ねんねん仔猫
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2004年10月31日(日) 焼津さかなセンター

今日は、久し振りに家族4人そろう日曜日。
2日ほど前から、風邪をひいていた私は、
どうしようか迷ったが、
焼津のさかなセンターに行った。

朝、11時に出て、12時半についた。
以前から話は聞いていたから、知っていたが
行ったことはなかった。

ココは、おさかな市場だ。
何軒もの、お店がある、魚市場だ。
まっ今は観光用になっていて、高いのかもしれない。
ここのお店のなかで、
おすしを食べさせてくれるお店があり、
そこがいいらしいことは聞いていた、

そこのお店のA握りを頼んだ。
大とろ、中とろ、赤身2切れ、ほたて、甘えび、カニの7カンだ。
うまい!!
もう中トロで十分だ。
大とろは、油が乗りすぎで、くどいぐらいだ。

食べ終わって、すこし買い物をし、帰った。
帰りは下道で、
御前崎を通って帰ってきた。
御前崎では、台風の影響か、ホテルが壊れていた。
ホテルに夢中になっているうちに、
灯台を見ずに通り過ぎてしまった・・・・

うん、みんな満足した寿司だった。


2004年10月30日(土) ついに来た。

彼女には、本当に虐められた・・・
自信をなくしていた私に追い討ちをかけるように・・・・
ともすれば、私の存在さえも、否定されるように・・・
だんだん、なれてきて、
次第に許せるようにもなった・・・・
だが、本質はやっぱり嫌い・・・

そして、根性の曲がっている私は、いつも思うんだ。
「いつか、天罰が下る。人間 プラスマイナス ゼロだ。
世の中そんなに甘くない。」
いろいろな言葉で、自分に納得させてきた。

そして、ついに来た。

だが、彼女は自分の失敗を
自分で尻拭いせず、誤りもせず、頼みもせず。

普通の行動、
私がそうだったら、やるべき行動は彼女には頭にないらしい・・・
私は、他の人に、
「こうすべきじゃない?」と言ったら、
やっぱり、「わたしもそう思う。」と答えがきた。

彼女には、責任感も常識もどうやら
普通のレベルよりかなり下らしい。

私は、確かに今まで、彼女のことを恨んでいた。
だけど、止めたよ。
あほらしい。
レベルの下の人間に腹を立てていても仕方ない。
本当に、今まで、2年以上の恨みも消えたよ。
普通の常識もないのだから、仕方のないことだ。
全部、水に流してやる。
あきれただけだ。

私はこうして、反面教師を1人作って、
娘にはそうなって欲しくないから、話をする。
娘は、普通の考えだった・・・・安心した・・・・
こういうことって、人に「こうしなくっちゃ。」って教えてもらわないと
分からないことなの???

彼女のお陰で、私は同じ過ちを繰り返すことの無い様に気をつける。
彼女は、きっと、「喉もと過ぎれば、熱さ忘れる」
そんなもんだ。


ああ、驕りだ。
私は、そう思う・・・・
気をつけなければ・・・・・
いい勉強をした。





2004年10月29日(金) 上手なケンカの仕方、仲直りの仕方 2

何怒ってるわけ?
また、機会があったら言うよ。
そんなの感じ悪いじゃないか。

後で話すよ・・・・

夜、10時すぎ
話をつけようと、部屋へ・・・
私は、ビール三本目。
お酒の力を借りようかと・・・

好きな音楽をかけ、部屋を暗くして・・ビール飲んで・・

そうこうしているうちに、下の娘が部屋へきて、
学校の文句を言って、自分の部屋へ帰っていく。
ここらで酔っ払っていたらしい私は、
いろんな事が原因で泣き出すんだ。
そして、言い難い、前の旦那の一件の話をして、
彼にそうなってもらいたくないこと、
子供にもなってほしくないことを話した。
そんな風に、前の旦那の嫌な部分が、子供ににていると
許せない自分がいる・・
こんな小さいことを気にしている自分が嫌になり、
また泣くんだ・・・・

旦那は、「カニのことでも育ってきた環境の違いなのかなって思っていた。
そんないきさつがあることは言ってくれないとわからん。」
とか言っていたが・・・・

こうして、酔っ払いの泣き上戸によって
曖昧に過ぎて、仲直りしたんだか、よく分からない状態だ。

もっと上手なケンカの仕方あると思うんだ。
というか、上手に伝える方法。
そしたらケンカにならないと思うんだけど。
まだまだだなぁ・・・
そして、上手な仲直りの仕方・・・・

思ったことを伝えることは大切だと思う。
それを伝えて、また聞いて。意見言って。
そうやって会話していかないと、夫婦ってずれてきちゃうと思うんだ。
怒れたことも上手に伝える・・・・
だれか、教えてくれないかな・・・


まっ、でもどうせケンカの内容がたいしたことじゃないんだけどね。
くだらない痴話ケンカなんだけど。
明日は、普通に喋れるかなぁ・・・・



2004年10月28日(木) ケンカの仕方、仲直りの仕方

およその夫婦、カップルでは仲直りの仕方はどうなんだろう。

たいしたことではないかも知れないが、ケンカした・・・

実は話は、新婚旅行として、
旦那の親の先祖の墓参りに、島根と広島へ行った。
その時に境港での昼食のことにさかのぼる。
境港で、美味しい刺身料理を出してくれる店に行った。
そこで、なんとか定食を頼んで、カニがついてきた。
細い足から食べ、最後は身のつまったツメのところ・・・と思っていたら、
旦那が私の分を何も言わずとったんだ。
怒ったね・・・・楽しみにしてたんだから・・・

そのまま冷たい戦争のまま、水木シゲルロードを歩き、
冷たい戦争のまま、皆生温泉についた。

なんで怒っているの?
楽しみにしてたカニ何も言わずにとったじゃん。もらってもいい?って聞くもんじゃない?
そんなことで??じゃ、コレあげるよ・・・とカニを差し出す。
いらん!!そういうことじゃない・・・

