり、
民芸品のジャンケンプレゼント大会あり。私は見なかったが、ベリーダンスショウもあった。

トルコなのかイランなのかウズベキスタンなのか?
店員なのかダンサーなのか大道芸人なのか?
訳のわからなさと、客にワインのコルクを抜かせたりグラスを取らせたりは檸檬屋風でもある。
笑って写真をとって、皆さん満足したようで良かった。

なんとまたしてもご馳走になってしまう。
先日送別ランチでご馳走してもらったのに、何回も申し訳無い。

「又来てねー!」と手を振る店員を振り返りながら日暮里駅に向かって歩いていると
「桜井さぁん」と呼ぶ声が。偶然通りかかった檸檬屋新宿従業員のMさんだった。

それにしても食べ過ぎでお腹が苦しい。連日の宴席でかなり太った。
2003年08月28日(木)

『太古八』

 会社のW君とMさんもスカパラファン。学生時代の皆の写真と、青木パパが青木君の一周忌に作ったブックレットを持って行って見せる。
W君はムードメーカーズもセンベロも好きでCDを持っていると言う。
帰りの地下鉄でブックレットを読み返して涙ぐむ。

母と、母の友人で私の高校の恩師のS先生と3人で『太古八』。

着くなり母が「私は車椅子になるから、真理、新座に戻っておいで」と言うので面食らう。
膝の痛みがひどいらしい。
「青木君のお父さんと同じ老人ホームに入ったらいいんじゃない?」
空振りパンチをする母。隣の席でなくて良かった。

青木パパの作ったブックレットを見せて
「私が死んだらお母さんもこういうの作ってね」。
「あんたが先に死ぬの?」
「わかんないじゃない。死んだら作ってよ」
「作る作る」
と話しながら青木君の写真を見て「これがお父さん?」
「違うよ!青木君のお父さんの写真をそんなにでっかく載せるわけないでしょう!」
「ああそうか。どれ?これ?これは青木君の子供?可愛いわねえ」
「違う!それは青木君の子供の頃の写真だよ!ちょっと、もっと丁寧に見てよ」
と激しくやりあう母娘。間に座るS先生はたまったもんではなく「席替わりましょうか?」
「いいえ、離れていたほうが殴られないので」

何を話していても「私は私は」の母。
独身を貫いたS先生に恋愛話を聞いているのに「私が聞いてるのはねえ…」と母。
「本人から聞くから」と私。
「はい。黙ってます」と言っても長くは続かない。
S先生に身体を向けて顔を寄せて腕を突っつきながら「ほら!なんとかでしょう!」
ってS先生タジタジ。

母は私が言ってもいないことを「真理がこう言った」と言い、
自分が言ったことを「私はそんなことは言わない」と言う。
2年前男と別れた時に「新座に帰らせて下さい」と言ったのは私で
「帰ってこなくていい、あんたが東京にいたほうが便利だから」と言ったのは母だ。
それは大変良かったのだが、人に「真理は『新座になんか帰りません』と言い放った」
と言うのはやめてほしい。
22日も今日もみんなに言っていたから、よっぽどそういう話にしたいのだろう。

実家の近所の話など。「だから帰ってきてほしい」ってそんな揉めてるところに帰りたくない。
「下宿屋すれば?寂しくないじゃん」と言ってみたものの、今の部屋の家賃を援助してもらっているからには母が「帰れ」と言ったら帰るしかないのだろうか。困った。

かなり飲んで、最後の方覚えていない。
松茸のフライ、しめた新さんま、イカの炙り焼き、茄子、どれも美味しかったのは覚えている。
2003年08月27日(水)

東京スカパラダイスオーケストラ in 赤坂BLITZ

 川上君が誘ってくれて数年ぶりにスカパラのステージを見に赤坂BLITZ。
1階スタンディングフロアは満員。2曲ほど踊って2階指定席へ。

昔のスカパラはMCもなく暴れ続けていたが、谷中君がヨーロッパツアーの報告をしたり
「男はナンパして帰れよ」とか言ってて可笑しい。
谷中君が踊りながら歌うのは初めて見た。2階から見ても大きい、セクシーダイナマイト。

川上君は普段は大口開けて笑っているが、ステージではクール。
頭がカクカク動くのも変わっていない。

沖君のピアノは昔から大好きだ。すごーくうまいと思う。狂った感じが堪らなく好き。

やっぱり皆かっこいい!私はゴキゲンで踊り続ける。
最近2回ほどライヴを見たクレイジー・ケン・バンドより好きだ。
もし友達じゃなくてもきっとスカパラファンだ。
私としては1周して戻ってきたような感じもして感慨深い。

 終演後、差入れのワインを持って楽屋へ。
川上君にお礼を言って谷中君と沖君にも会って少し話す。
「素敵だったー。変わらないね、みんなかっこいい!」
「変わらないのは桜井だよ」
「そう、服も10年前のだしね」
ってホントは15年前。言葉を失う彼ら。
「今、どうしてんの?」
「8月一杯でリストラ」
言葉を失う彼ら。
「沖君のバンドはなんていうんだっけ?」
「センベロ。千円でベロベロって意味だよ」
「素敵!ライヴ見たい」
「ここ(センベロ)は2人だからライブよくやってんだよ。うち(ムードメーカーズ)は人数多いから」
「なんかみんなそれぞれいろいろやって、『モーニング娘。』みたいだね。あ、嘘嘘!冗談です」
ってもう帰ろう。

ああ楽しかった。川上君に激しく感謝。
センベロもムードメーカーズも見たいけど、ツアーは終わってしまったらしい。
スカパラもこれから毎年見ようかな。彼らはいかしたおっさんになるだろう。
2003年08月26日(火)

サングラスの行方,『のと半島 時代屋』

 会社でW君に聞く。
「私サングラスあげたんだよね?」「あげてましたよ」「へ?W君にだよね」「違いますよNANIOさんにあげてました」「あら、そうなの。でもW君もかけてたよね」「いいえ全く」。
おぼろげな記憶の中でもW君がサングラスをかけている姿だけは浮かぶのだが。
やっぱりNANIOさんとW君は似ているのか?

