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藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2001年07月31日(火) 山田風太郎死す/『新・トンデモ超常現象56の真相』(皆神龍太郎・志水一夫・加門正一)ほか

 7月28日、山田風太郎死す。
 享年79歳。

 例えば、手塚治虫が存在していなかったなら、果たして石森章太郎や藤子不二雄や赤塚不二夫がマンガ家としてこの世に誕生していたかどうか、わからない。
 よしんばマンガ家になっていたとしても、さて、後世に影響を与え得るほどの文化を築き上げていたかどうか。
 今の若い世代、特に10代は、既に手塚治虫を知らない。
 知らないことを恥だとも思わない世代である。
 しかし、マンガに限らず、彼らが恩恵を受けている文化の殆どは、大なり小なり手塚治虫の影響を受けている。手塚治虫の功績は、そうした潜在化した文化を作り上げた点にあるといっていい。

 小説の世界において、そうした作家がいるかと言われれば、私は一も二もなく二人の作家の名を挙げる。
 大藪春彦と山田風太郎。
 この二人がいなければ、今のマンガ、アニメ、特撮、時代劇、刑事ドラマ、SF、その他もろもろのエンタテインメントは、ほぼ壊滅状態になっていたと言ってもいいのではないか。

 風太郎忍法帖。
 『甲賀忍法帖』、『伊賀忍法帖』、『柳生忍法帖』、『くの一忍法帖』、『魔界転生』……遺作、『柳生十兵衛死す』に至るまでの膨大かつ絢爛たる絵巻。
 昭和30〜40年代に大ブームを巻き起こしたその作品群は、無数の亜流を生み、更に亜流の亜流を生み、連鎖していった。
 今や風太郎忍法帖の影響がないエンタテインメントを探すことの方が難しいだろう。
 それは、単に忍者が出てくる、というだけのことではない。
 彼ら忍者が風太郎作品の中では常にフリークスであったこと、歴史の影に埋もれる存在であったこと、にもかかわらず、彼らが紛れもなく「生きて」いたこと。あらゆるエンタテインメントをエンタインメントたらしめる要素を風太郎忍法帖は持っていたのだ。

 直接的な影響は、マンガでは横山光輝『伊賀の影丸』や白土三平『忍者武芸帳』に顕著だろう。この二作が更に後世のマンガにどれだけ影響を与えたかを考えれば、間接的な影響は計り知れない。
 忍者ものはそのまま、SF作品にシフトする。石森章太郎『サイボーグ009』、平井和正・桑田次郎『デスハンター』、などに風太郎忍法帖を重ね合わせることは容易だ。
 山田風太郎は医科大出身であり、荒唐無稽なキャラクターにも一定の科学的根拠を持たせた。忍法帖シリーズがSFたりえた所以である。

 そして山田風太郎創造の名探偵、荊木歓喜。
 非合法の堕胎医にして、頭脳明晰なヨッパライ。
 彼の設定は、偉大な二つの亜流を後に生んだ。
 黒澤明の『酔いどれ天使』と、手塚治虫の『ブラック・ジャック』である。

 もう一つ、直接的な影響を与えたものを指摘しようか。
 かつて、宮崎駿が『シャーロック・ホームズ』をアニメ化しようとした時、初めコナン・ドイルの遺族の許可が得られなかった。そこで宮崎駿がとった手段は、ある小説を換骨奪胎してホームズ譚に取りこみ、似て非なるものにすることであった。
 取りこまれたのは山田風太郎の『妖異金瓶梅』。
 潘金蓮のキャラクターは、ハドソン夫人とモリアーティ教授に振り分けられ、応伯爵がホームズとなった。宮崎版のホームズがどこか冴えなくて、ハドソン夫人に頭が上がらないのは、彼が応伯爵だからである。

 ここで大切なことは、この「模倣者」たちが、自分が山田風太郎のマネをしたことに、全く無自覚かもしれないということである(堂々とパクったのは多分横山光輝だけだ)。
 手塚治虫に「ブラック・ジャックは荊木歓喜ですね?」と聞いても、きっと「いや、あれは私のオリジナルだ」と主張するだろう。しかし、手塚治虫が荊木歓喜を読んでいないはずはない。あるいは、黒澤明の『酔いどれ天使』を見ていないはずはないのだ。
 それらの記憶は手塚治虫の潜在意識に深く沈潜し、そして数十年を経て顕在化した。もはや作者は、自分が何に影響を受けたかも覚えてはいない。
 そして読者も、亜流作品を読むことで、知らず知らずのうちに風太郎のエッセンスに触れていく。
 山田風太郎は、そのようにして、風太郎作品を読んだことのない人間の心の中にも静かに存在しているのである。

 しかし、それだけ人々に浸透しているがゆえに、こうも言えるのである。
 金井美恵子曰く、「山田風太郎は誰でもが読んではいるのだろうが、実はまだ誰にも読まれていない小説家の一人なのだ」。
 我々は、自分の心の中に風太郎が常にいることを自覚していない。本当はそこまで自覚しなければ、山田風太郎の偉大さは理解できないのだ。だが、誰も自覚していないからこそ、山田風太郎は偉大であると断言することもできるのではないか。それが先ほども述べた、「潜在化した文化を作り上げた」という言葉の意味なのである。

 風太郎作品に駄作はない。
 風太郎作品の駄作は、他の全ての小説の傑作の遥か上に位置する。 
 風太郎作品を読まずして、エンタテインメントを語るなかれ。

 傲慢にすら見えるこれらの惹句が、いささかの誇張もないと受け入れられているのも、風太郎作品のみであろう。

 なのに各紙の新聞の死亡記事、小さ過ぎ。
 今年取ったばかりの第4回日本ミステリー文学大賞受賞に触れてたのは読売新聞だけ。朝日も西日本も殆ど囲み記事扱いだ。。
 だから新聞はバカなんだって。\(`0´)/キイッッ。
 怒りを抑えつつ、FCOMEDY「裏モノ会議室」に、訃報を書き込む。

 柳生十兵衛三部作、どこかの局が一年かけて連続ドラマにしないかなあ。

 もしまだ「山田風太郎って、そんなに面白いの?」と疑問に思われるかたは、『伊賀忍法帖』あたりから読み始めてはいかがでしょう(『魔界転生』もいいけど長いし)。純然たる孤高のヒーローもので、読了した後、主人公、笛吹城太郎と別れるのが淋しくなります。……これも『カムイ外伝』に影響与えてるなあ。
 真田広之主演で映画にもなってますが、最高の演技を披露してくれているのは、果心居士役の故・成田三樹夫です。
 DVDももうすぐ出まっせ。


 連日の猛暑。
 仕事に行くのはいいんだけどねえ、立ってるだけでダラダラ汗が吹き出て来るんだよねえ。なんでこんなに汗かいてなきゃならんかってくらい。
 なのに体重の方は停滞気味だ。入院までに75キロっつ―のは、やっぱり無理っぽいな。

 終日勤務の予定だったが、病院に行かねばならないので、仕事を代わってもらって早引け。
 今日は入院する西新の成人病センターではなく、ウチの近所の、かかりつけの医者のほうである。センターから預かってきた手紙を担当の医者に渡さねばならないのと、薬をもらうため。検査をするわけでもなし、たいした用事じゃないけど、それでも今日のうちにでも足を運んでおかないと、いい加減時間がなくなってしまう。
 出掛けに、しげが「早く帰ってねえ」と甘えた声を出す。
 まあ、しばらく優しく相手をしてやらなかったこともあり、できるだけ用事を早めにすまして帰ってやろう、と自転車を飛ばしていったのだが、ちょうど昼休み。
 仕方なく、近所の本屋で時間を潰そうとして出かけていったら、またほしい本を見つけてしまった。

 ケイブンシャ『円谷英二特撮世界』。
 今更言うまでもないが、今年は円谷英二生誕100年である。
 関連本も腐るほど出版されていて、とても全部買うことはできないが、スチール写真のみならずスナップが多いのと、解説にリキが入っているのが見て取れたので購入。
 ひととおり円谷作品を見ていくと、確かに怪獣映画に関しては一本も見逃しがないのだが、初期作品や、コメディ、戦争ものについてはまだ未見のものが多い。
 名高き『ハワイ・マレー沖海戦』を見ていないというのは「円谷ファンを名乗るな」と言われてもしかたがないだろう。
 でも、戦争ものって、岡本喜八作品などの一部を除いてお涙頂戴が多くて好きになれなかったしなあ。
 『白夫人の妖恋』も三木のり平版『孫悟空』もまだ見てない。東宝、いい加減出し渋りしてないでDVD化しろよ。
 宝田明インタビュー、佐原健二・水野久美対談が提灯記事的なのはしかたがないが(水野久美が『マタンゴ』で食ってたキノコは実はピンクに塗った餅で、本当に美味しかったそうだ)、全体的に特撮の成功・失敗についてバランスよく書かれていて、良心的な作りである。

 時間つぶしをしているうちに、病院の昼休みも終わり。
 診察(っても手紙渡すだけ)も5分で終わる。
 でも報告だけで800円取られるっちゅーのはちょっとボッてないか。

 病院の外に、一歩出た途端、突然稲妻が走り、豪雨が降り出す。
 ……ウソみたいだが本当だ。
 慌ててそばの喫茶店に入りこみ、やや遅い昼食。
 サービス定食がサイコロステーキだったので、迷わず注文。朝飯食ってなかったし、これくらいで体脂肪が増えることもなかろう。
 30分ほどしたら、雨はキレイに上がっていた。
 見事なくらい、夕立らしい夕立。こんなのって、滅多にないんじゃないか。
 今年は梅雨も梅雨らしかったし、猛暑も猛暑だし、絵に描いたような「日本の夏」である。
 んじゃ、今年はあと、秋は「枯葉散る秋」で冬は「雪の降る冬」になるのだろうか。


 皆神龍太郎・志水一夫・加門正一『新・トンデモ超常現象56の真相』読む。
 昔からオカルトの類は好きで、その手の番組も一時期食い入るように見ていたものだったが、最近はとんとご無沙汰である。
 それでもたまに『USOジャパン』とか『アンビリーバボー』とか見たりするのだが、しげが気味悪がってすぐチャンネル変えさせるもので、なかなかマトモには見られないのである。
 基本的に心霊現象も超能力もUFOもUMAも、「ホントかウソか」なんて杓子定規な見方をするのは好きではないので、「へ―、そうなの」と、漠然と見るのが好きなのだが、世間はどうしてもクロかシロかはっきりさせないと気がすまない人が多いのだね。
 いや、と学会の人たちではなく、ビリーバーの方々の方である。

 いつぞやの「ネッシーは私たちのイタズラでした」の暴露があったときも、私は別に動揺なんかしなかった。
 最も有名なあの「カマクビ」を上げた写真、なにかの特番で波の形状から数十センチしかないということは指摘されていたし、あんなプランクトンくらいしかいないような湖にプレシオザウルスが住めるわきゃない、ということは科学者の一致した意見だったのである。
 そんなことは知ってても、やっぱり「ネッシーがいたら面白いね」とみんなは楽しんでるものだと、つまりはエイプリルフールを喜ぶのと同じ感覚でいるのだと思っていたのだ。
 でも、あの暴露記事が出た時、私の周囲で「夢が壊れた」なんて言ってたやつが結構いたのだ。……マジで信じてたわけ? ネッシー。そりゃ、ホントに「夢」見てたんだって。

 更にアイタタ、と思ったのは、その直後に放映され始めたアニメ『モジャ公』。最初の数話、藤子・F・不二雄さん本人がシナリオを担当されていたのだが、モジャ公や空夫たちが、「モケーレ・ムベンベ」を探しに行く、という話があったのね。これ、この事件以前だったら、絶対に「ネッシー」を探しに行く話になってたはず。
 いくらネッシーのインチキがバレたからって、モケーレ・ムベンベだって相当インチキくさいじゃんか、なんでそんな姑息な手を藤子さんともあろう人が使うのか、堂々と「それでもネッシーはいる!」と主張することがなぜできないのか、夢を守るってそういうことだろう、と、ガックリきちゃったのだ。
 で、これが藤子さんのアニメの遺作になっちゃうし(T_T)。 

 で、今回、「モケーレ・ムベンベ」もこの本でデマと知りました。
 水深2メートルしかない沼に恐竜が住めるかい(-_-;)。
 あの藤子さんですら、晩年はボケちゃってたんだなあ。
 無常。

 でもマリー・セレスト号事件や、クロワゼットの超能力は、結構信じてたんだがなあ。でも、元々の知らされてたデータにウソが混じってたら、勘違いもするよなあ。
 あ、ユリ・ゲラーは信じてないよ。ルームランナー買う気に全くならなかったから。

 大学の友人で、「スプーンを曲げた!」と言ってたやつがいて、今、教師をやってるんだが、あいつ、生徒に「俺は昔スプーンを曲げたことがある!」とか吹聴してるのかなあ。多分偶然だと思うんだけど恥ずかしいよなあ。


2001年07月30日(月) 八女って全国的にどの程度有名なんだ?/『ロマンアルバム・太陽の王子ホルスの大冒険』ほか

 仕事の内容は明かせないが(明かしてもいいんだが、バカがまた騒ぐので秘匿)、今日は出張で八女市まで行かねばならない。

 ……で、「八女」ってどこにあるの?

 知人に八女出身の人がいたけど、さすがに本人に向かって「八女ってどこ?」とは聞けなかったなあ。
 いくら私が福岡地元民だからって、全ての土地に足を踏み入れているわけではない。知らないところは他にいくらでもあるのだ。
 第一、久留米と八女のどっちが北にあるのかもよく知らないのだよ。えっへん(威張れることか)。
 「八女」と言う名前からして、昔、八人の女が月見をしながら踊ったとか湖に身を投げたとか鬼退治をしたとかいう伝説があるのではないか。あるいはお茶の産地だけに「飲茶」(ヤムチャ)の「ヤム」が訛って「ヤメ」になったとか。『帰ってきたウルトラマン』に「ヤメタランス」という怪獣がいたが、あいつはここの出身であろう。
 ……テキトーに言ってるだけなので信じないように。

 でも八女は、一応、歴史的に古い町ではあるのだ。
 古代史を学ぶ者なら常識中の常識、『古事記』『日本書紀』中のハイライト、「磐井の反乱」の舞台がここなのである。北九州最大の古墳である岩戸山古墳がその磐井の墓と比定されている。
 八女出身の人たちは、たいてい「あの時(って、1500年前じゃん)、大和朝廷に勝ってりゃ、今ごろ日本の首都は八女だったのになあ」と、今でもマジで言ってるのだ。んなわけあるかい。
 なんだか九州人ってさあ、博多の人間も薩摩の人間もそうだけど、みんな「自分とこのほうが東京や京都より伝統がある」って思ってる鼻持ちならないヤツらばかりなのな。オノレを知らないのである。

 それはさておき。
 出張先のありかも知らず、まあ、列車に乗りゃあ、勝手に現地まで運んでってくれるんだしな、とタカを括って、フフンフンと鼻歌うたって出掛けたはいいのだがだが。
 列車の時刻表もしっかり確認しておいたのに、バスが渋滞に巻き込まれる。いつもは15分しかからない道のりが45分。
 博多駅に着いた時には、快速列車が5分前に出たばかりだった。
 これはマズイ、このままでは遅刻だと、慌てて時刻評を繰ると……。5分後に出る特急列車が、先発の快速を追い越して、久留米で停車する。そこから快速に乗り継げば、八女の「羽犬塚」駅まで、時間までに辿りつく。おお、これならバッチリ!
 ……なんだか時刻表トリックを実地で体験してるみたいだな。

 久留米駅で快速を待っていると、突然「くええええええっ!」とけたたましい声。何の鳴き声かと思ったら、駅の構内に孔雀の檻があるのだった。
 なんでこんなところに? と思って看板を見たら、近くに鳥類センターみたいな施設があるそうである。その昔、皇太子夫妻(今の天皇)が訪ねたこともある由緒正しいものだそうで、そのときも美智子妃殿下が駅に降り立った途端、孔雀が鳴いてお迎えしたそうである。
 孔雀ってそんなにしょっちゅう鳴いてるものなのか。普通、鳥が鳴くってのは求愛の合図か、オスどうしのケンカかなんかじゃないか、と思うんだが。
 あまりそういうのにお迎えしてもらっても、たいしてうれしかないような気がするぞ。

 快速にうまく乗りこめて、これでなんとか間に合うか……と思ったら、羽犬塚からタクシーを拾うとまた渋滞。
 タクシーの運ちゃん、「なんですか、この渋滞は。いつもなら10分で着くんですよ。八女でなにがあってるんですか?」
 「実は○○○○○○○○なんですよ」
 ……運ちゃんにはなんのことやらよくわからなかったようである。

 結局15分ほど遅刻してしまったのだが、なんとなんの支障もなかった。
 この渋滞のせいで、ほかの出張者もやたら遅刻しまくっていたからである。
 ……だったら特急に乗らなくてもよかったなあ。出張だからって、特急代は、当然、自腹なのである。

 現地で旧知のSさんと会う。
 と言っても、最後に会ったのが4年前なので、近況は全く知らない。
 Sさんはよしひと嬢と共通の知人でもあるのだが、よしひと嬢の知り合いの女性と結婚したとのウワサがあった。
 そのあたりのことを聞いてみてもよかったのだが、聞かなきゃならんということでもなかったので、会話は当り障りのないものになる。
 もう少しワイドショー的好奇心が私にあれば、他人のヒミツもいろいろと探り出せるのだろうが、どうもそういう方面への意欲が湧かないのである。
 「よしひとさんのこと、覚えてますか?」
 「うん、今なにしとうかね?」
 「ウチの劇団で女優やってますよ」
 「あ、福岡に来てるの?」
 「いや、北九州から通ってるんです」
 Sさん、眼を丸くしていたが、まあそりゃ当然だろうなあ。

 つまんない出張に終わるかと思ったら、意外に楽しかった。ホントに内容を詳述できたらいいんだがなあ。内輪のことを暴露されちゃ困るというのは、それだけ脛に傷を持ってるって証拠じゃないか。と愚痴っても仕方ないな。
 退職したら、今の職場がどれだけくだらないことをしまくってたか、実名入りで暴露してやろうっと。

 八女と言えばお茶である。
 土産にお茶でも買おうかと思ったが、博多でも手に入る八女茶を買って帰るってのもアホらしいので、土産はナシ。
 

 博多駅で紀伊國屋書店に寄る。
 最近、結構本を買いこんでいて、しかもあまり読み切れていないので、ほんの冷やかしのつもりだったのだ。
 でも、こういうときに限って、「これは!」ってものを見つけちゃうんだよねえ。
 なんと、そこで。
 とうの昔に絶版になっていた『ロマンアルバム・太陽の王子ホルスの大冒険』の復刻を発見!
 マジで幻かと思っちゃったもんねえ。昔、買おうかどうしようか迷って、結局グズグズしてるうちに手に入らなくなって、臍を噛んでたのに。
 もう、速攻で買っちゃいましたよ。内容は昔、舐めるように読んでいたので、今更、新発見もあるはずはないのだけれど、やはり数々のイメージボードに見られる宮崎駿の早熟ぶりに目を見張らされてしまうのである。
 もりやすじの描く「善と悪とに引き裂かれる迷いと憂いの漂うヒルダ」ももちろん最高なのだけれど、このイメージボード通りの「男の子のように気丈なヒルダ」(もちろんこのイメージは、後の『どうぶつ宝島』のキャッシーに受け継がれる)もいいなあ。
 佐藤忠男がヒルダについて「描写不足」と批評したのは眼が曇ってるとしか思えない(だいたいこいつは『七人の侍』ですら「再軍備映画」とトンチンカンな批評をしたアホなのである)。
 宮崎監督に次回作が有り得るかどうか分らない今、おそらくこれが最後の復刻である。アニメファンなら、ぜひ買うべし。


 マンガ、臼井儀人『クレヨンしんちゃん シロ編/幼稚園編』。
 ああっ! 『オトナ帝国の逆襲』で、みさえがしんちゃんにネギあげるネタ、元ネタが原作自体にあったんだ!
 しんちゃんがシロに最初に与えたエサがネギだったのである。
 というか、これ、ちゃんと読んでたよ、私。
 このあいだの『チビ太の金庫破り』の件といい、ホントに記憶力が減退しているのだなあ。
 いずれ人間ボケるということを考えると、ココロの問題でヒトが悩むこと自体、無意味だよなあ、という気になる。


 マンガ、加藤元浩『Q.E.D.証明終了』10巻。
 シリーズ初の長編『魔女の手の中に』、なんと「法廷ミステリ」である。
 ミステリマンガは数あれど、「法廷ミステリ」に挑戦したものはなかなか見当たらない。
 やはり法廷での丁丁発止をマンガとして描くだけの紙数をなかなか与えてもらえないだろうこと、それに、絵にした時にあまりインパクトがあるとは思えない法廷でのやりとりをいかに魅力的に演出するか、よっぽど力量がないとどうしてもダレてしまうこと、その辺に理由があるのではないか。
 『コナン』も『金田一少年』も逃げていたその「法廷ミステリ」に『Q.E.D.』は挑んだのである。それだけでも作者の「志」を評価したい。
 前にも書いたがこの作者、決してマンガがうまいわけではない。特に口の表現が単調なせいで、表情のバリエーションを利かせられない欠点がある。しかしそれを補うだけの構成力がこの作者にはあるのだ。
 舞台はアメリカ、マサチューセッツ、セーラムの町。
 事件の被害者は陰で密輸を行っていた大富豪、被告は自己啓発セミナーに通っていた富豪の妻。
 被告に同情的な世論は、この事件をセーラムの魔女伝説に因んで、現代の「魔女裁判」であると見なす。
 主人公の燈馬は、ふとしたことからこの事件の検察官、アニーと知り合い、事件の真相解明に協力することになるが……。
 この「魔女」の伝説その他の伏線が、ラストに効果的に収斂していく様は見事だ。やはり法廷ものともなれば、これくらいの分量がないとうまく展開できないのだな。
 

 木原敏江『マンガ日本の古典28 雨月物語』。
 『摩利と新吾』も『アンジェリク』も読んだことはないが、名のみ高いので相当な実力者だと思っていたのだ、木原敏江。
 全然。
 ドジ様ファンには申し訳ないが、キャラクターデザイン、構成、構図、いずれもとりたてて誉めるほどのものではない。古典をムリヤリ少女マンガに引き写した気持ち悪さが全編に漂っていて、どうにも読んでて背筋がムズムズとするのだ。
 ……そうだなあ、ヅカの演じる新撰組とか、ああいう感じ? ヅカファン以外には楽しめないんじゃないか?
 マンガ化されてるのは『菊花の約』『浅茅が宿』『吉備津の釜』『蛇性の婬』の四作だけど、この選択自体に、読者を女性に絞っていることがアリアリと見える。
 男の漫画家だったら、『白峯』を外すことは絶対しないけどな。 


 マンガ、和田慎二『ピグマリオ』2巻。
 第1部の終わり、打ち切られただけあって、もう展開がバタバタだなあ。
 それまでせっかく育ててきたキャラが全部死ぬってのは、まるで火浦功。
 まあ、第2部以降が仕切り直しの本編ってことなんだろうから、この程度の欠点に目くじら立てるのも悪いかな。
 後書きで和田慎二、「水晶の姫オリエにはモデルがいます」と言っているが、その名前を明かしていないのは、現在の彼女がかつての「CM美少女」のイメージからかけ離れてしまったせいかな? 説教臭いおばはんになっちゃったもんなあ、ヒロコ・グレース。
 ……すまんね、私もムカシはいいなと思ってたよ(-_-;)。


 DVD『ウルトラQ』第3巻。
 『クモ男爵』。どの作品もモノクロで作られたことが実にいい効果を出していると思えるのだが、本作はその白眉だろう。ラストの館崩壊も唐突だけど、これは不条理劇だからいいのだ。ゲストの若林映子さん、美しいなあ。
 『地底超特急西へ』。声優度高し。石川進、大塚周夫、和久井節緒はナマ出演。更に乗務員役で脚本の金城哲夫がチョイ役出演。こういうこと、ちゃんとパンフに書いておけよな。M1号は後に江口寿史の『なんとかなるでショ!!』にも出演(^^)。パロディにされまくったキャラだよなあ。しかし、子供のころ見たときも思ったけど、結局イタチは助かったのかよ? この作品が実質的な最終回ってのもなんだかなあ。
 『バルンガ』。私の『ウルトラQ』ベストワンである。なんたって青野平義の奈良丸博士の演技が絶品である。「おそらくムダだろう」「科学者は気休めは言えんのだよ」。ここまで冷徹なヒトコトを無表情で言い切る。凄い。平田昭彦以上だ。個人的な私の特撮三大博士は、芹沢博士、ドクター・フーとこの奈良丸博士なのである。
 このシーンでの患者の家族役で二代目マスオさんの増岡弘さんがアテレコ出演。これももちろんクレジットにはなし。マニアでちゃんとしたキャスト表を作らんかなあ。
 『鳥を見た』
 ラルゲユウスは、昔の怪獣図鑑ではなぜか「ラルゲリュース」「ラルギュース」とか、表記がマチマチだった。セリフではっきり一の谷博士が「ラルゲユウス」と言っている。なのになんでデータがいい加減だったのかなあ。
 更に言えば「ラルゲユウス」ってどんな意味? 巨大鳥?


2001年07月29日(日) いっじわっるはっ、たっのしっいなっ/『竜が滅ぶ日』(長谷川裕一)ほか

 黒澤明監督の映画化されずに終わったシナリオ(って山ほどあるんだけど)、『海は見ていた』(原作は山本周五郎『つゆのひぬま』『なんの花か薫る』)、一時期は小泉尭史監督が『雨あがる』に続いて映画化するとか、黒澤久雄が監督するとかウワサが飛んでいたけれど、結局、熊井啓が、「黒澤組のスタッフ・キャストを一切使わない」「脚本を改訂しても構わない」という条件で黒澤久雄と合意したらしい。
 (ニュースとしては先週記者会見があったらしいけど、知ったのが遅れたので今日の分に書く。)
 確かにねえ、清水美砂、遠野凪子、永瀬正敏、吉岡秀隆ってのは従来の黒澤組から考えると「異色」には違いない。どう映画化したって、誉めるにせよ貶すにせよ、「黒澤が映画化してたら」という冠詞がつくことを考えたら、いっそのこと全くの白紙から映画化しようとした熊井監督の気持ちも分らないではないのだ。
 でも熊井監督だから仕方ないと言えば仕方ないのかも知れないけど、いくらなんでもキャスティングが地味過ぎないか?
 日本の役者層が薄いってことは解りはするんだけれどもね、でも、知名度云々以前に、この人たち、そんなに演技力あるのか?
 清水美砂は『未来の思い出』しか記憶にないから(チョイ役で見たことならあるけど)何とも言えないが、男優陣、永瀬も吉岡もなぜこうも重宝されてるか分らないのだよなあ。永瀬はカッコつけてるだけだし、吉岡は私にゃ押井守が演技してるようにしか見えない。演技力以前に「華」がないとも言える。
 「黒澤明」映画である以前に「山本周五郎」映画でもあるのだよ。そのことを考えたらこのキャストは「心の華」(今作ったコトバ)にも欠けると思うのだがどんなもんだろうか。
 これで全てのキャストがそろったってわけでもなかろうから、脇役陣の発表に期待をしよう。


 福岡にも、いよいよ「マツモトキヨシ」がオープンするようである。
 そのCMがテレビで流れ始めているのだが、いかにも「福岡進出!」というイメージを打ち出しているのが笑える。
 女の子をナンパしている若い男、「君、博多生まれだって? 訛りないね」
 女の子、気取って「ずっと東京にいたから……」
 「今度博多にマツモトキヨシができるって知ってる?」
 「え? ちかっぱ、ビックリ!」
 思わず引く男の子を見て、女の子「超ビックリ……」と言い直す。

 他地方の人にはいささか解説が必要か。
 「ちかっぱ」は「力一杯」の省略形。確かに「とても」「非常に」の意味を表す副詞として福岡で使われてはいるが、まあ使ってるのは10代、20代の、しかも多少ガキっぽい連中で、男の子は使っていても、女の子はあまり使わない……と思う。ちょっと前までは「バリ」を使って「バリうま=とても美味しい」とか「バリしけ=たいそう白ける」とか言ってる場合の方が多かった。
 でも30代、40代は全くと言っていいほど使わないから、これは博多弁と言うよりは福岡の「若者語」と考えた方が妥当だろう。「バリ」が消えつつある今、「ちかっぱ」もどこまで生き残るものやら。

 もともとの博多弁でこういう程度を表す副詞はなにかと言われると、「えらく」「えらか」が思いつく(「えらくきつか=とても苦しい」とか「えらか雨やね=ひどい雨だね」とかいった使い方)のだが、「ちかっぱ」ほどに強くはない。「ちかっぱむかつく」なんて若い人は平気で使ってるけど、私なんかは全然こんな言い方はしない、というよりはできない。だって「ムカツク」こと自体殆どないんだもの。
 別にこれは私が人間がデキているわけではなくて、純粋な博多弁でいうなら、「腹かいて=怒って」終わりになっちゃうからなんだよね。
 「怒り」が持続しないのである。だからとても長いこと「むかついて」なんていられない。それに、博多弁の「腹かく」は共通語の「腹が立つ」とも意味が違う。「ムカツク」や「腹が立つ」は、自分を怒らせた相手に対しても「ムカツクやつ」「腹が立つやつ」という使い方ができるが、「腹かく」は相手には使えないのだ。更に、実際の用例は「腹かいた」と殆どが過去形。
 つまり、怒りの感情が、自分の内部だけに留まり、あっという間に昇華してしまい、あとに残らないのだと考えていただければよい。それが博多人の本来の性格なのである。
 これくらい感情がさっぱりしていれば、「えらく」などの程度の甚だしさを表す言葉だって、そうそう使いはしないのだということがご理解いただけるだろう。他地方から来た人は、口調から博多弁が激しい言語だと錯覚してるようだが、それはごく一部の人々が使っているものであって、もともとの博多弁は、至極、柔らかいものなのだ。
 何度もこの日記に書いてるけど、武田鉄矢は博多人じゃないからね。あれを基準にしないように。
 ほかにも「ものすご」「ものごつ」などの副詞が博多弁には存在するが、これも「えらく」同様、形容詞の副詞的用法から派生した副詞である
にはないのである。
 まあ、「バリ」よりは「ちかっぱ」の方が、意味不明でない分、まだ許せるかな。って別に私が許したりするものでもないんだが。



 定例の劇団の練習日であるが、やっぱりしげは家事を一切していない。
 今週は腰を痛めたという言い訳があるから、なおのこと私に甘えてグータラしている。
 洗濯物が溜まりっぱなしなので、仕方なくまた一週間分の洗濯物を洗濯機に突っ込んでは、ぐわらぐわらと洗っては干し、洗っては干し。
 しかしこう毎回、家事に時間がかかっていては、永遠に練習に参加できないが、しげは要するに私に練習に参加するなということだろうか。だったらさっさと代役を探してもらわないと、困るのは自分の方だと思うぞ。

 遅れて「パピオ」に着いたのは12時過ぎ。
 それでも先週よりは早い。風呂や便所掃除はやっぱり後回しにせざるをえなかったけど。
 今週は、よしひと嬢、穂稀嬢に加え、仕事で佐賀(だったっけ?)に出張していた其ノ他くん、鴉丸嬢も参加。

 其ノ他くん、今回の私の脚本では、相当ムズカシイ、イヤな役を振っているが、「いいの? これ演じても」と聞くと、「まあ、しゃあないっすね」との返事。でも実はある程度はアテガキしているので基本的に「やりにくさ」はないのである。
 それは他のキャラについても同じで、鴉丸嬢など、「自分はこんなんじゃない」と思ってるかもしれないけれど、演劇的な誇張はあれ、結構近い部分があるのである。本人が気づいてないだけで。
 そういうのを演じさせようってんだから、私も意地悪なやつである。

 まず私の脚本の演出プランについての打ち合わせ。
 よしひと嬢、特定のキャラについて「振付が必要だなあ」と漏らすが、基本的にどのキャラにも振り付けは必要なのだがなあ。
 どうもよしひと嬢には、まだまだこの芝居を成立させるための演出プランがよく見えていないようなのである。
 もちろん、芝居がナマモノである以上、「やってみなけりゃ分らない」部分は多々ある。でも実はあの脚本、書いた時点で「これはこう演出しないと芝居が成り立たないなあ」という、ある「仕掛け」を施しているのである。
 脚本を提出した段階で、誰かそれに気がつくかなあ、と思ったが、残念ながら見事なくらいに誰も気づかなかったねえ。

 これは音響を担当する(予定の)私もプランニングせねばならぬことなので、明言しておくが、今回の芝居、一応「ミュージカル仕立て」という微妙な言い方をしているが、たとえ詞の内容がどんなにアホでも、演出的には思いきり「本格ミュージカル」を目指さなければウケない仕組みになっているのだ。

 ウチの俳優の欠点は、自分たちの演技に対する客観的な視点を全く持っていない(簡単に言えば、自分たちが客にどう見えているか全くわかっていない)ことなのだが、おそらく演出する方も、どんな演出をつけたら、どんなふうに見えるか、というものがまだ掴めていないのだろう。
 振付けをつけるにしてもそこには緩急のリズムというものが必要なのであり、不必要なところで妙な動きをつけても、違和感を生じさせるばかりなのである。
 そして、各キャラクターのコントラストをつけつつ、それをアンサンブルとして織り上げていかねばならない。ミュージカルは演技で見せる交響曲なのであって、実は全ての演劇はたとえ歌がなくともセリフと体技で見せるミュージカルでなければならないのだ。
 文学が全て詩から始まっているように、演劇は全て舞楽から始まってるのだから。

 SE・MEの類は0.1秒の狂いも許されない。言い替えれば、録音したMDの操作では絶対に臨場感が出ない箇所が多々あるのだ。部分的にはナマ音(その場での演奏)を行わなければ、演出は不可能なのである。
 音響スタッフ、私一人では絶対に足りない。練習に参加できる音響スタッフが、あと三人は必要なのだ。……よしひとさん、そのことに気がついてたかなあ。ふっふっふ(←マジ意地悪)。

 今更「この脚本やめよう」と言っても遅いんだもんね。
 私が何度も「いいの? これでホントに?」って言ったのに、その意味、全然わかってなかったでしょ? でも、自分たちでゴーサイン出したんだからもう覚悟してもらうしかないんだよ?
 面白いもの作ろうと思ったら、当然本格的にやらなきゃならないところが出てくるのだよ。前に書いたシナリオのほうがずっとやりやすかったんだけど、もう後の祭り。ムズカシイ方を選んだ以上は妥協しないで「完璧」を目指してくださいね。
 あまり意地悪ばかり言ってもなんだから、一つ、解決策を指示しとこう。
 窮余の一策として、スタッフが足りないのなら、俳優たち本人に演奏させる、という手もあるのだよ。つまり「弾き語り」ね。
 でもそれにしたって、そのときはみんなちゃんと練習しなくちゃならないんだよ、振りつけコミでね。
 ……ホントにみんな覚悟してるのかな?
 
 もう一本の芝居(今回は二本立てなのである)、よしひと嬢の方のシナリオ第2稿、未だ完成せず。
 それ自体を責めるつもりはないのだが、私の脚本ができあがっていない時は「キャラクターのイメージが固められない」と文句つけてたしげが、いざ自分が演出する立場に回った途端に、未定稿でもどんどん役作りに注文をつけまくるのは矛盾している。
 今の段階で言えることは、せいぜい「間の取り方」の注文程度ではないのか。キャラの内面にまで踏み込むことは不可能なはずである。特に穂稀嬢は初めての演技なのだし、もっとのびのびと演技させないでどうするのだ。
 はっきり言うがしげが注文つけるたびに穂稀嬢の演技、悪くなってるぞ。先週の一番初めの演技が最高で、後はどんどんレベルダウンしている。
 その辺さりげなく指摘してるのに気がつかないんだものなあ。
 だから、しげはこの芝居で客をどう面白がらせたいのか。笑わせたいのか泣かせたいのか。もっと微妙なものを感じさせたい、というようなシナリオではないので、その辺、はっきりさせないと客は戸惑うばかりだろう。
 私生活で血の巡りが悪いやつが、芝居の時だけマトモになるなんてことは有り得ないのだ。北島マヤじゃないんだから。

 余談。
 よしひと嬢があるセリフを言うとき、私が「バルタン星人に乗り移られたアラシ隊員みたいな口調で喋ったら?」と譬えたら、意味が分ったの、よしひと嬢だけだった……。
 嗚呼、昭和は遠くなりにけり。


 2時半、突然、鈴邑君が来て、いきなり横になって寝たかと思うと、3時にムックリ起きだして、挨拶もせずに帰っていった。
 みんな驚いて、鴉丸嬢などは「何か怒ったの?」と狼狽していたが、鈴邑君はいつもあんな調子で悪気はないのである。自分の言葉をさし挟むところではない、と判断したら全く喋らなかったりするが、たとえ本当に鈴邑君が怒っていたとしてもそれは別に気にすることではない。
 役者(演劇に関わる者)は、言うべきことがある時は言う。言わないことに対して動揺するのは覚悟が足りないだけである。

 私のこの文章も、随分直截的に書いてあるが、練習の現場では口にしなかったことだ。
 別に意見を言ってもしかたがないとあきらめていたわけではない。血の巡りが悪いしげに直接何かを言ったって、その場でフリーズして思考停止に陥ることは解りきっているからである。
 こうして書いておけば、間を置いて自分のペースでゆっくり考えることができるし、私の意見を乗り越えるアイデアを考えつくことだってできる。まあ、あれだね、前の芝居でよしひと嬢が藤田くんに、「どう演技したらいいか、現場で思いつかなかったら、ゆっくり考えてメモにして」と依頼したのと同じような方法だね。
 確か、あの時、藤田くんはちゃんとメモ出さなかったみたいだけど、そのことについてしげは随分怒ってたから、私の今までの意見も無視はしないだろう。
 期待してるよ。家事も芝居も。
 
 さて、そろそろ芝居のタイトルを考えねばならない、ということで、練習後にみんなで相談。
 今回二本立てということもあって、各タイトルと総合タイトルの三本を考えねばならないので大変である。でもいろいろ出してもらっても、これといったインパクトのものがない。
 結局、仮題としてつけていたものがほぼそのままタイトルとなる。
 問題は総合タイトルだ。

 で、ここで其ノ他君がとんでもないタイトルを提案。
 聞いた途端に全員が爆笑した。
 劇団ホームページにもまだUPしてないので、ここで明かすわけにはいかないのだが、こりゃヒド過ぎるよ、こんなんじゃ客は誰も来ねえよ、という脱力もの、センスのカケラもない。
 でも、最高のインパクトがあったのだ。
 で、決定しちゃった(-_-;)。
 いいのか? 本当にいいのか? 下手すりゃ、演劇集団 P.P.Produce、最低の入場者数を更新するぞ?

 まあ、仏滅に結婚式あげるようなもんかな。


 其ノ他君と鴉丸嬢は先に帰り、「パピオ」のレストランで食事。
 なんだか先週と同じメンツだなあ。
 「そう言えば今日、選挙ですね」と、よしひと嬢が尋ねてくる。「選挙行きましたか?」
 政治的なコメントについては、まあぎりぎりバカ話程度に思ってもらえる程度のことは、この日記にも今までに書いてきているが、支持政党まで類推されるような発言は避けざるをえない。
 私は気にしないが周囲に気にするバカがいるのである。
 しかしはっきり言えることは、私がどの政党に投票しようが大勢に何の影響もないということだ。
 昨日も一昨日も、いや、それ以前から、どこぞからなにやらのコンタクトがあったが、私は私にコンタクトしてくる政治家くらい信用ならないものはないと思っている。
 またまたグラウチョ・マルクスの名言のパクリでした。だって使いやすいんだもん。

 でもこのセリフには落し穴があるのである。
 しげもときどき、「私を好きになる人間なんて信用できない」と口にするのだが、ならば私は当然、しげのことを「嫌いだ」と言い続けなきゃならん理屈になるのだ。
 ……言ってほしいのかな、しげは。

 しかし、今日のしげとよしひと嬢との駄弁りは実に有意義であった。
 今まで十数年、明らかでなかったある事実が判明したのである。
 今だから言えることだが、昔、私はしげとの結婚をある事情から迷っていた。
 いや、ある事情って、しげが未成年だったってことなんだけど。
 しげの果敢なアタックに根負けしかけていた私は、しげに、「よしひとさんに相談してみないか」と下駄を預けたのである(しげとよしひと嬢と私は十年越しの知り合いなのだ)。
 もちろん、よしひと嬢に「あまり早まんないほうがいいよ」と言ってもらうために。
 で、相談を受けたよしひと嬢の返事はどうだったかというと。
 「あ〜? 好きにすればいいんじゃない?」

 その一言が、しげと私との間にあったベルリンの壁を完全に破壊したのである。

 さて、その事実を知ったよしひと嬢曰く。
 「え〜? 全然覚えてない〜。そんなこと言ったぁ?」

 はっはっは。よしひとさん、自分も知らぬ間に愛のキューピットになっていたのだね。
 更に追い討ちをかけるように、よしひと嬢曰く。
 「いいじゃないすか、ちゃんと続いてるんだし」

 もちろん、全ては私の「堪忍」に拠るものだということは、この日記をお読みのみなさんにはご理解いただけることと思う。 
 ホントにありがとう。心から感謝してるよ、よしひとさん♪


 食事をすませて帰ろうとすると、またしげがスーパーミルクちゃんの真似をして「寿司食いに行っかあ!」と叫び出す。
 いい加減、聞いてて腹が立っていたので、「よし、じゃあ行こう」と答える。
 「食べたばかりでおなかに入らないよ」
 と言うので、「じゃ、俺一人で行く」と、しげを置き去りにする。
 しげが後ろで泣いてた気もするが気のせいだろう。

 で、ちゃんとお土産に寿司を買って帰ってやるのである。
 さて、こういう行為ははたして愛か憎悪か。


 マンガ、長谷川裕一『スーパーロボット大戦α THE STORY 竜が滅ぶ日』。
 昔、『マジンガーZ対デビルマン』という映画があった。
 『グレートマジンガー対ゲッターロボ』『グレートマジンガー対ゲッターロボG 空中大激突』『グレンダイザ−・ゲッターロボG・グレートマジンガー 決戦!大海獣』なんてのもあった。
 私は、それらの映画をほぼ全部見ている。中学生に上がるまで、東宝チャンピオン祭りと東映まんが祭りはほぼ欠かさず見に行っていたし(それ以降行かなくなったのはそろそろマンガは卒業、という意識からではなく、親に禁止されたからである)、見損なっていたものも全部テレビでチェックしていたからだ。
 嫌いな作品でもである。
 そう、実はこれらの他作品とのリンクシリーズに私は当時腹を立てていた。
 世界観が違うじゃないか。
 これらの世界がリンクするものならば、なぜテレビシリーズでもミケーネの侵略にゲッターが出張ってこず、百鬼帝国と戦うゲッターGを応援しにグレートが駆けつけないのかと。
 よしんばそれを認めてもタイトルに偽りありじゃないかと憤っていた。
 マジンガーとゲッターは「対」してなどいず、ライバル意識こそあれ、ちゃんと共闘していたからである。
 これらの映画は、映画だけのお祭り、というより、人気取りの姑息な手段と私の目には写ったのだ(だから私は手塚治虫のキャラクターシステムも基本的には嫌いである)。
 ましてや、『スーパーロボット大戦』である。
 一応、全く架空の歴史を作って、原作とは全く係わり合いはないとはしてある。しかし、これだけ多様なデザインのロボットと敵が同時平行して存在し、かつ単純に両陣営に分れている馬鹿馬鹿しさには付いていけなかった。
 こんなデタラメなシリーズがあるか。
 で、この本も全く期待せずに読んだのだ。ゲームでなら設定など考えずにロボット同士を戦わせられても、マンガでそれをやるのは無理だろうと。
 確かに無茶だった。
 妖魔帝国が復活し、メガノイドの反乱があり、ティターンズが台頭して、恐竜帝国が侵攻を開始している世界。
 迎え撃つ、ライディーン、ダイターン3、グルンガスト、ジャイアントロボ、そして、ゲッターロボ。整合性なんてハナから考えちゃいない。  
 でも。
 マジンガーは?
 あろうことか、恐竜帝国に寝返っていたのである!
 つまり、マジンガーZ対ゲッターロボが、ただのゲーム上の対戦ではなく、ある設定のもとに、本当に実現されていたのだ。うーむこれは。
 ちょっと、私の心の中で何かが動いた。
 でも、まだ何かが足りない。この程度で燃えられるものかと思っていた。
 しかし。

 ああっ、ガミアQが地球連邦(byガンダム)の制服を着ているうううっ!
 (何のことか分かるヤツは相当なスケベだ。って私だよ)
 これは名作です。みんな読みなさい(^^)。

 しかし巻末のゲッターロボ斬、これももしかしたらいずれ『ゲッターロボサーガ』の中に組みこまれていくのだろうか……?