昔のヤツがそうだったのだ。
大皿でだすと、真ん中からとる、好きなものは、人のことお構いナシでとる。
子供のものでもとる。
子供に言うつもりで、ヤツにも聞こえるようにいっても分からない。
結局、大皿で出さずに、もう1人分ずつ分けることにしたんだ。

子供にも、例えば、大きなお皿であったら、そこにいる人数で割って、
自分はいくつ食べていいか考えなさい。
皆が一通り食べて、残っていたら、「コレ食べていい?」と聞いて食べるんだよ。
そう教えている。

そして、また、タコの刺身があって・・・
一切れだけだった・・・
なんで、分けないのか?
俺も一切れだし・・そういう事じゃない・・・

それに、またアイス買ってきて・・・
もう本当に甘いんだ。子供に。

可愛がってくれる。でももっと厳しくしてほしい。
血が繋がっていないと出来ないのか?
甘やかすだけでなく・・・
もう他のことでも、子供にあまあまなんだから・・・

なんか、無性に腹がたった・・・・
怒れて、口もきかないし、まず目を見ない・・・
怒れたはっきりした理由は自分でもわからない・・・・
暗くして、お風呂へはいった。
気持ちを鎮めるため・・・
あまりに長いお風呂だから、覗きにきた。
電気をつけて、「なんで怒ってる?」
「もう、電気消して、消してよ。」
バタンと閉めていった。
お風呂出てから、悪いと思って、
「お風呂入れば?」と言ったら、
新聞を私に投げつけていった。
また、今度は私が怒れた・・・

こうして、どっちかが折れる時に、相手が怒っている。
相手が折れる時にこっちが腹が立つ。
こうして長引くんだ。












2004年10月27日(水) 深くて長い川がある?

男と女の間には深くて長い川がある・・だっけ

旦那のお母さんは、色々なものを貰ったり、自分で作ったものを
いつも持ってきてくれる。
それをどうも、お父さんは反対するらしく、
また、ケンカになったらしい。

しいたけと柿を持って来てくれたのだが、
しいたけは私は、好きで、塩コショウで焼いて食べたし、
柿はそんなに好きでないが、私の母にあげた。
「Nちゃんは好きでないかも知れないじゃないか?もし嫌いでも断れないから
持っていくな!」と言われたらしく、お父さんを怒らせてしまったと
お母さんはメールしてきた。
実はお母さんとは、携帯メールをよくやり取りしているんだ。
私は好きだし、やっぱり血が繋がっていないから、
そうやって気をつかってくれると嬉しいんだけど・・・

お母さんに、「こう食べたよってお父さんの前で話すね。でも旦那様のご機嫌を
ずっととらないといけないのは、しんどいね。」などとメールした。
旦那の親に、自分の息子の嫁さんなのに、男の悪口?言うのは変だけど、
娘としてだったり、女として考えると、
夫婦は対等でありたい・・・どちらかが、言いたい事がいえないと言うのは、
上手くいかないのではないかと思うんだよね。
でも夫婦でも、絶対に対等でなくて、主従関係って微妙にでもあるような気がする。相手が聞かないからとか、言っても無駄だとか、今までの関係の中で
諦めてしまってきている・・・

言ったお父さん本人は、相手を傷つけていたと言う事はぜんぜん気づいてないんだよね。
言われた方は、「やっぱり嫌い」ビームを発するのに、
男は気付いていない・・・・鈍いんだ・・・
こうして、だんだん、心が離れていくような気がする・・・
そして、家族の中で疎外されていく・・・

うちの実家でもそうだもの・・・・
本当に仲のよい夫婦っていないんだよね。お手本にしたいような・・・
仲がいいだろうと思っていた夫婦が、
この3月、8月に2組も離婚してしまったし。

親の時は、時代的なものがあって、
やっぱり男は威張って自己中心的が多いのね。

お互い理解できないものがあるのかしら・・・・
それを埋めるものは、愛情なのかなぁ












2004年10月26日(火) 必要なもの

彼と出会って・・・・
自分に自信を無くしていた私に勇気を与えてくれた。
大人になって、出来ないこと、怖いこと、いっぱい出来て・・・
そんな私に「そのままでいい・・」
ずっと言い続けてくれた・・・
彼といると、昔の自分に戻れた・・・
はきはきとした、明るい、お馬鹿な私。
彼には、なんでも言えた・・・
汚い自分、嫌な自分、横着な自分、それも見せた・・・・
それも見せて、わかって、それでも好きでいてくださいみたいな・・・
いい奴なんかじゃない。それも認めてほしい・・・・

昔から知っている・・・

確かにそれは大きい・・・・

でも、そうじゃなく、
大人になって、お互い知らない間に色々な事があった。
それを経て、今の自分だ。
今までのこと、離婚もあったからこそ、
自分に大切なこと、必要なもの、がわかった。
それが無かったら、また、きっと同じ過ちを繰り返してしまうだろう。
自分にとって必要なものっていうのは、沢山ないんだ。
本当に大事なことって、数少ないんだ。
だから、許せることも沢山できたし、多くは望まない・・・・
人が、不満に思うことでも、
「これだけあれば十分じゃん。」といえるようになった。
そして、相手に対する思いやり
大変なこともあったけど、それなりに勉強したんだ・・・

「この人はオレが居たら幸せになれる、幸せにしようと思って
 結婚したのに、オレが幸せにしてもらっている」

「私は自分にだけで分かる予感、確信みたいなものがある。
私はいくらケンカしても彼を嫌いになることはない。
怒れることはあっても・・・
そして、彼についていけばいい。大丈夫。」
私は、彼の保護下に収まったようだ・・・・
彼はよきパートナーであり、兄であり、親であり、
恋人であり、親友であり、子供だ。
仕事のこと、子供のこと、友人のこと、親のこと、本当に隠しごとなく、
なんでも話が出来る
そして、いつもくだらないジョークばかり言って、
家中で笑っている。
周囲の反応はどうでもいい。
今は、もう多くを望んでいない。
十分に幸せだ。