 二日酔い。気持が悪くて仕事が全くはかどらず。しかし今週一杯なので頑張らないと。
約束があるのに残業。

 高校からの友人で香港在住のSちゃんが帰国して皆で会う。ゼミ仲間のFちゃんも来る。
Fちゃんは私の高校仲間とほとんど会って、何度も飲んでいるがSちゃんは初めて。
全く違和感なし。前からの仲良しのよう。
「Kから今回のお誘いメールをもらった日、誕生日だったんだよ」と言うとまたみんなが
「それはおめでとう」。引っ張りすぎ?

銀座の加賀料理の店『のと半島 時代屋』は魚が美味しい。日本酒もいろいろある。
二日酔いで飲みたい気はしなかったが、飲み始めると平気。

世界陸上のスタートの取り方の難しさについて。
「位置について、ヨーイ」をフランス語で何と言っているか、
フランス留学経験者のNさんに聞く。

8月10日BAR潮見のホステスKに何が起きたのか。事の次第を聞く。
何も心配するようなことはなかったらしい。
他いろいろな話。

今回夫と娘とともに帰国しているSちゃんは早めに帰る。
NさんとKが帰っても、閉店しても、Fちゃんと私は杯が空くまで飲む。

店を追い出されて2人が左右に分かれる道の角で、トーク続行。
Fちゃんの家族の問題について。
「兄弟なんて決裂したっていいじゃない」というのが私の意見。
見栄を張ったり遠慮したりせず、本音でぶつかって決裂するならしょうがない。
私は一人っ子だが、母親の兄弟たちと祖父を見てそう思う。
2003年08月25日(月)

取材,STARBUCKS COFFEE,山本勝哉展,『フードコート マルコ』,Y君宅

 昨日依頼があったYさんの企画本の件で取材。小一時間話を聞く。
私の中でまだ具体的なイメージが出来てないので、取材される方も不安そう。

 母と池袋でお茶。禁煙席のある喫茶店を探す。
母が「ないわよ、そんなの。暑いのに歩くのはいや」と言うが
私は「タバコの方が嫌だ」と言って無理矢理スターバックス。
膝が痛い母を遠回りさせて悪いと思いつつ。

 母の昔の飲み仲間で、私の高校の美術の山本先生が個展を開くと聞いて母と見に行く。
この個展のことを教えてくれたのは、22日檸檬屋新宿に来てくれた前の会社の先輩Fさんで、
山本先生は私の高校の前にFさんの中学で教えていた。
Fさんと山本先生が中学卒業以来の同窓会で再会し、私の話になったらしい。
というわけでFさんも来る。

高校の先生も何人も来る。中にはお世話になりながら決裂した先生も。一応挨拶。

会場は神保町『文房堂ギャラリー』。大きな作品もいくつかあって、作品数が多い。
母は以前にも山本先生の個展を見たことがあり、1点持っているらしい。
「なのになんで私に葉書くれないのよ!」と山本先生を叩く母。苦笑いの山本先生。

 母は元職場の人たちと食事。私は次の予定があったけど、Fさんとお茶。
御茶ノ水のセルフサービスのカフェ『フードコート マルコ』でFさんがビールをご馳走してくれる。
22日の私のまだらな記憶をFさんに埋めてもらう。
「帰りの車の中で君の同期のKから電話がかかってきて話したのは覚えてる?」
「いいえ、全く」

 東京スカパラダイスオーケストラの元ドラムで亡くなった青木君のお父様の誕生日パーティーで大学の友人Y君の家に行く。
18時スタートと聞いていたが20時近くになってしまう。
ホームパーティーは少し遅れても大丈夫だけど。

青木パパは今日が誕生日とのこと。
「Y君からこのパーティーのお誘い電話をもらった日は私の誕生日だったの。なんか嬉しかった」と話すと皆がおめでとう、と言ってくれる。

青木パパに「母が『デートしたい』って言ってました」というと「ああ、いいですね」。
スカパラのツアーコーディネートをしていたKさんのお母様も一人だそうで
「じゃあ、今度親世代の合コンを企画しますか」という話になる。

2001年8月25日、関西突破塾後に行った京都のクラブで彼がDJをしていた時に偶然会って以来の川上君も来る。
朝日新聞の記者になってスカパラをやめた雄平君は家族連れで登場。
雄平君とはもしかしたら彼らの有栖川公園のゲリラ結婚パーティー以来かも。

Y君秘蔵の初期スカパラの芝浦インクスティックライヴ映像を見る。
雄平君が飛び跳ねている。それを見た娘は「サル!変なの!サル!あははは」と大喜び。
いやー、パパ、かっこよかったじゃん。でも雄平君は全然変わってない感じ。
今もステージを飛び回りそうだ。
青木君、ギムラさん、やっぱりスカパラは昔からいかしてる。皆素敵。

Y君とつぶやきシローが回転寿司談義をしている番組録画も見せてもらう。
熱い語りも変わってない。

方南町からの終電を逃してしまい新宿までKさんとタクシーで帰る。
2003年08月24日(日)

中央精版印刷株式会社見学

 気がつくとトップレスで寝ていた。腹巻が胸まで来ていたが。

 ジャーナリズム講座の印刷所見学でお昼に出る予定が、洗濯などしていたら遅れてしまう。
13:00にJR北戸田駅集合が、13:30ぐらいになりそう。
事務局のYさんに電話すると「先に言ってよ。もうやめちゃうよ。メンツが立ちません。急いで来て」と怒られる。

ひどく暑い日で、サングラスを探したらバッグの中にない。
昨日W君にあげちゃったんだ、と思い出す。

代わりにバッグから出てきた大学の名簿作成用の葉書。
実家に届いて母が気を利かせて記入しておいてくれた。職業欄「フリーター」。
あのー、一応私は合資会社マリバールの代表で、母は役員なのだが。
まあ実態はフリーターか。間違ってはいない。

13:20に北戸田駅着。Yさんの携帯電話が繋がらない。見学場所のメモもない。
帰ろうかと思ったらやっと電話が通じて、13時半過ぎに中央精版印刷に着く。

見学している皆を追いかけ、ブックオンデマンドファクトリーを見せてもらって、
事務所に戻って質問コーナー、14時に終了。
「3千部なら1日で出来ちゃうんですか?」と聞いたら「1時間かかりません」。ほー。