2001年07月28日(土) アイ・ラブ・アッシー。……違うって(-_-;)/『スーパーロボットマガジン』第一号ほか

 どうもどうも。
 更新は順調に遅れております(^.^; オホホホ)。
 なんだかねえ。
 しげとパソコン使う時間がかぶってきちゃってるものだからどうしてもねえ。
 しげが使い終わって書きはじめるとどうしても午後8時を過ぎちゃうんでね。疲れがたまってる時は9時には寝ちゃうから、もう日記書く時間なんてないわけです。
 てなワケで、この土曜の日記を書いてる今は既に水曜の朝ですが(^.^; オホホホ。
 なんとか先週の短縮版は消したし、ゆるゆると参ります。

 ……しかし1週間前の記憶を掘り起こして日記書くのはなかなかしんどいっすよ。あとになって、「あ、あれ書き忘れた!」ってことも多いし。
 でも断片的な記憶つなげただけでも、アレだけの分量になるのだから(21日のヤツなんか「字数オーバーです」の表示が出ちゃいましたよ。原稿用紙20枚越えとったんか)、しっかりした記憶力のある人はもっと凄いでしょうねえ。
 ……栗本薫さんのホームページなんて、私の3倍くらい毎日書いてるし。
 おっと、プロの作家さんと比較しちゃ、不遜ってもんです。


 朝っぱらからしげが「寿司でも食いに行っかぁ!!」と叫んでいる。
 ……私に向かってではなく、寝床で、出し抜けに、なんの脈絡もなく、そう叫ぶのである。
 「寿司が食べたいの?」と聞くと、「いや? 別に」との返事。
 なんじゃそりゃ、と思って黙っていると、また、
 「寿司でも食いに行っかあ!!」
 「……だから、寿司食べたいんじゃないのか!?」
 「スーパーミルクちゃんだよっ!」

 昨日買ったDVDアニメ『スーパーミルクちゃん』の口癖の真似だったのだ。
 紛らわしいことするんじゃねえ。
 第一、なぜ口真似を?

 しげは昨日のうちに見てしまっていたらしいが、私はまだなので、ともかく見てみようと『スーパーミルクちゃん』を見る。
 テレビ放送されていたころに時たま見てはいたが、なんつーか、まあ、どーしょーもないギャグが好きな人でないと、はまれねえんじゃないかと思いつつ、爆笑してたアニメである。

 大統領がいる。
 どこの国の大統領だかはわからない。なんたって、毎回窓の外の風景が変わるのだもの。ニューヨークだったりエジプトだったり大阪万博公園だったり。
 カバみたいな変な顔で、頭に謎のコブがあり、言葉の語尾にデカパンみたいに「〜ダス、〜ダス」と付ける。
 大統領の机の上には綾波レイフィギュアや、黒い三連星フィギュアが置いてあったりする。オタクなのかな。
 その大統領の秘密捜査官みたいなのがスーパーミルクちゃんらしい。
 でも見た目はどう贔屓目に見てもただの赤ん坊か幼稚園児。ミルク飲むし、しょっちゅうヨダレたらしてるし。
 で、何がスーパーなんだか、肝心のそれが全く解らない。
 何か事件が起こるたびに大統領は電話でミルクちゃんに事件の解決を依頼するのだが、ミルクちゃんが事件を解決したことはただの一度もないのである。
 放火も暴動も宇宙人の襲来も、ミルクちゃんは「解決したつもり」になって最後に一言。
 「んじゃ、寿司でも食いに行っかあ!」

 まあ、アニメ自体は面白いです。投げ遣りなギャグが意外とハマるし。
 でも、つまりなにかい。
 しげは「家事をしたつもり」になって、ただ「寿司だけ食いたい」と、こういうことか。
 シメたろか。


 そろそろ腰の調子もよくなってきたということで、しげが映画に行きたがる。
 もう少し大事はとった方がいいと押しとどめるとまたふてくされたような顔をするので、なら買い物くらいはするかと、「寿司でも食いに行くか?」と誘う。
 やれやれ、これじゃ結局しげのご機嫌取りだ。
 しげはしょっちゅう、私が「優しくない優しくない」とブツクサ文句垂れてばかりいるが、そのせいで私はいつの間にか自分が冷酷で極悪非道なヤツだと思いこまされているのではないか。でも、自分でも日記を読み返して気がついたことだが、私は殆どしげのアッシー(死語)でありミツグくん(笑)である。
 まるで奴隷みたいにしげの世話してばかりいるものなあ。離婚訴訟でも起こせば、私の方がしげから慰謝料取れそうなくらいだ。
 なんだかしげとの関係にすっかり慣れちゃって、感覚が麻痺してしまっているが、実際、なぜあんなグータラ女と一緒にいるのかと追求されると、うまく説明はできないのである。
 いや、理由はしげを見てたら面白くて退屈しないからなんだけどさ、それを言うとしげは「ええ〜? それだけえ?」とまた文句を言うのである。
 唯一はっきり他人も納得できる理由を自分で否定すんなよ。それともお前、自分のこと「癒し系」とでも思ってもらいたいか?

 しげは結局「食事だけれなら行きたくない」と駄々をこねたので、私一人で買い物に行くことにする。
 確かにしばらく寿司も食ってなかったので、たまにはフンパツしてやろうと、回転寿司のくせしてやたらバカ高いネタばかり流しやがる「寿司大王」に行く。
 何しろ一番安いネタだって130円、たいていのネタが200円以上だ。ウニなんか600円も取りやがる。
 でもあれだよ、他の回転寿司が、キュウリを挟んで量を減らしておきながら「ハイ、ウニでござい」と堂々としてるのに比べたら「ウニは高いのが当たり前なんだぜ、べらぼうめ」って態度は、潔くって好きなんだなあ。
 で、近所の寿司屋じゃ、ここのネタが確かに一番美味いことも間違いではないのだ。ううん、満足度から行けば、少々お高いのもしかたがないか。 
 おかげで二人分、20皿近く取ったら、それだけで5000円は軽く越す。……やっぱり1年に1回くらいしかここには来れないよ。o(ToT)o


 持ち帰ってきた寿司をしげに与えて、夕べは全然パソコンを扱わせてもらえなかったので、今日は出来るだけ溜まってた日記を書こうと悪戦苦闘。
 本屋で買ってきた本もパラパラ読んでるのだが、夏バテのせいか、読んでる最中にいきなりコトン、と落ちてしまうことも多いのだ。おかげでなかなか一冊読み切る、ということができない。
 マンガならさっさと読めるんだが、さすがに『攻殻2』と『陰陽師』はまだ読み切れていない。
 まとまった休日がほしいなあ。


 先日、友達から「読んだか?」と教えてもらっていた実業之日本社発行の『コミック伝説マガジン』第一号、ようやく本屋を見まわって見つける。
 殆どの本屋で見かけないというのはやっぱり売り切れたってことなのかなあ。
 でも中身は『コミックバンチ』同様、おサムい限りである。

 手塚プロダクション『鉄腕アトム』の新作、完全に低年齢層向けで、これは『少年』連載のものとも『サンケイ新聞』連載のものとも明らかにテイストが違っている。
 まあねえ、子供向けなら子供向けでいいんだけどさ、巻頭カラーの『オリンピアの挑戦』なんて、『地上最大のロボット』のヘタな焼きなおしじゃないか。
 ブラック・ジャックや写楽保介を競演させるのもアザトイばかりだが、気になるのは作画を担当しているのがどうも手塚プロの若い人ではなさそうなことだ。描線があちこち震えまくっているのである。制作は『手塚プロダクション』とあるばかりで、さて、実際の作画は誰なのやら。一応公式には「生前手塚治虫のアシスタントをしていた人たち」ということになってるようだが、名前を出さないというのは責任の所在をはっきりさせないための「逃げ」かなな、などと穿ったことも考えてしまうのである。
 『手塚治虫物語』を描いてた伴俊男かなあ、とも思うのだが、久松文雄っぽくもあるのだ(『冒険ガボテン島』の新作なんかを見るとね)。誰か手塚プロに詳しい人いませんか?

 永井豪『オモライくん2001』。
 ストーリーはいい。何しろ昔と全く変わってないんだから。
 でも描線とコマワリがもうどうしようもない。永井豪の線は『手天童子』『凄ノ王』あたりからどんどん死んでいったから、しかたがないことではあるのだが。
 何がダメかって、どんなに線を描きこんでいても、オモライくんの「臭い」が新作からは漂ってこないのだ。
 旧作は私の永井豪マンガの中でも最も好きなものの一つなだけに、この凋落ぶりは残念でしかたがない。

 『プロレスヒーロー列伝・力道山』『新1・2のアッホ!』『新しまっていこうぜ』『TheかぼちゃワインSequel』『まいっちんぐマチ子先生』『踊るせぇるすまん』『嵐のフィールド』と、タイトルだけ並べていくと、なぜ今復活させねばならないのか分らないものばかりだ。
 というか、いまや若い世代の編集者たちが「懐かしい」と思うマンガが、80年代の爛熟期のものに集中してることが分るのだね。
 だから、たとえ現役マンガ家でも、横山光輝に『伊賀の影丸』の新作を描かせようとか、松本零士に『光速エスパー』を、とかいう、ひと世代前の読者に合わせた企画はあがってこない。
 『アトム』と『オモライくん』は、さすがに80年代のものばかりでは目玉がない、と考えたための窮余の一策、という気がしてしかたないんだよね。
 いや、80年代のマンガでも、「一世を風靡した」ものが他にもあるはずなのだ。例えば、ラブコメをもう一度描かせるとして、なぜ『かぼちゃワイン』で、『タッチ』ではないのか。あだち充に断られたと見るのが正しいんじゃないか(三浦みつるならひまそうだ、とか、そんな感じのラインナップなんだよなあ)。 次号の作品も、予告を見る限り決まってるのは『力道山』『しまっていこうぜ』『かぼちゃワイン』『マチ子先生』『アッホ』と、更に目玉を欠いたものばかり。3号でつぶれるんじゃないか、ホントに。


 なんか復活ものが続くが、それでも『伝説マガジン』に比べりゃ遥かにパワーがあるのが、『スーパーロボットマガジン』第1号。

 ああ、また始めやがったと思いつつもつい見てしまう石川賢の『ゲッターロボアーク』。
 ちょっと待て、『號』のラストでリョウも號も……だぞ、と思っていたら、今度の主役はネクスト……だ。
 ……まさかミチルとの間に? でもミチルだって『真』で……。
 伏字が多いのはネタバラシになるからですが、でもゲッターロボ・サーガはマジで燃えます。

 というか、この本「熱」過ぎ。
 あとの作家陣も長谷川裕一『超電磁大戦ビクトリーファイブ』、冨士原昌幸『鋼の救世主』、坂井孝行・伊藤伸平ほか『マジンガーZアンソロジー』ときたもんだ。
 セリフは「!!」だらけ、全ページタチキリのオンパレードだよ(^_^;)。
 次号は『ダイターン3』特集で板橋しゅうほう登場だとか。多分、さ来号あたりには島本和彦や破李拳竜やMOO念平も参加するのであろう(笑)。

 息抜きマンガの、はぬまあん『いい旅ロボ気分』。タカラが開発中の「ドリーム・フォース」というロボットをルポしてるんだけど、これが面白い。
 いや、あのタカラですよ、リカちゃんの。それがいきなりなんで「鉄人やマジンガーの疑似体験が出来る玩具(つまり戦うロボット)」を開発しようなんて思い付いたのか。
 「振り動かし開閉できる二本のアーム! 相手の打撃で脱落するアーマー! センサー部分が叩かれれば機能停止! オプションパーツでカスタマイズも自由自在!」
 で、価格が48000円。
 ……うーんと(^_^;)。
 外形がクレージーゴンかガンヘッドって感じだからなあ。せめてモビルスーツみたいな感じだったらそうそう悩まないんだけど。
 一番笑えたのは、はぬまさんが広報担当の女性に「どう思われますか?」と質問したら、「私はこういうのはちょっと……ロボットならやっぱり可愛らしいペット型の方が…」。
 広報がそれじゃいかんだろう、というツッコミよりも先に、タカラでこれを作ってる方がなんか違うだよなと思うことしきり。……いっそ、「戦うリカちゃん」作っちゃどうだ。
 ……あ、それがスーパードールリカちゃんだったのか?


 しげが淋しがるので、夜、結局二人でコンビニに買い物に行く。
 まだマンションの階段を降りるのはゆっくりしかできないようだが、歩けないわけではないよう。
 明日から仕事にも行くということだし、とりあえずぎっくり腰騒動も一段落か。
 でもそれでも家事はあいかわらずやらない気でいるんだろうなあ。


2001年07月27日(金) 『クレしん・オトナ帝国同人誌』完成!掲示板も見てね/『怪』11号ほか

 あなたは信じますか?
 神秘の世界を。

 人知では推し量れぬ、怪奇の世界がこの世に存在することを。

 あるのです。
 私たちが気がついていないだけで、私たちの、ほんのすぐそばに。

 今、あなたの前に開くのは。
 時間を越えた、黄昏の世界への陥穽。

 ご案内しましょう。
 二度と戻れぬ、未知の世界へ。
 魂の旅へ。


 きっかけは、些細なことでした。
 ほんの少し、違和感を感じただけだったのです。
 
 なぜだろう。
 何かが違う。
 いつもと同じ、いつもと変わらぬはずの日常。
 なのに、少しずつ、確かに変化は起こっている。
 点滴が岩を穿つように、少しずつ、何かが欠落している。

 そうです。
 欠落は、事実でした。

 私が朝、何気なく覗いた台所。
 空気がいつもより重い。
 錯覚だろうか?

 「近寄っちゃいけない」

 心の中で、声がしました。
 ……私の声じゃない?
 では、誰の?

 淀んでいるはずの空気が流れ始めました。
 私の指が、ゆっくりと前へ。
 前へ……。前へ……。

 冷凍庫の扉に届いて。

 「開いちゃ、ダメ」
 
 怖い。
 でも、この指の向こうに、求めている答えが。
 取っ手をつかんで。

 勇気を、出して。

 ……開いた!

 「コラ、ばかしげ! またオレの冷食(そばメシ)、食ったなあ!?」

 おアトがよろしいようで。ちゃんちゃん♪
 だから勝手にどんどんヒトのめし盗むんじゃねえや。


 欠食児童の病人を抱えていると、こちらもなかなか落ちつけない。
 ホントなら今日あたり、しげと映画にも行きたかったんだけどなあ。
 ま、買い物なんかはしげがいない方が機動力はあるか(しげに合わせて行動すると、普段でも、予定の1.5倍は時間がかかるので)と思って、仕事を引けたあと、一人で天神を回る。

 福家書店で新刊マンガを買いこんだあと、ベスト電器「LIMB」で、予約しておいた『アヴァロン』や『ウルトラQ』、『少年ドラマシリーズ』ほか、DVDばかり、ン万円分購入。
 こんなに買いこんでもねえ、全部見終わることできるんかね? 気持ちはあっても時間がそうそうあるまいに。
 第一、先月買った『遊撃戦』や『つぶやき岩』だってまだ見終わってないっちゅうに。でもこれでも随分諦めてるDVDは多いのだ。
 三船敏郎主演の『荒野の素浪人』BOX、25000円したんで諦めたって言ったら、よしひとさんは怒るかな? でも続けて購入する予定のものが来月あたりから増えてくるんで、カンベンしてちょ。

 『ウルトラQ』、店のミスで全巻予約がされていなかったことが判明。
 まだ在庫があったからよかったけど、売り切れちゃってたらまた取り寄せに時間がかかってたのだろう。
 慌てて購入しなければならないというわけではないのだけれど、これだけ馴染みになってて忘れられてたというのは、ちょっとお客を大事にしてないぞ。毎月送られてきていた割引ハガキは印刷ミスで白紙だったし(もちろんちゃんと割引してもらったけど)。 

 予約し忘れていて、店頭買いしようと思っていたトレイ・パーカー&マット・ストーンの『サウスパーク』コンビの実写ギャグ映画『ポルノヒーロー オーガズモ』、売り切れでブツがない。
 こういうときに買い損ねると、二度と手に入らなくなるよな、と思って、博多駅の紀伊國屋にも回ることにする。首尾よく購入出来たのだが、そこでまた見てはいけないものを見つけてしまった。

 カウンターの上にさりげなく置いてあった『スタンリー・キューブリックコレクション』の予約券。
 以前、BOXと単品でDVDシリーズが発売され始めてたのだが、急に中断してしまってどうしたのかと思っていたのだが、つまり「デジタルリマスター」「5.1サラウンド」での再発売のためということだったのね。
 以前のBOXで途中まで買わされた身としてはどうしてくれるんだって感じだな。今度発売のコレクターBOX、先に買ってた『時計じかけのオレンジ』『バリーリンドン』『シャイニング』『フルメタルジャケット』に加えて『ロリータ』『2001年宇宙の旅』『アイズワイドシャット』『スタンリー・キュープリック/ア・ライフ・イン・ピクチュアズ』の四本付きだ。
 もう一度これを買うのはいくらなんでももったいない。第一、『シャイニング』はなぜか旧版が無修正版だったのに、今度の新発売の方が再編集短縮版なのだ。
 しかもこのBOXとは別に『2001年宇宙の旅 スペシャルエディションBOX』が出るのだよなあ。これはサントラCDつき、スクイーズ収録なので、こっちで買った方が絶対オトクなのである。

 DVDやテレビでしか『2001年』を知らない者は、後半の難解な展開をキューブリックの「ハッタリ」と単純に捉える人もいるかもしれない。
 しかし、劇場で、しかも、ホンモノのシネマスコープサイズでアレを体験した者にとっては、まさしく「映像の革命」だったのだよ。
 公開年に5歳で、そんな映画の存在すら知らなかった私が、本作を劇場で初めて体験したのは大学のとき、今更、そんな20年も前の特撮に驚きゃしないさとタカをくくったていたのだが、ところがぎっちょんちょんである。
 新宿マリオン、70ミリシアター。
 大学の友人と、「途中で寝るなよ」と笑いながら劇場に入って。
 上映前のオーバーチュアが長かった(これは現行のビデオには収録されていない)。こりゃホントに寝るかも? と思っていたのに。
 上映開始後数分で、我々は息を飲んだ。
 あの『ツァラトゥストラ』、『美しく青きドナウ』。
 なんとかランドの体験ゲームとはワケが違う、我々は本当に宇宙空間にいるように錯覚したのだ。
 そしてラストのオデッセイ(絶対、邦題は『スペース・オデッセイ』のままで行くべきだった)。
 行くよ、人類はきっとここまで。
 そう思える経験だったのだ。

 ああ! これは買うべきか買わざるべきか!

 あ、『ロリータ』は買いますよ。
 ジェームズ・メイスンとピーター・セラーズの競演だし。スー・リオンなんてロリータの対象じゃね〜から興味なし(対象だったら興味もつんかワリゃ)。

 悶々としながら(買おうか買うまいか迷って)、至極当たり前に「当日の財布の中身次第だな」という結論に達し、フードセンターで食材を買いこむ。
 しげにちったあ料理らしいモノを作ってやろうかと考えながら、結局、買ったのは電子レンジでカンタン調理のハンバーグだったりする。男の手料理なんてこんなもんよ。

 荷物が手で抱えきれなくなってきたので、タクシーに乗って帰る。
 タクシーの運ちゃん、妙に無愛想で、殆ど無言。
 まあ、ペラペラ喋りかけられるのも時には鬱陶しいが、ブスッとされたままと言うのも、ちゃんと目的地まで運んでもらえるのかと不安になる。
 なんとなく気まずいムードのまま、しばらく走っていると、タクシーの無線が切れ切れに聞こえてきた。
 最初は「○○に向かってま〜す」みたいな何気ないものだったのだが。
 突然、無線の声がひときわ高くなって、
 「うほっ! ノーブラ!」
 ……へ?
 「すごか〜、揺れちょるばい。乳首も見えとう」
 あの、何ですかあ?(・・;)
 「外人さんはすごかね〜」
 あ……はあ。そうですか。でも、他の車にゃ客も乗ってるってのは予測がつくだろうに、無線で何もそこまで……。
 別の意味で気まずい雰囲気になっちゃったのでありました。


 帰宅して、しげにハンバーグを作ってやると、しげは無茶苦茶喜ぶ。
 でも実は試食コーナーでひと切れパクついた時のほうがうまかったのである。
 あれって不思議なんだよね、試食コーナーで食べると美味しく感じるのに、ウチに帰って自分で作ると決まって不味くなるのな。
 これもマーフィーの法則の一変形であろうか。

 メールをチェックすると、山本弘さんから『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ! オトナ帝国の逆襲』同人誌完成の連絡。
 わあ、本当にできたのだ。
 先日いただいたメールでは、「オトナ帝国大辞典の記事が足りません」と、ちょっと完成が危ぶまれているような内容だったのに。
 『h.m.』の近況報告では「夏コミに向けて『クレヨンしんちゃん本』制作に燃えている」と書かれておられたから、まあ大丈夫だと思ってはいたが。
 参加メンバーを見てみると、全員で10名ほど。
 山本さんは当然、原稿を書かれているとして、プロの方の参加があと、眠田直さんだけである。岡田斗司夫さんはご自分のブースを持たれてるから、原稿書くならそっちの方だろうけれど、唐沢俊一さんは参加表明されていたのに、お名前がない。
 そう言えば、ホームページの日記にも「同人誌原稿を書く」って見かけなかったものなあ。ご不幸があったことでもあるし、余裕がなかったのだろう。
 ちょっと残念なことではある。

 いざ販売決定となると、現物を見に上京したくなるのは人情と言うものである。福岡・北九州のコミケに参加したことはあっても、東京には行ったことないしなあ。
 しかし如何せん、今回ばかりは上京はいっかな不可能なのだ。なんてったって、8月10〜12日は入院中なのだから。こういう時はコピーロボットがほしくなるよなあ(ドラえもんの道具よりパーマンのコピーロボットの方に切実感があるのよ、我々の世代にはね)。 


 続けてネットサーフィンをしたかったけれど、買ってきたDVDの山を見た途端、しげがパソコンを占領してしまった。
 で、いきなり『スーパーミルクちゃん』を見始めたのである。やっと見終わったかな? と思ったら、今度は『オーガズモ』。……いや、見ちゃイカンとは言わんが、先に手に取るものがそれか? 他にも『アードマンコレクション』とか『幽霊列車』(赤川次郎原作/岡本喜八監督版)とか渋い作品も買って来てるのに。
 おかげで、日記の更新も溜まってるっちゅーのに、昨日は全くパソコンが使えませんでした。ますます更新が遅れちゃうよう、( iдi ) ハウー。


 仕方なく買ってきた本などを片っ端から読む。

 『怪』11号。
 リニュウアル号ということは売れてないのかな、この雑誌。
 でも妖怪ファンには読み応えが凄くある本なんだがなあ。アカデミズムがお好きなヒト用にマジメな民族学研究も載ってるし。新発見の「化け物絵巻」の紹介もあるぞ。
 でも私がやっぱり面白いと思うのは、水木しげる御大の対談やマンガ『神秘家列伝・仙台四郎』なんだな。
 バンド「ゆらゆら帝国」の坂本慎太郎との対談での無軌道ぶりが楽しい。
 坂本氏が「何もないのに足に火がついたように錯覚したことがあるんですけど」と水木サンに言うと、「精神科に行きなさい」……おいおい、間違ってないけどTPOは間違ってるぞ。
 で、その口で「妖怪はいますよ」だものなあ。かなわないや、このジイさん。
 マンガについての言質も実にさっぱりしている。
 「スランプになるのはバカ。人に誉められたいという気持ちがあるからそうなる。欲が深いだけで本当の才能がないやつです」。
 もちろん、これは手塚治虫のことである(^_^;)。
 そのマンガの才能がないのを、ハッタリと見栄だけでゴマ化してきたところが手塚治虫の才能なんだけどね。手塚治虫は「元祖無責任男」として評価してあげるのがいいと思うんだけどなあ。


 マンガ、石ノ森章太郎『仮面ライダーEX』。
 なんと石ノ森御大の下描きに基づく『仮面ライダーアマゾン』の初単行本化だ。
 連載が低年齢誌の『テレビマガジン』だし、実際の作画は石川森彦が担当しているけれども、ヘビ獣人に襲われた高坂博士を助けられなかったアマゾンが、雪降る街にさ迷いでて、涙しながら「この冷たい白い花はなんだ?」と呟くシーンなどは石森リリシズムの真骨頂だろう。
 でも、番組短縮、連載中断の影響はキツイというのがよく判る作品ではあるのだ。
 なにしろ1〜4話までがプロローグで、5話が最終回なのだから。
 多分、石ノ森さんは、アマゾンを補填して単行本化するつもりだったんじゃなかろうか。しかも自らの手で。
 ……未完の作品の多い人だったからなあ。


 マンガ、高橋葉介『黒衣 ―KUROKO―』3巻。
 既に4巻で完結、と巻末に予告が。うーん、やっぱり高橋さんにギャグ路線はムズカシイということなのかな。
 ちょっと反省してか、今巻は大分シリアスな要素を入れてきているが、ちょっと後の祭り。シチュエーションで見せるタイプの人なので、実は高橋さん、キャラクター造形の幅は狭いのである。
 マジメだが気弱な男の子、ドジな女の子、魔性の者。煎じ詰めれば、この三者しか高橋さんのマンガには登場しない。後はこの基本キャラの立場を変えたり、年齢を上下させたりしてるだけだ。
 今巻から登場の金牙と銀牙も、悪役だけど夢幻紳士のバリエーションだからねえ。だったら『夢幻紳士』の新作描いてえ、ということになっちゃうのだな、どうしても。
 まあ、この話、高橋さんがネタバラシしてるように、ラブクラフトの『ダンウィッチの怪』なのだよね。魔物が復活したらそれで終わらせるしかないわけだから、打ち切りとはいえ4巻という長さはちょうどいいようにも思うけど。


 マンガ、富沢ひとし『ミルククローゼット』3巻。
 そうか、かわいい女の子相手のSMマンガだったんだ、これ。
 「宇宙を壊すためにはその宇宙を作った者達を絶望させる事」
 これってつまり、相手の価値観を完膚なきまでにぶち壊すってことだからね。
 ……そんなに人を苛むマンガを描きたいわけなのかなあ。


 マンガ、長谷川裕一『クロノアイズ』4巻。
 SFの醍醐味はやっぱり「タイムパトロール」ものだなあ、と言いたくなるような懐かしさ。
 ネタバレになっちゃうから言わないけど、歴史上の有名人のアノ人とアノ人がアノ場所であんな事するなんて、なんて血湧き肉踊ることだろう!
 ……あああダメだ、この作品ばっかりは、何を書いてもネタバレになって、感動を伝えられないいいいっ!
 ま、アレですよ、タイムパラドックスものについての一つの解答を示そうとしてるんだろうなあ、と私には思えるわけなのですよ。
 あと、長谷川さんの作品は、今時珍しく悪役が悪役してくれる「勧善懲悪」ものでもあります。いやあ、ハデスの正体があんな……これもネタバレかいっ!
 で、これだけ盛り上げといてまだ完結ではないのな。これは嬉しい限りである。


2001年07月26日(木) 全ての知識はマンガから/ドラマ『美少女仮面ポワトリン』第一話ほか

 出勤する直前に見た、朝、8:00からの『とくダネ!』で、小倉智昭が、ハムスターを飼っている子供が「アナフィラキシー」にかかっている例が増えている、と紹介していた。
 なんだか聞いたことのない病気だなあ、とお思いの方もいらっしゃるかもしれないが、手塚マンガファンには、この耳慣れない病気も実はおなじみのものである。
 もちろん、あの『ブラック・ジャック』に紹介されていた病気の一つで、一種の「過敏症」。最初、蜂に刺された時はなんともないのに、二度目に刺されたらショック症状を起こして死ぬというアレですね。そういうわけで注射することも麻酔をかけることもできないという、難儀な病気なのである。
 で、それがハムスターとどう関わっているかというと、それまではごく普通だった子供が、ハムスターに指を噛まれて、急にアナフィラキシー症状を起こしたっていうんだね。
 だから正確に言えば、「アナフィラキシーにかかっている」ではなくて「アナフィラキシーだということが判明した」と言うべきなのだろう。
 ……うーん、この場合、ハムスターに罪があるとは言い難いだけに、親御さんも本人も、悲しみや怒りの持って行き先がないのではなかろうか。ハムスターのおかげで、病気であるという事実を知ることができたとも言えるわけだし。
 でも、このことで「ハムスターは危険だ」なんて誤った情報が伝わってほしくはないのである。病気が判ったご家庭のハムスターは、その後いったいどうなったのだろう。子供に世話をさせることは不可能になったわけだし、まさか捨てられたり殺されたりしてはいないだろうか。

 実際、動物を飼うってことに対して安易な考えしか持ちあわせていない人間ってのは多いと思うのである。
 「生き物を大切にする心を養える」とか「ペットは家族の一員だ」とか言ってる人間は、私に言わせれば「発狂」してるとしか思えない。
 基本的に「自立して生きることのできない生き物を養う」というのは、その生き物を自分に「隷属させている」ことでしかないのだ。たとえどんなにその対象を愛していたとしてもである。
 「人間の子供を養う」ことと、「動物を養う」こととは自ずから違う。人間はいずれその「家庭」を巣立っていくが、ペットは巣立たない。というか巣立たせるためにペットを飼うヤツはいないわな。「ペットが家族だ」という言葉の欺瞞は、ここにハッキリ現れている。
 逆にこう発想してみたら解りやすいかな。動物ではなく、人間を「巣立たせずに養い続ける」なんてことをしたら、どう? これは明らかに「人権蹂躙」であり、どんなに愛してたって、「虐待」になるのではないかな?
 少女を拉致監禁して飼ってたヒトもいたよねえ。あるいは「あなたは私の可愛いペットよ」なんて言って、美少年をマンションに飼ってる有閑マダムなんてのもいたりするよな(そういう願望持ってる女っていそうだよなあ)。
 それも「家族」なのか?

 私は別に、「ペットを飼うな」とか、「ペットを愛しちゃいけない」とか言いたいわけじゃないのよ。けだものを飼うのには、それなりのルールと覚悟が必要だろうってことなの。実際、なにが起こるか分らないんだから。
 以前、『動物のお医者さん』がヒットした時、シベリアンハスキーの野良犬が増えたって話があったよねえ。今回の騒動も、どうせ『ハム太郎』がヒットしてるからって、安易に子供にハムスター飼ってやった馬鹿親が増えたってことなんだよ、きっと。


 また殺伐とした事件。
 中国自動車道に、中学一年生の女の子が、手錠をかけられた状態で、頭を強く打って死んでいる(正確には救急車で運ばれた先の病院で死亡)のが発見される。
 事故とかではなく、何かの事件であることは(自分から飛び降りたのか落とされたのかは判然としないが)間違いないのだが、女の子に「手錠」をかける状況ってのはいったいなんなのだ。
 どうもすぐに「拉致監禁」とか「略取誘拐」とかいうコトバが浮かんできてよくないのだが、報道もその猟奇性に興奮しちゃったせいか、とんでもない誤報(?)をしでかしている。
 その「手錠」について、病院の関係者が「玩具ではない」と喋っているのを、そのまんま訂正も入れずに放送していたのだ。

 あの、玩具でない手錠って、つまり「ホンモノ」ってことでしょ?
 ということは「ホンモノ」は警察関係者しか使わないと思うんですけど。

 今日び、ちょっと頑丈な手錠なら、「玩具として」ゲーセンのUFOキャッチャーにだってあるぞ。鉄バサミでないと切り離せなかったとか病院では言ってたらしいけど、すぐに外せなきゃ玩具であっても鉄バサミくらい使うだろう。
 それとも犯人はホントに警官なのか?

 先日の花火大会の報道でも、テレビは、例の「茶髪軍団が暴れていた」とか、当事者の発言をまるで検証せずに垂れ流してるとしか思えない。
 「証言」は「事実」とは異なるのである。そんな基本的なことも知らないから「誤報」は増えるんだが、それだけ報道関係者にバカが多いって証拠なのだ。
 ニュースが結局ジャーナリズムではなく、センセーショナリズムによって成り立ってるってこと、視聴者の側はいつだって心しておかねばならないのだろうな。


 仕事を終えてとっとと帰宅。
 しげが今日も「私のモナ王、モナ王返せ」とうるさかったので、途中でコンビニに寄ったのだが、そこは「モナ王」を置いてない店であった。
 まあ、アイスモナカならなんでもいいのだろうな、と思って、森永の「練乳入りモナカ抹茶」と「チョコモナカジャンボ」を買って帰ったのたが、観測が甘かった。
 途端に「モナ王じゃない〜!」とイジケるしげ。
 「なんで? 同じモナカじゃん」
 「チョコが入ってるでしょ? モナカにチョコは邪道なの!」
 ……そんなん知るか。
 仕方なくしげ、「抹茶モナカ」の方を取って一口ガブリ。
 「皮が違う〜」
 何が「皮」だ。たかがアイスモナカだってえのにグルメぶるんじゃねえ。
 プンスカしながら冷蔵庫を覗いてみると、非常食用にと私が買っておいた冷凍の「オムライス」が消えているのであった。
 ……だからその「オレのものはオレのもの、夫のものもオレのもの」ってジャイアニズムで世の中を渡っていこうってのは人間として間違ってるぞ、絶対。

 心の中にメラメラと燃えあがる殺意の炎をなんとか鎮火しつつ、「怒りっぽくなってるのはカルシウムが足りないせいだ」と思って息を整えて、新発売の「生産者の顔が見える牛乳」を飲むと、パックにホントに湯布院の牧場のおっちゃんあんちゃんたちの写真がついているのを発見。
 ……「私たちが作った牛乳です」だとお?
 てめーら牛育てただけだろうがあ! ホントに「生産者の顔が見える」ってんなら、ウシの写真載せろ!
 で、「は〜い、私、ウシの花子。絞りたての私のおチチ、成分無調整よ♪」とかコメントとって見せろ!

 ……すいません。疲れてるんです。許してください。
 
 それでもね、腰が痛いというしげのね、背中に湿布を貼ってやったりしてるわけよ、私は。けなげっていうより馬鹿だよね。
 ……今、気がついたけど、これって女王様と奴隷の関係……?
 (;_;)( ;_)( ;)( )(; )(_; )(;_;)(T-T)うるうる〜


 帰宅が早くなったので、日頃なかなか見られない教育番組なども見られて楽しい。「ハッチポッチステーション」で、『銀座カンカン娘』が流れたのにはのけそった。マニアックとは聞いてたが、親の世代だってそうそう知らんだろうに。
 カラオケなどでは「歌・高峰秀子」とだけしか紹介されていないが、オリジナルはもちろん、高峰秀子・灰田勝彦・岸井明によるトリオ曲なのである。で、「ハッチポッチ」でもちゃんと三人の人形がパートを分けて歌っているのだね。
 ……マニアックどころの話じゃないな。これはもうグッチ裕三というか、スタッフの趣味のみで成り立ってる番組なんだろうな。

 ちなみにオリジナルの映画『銀座カンカン娘』は、戦後間もないころのモノクロ和製ミュージカルです。
 ミュージカルったって、アメリカみたいな豪華絢爛なものが作れる時代じゃないですからねえ。物語自体、開き直って、貧乏画学生が金稼ぎにバイトしまくるという話だったりするわけです。
 だいたい、一応当時のスターであるデコちゃんと灰田勝彦がですよ、田圃のあぜ道と下宿の二階で、形だけはロミオとジュリエットよろしく恋心を交わし合うのだけれど、歌の内容はというと、「デートしようよ〜」「お金がないからできないの〜」ってんですから。こりゃもう、抱腹絶倒のものですがね。
 世界でもっともビンボったらしいミュージカルですが、何がすごいって、ラストくらいは豪華にシメるかと思ったら、古今亭志ん生の落語で落としちゃうんだから。
 貧乏を僻まずに「まいっか」でカラリと仕上げてるセンスがいいのですね。こういう映画がもっと評価されないと、日本のギャグシーンの未来はお寒い限りなのであります。
 監督島耕二の代表作、名作の誉れ高い『風の又三郎』よりも、こちらのトンデモ映画の方だと私なんぞは思ってるんですが。


 CSファミリー劇場で、『美少女仮面ポワトリン』や、安達祐実版『ガラスの仮面』の第1回などを録画しながら見る。
 『ポワトリン』は面白い、という評判を聞いたのが放送後期だったので、初期のころのは殆ど見ていないのだ。
 当時は鈴木清順がなんでこんなのに出演してるんだ、と疑問に思ってたけど、脚本家の浦沢義雄さんつながりだったのだね。
 しかし、異カタルで温泉治療に来ていて働けないから、自分の代わりに行きずりの女の子をポワトリンにし立てるってのは神様もかなり極道(^^)。しかも「ポワトリンの秘密を喋ったら、カエルにしちゃいますよ」って、脅迫じゃん。
 蛍雪次朗さんのディアブルは第1回のころはまだ登場していないのだね。入院中も録画しておいてほしいのだけれど、しげ、ちゃんとやってくれるかなあ。
 これももう十年以上前の番組なのだと思うと昔日の感。主演の花島優子ちゃんもとうに引退して一児の母だって言うし。
 ……そういえば『トトメス』の堀川早苗は今どこで何やってるんだ?


 選挙戦のニュース、当日を別にすれば今日あたりがピークか。
 ニュース23で最後の党首討論、という特集を組んでいるが、昨日、小泉首相がどこぞでの演説でうっかり失言しちゃったという「大事なのは教育ですよ。日本じゃ乞食だってホームレスだって字が読める」ってことに突っ込み入れる他党首は誰もいなかったな。
 森首相の時なら格好の攻撃材料だったろうに、結局「人気者に逆らうと損」とみんな考えながら「自分のほうが傷つかない」質問を繰り返してるだけなのだよなあ。
 確かにね、靖国参拝問題について、土井さんは小泉さんに「参拝すべきでない」と意見言ってるように見えるよ。でも、それは本当に「戦争反対」の理念に基づいた意見だと言えるだろうか。
 「靖国参拝は侵略戦争の美化」って言うんなら、首相の参拝がどうのこうのという前に、どうして靖国神社そのものを廃社にせよ、と言わないのかな?
 社民党を含めた野党も、また「靖国とは別の慰霊墓地を」と主張する公明党も、ひいては中国も韓国も、「存在を認めて参拝を禁ず」と、奇妙な主張を続けているのである。その矛盾の意味を考えずに靖国参拝は是か非かを問うても意味はない。
 あの戦争が「侵略戦争だった」と本気で主張したいのなら、従軍兵士たちは、たとえ「戦うしかなかった」立場であったとしても、みんな戦争犯罪者であり加害者だろう。A級戦犯も一兵卒もそう考えれば立場は同じである。合祀していることが問題なのではなくて、「祀る」こと、「慰霊」すること自体が誤りだ、と主張すべきなのだ。
 なのになぜ誰も「靖国廃止」を唱えないか。

 「靖国」がなくなったら日本を叩ける材料が一つ減るでしょ?