こうして書くと、何も問題がなかったようだが、
家のこと、子供のこと、名前のこと、近所の事、学校のこと、
いっぱい、悩みもあったし、問題もあった。
ただ、ココまで来たのは、彼の一途な思い、努力、子供の協力、親の協力?
すべて、皆さんのお陰だ。
そうでなければ、こんなに早く一緒に暮らすことはできなかった。
やっぱり、みんなに感謝の思いしかない。

最初の半年ぐらいはケンカもしたけれど、
だんだん一緒の生活にもなれて、ケンカは少なくなった。
生活も決して、楽じゃない。
いろいろなことがある・・・・
だけど、大丈夫だ。

だって、これで上手くいかなくなったら、
同窓会いけなくなるもの・・・・




































2004年10月25日(月) 5つの誓い

12月は忙しかった・・

子供、私の両親、私たち、6人でお寿司屋へ行った。
予約をとり、2階の個室を取った。

彼がなんと言ったか、今は実は覚えていない。
ただ、「私と結婚したい」などとは言わなかった・・・
会うだけのつもりで、それは変だろうということになったから。

父からの質問に、ゆっくり考え、答える彼。
初めて子供にあった時のこと、仕事のこと・・・

彼がその日のことを覚えていることは、母の言葉で
「よく、自分の子でないのに、好きになってくれたね。」だった。

彼は緊張のあまり寿司が食べれず、娘の残したのだけを食べていて、
なんと、下の娘が「固い」と吐き出してあったトロを
疑問に思わず、食べてしまったこと。

父は、「ゆっくり考えて、一言、ひとこと話して、誠実な奴じゃないか。」

この言葉を、勝手にOKとみなし、父の反対を、知らない振りして、
卒業式に向けて間に合うように、年末には、式場を見に行き、
日にちを押さえてもらうのである。

そして、年末に、彼の両親にもはじめて会った。
彼のお父さんは、無口だと聞いていたのに、
何が、何が・・・・・
後で、「親父が、あんなに喋るなんて・・・」
とお母さんと供にビックリしていたらしい・・・

そして、年末、彼は、私の両親に挨拶にくる・・・・
ところが、私との話し合いがずれてて、日にちを間違えてて、
洋服も普段着のまま、いきなり、私に言わさせられるのだ。

「とても、大切に育てられてきたNちゃん(私のことを、中学時代から今も呼んで いる)を僕みたいなものが、現れてきて・・・・・」
(また、彼は泣けて言えなくなってしまった・・・)
 「ずっと、ずっと大切にします。」
 
し〜んとして、涙ぐむ母、・・・
「コイツは我儘で大変ですよ。」と父

こうして、2月29日(日)に
両方の親、両方の兄弟一家、私たちの16人で結婚式をあげた・・・・

29日の朝、双方の親から、
「おめでとう」という電話やメールをもらい、
この年になって、親から「おめでとう」と言われるなんて・・・
なんか、それも幸せで、2人で涙ぐんで・・・

2人で、その後、市役所へ、婚姻届を出しに行き・・・

人前結婚式で、署名は子供2人。
彼は、この日内緒で手紙を読む。
それを聞いて、泣き出す上の娘・・・・
私はほとんど、ニコニコしている・・・・
ほのぼのとした結婚式だった・・・・
人前での5つの誓い・・・
   浮気はしません。
   嘘や隠しごとはしません
   健康に気をつけて長生きします
   何でも話し合える夫婦になります
   2人の時間を大切にします。

そして、16人で食事に行って・・・

あとから、娘になぜ泣いたのか聞いたら
「今まで、ママにはいろいろ苦労させられたなぁと思ったら、
 泣けてきた・・・」だって・・・
おお〜いい、親子逆じゃ・・・・














2004年10月24日(日) たとえ運命でも・・・・

新潟で大きな地震があった・・・・
たまたま新潟だ。

ここ最近、全国いろいろな場所で地震があった・・・
三河の地震で、水、食料を用意した。
その後、震度2ぐらいのが、島根、北海道、和歌山、三重・・
あらゆる場所であるから、いつか、来そうな気がしていた。
この新潟だけじゃないかもしれない・・・・

テレビの安否情報をみて、
親や、親戚や、友人や、みんなが心配している。
沢山の名前をみて、思わず涙がでた。


最近、知り合いが亡くなった・・・・
突然だ。
まだ、まだ、母親が必要な年の子供を置いて、
亡くなるのは、さぞかし未練だったろう・・・・
7月にイトコも亡くなった。
なくなる病気でなく、手術室へ入って、でてきたら、意識がない。
本人も予定外だろう。
子供を残して、母親はどんな気持ちだろうか・・・
いや、気持ちも何もない・・・・
ただ、もし、有体離脱して、眺められるとしたら、
「なんで、私、死んだの?」そんな感じだろう。
 
ある日、突然にやってくるんだ。
いや、本当は、私は出会いも別れも、
生き、死にも決められていると思っている。
それは「運命」という言葉で・・・・

そのある日はわからない。
ただ、できることは、毎日を一生懸命に生きることだけだ。
生まれてきた以上、生まれてくるべくして生まれてきたはずだし、
何も、無駄なことはないはず。
今は、辛いことがあったとしても、失敗の人生はない。
みんな、頑張って生きた分だけ、大、大成功の人生のはずだ。