ジャーナリズム講座のYさんは『アウトロー・ジャパン』の編集長でもあった。
帰りの埼京線車中で『アウトロー・ジャパン』休刊の真相を聞く。

そしてYさんの新たな企画本のテーマについて事情通のライターを知らない?と聞かれた。
「私。それは私がぴったりです」。電車内でブレスト的打ち合わせ。
帰って早速心当たりに電話。

久し振りに本格掃除。痙攣が続いている瞼を冷す自己流治療。メール、日記、朝6時まで。
2003年08月23日(土)

『檸檬屋新宿』

 マルニのワンピースに下駄で出勤。走りにくくてまた遅刻。
今日のパーティーに誘ったら「どうしようっかな」と言っていたW君はオレンジ系ストライプのシャツ。「きれいな色だね。私のために?」と聞いたら「そうですよ」。感激する。

 檸檬屋に着くと母と母が働いていた学校の先生で檸檬屋のお客さんのSさん、同じく母が働いていた学校のMHさん、MEさんと電脳キツネ目組のN君が既に来ていた。
N君と会うのは久し振り。

檸檬屋の入り口で被った帽子を見て喜ぶ母。母も帽子好きで沢山帽子を持っている。

17日に母に会った時はそれ程元気ではなかったのに、今日はかなり元気。
会社のW君に「この間はどうも」って、初対面だよ。
「その料理をこちらへ。あの皿はこっちに頂戴。あなたこれ食べなさい、身体にいいのよ。
飲み物持ってきて。この人はどなた?真理がいつもお世話になってます。写真撮って」
を繰り返しつつ元同僚と「あの人どうしてる?」とか「真理はね」とか。

母はのってくると悲鳴とも嬌声ともつかないような声で話すようになるのだが、
一瞬だけだったからまだ7割ぐらいの元気さか。
1年前に母が檸檬屋に来た時、住枝さんは「静かな方だね」と言っていた。

KMさんは小さなコウモリを連れて来る。白い布を広げて見せてくれた。
バタバタ飛びだしたらどうしようと思ったが、瀕死の状態らしい。

大きいMさん、元檸檬屋従業員のAちゃん、ナインアンダーの松本ミヤコさん、ゼミ仲間Oちゃん、NANIOさん、前働いていた会社のFさん、檸檬屋常連Yさん。
遠くに用事があった人、仕事が大変な人、落ち込んでいる人もいたのに、駆けつけてもらって感激。さらに皆さんからお酒とかお菓子とかお花などプレゼントを沢山頂く。写真も撮ってもらう。

檸檬屋従業員でアーティストのささきもと子さんはバースデイカードを作ってくれる。
西瓜の色鮮やかな可愛らしいカードは紐付きで、帽子の蔓に結んでみるととても合う。

もと子さんは横浜そごうのそごう美術館で27日から31日まで作品展をやるとのこと。
http://www.sogo-gogo.com/museum/
もと子さんのカードはネットでも買える。
http://www.tumpre.com/shop/shop_papier.html
でも、私にくれたカードは1点もの。オーダーメイドをおねだりする私。オホホホホ。

別のグループのお客さんも顔見知りで、お祝いして下さる。
ああ嬉しい、楽しい。幸せだ。
私は静岡のたがたさんに頂いたシラスを差入れ。

檸檬屋に行く前にコンビニでヨーグルトドリンクを飲んで来た。
寝不足で飲んだらやばいとわかっていた。
しかし前に働いていた会社であった意地悪の話をして「ひどいと思わない?!」と言ったら皆が「さっきもその話を聞いたけど、何回も話すってことはよっぽど腹に据えかねてるんだなあ」と言うので驚愕。全く覚えていない。
私は間違いなくアルツハイマーになると確信。って話もずーっとし続けていたのだろう。

面白かったのは松本ミヤコさんのお姉さんとNANIOさんが友人で、2人は松本さんが東京に出てきた十数年前に会っていて、今日檸檬屋で再会したこと。
松本さんのお姉さんの話が出るまで、お互い全く気付かず。
NANIOさんはその当時と随分変わっているらしく、のけぞる松本さん。

終電もなくなって、NANIOさんが私とW君と松本さんとFさんを車で送ってくれる。
NANIOさんも忙しくていろいろ大変なのに甘えてしまう私。
車中ずーっと「NANIOさん、なんでこんな大きくてかっこいい車乗ってんの?」と言ってたらしいがこれも全く覚えていない。

参加してくださった皆様、檸檬屋新宿の皆様、本当にありがとうございました。
ああ楽しかった!
2003年08月22日(金)

『ORB』

 映画監督高橋玄さんのお友達の俳優で阿佐ヶ谷の『ストロベリー・フィールズ』のマスター藤村忠生さんが出演している舞台『ORB』を見に本多劇場。
昨年の忘年会以来久しぶりに玄さんと会う。

以下ネタばれあり。

『ORB』は最近流行りのネット集団自殺を題材にしている。
ってこれは落ちなんだけど「そうかな?」と思ってその通り。何の意外性も無い。
月曜日から始まって日曜日まで、ながーい物語。「まだ火曜日か」という感じ。

衣装は悪くなかったけど、普通。

玄さんはこの後も打ち合わせとのことで、新宿まで小田急線。
『ORB』について、玄さんの日記について、進行中の映画や事業について。

 帰って日記。4時くらいまで。
2003年08月21日(木)

映画『エデンより彼方に』

 二日酔い。午後出勤。最後の月くらい真面目に働こうと思っていたのに全く駄目だ。

 夜になっても回復せず。ここは無理すべきところなのかわからないけど頑張って映画。
『英雄 HERO』を見ようと思ったが、有楽町マリオンで違う映画の列に並んでしまう。
気がついて駆けつけると満席。疲れきって日比谷に向かい『エデンより彼方へ』。
こちらは余裕。前に来た時は立見も売切れ状態だったのに。

つまらなかった。宣伝されているほどファッションも素敵じゃない。
まだゲイが治療が必要な病気とみなされていた時代に、夫がゲイだとわかって大ショックの奥様が庭師の黒人に恋してしまう。黒人の子供がプールに足をつけたらプールから人がいなくなっちゃうような時代。2人が話をしていただけで噂になる町。

以下ネタばれあり。

夫婦は離婚、黒人は町を離れる。「さようなら」、終り。
なーんじゃ、そりゃ。よえー。つまらーん。
がっかりして帰る。
2003年08月20日(水)

『ネプチューン』,『あんばらんす』,『味の助』

 3日ぐらい前から左眼がおかしい。上瞼が痙攣する。寝不足で疲れているからか?
会社の仕事はPC画面をジーっと見つめ続ける。それが原因か?でも今になって?