 日本叩きしか考えてないバカの報道をしてるのはもっぱらテレビであって、新聞各紙によればバカを尻目に日韓交流を図ろうとしている民間の団体や学校は多いようである(ホントにテレビはそのことをなぜ報道しないか)。
 たいした心配もないのに、さも不安を煽りたてるようなマネをするのは「煽動」と言わないかな? 日本国内になにかのパニックを起こさせたいのか? 「煽動」の恐ろしさは、流言蜚語が関東大震災時の朝鮮人虐殺につながったことを考えてもわかりそうなものだがねえ?
 実際、日本のどこがどう軍国主義化してるというのだ。「先祖の御霊を祭る」なんて殊勝なこと考えてる日本人なんて殆どおらんぞ。ましてや靖国に毎年参って、「いつかは中国朝鮮を日本が侵略しますから」とか誓ってる奴なんぞおりゃせんわい(0じゃないかもしれんけど、国政を左右できるほどではないことは自明)。
 そんなやつらが大量いるかのように勝手に決めつけてること自体、偏見と差別以外のなにものでもない。そんな証拠が具体的にあるんならあげてみろってんだ。
 このままいくと、『オトナ帝国』のような映画が作られているのが復古イズムの象徴だとでもあのバカどもは言い出しかねんな。


2001年07月25日(水) 福岡腰痛クラブ/『庵野秀明のフタリシバイ』ほか

 半ドン生活になればゆっくり眠る時間が取れるかと思ったら、そうでもない。
 時間があればあったで、読みたい本、見たい映画はあるもので、つい読み耽り、ビデオ三昧の生活を続けてしまうものだ。
 私はあまり頭がよいほうではないので、一読三歎というわけにはいかない。二読半歎、三読一歎くらいが関の山である。
 それで、一度読んだ本は読み返し、一回見た映画もビデオで何度も見返すことになるのだが、そのたびにやはり新しい発見がある。
 と言うか、最初読んだ(見た)ときには、たいていなにかを見落としているのである。

 一昨日の日記に『チビ太の金庫やぶり』の元ネタはなんだっけ? と書いたら友人から「そりゃO.ヘンリーの『改心』やんか、ボケとんのかワレ」(東京人だからこんな喋り方はしないが)と指摘があった。
 おお慌てで岩波文庫の『オー・ヘンリー傑作選』を引っ張り出して読み返してみれば、まさにその通り。読んでるのになあ、なんで忘れるかなあ、と思いながらほかの短編を読み返してみたら。
 おい、大丈夫か、私の脳。
 『賢者の贈り物』も『警官と賛美歌』も、中学・高校の教科書に載るくらい有名で対訳本なんぞも出ているというのにまるで初読。いや、初読のはずはないのだ、その対訳本で訳したという記憶はあるのだから。……それとも訳がヘタクソで私は全く違う物語にしてしまっていたのか?
 あの有名な『最後の一葉』はどうだろう、と恐る恐る読み返してみたら、これも同様。いや筋こそ同じだけれど、私の記憶の中には、雨が吹き荒ぶ中、絵筆を持って壁に描いた一葉の色が落ちぬよう、何度も塗りなおすジイさん(ベールマンって名前だったんだね)の姿と、「神様! 私に今少しの命を!」と叫ぶセリフまで鮮明に残っていたのに、原作にはそんなシーン、全くないのである。
 ……記憶は作られるってホントだなあ。

 これは「なにかを見落としてる」例ではなくて、「なにかを作り上げてる」例だったな。だからまあ、本は何度か読み返さねばならないという結論は同じだけどね。


 早朝3時。
 しげがいつものように仕事から帰ってきた……と思ったら、いつもと違って、気の抜けた声をあげて、
 「助けてぇ〜。o(ToT)o 」
 「……どしたん?」
 「いきなりギックリ腰になった」
 仕事中、何か重いものを持った瞬間にギクッと来たらしい。
 立ってても痛い、寝てても痛いというのだが、その様子にまるで悲壮感がない。
 いや、本人が本気で痛くて苦しんでるのは解るんだけどさあ、痛みがズキンと走るたびに、「あひ〜」とか「うひ〜」なんてアニメみたいな悲鳴上げられてたら、こっちは心配する前に笑っちゃうんだよ。
 冷酷な夫ですまないが、面白すぎるしげが悪いのだ。
 「儚さ」とか「切なげ」という言葉がおそらく世界で一番似合わない女だからなあ。

 かと言って、見てて笑ってるわけにもいかないので、風邪引いてることでもあるし、医者に絶対行くように厳命して仕事に出かける。
 出かけようとして、ふと、気づいて振り帰り(コロンボか)、しげに言う。
 「……自転車で行くなよ。タクシーで行けよ」
 「どうして?」
 「その腰で乗れるンかい!」
 「ああ、そうか」
 私が言わなきゃ、自転車に乗るつもりでいたらしい。で、乗ろうとした瞬間、腰を痛めてることに気がついて「あうっ」となるに決まってるのだな。
 風邪引きの時もそうだが、薬で熱を抑えると「治った」、安静にしていて痛みを感じないでいると「治った」と勘違いするくらい、しげは鶏頭なのである。
 ああ、こんな馬鹿が現実に存在するのだ。
 世界は不思議でいっぱいだナア。

 帰宅してみると、しげは腰にサポーターを巻いて、のへ〜っとくたばっている。
 「どうだった?」
 「どうって、湿布と薬もらったよ」
 「それだけ? 入院はしなくていいのか?」
 「なんで。入院しろなんて言われてないよ」
 ……こいつは、去年、車にはねられた時に入院を拒否してこっちに迷惑かけまくったこと、もう忘れているのだな。保険がおりる分だけそうしてもらった方が助かるんだけど。
 実際マトモに身動きすることも出来ないくせに、入院しないでほっといてもいいものなのか? 寝て湿布するだけで治るものなの?
 ともかく動けないというならしかたがない。家事は私がやるしかないので、買い物に出かけることにする。

 「買い物に行くけど、ほしいものはあるか?」
 「二ク〜」
 それしかないんか、お前は。
 「あと、『モナ王』。アンタが私の食べたやつ」
 ……昨日、冷凍庫に一つだけ「モナ王」があったので、てっきりしげが私の分を買っておいてくれたのだと思って、食べてしまっていたのだ。
 観測が甘かった。
 私は買い物をすると、必ずしげの分も買っておくのだが、しげは自分の分しか買わないヤツなのであった。
 「『モナ王』返せ〜」
 「わかったよ、買って返すよ」
 そう返事はしたものの、実はこれはむちゃくちゃ理不尽な話なのだ。
 なぜなら、私が一昨日買っておいた牛肉四人前、私がひと切れも食べないうちにしげに食いつくされているのだから。

 「のどシュッシュ(喉に噴霧する薬の事らしい)も買ってきてねえ」
 というわけで、薬局を回って、スーパー「大栄」で冷凍食品だのレトルトおかゆだの、手間のかからぬものばかりを買う。
 ちょうど土用の丑の日でウナギがやたらと置いてあったので、それも買う。
 二尾で680円ってのは高いのか安いのか。鰻屋で食うのに比べりゃ安いのはわかるんだけど。
 帰宅してしげと二人で、温めて食ったが、身はポロポロでマズイとは言わんがウマイと言うほどでもない。ウナギは高くてもやはり炭火焼の店で食べるのに限る。
 そう言えば「柳川屋」にももう何ヶ月も行ってないなあ。

 結局、しげは仕事も休み。
 毎年、夏の時期になるとなんだかんだで仕事を休むのはよくないぞ。


 『キネマ旬報』8月下旬号、特集は『猿の惑星』だけれど、表紙で猿たちに「見ざる聞かざる言わざる」のポーズを取らせてるのは日本向けのキャンペーンのつもりなのだろうか。
 ……「面白い」と「つまんない」の境界線にあるようなアイデアだなあ。
 いわゆるこの「三猿」、日光東照宮の彫刻が有名だし、日本語としてうまくシャレになってもいるので、日本オリジナルと思われがちだが、やはりインド・中国経由で伝わってきたもの。地方によっては股間を押さえた「せざる」ってのもあるらしいが、まあそれだけ「猿」ってのが欲望の象徴として見られてたってことなんだろうな。
 で、『猿の惑星』の原作者、ピエール・ブール。
 ご承知のとおり、『戦場にかける橋』の原作者でもある。ビルマ戦線において日本群に抑留された経験もある筆者、この『猿の惑星』もその時の経験をもとにして書いた、という説が根強い。
 となると、あの猿たちも日本軍ってことになるわけだけれど、だからって腹を立てるほど私ゃナショナリスティックでもないので、素直にSFとして楽しめればいいなあ、と28日の公開を待ち望んでいるのである。

 基本的に映画を見るまで特集記事はザッとしか目を通さないことにしてるので、結局読むのは新作映画の制作状況ってことになる。
 冬目景の『羊のうた』を加藤夏希で映画化ってのは個人的には期待しちゃいたいとこなんだけど、原作がまだ事件らしい事件も起こっていない、設定紹介の段階での映画化ってのは、ちょっと早すぎるんじゃないのか。
 でも仮にも一本映画を作ろうってんだから、途中で尻切れトンボってことにはしてほしくない。原作と違ったオリジナルな展開になって構わないから、一つの世界をちゃんと構築して完結させてほしいのである。
 加藤夏希は、SF・特撮ものばかりに出演してくれるのは嬉しいのだけれども、『ロボコン』『まぼペン』『エコエコ』と並べてみると、どうにもこれが新世紀のSF特撮ドラマだ!って力のあるものがない。
 そりゃ考えて見れば当たり前で、これ三作ともリメイクなのだ。
 特撮オタクってのは、ストーカー的なヤツも中にはいるみたいだが、一度ファンになったら、簡単に目移りしないでそのヒーロー、ヒロインを愛し続ける律儀さを持っている。しかし、そのためにはやっぱり「作品」自体に力がなくてはダメなのである。
 いくら『透明ドリちゃん』の柿崎澄子はよかったよねエ、と言ったって、誰が見てたんだそんなん、と言われてしまうのである。
 『羊』に私がなぜ期待するか、なぜそんなに加藤夏希に入れこむか。
 だって、ここしばらくの特撮ヒロインで、ずっと特撮ものに出演し続けてくれてる女優がどれだけいるかね? とりあえずファンをつける、あるいはトレンディドラマに出演するためのきっかけにする、そんな感じで出演してるやつが多くないか?
 どうして水野美紀のフィルモグラフィーから『くノ一忍法帖』『くノ一忍法帖供\讃女の秘宝』がカットされているのだ。そんなに恥ずかしい役だったのか。はっきり言うが、『ガメラ2』の誰が演じたって変わらんような役柄や、『踊る大捜査線』みたいにどこに出てたかわからんような役より、よっぽど輝いてたぞ。
 ファンはいいんだけど、製作スタッフが役者を大事にしないってのが、やっぱり情が薄いと思うんだよなあ。
 特撮番組、子供番組に出たせいで、次の仕事が来なくなったって例、いくらでもあるじゃないか。なぜ次の仕事でも使わない。どうして特撮関係者の男優は悪役に、女優はアダルトに行かねばならんのだ(ちょっと嬉しい面はあるけど)。
 俳優を使い捨てにする製作状況に対して、ファンとして腹を立てているのだ。 ……断言しよう。加藤夏希は逸材である。
 いや、演技的にじゃなくて、特撮ものに偏見がないという点においてだ。
 CSのガイドやってる様子見てると、素顔は意外と能天気な姉ちゃんらしいのだが(だからこそ特撮ものにばかり出てるのかもしれないが)、あまり馬鹿にしないでみんなで大事に育てていこうよ。


 『庵野秀明のフタリシバイ』。
 庵野秀明の、アニメ関係者が殆どいない対談集。というか、殆ど演劇関係者ではないの。
 鴻上尚史、野田秀樹、幾原邦彦、ケラリーノ・サンドロヴィッチ、松尾スズキ、いのうえひでのり、常盤響、田口ランディ、林原めぐみ、Dr.エクアドル。
 「もう私、アニメには興味ありませーん」って感じが見て取れるな。
 で、当然話はアニメよりも「演劇とはなにか」みたいな話ばかりになっちゃうわけだ。この本、サブカルチャーの本棚に平積みになってたんだけど、演劇棚に置いておいた方がいいんじゃないか。

 ある意味、庵野秀明というヒトは、インタビュアーとして類稀なる才能を持った人だと言えるかもしれない。
 以前、大島渚と対談した時に、「戦争世代や全共闘世代の人はいいですよね、共通体験というか核があって。私たちにはアニメしかないですから。空っぽなんです」と、恐ろしいことを言ってのけていた。
 ……あれだね、これ、普通言っちゃいけないことなんだけどね。言ってみれば、乙武広匡に対して「いいよね、五体不満足で語ることがあるから」と言っちゃうようなもんだ。
 それをあえて言うってのは、「私は空っぽです」ってことを自分の立場として開き直ってるわけで、この人の「もう作るものがない」「自殺しそうになった」とか、一連の消極的発言はウソとは言いきれないが、それが庵野さんの創作する立場なのだから、こちらがいちいち心配する必要はないのである。
 でも演劇関係者ってのはこういう言葉にいちいち反応するのだね。
 例えば鴻上尚史との対談。
 鴻上さんは『エヴァ』に並々ならぬ興味を持っていて、なんとか庵野さんから創作の秘密を聞き出そうとするのだが、庵野さんの答えは「そうです」「はい」「いえ」ばかり。結局気がつくと鴻上さんが「演劇の秘密」を語っているのである。
 「目の前に役者いるのにノートにね、役者の配置とか描いてる奴はろくな奴じゃないです。演劇なら動いてもらった方がすぐわかる」
 「僕らが芝居でね、謎を出すのは、世界って結局微笑みはしないし、世界は決して僕らの了解可能なものではなくて、その中で生きていくしかないのだから、了解可能な世界というものが嘘くさいっていうものがあって」
 ……熱く語るよなあ、演劇モノは。
 しかも自分は冷静で斜に構えてるつもりだから始末に悪いのだ。だいたい、これだけの演劇人にあって話を聞いてりゃ、どこかで対立があってもいいくらいなのに、この対談集、見事なくらいに対立が存在しないのである。
 野田秀樹の天皇話なんか、庵野さんにとってはどうでもいいことだろうに、それでも受け答えしてるんだものなあ。
 食えない人なのである。


2001年07月24日(火) 目標達成!……って何が/『腐っても「文学」!?』(大月隆寛編)ほか

 今日から、入院に向けての準備という名目で、仕事はずっと半ドンである。
 でも昼のくそ暑いさなかに帰宅するというのは、それはそれで体力を消耗することだ。
 ……でもそのおかげなのか、体重はついに……ついに!
 79.8キロ!
 切ったのだ。絶対に切れないとしげが鼻で笑っていた80キロラインを。
 わはははは。最後に笑うのは私だ。
 風よ吹け、火よ燃えろ!
 私はもう80キロの男ではないぞ!
 70キロの男なのだ!!


 80キロライン脱出記念ソング

 『もう背中で手が組めるのよ』(著作権放棄・転載可)

 
 ウソじゃないのよ〜。本当なのよ〜。
 体重が、体重が、減ってきてるわ〜。
 みんなが私のことをブ○だのウ○だの呼んでたわよね〜。
 傷ついてないふりしてたけど〜。
 ニコニコ笑っていたけれど〜。
 ホントは、ホントは、殺意の炎が燃えていたのよ〜。
 でももう誰にも私のことを池中玄太とは呼ばせないわ〜。
 あとは体脂肪率を15%以下に抑えることだけよ〜。
 今はまだ22%だから〜。
 今はまだ22%だ・か・ら〜。
 ♪


 誰か曲つけてくれんかな。(V)o\o(V)ふぉふぉふぉ(V)o\o(V)。

 ……実際、体重が80キロを切ったのは、10年振りくらいなんだよなあ。多少ははしゃぎたくなるのはご容赦頂きたい。
 本気になればダイエットはまあまあ可能なんである。確かに「自堕落な生活してるんだろう」と言われたら否定はしにくいが、かと言って「清貧」を標榜したいとも思わないのだけれど。
 何はともあれ、当初の目標(入院までに80キロを切る)は果たせたのだ。
 8/6の入院まであと2週間、ちとキツイが、次なる目標を75キロに設定しよう。


 仕事帰りにコンビニに立ち寄って買い物。
 少年ジャンプ『ヒカルの碁』を立ち読み。
 わあ、いきなり「因島編」に突入か? でもこれが「佐為の碁」から「ヒカルの碁」への橋渡しとなるインターバルだとすれば、ドラマ上必要な展開だろう。
 でもこのためにあの河合さんが用意されてたのだなあ。あとづけで考えているのかもしれないけれど、ホントにワキキャラの使い方がうまい。
 さあ、ヒカルは佐為にもう一度会えるのか。会えたとしてもそれはきっと……。
 ああ、想像が膨らむ。けどきっと、その想像を上回った展開を見せてくれるのだ。ちくしょう、次の週がこんなに待ち遠しいマンガなんて、『めぞん一刻』の初期以来だぞ!


 夕方、しげがフラつきながら近づいてくると、突然「風邪引いたみたい」と言い出す。
 「熱でもあるの」
 「ん〜、39度」
 「風邪じゃん。いつから」
 「昨日から」
 「なんで朝のうちに医者行っとかんの?」
 「だって風邪って気づいたのさっきなんだもん!」
 ……熱が出れば、その時点で普通、風邪って気づくよな。自分が具合悪いことに気づくのにすら時間がかかるのか。アホしげめ。
 アレだな、多分しげの脳は尻尾の先と頭と2箇所に分かれていて、それぞれが超ミニサイズなのであろう。
 だもんで、神経の伝達に時間がかかるのだな、きっと。
 今度から芸名を「ステゴしげ」にしたらどうだ。
 ……それでも夜になったら仕事に出かける根性は立派だが、熱でフラついてるヤツの働いてる店に、食事には行きたくないなあ。


 出会い系サイトを通じて買春を行った裁判官の裁判、ニュースでは「裁判官を裁判官が裁く」というポイントで報道してるけど、まあ事件自体については「どの世界にもイカレたヤツはいるよな」という感想しかないのだけれど、「おおっ」と思ったのは、被告の方じゃなくて裁く方の裁判官の(ああややこしい)、「ストレス解消のためだって言うけど、ただのロリコン、スケベオヤジじゃないの?」と言うセリフ。
 うーむ、「ロリコン」という言葉が別にオタクでもなんでもない一般裁判官の口から出るような時代になるとはねえ。それともこの裁判官、隠れオタクか?
 まさか、ナボコフの『ロリータ』をキッチリ読んでいるとも思えないのだけれど。

 ロリコンと言うと、一般的には「少女しか愛せぬ変態」と単純に理解されてるんじゃないだろうか。でも、原典によれば、主人公のハンバート・ハンバート、確かにロリータに偏執狂的な愛情を抱くけれど、オトナの女性と愛し合えないわけではないのですね。なにしろ、ロリータと親しくなるためにまずはその母親と関係持つんですから(将を得んと欲すれば先ず馬を射よ……違うか)。ロリータの年齢も本作では12歳から14歳。7、8歳の女の子が変質者の犠牲者になってる現実を考えると、まあ若くはあるけれどもギリギリセーフと言う気がしないでもない。

 『不思議の国のアリス』の作者、ルイス・キャロルが実在のアリス・リデルにプロポーズしたのは13歳の時だが、出会ったのは5歳の時。これなんか13歳になるまでガマンしたんだからもういいだろう、っていう、キャロルの世間の常識を一顧だにしない姿勢が垣間見えていて、ここまで来れば充分「真性の変態」と呼んでも構わないと思う。
 よく読めば、『ロリータ』より『アリス』の方が深層意識にからんでる分、よっぽど変態的なのだけれど、あまりそのことに気づかず「心温まるファンタジー」だと思って『アリス』読んでるマヌケは多いわな。
 穴の中の奇妙な世界。奥へ行くほどに現れる奇妙な人々。これ、キャロルのアリスを蹂躙したいリビドーの象徴なんですよねえ。何しろ彼らはみんなイカレていてウソツキでデタラメで、少女を混乱させるためだけに存在するんですから。
 その中心にいるのはあの笑いだけの「チェシャ猫」。

 『千と千尋の神隠し』も、「アリスの末裔」と考えると、もうその世界観、スケベネタのてんこ盛りですよ。だから10歳の千尋を助けるハクの正体は、宮崎監督の……、いやいや、ちょっとヤバ過ぎてこりゃとても言えねえや(^.^;)。

 10歳だとダメ、14歳ならいいと言うわけではないのだけれど、それぞれの事情は結構複雑なのです。
 だいたい世間の人は「ロリコン」と言うと、何歳くらいの女の子を相手にすることを想定してるんだろうか。結婚が許可されてる16歳以下か? でも私がしげと結婚した時、しげは18歳だったけどやっぱりロリコンと言われたぞ。くそ。


 俳優、円谷浩氏死去。
 まだ37歳で肝不全。って、私もこれで死んでもおかしくないんだけど。
 新聞記事には「時代劇やウルトラシリーズで活躍した」としか出演作が書いてない。
 ……円谷浩がマイナーと言うより、『宇宙刑事シャイダー』自体が、大新聞サマから見ると、誇れる番組とは思われていないのだな。それどころか新聞によっては訃報すら載ってない。そんなに特撮系の俳優は差別されねばならないのか。
 確かに華のある俳優さんとは言いがたかったけれど(でも、小林亜星の息子よりゃマシだと思うぞ)、少なくともテレビシリーズの主役張ったことくらい書いておくのが礼儀じゃないのか。
 遺作は平成11年の『作家・小日向鋭介の推理日記』だとか。とすると昨年一年はずっと闘病生活だったのかなあ。そういうことも情報として伝わってはこないのである。
 なんだか淋しい。
 それにしても円谷家はどうしてこうも早死にする人が多いのだろう。円谷英二の子孫たち、まだまだ全員生きてたっておかしかないのに、長男・一、次男・皐(のぼる)氏も今はないのだ。

 ……ダメだ。あとの言葉が続かん。
 合掌。


 大月隆寛監修『別冊宝島Real017 腐っても「文学」!?』。
 前作『いまどきの「ブンガク」』で、「かつて無条件にエライものであった大文字の『文学』などはもう存在しない。あるのは麻薬のような広告資本にドーピングされた情報環境にかろうじて浮かぶ『ブンガク』だけであり、そしてそれさえも、いまどきの世間一般からすればほとんど問題にされていないようなものだったりする」と書いたのは監修者の大月隆寛だが、その主張に首肯はするものの、こういった「レッテル貼り」に大月氏の文学コンプレックスが見て取れるのがどうもねえ。
 私が大学のブンガクブに通っていた頃も、現代作家で評論に値するのは村上春樹くらいのものだとは言われてたんだが、それだって所詮は「文壇」なんて形骸化した砂の城を守るための囲い込みだなあ、と思っていたのである。
 別に趣味の世界でいいじゃん、文学なんて、と思っていた私は、そのブンガクブで、氷室冴子や谷山浩子や宮崎駿のグローバル性をアツク語っていたのだね。今思い返せば、それだって充分青い。「文学で世界が変えられるか」などという命題そのものが、ただの権威主義的言質にほかならない。
 でも未だに「文学」やってるヤツってエラそうなんだよね。大月さんたちが、たからエラそうな「文学者」たちを引き摺り下ろし、扱き下ろしたくなる気持ちは分からないでもない。

 でもだ。
 小田嶋隆が、田中康夫について、「不品行も、性的放縦も、傲慢なもの言いも、すべては『作家さんだから』ということで許されてきた」とかいうヒガミ丸出しの貶し方はチトみっともないぞ。
 あの人の場合、許されてたわけじゃなくて、コモノ過ぎて歯牙にもかけられなかっただけだと思うけどなあ。長野県知事戦で、田中氏に投票した連中で、『なんとなくクリスタル』を読んでたやつがどれだけいるってんだ。こういうコモノに対してまで僻まねばならないほど文学にコンプレックス抱かねばならんのかと思うと、おいちゃん、情けないよ。
 小谷野敦が、柳美里の『命』『魂』や、飯島愛の『プラトニック・セックス』を取り上げて、「『布団』『新生』『黒髪』に感じるような魅力を感じない」というのもただのコンプレックスでないの。明治の文学者の教養ある文章に幻惑されてるけど、教養と文学的価値は別だって事実は、それこそ文学研究の基礎知識ではないのかな?
 文章のうまさを除けば、田山花袋と飯島愛は同レベルと言っていい。いや、女々しい分だけ花袋のほうが低いかもしれない。
 日本の場合、私小説は、社会に立ち向かう勇気のない作家の糊口をしのぐ逃げ道としてあったものだからね、結局、私小説は私小説ってだけの価値しかないのよ。
 ほかにも、栗原裕一郎が『ブギーポップは笑わない』を取り上げてブンガク的に貶したりとか、何考えてんだ、この編集は、と言った感じの記事が多すぎる。
 総じて言えることは、「だから誰も『文学』だなんて思っちゃいないものまで取り上げて、『これも文学だ!』と誉めるならまだしも、貶してどうすんのよ」ってことかな。
 あの、どうせ権威に対抗したいような革命的な文学論やりたいんならさ、未だに教科書に載り続けてるような作品を取り上げてさ、「夏目漱石は『夢十夜』を除けば後はすべて駄作だ」とか、「島崎藤村と志賀直哉は一生読まなくていい」くらいのこと言いなさいよ(あ、私はそうは思ってませんからね。『暗夜行路』は楽しいですよ〜、夏場のガマン大会以上に汗流せまっせ)。
 どうせ文壇から無視されてるヒョーロンカのみなさんばかりなんでしょ? 失うものは今更ないでないの。
 あ、太宰と三島は貶しやすいからアウトね。

 志が低い。 

 
 DVD『遊撃戦』2〜4話。
 岡本喜八が脚本を担当したのは1話のみで、2話以降はオープニングに名前こそあるものの、プロットを提供しただけで、脚本は胡桃哲、中みね子(岡本みね子)、長野洋の諸氏が執筆したもののよう。
 監督も岡本組の助監督、武林進と山本迪夫の二人が当たっており、にもかかわらず、まるで岡本監督自身が監督しているかのような面白さ。
 第二話『砂の英雄』、後の『血を吸う』シリーズの山本監督、西村晃に藤原釜足という芸達者を迎えて、砂漠での頭脳戦をサスペンスフルに描く。砂漠をコマネズミのように走る西村晃が最高にカッコイイぞ!
 だいたい、主人公の遊撃隊の面々自体が、軍隊からのハミダシ者、アウトローたちだから、これはアウトロー対アウトローの戦いであって、善対悪なんて単純なものではない。「国のため」などと言う美辞麗句に踊らされることを拒否しながら、それでも戦わねばならなかった者たちのペシミズムが日本側にも中国側にもあったことをしっかり描いているのだ。
 それでいて、ちゃんとエンタテインメントになってるのだよなあ。第三話『日の丸婆さん』での意外な展開。まさにこれは岡本版『七人の侍』だ。しかも、この潔さは『七人』以上に岡本監督が「戦争」に対してシビアな視点を持っていることを示唆している。
 春太太(チュンタイタイ)を演じる浪花千栄子さんがまた「戦うおばあちゃん」をキリリと演じていて、むちゃくちゃカッコイイ。どこかで見たことある人だなあと思っていたら、その昔(ホントに昔だけど)オロナイン軟膏のCMに出てたおばあちゃんだった。渋谷天外の奥さんだったということは、松竹新喜劇にも出てたんだろうなあ。
 というか、浪花さんの出てる映画も数多く見てるのに、しっかり認識してなかった。全くこれで映画ファンだなんて笑わせるよな。
 第四話『見えざる敵』、敵の正体、まあAだろうというところまでは予測できても、Bってことにするかなあ、したらおもしろいなあ、と思っていたら予測通り。ホントに最後の最後で見せる演出がうまい。
 でも、これについては、キャストをラストにもってきた方が良かったよなあ。映画に詳しい人なら、俳優の名前で「見えざる敵」の正体を知っちゃうからである。
 もし今後、読者のみなさまが「ファミリー劇場」なんかで『遊撃戦』を見る機会がありましたら、この第四話だけタイトルロールの時は目をつぶっておきましょう(^^)。


2001年07月23日(月) 猛暑に耐えるくらいならクーラー病の方がいい/『(週)少年アカツカ』(赤塚不二夫)ほか

 日記の更新が遅れ気味だがこれも一種の夏バテであろうか。
 体重の記録を書きこむのもしばらく滞っていたけれど、ちゃんと毎日、量ってはいたのである。でも殆ど変化がないので飽きちゃってたのだな。
 今日の体重は80.8キロ。ここしばらく、この80.4〜80.8の間を行きつ戻りつしてるだけだ。猛暑続きで汗は掻きまくってるのに痩せないってのはそれだけ食ってるからなのかなあ。


 連日の暑さのおかげで、冷蔵庫の飲みものも消費が激しい。
 コンビニで1000mlの緑茶、烏龍茶、麦茶、各98円ナリを毎日3パックずつ買ってきてるのだが、これがあっという間になくなる。
 私一人が買ってくるのだけではとても追いつかないので、しげにも頼んで、外に出た時には必ず買ってくれと頼んでいた。
 「うん、じゃ、ひと寝入りしてから買いに行ってくるね」
 そう言ってしげは、睡眠不足でキツイから、と夕べ8時ごろに寝入ったのだったが。
 朝になっても、買いに出かけた気配はない。
 なんか疲れてるんなら寝かしてやっとくしかないかなあ、まあ昼買い物に行ってくれればいいや、と仕事に出かけて、夕方帰ってきてみると。
 寝惚け眼でしげが「わあ、寝過ごした」。
 寝過ごしたって、おい、いったい何時間寝てたんだ。
 「いつ起きたんだよ」
 「うーんと、昼の2時」。
 ……睡眠18時間(-_-;)。普通の人間なら寝ようったって寝てられないだろう。
 人間が自堕落にできてるといいよなあ、際限なく寝てられて。
 

 最近、映画に行く機会が減っているので、見たい映画がたまっている。
 しげがスティーブン・スピルバーグの映画『A.I.』について、聞いてきたので、てっきり行きたいのかと思ったら、そうではなくて、職場で話題になっているのだそうだ。
 「でもあれ、結局『ピノキオ』なんでしょ?」
 ……と言われても私だってまだ『A.I.』見てないのに、コメントできるはずもないやんけ。

 でも聞きかじった情報だけで判断しちゃうと、「人間になりたいロボット」って余りにも使い古された題材だものなあ。そんなに人間様がエライのか、ロボットはロボットのままでいいじゃんという気になってしまうのだね。
 『ブレードランナー』がよかったのは、ルトガー・ハウアーが結局人間性を獲得したのかどうか判然としないところがよかったのであって、人間とその他の存在との間に優劣をハッキリつけちゃうと、映画はそれだけで完結したものになってしまっちゃうのである。
 それじゃつまんないと思うんだけどね。なんでアメちゃんはこうも安易に結論をつけたがるかなあ。『アンドリュー NDR114』も結末さえなけりゃ、いい線行ってたと思うんだけどねえ。「人間になってエッチがしたい」っていくらなんでもストレートすぎないか? 「人間になりたい」理由として、説得力があるとも言えなくはないけどさ。
 既に我々日本人は『鉄腕アトム』も『人造人間キカイダー』も持っているので、今更『A.I.』を見に行かなくったっていいような気もするが、若い人は映画を見る目を鍛えるためにはクズ映画も何百本と見ねばならぬものだから、別に見に行くのを止めたりはしません。
 映画と本に関しては金をいくらドブに捨てちゃっても構わないのです。

 しげはあのオスメント君には全く魅力を感じないみたいだが、実は私も同様である。芝居が安達祐実でクサイんだよねえ。あのまま演技が固まっちまうと先々ツライと思うんで、次回作あたりが勝負どころになってくるんじゃなかろうか。


 ニュースは終日、明石市の花火大会後の将棋倒し事件の続報である。
 と言うか、「いったい誰に責任を取らせるか」の報道に終始していたと言っていい。
 もちろん、花火大会を企画した市や、警察や警備会社に責任があることは言うまでもない。しばらくは三者で責任をなすりつけあう泥仕合が展開されるだろうけれど、いずれキッチリ責任を取らされることは間違いあるまい。
 でも、「暴れていた茶髪軍団がいた」って報道はなんなんだろうねえ。まるでそいつらが全ての元凶のような言い方だけど、逆に「茶髪の連中が混乱する群集を懸命に誘導してた」って情報もあるぞ。「駅に向かえ!」とか誘導の声がちょっとでも大きかったら、あの鮨詰め状態の中だ、怒鳴って暴れてると錯覚することもあったのではないか。
 歩道橋の上に3000人だか詰め込まれている状況で、パニックに陥ってなかったヤツはそうそういまい。もしかしたら、そういう情報を流しているヤツの方が、倒れた人間を踏み殺してたことを誤魔化すために責任を他人におっかぶせようとしている可能性だって否定できないぞ。
 どうもみんな、憎しみの矛先を求めて餓狼と化しているみたいで、見ていてどうにもイヤラシイ。
 そんなに誰かに責任を取らせたいなら、当日あそこに集まってきた客全員に均等に責任があるってことにしたらどうか。人が集まんなきゃ事故だって起こるわけはないのだから、これ、間違いではないよな。初めから花火大会なんかに行かないか、遠巻きに見るかすればいいだけの話なのに、「人より少しでもいい位置に」と欲にかられて動くから、事故も起きるのである。
 でもどうせみんな「俺たちは関係ない」と言い出すに決まってるのだよな。責任を回避したいという意識が誰の心にもある以上は、いつかまたどこかで、似たような事件は起きるのだ。


 マンガ、赤塚不二夫『(週)少年アカツカ』。
 『天才バカボン』『ヒッピーちゃん』『もーれつア太郎』『おそ松くん』の中からセレクトした短編集。
 しげから「なんでアカツカ?」と聞かれたが、買って悪いか。
 昔のマンガがつまらないと考えるのは、往々にして読者の錯覚で、その時代の読み方の文脈を知らないせいである場合が多い。
 言ってみれば、「歌舞伎」が所作事を知らねばチンプンカンプンであるのと同じで、マンガそのものがつまらないのとは異なるのだ。つまり、その時代の、その分野での「お約束」を知らないと楽しめないようになっているのである。
 ニャロメの絵を見て「こんな猫いるわけないじゃん」とか「絵が古い」とか突っ込んだって意味ないってこと。

 『おそ松くん/チビ太の金庫やぶり』、収録されてるの、これもしかしたらリメイク版じゃないのかなあ。昔、読んだものより、絵が「新しい」ように思うのだ。しかもラスト近くのコマ運びもおかしい。単にページが入れ違ってるだけでなく、話がうまくつながらないところがいくつかあるのだ。
 ……昔の作品を引き写してるうちに、酔っ払ってたんで間違えたとか、そんな理由じゃなかろうか。
 多分、これ、赤塚さんのオリジナルじゃないな。

 刑期を終えて出所した金庫破りのチビ太、トト子ちゃんのうちの魚屋に住み込みで働いているが、刑事イヤミは、チビ太が再び金庫破りを働くものと考えて虎視眈々と逮捕の瞬間を狙っている。
 ある時突然、事件は起きた。トト子がうっかり金庫に閉じ込められてしまったのだ。早く助けないと呼吸困難で死んでしまう。チビ太はイヤミに監視されていることを知りながら、トト子を助ける。
 金庫破りの腕を使ってしまったチビ太、イヤミに逮捕されることを覚悟するが、イヤミは「チビ太なんか見たこともない」と言って去っていく。

 調べてみると、昭和8年の邦画『女学生と与太者』ってのが全く同じ筋。でも更に元ネタの小説か映画が外国にありそうだよなあ。でもどこの国のどんな作品だか、よく分らないのだ。
 ……誰か知ってる人いない?


 マンガ、牛次郎・ビッグ錠『釘師サブやん/ゴト師・忍び竜!!』。
 今では「ゴト師」という言葉も結構知ってる人が増えてきたけど、当時この『サブやん』でその存在を知った人も多かったのではないか。
 パチンコ専門のイカサマ師のことである。
 一応プロの釘師であるサブやんが、ゴト師について詳しくないと言うのはちょっと変な気もするが、これはあとで「玉光の書」という「釘師の極意書」をサブやんが読む、というエピソードの伏線になってるのだから仕方がない。
 「極意書」なんてものまで出されると、「ンなもんあるかい」と失笑したくなるが、青年マンガというものがまだまだ認知されてなかった70年代、少年マンガとしてはこういうハッタリも必要だったのだ。
 このゴト師の組織がまるきり「虎の穴」なので、梶原一騎の影響ってやっぱり強いなあ、と思うのだが、こういう「巨大な敵」がいるからこそマンガは面白くなるのだ。
 昔、読んでるのだけれど、細かい筋は忘れちゃってるので、続きが楽しみである。


 しげはあれだけ寝ていて今日も早寝だ。
 多分、明日も昼過ぎまで寝ているのだろう。人間、落ちていく時はどこまでも落ちていくのだなあ。
 ああはならないように気をつけなくちゃ。


2001年07月22日(日) 愚か者の舟/『ハッピーマニア』1巻(安野モヨコ)ほか

 なんだかまた悲惨な事件が起こってるなあ。
 兵庫県明石市で行われた花火大会の直後、JR朝霧駅前の歩道橋に殺到していた観覧客の一群が、改札ホーム前の階段付近で将棋倒し、十人が死んだとか。
 死んだのは殆どが老人、あるいは年端も行かない赤子・子供ばかりである。
 さて、こういう悲惨な事故に巻き込まれて亡くなられた方々のご冥福を祈るに吝かではないのだが。

 でも、私の性格の悪いところで、どうしても次の三文字が頭に浮かんでしまうのですねえ。
 「馬鹿?」
 別に死者に鞭打つつもりはないよ。誰が一番悪いかって、そりゃ市とか警察が警備を怠った点にあるのに決まってるんだから。
 でもだ。

 別に行政の不手際を庇うつもりはないけれど、予め身動きできなくなるほど混雑するって、見物客がわからなかったはずはないんじゃなにいか? ケガする危険性だって少なくはないとわかっていながら、なぜみんなそんなところに行くのかね。
 混雑客が将棋倒しになって、ってのは今に始まった事故じゃない。デパートのエスカレーターでだって起こり得る事態だ。けれど、開店時や時間限定のバーゲンなんかを避ければ、まずそんな事故に遭遇することはない。
 結局は「今しか見られないから」とか、「より見やすいところで見たい」「他人より少しでも前に出たい」という欲(「願い」もまた「欲」だってこと、忘れちゃいかんよな)が引き起こした結果ではないのか。
 自分のことしか考えてない連中が集まったから、階段を上ってくるやつと降りてくるやつがぶつかってどうにも動けなくなったのだろう。
 そんな危険なところへ小さな子供を連れて行ったというのは私に言わせりゃどうかしている。それどころか親が同伴せず、子供だけで行かせたケースもあったようだ。……低学年の子を夜間徘徊させる親はどう考えても異常だろう。
 親も加害者の一人ではないのか。

 ……てなことは、子供を殺した親が一番感じてるだろうから、誰も言わないけどね。でも、それが冷徹な事実というものである。
 私ゃ、いつぞやの、河原にキャンプして川に流された家族を思い出したねえ。「子供に思い出を」とか「子供とのコミュニケーションを」とか考えてるのかどうか知らんが、やたらとイベントがあれば子供を連れ出す親がいるがね、それがただの親のエゴである場合も多いのだよ。今回のケースがそれにストレートに当てはまるとは思わないが、子供が親の勝手な思いこみのせいでかえって迷惑してる場合もあるのではないか。
 ……思い返せば、そんなところには子供をしょっちゅう連れ出して疲れさせるくせに、子供が行きたがるところには連れて行ってくれないのがウチの親だったよなあ。
 ナントカ牧場だのカントカ洞窟だの、遺跡だの史跡だの重要文化財だの、教育効果を考えてなのか、そういうクソ面白くもないところばっかり、ヒトを引きずりまわして自分だけ悦に入ってたがよ、わしゃ未だに『メカゴジラの逆襲』に連れて行ってくれなかったこと、うらんどるからな〜。
 そしてアレですよアレ、「大阪万博」の「月の石」!

 ……見たかったんだ。
 「アメリカ館」のを見たかったんだ。
 「ブリティッシュコロンビア館」の間に合わせなんかじゃなくて。
 コドモが本当に見たいものなんて、オトナには決して分らないのさ。
 うっうっうっ(ノ_<。)。

 毎年、百道だの大濠公園だので花火大会があるたびに、花火が好きなしげは「ああ、行きたいなあ」とは言うのだ。
 ならばと、私が「行くかい?」と声をかけると、しげは首を横に振るのだ。
 花火は好きでも、混雑がなにより大嫌いなしげは、くたびれるくらいならかえって行かないほうがいい、と考えるのだ。面白味はないが、それは一つの見識であろう。


 この三連休、しげは買い物一つ、片付け一つしなかった。
 以前から何度もくどいくらいに、芝居をやるなら家事もきちんとやれ、とは言っているのだ。
 でも、溜まる洗濯ものを洗いも干しもしないし、ゴミを片付けもしない。
 たまにまとめてやっても何ヶ月かに一回じゃやってるとはとても言えない。日頃、仕事の合間を見てやってるのは私なのだ。
 確かに「いい加減でやれよ」とこちらが命令すれば渋々と行動しはする。
 しかし、「言われなくてもする」ことが当たり前なことを「言わなきゃやらない」と言うのは威張れた話ではない。
 でもそれで威張ってるのだよな、しげは。
 「ちゃんと片付けたもん」って。
 言われてなけりゃ、やってないくせに、なに威張ってんだボケが。
 今回はそう言う言い訳をさせないために、あえてしげに何も言わなかった。
 結果は明白である。
 しげは「全く」家事をしなかった。言い訳は成り立たない。

 で、結局、私が片付けだのなんだのをせねばならなくなるのだけれど、私が家事をやれるのは休みの日しかないのだよね。
 その休みの日に練習を入れられたら、ウチで家事をやるものがいなくなる。
 私が脚本以外で芝居に参加したくないのはその辺にも理由があるのだ。しげと何度も「家事もちゃんとやります」と約束したが、一度も守ったことがないし、今度も同様だろう。
 なら、練習と家事とどちらを優先させるかは決まっている。
 ましてや今年、私は休日出勤も多いのだ。

 ……というわけで、劇団のみなさん。
 私は家事と仕事のために殆ど練習に参加できませんが、そういう事情は予めしげに伝えてあることです。
 にもかかわらず、演出がムリヤリ私をキャスティングしたのですから、時間が足りない分、役作りについて、基本線は演出の意図を汲むとしても、肉付けは私のほうである程度勝手にやらして貰います。というか、そうさせてもらわなきゃできんよ。打ち合わせする時間なんてないんだから。
 同様に、音響プランもこの夏中に、演出意図無視で(っつーか、まだまとまってないんでしょうけど)パッパと進めようと思ってますがその辺はよしひとさん、どうかご容赦。

 それにしても、洗濯モノ一つとってみても、二人の一週間分を全部一日でやっちまわなきゃならないんだもんなあ。
 干し場自体が全然足りないのだ。
 食料の買い置きもない。コメの一粒も残ってない。
 洗い場は昨日洗いきれなかった食器が未だに異臭を放っている。
 スーパーとウチを二往復して、物干し用のハンガーやら、洗剤やら、柔軟剤やら、コメやら、シャンプーやら、ともかく家事のためのモノを買いこんでくる。
 そして洗濯機を回すこと3回、台所を必死で片付けたころにはもう練習が終わろうかという時間。
 ……でも、風呂掃除とトイレ掃除、玄関の掃除もまだ残っているのだよなあ。
 そこまでやっていたら、とても練習に顔を出すことすらできないので、仕方なく切り上げて吉塚のパピオに向かう。

 3時ごろ(あと30分しかねーや)にようやく到着。
 案の定、「遅かったね」とは言っても、しげは強く追求はしない。そりゃ、自分が家事ほっぽらかしてる負い目があるからな。
 よしひと嬢のシナリオはまだ第2稿が完成せず。
 とりあえず、冒頭部分だけでもあわせてみる。
 穂稀嬢がなんと私の愛人役である。
 ……なんつーかねー、私と穂稀嬢、親子ほどトシが離れてるんだよね。私が大学生のころにはこの世に影も形もなかったんだから。二人並べて、はい、カップルですよって、誰が信じるかってんだ。私はしょぼくれたデブの中年だし、穂稀嬢は今が花の美少女である。釣り合わないことこの上ない(そもそも私をキャスティングした時点で無理があるのだ)。
 それをただのエンコーじゃない、ちゃんとした愛人にするってんだから、こいつは相当な外道だ、と思って、冷酷なキャラで演じてみた。
 穂稀嬢がまた、トシは若いのだが、セリフを言わせるとまあ、なかなか色っぽいのな。
 こっちも外道になってるから、合わせてみるとなんだか日活フィルムノワールみたいな雰囲気が漂う。
 こりゃ、いいセン行くかなあ、と思っていたら、演出のしげからダメだしが出た。
 「もっと若くやって。20代後半くらいで」
 ……はい?(・・;)
 「それじゃ冷たい中年オヤジだから」
 いや、実際その通りなんスけど。
 「ハカセ(穂稀嬢のことね)も、甘えるような感じじゃなくて男より立場が上って感じで」
 どうも演出は、愛人のシリに敷かれた若い男ってのを演出したいらしい。
 でもなあ、男ってのは自分のプライド犠牲にしてまで愛人作ったりはしないものだがなあ。その点でいけばその演出、あまりリアリティのあるものとは言い難い。
 けれど、私に20代を演じろ、ということはとりもなおさずリアルな演出はしない、ということなのだな?
 非リアルな、エキセントリックな演技を求めるのならば、それはそれでやりようはあるのだが、さて、本当のところどうなのだろう。
 どっちにしろ脚本が完成していない段階で「その解釈はおかしい」とも言えない。第一稿とはキャラクターが相当変わるということだから、その結末を参考にすることもできない。
 しばらくは手探りで行くしかないなあ。
 入院している間にいろいろ考えてみるかな。でも病室で(多分、大部屋)セリフの練習するわけにもいかないし、イメージトレーニングするしかないなあ。
 よしひと嬢との掛け合いの方は、なかなかテンポがよい。
 と言うか、こちらの関係はよしひと嬢(こちらは妻役。なんか両手に花だな♪)は「わが道を行く」キャラクターなので、私がどんな役作りをしようが基本的には関係がないのだ。

 実際、今回の芝居の面白いところは「コミュニケーション不全」の問題が意識的に盛り込まれているところだ。
 親子がいる。
 恋人がいる。
 夫婦がいる。
 友達がいる。
 けれども彼らは会話しているか。
 言葉を交わしはしているかもしれない。しかし、お互いに言葉を受けとろうとしているか。
 形だけの親子。
 形だけの恋人。
 形だけの夫婦。
 形だけの友達。
 傷つくことを恐れるあまり、そういう人間関係しか作れないようになっている人々。
 彼らは、彼らの「夢」の中にいるだけだ。

 芝居の内容について、今はまだあまり詳しいことは言えないので、ちょっと思わせぶりな言い方にはなっていますが、ご容赦下さい。
 ……でもやっぱりテーマが押井だよなあ。
 よしひとさんも押井ファンだし、これはしゃあないかな。


 練習後、パピヨンプラザのロイヤルホストで、よしひと嬢、穂稀嬢を交えて食事。
 会話しながら、ふと、穂稀嬢から「私を本名で呼んでくれるのけーしーさんだけなんですねえ」と言われる。
 みんなはもう、穂稀嬢のことを「ハカセ、ハカセ」と呼んでるんだけど、私ゃ「ハカセ」と言われるとどうしても『オバケのQ太郎』のデコチン頭の「博勢」を思い出しちゃうので、現役美少女の穂稀嬢とはイメージが合わないのでとてもそうは呼べないのである。
 それに最初に本名で紹介されたので、別にアダナつけなきゃならない理由もないし。基本的に私は劇団メンバーはみんな本名で呼んでいるのだ。
 逆に、私が自分のことをみんなには芸名で呼んでくれるようにお願いしているのは本名だとしげとの区別がつかないという単純な理由である。
 でも「けーしー」はないよなあ、とちょっと思っちゃいるのだが。

 よしひと嬢、「昨日の『USO!?ジャパン』、見ました?」と聞いてくる。
 ネットでも話題になっていたが、『BLOOD THE VAMPIRE』のメイキングビデオの押井守が着ていたトレーナーの犬の目が瞬きした、というものだ。
 私は見ていなかったのだけれど、あの番組は一見して「でっちあげ」があけすけな番組なので(というか、オカルト系でマジメに心霊現象を取り上げたことなんて殆どないのではないか)、どうせ『USO』スタッフのヤラセだろう、と、気にも留めなかった。
 だってタイトル自体、ちゃんと「USO」(嘘)と断ってるし。
 案の定、ウチに帰って、『BLODD』のメイキングを見たら、犬は瞬きなんか全然していないのであった。
 