「幸せ病」と彼は言う。
幸せなときに、もし自分が死んだら・・・もし、●●が死んだら・・・
と考えると、怖くなっていくことを・・・・
死にたくない・・・・幸せだからこそ、そう思うんだ。
今、現在、私の知っている人、みんなが生きていて当たり前でいる。
誰、独り欠けて欲しくない・・・・


知り合いの死は、忘れかけてた、大事なことを思い出させてくれる。

















2004年10月23日(土) すんなりとは・・・

さて、親にどう言おうか・・・・
機会をねらっていた。
すっきりしたかった・・・・

とりあえず、母に言おう・・・
強敵だ・・・・
さりげなく・・・・

土曜日、昼間、行った。
ら、兄貴が来た。中止だ・・・・はぁ・・・
日曜日、

私 「今、●●と時々会ってる。
   子供も一緒にいろいろなところへ遊びに連れて行ってもらっている。
   同級生の●君のお父さんのお葬式で会って・・・etc・・
   年をとった時に、一緒にいたい。人生のパートナーとしていてほしい。」
母 「何となく、知ってた。
   この前、久し振りに会って、飲みに行ったって言ってたでしょ。」
私 「それで、●●の卒業式にちゃんと出たいって言っている。」
母 「・・・・・いいじゃない?私はいいと思うよ。昔から「イイコだ」って
   言ってたし・・・運命だったのかね・・お父さんに言っておくよ。」

はぁ・・・すっきりしたぁ・・・


ところが、父がOKを出さなかった・・・・
そんな、昔の知っている●ちゃんじゃなく、それぞれが変っているだろうし、
大体、早すぎる!離婚して、そんなに経っていないのに、世間じゃ、最初から
出来ていたと思うぞ。名前はどうする?家はどうする?あれやこれや・・・・

父がダメと言ったとたんに母もダメと言いだした。
もう、2年ぐらい待てと・・・・
2年じゃ遅いんだよ・・・・卒業式出れないよ・・・・

「イイコだから、とりあえず、会ってみてよ。ね、会うだけ会ってよ。」
こうして、12月最初に、6人で会うことになった・・・・






2004年10月22日(金) 旅行は悲惨なもの・・・

土曜日、仕事から帰り、富士山方面へ行く。

車に乗ったとたんに、2人の娘が、クッションをよこせだことの、
もっとあっち行けだことのケンカを始めた。

下の娘は、おネエには勝てない。
ふてくされてしまって一言も話さない。
挙句の果てに、せっかく行った、ダヤンの記念館も行かずに車の中で
待っているという。
彼も付き合って、待っていた・・・・
楽しかったのにねぇ・・・

そんなで彼はもう、ビビッってしまった・・・

宿へついて、機嫌は直ったものの、
食事の時には、大部屋で他の人も一緒だし、
部屋では、みんなゴロゴロしてそんな雰囲気になれないし・・・

次の日は、富士急で、「お遊びモード」になっているし・・・・
もう、話す機会はなくなってしまっていた。

今度は、帰りの車の中で私が機嫌が悪くなっていた・・・・
会社のみんなにも協力してもらい、
親にも嘘を言い、
話す機会を作ったのに・・・・
「意気地なし」知らない・・・・もう知らん。

晩御飯を食べても、もう私は話さない。ビールもいらない。
家に着いて、
「さ、『ありがとう』言いなさい。」と子供に言い、
「ありがとう、おやすみなさい。」と荷物を降ろし、サッサと車の扉をしめた。
彼は帰るしかなかった・・・・・

後で、帰りに家に寄ろうと思っていたみたいだけど・・・・

それから、2日間ほど、私は携帯も無視した・・・・
いざって時に頑張れないなんて・・・・考え直しが必要かと・・・
優しい・・だけど、男はふんばらないといけないときがあるじゃないか。

最初の頃のケンカの仲直りの仕方は、
私は時間をおく。
でないと、口から出る言葉は、トゲだらけだから・・・・
2日ぐらいして、連絡をとり、とトゲをすこし抜いて、冷静に話す。
私はこう、思っていたと・・・・
彼はこう、思っていたと・・・・

別に2人に大きな行き違いがあるわけじゃない。
結局、なぜか、彼が謝り、
「ふうん、わかった。」と私が許すんだけど・・・・(笑)

こうして、1回目は機会を逃したが、仕方なく、
子供にきちんと話す2回目の機会を作ることにした。

それは、彼の誕生日。
1年前、私がメールを出した日。
4人で焼肉を食べに行った。
その日、食べる前に、彼は、話し出した。
「実は、俺3人好きな人が居てママと●ちゃんと、●ちゃんで・・
オレはママとずっと、一緒に居たい。
●ちゃんも●ちゃんとも一緒にいたい。大切にしたい。
●ちゃんの卒業式に出たい。」

詳しい内容は忘れたけれど、
彼は、泣きながら話すんだ。
胸がいっぱいで、言葉がつまって言えなくなって・・
上の娘は、同じように涙ぐむし・・・・
し〜んとなって・・・

子供に許可を得た訳じゃない。
とりあえず、自分の気持ちを伝えたというところだ。

次は私の両親だ・・・・
手強いのだ・・・・私は親が怖いのだ・・・・












2004年10月21日(木) 両親へ

「両親に言う、とりあえず、付き合っていることだけ言う。
日曜にうちで晩御飯を食べたり、遊びに行くのに、
迎えに来てもらったりしているのに、いつ親とバッタリ会うかわからないから、
バッタリあって、「実は今付き合ってます」なんていうと、
印象が悪くなるから両親に言う」と言ったら、
「待ってくれ。まず、気持ちを子供達に一番に話したい。」と言う。
じゃ、話す機会を作ろうと言うことで、
会社のメンバーで旅行に行く日、
私達は、4人で他のところへ1泊で旅行に行くことにした。
当然、私の親には秘密で・・・・
念入りに、会社の人には、そこのお土産も買ってきてもらって、
両親に渡すという計画までたてて・・・・