 私とW君とKさんは今月末でアルバイト契約が切れる。
月末は夏休みをとる人がいるから送別会はランチになる。
3人だと送る側の負担も大きいだろう。飲み会よりランチの方がこちらも気楽だ。
豊洲のステーキレストラン『VOLKS』で、という予定を「『ネプチューン』に行きたい」と駄々をこねた私。
豊洲駅から徒歩15分だから、お昼休みに行くのは無理かもしれないと思いつつ提案。

 『ネプチューン』は母の友人の店で、お魚が大変美味しい。
豊洲の会社にいるうちに一度皆で来たいと思っていた。
同じチームの6人で行くのかと思ったら総勢11人になった。
「気に入ったら、この先会社の皆で使って下さい」と次長のNさんにお願い。

ランチに来たのは初めて。混んでいた。「なんでこのお店知ってるの?」と皆に聞かれる。
それぞれメニューからまぐろ照り焼き丼、穴子丼、ネプチューン丼、ミックスグリル、ミックスフライ、海鮮スパゲティなど1品ずつ頼んで、お刺身盛り合わせ。
ご主人がウニをサービスして下さる。
「すげー!」と歓声が上がって、あとは「うまーい!」「美味しい!」「マジうまいよ、桜井さん!」の連呼。良かった良かった。

特に喜んでいたのはKさんで、ウニは苦手だったらしいが、皆が余りに喜んでいるので食べてみたら美味しかったと感激していた。

7月末で退職したYさんも参加する予定が、渋滞で皆が食べ終わっても現れず。
既に昼休みの時間は過ぎて、やはり失敗だったかと焦る私。
食事に間に合わないYさんのために皆の余ったご飯と刺身で海鮮丼を作るNさん。

Yさん到着。なんとバースデイケーキを調達してくれて、そこから私の誕生日会になる。
Yさんが歩きながらリボンを解こうとして、ケーキをひっくり返しそうになり、悲鳴。
Yさんが指をケーキに突っ込むも一部の損傷で済んで、お店が修復してカットしてくれる。

誕生日メッセージ入りのホールケーキは多分生涯初めてで、感激する。
しかも、社内『甘いものデータベース』を自認するOさんご推奨のアンリ・シャルパンティエの苺のケーキ。美味しい。

お腹一杯で苦しい。皆も「今日は晩御飯は食べられない」。

タクシーがなかなか来ない場所で、呼んでもらって会社に戻ったのは14時近く。
時給45分を引かれてしまう。企画に無理があったと反省。
まあ最後だし、美味しかったという事で許してもらおう。

 NANIOさんにチケット手配を依頼され、今日が引渡しの予定だった。
「お礼に奢るから」と言われていて、「ご馳走して」と衝動的におねだり。
昼がご馳走だったから、今日でなくても良かったのだが。

全くお腹は空いていないが、東京ドームシティ・ラクーアにあるKONISHIKIプロデュースのハワイアンとちゃんこと寿司の店『あんばらんす』。

ハワイ料理は初めてかもしれない。
ご馳走してもらって申し訳無いが、本当にアンバランスだった。
マグロのサラダなど頼んではいけなかった。ネプチューンとは比べ物にならない。

豚肉を葉っぱに包んで蒸す?料理はKONISHIKIサイズで、空腹で食べたとしても相当きつい。
NANIOさんは気に入っていたが。

海老とアボカドのサラダは、ボウルはでかいが小さな海老が3つ、薄いアボカド3切れしか入ってない。
「『あんばらんす』だからね」

 ワインを1本空けてタクシーで池袋に移動。日本酒の店『味の助』に入ってみる。
店の外にある看板は『久保田』を出していて、一般的なわかりやすい銘柄で人目を引こうとしているのか、或いは本当に『久保田』が売りなのか、前から気になっていた。

ご主人がよく喋る人で、手品まで披露してくれる。
私が日本酒好きだとわかると『酔鯨』の品評会出品酒(受賞酒だったかな)、『天法』、『天の戸純米大吟醸 白雲悠々』、『やっぱり満寿泉』などお薦めを出してくれる。

1時過ぎくらいか?
池袋のキャバクラ探訪に繰り出すNANIOさんをエリア入り口まで送って帰る。
食べ飲み過ぎ。ワンピースのまま寝る。
NANIOさん、ご馳走様でした。
2003年08月19日(火)

誕生日,『CAFE de CRIE』,『Jonathan's』

 誕生日のお祝いメール数件、大変嬉しい。
誕生日とは関係ないお誘いも数件舞い込む、どれも楽しみ。

 『真理さんへ』の共著者名原さんと打ち合わせ。
約束した19:00の数分前には新橋駅に着いて、時間通りにSL広場にいた。
携帯に電話をかけて、車を見つけ、19:05には走り始めていたのに
「携帯は留守電になってるし、来ないから静岡に帰ろうかと思った」
と言われてビックリする。

後でメッセージを聞くと18:56と18:58、「まだ来ないので、どうしたかと…」。
会ってからも「予定が狂った」とさかんに言っている。
地方から来る目上の人との待ち合わせにギリギリ到着は非常識だったか、と今更気付く。
名原さんの予定では知り合いの喫茶店で打ち合わせをして、ふぐ料理をご馳走してくれることになっていたらしいのだが、喫茶店は18:30閉店、ふぐ屋はお休み。
私は来ない、千葉の息子家族は旅行から夜遅く帰る、そんなんじゃあ静岡に帰ろう!と思ったとのこと。

とりあえず、『カフェ・ド・クリエ』でお菓子を食べて空腹を紛らせながら原稿読み合わせ。
量が多いので無駄な話をしている時間はない。話が横道に逸れるのを修正しながら進める。
「真理さん、いくつになったの?」
「教えません」
「37歳ぐらい?」
「教えません」
「男はそうでもないけど女性は年齢を気にするよね」
「人によるんじゃないですか。私は気にしたくないから教えない」
「あははは」
「さあ、やりますよ」