 マンガ、安野モヨコ『ハッピー・マニア』1巻。
 名高き平成の名作を今まで読んでいなかったというのは、不明の至りだが、文庫化を記念して一読。
 読者の女の子は、結構、主役のシゲカヨに感情移入して読んじゃうのかなあ。
 岡田斗司夫さんが『フロン』で紹介していた「オンリーユー・フォーエバー症候群」の典型だものな、シゲカヨって。
 だから彼女が幸せになれないのは実現するはずのない「夢」を追い続けている本人のせいなので、私は感情移入など全くしない。
 かえって、「こんな女にもタカハシみたいな『キープ』が現れちゃうから、いつまでたっても世の中から『馬鹿女』が消えてなくならないんだよなあ」と思ってしまうのだ。
 こういうことを言うと、「女の子が夢を見ちゃいけないの!?」と文句をつけてくる女の子がいるんですよねえ。
 お答えしましょう。
 いけないに決まってます。
 それどころか、あなたはハッキリ、世の中に害毒を撒き散らしています。だってあなたは「タダで体を売ってる娼婦」なんですから。
 世間の男から、カラダだけしか相手にされてないのも自業自得と思いなさい。 多分あなたは、お父さんお母さんから「いつまでも夢ばかり見てんじゃない」とか言って叱られたことなんてないんでしょうね。
 タカハシもなー、「この人にはボクがついてなきゃダメなんだ」とか思ってるあたりゴーマンだよなー。自分が庇護者になれる相手を見つけてるだけ(つまり自分が劣等コンプレックスを感じないでいられる相手を探してるだけ)だから、実はカラダだけのつきあいしてるほかの男よりももっとシゲカヨのことバカにしてるんだよねー。本人気づいてないけど。
 と言うか、世の女性諸君、男は女をそんな風にしか見てないよ。
 例外はありません。
 安野モヨコもタカハシを好青年風に描いてるあたり、これが純愛みたいなもんだと錯覚してるのかなあ。客観的かつ冷静に見れば、これはただのバカ女とバカ男との絡み合いです。
 だから楽しいんだけど。好意的に解釈すれば、安野モヨコ、「この世にはバカしかいない」という視点でこの『ハッピーマニア』を描いてるのかなあ。
 誰の言葉だったかなあ。
 「不幸は幸福を追求し始めた時から始まる」って、言ってたのは。
 いい加減「いつか幸せになれる」なんて夢から覚めなってば。


 マンガ、佐藤竜雄原作・滝沢ひろゆき作画『学園戦記ムリョウ』3巻。
 ちょくちょくテレビアニメの方も見てるけど、マンガ版とストーリーが遊離してないのはかえって今時珍しい。
 アニメはアニメ、マンガはマンガでストーリー変わるほうが当たり前だしねえ。
 でも那由他の声に朴瑠美は合わんぞ。老けすぎじゃ。
 ……とは思うけれど、ナユタが一番感情移入しやすいキャラではあるんだよね。ムリョウは「作りもの」だし。
 個人的にはジルトーシュさんの無責任男ぶりがいいですねえ。サナトス星から送り出されてきた知性体兵器に「サナドン」なんて勝手に名前つけちゃうあたり、マイペースそのものですもんねえ。


 マンガ、宮崎克脚本・高岩ヨシヒロ作画『松田優作物語 ふりかえればアイツがいた!』5巻。
 村川透がこのマンガの取材を拒否したそうである。
 ……潮時ではないのか。
 「伝記」というものは結局はその人物をブランド化する行為にほかならない。実像などハナから描けるはずはないし、ましてやこのマンガは大きな二つのネックを持っている。
 一つはこれが「マンガ」であること。
 映像が残っていない、証言のみからその時の情景を再構築してみても、それは全く別のものにしかならない。ほんの少しの一致も有り得ないのである。
 もう一つは初めから「松田優作美化」のバイアスがかかっていること。
 松田優作の暴力行為が「武勇伝」の一言で片付けられる分析の甘さはなんなのだろう。暴力は絶対いけないなどという教条主義的なことを言いたいわけではない。証言者の「でもそれは彼の優しさ」という言葉をそのまま映像化することがその人物を描くことにつながるのか、という問題だ。
 このマンガはあえて避ける。松田優作の狂気について。
 狂気をタブーにしていて、彼の演技の、人柄の、何を描けるというのか。「シュバイツァーはいい人でした。マル」式の小学生向け伝記のレベルから何歩先をこのマンガは行っていると言えるのか。
 「ヤングチャンピオン」じゃ、もともとこれが限界なのかもしれないけれど。


 マンガ、新井理恵・津上柊子・古館由姫子・古結あかね『世にも奇妙な物語 コミックの特別編』。
 なんちゅーかね〜、画力がなくて構成力もないマンガ家さんにお仕事あげようって企画なのかもしれないけどね〜、脚本がみんな「どこかで見たような」感のあるものばかり選んでるのはなぜだ。
 なぜこう、最初の数ページでオチがわかる原作ばかり選ぶかねえ。


 三連休が終わって、疲れが取れるどころか、増えてるのは何か理不尽な気もするが、しげと結婚したこれが宿命と言うものであろう。
 でも、宿命に逆らうのが人間の道という考え方もあると思うな。


2001年07月21日(土) やたら長長文になっちゃいました。すみません/『裏モノ見聞録』(唐沢俊一)ほか

 しげと一緒に路上劇を演じてる夢を見た。

 そのころ(っていつだ)、我々、演劇集団 P.P.Produceの活動は軌道に乗っていた。乗りすぎていた。
 団員は20人を越え(その程度で軌道に乗ってるのか)、世間にも認知されていた。
 だから交通規制をして天神のスクランブル交差点で(あとで思い返すと、場所はまさしくそこなんだが、夢を見ている間はそこじゃない気がしていた。なぜか「世界の交差点」なんてことを考えていたのである。『エヴァ』の影響か?)、劇団員がみんな狂ったように踊り狂っているのである(そりゃ狂ってるんだって)。
 路上劇はアドリブが命だ。
 ここでわが劇団のヒーロー、藤田くんがアドリブをかますことになっていた(それってアドリブって言わないのでは?)。
 ところが藤田君、軍用車に乗ったまま、微動だにしない(どうやら兵士として、狂った群集を沈静する役らしい)。
 どんなに大所帯になっても、ウチの主役は絶対に藤田くんなのである。
 そう決まっているのである(なんでだよ)。
 私たち夫婦も、別の軍用車に乗っていて、いざというときのために(どんなときだよ)待機しているのだが、藤田くんが沈黙しているのでイライラしてきた。
 群衆が踊り狂っていると言っても、「ええじゃないか」みたいなものでも社交ダンスでもない。
 その場を一歩も動かず、両手を上げて全身を激しく波打たせて「わあああああ」と叫んでいるだけである(ホントに狂っている)。
 我々はそれを「全身激しくワカメ踊り」と呼んでいた(ネーミングセンスがない)。
 こんな踊りをずっと続けていては死んでしまう。鴉丸嬢などは、既に声が「わああ……げほ、げほ……わああ……わは、げほげほ」と咳込んでいる。
 このままではいけない。
 なんとか藤田くんを動かさなければ。
 なのによく見ると、藤田くんは俯いてクックックと笑っているだけなのだ(どうやら自分だけの演技プランに基づいて演技しているつもりらしい)。
 私は隣に座っているしげを見上げて「どうすんだよ」と目配せしたが(この軍用車には座席になぜか段差があるのだ)しげも更に隣を見上げる(この軍用車には座席が三つあるのだ。……ってどんな車種だよ)。
 そこには見知らぬ男が。
 「おい、こら、オレ以外の男に相談するんじゃない」と内心むかっ腹を立てていたら。
 目が覚めた。
 おい、オチはどうした?(いや、夢にオチはないぞ)

 まあ、たいして面白い夢でもないが、私の夢の中にしげが登場することなんて滅多にないことなのだ。
 いつもしげは、「アンタは私のことを思ってくれてない」と文句を垂れているので、夢に出て来たことを教えてやったら喜ぶかと思いきや、「全然ラブラブな夢じゃな〜い」とかえってむくれる。
 いや、私がジェラシったということ自体、珍しいことなんだから、充分、「ラブラブ」だと思うんだけどなあ。
 それこそ「夢物語」を語ってるだけじゃないか。贅沢言ってんじゃねーや。

 しげは今日は鴉丸嬢と待ち合わせ、と言うことで外出して行った。
 別に早朝と言うわけではなく、午前10時の話だから、その前に洗濯をしたり洗い物をしようと思えばできるのである。
 ところがしげは何もしようとしない。
 どんなに言い訳をしても、しげが究極の怠け者であることは否定できない事実なのである。結局、すべて私が尻拭いをしなければいけなくなるのだ。
 あんなでかいケツの尻拭い、したくねえぞ。
 何しろ私の1.5倍はあるのだ(誇張なし)。

 というわけで午前中はゴミ溜めと化した(比喩ではない)台所を掃除。
 またもや汚物が排水溝に詰まって流れなくなっているのである。
 ここまで汚くなっても、しげが放置したままなので、休日に私がやるしかない。この世界で一番家事をしない女がなぜ生まれたか、心理分析が出来たらノーベル賞が取れるんじゃないか。ある程度片付けても、皿置き場が満杯になってしまったので、これ以上は洗えない。
 仕方なく残りは翌日に回すことにする。
 部屋もまた床が見えなくなりつつあるから片付けないとなあ。

 今日はゆっくり日記が書けるかと思ったら、いきなり1時を過ぎたころに、しげから電話。
 「どうしたん」
 「博多駅の近くで、声を出しても迷惑かからないとこ知らん?」
 「……公園は?」
 「……暑いんよ!」
 「暑いって、日陰は?」
 「日陰も暑いんよ!」
 「じゃあ、どこかに入り込むしかないじゃん。喫茶店とかで『声出していい』ところなんてないし、『カラオケ屋』でも探せば? オレは、博多駅近くのカラオケ屋なんてよく知らんぞ」
 「そう、わかった」
 プツッと通話が切れる。えらくあっさり切りやがったんで、かえってしげが何を考えてんだか判らず、妙に気になってくる。
 いったい何を始める気だ?
 と思っていたら、しばらくしてまた電話。
 「アンタ、今日ヒマ?」
 「ヒマって、いや、やりたいことはあるけど今しなきゃならないってことでもないし……。なんで?」
 「カラオケ屋のカード、そこの引き出しんとこにない?」
 「あるけど? なんで?」
 「店まで持ってきて。そこで打ち合わせするから」
 「そこでって……博多駅の近くにカラオケ屋なかったの?」
 「どこも混んでる。駅から離れれば空いてるだろうから。じゃあねえ」
 じゃあねえって……駅から離れてるって、そりゃ離れてるよ。バスで六つ目なんだから。
 でも、頼まれた以上はしかたがない。
 ちょうど食事をどうしようか、自分で作るか外食するか迷っていたので、カラオケ屋で食えばいいやと決めて、外に出たのだが。

 なんなのだ。この暑さは。
 昨日もうだるような暑さだったが、今日は昨日の比ではない。
 暑さの衣が全身にまとわりついたような暑さだ(あとで知ったが、地域によっては40度を越えたところもあったらしい)。
 さっき「外は暑い!」としげが言っていた理由がよくわかった。
 これはさっさとカラオケ屋までたどりついて、ロビーで涼むに限ると、自転車をかっ飛ばす。

 ありがたいことに、カラオケ屋にはクーラーがかかっていた(当たり前だ)。
 しげたちが来るまで、マンガでも読んでいようかと、持参してきた『攻殻機動隊2』を読もうとして、鞄から取り出したものの、ふと、ロビーに置いてあった『週刊SPA!』の今週号に目が行く。
 「イマドキの[あげまん]はココが違う!」
 いや、そのコピーに引かれたわけじゃないけど、雑誌は立ち読みでしか読まないので、つい手に取って読み始める。
 で、あげまん記事には目もくれず、「これは事件だ/神足裕司」で、コータリ
さんが「靖国問題」について、語っているので興味深く読む。
 なるほど、A級戦犯と普通の戦没者を合祀しているのは靖国神社の「死んだらみんな神さん」という考え方に拠っていたのか。つまり「靖国」は死者の罪を「許す」神社でもあったわけだ。
 こりゃ、アジア諸国の「日本を許さない」思想と相容れるわけはないわな。中国や韓国は、その主張を通そうとするならば、「靖国」の存在自体を否定せねばならないのである。
 コータリさん自身は、あの戦争を侵略戦争であるとハッキリ認識しているが、靖国参拝を否定しようとする動きにも異議を呈している。これが平均的日本人のごく常識的な意見だろうなあと思う。
 「許す」文化がない国に対して、「許す」ことが「過去をウヤムヤにすることではない」ということを理解させることは非常に困難だ。でも、日本人自身、「許す」ことが「ウヤムヤにする」ことと同義だと錯覚してるバカも多いのである。
 「いつまで謝ってれば気がすむんだ」と腹を立ててる連中は、明らかにこの「ウヤムヤ派」だ。
 ……思うんだけど、いっぺん、「すみません」と謝るんじゃなくてハッキリ「許してください」と言ってみたらどうですかね。
 まさか中国や韓国だって「い〜や、永遠に許さない」とは言えないでしょう。

 「どうしたら許してくれるんですか?」
 「そりゃ、誠意を見せてくれないと」
 「誠意を見せたら、あとで戦争を美化するバカが出てきても許してくれるんですか?」
 「いや、それはそのときで」
 「それは永遠に許さないということではないのですか?」
 「バカが出るのはあくまで可能性だから、出てこなければいいんですよ」
 「でも、バカが絶対に出ないということがあり得ると思いますか?」
 「そんなことはわかりません」
 「つまり許せるかどうかもわからないということですね? じゃあどんな誠意を見せてもその『分らない』という結論は変わらないのではありませんか?」

 というわけで、「許さない」とか「謝罪しろ」って言ってる連中だって、実は「ウヤムヤ派」なわけなんですね。

 とかなんとか考えていると三十分以上経って、ようやくしげと鴉丸嬢が到着。
 挨拶はいきなり双方ともに「暑いねえ」。
 ともかく部屋に入りたかったが、カラオケ機種は慎重に選ばねばならない(^^)。
 今日は運良く我らが「ジョイサウンド」の部屋は空いていたのだった。

 でも、しげたちの目的はあくまで芝居の打ち合わせであって、歌うことは眼中にない。
 「今ごろ、店の人たち、『あの部屋、歌いもしないで何やってんの?』って思ってるよ」
 と、鴉丸嬢。
 「そうかな? 意外と気にしてないんじゃない?」
 「いや、絶対、話してる! 客のうわさってのは絶対するものなの!」
 しげまで賛同したので、なんだかイヤな気分になった。
 そういや、しげもよく、店に来た客の文句言ってたしな。
 でもそれって不可避なことだし、誰がどう思おうと、それが店内だけのことなら、文句のつけようもないし。
 いやね、ウワサされることがイヤなんじゃなくて、ウワサされたくないって顔してるしげたちのほうがちょっとヤなのね。
 そんなこと気にしてたらキリないじゃん。どこにも行けなくなるだけだよねえ。

 ともかく当初の目的は芝居の打ち合わせである。
 私の脚本、実は歌がたくさんあるのだが、その曲を作曲するのは、手間がかかりすぎる、ということで、うまく合うカラオケのメロディーがないか相談する。
 なんとか曲の候補が出たところで、せっかくカラオケがあるんだから、と、ようやく歌い始める。
 「店の人、『ああ、やっと歌い出した』って安心してるね」
 ……鴉丸さん、気にし過ぎだってば(--;)。

 『吸血鬼ハンターD』の主題歌(昔のT.M.networkの方のね)、てっきり歌えると思い込んでいたのに、途中をすっかり忘れている。昔のビデオもときどき見返さないとなあ。
 しげと鴉丸嬢、オヨネーズの『麦畑』を楽しげにデュエットするが、私はよく知らない歌だ。以前、しげから「一緒に歌おー」と言われて、「知らんから歌えん」と拒否した歌である。
 でも、若いレディーが花詰まらせながら、

 うんと大事にすっからよ
 も少しこっちゃさ来い
 やんだ恥かしな
 ちっと気が早えな

 とか歌ってるのはなんだかなあ。

 おら本当にハッピー
 おらも本当にハッピー
 愛の花咲く 麦畑

 とか、歌ってて、石、投げつけたくならないか?

 で、気がついたら夜の8時。
 割安のフリータイムも8時までである。
 鴉丸嬢をバス停で見送って、私はひと足先に近所のベスト電器で生ビデオテープを買うために、自転車で先に行く。
 「私を置いて行くの?!」
 としげは泣き顔になるが、ゆっくり一緒に歩いていたら、店が閉まってしまう。
 しげは、放っといても、ちゃんと付いて来るけれども、ビデオテープは向こうから歩いて来てはくれない。どちらを優先するかはわかりきっているではないか。
 「ベスト電器の前で待ち合わせすりゃいいじゃん」
 と、文句を言われる前にさっさと自転車に乗って、しげを置き去りにする。
 待ち合わせ場所で、ちょっとすれ違いかけたけど、なんとか会えたので、終わりよければ全てヨシである。

 ええ、その後は仲良く二人で歩いて帰りましたとも。
 間違っても、しげを荷台に座らせて二人乗りして、しげが怯えて「怖い怖い怖い怖いー!」と絶叫するのを面白がって、更に自転車の速度を上げて猛スピードで一気にウチまで帰るなんて危険なマネは、一切しておりませんとも。

 しかし、今日はなんだかんだで動きづくめなのでありました。
 帰宅後は日記を書く元気も残ってなかったけど、遊んでちゃ、日記も滞るばかりなのです。


 唐沢俊一『裏モノ見聞録』。
 WEB現代で全部読んでるものばかりなので、新刊だけど特に新規な感想はないのだけれど、語りだしたらキリがなくなる類の本でもある。
 なんたって、インターネットのちょっと(随分?)変わったサイトを紹介しまくっている本なのだから。
 以前、鈴邑くん夫妻に「女の子の名前だけを集めたサイト」ってのをこれで読んで知って、紹介したことがあった。というのが、お二人のご長女のふなちゃん、本名が結構変わってるからなんだね。
 調べてみると、同じ発音の名前はあるけれど、字が違う。教えてあげたらこのサイトの管理人さん、喜ぶんじゃないかな。
 ちなみに「男の名前を集めたサイト」は、作る気が全く完全に絶対ないそうです、この人。筋が通っているなあ。
 http://www.dd.iij4u.or.jp/~ume20/f_name/
 ほかに、私も大いに笑わせていただいて、思わず「お気に入り」に入れちゃった、「電波ニュース」ってのがある。普通の文章をここに登録すると「電波系」(あの、つまりイカレタ系ということね)にしてしまうというものだが、どれだけオモロイかは論より証拠、試しに昨日の日記をここに入れてみよう。



 連休に入ると、つい時間感覚がなくなる。自分でもビックリするほど金が無い。
 夕べも「仕返しに明日は早起きしなくていいんだと思ったら姫路城の出来上がり」と思ってつい夜更かし。しかし奥からはうめき声が漏れてくる。
 で、楽しみの連休中も結局は寝不足のまま過ごすことになっちゃうのだ。しかも担任まで俺が盗ったと思ってるし。
 朝方、しげはどうやら私を起こそうとしたらしい。
 らしいと言うのはもう記憶が曖昧だからなのだね。こうなった以上、君たちには死んでもらうしかない。
 「危害を加えない映画行こうよう。もっとホネのある奴だと思ってた、残念だよ。朝だよう疑惑」
 「……朝って何時と思ったら姫路城の出来上がり」
 「7時」
 「……映画館も空いてないやん、昼からでいいようを半年育てて森に返し涙」
 そう言って、また眠りに入り、いてもたってもいられずに目覚めたらもう昼過ぎ。どうしたらいいか分からなくて頭の中が真っ白になって気づくと、あらぬ方向に走り出していましたが。
 今度はしげの方が眠っている。まかちこん。
 「……どうした? 映画行くんじゃなかったのか?」
 「朝しか行きたくないよう。まず、頭痛のことなんですが、なんつーか、わかったんですね。頭痛のときは、これがおさまれば、すべての問題が、解決されるような、そんな気がしていました。ありません?そういうこと。で、頭痛がおわってみると、元の木阿弥。昼からはイヤだよう」
 どういう理屈だ。気がついたら集中治療室のベッドの上でした。
 しげは、よかれと思いこれまで、有償で朝早くから映画に行ったことなんて殆どない。
 私にしてみれば、指を突っ込んで吐くよりは朝方に出かけて、昼過ぎに食事と買い物をして帰宅、というのが休日の過ごし方としてはベストだと思っているのだが、たいてい朝はしげの方が寝ていて起こしても起きないのである。
 今日だって、俺が「良い」と言うまでてっきり朝はしげがグズると思って、昼から出かけるつもりでいたのだ。そして星へと祈るの。でなきゃ夕べDVD見て半徹夜、そして誰もが諦めていたその瞬間なんてことはしない。これからは俺の事を気安く「ダニー」と呼んでくれよ。
 ともかくいやがる奴を無理に引っ張ってたってしかたがない(涙アンド変な汗)。しげのきまぐれとスケジュールに合わせていては、とても映画に行く時間など作れない。
 何しろいつ「どうやら寝てる間に今度の○曜、からだ空いてる?」と脳直で聞いても「わからないと思っていませんか?」とか「手乗りなんでアンタに教えないかんの?」としか答えないのだ。乙女のピンチ。自分のスケジュールは教えたがらないくせに、こちらの都合ばかり脳直で聞きたがると言うのは見当違いじゃないか、と何度言っても改めない。すると全員俺の事を無視ですよ、無視。
 性格が歪んでいるのである。ダメじゃん。
 品性が下劣なのである。そして冷たい風が吹き抜ける。春はまだ遠い。
 根性曲がりと映画に行っても楽しくないぞ。わかってんのか。
 というわけで、映画には一人で出かけようと決心するが、それでもすぐには出かけない。残り300円で10日間しのがなきゃ。
 しげの気持ちが変わって、「ご覧のようにやっぱり行くにはこんなにも危険がいっぱい」とか言い出しかねないので、ちょっとは待ってやるのである。それで旧国鉄時代を含めたJRは完全制覇したから、今度は私鉄か貨物にチャレンジしようと思うんだ。
 ……なんでこんなアホウに気を使ってやらにゃならんかな。そこんとこ4649。もしくは4126。



 私もしげも既知外だ。
 しげはダン・エイクロイドのファン。で、私が「ダニーと呼んでくれ」ってのは、偶然とは言えハマリスギだ(^_^;)。
 http://www02.so-net.ne.jp/~saitou/denpa.htm


 マンガ、小野敏洋『ネコの王』1巻。
 あっ、小野さんって、昔、『プロジェクトA子2 大徳寺財閥の陰謀』のコミカライズ描いてた人じゃん。
 無茶苦茶ヘタクソだったのに、無茶苦茶うまくなってるぞ。
 ストーリーテリング、コマ割り、絵柄、どれ一つ取っても、とても同一人物とは思えない。
 ……ホントに別人じゃないの?
 猫が「突然」進化した世界。人類はとうに「喋る猫」に驚かなくなっている。でも、その最近進化したはずの猫たちに、遥か太古から伝えられている「猫の王」の伝説。
 それは単に猫を支配するのみならず、宇宙をも統べる秘密を持つという……とんだ間違いで猫の王になっちゃった男の子と、ホントは猫の王になるはずだった相棒の猫、ガールフレンドの女の子に、未だに猫の王の座を虎視眈々と狙うライバル猫、なぜか人間のナイスバディを持つ猫女神様、いやもう、百花繚乱のキャラクター群が楽しいこと楽しいこと。
 これはアニメにしやすい素材じゃないかなあ。『セーラームーン』+『うる星やつら』って感じなんだもんね。


 マンガ、細野不二彦『THE SLEEPER』1巻。
 深層意識に入りこんで魔を倒すって……。
 たがみよしひさ『妄想超人マイナマン』でもうやってるぞ。
 自作の『バイオハンター』のリメイクっぽいところもあるし、ちょっと興醒め。細野さん、連載を持ち過ぎてちょっと作品が荒れてきたのかな?


 マンガ、和田慎二『ピグマリオ』1巻。
 単行本を殆どメディアファクトリーにお引越ししたんで、『ピグマリオ』もこっちに来たみたいですね。実は初読です。
 設定説明がくどすぎたり、キャラの名前が適当でいい加減だったり、純粋さを強調しようとして、かえって不自然になってる主人公の「ボケ」ぶりなど、相変わらず欠点は多い。
 って、旧作だからしかたないけど。
 でも作者がぜったいやりたかったファンタジーだけに、リキが入ってるのはわかるのね。だからその「波」に乗せられて意外と退屈しない。
 なんてったって、精霊オリエがけなげだし……ってやっぱり女キャラ目当てで読んでるんかい(^_^;)。
 

 CSファミリー劇場で特番『千と千尋の神隠し 〜少女千尋の不思議な世界〜』見ました。
 でも字数オーバーで感想が書けません。悪しからず。


2001年07月20日(金) 一人で見る映画/映画『千と千尋の神隠し』

 連休に入ると、つい時間感覚がなくなる。
 夕べも「明日は早起きしなくていいんだ」と思ってつい夜更かし。
 で、楽しみの連休中も結局は寝不足のまま過ごすことになっちゃうのだ。
 朝方、しげはどうやら私を起こそうとしたらしい。
 らしいと言うのはもう記憶が曖昧だからなのだね。
 「映画行こうよう。朝だよう」
 「……朝って何時」
 「7時」
 「……映画館も空いてないやん、昼からでいいよう」
 そう言って、また眠りに入り、目覚めたらもう昼過ぎ。
 今度はしげの方が眠っている。
 「……どうした? 映画行くんじゃなかったのか?」
 「朝しか行きたくないよう。昼からはイヤだよう」
 どういう理屈だ。
 しげは、これまで、朝早くから映画に行ったことなんて殆どない。
 私にしてみれば、朝方に出かけて、昼過ぎに食事と買い物をして帰宅、というのが休日の過ごし方としてはベストだと思っているのだが、たいてい朝はしげの方が寝ていて起こしても起きないのである。
 今日だって、てっきり朝はしげがグズると思って、昼から出かけるつもりでいたのだ。でなきゃ夕べDVD見て半徹夜、なんてことはしない。
 ともかくいやがる奴を無理に引っ張ってたってしかたがない。しげのきまぐれとスケジュールに合わせていては、とても映画に行く時間など作れない。
 何しろいつ「今度の○曜、からだ空いてる?」と聞いても「わからない」とか「なんでアンタに教えないかんの?」としか答えないのだ。自分のスケジュールは教えたがらないくせに、こちらの都合ばかり聞きたがると言うのは見当違いじゃないか、と何度言っても改めない。
 性格が歪んでいるのである。
 品性が下劣なのである。
 根性曲がりと映画に行っても楽しくないぞ。わかってんのか。
 というわけで、映画には一人で出かけようと決心するが、それでもすぐには出かけない。
 しげの気持ちが変わって、「やっぱり行く」とか言い出しかねないので、ちょっとは待ってやるのである。
 ……なんでこんなアホウに気を使ってやらにゃならんかな。


 テレビ「ザ・ワイド」でショー・コスギのサクセスストーリーみたいなことをやっている。
 こういうのって、サクセスしてる時には既にもうオチメってことも多かったりするので、失笑ものだったりすることも多いのだが、「アメリカで今も活躍」とか言ってる割に流される映像はかつての「ニンジャ」シリーズばっかりだ。
 「日本人として初めてミフネもなしえなかった100万ドルスターになった」って言ったって、三船敏郎がハリウッド映画に出ていた頃とは、物価が違うってえのに、どうしてそう単純比較するかね。
 今、ショー・コスギがなんの映画に出てると言うのだ?
 しかも、「自分がかつて、単身、日本を出てハリウッドに来たように、息子のケインにもアメリカを出て日本で修業させている」って、アメリカじゃ仕事がなかったってことじゃないのか。
 日本でだって、ケイン・コスギ、ここしばらくは、『筋肉番付』で「サスケ」に挑戦する姿しか、私ゃ見たことないぞ。

 アクション俳優としてのショー・コスギを貶めるつもりはないが、ハリウッドで成功して金持ちになるのがステイタス、なんて勘違いを標榜されちゃ困るのである。
 一生貧乏でも、主役を張ることはなくったって、映画界になくてはならないって俳優はいくらだっているんだから。


 結局しげは自分の睡眠を優先しているので、一人で映画に行くことにする。
 途中、キャナルシティの福家書店で本を買いこむ。
 多分、長いこと並ばねばならないと思ったので、待ち時間を過ごすために本を買ったのだ。
 ……はい、そうです。初日に行っちゃいました。
 『千と千尋の神隠し』。

 ちょうど昼のニュースで、宮崎駿監督の舞台挨拶の様子が紹介されていた。
 「ラストの絵は私自身が描きまして、アレは水の中を靴が流れてる絵です。スタッフからは『全然分らない』って言われてますけど、あれは水なんです」とのコメント。
 なんのことやらわからなかったが、映画を見てみて納得。確かによく見ないとなんの絵か解らない。
 宮崎監督、絵がヘタになっちゃったなあ。

 話が前後したので、もとに戻す。
 福岡では天神東宝で、2館を使っての拡大上映。あと大野城のワーナーマイカルでも公開だが、意外なことにそれで終わり。新聞にはキャナルでも公開って書いてあるのに、ネットにゃ載ってなかった。時期をずらして公開するのか?
 どっちにしろ、あとでしげと見に行くことがあるとすれば、天神東宝には行かないだろうから、一人でならそちらで見て、映画館の違いを確認するのもいいだろう。

 ……予想通り、1時間前で既に二、三十人の列ができている。
 しかも、狭いフロアにどんどんことが入って来て、あっと言う間に鮨詰め状態になっちゃったものだから、とても本など読める状態ではない。
 30分前には200人は集まっていただろうか、こうなるとクーラーなんか効きゃしない。ただただ、汗が流れ続けるのをガマンするだけである。
 館員が整理しようとして何度も叫んでいるが、上映時間が迫るにつれ、人数は増えるばかりだから、そう簡単にいくものではない。
 「もっと詰めて下さい!」
 「押さないで下さい! 子供もいます!」
 そういう矛盾したことを言われてもなあ。
 開場した途端、「走らないで下さい!」という案内を無視して、みんな走る走る。こういう自分勝手な客どもが宮崎映画を見に来てるんだよな。宮崎監督のメッセージは誰にも届いていない証拠であろう。
 あ、私は走ってませんよ。念のため。

 予告編で新作『ゴジラ』の15秒スポット。チラリとだけ紹介のの新作シーン、殆ど『ウルトラファイト』。やめてええええ(TロT) 。
 なかむらたかし監督の新作アニメの紹介、これが内容が全く『A.I.』。
 鉄腕アトムの映画化といい、なぜこう同じ内容の映画が流行るかな。
 想像力の枯渇と言われても仕方ないのではないか。

 で、本編の感想はね、いろいろとあるけどね。
 『もののけ姫』見たときゃ、「『エヴァ』のマネやん」と思ったものだったけど、今度は「『オトナ帝国』のマネやん」。
 いや、偶然なんだろうけど、「お父さんお母さんを奪還する」ってストーリーの骨格は同じなのね。
 じゃあどっちが面白いかと言うと、「感動」という点でははるかに『オトナ帝国』の方が上なんだけれど、『千と千尋』も捨て難い面がある。

 『オトナ帝国』の原監督に比べて、宮崎監督の方が「家族」に対する見方がシビアな分だけ(家族の絆なんて信じてない)、物語としての求心力は失われてしまっている。
 これは映画としては明らかに失敗だ。
 だって、あの両親、救う価値ないんだもの。欲にかられてるだけの「ブタ」だし。
 だから、千尋があの不思議な世界で「自立」出来るのであれば、元の世界に戻る理由はなくなっちゃうんだよね。

 ……でもその「失敗」の部分が面白いとも言えるのだ。
 小ぢんまりとまとまることを拒否しているという意味で。
 だけど、映画を見てる観客は「お父さんとお母さんと帰れて、めでたしめでたしだったね」としか受け取ってないみたいなんだよなあ。
 よく考えてみりゃ、あの親たち、性格は「ブタ」のまんまなんだが。

 千尋はホントに人間の世界に戻れてよかったのか?

 予想通り、グッズ売り場には客が殺到。
 しかも「ハク」の人形は今日が初日だと言うのにもう売り切れ。
 ……みんな美形が好きなんだなあ。

 あとは「オタクアミーゴス会議室」にUPした感想を貼り付けときますので、ご参照下さい。



 どうせ結構ヒットするだろうし、一月くらい経って人が少なくなってから行ったっていいだろうと思いつつ、結局初日に行ってしまいましたよ、『千と千尋の神隠し』。
 でも私もさすがにいいトシなので前日から並ぶ元気はない(元気がないだけで恥の感覚はありません)。
 夕方からそれでも結構並ばねばならんのだろうなあ、と思いつつ、天神東宝に向かっていたのですが。

 途中、博多駅前を通りました。
 扇千景さんが選挙カーの上から演説をしておられました。
 「日本が戦後50年で復興できたのはなぜでしょう。スシです。スシを食べてるからです。スシを食べていれば太りません。たまに太る人もいますが太りません。アメリカ人やイギリス人は今、日本人を見習ってスシバーに並んでいます」
 思わず自分の耳を疑いましたね。何を言うとんのやこのおばちゃん、これは選挙演説ではないのかと思いつつ、いや、今日は『千と千尋』を見に行くんだ、ちょっと聞いていたいけど、と後ろ髪を引かれつつ、天神に向かったら。
 天神にもいました。扇千景以上に強烈なのが。
 一応福岡ではオシャレな場所ってことになってる岩田屋G‐SIDEの広場中に響き渡る『つっぱりハイスクールロックンロール』。
 「みなさん! 横浜銀蝿のランです! 嵐と書いてランと読みます! 暑い中、福岡までやって参りました! 福岡は暑いです!」
 ……オマエがもっと暑苦しくしとるわ。

 しかし映画を見る前にこんなキツイ二連発をくらって、さて、それを上回る感動を与えてくれるのか『千と千尋』と思いながら見ました。
 で、結果はと言うと。


















 うーん。
 二十年前に見てたら興奮して「『千と千尋』はいいぞお!」と触れ回ってたでしょうねえ。
 いや、楽しめはしたんですよ。
 ああ、久しぶりに「宮崎駿のマンガ映画が復活した!」って気分に最初はなって。

 実際、次々と出てくる妖怪どもの個性と来たら、これまでの宮崎作品の中でも随一と言っていいくらいでした。
 しかもそれが単にキャラクター造形として勝れてるだけでなく、当然のごとく個々の仕草、動きの違いで表現されているんですから。
 その妖怪たちの「動き」がこの映画の主人公、千尋の動きを相対的に魅力的に見せることに成功しています。
 ひょろ長い手足の操り人形のようなぎこちない動きはそれだけでフリークス的。もちろん、人間であるからこそ彼女はこの神々の住む不思議の町ではフリークスなんですけど。
 千尋が最初は弱虫の女の子だったのに、どんどん御都合主義的に強くなっていくのも構わないんですよ。目から流れる涙が眼球以上に大きいくらいの大げさな表現になってたって、それはマンガ映画の許容されるべきウソなんですから。
 ああ、やっぱりマンガ映画は「知恵と勇気で誰かを救いにいく話」だよなあ、もう『もののけ姫』でテーマがどうのってのはいい加減、宮崎監督も飽きたろう、『長靴をはいた猫』や『カリオストロの城』の単純明快な感動がいよいよ再来か、と思ってたんですが。

 やっぱり出てくるんですねえ、エコロジーが。
 描写としてそうしつこくはない。まあ、ギリギリ鼻につかない程度だと言えるかもしれません。
 でも、ドロドロに腐ったクサレガミかと思っていたら、からだの中に詰まってた自転車だのリアカーだのといった人間の捨てたゴミを全て吐き出したらきれいな河の神に戻った、なんて描写は、ちょっとあからさまなんじゃないですかねえ。
 で、そういう点を突っ込んでいったら、矛盾もボロボロ目についてくるんですね。
 その自然の神々のヨゴレを洗い流す湯屋の湯を沸かすのに、人間が作ったような釜を使ってたり、エントツから煤煙を空に撒き散らしたりしてるのはどうしてなんだよ、とか。
 パンフレットで宮崎監督自身、「こういうテーマがあるとか現代をこう思うとか、ややこしい話とは違います。10歳くらいの小さな友人たちのために作ろうと思っただけなんです」とか言っときながらなぜ、中途半端にエコが混じちゃうんですかね。

 映画見終わったヤツで、やっぱりそういうこと話し合ってる連中がいるわけですわ。
 「あの河の神の意味はね」とか、「カオナシにはどんな意味があったんだ?」とか。
 女の子や子供が「ネズミがかわいかったね」とかしゃべってるほうがよっぽど感じがいい。
 結局、宮崎監督が何を作っても、「エコ」の残滓が残るようになっちゃってるってこと、また、そのせいで、観客や評論家も、そういう「テーマ」ばかりを拾い上げて「これはただのアニメーションではない」だのと、未だに「アニメの存在自体は下らないもの、でも宮崎アニメだけは別」とアニメをバカにするような発言をインプットされてしまってること、この二点に、宮崎監督の不幸があるんじゃないでしょうか。

 ああ、もう何の理屈もない、ただのB級活劇の宮崎アニメは見られないものなのでしょうか。それを切に望んでる人は多いと思うんですがねえ。


2001年07月19日(木) 天ブラサンライズ/『吼えろペン』1巻(島本和彦)/DVD『サウスパーク無修正映画版』ほか

 明日から三連休である。しかも休日出勤のない連休だ。
 この機会に読み損ねていた本、見損ねていた映画をたっぷり見ねばと気分は高揚。仕事を大急ぎで片付け、2時間早引けして、しげを誘って天神に食事がてら買い物に行くことにする。
 回るところは決めているが、長引いたりするようだと、しげの仕事の時間が迫ってくるので、こういう時、私は遠慮なく有給を使って休む。こう休みが多いと、他人から僻まれることもあるんだが、本気で僻むやつは精神的○○者なので、気にするひつようはない。
 「銀ブラ」って言葉はあるけれど、福岡だとやっぱり「天ブラ」になるんだろうな。中洲や川端はブラつけるほどの広さないし。その辺、博多生まれの私にはちょっと悔しい(他地方の人には解りにくいでしょうが、「天神」という町は「福岡」であって、「博多」ではないのです)。
 一緒に出かける機会も少なくなっていたので、しげがはしゃぐことはしゃぐこと。……そんなにはしゃいで、外はすっかり暑くなってるてえのに、熱射病になるなよ。

 天神に行く前に昔馴染みの本屋に寄る。小さいけれど、福岡で一番早く新刊が並ぶ穴場な本屋なので(東京発売のほぼ翌日。どういうルートがあるんだ?)、何冊か本を買う。
 どういうわけか、しげは私がこの店に寄ることを嫌がるのだ。行きに寄ると「これから出かけるのに」と怒り、帰りに寄ると「もう帰るのに」と怒るのである。小さな本屋だし、そうたいした時間はかからないのに、イヤミを言われるのは理不尽だ。
 しげ自身は、ショッピングとなると、服屋であろうと、キャラクターグッズの店であろうと、なにも買わないで冷やかしばかりしているのに。そっちの方がよっぽど無駄な時間だと思うがなあ。


 しげがまたもやロイヤルホストに拘ったので、住吉通りを回って食事。
 ロイホは数あれど、ここのロイホは、焼肉プレートがあるのが特徴。焼肉好きのしげだから、てっきり焼肉を頼むのかと思ったら、「ここは高いから」と、普通の食事。
 食事を待つ間に、さっき買ったばかりのマンガ、島本和彦『吼えろペン』1巻を読む。ちょうど主人公のマンガ家、炎尾燃と編集者が「ロイホ」で打ち合わせしていたので苦笑。
 ……と「ロイホ」を連発しているが、私は日常会話でロイヤルホストを「ロイホ」と省略して呼ぶことは全くない(福岡では「ローホ」と略してる人のほうが多いみたいだが)。……「ロイヤルホスト」でいいじゃん。無理に略さにゃならんほど長いコトバでもあるまいに、というのがその理由だ。
 同じように、「マクドナルド」も滅多に「マック」とか「マクド」とか言わない。「マクドナルド」で何が不都合だというのだ。
 いやまあ、腹を立てるほどのことじゃないんだけどね。なんだか若者への嫉妬のように取られるのもヤだからこの辺でやめよう。

 『吼えろペン』、一応キャラクターは『燃えよペン』と共通してるけれど、設定はよりフィクショナルかつギャグの方向に傾倒している。
 なにしろ、人気ゲーム「ぴかりモン」の原作者と勘違いされた炎尾燃が、反日アメリカ人に雇われた女スナイパーに狙われるってんだから。……しかも、その女スナイパーを前にして炎尾が涙を流しながら叫ぶセリフが凄い。
 地球をバックに見開きタチキリで、「世界中でゲームやアニメが何百万本売れようが、おれには1円も入ってこんっ!!!」
 ……力説することかい。……力説したいんだろうなあ(^_^;)。


 「マンガ家の熱い魂」に触れた後、余勢を借りたように(^o^)、ベスト電器と福家書店に回ってDVDや本を買いこむ。
 夏コミのカタログ本を見つけて、買おうとするが、しげが「そんなん買ってどうするん」と文句をつける。
 「いや、山本弘さんのブースがどこにあるのか探そうと思って」
 「見つけられるの?」
 「見当はつくし」
 ……で、買ったんだけど、後で読んでみたら、余りに参加者が多過ぎて、全く見当がつかないのであった。あの5cmはあろうかという厚さはダテではなかったのだな。
 珍しくしげの判断が当たった例なので、きちんと記録しておいてやろう。……負け惜しみかな。


 初め、入院している間もDVDが見られたらなあ、と、携帯用のDVDプレイヤーを買おうかと思っていたのだ。でも、退院したらもう使い道がないことに気づいて、代わりに思いきって、DVD‐RAMを買うことにする。
 これでパソコンでDVDが見られるようになったなあ。
 ……この日記も、今ちょうどDVDをかけながら書いているのである。これまではDVDをかけていると、テレビの方に顔を曲げねばならなかったので、日記を書くのにも時間がかかっていたのだが、画面の横に目をやるだけですむので大いに時間短縮になる。
 そこまでして映画を見なけりゃならんかと言われそうではあるが。

 つい散財をしたおかげで、福家書店を回った時には、ちょっとサイフに余裕がなくなってしまっていた。
 今日こそは前々から買おうと決めていた『ダイナミックBOX』、買うにはン千円ほど足りない。とりあえずしげに一万円借りようとするが、永井豪嫌いのしげはなかなか首をタテに振らない。
 「『藤子BOX』なら買うけど、どうして私が永井豪を?」
 いや、ちゃんと一万円は返すから、と言っても、なかなか納得してくれない。拝み倒してようやく一万円を借りたが、こんなことならもう少し銀行からオカネを卸しておくんだった。


 しげが「入院してる時、着替えはどうするの? 私がいちいち洗濯物取りに行かないといけないの? 父ちゃんは入院してた時、どうしてたの?」とうるさく聞くので、買い物の帰りに姉の店に寄る。
 でも時間が7時を回っていたので、片付けに姉は残っていたが、父はさっさと家に帰っていたのであった。
 仕方がないなあと帰宅すると、待ち構えていたように父から電話。
 「店に訪ねてきたごたるね。何の用があったとや?」
 「入院の時、洗濯物どうしたとかいなと思って」
 「それがくさ、病院の洗濯機があんまり汚かかったけん、外出許可もらってウチに帰って洗濯しとったったい」
 「そげんね。何日に1回?」
 「1週間に1回」
 ……親父、そっちの方が汚くないか?
 「あと、洗面用具って洗面器も要るとね?」
 「ああ、要る要る。全部持っていっとった方がよかやろうね。持っとうとや?」
 ……洗面器のない家庭なんてないと思うぞ、親父。