彼は自分の両親には、旅行の前に伝えてあった・・・
「実は、俺3人好きな人がいる。・・実はコレコレコウデ・・・」
まだ、その時は、中学の同級生の私とは言っていない。
「いいじゃない。いっぺんに家族が出来て・・・もう子供はいらないね。
その2人の子で十分。大きくなるとなかなか一緒に旅行行ってくれなくなるから、
楽しんでおいで。」と・・・

よく、お母さんが許してくれたもんだ・・・・
いや、本心はわからない・・・・今もわからない・・・
「ずっと独身でいくかも」って心配していたから、ホッとしたのか、
「自分で決めたことだから」と諦めたのか、本心から喜んでくれたのか・・・
ただ、私が彼の両親に出来ることは、
「結婚できて、彼が幸せになった」姿をみせること・・・
最初納得してくれなくてても、いつかワカッテクレル・・・・と
彼のお父さんも、「お前が決めた事だから、いい。」と
本当にいい笑顔で喜んでくれたらしい・・・・
今は多分、彼の両親は心から喜んでくれていると思う。
今ならそういえる・・がその時は、そんな勇気はない。

そしてその後、その相手が、中学の同級生の私であることを言ったら、
お母さんは「納得してた」らしい・・・・
そりゃそうだ。
×1の(この言葉は好きでない、私は○1だと思っているので)
子供が2人もいる、どこのおばちゃんにつかまったかと思っていたが、
昔の彼女なら納得だよね・・・きっと・・・

だけど、この旅行で、またまたケンカなんだなぁ・・・




2004年10月20日(水) 突然のOK

そんな事があって、娘と口をきく気になれなかったり・・・
だけど、そんなこんなで時は過ぎていく。

私が娘に出来たのは、日ごろ彼が言っている事を伝えるだけ。
「●ちゃんは、本当にいい子だ。初めて会った時の笑顔を忘れない。
そのままでいい。」
彼が本当にいつも言っていたこと、彼女を褒めていたこと。
昔のこと、仕事のこと、自分の気持ち。
彼をわかってもらうしかないので、全部話した。いつも話した。

そうして、秋になって、独りの伯母が入院したりして、その姿をみて
1人で生きていくのは、ママが可哀相と思ったのかもしれない。

ある日、「ママ、結婚していいよ・・・」と言うんだ。
「えええ???」なんで突然・・・・
彼女の考えたことは今でもわからない。いつか聞かないと・・・

1つ山を越えた。
まだ、巨大な山が・・・・
それは、まだ、双方とも両親に何も話していないことだ。
私の親に限っては、今、こうして、4人で会っていることも知らない・・・
そこで、今度は私が落ち込んだ。
彼はいい。私もいい。子供もいい。
だけど、彼の親は反対だろう。
彼は、初婚だし、今ならまだ、若い子と結婚したら、自分の子供もできる。
私は、とりあえず、産めないから・・・・
そこから、「私なんて・・・」というケンカになるんだ。
それは結婚後もかなり、続き、克服するまでに時間がかかった・・・
それと、前でウンザリしているので、今は大変だけど、寂しいときもあるけれど、
気楽にやっている私が、再び忍耐の結婚生活に耐えれるだろうか・・・
自信がなかった・・・・

私は2人の相性をみてもらうことにした。
以前、離婚を決めるときも、みてもらった。
今回もそこへ連絡をしたら、高齢だったので亡くなってしまったとのこと、
ががぁあ〜ん。よく当たったのに・・・
そこで、友人に聞いて他へ行った。

「2人の相性は全然問題ないし、時期も問題ない。
今まで、悪い人が多くて、時期を待てと言ったり、言い方に苦労するけれど、
何も問題がない、来年、しなさい。時期を逃すと、結婚できなくなる。
彼は、あなたを尊重して、2人で協力しようとする人、大丈夫!」と。

子供との相性もみてもらって、「上の娘と相性がいいらしい。
下の娘は私がいいから、ちょうどいい。娘はわかってくれる」と。

彼に伝えると、
「下の娘の小学校の卒業式に、隠れて見守るんじゃなく、
ちゃんと、出たい。」と・・・・
そうだよな・・・
運動会は私の親に隠れてみて、お弁当は公園で食べたもんなぁ。
そこで、2人で話をする事もなく、目で合図して・・・・

彼の言葉で
すこしずつ、前へ進んでいく。















2004年10月19日(火) 日記に振り回される日々

ある日、上の娘に話した。
「ママは、しんちゃんと、ずっと一緒にいたい。
別に結婚するとかいうことでなく、いつかはするかもしれないけれど、
子供は大きくなって、いづれ離れていく。
年をとったときに一緒にいたい。」

「もっと、私が大人になってからにして!
大学とかに行って、家をでてからにして。」と言われた・・・


私は、とりあえず、今まで子供とたくさん、一緒にいた。
これからは、自分のために人生を過ごして行きたいと思っていた。
そのために、彼が必要だった。
別に結婚という形でなくてもいいから、一緒に笑ったり、怒ったり、
泣いたり、感動したりして、過ごしたいと思っていた。
子供のためだけに生きるのは嫌だった。
子供の犠牲になるのも嫌だった。(こんな言い方はいけないのかもしれないが)
落ち込んだ。

でも、それも彼にちゃんと伝えた。
でも、彼は、暢気だった。暢気にしてただけかもしれない。
本当は考え込んだかもしれない。
「でも、オレの気持ちは変らない。
それを伝えていくだけだ。それしかできない・・・」と。

後から娘の日記にはこう記してあった。
「なんで、今さら結婚なのか、母の気持ちがわからない。
せっかく離婚したんだから、1人で良いじゃない。
母の女を見せ付けられたようで、嫌だ。」と・・・・



2004年10月18日(月) 努力したけど・・・

海で会ってから、私は会える日には、4人で会うようにした。
山を歩きに行ったり、
娘の夜間歩行に一緒に応援に行ったり、
遊園地にいったり、
ご飯を食べにいったり・・・
つりにいったり・・・
買い物にいったり・・・

本当によく、遊びに行った。
彼は、いろいろ気遣いが出来る人で、
女心をつかむのが上手かった・・・?