普段はメールだけのやり取りなので会えばいろいろな事を話したくなる。
原稿についてもじっくり検討したいが時間がない。
名原さんの話をさえぎってばかりで申し訳無いと思いつつ、急ぐ。

22:00、カフェ・ド・クリエ閉店。原稿はまだまだ終わらない。
遅くまで開いてる店は?と交番で聞いて『ジョナサン虎ノ門店』。

名原さんは車なので飲めないが、私はビールと冷麺。名原さんにご馳走になる。
誕生日にジョナサンは相当悲しいが、仕方がない。

そして、私の記述個所を巡って激論になる。
「こんなことを言われるんだったら、この文章全体を書く意味がなくなる」と名原さん。
「それは違います。私はそう思ったから書いたんです」
「『思った』じゃ駄目だ。事実を書いてくれ」
「宮崎学さんにも聞いてみました。『そうだろう』って言ってました」
「宮崎さん宮崎さん言わねえでもらいてえな」
「調べます」
「調べてそうだったら書いてもいいよ」
「調べてそうでなくても『私はそう思ったけど調べたらそうではなかった』って書きます」
「頑固だね」
「はい」
深夜のファミレスで大声で言い合う私たち。
結局名原さんが「わかった」と言って先に進むことになる。
しかしまだ半分も終わってない。

終電がなくなる。名原さんは車で送ってくれると言うが、午前中に静岡を出て東京をまわり、新橋→池袋→千葉って、かなり大変。
「あともう少しだから頑張ってやっちゃいましょう」と言っていたが1時を過ぎて、
二人とも朦朧としてくる。

2月24日に名原さんが上京した時も非常にハードで、名原さんは静岡に帰って体を壊した。
心配なので今日は諦めることにする。

家の前まで送ってもらって、静岡茶と干物とメッセージつきの可愛い花束を頂いて帰る。
かなり強烈で面白い誕生日だった。
名原さん、本当にありがとうございました!
2003年08月18日(月)

『いし山』

 NHK料金取り立ての訪問で目が覚める。
「見てません」と言ってるのにNHKは3度ベルを鳴らす。
「『大地の子』を見たでしょう!」とか言われるかと思って焦る。まさかね。小心者の私。

お昼には起きてしまい、家事いろいろ。

 母と東久留米のフレンチ『いし山』。
自ら電話して「お誕生日ディナーなんですけど何かサービスはありますか」と聞く。
「いえ、特にありません。でもワンドリンクサービスしますよ」とのこと。

夏季特別コースで、うなぎのゼリー寄せ、パンプキンスープ、季節野菜のサラダ、
牛フィレステーキ、デザート。美味しかった。
母は「これじゃ少ないんじゃないの」と食べる前に心配して、
魚を頼もうとしたらシェフに「コースで十分だと思いますよ」と言われる。
確かにお腹一杯。

中学の同級生Aちゃんの話、『サンダカン八番娼館』の山崎朋子について、22日のパーティーのことなど久し振りにいろいろ話す。母は割と元気な様子。

 帰って『真理さんへ』の原稿、3:00過ぎまで。
やっと3回目のチェックが終わって名原さんに送信。プリントアウトは明日にする。
2003年08月17日(日)

『真理さんへ』

昼過ぎまでたっぷり寝て日記、『真理さんへ』原稿のチェック。翌朝9時まで。
昨日も今日も雨で神宮の花火は中止かな。
2003年08月16日(土)

行き違い

私はお盆休みではないのでお墓参りには行けないが、大学時代の友人でスカパラのドラムだった青木君のお父さんと皆で食事をするから合流しましょうって話だった。

それならこのワンピースでなくちゃ、と思っていた服の裾がほつれて、繕い物をしていたら遅刻。会社に連絡してついでに図書館、ATMに寄ったら更に遅れてしまう。

給料日で一息つけるかと思っていたが、予想外の残高で衝撃を受ける。困った。

雨のお墓参りも大変なのでは、と思いつつ連絡を待つも電話が来ない。
お墓参りの後どこに流れるか決まっていないという話だった。
思いつくいろんな人に電話してみる。
スカパラの川上君は「どうした?俺今北海道。これからライヴだよ」。
あらら、それは頑張って。

20時を過ぎて諦めて帰る。夜、お詫びのメールが来る。そういうこともあるさ。

なんだか気が抜けて、clubasiaも行かず。誰からもメールは来なかったし。

NHK『大地の子』最終回を見て泣く。何回見ても泣ける。
2003年08月15日(金)

Aちゃん,緑さんのHP,映画『サンダカン八番娼館 望郷』

 朝8時過ぎに中学の同級生Aちゃんから電話。「起しちゃった?今日は休み?」「仕事」「ゴメンネ」って、休みでも8時に電話は勘弁してほしいが。
「サクにあとがきを書いてほしいの」
「え?私がAちゃんの自分史のあとがき書くの?」
「ほら、よくあるじゃん、最後に感想っていうか、そういうの」
「ああ、でもまだ原稿も読んでないからねえ。まあ書く方向で」
ってこれは仕事の依頼か?

 急に思いついて、友人だった緑さんのHPを発見。
『Midori Nishizawa works on web 2002』は私が作っていたものとは全然違い、
とてもスタイリッシュで感心する。
挨拶がないのは当然のことだし私も連絡しないが「良かったね」とお祝いしたくなる。

 新文芸坐で『サンダカン八番娼館 望郷』を見る。
私はサンダカンがどこにあるか知らなかった。
前に行ったボルネオ島のコタ・キナバルに近いところだった。
楽しかった旅行の記憶と史実の厳しさとのギャップで眉間に皺が寄る。
最後は涙涙。ハンカチを持っていなかったので大変だった。

田中絹代の出演作品を見たのは初めてかもしれない。
しかし私にとって印象深いのは水の江滝子。最初は誰だかわからなくて、背が高くてかっこいい、なんだかしゃべり方が三浦和義さんみたいだな、と思ったらターキーだった。
私は「女の60分」からしか知らないが、これが「男装の麗人」なわけね。
ロス疑惑当時は三浦さん水の江滝子隠し子説(実際は甥)があったけど、成る程似ている。