 マンガ、あだち充『いつも美空』5巻(完結)。
 明らかな打ち切りだけど、なんとかオチはついた。……って、今までのスジは全部映画でしたってのは陳腐だなあ。いくら打ち切られたとは言え、もう少しなんとかならなかったのか。
 でもダラダラ続いて焦点のボケた作品になるよりは、5巻で終わりってのはいいまとまり方のようにも思う。
 かといってアニメ化はまずない。


 マンガ、園村昌弘・中村真理子『クロサワ』。
 映画監督、黒澤明の伝記マンガ、という体裁を取っているが、内容的には『トラ・トラ・トラ』降板事件の真相に迫ろうというもの。
 全体的に、「よく取材している」とは言える。しかし、『スピリッツ』連載中は、「黒澤明の捉え方が一面的に過ぎる」と非難轟々だったらしい。
 しかし、冒頭、「黒澤明の米アカデミー特別名誉賞受賞」「『生きる』ベルリン映画祭銀熊賞受賞」の二つが誤報であることを指摘したことは重要な事実ではないだろうか。
 確かにマンガ家の技量の未熟さは見てすぐわかる。そのために、黒澤明のキャラクターが、マンガのキャラクターとして全く魅力的に見えないのは致命的だ。しかし、解説を担当した黒澤プロダクションの田畑稔氏が、「このマンガの黒澤明は虚像だ」と言い切ってしまうのは「表現すること」自体を否定することにつながりかねない。
 「真実なんて、描けるはずはない」ということを解説で述べてどうするのだ。そんなことは解っていることでわざわざ言わねばならないことではない。書かれているものが自分の知る黒澤明と違っているなら、「あの人は本当はこうだった」と具体例を書くしか方法はないのだ。どちらが正しいか、というより正しいと思いたいかは読者が勝手に決めることなのである。その対象となるのが実在の人物であったとしても。

 でも、本当にあるのかどうか知らないけれど、黒澤版の『トラ・トラ・トラ』も見てみたいなあ。たとえ部分的であったとしても、『パールハーバー』よりは絶対に面白いと思うのである。これも勝手な想像だけどね。


 永井豪・石川賢・風忍・筒井康隆『ダイナミックBOX』。
 『三丁目が戦争です』の復刻版がほしくて買ったのだけれど、『デビルマン』、従来の単行本ではカットされていた表紙絵や、赤ん坊が惨殺されるページなんかが復活している。それだけだけど、ファンとしてはやっぱり嬉しい。
 でもあとのはたいしたことない。キューティーハニーのクリスタルフィギュアなんて、透明にしちゃったら色っぽくもなんともないぞ。
 記念品的な意味合いが強いので、確かにファンじゃなきゃ買わんわなあ。


 DVD『サウスパーク無修正映画版』。
 関西弁版の制作がネット上で散々非難されていたが、聞いてみるとヒドイと言うほどではない。ウマイとも言わないけど。
 まあ、『ルパン三世 風魔一族の陰謀』がキャストを一新した時に起こった非難と同じで、前のキャストに思い入れが深いと、どうしても悪口言われちゃうものなのだね。演技的には結構みんな熱演してたんだけどね。
 ああ、でも英語字幕が出るようになったから、これで「アンクルファッカー」も「ブレイム・カナダ」も「カイルのババアはスーパービッチ」も原音で歌えるようになれるぞ。
 ……なってどうすんだよ(-_-;)。


2001年07月18日(水) 夏到来! ……って暑いだけだって/『夢の温度』(南Q太)ほか

 昨日までの天気と一転して、今日はピーカン。
 つい昨日まで、また大水が出て川が氾濫するんじゃないかと心配していたのがウソのようだ。マンションのエレベーターの壁には、まだ「冠水の恐れがあるのでご注意下さい」というビラが貼られたまま剥がされていないが、この上天気ではいかにもマヌケだ。
 いや、上天気どころの話じゃないぞ。
 玄関を開けるなり、ブワッと熱風が押し寄せてきて、なんだなんだと驚く間もなく飛び込んでくる、耳を劈くほどのアブラゼミの大音声。
 ……季節の変わり目ってのは、もう少しなだらかに移って行くものじゃないのか。こんなに解りやすい夏の到来も珍しいなあ。

 しかし今年も鳴いてるのはジワジワジワジワ、アブラゼミばかりだ。子供の頃聞いていたミンミンゼミの鳴き声は、福岡の町中ではとんと聞かなくなってしまった。
 でも「セミの鳴き声は?」と聞かれれば、やはり「ミンミン」と答えてしまう。子供のころに習った「せみのうた」(さとう・よしみ作詞/中田喜直作曲)でも、全く何の説明もなく、セミの鳴き声は「ミンミン」に限定されていた。
 歌の出だしは「せみ せみ せみ せみ せ みんみーん」で、まるで「せ『み』」だから「みーん」と鳴くのだとでも言いたげだ。
 ……ただのシャレじゃん。でも、これ、ちゃんと語源説の一つとしてあるのよ。方言によっては「せーみ」とか「せび」「せんみ」「しみ」「すーみ」と呼ぶ地方もあるようだから、説得力ないわけではないのだね。
 ほかにも「セミ」の語源は、音読みの「セン」が訛ったものとする説があるが、この「セン」ってのは「震える」という意味なので、昔の中国人は、セミが腹を振動させて音を響かせていることをちゃんと知っていたのだ。おお、意外と科学的。
 さて、中国でも「セミ」といえばミンミンゼミを指すのだろうか。そのへんは実はよく知らない。
 ミンミンゼミは水のキレイなところにしか住めないということだから、明らかにその棲息区域は年々狭められているのである。もう何十年かしたら、すっかりアブラゼミに駆逐されてしまっているかもしれない。


 第125回直木賞に、藤田宜永(「よしなが」って読むんだ。……今まで「せんすい」って読んでたわ。うーむ)『愛の領分』が受賞。
 小池真理子さんと揃って、夫婦受賞ってのもお初だとか。でも実は私は、お二人の作品、全く読んでいない(小池さんのホラーにはちょっと興味があって何冊か買ってるんだけど、積ん読ならぬ埋もれ読になっている)。
 読んでない人の話をなぜわざわざ日記で取り上げるかというと、この二人が強烈な猫マニアだからなのだね。
 『文藝 別冊総特集 作家と猫』という雑誌で、自分たち夫婦がいかに猫が好きか、ってことを対談してたんだけど、まあ、ペット雑誌ならばともかくも、文芸雑誌でいったいどういう読者を想定しているのかわからぬままに、陽気に「猫話」に興ずることが出来ることに半ば呆れつつ、「これも猫の魔力か」と納得もしたのだ。
 普通、作家同士の結婚って、数年で破綻するものなのだが(←偏見だけど実例多し)、この二人、妻の方が先に直木賞を受賞し、しかも収入も妻の方が多いという、離婚にはもってこいの条件があるにもかかわらず(だから偏見だってば)、未だにおしどり夫婦で有名である。
 で、どうやらその秘訣(?)は「猫」にあるようなのだね。お二人がもし猫を飼っていなかったら、夫婦円満でいられたかどうか。いささか妄想は入っているけど、これ、意外と「文学的主題」ではないかと個人的に思っているのだね。

 そういう名称で呼んでいいかどうか分らないが、世には「猫文学」というものが存在する。
 エドガー・ポー『黒猫』は、猫文学の最高峰の一つだと思うが、あれは一言で言うと、ゴシックホラーと言うよりは、「猫好きの妻と猫嫌いの夫の悲劇」である。ハインライン『夏への扉』が『黒猫』にインスパイアされているという説を私は勝手に唱えているのだが、そういった骨組みで両者を比較してみると、結構通じるものがあるんじゃないかと思うの。
 面白いことに、男と女の間に「猫」が介在した場合、文学上そこには「悲劇か喜劇か」の両極端しか描かれないのだ。普通の「猫小説」と言うものは余りない。
 猫に見入られる、魅せられる、そう言ってもいいと思うが、猫に何か人間以上の神秘性を見出している結果が、そのような小説群を生み出しているのは間違いない。
 『吾輩は猫である』の猫は批評家であるし、『三毛猫ホームズ』の猫は探偵だ。これらは喜劇だが、悲劇に目を向けると、それこそ具体例は枚挙に暇がない。日本は特に「化け猫」が『南総里見八犬傅』を始めとして、妖怪モノの定番になっている。
 それは、猫の仕草、猫の瞳の変化、それらに我々が人間の無意識を投影し、象徴させてきた結果である。猫の瞳は、我々の心の奥を覗き見る。我々は猫の前で決して心を隠していることは出来ない。猫は「サトルの化け物」であり、また全てを見通す「神」でもある。
 だから我々は猫に対しては、心をゆだねるか、拒絶するかの二つの手段しか取り得ない。「悲劇か喜劇か」の原因はそこにあるのだ。

 科学が一応、我々の周囲から「不思議」を取り払ってしまったことは、昔のような単純な虚構を我々が生み出せなくなっているということでもある。
 私たちの周りには、人を化かすキツネもタヌキもいない。
 猫は、唯一今も残っている、実在する「妖怪」なのである。

 で、今度のウチのお芝居、「猫」話なわけです。しかも典型的な。
 この話に繋げるために今まで前振りしてたのでした。宣伝でどうもすみません。具体的な内容を書かずにお客さんに興味を持ってもらうって、大変なんスから、ほんとにもう。


 休憩するヒマもなく仕事が続く。
 こういうときゃテキトーに手を抜きゃいいんだろうけど(「手を抜く」という言葉、私ゃ別に悪い意味で使っちゃいない)、かえってハイテンションで仕事しちまうのはなぜだ。自暴自棄か。

 晩飯を作る元気も外食する気力もなかったので、コンビニ弁当を買って帰る。
 しげが喜んで私の分まで食おうとする。
 昼間、買い物して米だけでも炊いてくれてれば、私ゃオカズ作るだけですむのになあ。その程度の家事すらしないやつなのだ、こいつは。
 テレビで、幼児虐待して殺した夫婦のニュースを見ていると、「妻は家事を全くせず、家の中は汚く劣悪な環境にあった」とか言ってる。実際、ウチに子供がいたら、この部屋に住ませるだけで虐待行為になるのだということはよく分る。
 ……せめて毎日ゴミだけでも捨てろよ。


 ようやく今週の『少年ジャンプ』をコンビニで立ち読み(困った客だ)。
 『ヒカルの碁』、ついに佐為が消えてしまった。
 余りにも見事な消え方で、これは単に「ヒカルのそばからいなくなった」とか、「どこか別のところに行った」なんて中途半端なものではない。「虎次郎が佐為のために、佐為がヒカルのためにあったように、ヒカルもまた誰かのために生きるのだろう」……これは、明らかに「死」のイメージである。
 だとすれば、これは『ヒカルの碁』にとって、一つの正念場だ。
 ジャンプマンガのセオリーに則れば、佐為はこのまま消えたりはしない。ロビンマスクが、紫龍だったか誰だったかが(『星矢』は熱心に読んでなかったから覚えてないわ)、ピッコロがいとも簡単に復活したように、佐為も何らかの形で復活する。
 でも、たとえ佐為が幽霊であったとしても、『ヒカ碁』はあくまで現実の物語だ。物語のテンションを落とすまいとするなら、決して佐為を復活させてはならない。そういうところに、作者はこの物語を追い込んでしまったのだ。
 佐為がいなくなって、それで物語が続けられるのか、という意見もあろう。
 しかし、最重要人物がいなくなってもなおドラマとしてのレベルを落とさずに更に長期連載を続けたマンガがこれまでにもあった。
 ちばてつやの『あしたのジョー』、あだち充の『タッチ』。
 この二作は、はっきり、ライバルがいなくなったところから新たなドラマが始まっている。
 決して楽な道ではない。人気キャラに寄っかかっていれば、とりあえずの人気は取れて、連載を続けることはできるからだ。しかし、どんなにファンがついていようと、『キン肉マン』や『聖闘士星矢』や『ドラゴンボール』を傑作と呼ぶことはできない。それは、マンガファンとしての良心の問題でもある。
 作者にその良心があるならば、更に『ヒカ碁』が長期連載を試みるのならば、これからのドラマこそが、本当の『ヒカルの碁』の始まりとなるだろう。それは、ヒカルにとっても、作者にとっても、茨の道であろうことは想像に難くない。アホな編集なら「佐為はいつ再登場するんですかあ? そろそろ出さないと人気落ちちゃいますよう」などと言い出しかねないからだ。
 でも、そんなアホな要求に屈する作者たちではあるまい。そう信じられるのは、今までの、ある意味ジャンプのセオリーを崩しつつ、ここまできたという実績ゆえだ。
 ……正直言って、原作のほったさんが、こんなところにまでドラマを追いこむとは思ってもいなかった。……まだまだ私の見方は甘かったのだなあ。
 世のマンガファンよ、端倪すべし。


 マンガ、南Q太『夢の温度[夏祭り]』。
 前々から読んでみようかどうしようかと気になってた南Q太。
 先日読んだ『20世紀少女マンガ天国』で、「かわいい女の子が激しくセックスするマンガ」とミもフタもないことを書かれていたので、かえって面白いんじゃないかとまとめて作品集を買い込んでみたのだ。
 こういう「賭け」に近い衝動買い、言ってみれば私の「カン」なのだが、結構このカン、外れない。
 うん、アタリでした。今まで読まずにすませていたのがもったいなかったなあ。これはイイよ、ほんとに。

 とりあえず、「かわいい絵でやりまくり」という印象は本作にはなかった(^.^; )。
 南Q太の絵は、明らかに江口寿史の流れの上にある。ヨシモトヨシトモやガロ系の漫画家もちょこちょこ入っているようだが、均質な線で描かれる人物、ハイライトの少ない目、引き結んだ口を表す下唇の線などは特徴的だし、主要キャラ以外の人間をこれでもかというほどにブサイクに描くあたりの差別性も江口風だ。おかげで、その絵だけで主人公たちのセックスが純愛に見えてしまう効果がある。実際、ドラマ的にもある意味純愛ではあるんだけど。

 28歳までずっと処女のままの教師、町子。周りの独身男はダサイというよりは汚らしく気持ちの悪いヤツばかり。少し頭がコワレかけている母親からまで結婚を迫られて、本当になにげなく、町子は教え子のアキと関係を持つ。
 「淋しくて誰でもよかったのかも」
 そう呟く町子だったが、ここまでは、従来のマンガにもよくあるように、「赤い糸」で結ばれた相手を求めるオトメの陥りやすい罪悪感。これからあと、それこそありきたりのマンガなら「本当の恋人はこの人だわ」と思いこもうとするか「私の運命の人は他にいるわ」と旅に出るかするものだが(笑)、本作は違った。
 ムズカシイことを考えることはやめて、ただヤルよーになるのだ。おいおい(=^_^=) 。

 でも、そんなもんでもいいよな。男と女の仲って。

 差別的かもしれないが、顔がよければ男と女の壁なんて結構、乗り越えられる、ということでもある。外見だけじゃ駄目、なんて言うから話がコムズカシクなるんであって、顔だけでいいじゃん、ということになれば拘りはグッと減ったりもするのだ。
 進歩的と呼ばれるような女性が、どんなに「誰でもよかった」に対して、拒否感、罪悪感を抱こうと、事実は男と女は「誰でもいいから」相手を選んでいるのである。
 逆に、相手を「誰でもよくない人」「唯一の人」なんて認識したりすると、男と女の不幸は始まってしまうのだ。
 モラルとか思いこみを捨てたところからしか恋愛は始まらない。大島渚の『愛のコリーダ』がただただセックス描写のみが続くにもかかわらず、世間の通念とは違って堂々たる純愛映画になっていたように、セックスはそれだけで愛となるのだ。

 それで今、ちょっと思いついたミニ小説。

 何となく振り向いたぼくと彼女の声がはもった。
 「ねえ、しよ」
 プッ、と噴き出して笑ったあと、ぼくたちは二回、セックスした。

 ……たった三行だけど、ちゃんと小説になってるなあ。うーむ、セックス恐るべし。
 

 マンガ、臼井儀人『クレヨンしんちゃん ファミリー編』。
 コンビニ用の雑誌マンガ。
 単行本、持ってるのにわざわざ買ったのは、プレゼント付き、と書いてあったからだったが、よく読んでみると「抽選で500名」だった。
 クソ、表紙に騙されたぜ。
 でも同じテーマの作品ばかり集めると、ルーティーンギャグの変遷もわかって面白かったけど。「『しんちゃん』を読んだことない」って人にはまずこの雑誌を読ませるというのも手かも。


2001年07月17日(火) 何年ぶりかの酒の味/『水木しげる貸本漫画傑作選 悪魔くん』上下巻

 最近、早寝をする癖がついてしまっているので、目覚めるのも必然的に早くなってしまった。
 8時、9時にはもう寝てしまっているので、起きるのが3時、4時。
 ちょうどその時間帯にしげが仕事から帰ってくるので、必然的にパソコンの奪い合いになる。
 なんだかなあ、私の方がウチにいる時間が短いんだから、私に譲ってくれてもいいじゃんか、お前は昼間使えるんだし、と主張するのだが、しげは「私の寝る時間がなくなるじゃん!」と怒るのである。
 ……ちょっと待てや、しげが帰宅してすぐに寝たとして、昼間も寝続けて、で、仕事に行く時間になっちゃうとしたら、やっぱり一日の半分以上寝てる計算にならんか?
 一日、12時間以上寝てるやつが、起きてるときずっとパソコンにかじりついてたら、そりゃ、家事する時間がないのも当たり前だ。
 だから、「寝る時間がない」なんてウソをつくなよ。単に人より寝過ぎてるだけじゃないか。家事をちゃんと手伝った上で、自分の主張をしろと言ってるのに、なんでそうワガママばかり言えるのだ。
 でも、最近私も疲れ気味なので、しげを怒鳴りつける元気がない。と言うわけで、結局パソコンはしげが使い続けることになるのであった。
 日記の更新が遅れるのは全てしげが悪いのだ。
 罪滅ぼしに、私の入院中、日記のUPを続けてもらわなきゃ割が合わんよなあ。


 空はどんより雨模様。
 おいコラ、昨日で梅雨明けじゃなかったのか。
 天気予報じゃまだ晴れ時々雨なんて言ってやがるぞ。

 ふと、気がついた。

 今日は、しげに成人病センターまで、職場に提出する私の診断書を取りに行ってもらうように頼んでいる日である。
 しかし、外は雨(が降るかもしれない)。
 雨が降ってる時には結構大切な用事があっても外に出ようとしないのがしげだ。

 いや、それ以前に、しげは「診断書を取りに行かねばならない」こと自体忘れてはいないか。
 記憶力に関しては鳥にも劣るしげのことである。その可能性は大だ。
 職場から電話をかけて確かめてみるという手はある。
 しかし、仮にしげが電話に出なかったとして、それが外出しているためであるのか、それともグータラ寝てるだけなのか、どちらか判別がつかないではないか。

 私は今までのしげの過去の言動を心の中で反芻した。
 しげを信頼すべきか否か。

 そして、私はしげを信じた。

 絶対、忘れてるに違いないと。

 会議や他の仕事もいろいろ残ってたんだけど、同僚に押しつけ、いやいや任せて、職場を早退した。
 で、帰宅してみると。

 「……なんで、早く帰ってきたん?」
 きょとんとしたしげの間抜けヅラがそこに。

 私は思う。
 私くらい、自分の妻の性格、言動を見ぬいている夫はいないだろう。くくくくく((((T-T*))))。

 心の中でしげにムチを打ちつつ、西新の成人病センターまで診断書をもらいに行く。しげは本来自分が一人で行かねばならないのに、二人で行くことになってはしゃいでいる。……少しは罪悪感を持てよ。

 用事は5分で終わり。でもウチから行き帰り1時間ずつかかるんだよなあ。
 なんかムダだ。
 帰りにまた「ひなっ子」に寄って、「串膳」を頼む。
 鶏尽くしの御膳で、唐揚げ、串焼き、吸い物となかなか趣向を凝らしているが、中でも「鶏わさ」というのが特に美味。鶏のササミのタタキをわさび醤油で食べるものだが、固からず柔らかからず、噛んだ時のクニュッとした触感が絶妙。
 メニューに「カルーアミルク」とあったので、なんだこれは、なにかミルクに果汁でも混ぜたものかなと頼んでみる。
 お、意外と美味しいじゃん。

 ……と、一気に飲んじゃったのが失敗。

 これ、カクテルだったのね。
 私は糖尿で酒は一切飲まないが、もともと酒にはく極度に弱い体質で、三三九度のおちょこの日本酒で酔っ払ったというヤツなのである。
 いやもう、からだ中が熱い。
 頭が腫れあがるようだ。
 結局、酒が抜けるまで1時間かかっちまった。
 あとで調べてみると、カルーアミルク、アルコール度数は9度しかないそうである。……それで酔っ払うかな、普通。

 外はいよいよ雨降り。
 酔っ払いの頭には少しは涼しくなって、かえってありがたい。
 文房具屋とベスト電器を回って、ファイルやキーボードカバーなどを買う。西新、滅多に来ることはないけど、結構モノを揃えやすいなあ。
 金文堂で本を買いこむ頃には外は土砂降り。仕方なく雨宿りに、隣のハンバーガー屋に入る(店の名前は忘れた)。
 
 晩飯がハンバーガーというのは味気ないけれど、仕方がない。
 雨が小降りになるまで、買ったばかりのマンガなどを読みながら過ごす。 
 帰宅は結局、午後8時。帰りつくなり、今日も早寝をするのであった。……で、やっぱり朝起きると、しげがパソコン使ってて、私には何もさせてもらえないのであった。 


 マンガ、横山光輝『仮面の忍者赤影』1巻。
 昔持ってたコミックスは紛失したりボロボロになってたり、というわけで、文庫になったのをいい機会に、改めて買い直し。
 表紙の絵が妙にキレイでなんだかアシスタントに描かせたっぽい。
 病気して以来、『殷周伝説』なんか、横山さん自身の線は震えまくっていて、昔日の流れるような線とは程遠くなってるからなあ。
 久しぶりに読み返してみると、山田風太郎忍法帖にヒントを得ているとはいえ、やはりそのストーリー展開の妙には堪能させられる。
 赤影たちの敵となる、甲賀霞谷七人衆、これが実に魅力的なのである。
 ホームページを立ちあげる時には、赤影テレビ版のコーナーも作るつもりなので、ここでちょっと原作キャラとの比較をしておこう。

 <原作>甲賀幻妖斎   <テレビ>甲賀幻妖斎(天津 敏)
    黒童子         悪童子  (大城 秦)
    鬼念坊         鬼念坊  (芦田鉄雄)
    朧一貫         朧一貫  (阿波地大輔)
    夢堂(ゆめどう)典膳  夢堂(むどう)一ツ目(汐路 章)
    ガマ法師        蟇法師  (近江雄二郎)
    土蜘蛛         闇姫   (岡田千代)
    傀儡甚内        傀儡甚内 (波多野博)

 ある程度、名前を拝借してはいるけれど、キャラクターがまるで変わっちゃってるのも多いんだよね。というか、実はドラマよりマンガの方がよっぽどリアルだったりするのだ。
 ガマ法師が操る巨大ガマ、ドラマでは火まで吐いてたが、原作はガマ法師が長年育てたというだけのガマ。
 ドラマの魔神像は巨大ロボットだったけど、原作では幻妖斎の集団催眠で動いているように見えただけ。荒唐無稽にも理由がなきゃならないっていう横山さんの拘りなんだよなあ。ドラマと比べてどっちがいいかってのは一概には答えられない。
 ドラマとなにが一番違うって、原作の甲賀幻妖斎、戦国大名六角義治の雇われ忍者なんだよね。忍者は所詮大名のパシリってシビアな見方が横山さんにはあったのだ。
 だから七人衆、実は赤影たちと戦って立派に死ぬ者ばかりではなかったりする。
 凧を操って空を飛ぶ黒童子は、燃える凧に巻きこまれて事故死、傀儡甚内も雷に打たれて死ぬ。朧一貫は捕虜にされるくらいならと自殺しちゃう。
 いつの時代も下っ端は悲しいよなあ。 


 マンガ、水木しげる『悪魔くん』1・2巻。
 テレビドラマ化された方じゃなく、後の少年ジャンプ連載、『千年王国』でリメイクされることになるオリジナル貸本版。
 いや、前に太田出版から出てたデカ本で買ってたんだけど、もう『悪魔くん』は私の精神的支柱なもんで。
 実は私は革命主義者(笑)なんだが、それはマルクス主義に基づくものではなく、『悪魔くん』に依拠するものなのである。……ってことはサタニストなのか、私ゃ(^.^;)。
 よく読むと、悪魔くんがホンモノの悪魔を呼び出してまでして、この世に築き上げようとした万人が兄弟となる平和な王国ってのがどんなんだか、よく分らないんだよね。リメイク版ではそれが「子供による統治」と具体的に描かれることになるのだけれど、さて、貸本版を描いていた時点で、水木しげるがそんなことを考えていたかどうか、どうも疑わしい。
 悪魔くんの12使徒も、後に描かれたものと当初の構想とは大きく違っていたのではないか。貸本版が途中で打ち切られたものだとしても、既に「梟女」などは登場していなければいけないはずなのに、影も形もないからである。
 私自身は、水木さんが当初考えていた「地上の天国」は、『原始さん』で表されたような「文化のない世界」だったんじゃないか、なんて適当に考えているのだが、もちろん根拠はない。
 ヤモリビトがいみじくも喝破したように、「悪魔くん」は「悪魔」以上の「悪魔」なのだ。自分の使徒を作るためなら殺人も厭わない超神童なのだ。人間のくせにエリートだとか、金持ちだとか、どうでもいいことに拘っているやつに対しては容赦しない子供なのだ。
 「悪魔」は極めて原初的な存在である。全てを「原始」に帰す。そこからもう一度、人間の歴史をやりなおす。それが水木さんの考える「楽園」だったのではないかという気がしてならない。
 ……って、それ『エヴァ』じゃん(^^*) 。


2001年07月16日(月) 私のマスコミ嫌いも根が深い/『雪が降る』(藤原伊織)/『新ゴーマニズム宣言』(小林よしのり)ほか

 またもや今日も雨。
 なんかこの1ヶ月、完全に一日晴れてた日なんか、二日くらいしかなかったけど、どうやらようやく今日で梅雨も開けるらしい。
 タクシー代を散財するのも今日あたりが最後か。
 仕事帰りに乗ったタクシーの運ちゃんに、「雨の日のほうがお客さん、多いですか?」と聞いたら、「学校の送り迎えのお子さん連れからの呼び出しが多くなりますねえ」とのことだった。
 贅沢しているなあ。って私もだけど。


 マンガ家の秋本治氏が第30回日本漫画家協会賞大賞受賞。
 受賞作は『こち亀』。……それ以外にないよな。
 受賞にケチをつける気は毛頭ない。でも、なんだか首を傾げたくなるんだよなあ。
 ……「協会賞」っての、つまりは「永年勤続賞」ってことなのかい?
 『こち亀』をマンガとして評価しようと思うと、それは実際、無茶苦茶難しいことなのだ。
 岡田斗司夫さんが『ドラえもん=こち亀』説を唱えたのは記憶に新しいが、ある状況に両さんが介入して暴走を始め、カタストロフィに至るという展開、別に『ドラえもん』にルーツを求めなくても、コントというかコメディスケッチの基本パターンなのだよな。
 『8時だヨ!全員集合』のコントのラストの「屋台崩し」なんて、両さんの「派出所破壊」とそっくりじゃないか。
 いや、マンネリがいけないってことじゃなくて、そのマンネリにこそ偉大なる価値があるって、審査員が考えた上での受賞なのかってことなんだよね。
 更に評価が難しくなっちゃうのは、マンネリでありながらも時々とんでもない実験作を秋本さんが試みてるってことだ。
 俯瞰のアングルのみでマンガを描く、上下段で違うマンガを描く、少女マンガ、児童マンガ風に描く、真っ白な画面を続ける、これだけ聞くとまるで赤塚不二夫か唐沢なをきのギャグマンガだ。内容的にも「神様」出した時点で「なんでもアリ」になっちゃってるし。
 で、それを面白いと判断しての受賞なのかどうか。
 秋本さんがそういう実験作を描き始めたのは別に最近のことじゃない、だとしたら、10年、20年前に受賞してたっておかしくないはずなんだが。
 やっぱり「21世紀まで続いた」ってことで受賞させたんじゃないのかなあ。そのせいで、本来、今年受賞すべきはずの作品が何かオミットされてたとしたら、ちょっと問題なんじゃないかとも思うのだけれど。
 

 夕べは余り充分な睡眠時間が取れなかったが、今日はそれほど仕事がキツクなかったので助かった。実はもうちょっとで仕事がひと区切りつくのだが(だから入院することもできるのだけれど)、それまではもうひと山くらいありそうなのである。一つ山越しゃホンダラッダホイホイってか。
 帰宅して、日記を書きながら漫然とテレビを見る。
 『そんなに私が悪いのか』という古館伊知郎が司会するトーク番組で、「ミスコンは女性差別だ廃止せよ」「いや、ミスコンは女性の自立を促すものだ、続けろ」みたいなバトルをやっていた。
 ミスコンなんてあろうがなかろうが私にはどっちでもいいことなんだが、こういう「今あるナニナニは差別的だからなくそう」と言われてるモノについては、実はそう言ってるヤツらのほうが差別的ってことが往々にしてある。
 「女を容姿だけで判断するな」という意見に対して、ミスコンの女王と言われた女性が、「容姿だけで判断するミスコンなんてない」と反論したのは面白かった。今時のミスコン、筆記試験まであるのだねえ。考えて見れば、ミスコンって、たいてい「キャンペーンガール」として使われてるわけだから、ただ立ってニッコリしてりゃいいってもんじゃない。受け答えがきちんとできなきゃダメなんだよな。例えば「ミス福岡」が福岡のことをなーんも知らんじゃ話になるまい。
 言ってみりゃ、ミスコンってのは期間限定の契約社員みたいなものなのだから、それを阻害するってのは職業選択の自由を犯してるってことにもなるわな。
 ミスコン反対派の女性から発せられたこのセリフがまた笑える。
 「でも、ブ○って言われた時、女性がどんなに傷つくかわかりますか?」
 ……それはなにかな、ミスコンに出場するヒト、ミスを選ぶヒト、ミスコンを楽しんで見るヒトがみんな、「○スを蔑むためにそういう催しをしている」とでも言いたいのかな?
 遠慮なしに言わせてもらうが、それこそ被害妄想であり、「ブ○の僻み」である。テレビじゃそこまでは言い切れなかったようだが、視聴者はほぼみんなその言葉を心の中で反芻していたことだろう。この場合の「ブ○」はもちろん、外面のことを言ってるわけじゃない。
 「あなたは心のブ○よ!」(某アニメのセリフをアレンジ(^▽^笑))
 美しいものを見たい、美しいものに憧れる、その気持ちがあるから、芸術だって生まれてくるのだ。そしてその「美しさ」ってのは「外見」だけに拘ってるものじゃない。ソトヅラだけよくて腐った心根が表情に現われてるようなヤツと、まあ、そう顔が整ってなくても、愛嬌や優しさが表情に表れてる子がいたら、どちらが受賞するかは解りきってるじゃないか。
 ミスコンを支持してるのはスケベな男ばかりじゃないってこと、フェミニズムを標榜してるヒトたちは、ちと考えてもらったほうがいいと思うがな。
 こういう問題になると必ずしゃしゃり出てくる田島陽子センセが今回はゲストに呼ばれてなかったな。単に忙しかっただけなのか、ああいうアホ(わざとアホを演じてる可能性もあるけど)が出て来るとさすがに番組自体がオフザケやヤラセと勘違いされると思ったのかどうか分らないけど、まあ、誰を呼んできたって、こんな企画はアホを見て嘲笑うものにしかならないわな。


 エンターブレイン『20世紀少女マンガ天国』読む。
 ああ、少女マンガの歴史も『20世紀』でくくられるようになったのだなあ。
 現代の少女マンガのルーツを手塚治虫の『リボンの騎士』に置く見方は、間違いとは言えないが、その前後の解説の記述がやや不足しているように思える。
 少女小説の挿絵画家たちや、倉金章介の『あんみつ姫』などがカットの一つも紹介されてないのはどうかという気もするが、編集者たちが紹介したいメインのマンガ家たちが、24年組以降の作家たちであるのは明らかだから、多少の偏りは致し方ないのであろう。
 評論誌的な体裁を取っているようだが、その批評性は薄い。執筆者たちが、キャラクターやテーマに感情移入してしまった結果、客観的に作品を見ることができなくなってしまっているのだ。ここには、「少女性」とか「夢物語」「愛と哀しみ」「ナイーヴさ」「想像力」「感性」など、何かを語っているようでいて実は何一つ作品分析に寄与していない言葉が浮遊している。こういうのは一種のカタログ雑誌として読むのが妥当なところだろう。
 あ、でも「少女マンガ誌の読者はどんなマンガ道を辿るか」ってので、『花とゆめ』から流れる≪白泉社ライン≫は少女マンガ・オタクへ通じる道って解説には笑った。確かに『花ゆめ』→『メロディ』→『プータオ』(出版社違うけど『WINGS』や『ASUKA』に流れる読者も)って流れ、ありそうな感じだものなあ。
 この本を読んで初めて知ったこと。
 『雨柳堂夢噺』の波津彬子、花郁悠紀子の妹さんだったとは。しかも花郁さん亡くなってたなんて……。少年マンガ家さん以上に少女マンガ家さんは、年齢やプライバシーを隠したりする例が多いし、全然知らなかった。
 三原順が死んだの知ったのも一年以上あとだったし。
 生々しくリアルなマンガを描いていながら、その作家の存在が現実のものとして私たちの目の前に現れてくるのが、当の作家の死の瞬間だというのは、切なくて寂しい。
 それこそ少女マンガじゃないか。


 『少年画報大全 20世紀冒険活劇の少年世界』。
 月刊誌『少年画報』が廃刊になったのは昭和46年だ。もう若い人はその存在も知らないよなあ。
 私にしたところで、ウチで『画報』を買ってたのは子供のころのごく一時期だ。しかも既に記憶が曖昧で、年譜を見てみても、いつごろ買ってたのか断定できない。桑田次郎の『バットマン』を見てたような気もするが、そうなると昭和41、42年ごろ。3歳か4歳だ。ちょっと早すぎる気もするなあ。同時期の連載に森田拳次の『ロボタン』や手塚治虫の『マグマ大使』があるが、アニメや特撮の印象の方が強くて、マンガのほうまで読んでたかどうか、記憶にない。後年、単行本で読み返しはしてるけど。
 でも藤子不二雄の『怪物くん』がバタ臭くて嫌いだったという記憶は鮮明に残ってるから(このころから、FさんとAさんとの嗜好の違いを見分けていたのだなあ。3歳のガキのくせに生意気である)、読んでたのは確実なんだが。

 もちろん、私は『少年画報』を代表する二大マンガ、福井英一・武内つなよしの『赤胴鈴之助』や、桑田次郎の『まぼろし探偵』の時代には間に合っていない。だから、今回の特集で復刻された幻の福井英一版『赤胴鈴之助』を読めたのは感無量だった。(マンガ研究家には常識だが、『鈴之助』はもともと福井英一が第一回を描いた時点で急死し、あとを武内氏がつないだものなのである。現行の単行本では、第一回も武内氏が書き直しているため、福井版第一回は本当に幻になっていた)
 読んでみると、鈴之助の顔がやはり福井タッチで、『イガグリくん』少年版といった感じだ。
 ついでに言えば、東京ムービー製作のテレビアニメ『赤胴鈴之助』(キャラデザインは多分楠部大吉郎か小田部羊一)の顔だちが、原作は細長いソラマメ型なのに、随分丸顔で違ってるなあ、と思っていたのだが、原作の後期の絵柄がアレに近かったのだね。マンガのつねとして、細長く設定された顔でも、連載が長期化するにつれ、だんだん丸くなってしまうのである(リメイク版でまた細長くなるのはご愛嬌)。

 梶原一騎の小説デビュー作なども収録したこの雑誌、細かく読みこんでいくと新発見がたくさんある。梶原一騎、昭和38年に『新戦艦大和』と称して、世界征服をたくらむキラー博士から地球を守るため、「空中戦艦大和」を建造する「沖田艦長とその子供たち」って設定の原作を書いているのである。
 ……こわ持てで知られるカジワラ氏、よく『宇宙戦艦ヤマト』公開当時に「おれの原作を盗んだな!?」と文句をつけなかったな。
 もっともそんなカジワラ氏自身、東宝の『海底軍艦』がこの年の12月に公開されてるから、ストーリーを小耳に挟んで、いち早くマンガにパクったただけかもしれないけど。
 
 付録に創刊号の完全復刻(当初のタイトルは『冒険活劇文庫』)が付いているが、巻頭連載が永松健夫版の『黄金バット』!(加太こうじ版のほうが今は有名になってるけど、こっちのほうがオリジナル作家)
 紙芝居版は散逸して完全復刻は不可能だろうから、こちらの雑誌版はどこかで復刻してほしいなあ。


 藤原伊織『雪が降る』。
 ミステリーだと思って読んだらただの普通小説集。
 ……ちょっと詐欺にかかった気分だ。
 乱歩賞・直木賞のW受賞、『テロリストのパラソル』でも「文章の練達さ」が評価されてたけど、確かにヘタじゃないんだけど、この人の文章のうまさって「底が見える」うまさなんで、あまり誉めたくないんだよなあ。
 物語に読者を引きこむテクニックの一つは、読者を「おやっ」と思わせる「違和感」をいかに導入するかってことにあるが、ワザトラしすぎると鼻につくんだよね。

 例えば『トマト』。
 主人公の「ぼく」をバーに誘ったゆきずりの女が言う。「私は『人魚』なのよ」ここで乗るヤツは乗るが、引くヤツはもう引く。
 何とか乗って読んで行っても、女がバーで頼むのは「丸ごとのトマト」。
 人魚の世界にはトマトはないのだそうな。なぜなら野菜か果物か分らない中途半端なものだからだって。
 「中途半端」だとどうして存在できないのか、その理由もよく分らないけれど、別にトマトは中途半端じゃないんじゃないか。あれを「果物」と思ってたヤツなんているのか。それとも大阪(作者は大阪人)じゃトマトが野菜サラダにじゃなくフルーツポンチに乗ってて出てきたりするのか。
 更に女は「ぼく」に言う。
 「なぜわたしがあなたをトマトの案内人に選んだかわかる? それはね、あなたが一番むごたらしい顔をしてたからなの」
 ……まあ、人魚だからねえ、違和感のある言葉を使わせるってのはわかるよ。でも、それりゃほんとに人魚だったらの話だ。人魚のフリした人間が人の顔を評するのに「むごたらしい」なんて言葉使ってちゃ、ギャグにしかならんわ。

 他の短編もみんな、浅田次郎の線を狙ってちょっとなりそこなったって感じが強い。大阪人に粋な小説を書くのは難しいってことなのかな。
 でもラストの『ダリアの夏』は三幕ものの舞台演劇を見ているようで面白かった。キャラクター自体が、演劇的なのである。
 アルバイトの宅配屋が立ち寄った、庭中がダリヤで埋め尽くされた屋敷。
 少年が一人、ダリアの花を一輪、金属バットで打って言う。
 「花殺しじゃないよ」
 もと女優の自堕落な母親が言う。
 「ねえ、私は今年でもう、三十八になるのよ」
 この二つの謎のセリフが終盤で交錯し、解明されていく様は見事だ。この程度の「違和感」なら、充分さりげなく、わざとらしくなく、情趣も醸し出せる。
 演劇は基本的に長い時間の流れを描くものではなく、人生の「点景」を切り取るものである。本格ミステリーではないが、ミステリー風味をまぶした点景小説として見るならこの短編集、まあまあ読めたと言っていいかな。


 マンガ、小林よしのり『新ゴーマニズム宣言』10巻。
 金大中大統領が「冷静な対応を」と言っても韓国国会は批判決議をするし、日韓交流を破棄する自治体も多い。逆に「教科書問題と文化交流は別」と、サッカー親善の催しを続行するところもある。「別」と割りきって考えることができなくても、交流しなけりゃお互いの誤解は解けまいに。
 ともかく『新しい歴史教科書』についても、『ゴーマニズム』についても、内容をよく読みもしないで居丈高に批判する連中が多いのが困りものなんだよなあ。よく読みゃ小林よしのりは「南京虐殺はなかった」なんて言ってないし、「慰安婦なんていなかった」なんてヒトコトも言っちゃいないがねえ。
 南京の件については、ジョン・ラーベの『南京の真実』を読んでもなお民間人の死者は少数ではないかと主張する小林さんの意見に対して、それは資料の拡大解釈だと反論できる。もちろん中国側の30万人の死者って数字だっておかしい。それこそラーベの『南京の真実』に、「金持ちがどんどん避難して出ていく」としっかり書いてある。貧乏で他の土地に行けない連中が残ってたとして、それが30万もおったんかい。
 何度も書いてるが、いい加減「話し合え」。
 話し合いを拒絶している韓国側のほうがおかしいと考えるのは自然だぞ。
 ニュースを見る限り、韓国でいきりたってるのはやっぱりジジババばかりだ。日本を叩く以外に他にアイデンティティがなくなってるんだろうなあ。でもそういうジジババとだってトラブル起こしたくないと低姿勢に出る連中が日本側に多いから、問題は何十年経っても解決しないのである。

 少なくとも「小林よしのりの言っていることは全て間違い」という見方は明らかに誤りだ。当たり前のことだが、世の中に「全て正しい」人間がいないのと同じように「全てが間違ってる」人間だっているわけがない。
 「小林よしのりの意見の一つ一つを粉砕したって仕方がない。他人を洗脳しようとするそのやり口自体を批判すべきだ」とか宮台真司はアホなこと言ってたが、岡田斗司夫の『ぼくたちの洗脳時代』でも読んだらどうだ。今の時代、モノを語ることが即「洗脳」になるのは解りきった事実だし、そう言ってる宮台の言質自体が「洗脳」のやり口の一つではないか。
 ましてや「小林よしのりの人格自体を否定せよ」なんてのは好き嫌いを通り越して、差別・迫害そのものだ。
 人格を全否定するのは結局、一つ一つの意見を吟味することを怠ったただのヒステリーである。なぜみんな小林さんに関してはこうも冷静になれなくなるのだ。
 そりゃねえ、私だって日常生活の中で人間関係がめんどくさくなりそうなときには「あいつはバカやけん、うてあわんどきい(あいつはバカだから相手にするな)」と言って、無視することはあるよ。でもそれがいいこっちゃないってことは自覚してるよ。
 それに、それで全てを終わりにできない場合だってあるのだ。例えばここでの「バカ」の一例はウチのしげだったりするが、自分の妻に対して永久に「うてあわん」ことなんてできるわけなかろう(^_^;)。

 小林さんの洗脳方法よりも、マスコミの偏向報道のほうに、より胡散臭さを感じてしまうのは、私に言わせれば日中国交回復の昭和47年以来、「台湾問題」をどうしてこうも無視しつづけるのかってことがあるからだ。
 マスコミが台湾についてちったあ報道したってのは、最近では李登輝の入院についての時だけだが、そのときだって政治的な問題についてマトモな解説をどこのテレビ局もまるでしてなかったぞ。
 これでは戦後の事情を知らない若い人は、中国がなぜ日本に抗議をしてたのかってことも、全然理解できまい。
 10巻の欄外で小林さん、「今までの歴史教科書では、台湾は存在しない。『つくる会』の教科書には書いてあるぞ」と書いてるが、本当じゃないか。
 マスコミの一面的な報道を私だって、この何十年か見続けてきているのだ。小林さんが正しいとも思っちゃいないが、中国・韓国の理不尽な要求についてヘイコラする必要もないってこたあわかるぞ。
 「かつての旧日本軍の侵略・虐殺行為を認めて謝罪しようと思いながらも、同じように中国、韓国の迫害・虐殺行為だって許さない」という、マスコミに躍らされないでいる日本人も大勢いるってこと、中国は自覚すべきじゃないのか。