話題のケーキを買ってきたり、
わざわざ、往復1時間かけて、有名なプリンを買ってきてくれたり・・・
こうして、私をはじめ、娘の心の中に侵入してきたのだ。
彼は、本当に努力してくれた。
今も努力してくれている。と思う。

家で娘達の面白い話や色々な出来事を全部教えてた。
また、彼がいった面白い話や、昔の彼の話も娘に話した。
仕事中の彼は、
「あ〜そっちに飛んで行きたいよ、楽しそうだなぁ・・」といつも言っていた。

こうして、少しずつ、娘との間をなくす努力を、
2人でしたんだ・・・

でも、世の中、甘くない・・・


2004年10月16日(土) 今、思うと不自然な登場だな

5月の連休のひ。
子供と自転車で太平洋まで行く事にした。
1時間ぐらいかかるだろうか??
日焼け対策をし、お弁当をもって、お菓子ももって・・・

ついてから、とても暑くて、天気はよくて・・・
そんな時に、
「ママの友達にアイスもってきてもらうか・・?」
いろいろな話のついでに言った。
「よ〜し、電話する!!」

ママの友達は当然、今の旦那さま・・・

上の娘は、昔、塾の帰りにコンビニで見た?ことがあり、
私と彼が立ち話をしたときに、「昔の交換日記してた人」と
話はしてあったし、
前の年に、18年振りに再会した事は知っているから・・・

彼は、彼でいつも私から娘の話は聞いていて、
いろいろな想像をしていたらしいから・・・

「ねね、今、海にいるんだけど、暑いからアイスもってきてよ・・」
「ええ??」
ココからは内緒話で・・・
「いい機会だから、上手に作ったから、アイスもっておいでよ。」
「ええ?まだ、心の準備できていないし、・・」
「そんなこというと、いつになるか分からないし、男なら覚悟きめておいで」
「不自然じゃない??」
「大丈夫だってば、じゃ、まってるで。」

今、こうして、書いていると、
なんと強引な、なんと不自然な・・・
無鉄砲な、会わせかたなんだろう・・・

「今から、ママの友達がアイスもってくるで。」

こうして、私に押し切られ、彼はアイスを持ってくるんだ。
心臓バクつかせながら・・・

アイスを持ってきた彼は、私の話のリードで、なんとか話しに加わり、
変な話をしたりして、4人の時間を過ごす。
今、思うとほんと、不自然な登場の仕方だわ。よく、来たわ。
私なら、よ〜行かないわ、こんな登場の仕方は・・・。

でも彼は、「会う機会を作ってくれてありがとう」と、
私に感謝しているから、
私の気持ちはあえて言わないけどね・・・・へへへ・・・



2004年10月14日(木) いま、 会いにゆきます

いま、 会いにゆきます。
 
この映画が始まる。

この映画は、本で初版で出たときに、
なんとなく、買って読んだ。
作者はちょうど、歳が同じ頃らしく、
中に書いてあることが時代が感じられた・・・
うん、うん、コレ知ってる・・・・ってかんじで。

中を読み、途中で泣けてしまった。
そして、旦那に「読んでみて」と貸した。
旦那も気にいったらしく、読んだあと、自分用にこの本を買った。
今、家には2冊、この本がある。

もっと読みたくなって、彼の本を探してほかのも全部よんだ。
でも、この本が1番いい。

映画はどんなかわからないが・・・・・
映画館にいくより、DVDが出たら借りよう。
だいたい、映画より本の方がいいもんなぁ・・・
思い出の本が映画になって嬉しいような、
人知れず、こっそり、私が好きだった方がよかったような・・・・






2004年10月13日(水) できねぇ

ある日、突然しゅうの画像をのせようと決めた。
デジカメで写真を撮った。
なんとか、パソコンに取り入れた。

そこからが問題だ。
画像を小さくできない・・・・
小さくないが、なんとかなった・・・・
タグを忘れた・・・・
まったく忘れた。
いや、それどころか、
ヤフーのジオシティーズのファイルマネージャーが開けない。
パスワードを忘れた。
新しく、取り直した。
ジオが新しくなって、古いのから移動しなくてはならない。
移動した・・・・頑張って・・・・

過去の画像も消えた・・・・
1つずつ、アドレス変更かぁ・・・・はぁぁあ・・・・

昨日の画像も出ない・・・・

なんとも、本当にやっていないと忘れるんだ・・・・
どれくらい、画像入れてなかったんだろう・・・・

まっ、じっくりやるとするか・・・・はぁぁああ
溜め息の出る、今日であった・・・


2004年10月12日(火) しゅうのほほぶくろ

およその猫、かわいいのがいる。
かなりいる。
猫でも、美猫とぶー猫がいて、
どうみても、しゅうはぶー猫だ。

「なんで、しゅう不細工なの??」としゅうの顔をこねくり回していると、
上の娘が行った。
「お母さん、このほほ袋だよ。」
「ええ?このほほ袋?そうかぁ・・・これのせいかぁ」
としゅうの、ブヨブヨした頬をつまんだ。
ほんとうにつまんだ。
びよよよ〜んと伸びた。
 