 今日も激しい雨。震えながら帰る。夏はどこへ行ったのやら。
2003年08月14日(木)

映画『シティ・オブ・ゴッド』

 21:10からの上映時間まで会社で日記を書いて時間潰し。
初めてのヴァージンシネマズ六本木ヒルズで『シティ・オブ・ゴッド』を見る。

お腹がペコペコなのに売店にポップコーンとホットドッグとフライドチキンしかなくて意外&困惑。一番小さいポップコーンもケロリン洗面器一杯分ぐらいあって、しかも異常にしょっぱい。

 『シティ・オブ・ゴッド』は埃っぽくて血の臭いがしてきそうな映画。
冒頭、鳥が苦手な私には見ていられないショットが続く。激しく瞬きしながら頑張って見る。

前に、ブラジルのスラムで生活していた日本人女性に彼女自身が撮った映像を見せてもらったことがある。子供達の表情、空の青、家や生活の様子。明るくて、おしゃべりして踊って、お金がなくなったら適当に楽器を作って土産物マーケットで売ってまた踊る、みたいな。

映画はその雰囲気とはまるで違っていた。
あんな幼い子供が銃を撃ち合う時代、事件が本当にあったのかと驚く。

映画が完全に終わる前に立ち上がった人が、私の前を通る時に足元に置いたポップコーンの洗面器を蹴飛ばして、カスをぶちまる。結構な音がして、座席の段差が大きいから前の席の人にアラレとなって降る。飛び上がる前席の人たち。
映画のように銃弾が降り注ぐよりはいいやね。

雨の中びしょ濡れになって帰る。寒い。
2003年08月13日(水)

『U.F.O.CLUB』,宮崎学さん,『檸檬屋新宿』

 2日のAちゃん宅パーティーに来ていた男の子たちのライヴで東高円寺『U.F.O.CLUB』。
Hさんの『牛泥棒』、Nちゃんらの『ノブヲフォン』を見る。

『ノブヲフォン』の皆はパーティーの時とは違ってフリフリブラウスを着てGS風?
フォーリーブスの『ブルドッグ』など昔のロック歌謡曲のカバーをやっていた。

2組とも気になったのは何故かドラムを振り返って、客に背を向けがちなこと。
照れ?合わせるのに必死?と不思議だった。
「見ろ 俺の目を そらすな じっと見ろ」という歌詞なんだから、客をじっと見て歌って欲しい。
でもルックスもいいし、いい感じになる可能性はあると思った。

最後まで見たかったのだが、次の予定があって2曲聞いて失礼する。

 宮崎学さんとAさんと都内某所。
先日宮崎さん絡みのイベントを欠席してしまって
「スミマセンでした。『政治より女』のNANIOさんにならって、私も『政治より出会い』をとったんですが、何も特別な出会いはなかったです。トホホ」。
「それはいいけど、桜井は今何を書いてんだ?」
「魚屋のおっさんの裏自分史と現代イギリス陶芸本です」
「ちゃんと金になるのか?」
「全然わかりません」
という話から宮崎さんの次の著作の構想を話して下さる。面白そう!

 宮崎さんは帰られて、Aさんと檸檬屋新宿。先日のイベントの話、Aさんのタタカイの話、
私の日記について、某人物について。
店主の住枝さんは風邪気味らしく、私たちも早めに帰る。
2003年08月12日(火)

ミス,St.Ives本

 会社でやっと一つの仕事が終わって、次の作業をしていたら、終わった作業のデータを全て削除してしまったことに気付く。やり直しても1、2日のことだけどショック。

削除したデータを覚えているうちにやり直した方がいいのだが、今日は予定があって残業も出来ず。ああもう。

 なんてことをバタバタやって、自由が丘『ギャラリーSt.Ives』。
昨年9月に提案したSt.Ives本の作業に入る。やっと始まった、という感じ。

各種資料を見せてもらいながら店主のI氏の話を1時間ほど聞く。
お店の営業と各地での展示会の合間の作業になるのでこれから先も長くかかりそう。

自由が丘に来たからには『coccolo』に行かなくては?それとも渋谷『ミリバール』?
と迷うがお金もないので帰る。しけてんなあ。
2003年08月11日(月)

愛宕グリーンヒルズ,BAR潮見

 テープ起こしの仕事を終えて、ゼミ仲間のOちゃんと神谷町駅で待ち合わせ。10分遅刻。
愛宕グリーンヒルズ29階のG&Sさんのお家で東京湾大華火大会鑑賞パーティー。

> 家主2人は日本語ほとんどだめで、基本的には英語で会話が進むと思いますが、参加
> 者の多くはバイリンガルだそうです。

とのことで私はかなり無口でシャイな大和撫子になるかと思われたが、
日本人のおば様方が大勢いてビックリ。

私の母校の婦人会日本語クラブの方たちだそうで、浴衣ではなくきちんとした和服や華やかなカクテルドレスなどお召し。
「アメリカ人のパーティーは料理が…ってことがございますでしょう」と立派な手作り料理を持ち寄っていらっしゃる。
美味しく頂く。

婦人会日本語クラブの人がホストのGさんに日本語を教えているとかで、
「今度婦人会に是非いらして」と誘われて思わず「私は独身なので男性がいないと…」と言ってしまい、慌てて「すみませんすみません」。
「いえ、よろくてよ」とは言ってくれたものの気まずい雰囲気。

花火はリビングからでは音が聞こえないが、見事。
窓の右側には手を伸ばせば抱きつけそうな東京タワー。
書斎にはバルコニーがあって、こちらの角度から見ると煙が気になるが、花火の音が聞こえる。バルコニーにも人が大勢いた。

花火大会はラストが必見だが、トイレ待ちの間に終わってしまって残念。

婦人会の皆様は花火終了後サーッと帰って、私ももっといろんな人と話がしたかったのだが次の予定があるので帰る。

 高校からの友人の家『BAR潮見』。こちらでも花火鑑賞会〜未明まで飲み会があって神谷町から八丁堀に出てJR。何と潮見に止まらない電車に乗ってしまい引き返す。

K夫婦宅に着いたのは22時過ぎで、Kは飲み過ぎでダウンしているとか。
高校の友人らは明日が早いのでほとんど入れ違いに帰ってしまう。
Kのダーリン「プーさん」が宇都宮の餃子を焼いてくれて、頂く。