2001年07月15日(日) 演劇は愛だ! ……ってホント?/『バトルホーク』(永井豪・石川賢)ほか

 夕べたっぷり寝たせいか、朝の目ざめは頗るよい。
 体重は80.6キロで余り変化がない。

 現代人がストレス過多になってしまうのはやっぱり睡眠不足に陥っちゃってるせいだろうなとはつくづく思う。
 私もしげによく「12時間も寝やがって寝過ぎじゃコラ」と文句を言うが、その口で昔は「オレ、一日9時間寝ねえと調子悪くて」と平気で言っていた。
 聞いてた方はムカっぱら立ってたろうが、実際の睡眠時間は6時間程度だったから、現実に慢性的な睡眠不足で頭痛とダルさに苛まれつつの発言だったのである。
 人によってバイオリズムは違うはずだし、今の8時間労働体制が(実際には通勤時間も含めたら軽く10時間を超すが)普遍的だとも思わない。ましてや不況を乗り切ろうと残業の休日出勤のと続けていても、トンネルを抜ける気配も見えなければ、労働意欲自体が全般的に低下して能率が低くなることは目に見えている。
 仕事がないなら、会社を休みにすればよい。不況の原因の一つは人件費の高騰だから、給料カットがどれだけの節約になるか。光熱費だって相当浮くぞ。
 それじゃ暮らせぬと社員は文句をつけるだろうが、だから休みの日はウチでゴロゴロしてればいいんだって。人間、食って寝るだけなら一日暮らすにたいして金はかからんがね。
 貯金がたまらん、子供の教育費もかかるとか、余計なことは考えなくてもよろしい。墓場まで金を持って行くことは出来ないし、子供に学費をかける必要なんてない。高校なんて行かせなくていいのだ。
 人よりいい生活したいなんて欲を出すから生活が苦しいなんて愚痴が出るんであって、コジキになることを恥だと思わない心さえあれば、別に世の中、生きてくに苦しいことなんてありゃしない。
 本気で生きてけないなら自殺すればいい。世の中別にクリスチャンばかりでもなかろうから、誰が自殺しようと文句はそうは出ないよ。世間が「自殺はよくない」と騒ぐのは表面的なスローガンであって、本気で自殺はよくないなんて考えてるやつはそうそういないって。
 いっぺん、自分が本気で自殺できるかどうか、みんな試してみればいいと思うんだな。もし、自殺しようとしても死に切れないなと思ったら、もう一回なんとかやって見ようかって気になれるやつも出るんじゃないか。

 寝る話はどこへ行った(^o^;)。
 ウダウダものを考えてると、連想はどこまでも果てしなく道を外れていくな。これも休日のいいとこかも。


 博多では今朝が追い山だったそうだが、博多人には珍しく山笠ファンではない私は(だって人形の作りがセコイんだもん)、殆ど山笠見物にも出かけなかった。
 昨日、病院の帰りに博多駅前の「元冦」と「ちびまる子ちゃん」は見てきて写真にも撮ったんだけれど、もちろん、これは「トンデモ物件」として撮ったことは言うまでもない。
 日蓮も時宗も後方に追いやって、竹崎季長(って、歴史に詳しいやつと博多人以外の誰が知ってるってんだ)を中心にドドンと持ってきてる構図もスゴイが、ジンギスカン(なぜクビライじゃない?)やモンゴル兵を蹴飛ばしてるってのは、国際都市博多って謳ってるワリにゃ配慮ってものが何もないよな。
 いいんだよ、博多は田舎都市のままで。


 『アギト』や『寿蘭』を漫然と見る。
 もうわざわざビデオに撮ってみるほどの情熱は失せているので、アギトもとりあえず筋を追うだけ。なんだかまたぞろ氷川と北条のライバル関係が強調されているが、ストーリー展開を阻害するだけになってきてるからなあ。いい加減アンノウンの謎を解明する方向に行ってくれ。


 さて、休日出勤もなく、今日は久しぶりに劇団の練習に参加できる。
 と言っても、10時ぴったりに「パピオ」に集まってきているのは、私としげと穂希嬢のみ。
 みなさん、博多時間を忠実に守っておられるなあ。
 それでも三々五々、メンバーが揃ってくる。
 出張中の其ノ他君を除けば、よしひと嬢、鴉丸嬢、午後からは愛上嬢にふなちゃんも来て愛嬌を振りまいてくれたので、まあ、揃いはいい方である。

 何より、今回は見学者の方がいらっしゃるのが嬉しい。
 東京で劇団活動をされていて、福岡でも活動場所を探していらっしゃるというラクーンドッグさん、鹿児島の劇団CASTの里佳さんと松山さん、狭い練習場に10人がひしめき合って、すぐに酸欠状態。ホントはよくないのだが、入口のドアを開けながらの練習。

 肉練、発声練習はいつも通りなのだが、腹筋やるのに、BGMに『ドナドナ』流すのはやめよう(-_-;)。
 「引かれてく子牛のこと考えたら力がはいらねーよ」
 「子牛を引いてく立場で、『よっしゃー! 子牛を売るぞー』って考えれば……」
 「お前は鬼か!」
 もちろん、私としげの会話である。

 発声練習や本読みなどに、ゲストの方々にも参加して頂いたが、メンバーのみんなはやはり新鮮な感動を覚えていたようだった。
 ウチは演技できる男性陣が少ないので、ラクーンドッグさんの本読みが特に女性陣にウケている。
 鴉丸嬢が、CASTの松山さんを気にして、いつもより思いきりテンションをセーブしてオシトヤカに見せているのが笑える。いや、笑っちゃ悪いが、「若い女の人がいると嬉しい〜」って、自分も若い女じゃないのか(^w^) 。
 でも実際、松山さんと組んで本読みをするとき、鴉丸嬢が照れている様子が見ていてアリアリなのだ。「しんじらんな〜い」なんてセリフを言うときのぶりっ子演技がいつもの3倍増しである。文章じゃうまくそのへんを表現しにくいけど、いつもは怒ってる感じで言うのに、妙に引いてる感じで読んでるのね。
 なぜ女性は、初対面の相手が男性だと余り物怖じしないのに、女性だと照れちゃうかな。人によっても違うんだろうけど、何となくそんな傾向を感じる。
 でも、愛上嬢と応酬し合うと、やっぱり鴉丸嬢、地がボロボロ出るのであった(^^)。うーんと、ちょっと内容をここに書くのは憚られるんだけどね、セリフだけ聞いてたら無茶苦茶ケンカしてる感じなんだけど、そんなことが全くないのが素敵なのである。
 「あんたねえ、そんなに○○○○○○○○○○○○○○じゃないよ!」
 「お前に言われたくないわ! ○○○○○○○○○○○○○くせに!」
 うひゃあ、とてもワキから突っ込めねーや(^^*)。
 こういう悪口雑言が人間関係の潤滑油になることだってあるってこと、マジメに生きることしか知らない人には理解がしがたいことなのだろうなあ。

 シナリオ検討は二本ともまだまだこれから、という感じで、まだ正式タイトルも決まらない。
 一応私の方は完全ギャグ、よしひと嬢のはシリアスと全く逆なので、そのコントラストを同タイトルで宣伝せねばならぬというのはなかなかムズカシイ。
 ゲストのみなさんに、さて、今回の脚本、面白いかどうかうかがってみたのだが、よしひと嬢の脚本検討が、いつの間にか一人一人の「恋愛論」になっていくのが面白かった。
 「自分の好きな人を奪った女は絶対許せない」
 「あ、私なら男の方を恨むな」
 ……世の男性諸君、今更ですがウワキするには覚悟がいりますよ(^_^;)。
 でもそういう話も脚本に深みを増すのにきっと役に立つと思うのである。ふと、みんなにも岡田斗司夫さんの『フロン』を読んでもらって、反応を聞きたくなったな。
 さて、私の台本、相当直しが入るかなと思ったが、総体的に「イジリようがない」という感想。まあ、ギャグを入れるか外すか、そういうことくらいしか直しようがないシロモノだからなあ。現場の判断でいろいろ変わっていくであろう。
 テンポが遅れたり、タイミング一つ外すと全くウケなくなる危険はあるので、成否は役者と演出にかかっている。
 ということで後はヨロシク(^^)。


 一足先に、よしひと嬢やゲストの方々はお帰り。
 みなさん、「また来ます」と言ってくださったが、さて、満足していただける内容だったかどうか。
 練習が終わると外は土砂降り。朝はピーカンだったのに、どうしてこう雨ばかりの日が続くかなあ。
 「パピオ」の玄関で、知り合いの女性のYさんに偶然出会う。世間話でもしようかと思ったら、いきなりYさんから彼氏と別れた話を切り出される。
 「どうして男って女に甘えたがるかなあ」
 ……まあ、私から見てもYさんの彼氏、甘えんぼタイプに見えてたから、それくらい付き合う前に見抜いとけよ、と苦笑い。
 でもも、言葉はやや柔らかく、
 「女に甘えない男なんていないよ」
 と一般論で誤魔化す。
 みんなホントに恋愛が好きなのだなあ。ほかにやることないのか。

 残ったメンバーと、ミスタードーナツで雨宿りして、小降りになったところで解散。筋肉痛は明日あたりにくるかな。


 マンガ、永井豪・石川賢『バトルホーク』読む。
 テレビ版の方を熱心に見てた記憶はないのだが、絶対この原作通りでなかったことは断言できるだろう。
 主人公たちが殆どバトルホークに変身しないどころか、石川賢お得意の完全なスプラッタ格闘モノである。世界征服を狙う格闘技一族の野望を粉砕する格闘三兄弟って、なんだか梶原一騎原作みたいだが、ラスト、ページが足りなくなったのか、バタバタと終わるあたりも梶原的。
 テレビとのタイアップマンガは尻切れトンボになること多いしなあ。


 マンガ、業田義家『百人物語』1巻読む。
 公園に集まってくる奇妙な人々を描いていく、という設定は面白いけど、キャラクターをやや作り過ぎてる感じはするか。
 政治マンガを書いてるせいもあって、業田さんのマンガはいかにもマンガ時評的な批評をすることもできるが、あえてそれはやらない。
 変な人がたくさん出てくるマンガ、そう楽しめばよいのだ。


2001年07月14日(土) シナリオ完成!/『クレヨンしんちゃん』30巻(臼井儀人)ほか

 先日、穂希穣の協力もあって、片付いたはずの居間、既にコンビニ弁当のカスなどで狭苦しくなりつつある。
 どうも「すぐに片付けられるさ」と軽く考えてるのがよくないんだけど、まあ、アレだね。本棚を片付けようとしたら、つい本を読み出して……って、ゴミ片付けるのにその言い訳は通用しないな。
 いや、明日には必ず片付けを……(^_^;)。


 今日は珍しくも休日なのに仕事がない。
 ……って休日仕事がないのが普通なんだよ。ウチの職場は異常だ。
 もっとも今日出勤している同僚もいるので、実質ウチの職場は年中無休。……ま、空き巣に入られる心配は余りないのかもな。

 ありがたいことに天気も久しぶりの晴れ。
 8月からの入院のために、職場に予め出すための診断書の申し込みに、西新の成人病センターに行く。
 申し込みは今日でも、診断書ができるのは週明け。受け取りにはしげに行ってもらうしかないので、道順を覚えてもらうためにも一緒に来てもらわねばならない。
 「ええっ!? やだよ。昼寝る時間がなくなるやん」
 「なくなるってことはないだろ。朝3時に仕事が終わって、ウチに帰って寝るのが4時なら、8時間寝たって12時には起きるでしょ。それから出かければいいんだから」
 「寝つくの遅いんだよ。布団の中で4、5時間はウダウダしてるんだから」
 ……それで、私が帰宅した時(夕方6時以降)、いつも寝てたんだな。
 じゃ、仕事以外で起きて活動してる時間なんて、2、3時間しかないじゃないか。そういうのを「自堕落」ってんだよ。

 用事はあっという間にすんだので、近くの店で食事。
 「ひなっこ」という、三瀬鶏料理の専門店。
 細長くて間取りは狭いが、混んでない時に来れば落ちついて食事ができそうな瀟洒な印象の店。
 私は唐揚げ、しげは串焼きを頼むが、「串」というのが焼き鳥のことだとしげは気がつかなかったらしく、レバーやネギ焼きが出て来て、「食べれん」などと贅沢なことを言う。
 仕方なく私の唐揚げと取り替えるが、「日本人だろ、ネギ食えネギ」って言いたくなるよな。


 明日が練習なので、しげが「台本あげてね」とうるさい。
 わたしだって別に台本あげたくないつもりはないし、今日は充分時間もあるし、とパソコンの前に座るが、途端に睡魔が襲ってくる。
 ま、夕方からやったって間に合うさあ、とそのまま睡眠。
 後でしげが「全然進んでないじゃん!」と文句をつけるが、そういうしげもぐっすり眠っていたのである。疲れているのはお互様でしょうが。

 横になっていると、しげが突然、声をかけてくる。
 「知ってた? もう私、そろそろ人生の半分アンタと一緒にいるんだよ」
 「オレはあと20年経たないと人生の半分にならないなあ」
 「……ズルイ」
 何がずるいんだかなあ。


 夕方から、ようやく台本に取りかかる。
 まあ、今回は全編ギャグで肩は凝らないし、二本立てだから3、40分程度の内容でいいし、書くのに余り時間はかからない。しげが寝てる間に(こいつは夕方になってまた寝ているのである)、3、4時間ほどでちゃちゃっと書き上げる。
 で、その出来映えはと言うと……。
 下らない。とことん下品である。オヤジギャグもてんこもりだ。
 これまでの『ディオゲネスの樽』とか『鴉』とかをご覧になってきた方が今回の台本を読んだら、その余りの落差に仰天するのではないか。
 ともかくここまで何の内容もない台本を書いたのは久しぶりだ。もしさらに改稿せよと言われたらもっと内容がなくなるであろう。
 ……いいのか? 本当にこんなんで。


 韓国の金大中大統領が、急遽、「歴史を直視するよう日本に要求することは大切だが、日本と相互協力していく基本姿勢を崩してはならない」と答弁。
 ありゃりゃ。珍しくも韓国側から折れてきちゃった。
 と言うより、大統領の意向も聞かずに、アチラの外務省とかが勝手に暴走したらしいねえ、今回の事態。
 おかげで民間レベルでも相互交流を拒否するところが続出したという報道だったんだが、いったいそれがどの程度の割合なのか、マスコミはきちんと調べてくれないからねえ。
 例えば交歓会なんかを計画していた地方自治体や学校、サークルなんかが百あったとして、そのうち五つや六つ、交流を取りやめたからと言って、そんなものは「まあ、あわてものも少しはいるわな」ですむことなのである。もしかしたら日本にも、「韓国なんぞとやってられるか」なんて言い出すようなバカもいたかもしれないし。
 テレビで日本の本を焚書したりしてる様子を流したりしてるのを見て、ああ、これが韓国人全員の意向なのか、と錯覚しやすいんだけど、実際にはその「一件」しか目にしたわけじゃないんだよね。
 韓国の教科書が反日一色だってことは私も知ってる。しかし日本の教科書だって、一時期「日本は侵略戦争をした残虐な国でした」一色だったのに、別に国民はその一色には染まらなかったのである。
 今回の大統領答弁、ある程度は韓国内に反日意識があるとしても、それが全てではない、ということを公式に声明として発表したことになる。決して韓国は全体主義の国ではないと明言したわけだ。
 だとすれば、過去の戦争でそれぞれの国がいったい何をしてきたのか、きちんと調査することは一応、可能なのではないのか。日本の残虐行為を調査するのももちろんだが、韓国もそろそろ敗戦後引き上げて行く日本の民間人を大量虐殺したこと、認めたほうがいいと思うけどな。
 ともかく、今後「教科書問題がありますので、日本との交流はいたしません」と明言する連中は、韓国の国是に反する連中、ということになる。そういうやつらは本当は初手から日本に対する偏見と差別意識を持って復讐したいと考えてることを自ら告白してることになるのだから、こちらも遠慮なしに叩いていいということだよな。
 いや、そこまではしないけどね。すれば向こうのバカと同レベルになるから。


 マンガ、臼井儀人『クレヨンしんちゃん』30巻。
 平面的なマンガを平面的にアニメ化したのが『ちびまる子ちゃん』で、だからと言ったらなんなのだが、私は『ちびまる子』に余り感情移入しないのである。子供の視点が絵として現われてないからねえ。
 実のところ『ちびまる子ちゃん』、絵的には『のらくろ』から一、二歩しか前に進んでないのだ。
 『しんちゃん』も原作の方はそれに近い印象があったんだけど、アニメがアングルに凝りまくった演出してたせいか、今回、所々で実に映画的な演出がされている。
 眠っているひまちゃんの顔のアップ、うっすらと目を開けて、画面はロングに切り替わる。だらしなく寝ているみさえとひまちゃんを真上からの俯瞰で捉えると、画面はまたアップになって、みさえの鼻の穴に指を突っ込んでイタズラするひまちゃん。苦しげに目をうっすらと開けるみさえの目だけのアップ。みさえ、隣を見やるけれど、ひまちゃんは寝たフリ。時計が7時を回っていることに気づいて、飛び起きるみさえ。「あなた起きてーっ!! 会社遅刻よーっ!!」でも画面に写ってるのはすやすや寝ているひまちゃんだけ。
 うーむ、文章だとうまく映像効果が伝えられないなあ。いや、過不足のない見事な短編マンガ。臼井さんにこういう粋なマンガが描けたとはなあ。すっかり見くびっていました。すみません。
 アニメに出てきた屈底厚子・アツミの親子も登場。でもアニメとは内容が全く違ってたから、やっぱりこれ、アニメのほうのオリジナルじゃないのかな。原作者も気に入ってマンガのほうにも出したとか、そんなことなんじゃなかろうか。


 マンガ、けらえいこ『あたしんち』7巻。
 最新巻だけれど、収録されてるのは1998年7月から1999年3月までの分。もう2巻分たまってるぞ。出版ペースがこんなに遅いのはなぜだ。
 何気なく買ってるというか、しげが買ってるのを読んでるだけなんで特に感想はないんだけどね。主役のみかんちゃん一家、けっこうオッチョコチョイなんだろうけど、身近にもっとアホウなやつを一匹知ってるから、そんなに意外性を感じない。
 普通に考えればマンガ以上にマンガ的なやつってそうとう変なんだろうな。


 結局この日、私は昼寝も合わせれば10時間、しげは15時間も寝てました。
 そんなに現実逃避してたい何かがあるのだろうか。


2001年07月13日(金) ふ、ふ、ふ、ふ○こせんせぇぇぇぇぇ!/『悪魔が来りて笛を吹く』(横溝正史・野上龍雄・影丸穣也)ほか

 なんだかなあ、最近はしげと休みの時間が合わないので、映画に全然行けなくなってしまった。
 今日も仕事から帰って、明日から連休でもあるし(久々に休日出勤ナシ!)、三谷幸喜の『みんなのいえ』が今日までなので、しげを誘おうかと思ったのだけれど、やっぱり仕事。
 まあ、アレはDVDが出た時買えばいいや、と思い、とりあえずしげが仕事に行くまで三時間ほど間があるので、「焼肉でも食うか?」と聞くと、即座に「食う!」
 ……相変わらずすぐに「エサ」に釣られる。進歩のないやつだ。

 麦野の「ウエスト」に行くのも久しぶり。金曜の夜はビールがジョッキで100円ということもあって、混雑が予想されたのだけれど、早い時間に辿りついたので、五分と待たずにすんだ。
 しげは赤味の肉だけ食べておけば満足なので、カルビとロースの2人前を頼む。三瀬鶏とホルモンとミノの塩焼きの盛り合わせが安売りだったので、私はそちらを頼む。こっちの方は鶏以外、しげは全く食べない。偏りがあるよなあ。
 しげはしょっちゅう、「赤味も食べてる?」と聞いてくるが、実は全く食べてない。焼けるたびに自分がどんどん2人前の焼肉を平らげているくせに、私にどうしてロースを食べるヒマがあろうか(いやない)。
 「もうこれ以上食べきれない」と言って、しげは四、五枚、赤身肉を残してくれたが、それだけ食えば満腹にもなるってばよ(^_^;)。
 店を出る時には既に玄関先は待ちの客が二、三十人の長蛇の列。タイミング的にはまあよかったというとこかな。
 このあと、しげは帰宅して体重計に乗り、「ひいいいい」と悲鳴をあげることになるのだが、そのことは余りにかわいそうだから秘密にしておいてやろう。


 焼肉屋の帰りに「ブックセンターホンダ」に寄って、新刊の文庫やマンガを何冊か買う。しげは仕事があるので一足先に帰宅。まあ、本屋に寄ると私は何時間タムロしてるか分らないので、これは仕方がないか。


 マンガ、横溝正史原作、影丸穣也(影丸譲也)作画『悪魔が来りて笛を吹く』読む。
 影丸穣也が、横溝正史ブームが起こる昭和50年代以前の昭和43年に、『少年マガジン』に『八つ墓村』を連載していたことは有名だが、同じ影丸作画でありながら続編と言うわけではない。
 これは昭和54年、斎藤光正監督、西田敏行主演の映画版をコミック化したものなのである。連載は東京スポーツ(福岡だと多分西日本スポーツが系列かな)だったそうで、当時は存在自体知らなかった。従って私が読むのは今回が初見。
 そういう経緯で、名探偵金田一耕助の顔が、『八つ墓村』の時の三船敏郎顔ではなく、西田敏行の模写になっている。正直な話、これは、やめてほしかった(^_^;)。
 多分、影丸さん、シナリオを渡されただけで、西田敏行以外のキャスティングも知らないまま、ともかくシナリオに忠実に、ということだけを念頭にマンガ化したのではなかろうか。
 なぜなら、トリックや犯人が原作と一部違っているのである。
 というか、実は原作には作者自身がトリックのミスに気がつき、後で書きなおそうと思いながらどうにも修正できずにほったらかしてしまったものがあって、しかもそれは絶対に映像化が不可能なものなのである(この件については、角川文庫版での解説が詳しい)。
 映画は結局、その失敗したトリックを無視して、新たな脚色を加えることで映画としての深みを増すことに成功しているが、マンガはその設定をセリフまで含めてそのまま踏襲している。
 だとすれば、脚本を担当した野上龍雄の名前を載せていないのはどう考えても
おかしい。実質的な原作者は、この野上氏であるからだ。
 解説の有栖川有栖、そういった経緯に一切触れず、「原作に忠実」などと嘘八百を並べ立てている。原作が長過ぎるために、後半、内容をはしょってバタバタと終わらせた前作の『八つ墓村』(何しろ辰也と典子の恋が伏線まで張っときながら描かれない)をも「傑作」と持ち上げるくらいだから、この作家の批評眼や実作の腕も底が知れるというものだ。

 金田一耕助のマンガ化は数多いが、原作のムードをマンガに写し出すのはそう簡単なことではない。様式的なマンガは、ともすれば金田一を美形に描いたり、勝手に人情味や哀愁を付け加えたりと、書き手のイメージが表に出過ぎる嫌いがあるからである。
 さりげない演技を表現できるマンガ家さんというのは案外少ない。個人的には浦沢直樹や福山庸治が金田一モノをマンガ化してくれたら面白いんじゃないかと思ってるんだがどうだろうか。


 マンガ、横山光輝『鬼火』。
 短編集だが、初期作品で、アイデア的にも単純な『ひも』『風夜叉』や、原作を特定できないけれど、確か誰かの小説で同じネタを読んだことのある『鬼火』(どうも『阿Q正伝』っぽいなあ。と言うか横山作品はパクリが多過ぎるのだけれど)を除くと、『闇の土鬼』の原型となった『暗殺道場』が一番面白い。
 と言っても、これも実は元ネタは都筑道夫の『なめくじに聞いてみろ』。一瞬そうと気づきにくいのは現代小説を時代モノに翻案してるからだね。
 でも、暗殺術をし込まれた弟子たちを、師匠の遺言で最後の跡継ぎが次々と殺して行く、という筋立ては全く同じ。つまり横山光輝のマンガ『闇の土鬼』と、岡本喜八の映画『殺人狂時代』とは、同じ原作から派生した双子なのであります(^o^)。

 思うんだけれど、横山光輝研究家、一度徹底的に横山光輝の元ネタ探しをやってみたらどうか。つい口が悪く「パクリ」と言ってしまったが、横山さんの「換骨奪胎」ぶりは、決して「盗作」などと簡単に言えるものではないのだ。
 実際、『暗殺道場』『闇の土鬼』にしてみても、都筑道夫がもともと「忍者小説」のファンであって、現代を舞台にした忍者小説としてのスパイ小説『三重露出』や『なめくじ』を書いていることを考えてみると、横山さんの忍者モノとしての翻案は、パロディを元の鞘に収めたものと解釈することもできるからである。
 まあ、『七人の侍』が『荒野の七人』になるようなものかな。
 『アトランティス』が『ふしぎの海のナディア』の、とか、『ライオンキング』が『ジャングル大帝』の、とか、ヘタなパクリはすぐにバレてしまうけれど、横山作品は結構そこのところがウマイと思うのだ。
 『鉄人28号』の元ネタが『フランケンシュタイン』だなんて、本人が言わなきゃ気がつかないよ(^_^;)。


 マンガ、いしいひさいち『ののちゃん』10巻。
 何巻か買い忘れてるような気もするが『ののちゃん』もついに10巻。
 でもタイトルを『となりのやまだ君』から『ののちゃん』に変えたからって、ののちゃん本人の出番はそう増えてないところがいしいひさいちのヒネクレてるとこ。さすが大坂人(^^)。
 今回これはぜひとも取り上げねばならないのは(って、ご大層な)、例のナベツネ騒動の顛末がカットされもせずに収録されている点だ。
 一目瞭然で暗黙の了解になってるから、誰も書いてないが、連載タイトルの変更は、以前、朝日新聞社から直接単行本を出していた時には、出版社の意向というか自主規制で、未収録作品がボロボロ出ていたせいだ。
 その点、双葉社から単行本を出す以上、アサヒの意向もヨミウリの意向も関係ない。
 あの「ワンマンマンは誰かのパロディなの?」「そうだ。きっとキミも誰かのパロディだ。その誰かも誰かのパロディかもしれん。でも、そう考えりゃどいつもこいつもたいしたことないから気楽だろ?」
 という、いしいさんにしてはいささか野暮ったい(しかし仕方のない)解説もしっかりカットされずに掲載されている。
 からかわれたり馬鹿にされたりってのは、ある意味それだけ個性的だってことだ。直接的に被害を被ったわけでもないのにオタオタするなんて大会社の会長ともあろうものがケツの穴が小さいことだと思ってたが、これはある意味ナベツネに対するいしいさんの決別宣言だろう。
 今、新聞連載にワンマンマンがまだ登場しているのかどうか知らないが、いたとしても多分、以前ほどの毒はなくなっているのではないか。でもそれは、いしいさんがナベツネに遠慮しているからではなくて、芸ナシオヤジを話題にしてやる親切心がいしいさんの心の中から薄らいだせいじゃないかと思うのである。
 でも、この私の想像と全く逆に、更にワンマンマンが活躍してたら、いしいさんはスゴイと思う。何しろ今や存在自体影が薄くなっているタブチやヒロオカやヤスダを、未だにキャラクターとして使い続けているのだよ。一端愛したキャラはとことんまで愛し続ける人なのだ、いしいさんという人は。
 ナベツネ、少しは頭を冷やして人のココロってものを知れよな、バカヤローが。


 さて、今号の『ニュータイプ』と『アニメージュ』。
 ガキ向けのアニメ誌をなぜいつまでも買うんだと白い目で見られることもあるけれど、確かにねえ、「アニメージュグランプリ」なんて、お子様の組織票で受賞する年も多かったりで興醒めだけど、個々の記事には、どうしてどうして、見逃せないものも多いのですよ。

 『ニュータイプ』連載の鈴木伸一さん(『オバQ』の小池さんだぁ〜!)の『アニメ街・ラーメン横丁』、今回は「トキワ荘を育てた編集者」ということで、手塚治虫文化賞を受賞した丸山昭さんを取り上げている。
 いわゆる「手塚番」のお一人で、石森章太郎、赤塚不二夫ほか諸氏を育てた名編集者なのだが、浅学にして私は丸山さんのお名前を存じ上げなかった。
 『トキワ荘実録』というご著書もあるということであるのに、マンガファンとしては情けない話だ。こういうウラカタの人にまでスポットを当てよう、と言う気持ちが、この2誌にはあるのである。

 『アニメージュ』の方も、今回は多分マニアも余り知らないのではないかと思われる、あの『名探偵ホームズ』についての大暴露。
 当時脚本を担当していた片淵須直氏、「いや、実は、宮崎駿さんのフィルムにならなかった絵コンテがあるんですよ」……え!?
 それも『バスカーヴィルの魔犬』と『白銀号事件』!
 ……学生時代、ホームズを犬でやると聞いて、「じゃあ『バスカーヴィル』はどうするんだよ! モノホンの犬が出るやんか!」と突っ込んでたものだったけど、それに宮崎さんが挑戦していた!
 そうか、この2作がアニメ化されなかったのは宮崎コンテが存在していたからだったのか!
 み、見たいぞ! フィルムになってなくてもいい、絵コンテのままでいいよ、公開してくれ、出版してくれ!

 ……私が未だにこの2誌を買い続けている理由が少しはお分りいただけただろうか?

 しげが帰るまで仮眠。と言っても四、五時間は寝るけど。
 細かいシチュエーションは忘れちゃったけどさ、それでもここ数年で一番印象深い夢見ちゃったよ。
 あああ、あの、あの、藤子・F・不二雄先生に会ってしまったのよ!
 有名人に夢の中で出会うことなんて、今まで一度もなかったのに。
 ニコヤカに微笑む藤子先生を見るなり、私は思わず聞いていました。
 「せ、せんせい! 『チンプイ』の、『チンプイ』の最終回はどうなったんですか!」
 先生、ちょっと困ったように苦笑なされて、
 「それがねえ、実はなにも考えてなかったんだよ」
 ……あの先生、本物かも知れない(^_^;)。


2001年07月12日(木) 怨念がおんねん(古)/『平成十三年度版 九州怨念地図』ほか

 相変わらず仕事は楽にならないし、体重は減らない(+_+)。
 今日も80.4キロだぞ。なぜこの「80」ラインが切れないかな。
 ここしばらく帰りが遅くなってたけれど、今日はようやく職場をほぼ定時に引ける。
 今朝から雨が激しかったので、タクシーで来ていたのだが、帰り、全くタクシーが拾えない。
 仕方なく歩く。歩く。歩く。
 気がついたら20分近く歩いている。目の前にウチの近所にはないコンビニがあったので、中に入る。
 昔、コンビニと言えばセブンイレブンしかなかった頃に比べると(ホントに昔やなあ)、もうコンビニの種類なんて全部でどれだけあるのか分らないくらいだが、そのワリにそれぞれのコンビニにそれほどの差異は見られないことが多かった。
 でもそれじゃマズイ、とコンビニ側も思っていたのだろう。最近はそれぞれに工夫しているコンビニに当たることも少しずつ増えてきた。
 「ポプラ」なんかは炊き立てゴハンを弁当に盛ってくれるし、「エブリワン」には、ベーカリーコーナーや自家製串カツ・唐揚げを売るコーナーがある(そのうちコンビニマップみたいなもの作ってみたいもんだ)。

 で、今日入ったコンビニは「ミニストップ」。
 間取りはたいして個性はなかったが、「ハンバーグ焼肉弁当」だの、「メンチオムライス特製デミグラスソース」だの、ちょっと変わった弁当があったので、土産に買って帰ろうとして、ふと本棚を見ると。
 いきなり目に飛び込んできましたね、黒バックに、ぼんやり浮かんだ女の顔の半分。
 「平成十三年度版 九州怨念地図 部数限定保存版 お祓い済」。
 なんともおどろおどろしい表紙が、何冊も、何冊も横にズラリ。
 うーむ、この様子、ウチのしげなんか、本気でちょっと怖がるんじゃないかなあ。こんなディスプレイしてたら、かえって売上、減らしちゃうんじゃないの? と勝手に心配。
 いや、買いましたよ、私は。別に怖がりじゃないし、それどころか、もうタイトルだけで笑わせてくれてるし。
 テレビの心霊番組もそうだけど、一回視聴率が採れたからって、パートワン、パートツーと続けていくと、だんだん心霊現象と言うには苦しいトンデモネタも増えてくるんだよね。

 「某市のあるホテルに泊まった夫婦。ルームサービスを頼んだのだが、やってきたボーイが、部屋の中に入るなり消えた。夫は腰を抜かしたが、妻はフロントに電話して、『ちょっと、宿泊代タダにしてくれる?』」
 おい、それって「笑い話」じゃないか(^_^;)。

 「霊視能力のある女の子と一緒に、廃屋探検に出かけたグループ。女の子は急に『タコ焼き食べない?』『どうして?』『だってハゲ頭のじいさん、たくさん見たから』」
 こういう女の子とはオトモダチになってもいいかな(^o^)。

 「タクシーに乗っていた紳士、突然豹変して『阿蘇大橋へ行けえ!』。運転手がビビって大橋に行ったとたん、紳士は急におとなしくなって、『あれ? ここどこですか?』」
 幽霊もタクシーを使わないと観光旅行はできないらしいね。

 「鹿児島のザビエル公園。背中を見せてすすり泣く女を見て、近づいて声をかけると、振り帰った女は血塗れ」
 『貉』のパターンですな。どうもキリスト教のご威光は日本の幽霊には通じないらしい。

 クスクス笑いながらページをめくっていたのだが、ふと、どこかで見たような写真が。わざとピントを外してぼかしてあるのだが、ちょっと奇妙な形の建造物。廃坑になった炭坑掘削の縦穴跡なんだけど、これ、ウチの職場の近所じゃないの。
 以前、ウチの劇団で『ディオゲネスの樽』という芝居をやったとき、パンフ用にあちこちの写真を撮ったんだけど、そのとき、この建物も撮影していたのだ。
 そうか、あそこは心霊スポットだったか(^^)。あの時はC−1くんとしげと一緒に行ったけど、別に何の霊障もなかったなあ。写真にも何も写ってなかったし。
 たいてい心霊スポットって「廃校」とか「廃屋」とか「廃病院」とか「廃」ばっかりだけど、それなら「廃遊園地」とか「廃ボーリング場」とか「廃ゲーセン」とかにはなんで幽霊があまり出ないかな。
 ディズニーランドが潰れたりしたら、スプラッシュマウンテンに乗れなかった恨みの怨念が集まったりしそうだけど(私だ)。


 韓国が扶桑社の「新しい歴史教科書」再検定を日本政府が拒否したことについて、「対抗処置」をとってきた。
 無期限の軍事協力停止と日本文化輸入の拒否だと。相変わらず「軍事国家」の面目躍如ってとこだね。
 日本の政府もマスコミも慌てふためいてるが、一度検定許可した物を「外圧」で変更することが「民主主義の否定」になることはいくらなんでも解るだろうから、「はい、再検定します」とはおいそれとは言えない。
 おかげで「教科書の内容と日本政府の意向は一致しているわけではない」と苦しい答弁をしている。
 でもいくら日本がノラクラ外交が得意だからと言って、さて、あちらさんがここまで露骨に敵対行動とってきてるのに、はっきりした対応を取らずにいられるものだろうか。まあ、今は選挙で大忙しで、「バカにかまってられるか」と言うところなのかもしれないけれど。
 文科省もメンツがあるから、いくら外務省から「なんとかしてくれ」って言われたって、どうにもできんだろうけどね。新聞にゃ「打つ手ナシ」なんて書かれてたけど、手を打ってもアチラが難癖つけてきたんだからなあ。「打つ気ナシ」ってのが正確な報道じゃないのか(^u^)。
 韓国、まるで一端カネが引き出せるとわかったら後から後からタカってくるヤクザじゃないの。ヘタにペコペコしたらつけあがってくるぞ。
 結局、韓国は、実は内心「自分達のほうが分が悪い」と考えているからこそ、こんなヤクザまがいの脅しをかけて来るのだよな。自分たちの都合の悪い思想は入れないっての、「鎖国」って言わんか? 本当に自分たちのほうが正しいと思っているなら、いくらでも開放政策が取れるはずなのに、そんな封建的な政策を取らざるを得なくなっていることは、韓国の閉鎖性かつ全体主義的傾向をハッキリ示しちゃってるよ。
 日本との文化交流を進めていけば「自分たちの歴史認識のほうが間違ってるんじゃないか」「歴史を直視していないのは自分たちのほうではないのか」と考える人たちが出てくることはわかりきってるからねえ。既に右傾化してるあの国にとっては、自分たちの国のほうが軍国主義だってことに国民に気づかれると困るわけだ。
 と言うか、もう気付いてる人も多いんだろう。特に学生に。
 現在進められてた学生間の交流も禁止されていくみたいだけど、これを国による学生の言論統制、思想統制と言わずしてなんだと言うのか。
 でも、これだけインターネットが普及してる中で文化交流の禁止ってなんか意味があるのかねえ? 多分、この件でネット上は侃侃諤諤の論争になって行くだろうけど、韓国民だってマトモな人は多いと思うのである。教科書批判と文化交流禁止とが別問題だってこと、わかってるんじゃないのかな?
 わはは、内紛が起きるぞ内紛が。韓国が自分で自分の首を絞めてる様子をしばらく見させてもらいましょうかね(誤解する人がいるといけないから、書いておくけど、私ゃ韓国の姿勢がおかしいと言ってるだけで、あの『新しい歴史教科書』が正しいと言ってるわけじゃないからね)。


 DVD『少年ドラマシリーズ つぶやき岩の秘密』第一話だけ見る。
 わあ、菊容子が出てるぞ。言わずと知れた『好き! 好き!! 魔女先生』のアンドロ仮面こと月光(つきひかる)先生。
 ……1973年。このドラマの中でも先生役だ。亡くなったのが1975年だから、このときまだ22歳。なのに子供にも分かるセクシーな仕草。……当時、私ゃ10歳にもなってなかったのに、ときめいてた理由がわかる気がするなあ。『仮面の忍者赤影』の陽炎役、時美沙さん、『水戸黄門・第五部』安里姫役の小林かおり(当時は小林由枝)さんの三人が私が子供の頃ドキドキした「キレイなおねいさん」だったんだよなあ。うーむ、傾向がよくわかる(^_^;)。
 結構いろんなドラマにゲスト出演もしてたらしいけど、私が印象に残ってるのは『遠山の金さん・幽霊にとりつかれた男』に出演した時。
 男に弄ばれ、狂ってしまった少女を演じていた。ラストで一瞬だけ正気を取り戻して下手人を指摘するのだけれど、またすぐに狂気の世界に埋没して心を閉ざしていく。
 舞い踊る菊容子を見つめながら、中村梅之助の金さんがひとことポツリと「哀れな」とつぶやいたのが印象的だった。
 まさかなあ。ホントに同じような境遇になるなんてなあ。
 なんだか続きを見るのがツライ。


2001年07月11日(水) 変と変を集めてもっと変にしましょ/『コミックマスターJ』7巻(田畑由秋・余湖裕輝)

 昨夜あたりから愚図ついていた天気が、今日は雷を伴った土砂降りに変わる。
 やれやれまたかい(´_`;)。
 なんだか今年くらい梅雨らしい梅雨というものもないように思うがどうだろう。福岡ってところは、これだけまとまって雨が降って、水害に襲われたりしていても、いざ夏場になってみると、水不足に見まわれたりもする厄介な土地柄である。
 平野部にはよく雨が降るけどダムのある山間部にはなかなか雨が降ってなかったりするんだよねえ。ダムの数はこれ以上増やせないのに、年々平野部の人口は増えてってるし。


 ニュースが繰り返し今日行われた党首討論を放送している。
 ごく当然のように小泉首相(保守・公明は補佐って感じね)を野党が攻撃する形になってるけれど、昔に比べると、なんだかおもねるような批判になっちゃってるなあ、という印象。
 昔っていつごろかって、安保闘争の頃だったりするんだけど。いや古いね。
 そこまで昔に遡らなくても、まだ社会党が「自衛隊違憲」なんて唱えてて、自民党と明確に政策方針が違っていた頃は、批判の舌鋒は鋭いなんてもんじゃない、怒りと罵声そのものだった。
 だからこそ社会党は民意をつかめなかったってこともあるんだろうけど、熱いコアはあったんだよね。一端、与党となった経験を持って以来、もはや社民党はただの抜け殻になっちゃってる。
 小泉首相が「社民党は共産党に近いんじゃないか?」と土井さんに質問した時、一瞬私ゃ、小泉首相、なんて柄に似合わぬ(^^)切れ味のある質問するんだ、と思ったんだよね。
 土井さん、なんて答えるか。
 「断じてそんな心配はありません」
 だと。
 いや、笑った笑った。もともと共産党に近かった政党がそれ言っちゃあねえ。
 社民党、結局は「ウチらに政治理念なんてありません。政権が取れるんなら、村山さんの時みたいに自民党につくことだってありますよ」って本音を言っちまったことに気づいてないのな。
 その前段階として保守党の扇さんが、「野党は政策が違うのに『野合』してる」と批判したのに対して、民主党の鳩山さんが「野党が『共闘』してなぜ悪い」と開き直ったことに対する皮肉の意味があったんだろうけどね。
 「中身がないぞ自民党」と批判する野党自体にもっと「中身がない」から、自民党がいつまでだって政権取れてるわけでないの。55年体制が崩れた崩れたって言ってたころもあまり信用してなかったけどね、一党独裁こそ難しくなってるけれど、結局は寄らば大樹の陰。民主も社民も自由も、いつ変節して自民党と「共闘」するか分らない政党だってことはすっかり露呈しちゃってるよ。
 野合と言えば公明党だって政策違うのに自民党にくっついてるんだよねえ。神崎さん、「首相の靖国参拝をどう思うか」と土井さんに質問されて、「首相には考慮してほしい」のヒトコトですませてたけど、考えてみりゃなんでこれだけですむんだ(^_^;)。
 それでも小泉さんはするだろ? 参拝。
 したら公明党、「自民とは一緒にやってられん」と連合離脱するか?
 しないだろ?
 そこをなぜ土井さんほか、野党はもっと突っ込まないか。つまりは、今の公明の位置に自分たちがいつか立つことを想定してるからでしょ? 「どの程度の答弁したら、信条が違ってるのに連合してる矛盾をなあなあですませられるのか」、今からシミュレーションしてるんだよな、あいつら。
 だからそれが国民をバカにしてる行為なんだってばよ。
 国民が「ふざけんなバカやろう」と思ってないとでも思ってるのか。
 まあ、これだけ野党が自民党に勝たせたがってる状況じゃ、参院選の行方も目に見えてるよねえ。多少は「自民党にばかり勝たせちゃねえ」と言う動きがあるとしても微々たるもんだろうな。

 ウチにも「だれそれ候補をよろしく」ってチラシ持ってくる人がいるけど、宗教の勧誘といい、ああいうのってどうしてみんな親子連れ、家族連れで来るんだろうね。
 実家じゃ「政治信条は親子でも別」って考え方だったから、親父もお袋も一度も私にどこの政党を支持してるか、選挙の時どこの政党に投票したか明かさなかった。新聞は朝日も赤旗も聖教新聞もとってたから(^o^)、ホントにどこの政党支持なのか今でも判らん。もしかしたら親父とお袋も支持政党が違ってたのかも。?(゜_。)?(。_゜)?
 でもそういうものではないのかな、民主主義ってのは。
 以前、私がある政党に勧誘された時も、オヤジ、「お前の好きにすればよかたい。ただオレはそこは好かん」と言っただけだったし。
 おかげさまで私は未だにノンポリであります。
 従いまして、この文章、決して特定の政党を支持するものでも誹謗中傷するものでもありません。私にとって政治ってのは昔も今もキツネとタヌキの騙しあいであって、そのドーブツぶりを揶揄するものでしかないのですよ。
 そこんとこお間違えなく(^^)。


 今日も仕事が終わって帰宅するなり、草臥れてすぐに寝る。
 午後9時ぐらいかなあ、寝たのは。
 で、午前3時に目覚めてさ、さて、これから日記でも書こうかとしてたら、しげがぐしょ濡れで帰ってきた。
 思わず「濡れ鼠さ〜ん」って声かけたくなるくらい。
 ホント、チビだから濡れるとドーブツっぽくなるのな、しげって。
 早速、風呂に入ろうとして、「ごめん、ソファの上のフクロ取って」と私に頼むので、シャンプーの替えでも買ってあったのかと思って見てみると、中身はシャンプーハット……( ̄○ ̄;)。
 そろそろちゃんと目を閉じて頭洗えるようになれよな。


 しげが池波正太郎を読み始めたことは前にも書いたけど、ようやく『雲霧仁左衛門』を読み終わったらしい。しげが自分で小説を買って読むってのも珍しい。そんなに面白かったのかと聞いたら、「時代小説が意外と読みやすいのは判ったけど、最後があまり面白くない」ってことだった。
 前にも書いたが、池波さん、つまらないとは言わないけれど、私にも少し物足りないのである。ミステリとしては全然だし、市井ものとしても岡本綺堂、山本周五郎の域には及ばない。ピカレスクロマンとしては笹沢左保のほうが上である。どうにも中途半端なんだよねえ。結局、グルメ小説として読むしかねえのかって感じがして。
 半藤一利だったかな、「今は、ほかにいい時代モノがないからよく見えるだけだ」と辛辣な批評してたけど、そう言う面はあるだろう。
 「ほかに面白い時代小説はないの?」と聞くので、国枝史郎の『神州纐纈城』を貸した。都筑道夫の『なめくじ長屋』は面白がってくれなかったしなあ。これでダメだったら次は山田風太郎か半村良『妖星伝』でも読ませてみようか。
 あ、半村の『およね平吉時穴道行』なんかは読んでたっけ?