「お前はほほぶくろがあるなんて、ハムスターか!」と言ってつまんだ。

「これがなくなればいいのかぁ??」ほほ袋を後ろへ伸ばしてみた。
無理だ。
「ええ??こうかぁ??」
ほほ袋を横へ引っ張った。
無理だ。

ほほ袋のせいじゃないらしい。
しゅうが不細工なのは・・・・・

っていっても、うちではかわいいんだけどね。
 
しゅうの画像アップしようとしたら、ジオシテーズが変っていて、
できなぁ〜い。時間くださいませ。


2004年10月11日(月) 学園祭

台風だった9日、10日は上の娘の学校の学園祭だったはず・・・
で、実は9日は台風で中止になり、10日、11日になった。

娘は、クラスの女子15名で、
昔、ポンキッキでやっていた、女学生のラインダンスをやることした。
毎日、毎日、帰りに練習し、寝ぼすけが早く起きて、練習にいった。
10日は一般の人も入れて、色々な催しに参加できるし、
野外ステージで、踊りも見れる。
とりあえず、その踊りだけ見に行った。

11日は、一般は入れず、家族ならいいと言う事で、
オープニングに踊るというので、見に行った。
このオープニングは、オーディションで選ばれたチームしか出れない。
2時間ぐらいのオープニングは、
素晴らしいもので、マッスルミュージックあり、暗闇の中でのライトの劇?あり、
和太鼓あり、韓国の踊りあり、学年の合唱あり、
の素晴らしい、若さ溢れるものだった。

実はこの高校に対して、私は偏見を持っていた。
昔、私の頃のイメージは、あまり良くなくて、
遊んでいるコが多いみたいな感じで思っていた。
確かに今も科によっては、そのような子もいるのだろうけれど、
勉強はともかく、
学園祭で、楽しく、みんなでというパワーには、驚くものがあった。
娘の科の、勉強だけという、笑顔が少ない子達より、
はるかに、他の科の子達は
笑顔が素晴らしく、輝いていた。
それが、とても頼もしく、
「これから、しんどい事があっても忘れずに、頑張れ!
これだけ頑張れるんだから」という思いで見た。
素晴らしいパワーを貰ってきた。

すこしだけ、この高校の生徒見直したかな・・・・
でも、朝の自転車通学のマナーの悪さはなぁ・・・・

娘の?ダンス。
そりゃ、親馬鹿で、まっ、自分の子だけ見てたわい。
私に似て、か〜いいし・・・・・ケッ。
どうせ誰も褒めないから、自分たちで褒めあっている、可愛そうな家族だよ。
 









2004年10月10日(日) HERO

          Mr. Children - Hero

 

          例えば誰か一人の命と
         引き換えに世界を救えるとして
     僕は誰かが名乗り出るのを待っているだけの男だ

         愛すべきたくさんの人たちが
        僕を臆病者に変えてしまったんだ

         小さい頃に身振り手振りを
            真似てみせた
          憧れになろうだなんて
          大それた気持ちはない
          でもヒーローになりたい
          ただ一人 君にとっての
       つまずいたり 転んだりするようなら
          そっと手を差し伸べるよ

         駄目な映画を盛り上げるために
          簡単に命が捨てられていく
          違う 僕らが見ていたいのは
            希望に満ちた光だ

          僕の手を握る少し小さな手
        すっと胸の淀みを溶かしていくんだ

        人生をフルコースで深く味わうための
       幾つものスパイスが誰もに用意されていて
           時には苦かったり
         渋く思うこともあるだろう
       そして最後のデザートを笑って食べる
           君の側に僕は居たい

          残酷に過ぎる時間の中で
       きっと十分に僕も大人になったんだ
        悲しくはない 切なさもない
       ただこうして繰り返されてきたことが
       そうこうして繰り返していくことが
            嬉しい 愛しい

          ずっとヒーローでありたい
           ただ一人 君にとっての
           ちっとも謎めいてないし
            今更もう秘密はない
           でもヒーローになりたい
           ただ一人 君にとっての
        つまずいたり 転んだりするようなら
           そっと手を差し伸べるよ



この曲は”Mr.children” の”HERO”だ。
これは、2人の思い出の曲になっていて、
彼は、「この曲いいよ・・・聞いてみて」とCDをくれた。
私はミスチルは好きだったので、大喜び。
何回も何回も歌詞をよみ、音楽を聴き、私はわ〜わ〜泣いた。
この歌詞が彼の私への思いだったのだ。

こうして、2人のテーマ曲になったから、結婚式のアルバムに
コッソリ、内緒で歌詞を入れてもらうんだけどね。

今の彼はというと、転んで手を差し伸べておいて、またサッと手を引くか、
「重くておこせな〜い」とか言いそうなんだけど・・・
だって、以前転んだ時に、私を起すより、倒れたビールを先に起したんだから・・




2004年10月09日(土) かつての敵、味方になる!

1週間に、2回ぐらいのペースで会い、
メールか電話は毎日。
まだ、結婚は考えていないのだが・・・
彼はのんびりと構えていたらしいが・・・


彼に弁当をつくってあげたり・・・
仕事のない午後、
弁当を作って海へ行ったり、梅を見に行ったり、桜を見に行ったり、映画をみたり
初めて恋人らしい付き合い方をしていた・・・
いつも、2人でゲラゲラ笑っている・・・そんな2人で。

3月に彼の友人のN君に会った。これも、22年ぶり・・・
彼が友人に、「おれ、今、●●と付き合っている」
「そうか・・・そうきたか・・・」
やっと、彼は友人に打ち明け、
私のことを恨んでいただろう友人、N君が「会いたい」と言い、
私も怖いけど、「会いたい」と言い実現した。
「これから、どうしたいんだ?」
「うん、一緒にいたい。」
「結婚とか??」
「まだ、そこまで考えていないけれど、とりあえず。一緒に居れたらいいなって思 っている。」
 
3時間ぐらい3人で話して、私は先に帰った。
彼は「●●さん、変ったなぁ・・・あんなに性格良かったか??」と言ったらしい。全然変ってないんだけど・・・凄い性悪女だったみたいじゃんねぇ。