プーさんの実家は清水市のお魚屋さんで、花火には間に合わなくとも「BAR潮見」に行かなければならない理由の一つは、この実家から届くお魚にある。

他の人たちも24時前には帰って、プーさんが皆を送りに行っている間、Kちゃん(男性)とお話。プーさんが戻ったところで私も帰る。
遅ーく来て食べてすぐ帰るって、大変失礼をしたような気がするが。

 参加しなかった関東突破塾はどうだったのかな、と気になりつつも楽しい夜だった。
2003年08月10日(日)

母から電話,政治より花火

 母から「元気なの?仕事は6月末までじゃなかった?」と電話。
そう言えば話したのは5月11日、母の日以来だ。

 明日の電脳キツネ目組の関東突破塾と、東京湾大華火大会の約束が重なってしまってどうしようか迷っていた。講師は自由党参議院議員平野貞夫氏で、テーマは政局、永田町裏話みたいな感じらしい。

私の関心は「政治より花火」だけど、宮崎学さんから電話ももらっていたし
かなり悩んで、今回は参加を見送る。
宮崎さんにお詫びのメール。

あれ?これは「公式ページ以外のWEB上で自身の出席の有無、感想などを公表すること」
に含まれるのか?となると私は「取材」したことになるのか?まさかね。

 嵐に揺れるバルコニーの木々を見ながら、テープ起こしの仕事。
2003年08月09日(土)

やり繰り,朗読劇『天国の本屋3-恋火』

 いよいよお金に困ったぞ、と思ったら、あ、そうか会社のお金があるじゃない、と気付く。
経費を精算すればいいのね。わずか数万だけど。

 テープ起こしもやらなくちゃだが、会社(こちらはアルバイトをしている方)のFさんに誘われて銀座ヤマハホールに朗読劇『天国の本屋3-恋火』を見に行く。
堺雅人/宝生舞/志賀廣太郎 音楽:松谷卓って何の興味も無いがジャンケンで負けたので行くことになった。

招待券を頂いてこんなことを言っては申し訳ないが、全く期待していなかった。
宝生舞は風邪で具合悪そうだし、音楽重視だから会場がヤマハホールらしいのだが音が割れてるし、予想を上回るつまらなさで、寝る。

 20:30過ぎには終わって、どこにも寄らずに帰ってテープ起こし。
2003年08月08日(金)

玄さんの日記

 映画監督高橋玄さんのお友達で阿佐ヶ谷の『ストロベリーフィールズ』マスターで俳優の藤村忠生さんから、今度やるお芝居『ORB』の案内ハガキが来た。

玄さんは行くのかな?と思って電話してみる。
ここ2週間ほど玄さんのWEB日記が更新してなくて気になっていたけど
久しぶりにアップしてるし。

玄さんの日記は会員制で現在会員募集をしていないが、ものすごく面白くて毎日楽しみ。
普段は更新も早いし、読み応えある内容だし。

私の日記は滞りがちだけど待っている人とかいるのでしょうか?
いつも遅れてばかりでスミマセン。

 夜テープ起こしの仕事。土曜日までに終わらせる予定。
2003年08月07日(木)

誕生日イベント告知,映画『絞死刑』

お知らせです。
8月22日(金)19:30ぐらいからずっと檸檬屋新宿にて誕生日会やります。
お時間あります方はいらして下さい。飲みましょう。
会費は檸檬屋定価男性5,000円、女性4,000円、学生3,000円ですが、
大勢割引がありますので人数次第で3,000〜4,000円になると思われます。
お酒など持ち込み歓迎!
人数把握のため私宛メール下さい。下の「MAIL」からどうぞ。

そういうんじゃなくてクラブで盛り上がりたい、という方は
8月15日(金)渋谷エイジアへ行きましょう。
こちらもyuhi君割引があるので私宛メール下さい。

以下日記。

池袋駅地下道入り口が工事中のため信号待ちで遅刻。
ってこんなの理由にならんね。

宮崎学さんから電話。
気に掛けて頂いて嬉しいが申し訳ないような気もする。
でもちょっと面白かったので宮崎ファンのNANIOさんに報告。
宮崎さんもNANIOさんも、優しい。

新文芸坐で映画『絞死刑』を見る。大島渚監督1968年の作品。

死刑制度廃止について考えさせられる、社会派映画でありながら死刑の執行もお役所仕事で、責任の押し付け合いや辻褄合わせのドタバタが滑稽。笑ってしまう。
実際にあった小松川高校事件にヒントを得ていて、少年法や在日朝鮮人差別についても考えさせられる。

大島渚監督の昔の作品を見たのは多分初めて。
最近の作品と作風が全く違うので驚いた。他のもいろいろ見てみたい。
2003年08月06日(水)

ジュンコシマダ!,『CAFE de CRIE』,家事・仕事

 9:00広尾駅集合に5分遅刻。
7月23日のジュンコシマダへの抗議行動と入れ違いに解雇されたNさんの応援。
今回は出勤時間を狙ってビラ配り、抗議演説の後、社長に申し入れ書を手渡す。

Nさん自身のスピーチで、彼女の解雇予告や退職金の金額を知る。
Nさんがジュンコシマダに嫌がらせをされるきっかけとなった、
Nさんの同僚の不当解雇を巡る裁判はジュンコシマダ側が全面的に非を認め、
和解金を支払うことになったことも知る。

 終了後『カフェ・ド・クリエ』。Nさんが加入している東京管理職ユニオンの人ともお話。
本日夕方には団体交渉があるという。
Nさんにとっていいように話が進むことを期待しつつ私は会社へ。

夜Nさんに電話。私は急転直下の解決など想像していたのだが、甘かった。
となると次の手は?ジュンコシマダもとっとと解決した方が傷は浅くて済むと思うのだが。
グッチとか君島一郎のようなスキャンダラスな御家騒動や骨肉の争いならまだしも、
従業員イジメではいかにもださくてチープで頂けませんことよ。