 マンガ、田畑由秋脚本・余湖裕輝作画『コミックマスターJ』7巻。
 連載マンガが落ちそうなとき、風のごとく現われ、たとえ明日の朝イチがシメキリであろうと、オリジナル以上の技術でゴーストライターを勤めてしまうという、本物のマンガ家さんが聞いたら本気で仕事を依頼したくなるであろう、「コミック界のブラック・ジャック」のシリーズ。
 でも、私は勝手に「コミック版トーキング・ヘッド」(←押井守の実写映画ね)と呼んでいます。意味がわかる人は多分ちょっと人としての道、踏み外してるぞ(^^)。
 毎回、マンガ界の内輪ネタをパロディ化してるんだけど、いつもなら「ああ、このネタはだれそれのどのマンガことだ」って、一発でわかる場合が多いんだよね。
 でも、「女を知らんうちは妄想爆発でスケベ漫画を描いてた奴がいたんだが女とヤッたとたん話どころか絵まで死にやがった!」ってのはあまりにも候補が多過ぎて誰か特定できんがな(・・?)。
 元祖は永井豪だろうけど、最近だとみやすのんきあたりか?(最近ってほどでもないか)
 今なんの雑誌で何書いてるんだっけかなあ?
 でも、この「少年の妄想」がエッチマンガの原動力だってのは、以前、誰だったか評論家も指摘してたことだけど、実際、ピンと来るんだよね。ここで重要なのは、「エッチマンガ」と「エロマンガ」ってのははっきり違うってこと。
 あだち充は現在の少年エッチマンガの代表者であろうが(あ、ファンの人、石投げないで)、あだち充のファンでなおかつ石井隆のファンでもある、なんて人はそうそうおるまい。
 少年エッチマンガの少女はたいてい童顔で、だけどボディーラインはオトナという、ロリコン+マザコンの両要素を備えてるんだよね。この相反するように見える二つの好みが並存してるところが、日本人のモラトリアムな性癖を表してるように思う。
 つまり「オトナになりたいけど、コドモのままで甘えてもいたい」ってことだね。女性にとっては気持ち悪いかもしれないけど、今の日本人の男は、みんなそうなんだから。
 昔の日本人はそうでもなかった、というより、現実の女にそうそうナイスバディーの巨乳がいなかったから、マンガにだって、現実感のある女って出てこなかったんだよね。この辺のことは夏目房之介さんも「記号的なチチの時代」として評論してた。手塚治虫の色っぽくないヌードとか、横山光輝の描き慣れてないヌードとか(^^)。
 でも戦後、子供たちに栄養が行き渡るにつれて、日本人が追い求めても求められなかった「童顔+巨乳」がある年を境に爆発的に流行することになる。
 そう、あの「アグネス・ラム」の登場した昭和50年。この年を私は「巨乳元年」と呼ぶ。
 それ以前にもこの「童顔+巨乳」の資格を満たすアイドルはいたんだよね。例えばアグネス・チャン。けれど彼女は「ムネがでかいと売れないから」と、サラしを胸に巻かされてた。アグネス・ラムのブレイクで、ようやくアグネス・チャンも水着になれたということを考えても、アグネス・ラムがエポック・メーキング的な存在であったことは間違いないのだ。そしてついに純然たる日本人巨乳アイドル、「榊原郁恵」「河合奈保子」「柏原芳恵」らが生まれる。この系譜が、イエローキャブのアイドルたちを経て、今の優香あたりにまでつながってるわけだね。
 そしてマンガ界にもその影響は大きく、やはりエポック・メーキングな一つの作品を生み出すことになる。
 ハイ、もうわかりましたね。
 そうです。高橋留美子『うる星やつら』の登場です。
 ビキニの鬼娘キャラが「ラム」という名前でなかったら、果たしてあれだけのブレイクをしていたかどうか。『うる星やつら』の初掲載は昭和53年で、「ラム」と聞けば自然と誰もが「アグネス・ラム」を連想していた時代だからこそってことがあるんですよ。
 『うる星やつら』のブームがオタクブームを牽引していったことを考えると、アグネス・ラムなくしてナウシカもベルダンディーもアヤナミもあり得なかったという暴論も成り立つのであります。

 あ、いかん。
 『コミックマスターJ』の話と全く離れてしまった。
 \(・_\)今までの話は (/_・)/置いといて。

 今回、明らかに「富野由悠季」と判るアニメ監督が出てくるのだけれど、初めて読む人は「ホントに富野監督ってこんな人?」と驚くかもしれない。
 なにしろ、初対面のマンガ家に「君、気持ちいいS○Xしてるぅ?」って聞くヤツだし。(;^_^A
 でも、これ、『ブレンパワード』作ってた時の実話らしいよ。
 そう言えば、昔、『機動戦士ガンダム供^ァ戦士編』の初日舞台挨拶で、富野監督がいきなリ「学生さんは朝からアニメなんか見に来ないで、帰りなさい」と説教し始めたことがあって、面食らったっけな。
 で、あとは延々と「二作目が作られても三作目が作られるとは限りません、みなさんの応援次第です」ってことを喋り続ける。おいおい、さっき「帰れ」って言った相手に向かって「応援してね」ってどういう了見だ、と笑っちゃったね。
 あんまり驚いたんで、一緒に挨拶に来てた安彦良和がなに喋ってたか全然覚えてないぜ。
 いや、いいんだよ、変人で。
 変人でなきゃ、いい作品だって生み出せないし、政治家にもなれまい(^^)。
 あ、しまった。全巻揃えた『∀ガンダム』、まだ最終回まで見てないや。


2001年07月10日(火) 踊れば痩せるか/『ちょびっツ』2巻(CLAMP)ほか

 うほほほほ〜♪
 体重が80.4キロ〜♪
 ついに80キロラインが目の前に迫ってきたよん。
 そりゃさ、腹はまだぽっくり出たままだし、アゴはそのまま首に直結してるし、見た目の変化がないのはなんでやねんって感じだけどさ、体重が着実に減ってきているのは間違いないのだ。夏が終わるころには少なくとも70キロ台にはなっているだろうし、もしかして、夢の、夢の60キロ台ももしかして……?
 もう踊っちゃおうかな、私ゃ。

 ずんどこずんどこ。o(^-^o)″o(^-^)o″(o^-^)o″

 って、ホントに踊るなよ(^_^;)。でも随分お手軽なユメだよねえ、この程度のことでウキウキできるんだから。


 お仕事がいろいろと煮詰まっているので、帰宅が9時近く。
 テレビをつけると『学校へ行こう』がもう終わるところ。女の子みたいな男の子がたくさん集まって、エチュードだかなんだかよく分らない劇団のまねごとみたいなことをやっていたが、アレ、ヤラセじゃないのかね。
 見た目はちょっと変だけど、もちろん、役者として花開くとはとても思えないフツーの子ばかりだ。もしあの子たちが本気で俳優目指してるんだったら、この番組、詐欺みたいなものである。見ていてなんだか気分が悪い。

 疲れていたのでそのまま眠り、起きるともう次の朝。
 というわけで日記に書くほどの内容がないがね。
 なんだか一日があっという間だなあ。


 マンガ、CLAMP『ちょびっツ』2巻。
 掲載誌の『ヤングマガジン』とCLAMPってのがうまく結びつかなかったんだけど(どっちかと言うとこれ、『スピリッツ』に載ってるほうがしっくりきそうな話だものな。まあ『最終兵器彼女』とかぶっちゃうけどね)、これはつまり『ヤンマガ』の路線変更ってことなのかね。最近あまり丹念に立ち読みしてないから断言はできんけど。
 自分を拾ってくれた秀樹のために、それと知らずに「覗き部屋」のバイトを始めてしまう人型パソコン「ちぃ」。その結果、失われた記憶に触れてしまったのか、「発動」してしまう……なんて展開は、実はどうでもよくって、要するにかわいい女の子のエロいポーズを出すためのシチュエーションを考えてるだけなんだろうけど、これに引っかかってくる若い男どもも多いんだろうなあ。
 世の中、ムダなエネルギーが有り余ってるわけであって、善哉善哉。

 CLAMPはしたたかである。「男が望む女像」というものを心得ていて、それに見事に迎合する。普通、女であれば、その「男の望む女像」を演じることに何らかの拒否反応を示すものだが、そういうものが『ちょびっツ』には一切無い。
 秀樹に心を寄せているらしいゆみちゃん、さりげなく胸を秀樹の背中に押しつけてくるが、これだけでも充分青少年のユメをかなえてくれているというのに、つい漏らしてしまった秀樹の「すっげーやーらかい」のセリフを聞いたゆみちゃんのセリフが「堅かったらこわいですよー」(^_^;)。
 したたかというより凶悪だな。
 男のスケベ心すら許して笑ってくれるなんて女、現実にはそうそうおらんよ。仮にいたらいたで、ほとんどオタク男の餌食にされるんじゃないか。
 ……実はそんな感じの娘が私の知り合いにもいて、やっぱりオタク男にストーカーされたことがあるのである。本人は「どうして私、オタクに好かれるのかなあ」と首を捻ったりしてるが、そりゃ、男誘っといて言うセリフじゃねーって。まあ無意識でやってるんだろうから罪はないけど。
 『ちょびっツ』がそーゆー変態男の欲望を解消してくれてるんなら、それはそれでめでたいことなのである。でも、言ってみりゃCLAMPは自分達のマンガが「娼婦」扱いされることを承知の上でマンガを描いてるわけであって、それは結局、読者の男のレベルを見切っているってことでもある。
 「ほら、君、こんなポーズ、嬉しいでしょ?」
 「ここでこんなことしてあげようか?」
 「あせらないで、じらされるのも好きでしょ?」
 こーゆー女に弄ばれてていいのか男ども。
 いいんですか。はい、わかりました、すみません。


 マンガ、高橋しん『最終兵器彼女』5巻。
 感想は『ちょびっツ』とほとんどかぶるので省く。
 ちょっとだけ付け加えれば、作者が男である分、こっちの漫画の方がバカ度は高い。『ちょびっツ』は確信犯であるが、『最彼』は作者が「いいマンガ」を描いてると明らかに勘違いしてるからね。
 ……女の子に傷をつけて、それでも愛せるか、なんてネタ、描くなよ。だったら最初っからブスを主人公にして描いて見せなって。
 

 DVD『刑事コロンボ 指輪の爪あと』、LD『刑事コロンボ 魔術師の幻想』。
 どちらも再見。
 前者は脚本が原作者のリンク&レビンソンだけあって、コロンボが犯人を罠にかけるあたりの描写がうまい。
 トリックにからむので詳しく書けないけど、いたずらっ子っぽいピーター・フォークの演技を受けるレイ・ミランドの戸惑うような演技が、さりげないけど絶品。ストーリーと役者とのアンサンブルがこんなに効果を上げてるのは珍しいくらいだ。


2001年07月09日(月) アンケート募集/『押井守 in ポーランド』ほか

 ここんとこ、よく悪夢を見る。
 今朝見たのは職場に遅刻する夢。
 なんだ、たいした悪夢じゃないじゃんと言われそうだが、臨場感と言うか緊迫感と言うか、これが半端じゃなくコワイのね。
 時間には余裕を持って家を出たはずなのに、時計が異様に早く進むのね。
 「え? まだ5分しか経ってないのになんでもう20分も経ってるの?!(この辺の矛盾がいかにも夢だねえ)」
 驚いても職場に着いてみればやっぱり遅刻。
 途端に同僚たちの冷たい視線が。
 「あいつめ遅刻しやがって」「周りにどれだけ迷惑かけてるか解ってるのか」「人間のクズだな」「なめてんじゃねえぞ」「ゴクツブシ」「死んでしまえ」「死ね死ね死ね」
 たかが遅刻でなんでそこまで言われにゃならんのか。ビビって泣き出すところで目が覚めた。

 ……って、ンな下らんことで泣くなよ、オレ(-_-;)。

 なんだかなあ、こないだもトイレに入ってたら空き巣がやってきて、動くに動けぬところを金属バットで殴り殺されかけた夢見たし、やっぱり心の疲れがたまっているのだろうか。


 しげから「最近散歩してないでしょ?」と言われてドキッとする。
 確かに梅雨が長く続いたせいで、散歩をサボってはいた。
 その間も少しずつ体重は落ちてはいたので、ま、いいかと休んでたのだ。
 ああ、でも80キロのラインがなかなか切れないのはそのせい?


 例の『新しい歴史教科書』、明らかな歴史的事実の誤謬の修正以外は適正、と文科省は判断したとのことで、中国・北朝鮮・韓国が猛反発しているそうな。
 相変わらずテレビは中国での抗議行動・デモ行為を報道してるけど、そうやって日本と近隣諸国の間にどんどん深い溝ができているように世論操作していくやり口はどうにも虫が好かない。
 中国や朝鮮だって、意見が全て反日ってことはないと思うのである。
 先日、台湾での哈日(ハーリー)族を特集したドキュメンタリーを見たが、今の10代、別に昔のことなんてまるで気にしちゃいないのだ。
 「昔は昔、今は今」、KINKIキッズを追っかけながら、日本の過去の罪なんて考えてられないよな。別にKINKIが中国人を虐殺したわけじゃないってことくらい、子供にだって解る理屈だ。
 日本の「『戦争を知らない子供たち』って認識すらない今の子供たち」だってそんなもんだろう。原爆をアメリカから落とされてるのに嬉々としてハリウッド映画に見入ってたりしてるんだし。
 そんな風に過去の歴史なんて気にしちゃいないことを、いかにも歴史認識が甘いように批判することはそれこそ全体主義ではないのか。
 どっちもどっちの下らんケンカだと、両国の大半の人々(特に若い人たち)は思ってるんじゃないだろうかね。

 この日記を書き始めて、早いものでもうすぐ一年であるが、「中国人、日本のことをそんなに責められるのか」みたいな書き方をしたことが何度かあった。まあ、わざと過激な書き方してる面はあるんだけど、となると、中国や朝鮮の人の一部がこれを読んだら、やっぱり激怒しちゃうのだろうか。
 よく読んでいただければ、別に私は日本人が侵略行為を働かなかった、と言ってるわけじゃないってこと、理解できると思うんだが。
 私は単に日本人も中国人も、この戦争責任に関連した問題になると、ヒステリックになりすぎてんじゃないか、と思ってるだけなんだけど。ところが「冷静になろうよ」と言ったら最後、「それは日本人の責任回避だ」と中国・朝鮮の人たちは叩いてくるのね。でも、それってただの言論弾圧だよねえ。
 だから「そういう人もこの日記を読むかもしれない」と言うことを考えた時、あまり優しげな書き方ばかりしてもいられないのよ。
 「自分たちの歴史認識の方が正しいって根拠はどこにあるんだよ。歴史に『真実』なんてもなあもともとねえんだ」みたいに挑戦的な表現しちゃうのは、逆に言えばこの手の問題を「なあなあで済ましたくはない」という私の決意表明でもある。この手の過激な表現はもともとの私の意志を正確に移したものとは言えないが、だいたい、言葉が真実を表せないってことは純然たる事実なのだよ。自分の言葉にある時はオブラートをかけ、またある時は絢爛たる衣装を纏わせ、「演技」させる。それは誰だって日常的にやってることだ。
 それを意識的に行おうというのが、「表現」の、ひいては「演劇」の基本なのである。
 
 もともとこの日記は劇団の役者・脚本家として書き始めたものであるから、コトバが「演技」しているのは当たり前の話である。
 つまり、近松の言う「虚実皮膜」の境に遊ぶことを、お読み頂いている方とともに楽しもう、とうのが基本的なありようであるのだ。
 簡単に言えば、これは事実をもとにした「フィクション」。そう認識していただくのはこれを読む前提なのである。
 現実の出来事を扱ってるじゃないか、とのご批判もあろうが、「解釈」は決して「真実」とは一致し得ない。つまり我々の「心」自体が「虚構」を作り出す機能しか持ち得ないのであるから、その虚構を楽しむ、あるいは認めることができない人は結局は自分自身の虚構しか認めない偏狭な人間、はっきり言えば「強迫神経症」であるのだ。
 ……多いよね、そういう人。
 だからそういう人に対しては、「バカ」とはっきり言ってやることも必要なのだ。一人が言っても効果はない。でも、全く関係ない人間から、「バカ」「バカ」「バカ」と言われつづけりゃ、少しは「オレってバカなの?」と考えるようになる。
 それは、「『バカ』と言ってるほうが『バカ』である可能性」も含めた上で、「考える」ことが出来るようになる、ということなのだ。私も自分が正しいなんて思ってるわけじゃない。与えられたデータに基づいたシミュレーションを行ってるだけなのよ。だから私の思考が間違いだと思う人は、新たな「データ」を示してくれればいい。「討論」ってのは、そうやってするものなの。
 今の歴史認識論争が論争にもならない低レベルなものになってるのは、データのやり取りもせずに中国や朝鮮が日本を非難してる点に問題があるんだよね。
 ……だからさあ、中国にもマトモな人はいるんでしょ? いい加減でバカの暴走抑えないと、中国、朝鮮自体が世界から孤立しちゃうよ。
 したいのか。


 この日記の「WhoisMy」(他者からの登録状況)を開いてみたら、新しくお気に入りにいれてくださった方がいらっしゃった。
 ちびちびと読者が増えていっている感じで嬉しいのだが、どういうところに興味を持って頂いてるのだろうか。同人誌を作られてる方のようで、文章も若々しく生き生きとしているので、私のような中年オヤジの文章が面白いのかどうか、疑問だったりもするのである。
 と言うか、しげに一番評判悪いしな、私の文章(-_-;)。テメエの妻から一番嫌われてるってのも寂しいんだよなあ。しかも「理屈が入ってないほうがいい」なんて言われちゃうし。
 で、ちょっと思いついたのだけれど、これ読んでる方、もしよろしければ掲示板の方でこの日記のどこに興味を持って読んでるか、アンケートを取りますので、ご回答頂けませんでしょうか。
 まあ、ジャンプの人気投票、と言うほどのものではありませんが、どれか一つを選んでお答え頂ければ幸いです。もちろん、初見でこちらに来られたかたでも構いません。

 アンケートには以下のサンプルをコピーしてご使用ください。



 <読者アンケート>

 この日記を読んで、面白いと思ったモノにマルを三つ以内でつけてください(その他は省きます。ご感想を自由にお書きください)。

 1 筆者(有久幸次郎)の無責任な私生活ぶり。
 2 筆者の妻(しげ。)の無軌道な破綻ぶり。
 3 筆者と妻の犬も食わないケンカバトル。
 4 たまに出て来る劇団メンバーの変な言動。
 5 筆者の、世間の方々とのよく分らない交流関係。
 6 筆者の、社会時評に見せかけた世の中に対するウラミツラミ。
 7 筆者の、人生や愛に関して自分だけが深いと思いこんでる洞察。
 8 映画・ドラマに関する話題。
 9 特撮・SFに関する話題。
 10 小説・ミステリーに関する話題。
 11 マンガに関する話題。
 12 アニメに関する話題。
 13 明らかにツクリだと思われる嘘話。
 14 おもしろいとこなんてね〜よ。

 15 その他 →



 ご芳名(匿名でも可)→




 『押井守 in ポーランド』読む。
 映画『アヴァロン』の撮影記録だけれど、押井さんがまさしく「監督」であることが実によく見えてくる貴重な記録。
 何がって、思い切りが実にいいのだ。
 言葉の壁、習慣の違い、そういうトラブルが起こることは初めから予想がついている。だから、「トラブル」を起こさない、というより、トラブルが起こりそうになった時に(簡単に言って仲間割れが起きそうになった時に)、どう対処するか。
 「僕は現場をやる時は誰と心中するかってのを決めることにしてる。誰が正しいかではなくて誰かを親分にしたてないと物事は前に進まない」
 で、押井さんはわざわざ日本から連れてきた日本人スタッフを無視しまくるのだね。ひでえ話だが、それが「監督」なのだ。
 なんだかなあ、押井さんのことを「天才」と呼ぶ人は多いが(唐沢俊一さんの場合は皮肉だけどね)、映画を仕切っちゃいるけど、我を通したりはしてないんだよね。というか、初めから「妥協」してる。押井作品はテーマが毎回共通してるからなんだか思想的な映画作家だと錯覚されやすいけど、私は押井さんは「職人」だと思っているのだ。
 でなきゃ、『紅い眼鏡』に根っからの「アニメ職人」である大塚康生さんを出演させたりしないでしょ。庵野秀明が「映画監督はどんなものを作りたいかではなくて、この予算と時間でどの程度のものが作れるか計算することです」と言った時、押井さん、初めて庵野さんを誉めたものな。
 実際にはそう計参することによって、自分の作りたいものも作れるようになるのだから。


 マンガ、細野不二彦『ギャラリー・フェイク』22巻。
 オタクアミーゴス会議室でも話題になった、アニメの表現をアートに取り入れた某人物をモデルにして、「パクリ屋」と断言した「カリスマ真贋」を収録。
 ああ、それだけで面白い。
 筋立てはなんだか短調で要領をえなかったけどね。


 DVD『刑事コロンボ 構想の死角』。
 スティーブン・スピルバーグ監督と言うことでやたら有名だけれど、新人時代のものであるせいか、切り返しのカットがやたらヘタクソ。
 普通のショットとガラス越しのショットを交互に繋ぐバカがどこにいる。
 ストーリーも最後が性急で、コロンボシリーズの中ではまあまあといった出来だと思うけどね。


2001年07月08日(日) 夫婦で暑気あたり?/『昔、火星のあった場所』(北野勇作)ほか

 しげが「寝ても寝ても寝ても寝ても疲れが取れないよう」と嘆いている。
 でもそんなに最近は寝てないんだよね。
 だから夜通し6時間の立ち仕事、ネットサーフィンしたあとは部屋の模様替え、宴会でカルピスチューハイ四、五杯空けて、次の日は朝から劇団の練習なんてアホなスケジュール立ててたら、いくら20代っつーても、カラダが持たんだろう。
 ……そういやしげってまだ20代なんだよな。
 でも私はじきに40代。
 ……トシの差夫婦ってやだなあ。

 休日出勤で、まる一日お仕事。
 休みがないと、私も疲れが取れない。40の坂を越えると体力がガタッと落ちると言うが、40どころか30越える前から私ゃ睡眠不足がモロに体に来るようになってるぞ。
 徹夜なんか全然出来なくなってるものなあ。
 睡眠時間が五時間を切ると体に来ること来ること。全身がダルイし意識はしょっちゅう朦朧とする。
 だからせめて一週間に一日くらいは休みの日を確保しておきたいんだが、ここ1ヶ月ほど、それがまるでままならない。休めたのは病気でぶっ倒れたときくらいのものじゃないのか(^_^;)。
 しかも今日はクーラーのない中でのお仕事である。
 暑い。
 蒸してる。
 茹だってる。
 眉間にシワが寄るのが自分で判る。
 ああ、意識が飛びそうだ。
 ハッと気がついたら、目の前に誰かの死体があって私の手には包丁が、なんて事態になっててもおかしくないかも。って、シャレにならんこと言ってるかもしれない(-_-;)。


 なんとか犯罪者にならずに帰宅(おいおい)。
 偶然しげと帰りが一緒になって、マンションの上からしげが私に声をかけ、手を振っている。
 なんだかなあ、しげのやつ、街中では私に声かけることすら恥ずかしがって、しょっちゅう迷子になりかけてるってのに、どうしてこんなちょっとしたことでも喜んではしゃげるかなあ。
 「今日の練習はどうだった?」
 「あ、喜びぃよ。台本、よしひと姉様にウケてたから」
 「……何が?」
 「×××んとこが」
 「……なんで?」
 「其ノ他くんが×××で兄さんも×××ってとこがあるでしょ? 実際に演じてる時の様子が眼に見えるようだって」
 ×××の様子なんて想像して喜ぶもんじゃないと思うが。
 台本未定稿の内容に触れる部分ですので、伏字なところがありますがご容赦下さい。あの、別に淫靡な内容だからカットしてるわけじゃありませんので。

 疲れ果ててたしげは、そのあとすぐ泥のように眠るのであった。
 最後に「『雲霧仁左衛門』録画しといてえ」とだけ言葉を残して(^_^;)。
 あれだけ「時代物は難しいからヤだ」とか言ってたのに、しげは古本屋回って池波正太郎の原作を探し出してくるし、ウチにあった梅安シリーズも読み始めるし、急に池波づいているのである。
 私は、池波はほかの時代作家ほどにはハマらなかったのだが、別にキライだというわけではない。回りにファンも多いみたいだし、ちょうどいい機会だから、と買い込んだ『鬼平』もまだ『唖の十蔵』しか読んでないので(第一話やんけ)感想もUPできないのだが、夏場の入院の時期使ってなんとか読破してみようかな。
 あ、昨日のしげの突発的模様替え症候群発動のせいで、『鬼平』もどこかに沈んでいるのだ(おかげで岡野玲子の『陰陽師』10巻も唐沢なをきの『うらごし劇場』もまだ途中までしか読んでないのに行方不明だ)。読みたいときに本がない。で、仕方なく2冊、3冊目を買う羽目になるのだな(-_-;)。
 テレビシリーズの『雲霧』のナレーションが津嘉山正種なものだから、あの低く抑揚のない声で「享保のころ、当時市中を荒らす盗賊たちがいた」なんて語られると、なんだか「オトナ帝国」のケンが歴史の歪みを問い質すようにこちらに語りかけてるようで、ちょっとコワかったりするのである。
 ナレーションの「語り」はただの語り部でなくて一種の「批評」である、って言ってたのは誰だったかなあ。
 徳川夢声か三國一郎だったっけか。誰か覚えてない?


 北野勇作『昔、火星のあった場所』読む。『かめくん』の作者の新作かと思ったら、文庫リニューアルのデビュー作だったのだった。
 第4回ファンタジーノベル大賞受賞、って、あの酒見賢一の『後宮小説』の流れなわけだな。あれ、最初は受賞作を毎回アニメ化、とか謳ってたけどニ作くらいで潰れたんじゃなかったのかなあ。後書き見ると「いかに売れなかったか」とか書かれてて、なんだかかわいそうな限りである。
 あのシリーズも、たしか「日生劇場」とか銘打ってて、路線的にはスタジオジブリの二番煎じを狙ってるのか、でもそれじゃ売れねえよなあ、と思ってたのだが、多分四回目ともなるとアニメ化もされてないんじゃないかなあ。

 でも一読して驚いた。
 ネタが去年私が書いた台本『鴉』とまんま被っている。つまり量子論的宇宙における不確定な世界の中でヒトはどう生きられるのか、というような話。
 説明し出すと長くなるので、簡単に書いちゃうと、量子物理学では世界とは、観測の上に成り立つものであって、つまり私たちが「何かを見る」ことによって、それはそこにあるのだと。言いかえれば私たちが何かを見ようとしなければ、それがそこにあるのかないのかは確率的な存在でしかあり得ないと。それを「シュレジンガーの猫」と呼ぶんですね。
 ……この説明でよくわかんない人は専門書読んでください。あるいはあさりよしとおのマンガ『HAL』でもいいです(^^)。
 そんな世界で主体的に生きることはまるで無意味だ、と言うのが私の結論。じゃあどうやって生ききゃいいのかっていう話になるんだけど、もちろん、開き直るか諦めるか笑うしかないんだよね。あるいは、最後の手段として、「どこかに戻ろうとして逃げる」。……という、オチまで似てたよ。おいおい(^_^;)。
 その辺の感性が似てるのって、やっぱり作者と私が同世代なせいなのかなあ。
 念のため言っとくが、盗作なんかしてないからな。
 シュレジンガーの猫を私は「鴉」に置き換えたわけだけれど、北野さんはなんと「タヌキ」に置きかえている。
 かつて「門」がこの世界に開いてしまった時から、あの火星は四散し、この世界は人間とタヌキの二つの勢力が争う世界となった。
 ……マジメなヒトが読んだら気が狂いそうになるような世界観だ。もちろん、ルーツはフレドリック・ブラウンの『発狂した宇宙』なわけだから、SFファンならこの程度の設定、軽く乗り越えて楽しめることであろう。もとの出版社である新潮社のおエラさんがたにはムリみたいだったらしいけど。
 しかし、読みながら鏡を見せられてるような感覚に陥るってのは奇妙な経験だった。面白いんだかつまんないんだか判断つかねえよ。


 マンガ、細野不二彦『タケルヒメ』1巻。
 時代もので妖怪退治もので、となると設定的にはありきたりなんだけど、何しろ作者が細野さんだから読んだ印象はまんま『バイオハンター』。グロなの私はちょっと苦手なんだけど。
 主人公のタケルヒメがちょっと知恵遅れ気味、という設定は諸刃の剣、という気がしないでもない。主人公が悩んだり成長したりってのがない分、物語としてはすっきりしてるんだけど、「知恵遅れ=純粋=破邪の資格」って図式はいくらなんでも短絡的過ぎないかな。
 帯に「巨匠・初見参!!!」なんて書いてあるけど、細野不二彦がいつ巨匠になったのかとちょっと首を捻った。いや、好きな作家さんだけどさ、巨匠って祭り上げなきゃ売れなくなったのか、と思っちゃってね(-_-;)。


 WOWOWでコロンボの新作、『新刑事コロンボ・奪われた旋律』見る。
 新シリーズになって以来、レベルダウンの著しいコロンボだけれど(エド・マクベイン原作のやつなんて最低だった。『87分署』とじゃ世界観が違いすぎる)、今回はまあ原点回帰、といった感じで印象は悪くない。
 監督が旧知のパトリック・マッグーハンで、犯人の音楽家がコロンボの前でいきなリ歌い出すような、『プリズナー癸供抂瞥茲離┘セントリックな演出はあるものの、適度にユーモアを盛りこんだ適切な演出を行っている。
 でも、コロンボのプジョーがガス欠になって、仕方なく犯人の車に乗りこむ、という展開、いかにもコロンボらしくていいんだけど、あとで「あれは犯人と会話するためにわざとやった」とネタバラシするのはどうかなあ。トリックの解明に解説は必要だろうけど、捜査の過程ではコロンボの行動はもっと謎めかしておいたほうが効果的だと思うんだけどね。
 アリバイトリックそのものはチャチでなんだけど、体内であっという間に分解されて痕跡が残らないはずの睡眠薬がなぜ死体から検出できたのかってトリックの方はそう悪くない。私はすぐに気づいたけど。
 コロンボが、と言うよりピーター・フォークがトシを取ったということを感じさせないように、やたら走りまわさせてるけど、ちょっと痛々しくはある。
 もう昔みたいなしつこさ、胡散臭さを前面に出すのは無理だろうから、ミス・マープルみたいな好々爺のイメージてやっていってもいいんじゃないかなあ。


2001年07月07日(土) オタクな××話/『こんな料理に男はまいる。』(大竹まこと)ほか

 七夕だけど、小雨がチラホラ。
 今年も織姫は涙にくれていよう。
 ……いや、お姫様、一年に一度会えるか会えないか、なんてアテにならない相手よりも、このボクの熱い、燃えるハートに触れも見でさびしからすやウヒウヒウヒ、というのは椎名高志のギャグ。
 どういうわけだかウチの職場にも竹笹が飾ってあって、「有久さんも短冊を」といわれたので、つい、「妻が料理を作ってくれるようになりますように」と書きこんでしまった。
 私はいったい何を夢を見ているんだろうね。

 大竹まこと『こんな料理で男はまいる。』を読みながら、まあ、このレシピを読みながら料理を作るような女はやっぱりバカな女だろうな、などと不遜なことを思う。レシピに頼らず、自分の目の前にいる男が何を求めているか、それを見ぬいて料理を作る。そんな難しいこと出来ない、と文句を言うようなら「男と一緒にいる」意味はない。「私だけを見つめてほしい」と女が男に望むのなら、女も男のためだけの料理を作れなくてどうするのだ。
 もちろん、私がしげに作る料理はしげのためだけの料理である。しかし、しげが私のために作る料理はそうではない。しげ自身の料理でしかない。

 私の知り合いの女性で、花嫁修業で料理学校にさくさく通い、いざ結婚後は存分にその腕を振るって、毎日毎日ビーフストロガノフノフホフとか舌平目のムニムニエルとか、そんなもんを作り続けたけれど、夫はだんだん料理を食べ残すようになり、更には家計も逼迫しだして、一時期、離婚の危機に陥った、という人がいる。
 ちょうどそのころ、その女性は私に「あなたと結婚すればよかったかしら」などと、その気もねーくせに私をダシにして自分の正当性を訴えたりもしていたのたが、なんか男を徹底的にナメてくれる女だなあ、と内心立腹していたのである。
 私なら女の作る料理を喜んで食べてくれるだろう、というふうに思われていたのだろうが、私だって、そんなケッタイなものを毎日食べたいとは思わない。
 大竹さんもこの本の中で書いているように、男が女に求めるのは、「安い食材で、定まった普通の味で、工夫のあとを見せずに」「ほっとできるような、温かくてしみるような味を一緒に味わいたい」。
 それだけなのだ。
 「私はあなたのためにこれだけのことをしてるのよ」なんて料理は嫌われるだけだ。かと言って「こんなもんでいいだろう」なんて手抜きがミエミエの料理も願い下げである。
 月並みだが、男に対する思いやりが感じられる料理。
 それだけで充分なのだ。同じ料理でも盛り付けにちょっと工夫をするとか、それだけでも男は嬉しいのである。
 なのに、その程度のことすらしない女は多い。それが男への思いやりになるってことになぜ女は気づかないか。
 実は女は、男に料理を作ってやる時、愛を注いでいるように見えて、逆に男に甘えているのである。本人は男に尽くしているつもりでも、実は男の愛情にしなだれかかっているだけなのである。そんな女は、男の心を読むこと自体しようとしない。ただただ自分の愛情を押しつけて、それを受け入れない男を恨むばかりである。
 「美味しい料理作ってあげるね」なんて言われて喜んでちゃ男のほうもバカだ。そういう女の料理はたとえ美味くても不味いのだ。

 私も結婚して10年になるが、しげに美味しい料理を作ってもらったことは一度もない。初め美味しくても、あとで必ずしげが「美味しくない?」と聞いてぶち壊すのである。「不味いか?」と聞かれれば、「そんなことはないよ」と答えざるをえない。そう答えることを強要されて美味しく味わえるはずがない。だから、「そのヒトコトを言わなければ美味いのに」と何度もしげには叱ったのだ。なのに何度も聞くものだから、私は結局返事をしなくなった。そうしたらしげは料理自体、全く作らなくなった。
 
 私はしげに料理を作ってもらうために結婚したわけではないので、それはそれで仕方がないことではあるのだが、それにしても10年間マトモな料理を一度も作れなかったというのはバカにもほどがある。
 しげの不安神経症も理解出来なくはないのだが、こちらはたいした要求をしているわけではないし(と言うよりほとんどといっていいくらい要求はしていない。手間かけなくていいと言ってるし)、本人に自分の病気を治そうという気があれば(つまり他人を気にするのでなく気遣うようにすれば)、料理は楽しい作業だと思うんだがなあ。
 要は人を思いやる喜びをしげが経験したことがないというのが一番の問題なのだろうな。料理のことは、しげの生き方そのものに欠陥がある一例なのである。多分、過去にいろいろトラウマだのPTSDだのがあったのだろうが、もういいトシなんだからいい加減で自分でなんとかしてくれないと私ゃ知らんよ。先に行くのは私の方なんだから。


 入院手続きをするために仕事を早引け。
 職場から自転車をかっ飛ばしていると、突然「ぷしゅううう」と気の抜けた音と同時に後輪がへしゃげる。わあ、またパンクだ。タイヤを見ると3センチほどの釘がブッスリと刺さっている。どうも釘が巻散らかされてるところを通りすぎたらしい。これはチューブ自体がイカレていそうな気配である。
 ウチには四台自転車があるのだが、一台は既にしげがパンクさせて半年も放置したまま、いくら叱っても自転車屋に持っていこうとしていない。さすがに二台もパンクしたままでいるわけにはいかないので、帰宅するなりしげに自転車屋に行こうと誘う。
 「行けないよ、お客さんが来るから」
 「そんなの聞いてないぞ」
 「いちいち言わなきゃならない?」
 ちょっとムカッとしたがこれから病院にも行かねばならないのでケンカなどしているヒマはない。
 「誰が来るの」
 「ハカセ」
 「何しに」
 「部屋の模様替え」
 「はあ?」
 しげは夕べも仕事、今晩は飲み会、明日は練習と、寝る時間も余りないはずなのである。それなのに、なぜ今、模様替え?
 第一、昼間は私も台本を書かねばならないというのはしげも承知のはずなのだ。側でドスンバタンと片付けされてて台本が書けるか。
 「じゃあ、自転車どうするんだよ。明日、日曜だから今日しか修理には出せないぞ」
 「夕方出すよ」
 「そう言って出さないつもりだろ」
 「出すよ!」
 嘘をついているのは一目瞭然だが、押し問答をしていては病院に行く時間すらなくなる。あとでみっちり叱ってやろうと思いながら病院へ向かう。
 

 入院先は西新の成人病センター。
 予想通り地下鉄駅から近いはずなのに路地裏で道に迷う(^_^;)。
 でも大きい割に目立たない建物だったので、見つけにくかったのも仕方ないか。こんな小さなところで設備はちゃんと整っているのか、などと失礼な心配。
 着くなり看護婦さんから「入院手続きなら電話でいいのに」と言われてガクっとなる。紹介状まで書いてもらったんだから自分の足で行かねばならんのだろうと、てっきり思い込んでいたのに。
 身長、体重、血圧と測られるが、なんだか最近の計測器もハイテクになったもんだね。身長計によっかかっただけで勝手に機械が動いて、身長も体重も測ってくれるのである。
 身長171.6センチ、体重……え?
 昨日は81.0キロジャストだったぞ。
 は、83.4キロって……?
 あ、そうか、これは服着たままからだな、それでこんなに多めに……。途端に看護婦さんの無常な声が。
 「服の分は予め引いてありますよ」


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 あ、いけない。
 意識がちょっと飛びました。
 今までの検査結果から見ると、病状は私の予想より大分、悪化しているらしい。私としては8月末に入院したかったのだが、8月6日からの入院が決まる。
 盆休みは一応帰宅出来るみたいなのだが、どっちにしろ8月はほとんど不自由な生活を強いられることになるみたいだ。
 ああ、携帯用のDVDプレイヤー、この際だから買っちまうかな。
 でも持ちこみ禁止と言われたら意味ないけど。
 ホームページの立ち上げや日記の更新のための準備も七月のうちにしておかないとなあ。


 帰宅するとしげが穂希嬢と確かに片付けをしている。
 おお、確かにリビングが広々として、四、五人は座れる程度のスペースができている。
 でも、そのスペースを埋めていた本とビデオの山は……?
 何のことはない、寝室のスペースが全て消えているのだ。
 ……「模様替え」って場所移動しただけやんけ。寝室眠れなくして、どうやって今晩寝るんだよう。

 自転車の修理もやっぱり駄々をこねて行こうとしないので、仕方なく自分で行く。その分、台本が進まなかったが、今回の原稿の遅れはしげのワガママが原因なので、文句は言わせないからな。


 マンガ、魔夜峰央『パタリロ西遊記』2巻。
 猪八戒を美形にしたのは(ちょっとヒューイットっぽい)いいアイデア。
 パタリロに孫悟空をやらせるっていうからどんなに破天荒になるかと思ったら、随分原作に忠実だ。と言うか、もともと原作自体が破天荒なのである。
 でも、三蔵法師のマライヒと、那托太子が、羅漢のバンコランを挟んで恋のさやあてってのは、仏教徒が読んだらどう思うのかなあ。
 クリスチャンと違って余り怒んないような気もするけど。


 夜、中洲の『魚民』でAIQのみなさんを囲んでの飲み会。
 11月24日(土)の「2001 AIQ ODYSSEY」のチラシのゲラが出来たのでそのご披露。でも日付とかに誤植が結構あるのであった。エロの冒険者さん、チラシのスペル、「ODYSSY」になってますけど「E」が落ちてますよ。
 隣じゃ超調子っぱずれなドオンチが「ラブ・イズ・オーバー」歌いやがるわ、歯の欠けたガキは走りまわって覗きに来やがるわ、クーラーは全然利いてないわと散々だったのだが、もう話はいつもながら勝手に盛りあがること。
 なにが凄いって、ぴんでんさん、先日北海道で行われた「オタクアミーゴス」公演にわざわざ行かれたのだが、この裏話が話を聞いただけでも5000円の価値はあるという(^^)。
 余りに笑いすぎたので、「いいんですか、有久さん、そんなに面白がってて」とかえって心配されてしまったが、そんなに固い人間だと思われてるのかなあ。私は○○な話も××な話も大好きなんだが。と言うより「物語」の原典はまさしくソコやアソコに原点があるものだと信ずるものである。
 申し訳ないが、どんなに面白かったかは、とてもじゃないが凄過ぎてここには全く書けないのだ。どうしても知りたい人は、今度の九州公演のチケットを買おう。そしたらAIQのみなさんにもお会い出来るぞ。8月15日から福家書店で販売するそうですよん。
 (それはそれとして、ぴんでんさん、HP立ち上げてぴんでんさんの「武勇伝」、公表できる分だけでも公表しませんか?)
 ここに書ける無難なところで(無難なの選んだら一気に数が減るのだが)、『スカルマン』の最終回についての話題など。どうやらやっぱりアレは打ち切りだったらしいのだが、ぴんでんさんが、「まるでシマモトにイシノモリが乗り移ったかのようだ」との説には大笑い。実際、マトモに完結できた作品なんて、石森作品には少ないものなあ。
 今日初めて知ったのだが、ぴんでんさん、メディアファクトリー刊の石ノ森章太郎ワールド、全巻お持ちだそうである。それで「あまり『009』には思い入れなくて」などと仰るのだから、ほんとにAIQの方々はどこまで濃いんだか(^_^;)。
 エロさんオススメの「黒木豹介」シリーズも読んでみたいんだがなあ。相当トンデモだってことだから、かえって勇気が必要な感じなのである。今日のお話だと、なんかいきなり釣り人のエサのゴカイを「生き物を大切にしろ!」とか言って黒豹が池に放してやるシーンがあるそうである。
 ……魚に食われるって、ゴカイ。
 と言うか、それ以前に諜報員の癖にそんなアホなことやってて務まるのか。
 ああ、話してたネタ書いてたら、日記が何10ページあっても終わらん。こないだの職場のつまらん宴会に比べたら月とすっぽん、提灯に釣鐘、雲泥の差で楽しかったのであった。
 すみません、また何かあったら誘ってください。m(__)m


2001年07月06日(金) ニュースな一日/DVD『遊撃戦』第一話ほか

 福岡はまたまた大雨。
 大雨洪水警報が福岡全域に出されて、大牟田あたりでは床上浸水も出たそうだ。ここまで梅雨らしい梅雨も珍しいな。これで今年の夏、「水不足」なんてことがあったら、行政の不手際もここに極まれりと言ったところか。