こうして、N君は私たち2人の良き相談?者になる。
N君とは私は、幼稚園から高校まで一緒で、また、親も友人同士で、
名前も一文字同じで、
学校での悪さがN君から、N君親へ。N君親から私の親へ・・・
話が漏れるから嫌だったんだい。
当然、N君には、親には私たちのことは秘密にしてもらった。
まだ、親に知れて壊されたくなかった・・


私の友人、Yちゃんに、私が言ったときも、
「運命だね。●●君なら安心だ。大丈夫!寂しがりやの●●ちゃんを任せられる」
昔を知る人は、納得をしてくれたのだ・・・・みんながみんな・・・・

こうして、5月、初めて、子供に会うことになる・・・
少しずつ、すこしずつ、コッソリ、こっそり、根回しをしていた。




2004年10月08日(金) ぎゃぁああ

昨夜、下の娘の塾に迎えに行ったときのこと・・・

送りに行った時には、ありませんでした。
迎えは、夜10時。
ぎゃぁああ〜
娘と2人でいっせいに叫びました。
それを過ぎて、またまたいっせいに「もぉうう」

しゅうそっくりのそれでした。

ほんとに猫はあかん。
もう、お外にでてはいけません。

うちに帰って、娘と2人、
「もう、あんたはお外に出てはいかんよ。」
しゅうを抱きしめました。


2004年10月07日(木) ゴロゴロ・・・・・

猫のおなかに
顔をうずめるのが
好きです・・・・

ゴロゴロ・・・・・
すぐに猫の喉を鳴らす音が聞こえる・・・

ふわふわの毛の中に、
顔をうずめて
ぎゅうと抱きしめる・・・

その猫の
ゴロゴロってすっごく安らぐんだよね。
はぁぁあぁぁあ・・・・って感じ。

猫ってすきだなぁ・・・・

なんてゆっくり思う間もなく、
ぎゃぁぁああと不愉快そうな声をあげる・・・・
または、サッと立ち上がる・・・

そんな冷たい・・・・
拾ってあげたのは、私だぞ!と、逃げた猫の後ろ姿に言う。
もう!!
私だって甘えたいんだよ・・・・


2004年10月06日(水) 18年ぶりの再会

メールを出したあとは、2年前の12月25日の日記にかいてある通り、
彼は、その日にメールを見て、
すぐに、自分の近況を書いて返事をくれました。

それから1ァ月は、パソコンのメールのやりとりをし、
また、携帯のメールでやりとりをし、
久し振りに「会いたいね」で、やっと、18年ぶりにあいました。

彼は全然、変っていなくて、
私も、昔のまま・・・・
ただ、お互いが、いや、私がしんどい事がたくさんあって、
人間的にまるくなったこと??
「また、会いたい」これが2人の気持ちで・・・・
好きとかいう気持ちの前に、楽しいからまた、会いたい・・・・

でも、彼に彼女がいたら、失礼だし・・・・

再会した、10日後に、私の誕生日を含めて、また、会いました。
その時に、「今、お付き合いしている人はいるのか?」と聞きました。
「いきなり、そういう話か?もっと後の話じゃない?」といわれました。
「いや、だって、お付き合いしている人がいたら、
たとえ友人でもこうして昔の彼女と2人で会っていたら、
気分悪いでしょ?いるなら、もう会わない」と私は言った。
「今はいない。半年ぐらい前に、知り合いに紹介されて、見合いして
すこし付き合っていたけれど、会社を止めると言ったら、断られた。」と・・・


後から聞くと、その後彼は、わずか、2,3日の間に
自分の気持ちを固めてしまったようだ。
「ずっと、一緒にいたい。私が歩く道を照らす、ランプになりたい。」と。
私はというと、楽しいから一緒にいたい・・・・
でも・・・・
私は1回の結婚で、もうウンザリしていた。
男にまた、尽くすのはもう嫌だと・・・・
結婚はしたくないと・・・・

こうして、結婚までの長い?いた、短い道のりが始まるのだ・・・・





2004年10月04日(月) トムとジェリー

うちの猫、しゅうはすぐに鳴く。
3匹の中で1番 泣き虫だ。

あほで馬鹿で、やんちゃで、ドジで・・・・
でも、可愛くて仕方ない。
つい、ギュギュと抱きしめてしまいたくなる。

抱きしめると、「にゃあぁあん」とか「「ぎゃぁあん」と鳴く。

そこで、私のブームとして、
トムとジェリーごっこをする。

 タタタタァー♪
♪タァタタタァー♪
 タタタタタタタタタァタタタァー

とトムとジャリーの前奏を歌う。
その時にしゅうをギュと抱きしめ鳴かせる。
そう、トムとジェリーのように。

ああ、でもこれはある程度の年代の人でないと、分からないかぁ。

こうやっていても、しゅうは、めっちゃ好きなんだけど。


2004年10月02日(土) 初めてのメール

離婚してからの、私は、
葬儀屋をすでに辞めて、病院へ勤め始めており、
また、その仕事も、初めて業界で慣れないし、
意地悪コちゃんがいて、徹底的にやられていた。
仕事をやめることも出来ず、
離婚後、生活も安定せず、
しっかりするまでは・・・・と思っていた。

彼は、以前連絡をしてくれたし、
落ち着いたら連絡をしようと思っていました。
彼の会社の前を通ると、看板が取り外され、
以前、子供の旗当番で、出勤途中のところを見かけたのに、
見かけなくなったし、ずっと心配をしていて、彼の誕生日を待って、
メールしました。
その日になってすぐに、1番に彼のもとに届くように。
夜、12時過ぎをまって送信し・・・
彼が、ずっと、パソコンをあけないかもしれなし、
メールが届く保障はどこにもない。
でも、取り合えず、
私の近況を伝えました。

2002年、12月25日のココの日記にその様子が書いてあります。
懐かしい気持ちで、読んだんだけど。


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