 本日は家事に追われつつライター仕事も。
私の原稿を待っているであろうHの影に怯えながら。
2003年08月05日(火)

朝礼,シミ抜き

 2ヶ月ぶりに朝礼に間に合う。素晴らしい。しかし眠くてたまらない。

会社の人たちに江東花火大会に誘われるが、3,000発ぐらいだし
やらなければならない仕事、家事いっぱいで断って帰る。

まず洗濯、シミ抜き。
1日の送別会で白いブラウスにワイン、2日のパーティーで赤いスカートにマヨネーズ。
ネットで調べていろいろ試す。ワインはほぼわからないくらいまで落ちた。
マヨネーズが意外にしつこくて落ちなかった。
まあこれは赤で、よーく見るとあちこちシミだらけ。カジュアルなものなので気にしない。

掃除を少し。結局仕事の方まで手が回らない。
2003年08月04日(月)

『勝新太郎七回忌SP』見逃して『鬼哭啾啾−「楽園」に帰還した私の家族』読了

 Aちゃん宅で雑魚寝。汗だくになって何度も目を覚ます。8時過ぎに起きて帰る。
Aちゃんら数人はずっとお喋りしていたようだ。元気で感心する。

外はすっかり夏の日差し。暑くてヘトヘトだけど上池袋図書館。
注文しておいた2冊を受け取って歩きながら『鬼哭啾啾』に目を通したら止まらなくなる。

昨年11月2日の関西突破塾で直接聞いた話も書かれていて、辛さんの語り口が甦って引き込まれる。
帰って少し寝て、ご飯を食べながら読み続ける。

今日はいろいろやらなきゃいけない事山積みだったのに。

気が付くと夜。ああ!15:30からのテレビ朝日『勝新太郎七回忌SP』を見逃してしまった!
なんてこと!スケジュール帳にも書いて楽しみにしていたのに!
どなたかヴィデオ録画した方いらっしゃいませんか? 見たい見たい見たい見たい。
2003年08月03日(日)

Aちゃんホームパーティー

 二日酔い。昼に起きてご飯を食べてまた寝る。頭痛がひどくなる。
18:30から元檸檬屋従業員のAちゃんのホームパーティーがあるのだが無理かも、と思う。
19:00に起きて準備を始める。Aちゃん家着は21:00過ぎになりそうだが頑張って出掛ける。
電車を間違えて準急に乗ってしまい、一つ先の駅から戻る。

20人近い人が来ていて、檸檬屋従業員のSさんとは久し振り。
5月10日の井の頭公園のパーティーで会った人たちもいた。

料理が立派で驚く。きのこのマリネ、ミートボールトマト煮、カボチャのスープ、いわし南蛮漬け、野菜スティック、冷奴、コーンと豆入りご飯等、どれも美味しい。
二日酔いはすっかり治って、お酒も美味しい。
野球ボールのように大きくてまん丸のコロッケにはゲスト一人一人に合わせた旗が立っている。私の旗は矢沢永吉。
デザートはくるみケーキ、アップルパイ、ヨーグルトゼリー梅ソース。
全て手作りで一昨日から準備をしていたとか。すごい。

一軒家で部屋の雰囲気もとってもいい感じ。
Aちゃんたちがお題を考えたゲームなど、いろいろ工夫していて感心する。

気がつくと24:30を過ぎているがほとんどの人は残って、おしゃべりしたり、眠ったり、真っ暗な部屋で逆立ちし続けたり。
ヨガをやっている彼女は井の頭公園でも一人でずーっと倒立していた。
私は5:00過ぎまで起きていたような気がする。
2003年08月02日(土)

2000超,誕生月,『きゃら亭Dining』,『村さ来』,Fさん水晶婚

 7月の日記アクセスが2,000を超えた。このところの目標だったので嬉しい。
読者の皆様ありがとうございます。
今月は誕生月でもありますし、お祝いお待ちしております。ホホホ。

 最後の1ヶ月は遅刻をしないで会社に行こうと思ったが、駄目。
私の遅刻の印象を薄めてくれていたYさんは、今日でお終い。

上の人に「終業時に最後の挨拶をしろ」と言われて「やだよー。やめようよ、そういうの。早く帰りたい人もいるのに悪いじゃん」とか「じゃあ6時半にしよう。それなら残っている人にちょこっと手を休めてもらえばいいだけだから」等とごねているYさん。
結局6:30から、ということになって上の人が去る。
「今、ここでぐじゃぐじゃ言ってる方がよっぽど時間の無駄ですよ」と私。
「いや、(上の人)1人だからいいの。みんなには悪いでしょ」って全然わからん。
挨拶があるから、と義理堅い人を30分も残らせることになってるし。

 そんなYさんは「白いワンピースの似合う女の子が好き」とのことで、
私はVICTOR & ROLFの大きなリボン付シャツにFENDIのスカートで白の上下を着る。
京橋の『きゃら亭Dining』にて送別会。20人強。

北海道好きのYさんへの贈り物は、北海道の馬の写真集のような絵本。
それに皆が好き勝手にいたずら書きやメッセージを書き込んで渡すという、
絵本作家には大変失礼な行為。
私は気のきいた言葉が思い浮かばず悩んで、もう適当。
雪の中の馬の写真に「ああ〜あああああ〜あ〜ああ〜あああああ〜あ〜あ〜るるるる〜るるるるる〜父さん、僕は…」と、まるで意味なし。

 『村さ来』で2次会。よく覚えていない。東京駅まで歩いてJRで帰宅。

 同じチームの不思議さんことFさんは、今日が結婚記念日だということを昨日思い出して夫に呆れられたとの話。Yさんの送別会の予定を入れた時に「何で教えてくれなかったの」と逆ギレしたとかでみんなに「ひっどーい」と言われていた。
聞けば結婚15周年で、「それって何とか婚って名前もあるんじゃないですか?」と私。
「知らない。紙とか木じゃないの」とFさん。
調べると紙は1年、木(モッコン)は7年、銅が10年で15周年は水晶婚というらしい。
W君と二人で夫のご機嫌取り作戦を考える。
Fさんもその気になっていたが、2次会の最後までいて、大丈夫なのか?
2003年08月01日(金)

抱茎亭日乗 / エムサク

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