 しばらくニュースをじっくりテレビで見る余裕もなかった。
 おかげで福岡のタクシー強盗がとっつかまった事も知らないでいたのである。
 タクシーの運ちゃんから初めてその話を聞いたが、聞かなきゃ聞かないままで、事件の続報など気にも留めてなかっただろう。
 世間の動きに対する私の関心自体がその程度なのである。

 おかげで小泉首相が今どんなことをしているのか、具体的なことはよく知らない。もしかして国民全員そうなのかもしれないが。
 京都議定書がどうたらとテレビが流してたのを小耳に挟みはしたが、駄々っ子が寄せ集まったような国相手にオトナな態度で接したって、あまり効果はないんじゃないかと思うんだが。
 もっともこれまでの政治家だったら、アメリカ相手にものを言うことすらしなかったわけで(してたのかもしれないが、そのことすらニュースとしては聞いたことがなかった)、長期的に見れば「アメリカが言うことを聞かない→日本だけでやるしかない」という独立の流れを作ることになるのかもしれないが。

 沖縄でのレイプ事件で地域協定が改正されるかも、という見方が結構現実的になってきたようである。
 犯人はどうせ「俺たちアメリカ人が日本人を守ってやってんだ。だから一発やらせろ」的感覚の持ち主だったんじゃないかと思うんだが、じゃあ、ほかのアメリカ人がマトモかと言うと、犯人引渡しの決定に猛反発してる米人も多いというから、アテにはならないのである。
 佐川一政がアメリカ女殺して食ったとき、日本人は「日本人に裁かせろ」と文句を言ったか?
 アメリカに限らないが、「自分の国だけ治外法権」的な感覚の国は多いと思うんである。で、日本に文句つけてくる国って、たいてい軍隊持って核装備してる国なんだよね。そんな「軍事国家」からいろいろ文句つけられて黙って従ってやる義理はない、と考えてる日本人だって多いんじゃないか。
 結局、あいつらは自分とこの「陣営」に日本を組み入れたいだけってことは明白。アチラの国もコチラの国も、別に日本が「平和」で「戦争放棄」しててほしいと思ってるわけじゃないのだ。その辺の観測なしに民間レベルで安保がど〜の謝罪がど〜のと言ったって説得力ないと思うんだが。

 実際、やたらと日本国内の反感あおってばかりだけど、どうするんだろうね。そんなに日本に戦争をさせたいのか。


 例の乱入殺傷事件の池田小学校、あれからずっとフリースクール形式を取っていたそうである。
 要するに「自由参加」の学校ってことだけど、それはまあ、心に傷を負った子供たちのケアとしては悪い方法ではないと思う。
 でも気になるのは、それ、法的に許可されてない方法じゃなかったのかってことだ。
 私は教育界のことについては全くウトイのでよく知らないのだが、以前にニュースで、全国各地のフリースクールが学校として認められていないと問題視する報道があったように記憶している。
 となると、池田小学校の場合は「特例」ってことなのかね。
 でも、特例であろうがなかろうが、それが子供の教育方法として「適切」という判断を、教育委員会も文科省も認めたってことには違いあるまい。
 だとしたら全国のフリースクールを学校としてなぜ認可しないか。
 つまりは「学校」という「制度」を温存したいだけじゃないのか。
 よく「自由参加形式のフリースクールは社会的集団活動の意義を学ぶ『学校』の範疇には含まれない」と主張するヤカラがいるが、「集団行動」って、そんなに学ばなきゃならんような重要なことなのか。
 関東大震災のときに朝鮮人を虐殺して回ったのも「集団行動」だぞ。あの事件は単にマス・ヒステリーのなせるワザ、と即断するわけにはいかない背景事情がある。
 つまり、「自分たちが朝鮮人を迫害してきた」という事実があり、「だからこの地震にまぎれて朝鮮人が復讐しはじめるだろう」という「論理」に基づいて行動したのだ。被害妄想ではあるが、そういう妄想に陥りやすい状況を日本人自らが作っていたことは紛れもない事実なのだ。
 「学校」なんて制度は妄想を育てるためにあると言ったって構わないところがある。「学校で学ぶ知識は高級で、それ以外は不必要」なんて妄想は明確に差別を生んでいる。
 フリースクールが増えていくとその差別が温存されてることが国民にバレちゃうから認可できないんだよね。
 制度そのものが差別性を持っているのにどうしてそれが許容されねばならんのか。
 いい加減国民も、学校に子供を預けて自分が楽しようと考えるんじゃなくて、社会そのものが子供を引き受けていかなきゃならないんだってことに気づけよ。進学なんて下らんことさせずに働かせろよ。学校が子供に果たせる役割なんて、「人生のほとんどは無駄」ってことを教えてくれる以外にないんだってこと、自分たちだって経験してきたくせにねえ。


 仕事が溜まってるのかもしれないが、何となく後回しにして早めに帰宅。
 劇団のシナリオを書こうとするがフォーマットが変えられていて、どうすればいいのか判らない。
 うーむ、シメキリは明日だと言うのに。
 しげはぐわらぐわらと寝ていて教わるわけにもいかない。
 仕方なく本を読んだり映画を見たり。


 明日が七夕ということで、今日の『クレヨンしんちゃん』は幼稚園のみんなが七夕飾りを作る話。カザマくんが、「ボクだけだぞ、ひまわり組の中で折り鶴を折れるのは」と自信満々に大きな紙で特大の折り鶴を作ろうとするのだが、出来あがったのは、なぜか謎の宇宙人。
 こういう感性がオタク心を揺さぶってくれるのである。
 それはそれとして、今日も明日も雨のようだが、織姫と彦星には気の毒なことである。だいたい初秋の行事である七夕をムリヤリ今の暦に当てはめてしまうから無理が生じるのだ。正月も含めて五節句は旧暦に合わせないと意味がないと思うんだがなあ。


 マンガ、尾田栄一郎『ONE PIECE』19巻。
 今巻はサンジ大活躍の巻だが、もしかしたらこれが最後の見せ場かも(^^)。
 でもこのところどんどんルフィの影が薄くなっていくなあ。いいのか? それで。
 私はもうレギュラーキャラクターには全く魅力を感じず、ひたすら敵キャラのおかしさぶりだけで読み続けているのだが、ボスのクロコダイルが急にキャラクターが卑小化というか小者化していってるのが残念でならない。「ああ、つまり更に上の敵がいるわけね」と、またまた連載引き延ばし工作を始めてるのがミエミエなのである。
 だからいい加減赤毛のシャンクス出せってば。


 マンガ、牛次郎・ビッグ錠『釘師サブやん・伝説の金札勝負!!』
 金札勝負に集まってきた全国のパチプロが、みんなただのヤクザなのが笑える。ま、確かに昔のパチンコ屋にゃ着流しのおっちゃんとか見かけてたような気もするけど。でも坊主がパチプロやってちゃいかんな。「穴破経」って、どんな経だい。
 ビッグ錠はモブシーンを描くのが好きな作家だが、いかにも手塚系という感じで必ずそこにギャグを入れるのである。つまりなんの関係もないセリフ喋ってるやつがいるんだね。「うふんムチでしごいてえん」とか(^_^;)。ベタだけど、そういう細かいところも好きだったのである。


 DVD『遊撃戦』第一話、見る。
 岡本喜八脚本監修のテレビシリーズ、初のDVD化。
 テレビ?
 冗談じゃない! 内容的には立派な喜八「映画」、しかもこれは『独立愚連隊』シリーズを全13話、計11時間に「長編化」したものであって、グレードアップ・バージョンといったほうが相応しい。
 しかもそのストーリーは、昭和19年の日支戦線、瀕死の密偵の伝えた「桂林の油」という謎の言葉の意味を探索するため、中国人に扮して部隊を脱走した七人のサム……あ、いやいや、七人の兵士の冒険行ってんだからこりゃもうエンタテインメントのエッセンスを凝縮したようなもの。
 七人の案内役は大陸浪人のような謎の男、黒鬼子(ヘイクイズ)、演ずるは喜八映画のヒーローと言えばこの人、佐藤允!
 「貴様は何者だ! 脱走兵か!」の詰問にも「大陸を二年もさまよってりゃ、ものも覚えられなくなるんでさあ」とふてぶてしく笑う。けれど、「密偵に名前など要らぬ」のセリフに「そんな美味しい言葉で死んでいったヤツらが浮かばれますかね」と一発かます潔さ。
 いやあ、カッコイイ。『殺人狂時代』の仲代達矢、『肉弾』の寺田農、『江分利満氏の優雅な生活』の小林桂樹、どれもみな岡本監督の分身なのだが、カッコよさという点でいうならなんといっても佐藤允が最高だろう。
 残る6人も曲者揃い。
 爆弾処理の、と言うよりバクダン作りのオタク兵士に堺左千夫。
 死んだ密偵の親友で、ホントは戦う予定ではなかった学者さんに小坂一也。
 九州出身の気のいい巨漢にトランプ殺し屋マブチ、じゃなくて小川安三。
 厳格な鬼軍曹だけれど実はもともと女学校の先生に大木正司。
 一本気な十八歳の若造に今や『無責任艦長タイラー』のミフネ中将、麦人。
 そして沈着冷静に見えて実は大胆過激な「遊撃隊」の隊長に三橋達也。
 え? 名前を知らない人もいるって? 確かに主役を張ったりすることは少ない、バイプレイヤーの方々ばかりだけれど、ただの脇役なんかじゃない、なんと言っても喜八映画を支えてきたヒト癖もフタ癖もある方々ばかりなのですよ。一度見たらもう忘れられませんよ、絶対。
 『七人の侍』『ルパン三世』、そしてもちろん『独立愚連隊』シリーズのカッコよさに痺れたヒトなら必見の作品である。
 ……で、早速CSチャンネルNECOで放送開始だと? ……CS、絶対DVDを放送ソースにしてるよな。


2001年07月05日(木) 疲れてるとかえって饒舌/DVD『アリオン』ほか

 朝方、まだ頭がふらついていたが、がんばって仕事に行く。
 でも自転車に乗る元気がない。
 昼から雨とも聞いていたので、タクシーに乗る。
 案の定、仕事は溜まりに溜まっていたので、やや朦朧とした意識の中、片っ端から片付けて行く。
 でも、夕方になると眼が霞んで、頭の中はユメウツツ。
 で、こういうときに限って会議があったりするのよ。
 会議に出るときゃ私はできるだけ目立たないように自分の意見を手控えるのだが、今日は抑制が利かない。
 と言うより喋ってないと脳が眠るのだ。
 気がついたら一人で30分喋っていた。
 しかも超早口。
 古館伊知郎の喋りを延々30分聞かされてると考えてください。
 会議に出ていたほかの同僚もあきれてたみたいだが、誰も口を挟めない。
 最後に私がヒトコト。
 「……何かご質問は?」
 みんな無言であった。さもありなん。
 でも、これって下らん質問させない一つの手かもな。


 帰宅は8時。
 しげは仕事にもう出かけたらしくすれ違い。
 連日の真夏日で全身にべとべとと汗がまとわりついているので、ともかく風呂に入る。
 ……入ったはいいんだけどね。
 湯船の底に、一つ、二つ、謎の黄色いツブが。
 実は謎でもなんでもない。ヘタに変なものを想像しないように。
 正体はコーンの粒である。
 しげが風呂の中で食ったトウモロコシの粒が、湯船の底にたまっているのだ。
 しかも何日も前に食ったやつが。
 ……一応言ったのよ、食べ物を粗末にするなとも、お湯を入れ替えとけとも。
 でもしげの返事はこう。
 「だって足の裏でコロコロしたら気持ちいいんだもん」
 世界には飢えて苦しんでる人だって何万人もいるというのに。これじゃ、しげが死んで地獄に落ちたとしても誰も助けてやろうとは思わんだろう。蜘蛛の糸一本だって降りちゃこないぞ。
 しげ、いい加減自分が人間としてとてもダメだということに気づいてくれよう(T_T)。


 東京のこうたろうくんからお中元が届く。
 ああ、こんなに毎年、気を使ってくれなくてもいいのに。
 何を贈ってもらったのか、この日記の性格から言えばバラさなきゃならんところだろうが、こうたろう君、恥ずかしがるだろうしなあ。困ったなあ。
 いや、とてもいいものなのですよ。しかも大量(^_^;)。
 劇団のみんなに、ということだろうから、ウチに遊びに来てくれた劇団のみなさまにはお裾分けいたします。つ〜か、今度の練習になんぼか持ってけよ、しげ。
 ああ、それにしても最近疲れ気味でメールも満足にお送りしてないのに申し訳ない。こうたろうくん、日記の上でってのは反則だけど、この場を借りてお礼申し上げます。
 リレー小説も面白かったよ。オチをつけるよしひと嬢がのた打ち回る姿が眼に見えるようだ(^o^)。


 ニュースでも見ようかとつけたテレビでつい『週刊ストーリーランド』を見てしまう(^_^;)。
 うわ〜、本格ミステリーのシリーズも始まってたのね。でも敏腕警部・神宮寺麗子ってネーミング、なんとかならんか。
 トリックのネタばらしは御法度と言いつつ、大笑いさせてもらったので今回は特別に。
 『スカイダイビング殺人事件』。
 キャベツ畑で栽培中の男を殺すために、犯人はまず、女をスカイダイビングに誘ってセスナの機内で殺害し、死体の服に水を染みこませた上で、その死体を抱きかかえてダイブする。
 マイナス10℃の上空で、死体は凍る。地上30メートルまで近づいたところで、犯人は地上の男に向かって、凍った死体を投げつけて殺す。
 できるか、んなもん。
 第一、殺人の凶器を作るために無意味に殺人を犯すってなんなんだ。
 こういうバカトリックが流行っちゃうってのが新本格以後の弊害の一つなんだよなあ。犯人が「事故で納まるはずだったのに! 完全犯罪になると思ってたのに!」って、そう思える心理が既に異常だよ。
 ふしぎな路上販売のおばあさんのシリーズ、今日は『節約するオニギリ』。このオニギリを食べると、体が小さくなるので、ものがすべて節約できる……って、『1/8計画』かい。
 もちろん、人間を縮小化しちゃったら、細胞そのものが小さくなっちゃうわけだから、通常の食料を摂取分解することは不可能になります。したがって飢え死にしますので、みだりにみなさん、小さくならないように(^^)。
 『ストーリーランド』は、どの話取ってみてもほとんどトンデモ話の連続で、ツッコミどころ満載なのだが、今更取り上げるのもなあ、という思いもあるので、あまり日記じゃ触れないようにしていた。
 もし読者の方の中で奇特な『ストラン』ファンの方がいらっしゃいましたら、アツク語り合いませんか?


 マンガ、鬼頭莫宏『なるたる』7巻。
 カバー裏のイメージボードが可愛いっす♪ って、本筋とは関係ないか。
 主役の少女シイナ、今巻から中学生。せいふくキャラになったことで始末の悪いファンがまた増えたことであろう。それは私だ(^^)。
 一般的に物語の主役ってヤツは、読者に感情移入させるために単純明快な性格であることを求められるが、一見素直なシイナもやっぱり今時の中学生らしく、切れやすいお年頃である。
 でもグーはいかんよグーは。主役にはやらせてはいけないことというものがあるのであるが、結構『なるたる』ではシイナ、その辺を逸脱しがちなのだな。
 病んでいるのである。キャラだけでなく、恐らく作者も。
 音楽や遊びについて、「報酬を期待して作られるものは射幸心を煽るだけの無だな存在です」と中学生に言わせる精神というものは多分に他者に対して攻撃的すぎる。「等しい権利がどんな能力の人間にも与えられるのは平等ではありません」という能力主義の考え方、一般的にも堂々と主張してるヤツ多いけど、これ、単なる「選別」じゃないのかねえ? この考えかたから真っ先に排除されるのは病人・老人・女・子供だ。一応、このセリフ吐いてるの、この物語の中じゃ「敵」ってことになってるけど、作者のホンネ、どっちかっつ〜と敵方のほうにありゃしないか?
 自分の心の中のどす黒い部分を見つめた上で物語を構成できるバランス感覚が作者にあるんだったらいいんだけどね。


 マンガ、和月伸宏『GUN BLAZE WEST』1巻。
 なんかね〜、こうもモロにね〜、西部モノの『ONE PIECE』やられるとね〜、ジャンプのお家事情も苦しいんだろな〜って思っちゃうよね〜。
 赤毛のシャンクスにあたるマーカスを「負け犬」にしてるあたりが工夫といえば工夫だろうけど、こいつ、連載が長期化すれば絶対、敵になって再登場してくるよな。逆にこの1巻で潔く死なせとけば、和月さん、ひと皮剥けたってことにもなるんだろうけどね。
 『ワンピース』だって既成作品の換骨奪胎で成り立ってるとこあるから(モロパクリもあるけど)、あまり文句をつけるのも野暮だけど、猪突猛進型の主役にクールなライバル、自信過剰なだけのやられキャラってパターンの繰り返し、描いてる方も飽きが来ないか?
 読んでる方だって、意外性がないと読みつづける気になれんよ。『ワンピース』がまだマシなのは敵キャラがデタラメで予測不可能だからだ。そこまでのキャラ設定、『るろうに』のときもそうだったけど、和月さんにはまだまだ勉強不足で出来ていない。
 1巻手に入れるのに時間がかかっちゃったし、もう2刷になってるから、売れちゃいるんだろうけど、さて、人気が続きますかどうか。


 DVD『アリオン』。
 公開当時は徳間が『風の谷のナウシカ』に続いて贈るファンタジー大作、と言う振れ込みで公開されてたような気がするが、当時も2時間枠に原作マンガ5巻分を全部詰め込むのには無理があるなあ、と感じていたが、改めて見ると、むだなキャラが多過ぎる。
 ギリシャ神話に取材しちゃうとどうしてもキャラが増えすぎちゃうからねえ。あれでも随分刈りこんでるんだろうけど、まず映画にしようと思うなら、ザコキャラはどんどん省いていったほうがよかったよねえ。
 監督の安彦良和が構成を川又千秋に頼んだってのがそもそも失敗だったと思う。まるで整理できてないんだもの。
 ゼウス・ポセイドン・ハデスの確執はもともとのギリシャ神話にあったものだろうけど、三つ巴にするから分りにくくなる。長いテレビシリーズでやるなら帝国に自由同盟に自治領の三国時代でもよかろうが、2時間なら2項対立程度に留めておかなきゃな。ハデスとポセイドンの役は一つにまとめちゃえばいい。
 敵もアポロンとアテナだけで、ゼウスもガイアもいらないよ。要はアテナをずっと前面に立てといて、最後にアポロンが真の敵と解ればいいだけなんだから。 黒の獅子王はもっと早い段階で出しておくべきだし、リュカオーンと役柄が被ってる。これもまとめることは出来るはずだ。
 大胆な刈りこみが出来てないから、一人一人のキャラクター描写が薄っぺらになってて、感情移入を阻害してるんだよね。
 だいたいアリオンがなんのためにオリンポスと戦おうとしているのか、最初から最後まで納得しがたい描写が続出。気がついたらアレースを殺し、ハデスも殺して(なぜ殺す必要がある?)、ポセイドンを殺し(錯乱したせいだが自業自得)って、これじゃただの殺人狂だよ。
 でも、この映画、良くも悪くも安彦良和の情熱が思いっきり注がれてて、「あ、こんなところに安彦さんらしさが」ってところを楽しめる描写もたくさんあるんだよね。初めてアリオンとこそ泥のセネカが出会うシーン、剣を盗んで逃げるセネカと、それを追いかけるアリオン。
 足に自信のあるセネカもアリオンにはかなわず、逃げる先々にヒョイと現われるアリオンのために右往左往。いや、ここでのアニメートはもう見事のヒトコトに尽きますよ。
 このアリオンとセネカの関係、まんま手塚治虫の百鬼丸とどろろなんだよねえ(そういや安彦さんも虫プロ出身だ)。セネカもストーリーの本筋には関係ないキャラなんだけど、下手をしたら神々だけの話に終始しかねない物語を観客の視線にまで引き下げる役割として、セネカは絶対不可欠の存在なのだ。キャラ立ちしきれてない映画版『アリオン』の中で、最も魅力的なのはこのセネカなのである。
 と言うか、わざわざDVD買ったの、セネカが好きだったからなんだよね。レスフィーナにばっかり萌えてないで、みなさん、セネカにも萌えましょう。
 ああもう、このセネカ見るだけでも『アリオン』、損はないです。これホント。


 ニュースを見ながら思う。
 ゴジラを政治に利用するな、公○党。


 体重、81.4キロ、太った体重、なんとかもと近くに戻したかな。


2001年07月04日(水) 喉が異常に乾くよう/DVD『少年ドラマシリーズ ユタとふしぎな仲間たち』ほか

 昨日からの頭痛と熱発で仕事を休みました。
 しげがドリンク類を買ってきてくれたので、飲んで横になります。
 と言うわけで今日は一日中布団の中です。

 寝ながらでも本を読んだりDVDを見たり。

 『コロンボ』を見ました。
 『ホリスター将軍のコレクション』。
 犯人役は『ローマの休日』でグレゴリー・ペックの友人カメラマンを演じたエディ・アルバート。
 もう1972年の時点でおじいちゃんです。
 亡くなって結構年月が経ちました。声をアテていた久松保夫さんも故人です。
 月日は早いなんてものじゃないですね。
 ホリスター将軍はコロンボ史上、最も大胆な犯人でしょう。何しろほとんど自分の犯罪を隠していない。隠していないからかえって犯罪が見えないということにもなっています。
 つまり、有名なあのトリックが使われてるわけですが、未見の人のためにここには書きません。
 と言っても、あまりに有名過ぎて犯人の失敗にすぐ気がついちゃうのが難点ですが。


 『東海道・四谷怪談』。
 実写版ではなく、なつかしの「花王名人劇場」で、一龍斎貞水の講談にアニメを合成した珍品です。
 監督はあの大塚康生さんなんですが、東映動画系のあの柔らかな絵柄じゃどうしたってお岩様の執念は表現しきれません。
 失敗作なんだけれども、大塚さんの監督作はこれと『草原の子テングリ』の二本しかないのです。アニメ職人に徹した大塚さんの技術を見るにはよい一編だと言えましょうか。


 『ユタとふしぎな仲間たち』。
 NHK少年ドラマシリーズ最高傑作です。
 以前、このシリーズについて、「幻になったせいで、傑作扱いされすぎている」と書いたことがありましたが、本作だけは別です。
 掛け値なしの傑作です。
 三浦哲郎の原作も絶版になってなければ新潮文庫から出てます。
 東北の、座敷わらしをモチーフにした物語です。
 東京からの転校生、もやしっ子とバカにされた小学生が、座敷わらしと出会うことで少しずつ成長していく。ただそれだけの話ですが、これは児童文学の伝統的なパターンです。だから後はその「異世界のもの」とどう触れ合えるかということ。
 結論から言えば、『となりのトトロ』よりドラマ的に遥かに濃密で上出来です。未見の方、嘘だと思ったら見て御覧なさい。
 わずか1時間のドラマのために1年間撮影を続けて東北の四季の変化を撮っていきました。主役の子がほんとに成長して行くのですから、これはリアルです。
 少年ドラマシリーズには珍しくフィルム撮影というのも効果満点でした。
 何より座敷わらしたちを演じた佐藤蛾次郎、桂こかん、辻村真人、和久井節緒、坂部文昭の名演。
 みんな、生まれてすぐ間引きされた子供たちです。
 だけど、オトナになりたいから、見てくれだけはオトナです。
 でもやっぱり赤ん坊だから、オシメをしています。
 おかしいけど、悲しいです。
 そして彼らの呪文。
 「ワダ、ワダ、アゲロジャ、ガガイー」
 昭和49年にこのドラマを見て泣いた人。この呪文の意味、覚えてますか?
 殿山泰司のおじいさんが最後に解説してくれました。とても、切ない呪文です。思い出したら、その言葉の意味をもう一度噛み締めてみましょう。
 今の時代のほうがよっぽどその言葉を深く理解していかなければいけないように思います。


 新番組アニメ『スクライド』に『シャーマンキング』。
 かたやチャンピオン、かたやジャンプのアニメ戦略。
 でもいいスタッフを集めてるわりに、どちらもこれと言って引かれる要素がありません。
 セリフがともかく型どおり過ぎます。


 朝はしげの作ってくれたおかゆを食べましたが、味が全くありませんでした。
 塩もしょうゆも混ぜてませんでしたから。
 味が濃いとからだに悪いとしげはいいますが、それは普通の時です。風邪の時は普通栄養を取るものです。そんな常識もしげにはありません。何度言っても忘れて、毎回毎回薄いおかゆを作るのです。でもしげはばかで記憶力がないので、どうしようもないのです。
 で、仕方なく自分で作りなおしました。醤油を混ぜただけでおいしくなりました。 
 夜はタンメンを作って食べました。
 自分で作るご飯の方がずっとおいしいです。
 でも、なんか独身のころと変わりがありません。
 結婚して得したのはしげばかりです。
 なんで私ばかり損してなけりゃならないのでしょうか。
 切なくなって来ました。
 

 ……イカン。
 この文体だとマジでどんどん気分が滅入ってくるぞ。
 この辺で普通に戻そう。

 どうやら今日から「北九州博覧祭2001」が始まったらしい。
 私のエキスポ熱は大阪万博で始まり大阪万博で終わっているので、沖縄海洋博にもつくば科学万博にも全く興味がわかなかった。
 地元、百道での「よかとぴあ」にも仕事の関係で一回行ったきりで、自分から行こうって気は全く起こらなかった。
 「人類の進歩と調和」というテーマに子供のころの私たちがどれだけ心揺さぶられたか。そして世界100ヶ国近くから集まった奇抜なパビリオンの数々。
 あれに匹敵できるだけの規模を持った博覧会は未だ開かれてはいない。

 ましてや北九州である。
 たかが北九州である。
 小倉だの八幡だのジリ貧の町がなんとか寄せ集まって、かろうじて「100万都市」にしがみついてる北九州である。
 有名人といえば松本清張と松本零士の「二人マツモト」でもってる町である。
 いったい何が期待できるというのか。

 いや、ちょっとワザとらしく貶しちゃったけどさあ、地元もあまり盛り上がってないみたいなんだよね。博覧会ったって、所詮は企業宣伝のためのイベントだからさ、キレイゴトのテーマ並べられたってしらけるだけなのよ。
 笑えるよ、実際の話。
 メインテーマが「響きあう 人・まち・技術」だとさ。
 マスコットキャラクターが「ヒビッキー」。ヒマワリが蝶ネクタイつけてるようなの。
 なんでやたら「響いて」なきゃならんのかって、他地方の人にはよく分らんだろうけど、北九州の外海が「響灘」っていう名前なのね。
 これ、当然「波の激しい、荒れた海」って意味なんだから、「街作り・もの作り」には似合わない名前だと思うんだけどねえ。

 ともかく「目玉」になるパビリオンがどこなのか分らないってのが致命的なのだ。以下に列挙してみると……。

 ■北九州博覧祭テーマパビリオン
  モノづくりメタルカラー館
  環境ミュージアム ECO-SHIP2∞1
  エコライフモール
  グローバルアジア館
  やすらぎ健康館
  産業観光センター

 ■北九州市出展パビリオン
  北九州交流館
  水のパビリオン
  自然史体験館

 ■官公庁パビリオン
  『ひかるの夏 Energy Silhouette Fantasy(エネルギー シルエット ファンタジー)』 資源エネルギー庁
  「出会いの森」 あなたの町の郵便局(九州郵政局)
   広域交流パビリオン夢CUBE 市民パビリオン実行委員会

 ■市民パビリオン
  市民パビリオン「ムーブ未来館」 市民パビリオン実行委員会

 ■海外出展パビリオン
  モンゴル館 モンゴル政府
  大連館 中国大連市
  仁川館 韓国仁川広域市
  釜山館 韓国釜山広域市

 ■企業パビリオン
  NECフューチャーパビリオン
  NTT Group presents「未来BOX 2010」 NTTグループ
  みらいくんのワンダーハウス電力館 九州電力(株)
  JR九州館「わくわく九州探検トレイン」 九州旅客鉄道(株)
  環境エネルギー館 西部ガス(株)
  新日鉄条鋼パビリオン 新日本製鐵(株)
  新日鉄館 新日本製鐵(株)
  ”21世紀の子供たちに贈る”TAKADA「遊び・創造空間」 (株)高田工業所
  東芝 サザエさん館 (株)東芝
  TOTOミラクルマジック館
  日立グループ館
  モーションマジックシアター (株)日立製作所
  富士通ゆめネットタウン@nifty 富士通(株)
  北陸マルタカ館 (株)北陸マルタカ

 ■準パビリオン
  ひがしだITクラブ ひがしだITクラブ出展実行委員会
  1901メモリアルパビリオン 教育委員会
  資源化センター 山九(株)  
  バードハウス バードハウス実行委員会  

 ■その他(展示コーナー)
  ぼくらの街を空から見よう! 新空港体験館 国土交通省 北九州港湾空港工事事務所

 さて、興味を引くパビリオンが一つでもあったろうか。環境とかエコとか、私にゃ胡散臭いものにしか思えないがね。
 ちなみに私が見ていたテレビの特集番組は、レポーターがインド料理やベトナム料理などを食べ歩きするばかりで全然パビリオンの紹介をしないのであった。
 あ、そうだ。会場のとなりの「スペースワールド」では「月の石」に「アポロ着陸船」が並ばずに見られますよ(^^)。


 体重は82.0キロちょうどでした。


2001年07月03日(火) 頭痛のせいでネカマ風(-_-;)/『黒衣 ―KUROKO―』2巻(高橋葉介)ほか

 仕事のし過ぎと熱さのせいでしょう。
 今日は無茶苦茶頭痛がしてます。

 仕事から帰って寝ました。
 でも明日も仕事は早いのです。
 しかもいっぱいいっぱい仕事は溜まっているのです。
 更にやっぱりというか、また日曜出勤を入れられてしまったのです。
 断りたかったけど、ほかにカラダの空いている人が(つまりはヒマな)人がいなかったのです。
 いや、本当はもっとヒマな人がいることを知ってるけど、文句をつけるのはみっともないので(見栄坊)結局引き受けちゃうのです。
 ばかですね。

 しげはCS時代劇チャンネルの『雲霧仁左衛門』に夢中で、「いいよね。『やまざきど』」なんて言ってます。
 そりゃ「やまざきど」じゃなくて「やまざきつとむ」だろう、と突っ込んでやる元気もありません。こんなベタなギャグで笑いを取ろうってさもしい根性が腹立たしい。

 アイスノンをして横になります。
 寝ながらDVD刑事コロンボシリーズを漫然と見ます。
 『死の方程式』、犯人役のロディ・マクドウォールも死にました。画面で見るとこんなに若いのに。
 『もう一つの鍵』『二枚のドガの絵』、久しぶりに見ましたが、昔は結構感心してたのに、今見返すと犯人がどうにもマヌケです。
 やはりこれは「エリートぶってるけどただのバカ」をからかって庶民が溜飲を下げるドラマだったのだなあ、と思います。
 でもこういう倒叙もの(犯人が初めから割れてるヤツ)、舞台でやるとおもしろそうですよね。もともとコロンボって舞台のドラマ化だし。
 意外と知られてませんが、わが国の明智小五郎も短編の名作はほとんど倒叙ものです。『心理試験』『屋根裏の散歩者』『月と手袋』など。

 山本弘さんからメールが届きました。
 どうやらお送りした同人誌用の原稿、採用されたようです。
 でも実は後で誤植があることに気づきました。
 困ったなあ、訂正をお送りするべきか。
 でも訂正し出すとどんどん変えたくなりそうだし。
 今、悩んでいます。

 ああ、また頭痛がひどくなって来ました。
 一度寝ているのと頭が痛いのとで寝つけません。
 本気で明日仕事に行けるかわかりませんが行かねばなあ。

 あ、後、マンガ、高橋葉介『黒衣 ―KUROKO―』2巻読みました。
 頭痛がするなら寝てろ、と言われるかもしれませんが、以前も書いたことですが私は中毒なので一日映画も本も見てないと禁断症状が出るのです。
 前の『学校怪談』ほどには面白くありません。高橋さんは徹底的にシリアスにやってくれたほうがいいと思っています。ギャグと言ってもほとんどがベタなギャグだし、やたらと寄り眼になるのも月並み過ぎて絵柄に合いません。
 何より新米のゴーストバスターって設定がもう新味がなくて。
 連載ももうすぐ終わりそうな気配だし、まだ夢幻紳士を再開してくれたほうがいいんじゃないかなんて無責任に考えたりしています。


2001年07月02日(月) ばとんたっちorあとはどうなと/『赤い雲』(西岸良平)ほか

 ちょっと体重を量るのを怠っていたら、82.4キロ。
 うおお、微増だが増えている!
 確かにしげにつきあってばくばく食っちまったし、宴会にも出たしで仕方ないと言えば仕方ないのだが、このままではいけない(c.早見優)。
 また明日から食餌療法(要するに減食)を続けねば。


 原稿シメキリを一つ一つ片付けていかねばということで、リレー小説をまずは上げる。後はこうたろうくんとよしひと嬢で完結だ。
 ある程度着地しやすいようにネタ振っといたから「これからどうすりゃいいんだー!」てことにはなるまい。
 

 ポストにDVD『六番目の小夜子』の全巻購入特典として応募しておいた「西浜中学校2000分化祭」のCDが入っていた。
 こういう特典ものってつい送るの忘れちゃうのだが(切手同封って場合も多いんで面倒臭いし)、せっかく応募して、送られてきてもフタを開けてみるとたいしたことないって場合も多い。
 このCDもまあレアといえばレアだけど、劇中劇の完全収録版って言ってるわりによく聞いてみると、明らかにスタジオ収録で、同じ声の人が何度も出てきている。
 CD製作のスタッフ・キャスト名が一切書かれていないというのもよくないよ。鈴木杏がいることは間違いないんだけどなあ。最後の「来た!」は間違いなくそうだけど、後がどこに出てるかが判別出来ない。「特典」って銘打つならシナリオつけるくらいのことはしておいてほしいものだ。
 それにドラマの中で使用されるからこそ盛りあがるんであって、単体で聞いても青臭い青春ドラマの域を一歩も出てないのよ、これ。
 

 マンガ、西岸良平『赤い雲』、『ポーラーレディ』読む。
 こういう短めのシリーズを描かせると西岸氏、なかなかウマイ。
 ウマイと言っても設定とかストーリーがと言うことであって、語り口はどうも説明口調が多くて興醒めしちゃうことも多いんだけどね。
 それをカバーしてるのがあの独特の絵柄。今更突っ込むのもなんなんだけど、西岸良平の世界の人間は縦長顔と横長顔の二種類しかおらんのかって。ああいう浮世離れした絵だと、キャラクターがやたら一人ごと喋ってても不思議と気にならないんだよねえ。
 設定だけ取り出すと『赤い雲』なんか「血がつながっていない兄に恋する妹が、数百年生きている猫に守られて数々の危難から助かる話」と結構ドロドロになりかねない展開なんだけどね。


2001年07月01日(日) 食いすぎたのは、あなたのせいよ/『コメットさん』(横山光輝)ほか

疲れ果てて今日は寝たり起きたり。

 朝のテレビ番組も見られたのは『コメットさん』だけ。ちょっと前からエンディングが変わってるのはテコ入れかな?
 もともとコメットさんがバトントワラーとなって踊るという、古くは『オバQ音頭』以来の(ホントに古いな)、「みんなもアニメのキャラと踊ろう!」パターンの一つなんだが、多分、一緒に踊ってくれるお子様達が少なかったのであろう。画面を半分割して実写のお子様たちやトワラーのおねいさん達が踊ってる様子を映し出しているのである。
 でも最近はこのパターン、「踊るコナン」のパラパラもそうだったが、まさしく「笛吹けど踊らず」ってことになってること多いように思う。全国的に流行ったのって、『アラレ音頭』あたりが最後じゃないのか。ちなみに私が盆踊りで踊った記憶があるのは『大ちゃん音頭』(いなかっぺ大将)だ。
 視聴率的には確かに振るってないみたいだ。
 『ニュータイプ』を見ると、ライバルと言ってもいい同じ魔女っ子ものの『も〜っと!おジャ魔女どれみ』の4月の視聴率が、12.8、11.9、11.3、11.1%と推移しているのに対し、『コメットさん』は、4.0、2.8、3.6、3.2%。とても太刀打ちできる数字じゃない。
 今時あんなに素直な女の子が主役のアニメってないから、出来るだけ長いこと続いてほしいんだが。なんだか昔『鉄腕アトム』と『Dr.スランプ アラレちゃん』が裏でぶつかりあって、圧倒的に『アラレちゃん』が勝ったときにも、「いい子の『アトム』が悪い子の『アラレちゃん』に負けた」みたいな批評があった。単純ないい子悪い子の比較もどうかと思うけど、『コメットさん』に子供が感情移入するにはちょっとおとなしすぎる印象はあるのだ。前田亜季の声もオヤジは萌えられようが(^^)、子供にとって魅力的かと言うとどうもね。
 その昔、九重佑三子のコメットさんも結構ドジってて、そこが子供の感情移入しやすいところだったんだが、今度のコメットさん、ソツがなさ過ぎるのである。
 横山光輝の『作家生活45周年記念出版まんが集』に、マンガ版の『コメットさん』が34年ぶりに初単行本化されてるのだが、結構グラマーで見たところ17、8歳、ちょっと小生意気で小悪魔的、カッコイイ男の子には惚れっぽくて、バトンをなくしちゃう定番ドジもあり、今のアニメ版と比べると、どっちかというとメテオちゃんのほうに近いイメージだ。
 うーん、長年横山マンガになじんできた身としてはやはりこの原作版コメットさんを見てみたかったなあ。
 でも目を皿のようにして見てみたけど、「原案・国際放映」とはあっても、「原作・横山光輝」の文字はなし。どうやらもともとテレビ企画のほうが先で、それに合わせて「原作」が描かれた関係らしいのだが、仮にも「原作」と銘打っている以上、著作権についてはマンガのほうにも何がしかの権利があるのではないだろうか。
 このままだと横山版が忘れられかねないようにも思うんだが、いいのかなあ、それで。


 マンガ、原作石ノ森章太郎・漫画MEIMU『キカイダー02』1・2巻読む。
 あ、やっぱり以前に出した『スペシャル・エディション』、続きを出さずに廉価版出しやがった。そういうのはコレクター相手に後で出すもんだよ、阿漕だぞ角川(昔からか)。
 元の漫画版より展開が早くて、もうハカイダーが登場している。うーん、顔がカエル(^_^;)。
 だからリアルにすりゃいいってもんでもないんだってば。
 ゴールデンバットがジローのプロトタイプ、ということで、ジローと同じ顔をしている、というのは面白いアイデアだけど、そうなると01=イチローとの設定の整合性はどうつけるつもりなのかな?
 今の感じだと、既に新キャラクターのヒナノはマサルというよりジャイアントデビルの秘密を持つアキラの役割のほうを持たされてるみたいだから、もしかしたらダーク→シャドウの展開も早いうちにされるのかも。
 でももとの漫画版とどこが違うって、デザインやストーリー展開もそうだが、キカイダーやほかのダークロボットに名前がないということだろう(設定上はあるんだろうけど)。
 キカイダーがグリーンマンティスに「キカイダー!?」と名前を呼ばれるシーンもない。というか、ゴールデンバット以外、喋れるロボットがいない。
 おかげでグレイサイボーグ、グリーンマンティス、カーマインスパイダーくらいまではなんとか分ったが、形状がまるで変わったオレンジアント、ブラックホースは一瞬分らなかった。ブラックホースなんてケンタウルスタイプの半人半獣になってるんだもの。
 ……コブラのロボットなんていたっけ? まさか「レッドスネーク」ってんじゃないだろうな(-_-;)。
 あ、ってことはハカイダーにも名前がないんだ。
 それが「リアル」ってことなら、なんかつまんないぞ、やっぱり。


 マンガ、椎名高志『MISTERジパング』5巻。
 こないだ4巻が出たばかりだってのに、もう5巻ってことはまさか完結が近いのか? はっきりパラレルワールドの設定を表面化させてからグンと面白くなってきた本作、やっぱり椎名さんはSFしてくれないとな。
 時空の彼方から天回によって呼び寄せられた本物の「秀吉」。
 なんだか突拍子もないみたいだけど、これ、つまりは「○○は二人いた!」ってパターンの変形なのだね。
 「義経は二人いた」とか、「二人の武蔵」とか。
 西郷隆盛なんか『カムイの剣』では何人もいたことになってたな(^^)。
 あ、そうか、これも結局はキカイダーとハカイダー、滝沢昇とブラック滝沢の関係なのだな。ああ、ちゃんと「少年サンデー」の伝統の上に乗っているとは。
 でも欲を言えばあと何人か女の子キャラが増えてくれたら申し分ないのだが。

 しげが椎名さんのホームページを見つけて劇団ホームページのほうにリンクしている。
 マンガ家さんのホームページって、面白いところとつまんないところの差が激しいが、椎名さんところはまあまあ面白い。週刊連載で忙しいだろうに、週イチで確実に更新しているのは立派。当然「ここでしか読めないマンガ」もあるし。
 そうだよな、ミソッカスロボットの元祖は椎名さんであって、マ○チやましてやハン○メイドメ○なんかじゃないよなあ。こういうねちっこい恨みを持つキャラ(横島忠夫の「ちちしりふともも〜!」には笑った)描かせるとうまいんだよなあ。
 ホームページについての評価は、好きなマンガ家さんだからと言って、必ずしも高くないものなのである。唐沢なをきさんとこの「からまん」なんか、99年以来更新がないけど、これはやっぱりほったらかし過ぎってもんだろう。


 マンガ、高橋留美子『犬夜叉』21巻。
 映画化も決定で久しぶりの高橋留美子作品ヒットでめでたくはあるんだろうけれど、なんだか四魂の玉探しかどうでもいいような展開になってるのはちょっとなあ。というか妖怪退治水戸黄門になっちゃってるのね。
 その手のパターンで一番面白かったのは毛羽毛現『百物語byYOKO』だったけど、「なぜ妖怪などという存在がこの世にあるのか」という設定がある分、同人誌的であっても『百』の方が『犬』よりも断然面白い。
 高橋さんの描く妖怪は人間臭すぎるのだな。つまりは手塚治虫の『どろろ』の流れ。人知を越える部分がないと妖怪ものって面白くならんのよ。
 更には時代にそぐわないラブコメムードがここんとこ続いているせいで、その辺がダレちゃうのだ。顔のない奈落の分身もうまく使わないと尻切れトンボで終わりそうで、何となくこの先が心配である。


 夕方からちょっと仕事したあと、しげと買い物に博多駅まで。
 しげが唐沢なをきさんの『うらごし劇場』を読みたがったので紀伊國屋書店まで探しに行くことにしたのだが、「帰りに買い物もしようね」なんて言ってたので、てっきり今日は、しげは仕事がないものだと思いこんでいたのだ。
 首尾よく本を手に入れたが、時計は8時を回っている。
 突然しげが、「じゃっ!」と手を上げてどこかへ行こうとする。
 「どこ行くんだよ?」
 「仕事」
 「……なんだ、今日仕事だったのか。買い物できないじゃん」
 「あんた行ってトイレットペーパー買っといて」
 なんだか詐欺にあったような気がしながらも、しげと別れて食材その他を買い込み、帰宅して、部屋の鍵を開けようとしたんだけど……。
 ない。
 部屋の鍵がない(・・;)。
 しげが鍵持ってたので私は部屋の中に置いたまま出て来たのだ。しげもそのこと知ってたくせに、けろっと忘れて仕事に行きやがったのだ。
 だああああ! あのクソアマァァァァァ!
 仕方なく、荷物を玄関前に置いたまま、しげのバイト先のリンガーハットへ。
 中を覗くと、しげは相変わらず愛想のない仏頂面で接客している。
 店内に入ると、また何しに来やがったという顔でしげがこちらを見る。
 「ご注文はお決まりでしょうか?」
 と聞いてくるしげに、おもむろに、
 「皿うどんにフリードリンク。それからウチの鍵」
 と注文。
 ……店内の人達に背を向けていたから気づかれなかったろうが、このときあいつは確かに笑っていたのだ。
 どちくしょう。

 このとき食った皿うどんは、81.2キロまで下がっていた体重を、翌日82.4キロにまで戻したのであった。……でも餃子だけとかオニギリだけとか頼めないじゃないの(T_T)。



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藤原敬之(ふじわら・けいし)