電脳突破党党大会,那覇「バオバブ」,新金一旅館 |
宮崎学氏が総裁の電脳突破党の、最初で最後かもしれない党大会。 重大発表あり?楽しいことがあるかもという。 時間には間に合ったが、始まりと同時に那覇から電話。 宮崎さんの話の最初を聞き逃してしまう。
会場は和室。宮崎さんから参院選立候補を決意したという報告を、正座して聞く。
昨年9月、康夫チャンが長野県知事に立候補した時期に、宮崎さんの講演会を企画した。 一昨年の講演会の講師は康夫チャンだった。 打ち合わせのとき「宮崎さんも京都知事とか?」と聞いたら「ないない」と言っていた。 立候補となればもちろん応援するが、気持ちの変化についてはぜひとも聞いておきたかった。
「私にはカミングアウトするべきことがあります」という話になったのでメモをとる。 「早稲田で学生運動をしていた時に2人の友人がいた。2人とも自殺した。 被差別部落出身者と帰化した在日朝鮮人で共産党の、それは非常に熱心な活動家だった。」
話が止まったので「?」と思って、メモから視線を宮崎さんに移すと宮崎さんは泣いていた。 「彼らに対する共産党の態度は『被差別部落出身だから、帰化した在日朝鮮人だから 死ぬほど頑張るのは当たり前』というものだった。 それを見たときに共産党を離れようと決めた。」
思い出すのが辛い話なのだろう、言葉が途切れる。 「彼らは『自分への評価ではなく一言”兄弟”と言って欲しかった』と……。」 差し出されたタオルで顔をぬぐいながら話は続く。 「私も彼らを『兄弟』と呼べなかった。自分はこうした屍の上に立っている。 生きているのが不思議なくらい過ちに過ちを重ねてきた人間ではあるが、 世間に恩返しをしたい。」
宮崎さんが日頃「損とわかっていてもやる、それが任侠だから」 と言う意味がわかったような気がする。 何故ここまで、と感じさせる宮崎さんの優しさは本物だと思った。私も涙。 私は出来る限りの事をする。男と別れたし、7月は宮崎学一筋、学ちゃん命!
と言いながら今日から沖縄センチメンタルジャーニー。 ビーチで宮崎学Tシャツ着て目立とうか。と言いながら慌ててパッキングし忘れる。不覚。
AN091便で那覇、22:30。浮島通りの新金一旅館、一泊¥3,130。 同じビル1階のアフリカンバー「バオバブ」、内装が凝っている。
22歳群馬県出身のマスターが考案したカクテル「黒豆」は、泡盛+コーヒー。美味しい。 「豆子」は泡盛+コーヒー+ミルクだそう。
隣に座っていた女の子は20歳石垣島出身。これから会うYさんの旦那さんの事を知っていた。 石垣島のお奨めの店など聞く。
部屋に戻って窓を閉めて扇風機を回して寝る。暑い。
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2001年06月30日(土)
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